中編
11
くだらない噂話は、だいたい聞き流していた。話の種にはなるが、実用性なんてまったくない空虚なものだと思っていた。火のないところに煙はたたぬとは言うが、けれど噂よりもよっぽど確実性があることの方がどちらかといえば興味を引いた。
というのは建前で、実際のところは噂が嫌いだったのだろう。どうにも重ねてしまうから。噂の中身の薄っぺらさと、自分の日常の薄っぺらさを重ねてしまうから。
思春期特有のセンチメンタルだと思っていたのだが、それが大人になっても続いているあたり僕はまだ思春期の真っただ中にいるらしい。
そんな噂の中に、ドッペルゲンガーの話があった。噂というより、都市伝説の部類に入るのだろうか?ともかく、自分にそっくりな人が世界には三人くらい存在していて、そのそっくりさんに出会ってしまうと自分は命を落としてしまうという。暑い夜を涼しくすることもできない話だった。
くだらない。それが耳にしたときの率直な感想で、意見だ。
だから僕は今、どんな顔をしているのか自分でもわからなかった。あらゆることの規模が大きすぎて、受け止めて切れていない。いっそ叫びでもすれば整理がつくのだろうか?自問してみても答えは出るはずもなかった。
目の前には自らをドッペルゲンガーと名乗る黒ずくめの少女が一人、小さくふるふると震えながら立っている。僕の恋人は、僕の好きな人はどこへ消えたのか。
情報の奔流を受け切れずにパンクした頭からは煙が出そうだったが、それをする暇すら惜しい。僕はなるべく冷静にして彼女に話しかけた。
「……君は誰なんだ?」
返事はなく、ただすすり泣く声だけが耳朶をうつ。その声を聞いていると、心をちくちくと棘で刺されているような気がしてならない。
ただ、半ば憑依されたようにごめんなさいと繰り返す少女を見て、僕はなんとなく悟ってしまった。
狐火美雪は、本当に死んでしまったのだと悟ってしまった。
もう彼女はこの世界にはいないのだろう。きっと今頃は残骸のように骨だけが残り、存在証明はもうその骨でしか説明がつかなくなってしまったのだ。あの顔は、もう見れないのだ。次第に整理がついてきた頭の中では一方、そんな非現実的なことがあるはずないと認めない頑固な部分もあった。
まさか本当にドッペルゲンガーがいるなんて誰も考えやしない。思いもしない。目の前の少女をじっと見つけると、奇妙な息苦しさを感じた。
それだけ、彼女はきちんと対面してみるとなにかを感じずにはいられないものだった。一瞬だけなら理解できないだろうが、じっとしていると心の奥底で無理やりにでも納得してしまうような、明文化できない存在。オーラでもない、気配でもない。
もっと別の、次元が違う何か。
証明しようもない証明に無理矢理頷かされ、僕の中には空洞ができた。ギリギリまで拮抗していたものの境目が崩れてしまい、無性に悲しくなった。
僕の中で生きていた狐火美雪は白磁の破片となって消え去ってしまい、はらはらと地表に触れる暇もなかった。ぽっかりとできてしまった穴に埋めるものは見つからず、全身を脱力感に襲われた。
この少女は、ドッペルゲンガーは何を思って僕に近づいてきたのか。都市伝説にあるように、僕の命を奪うためか。なら、さっさとしてほしい。
今なら僕はすんなりと殺されるだろう。TVやネットで見かけていた、失恋して自殺するという事件の信憑性を身をもって体感した。ここまで空しく、何も残らないのならそれは自ら命を絶つことも致し方ない。
しばらく待ったのだが、しかして一向に少女は僕の命を奪うことはなかった。ただ泣き腫らして真っ赤にした目をこちらに向けて、なにか言いたげな視線を寄越すだけだった。
何かをされるよりも何もされない方が薄気味悪く、若干後退った。ドッペルゲンガーというものは、まずはこうして薄気味悪さで人を発狂させてから殺すなり入れ替わるなりするのだろうか?
微かな恐怖を刺激され、僅かながら生の気力が湧き上がったがだめだった。そこからどうすればいいのかわからなくなり、堂々巡りの思考が逆に自分を金縛りに陥らせ、その場から動けなくなる。
視線も動かせず、長い長いにらめっこをしてどれほど時間が経ったのか。
「あ、あの……」
小さい口が開かれ、重篤患者のようにか細い声が聞こえた瞬間、それよりもよっぽど大きな腹の音が聞こえた。僕ではない。
こんな緊張状態で腹の虫の訴えを聞くような豪胆さは生憎持ち合わせていない。
少女の顔が見る見るうちに夕日のごとく真っ赤に染まり、とうとう視線を合わせることも恥ずかしくなったのか、飛行機が急降下するような勢いで蹲ると、動かなくなってしまった。これじゃあ立場が逆だ。
緊張の糸が切れ、虚無感を感じていたことも馬鹿らしくなると一気に金縛りが解けた。
ぺたんとその場に座り込むと、やたら愛嬌のある震え方をしている少女に対してどう声をかけたものかと考える。訊きたいことも説教したいことも吐き出したいことも山のようにあったが、さっきの腹の音の印象が強すぎた。
少女の両脇を下からがっちりと掴み、びっくりして慌てふためくのをよそにして僕は、
「ご飯食べる?」
じたばたとしていた少女がだるまさんが転んだのように停止し、悩ましげな表情を覗かせた。こういう顔もできるのかと感心してしまう。
己の中でせめぎ合う何かと数秒間戦っていたようだが、やがて少女は顔をさらに赤く染めながら言った。
「……はい」
12
自炊スキルをそれなりに持ち合わせている僕は、実をいうとコンビニでおにぎりやパンを買うことはかなり少ない。本当にコンビニで何かしら食料を買うときは、疲労がピークに達して料理すら億劫になってしまっているか、冷蔵庫などの家電が逝ってしまったか、はたまた急な気まぐれを起こしたかの三択だ。
何が言いたいかといえば僕は料理はそれなりに得意で、食べてくれる相手がいることはそれなりに嬉しい。
だがしかし、物事には限度というものがある。限度があるから秩序というものは保たれている。回りくどい言い回しをやめて率直に言えば、
「はぐはぐ……むぐ、ごくん。あむっ、んぐっ」
「……」
「あぐっ。もくもく、んっ……」
食い過ぎだよ。
言葉に出さず胸中で呟いてから、僕はひたすらにテーブルに並んだ料理を貪る少女を見た。僕が作った料理の数々は次々に彼女の口の中へと消えていき、数度咀嚼されるとすぐに次の料理が標的に選ばれる。いったい小柄な身体のどこにあの物量を収めるスペースがあるのか本気で調べたくなる。ドッペルゲンガーの胃液は硫酸なのだろうか。
「んぐっ、んぐっ……ふう」
「……」
「えっと、ご馳走様でした」
「どういたしまして」
口の端っこにご飯粒がついているのはあえて黙殺しておき、彼女が落ち着いたのを確認してから僕はすぐに切り出した。小さい子どもを問い詰めることに多少の罪悪感を感じないでもなかったが、相手が相手だ。
「落ち着いたなら、質問に答えてくれるとありがたいな」
「……はい」
暗い表情を浮かべるが、ここは心を鬼にしてでも聞き出しておかなければならない。まずは……。
「どうして美雪さんに化けていたんだ?」
「……私が、ドッペルゲンガーだからです。信じてもらえないかもしれないですけど」
「信じるも何もそうするしかない状況だよ。けど、ドッペルゲンガーなら気になることがあるんだ。どうして僕じゃなくて美雪さんに化けていたんだ?」
世間で噂されているドッペルゲンガーはあくまで自分自身に化けるものだ。そして化けた本人の前に現れるのが定石だが、この子は違う。化けるものが、化ける者が違った。この子はあくまで狐火美雪に化けていたのだ。それが、世間一般のドッペルゲンガーの認識とは異なる。
美雪さん本人を殺して成り変わったという恐ろしい想像はしたくもないが、可能性の一つとしてはなくもない。どうしても確認しておきたいことだった。
ことだったのだが、なぜか彼女は赤面してしまい、答えあぐねている。もじもじしながら、答えるのが恥ずかしいといった風に身体をくねらせている。そこまで気恥ずかしくなる質問ではないはずだが、なぜか彼女は顔を真っ赤にして目にぐるぐる渦巻きを作っていた。
口をちょっと開いたと思うと、あの、その、としか言葉が出ず、オウムの方がもう少し言語を喋れるのではとすら思えてしまう。オウム返しにすらなっていない。
このままでは埒が明かないので、質問を変えることにした。
「じゃあ、どうしてここにいるんだ?」
「……あぅ」
小さく呻くと子犬もかくやというほどに小さくなっていく。顔の真っ赤さといい、震え具合といい、線香花火を連想してしまう。
これも都合の悪い(あるいは答えようのない)質問なのか、もぞもぞとするだけだった。進まない会話に頭を悩ませ、結局出した結論は名前を聞くことだった。
「……ライア」
「ライア……」
なんともよくできた名前だった。ライアとは。つまるところ嘘つきじゃないか。偽名ではないかと思ったが、とりあえずはそれを信じないと話も進まない。お互いに自己紹介を済ませ、まずは身の上話からすることにした。本筋からはかなり離れてしまっているが、そうでもしないと喋ってくれそうにない。
「まずは僕だけど」
「えっと、知ってます」
「え?」
「知って、ます。色んな事、全部」
「……というと?」
「記憶を、読み取れるんです。そうやって、変身するんです」
皮肉の一つでも言いたくなった。勝手に記憶まで読み取られるとは、個人情報保護法も黙っていないが、証明のしようがない。完全犯罪の成立じゃあないか。理不尽にもほどがある。常識だとかそういったものをまとめてゴミ箱にでも捨てられたような衝撃に襲われた。
見られたくない心の一部まで透明な箱に飾られて、四方八方からまじまじと観察されるに等しい。大げさでは無く、本気でそう思った。
「……じゃあ、君の身の上話でも聞いていいかな」
すんでのところで出かけた感情をなんとか堪え、話す。
「えっと、私はごく平凡な家で産まれました。母も私と同じドッペルゲンガーで、お父さんは普通のサラリーマンです。私のお母さんはなんというか、贔屓目で見なくてもいい人で、私の世話をよくしてくれました。やっていいこと悪いこと、人間たちの中にどうやって紛れ込めばいいのか、……恋をしたらどうするべきなのか」
「なるほど」
「だから、その、さっきの質問に答えるなら、……えっと」
少女は一世一代の大告白のように、言った。
「わ、わわ、わたしっ、あなたのことが好きなんですっ」
冗談なのかどうなのか、定かではないが。恋はここまで人を狂わせるのかと、心底思った。一つことしか考えられなくなって、周りが見えなくなって、その人のことしか考えられなくなって、どうしようもなくその対象を好きになる。
不器用で、下手くそで、鈍くて、一直線。
「似てるんだ」
「え?」
「いや、こっちの話だよ」
こっちの話だ。
こっち側の話だ。
「告白ありがとう」
「あの、……わたし」
「少しだけ、考えさせてよ」
僕が言った言葉は、それだけだった。
くだらない噂話は、だいたい聞き流していた。話の種にはなるが、実用性なんてまったくない空虚なものだと思っていた。火のないところに煙はたたぬとは言うが、けれど噂よりもよっぽど確実性があることの方がどちらかといえば興味を引いた。
というのは建前で、実際のところは噂が嫌いだったのだろう。どうにも重ねてしまうから。噂の中身の薄っぺらさと、自分の日常の薄っぺらさを重ねてしまうから。
思春期特有のセンチメンタルだと思っていたのだが、それが大人になっても続いているあたり僕はまだ思春期の真っただ中にいるらしい。
そんな噂の中に、ドッペルゲンガーの話があった。噂というより、都市伝説の部類に入るのだろうか?ともかく、自分にそっくりな人が世界には三人くらい存在していて、そのそっくりさんに出会ってしまうと自分は命を落としてしまうという。暑い夜を涼しくすることもできない話だった。
くだらない。それが耳にしたときの率直な感想で、意見だ。
だから僕は今、どんな顔をしているのか自分でもわからなかった。あらゆることの規模が大きすぎて、受け止めて切れていない。いっそ叫びでもすれば整理がつくのだろうか?自問してみても答えは出るはずもなかった。
目の前には自らをドッペルゲンガーと名乗る黒ずくめの少女が一人、小さくふるふると震えながら立っている。僕の恋人は、僕の好きな人はどこへ消えたのか。
情報の奔流を受け切れずにパンクした頭からは煙が出そうだったが、それをする暇すら惜しい。僕はなるべく冷静にして彼女に話しかけた。
「……君は誰なんだ?」
返事はなく、ただすすり泣く声だけが耳朶をうつ。その声を聞いていると、心をちくちくと棘で刺されているような気がしてならない。
ただ、半ば憑依されたようにごめんなさいと繰り返す少女を見て、僕はなんとなく悟ってしまった。
狐火美雪は、本当に死んでしまったのだと悟ってしまった。
もう彼女はこの世界にはいないのだろう。きっと今頃は残骸のように骨だけが残り、存在証明はもうその骨でしか説明がつかなくなってしまったのだ。あの顔は、もう見れないのだ。次第に整理がついてきた頭の中では一方、そんな非現実的なことがあるはずないと認めない頑固な部分もあった。
まさか本当にドッペルゲンガーがいるなんて誰も考えやしない。思いもしない。目の前の少女をじっと見つけると、奇妙な息苦しさを感じた。
それだけ、彼女はきちんと対面してみるとなにかを感じずにはいられないものだった。一瞬だけなら理解できないだろうが、じっとしていると心の奥底で無理やりにでも納得してしまうような、明文化できない存在。オーラでもない、気配でもない。
もっと別の、次元が違う何か。
証明しようもない証明に無理矢理頷かされ、僕の中には空洞ができた。ギリギリまで拮抗していたものの境目が崩れてしまい、無性に悲しくなった。
僕の中で生きていた狐火美雪は白磁の破片となって消え去ってしまい、はらはらと地表に触れる暇もなかった。ぽっかりとできてしまった穴に埋めるものは見つからず、全身を脱力感に襲われた。
この少女は、ドッペルゲンガーは何を思って僕に近づいてきたのか。都市伝説にあるように、僕の命を奪うためか。なら、さっさとしてほしい。
今なら僕はすんなりと殺されるだろう。TVやネットで見かけていた、失恋して自殺するという事件の信憑性を身をもって体感した。ここまで空しく、何も残らないのならそれは自ら命を絶つことも致し方ない。
しばらく待ったのだが、しかして一向に少女は僕の命を奪うことはなかった。ただ泣き腫らして真っ赤にした目をこちらに向けて、なにか言いたげな視線を寄越すだけだった。
何かをされるよりも何もされない方が薄気味悪く、若干後退った。ドッペルゲンガーというものは、まずはこうして薄気味悪さで人を発狂させてから殺すなり入れ替わるなりするのだろうか?
微かな恐怖を刺激され、僅かながら生の気力が湧き上がったがだめだった。そこからどうすればいいのかわからなくなり、堂々巡りの思考が逆に自分を金縛りに陥らせ、その場から動けなくなる。
視線も動かせず、長い長いにらめっこをしてどれほど時間が経ったのか。
「あ、あの……」
小さい口が開かれ、重篤患者のようにか細い声が聞こえた瞬間、それよりもよっぽど大きな腹の音が聞こえた。僕ではない。
こんな緊張状態で腹の虫の訴えを聞くような豪胆さは生憎持ち合わせていない。
少女の顔が見る見るうちに夕日のごとく真っ赤に染まり、とうとう視線を合わせることも恥ずかしくなったのか、飛行機が急降下するような勢いで蹲ると、動かなくなってしまった。これじゃあ立場が逆だ。
緊張の糸が切れ、虚無感を感じていたことも馬鹿らしくなると一気に金縛りが解けた。
ぺたんとその場に座り込むと、やたら愛嬌のある震え方をしている少女に対してどう声をかけたものかと考える。訊きたいことも説教したいことも吐き出したいことも山のようにあったが、さっきの腹の音の印象が強すぎた。
少女の両脇を下からがっちりと掴み、びっくりして慌てふためくのをよそにして僕は、
「ご飯食べる?」
じたばたとしていた少女がだるまさんが転んだのように停止し、悩ましげな表情を覗かせた。こういう顔もできるのかと感心してしまう。
己の中でせめぎ合う何かと数秒間戦っていたようだが、やがて少女は顔をさらに赤く染めながら言った。
「……はい」
12
自炊スキルをそれなりに持ち合わせている僕は、実をいうとコンビニでおにぎりやパンを買うことはかなり少ない。本当にコンビニで何かしら食料を買うときは、疲労がピークに達して料理すら億劫になってしまっているか、冷蔵庫などの家電が逝ってしまったか、はたまた急な気まぐれを起こしたかの三択だ。
何が言いたいかといえば僕は料理はそれなりに得意で、食べてくれる相手がいることはそれなりに嬉しい。
だがしかし、物事には限度というものがある。限度があるから秩序というものは保たれている。回りくどい言い回しをやめて率直に言えば、
「はぐはぐ……むぐ、ごくん。あむっ、んぐっ」
「……」
「あぐっ。もくもく、んっ……」
食い過ぎだよ。
言葉に出さず胸中で呟いてから、僕はひたすらにテーブルに並んだ料理を貪る少女を見た。僕が作った料理の数々は次々に彼女の口の中へと消えていき、数度咀嚼されるとすぐに次の料理が標的に選ばれる。いったい小柄な身体のどこにあの物量を収めるスペースがあるのか本気で調べたくなる。ドッペルゲンガーの胃液は硫酸なのだろうか。
「んぐっ、んぐっ……ふう」
「……」
「えっと、ご馳走様でした」
「どういたしまして」
口の端っこにご飯粒がついているのはあえて黙殺しておき、彼女が落ち着いたのを確認してから僕はすぐに切り出した。小さい子どもを問い詰めることに多少の罪悪感を感じないでもなかったが、相手が相手だ。
「落ち着いたなら、質問に答えてくれるとありがたいな」
「……はい」
暗い表情を浮かべるが、ここは心を鬼にしてでも聞き出しておかなければならない。まずは……。
「どうして美雪さんに化けていたんだ?」
「……私が、ドッペルゲンガーだからです。信じてもらえないかもしれないですけど」
「信じるも何もそうするしかない状況だよ。けど、ドッペルゲンガーなら気になることがあるんだ。どうして僕じゃなくて美雪さんに化けていたんだ?」
世間で噂されているドッペルゲンガーはあくまで自分自身に化けるものだ。そして化けた本人の前に現れるのが定石だが、この子は違う。化けるものが、化ける者が違った。この子はあくまで狐火美雪に化けていたのだ。それが、世間一般のドッペルゲンガーの認識とは異なる。
美雪さん本人を殺して成り変わったという恐ろしい想像はしたくもないが、可能性の一つとしてはなくもない。どうしても確認しておきたいことだった。
ことだったのだが、なぜか彼女は赤面してしまい、答えあぐねている。もじもじしながら、答えるのが恥ずかしいといった風に身体をくねらせている。そこまで気恥ずかしくなる質問ではないはずだが、なぜか彼女は顔を真っ赤にして目にぐるぐる渦巻きを作っていた。
口をちょっと開いたと思うと、あの、その、としか言葉が出ず、オウムの方がもう少し言語を喋れるのではとすら思えてしまう。オウム返しにすらなっていない。
このままでは埒が明かないので、質問を変えることにした。
「じゃあ、どうしてここにいるんだ?」
「……あぅ」
小さく呻くと子犬もかくやというほどに小さくなっていく。顔の真っ赤さといい、震え具合といい、線香花火を連想してしまう。
これも都合の悪い(あるいは答えようのない)質問なのか、もぞもぞとするだけだった。進まない会話に頭を悩ませ、結局出した結論は名前を聞くことだった。
「……ライア」
「ライア……」
なんともよくできた名前だった。ライアとは。つまるところ嘘つきじゃないか。偽名ではないかと思ったが、とりあえずはそれを信じないと話も進まない。お互いに自己紹介を済ませ、まずは身の上話からすることにした。本筋からはかなり離れてしまっているが、そうでもしないと喋ってくれそうにない。
「まずは僕だけど」
「えっと、知ってます」
「え?」
「知って、ます。色んな事、全部」
「……というと?」
「記憶を、読み取れるんです。そうやって、変身するんです」
皮肉の一つでも言いたくなった。勝手に記憶まで読み取られるとは、個人情報保護法も黙っていないが、証明のしようがない。完全犯罪の成立じゃあないか。理不尽にもほどがある。常識だとかそういったものをまとめてゴミ箱にでも捨てられたような衝撃に襲われた。
見られたくない心の一部まで透明な箱に飾られて、四方八方からまじまじと観察されるに等しい。大げさでは無く、本気でそう思った。
「……じゃあ、君の身の上話でも聞いていいかな」
すんでのところで出かけた感情をなんとか堪え、話す。
「えっと、私はごく平凡な家で産まれました。母も私と同じドッペルゲンガーで、お父さんは普通のサラリーマンです。私のお母さんはなんというか、贔屓目で見なくてもいい人で、私の世話をよくしてくれました。やっていいこと悪いこと、人間たちの中にどうやって紛れ込めばいいのか、……恋をしたらどうするべきなのか」
「なるほど」
「だから、その、さっきの質問に答えるなら、……えっと」
少女は一世一代の大告白のように、言った。
「わ、わわ、わたしっ、あなたのことが好きなんですっ」
冗談なのかどうなのか、定かではないが。恋はここまで人を狂わせるのかと、心底思った。一つことしか考えられなくなって、周りが見えなくなって、その人のことしか考えられなくなって、どうしようもなくその対象を好きになる。
不器用で、下手くそで、鈍くて、一直線。
「似てるんだ」
「え?」
「いや、こっちの話だよ」
こっちの話だ。
こっち側の話だ。
「告白ありがとう」
「あの、……わたし」
「少しだけ、考えさせてよ」
僕が言った言葉は、それだけだった。
14/09/16 00:22更新 / 綴
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