連載小説
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ありのままの貴女
シエル・ヒュリチェルには、優秀と評すれば世辞にならない姉がいる。
天衣無縫にして、天真爛漫。
あまりに自由な統治でありながら、領民は彼女に何ら不満を抱かないというなかなかの曲者。
ハートの女王に負けず気まぐれでありながら、何も間違った政策は執り成していないからだ。
むしろ、思いつきだからこその柔軟な発想により、領土の活気は満ちに満ちている。

「………………」

それゆえに、優秀ではない妹は肩身が狭くて仕方がない。
こんな風に考えるのは馬鹿らしい、そうシエルも頭では理解している。
姉と違って優れていないから、姉と違って麗しくないから、姉と違って頭が固いから。
そんな理由で、周りの人々が自身を厭うなぞ、天地がひっくり返ってもありえない。
シエルは間違いなく、それを頭では理解している。

「それでも、悩まずにはいられませんよ……」

理解していても、感情は別だ。
彼女の周りは、姉も然ることながらお人好しと言っても過言ではないほどに優しい。

『アンセルみたいにならなくても、貴女は頑張り屋さんじゃない』
『ボクはシエルみたいに頑張れないから、その直向きさが羨ましいなぁ』
『うへぇ、シエルいつもこんな小難しい問題やってんのか? すっげぇな!』

シエルの耳に残っている励ましは、どれも温かく胸に響くものがある。
自分が頑張っていることが認められて、姉ではなく自分が見られたことが、ひどく嬉しかった。
だが、その嬉しさに浸れば浸るほどに空しい。
アンセル、即ちシエルの姉に当たるアンセリス・ヒュリチェルの背中は、未だ遠いままだからだ。
努力はしました、でも、結果は出ませんでした。なんて、小さなプライドには大きな傷だ。

「はぁ……、私、お姉さまに恥じないようになりたいだけなのに……」

そのゴールの、何と遠きことか。
弱音をため息交じりに零し、シエルは窓の傍へ歩み寄る。
汚れ一つないその窓に広がるのは、アンセルが築いた夜でも賑やかな城下町。
自分にはこの活気は作れないだろうと、彼女は更にため息を零した。

「ぅあー、なんかどんどんネガティヴになってますよぅ……! こんなんじゃいけないのにぃ……!」

ぶんぶんと頭を振る誇り高きリリムの姿は、なかなかに滑稽だ。
反魔物領の兵士が見ても、魔王の娘にはとても見えないだろう。

「……はぁ、ちょっと息抜きに散歩でもしましょっか……」

躁鬱のようにテンションを乱高下させ、彼女はトボトボと部屋から出ていく。
キャスケットを目深にかぶり、伊達眼鏡をかけて、簡単な変装をして。
領主の妹、シエルは彼女の町へ繰り出した。

☆ ★ ☆ ★ ☆

「年甲斐もないけど、ちょっとドキドキしちゃいますねー」

別に見つかったら怒られるわけでもないが、シエルは人気の少ない通りを歩いていく。
変装をして、城内の兵士や従者に見つからないようこっそりと抜け出て、妙なスリリングを覚えた。
いま彼女が思い返せば、確かにうら若い乙女がするようなことではなかった。

『ふふふっ、そう、メドゥーク……今の私はメドゥーク……!』

忍び笑いを漏らしながら裏口から抜けたあの瞬間は、気付かない内に黒歴史だろう。
ちらりと、正門の方に視線を移すと、薄暗い裏口とは比べるべくもなく華やかだ。
シエルは被害妄想も程ほどに、その差すらも姉と自分の差を揶揄しているようにさえ見える。

「わ、我ながら卑屈すぎますわー……」

自己嫌悪に引きつった笑みを浮かべつつ、シエルはトボトボと通りを歩いていく。
盛り下がった気分を変えるための散歩だというに、ネガティヴな思考は都合よくいかない。

「あーお姉さまー貴方はどうしてお姉さまなのー♪」

ヤケ気味にそんな歌を口ずさみつつ、シエルは気まぐれに道を曲がる。
気まぐれ、とも言えるが彼女にとって町は自分の庭のようなものだ。
幼い頃から歩き回っていたせいか、この騒がしい町には珍しい人気のない通りも熟知している。
ネガティヴな面に関しては、シエルは既に姉に勝っているかもしれない。

「なぜお姉さまはお姉さまでいらっしゃいますのー♪」

きっと、後に思い返せばこれも黒歴史だろう。
人がいないせいか、ヤケクソのテンションは止まることを知らない。

「お父さまと縁をき……っ、ぶほぉ!?

そして、人を見つけたために、その右肩上がりのテンションは止まった。
見ようによっては、跳ね上がったようにも見受けられるかもしれないが。

「げほっ、うぇほ……、な、なんっで、こんなとこに人が……」

むせるシエルの視界には、さながら考える像の如くベンチで頬杖を突き足を組む男がいた。
男にしてはやや線の細い体を外套で隠し、彼は眠っているかのように微動だにしない。
ともすれば死んでいるようにも見えるが、彼の口からは白い吐息が生きているぞと主張している。

(ね、寝てる……? だとすればありがたいですが……)

やけっぱちの変てこりんな歌が聞かれていなかったのであれば不幸中の幸いだろう。
恐る恐る、シエルはこの寒空の下で眠るようにベンチに座っている男に歩み寄る。

お、起きてますかー……?

できれば起きていないことを祈りつつ、シエルは小声で尋ねる。
そんな声を煩わしそうに男はぷいっと顔を背けるが、唸るばかりで返事は全くない。
寝ているのか、寝ていないのかイマイチ分かりにくい反応である。

「お、おぅふ……」

――お、起きてないのかな……?
希望的観測ながらそう思い、寝ているのであればわざわざ起こすのも迷惑だろうとシエルは微妙な顔つきになる。
しかし、こんな所で寝ていては次の日に間違いなく風邪を引いてしまうだろう。
黙って見ないふりができるほど、残念なことにシエルの人格は薄情ではなかった。

「あ、あのー……もしもし?」

つんつん、と。男の華奢な肩を指先で突いてみる。
しかし、相変わらず仏頂面のまま男の瞼は微動だにしない。

「あぅあぅ……、起きませんん……」

無理に起して機嫌を損なったら、とシエルは見当違いの心配をする。
そんな気遣いと、起こさなければという義務感に彼女はあたふたと戸惑っていた。
こんな些細というか、ささやかなことに気遣うリリムも、そうはおるまい。

「……あ、せめてこれだけでも……」

放っておくことはやはりできず、シエルはポンと手を打って羽織っていたジャケットを脱ぐ。
それを男にかけようと、彼女はそっとジャケットを広げる。

が。

「いらん」

彫像のように微動だにしなかった男の口が、短くそう発する。
寝ている、という風に受け取っていたシエルは、その声にひぇっと変な声が出た。

「お、お……起きてたんですか……!?」

吃驚どころか、シエルは心臓が止まるのではないかという思考とは対照的に、ドッドッと激しい脈拍にパクパクと口を開閉させる。
そんな彼女に対して、男はパチリと瞼を開き、小さく息を吐く。
まるで、何かに呆れているかのようだった。

「斯様な寒空の下で寝る者がいたとしたら、そいつは愚か者以外の何者でもあるまいよ……。貴様にはどうやら、俺がその愚か者に見えていたようだな」

ペラペラと流暢にそう言い、男はもう一つおまけにと盛大なため息を零す。
嫌味で皮肉的でシニカルなそんな態度に、シエルはカチンとくる余裕がない。
未だに驚きが抜けず、それどころではないのだ。

「え? えぇ? な、ならどうしてこんな所に……?」
「……はぁ……」

面倒くさい、そう言いたげに男は三度目のため息だ。

「……気分転換だ。そこに貴様が通りがかり、気を遣って寝たふりをしてやっていたのだ」

――気分転換、ということは私と一緒かー……。
などと、男の言葉にふんふんと頷くシエル。
しかし、気を遣って寝たふり、という言葉を聞いて、彼女ははてと首を傾げた。

「えっと……、何に気を遣ったんですか?」
「…………貴様、そこはかとなくアホだろ」

面倒くさい、は一層飛びぬけてもどかしげな呆れに変わった。
だが、シエルはそこまで言われてもピンとこない。
その様子に、男は気だるげながらも、愉快そうに口の端を歪める。

「シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』……それが浅はかな歌詞に変えられていたら、誰だって聞かなかったフリをする優しさは持ち合わせような」

思い出し笑いか、くくっと喉を鳴らす男にシエルはようやくボッと赤面する。
あのやけっぱちの、下らない愚痴のような歌が聞かれたとすれば、それはそれは恥ずかしかろう。

「貴様の名は知らんが、題するに『リリムとお姉さま』か? 生憎、レズビアンというか、同性愛に近親愛……更には同族愛か? まぁ、そいつらは俺の専門範囲外だな」
「べべっ、別にそんなんじゃなくって……! ただノリで歌っただけで深い意味は……!」
「分かっている、冗談だ。くくくっ……」

愉快そうに笑う男に、シエルはやり場なくもごもごと何か言いたげに俯く。
しかし、最初の仏頂面からは意外と思えるカラカラとした笑いに、シエルは内心ホッとしていた。
不機嫌そうで厳格な性格はあまり得意ではないが、どうやら彼はそうではないらしい。
一しきり小気味よく笑った男は、一息ついて改めてシエルに向き直る。

「して、どうした小娘?」

どうした? という唐突かつ脈絡のない質問に、シエルはえっ? と言葉に詰まる。
しかし、男は小馬鹿にしたように続ける。

「すっ呆けるな。こんな夜更けに外に出る娘なぞ、非行か何か悶々としているものだ。しかし、俺が見るに貴様は非行に走るような女でないだろう。故に再度問うが、貴様、何かあったのか?」

言え。そう強制するかのような迫り方だが、シエルはぎくりと冷や汗を背筋に流した
――この変な人、鋭い……!

「あぁ、いや、無理には聞かん。単なる興味本位だからな」

強張った表情に気付いたのか、男は薄く笑いながら付け加える。
しかし、その目は明らかに言えと命令している。
出会って五分とたたない男の高圧的な態度に、領主の妹という立場を忘れてシエルは委縮する。

「え、えっと……その…………」

さすがに、シエルもしどろもどろである。
明らかに、こんな見ず知らずの男に相談するようなことではないだろう。
下らない劣等感と、ちんけなプライドの話なぞ。

「…………………」

――でも。
ずけずけとした男の物言いを思い出し、シエルは少しだけ考えた。
彼女の優しい周囲と相談するとは、きっとこの男はもっと違う意見を出すだろう。
そんな打算的な考えに、彼女は自分を応援する皆に心の中で小さく詫びた。

「じ、実は……」

シエルは、男に打ち明けた。
自分が領主の妹であり、その領主は天性の統治者であること。
そんな彼女に自身は明らかに劣り、自分なりに頑張っても追いつく背中が見えないこと。
洗いざらい全部、彼女は男に相談した。

「……ふむ、なるほど」

と、男は一つ頷いた。
下らないと一蹴することもなく一つ思案して、男はちょいちょいとシエルを手招きする。
はて? と首を傾げて歩み寄るシエルに、男は容赦なくシエルの頭にチョップを振り下ろす。
ガッ、と、実にいい音だ。

「ふぁっ!?」

何故に!? とシエルは目を白黒させながら男を見上げる。
が、男は呆れたようにため息を吐いていた。

「領主の妹が、そんな話を見ず知らずの男にするな……。貴様、いつか必ず悪い男に騙されるぞ」

――お、おっしゃる通りで……。
嘆かわしい、そう言いたげに肩をすくめる男に、シエルは耳が痛くなる言葉に頭を撫でる。
なんだかアヌビスの家庭教師を思い出さされる生真面目な男だと、シエルは彼への認識を改めた。

「さて、下らん説教はさておいて本題だ。要するに、貴様は姉のような、いわゆる優秀と評される存在になりたい、というわけだな?」

概ね、それはシエルの要望の通りだ。
姉と見比べられても、恥ずかしくないようになりたい。
こくりと、彼女は男の言葉に頷いた。

「ふむ……、なるほど、そうか」

納得したように頷き、男は瞳を伏せる。
何かを思い出すかのように、男は何度か頷き、よしと呟く。




「では、女の話をしてやろう」




――……は?
シエルの目が、点になった。

「お、女の話……?」
「あぁ、どこにでもある下らん話だ。まぁ、そう疑わず聞け」

呆ける彼女を宥めるように、男は鷹揚にそう言う。
そもそも疑う以前についていけてないシエルは、衝撃に上の空のようでかくんと変に頷いた。
その様子に苦笑して、男は女の話とやらは始めた。

「女はドッペルゲンガー。どこにでもいる悲恋の魔物だ」

朗々と、まるで語るような口調で男は謳いはじめる。
まるで役者のように手を広げながら語る様は、誇らしげだ。

「彼女は魔物らしく男に恋していて、日を重ねど飽きずに男を影から見守っている」
(……ゲンガーちゃん可愛いなぁ)

何だかんだで、シエルは男の話に耳を傾ける。
もともと、こういった話は嫌いなタチではない。
怪訝な色もなくバカ正直に話に聞き入る彼女に、男は得意げに調子を上げる。

「恋慕はつのるが、彼女は男に思いを告げない、いや、告げれなかった」
「え……、ど、どうしてですか?」

話の雲行きが怪しくなり、思わずシエルは口を挟む。
男はそんな彼女に、哀れむような笑みを浮かべた。

「彼女はな、自分の姿に自信がなかったんだ。思いの丈をぶつけても、小汚い子供のような体躯では相手にされないと、そう思ってしまったのだ」
「う、うぅー……な、なんか切ない……」

もどかしそうに表情を沈ませるシエルに、男は内心クスリと微笑ましい。
ただの小噺の幕開けに、随分と感情移入しているようだ。
彼女の様子にニヤリと笑い、彼は続けた。

「だがある日、ついに彼女は耐えられなくなってしまった。募りに募った恋心に、男と親密な仲になりたいとそう思い決心したのだ。告白しよう、と」
「おぉっ!」

グッと、シエルがよくやったと言わんばかりに手を握る。
観衆としてこれ以上に愉快な者はいないだろう。
語る身の上として、男の声は更に朗々と自信がついたものとなった。

「だがしかし、それでも気になるのは己の姿。しかし、彼女はドッペルゲンガー。めかし込むことは、どの魔物よりも得意なのだ」
「………………!」
「新月の次の晩。意を決したように、彼女は意中の男の理想に変身する。が、ここで躓いた」

そこで一つ区切り、男は情感たっぷりに言った。

「なぜか、変身できなかったのだ」
「え……?」

不安そうに、シエルの顔が曇る。
そんな彼女に合わせて、男はどこか感情的な声だ。

「そんな、なんで? と彼女は慌てる。何かの間違いかと、後日に試すがやはり変身できない。その次の日も、その次の日も、その次の日もその次の日も……」
「…………そ、そんな」
「彼女は落ち込んだ。男に恋い焦がれて、思いを告げようとして、なぜこんな目に遭わなければいけないのか、と。自分がドッペルゲンガーでなく、もっと煌びやかな女であれば、と」

シエルの表情は、もはや泣きそうだ。
――そろそろ上げてやるか。
笑いそうになるのを堪え、男は語りを続ける。

「嘆く彼女に、ある男が話しかける。そいつは、彼女の意中の、その男だった」
「………………」
「『どうして泣いてるの?』と、男は尋ねる。『何でもないよ』と、彼女は涙を飲む」
「そ、そこで意地張っちゃダメですよぅ……!」
「それを聞いて男は困ったように笑う。『そんな風に泣いてたら、せっかくの可愛い顔が台無しだよ』なんて台詞を吐き、彼は彼女の透明な涙を指で掬った」
「あっ……!」

泣きそうだった顔が、一瞬で花が咲いたように明るくなる。
その様子に苦笑して、しかし未だに終わっていない話を結ぶべく、男は続けた。

「彼女はそんな歯の浮いた台詞に、初心なことに真っ赤になってしまった。そして、男の言葉を疑う。『自分は、可愛くなんてないもん』そんな風に拗ねるが、男は優しく笑う」
「そ、そこです! 頑張れ男さん!」
「『うぅん、可愛いよ。僕をいつも影から見てたのを、僕も見てたから知ってる。君の姿はいじましくて、愛らしくて、僕は大好きだよ』そう言って、男は彼女の額に口づけした」
「キャ―――――♥」
「斯くして彼女の恋は実る……二人は幸せなキスをして終了、というやつだ」

完と締まり、シエルは黄色い歓声を上げながら拍手する。
やはり恋物語はこうでなければ。
だが、彼女は一つだけ気になる点があった。

「あの……、ゲンガーちゃんはどうして変身できなかったんですか?」
「まぁ、変身できなかったネタバレをしてやれば、男はドッペルゲンガーが変身する以前に彼女を好いていたのだ。彼奴らは、新月の晩とすっぴんを愛されれば変身できんからな」
「す、すっぴんって……」

何とまぁ嫌な言い方か。
そう言えばと思い返せば、シエルも今はすっぴんである。
もともと、化粧をする必要もない美貌ではあるが。

「……って、そういえば結局、何が言いたかったんです?」

すっかり話に聞き入ってしまっていて忘れていたが、シエルは相談をしていたはずだ。
話の内容を思い返しても、残念ながらシエルは彼の言わんとすることが分からない。

「この話から得られる教訓は、ありのままの魅力に自信を持てと言うことだ。綺麗事に聞こえるやもしれんが、『自分』といのは、己にしかない最大の美点なのだからな」

ありのままの魅力。
そう言われても、シエルはいまいちピンとこない。
確かに、話のドッペルゲンガーにはちゃんとした魅力があっただろう。
保護欲をそそられる愛らしい相貌に、その一途ないじましさ。
しかし、シエルには自分の魅力というものが、あるのかどうかも疑わしかった。

「やれやれ……、出会ったばかりゆえに大した評価はできんが、貴様にも相応の魅力はある」
「……えっ?」

素っ頓狂な声をあげるシエルに、男はそうだなと顎に手をやり思案顔だ。

「まぁ、まずその人の話を素直に聞くバカ正直とも言える姿勢、これは好感が持てる」
「ほ、褒められてる気がしませんが……」
「あとはまぁ、お人好しすぎるきらいがあるが、それもまぁ美徳だろうよ」

ついでにその体型も男の目を引くにはいいんじゃないか?
嫌らしい笑みを浮かべてそう言う男に、シエルは照れくさくなる。
彼女の姉に比べると、かなりスレンダーな体系だが、それでも彼からは充分に魅力的らしい。
それが分かったのが、なぜか凄く嬉し恥ずかしかった。

「……おい、そこは突っ込んでくれないと俺のセクハラになるだろうが。突っ込めよ」

本日何度目かの呆れたような吐息を零し、男は仕方なさそうに肩をすくめた。

「まぁ何にせよ、元気が出たなら何よりだ。そろそろ冷えてきたし、俺は帰るぞ」

そう言ってベンチから立ち上がり、男は外套を翻す。
薄暗い路地にさっさと行こうと言わんばかりに歩き出す彼に、シエルは慌てる。

「ちょ、ちょっと待って! 貴方のお名前は!?」
「……そう言うのはまず、自分から名乗るものらしいが?」

首だけ振りかえらせてそう言う彼に、シエルはあれ? と首を傾げる。
領主の妹、と紹介した時点で、名前は既に知られていると思っていたからだ。
だが、彼女はそうは気にせず、改めて自己紹介をする。

「シエル! シエル・ヒュリチェルです!」
「ふぅん? 俺はアフナイデルだ。アフナイデル・クラウディア、また会うことは無いかもだが、よろしくな、ヒュリチェル嬢」

気だるげにひらひらと手を振り、アフナイデルはそのまま薄暗い路地へ消えていった。
ヒュリチェル嬢、と妙に畏まったらしくない態度に違和感を覚えつつも、シエルは彼を見送った。

「変わったお方……」

ぽつりと呟き、シエルも何となく、城に帰ることにした。
気は晴れたし、何となくぐっすり眠れそうな気がしたからだ。







が、城に帰ったところで世話役のアヌビスに見つかり、こってりと絞られた。
リリムギアソリッド、残念ながらゲームオーバーである。

☆ ★ ☆ ★ ☆

「うぅ……あんなに怒んなくてもいいでしょうに……」

耳にタコが出来そうなお説教を食らったシエルは、とぼとぼと自室へ向かう。
むしろ、仮にも要人である彼女が夜に外を出歩いて怒られない方が稀有だろう。

「ふわぁ……ぁぁ……、もう、今日はさっさと寝ちゃいましょ……」

さすがに夜更かしが過ぎた。
欠伸をかみ殺し、寝惚け眼を擦り、シエルは自室の扉を開く。
その瞬間だった。

シエルぅぅぅぅん!!!

ガバッと、ものすごい力で何かに抱きつかれた。
何か、と表現はしたが、シエルは「あぁ、またか……」などと悟った顔つきだ。
自分にはない柔らかく押し返すような感触は、間違いなく彼女の姉である。
アンセリス・ヒュリチェル、その人、もとい、そのリリムだった。

「あぁんもう、お姉ちゃん心配してたのよシエルん!! どこ行ってたの、ケガとかない!?」
「あの、お姉さま、お尻触らないでください。背筋をなぞり上げないでください。翼の付け根とかもくすぐったいので撫でまわさないでください……」

抱きつきながら背中に回した手に、シエルは呆れながら姉を窘める。
しかし、アンセルは残念ながら全く止める気配はなかった。

「夜の散歩に一人で行っちゃうとかズルいじゃないの! 私も誘いなさいよバカバカー!」
「えぇぇ……、お姉さま今日は書類に追われてたじゃないですか……」
「そんなのシエルんと遊びたかったからすぐに終わらせたのにぃぃ……!」

――あー、このお姉さまマジすげぇですわー……。
シエルの記憶の限りでは、アリスのベッドになりそうなほどの机に書類の山が所狭しと並んでいた筈だ。驚異的なことに、明日まで回りそうなその量を彼女はこなしたらしい。
追いつく背中は、やはり遠い。

(まぁ……でも)

素直で、お人好しで、体型も悪くない。
自分には自分なりの魅力があった。
それが分かったシエルは、卑屈にならずに姉を抱きしめ返せれた。

「ごめんなさい、お姉さま。じゃあ、今からちょっとだけ遊びましょ?」
「……! シエルんがデレた!!」
「デレたって……」

アンセルにとって、普段のシエルがどう映っていたのか甚だ疑問である。
だが、近寄りがたい以前に、惨めになるから近づかなかったのは記憶にある。
見ようによっては、デレかもしれない。

「まぁ、いいです。それより、何して遊びます?」
「トランプ! ババ抜きが熱いと私は思うんだぜ!」
「二人でババ抜きって、まぁ、お姉さまがいいなら私も構わないけど……」

――きっと勝てないんだろうなぁ……。
そう思いながら、シエルは慣れた手つきでトランプを繰り始める。
何となく、勝てなくても今日は楽しめそうだなと、彼女はそう思った。







結局、朝までババ抜き合戦は続いた。
シエルは自分でも吃驚なことに、一度だけアンセルに勝てて、少しだけ嬉しそうだった。
13/12/08 14:58更新 / カタパルト
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■作者メッセージ
メドゥーク
見つかるとびっくりして(見つけた輩が)固まる。
個人的にはドゥメークにしたかったけどもはや原型がなかったのでやめた。

というわけで、呼ばれず飛び出てカタパルトです。
ちょっとリリムらしくないリリムのシエルさんが主人公で、この話は続きます。
さて、この度の教訓はありのままの魅力。
ドッペルゲンガーちゃんもお幸せなようで私も満足な限りです。
こんなこと言っといて作者は自分に全く自信が持てないぜ、てへぺろ☆

気取って書いて何ですが、よろしければ次回も読んでくださると嬉しい限りです。
それでは、ありがとうございました。

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