連載小説
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「ついていけない」
 僕は今、ひたすら勉強に打ち込んでいた。ライラさんを教師に迎え、机を挟んでの一対一、マンツーマンでの指導が入りながらの勉強だ。その理由と言うのはとても単純で、この世界のことを更に詳しくしらないと、とてもじゃないが生き延びれる気がしなかったからだ。ライラさんは大まかなことは教えてくれたけど、事細かなものまでは、最初の説明では省かれていた。要するに、どんな魔物がいるかとか、どんな道具があるのかとか、魔物以外、どんな生物がいるのかとかだ。
 他にも例を挙げれば職種や気候、人種に街、言語に文字など。キリがない。なので僕はまず魔物の種類について詳しく教えてもらうことにした。
 ライラさんは幸いにも博学で、薄学の僕とは大違いなほどの知識量を持ち合わせていた。また、根気強く説明をしてくれるので、久々に勉強することが楽しいと思えてくる。
 勉強することが楽しい。そう思えるのは僕が異端とかそう言った理由ではなくて、誰でも持っている感覚だ。小さい頃は、わからないことがわかった時の喜びは凄いものだったのに、それがいつの間にか感じなくなってしまって。
 今、僕はそんな忘れかけていた感覚を久々に思い出していた。

「じゃあ、ファラオの特徴は?」
「確か王の命令が使えるんですよね。拒否不可能の」
「うんうん、よく覚えてるわね。それじゃあ私のスリーサイズを答えてもらおうかしら」
「セクハラです」

 時々魔物らしい問いも混在しているけど、基本的にはいい先生役だった。元の世界よりも、よっぽどいい。そう、よっぽど。
 向こうでは、いつもいつも学校で成績ばかりですぐに優劣が決められて。部活でも結局、頑張りよりも結果が求められて。綺麗な言葉を並べるだけの教師もいれば、徹底的に波長が合わない教師もいた。在籍していた生徒の人数も多かったせいか、生徒個人個人にちゃんと向き合えている教師なんて、いなかったと思う。
 その生徒を象るものは成績だけで、次に吐き出す言葉は決まってどこの大学に進むかだとか、進路は決まっているかだとか。
 息が詰まりそうだった。
 勉強の難易度についていけない生徒は頑張って質問しても理解ができず、いずれ置いていかれる。
 そんなこともないのだから。少なくとも、この世界ではじっくりと自分の理解が追いつくまで、知識を纏め、増やすことができる。
 そういうお堅い面で見れば、ここは理想的な世界なのかもしれない。いや、それ以外でも。

「どうしたの?なんだか暗い顔してるけど」
「まさかまさか。ちょっと向こうの世界が懐かしくなっただけですよ」
「・・・やっぱり恋しい?」

 どうなんだろうか。
 僕は、天涯孤独の身ではなかったし、学校もサボることなく通っていたけれど。

「いえ、別に。案外薄情なのかもしれませんね。今ではこの世界にメロメロですよ」
「また嘘ばっかり」
「嘘じゃないですよ」

 これは本音だった。少なくともこの世界は、向こうの世界よりも魅力に溢れている。
 魔物は確かに言葉だけ聞けば恐ろしいものだけど、その実態は恐ろしさとは無縁なもので。蓋を開けてみればその中身は誰もが美しい、もしくは可愛らしい女性の姿をしていて、好きになった男性にひたすら一途に尽くす、夢のような話。多分世の中の男性の理想である、昼は淑女、夜は娼婦(理想が古いかもしれないけれど)が現実になっているのだから。人に、もっと言ってしまえば男性にとっての桃源郷のような都合の良い世界。誰もがハッピーエンドを迎えることができる世界。
 僕のいた世界とは、ほとんど格が違っていた。
 醜い嫉妬に塗れて、誰かが誰かを蔑まずにはいらなくて、ルーチンワークのような日々を繰り返すだけで、そんな日々に辟易しながらも自分ではどうにもできないと諦めて、妥協することを強要され、運が悪ければほんの些細なことで、或いは他人の身勝手で自分の人生が終わる。
 そんな世界とは・・・。

「それにしても、物覚えがいいわよねえ。ひょっとして向こうでは優等生だったの?」
「記憶力だけはいいもので。でも、記憶力がいいのと、勉強ができることは違いますよ。」
「あら?そうなの?」
「ええ、そういうものです」

 実際、記憶力が良くても、それは理解力があることとイコールにはならない。記憶することと、理解することはまた別物だ。この世界では、覚えればそれで済むことが多いだけの、それだけの話だった。
 例えば、ライラさんをはじめとする魔物の特徴や特性は、ライラさんが自由に見ていいと言っていた図鑑を見ればすぐに把握できる。植物や道具、食べ物にしたって同じだ。簡潔な文章でこれはこう、と言われれば、覚えるべきことはそれしかない。
 それを覚えるだけでいいなら、僕の得意分野だ。

「あ、そうそう。今日、私も一緒について行くから、領主様のところに行ってくれる?」
「・・・僕がですか?」
「ええ、やっぱり異世界から来た人は、一度目にしておきたいんだって」

 よくよく考えてみれば向こうの言い分はごもっともだった。僕の立場からすれば、僕はただこの世界に迷い込んだだけだけれど、この世界の人からすれば異世界からやってきた人ということになる。そんな人間に不信感を抱かない方がおかしいし、そう考えると、一目見ておきたいというのはこの世界の、しかも国を治める領主の立場からすればとても自然なことだ。
 ここで変に断る必要もないだろう。僕としても、会うことで何か進展が期待できるかもしれない。具体的にどんな何がどう進展するのかは、僕自身わからないけれど。
 そんなわけで、善は急げとライラさんに急かされてソプラノの入り組んだ街並みを目に焼き付けながらやってきた領主の家は、・・・冗談みたいに広かった。
 まずなにが広いって庭が広い。精緻に並べられた石畳が広がり、しっかりと花壇との区別がされている。中央には噴水。扇情的な格好をした人魚の石像があり、その像が持っている瓶から滔々と水が流れている。花壇に植えられている花も、異世界だから当たり前なんだろうけど、見たこともない色鮮やかな花が咲き誇っている。中には薄っすらと発光しているものもあり、どこか幻想的な雰囲気すら感じてしまう。
 わぁぁと感嘆の声をあげることができないくらい圧倒され、そして次に家の広さに驚いた。いや、家じゃない、屋敷だ。
 豪奢なシャンデリアが飾られているが、窓が少ないせいか屋敷の中での明かりはどうやらそのシャンデリアと蝋燭の明かりだけのようだった。廊下はどこまでも続いていて、知らず知らずのうちに迷宮にでも迷い込んだ気分になる。部屋の数も尋常ではなく、びっしりと壁を埋めるようなドアの数と、それと反比例するように静かな屋敷の空気に、異質な感じがした。
 そのドアにも過分とも言えるような装飾がされている。
 なんと言えばいいのか・・・贅の限りを尽くしたって言うのは、こういうのを言うんだろうか。
 ライラさんはと言うと、何度も足を運んでいるのか、慣れた様子で、土足で(土足!?)赤いカーペットを踏みながら一直線にずんずんと進んでいた。

「ほらほら、迷子になっちゃうわよ、こっちこっち」

 冗談にならないような軽口を叩かれながら、僕はハッと我に帰りライラさんの後を追う。そしてやがて、一際大きい扉の前に辿り着いた。ここに来るまでに、何度直進して、何度曲がったのか覚えてない。見るもの全て新鮮で、それにばかり意識を取られていた。ひっくり返せばそれは、新鮮だと感じる余裕が僕にも生まれてきたってことなんだろうけど。

「それじゃあ先に入って」
「ぼ、僕が先ですか?」
「ええ、メインはあなただもの」

 言われてみれば確かにそうだ。今日は、ライラさんは付き添いに過ぎないことを忘れていた。
 僕は短く扉をノックすると、中から入れと言う声がした。
 戸惑いながらもドアノブに手をかけて、ゆっくりと開く。
 それとほぼ同時に何か空を切るような音がして、僕の身体は何かに縛られたように動かなくなった。え?動かなくなった?

「ようこそソプラノへ、居心地はいかがか?」
「いや、居心地って言うか、身体が動きません」

 扉の先は至って、僕の描いていたイメージと違わない、執務室と言う様な部屋だった。その部屋の椅子に、社長のように(実際は領主だ)座っている短い金髪の女性。
 美しい容姿の中に、どこか触れてはいけないような危険な空気を纏った人だった。いや、それくらいでないと領主なんて務まらないのかもしれない。
 その女性は、にっと笑みを浮かべる。少し見えた歯は、尖っていた。ヴァンパイアの、ヴァンパイアたる証と言わんばかりに。

「自己紹介がまだだったかな。私の名はリリヤだ。・・・貴殿は?」
「貴殿なんて呼ばれる身分かどうかはわかりませんけど・・・木口筑紫です。あの、身体が動かないんですけど」
「ああ、すまない。婿殿の仕業だからもう少し辛抱してくれ。辛いとは思うがな」
「は?婿殿って」

 部屋には僕とライラさんとリリヤさん以外、誰もいない。そう思っていた。
 ら。

「よう少年。もう少し我慢してくれよ」

 そう言いながら僕の身体を『いつの間にか』まさぐっている茶髪の男性がいた。年は二十半ばと言ったところだろうか。
 いや待て、その前に僕はいつからまさぐられてた!?さっきまで姿すらなかったのにいつ現れたんだ!?と言うかちょっと待ってそんなところまで調べたららめぇ!お嫁に行けなくなる!間違えたお婿に行けなくなるらめえ!

「何身を捩じらせてんだ?男同士だ気遣いは無用だろ」
「いや待ってくださいあなた誰で、待ってホントに待って!そこだけは、後生です、堪忍してください!」
「そんなことを言うのは遊女くらいだぞ・・・ほれほれ、ボディーチェックってやつだ、そう動くんじゃねえ。どれ、次は股間に何か隠してないかっと」

 言いながらまさぐる手を止めない謎の男性に、

「やめてえええええええええええええええええええ!!!!!!!」

 屋敷の中に、僕の悲痛な叫びが木霊した。やっぱり元の世界に戻りたい、そう思える出来事だった。
13/09/28 17:13更新 /
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■作者メッセージ
そんなお話でした。楽しんでいただければ幸いです。
まったりとした日常を書くのは楽しいです(これは日常とは大違いですが)

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