読切小説
[TOP]
とある万屋にて
「油揚げ下さいな♪」
「良く来たね。珠姫。 おつかいかい? 偉いね」
「いしし・・・ そうだよ。 母上に頼まれたの」

 絹のように流れる黒色の髪と透き通った琥珀色の瞳を持つ少女は笑った。無邪気な笑みが可愛らしくて、見ているこちらまで幸せな気分になってくる。思わず手を伸ばして頭を撫でてしまいたくなるのだが、桃色の唇から僅かに覗く犬歯がキラリと光ってそれを牽制した。まるで油断していると、格好の悪戯の餌食にしてしまうよ、とでも言いたげな表情である。
 この子は悪戯が大好きだ。
 目を離せばきっと頭から食べられてしまうだろう。
 そういえば、この前は近所の家の池の鯉を捕まえて大目玉を食らっていた。お尻をぶたれて大泣きし、母親が神社からやってきて頭を下げてやっと許してもらったのだっけ。いつもは元気で多少の事ではへこたれない彼女だが、母親がわざわざ神社からやってきた時は流石にバツが悪そうだった。

「西行寺、また何か考えてるでしょ!」
「いや、別に」
「嘘だー・・・」
「ほんとほんと、珠姫が鯉を捕まえて怒られたことなんか思い出してないよ?」
「あぁ! もぅ! 西行寺の馬鹿ぁ!」

 あまりにも疑って掛かるのでからかってやると、頭の上にピコンと二つの三角が立ち上がり、和服の下からはしなやかで柔らかそうな尻尾がフワリと広がった。それは明らかに人として不要な部位である。もちろんそれが付いている当然のように付いている以上彼女は人ではない、稲荷と呼ばれる物の怪の類である。
 大陸の方では「魔物」と呼ばれて人間と敵対関係にあるそうだが、ジパングでは時に畏怖し崇拝の対象となり、またある時は寄り添い良き隣人として支え合い、時に離れて住み分けるなど適度な折り合いをつけながら生活しながら暮らしている。
 ただ、その場で地団駄を踏み始める稲荷の子供の姿を見ていると、人と何一つ変わらないことが窺える。悪かったと謝っても、彼女は唇を尖らせてソッポを向き拗ねたままだった。

「さて・・・ さっき美味しい御饅頭をもらったんだけど、食べるかい?」

 とりあえず、このまま帰してしまうと後が恐いのでご機嫌を直してもらわないといけない。お稲荷様の怒りは、アカオニに晩酌を付き合わされるのと同じくらい恐いのだ。丁度良い事に先ほど近所からお饅頭のお裾分けがあった。一人で食べても味気ないし、珠姫を誘ってみるとキョトンとした表情を浮かべた。

「良いの?」
「あぁ。 珠姫に時間があれば、の話だけどね?」
「うん! ある!」
「じゃあ、上がりな」

 奥へと促すと、ニコッと裏表のない無垢な笑みを浮かべ、キチンと履物を揃えて上がった。後を追う様にして中に入ると、毛並みの良い尻尾はワサワサと機嫌良さ気に目の前で揺れている。母親が魔力の保有量の多い立派な九尾のためか珠姫は既に三本ある。とりあえず居間に通して自分はお茶を淹れるために台所へと向かう。
 元が狐だからか球姫は非常に鼻が良く、そのため茶の香りをかなり気にする。以前、お茶など飲めれば良いだろうと言った時には酷い目にあった。正座させられて、茶の木を育てるところから始まり、茶の摘む苦労や風味の損なわない淹れ方はもちろん、そしてお茶一杯の出し方に至るまで延々と説教された。
 もっともウチには香りの高い高級な茶葉などを常備する余裕はないので、極々普通の茶葉しか準備するしかないのだけれど。

「ねぇねぇ、西行寺。 健は〜?」
「健? 今なら、外で鬼遊びでもやってるんじゃないかな?」
「むぅー・・・」

 一人で待っているのが退屈だったのか、そわそわと部屋の中を歩き回った後で台所までやってきた。
 健は私の息子の事だ。
 ちょっと前まではしょっちゅう一緒に遊んでいたのだが、一緒に遊ぶことが恥ずかしくなったのか健は専ら男友達と遊んでいる。珠姫の方はと言えば、まだ一緒に遊びたいらしく不満げに唇を尖らせた。
 幼馴染の男の子と女の子の特有の微妙な関係という奴である。
 こんな事をいうと珠姫は怒るのだが。長いこと二人を見ていたが、本当に血のつながった姉と弟のようだった。健よりも年上のお姉さんとして振る舞いたいし、姉として慕われたいけれど、周囲に仲が良いと言われるのは恥ずかしいらしい。まったくもって難儀な性格だ。

「健がいないんじゃ、つーまーんーなーいー」
「ははっ、そういうな。 茶の準備が出来た。 そっちに行って饅頭を食べよう」
「ぶー・・・」

 なんとも言えない唸り声をあげながらも、甘い物に釣られて渋々ながら従う辺りがまだ幼い。座布団にチョンと座り、そのまま卓袱台にベタッと突っ伏した。

「大体、健は勝手すぎるよ〜。 “もうお前みたいな女とは一緒に遊ばない”なんてさ」
「ふむ、じゃあ。 他の子と遊べば良いじゃないか? 誘ってくれる友達は居るだろう?」
「居るけどー・・・」

 近所の悪餓鬼として有名な珠姫の事である。一声掛ければ一緒に遊ぶ友人は事欠かないし、放っておいても近所の小童共が悪戯しようと誘ってくれるはずなのだ。本当に遊びたいのなら健に拘る必要などありはしないのだ。
 にも関わらず、不満げな表情を浮かべている。
 むすっとした表情で頬を膨らませ、これでもかと言わんばかりに耳や尻尾を左右に動かして不満を露にする。健に拘る理由は分からないでもない。
 何かを悟ったのか、じっとりとした瞳でコチラを見上げてくる。とりあえず見なかったことにして饅頭の載った皿を鼻先に置き、ついでに熱いお茶を隣に置く。

「むぅ〜・・・」
「こら、キチンと手に持って食べなさい」
「意地悪・・・」
「意地悪じゃない、行儀だよ。 行儀」

 そのまま首を伸ばして犬食いをしようとしたので皿を下げて額をコツンと小突いて注意する。渋々といった風に手に持って食べ始める。一口食べると目を丸くして手元の饅頭を見つめていた。
 いつもの甘いだけの饅頭を想像したのだろう。残念ながら、今日の饅頭は一味違う。もらいものとは言っているが、ただのもらい物ではなく、お菓子屋がお中元にくれた飛び切り上等のものだ。
 それからは分かりやすい。小さい口を開いてパクリと齧り付き、一心不乱にもぐもぐと咀嚼していく。時折喉につかえさせて胸を叩きながらお茶を飲み干した。

「あちゃ!」
「やっぱりね。 猫舌なんだろ? 取らないからゆっくりお食べ」

 べーっと、舌を出して火傷した所を冷ましている。
 珠姫の前で食べると慌てると思ったので、前もって自分の分は別に確保しているし、今はノンビリと珠姫の良い食べっぷりを見ている方がずっと楽しかった。笑われたことに恥ずかしそうな表情を浮かべたが、今度は言われた通りに落ち着いて食べ始めた。
 よっぽど気に入ったのか、今日の珠姫は随分と饒舌だ。昨日は境内で石蹴りをしただの、この間の狐の嫁入り(天気雨のこと)には本当に狐の結婚式に呼ばれただの、河童が男の子を川で足を引っ張って悪戯してやろうとしたら逆に蹴られただの、他愛のない話を一生懸命話してくれた。
 そんな他愛のない話をしながら、随分と美味しそうにパクパクと食べるのだから、自分の分も与えてやろうかと思ったが、不意に珠姫の手が止まった。

「食べないの?」
「う・・・うん。 いいや」

 訊ねると歯切れ悪く断った。視線は食べたそうにじっと注がれていたが、食欲に負けて食べないようにと意識して首ごとそむけた。その様子はあまりにも不自然だ。

「俺の分は気にしなくて良いよ。 全部召し上がれ」

 勧めてもユルユルと力なく首を振る。そればかりか困ったような笑みを浮かべてこちらを見た。

「良いの。 健の分、なくなっちゃうから」
「健は幸せ者だな。 珠姫から饅頭をもらえるなんて」

 そうかな、と少しだけ恥ずかしそうに笑ったので、そうともと頷く。
 嬉しそうに笑ったあと、自信を失ったかのように俯いた。耳は垂れ下がって、尻尾は床に伏せられている。じっと湯飲みを見つめる瞳は湿り気を帯び、今にも溢れ出て零れ落ちそうだ。

「でも、私、健に嫌われてるんじゃないかな?」

 ぽつり、と不安げに珠姫は漏らした。
 暫しの沈黙が二人の間に降りる。だが、それも束の間。すぐに何の思慮も遠慮も無い、けれど笑い声が周囲を包んだ。珠姫の頭の上にぽむっと頭の上に乗せる。
 分厚く、ゴツゴツとした手が無造作に珠姫の頭の上を行き来する。お陰で髪の毛が滅茶苦茶になってしまった。

「そうかな? なら、本人に直接訊いてみたらどうだい? 時間があるんだろ? もうじき健も戻ってくる頃だからさ」
「でも・・・」
「おや、戻って来てしまったかな?」

 ただいま、という声がしてトントンと誰かが廊下を歩いてやってくる。それからの珠姫は見ものだった。見るからに狼狽し、キョロキョロと左右を見渡して隠れる場所を探す。狐は鼻だけではなく耳も良い動物だ。その能力はどのような時に発揮されるか。
 考えるまでもない、それは危険を察知した時だ。
 この物の怪と人が手を取り合って生活を営むこの平和な世において、稲荷が危機を感じるときなどあるのだろうか。
 これが・・・あるのだ。
 なにも必ずしも危機を感じる相手が天敵とは限らない。天敵ではなく、逆に親愛の情を抱くからこそ感じる危機感というものもある。例えば、幼い頃から姉として接してきたものの時が経って想像以上に見立ての良くなってしまった弟分とかが良い例だ。

「な・・・なんで居るんだよ」
「別に・・・居ちゃいけない?」

 突然の少年の登場に珠姫は機嫌を悪くする。不機嫌そうに顔を背け、形の良い鼻をフンっと鳴らした。少年の方を見やれば、こちらも同じような態度を取っている。
 まるで互いに仇敵を見つけたような態度だ。

「おい、健。 饅頭あるぞ? 食べるか?」
「ん・・・ もらう」

 踵を返して自分の部屋に帰ろうとした健だが、誘われてはそれも無下にできない。しぶしぶと卓袱台につく。健が皿に載った饅頭に向けて手を伸ばすと、直前でそれを掠め取られた。別の饅頭に目標を切り替えても同じように横から奪い取られた。誰が取ったかは確認する必要も無い。
 ぶつかり合う視線と視線。空中で熱く火花を散らす。

「なにするんだよ」
「これは西行寺が私のために出してくれたの。 健は煎餅でも齧ってなさいよ」

 手を伸ばす度にそれを珠姫が阻み、健のフェイントを交えた一手もあっさりとかわされる。熾烈を極めた饅頭争奪戦は、最終的に珠姫の皿の独占にて決着が着いたようで、あきらめて健は煎餅を齧り始めた。

「珠姫、さっき健の分に残してやるって言わなかったか?」
「・・・!」

 じぃ、と珠姫が睨んでくる。
 はて、ナニかおかしなことを言っただろうか。湧き上がる笑みをなんとなく噛殺しながら首を傾げる。健は腹だったのか卓袱台を叩いて立ち上がり、乱暴に襖を開けて部屋から出て行ってしまいそうになる。

「健!」
「なに・・・?」

 反射的に声を掛けた。ゆっくりと健が振り返る。不貞腐れた顔に流石の珠姫もどう声を掛けて良いのか分からないようだ。対する健も声を掛けられたからには退出することもできずにいる。
 停滞した空気。
 気まずい雰囲気が澱となってこの居間に停滞していく。
 珠姫は先ほどから何やら俯いてブツブツと言っている。だが、それは健にとっては逆効果だったようでますます苛立ちを加速させてしまう。バリバリと頭を掻き毟り、これみよがしに大げさな溜め息をつく。

「あぁ、もう。 これだから女は嫌なんだよ」

 もとの位置に戻ってくると、乱暴にもとの位置に座った。これが俺の最大の譲歩だからな、とでも言いたげな表情で腕を組んでいる。珠姫の方も僅かに驚いたような表情を浮かべた後、おずおずと申し訳なさそうな動作で饅頭の載った皿を差し出した。

「一緒に食べよ? その方が、きっと美味しいから」
「さっき食べてねーから、一人で食べた時の味なんか知らねーし」

 健は、憎まれ口を叩きながら当たり前の様に饅頭を掴む。
 その様子を眺めている珠姫の表情はどこか嬉しそうだ。

「いつまでも店を空けておくわけにもいかないから、ちょっと行って来るよ。 珠姫はゆっくりしていきな、健も茶請けぐらいどこにあるか分かるだろ?」

 言い残して部屋を後にする。後は二人が勝手になんとかするだろう。それは自分の関係の無い事だ。時折、聞こえる久方振りの笑い声。

「それにしても、この饅頭旨いなぁ」

 居間で誰かが漏らした言葉。
 釣られて窓の外を見る。辛抱強く春の訪れを待つ桜の木には、まだ蕾とも言えぬ小さな膨らみがあった。さてさて、今年の春はどちらが先か、咲き誇る美しい花達を想像しながらゆったりと仕事場に戻っていく。



・・・

「おや、久しぶりだね」
「ただいま、お義父様」
「いやいや、随分綺麗になったもんだ。 見違えたよ、昔はこんなに小さかったのな」
「いくら小さかったからと言っても、そんな小豆粒ほどの大きさなわけないだろ」
「え、肝の大きさだよ? 尻尾の数が今は8本だしね。 少しは肝が大きくなったようだ」
「親父! ったく・・・ 昔から変わらないな、人を食うのは」
「ふふ、物の怪よりも人を食ってますね」
「はっはっは。 人を食うのが一番の健康法さ」
「健康って・・・ 親父の場合、殺したって死なないだろ」
「おいおい、親は大事にするもんだぞ。 まったく、親孝行の一つでもして欲しいものだ」
「何いってやがる。 まだまだ現役のクセに。 動けなくなった頃には親孝行してやるよ」
「む・・・ 動ける内に拝んでおきたい物はあるんだけどなぁ・・・」
「おや、お義父様の見ておきたいものとは?」
「どうせ、ロクなものでもないだろうさ」
「ふふ、それは孫の顔さ」
「・・・」
「それは、近日中に見せられると思います♪ ね、健。 今夜は頑張りましょう?」
「お、親父ぃぃぃぃぃいいいいい」
「はっはっは」
11/06/13 00:12更新 / 佐藤 敏夫

■作者メッセージ
子供の稲荷はよく悪戯してそう
そんなイメージを抱きつつ、仕上げた作品でふ

そんな事はどうでも良いんだよ



珠姫可愛いよ 珠姫
若草さんが絵を描いてくれたよ
もう・・・ 可愛くて生きるのが辛い・・・


あぅ・・・ SS内では、この可愛さは伝わっているのだろうか・・・



こんな作品に挿絵を描きたいと仰って下さり
オマケに、絵に注文という名の我侭まで快く受けて下さった若草さん

そして、この作品を読んで下さった読者の方々には最大級の感謝を!!!


あ、えっと・・・ (若草さんの)絵の感想とか、SSの感想とか書いてくれたらもっと嬉しいです

TOP | 感想 | RSS | メール登録

まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33