出会い
豊かな自然に抱かれた都市ファフ。三方を山に囲まれ、残る一方は海に臨む。王国から程遠いこの都市にも、教会がある事には驚かされるが、王国のソレとは随分と様子が違う。大きな違いは魔物に対する見方の違いだ。
ファフには、その交通の便の悪さと人型の魔物が多いという地理的に特殊な環境に置かれていたため、古くから魔物と共に発展してきたという歴史がある。正教が広まっているというのは、むしろ表面だけであり王国に目を着けられないためという意味合いが強い。
そのため、“魔物の司祭”というのは流石にいなくとも、副司祭はダークプリーストが務めていて、司祭でさえ本来なら忌むべき相手とされる魔物を共に歩むべき隣人と考えている。逆に、魔物の方も人間を単なる“食料”ではなく“友好を結ぶべき相手”と考えているようだ。
山道を歩いていた青年は道の真ん中で足を止めて振り返る。
少しよれた茶色の皮のコートを着た細身の青年、年は16,7くらい。なんとなく顔には幼さが残っているが、それがかえって“優しそう”とか“親しみやすそう”という印象を相手に抱かせる。
「・・・う〜ん」
立ち止まったそのままの姿勢で頬を指先で掻く。
視線の先には、大きな木・・・に隠れつつも様子を伺う魔物の子供がいる。もっとも、マンドラゴラの可愛らしい色をした花弁が木の幹から見えているので、あくまで隠れている“つもり”であって、隠れきれていないのだが・・・
(本人が隠れているつもりなら・・・声を掛けない方が良いとは思うんだけど・・・)
ここ最近、山に薬草を採りに来る度にくっついて来る。ちなみに尾行の評価は全て“もう少し頑張りましょう”だ。本人の方もビクビクしながら、時折、気が付いて欲しそうな表情を浮かべているようにさえ見える。
(俺に用事でもあるのだとしたら・・・声を掛けるべきか・・・)
山にいる間は終始くすぐったい視線をあびる事になるけれど、今のところ実害はない。大した実害も、これと言った理由なく子供を追っ払うのは気が引けるし、教育にもよろしくない。仮に襲われても、植物系魔物の子供の相手なら双方無傷のまま逃げきるのは難しくないだろうというのが追い払わない最大の理由だ。
木の陰から大きくクリクリした瞳がこちらを伺い、視線が合うとサッと木の陰に隠れる。そして、しばらくするとソロソロと顔を覗かせて、まだ俺が見ている事に気がつくと“しまった”という表情をして引っ込んだ。
その仕草は非常に可愛らしく微笑ましい。しばらく眺めていたものの、あまり悪戯していても可哀想だ。こちらから声を掛けないといつまでもラチがあかないだろう。できるだけ、刺激しないように手のひらを見せて害意が無い事を示してから近づく。
「どうしたの?」
近づいてからは、軽く身体を屈めて目線を低くして、わずかに見上げるようにしてやる。それだけでグッと警戒心を解いてくれるものだ。
魔物の少女は驚いた表情を作ったが、どうやらこちらに害意が無い事を察してくれたようだ。
「名前は・・・ディアン・・・さん・・・で良いんだよね?」
恐る恐るといった風に尋ねた。
「あぁ、俺がディアン=ルノワールだよ。ディアンって呼んでくれると嬉しいかな」
コクコクと少女は頷いた。薬草を調達しに山に入る事も多く、自然と魔物にも知り合いが出来るので名前を知られていても余り驚かない。
「俺に用?」
尋ねると困った様に俯いた。それから、自らを納得させるようにモゴモゴと呟き、何度か頷いている。目下の相手は焦らせても要領の得ない解答が返ってくるだけなので気長に待つ方がかえって早い。
しばらく待つと、意を決した様に顔を上げ
「・・・えいっ!」
倒れこんできた。
油断していたのと屈んでいた姿勢だったため、受け止める事もできずに無様に尻餅をつき、そのまま・・・頭と頭がぶつかってゴツンと鈍い音がした。
数分後、二人は近くの開けた場所にいた。
お茶を勧めると素直に受け取りコップの端に口をつけ、ビスケットも勧めると躊躇いながらも一枚だけつまんだ。ビスケット食べ終わる頃合いを見計らって口を開く。
「君の名前は?」
「イル。種族はマンドラゴラ。」
小さな声で名乗った。
魔物なので見た目はあまり当てにはならないが、年は12,3といったところか。随分と小柄な子だという印象を受ける。病気という訳ではなさそうだけれど、どちらかと言えば少々未熟なまま、すぐに引き抜かれたと表現するのが一番適切だろう。
「イル、か。うん、可愛らしくて良い名前だ。」
ただ、名前を褒めただけなのに顔を赤くして俯いた。それが、あまりにも素直な反応なので思わず頬が緩んでしまう。
「それで、どうして隠れてくっついてきたのかな?」
直前で名前を確認した事を考えれば、突発的な行動ではなく、何か用事があったと考える方が自然だ。
「体の事で困った事があったら相談に乗ってくれるから、ディアンに相談して御覧って言われて・・・」
襲おうとした事はとりあえず触れないでおく、襲う事と話し掛けるという事が魔物の場合には同義というのは良くある話だ。人に慣れていないみたいだし“窮鼠猫を噛む”という訳ではないがテンパっていたのかもしれない。
けれど、魔物と人でも関係なく体の事で悩む事は多い。病気や怪我もあるし、純粋なコンプレックスの場合もある。魔物の文化を考えると、身体的なコンプレックスの感じ方は人間よりも強い印象を受ける。
「良いよ、相談には乗れる。しがない薬師だけど、錬金術と魔術に関しては専門にやっていた時期がある。力になれる事は力になってあげるから、とりあえず話したい事だけ話してごらん」
当然の事だけれど、イルは恥ずかしそうに俯いた。誰だって自分の悩んでいる事を相談するのは難しいし、ましてや大して知りもしない相手に打ち明けるとなると尚更だ。こちらから悩みを推測し、提案するのは簡単だけれど、それでは信頼関係が築けない。信頼関係を築かないまま治療に及ぶ程恐ろしいことは無いのだ。
「じゃ、じゃあ・・・僕の事を抱いて下さい!」
前言撤回。無知程恐ろしい事はない。
なにその直球ど真ん中ストレート。信頼どころか色々と飛んでいる。っていうか、過程はどうした?過程は?その頼み事は、ゴールテープぶっちぎって、そのまま勢いを殺さずに表彰台に突っ込んでいる。魔物でも人でも、未だかつてそんな相談を受けた事はないよ?サキュバスでももう少しオブラートに包むから。
「上手くできないかもしれないけど、気持ち良くできるように一生懸命頑張るから!」
「い、いや、頑張らなくて良いよ・・・」
「都合が悪いなら指定してくれて良い、僕が合わせるから!」
「そうじゃなくて・・・」
「わ、分かった、ど、どんなプレーでも付き合う!」
「だから・・・」
「ぼ、僕・・・しょ、処女だよ!」
「・・・」
・・・なおさらだから
胸中で突っ込みを入れつつ、大きな瞳を潤ませてすがりつく魔物から顔を背ける。
結局、首を縦に振らないのを見るとイルはガックリとうなだれた。
「やっぱり、駄目だよね・・・」
ソロソロと手を離し元の位置に戻ると今にも泣きそうな表情を浮かべる。
イルは可愛らしいし、抱きたくない訳じゃない。むしろ、ここでイルの提案に乗る事は魅力的な選択肢ではある。けれど、ここで誘惑に乗ってしまう訳にはいかない。もし乗れば弱味に着け込んでいる事になるし、薬師として弱味に着け込むような事は決してやってはいけないと思っている。
「・・・良いかい?
魔物と人では文化が違うから、感覚も価値観も違うと思う。
だけど、こういう事はね、大して知りもしない相手に軽々しく頼んで良い内容のお願いではないと思うんだ」
「遊びなんかじゃないよ!僕は本気だよ!」
キッと睨む様に顔を上げる。マンドラゴラは非常に臆病な魔物と聞いていたので、突然豹変したイルに戸惑っていると、直後にハッとした表情を浮かべ“ごめんなさい”とかすれた声で謝った。
「僕だって・・・こんな“頼む”なんて方法じゃなくて、ちゃんと襲いたいよ・・・
手当たり次第じゃなくて下見しているよ。仲間の話を聞いたり、山に入ってくる人を観察しながら情報を集めるもん。それで“この人なら!”って思う人を探してるんだよ」
「だったら・・・」
自嘲気味な笑みを浮かべるとフルフルと頭を振った。
「でも、一回も襲えた事ないんだ・・・
誘惑しても、誰も見向きもしてもらえないし・・・
後ろから襲おうとも思ったんだけど、やっぱり怖いものは怖い・・・
でも、一人で襲えないような魔物は一人前として認めてもらえないから、僕、いつまでたっても半人前なんだ・・・」
俯くイルの言葉の後半は、潤んでほとんど聞き取れなかった。
成長しようにもできず、成長する努力をしても報われない。その上、年下の魔物も一人前となっているのに、いつまで経っても自分だけ半人前扱い。そのコンプレックスはそう簡単に拭い去れるものではないだろう。
力になってはあげたいが、自分の見定めた相手と結ばれて欲しいというのも本音だ。自暴自棄になられても困る。
手当たり次第に襲って、怪我もされても嫌だしな。
でも、そのまま帰しても馬鹿にされるかもしれない・・・
「・・・よし、分かった」
声を掛けるとピクンと体を震わせて顔を上げた。
「え、なに?」
抱いてくれるの、とイルは表情で問う。
「それは・・・無理だけど・・・」
答えると残念そうな表情を浮かべた。
気持ちを切り替えるためにわざと咳払いをする。
「俺も人だから、直接的に君が人を“襲う”事に関しては力を貸せない。
けど、君の成長を再開させる事ができると思う、それじゃ、駄目かな?」
「良いの?」
「治療は長期になるし
経過観察が多いから、しばらくウチに下宿する事になるけど、それで良いなら」
「うん、ありがとう!」
・・・
「リザードマンの私が言うのもなんだが、お前は本当にお人よしだな」
「いったい、それ言われるのは何回目だろうね、リズエ」
二日後、門の詰め所でイルを待っていると、門番はそんな事を呟きながらもお茶を出してくれた。
ちなみにこの門番のリザードマンは絶賛彼氏募集中だそうだ。門番をやっているのも好み男性の情報を集めるためだとか、なんとか。彼女的には強い男性が好みらしいが、今まで不法に入ろうとした不埒な輩を誰一人として通した事のないあたり、彼氏が出来る日は遠い気がする。
「でも、仕方ないだろう?
相談してきたんだから、力になってやりたいと思うのは薬師の性だよ」
言い訳を述べると、やれやれと頭を押さえた。魔物から見ても襲ってきた相手の相談に乗り、力になろうとするのは“愚かな行為”と映るらしい。
「しかし、イルがねぇ・・・」
「何か問題でも?」
わずかに感慨深そうに呟いたので、一応尋ねてみるとユルユルと首を振った。
「問題はないさ、あの子は真面目だし良い子だぞ
それは私が保証する」
じゃあ、なんだろうと思案する。
「誠意ある対応を心掛けろ、という事だ
あれはあれで繊細だからな、人の気にしないような事でも反応してしまうからな」
「失礼だな、誠意ある対応は心掛けているよ
それは魔物であっても人であっても同じつもりだ」
「アホ、そういう意味じゃない、そんな事だから“お人よし”なんて言われるんだ
お前は腕が良いんだから、自分に付ける薬でも開発したらどうだ?」
心底呆れたように溜め息をつかれた上、結構辛辣な言葉を吐かれた。
抗議をしようと口を開くと、リズエはわずかに口の端をあげて笑った。
「でもね、これで確信した。
やはり、お前なら安心してイルを任せられるよ」
「はぁ・・・」
「分からないのなら良い、忘れてくれ」
待ち人も来たから話は終わり、とでも言うようにリズエは話を切り上げた。
最後に何故か褒められたので曖昧に頷くしかなかったが、結局なにが言いたかったのか分からない。リズエにしては珍しく、なんとなく奥歯に物が挟まる物言いで余計に気になる。しかも、聞いた所で答えてくれそうにない。
釈然としないまま窓の外に目をやると、リュックサックに荷物を詰めたイルが山から降りてくる所だった。時刻はまだ約束の時間より十分以上早い、それでも、こちらに気が付くと駆け足で詰め所に入ってきた。
「そんなに走ってこなくても良いのに、まだ時間前だよ?」
「僕がお願いしたから、待たせちゃ駄目だと思って・・・」
言い訳でもするように首を傾げると頭の上の花が揺れ、あたりにはフワリと芳しい香りが広がった。。こんな距離を走った所で大して時間は変わらないのだけれど、それでも少しでも誠意を見せようとする所に感心する。
「じゃあ、行こうか」
大した仕事も無いし暇つぶしになるから構わないとは言うものの、あまり居座ってリズエの邪魔をしても悪いので、ここらへんでお暇させてもらおう。
「行ってくるね。リズエお姉ちゃん」
「あぁ、行っておいで」
イルが手を振ると、リズエは優しく微笑んだ。元々吊り目気味な上に、滅多な事では笑わない。だから、怒っていなくても怒っているように見えると悩んでいたらしいが、そんな表情ができるなら、何も問題がないだろうに。
「む、何かおかしいか?」
「いや、なんでもない」
こちらには、いつもの無表情。もしかして、あの微笑は魔物限定なのかもしれない。
「笑った方が彼氏もできるのにもったいないなと思っただけ」
「き、貴様、な、な、な、何を言い出すんだ!」
「なんだよ、褒めただけだろ?」
率直な感想を述べると分かりやすい動揺を示し、イルもそれを見てケラケラと声を立てて笑った。
実を言うと、リズエは町では結構人気がある。容姿端麗だし、武術だけではなく学もある。料理は苦手らしいが、その手の人に言わせるとそれもチャームポイントだという。そして何よりも、普段は素っ気無いクセに、時折見せる気を許すというそのギャップがたまらない、らしい。
本人も気が付いていないみたいだけど・・・
「はいはい、邪魔したね」
「あ、おい」
イルは門に向かって行ってしまったので、軽く肩をすくめ出て行こうと背中を見せると今度は呼び止められた。首だけで振り向くと、若干ふてくされ気味な表情でビシリと俺を指差した。
「魔物と人は、元々相反する存在だ。例え、魔王が宥和政策をしても容易には変わらない。
お前も魔物の手助けをする、というなら肝に銘じておけ」
「有難い忠告をどうも」
「うるさい、とっとと行ってしまえ」
呼び止めておいて、あっち行けと手をヒラヒラと振る横柄極まりないリザードマンに文句の一つでも言ってやろうかとも思ったが、怒られそうなので止めておいた。代わりに大きな溜め息を置き土産に詰め所を後にした。
こうして、マンドラゴラのイルとの奇妙な共同生活が幕を開けたのだった。
ファフには、その交通の便の悪さと人型の魔物が多いという地理的に特殊な環境に置かれていたため、古くから魔物と共に発展してきたという歴史がある。正教が広まっているというのは、むしろ表面だけであり王国に目を着けられないためという意味合いが強い。
そのため、“魔物の司祭”というのは流石にいなくとも、副司祭はダークプリーストが務めていて、司祭でさえ本来なら忌むべき相手とされる魔物を共に歩むべき隣人と考えている。逆に、魔物の方も人間を単なる“食料”ではなく“友好を結ぶべき相手”と考えているようだ。
山道を歩いていた青年は道の真ん中で足を止めて振り返る。
少しよれた茶色の皮のコートを着た細身の青年、年は16,7くらい。なんとなく顔には幼さが残っているが、それがかえって“優しそう”とか“親しみやすそう”という印象を相手に抱かせる。
「・・・う〜ん」
立ち止まったそのままの姿勢で頬を指先で掻く。
視線の先には、大きな木・・・に隠れつつも様子を伺う魔物の子供がいる。もっとも、マンドラゴラの可愛らしい色をした花弁が木の幹から見えているので、あくまで隠れている“つもり”であって、隠れきれていないのだが・・・
(本人が隠れているつもりなら・・・声を掛けない方が良いとは思うんだけど・・・)
ここ最近、山に薬草を採りに来る度にくっついて来る。ちなみに尾行の評価は全て“もう少し頑張りましょう”だ。本人の方もビクビクしながら、時折、気が付いて欲しそうな表情を浮かべているようにさえ見える。
(俺に用事でもあるのだとしたら・・・声を掛けるべきか・・・)
山にいる間は終始くすぐったい視線をあびる事になるけれど、今のところ実害はない。大した実害も、これと言った理由なく子供を追っ払うのは気が引けるし、教育にもよろしくない。仮に襲われても、植物系魔物の子供の相手なら双方無傷のまま逃げきるのは難しくないだろうというのが追い払わない最大の理由だ。
木の陰から大きくクリクリした瞳がこちらを伺い、視線が合うとサッと木の陰に隠れる。そして、しばらくするとソロソロと顔を覗かせて、まだ俺が見ている事に気がつくと“しまった”という表情をして引っ込んだ。
その仕草は非常に可愛らしく微笑ましい。しばらく眺めていたものの、あまり悪戯していても可哀想だ。こちらから声を掛けないといつまでもラチがあかないだろう。できるだけ、刺激しないように手のひらを見せて害意が無い事を示してから近づく。
「どうしたの?」
近づいてからは、軽く身体を屈めて目線を低くして、わずかに見上げるようにしてやる。それだけでグッと警戒心を解いてくれるものだ。
魔物の少女は驚いた表情を作ったが、どうやらこちらに害意が無い事を察してくれたようだ。
「名前は・・・ディアン・・・さん・・・で良いんだよね?」
恐る恐るといった風に尋ねた。
「あぁ、俺がディアン=ルノワールだよ。ディアンって呼んでくれると嬉しいかな」
コクコクと少女は頷いた。薬草を調達しに山に入る事も多く、自然と魔物にも知り合いが出来るので名前を知られていても余り驚かない。
「俺に用?」
尋ねると困った様に俯いた。それから、自らを納得させるようにモゴモゴと呟き、何度か頷いている。目下の相手は焦らせても要領の得ない解答が返ってくるだけなので気長に待つ方がかえって早い。
しばらく待つと、意を決した様に顔を上げ
「・・・えいっ!」
倒れこんできた。
油断していたのと屈んでいた姿勢だったため、受け止める事もできずに無様に尻餅をつき、そのまま・・・頭と頭がぶつかってゴツンと鈍い音がした。
数分後、二人は近くの開けた場所にいた。
お茶を勧めると素直に受け取りコップの端に口をつけ、ビスケットも勧めると躊躇いながらも一枚だけつまんだ。ビスケット食べ終わる頃合いを見計らって口を開く。
「君の名前は?」
「イル。種族はマンドラゴラ。」
小さな声で名乗った。
魔物なので見た目はあまり当てにはならないが、年は12,3といったところか。随分と小柄な子だという印象を受ける。病気という訳ではなさそうだけれど、どちらかと言えば少々未熟なまま、すぐに引き抜かれたと表現するのが一番適切だろう。
「イル、か。うん、可愛らしくて良い名前だ。」
ただ、名前を褒めただけなのに顔を赤くして俯いた。それが、あまりにも素直な反応なので思わず頬が緩んでしまう。
「それで、どうして隠れてくっついてきたのかな?」
直前で名前を確認した事を考えれば、突発的な行動ではなく、何か用事があったと考える方が自然だ。
「体の事で困った事があったら相談に乗ってくれるから、ディアンに相談して御覧って言われて・・・」
襲おうとした事はとりあえず触れないでおく、襲う事と話し掛けるという事が魔物の場合には同義というのは良くある話だ。人に慣れていないみたいだし“窮鼠猫を噛む”という訳ではないがテンパっていたのかもしれない。
けれど、魔物と人でも関係なく体の事で悩む事は多い。病気や怪我もあるし、純粋なコンプレックスの場合もある。魔物の文化を考えると、身体的なコンプレックスの感じ方は人間よりも強い印象を受ける。
「良いよ、相談には乗れる。しがない薬師だけど、錬金術と魔術に関しては専門にやっていた時期がある。力になれる事は力になってあげるから、とりあえず話したい事だけ話してごらん」
当然の事だけれど、イルは恥ずかしそうに俯いた。誰だって自分の悩んでいる事を相談するのは難しいし、ましてや大して知りもしない相手に打ち明けるとなると尚更だ。こちらから悩みを推測し、提案するのは簡単だけれど、それでは信頼関係が築けない。信頼関係を築かないまま治療に及ぶ程恐ろしいことは無いのだ。
「じゃ、じゃあ・・・僕の事を抱いて下さい!」
前言撤回。無知程恐ろしい事はない。
なにその直球ど真ん中ストレート。信頼どころか色々と飛んでいる。っていうか、過程はどうした?過程は?その頼み事は、ゴールテープぶっちぎって、そのまま勢いを殺さずに表彰台に突っ込んでいる。魔物でも人でも、未だかつてそんな相談を受けた事はないよ?サキュバスでももう少しオブラートに包むから。
「上手くできないかもしれないけど、気持ち良くできるように一生懸命頑張るから!」
「い、いや、頑張らなくて良いよ・・・」
「都合が悪いなら指定してくれて良い、僕が合わせるから!」
「そうじゃなくて・・・」
「わ、分かった、ど、どんなプレーでも付き合う!」
「だから・・・」
「ぼ、僕・・・しょ、処女だよ!」
「・・・」
・・・なおさらだから
胸中で突っ込みを入れつつ、大きな瞳を潤ませてすがりつく魔物から顔を背ける。
結局、首を縦に振らないのを見るとイルはガックリとうなだれた。
「やっぱり、駄目だよね・・・」
ソロソロと手を離し元の位置に戻ると今にも泣きそうな表情を浮かべる。
イルは可愛らしいし、抱きたくない訳じゃない。むしろ、ここでイルの提案に乗る事は魅力的な選択肢ではある。けれど、ここで誘惑に乗ってしまう訳にはいかない。もし乗れば弱味に着け込んでいる事になるし、薬師として弱味に着け込むような事は決してやってはいけないと思っている。
「・・・良いかい?
魔物と人では文化が違うから、感覚も価値観も違うと思う。
だけど、こういう事はね、大して知りもしない相手に軽々しく頼んで良い内容のお願いではないと思うんだ」
「遊びなんかじゃないよ!僕は本気だよ!」
キッと睨む様に顔を上げる。マンドラゴラは非常に臆病な魔物と聞いていたので、突然豹変したイルに戸惑っていると、直後にハッとした表情を浮かべ“ごめんなさい”とかすれた声で謝った。
「僕だって・・・こんな“頼む”なんて方法じゃなくて、ちゃんと襲いたいよ・・・
手当たり次第じゃなくて下見しているよ。仲間の話を聞いたり、山に入ってくる人を観察しながら情報を集めるもん。それで“この人なら!”って思う人を探してるんだよ」
「だったら・・・」
自嘲気味な笑みを浮かべるとフルフルと頭を振った。
「でも、一回も襲えた事ないんだ・・・
誘惑しても、誰も見向きもしてもらえないし・・・
後ろから襲おうとも思ったんだけど、やっぱり怖いものは怖い・・・
でも、一人で襲えないような魔物は一人前として認めてもらえないから、僕、いつまでたっても半人前なんだ・・・」
俯くイルの言葉の後半は、潤んでほとんど聞き取れなかった。
成長しようにもできず、成長する努力をしても報われない。その上、年下の魔物も一人前となっているのに、いつまで経っても自分だけ半人前扱い。そのコンプレックスはそう簡単に拭い去れるものではないだろう。
力になってはあげたいが、自分の見定めた相手と結ばれて欲しいというのも本音だ。自暴自棄になられても困る。
手当たり次第に襲って、怪我もされても嫌だしな。
でも、そのまま帰しても馬鹿にされるかもしれない・・・
「・・・よし、分かった」
声を掛けるとピクンと体を震わせて顔を上げた。
「え、なに?」
抱いてくれるの、とイルは表情で問う。
「それは・・・無理だけど・・・」
答えると残念そうな表情を浮かべた。
気持ちを切り替えるためにわざと咳払いをする。
「俺も人だから、直接的に君が人を“襲う”事に関しては力を貸せない。
けど、君の成長を再開させる事ができると思う、それじゃ、駄目かな?」
「良いの?」
「治療は長期になるし
経過観察が多いから、しばらくウチに下宿する事になるけど、それで良いなら」
「うん、ありがとう!」
・・・
「リザードマンの私が言うのもなんだが、お前は本当にお人よしだな」
「いったい、それ言われるのは何回目だろうね、リズエ」
二日後、門の詰め所でイルを待っていると、門番はそんな事を呟きながらもお茶を出してくれた。
ちなみにこの門番のリザードマンは絶賛彼氏募集中だそうだ。門番をやっているのも好み男性の情報を集めるためだとか、なんとか。彼女的には強い男性が好みらしいが、今まで不法に入ろうとした不埒な輩を誰一人として通した事のないあたり、彼氏が出来る日は遠い気がする。
「でも、仕方ないだろう?
相談してきたんだから、力になってやりたいと思うのは薬師の性だよ」
言い訳を述べると、やれやれと頭を押さえた。魔物から見ても襲ってきた相手の相談に乗り、力になろうとするのは“愚かな行為”と映るらしい。
「しかし、イルがねぇ・・・」
「何か問題でも?」
わずかに感慨深そうに呟いたので、一応尋ねてみるとユルユルと首を振った。
「問題はないさ、あの子は真面目だし良い子だぞ
それは私が保証する」
じゃあ、なんだろうと思案する。
「誠意ある対応を心掛けろ、という事だ
あれはあれで繊細だからな、人の気にしないような事でも反応してしまうからな」
「失礼だな、誠意ある対応は心掛けているよ
それは魔物であっても人であっても同じつもりだ」
「アホ、そういう意味じゃない、そんな事だから“お人よし”なんて言われるんだ
お前は腕が良いんだから、自分に付ける薬でも開発したらどうだ?」
心底呆れたように溜め息をつかれた上、結構辛辣な言葉を吐かれた。
抗議をしようと口を開くと、リズエはわずかに口の端をあげて笑った。
「でもね、これで確信した。
やはり、お前なら安心してイルを任せられるよ」
「はぁ・・・」
「分からないのなら良い、忘れてくれ」
待ち人も来たから話は終わり、とでも言うようにリズエは話を切り上げた。
最後に何故か褒められたので曖昧に頷くしかなかったが、結局なにが言いたかったのか分からない。リズエにしては珍しく、なんとなく奥歯に物が挟まる物言いで余計に気になる。しかも、聞いた所で答えてくれそうにない。
釈然としないまま窓の外に目をやると、リュックサックに荷物を詰めたイルが山から降りてくる所だった。時刻はまだ約束の時間より十分以上早い、それでも、こちらに気が付くと駆け足で詰め所に入ってきた。
「そんなに走ってこなくても良いのに、まだ時間前だよ?」
「僕がお願いしたから、待たせちゃ駄目だと思って・・・」
言い訳でもするように首を傾げると頭の上の花が揺れ、あたりにはフワリと芳しい香りが広がった。。こんな距離を走った所で大して時間は変わらないのだけれど、それでも少しでも誠意を見せようとする所に感心する。
「じゃあ、行こうか」
大した仕事も無いし暇つぶしになるから構わないとは言うものの、あまり居座ってリズエの邪魔をしても悪いので、ここらへんでお暇させてもらおう。
「行ってくるね。リズエお姉ちゃん」
「あぁ、行っておいで」
イルが手を振ると、リズエは優しく微笑んだ。元々吊り目気味な上に、滅多な事では笑わない。だから、怒っていなくても怒っているように見えると悩んでいたらしいが、そんな表情ができるなら、何も問題がないだろうに。
「む、何かおかしいか?」
「いや、なんでもない」
こちらには、いつもの無表情。もしかして、あの微笑は魔物限定なのかもしれない。
「笑った方が彼氏もできるのにもったいないなと思っただけ」
「き、貴様、な、な、な、何を言い出すんだ!」
「なんだよ、褒めただけだろ?」
率直な感想を述べると分かりやすい動揺を示し、イルもそれを見てケラケラと声を立てて笑った。
実を言うと、リズエは町では結構人気がある。容姿端麗だし、武術だけではなく学もある。料理は苦手らしいが、その手の人に言わせるとそれもチャームポイントだという。そして何よりも、普段は素っ気無いクセに、時折見せる気を許すというそのギャップがたまらない、らしい。
本人も気が付いていないみたいだけど・・・
「はいはい、邪魔したね」
「あ、おい」
イルは門に向かって行ってしまったので、軽く肩をすくめ出て行こうと背中を見せると今度は呼び止められた。首だけで振り向くと、若干ふてくされ気味な表情でビシリと俺を指差した。
「魔物と人は、元々相反する存在だ。例え、魔王が宥和政策をしても容易には変わらない。
お前も魔物の手助けをする、というなら肝に銘じておけ」
「有難い忠告をどうも」
「うるさい、とっとと行ってしまえ」
呼び止めておいて、あっち行けと手をヒラヒラと振る横柄極まりないリザードマンに文句の一つでも言ってやろうかとも思ったが、怒られそうなので止めておいた。代わりに大きな溜め息を置き土産に詰め所を後にした。
こうして、マンドラゴラのイルとの奇妙な共同生活が幕を開けたのだった。
10/01/23 20:19更新 / 佐藤 敏夫
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