花粉症
目が痒い、鼻水が出る、クシャミ、鼻詰まり
今挙げたのが花粉症の4大症状で場合によっては発疹も起こす場合もあるが、特に呼吸器系に症状が出るのは辛い。鼻水が出てきた時に近くにティッシュが無かったりすると焦るし、寝ている時に鼻が詰まると息が出来ず起きたりする。魔物であってもそれは変わらないらしく、あまり広いとは言えない診療所の待合室には人間と魔物が花粉症談義に花を咲かせている。
不謹慎なのは分かっているのだけれど、魔物達が花粉症に悩まされているのを観察するのは結構面白かったりする。
例えばクシャミ
ミノタウロスやワーウルフは家が吹き飛ぶんじゃないかというくらい豪快にクシャミを数回繰り返した後、少しバツの悪そうな笑みを浮かべる。
プライドの高いエルフやリザードマンは、自分の威厳をなんとか保とうとクシャミをしなかったフリをしたり、クシャミをした後に目が合った相手をなんともいえない視線で睨みつけたりする。
臆病なナイトメアやコカトリスなんかは自分でしたクシャミに自分でビックリして硬直してしまう事がある。
花粉症を起こすのは不便ではあるものの命に関わるものでもない。根治ができない訳ではないが、生活習慣を見直したりしなくてはならず効果に対して負担が大きい。幸い、花粉症の症状をよく抑えてくれる薬もあるのでウチの診療所では対症療法で十分を奨励している。
「ヘクシュン」
噂をすれば、なんとやら。そういう俺も今年から花粉症だったりする。ティッシュを探していると、イルと視線が合い“薬師が花粉症じゃ、だめじゃん”と、ちょっとだけ笑われた。
流石に植物系の魔物だけあって、イルは花粉症には無縁だ。
俺はそれに苦笑で応え、棚から薬を二錠取り出し水で飲み下す。
これで大丈夫
「じゃ、イル。次の患者さんを呼んできて」
「はぁい」
嬉しそうに笑みを浮かべて、イルは次の患者を呼びに行った。
・・・
青い液体が診察室のドアの隙間から入りこむ。一瞬ドキリとするが、妙に粘度をもった液体はそれ以上侵食する事はなく一つの大きな塊になる。やがて、そこから手や足が生えて一つの形を成してゆく。
「先生、お久しぶり〜」
「・・・」
「どうしたの〜?」
「扉は開けて入れ」
「あ、つい癖で、ごめんなさ〜い」
そういって、ルフはもう一度扉の隙間を潜って出ようとする。全く学習していないだろ、それ。そもそも一回入ったんだから出る意味も無いから。大体“つい癖で”というけど、明らかに扉を開けて入った方が効率良いよね。
・・・突っ込むべき所が多すぎて、逆にどこ突っ込んで良いか分からない
こめかみに、わずかな頭痛を覚えて人差し指で押さえる。
「そんな事ないですよ〜」
「ほー・・・どこに突っ込めば良いんだい?」
「好きな場所に立派なモノを〜♪」
分かった、その全て下ネタに走る間違った努力に突っ込もう。全力で。
「それで今日は?
体重が落ちているように見えないし、体力が落ちているようには見えないけど」
チョコレートの一件で体重が大分落ちていたのだが今は見た目元通りだ。
「うん、花粉症なんだ〜」
スライムが花粉症。
一見間違っているように見えるが、案外理にかなっている。花粉症とは、外部から入ってくる外的を排除する免疫の異常によって起きるアレルギー反応だ。スライムは全身から物を吸収可能であるため、全身から花粉を吸収してしまう事になる。しかも、症状は粘膜に出やすいので、全身が粘膜に近いスライムの症状は辛いだろう。
「そっか、それなら対症療法以外の対策もしないと駄目だな・・・
具体的には、どんな症状が出る?」
「鼻水が出やすくなるの〜」
心配して損した。
「なに言ってるの花粉症って辛いんだよぉ〜
鼻水が出てきた時に、ティッシュが近くにないと焦るし〜」
「知ってるよ」
つーか、最初に言ったぞ
その前に体液で濡れているんだが、鼻水が出ているんだかの区別ができない。そもそも、そんな濡れた体でティッシュをどう使うんだよ。触った瞬間に破れるだろうが。
何回もボケをかまされる俺の立場も考えろ。どこまで突っ込ませれば気が済むんだ?
「アレが立たなくなるまで〜♪」
ニコニコと満面の笑みを湛えて答えられた。全力で下ネタに突っ込むと決めた矢先申し訳ないんだが、早くも心が折れそうだ。立つ瀬が無い。突っ込むと泥沼になりそうなのでスルーしよう。
「イル、棚から鼻薬を取って来てくれる?」
「はぁい」
棚の中に薬は大量にあるし、効果の期待できる鼻薬だけでも数種類ある。それにも関わらず、アバウトな指示をしたのはイルに適切な薬を自分で選ぶ練習をさせようと思っての事だ。調剤室に向かいほどなくして戻ってきた。
「はい」
「チョコレート・・・?」
「だって調度良いでしょ?
水分がなくなっちゃえば、鼻水も出にくくなるし」
人間の体は老人の場合は50%子供の場合で75%と言われ、種族により多少違うが、いずれのスライムもこの割合を大幅に上回る。以前にも説明した通り、スライムとチョコレートは相性が悪く、消化ができないので体外に排出しようとする。その際に同時に大量の水分を体外に排出してしまうのだ。
水分がなくなれば鼻水は出なくなるだろうけど、命が危ない。
「なぁんてね、嘘だよ、嘘。
“バレンタインチョコじゃなくても”貰った物を返すのは失礼だからね
もちろん“特別な意味は込められていないものでも”ね
こっちが本命だよ」
そういって、一番欲しいと思っていた薬を渡してくれる。
背筋に戦慄が走ったが冗談だったらしい。
イルが妙なオーラを纏い、しかも顔が笑っているのに目が全く笑っていなかったのは気のせいだろう。“バレンタインチョコ”というフレーズをやたらと強調していたのも気のせいだ。気のせいという事にしよう。
いつもルフとは仲が良いのに、なんで俺の前だけ俺の方ばっかり見るの?
「えっと・・・薬、渡しておくから・・・
お大事に・・・」
「ありがとうございましたぁ〜」
ルフが“バレンタインチョコと関係なく”たまたま買いすぎてしまったため、御裾分けしてもらった“特別な意味はない”チョコレートをずっと握りながら微笑みかけてくるイルの視線に耐えつつ、俺はルフを見送った。
・・・ルフ、薬を持ったまま扉の下を通るのは無理だよ
・・・
「やっほー、ディアン、イル」
「やぁ、アレサ」
「こんにちは、アレサ」
酒場兼宿屋の看板娘は入ってくるなり軽いノリの挨拶をしてきた。イルもアレサには懐いていて、休日は一緒に出かけたりしている。
「花粉症?」
悪そうな所がなさそうだし、この前も酔い醒ましの類を仕入れていったので、試しに訊ねてみると苦笑いを浮かべて頷いた。
「酒場ってどうしても人の出入りが多いからね・・・外から花粉が入ってきちゃうのよ
ディアンも今年から花粉症なんでしょ?」
「まぁね、でも、薬で症状を抑えられるからね
でも、外に出る時はマスクしている
マスクしておくと、症状が大分楽になるよ」
「接客業だと、そういう事もできないのよ
ほら、可愛い顔が隠れちゃうじゃない?」
いつもイルは素直な笑みを浮かべるが、アレサは少しだけ悪戯っぽい笑みを浮かべる。酒場の客曰くイルとは、また別の魅力があるとの事だ。男を落す事に関して言えば、サキュバス顔負けの手腕である。体調を崩してアレサがしばらく店に立たない時期があったのだが、その間は、店の売り上げがガタ落ちしたという。
また、噂によると恋愛相談(女の子限定)まで随時受け付けているそうだ。
いっそ、本を執筆した方が良いかもしれない。
案外売れるかもしれないからな。
“看板娘が教える男の落とし方”
著者 アレサ=クレセント
出版社はナドキ○出版が良いな・・・
「アレサが出したら真っ先に買うよ」
「ふふふ、じゃあ、出しちゃおうかしら」
クスクスとアレサは笑っていたが、イルの方は若干本気だぞ・・・
イルは騙されやすいんだから、勘弁してくれよ・・・
「えっと、本題に戻るけど・・・
処方するのは、花粉症の薬で良いのかい?」
「えぇ、お願いします」
「了解、他に相談しておきたい事は?」
「特に・・・あ、一つだけ」
どうぞ、と手の平を見せて話してもらおうとすると少し言いにくそうに視線を逸らした。
それだけで、異性には言いにくい内容とまでは分かるのだけれど、それ以上は分からない。ファフに他の薬師が居れば紹介状でも書いてあげられるのだけれど、生憎とファフにはもちろん、近くの町にも女性の薬師というのはいない。女性の薬師がいるとすれば、王国のような大都市かアマゾネスの集落だろう。
いずれも、ファフの人間が気軽に立ち寄れるような場所ではないし、紹介状もほとんど用を成さない。
結局、恥ずかしいのは承知でも話してもらわない事には、こちらも処置しようがない。
「ディアンの代わりに聞いちゃ、駄目?
アレサもディアンより話易いと思うし、僕が判断しきれない時はディアンに伝えるから」
不意にイルが申し出た。
灯台下暗し、イルがいたか。
「アレサもソレで良い?」
「えぇ、お願いします」
「じゃあ、二人でイルの部屋に行っておいで」
うん、と返事をしてイルはアレサを部屋に連れて行った。
・・・
「こんにちは、先生」
「こんにちは、ルア」
入ってきたのは、妖艶な体を持つサキュバス。公序良俗を乱す事や無差別な誘惑行為を禁止している(夜になるとこの規制は魔物文化の交流ということで大分緩くなるようだが・・・)ので、サキュバスの露出度の高い服装ではないのだが、やはり元来持つ色香までは隠しきれていない。
ルフが椅子に座る際に屈むと胸元の谷間が強調され、視線が一瞬奪われてしまう。慌てて逸らしたものの、ルアは見逃してくれず “気になりますか?”と悪戯っぽい笑みを浮かべた。
むしろ露出度の低い服装は胸元を強調するための布石だったらしい。ファフの町の中では、合法的に誘惑行為を働くという手段が発達している。さらに言うと、焦らす事に快感を見出してしまったらしく、“思わせぶり”というのがファフの魔物達の間で流行している。
・・・結果的に外の魔物達より要らない知識をつけ、ある意味タチが悪くなってしまったのだ
「勘弁してください」
「あら、何も言っていませんよ?」
クスクスとルフは上品に笑い、俺はただ黙って頭を横に振るしかなかった。
「今日は、イルちゃんが見えませんけど?」
「あぁ、二階でカウンセリングをやってもらっているよ」
「あら、もうそんな事まで任せられているのですか?
もう立派な一人前ですね」
「薬の調合も選択にも、天性のものがあるし
後は経験を積めば良い薬師になれるよ」
「ふふ、楽しみですね」
一人前
ファフの周囲の魔物達は、人と共存しているので大っぴらには言わないが暗黙の了解として“魔物は人を襲えて一人前”というのがある。イルが俺のもとを訪れたのは魔物として一人前になるためだ
マンドラゴラは臆病な魔物であり、他の魔物のように特殊な能力がある訳でもないので、土から出て覚醒してからは積極的に人を襲う事はない。彼女達にとって人を襲う最大のチャンスというのは相手に引き抜かれる瞬間なのだ。しかし、イルは魔物に抜かれてしまったため、そのチャンスを逸してしまった。
イルは人を襲えた事もなければ、ファフに来てからも約束を守って人を襲っていない。
けれど、イルは魔物であって、俺は人間だ。
共存はしているが、結局、それぞれの種族に縛られる。
もし、イルが一人前の魔物となった時に俺はどう接して良いのだろうか。
「先生、大丈夫ですか?」
「あ、失礼。少しばかり考え事を」
ルフが声を掛けてきて現実に呼び戻される。
「また、イルちゃんの事ですね
今の患者は私ですよ?」
妬けてしまいます、と冗談めかしてルフは続けた。本当にファフの魔物は“いらん知恵”をつけると苦笑する。多分、アレサだろう。
まぁ、魔物と人間といっても助け合う事はできる。そう構える必要はない。来るときにおのずと分かってくるはずだ。
「申し訳ない
それで、本日のご用件は?」
「花粉症ですね」
「やっぱり、症状は目と鼻?」
「そうですね
目が痒かったり、クシャミが出たりします」
彼女の仕事は・・・サキュバスの特徴を生かした職業(役所に登録済みなので合法)だ。やはり仕事に影響が出るのだろう。服用できる時間が不定期になりやすいので、長期間効果が続くものが良い。そして、サッと飲みやすい錠剤タイプの物がベストだ。
よし、在庫もあるし。アレが一番良い
「じゃあ、新しい薬を出しておきますから
名前が呼ばれるまで待合室でお待ち下さい」
「はい、分かりました・・・花粉症って花粉が原因でおきるんですよね?」
「そうだよ、花粉に対するアレルギー反応が原因だね」
「どうして、花粉症が起きるんでしょう?」
「?」
曰く
精は、人間の男性が多く保有する生命エネルギーである。
なら、種子を作るための花粉は人間で言う男性が放出する精と同じ。
すなわち、生命エネルギーを大量に保有していても全くおかしくない。
「そう考えると、花粉症ってなんだかヤラシイ響きがしませんか?」
「しません」
・・・
無垢の木を基調とし、花柄を所々にあしらった部屋。小奇麗に整理された部屋でアレサとイルは向かい合っていて、イルの表情は硬く若干萎縮してしまっている。まぁ、“ディアンを篭絡する方法を考よう”て言ったから仕方ないといえば仕方ない。
「そんなに緊張しなくて良いわよ
恋愛相談だってカウンセリングの一種だし、立場が逆転しただけで
嘘なんて一つもついてないんだからさ」
「う、うん・・・」
イルはそういったものの、やはり上目遣いのままだ。場所がアウェイならまだしも、ホームでこの有様では相談を受けるのは少しやりにくかったりする。
私は、イルが淹れてくれた紅茶に口をつける。フワリと優しい香りがした。
「この紅茶、すごく香りが良いけど、いいやつじゃない?」
「え、ううん、町で売っていた一番安いやつだよ
僕のお小遣いじゃ、そんなに高いの買えないよ」
「へぇ・・・高級品みたいな香りがするけど」
「いつもアレサは茶葉の量が少ないんだよ
高級品でも茶葉をケチっちゃうと美味しくないんだ
逆に言えば安い茶葉でも、キチンと淹れれば美味しいのができるんだよ」
酒場で紅茶なんてものを頼むのは、キザで格好付けているヤツ(しかも味は分かっていない)なので適当に出していたのだが、バレていたらしい。薬草の目利きや使い方に関しては、ディアンも一目置くという事だけはある。
高い紅茶の葉を買うよりアルバイトさせた方が安く済みそうだし、今度、イルに酒場のバイトをやらせてみようかな。ディアンは休みの日の昼なら良いと条件をつけるだろうけど、夜の大半の客は酒を飲む人達だし問題なさそうだ。
要検討、と。
「ディアンも気に入ってくれそうだね」
「うん、美味しいって言って飲んでくれるよ」
自慢げに笑って、イルは
「じゃあ、あと一息じゃない
紅茶に痺れ薬でも入れて押し倒しちゃいなさい」
「!!!」
イルがむせた。
「だって、ディアンもイルの事が気になってるもの、両思いなんだから良いじゃない」
「で、で、でも、その、フインキって物が・・・!」
フインキじゃなくて、雰囲気ね
もっとも、魔物が人を襲うときに雰囲気なんて気を配っているとは思えないけど。
「雰囲気を気にする位なら、誘惑とか、ムード作りとかしているわけ?」
「してるもん!」
イルは、魔物としてのプライドが刺激されたのか、拗ねた様に頬を膨らませて抗議した。シャツの匂いを嗅いで満足していたり、手を繋いだ事を誇らしげに話ししていた事を考えると進歩と言えなくもない。
「寝る時に部屋の鍵を開けてる!」
問題外
「どうしてさ?
錠を付けているのに寝る時に鍵を掛けてなかったら、ウェルカムでしょ!?」
「その錠はディアンに言ってから付けたんでしょ?
むしろ、逆効果じゃない・・・」
鍵を掛けていない事に、ディアンが気付くはずがない。もし気がついた所で、せいぜい“折角、鍵買ってあげたのに・・・”という感想を抱くのが関の山だろう。
「それに、ファフの人間なら“寝室のドアを開けておく”程度の誘惑で済むかも知れないけど、外から来た人間を落とそうと思ったら、もっと積極的に攻めていかないと陥落しないわ」
生まれも育ちもファフの人間なら魔物と人間という種族の差は感じないし、“個性”の一言で片付けられる。しかし、外から来た人間は魔物に対する誤解が解けたとしても、魔物と人という種族の違いに一線を感じてしまう事がある。
多分、ディアンもその類だ。元は反魔物派の人間で、思う事があって旅に出たのだろう。大半の旅人が魔物と人が共存している事に戸惑うように、二年位前にディアンがファフを訪れてきた時は、魔物と人が共存している事に戸惑いながら笑みを浮かべた。
「ま、いずれにせよ既成事実さえ作ってしまえば良いのよ
イルがもう一頑張りすればゴールは目の前
じゃ、最終的な打ち合わせを始めるわよ・・・」
「うん」
イルは力強く頷いて、私達は額を寄せ合った。
・・・
アレサの作戦はこうだ。
アレサの相談を受けた“お礼”という事で、アレサはクッキーを持ってくる。クッキーには実は体が少し火照るくらいに薄めた媚薬(ずっと前に棚から拝借したヤツ)が入っている。
クッキーを食べたディアンは、自分は風邪を引いたと診断して早めに休み(僕が飲んだ時は、僕が風邪を引いていると判断していたから間違いない)。心配した僕が訪れる。
僕がディアンの薬を飲ませたりしている内に、良い雰囲気になり
そのまま愛の治療へ・・・
という流れらしい。
魔物が町で人を襲う事は禁止されているが、双方の合意のもとならその限りではない。つまり、ディアンの約束を守りつつ、僕は一人前になる事ができるのだ。この作戦が割と適当な気がしてならないのだけど
「興奮している状態で正常な判断を下すのは難しいもの
極端な話、エロ本で興奮させて押し倒しちゃっても良いくらい
男の本性なんてそんなものよ」
だそうだ。
・・・それって言い換えると
僕の誘惑能力 < エロ本
という事なの・・・?
そりゃ、表紙を飾っている女の人よりか、少し(そういう事にしておいて・・・)胸もちっちゃいし、童顔だというのは認めるけど・・・
いやいや、話が脇道に逸れた。今は、そんな事はどうでも良いんだ。
これから一人前になるんだもの。超一流のサキュバスだってスタートは半人前だったんだ。このチャンスを最大限に生かす事を考えよう。
この作戦の難関は、ディアンの寝室に入ってから、最後の駄目押しの部分だ
マンドラゴラの叫び声は不自然だし、町の中での生活のためにディアンが封印している。誘引の香りも選択肢として考えたけど、一緒に生活しているので慣れの問題が出てくる。強い香りを使うと、発情したワーウルフに横取りされる可能性が出てくるので、それもできない。
対策として、ムードを盛り上げる特製アロマを調合したし、アラクネさんが作ってくれた勝負服を着れば大丈夫、との事だったけど、不安なら御粥に興奮剤を混ぜておけば確実らしい(ただ、優しくしてもらえなくなる可能性があるとか・・・)。
ここは、様子を見ながらだろう。
階段を降りるとディアンは診療が一段落ついたらしく、診療所の後片付けをしていた。
「アレサの診療は終わったの?」
ディアンは僕に気がつくと、カルテを整理していた手を止めて顔を上げて尋ねた。実際のところ診療というより僕の相談を受けてもらっていたので、魔物は人を襲うのに嘘をついて誘うというけれど、少し居心地が悪い。
「えっと、アレサがお礼にクッキーを焼いてきてくれたよ」
「良かったね、イル
じゃあ、今回の診療は大成功だった訳だ」
優しい笑みを浮かべディアンは、僕が薬師として腕を上げたことを素直に喜んでくれた。それは、ディアンが僕の事を信頼してくれている確かな証拠な訳で、尊敬している人から信頼される事は、今まで半人前扱いしかしてもらえなかった僕にとっては舞い上がる程嬉しいことなんだ・・・
って、えぇ〜〜〜!!!
一瞬、叫びそうになった。“良かったね”じゃないでしょ!
そこは、“じゃあ、お茶にしようか”とか気の利いた事を言う流れでしょ!
「どうしたの?」
「い、いや、なんでもないよ」
待て待て待て待て、まだ、作戦が頓挫した訳じゃない。クッキーの中に媚薬が入っている事はバレた訳じゃないし、大丈夫。
「あ、ディアン、このクッキーでお茶しようよ」
「でも、それアレサがイルのために作ってきたんでしょ?」
そこ!爽やかに言わないの!
僕のために作ってきてくれたけど、ディアンが食べなくちゃ意味がないんだよ!
「ディアンと一緒に食べたいから
僕一人じゃ、こんなに食べきれないもん!」
「そう?
じゃあ、少し分けてもらうよ」
「じゃ、お茶淹れてくるね」
よし、この流れならいける。
ん?ディアンどうしてそんなに僕のこと見ているの?
そんなに僕の花を見つめられると恥ずかしいんだけど、僕が背を向けても熱心な視線を感じる。もしかして、媚薬の効果だろうか。経口摂取じゃなくて、吸入すると一発で発情するけど、僕にも心の準備って物がある訳で・・・
「イル、ちょっと良い?」
僕がグチャグチャと考えていると、ディアンは僕の事を呼んで手招きした。ディアンは師匠で僕は弟子、ディアンは厳しく言わないけれど、師匠が言う事は絶対な訳で逆らう事は許されない。少し手を伸ばせば届く距離まで、覚悟を決めて歩み寄る。
ディアンは、そのまま僕の肩に手をまわした。
全身で体温を感じるし、心臓がうるさい程なっている。少し見上げると、ちょっぴり垂れ目の優しそうな顔が良く見える。
「ひゃ・・・」
「楽にして良いよ」
突然の事に、思わず声を漏らしてしまう。
マンドラゴラの花はものすごく敏感だ。だって、大事な部分だし・・・花に触れるというのは、マンドラゴラに対する求愛行動なんだ・・・優しい手付きで一枚一枚開いてゆく。その度に未知の快感が僕を襲う。でも、イヤラシイ子だと思われたくなくて必死になって、声を堪える。
不意に花弁から伝う快楽が止んだ。
それは、僕の全ての花弁を開いたからだ。
こんな所まで僕のことを知ってくれた事が嬉しくて、でも丸見えなのが恥ずかしくて、あまりにも突然だった事に驚いて、今まで全く気付いてくれなかった事に腹が立って、これから半人前に扱ってくれなくなる事が寂しくて、色んな感情の激流が滅茶苦茶に入り混じって死んでしまいそうだ。
「・・・僕の花、綺麗?」
「もちろん」
ディアンは答えた。
ちょっぴり、今だけは顔が見えなくて良かったと思った。
だって、泣きそうなんだもん。
ディアンは僕の雌蕊に触れた。今までとは比較にならない程の快感が僕を貫く。気持ちよくて頭がおかしくなりそうだ。そして、全ての雌蕊を愛撫し終えてディアンはやっと僕を解放した。
「やっぱり、イルの花って雌花だったんだね」
・・・へ?
それ、どういう意味?
「俺も今年は花粉症だから、もしかしたら、イルが花粉を出しているのかなぁと思って」
「・・・僕は女の子だぁ!!!」
多分、初めて人間を本気で殴ったと思う。
今挙げたのが花粉症の4大症状で場合によっては発疹も起こす場合もあるが、特に呼吸器系に症状が出るのは辛い。鼻水が出てきた時に近くにティッシュが無かったりすると焦るし、寝ている時に鼻が詰まると息が出来ず起きたりする。魔物であってもそれは変わらないらしく、あまり広いとは言えない診療所の待合室には人間と魔物が花粉症談義に花を咲かせている。
不謹慎なのは分かっているのだけれど、魔物達が花粉症に悩まされているのを観察するのは結構面白かったりする。
例えばクシャミ
ミノタウロスやワーウルフは家が吹き飛ぶんじゃないかというくらい豪快にクシャミを数回繰り返した後、少しバツの悪そうな笑みを浮かべる。
プライドの高いエルフやリザードマンは、自分の威厳をなんとか保とうとクシャミをしなかったフリをしたり、クシャミをした後に目が合った相手をなんともいえない視線で睨みつけたりする。
臆病なナイトメアやコカトリスなんかは自分でしたクシャミに自分でビックリして硬直してしまう事がある。
花粉症を起こすのは不便ではあるものの命に関わるものでもない。根治ができない訳ではないが、生活習慣を見直したりしなくてはならず効果に対して負担が大きい。幸い、花粉症の症状をよく抑えてくれる薬もあるのでウチの診療所では対症療法で十分を奨励している。
「ヘクシュン」
噂をすれば、なんとやら。そういう俺も今年から花粉症だったりする。ティッシュを探していると、イルと視線が合い“薬師が花粉症じゃ、だめじゃん”と、ちょっとだけ笑われた。
流石に植物系の魔物だけあって、イルは花粉症には無縁だ。
俺はそれに苦笑で応え、棚から薬を二錠取り出し水で飲み下す。
これで大丈夫
「じゃ、イル。次の患者さんを呼んできて」
「はぁい」
嬉しそうに笑みを浮かべて、イルは次の患者を呼びに行った。
・・・
青い液体が診察室のドアの隙間から入りこむ。一瞬ドキリとするが、妙に粘度をもった液体はそれ以上侵食する事はなく一つの大きな塊になる。やがて、そこから手や足が生えて一つの形を成してゆく。
「先生、お久しぶり〜」
「・・・」
「どうしたの〜?」
「扉は開けて入れ」
「あ、つい癖で、ごめんなさ〜い」
そういって、ルフはもう一度扉の隙間を潜って出ようとする。全く学習していないだろ、それ。そもそも一回入ったんだから出る意味も無いから。大体“つい癖で”というけど、明らかに扉を開けて入った方が効率良いよね。
・・・突っ込むべき所が多すぎて、逆にどこ突っ込んで良いか分からない
こめかみに、わずかな頭痛を覚えて人差し指で押さえる。
「そんな事ないですよ〜」
「ほー・・・どこに突っ込めば良いんだい?」
「好きな場所に立派なモノを〜♪」
分かった、その全て下ネタに走る間違った努力に突っ込もう。全力で。
「それで今日は?
体重が落ちているように見えないし、体力が落ちているようには見えないけど」
チョコレートの一件で体重が大分落ちていたのだが今は見た目元通りだ。
「うん、花粉症なんだ〜」
スライムが花粉症。
一見間違っているように見えるが、案外理にかなっている。花粉症とは、外部から入ってくる外的を排除する免疫の異常によって起きるアレルギー反応だ。スライムは全身から物を吸収可能であるため、全身から花粉を吸収してしまう事になる。しかも、症状は粘膜に出やすいので、全身が粘膜に近いスライムの症状は辛いだろう。
「そっか、それなら対症療法以外の対策もしないと駄目だな・・・
具体的には、どんな症状が出る?」
「鼻水が出やすくなるの〜」
心配して損した。
「なに言ってるの花粉症って辛いんだよぉ〜
鼻水が出てきた時に、ティッシュが近くにないと焦るし〜」
「知ってるよ」
つーか、最初に言ったぞ
その前に体液で濡れているんだが、鼻水が出ているんだかの区別ができない。そもそも、そんな濡れた体でティッシュをどう使うんだよ。触った瞬間に破れるだろうが。
何回もボケをかまされる俺の立場も考えろ。どこまで突っ込ませれば気が済むんだ?
「アレが立たなくなるまで〜♪」
ニコニコと満面の笑みを湛えて答えられた。全力で下ネタに突っ込むと決めた矢先申し訳ないんだが、早くも心が折れそうだ。立つ瀬が無い。突っ込むと泥沼になりそうなのでスルーしよう。
「イル、棚から鼻薬を取って来てくれる?」
「はぁい」
棚の中に薬は大量にあるし、効果の期待できる鼻薬だけでも数種類ある。それにも関わらず、アバウトな指示をしたのはイルに適切な薬を自分で選ぶ練習をさせようと思っての事だ。調剤室に向かいほどなくして戻ってきた。
「はい」
「チョコレート・・・?」
「だって調度良いでしょ?
水分がなくなっちゃえば、鼻水も出にくくなるし」
人間の体は老人の場合は50%子供の場合で75%と言われ、種族により多少違うが、いずれのスライムもこの割合を大幅に上回る。以前にも説明した通り、スライムとチョコレートは相性が悪く、消化ができないので体外に排出しようとする。その際に同時に大量の水分を体外に排出してしまうのだ。
水分がなくなれば鼻水は出なくなるだろうけど、命が危ない。
「なぁんてね、嘘だよ、嘘。
“バレンタインチョコじゃなくても”貰った物を返すのは失礼だからね
もちろん“特別な意味は込められていないものでも”ね
こっちが本命だよ」
そういって、一番欲しいと思っていた薬を渡してくれる。
背筋に戦慄が走ったが冗談だったらしい。
イルが妙なオーラを纏い、しかも顔が笑っているのに目が全く笑っていなかったのは気のせいだろう。“バレンタインチョコ”というフレーズをやたらと強調していたのも気のせいだ。気のせいという事にしよう。
いつもルフとは仲が良いのに、なんで俺の前だけ俺の方ばっかり見るの?
「えっと・・・薬、渡しておくから・・・
お大事に・・・」
「ありがとうございましたぁ〜」
ルフが“バレンタインチョコと関係なく”たまたま買いすぎてしまったため、御裾分けしてもらった“特別な意味はない”チョコレートをずっと握りながら微笑みかけてくるイルの視線に耐えつつ、俺はルフを見送った。
・・・ルフ、薬を持ったまま扉の下を通るのは無理だよ
・・・
「やっほー、ディアン、イル」
「やぁ、アレサ」
「こんにちは、アレサ」
酒場兼宿屋の看板娘は入ってくるなり軽いノリの挨拶をしてきた。イルもアレサには懐いていて、休日は一緒に出かけたりしている。
「花粉症?」
悪そうな所がなさそうだし、この前も酔い醒ましの類を仕入れていったので、試しに訊ねてみると苦笑いを浮かべて頷いた。
「酒場ってどうしても人の出入りが多いからね・・・外から花粉が入ってきちゃうのよ
ディアンも今年から花粉症なんでしょ?」
「まぁね、でも、薬で症状を抑えられるからね
でも、外に出る時はマスクしている
マスクしておくと、症状が大分楽になるよ」
「接客業だと、そういう事もできないのよ
ほら、可愛い顔が隠れちゃうじゃない?」
いつもイルは素直な笑みを浮かべるが、アレサは少しだけ悪戯っぽい笑みを浮かべる。酒場の客曰くイルとは、また別の魅力があるとの事だ。男を落す事に関して言えば、サキュバス顔負けの手腕である。体調を崩してアレサがしばらく店に立たない時期があったのだが、その間は、店の売り上げがガタ落ちしたという。
また、噂によると恋愛相談(女の子限定)まで随時受け付けているそうだ。
いっそ、本を執筆した方が良いかもしれない。
案外売れるかもしれないからな。
“看板娘が教える男の落とし方”
著者 アレサ=クレセント
出版社はナドキ○出版が良いな・・・
「アレサが出したら真っ先に買うよ」
「ふふふ、じゃあ、出しちゃおうかしら」
クスクスとアレサは笑っていたが、イルの方は若干本気だぞ・・・
イルは騙されやすいんだから、勘弁してくれよ・・・
「えっと、本題に戻るけど・・・
処方するのは、花粉症の薬で良いのかい?」
「えぇ、お願いします」
「了解、他に相談しておきたい事は?」
「特に・・・あ、一つだけ」
どうぞ、と手の平を見せて話してもらおうとすると少し言いにくそうに視線を逸らした。
それだけで、異性には言いにくい内容とまでは分かるのだけれど、それ以上は分からない。ファフに他の薬師が居れば紹介状でも書いてあげられるのだけれど、生憎とファフにはもちろん、近くの町にも女性の薬師というのはいない。女性の薬師がいるとすれば、王国のような大都市かアマゾネスの集落だろう。
いずれも、ファフの人間が気軽に立ち寄れるような場所ではないし、紹介状もほとんど用を成さない。
結局、恥ずかしいのは承知でも話してもらわない事には、こちらも処置しようがない。
「ディアンの代わりに聞いちゃ、駄目?
アレサもディアンより話易いと思うし、僕が判断しきれない時はディアンに伝えるから」
不意にイルが申し出た。
灯台下暗し、イルがいたか。
「アレサもソレで良い?」
「えぇ、お願いします」
「じゃあ、二人でイルの部屋に行っておいで」
うん、と返事をしてイルはアレサを部屋に連れて行った。
・・・
「こんにちは、先生」
「こんにちは、ルア」
入ってきたのは、妖艶な体を持つサキュバス。公序良俗を乱す事や無差別な誘惑行為を禁止している(夜になるとこの規制は魔物文化の交流ということで大分緩くなるようだが・・・)ので、サキュバスの露出度の高い服装ではないのだが、やはり元来持つ色香までは隠しきれていない。
ルフが椅子に座る際に屈むと胸元の谷間が強調され、視線が一瞬奪われてしまう。慌てて逸らしたものの、ルアは見逃してくれず “気になりますか?”と悪戯っぽい笑みを浮かべた。
むしろ露出度の低い服装は胸元を強調するための布石だったらしい。ファフの町の中では、合法的に誘惑行為を働くという手段が発達している。さらに言うと、焦らす事に快感を見出してしまったらしく、“思わせぶり”というのがファフの魔物達の間で流行している。
・・・結果的に外の魔物達より要らない知識をつけ、ある意味タチが悪くなってしまったのだ
「勘弁してください」
「あら、何も言っていませんよ?」
クスクスとルフは上品に笑い、俺はただ黙って頭を横に振るしかなかった。
「今日は、イルちゃんが見えませんけど?」
「あぁ、二階でカウンセリングをやってもらっているよ」
「あら、もうそんな事まで任せられているのですか?
もう立派な一人前ですね」
「薬の調合も選択にも、天性のものがあるし
後は経験を積めば良い薬師になれるよ」
「ふふ、楽しみですね」
一人前
ファフの周囲の魔物達は、人と共存しているので大っぴらには言わないが暗黙の了解として“魔物は人を襲えて一人前”というのがある。イルが俺のもとを訪れたのは魔物として一人前になるためだ
マンドラゴラは臆病な魔物であり、他の魔物のように特殊な能力がある訳でもないので、土から出て覚醒してからは積極的に人を襲う事はない。彼女達にとって人を襲う最大のチャンスというのは相手に引き抜かれる瞬間なのだ。しかし、イルは魔物に抜かれてしまったため、そのチャンスを逸してしまった。
イルは人を襲えた事もなければ、ファフに来てからも約束を守って人を襲っていない。
けれど、イルは魔物であって、俺は人間だ。
共存はしているが、結局、それぞれの種族に縛られる。
もし、イルが一人前の魔物となった時に俺はどう接して良いのだろうか。
「先生、大丈夫ですか?」
「あ、失礼。少しばかり考え事を」
ルフが声を掛けてきて現実に呼び戻される。
「また、イルちゃんの事ですね
今の患者は私ですよ?」
妬けてしまいます、と冗談めかしてルフは続けた。本当にファフの魔物は“いらん知恵”をつけると苦笑する。多分、アレサだろう。
まぁ、魔物と人間といっても助け合う事はできる。そう構える必要はない。来るときにおのずと分かってくるはずだ。
「申し訳ない
それで、本日のご用件は?」
「花粉症ですね」
「やっぱり、症状は目と鼻?」
「そうですね
目が痒かったり、クシャミが出たりします」
彼女の仕事は・・・サキュバスの特徴を生かした職業(役所に登録済みなので合法)だ。やはり仕事に影響が出るのだろう。服用できる時間が不定期になりやすいので、長期間効果が続くものが良い。そして、サッと飲みやすい錠剤タイプの物がベストだ。
よし、在庫もあるし。アレが一番良い
「じゃあ、新しい薬を出しておきますから
名前が呼ばれるまで待合室でお待ち下さい」
「はい、分かりました・・・花粉症って花粉が原因でおきるんですよね?」
「そうだよ、花粉に対するアレルギー反応が原因だね」
「どうして、花粉症が起きるんでしょう?」
「?」
曰く
精は、人間の男性が多く保有する生命エネルギーである。
なら、種子を作るための花粉は人間で言う男性が放出する精と同じ。
すなわち、生命エネルギーを大量に保有していても全くおかしくない。
「そう考えると、花粉症ってなんだかヤラシイ響きがしませんか?」
「しません」
・・・
無垢の木を基調とし、花柄を所々にあしらった部屋。小奇麗に整理された部屋でアレサとイルは向かい合っていて、イルの表情は硬く若干萎縮してしまっている。まぁ、“ディアンを篭絡する方法を考よう”て言ったから仕方ないといえば仕方ない。
「そんなに緊張しなくて良いわよ
恋愛相談だってカウンセリングの一種だし、立場が逆転しただけで
嘘なんて一つもついてないんだからさ」
「う、うん・・・」
イルはそういったものの、やはり上目遣いのままだ。場所がアウェイならまだしも、ホームでこの有様では相談を受けるのは少しやりにくかったりする。
私は、イルが淹れてくれた紅茶に口をつける。フワリと優しい香りがした。
「この紅茶、すごく香りが良いけど、いいやつじゃない?」
「え、ううん、町で売っていた一番安いやつだよ
僕のお小遣いじゃ、そんなに高いの買えないよ」
「へぇ・・・高級品みたいな香りがするけど」
「いつもアレサは茶葉の量が少ないんだよ
高級品でも茶葉をケチっちゃうと美味しくないんだ
逆に言えば安い茶葉でも、キチンと淹れれば美味しいのができるんだよ」
酒場で紅茶なんてものを頼むのは、キザで格好付けているヤツ(しかも味は分かっていない)なので適当に出していたのだが、バレていたらしい。薬草の目利きや使い方に関しては、ディアンも一目置くという事だけはある。
高い紅茶の葉を買うよりアルバイトさせた方が安く済みそうだし、今度、イルに酒場のバイトをやらせてみようかな。ディアンは休みの日の昼なら良いと条件をつけるだろうけど、夜の大半の客は酒を飲む人達だし問題なさそうだ。
要検討、と。
「ディアンも気に入ってくれそうだね」
「うん、美味しいって言って飲んでくれるよ」
自慢げに笑って、イルは
「じゃあ、あと一息じゃない
紅茶に痺れ薬でも入れて押し倒しちゃいなさい」
「!!!」
イルがむせた。
「だって、ディアンもイルの事が気になってるもの、両思いなんだから良いじゃない」
「で、で、でも、その、フインキって物が・・・!」
フインキじゃなくて、雰囲気ね
もっとも、魔物が人を襲うときに雰囲気なんて気を配っているとは思えないけど。
「雰囲気を気にする位なら、誘惑とか、ムード作りとかしているわけ?」
「してるもん!」
イルは、魔物としてのプライドが刺激されたのか、拗ねた様に頬を膨らませて抗議した。シャツの匂いを嗅いで満足していたり、手を繋いだ事を誇らしげに話ししていた事を考えると進歩と言えなくもない。
「寝る時に部屋の鍵を開けてる!」
問題外
「どうしてさ?
錠を付けているのに寝る時に鍵を掛けてなかったら、ウェルカムでしょ!?」
「その錠はディアンに言ってから付けたんでしょ?
むしろ、逆効果じゃない・・・」
鍵を掛けていない事に、ディアンが気付くはずがない。もし気がついた所で、せいぜい“折角、鍵買ってあげたのに・・・”という感想を抱くのが関の山だろう。
「それに、ファフの人間なら“寝室のドアを開けておく”程度の誘惑で済むかも知れないけど、外から来た人間を落とそうと思ったら、もっと積極的に攻めていかないと陥落しないわ」
生まれも育ちもファフの人間なら魔物と人間という種族の差は感じないし、“個性”の一言で片付けられる。しかし、外から来た人間は魔物に対する誤解が解けたとしても、魔物と人という種族の違いに一線を感じてしまう事がある。
多分、ディアンもその類だ。元は反魔物派の人間で、思う事があって旅に出たのだろう。大半の旅人が魔物と人が共存している事に戸惑うように、二年位前にディアンがファフを訪れてきた時は、魔物と人が共存している事に戸惑いながら笑みを浮かべた。
「ま、いずれにせよ既成事実さえ作ってしまえば良いのよ
イルがもう一頑張りすればゴールは目の前
じゃ、最終的な打ち合わせを始めるわよ・・・」
「うん」
イルは力強く頷いて、私達は額を寄せ合った。
・・・
アレサの作戦はこうだ。
アレサの相談を受けた“お礼”という事で、アレサはクッキーを持ってくる。クッキーには実は体が少し火照るくらいに薄めた媚薬(ずっと前に棚から拝借したヤツ)が入っている。
クッキーを食べたディアンは、自分は風邪を引いたと診断して早めに休み(僕が飲んだ時は、僕が風邪を引いていると判断していたから間違いない)。心配した僕が訪れる。
僕がディアンの薬を飲ませたりしている内に、良い雰囲気になり
そのまま愛の治療へ・・・
という流れらしい。
魔物が町で人を襲う事は禁止されているが、双方の合意のもとならその限りではない。つまり、ディアンの約束を守りつつ、僕は一人前になる事ができるのだ。この作戦が割と適当な気がしてならないのだけど
「興奮している状態で正常な判断を下すのは難しいもの
極端な話、エロ本で興奮させて押し倒しちゃっても良いくらい
男の本性なんてそんなものよ」
だそうだ。
・・・それって言い換えると
僕の誘惑能力 < エロ本
という事なの・・・?
そりゃ、表紙を飾っている女の人よりか、少し(そういう事にしておいて・・・)胸もちっちゃいし、童顔だというのは認めるけど・・・
いやいや、話が脇道に逸れた。今は、そんな事はどうでも良いんだ。
これから一人前になるんだもの。超一流のサキュバスだってスタートは半人前だったんだ。このチャンスを最大限に生かす事を考えよう。
この作戦の難関は、ディアンの寝室に入ってから、最後の駄目押しの部分だ
マンドラゴラの叫び声は不自然だし、町の中での生活のためにディアンが封印している。誘引の香りも選択肢として考えたけど、一緒に生活しているので慣れの問題が出てくる。強い香りを使うと、発情したワーウルフに横取りされる可能性が出てくるので、それもできない。
対策として、ムードを盛り上げる特製アロマを調合したし、アラクネさんが作ってくれた勝負服を着れば大丈夫、との事だったけど、不安なら御粥に興奮剤を混ぜておけば確実らしい(ただ、優しくしてもらえなくなる可能性があるとか・・・)。
ここは、様子を見ながらだろう。
階段を降りるとディアンは診療が一段落ついたらしく、診療所の後片付けをしていた。
「アレサの診療は終わったの?」
ディアンは僕に気がつくと、カルテを整理していた手を止めて顔を上げて尋ねた。実際のところ診療というより僕の相談を受けてもらっていたので、魔物は人を襲うのに嘘をついて誘うというけれど、少し居心地が悪い。
「えっと、アレサがお礼にクッキーを焼いてきてくれたよ」
「良かったね、イル
じゃあ、今回の診療は大成功だった訳だ」
優しい笑みを浮かべディアンは、僕が薬師として腕を上げたことを素直に喜んでくれた。それは、ディアンが僕の事を信頼してくれている確かな証拠な訳で、尊敬している人から信頼される事は、今まで半人前扱いしかしてもらえなかった僕にとっては舞い上がる程嬉しいことなんだ・・・
って、えぇ〜〜〜!!!
一瞬、叫びそうになった。“良かったね”じゃないでしょ!
そこは、“じゃあ、お茶にしようか”とか気の利いた事を言う流れでしょ!
「どうしたの?」
「い、いや、なんでもないよ」
待て待て待て待て、まだ、作戦が頓挫した訳じゃない。クッキーの中に媚薬が入っている事はバレた訳じゃないし、大丈夫。
「あ、ディアン、このクッキーでお茶しようよ」
「でも、それアレサがイルのために作ってきたんでしょ?」
そこ!爽やかに言わないの!
僕のために作ってきてくれたけど、ディアンが食べなくちゃ意味がないんだよ!
「ディアンと一緒に食べたいから
僕一人じゃ、こんなに食べきれないもん!」
「そう?
じゃあ、少し分けてもらうよ」
「じゃ、お茶淹れてくるね」
よし、この流れならいける。
ん?ディアンどうしてそんなに僕のこと見ているの?
そんなに僕の花を見つめられると恥ずかしいんだけど、僕が背を向けても熱心な視線を感じる。もしかして、媚薬の効果だろうか。経口摂取じゃなくて、吸入すると一発で発情するけど、僕にも心の準備って物がある訳で・・・
「イル、ちょっと良い?」
僕がグチャグチャと考えていると、ディアンは僕の事を呼んで手招きした。ディアンは師匠で僕は弟子、ディアンは厳しく言わないけれど、師匠が言う事は絶対な訳で逆らう事は許されない。少し手を伸ばせば届く距離まで、覚悟を決めて歩み寄る。
ディアンは、そのまま僕の肩に手をまわした。
全身で体温を感じるし、心臓がうるさい程なっている。少し見上げると、ちょっぴり垂れ目の優しそうな顔が良く見える。
「ひゃ・・・」
「楽にして良いよ」
突然の事に、思わず声を漏らしてしまう。
マンドラゴラの花はものすごく敏感だ。だって、大事な部分だし・・・花に触れるというのは、マンドラゴラに対する求愛行動なんだ・・・優しい手付きで一枚一枚開いてゆく。その度に未知の快感が僕を襲う。でも、イヤラシイ子だと思われたくなくて必死になって、声を堪える。
不意に花弁から伝う快楽が止んだ。
それは、僕の全ての花弁を開いたからだ。
こんな所まで僕のことを知ってくれた事が嬉しくて、でも丸見えなのが恥ずかしくて、あまりにも突然だった事に驚いて、今まで全く気付いてくれなかった事に腹が立って、これから半人前に扱ってくれなくなる事が寂しくて、色んな感情の激流が滅茶苦茶に入り混じって死んでしまいそうだ。
「・・・僕の花、綺麗?」
「もちろん」
ディアンは答えた。
ちょっぴり、今だけは顔が見えなくて良かったと思った。
だって、泣きそうなんだもん。
ディアンは僕の雌蕊に触れた。今までとは比較にならない程の快感が僕を貫く。気持ちよくて頭がおかしくなりそうだ。そして、全ての雌蕊を愛撫し終えてディアンはやっと僕を解放した。
「やっぱり、イルの花って雌花だったんだね」
・・・へ?
それ、どういう意味?
「俺も今年は花粉症だから、もしかしたら、イルが花粉を出しているのかなぁと思って」
「・・・僕は女の子だぁ!!!」
多分、初めて人間を本気で殴ったと思う。
10/03/28 23:23更新 / 佐藤 敏夫
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