黒髪の少年と、トカゲの娘
_____ィィィン
彼の細身の剣が喉元に突きつけられる。
一瞬だった。私は彼の動きを追うことさえ出来なかった。
「俺の勝ちだな」
言うなり彼は剣を収めた。
私は思わずその場にへたりこんだ。
______________
________
____
森の中を歩いているとなにやら走る音が聞こえた。
ふと気になって後を追ってみると細身の人間の少年だった。
普段なら見逃していただろう。
さすがに子供を襲うほど私たちは飢えてはいない。
が、その少年を見かけたのは森の奥深く。
周辺には村も無ければ街も無く、偏狭の地だった。
それにその少年の腰にはその姿には似合わない無骨な剣が数本吊ってあった。
これだけで十分その少年と戦闘するに値する理由があるはずだ。
よって私はひらけた場所に出るまで彼を尾行し、戦いを挑むことに決めた。
数分ののち、私たちはある程度木のない場所に出た。
ここなら戦える。
即座に判断した私は少年に声を掛けた。
ゆっくりと振り向いた少年は驚きもせずこう呟いた。
待っていたぞ と。
少年は私の尾行に気づいていたのだ!
気配を消し、出来る限り音を立てずに尾行したはずが見破られていた。
私にはもう我慢が出来なかった。
彼と戦いたい。剣を交じえたい。
はやる気持ちを抑え、私は少年に決闘を申し込んだ。
すると少年は 売られた喧嘩は買うタチだ と回りくどくも肯定した。
私たち2人の間にしばし沈黙が訪れる。
私はゆっくりと剣を構えたが彼はだらりと両の手を垂らしたままだ。
やる気が無いのか、余裕があるのか。
なぜか腹は立たなかった。
ガサッと小動物か何かが動いた音がした直後、私は動いていた。
声を上げながら剣を横薙ぎにする。
剣は確かに彼を捉え、その貧弱な胴を割った。
やった。私の勝ちだ。口ほどにも無い。
そう思った直後、斬ったはずの彼がぼやけて消えた。
ッ!
あわてて彼の姿を探す。
彼の分身が先ほどまであった場所から残像がザァッと伸びたかと思うと、
次の瞬間には目の前に出現しており、
剣で防御する間もなく細身の剣が喉元に突きつけられていた。
速い...速すぎる。
残像、ということは私の目が彼についていけなかったということだ。
師匠の厳しい修行を終えた私が認知できないものなど...
しかし、それは目の前に存在した。
「俺の勝ちだな...」
その言葉が発せられた直後、私は膝から崩れ落ちた。
自信やプライドが、その根底から崩れ落ちてゆく。
終わったのか...
その実感さえ沸かなかった。
生まれてはじめての惨敗。
私には手も足も出なかった。実力の差があり過ぎた。
私は彼を侮っていた。子供だと、差別していた。
視界がぼやける。私は...泣いているのか?
ぼやけた視界の中に、肌色のものが混ざる。
何だろう?これは...
ごしごしと目からあふれ出る液体を擦り取り、顔を上げる。
手だ。
子供にしてはごつごつしていて、傷がたくさんある。
ふと見上げると少し困ったような表情で彼が見下ろしていた。
ほら...
手を握って立て、ということなんだろう。
まさかこのような子供に手を貸されるとは...
ゆっくりと差し出された手を握ると、彼の手は温かかった。
少々形は悪いながらも、しっかりと私を支えてくれた。
まるで巨木の太い枝を握っているかのようだ。
有難う
無意識に言葉が口から出てきた。
すると少年は少しはにかんだような笑みを浮かべた。
その笑顔は暗かった私の気持ちを吹き飛ばし、何か温かなものを与えてくれた。
それは一瞬で消えてしまったが、私の中の温かなものは消えなかった。
俺はもう行くから...
そう言って彼は進んでいた方向へと歩き出す。
気がつけば私は彼の衣をつかんでいた。
どうした?
彼が無感情に聞いてくる。
でも、それは本当の彼ではないのだ。
私は無意識のうちに理解していた。
本当の彼は、さっき少し覗かせたような、温かで、やさしく包み込んでくれるような、そんな...
気がつけば口にしていた。
私を一緒に連れて行ってくれ、と。
少年は走っていた。
その隣をリザードマンの女の子が走る。
歳は2人とも10代、おそらく女子の方が年上であろう。
少年はペースを落とさず、息切れもせず走っているが、
女子の方は少しペースが落ちつつあり、息切れをし始めている。
この子、いや、この人の体力は一体どれほどのものなんだろうか?
青緑色の女の子は考えていた。
魔物である私の体力を上回り、ペースさえ乱さない。
いったいこの少年はどんな修練を積んできたのだろうか?
当人の少年は前を無表情に見つめ、走り続けている。
あどけなさのある顔つきだが、頬が少々こけており、不健康そうな印象がある。
だがその中ほどに位置する両眼は鋭い眼光を放っており、
瞳の深みのある黒が彼は只者ではないことを物語っている。
ッ...しまったッ!
考え事をしながら無理やり彼のペースに合わせていたせいか、
無造作に突き出した木の根につまずいてしまった。
とっさに反応して体勢を整えようとしたが間に合わない。
不幸にも草地ではなく、少々荒れた道であり、このスピードである。
おそらく怪我は免れない...はずだった。
フッと体が軽くなり、気づくと飛ぶように周囲の景色が変わってゆく。
何が起こったのかわからなかった。
そこで彼の姿を確認しようとふと横を見ると...
目の前に彼の顔があった。
あわてて距離をとろうとするが、ガッチリと体がホールドされ身動きが取れない。
パニックになりかけたその時、彼が口を開いた。
お前は疲れている
見透かされている。思わずそう思った。
実際その通りで、負けたにも関わらず彼女のプライドが、
休みたい
と、切り出すのを拒絶したのだ。
だから必死に彼に調子を合わせ、駆けた。
その結果、コケかけたのだ。
ということはコケかけた私を抱え上げ、助けてくれたのだろう。
....ん?
抱え上げて.....
「お姫様抱っこ」
脳内に急にその単語が浮かんだ。
何故だか分からないしその意味も知らない。
だがおそらくとてもとっても恥ずかしいものだろうことは分かった。
おっ 下ろせっ!
だが彼は首を振って
この方が速い それにお前は休める
その通りではあったが、彼女には少々刺激が強すぎた。
彼と向かい合ってまた口を開く...が、
目がバッチリと合ってしまいしばらく見つめ合っていた。
と、急に彼女の顔が真っ赤に染まり、気絶した。
_________________________
________________
_______
気がつくとあたりは真暗に染まり、星々が瞬いていた。
「起きたか...」
声のした方を見ると焚き火の光が目に入る。
そのすぐ近くに彼が座っていた。
「すまない 気絶するほど疲れていたとは気付かなかった」
思わず否定しかけたが思えば否定したところで私には何の得も無い。
むしろ損だ。
ここは素直に謝っておこう。
「いや...謝らなくてはならないのは私の方だ。
迷惑をかけてすまなかった」
「....」
彼は答えなかった。
じっと揺らめく炎を見つめている。
私は起き上がって、彼の隣に腰を下ろした。
時折吹く夜風が冷たく、心地よい。
だが私の中は煮えたぎっていた。
初めての感情にどうしていいかわからない。
そういえばコケかけたところを助けてもらったことに礼を言っていない。
どうやって礼を言おうか、
普通に ありがとう でいいか。
いや、しかし遅れて、しかも半ば忘れてしまっていた状態で
それはないのではなかろうか。
じゃぁ ありがとうございました....いや、堅過ぎる。
最終的にはやはり簡単にありがとうと言おう、と決心は固まったものの、
今度は言い出す口実が浮かばない。
普通は謝るだけでそんなものは必要ないはずなのだが、
今日に限ってなんだか重要なことの気がしてならない。
どうしよう...どうしよう...
そう考えている内に彼が立ち上がってしまった。
あっ と思わず小さな声が漏れたが、
それには気にせず彼は
薪を取りに行く
といって森の中へと入っていってしまった。
私はチャンスを逃してしまったことに落胆した。
どうして私はこんなにも優柔不断なんだろうか....
こういうときに決断できないとは...情けない。
それにしてもチャンスとは何のことだ...?
「どうした?まだ気分が悪いのか?」
「ひうっ!?」
突然声を掛けられ思わず妙な声を上げてしまった。
いつの間にか彼は定位置に戻っており、
拾ってきたのであろう薪をくべている。
相変わらず視線は焚き火に固定されたままだ...
「....?」
彼は怪訝そうに(表情は相変わらずだがなんとなく動作で)こちらを見て、
心配そうな表情が浮べたが一瞬で消えてしまった。
「いっ いや、なんでもない」
何も悪いことをした覚えは無いのに背中を冷や汗がつたう。
なにやら気まずい雰囲気が漂い、
何か話さなくてはいけないような焦燥にかられる。
「きっ 貴公は休まずとも良いのか?」
「ブラックだ...ああ、俺は特別だからな」
ぶらっく?...名前のことか。
そうか、この少年はブラックというのか。
それにしてもこの湧き上がるうれしい感情はなんなのだろう?
なんだかこの少年に会ってからおかしくなってしまったようだ。
彼のなにが私を興奮させr...断じて興奮などしていないッ!
「特別?どういうことだ?」
気がつけば気を紛らわせるために問いかけていた。
「俺は...10回日が落ちて昇る内ほんの数刻でも寝られれば十分だ」
相変わらず話す内容は簡潔だが、
こんなにも長く話すのを聞いたのは初めてだ。
何故だか小躍りしたくなるような気分なんだが...?
話すことが無くなり、まだ眠くもないので、
私は彼を観察してみることにした。
服装はとても質素で、頑丈そうな、
けれども決して暑苦しくはない格好だ。
強いていうなれば動きやすさに特化した服だと言ってもいい。
細い腕を良く見てみると細かな傷痕が満遍なくついている。
まだ治りかけの傷も少なくない。
腹回りは女性の私よりも細く、足も同じく。
一体この少年は霞を食って生きているのだろうか?
だが、やはりそのほぼ中央に位置する深みのある黒い瞳。
これが彼が只者ではないことを証明している。
ここの辺りでは珍しく真黒で、漣(さざなみ)すらたたないほど静まり返っている。
しかしその奥底には何か底知れないものが潜んでいそうな、
そんな予感がした。
「俺の顔に何かついているか?」
ここで調査は中断。理由は言わずもがな。
「私はそろそろ寝るとしよう。きk...ブラック殿はまだ休まないのか?」
「くどい。...呼び捨てで構わない」
「そうか、分かった。ぶらっく」
よ、呼び捨てしてしまったッ
思わず声が裏返ったが小さな声だったので気付かれていないようだ。
ほっと小さく息を尽き、
おそらく彼が私のかばんから出したのであろう寝袋にもぐりこんだ。
なにやら良く分からない満足感で、私は眠くなかったはずがすぐに眠ってしまった。
「んっ....」
まぶしい。ふと目を開けると日が昇っていた。
時間はどうやらかろうじて朝、と言える時間のようだ。
いそいそと起きだしぐっと背を伸ばした。
本来ならさっさと寝袋を片付けて地図を見ながらその日の道程を決めるのだが...
焚き火はとうに燃え尽きたようで冷たかった。
彼の姿は周辺には無く、彼が焚き火のそばに置いていた3本の剣も消えている。
もしかして....
嫌な予感がした。
あわてて周りをぐるっと探してみる。
だが、彼の姿は相変わらず見えない。
気がつけば必死になって彼を探していた。
いるはずもない自分の寝袋の中を探している自分に気付き、やっと手を止めた。
そうだ、彼は行ってしまったのだ。
何を疑うことがあろうか。
彼がここに留まる理由がそもそもない。
それに、私が彼をここに引き止めるだけの言い分もなければ益もない。
実際、私は彼に決闘を挑んだにもかかわらずついて行くと我がままを言い、
挙句の果てには彼に迷惑を掛け、助けてもらったことへの感謝すら出来なかった。
どうして彼をここに引き止めることが出来ようか。
足が震えだし、視界が霞む。
絶え間なく、心の奥深くから感情があふれ出してくる。
気がつけばその場に座り込み、泣いていた。
涙がとめどなくその金色の瞳から流れ出し、流れ落ちる。
私は彼に惚れていたのだ。
なんと私は鈍感だったのだろう?
どうして気付けなかったのだろう?
彼はあんなにも強くて、気遣ってくれて、優しかった。
なぜ礼の一言さえも、自分の名前すらも言えなかったのか。
後悔ばかりが身を蝕む。
どうして?何故?何で?
疑問符が浮かんできては身を襲う。
私は、もう耐えられなかった。
数年ぶりに、声を上げて泣いた...
足音が聞こえる。
誰かがこちらに向かってくる。
だが、私にはそんなことは関係なかった。
ほんの数刻前ならこのような姿は他人には見せられないと思ったはずだ。
しかし、今の私にはそんなことはどうでも良かった。
ただただ...彼に逢いたかった。
「どうしたッ 何かあったのか!?」
聞きなれた声がした。
嘘だ、どうしてこの声がするの?
彼はすでに言ってしまったはずだった。
けれどもこの声は...
「おい、大丈夫か?」
紛れもなく彼だった。
彼の表情は心底心配そうで、黒い深みを湛えた両目が私をしっかりと見つめていた。
彼が...どうして?
でも今はそんなことはどうでも良かった。
私は彼の胸に顔を埋め、声を上げて泣いた。
頭に何かが当たった。
彼の手だ。
温かく、大きくて、優しい。
そして、懐かしい。
そのまま、私は泣き続けた。
彼は私が泣きやむまでずっと頭を撫でてくれた。
「もう気は収まったか?」
私がゆっくりと頷くと、彼はふっと身を離してしまった。
思わず手を伸ばしてしまい、あわてて手を下ろす。
どうやら気付かれていないようだ。
「それで、何があった?」
彼は再び真剣な表情をし、私を見つめた。
その態度に思わずまた泣きそうになってしまったが、
なんとか感情を押さえ込み、泣いてしまった理由を彼に全て話した。
話している途中でなんだか無性に恥ずかしくなり、
話し終わるころにはきっと私の顔からは火が出ていただろう。
私が話を終えると、彼は呆れたような、困ったような、そんな表情を浮かべた。
「悪かったな、急にいなくなったりして」
謝った。いや、彼に謝らさせてしまったのかもしれない。
思わず罪悪感が募る。
「い、いや、私の方が悪いのだ。勘違いでブラックに迷惑を掛けてしまった」
「...」
彼は押し黙った。
相変わらず困ったような表情を浮かべている。
何か言わなければ、
「わ、私はあなたに会ってからずっと迷惑を掛けっぱなしだ。
しかもそれに対して一言も礼を言えず...その、すまない」
「そっ それで、その...ありがとう」
勢いで全て言ってしまった。
これで良かったのだろうか。
きっと真っ赤に染まっているであろう顔を恐る恐る上げてみた。
すると彼は微笑んでいた。
「おまえは...優しいな」
彼にしては珍しく心のこもった声で、
私はまた泣きそうになってしまった。
だが、なんとかこらえて ブラックほどではない と、何とか答えることが出来た。
「俺は...そんなことはない」
ふっと笑みを消して彼はそう言った。
彼の黒い瞳が陰ったような気がした。
私の気のせいかもしれない。
きっと疲れているのだ。
彼に限ってそんなことはないだろう。
「ほら、行くぞ」
気まずくなったのか、彼は足早に歩き出した。
「あ ちょ ちょっと待ってくれ、まだ荷物が」
純粋にうれしかった。
彼が私のことを仲間だと、暗に言ってくれたのだから。
彼の細身の剣が喉元に突きつけられる。
一瞬だった。私は彼の動きを追うことさえ出来なかった。
「俺の勝ちだな」
言うなり彼は剣を収めた。
私は思わずその場にへたりこんだ。
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森の中を歩いているとなにやら走る音が聞こえた。
ふと気になって後を追ってみると細身の人間の少年だった。
普段なら見逃していただろう。
さすがに子供を襲うほど私たちは飢えてはいない。
が、その少年を見かけたのは森の奥深く。
周辺には村も無ければ街も無く、偏狭の地だった。
それにその少年の腰にはその姿には似合わない無骨な剣が数本吊ってあった。
これだけで十分その少年と戦闘するに値する理由があるはずだ。
よって私はひらけた場所に出るまで彼を尾行し、戦いを挑むことに決めた。
数分ののち、私たちはある程度木のない場所に出た。
ここなら戦える。
即座に判断した私は少年に声を掛けた。
ゆっくりと振り向いた少年は驚きもせずこう呟いた。
待っていたぞ と。
少年は私の尾行に気づいていたのだ!
気配を消し、出来る限り音を立てずに尾行したはずが見破られていた。
私にはもう我慢が出来なかった。
彼と戦いたい。剣を交じえたい。
はやる気持ちを抑え、私は少年に決闘を申し込んだ。
すると少年は 売られた喧嘩は買うタチだ と回りくどくも肯定した。
私たち2人の間にしばし沈黙が訪れる。
私はゆっくりと剣を構えたが彼はだらりと両の手を垂らしたままだ。
やる気が無いのか、余裕があるのか。
なぜか腹は立たなかった。
ガサッと小動物か何かが動いた音がした直後、私は動いていた。
声を上げながら剣を横薙ぎにする。
剣は確かに彼を捉え、その貧弱な胴を割った。
やった。私の勝ちだ。口ほどにも無い。
そう思った直後、斬ったはずの彼がぼやけて消えた。
ッ!
あわてて彼の姿を探す。
彼の分身が先ほどまであった場所から残像がザァッと伸びたかと思うと、
次の瞬間には目の前に出現しており、
剣で防御する間もなく細身の剣が喉元に突きつけられていた。
速い...速すぎる。
残像、ということは私の目が彼についていけなかったということだ。
師匠の厳しい修行を終えた私が認知できないものなど...
しかし、それは目の前に存在した。
「俺の勝ちだな...」
その言葉が発せられた直後、私は膝から崩れ落ちた。
自信やプライドが、その根底から崩れ落ちてゆく。
終わったのか...
その実感さえ沸かなかった。
生まれてはじめての惨敗。
私には手も足も出なかった。実力の差があり過ぎた。
私は彼を侮っていた。子供だと、差別していた。
視界がぼやける。私は...泣いているのか?
ぼやけた視界の中に、肌色のものが混ざる。
何だろう?これは...
ごしごしと目からあふれ出る液体を擦り取り、顔を上げる。
手だ。
子供にしてはごつごつしていて、傷がたくさんある。
ふと見上げると少し困ったような表情で彼が見下ろしていた。
ほら...
手を握って立て、ということなんだろう。
まさかこのような子供に手を貸されるとは...
ゆっくりと差し出された手を握ると、彼の手は温かかった。
少々形は悪いながらも、しっかりと私を支えてくれた。
まるで巨木の太い枝を握っているかのようだ。
有難う
無意識に言葉が口から出てきた。
すると少年は少しはにかんだような笑みを浮かべた。
その笑顔は暗かった私の気持ちを吹き飛ばし、何か温かなものを与えてくれた。
それは一瞬で消えてしまったが、私の中の温かなものは消えなかった。
俺はもう行くから...
そう言って彼は進んでいた方向へと歩き出す。
気がつけば私は彼の衣をつかんでいた。
どうした?
彼が無感情に聞いてくる。
でも、それは本当の彼ではないのだ。
私は無意識のうちに理解していた。
本当の彼は、さっき少し覗かせたような、温かで、やさしく包み込んでくれるような、そんな...
気がつけば口にしていた。
私を一緒に連れて行ってくれ、と。
少年は走っていた。
その隣をリザードマンの女の子が走る。
歳は2人とも10代、おそらく女子の方が年上であろう。
少年はペースを落とさず、息切れもせず走っているが、
女子の方は少しペースが落ちつつあり、息切れをし始めている。
この子、いや、この人の体力は一体どれほどのものなんだろうか?
青緑色の女の子は考えていた。
魔物である私の体力を上回り、ペースさえ乱さない。
いったいこの少年はどんな修練を積んできたのだろうか?
当人の少年は前を無表情に見つめ、走り続けている。
あどけなさのある顔つきだが、頬が少々こけており、不健康そうな印象がある。
だがその中ほどに位置する両眼は鋭い眼光を放っており、
瞳の深みのある黒が彼は只者ではないことを物語っている。
ッ...しまったッ!
考え事をしながら無理やり彼のペースに合わせていたせいか、
無造作に突き出した木の根につまずいてしまった。
とっさに反応して体勢を整えようとしたが間に合わない。
不幸にも草地ではなく、少々荒れた道であり、このスピードである。
おそらく怪我は免れない...はずだった。
フッと体が軽くなり、気づくと飛ぶように周囲の景色が変わってゆく。
何が起こったのかわからなかった。
そこで彼の姿を確認しようとふと横を見ると...
目の前に彼の顔があった。
あわてて距離をとろうとするが、ガッチリと体がホールドされ身動きが取れない。
パニックになりかけたその時、彼が口を開いた。
お前は疲れている
見透かされている。思わずそう思った。
実際その通りで、負けたにも関わらず彼女のプライドが、
休みたい
と、切り出すのを拒絶したのだ。
だから必死に彼に調子を合わせ、駆けた。
その結果、コケかけたのだ。
ということはコケかけた私を抱え上げ、助けてくれたのだろう。
....ん?
抱え上げて.....
「お姫様抱っこ」
脳内に急にその単語が浮かんだ。
何故だか分からないしその意味も知らない。
だがおそらくとてもとっても恥ずかしいものだろうことは分かった。
おっ 下ろせっ!
だが彼は首を振って
この方が速い それにお前は休める
その通りではあったが、彼女には少々刺激が強すぎた。
彼と向かい合ってまた口を開く...が、
目がバッチリと合ってしまいしばらく見つめ合っていた。
と、急に彼女の顔が真っ赤に染まり、気絶した。
_________________________
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気がつくとあたりは真暗に染まり、星々が瞬いていた。
「起きたか...」
声のした方を見ると焚き火の光が目に入る。
そのすぐ近くに彼が座っていた。
「すまない 気絶するほど疲れていたとは気付かなかった」
思わず否定しかけたが思えば否定したところで私には何の得も無い。
むしろ損だ。
ここは素直に謝っておこう。
「いや...謝らなくてはならないのは私の方だ。
迷惑をかけてすまなかった」
「....」
彼は答えなかった。
じっと揺らめく炎を見つめている。
私は起き上がって、彼の隣に腰を下ろした。
時折吹く夜風が冷たく、心地よい。
だが私の中は煮えたぎっていた。
初めての感情にどうしていいかわからない。
そういえばコケかけたところを助けてもらったことに礼を言っていない。
どうやって礼を言おうか、
普通に ありがとう でいいか。
いや、しかし遅れて、しかも半ば忘れてしまっていた状態で
それはないのではなかろうか。
じゃぁ ありがとうございました....いや、堅過ぎる。
最終的にはやはり簡単にありがとうと言おう、と決心は固まったものの、
今度は言い出す口実が浮かばない。
普通は謝るだけでそんなものは必要ないはずなのだが、
今日に限ってなんだか重要なことの気がしてならない。
どうしよう...どうしよう...
そう考えている内に彼が立ち上がってしまった。
あっ と思わず小さな声が漏れたが、
それには気にせず彼は
薪を取りに行く
といって森の中へと入っていってしまった。
私はチャンスを逃してしまったことに落胆した。
どうして私はこんなにも優柔不断なんだろうか....
こういうときに決断できないとは...情けない。
それにしてもチャンスとは何のことだ...?
「どうした?まだ気分が悪いのか?」
「ひうっ!?」
突然声を掛けられ思わず妙な声を上げてしまった。
いつの間にか彼は定位置に戻っており、
拾ってきたのであろう薪をくべている。
相変わらず視線は焚き火に固定されたままだ...
「....?」
彼は怪訝そうに(表情は相変わらずだがなんとなく動作で)こちらを見て、
心配そうな表情が浮べたが一瞬で消えてしまった。
「いっ いや、なんでもない」
何も悪いことをした覚えは無いのに背中を冷や汗がつたう。
なにやら気まずい雰囲気が漂い、
何か話さなくてはいけないような焦燥にかられる。
「きっ 貴公は休まずとも良いのか?」
「ブラックだ...ああ、俺は特別だからな」
ぶらっく?...名前のことか。
そうか、この少年はブラックというのか。
それにしてもこの湧き上がるうれしい感情はなんなのだろう?
なんだかこの少年に会ってからおかしくなってしまったようだ。
彼のなにが私を興奮させr...断じて興奮などしていないッ!
「特別?どういうことだ?」
気がつけば気を紛らわせるために問いかけていた。
「俺は...10回日が落ちて昇る内ほんの数刻でも寝られれば十分だ」
相変わらず話す内容は簡潔だが、
こんなにも長く話すのを聞いたのは初めてだ。
何故だか小躍りしたくなるような気分なんだが...?
話すことが無くなり、まだ眠くもないので、
私は彼を観察してみることにした。
服装はとても質素で、頑丈そうな、
けれども決して暑苦しくはない格好だ。
強いていうなれば動きやすさに特化した服だと言ってもいい。
細い腕を良く見てみると細かな傷痕が満遍なくついている。
まだ治りかけの傷も少なくない。
腹回りは女性の私よりも細く、足も同じく。
一体この少年は霞を食って生きているのだろうか?
だが、やはりそのほぼ中央に位置する深みのある黒い瞳。
これが彼が只者ではないことを証明している。
ここの辺りでは珍しく真黒で、漣(さざなみ)すらたたないほど静まり返っている。
しかしその奥底には何か底知れないものが潜んでいそうな、
そんな予感がした。
「俺の顔に何かついているか?」
ここで調査は中断。理由は言わずもがな。
「私はそろそろ寝るとしよう。きk...ブラック殿はまだ休まないのか?」
「くどい。...呼び捨てで構わない」
「そうか、分かった。ぶらっく」
よ、呼び捨てしてしまったッ
思わず声が裏返ったが小さな声だったので気付かれていないようだ。
ほっと小さく息を尽き、
おそらく彼が私のかばんから出したのであろう寝袋にもぐりこんだ。
なにやら良く分からない満足感で、私は眠くなかったはずがすぐに眠ってしまった。
「んっ....」
まぶしい。ふと目を開けると日が昇っていた。
時間はどうやらかろうじて朝、と言える時間のようだ。
いそいそと起きだしぐっと背を伸ばした。
本来ならさっさと寝袋を片付けて地図を見ながらその日の道程を決めるのだが...
焚き火はとうに燃え尽きたようで冷たかった。
彼の姿は周辺には無く、彼が焚き火のそばに置いていた3本の剣も消えている。
もしかして....
嫌な予感がした。
あわてて周りをぐるっと探してみる。
だが、彼の姿は相変わらず見えない。
気がつけば必死になって彼を探していた。
いるはずもない自分の寝袋の中を探している自分に気付き、やっと手を止めた。
そうだ、彼は行ってしまったのだ。
何を疑うことがあろうか。
彼がここに留まる理由がそもそもない。
それに、私が彼をここに引き止めるだけの言い分もなければ益もない。
実際、私は彼に決闘を挑んだにもかかわらずついて行くと我がままを言い、
挙句の果てには彼に迷惑を掛け、助けてもらったことへの感謝すら出来なかった。
どうして彼をここに引き止めることが出来ようか。
足が震えだし、視界が霞む。
絶え間なく、心の奥深くから感情があふれ出してくる。
気がつけばその場に座り込み、泣いていた。
涙がとめどなくその金色の瞳から流れ出し、流れ落ちる。
私は彼に惚れていたのだ。
なんと私は鈍感だったのだろう?
どうして気付けなかったのだろう?
彼はあんなにも強くて、気遣ってくれて、優しかった。
なぜ礼の一言さえも、自分の名前すらも言えなかったのか。
後悔ばかりが身を蝕む。
どうして?何故?何で?
疑問符が浮かんできては身を襲う。
私は、もう耐えられなかった。
数年ぶりに、声を上げて泣いた...
足音が聞こえる。
誰かがこちらに向かってくる。
だが、私にはそんなことは関係なかった。
ほんの数刻前ならこのような姿は他人には見せられないと思ったはずだ。
しかし、今の私にはそんなことはどうでも良かった。
ただただ...彼に逢いたかった。
「どうしたッ 何かあったのか!?」
聞きなれた声がした。
嘘だ、どうしてこの声がするの?
彼はすでに言ってしまったはずだった。
けれどもこの声は...
「おい、大丈夫か?」
紛れもなく彼だった。
彼の表情は心底心配そうで、黒い深みを湛えた両目が私をしっかりと見つめていた。
彼が...どうして?
でも今はそんなことはどうでも良かった。
私は彼の胸に顔を埋め、声を上げて泣いた。
頭に何かが当たった。
彼の手だ。
温かく、大きくて、優しい。
そして、懐かしい。
そのまま、私は泣き続けた。
彼は私が泣きやむまでずっと頭を撫でてくれた。
「もう気は収まったか?」
私がゆっくりと頷くと、彼はふっと身を離してしまった。
思わず手を伸ばしてしまい、あわてて手を下ろす。
どうやら気付かれていないようだ。
「それで、何があった?」
彼は再び真剣な表情をし、私を見つめた。
その態度に思わずまた泣きそうになってしまったが、
なんとか感情を押さえ込み、泣いてしまった理由を彼に全て話した。
話している途中でなんだか無性に恥ずかしくなり、
話し終わるころにはきっと私の顔からは火が出ていただろう。
私が話を終えると、彼は呆れたような、困ったような、そんな表情を浮かべた。
「悪かったな、急にいなくなったりして」
謝った。いや、彼に謝らさせてしまったのかもしれない。
思わず罪悪感が募る。
「い、いや、私の方が悪いのだ。勘違いでブラックに迷惑を掛けてしまった」
「...」
彼は押し黙った。
相変わらず困ったような表情を浮かべている。
何か言わなければ、
「わ、私はあなたに会ってからずっと迷惑を掛けっぱなしだ。
しかもそれに対して一言も礼を言えず...その、すまない」
「そっ それで、その...ありがとう」
勢いで全て言ってしまった。
これで良かったのだろうか。
きっと真っ赤に染まっているであろう顔を恐る恐る上げてみた。
すると彼は微笑んでいた。
「おまえは...優しいな」
彼にしては珍しく心のこもった声で、
私はまた泣きそうになってしまった。
だが、なんとかこらえて ブラックほどではない と、何とか答えることが出来た。
「俺は...そんなことはない」
ふっと笑みを消して彼はそう言った。
彼の黒い瞳が陰ったような気がした。
私の気のせいかもしれない。
きっと疲れているのだ。
彼に限ってそんなことはないだろう。
「ほら、行くぞ」
気まずくなったのか、彼は足早に歩き出した。
「あ ちょ ちょっと待ってくれ、まだ荷物が」
純粋にうれしかった。
彼が私のことを仲間だと、暗に言ってくれたのだから。
10/09/14 19:47更新 / 緑青
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