忌み子の悪夢
どしゃ降りの雨の中、一人の少年が嗤っていた。
けらけらと、けらけらと嗤う彼の手は紅葉よりも赫く染まっていた。
「きひ、きひひ、ひひひひっ!」
虚ろな瞳から滴が垂れる。それが涙なのか、雨なのかは定かではない。
そのまま、少年はふらふらと歩み出す。ぐちゅぐちゅと、湿った足音を響かせて。
「……ボクは知らない、何も知らないんだよ、きひひ!」
ぶつぶつと何度も知らないと繰り返す少年。
そんな彼を血と雨と泥に濡れた眼球が見つめる。彼は、それに目もくれず踏みつけた。
素足から直に伝わったナマモノの感触に、少年がかくんと首を垂れる。
「これは誰の目? 知らない、知らないな?」
ケタケタ、ケタケタ、壊れた人形のように少年は笑う。
そして、少年は再び幽鬼の如く歩み出した。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「山間の村が全滅しただァ?」
同日、とある山間の森の中で、ウシオニのツバキが怪訝な声をあげた。
この近隣には確かに村がある。小規模だが、妖怪……もとい魔物を敵視している危険な村だった。
それがこんなにも唐突に消えたというのは、ツバキには信じがたかった。
「えぇ、あっし自身も見てきましたからまず間違いない情報ですぜぃ、姐御」
そう言って刑部狸のコムラがクックッと笑う。
ツバキはその様子に不機嫌そうに眉根をしかめた。
「……どうなってやがったんだ」
「それはもう悲惨の一言でございましょう、あっしも色々な国を旅してきやしたが第六天魔王もああまではすまいと言い切れるほど酷い有様でやんしたよ。さすがは死国でございますなぁ」
そう言ってまたもクックッとおかしそうに笑うコムラ。
が、彼女は急に目を細めて哀れむような口調で続けた。
「しかしアレはあっしも自業自得としか言い様がございませんなぁ……、自分で蒔いた種に食われてこれほどまで気分の悪い話はそうありやせんよ」
「あァ? 何の話だ?」
「いえいえ、こちらの話でございますれば♪」
その表情も数秒のこと、問いかけるツバキにコムラは胡散臭く微笑んで返事をする。
「簡単に仰れば、あの村の住人はみぃんな潰れておりました♪」
「つぶ……れて?」
「はいな、ぐっちゃぐちゃの血塗れでござんした。ありゃ西洋の吸血鬼も仰天しましょうよ。……おっと失礼、少々吐き気が……」
軽い調子で言いながらも青い顔で口元を押さえるコムラ。
ツバキは少し呆れながら背中をさすってやった。
「ったく、ひでぇ話もあったもんだなァ。いったい誰の仕業なんだ? このオレが取っちめてやんよ!」
「ダメです」
コムラがガバッと顔を上げて言った。
あまりに唐突で、突っ放すようなコムラの口調にツバキがやや慄く。
「あの村は、潰れて当然でやんした。故に、姐御が手を出すのは認めやせん」
そう言うコムラの瞳はどことなく必死だ。
らしくない彼女の様子に少し違和感を覚えながら、ツバキはムッと押し黙った。
「あ……、すいやせん。柄にもなく少し熱くなっちまいやしたね」
「いや、いきなりしゃしゃり出てこっちも悪かったよ。だが手前がそうまで言うのは珍しいな」
行商の身であるコムラは当然のように世界中を歩き回っている。
平和な国を訪れた事もあったし、凄惨ここに極まれりとさえ言える国も巡った。それだけの旅をこなしていればイヤでも修羅場に巻き込まれる事もある。
その全てをひっくるめて行商をしているコムラから、ここまで一つの村を非難するのがツバキには意外だった。
「あっしも大妖怪の端くれとはいえ好き嫌いはありやす。それだけ酷い村だったんですよ、あそこは」
「酷い……なァ。ま、オレには分かんねェや」
『怪物』ではなく『神の化身』として村に祀られてきたツバキにはよく分からない。
だが、コムラがここまで言うとなればよっぽどなのだろうと漠然と思った。
「まぁ……、あっしは明日にでもこの国を発つつもりですので、姐御もさっきの話を胸に留めておいてください」
それでは、とだけ言ってコムラは大きな籠を背負いなおす。
そんな彼女に、ツバキはせめてもの疑問を口にした。
「その村、いったい何が潰したんだ? それだけでも教えてくれねェか?」
「そうですね……、ざんばら頭の白い餓鬼でした♪」
そう言ってやっぱり胡散臭く微笑んで、コムラは森の中に消えていった。
相変わらず読めないヤツだ、とツバキが呟いた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
その翌日、少年は歩いていた。
乱雑に切られた白い髪を揺らして、ぺたぺたぺたぺたと覚束ない足取りで歩きつづけている。
「……なんで?」
周囲には誰もいない。
ただただ荒れ果てた山道が続くばかりで、人の気配すらしない。
それでも、少年は疑問を口にした。
「なんで、ボクは、死なないの?」
虚ろに開かれた紅い瞳から滴が垂れる。
透き通った、人の涙だった。
「生きてて、こんなに、辛いのに……、何で、神様は、ボクを、死なせて、くれないの?」
切れ切れに紡ぎ出される少年の言葉は少し震えていた。
ぽたりと、涙が一つ落ちた。
「きひっ」
何がおかしいのか、少年は歯を剥き出しにして嗤った。
「神様はボクが嫌いなんでしょ? いいさ、それもいいさ、ボクは神様なんか知らないからね、きっひひひ!」
早口で一方的にまくしたて、少年は照りつける太陽を見上げた。
そして、もう一つ大粒の涙を落として喚いた。
「ボクもお前が大ッ嫌いだ、死んじまえ!」
少年の声が高らかに響いた。その声は、どこか悲鳴のようであった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ツバキお姉ちゃんっ!」
どん、とツバキの背中に少女が抱きつく。
ツバキにとってはいつものことなので、さすがにこうも何度も不意を突かれては驚きも薄れる。
「おいおいアヤ、いい加減オレの後ろから抱きつくのは止めてくれよ」
「だってツバキお姉ちゃんは胸が大きくて前から抱きつきづらいんだもん!」
前からも勘弁してくれよ、とツバキがため息混じりに苦笑した。
そんな彼女に構わず、アヤと呼ばれた人間の少女がツバキの背中にぐりぐりと頭を押し付ける。
「大体、手前はオレが怖くねェのかよ? あんま調子乗ってると食っちまうぞォ?」
幼い子どもを脅かすような口調に、アヤはけらけらと笑う。
「ツバキお姉ちゃんがそんなことするはず無いじゃん!」
「む……、嬉しいことを言ってくれんじゃねェか」
アヤの言葉に緩む頬を押さえきれず、ツバキは少し頬を赤く染めた。
『怪物』と一般的に呼ばれているウシオニが、こんな年端もいかぬ少女に好かれている。それはウシオニであるツバキにとってありがたいことであった。
禍々しく捻れた角に、毒々しい薄緑色の肌。極めつけはごわごわと獣とも蜘蛛ともつかぬ『怪物』と呼ぶに相応しい外観を持つツバキ。それが何の因果か、この村はそんな彼女を神の化身と慕ってくれるのであった。
「えへへー、ツバキお姉ちゃんいい匂いがする〜」
「あァ、湯浴みしたばっかだからな。いつか手前も一緒に行くか?」
「行くー!」
無邪気に頷くアヤの頭を、ツバキはわしゃわしゃと大きな手で優しく撫でた。
照れたようにはにかみながら、アヤは黙って撫でられる。
「ん? そういや、わざわざ祠まで何しにきたんだ、手前?」
「あ、そうだ。ツバキお姉ちゃんに渡すものがあったの」
そう言ってごそごそと懐を探るアヤ。
が、喜々とした表情が急に曇り始める。
「あ、あれ? もしかして落っことしちゃった?」
「ったく、しょうがねーなァ……、オレも一緒に探してやるよ」
どっこいしょ、とツバキはジジ臭く腰をあげる。アヤはその背中にしがみついたまま、しゅんとうな垂れた。
「ごめんねぇ、ツバキお姉ちゃん……」
「いいってことよ、だからそんな顔すんじゃねェって」
そう言って再びアヤの頭を撫でるツバキ。
アヤはますます申し訳なさそうに頭を垂れた。
「だァらそんな顔すんなって。いったい何を持ってこようとしたんだよ」
「……お神酒」
「ほォ、そいつは見つけたときが楽しみだ」
だから一緒に探すぞ、そう言ってツバキは微笑むのであった。
その言葉に、少し躊躇いながらもアヤは元気よく頷いた。
どすどすと地面を刺すように歩き、ツバキが祠から出ると燦々と日が照っていた。
「こいつはまた……ひきこもりには眩しいな」
手をかざして日光を遮るツバキに、アヤはかわいらしく小首を傾げた。
そんなに眩しいだろうか、そう言いたいのだろう。
「で、どこ通って来たんだ? あっちか?」
「うぅん、こっちだよ」
よじよじとツバキの背中を這い上がり、アヤは東のなだらかな坂道を指差す。
よっしゃ、とガッツを取ってツバキは少し早めに歩き出した。
「わっ、きゃっ、ひゃっ」
急に勢いよく歩き出した(というか小走りに近い)ツバキの上で跳ねそうになりながら、アヤは必死の思いでツバキの背中にしがみつく。坂道だからか、やたらと揺れる。
「おぉっ、お姉っ、ちゃん!? ちょと、早すっ、ぎないっ!?」
「あァ? 手前の足に合わせてりゃ日が暮れちまうぜェ?」
そう言いながらもドスドスドスドスと歩きつづけるツバキ。
これ以上喋ったら舌を噛むと判断したのか、アヤは黙ってさっきより強くツバキの背中に抱きついた。
残念ながら、アヤに『当ててんのよ』ができるほど胸は無かった。
そして、ふつうなら徒歩で二時間はかかる村への道を二十分で降りたのであった。
道中にお神酒と思しきものは見当たらなかったらしく、結局村まで降りてきたのだった。
そんなツバキを真っ先に発見したのは、アヤの父親であった。
「おぉ、ツバキ様……とアヤ? なんでそんなに歯を食い縛ってるんだい?」
「し、舌を噛んで、死なないためぇ……!」
息も絶え絶えにツバキの背中からずり落ちるアヤ。
その様子に呵呵と笑うツバキに対して、アヤの父親は苦笑を漏らした。
「大袈裟だなァ!」
「大袈裟だな……」
「何言ってるのよお父さん! ホントに死ぬかと思っちゃったんだから!!」
ムガーッ、と叫ぶアヤの足はがくがくと笑っている。どうやら本当に怖かったらしい。
悪かったよ、と笑いすぎて涙の滲む眼を擦りながら、ツバキはアヤの首を引っ掴んで再び自分の背中に乗せる。
「いつもアヤがお世話になっておりますなぁ……」
「いやいや、こちらこそな」
深々と頭を下げるアヤ父に、とんでもないと首を振るツバキ。
毎度恒例の大人のやりとりにアヤはぷーっと頬を膨らませる。
「ちょっとツバキお姉ちゃん!? お神酒探しに来たんでしょ!?」
「おォ、そうだったな。悪ィな坊主、世話話は今度にしようぜ」
この歳で坊主ですか、と苦笑するアヤ父。
そのまま笑いながら、彼は懐から濁酒の瓶を取り出した。
「お神酒とは、これのことでしょう?」
「あ―――――っ! 何でお父さんが持ってるの!?」
「お前が持っていくのを忘れたからだ。そろそろ来る頃だと思って待ってて正解だったよ」
その言葉に真っ赤になるアヤを、ツバキは指を差して子どものように笑った。
アヤ父もさすがに爆笑した。
「お父さんまで酷くない!?」
「はっはっはっはっは!」
「く……、ヤっちゃえお姉ちゃん!」
「いや、妻帯者にそれはマズいだろ……」
極めて常識的な言葉を返すウシオニのツバキに、アヤは何で、と小首を傾げる。
恐らくは、犯れと殺れのどちらを言ったのか気付いていないのだろう。
「はい、ウチで作ったお神酒です、どうぞお納めください」
「くっくっく、アヤん家の酒は上玉だからなァ……、ちと楽しみだぜ、じゅるり」
ツバキの口の端から零れそうになった涎を拭った、そのときだった。
村の奥から何やら物々しい破砕音が大きく鳴り響き、アヤがびくっと身を竦める。
「何だァ? 今日はだんじり祭りでもやんのかァ?」
「いえ……、何でしょう? 初めて聞きますね……」
のんびりとした会話をする二人と違い、少し恐怖心を覚えるアヤは不安げに呟いた。
「も、もしかして……他国の侵略とか……?」
「ハッ、だとしたら洒落にならんな。アヤ、手前はここで待ってろ。オレが見てくる」
ひょいとアヤを摘み上げて地面に降ろし、ツバキは音のした方向に馬車も真っ青な猛スピードで駆け出した。
その様子にアヤと父はぽかんと呆ける。
「……ウシオニだから、牛車か……?」
「むしろ山車なんじゃないかな……?」
一方、彼らから既に一里は離れたツバキの脳裏にはコムラの話が蘇っていた。
――あの村の住人はみぃんな潰れておりました♪
もしも、その元凶である白餓鬼が来たのならば、ツバキは放置するわけにはいかない。
仮にも彼女は、この村の神の化身だ。祀られるだけなら人にもできる。
「ぜってェ守るんだ!」
そう言って、ツバキは地面を思い切り蹴った。
べごっ、とツバキの巨躯によって大地がへこみ、その反動でウシオニは跳んだ。
音のした方向には、濛々と土煙が上がっていた。
「あそこか……!」
そう言って、ツバキはそのまま土煙の方向へ落ちていった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「……ここは、どこ?」
持て余し気味に腕をぷらぷらと振りながら、白い少年は呟いた。
閉じていた門をぶっ飛ばしたせいか、拳が少し腫れている。
「いや、どこでもいいさ、どうせボクの知らない所だしね……」
先ほどとは違いやや正気を保ったことをぶつぶつと呟いて、少年は覚束ない足取りで歩き始めた。
少年の瞳は、虚ろというよりも絶望に染まっていた。
自分の故郷を潰して、ふらふらと至ったこの村をどうすべきか、少し困っていた。
「この村に、用は、ない……」
――全ての人が悪いわけじゃないんです。きっと貴方に優しくしてくれる人もいらっしゃいますよ。
それは一月ほど前に彼の村に訪れた行商の言葉だった。
その無垢な言葉を、少年は盲信していた。そうでもないと、故郷を潰した彼には耐えられない。
「悪いのは、あそこだけだ……」
自分に言い聞かせるように、そう呟く少年。
罪悪感からか、ずきりと少年の頭が軋む。
「違う、ボクは知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない、何も知らないッ!」
ぶんぶんと白い髪を振り乱し、自分の記憶を否定する少年。
脳裏に焼きついた真っ赤なあの光景を、何も知らないと必死に訴える。
その赤い瞳からは透き通った涙が滲んでいた。
「あ、あぁぁあ、ああああぁああ!!」
見開かれた瞳孔は血のように紅い。零れる涙は透明水彩。
白い餓鬼は泣いていた。
「コムラの野郎、吹かしやがったな?」
ずしずしと重たい音とともに、何やらハスキーな声が少年の耳に届いた。
声のした方向を向いて、言葉を失った。
鬼だった。少年とは比べ物にならないほどの、禍々しい鬼だった。
「手前が山間の村を潰した餓鬼か? ったく、童にでも追われたのか?」
涙に濡れた少年の頬をごわごわの手で撫で、鬼はからからと小気味よく笑った。
その手は、とても温かかった。
「事情は知らねェが……、少し付き合えよ。酒は大勢で飲んだほうが美味い」
だから泣くな。
それだけ言って鬼は神様のように微笑んだ。
「ッ!」
バシッ、と少年はツバキの手を払いのけた。
その様子を、表情一つ変えずにツバキは見ていた。
「お前は神様か!? 神様なんだろ!?」
どうだと言わんばかりにツバキを指差し、少年は声を荒げた。
唐突な豹変ぶりと突拍子も無い言葉に、ツバキは首を傾げた。
「はァ?」
「ボクの目は誤魔化せないぞ! お前は神様だ!」
紅く濁った瞳を見開き、半狂乱でお前は神様だと叫ぶ少年。さすがのツバキもわけがわからない。
が、ツバキはぽりぽりと頬を掻いて答える。
「まァ……神の化身とか呼ばれてるには呼ばれてるが……」
「ボクは、お前が大ッ嫌いだ!!」
そう言って少年が怒り任せに拳を地面に振り下ろす。
どぐしゃっ、と。
豆腐のように地面がひしゃげた。
「……手前、人間か?」
さすがのツバキも驚嘆を隠せない。これは確かに、コムラがあえて餓鬼といった理由も分かる。
ウシオニのツバキすら凌駕するこの膂力は、一種の鬼といっても過言ではない。
「……ッ、お前まで、ボクを疑うのか……ッ!!」
その問いが逆鱗だったのか、少年の歯がぎしりと軋んだ。
「お前はッ、ぶっ殺すッ!!」
紅い瞳を狂ったように光らせて突進する少年。少年が大地を蹴るたびに、その部分がべこべこと凹んでいく。
正気を失った少年にツバキはやれやれと肩をすくめた。その隙だらけな腹を、少年の拳が捉える。
「もらったぁぁぁぁあああッ!!」
ミチミチと筋肉が裂ける音と、少年の雄叫びが重なる。そのままミチミチギチギチと拳がツバキの腹にめり込み少年の拳は、ツバキの体を貫通した。ぞるりと、ツバキの背中から少年の手が生える。
その手は、彼女の血で真っ赤に染まっていた。
「きひ、きひひひっ! ざまぁみろ、神様!」
「……がふっ」
ツバキの口から多量の血が噴きだし、少年の白い髪を赤く染める。
そして、ツバキの口の端が薄く歪んだ。
「ハッ、手前の負けだよ、クソガキ」
「負け惜しみを……ッ!?」
少年の視線がツバキの腹に移る。ぞるぞると、肉が再生しているのだ。その肉が少年の腕に絡みついて、少年は事実上ツバキに捕まってしまったのだ。
その少年の肩を、がしりとツバキの大きな手が掴む。
「言ったろ? 手前の負けだ」
慌てて手を引き抜こうとする少年に、ツバキは頭を大きく振りかぶった。当然、頭突きだった。
骨と骨がぶつかり合うような音が周囲に響き、少年の紅い瞳がぐるんと回った。
少年は、気を失ってしまった。
「……しかし、このオチは想定外だな」
ウシオニの血をまともに浴びて尚、全くの変化を示さない少年にツバキは首を傾げる。
どうやら、彼はもともとインキュバスだったらしい。それも、かなり精を溜めこんでいる。
あの膂力はそれが原因なのか、それとも少年が本当に鬼であるのかツバキには分からなかった。
「コムラがいりゃ分かるんだがなァ……」
そうぼやいてツバキは少年を担いで祠に向かって歩き始めた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ぁ、」
少年が目を覚ましたとき、少し強めの衝撃ととんでもない刺激があった。
――主に股間に。
「あ!?」
状況が分からずにさすがの少年も目を丸くする。
寝そべっている少年の上には、さっき腹を貫いたウシオニが嗜虐的な笑みを浮かべて彼を見下ろしていた。
そして、少年のいきり立った男根が彼女の膣に挿入っているのだ。
ギチギチとペニスが締め付けられる快楽に、少年はわけがわからなかった。
「お、目ェ醒めたか?」
何気なくそう言いながらも腰を振りつづけるツバキ。その豊満な乳が腰を振るたびにたふたふんと揺れている。
ズンズンとツバキの腰が沈むたびに、ズチュズチュと淫靡な水音と少年の呻き声が響いた。
「アッ、ぐ、ぅ……がッ!?」
初めての経験に思考がついていかず、同時に考えようとするも思考がまとまらずに蕩けていく。
痛みは無いが、リズミカルにペニスに食い込むような刺激に早くも限界が近くなってきているようだ。
「な、にッ、を……!?」
食い縛る歯から漏れるような情けない声に少年の頬が羞恥に染まる。その間も、ギチギチと異常な圧力をかけるツバキの濡れた膣に何度も絶頂を迎えそうになる。
そんな彼の質問に答えず、ツバキはにんまりと嫌らしく笑った。
「手前が後生大事に溜め込んでたもん、折角だからオレがもらってやるのよ」
そう言って一層深く腰を落とし、喰らいつくように膣を食い込ませるツバキ。
その圧力が、更に強くなった。
「あ……ッ、ああぁ……あああああああ!?」
踏ん張って射精を耐え切ろうとする少年。が、その努力は虚しくも届かない。
思考がトぶような慣れない感覚に身を委ね、ドクドクと血液が流れるような音がツバキとの接合部部分から鳴り響く。ツバキの蜜壺から、白濁した液がごぷごぷと滴る。
「あぁあ……、やはり濃いぃぃ……♪」
恍惚とした表情で少年の精液を搾り取るツバキ。
その痴態を、少年は呆けたように眺めていた……が、さすがに正気に戻る。
「お、おまっ、い、いったい何を……!?」
「あーあー、うるっせェんだよ生娘じゃあるめェし」
そう言ってズチュッ、と膣からペニスを引き抜くと少し太めの糸を引いていた。
よく見てみると、少年の精液と思しき腰から垂れた白濁液が小さな水溜りを作っていた。
その量の多さに、少年の血の気が完全に引いた。
「おま、いったい……何回ヤって……!」
「あァ? 昨日から丸一日ずっとヤりっ放しよ」
さすがの横暴に掴みかかろうとして、そのまま少年は前のめりにふらりと倒れる。
それをツバキが抱きとめた。
「バカ、溜まってた精をほぼ全部抜き取ったんだ、今は休め」
少年はツバキを振りほどこうとするが、どうにも手に力が入らない。
少年の怪力は、失われていた。
「ガキ、手前は何者だ?」
唐突に放たれたその言葉に、噛みつかんばかりの勢いで睨みつける少年にツバキは首を振った。
「手前が人間……いや、インキュバスなのは分かった。だが、何故その歳でインキュバスになったのだ?」
「……ボクは、鬼の子どもなんだ」
憎々しげそう呟いて、少年は肩の力を抜いた。
「何でボクがその……いんきゅばす……なのか知らないけど、生まれたときからそうだった。ボクは悪くないのにそんなボクを皆が鬼の子どもだって言ったんだ……」
「…………」
「母さんも父さんもボクを薄気味悪がって、子どもたちもボクに何度も石を投げてきた」
そう呟いた少年の紅い瞳から、透き通った滴が零れた。
「それでもボクと遊ぶ子はいたんだ。でも、その子たちはみんな大人に殺されちゃった……」
「……惨い話だ」
「だから独りでいた。独りでよかったんだ。狸のお姉さんもいつか優しい人に会えるって言ってくれたんだ……」
「…………コムラか」
通りでやけに拘ったわけだ、ツバキはそう呟いた。
「でも、母さんにぶつかっちゃって、苛立った母さんが言ったんだ――
――怪物……って」
震えた声で続ける少年に、ツバキは押し黙る。
「それで、頭の中が真っ白になった。こんなの母さんじゃないって、こんな母さんは知らないって……!」
そして、少年の胸にせき止められていた言葉が一気に溢れ出した。
「ねぇ……何でなの? ボクが悪かったの? 何がいけなかったの? ボクはみんなと笑いたかっただけだよ? それがいけなかったの? 何で? ボクが鬼の子だから? どうすれば幸せになれたの? どこで間違えたの? 何を間違えたの? 神様もボクが嫌いだったから? なんで神様はボクを嫌ったの? ボクが鬼の子だから――」
壊れたように次々と疑問を口にする少年を、ツバキが力一杯抱きしめた。
その腕が、少し震えていた。
「手前は鬼じゃない。鬼は……そんな顔で泣いたりしねェんだ」
『神の化身』。そう言われる無力さが今のツバキには辛い。
自分が本当に神様だったら、彼を救えたのだろうか? 誰も悪くない、幸せな世界に彼を救えたのだろうか?
そんな疑問に罪悪感を覚える。
「今は眠れ。そいつは悪い夢だったんだ」
恐らく、彼は幸せになれなかっただろう。そもそもの発端は、彼をとりまく世界が悪かったのだから。
だったら、壊れた世界を抜け出した少年は幸せになれるのだろうか―――?
「きっと……、次に目が醒めたら……、優しいヤツが手前の前にいるはずだ……!」
否、幸せにするのだ。
ツバキが腕に力をこめて少年を抱きしめた。
その腕に抱かれて、少年は気が抜けたように呟いた。
「ボクは……鬼じゃないのに―――」
そして、少年は眠るように気を失った。
けらけらと、けらけらと嗤う彼の手は紅葉よりも赫く染まっていた。
「きひ、きひひ、ひひひひっ!」
虚ろな瞳から滴が垂れる。それが涙なのか、雨なのかは定かではない。
そのまま、少年はふらふらと歩み出す。ぐちゅぐちゅと、湿った足音を響かせて。
「……ボクは知らない、何も知らないんだよ、きひひ!」
ぶつぶつと何度も知らないと繰り返す少年。
そんな彼を血と雨と泥に濡れた眼球が見つめる。彼は、それに目もくれず踏みつけた。
素足から直に伝わったナマモノの感触に、少年がかくんと首を垂れる。
「これは誰の目? 知らない、知らないな?」
ケタケタ、ケタケタ、壊れた人形のように少年は笑う。
そして、少年は再び幽鬼の如く歩み出した。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「山間の村が全滅しただァ?」
同日、とある山間の森の中で、ウシオニのツバキが怪訝な声をあげた。
この近隣には確かに村がある。小規模だが、妖怪……もとい魔物を敵視している危険な村だった。
それがこんなにも唐突に消えたというのは、ツバキには信じがたかった。
「えぇ、あっし自身も見てきましたからまず間違いない情報ですぜぃ、姐御」
そう言って刑部狸のコムラがクックッと笑う。
ツバキはその様子に不機嫌そうに眉根をしかめた。
「……どうなってやがったんだ」
「それはもう悲惨の一言でございましょう、あっしも色々な国を旅してきやしたが第六天魔王もああまではすまいと言い切れるほど酷い有様でやんしたよ。さすがは死国でございますなぁ」
そう言ってまたもクックッとおかしそうに笑うコムラ。
が、彼女は急に目を細めて哀れむような口調で続けた。
「しかしアレはあっしも自業自得としか言い様がございませんなぁ……、自分で蒔いた種に食われてこれほどまで気分の悪い話はそうありやせんよ」
「あァ? 何の話だ?」
「いえいえ、こちらの話でございますれば♪」
その表情も数秒のこと、問いかけるツバキにコムラは胡散臭く微笑んで返事をする。
「簡単に仰れば、あの村の住人はみぃんな潰れておりました♪」
「つぶ……れて?」
「はいな、ぐっちゃぐちゃの血塗れでござんした。ありゃ西洋の吸血鬼も仰天しましょうよ。……おっと失礼、少々吐き気が……」
軽い調子で言いながらも青い顔で口元を押さえるコムラ。
ツバキは少し呆れながら背中をさすってやった。
「ったく、ひでぇ話もあったもんだなァ。いったい誰の仕業なんだ? このオレが取っちめてやんよ!」
「ダメです」
コムラがガバッと顔を上げて言った。
あまりに唐突で、突っ放すようなコムラの口調にツバキがやや慄く。
「あの村は、潰れて当然でやんした。故に、姐御が手を出すのは認めやせん」
そう言うコムラの瞳はどことなく必死だ。
らしくない彼女の様子に少し違和感を覚えながら、ツバキはムッと押し黙った。
「あ……、すいやせん。柄にもなく少し熱くなっちまいやしたね」
「いや、いきなりしゃしゃり出てこっちも悪かったよ。だが手前がそうまで言うのは珍しいな」
行商の身であるコムラは当然のように世界中を歩き回っている。
平和な国を訪れた事もあったし、凄惨ここに極まれりとさえ言える国も巡った。それだけの旅をこなしていればイヤでも修羅場に巻き込まれる事もある。
その全てをひっくるめて行商をしているコムラから、ここまで一つの村を非難するのがツバキには意外だった。
「あっしも大妖怪の端くれとはいえ好き嫌いはありやす。それだけ酷い村だったんですよ、あそこは」
「酷い……なァ。ま、オレには分かんねェや」
『怪物』ではなく『神の化身』として村に祀られてきたツバキにはよく分からない。
だが、コムラがここまで言うとなればよっぽどなのだろうと漠然と思った。
「まぁ……、あっしは明日にでもこの国を発つつもりですので、姐御もさっきの話を胸に留めておいてください」
それでは、とだけ言ってコムラは大きな籠を背負いなおす。
そんな彼女に、ツバキはせめてもの疑問を口にした。
「その村、いったい何が潰したんだ? それだけでも教えてくれねェか?」
「そうですね……、ざんばら頭の白い餓鬼でした♪」
そう言ってやっぱり胡散臭く微笑んで、コムラは森の中に消えていった。
相変わらず読めないヤツだ、とツバキが呟いた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
その翌日、少年は歩いていた。
乱雑に切られた白い髪を揺らして、ぺたぺたぺたぺたと覚束ない足取りで歩きつづけている。
「……なんで?」
周囲には誰もいない。
ただただ荒れ果てた山道が続くばかりで、人の気配すらしない。
それでも、少年は疑問を口にした。
「なんで、ボクは、死なないの?」
虚ろに開かれた紅い瞳から滴が垂れる。
透き通った、人の涙だった。
「生きてて、こんなに、辛いのに……、何で、神様は、ボクを、死なせて、くれないの?」
切れ切れに紡ぎ出される少年の言葉は少し震えていた。
ぽたりと、涙が一つ落ちた。
「きひっ」
何がおかしいのか、少年は歯を剥き出しにして嗤った。
「神様はボクが嫌いなんでしょ? いいさ、それもいいさ、ボクは神様なんか知らないからね、きっひひひ!」
早口で一方的にまくしたて、少年は照りつける太陽を見上げた。
そして、もう一つ大粒の涙を落として喚いた。
「ボクもお前が大ッ嫌いだ、死んじまえ!」
少年の声が高らかに響いた。その声は、どこか悲鳴のようであった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ツバキお姉ちゃんっ!」
どん、とツバキの背中に少女が抱きつく。
ツバキにとってはいつものことなので、さすがにこうも何度も不意を突かれては驚きも薄れる。
「おいおいアヤ、いい加減オレの後ろから抱きつくのは止めてくれよ」
「だってツバキお姉ちゃんは胸が大きくて前から抱きつきづらいんだもん!」
前からも勘弁してくれよ、とツバキがため息混じりに苦笑した。
そんな彼女に構わず、アヤと呼ばれた人間の少女がツバキの背中にぐりぐりと頭を押し付ける。
「大体、手前はオレが怖くねェのかよ? あんま調子乗ってると食っちまうぞォ?」
幼い子どもを脅かすような口調に、アヤはけらけらと笑う。
「ツバキお姉ちゃんがそんなことするはず無いじゃん!」
「む……、嬉しいことを言ってくれんじゃねェか」
アヤの言葉に緩む頬を押さえきれず、ツバキは少し頬を赤く染めた。
『怪物』と一般的に呼ばれているウシオニが、こんな年端もいかぬ少女に好かれている。それはウシオニであるツバキにとってありがたいことであった。
禍々しく捻れた角に、毒々しい薄緑色の肌。極めつけはごわごわと獣とも蜘蛛ともつかぬ『怪物』と呼ぶに相応しい外観を持つツバキ。それが何の因果か、この村はそんな彼女を神の化身と慕ってくれるのであった。
「えへへー、ツバキお姉ちゃんいい匂いがする〜」
「あァ、湯浴みしたばっかだからな。いつか手前も一緒に行くか?」
「行くー!」
無邪気に頷くアヤの頭を、ツバキはわしゃわしゃと大きな手で優しく撫でた。
照れたようにはにかみながら、アヤは黙って撫でられる。
「ん? そういや、わざわざ祠まで何しにきたんだ、手前?」
「あ、そうだ。ツバキお姉ちゃんに渡すものがあったの」
そう言ってごそごそと懐を探るアヤ。
が、喜々とした表情が急に曇り始める。
「あ、あれ? もしかして落っことしちゃった?」
「ったく、しょうがねーなァ……、オレも一緒に探してやるよ」
どっこいしょ、とツバキはジジ臭く腰をあげる。アヤはその背中にしがみついたまま、しゅんとうな垂れた。
「ごめんねぇ、ツバキお姉ちゃん……」
「いいってことよ、だからそんな顔すんじゃねェって」
そう言って再びアヤの頭を撫でるツバキ。
アヤはますます申し訳なさそうに頭を垂れた。
「だァらそんな顔すんなって。いったい何を持ってこようとしたんだよ」
「……お神酒」
「ほォ、そいつは見つけたときが楽しみだ」
だから一緒に探すぞ、そう言ってツバキは微笑むのであった。
その言葉に、少し躊躇いながらもアヤは元気よく頷いた。
どすどすと地面を刺すように歩き、ツバキが祠から出ると燦々と日が照っていた。
「こいつはまた……ひきこもりには眩しいな」
手をかざして日光を遮るツバキに、アヤはかわいらしく小首を傾げた。
そんなに眩しいだろうか、そう言いたいのだろう。
「で、どこ通って来たんだ? あっちか?」
「うぅん、こっちだよ」
よじよじとツバキの背中を這い上がり、アヤは東のなだらかな坂道を指差す。
よっしゃ、とガッツを取ってツバキは少し早めに歩き出した。
「わっ、きゃっ、ひゃっ」
急に勢いよく歩き出した(というか小走りに近い)ツバキの上で跳ねそうになりながら、アヤは必死の思いでツバキの背中にしがみつく。坂道だからか、やたらと揺れる。
「おぉっ、お姉っ、ちゃん!? ちょと、早すっ、ぎないっ!?」
「あァ? 手前の足に合わせてりゃ日が暮れちまうぜェ?」
そう言いながらもドスドスドスドスと歩きつづけるツバキ。
これ以上喋ったら舌を噛むと判断したのか、アヤは黙ってさっきより強くツバキの背中に抱きついた。
残念ながら、アヤに『当ててんのよ』ができるほど胸は無かった。
そして、ふつうなら徒歩で二時間はかかる村への道を二十分で降りたのであった。
道中にお神酒と思しきものは見当たらなかったらしく、結局村まで降りてきたのだった。
そんなツバキを真っ先に発見したのは、アヤの父親であった。
「おぉ、ツバキ様……とアヤ? なんでそんなに歯を食い縛ってるんだい?」
「し、舌を噛んで、死なないためぇ……!」
息も絶え絶えにツバキの背中からずり落ちるアヤ。
その様子に呵呵と笑うツバキに対して、アヤの父親は苦笑を漏らした。
「大袈裟だなァ!」
「大袈裟だな……」
「何言ってるのよお父さん! ホントに死ぬかと思っちゃったんだから!!」
ムガーッ、と叫ぶアヤの足はがくがくと笑っている。どうやら本当に怖かったらしい。
悪かったよ、と笑いすぎて涙の滲む眼を擦りながら、ツバキはアヤの首を引っ掴んで再び自分の背中に乗せる。
「いつもアヤがお世話になっておりますなぁ……」
「いやいや、こちらこそな」
深々と頭を下げるアヤ父に、とんでもないと首を振るツバキ。
毎度恒例の大人のやりとりにアヤはぷーっと頬を膨らませる。
「ちょっとツバキお姉ちゃん!? お神酒探しに来たんでしょ!?」
「おォ、そうだったな。悪ィな坊主、世話話は今度にしようぜ」
この歳で坊主ですか、と苦笑するアヤ父。
そのまま笑いながら、彼は懐から濁酒の瓶を取り出した。
「お神酒とは、これのことでしょう?」
「あ―――――っ! 何でお父さんが持ってるの!?」
「お前が持っていくのを忘れたからだ。そろそろ来る頃だと思って待ってて正解だったよ」
その言葉に真っ赤になるアヤを、ツバキは指を差して子どものように笑った。
アヤ父もさすがに爆笑した。
「お父さんまで酷くない!?」
「はっはっはっはっは!」
「く……、ヤっちゃえお姉ちゃん!」
「いや、妻帯者にそれはマズいだろ……」
極めて常識的な言葉を返すウシオニのツバキに、アヤは何で、と小首を傾げる。
恐らくは、犯れと殺れのどちらを言ったのか気付いていないのだろう。
「はい、ウチで作ったお神酒です、どうぞお納めください」
「くっくっく、アヤん家の酒は上玉だからなァ……、ちと楽しみだぜ、じゅるり」
ツバキの口の端から零れそうになった涎を拭った、そのときだった。
村の奥から何やら物々しい破砕音が大きく鳴り響き、アヤがびくっと身を竦める。
「何だァ? 今日はだんじり祭りでもやんのかァ?」
「いえ……、何でしょう? 初めて聞きますね……」
のんびりとした会話をする二人と違い、少し恐怖心を覚えるアヤは不安げに呟いた。
「も、もしかして……他国の侵略とか……?」
「ハッ、だとしたら洒落にならんな。アヤ、手前はここで待ってろ。オレが見てくる」
ひょいとアヤを摘み上げて地面に降ろし、ツバキは音のした方向に馬車も真っ青な猛スピードで駆け出した。
その様子にアヤと父はぽかんと呆ける。
「……ウシオニだから、牛車か……?」
「むしろ山車なんじゃないかな……?」
一方、彼らから既に一里は離れたツバキの脳裏にはコムラの話が蘇っていた。
――あの村の住人はみぃんな潰れておりました♪
もしも、その元凶である白餓鬼が来たのならば、ツバキは放置するわけにはいかない。
仮にも彼女は、この村の神の化身だ。祀られるだけなら人にもできる。
「ぜってェ守るんだ!」
そう言って、ツバキは地面を思い切り蹴った。
べごっ、とツバキの巨躯によって大地がへこみ、その反動でウシオニは跳んだ。
音のした方向には、濛々と土煙が上がっていた。
「あそこか……!」
そう言って、ツバキはそのまま土煙の方向へ落ちていった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「……ここは、どこ?」
持て余し気味に腕をぷらぷらと振りながら、白い少年は呟いた。
閉じていた門をぶっ飛ばしたせいか、拳が少し腫れている。
「いや、どこでもいいさ、どうせボクの知らない所だしね……」
先ほどとは違いやや正気を保ったことをぶつぶつと呟いて、少年は覚束ない足取りで歩き始めた。
少年の瞳は、虚ろというよりも絶望に染まっていた。
自分の故郷を潰して、ふらふらと至ったこの村をどうすべきか、少し困っていた。
「この村に、用は、ない……」
――全ての人が悪いわけじゃないんです。きっと貴方に優しくしてくれる人もいらっしゃいますよ。
それは一月ほど前に彼の村に訪れた行商の言葉だった。
その無垢な言葉を、少年は盲信していた。そうでもないと、故郷を潰した彼には耐えられない。
「悪いのは、あそこだけだ……」
自分に言い聞かせるように、そう呟く少年。
罪悪感からか、ずきりと少年の頭が軋む。
「違う、ボクは知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない知らない、何も知らないッ!」
ぶんぶんと白い髪を振り乱し、自分の記憶を否定する少年。
脳裏に焼きついた真っ赤なあの光景を、何も知らないと必死に訴える。
その赤い瞳からは透き通った涙が滲んでいた。
「あ、あぁぁあ、ああああぁああ!!」
見開かれた瞳孔は血のように紅い。零れる涙は透明水彩。
白い餓鬼は泣いていた。
「コムラの野郎、吹かしやがったな?」
ずしずしと重たい音とともに、何やらハスキーな声が少年の耳に届いた。
声のした方向を向いて、言葉を失った。
鬼だった。少年とは比べ物にならないほどの、禍々しい鬼だった。
「手前が山間の村を潰した餓鬼か? ったく、童にでも追われたのか?」
涙に濡れた少年の頬をごわごわの手で撫で、鬼はからからと小気味よく笑った。
その手は、とても温かかった。
「事情は知らねェが……、少し付き合えよ。酒は大勢で飲んだほうが美味い」
だから泣くな。
それだけ言って鬼は神様のように微笑んだ。
「ッ!」
バシッ、と少年はツバキの手を払いのけた。
その様子を、表情一つ変えずにツバキは見ていた。
「お前は神様か!? 神様なんだろ!?」
どうだと言わんばかりにツバキを指差し、少年は声を荒げた。
唐突な豹変ぶりと突拍子も無い言葉に、ツバキは首を傾げた。
「はァ?」
「ボクの目は誤魔化せないぞ! お前は神様だ!」
紅く濁った瞳を見開き、半狂乱でお前は神様だと叫ぶ少年。さすがのツバキもわけがわからない。
が、ツバキはぽりぽりと頬を掻いて答える。
「まァ……神の化身とか呼ばれてるには呼ばれてるが……」
「ボクは、お前が大ッ嫌いだ!!」
そう言って少年が怒り任せに拳を地面に振り下ろす。
どぐしゃっ、と。
豆腐のように地面がひしゃげた。
「……手前、人間か?」
さすがのツバキも驚嘆を隠せない。これは確かに、コムラがあえて餓鬼といった理由も分かる。
ウシオニのツバキすら凌駕するこの膂力は、一種の鬼といっても過言ではない。
「……ッ、お前まで、ボクを疑うのか……ッ!!」
その問いが逆鱗だったのか、少年の歯がぎしりと軋んだ。
「お前はッ、ぶっ殺すッ!!」
紅い瞳を狂ったように光らせて突進する少年。少年が大地を蹴るたびに、その部分がべこべこと凹んでいく。
正気を失った少年にツバキはやれやれと肩をすくめた。その隙だらけな腹を、少年の拳が捉える。
「もらったぁぁぁぁあああッ!!」
ミチミチと筋肉が裂ける音と、少年の雄叫びが重なる。そのままミチミチギチギチと拳がツバキの腹にめり込み少年の拳は、ツバキの体を貫通した。ぞるりと、ツバキの背中から少年の手が生える。
その手は、彼女の血で真っ赤に染まっていた。
「きひ、きひひひっ! ざまぁみろ、神様!」
「……がふっ」
ツバキの口から多量の血が噴きだし、少年の白い髪を赤く染める。
そして、ツバキの口の端が薄く歪んだ。
「ハッ、手前の負けだよ、クソガキ」
「負け惜しみを……ッ!?」
少年の視線がツバキの腹に移る。ぞるぞると、肉が再生しているのだ。その肉が少年の腕に絡みついて、少年は事実上ツバキに捕まってしまったのだ。
その少年の肩を、がしりとツバキの大きな手が掴む。
「言ったろ? 手前の負けだ」
慌てて手を引き抜こうとする少年に、ツバキは頭を大きく振りかぶった。当然、頭突きだった。
骨と骨がぶつかり合うような音が周囲に響き、少年の紅い瞳がぐるんと回った。
少年は、気を失ってしまった。
「……しかし、このオチは想定外だな」
ウシオニの血をまともに浴びて尚、全くの変化を示さない少年にツバキは首を傾げる。
どうやら、彼はもともとインキュバスだったらしい。それも、かなり精を溜めこんでいる。
あの膂力はそれが原因なのか、それとも少年が本当に鬼であるのかツバキには分からなかった。
「コムラがいりゃ分かるんだがなァ……」
そうぼやいてツバキは少年を担いで祠に向かって歩き始めた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ぁ、」
少年が目を覚ましたとき、少し強めの衝撃ととんでもない刺激があった。
――主に股間に。
「あ!?」
状況が分からずにさすがの少年も目を丸くする。
寝そべっている少年の上には、さっき腹を貫いたウシオニが嗜虐的な笑みを浮かべて彼を見下ろしていた。
そして、少年のいきり立った男根が彼女の膣に挿入っているのだ。
ギチギチとペニスが締め付けられる快楽に、少年はわけがわからなかった。
「お、目ェ醒めたか?」
何気なくそう言いながらも腰を振りつづけるツバキ。その豊満な乳が腰を振るたびにたふたふんと揺れている。
ズンズンとツバキの腰が沈むたびに、ズチュズチュと淫靡な水音と少年の呻き声が響いた。
「アッ、ぐ、ぅ……がッ!?」
初めての経験に思考がついていかず、同時に考えようとするも思考がまとまらずに蕩けていく。
痛みは無いが、リズミカルにペニスに食い込むような刺激に早くも限界が近くなってきているようだ。
「な、にッ、を……!?」
食い縛る歯から漏れるような情けない声に少年の頬が羞恥に染まる。その間も、ギチギチと異常な圧力をかけるツバキの濡れた膣に何度も絶頂を迎えそうになる。
そんな彼の質問に答えず、ツバキはにんまりと嫌らしく笑った。
「手前が後生大事に溜め込んでたもん、折角だからオレがもらってやるのよ」
そう言って一層深く腰を落とし、喰らいつくように膣を食い込ませるツバキ。
その圧力が、更に強くなった。
「あ……ッ、ああぁ……あああああああ!?」
踏ん張って射精を耐え切ろうとする少年。が、その努力は虚しくも届かない。
思考がトぶような慣れない感覚に身を委ね、ドクドクと血液が流れるような音がツバキとの接合部部分から鳴り響く。ツバキの蜜壺から、白濁した液がごぷごぷと滴る。
「あぁあ……、やはり濃いぃぃ……♪」
恍惚とした表情で少年の精液を搾り取るツバキ。
その痴態を、少年は呆けたように眺めていた……が、さすがに正気に戻る。
「お、おまっ、い、いったい何を……!?」
「あーあー、うるっせェんだよ生娘じゃあるめェし」
そう言ってズチュッ、と膣からペニスを引き抜くと少し太めの糸を引いていた。
よく見てみると、少年の精液と思しき腰から垂れた白濁液が小さな水溜りを作っていた。
その量の多さに、少年の血の気が完全に引いた。
「おま、いったい……何回ヤって……!」
「あァ? 昨日から丸一日ずっとヤりっ放しよ」
さすがの横暴に掴みかかろうとして、そのまま少年は前のめりにふらりと倒れる。
それをツバキが抱きとめた。
「バカ、溜まってた精をほぼ全部抜き取ったんだ、今は休め」
少年はツバキを振りほどこうとするが、どうにも手に力が入らない。
少年の怪力は、失われていた。
「ガキ、手前は何者だ?」
唐突に放たれたその言葉に、噛みつかんばかりの勢いで睨みつける少年にツバキは首を振った。
「手前が人間……いや、インキュバスなのは分かった。だが、何故その歳でインキュバスになったのだ?」
「……ボクは、鬼の子どもなんだ」
憎々しげそう呟いて、少年は肩の力を抜いた。
「何でボクがその……いんきゅばす……なのか知らないけど、生まれたときからそうだった。ボクは悪くないのにそんなボクを皆が鬼の子どもだって言ったんだ……」
「…………」
「母さんも父さんもボクを薄気味悪がって、子どもたちもボクに何度も石を投げてきた」
そう呟いた少年の紅い瞳から、透き通った滴が零れた。
「それでもボクと遊ぶ子はいたんだ。でも、その子たちはみんな大人に殺されちゃった……」
「……惨い話だ」
「だから独りでいた。独りでよかったんだ。狸のお姉さんもいつか優しい人に会えるって言ってくれたんだ……」
「…………コムラか」
通りでやけに拘ったわけだ、ツバキはそう呟いた。
「でも、母さんにぶつかっちゃって、苛立った母さんが言ったんだ――
――怪物……って」
震えた声で続ける少年に、ツバキは押し黙る。
「それで、頭の中が真っ白になった。こんなの母さんじゃないって、こんな母さんは知らないって……!」
そして、少年の胸にせき止められていた言葉が一気に溢れ出した。
「ねぇ……何でなの? ボクが悪かったの? 何がいけなかったの? ボクはみんなと笑いたかっただけだよ? それがいけなかったの? 何で? ボクが鬼の子だから? どうすれば幸せになれたの? どこで間違えたの? 何を間違えたの? 神様もボクが嫌いだったから? なんで神様はボクを嫌ったの? ボクが鬼の子だから――」
壊れたように次々と疑問を口にする少年を、ツバキが力一杯抱きしめた。
その腕が、少し震えていた。
「手前は鬼じゃない。鬼は……そんな顔で泣いたりしねェんだ」
『神の化身』。そう言われる無力さが今のツバキには辛い。
自分が本当に神様だったら、彼を救えたのだろうか? 誰も悪くない、幸せな世界に彼を救えたのだろうか?
そんな疑問に罪悪感を覚える。
「今は眠れ。そいつは悪い夢だったんだ」
恐らく、彼は幸せになれなかっただろう。そもそもの発端は、彼をとりまく世界が悪かったのだから。
だったら、壊れた世界を抜け出した少年は幸せになれるのだろうか―――?
「きっと……、次に目が醒めたら……、優しいヤツが手前の前にいるはずだ……!」
否、幸せにするのだ。
ツバキが腕に力をこめて少年を抱きしめた。
その腕に抱かれて、少年は気が抜けたように呟いた。
「ボクは……鬼じゃないのに―――」
そして、少年は眠るように気を失った。
12/05/27 22:48更新 / みかん右大臣