幼い森の暗殺者と、怖くて優しい人
山賊退治。
それは、彼が言うには楽な依頼のはずだった。
港町ライカのギルドに張り出された、ありふれた依頼。
場所はライカから北東へ約十キロほどの森林地帯。
最近、その辺りを通る行商人が十数人ほどの山賊に襲われたらしい。その商人からの依頼で商品を奪還してほしいらしい。そしてついでに、山賊も撃退して欲しいらしい。
場所もおおよその位置は特定され、対象の人数もある程度は把握されている。が、実際は彼が言うほど簡単な仕事ではない。
しかし、依頼内容と比べ随分と割高な報酬に彼は惹かれた。
そしてその森林地帯で、彼は山賊たちがキャンプをしたであろう痕跡を発見したのだが……。
「ざまぁみやがれ、バーカ」
それは、酷い有様だった。
引き裂かれたテントの中には、致死量と言っても過言ではない乾いた血のあと。周囲には、慌てて移動したかのような無数の足跡。
どうやら、ここでキャンプをしているところを何者かに襲撃されたらしい。テントの壊れ具合から、それが人間の手によるものではないことが明らかだった。
「何の仕業かは知らねェが、手間ァ省かせてもらったぜ」
そう言って彼はキャンプ地のテントを漁り始めた。
荒れ果てたテントの奥に佇む、商人が彼に依頼した風呂敷。その他にも旅人から強奪したのか宝石までごろごろと転がっている。
「ほぉう? 行きがけの駄賃だ、もらってくぜ」
バックパックに入るだけの宝石を詰め込み、彼はにやにやと嫌らしく笑う。
その時だった。
「ぐぉおおおおおお!!」
「っと、おいでなすったかァ?」
獣の雄叫びに彼が振り向くと、数メートル先で二メートルはあろうかという巨体の熊が咆哮していた。その口元が真っ赤に染まっているのに気付いた少年が、にやりと口元を歪める。
どうやら、あの熊が山賊を襲ったらしい。
彼はバックパックを体から剥ぎ取りテントの中に放り捨てた。
「やれやれ、こんな場所でキャンプするなら熊除けの鈴くらい持ってろってんだ」
そう言うや否や、彼の服の袖から鋭利なナイフが飛び出る。
彼はこちらを向いて歯を剥き出しに唸る熊に突進した。
「ぐがぅ!!?」
「てめぇに恨みはねぇが、どうせだから死んじまいなァ!」
肉薄する少年に熊が大きく腕を振りかぶる。
彼はそんな熊に構うことなく突進し、熊が腕を薙ぎ払うのをかわすように跳んだ。
「ぐる!?」
「その首、もらいうけるぜェ!?」
そのまま彼は熊の巨体を足がかりに跳び越え、熊の背後から首に腕を回す。そして、ナイフの飛び出た袖を熊の首に突き刺した。
「ぐがッ!?」
「おるぁぁぁああああ!!」
彼が乱暴に叫び、ナイフを突き刺したまま捻る。
みちみちと筋肉の裂ける音と、熊が苦しげに暴れる音が森の中に空しく響いた。
「ぐ……が…ぅ…………ッ!?」
「あァ、ダメだダメだ、全ッ然ダメだなァ!」
返り血を浴びながら、彼は熊の首からナイフを抜いた。
そして、今度は勢い良く後頭部にナイフを刺し込む。
「こんなんならライカの駐屯兵の方がまだマシだぜェ熊公!」
そう言って、少年は何度も何度も熊の頭部にナイフを刺し込む。その度に、血飛沫に彼の服と顔が赤く汚れる。
熊の巨体が、ぐらりと傾いだ。
「あン? 何だァ、もうくたばっちまったんですかァ?」
ペッ、と唾を吐いて少年は熊の背中を蹴って跳んだ。
熊の巨体は、そのまま吸い込まれるように地面に倒れこむ。
「ざまぁねぇなァ、賊のバカ共もてめぇもよォ」
ナイフについた血を近くに落ちていた布で拭き取りながら、少年はおかしそうにくっくっと笑う。
「まぁいいさ。おかげで俺が楽できたからなァ」
そう言って、彼はテントの中のバックパックと風呂敷を取り出す。
他にも盗品と思しきものがいくつか転がっているが、少年はそれらを気にも留めずに立ち上がった。
「けけけ、いい儲けモンだったぜ」
どうせだから熊から毛皮を剥ぎ取ってやろう、彼がそう思ってテントから出ると、そこには見知らぬ少女が立っていた。
雪のように白い肌に、大きく切れ長の感情のこもっていない瞳。そして、子どものような体躯とは不釣合いに大きな鎌。
子どもではあるが森の暗殺者、マンティスだった。
「……ンだよ、チビ」
袖に仕込んでいるナイフをいつでも出せるように身構えて、彼はマンティスの少女を睨みつける。
マンティスの少女は、相変わらずの無感情な瞳で彼をみつめたままかわいらしく小首を傾げた。
「……ったく、魔物ってなぁどうも苦手だぜ」
危険が無いことを判断した彼は、仕込みナイフを袖の奥にしまいながらやれやれと肩をすくめた。
彼は、マンティスの少女に歩み寄る。
「そこの熊、俺が仕留めたからもらってくぜ?」
「…………」(こくり)
少女が頷くのを確認して、彼は熊の皮を剥ぎ取り始めた。
こちらをじっと眺めるマンティスの視線にやり辛く思いつつ、彼はなるべく急いで熊の皮を剥ぎ取る。が、結構な時間をかけてしまった。
少年は毛皮を羽織るように被り、マンティスの少女に話しかける。
「俺が欲しかったのはこいつだけだ、肉はくれてやんよ」
「……いい、の?」
マンティスの少女が返事をしたことに、少年が少し驚く。
彼が初めて聞いたマンティスの声は、鈴が鳴るような綺麗な声だった。
何の返事もしない彼に、マンティスの少女は再度問いかける。
「……ホントに、いいの?」
上目遣いでそう訊ねる少女に、彼はハッとなった。
「あ、あぁ。熊肉はあんま好きじゃねぇんだ」
生きることしか考えていないマンティスとしては、獲物を譲るという行為が理解できないのだろう。彼女は、少年の行動が愚かなものだと思った。
無論、彼はそんなことを知る由もない。
「……あぁ、そうだチビ。この辺で人間の集団を見なかったか?」
彼の目的は商品の奪還だが、依頼の名目上盗賊も退治しなければならない。もし熊から逃れた人間がいるなら始末しないといけない彼が少女に確認を取ろうとした。
「……私はチビじゃ、ない。キキ、ハルク」
「……調子狂うなァてめぇ」
少年はフードを外し、老人のような白髪をガリガリと掻き乱す。
その目は、まるで血のように赤かった。
「俺はヤン・フェイリンだ。長ぇからフェイとでも呼びな」
「……分かっ、た」
こくりと頷くキキ。
フェイはやれやれと肩をすくめる。
「魔物ってなぁ全員こんな奴らなのかねぇ……」
やってらんねぇ、そう吐き捨ててフェイは再度問い直す。
「で、キキ。この辺で人間の集団を見なかったか?」
「……見た。熊に襲われて、散り散りに、森に逃げた」
「っげぇ……、生き残りがいんのかよ」
キキの言葉に顔をしかめるフェイ。
どうやら何日かこの森を捜索する必要ができたようだ。
「逃げた人間の人数分かるか?」
「……三人、だった」
「オイオイ、七人以上は熊の餌食かよ、だらしねぇなァ」
少年はそれだけ言ってくるりと踵を返す。
元来たテントに再度バックパックの宝石と風呂敷を投げ込み、どうしたものかと首を鳴らす。
ギルドメンバーとして、依頼を完遂できないのを恥と思うフェイに帰るという選択肢は無かった。
「山狩りは……面倒だな。となると、ここで待ち伏せンのが一番手っ取り早ぇか?」
テントの中に転がる宝石をちらりと見て呟くフェイ。
(賊なんかやってる連中が、あれを捨てるわけねぇしな)
そうと決まればメシの用意か、そう呟いて彼はため息を吐いた。
「結局、こン中入らねぇといけねぇのか」
鬱蒼と茂る森を見やるフェイ。
テントの中にあった食糧の備蓄は、ほとんど熊に荒らされた跡があったらしい。
「川でも探して魚でも獲るか……」
「……この辺りに、川は無い。湖なら、ある」
「うぉわっ!? まだいたのかてめぇ!!」
突如背後から聞こえた静かなキキの言葉に仰天するフェイ。
キキはそんなフェイの様子に小首を傾げる。
「……いたら、悪い?」
「いや、スマン。いると思わなかっただけだ、別に他意はねぇ」
本人にその気は無くても、責めるような言葉に聞こえたフェイが片手をあげて謝罪する。
その様子に、キキは更に首を傾げた。
「……何で、謝る?」
「あー、やっぱ面倒だな、お前」
一つ一つの言動に疑問を抱くキキに、フェイはため息を吐く。
「???」
「まぁいいさ。それよりもその湖ってなァどの辺にあるんだ?」
キャンプにおいて水は一番需要がある。料理にも使える上、体を洗うにしても水が必要だ。
近くに湖があるなら、ある程度水をもらった方がいいと判断した彼はテントからウォータータンクを取り出す。
「……あっち」
「悪ぃな。恩にきるぜ」
そう言ってキキが指差したあっちに行こうとするフェイ。
その後ろを、テクテクとキキがついて来る。
「…………………」
「…………………」
もう突っ込むのも面倒になったのか、フェイはそのまま湖の方向に向いて黙々と歩きつづけることにしたのだった。
-----------------------------------------------------------------------
それから約二時間後、水がなみなみと入ったタンクを担いでキャンプ地に戻ったときには日が傾きかけていた。
フェイはテントの中に置いてあった薪を適当に組んで、キキはそれを黙って見つめていた。
「さて、こんなもんか」
小規模なキャンプファイヤーのように組んだ薪を見て満足そうに呟くフェイ。
そして、中指と親指を合わせ、勢い良く指パッチンした。
ボゥっ
勢い良く燃え上がり出す薪に、キキがびくっと見をすくめた。
「んンだ、魔法見んのは初めてか?」
そんなキキの気配を気取ったフェイが怪訝な声をあげる。
キキは、少し怯えたように木陰に隠れながらこくこくと頷く。
「こんな発火の魔法程度でビビんなよ……」
フェイは呆れたようにそう言って、湖で取った魚を串刺しにして火で炙れるように地面に突き刺す。
そんな彼に、恐る恐るといった体でキキが歩み寄る。
「お前、家に帰んなくていいのか?」
その言葉に、ふるふると首を振るキキ。
「親が心配するんじゃねぇのか?」
またもキキはふるふると首を振る。
「……ふーん?」
興味なさそうにフェイがそう言う。
キキはちょこんとフェイのとなりに座った。
「それはいいが、何で俺についてくるんだ、お前」
「……住処に帰っても、何も無い。けど、ここはフェイがいる」
そう言うキキの言葉には何の感情もこもっていない。
フェイは、黙って彼女の言葉を聞きつづける。
「……一人だと、退屈。でも、フェイは変だから、退屈しない」
「変って何だオイ」
シャキンとフェイの袖からナイフが飛び出る。
キキはそれを一瞥したが、気にせずにぼーっと火を眺め始めた。
その掴み所の無い態度に、フェイはため息を吐いた。
「ったく、何なんだこいつは……」
フェイはマンティスという魔物を一応程度には知っている。だが、森の暗殺者と呼ばれているとはいえ子供の頃からこうも冷めた性格をしているとは思わなかった。
喜怒哀楽の感情を忘れてしまったような瞳を、フェイはまじまじと見つめる。その目には、ゆらゆらと燃え盛る炎しか映っていなかった。
(そういや、俺がガキのときも似たようなモンだったな……)
異国の一般市民だったフェイも、彼女とそう大して変わりはない。強いて彼女との違いを挙げるとすれば、家族や友人がすぐ近くにいたことくらいだ。
(退屈、ね)
フェイも、魚が焼きあがるまで暇だった。
「お前、海って見たことあるか?」
「……うみ?」
キキのオウム返しにフェイが頷く。
「……なに、それ?」
「簡単に言やぁ、尋常じゃなくバカでけぇ河みてぇなもんだ。違いがあるとすりゃ、水ン中に塩分とかが含まれてるくらいだ」
得意気に語り出すフェイに、キキはこくこくと頷く。
「俺は大陸の出身だったからよ、最初に海を見たときは驚いたもんだぜ。自分のちっぽけさってヤツを見せつけられちまった」
「……そんなに、大きいの?」
「多分、お前が想像するよりはでけぇだろうぜ」
歳相応の子どものように目をパチパチするキキに、フェイは満足そうに返答した。
ちょうど、魚から香ばしい匂いが漂ってきていた。
「そろそろできたかね……。じゃ、いただきます」
そう言って合掌するフェイに首を傾げるキキ。
その様子にフェイが盛大に顔をしかめる。
「食いモンに対しての感謝の言葉だよ、食いモンがねぇと俺らは死んじまうだろ?だから感謝の言葉をだな……」
「……感謝」
そう呟くや否や、俺の真似をするように合掌するキキ。
いただきますと言いはしたがどこかアクセントがおかしい。
「……これで、いい?」
「あー……、いいんじゃね? 大事なのは気持ちだよ気持ち」
世の中には神様に祈ってからメシ食うヤツもいるんだしな、そう付け足して彼は魚の刺さった串を手にとる。
同様に、キキが手頃な大きさに切り分けた熊の肉を摘んだ。
そして、再度二人でいただきますと合掌して一口―――食べようとしたときだった。
「おっと、兄ちゃん。手を挙げな」
ゴリッと、後頭部に硬質な何かを押し付けられる感触とドスの効いた声に、フェイは一瞬止まった。
「おやおやこれは盗賊の皆々様ではございませんかァ? 大丈夫ですか、お怪我はありませんかァ?」
が、挑発するかのようにそう言って魚を一口食べる。
同様にキキも黙々と肉にかじりついていた。筋が噛み切れないようで、少し苦戦している。
「おい嬢ちゃん、お前も手ェ挙げろ!」
男がそう言った瞬間に、フェイが後頭部に感じていた硬質な感触が消えた。
「最初ッから最後までおめでてぇバカだなてめぇはァ!!」
「げェ……ッ!?」
フェイは振り向きざまに袖からナイフを取り出して男の喉に突き刺した。
敵の数を見てみると残り二人、どうやらキキの言った通りらしかった。
「野郎!!」
「遅ェんだよ!」
フェイは長銃を構えようとする男の手を蹴り飛ばし、もう一方の袖のナイフを額に突き刺す。
残る一人は、フェイのスピードについていけずに腰に差した剣も構えずにただおろおろしていた。
その様子に、フェイは男に血に濡れたナイフを構えてぴたりと止まった。
「かかって来ねぇの? 仲間の仇取らなくていいのかァ?」
ニヤニヤと嫌味ったらしく笑って挑発するフェイに、男の足ががくがくと震える。
「い、イヤだ……っ、し、死にたく……ない……っ!」
「盗賊やってるくせに何だァ、その命乞いは? てめぇらだってそうやって奪ってきたんだろうが」
そう言って、まるでダーツでもするかのようにナイフを投げつけた。
男が短く悲鳴をあげて頭を抱え込み、ナイフはちょうど男の手前にすとんと刺さった。
いつまで立っても攻撃が来ないことを怪訝に思ったのか、その男は顔を上げた。
「……はァ、何か冷めたわ。もう二度と盗賊行為しねぇんなら見逃してやってもいい」
肩をすくめながらそう言うフェイに、男が唖然とする。が、状況を理解したのか男はすぐに立ち上がった。
「へ、へへっ、す、すまねぇな……」
「いいから行けよ。俺の気が変わんねぇウチに逃げた方がいいぞ?」
呆れたようにため息を吐いて言うフェイに頭を下げて、男は駆け出した。
その様子を傍観していたキキも、ようやく立ち上がった。
「……終わった?」
「俺の仕事は商品の奪還と、盗賊の『撃退』だったからな。むしろやり過ぎたくらいだっての」
ぶすっと頬を膨らませて言うフェイ。コクンと頷くキキ。
その頃には、完全に日が傾いていた。
だから、焚火が煌々と灯っているように見える。
だから、男が向こうから投げつけてきた剣がオレンジ色の光を反射していた。
「ッ!?」
出遅れた、とフェイは思った。
スローモーションのように、ゆっくりとだが真っ直ぐにフェイに向かってくる剣。引き攣った笑みを浮かべる男の姿。焚火がバチッと弾けた。条件反射も間に合わないくらい、剣は間近に迫っていた。
かわせないと、フェイは初めて死を覚悟した。
ズン、と。
刃物が肉に突き刺さる嫌な音。フェイにとっては、慣れ親しんだ嫌な感触だった。
「……ふぇ、フェイ……!?」
そのとき、初めてキキの表情に感情が見えた。驚愕に見開かれた金色の瞳。
「……かフッ!」
喉の奥からせりあがる血流に耐え切れず、フェイがぼたぼたと血を吹きだす。
剣は右胸を貫通。恐らくは肺を貫通した、と冷静に判断する冷めた自分に嫌気が差すフェイ。
そのフェイの視界に、もうさっきの男はいなかった。
医療道具は無い。加えてこの重傷。フェイには打つ手が無かった。
「……フェイ、フェイ!? 胸から、剣、生えてる! 痛くない!? 大丈夫!?」
「うる、せぇ騒ぐな……。傷に響く……ぅ……」
麻痺していた痛覚がじわじわと戻ってくる感覚に、フェイはもう一度血を吐いた。
さっきよりも吐いた血の量が多いことに、キキは更に焦り出した。
「傷、どうやって治す!? 肉、食べたら、治る!?」
「バカ……、そんなんで治るかよ……」
素っ頓狂な言葉に笑いを零し、フェイは膝から崩れ落ちた。
段々と息がしづらくなってくる感覚があっても、何故か笑えた。
「フェイ、死んだら、ヤだ! キキ、一緒に、海見たい!」
「あぁ……、海、海か。そうだな、死ぬ前に、一緒に見てぇな……、ライカの海……」
それだけ呟いて、フェイの視界が段々と暗くなっていく。
もう、キキが何を言っているのかも聞こえなかった。
「ごめんな、キキ……」
そこで、フェイの意識は暗闇に呑まれた。
-----------------------------------------------------------------------
「あ、目が覚めたっぽいねー」
フェイの意識が覚醒したとき、そこにはへらへらと薄っぺらい笑みを浮かべる少年が立っていた。
それは、フェイにとってよく見知った顔だった。
「……エノク? ここ、どこだ?」
「ここはライカの駐屯所だよー。傷が傷だったから僕が処置しましたー」
そう言ってブイッとピースサインをするエノクと呼ばれた少年の言葉が、フェイはわけが分からなかった。
何故、ライカに? 森で倒れたはずじゃ? そんな疑問が湧いてくる。
が、自分の傍らですやすやと穏やかに寝息を立てている少女の姿に納得がいった。
「キキ……」
「うんうんこの子がキミを運んできてくれたんだよー。マンティスでも必死になるときってあるんだねー」
エノクが言うには、キキがフェイを担いでライカまで走ってきたらしい。
確かに人間の脚力なら丸一日はかかるであろう距離も、幼いとはいえ森の暗殺者にとっては大した距離ではない。
「すぅ……くぅ……」
「ずっとフェイリンの看病してたからねー、疲れて眠っちゃったんだろねー」
「やれやれ、ホントに変わったヤツだな」
そう言って肩をすくめるフェイに、エノクがやけに嫌らしく笑っている。
「んっふっふー、ところでフェイリン君? その子はキミの恋人かなー?」
「知るか」
一言でバッサリと斬り捨てるフェイに、エノクはつまんないなーと肩をすくめた。
フェイは知らない。彼女が自分をどう思ってるかなど全く知らない。
まして自分がどう思っているかなど、エノクに話そうものなら散々にからかわれるだろう。
「ま、何にせよあと二日は絶対安静ねー? お腹減ったらそこの呼び鈴鳴らしてちょうだーい」
それだけ一方的に言って、エノクはパタパタとどこかへ行ってしまった。
虚しくも、バタンとドアを閉める音だけが響く。
「…………………ッ」
「すぅ……くぅ……」
静かに寝息をたてるキキに聞こえないように舌打ちして、フェイはベッドに身を預けた。
変わらない旧友の言葉が、フェイの胸に突き刺さる。
『その子はキミの恋人かなー?』
フェイも、思うところがないわけではない。
キキはフェイの命の恩人であり、またたった一日の付き合いとはいえ気安い存在でもあった。
何よりも熊を、人を躊躇無く殺す自分の姿を見ても怖れない彼女がありがたくさえ思ってもいた。
「……分っかんねぇや」
投げやりにそう吐き捨て、フェイは意識を放棄――しようとして、音も無く立ち上がっていたキキに気づいた。
その目は大きく見開かれていて、目元が少し赤く腫れていて痛々しかった。
「よ、助かったぜ」
本当はかなりビックリしたがおくびにもださずにそう言うフェイに、キキの目からぶわっと涙が溢れ出した。
「うおッ、い、いきなり泣くなよ!?」
表情一つ変えないくせに、ぽろぽろと大粒の涙が頬を伝って零れ落ちている。
さすがにその様子にフェイも慌て出した。
「生き、てた……」
「か、勝手に殺すな。俺はこれでも頑丈な方なんだぞ」
呆けたような呟きにすかさず突っ込み、フェイはむくりと上半身だけ起こした。
それだけで、目線がほぼ同じ位置になる。それだけで、またぼろぼろと涙が零れ出した。
「キキ、変だっ、なんか、安心したらっ……、なみだ、止まんなっ……」
「わ、分かった。分かったから泣くなって……」
嗚咽しながら切れ切れに言葉を吐き出すキキを必死で宥めるフェイ。
が、何か思いついたのかフェイは優しく微笑んだ。
「……キキ、ここ触ってみ?」
そう言って、フェイはキキの手を取って自分の胸に押し当てた。
とく……とく……と、まだ少し弱々しいが心臓が動いていた。
「な、生きてる。だから泣きやめ」
「うん……うん……っ」
こくこくと何度も頷くキキに、フェイはクスリと笑みを零した。
フェイにとっては長らく忘れていた、自然と零れるような笑みだった。
「……一応、二日は休めって言われたからさ、その後に海を見に行こうぜ」
「……うんっ」
そう言って頷いたとき、キキが少し笑っているように見えたのはきっとフェイの気のせいだ。
それは、彼が言うには楽な依頼のはずだった。
港町ライカのギルドに張り出された、ありふれた依頼。
場所はライカから北東へ約十キロほどの森林地帯。
最近、その辺りを通る行商人が十数人ほどの山賊に襲われたらしい。その商人からの依頼で商品を奪還してほしいらしい。そしてついでに、山賊も撃退して欲しいらしい。
場所もおおよその位置は特定され、対象の人数もある程度は把握されている。が、実際は彼が言うほど簡単な仕事ではない。
しかし、依頼内容と比べ随分と割高な報酬に彼は惹かれた。
そしてその森林地帯で、彼は山賊たちがキャンプをしたであろう痕跡を発見したのだが……。
「ざまぁみやがれ、バーカ」
それは、酷い有様だった。
引き裂かれたテントの中には、致死量と言っても過言ではない乾いた血のあと。周囲には、慌てて移動したかのような無数の足跡。
どうやら、ここでキャンプをしているところを何者かに襲撃されたらしい。テントの壊れ具合から、それが人間の手によるものではないことが明らかだった。
「何の仕業かは知らねェが、手間ァ省かせてもらったぜ」
そう言って彼はキャンプ地のテントを漁り始めた。
荒れ果てたテントの奥に佇む、商人が彼に依頼した風呂敷。その他にも旅人から強奪したのか宝石までごろごろと転がっている。
「ほぉう? 行きがけの駄賃だ、もらってくぜ」
バックパックに入るだけの宝石を詰め込み、彼はにやにやと嫌らしく笑う。
その時だった。
「ぐぉおおおおおお!!」
「っと、おいでなすったかァ?」
獣の雄叫びに彼が振り向くと、数メートル先で二メートルはあろうかという巨体の熊が咆哮していた。その口元が真っ赤に染まっているのに気付いた少年が、にやりと口元を歪める。
どうやら、あの熊が山賊を襲ったらしい。
彼はバックパックを体から剥ぎ取りテントの中に放り捨てた。
「やれやれ、こんな場所でキャンプするなら熊除けの鈴くらい持ってろってんだ」
そう言うや否や、彼の服の袖から鋭利なナイフが飛び出る。
彼はこちらを向いて歯を剥き出しに唸る熊に突進した。
「ぐがぅ!!?」
「てめぇに恨みはねぇが、どうせだから死んじまいなァ!」
肉薄する少年に熊が大きく腕を振りかぶる。
彼はそんな熊に構うことなく突進し、熊が腕を薙ぎ払うのをかわすように跳んだ。
「ぐる!?」
「その首、もらいうけるぜェ!?」
そのまま彼は熊の巨体を足がかりに跳び越え、熊の背後から首に腕を回す。そして、ナイフの飛び出た袖を熊の首に突き刺した。
「ぐがッ!?」
「おるぁぁぁああああ!!」
彼が乱暴に叫び、ナイフを突き刺したまま捻る。
みちみちと筋肉の裂ける音と、熊が苦しげに暴れる音が森の中に空しく響いた。
「ぐ……が…ぅ…………ッ!?」
「あァ、ダメだダメだ、全ッ然ダメだなァ!」
返り血を浴びながら、彼は熊の首からナイフを抜いた。
そして、今度は勢い良く後頭部にナイフを刺し込む。
「こんなんならライカの駐屯兵の方がまだマシだぜェ熊公!」
そう言って、少年は何度も何度も熊の頭部にナイフを刺し込む。その度に、血飛沫に彼の服と顔が赤く汚れる。
熊の巨体が、ぐらりと傾いだ。
「あン? 何だァ、もうくたばっちまったんですかァ?」
ペッ、と唾を吐いて少年は熊の背中を蹴って跳んだ。
熊の巨体は、そのまま吸い込まれるように地面に倒れこむ。
「ざまぁねぇなァ、賊のバカ共もてめぇもよォ」
ナイフについた血を近くに落ちていた布で拭き取りながら、少年はおかしそうにくっくっと笑う。
「まぁいいさ。おかげで俺が楽できたからなァ」
そう言って、彼はテントの中のバックパックと風呂敷を取り出す。
他にも盗品と思しきものがいくつか転がっているが、少年はそれらを気にも留めずに立ち上がった。
「けけけ、いい儲けモンだったぜ」
どうせだから熊から毛皮を剥ぎ取ってやろう、彼がそう思ってテントから出ると、そこには見知らぬ少女が立っていた。
雪のように白い肌に、大きく切れ長の感情のこもっていない瞳。そして、子どものような体躯とは不釣合いに大きな鎌。
子どもではあるが森の暗殺者、マンティスだった。
「……ンだよ、チビ」
袖に仕込んでいるナイフをいつでも出せるように身構えて、彼はマンティスの少女を睨みつける。
マンティスの少女は、相変わらずの無感情な瞳で彼をみつめたままかわいらしく小首を傾げた。
「……ったく、魔物ってなぁどうも苦手だぜ」
危険が無いことを判断した彼は、仕込みナイフを袖の奥にしまいながらやれやれと肩をすくめた。
彼は、マンティスの少女に歩み寄る。
「そこの熊、俺が仕留めたからもらってくぜ?」
「…………」(こくり)
少女が頷くのを確認して、彼は熊の皮を剥ぎ取り始めた。
こちらをじっと眺めるマンティスの視線にやり辛く思いつつ、彼はなるべく急いで熊の皮を剥ぎ取る。が、結構な時間をかけてしまった。
少年は毛皮を羽織るように被り、マンティスの少女に話しかける。
「俺が欲しかったのはこいつだけだ、肉はくれてやんよ」
「……いい、の?」
マンティスの少女が返事をしたことに、少年が少し驚く。
彼が初めて聞いたマンティスの声は、鈴が鳴るような綺麗な声だった。
何の返事もしない彼に、マンティスの少女は再度問いかける。
「……ホントに、いいの?」
上目遣いでそう訊ねる少女に、彼はハッとなった。
「あ、あぁ。熊肉はあんま好きじゃねぇんだ」
生きることしか考えていないマンティスとしては、獲物を譲るという行為が理解できないのだろう。彼女は、少年の行動が愚かなものだと思った。
無論、彼はそんなことを知る由もない。
「……あぁ、そうだチビ。この辺で人間の集団を見なかったか?」
彼の目的は商品の奪還だが、依頼の名目上盗賊も退治しなければならない。もし熊から逃れた人間がいるなら始末しないといけない彼が少女に確認を取ろうとした。
「……私はチビじゃ、ない。キキ、ハルク」
「……調子狂うなァてめぇ」
少年はフードを外し、老人のような白髪をガリガリと掻き乱す。
その目は、まるで血のように赤かった。
「俺はヤン・フェイリンだ。長ぇからフェイとでも呼びな」
「……分かっ、た」
こくりと頷くキキ。
フェイはやれやれと肩をすくめる。
「魔物ってなぁ全員こんな奴らなのかねぇ……」
やってらんねぇ、そう吐き捨ててフェイは再度問い直す。
「で、キキ。この辺で人間の集団を見なかったか?」
「……見た。熊に襲われて、散り散りに、森に逃げた」
「っげぇ……、生き残りがいんのかよ」
キキの言葉に顔をしかめるフェイ。
どうやら何日かこの森を捜索する必要ができたようだ。
「逃げた人間の人数分かるか?」
「……三人、だった」
「オイオイ、七人以上は熊の餌食かよ、だらしねぇなァ」
少年はそれだけ言ってくるりと踵を返す。
元来たテントに再度バックパックの宝石と風呂敷を投げ込み、どうしたものかと首を鳴らす。
ギルドメンバーとして、依頼を完遂できないのを恥と思うフェイに帰るという選択肢は無かった。
「山狩りは……面倒だな。となると、ここで待ち伏せンのが一番手っ取り早ぇか?」
テントの中に転がる宝石をちらりと見て呟くフェイ。
(賊なんかやってる連中が、あれを捨てるわけねぇしな)
そうと決まればメシの用意か、そう呟いて彼はため息を吐いた。
「結局、こン中入らねぇといけねぇのか」
鬱蒼と茂る森を見やるフェイ。
テントの中にあった食糧の備蓄は、ほとんど熊に荒らされた跡があったらしい。
「川でも探して魚でも獲るか……」
「……この辺りに、川は無い。湖なら、ある」
「うぉわっ!? まだいたのかてめぇ!!」
突如背後から聞こえた静かなキキの言葉に仰天するフェイ。
キキはそんなフェイの様子に小首を傾げる。
「……いたら、悪い?」
「いや、スマン。いると思わなかっただけだ、別に他意はねぇ」
本人にその気は無くても、責めるような言葉に聞こえたフェイが片手をあげて謝罪する。
その様子に、キキは更に首を傾げた。
「……何で、謝る?」
「あー、やっぱ面倒だな、お前」
一つ一つの言動に疑問を抱くキキに、フェイはため息を吐く。
「???」
「まぁいいさ。それよりもその湖ってなァどの辺にあるんだ?」
キャンプにおいて水は一番需要がある。料理にも使える上、体を洗うにしても水が必要だ。
近くに湖があるなら、ある程度水をもらった方がいいと判断した彼はテントからウォータータンクを取り出す。
「……あっち」
「悪ぃな。恩にきるぜ」
そう言ってキキが指差したあっちに行こうとするフェイ。
その後ろを、テクテクとキキがついて来る。
「…………………」
「…………………」
もう突っ込むのも面倒になったのか、フェイはそのまま湖の方向に向いて黙々と歩きつづけることにしたのだった。
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それから約二時間後、水がなみなみと入ったタンクを担いでキャンプ地に戻ったときには日が傾きかけていた。
フェイはテントの中に置いてあった薪を適当に組んで、キキはそれを黙って見つめていた。
「さて、こんなもんか」
小規模なキャンプファイヤーのように組んだ薪を見て満足そうに呟くフェイ。
そして、中指と親指を合わせ、勢い良く指パッチンした。
ボゥっ
勢い良く燃え上がり出す薪に、キキがびくっと見をすくめた。
「んンだ、魔法見んのは初めてか?」
そんなキキの気配を気取ったフェイが怪訝な声をあげる。
キキは、少し怯えたように木陰に隠れながらこくこくと頷く。
「こんな発火の魔法程度でビビんなよ……」
フェイは呆れたようにそう言って、湖で取った魚を串刺しにして火で炙れるように地面に突き刺す。
そんな彼に、恐る恐るといった体でキキが歩み寄る。
「お前、家に帰んなくていいのか?」
その言葉に、ふるふると首を振るキキ。
「親が心配するんじゃねぇのか?」
またもキキはふるふると首を振る。
「……ふーん?」
興味なさそうにフェイがそう言う。
キキはちょこんとフェイのとなりに座った。
「それはいいが、何で俺についてくるんだ、お前」
「……住処に帰っても、何も無い。けど、ここはフェイがいる」
そう言うキキの言葉には何の感情もこもっていない。
フェイは、黙って彼女の言葉を聞きつづける。
「……一人だと、退屈。でも、フェイは変だから、退屈しない」
「変って何だオイ」
シャキンとフェイの袖からナイフが飛び出る。
キキはそれを一瞥したが、気にせずにぼーっと火を眺め始めた。
その掴み所の無い態度に、フェイはため息を吐いた。
「ったく、何なんだこいつは……」
フェイはマンティスという魔物を一応程度には知っている。だが、森の暗殺者と呼ばれているとはいえ子供の頃からこうも冷めた性格をしているとは思わなかった。
喜怒哀楽の感情を忘れてしまったような瞳を、フェイはまじまじと見つめる。その目には、ゆらゆらと燃え盛る炎しか映っていなかった。
(そういや、俺がガキのときも似たようなモンだったな……)
異国の一般市民だったフェイも、彼女とそう大して変わりはない。強いて彼女との違いを挙げるとすれば、家族や友人がすぐ近くにいたことくらいだ。
(退屈、ね)
フェイも、魚が焼きあがるまで暇だった。
「お前、海って見たことあるか?」
「……うみ?」
キキのオウム返しにフェイが頷く。
「……なに、それ?」
「簡単に言やぁ、尋常じゃなくバカでけぇ河みてぇなもんだ。違いがあるとすりゃ、水ン中に塩分とかが含まれてるくらいだ」
得意気に語り出すフェイに、キキはこくこくと頷く。
「俺は大陸の出身だったからよ、最初に海を見たときは驚いたもんだぜ。自分のちっぽけさってヤツを見せつけられちまった」
「……そんなに、大きいの?」
「多分、お前が想像するよりはでけぇだろうぜ」
歳相応の子どものように目をパチパチするキキに、フェイは満足そうに返答した。
ちょうど、魚から香ばしい匂いが漂ってきていた。
「そろそろできたかね……。じゃ、いただきます」
そう言って合掌するフェイに首を傾げるキキ。
その様子にフェイが盛大に顔をしかめる。
「食いモンに対しての感謝の言葉だよ、食いモンがねぇと俺らは死んじまうだろ?だから感謝の言葉をだな……」
「……感謝」
そう呟くや否や、俺の真似をするように合掌するキキ。
いただきますと言いはしたがどこかアクセントがおかしい。
「……これで、いい?」
「あー……、いいんじゃね? 大事なのは気持ちだよ気持ち」
世の中には神様に祈ってからメシ食うヤツもいるんだしな、そう付け足して彼は魚の刺さった串を手にとる。
同様に、キキが手頃な大きさに切り分けた熊の肉を摘んだ。
そして、再度二人でいただきますと合掌して一口―――食べようとしたときだった。
「おっと、兄ちゃん。手を挙げな」
ゴリッと、後頭部に硬質な何かを押し付けられる感触とドスの効いた声に、フェイは一瞬止まった。
「おやおやこれは盗賊の皆々様ではございませんかァ? 大丈夫ですか、お怪我はありませんかァ?」
が、挑発するかのようにそう言って魚を一口食べる。
同様にキキも黙々と肉にかじりついていた。筋が噛み切れないようで、少し苦戦している。
「おい嬢ちゃん、お前も手ェ挙げろ!」
男がそう言った瞬間に、フェイが後頭部に感じていた硬質な感触が消えた。
「最初ッから最後までおめでてぇバカだなてめぇはァ!!」
「げェ……ッ!?」
フェイは振り向きざまに袖からナイフを取り出して男の喉に突き刺した。
敵の数を見てみると残り二人、どうやらキキの言った通りらしかった。
「野郎!!」
「遅ェんだよ!」
フェイは長銃を構えようとする男の手を蹴り飛ばし、もう一方の袖のナイフを額に突き刺す。
残る一人は、フェイのスピードについていけずに腰に差した剣も構えずにただおろおろしていた。
その様子に、フェイは男に血に濡れたナイフを構えてぴたりと止まった。
「かかって来ねぇの? 仲間の仇取らなくていいのかァ?」
ニヤニヤと嫌味ったらしく笑って挑発するフェイに、男の足ががくがくと震える。
「い、イヤだ……っ、し、死にたく……ない……っ!」
「盗賊やってるくせに何だァ、その命乞いは? てめぇらだってそうやって奪ってきたんだろうが」
そう言って、まるでダーツでもするかのようにナイフを投げつけた。
男が短く悲鳴をあげて頭を抱え込み、ナイフはちょうど男の手前にすとんと刺さった。
いつまで立っても攻撃が来ないことを怪訝に思ったのか、その男は顔を上げた。
「……はァ、何か冷めたわ。もう二度と盗賊行為しねぇんなら見逃してやってもいい」
肩をすくめながらそう言うフェイに、男が唖然とする。が、状況を理解したのか男はすぐに立ち上がった。
「へ、へへっ、す、すまねぇな……」
「いいから行けよ。俺の気が変わんねぇウチに逃げた方がいいぞ?」
呆れたようにため息を吐いて言うフェイに頭を下げて、男は駆け出した。
その様子を傍観していたキキも、ようやく立ち上がった。
「……終わった?」
「俺の仕事は商品の奪還と、盗賊の『撃退』だったからな。むしろやり過ぎたくらいだっての」
ぶすっと頬を膨らませて言うフェイ。コクンと頷くキキ。
その頃には、完全に日が傾いていた。
だから、焚火が煌々と灯っているように見える。
だから、男が向こうから投げつけてきた剣がオレンジ色の光を反射していた。
「ッ!?」
出遅れた、とフェイは思った。
スローモーションのように、ゆっくりとだが真っ直ぐにフェイに向かってくる剣。引き攣った笑みを浮かべる男の姿。焚火がバチッと弾けた。条件反射も間に合わないくらい、剣は間近に迫っていた。
かわせないと、フェイは初めて死を覚悟した。
ズン、と。
刃物が肉に突き刺さる嫌な音。フェイにとっては、慣れ親しんだ嫌な感触だった。
「……ふぇ、フェイ……!?」
そのとき、初めてキキの表情に感情が見えた。驚愕に見開かれた金色の瞳。
「……かフッ!」
喉の奥からせりあがる血流に耐え切れず、フェイがぼたぼたと血を吹きだす。
剣は右胸を貫通。恐らくは肺を貫通した、と冷静に判断する冷めた自分に嫌気が差すフェイ。
そのフェイの視界に、もうさっきの男はいなかった。
医療道具は無い。加えてこの重傷。フェイには打つ手が無かった。
「……フェイ、フェイ!? 胸から、剣、生えてる! 痛くない!? 大丈夫!?」
「うる、せぇ騒ぐな……。傷に響く……ぅ……」
麻痺していた痛覚がじわじわと戻ってくる感覚に、フェイはもう一度血を吐いた。
さっきよりも吐いた血の量が多いことに、キキは更に焦り出した。
「傷、どうやって治す!? 肉、食べたら、治る!?」
「バカ……、そんなんで治るかよ……」
素っ頓狂な言葉に笑いを零し、フェイは膝から崩れ落ちた。
段々と息がしづらくなってくる感覚があっても、何故か笑えた。
「フェイ、死んだら、ヤだ! キキ、一緒に、海見たい!」
「あぁ……、海、海か。そうだな、死ぬ前に、一緒に見てぇな……、ライカの海……」
それだけ呟いて、フェイの視界が段々と暗くなっていく。
もう、キキが何を言っているのかも聞こえなかった。
「ごめんな、キキ……」
そこで、フェイの意識は暗闇に呑まれた。
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「あ、目が覚めたっぽいねー」
フェイの意識が覚醒したとき、そこにはへらへらと薄っぺらい笑みを浮かべる少年が立っていた。
それは、フェイにとってよく見知った顔だった。
「……エノク? ここ、どこだ?」
「ここはライカの駐屯所だよー。傷が傷だったから僕が処置しましたー」
そう言ってブイッとピースサインをするエノクと呼ばれた少年の言葉が、フェイはわけが分からなかった。
何故、ライカに? 森で倒れたはずじゃ? そんな疑問が湧いてくる。
が、自分の傍らですやすやと穏やかに寝息を立てている少女の姿に納得がいった。
「キキ……」
「うんうんこの子がキミを運んできてくれたんだよー。マンティスでも必死になるときってあるんだねー」
エノクが言うには、キキがフェイを担いでライカまで走ってきたらしい。
確かに人間の脚力なら丸一日はかかるであろう距離も、幼いとはいえ森の暗殺者にとっては大した距離ではない。
「すぅ……くぅ……」
「ずっとフェイリンの看病してたからねー、疲れて眠っちゃったんだろねー」
「やれやれ、ホントに変わったヤツだな」
そう言って肩をすくめるフェイに、エノクがやけに嫌らしく笑っている。
「んっふっふー、ところでフェイリン君? その子はキミの恋人かなー?」
「知るか」
一言でバッサリと斬り捨てるフェイに、エノクはつまんないなーと肩をすくめた。
フェイは知らない。彼女が自分をどう思ってるかなど全く知らない。
まして自分がどう思っているかなど、エノクに話そうものなら散々にからかわれるだろう。
「ま、何にせよあと二日は絶対安静ねー? お腹減ったらそこの呼び鈴鳴らしてちょうだーい」
それだけ一方的に言って、エノクはパタパタとどこかへ行ってしまった。
虚しくも、バタンとドアを閉める音だけが響く。
「…………………ッ」
「すぅ……くぅ……」
静かに寝息をたてるキキに聞こえないように舌打ちして、フェイはベッドに身を預けた。
変わらない旧友の言葉が、フェイの胸に突き刺さる。
『その子はキミの恋人かなー?』
フェイも、思うところがないわけではない。
キキはフェイの命の恩人であり、またたった一日の付き合いとはいえ気安い存在でもあった。
何よりも熊を、人を躊躇無く殺す自分の姿を見ても怖れない彼女がありがたくさえ思ってもいた。
「……分っかんねぇや」
投げやりにそう吐き捨て、フェイは意識を放棄――しようとして、音も無く立ち上がっていたキキに気づいた。
その目は大きく見開かれていて、目元が少し赤く腫れていて痛々しかった。
「よ、助かったぜ」
本当はかなりビックリしたがおくびにもださずにそう言うフェイに、キキの目からぶわっと涙が溢れ出した。
「うおッ、い、いきなり泣くなよ!?」
表情一つ変えないくせに、ぽろぽろと大粒の涙が頬を伝って零れ落ちている。
さすがにその様子にフェイも慌て出した。
「生き、てた……」
「か、勝手に殺すな。俺はこれでも頑丈な方なんだぞ」
呆けたような呟きにすかさず突っ込み、フェイはむくりと上半身だけ起こした。
それだけで、目線がほぼ同じ位置になる。それだけで、またぼろぼろと涙が零れ出した。
「キキ、変だっ、なんか、安心したらっ……、なみだ、止まんなっ……」
「わ、分かった。分かったから泣くなって……」
嗚咽しながら切れ切れに言葉を吐き出すキキを必死で宥めるフェイ。
が、何か思いついたのかフェイは優しく微笑んだ。
「……キキ、ここ触ってみ?」
そう言って、フェイはキキの手を取って自分の胸に押し当てた。
とく……とく……と、まだ少し弱々しいが心臓が動いていた。
「な、生きてる。だから泣きやめ」
「うん……うん……っ」
こくこくと何度も頷くキキに、フェイはクスリと笑みを零した。
フェイにとっては長らく忘れていた、自然と零れるような笑みだった。
「……一応、二日は休めって言われたからさ、その後に海を見に行こうぜ」
「……うんっ」
そう言って頷いたとき、キキが少し笑っているように見えたのはきっとフェイの気のせいだ。
13/05/29 13:14更新 / みかん右大臣