目の前のあなたに大好きを
穏やかな日差しに、そよそよと風に揺れる街路樹の葉。窓越しに柔らかな光が部屋に降り注ぐ。リビングの椅子に座りながらふぅっと私はため息をついた。なんてのどかな朝だったのだろうか。……足が疲れてきたので居住まいを正した。私はチビなので、爪先立ちのようにしてやっと地面に足が着いているのだ。
大きく腕と足を伸ばした後、私はくるりと反対方向に顔を向けた。じっとその先にあるドアを睨む。じっと睨んだ。何分くらい待っていた?多分10分くらい待っている。待っている。待っている。待っている!遅い!
じわじわと潮が満ちていくように不機嫌メーターがたまっていく。むむむむむ〜っ遅い遅い遅い遅い。遅いっ!ふんす、と荒く鼻息が抜け出て、ぷくっと頬に空気が入っていく。
「ごめんなさいね。紅茶とクッキー食べる?」
「あ、いただきます。ありがとうございます」
ピリピリしていると、ふわりといい香りがした。むすっとしている私に、紅茶を持ってきてくれたのだった。テーブルにまず手作りクッキーの入った缶が置かれる。それから英君のお母さんは苦笑いをしながらポットを傾け、カップに紅茶がなみなみと注いでいく。それに幸せを感じて不機嫌な顔を維持できなくなる私は、ちょろいのだろうと常々思う。後、クリック連打をしたくなりそうな見た目の手作りクッキー。これも甘くて幸せな味がする。にへら、と頬が緩む。
――っていけない、いけない。表情を変えて彼の部屋を睨んだ。それに合わせるように英君のお母さんもそっちを向く。涼しい顔をしているが、覇気と言うか闘気というか、そんなものを感じた。歴戦と言うか百戦錬磨と言うか、一種の凄みがある。叩き起こした回数は数知れず、なのだろう。
「叩き起こしてくる?」
今さらではあるが、ここは私の家ではない。幼馴染の英君のいる日端家である。おはようございます。貴方の遅刻の尻拭いに来させられました。なんというか、今日は土曜なので、そのまま休みって気でいたのだろう英君。残念。今日は部活、練習の日だ。
さて、叩き起こす気満々の英君のお母さんだが、そのまま行かせては、英君がただで済まなさそうな感じだった。うん、勘だけれども。私の機嫌は起きない幼馴染のせいで斜めになりつつあったけれど、流石に叩き起こされるのはかわいそうな気がする。
肉親特有の容赦なさと理不尽さが幼馴染を襲う!私は魔物だけれど、その種別上、時折他人の気持ちが突き刺さってくるのだ。『寝起き最悪』なんて気分は、まさに最悪。そんなの追体験したくない!叩き起こされるなんて、まさにざまあみろと言うやつだが、私もろとも嫌な気分!と自爆はしたくない。何より、英君に最悪な寝覚めを味合わせるのは――やっぱりやだ。
ここまで思考時間数秒。ドアノブに手が伸ばされるまで同じくあと数秒。となると私は居ても立ってもいられなかった。
「あわわわわ、だ、大丈夫です。時間、ありますから」
あたふたしながら立ち上がる。英君のお母さんが叩き起こしに行かないように手を振った。
「本当に時間は大丈夫なの?」
「も、もっちろんです!大丈夫ですよ!先輩から少し遅れてもいいって言ってましたし」
口をついて出たのは大嘘である。
しかし、そんなに言うならと、なんとか思い止まってくれた。訝しげな様子だったけれど。よかった。ほっと息を吐く。しかし、私には残念ながらパッと思いつく手段が無かった。無論、未だに眠りこけている幼馴染を起こすための手段だ。
とことん彼に甘い私は、じわじわと時間を消費していったのだった。
――こんな事になったのは、運が悪かったと言うか、巡り会わせが悪かったと言うか。簡単な話だ。少し時間は遡る。
■□■□■
「おお、いたいた。白水、ちょっと頼みがあるんだけれど、いいかい?」
今朝、学校に着いてから声をかけてきたのは、千汐陽子(ちしお ようこ)先輩だ。すらっとした体型、釣りあがった目が凛々しい印象を与える人で、私の所属する部の部長である。ここだけの話、彼女も魔物である。
「点呼はさっき終わったんだけれどもさ」
「は、はい」
「その結果、日端誠英がまだ来ていないって分かったんだ。連絡をしても返事が無いし、心配だから見てきてくれないかい。幼馴染だし、家も知っている、よね。頼めるかい?」
金色の瞳でじっと私を見つめる先輩。そこには信頼とか色々な感情が混ざっていて、ああ、もう、頼まれるしかない。
「分かりました」
2つ返事で私は行くことを承諾した。私と彼は同じ高校、同じ部活にいる。そして幼馴染とくればそりゃあ白羽の矢が立つ。なんだろう。なんで私なんだろう。そりゃ幼馴染だし、行きやすいというのもあるだろうけど。でも、付き合っているわけじゃないし。最近あまり会ってないし。それに、千汐先輩みたいに素敵な人が多い学校だ。きっと私より綺麗な人と――
もんもんと考え込み、気が付くと千汐先輩が私の目の前で手を振って――うひゃっ、いけない先輩を忘れてたっ!
「おーい、大丈夫かい?」
「す、すみません!」
「大丈夫大丈夫。あっはっは。好きな人の家に行けるから呆けてたな、このこの〜」
先輩は楽しそうに目を細めながら小突いてきた。
「ち、違い、ますよぉ〜」
この人、一見、クールに見えるが、全くそうではないのだ。『これ以上ここにいるとおもちゃにするぞ〜』と目をぎらぎらさせる彼女から逃げるように私は幼馴染の家に向かったのだった。
そして今に至る。
■□■□■
「鏡ちゃん、お茶のおかわりいる?」
キッチンからポットを持ちながら英君のお母さんがひょっこりと顔を出した。英君のお母さん、晴海さんは素敵な人で、私のことを鏡ちゃんと呼んでくる。ちなみに鏡ちゃんこと私の名前は白水鏡華(しらみず きょうか)だ。
それにしても、何歳なんだろう、物凄く若く見えるし、羨ましい。……それはさておき、これ以上長く居座ると、申し訳ないのでお茶は遠慮しよう。頭では冷静に考えられていたが体が過剰に反応し、慌てたように首を振った。
「いえ、大丈夫です。お気になさらず」
「だって、10分も待たせてるのよ。こっちが気にするわ。ここにポット置いておくから好きなだけどうぞ」
有無を言わさずポットがテーブルに置かれる。とても後ろ髪を引かれるが、実際問題時間がやばい。腕時計を見ると、とっくに練習が始まってもおかしくない時間だ。いくら部長やその周りが優しいからと言っても、申し訳なさで私がきっと耐えられない。もっと早く決心していれば良かった。
――私、突貫します。口を結びながら決心した。浅く長く息を吐いて、吸った。それからにっと笑う。
「大丈夫ですって。今から部屋に乗り込んで起こしてきます。最初からこうしてればよかったんです」
「そう?ならいいけれど。起こせそうになかったら呼んでね!がんばって」
その言葉に応えるように拳を目の高さでぐっと握り、立ち上がる。もう仕方がないのだ。後にも引けないのだ。私が英君を揺すり起こす!固く決意を決めてドアを睨んだ。
う、なんだかとても重たそうに見えてきた。げ、さっきからポケットで携帯が震えている。先輩からメールだ。あの人のことだから怒っていないとは思うけれど、怖くて開けない。首をぶんぶんぶん、と思いっきり振った。起こすことだけ考えましょう。変に考え込んだり周りを見ては前に進めない。じっと何の変哲もないドアを睨みながら自分を鼓舞する。私は周りからよく、その気になるまで時間がかかるタイプと言わ――変にテンション上がってきたぁっ!
「いってきます!」
「あら、いってらっしゃい。ごゆっくりどうぞ〜」
「いってきまーす!!」
突撃!ドアに向かいとたとたと進む。やー音に聞く魔王の城に向かう勇者ってこんな気持ちなのだろうか。うう、緊張する。
バクバクするを通り越して焼け付くような心臓。手には、べったりと汗。滑ってすっぽ抜けそうになりながらノブに手をかけ、回した。そして開ける。木製なのだが、10トンくらいの重厚な扉に見える。これ私一人で開けるの!?重くない大丈夫!?大丈夫!ヘイ!
ロケットジェットな勢いでドアをぱぁん――すると迷惑なのでそっと開けた。数年ぶりの幼馴染の部屋に入れると意識して興奮していた。自制しなきゃ。緊張のあまり変な方向に限界突破かっとびそうだった――一瞬かっとんだテンションというか理性を戻すべく両手を空中でわたわたさせた。ぐっ、とわし掴んでがっ。この胸に!インストォォォォル!
……特撮でよく見るような派手なポーズをして固まった。ドア、閉めてない。ぎぎぎぎ、と後ろを振り向くと、紅茶を飲みながら微笑ましい、といった様子で私を見る晴海さん。
気を付け、礼、ドア閉め。そして両頬に手を当てる。見られた見られた見られた見られた見られたぁっ!私見られたっ!はっ!英君は――
自分でも驚くほどの機敏さで後ろを振り向いた。そこにはもちろん彼のベッドがあり、英君がいるのだ。――よかったまだ寝てる。
無防備にがぁがぁいびきをかいている英君を見て胸を撫で下ろす。先程の恥ずかしいアレで多少おかしくなっていたテンションが本当に元に戻っていくのを感じた。今の私は冷静。うん、冷静。……とにかく、絶対に、さっきの見られてないよね。
冷静になっても不安なものは不安だったので、さらに近づいて英君の顔を覗き込んだ。幼稚園の頃から変わんないよなぁ。けれど、この顔。口を半開きにしてぽへぇとした表情、久々に見る。寝顔も英君、学校で絶対寝ないからレア。写真取りたい。すぐさまポケットに手を運んだ。そして手が止まる。最近のケータイはシャッター音が必ず鳴るし――魔物娘用の無音化アプリ使うと後々面倒だし。それに盗撮なんてことをしたら、どう思われるか……。
うー、もやもやする。もやもやもやもやする。往生際悪くポケットの辺りで手を震えさせる。
悩む、悩む、悩ましい!そんな気持ちの捌け口になったのはポケットの入り口。分厚くなっている部分を延々とこねこねする。そして悩む。うむむむむむむ――む。起こさないと。
私はようやく目的を思い出し、頬を叩いて気合を入れなおす。ぺちーんぺちーん。さあ起こそう。キョンシーのように両腕を前に出し、その肩を揺するべく近寄り、結局ためらってやめた。
あまりに気持ちよさそうに寝てるのだもの、どうしよう。変にがつがつ起こすと嫌われるかも。うう、嫌だ。好かれなくてもいいからせめて嫌われたくない。写真の時と似たような葛藤が起こる。しかし、こちらはすぐに答えが出る。起こされても文句が言えないほどすっきり気持ちよく起こせばいいのだ。
さて、どうすればいいだろう。考えろ、私ならどう起こされたい?英君の寝顔を見ながらぽくぽくと頭を回す。こめかみに両手を当て左右に揺れる。私の頭上には電球は浮かんでこない。てぃりん!乱れ雪月花!……違う違う。
ところで、私は、好きな人――英君をキスで起こすのが夢だったけれど、流石に、それを今するのは自分勝手というものだろう。好きの押し付けはしたくない。できれば、したいのだけれど、私は英君を魅了できる自身がない。つまるところ、勇気がない。あはは、私は勇者じゃないしね、むしろ真逆。
よっぽど眠たいのか、彼は微動だにせず寝入っている。全く、無防備な。これで英君に好意を持っている、あー、それでかつ自分に自信のある魔物の子が突っ込んできたら大変なことになるな〜。
……好きな子!それだ!
英君の好きな子が起こすのなら、きっと気持ちよく起きてくれるだろう。それでいこう!何を隠そう、私は、ドッペルゲンガーだ。時代が変わり、他人の理想の姿になることができる魔物。この力で、英君の好みの子をのっぞいてやろうじゃない!もしかしたら、なし崩しにそのまま、き、キスとかできるかも。これはいいチャンス。それにこれから隙を見てその子に成りすませば、今後デートもいけるかも。よし、急げ急げ。
自分を煽って急かすが、早くなっていくのは、焼けるような胸の鼓動だけ。ぐっと目を閉じて大きく息を吐く。変身、かあ。むー、と唸りながら自分の両手を見つめた。
……いや、日本生まれだから魔法的なことが苦手なわけじゃなくて、ただただ緊張する。英君の好みを見るって事は、場合によっては私じゃ手が届かないって突きつけられるから。
ええい!うじうじしすぎだ私!やればできる!えい!
指を鳴らす、と起きるかもしれないので、胸の前で手を合わせた。光を遮断する魔力が繭のように私を包み、変化の手助けをするのだ。闇を纏い、私は変身をする。あー、なんだかんだ言って意図的に変身するのはこれで2回目か。ぼんやりとそう考えていると、服が魔力の粒子になり、分解、再構築されていく。そして私の意識は――
――って、あれ?変身早くない?色々情報が入ってくるはずなんだけれど。特に何も読み取れない?こういう思い出があって好きだ、とか、こういうのが理想だ、とか。あれ?嘘?えっ?
以前の変身の経験から、もう少し心の準備をするまでの時間があると思っていたのだけれど、どういうことか、あっという間に闇は晴れてしまった。うむむ、どういうことだ。
どうしてだろう。理想の姿になったはずなのに、自信が湧いてこない。そもそも、私本来のこういう意識は読み取った理想でコーティングされてこんなに表に出ないはずなんだけれども。むむ、これは、おかしい。よく分からないことだらけで不安な私は、鏡を取り出した。形は端的に言うとコンパクトだ。マジカル的な感じの。
さて。どんな姿になっているんだろう。恐る恐る鏡を顔の高さまで上げた。昔変身した時は、こんな感じのこの人になりました、と頭に浮んだから、変身した後の自分の姿を見ていない。と言うわけで、変身した後の姿を初めて見たわけで、
……あー。えっと。変身した自分の姿なんてさ、元の自分に足りないものを残酷に提示してさ。それをざくざく突き刺してきてさ。もう自分じゃなくてもいい、愛されれば、って気持ちにさせてくるものだと思ってたんだけれどさ。だから、私はもう一度確かめる。鏡に映ったのは誰だ?
……ふふっ。えへへっ。
口元が緩むのが止まらない。下手をすると犬のようにはっはっと息をしないといけないかもってくらい胸が苦しい。
ああ、鏡の中には、私がいた。私だ。お母さんに適当にざっくりやってもらった真っ黒な短髪に、普通にしていても困っているように見える眉。さっき食べたクッキーの食べかすが頬に付いている。むう、残念なところくらいは若干修正して欲しかった気はしないでもない。まあ、でも、これも、私が好きって証拠になるわけで。
どこからどう見ても私だ。嬉しい!興奮しながらきょろきょろと間違い探しをするように鏡を見た。私だ。私だ、英君、私だ!私のこと気にしてたんだ! やった!興奮が止まらず、何度も鏡の中の自分を見る。ともすると泣くかもしれない。ぞくぞくと痺れのようなものが体からこみ上げ――赤い目と目が合った。……赤い目。目ぇ!?
「ひゃうぅっ!?」
鏡の中の自分と目が合った私は軽く飛び跳ねてしまった。悲鳴なのか、しゃっくりなのか分からないようなへんな声も出た。ぐるぐると目が回る。目が赤いと言う事は、私の持つ魔物の特徴丸出しってことだ。あ、やっぱり耳もとんがってる。肌も真っ白。
魔物娘が公になっていないここで人化を忘れていた?いや、そんなはずはない、よね。私は冷や汗を垂らしながら今までを振り返る。英君のお母さんは驚いていなかったし――いや、もしかしたら、部活柄、カラーコンタクトレンズだとか思っているのかも。でも、朝確かに鏡を見ながら人化したは、ず?
まずい、うろ覚えだ。とにかく――私は英君の様子を見た。すごい爆睡してる。起きる気配なさそう――よかった、まだ英君起きてない。
人化しよう、と力を込め、それでようやく変だと気付いた。慌てながら魔力を身に纏う、羽織る。ぎゅっと、がっと、む?それ!ていっ!おりゃ!ふんにゅ!
……あれ、人化ができない。鏡からは未だに赤い目の私がこんにちはしていた。私は混乱しかけたが、すぐに思いつくものがあって、固まった。今は、『理想の彼女』に変身中なのだ。
あまりにもそのまま私だったから忘れていた。それなら人化できないのも納得できる。ふぅ、びっくりした、と、肩の力が抜けた。よかった〜魔物っぽい部分が少ない私だけれども、色々まずいしね。これはドッペルゲンガーの能力で変身した私の姿だったのね。納得納得。
納得。
納得。
納得?
納得――
――ぅええええええええええ!!!????多分私英君に本性というか、この姿見せたことないし、えええええええええええええええええええええええ!!!!????うそぉぉぉぉぉぉぉぉ!?!?!?!?!?
鏡の中の私が目をすっごく見開いた。危機を感じたのか、私の右腕がオートエイムで口を押さえてくれていた。いやぁ、勝手に変な声が出てた。
え、嘘、嘘、嘘。嘘?嘘。嘘!これって、もしかして、見たこと無いのに、私の、この姿が、変身対象になったのは、英君、私のありのままが好きって、こと。見た目じゃなく、私、そのもの、が。ふ、へへ、えへへへへへ。
真っ白な肌、真っ赤な瞳の女の子が鏡の中で笑った。生まれて初めて、それが可愛いと思えた。ああ、他の魔物の子と比べると少し自身が無かった私だけれど、今はすごく、えへへ、私でよかった。
「ん?」
ふと、気付いた。私の変身は服ごとだ。見た目、装備丸ごと含めての理想になるのが私たちドッペルゲンガーだ。ほら、衣装って大事。というわけで、顔に気を取られて、着ている服の確認を忘れていた!何を英君が欲しているか分かるし!
鏡を下に傾けつつ、少しずつ遠ざけた。映ったのは――
「お、おお!」
――パジャマだった。それも私が実際に使っているやつ。薄いピンクでちょっともこもこした手触りのジャージみたいな上下。袖がちょっとだけ長くて手の甲がちょっと隠れる。お母さんに買ってもらった時には、子どもっぽいかなと思っていたパジャマだけれど。今日からはきっと好きになれる。だって、英君の無意識からの、好きになりこそすれ嫌いではないってお墨付きだ!
「そうかー」
私はにやりと笑った。鏡を戻し、英君に向き直る。彼は未だ大の字になって気持ちよさそうに寝ている。今、彼が欲している理想は、きっと――きっとじゃない!変身後のドッペルゲンガーのくせに何及び腰になってるんだ私!
英君の今して欲しい事は、今隣にいて欲しい人は、一緒に添い寝してくれる幼馴染!わぁい!だいすきっ!
目的も何もかもを放り投げ、ベッドの中に身を投げた。もふん、とベッドが揺れる。にゃぁ、ふっかふか!英君の被っている毛布の中に滑り込んだ私はそのまんま丸くなる。暖かい。それがたまらなく幸せでずいずいと奥まで深く深くもぐりこんでいった。猫がコタツで丸くなりたくなる気持ちがよく分かる。
でも、流石にコタツだったら頭まで潜ると暑くし、苦しい。けれど、ここは、心地よい暖かさと、安心する匂いのおかげでいつまでもいられそう。永住してもいい。そう、心地いい。安心、幸せ、守られてる。そういった気持ちに胸が沸騰しそうになる。いや、多分、もう沸騰してる。毛布の中は、私が種族柄よく知る暗闇だったけれど、こんな幸せな光の届かない空間、私は知らない。
どんな顔をしているか分からない。だけど、目尻が勝手に下がるのが止まらないし、口も閉じているので精一杯。下手をすると、席を切ったように笑い出しそう。えへへへへ、幸せ。沸騰しすぎて、ばしゅーっと好きって気持ちが気化して爆発しそう。英君大好き!
もぞもぞと胎児のような姿勢のまま英君にもっと近づく。どうせだから、と私は英君の腕を枕にした!英君の二の腕は、そこそこ鍛えているのか、ぷにゅっと頭が沈み込みすぎない。そして、脱力した筋肉は心地よく私を支えてくれる。
少し強引だけれど、腕枕!ふふふふ、夢だったんだ!ぎゅうっと自分の体を抱き締めた。本当は、英君の体を抱き締めたいけれど、起こしてしまいそうだし、やだ。もっともっと、もっともっともっともっと、この幸せを、噛み締めたい!すごく英君の匂い。えへへへ!夢みたい!大きく息を吸って、はいた。少し暖かい空気が心地よく胸に入ってくる。
……あ、れ?すこし体が重くなってきた。興奮しすぎてエネルギーを使いすぎてしまったのかもしれない。それか、英君が、私と一緒に寝ることを望んでいるのかもしれない。きっと、ガス欠かなぁ。あまりにも素敵で、脳みそがフル回転してたから。
眠気に抵抗せず、私は目を閉じた。ああ、意識を飛ばさずに、ずっとここでごろごろと横になれてたら、よかったのに。集中力というか、気力というか、鍛えよう。そして、もっと、英君の、そばに。重い。体を動かすのも億劫。もしかして、読み取った理想も一枚噛んでる?……ありそう。あ、でも、こうしてどっぷり怠惰に漬かるのも幸せだし。この状況であえてぐっすり眠るのも、物凄く贅沢でいい、かな。ああ、えへへ、もう、だめ、眠、おやすみ――だいすき、えいくん。
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大きく腕と足を伸ばした後、私はくるりと反対方向に顔を向けた。じっとその先にあるドアを睨む。じっと睨んだ。何分くらい待っていた?多分10分くらい待っている。待っている。待っている。待っている!遅い!
じわじわと潮が満ちていくように不機嫌メーターがたまっていく。むむむむむ〜っ遅い遅い遅い遅い。遅いっ!ふんす、と荒く鼻息が抜け出て、ぷくっと頬に空気が入っていく。
「ごめんなさいね。紅茶とクッキー食べる?」
「あ、いただきます。ありがとうございます」
ピリピリしていると、ふわりといい香りがした。むすっとしている私に、紅茶を持ってきてくれたのだった。テーブルにまず手作りクッキーの入った缶が置かれる。それから英君のお母さんは苦笑いをしながらポットを傾け、カップに紅茶がなみなみと注いでいく。それに幸せを感じて不機嫌な顔を維持できなくなる私は、ちょろいのだろうと常々思う。後、クリック連打をしたくなりそうな見た目の手作りクッキー。これも甘くて幸せな味がする。にへら、と頬が緩む。
――っていけない、いけない。表情を変えて彼の部屋を睨んだ。それに合わせるように英君のお母さんもそっちを向く。涼しい顔をしているが、覇気と言うか闘気というか、そんなものを感じた。歴戦と言うか百戦錬磨と言うか、一種の凄みがある。叩き起こした回数は数知れず、なのだろう。
「叩き起こしてくる?」
今さらではあるが、ここは私の家ではない。幼馴染の英君のいる日端家である。おはようございます。貴方の遅刻の尻拭いに来させられました。なんというか、今日は土曜なので、そのまま休みって気でいたのだろう英君。残念。今日は部活、練習の日だ。
さて、叩き起こす気満々の英君のお母さんだが、そのまま行かせては、英君がただで済まなさそうな感じだった。うん、勘だけれども。私の機嫌は起きない幼馴染のせいで斜めになりつつあったけれど、流石に叩き起こされるのはかわいそうな気がする。
肉親特有の容赦なさと理不尽さが幼馴染を襲う!私は魔物だけれど、その種別上、時折他人の気持ちが突き刺さってくるのだ。『寝起き最悪』なんて気分は、まさに最悪。そんなの追体験したくない!叩き起こされるなんて、まさにざまあみろと言うやつだが、私もろとも嫌な気分!と自爆はしたくない。何より、英君に最悪な寝覚めを味合わせるのは――やっぱりやだ。
ここまで思考時間数秒。ドアノブに手が伸ばされるまで同じくあと数秒。となると私は居ても立ってもいられなかった。
「あわわわわ、だ、大丈夫です。時間、ありますから」
あたふたしながら立ち上がる。英君のお母さんが叩き起こしに行かないように手を振った。
「本当に時間は大丈夫なの?」
「も、もっちろんです!大丈夫ですよ!先輩から少し遅れてもいいって言ってましたし」
口をついて出たのは大嘘である。
しかし、そんなに言うならと、なんとか思い止まってくれた。訝しげな様子だったけれど。よかった。ほっと息を吐く。しかし、私には残念ながらパッと思いつく手段が無かった。無論、未だに眠りこけている幼馴染を起こすための手段だ。
とことん彼に甘い私は、じわじわと時間を消費していったのだった。
――こんな事になったのは、運が悪かったと言うか、巡り会わせが悪かったと言うか。簡単な話だ。少し時間は遡る。
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「おお、いたいた。白水、ちょっと頼みがあるんだけれど、いいかい?」
今朝、学校に着いてから声をかけてきたのは、千汐陽子(ちしお ようこ)先輩だ。すらっとした体型、釣りあがった目が凛々しい印象を与える人で、私の所属する部の部長である。ここだけの話、彼女も魔物である。
「点呼はさっき終わったんだけれどもさ」
「は、はい」
「その結果、日端誠英がまだ来ていないって分かったんだ。連絡をしても返事が無いし、心配だから見てきてくれないかい。幼馴染だし、家も知っている、よね。頼めるかい?」
金色の瞳でじっと私を見つめる先輩。そこには信頼とか色々な感情が混ざっていて、ああ、もう、頼まれるしかない。
「分かりました」
2つ返事で私は行くことを承諾した。私と彼は同じ高校、同じ部活にいる。そして幼馴染とくればそりゃあ白羽の矢が立つ。なんだろう。なんで私なんだろう。そりゃ幼馴染だし、行きやすいというのもあるだろうけど。でも、付き合っているわけじゃないし。最近あまり会ってないし。それに、千汐先輩みたいに素敵な人が多い学校だ。きっと私より綺麗な人と――
もんもんと考え込み、気が付くと千汐先輩が私の目の前で手を振って――うひゃっ、いけない先輩を忘れてたっ!
「おーい、大丈夫かい?」
「す、すみません!」
「大丈夫大丈夫。あっはっは。好きな人の家に行けるから呆けてたな、このこの〜」
先輩は楽しそうに目を細めながら小突いてきた。
「ち、違い、ますよぉ〜」
この人、一見、クールに見えるが、全くそうではないのだ。『これ以上ここにいるとおもちゃにするぞ〜』と目をぎらぎらさせる彼女から逃げるように私は幼馴染の家に向かったのだった。
そして今に至る。
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「鏡ちゃん、お茶のおかわりいる?」
キッチンからポットを持ちながら英君のお母さんがひょっこりと顔を出した。英君のお母さん、晴海さんは素敵な人で、私のことを鏡ちゃんと呼んでくる。ちなみに鏡ちゃんこと私の名前は白水鏡華(しらみず きょうか)だ。
それにしても、何歳なんだろう、物凄く若く見えるし、羨ましい。……それはさておき、これ以上長く居座ると、申し訳ないのでお茶は遠慮しよう。頭では冷静に考えられていたが体が過剰に反応し、慌てたように首を振った。
「いえ、大丈夫です。お気になさらず」
「だって、10分も待たせてるのよ。こっちが気にするわ。ここにポット置いておくから好きなだけどうぞ」
有無を言わさずポットがテーブルに置かれる。とても後ろ髪を引かれるが、実際問題時間がやばい。腕時計を見ると、とっくに練習が始まってもおかしくない時間だ。いくら部長やその周りが優しいからと言っても、申し訳なさで私がきっと耐えられない。もっと早く決心していれば良かった。
――私、突貫します。口を結びながら決心した。浅く長く息を吐いて、吸った。それからにっと笑う。
「大丈夫ですって。今から部屋に乗り込んで起こしてきます。最初からこうしてればよかったんです」
「そう?ならいいけれど。起こせそうになかったら呼んでね!がんばって」
その言葉に応えるように拳を目の高さでぐっと握り、立ち上がる。もう仕方がないのだ。後にも引けないのだ。私が英君を揺すり起こす!固く決意を決めてドアを睨んだ。
う、なんだかとても重たそうに見えてきた。げ、さっきからポケットで携帯が震えている。先輩からメールだ。あの人のことだから怒っていないとは思うけれど、怖くて開けない。首をぶんぶんぶん、と思いっきり振った。起こすことだけ考えましょう。変に考え込んだり周りを見ては前に進めない。じっと何の変哲もないドアを睨みながら自分を鼓舞する。私は周りからよく、その気になるまで時間がかかるタイプと言わ――変にテンション上がってきたぁっ!
「いってきます!」
「あら、いってらっしゃい。ごゆっくりどうぞ〜」
「いってきまーす!!」
突撃!ドアに向かいとたとたと進む。やー音に聞く魔王の城に向かう勇者ってこんな気持ちなのだろうか。うう、緊張する。
バクバクするを通り越して焼け付くような心臓。手には、べったりと汗。滑ってすっぽ抜けそうになりながらノブに手をかけ、回した。そして開ける。木製なのだが、10トンくらいの重厚な扉に見える。これ私一人で開けるの!?重くない大丈夫!?大丈夫!ヘイ!
ロケットジェットな勢いでドアをぱぁん――すると迷惑なのでそっと開けた。数年ぶりの幼馴染の部屋に入れると意識して興奮していた。自制しなきゃ。緊張のあまり変な方向に限界突破かっとびそうだった――一瞬かっとんだテンションというか理性を戻すべく両手を空中でわたわたさせた。ぐっ、とわし掴んでがっ。この胸に!インストォォォォル!
……特撮でよく見るような派手なポーズをして固まった。ドア、閉めてない。ぎぎぎぎ、と後ろを振り向くと、紅茶を飲みながら微笑ましい、といった様子で私を見る晴海さん。
気を付け、礼、ドア閉め。そして両頬に手を当てる。見られた見られた見られた見られた見られたぁっ!私見られたっ!はっ!英君は――
自分でも驚くほどの機敏さで後ろを振り向いた。そこにはもちろん彼のベッドがあり、英君がいるのだ。――よかったまだ寝てる。
無防備にがぁがぁいびきをかいている英君を見て胸を撫で下ろす。先程の恥ずかしいアレで多少おかしくなっていたテンションが本当に元に戻っていくのを感じた。今の私は冷静。うん、冷静。……とにかく、絶対に、さっきの見られてないよね。
冷静になっても不安なものは不安だったので、さらに近づいて英君の顔を覗き込んだ。幼稚園の頃から変わんないよなぁ。けれど、この顔。口を半開きにしてぽへぇとした表情、久々に見る。寝顔も英君、学校で絶対寝ないからレア。写真取りたい。すぐさまポケットに手を運んだ。そして手が止まる。最近のケータイはシャッター音が必ず鳴るし――魔物娘用の無音化アプリ使うと後々面倒だし。それに盗撮なんてことをしたら、どう思われるか……。
うー、もやもやする。もやもやもやもやする。往生際悪くポケットの辺りで手を震えさせる。
悩む、悩む、悩ましい!そんな気持ちの捌け口になったのはポケットの入り口。分厚くなっている部分を延々とこねこねする。そして悩む。うむむむむむむ――む。起こさないと。
私はようやく目的を思い出し、頬を叩いて気合を入れなおす。ぺちーんぺちーん。さあ起こそう。キョンシーのように両腕を前に出し、その肩を揺するべく近寄り、結局ためらってやめた。
あまりに気持ちよさそうに寝てるのだもの、どうしよう。変にがつがつ起こすと嫌われるかも。うう、嫌だ。好かれなくてもいいからせめて嫌われたくない。写真の時と似たような葛藤が起こる。しかし、こちらはすぐに答えが出る。起こされても文句が言えないほどすっきり気持ちよく起こせばいいのだ。
さて、どうすればいいだろう。考えろ、私ならどう起こされたい?英君の寝顔を見ながらぽくぽくと頭を回す。こめかみに両手を当て左右に揺れる。私の頭上には電球は浮かんでこない。てぃりん!乱れ雪月花!……違う違う。
ところで、私は、好きな人――英君をキスで起こすのが夢だったけれど、流石に、それを今するのは自分勝手というものだろう。好きの押し付けはしたくない。できれば、したいのだけれど、私は英君を魅了できる自身がない。つまるところ、勇気がない。あはは、私は勇者じゃないしね、むしろ真逆。
よっぽど眠たいのか、彼は微動だにせず寝入っている。全く、無防備な。これで英君に好意を持っている、あー、それでかつ自分に自信のある魔物の子が突っ込んできたら大変なことになるな〜。
……好きな子!それだ!
英君の好きな子が起こすのなら、きっと気持ちよく起きてくれるだろう。それでいこう!何を隠そう、私は、ドッペルゲンガーだ。時代が変わり、他人の理想の姿になることができる魔物。この力で、英君の好みの子をのっぞいてやろうじゃない!もしかしたら、なし崩しにそのまま、き、キスとかできるかも。これはいいチャンス。それにこれから隙を見てその子に成りすませば、今後デートもいけるかも。よし、急げ急げ。
自分を煽って急かすが、早くなっていくのは、焼けるような胸の鼓動だけ。ぐっと目を閉じて大きく息を吐く。変身、かあ。むー、と唸りながら自分の両手を見つめた。
……いや、日本生まれだから魔法的なことが苦手なわけじゃなくて、ただただ緊張する。英君の好みを見るって事は、場合によっては私じゃ手が届かないって突きつけられるから。
ええい!うじうじしすぎだ私!やればできる!えい!
指を鳴らす、と起きるかもしれないので、胸の前で手を合わせた。光を遮断する魔力が繭のように私を包み、変化の手助けをするのだ。闇を纏い、私は変身をする。あー、なんだかんだ言って意図的に変身するのはこれで2回目か。ぼんやりとそう考えていると、服が魔力の粒子になり、分解、再構築されていく。そして私の意識は――
――って、あれ?変身早くない?色々情報が入ってくるはずなんだけれど。特に何も読み取れない?こういう思い出があって好きだ、とか、こういうのが理想だ、とか。あれ?嘘?えっ?
以前の変身の経験から、もう少し心の準備をするまでの時間があると思っていたのだけれど、どういうことか、あっという間に闇は晴れてしまった。うむむ、どういうことだ。
どうしてだろう。理想の姿になったはずなのに、自信が湧いてこない。そもそも、私本来のこういう意識は読み取った理想でコーティングされてこんなに表に出ないはずなんだけれども。むむ、これは、おかしい。よく分からないことだらけで不安な私は、鏡を取り出した。形は端的に言うとコンパクトだ。マジカル的な感じの。
さて。どんな姿になっているんだろう。恐る恐る鏡を顔の高さまで上げた。昔変身した時は、こんな感じのこの人になりました、と頭に浮んだから、変身した後の自分の姿を見ていない。と言うわけで、変身した後の姿を初めて見たわけで、
……あー。えっと。変身した自分の姿なんてさ、元の自分に足りないものを残酷に提示してさ。それをざくざく突き刺してきてさ。もう自分じゃなくてもいい、愛されれば、って気持ちにさせてくるものだと思ってたんだけれどさ。だから、私はもう一度確かめる。鏡に映ったのは誰だ?
……ふふっ。えへへっ。
口元が緩むのが止まらない。下手をすると犬のようにはっはっと息をしないといけないかもってくらい胸が苦しい。
ああ、鏡の中には、私がいた。私だ。お母さんに適当にざっくりやってもらった真っ黒な短髪に、普通にしていても困っているように見える眉。さっき食べたクッキーの食べかすが頬に付いている。むう、残念なところくらいは若干修正して欲しかった気はしないでもない。まあ、でも、これも、私が好きって証拠になるわけで。
どこからどう見ても私だ。嬉しい!興奮しながらきょろきょろと間違い探しをするように鏡を見た。私だ。私だ、英君、私だ!私のこと気にしてたんだ! やった!興奮が止まらず、何度も鏡の中の自分を見る。ともすると泣くかもしれない。ぞくぞくと痺れのようなものが体からこみ上げ――赤い目と目が合った。……赤い目。目ぇ!?
「ひゃうぅっ!?」
鏡の中の自分と目が合った私は軽く飛び跳ねてしまった。悲鳴なのか、しゃっくりなのか分からないようなへんな声も出た。ぐるぐると目が回る。目が赤いと言う事は、私の持つ魔物の特徴丸出しってことだ。あ、やっぱり耳もとんがってる。肌も真っ白。
魔物娘が公になっていないここで人化を忘れていた?いや、そんなはずはない、よね。私は冷や汗を垂らしながら今までを振り返る。英君のお母さんは驚いていなかったし――いや、もしかしたら、部活柄、カラーコンタクトレンズだとか思っているのかも。でも、朝確かに鏡を見ながら人化したは、ず?
まずい、うろ覚えだ。とにかく――私は英君の様子を見た。すごい爆睡してる。起きる気配なさそう――よかった、まだ英君起きてない。
人化しよう、と力を込め、それでようやく変だと気付いた。慌てながら魔力を身に纏う、羽織る。ぎゅっと、がっと、む?それ!ていっ!おりゃ!ふんにゅ!
……あれ、人化ができない。鏡からは未だに赤い目の私がこんにちはしていた。私は混乱しかけたが、すぐに思いつくものがあって、固まった。今は、『理想の彼女』に変身中なのだ。
あまりにもそのまま私だったから忘れていた。それなら人化できないのも納得できる。ふぅ、びっくりした、と、肩の力が抜けた。よかった〜魔物っぽい部分が少ない私だけれども、色々まずいしね。これはドッペルゲンガーの能力で変身した私の姿だったのね。納得納得。
納得。
納得。
納得?
納得――
――ぅええええええええええ!!!????多分私英君に本性というか、この姿見せたことないし、えええええええええええええええええええええええ!!!!????うそぉぉぉぉぉぉぉぉ!?!?!?!?!?
鏡の中の私が目をすっごく見開いた。危機を感じたのか、私の右腕がオートエイムで口を押さえてくれていた。いやぁ、勝手に変な声が出てた。
え、嘘、嘘、嘘。嘘?嘘。嘘!これって、もしかして、見たこと無いのに、私の、この姿が、変身対象になったのは、英君、私のありのままが好きって、こと。見た目じゃなく、私、そのもの、が。ふ、へへ、えへへへへへ。
真っ白な肌、真っ赤な瞳の女の子が鏡の中で笑った。生まれて初めて、それが可愛いと思えた。ああ、他の魔物の子と比べると少し自身が無かった私だけれど、今はすごく、えへへ、私でよかった。
「ん?」
ふと、気付いた。私の変身は服ごとだ。見た目、装備丸ごと含めての理想になるのが私たちドッペルゲンガーだ。ほら、衣装って大事。というわけで、顔に気を取られて、着ている服の確認を忘れていた!何を英君が欲しているか分かるし!
鏡を下に傾けつつ、少しずつ遠ざけた。映ったのは――
「お、おお!」
――パジャマだった。それも私が実際に使っているやつ。薄いピンクでちょっともこもこした手触りのジャージみたいな上下。袖がちょっとだけ長くて手の甲がちょっと隠れる。お母さんに買ってもらった時には、子どもっぽいかなと思っていたパジャマだけれど。今日からはきっと好きになれる。だって、英君の無意識からの、好きになりこそすれ嫌いではないってお墨付きだ!
「そうかー」
私はにやりと笑った。鏡を戻し、英君に向き直る。彼は未だ大の字になって気持ちよさそうに寝ている。今、彼が欲している理想は、きっと――きっとじゃない!変身後のドッペルゲンガーのくせに何及び腰になってるんだ私!
英君の今して欲しい事は、今隣にいて欲しい人は、一緒に添い寝してくれる幼馴染!わぁい!だいすきっ!
目的も何もかもを放り投げ、ベッドの中に身を投げた。もふん、とベッドが揺れる。にゃぁ、ふっかふか!英君の被っている毛布の中に滑り込んだ私はそのまんま丸くなる。暖かい。それがたまらなく幸せでずいずいと奥まで深く深くもぐりこんでいった。猫がコタツで丸くなりたくなる気持ちがよく分かる。
でも、流石にコタツだったら頭まで潜ると暑くし、苦しい。けれど、ここは、心地よい暖かさと、安心する匂いのおかげでいつまでもいられそう。永住してもいい。そう、心地いい。安心、幸せ、守られてる。そういった気持ちに胸が沸騰しそうになる。いや、多分、もう沸騰してる。毛布の中は、私が種族柄よく知る暗闇だったけれど、こんな幸せな光の届かない空間、私は知らない。
どんな顔をしているか分からない。だけど、目尻が勝手に下がるのが止まらないし、口も閉じているので精一杯。下手をすると、席を切ったように笑い出しそう。えへへへへ、幸せ。沸騰しすぎて、ばしゅーっと好きって気持ちが気化して爆発しそう。英君大好き!
もぞもぞと胎児のような姿勢のまま英君にもっと近づく。どうせだから、と私は英君の腕を枕にした!英君の二の腕は、そこそこ鍛えているのか、ぷにゅっと頭が沈み込みすぎない。そして、脱力した筋肉は心地よく私を支えてくれる。
少し強引だけれど、腕枕!ふふふふ、夢だったんだ!ぎゅうっと自分の体を抱き締めた。本当は、英君の体を抱き締めたいけれど、起こしてしまいそうだし、やだ。もっともっと、もっともっともっともっと、この幸せを、噛み締めたい!すごく英君の匂い。えへへへ!夢みたい!大きく息を吸って、はいた。少し暖かい空気が心地よく胸に入ってくる。
……あ、れ?すこし体が重くなってきた。興奮しすぎてエネルギーを使いすぎてしまったのかもしれない。それか、英君が、私と一緒に寝ることを望んでいるのかもしれない。きっと、ガス欠かなぁ。あまりにも素敵で、脳みそがフル回転してたから。
眠気に抵抗せず、私は目を閉じた。ああ、意識を飛ばさずに、ずっとここでごろごろと横になれてたら、よかったのに。集中力というか、気力というか、鍛えよう。そして、もっと、英君の、そばに。重い。体を動かすのも億劫。もしかして、読み取った理想も一枚噛んでる?……ありそう。あ、でも、こうしてどっぷり怠惰に漬かるのも幸せだし。この状況であえてぐっすり眠るのも、物凄く贅沢でいい、かな。ああ、えへへ、もう、だめ、眠、おやすみ――だいすき、えいくん。
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16/01/09 23:34更新 / 夜想剣
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