連載小説
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中編 裏
13

 私は今、とある霊園にいます。彼は律儀に墓参りをしていました。誰の墓参りか、という質問は蛇足でしょう。狐火家の墓以外にどこがあるというのでしょうか。彼は墓前で手を合わせていました。何を思い、何を考えているのか私にはわかりません。ほとんどコミュニケーションもない彼のことを好きになるなんて、少女趣味が過ぎるとは自覚していますが。ですが、この世にはわからないからこそ好きになるという現象が数は少なくとも存在はしているというのが、私の持論です。
 わからないからこそ、もっと知りたいと思い、それがいつの間にか好意になっているのはとても自然の摂理に沿った、大切な感情ではないでしょうか。それを恋と呼ぶようになったのはいつの時代からなのか定かではありませんが、それを忘れてしまうほど廃れた覚えはありません。
 だから、私は彼のことを、浅原君のことを好きになったのです。今の説明のどこに理由付けがあったのかと首を傾げる人には、野暮なものだと叱責した後に顔がめり込む乙女の拳をふるっておくことにします。

「……」

 彼は短く息を吐くと、墓石の表面をゆっくりと撫でていました。慈しむような、悲しむような複雑な顔をしながら。彼の胸中を察することは簡単ではありませんでした。きっと彼の頭の中では情報の奔流が容赦なく彼を呑み込まんとしているのでしょう。感情という、制御しきれない情報が。
 私自身がその制御の難しさには痛感しているので、そこから勝手に想像することはできます。が、人の気持ちを勝手に想像して共感したりするのはもっとも傲慢なエゴの一つだと思い、やめました。
 ですが、私は彼のそんな表情を見たいわけではありませんでした。
 私はいつだって、彼の喜んだ顔が好きでした。いいえ、それだけじゃありません。大海原よりも深い愛を注ぐくらい、彼が好きでした。大好きでした。
 雪だるま式に増えていくこの気持ちにブレーキがかからなくなったのは、語らずとも恋をしたことがあるならば理解されるでしょう。
 恋は歯止めが効きません。この世で一番の麻薬です。人を簡単に瓦解させ、人を簡単に崩壊させ、人を簡単に堕落させます。ですが、その結果がこれだというのなら。
 少し、残念でした。

「待たせたね。行こう」

 言って、彼は自宅のマンションへと帰りました。
 よくも悪くも男性の部屋にそれなりの秩序を保たせた部屋は、あくまで女性の目から見ると新鮮ではありました。
 心の整理は一応ついたのか、彼は比較的大人しくなっていました。
 ですが、それはおそらく表面上だけの話でしょう。彼が子どもであったなら、未だに感情は素直な発露に従って、滔々と湧き上がる湯水のごとく溢れていたはずです。そんな彼を大人にさせたのは間違いなく現代の荒波なのでしょうが、それを喜ぶべきことかと考えると、それは微妙でした。
 大人になることばかりが、いいことだとは限りません。ピーターパンシンドロームという言葉すらあるこのご時世において、子どもであることも、一種の美徳ではないのでしょうか。笑顔に嬉しいだとか、楽しいだとか、そういったプラスの感情以外も込められると知ってしまった時、人は大人になると同時に、大切なものをどこかに置いてけぼりにしてしまう。置いてけぼりならまだ取り戻せばいいだけですが、もし忘れてしまったのなら。
 それはとても悲しくて、可愛そうなことです。
 私は彼の中にある子どもっぽい部分も好きでした。全て好きなのですから、それはもう言わずもがなでしょうが。
 全ての元凶である私がこんなことを言っても、非難を浴びせられるだけかもしれません。いえ、まだ世間にも知られていない、私たちの物語をいったいぜんたい誰が知るのか甚だ疑問ではありますが。
 罪悪感を感じますが、ですがそれを償うことができるのも私だけなのです。二人をハッピーエンドにできるのは私だけなのです。
 あら?何かツッコミを入れたそうな顔をしています。
 二人だなんて、ハッピーにするのは彼だけじゃないのかと言いたそうな顔で。もしそう思っているのなら、それはとんだ勘違いです。
 そう、勘違い。
 いったい何時から、私をあのドッペルゲンガーの女の子と、ライアであると勘違いしていたのでしょうか。
 これは私の物語です。全ての元凶である、私。
 正真正銘狐火美雪の物語です。私の主観で語る話には、当然ながら私の価値観が少なからず混ざります。脚色もだいぶされることでしょう。ですがこれだけは心得て、読み進めてほしいという願いがあります。
 この物語は、ハッピーエンドで終わるでしょう。
 これは実にありふれた実際にあった話。ゴーストになった私、狐火美雪の書いた物語。
 つまり、今あなたが読んでいるこの書物のことです。
 ここからは、長くなるでしょう。さあ、お茶でもいかがですか。

14

 私がどれだけ彼のことを好きなのかは、どれだけ美辞麗句を尽くそうともどうせはいそうですかという感想だけで終わるので、語りません。そもそも、人の恋心に優劣をつけるつもりはありません。
 ライアに、浅原君を見ていればわかることでしょう。人を思っている形は様々で、たとえそれを欺かれたとしてもその想いは強く強く心の中に残っています。それは誰でも同じことです。ですから、ここで私の恋心云々について語るのはやめておきましょう。……ああ、いえ、ですがやはり語らなければならないのかもしれません。そうしなければ、納得できないでしょう。
 私は一目ぼれという人生初の体験をしたのは、言うまでもなく浅原君が初めてでした。ですが、シャイガールだった私にとって、あまり話したこともない男子に声をかけるという行為がどれだけ大変なプレッシャーだったか、語るには紙面が足りません。ですが恋とは性質の悪いことに、そういったジレンマが大きければ大きいほどに、それを養分としてすくすくと育っていくものです。
 肥大化するそれをどうすることもできず、……恥ずかしい話、私は自慰で己を慰めることくらいしか解決方法を知りませんでした。見たことのない彼の裸を想像し、きっとこんな風に抱きしめてくれるのだろうなという切なく淡い妄想に溺れる日々。悲しいことに、現実が失敗する恐怖と比べると、非常に妄想の世界は甘美なものでした。
 後々考えてみると、こうした経緯が私が死んだときに、自身をゾンビなどではなくゴーストたらしめたのかもしれません。ですが、それはあくまでもたらしめたものであって、その現状を私がよしとしているはずはありませんでした。
 一目惚れというのは、さながら人間を一気に原始に還してしまう爆弾のようなものです。どれだけリアリストを気取っていても、世界で自分だけは特別な存在だと信じていても、一目惚れはそれらを丸めてゴミ箱に捨ててしまいます。一瞬で運命なんて言葉を信じるようになり、四六時中相手のことしか考えられなくなります。一過性のものではあるのでしょうが、逆に考えれば一過性だからこそ強烈に記憶に刻まれ、人々を恋心で苛むのです。
 別に私はとりたててロマンチストというわけでもないのですが、この一過性の病状にしっかり感染していました。
 もちろんそんな自分に戸惑いもしました。今まで普通に過ごしていた日々が急に極彩色に彩られ、胸が五月蠅く鳴り続けるのです。戸惑わないはずがありません。
 愛読書はライトノベルと純文学という偏った趣向を持つ私でしたが、この気持ちはどうにも既存の文学などでは表現できない、むしろ表現することじたいおこがましいことではと思ったほどです。
 話が逸れかけているので、軌道を戻して、日々の話をしましょう。
 自慢ではありませんが、異性との会話なんて数えるほどしか経験がなかった私が一気にコミュニケーション能力を開花させるなんて奇跡は起こるわけがありません。ひたすらおどおどしながら、隣の席になった時には授業の内容が頭に入らないほどに緊張していました。そんなチャンスにも大きな機会は作れず、自己嫌悪に浸りながら己を慰める日々。
 そんなサイクルが続きました。
 非常に恥ずかしい告白ですが、自慰をしているときにはその自己嫌悪からも解放されていたのです。妄想の世界ではなんだって上手くいく。いつだって浅原君は優しいキスを浴びせてくれて、私の身体に陶磁器でも扱うかのように繊細に触れてくれました。こちらの様子を心配しながら私を鳴かせて、たっぷりの愛の証を身体の中に染み込ませる。
 ああ、ああ。
 思い出しただけで、顔から火が出そうなほど恥ずかしい、痛い妄想。ですがそれは当時の私にとっては秘薬でした。どんな心の傷だってたちまち治してしまう恋の秘薬。
 だからこそ私はひたすら慰めたのです。いつか本当に彼が私を抱いてくれる日を夢見ながら、希いながら。
 今からしてみれば、ご都合主義もたいがい、といったところでしょうか。
 自分から進まなければ進展などありえません。失敗をおそれて引き籠っていても何も変わりません。いつだって物語を進めるのは自分の足だけなのです。いえ、足がなくなった幽霊、ゴーストがこんなことを語るのもどうかとは思いますが。まあ、そこはもののたとえみたいなもので。
 さて、ここまで語ると大よその察しはついたでしょうか?
 ここまで極端な恋が実るはずはありません。言うなれば、当時の私は臆病だったのでしょう。現実よりも甘美な世界を目の前にして、ぶら下がった餌を前にして我慢できない動物のように妄想にがっついていました。
 気づいた時には高校時代は幕を閉じ、いつの間にか私はいい歳になっていました。
 ここまでなら、ギリギリ笑える失恋話です。
 ここまでで、終わっておけばよかったのです。
 いい歳をした頃には、私は妄想と依存関係に陥っていました。人間の心理的機構には合理化や昇華、抑圧などがありますが、間違いなくこれは逃避でしょう。嫌なことがあれば、すぐに逃げ込める便利な世界。いつの間にか私にとって妄想は、そんなものになっていました。さらに不味かったのは、未だにその世界に浅原君がいたことです。いえ、彼に非はあるはずないのでこれは完全なる自業自得ですが、私は未だに彼の姿を脳裏に投影させていました。
 異常だと思うでしょう。
 狂っていると思うでしょう。
 私もそう思います。だから私は、ゴーストになったのでしょう。そんな私が不注意で命を落としたのは、それはもう必然のようなものでした。妄想ばかりで現実との境界線が曖昧になってきていた私が、むしろそれまでよく事故に遭わなかったと驚くくらいです。
 味わったことのない痛みを感じたのも一瞬、私は死んでしまいました。
 色々なものを引きずったまま。未練もたくさん残ったまま。そして気づいた時には、私の身体は透明になり、足が消えて宙に浮いていました。自分の身体が自分でないような奇妙な感覚に最初こそ戸惑いました。それこそこれは私の妄想の延長線上にあるのではと勘繰りました。
 そんな私にこれはれっきとした現実だと教えてくれたのは、他のゴーストでした。どうしたものかとふらふらとあちこちを彷徨っている時に、偶然出会った子です。その子は私に色々なことを教えてくれました。出来る事と出来ないこと、出来るようになること。
 とても明るく、そして色気のある子でした。私と同じように妄想に耽る子でもありました。

「私、これから恋を叶えるんだ!」

 心底嬉しそうに彼女は言いました。幽霊でも叶えられる恋がある。それは確かに、女子ならば歓喜するものでしょう。
 私は一言お礼をすると、すぐに彼を探しはじめました。死んでも叶えられる恋ならば、叶えない道理はありません。
 生まれ変わるもとい、死に変わった私は、自分の中で何かの殻が壊れるのを感じました。

「浅原君」

 彼の名前を口ずさむと、背中がくすぐったくなりました。

15

 まず私がしたことは彼を探すことです。案の定というか、発見することは容易でした。ですが想定外の事態が一つ。彼の傍には小さな女の子が一人いたのです。彼にはロリコンの気があったのかと勘違いしそうになりましたが、こっそりと話を伺っていくうちに大まかな事情を察することができました。
 まあ、普通なら発狂ものでしょう。浮気でもなんでもないですが、自分の姿に化けられた挙句、その身体で浅原君と既成事実を作ってしまったのですから。修羅場です。昼ドラです。
 ですが、不思議と嫌な気持ちはしませんでした。むしろあろうことかどう頭の回路の接続を間違えるとそうなるのかわかりませんが、彼が両手に花の光景を想像すると、それも悪くないと思ってしまいました。
 これも死んだことによる変化なのか定かではありませんが、しかし。
 しかしなかなかどうして、悪くありません。
 だから私は決意したのです。妄想に毒されていようとも、変わることのない実行に移される決意をしたのです。
 彼らの前に姿を現す、覚悟を決めたのです。

14/09/21 01:16更新 /
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■作者メッセージ
そんなお話でした。楽しんでいただければ幸いです。
後編 裏で終わります。

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