私を雇ってください
「もう一度言います。貴方に仕えさせてください」
私はぺこりと頭を下げた。手はぴたりと体に添え、腰を曲げる角度はきっちり90°。
幼い頃近くにいた使用人の人たちをじっくりと観察して手に入れた自称美しいお辞儀をする。
ばさり、と体が動くと同時に揺れた巨大な羽箒のような尻尾が私が何者か相手に伝える。私は魔物、種族は『キキーモラ』。仕えるべき者に仕える事を至上の喜びとする種族。
ということで彼に会いに来たのだけど……
「いらない。帰ってくれ」
帰ってくる返事は非情だった。でも、私は諦めない。
「お願いします!」
「だめだ」
言葉のキャッチボールならぬ言葉のホームランコンテスト。
私の放った言葉は聞き入れられる様子もなく弾き飛ばされた。どこまで飛んでいったでしょうか。
……じゃなくて!
私はぽかんと空いた口を閉じた。
諦めない。
「お願いします!」
「誰も雇う気はない。帰ってくれ」
諦めない!
「お願いします!何でもしますから」
「帰ってくれ」
ううっ諦めないっ!
「嫌です」
「帰れ」
「やです」
「頼むから」
「やぁ〜ですっ!」
気付くと口元が勝手に震えて目が熱くなっていた。
情けない、と袖で目を拭って感情が爆発する。
「何でですかっ!私みたいなキュ〜〜トなキキーモラが専属メイドになるって言ってるんですよ!?爆発してくださいよ!」
「俺は人を雇う気はさらさらない、それに見ず知らずのお前にご主人様と言われる覚えも人徳もない」
私を睨みつけながら彼は言う。その言葉は冷たく、突き放されるような感じがした。
だからこそ、そばにいなければ、そう思う。
この感情は私が魔物だから?世話焼きの化身キキーモラだから?いや、そうとも限らない。
私は彼との間を詰める。
とっとっ、と無言の空間に私の足音だけがよく響く。
彼は今になっても私と目を合わせようとしないし、動こうともしない。
もう……無防備な。
本当に彼の前にいるのが私で良かった。他の魔物だったら見境なくゴールインしてますよきっと。
まあ、それはそれで幸せな事かもしれないんですけど。
とっ。
私は彼のすぐ前に立った。私が先程のように礼をすれば凶悪な頭突きを食らわせることができる距離だ。そう、私は石頭です。
物理的にも精神的にも石頭なんです。
だから、何としても彼のそばに……。
「私を貴方の家に置かせてください」
彼はどうしたものかと眉間に皺を寄せた。
そして彼は思い立ったように着けていた腕輪を外した。
銀に精密な細工が施され、悪趣味ではない程度に宝石が散りばめられた物。決して安くはない。
それを彼は私の腕に着けた。
どことなく悪寒がした。背中に冷たく、気持ち悪い何かが走る。
「これはどういう――」
「その腕輪は使用人として働いた場合の賃金を計算して10年分程度に相当する。それをやるから帰れ。どうせここで働きたいのは金が欲しいからだろう」
瞬間、すっと私の周りの温度が下がった感じがした。
だめだ。
手の震えが止まらない。
いけない。
息が荒くなる。
ここで怒ったら全て台無しだ。
怒るな、怒るな。私、耐えろ。
ぐっ、と目を瞑り、息を深く吐いた。
私は自分の思いをお金に換算された事、その他のもろもろを胸の中に納める。
そして冷たく光る銀の腕輪を外して彼に返した。
「これは貴方のお母様の形見でしょう?」
私は受け取ろうとしない彼にそう言う。
すると、彼は目を見開いてこちらを見つめ、初めて私と目が合った。
そうして硬直した瞬間に私は腕輪を彼の腕に通す。
彼はそれを気にも留めず緑の瞳をこちらに向けた。
「何故それを知っている」
「さあ、貴方の胸に手を当てて考えたらどうですか」
あからさまに私を疑うような口調の彼にさらっと答える。私は石頭です。一度拗ねたら簡単には戻らない自信はあります。
「では、私は今日ここに泊まらせてもらいます。どのみち夜も遅いので。
貴方はか弱い女性を夜の森に追い出すような方ではないでしょう?
いや、しばらく居候させていただきます。私は魔物ですから断っても無駄ですよ」
半ば脅すように語気を強めて言った。口に出して少し吹っ切れたせいか表情はもう固くはないはず。
しかし、結局私も魔物でした。最終的に強引に我を通して……メイド失格ですかね。
そう思っていると彼は笑った。
「面白いやつだな。居候ならば賃金は出ないぞ」
この言葉でまた薄暗い考えは吹き飛んだ。
「それで構いません。お金には困ってませんので」
私は懐から一枚のカードを取り出した。
このカードは空間操作系の魔法を応用し、貨幣をほぼ無制限に仕舞えるいわゆる超軽量財布。
それを彼に見せた。
確か私の持ち合わせはかなりあったはず。
これでお金が目当てではないと分かってくれたでしょうか。
「くくっ馬鹿じゃないのか。これだけあれば使用人なんてしなくてもいいじゃないか。いいぞ。居候を許可しよう」
それはそれは。
許可ありがとうございます。
ふつつか者ですが――ッ
「よろしくお願いします!」
ガッ!
私は彼に強烈なお辞儀を見舞った。
私は石頭だ。
彼を一撃で気絶させるなんて容易い。
しゅうぅぅぅぅ、と頭から白煙を上げながら姿勢を元に戻す……って。
「……あ、やっちゃいました」
気絶させてどうすんの。私はぴしゃりと自分の額を叩いた。
はい、あの頭突き、FATAL KO!と字幕が出そうな一撃でした。てーれってー。
……えっと、確か意識を戻すには。
私はバチバチっと右腕に雷を纏わせたが、危なそうなのでやめた。
あ〜……『スパーク』じゃ心停止しますかね。
もう一度てーれってーする気ですか私は。
苦笑いをして辺りを見渡す。
お水お水、タオルを水で濡らして頭に置いてやりましょう。
私は今まで持っていた大箒を壁に立て掛けた。
そして台所か洗面所を探した。
運が良く、すぐに台所は見つかった。
彼は料理をしようと思っていたのか、すぐ近くにあったのだ。
そして嬉々として近くにあったタオルを水で濡らす……直前に大切な事を忘れていたと気付く。
『今、彼は床で倒れている。
床は少し冷たい。
↓
風邪引く。』
「みゃあぁあああぁぁぁあ!!しまったのですぅぅぅぅっ!!」
私は奇声をあげながら彼の所に戻る。
とりあえず、どうする?
抱きついて暖める?
…イエティじゃあるまいし。
と、とにかく考える暇があったら行動を起こすっ。
私は意を決して彼を抱き上げた。逆お姫様だっこ。この場合は王子様だっことでも言うのでしょうか。
…どっちでもいいや。
このまま彼を寝室まで運んで休んでもらおう。
でも、
「寝室ってどこですかぁぁぁっ!」
無駄にこの屋敷は広かった。
「何分の一の確率ですかぁっ!」
ばたん。
がたん。
ばすん。
長い廊下に無数の扉。
きっと慣れればいいのだろうけど、残念ながら私は初見だ。
「どこで〜〜すっ!?べぇ〜っどるぅ〜〜〜〜むっ!」
……。
落ち着け私。
両腕が空いていないのでドアノブを足で蹴り飛ばすように開けようとしていた私は固まる。
現在、自分のしている事を自覚して一瞬パニックから覚めて止まったのだ。
今、ドアノブに鱗で覆われた一見靴のような足をかけたまま静止している。
焦り過ぎだ私。
私が他のキキーモラと比べると明らかにぼろが出まくっているのは知っているが、流石に足でドアを蹴り開けるのはアレだ。
メイド失格どころか品格ある居候としてもアウト。
というか居候って言っている時点でもう品格ないかも。
………
そう自分の言動を顧みてみると、顔から火が出た気がした。
なんとなく作った単位で示すと火力700tg(唐辛子)くらい。
頭から湯気が出るかと思うほど沸騰した羞恥心が心の底から上がってくる。
今すぐ身を地面に投げて跪き、額を地に擦り付ける事によって燃え盛る羞恥を消化したい強迫観念に駆り立てられた。
しかし、今は彼をベッドに寝かせるのが先。
私は今にも暴走しそうな自分に言い聞かせドアを……どう開けよう。
……ええい!
ぼしゅん。
やけくそになった私は風魔法で強引にノブを回し、扉を開けた。解錠魔法を使うという機転は混乱している私の頭ではついに思いつかないまま強引に部屋に突入する。
ああ、私の魔法適正が雷・風で良かった。
しかし、喜んだのもつかの間、そこは使われていなさそうな部屋だった。
つまり、ベッドも何もないハズレ。
本当にどこなんですかっ!寝室!
キキーモラとしては主人を適当な所で休ませたくない。是が非でも寝室を探し当てたい。
どうすれば簡単に見つかるでしょうか。
……。
私はあまりにどたばたしているから抱き抱えている彼に負担がかかる、と思いさらに慌てる。早くしないと、と。
しかし、残念ながら慌てれば慌てるほど彼に負担がかかることまで考えが回らない。
私はパニックに陥りやすい。以前どこかの親魔領でお前はキキーモラとアヌビスのハーフかと言われたことがあったり。
確かに両方ともウルフ属の魔物ですが……
ウルフ属……!
そうか、私、鼻が多少利くのを忘れていました。寝室なら彼の匂いがしっかり着いてそうなので分かる……かも!
というわけで臭いをか………げるわけないでしょおっ!
うわぁぁぁん!
私は耳まで顔を赤くしながら次のドアを蹴飛ばして開ける。
危なげな音をたててドアが壁にぶつかった。
そして、がむしゃらになってその部屋にあったベッドに彼を投げた。
投げた。
……。
投げたぁぁぁぁぁぁっ!
やってしまいました!どうしましょう!
わたわたと足踏みをするような行動として無意識に自分の混乱がアウトプットされる。
もう目がぐるぐる回って何が何だか分からない状態。
ああっ自分が仕えると決めた人を投げ飛ばすなんてキキーモラとして失格ですっ!
ああああ、どうしましょうっ!?
でもっでもっベッドがあったということは寝室で間違いないわけでっ!
それでもやっぱり――
「ばたばたしないでくれるか、埃が、けほっ」
「どうしましょう!?」
……。
暫しの沈黙。
私は恐る恐る彼をスローインした先を見た。起きている。いつから気がついていたのかわからないけれど。
ふと彼と私の目が合う。気まずい。
「あ〜。いつから起きてました?」
「扉を蹴飛ばして開けてるところからだな」
「――――!」
ガンガンガンガン!
「待て!落ち着け!壁に頭を打ち付けるな」
私が羞恥のあまり壁に手をついて頭突きをしている姿をみて焦った声がかかる。
それを聞いて八回目を壁にぶつけた体勢のまま私はストップした。
痛くて涙が出る。
そのまま転がるようにくるりと回って再び彼と向き合った。
彼は私が振り向いた瞬間吹き出したのでかなり今情けない顔をしているんだろうなと思う。
「お前凄い顔してるぞ」
「分かってますよ、もう」
笑いをこらえながら彼が私を指差す。
私は頬を膨らませながら答えた。
私があまりに間抜けな所を見せすぎたせいだろうか。私に対する警戒や不信といった視線が無くなった気がする。
「変わっているな」
「よく言われます」
私が会話が途切れるような返しをしてまたしばらく見つめ合うだけの時間が過ぎた。
話し続けるということが非常に大変だ、とつくづく感じる。
主人を楽しませる話術もキキーモラとしてマスターしておくべきでした。
そう話す事を模索しながら頭の片隅で考えていると彼が動いた。
「本当に居候をする気ならこの隣の部屋は急な来客用にとっておいてあるからな、すぐに寝室として使えるはずだ」
と壁を叩きながら言う。
おそらく叩いた側の部屋が私の部屋になるんでしょうか。
うすぼんやりと彼と壁の間を見つめていると名前を言っていないことに気がつく。
「あ、申し遅れました、私はキキーモラのヘスティー・オルタシア・カツァロキーナといいます。ヘスでもヘスティでも好きなように呼んでください」
焦らず噛まずに言えた!
……それだけでよし、と一瞬だけでも満足してしまう自分が情けない。
「……」
「どうしました?」
私は何かを思い出したいと言わんばかりに眉間に皺を寄せている彼に聞く。
彼ははっと我に帰るとこちらを向いた。
「いや、あんた、じゃなくて…ヘスティのラストネームが俺と同じなんだよ。うちの親族に魔物なんていないよな、と確認していた。ああ、俺の名前はリュオ・コルネール・カツァロキーナだ。普通にリュオとでも呼んでくれ」
「わかりましたリュオさん」
「『さん』は付けなくていいぞ」
彼がリュオさんと言われた瞬間にそう言った。ですが、私としては、キキーモラの本能的には『さん』をつけたいかなぁと。
ちょっと呼び方を好きにさせてもらえるまでふざけてみますか。
悪戯を思い付いた子どもってこんな感覚なんでしょうね。
少しにやけながら私は彼が疲れて諦めるまで頭を空っぽにすることに決めた。
すぅ〜…はあ〜…ふっ!
ぱすん。
(論理的思考が)無の境地に達した所謂『ぱぁ』な状態の脳が極めて適当に言葉を紡ぐ。
「じゃあ、リュオちゃん」
「却下」
「リュー君」
「なんか……却下」
「リュオちゃんさん」
「だめだ」
「リュー君ちゃんさん」
「おい」
「ジョインジョインリュオゥ……」
「なんかだんだん変になってるぞ」
「あ、じゃあジョインジョインリュオゥ……でいいんですか?ちょっと世紀末な感じですけど」
「それはちょっと…」
「リュオ君〜リュ―君〜リュ〜ちゃん……リュオちゃん……かちゃんかちゃんかちゃんか」
「あ〜もういい、もういいから。さん付けでもなんでもしていいから普通にリュオって呼んでくれ」
「ちゃんかちゃんかちゃんか……おおっ!じゃあリュオさんってお呼びしますね」
にへら、と笑いながら私は頭の中の思考回路を元に戻した。
……私もかなり消耗しましたが、勝ちました。勝利です!
「お前を見てるとキキーモラとは思えないんだが」
「仕方ないですよ私の育ての親は『人間』ですから。どうせキキーモラとして抜けてますよ〜だ」
私は頬を膨らませて言った。
「そういえば、ヘスティ、どこから入った?」
ふと気付いたようにして彼が聞く。
もちろん隠すことなどないので素直に私は答えた。
「二階の窓から入りました。あんな物飴細工です――あだだだ頬をつねらないでくだしゃい!嘘です!嘘です!窓壊したんじゃなくて鍵が開いてたんです」
私が袈裟斬りに何かを振る真似をした瞬間彼の手が飛んできて頬をつねられた。
「あたたた、もう。やめてくださいよ」
「で、二階の窓にはどうやってたどり着いた?はしごでも無いと入れない高さだぞ」
「あ〜、箒です。箒があれば普通に飛べますよ?」
風魔法得意ですから。
と、にこりとしながら私は言う。彼はそれを聞いて掃除の後の戸締まりをしっかりしないとな、と呟いた。
「ところでリュオさん、眠たいので寝ていいですか?あの〜オリキュレールって知ってます?あの親魔街から歩いて来たので疲れてしまってもう限界なんですお休み――……」
ばたり。
「はあ!?」
俺の目の前でメイド姿の獣人が倒れる。
嵐のように現れて好き勝手言って居候になって俺の部屋で寝るだと。
使用人だったら減給モノだ。こいつ、ヘスティはメイドには向いてないだろうな。
くっくっ、と俺は笑った。
なんでだろうな、こいつから懐かしい感じがする。メイドの格好をしてるから嫌悪感しか感じないかと思ったがそうでもなかった。本当にしばらく居候させようか。
「へくちっ」
はあ、分かった。あまりにもメイドらしくなくてアレルギーが出ないんだな。
残念だがお姫様だっこはしてやらん。
俺はヘスティを肩に担いだ。
風邪を引かれたら困る。近くの村に医者はいるにはいるが、トマト好きの変人だ。あまり関わりたくない。
後、治療費時々血で払わされるし。
俺は隣の来客用の部屋のベッドにヘスティを寝かせるべく自室を出て隣の部屋に入る。
彼女は非常に軽く助かった。確かキキーモラは鳥のような部分を持っているから体の一部がハーピー種のように軽いのだろうか。
「う――…リュオさぁん……」
ベッドに寝かされたヘスティが呟く。
どんな夢を見ているのか。まあ、魔物の事だ、あれな夢だろう。
しかし、俺の名前が出てくるのか……。
これはロックオンされてるのか?
「もう、リュオさんったらそんなことしたら火だるまですよ〜」
はい!?
「ぁああ!だからだめだって――」
ああ、そうだな、だめだ。
俺は彼女の寝言が怖くなって自室に逃げた。
しかし、時折その能天気で恐ろしい夢の世界の実況が聞こえてくる。
俺は寝られそうになく、魔力灯に明かりを点した。柔らかく暖かい光が少しずつ部屋に満ちていく。いつもこのふんわりとした明かりは心を落ち着かせてくれるから好きだ。
少し高かったがそれだけの価値はある。
俺はベッドから机に移動した。
今日すでに書いた日記に付け加えをするためだ。
書き終わる頃に隣のキキーモラ風メイドモドキが熟睡することを切に願う。
『追記:変な奴が居候をする事になった。ヘスティーと名乗るあいつは面白く馬鹿っぽいので変な真似をしないと心の底から思える。そのせいか心配はあまりない。……訂正。気を付けておかないとあいつのせいで家が吹き飛びかねない。
しかし、賑やかになると思われる。俺が両親の隠し財産のこの館に住むようになる前の生活が思いださ――』
うっ。
俺は急に吐き気を催して口を手で押さえた。調子に乗って思い出しすぎた。
今日の夕食は――貰い物のトマトを飽きるほど使ったな。吐けば楽になるが、トマトの青臭さ、独特な匂いと胃液の嫌な臭いのスペシャルブレンドは嗅ぎたくない。
ああ、今日は寝れないな。
そんな予感を感じつつ俺は整腸薬の瓶を手に取りざらりと中身を出した。
あいつを居候させなかった方がこういうことを思い出さなくて良かったのかもな。
俺は苦笑いをした。
まあ、やってしまったものは仕方ない。これを期に克服するか?
俺は内心できるはずがないと思いながら伸びをした。
私はぺこりと頭を下げた。手はぴたりと体に添え、腰を曲げる角度はきっちり90°。
幼い頃近くにいた使用人の人たちをじっくりと観察して手に入れた自称美しいお辞儀をする。
ばさり、と体が動くと同時に揺れた巨大な羽箒のような尻尾が私が何者か相手に伝える。私は魔物、種族は『キキーモラ』。仕えるべき者に仕える事を至上の喜びとする種族。
ということで彼に会いに来たのだけど……
「いらない。帰ってくれ」
帰ってくる返事は非情だった。でも、私は諦めない。
「お願いします!」
「だめだ」
言葉のキャッチボールならぬ言葉のホームランコンテスト。
私の放った言葉は聞き入れられる様子もなく弾き飛ばされた。どこまで飛んでいったでしょうか。
……じゃなくて!
私はぽかんと空いた口を閉じた。
諦めない。
「お願いします!」
「誰も雇う気はない。帰ってくれ」
諦めない!
「お願いします!何でもしますから」
「帰ってくれ」
ううっ諦めないっ!
「嫌です」
「帰れ」
「やです」
「頼むから」
「やぁ〜ですっ!」
気付くと口元が勝手に震えて目が熱くなっていた。
情けない、と袖で目を拭って感情が爆発する。
「何でですかっ!私みたいなキュ〜〜トなキキーモラが専属メイドになるって言ってるんですよ!?爆発してくださいよ!」
「俺は人を雇う気はさらさらない、それに見ず知らずのお前にご主人様と言われる覚えも人徳もない」
私を睨みつけながら彼は言う。その言葉は冷たく、突き放されるような感じがした。
だからこそ、そばにいなければ、そう思う。
この感情は私が魔物だから?世話焼きの化身キキーモラだから?いや、そうとも限らない。
私は彼との間を詰める。
とっとっ、と無言の空間に私の足音だけがよく響く。
彼は今になっても私と目を合わせようとしないし、動こうともしない。
もう……無防備な。
本当に彼の前にいるのが私で良かった。他の魔物だったら見境なくゴールインしてますよきっと。
まあ、それはそれで幸せな事かもしれないんですけど。
とっ。
私は彼のすぐ前に立った。私が先程のように礼をすれば凶悪な頭突きを食らわせることができる距離だ。そう、私は石頭です。
物理的にも精神的にも石頭なんです。
だから、何としても彼のそばに……。
「私を貴方の家に置かせてください」
彼はどうしたものかと眉間に皺を寄せた。
そして彼は思い立ったように着けていた腕輪を外した。
銀に精密な細工が施され、悪趣味ではない程度に宝石が散りばめられた物。決して安くはない。
それを彼は私の腕に着けた。
どことなく悪寒がした。背中に冷たく、気持ち悪い何かが走る。
「これはどういう――」
「その腕輪は使用人として働いた場合の賃金を計算して10年分程度に相当する。それをやるから帰れ。どうせここで働きたいのは金が欲しいからだろう」
瞬間、すっと私の周りの温度が下がった感じがした。
だめだ。
手の震えが止まらない。
いけない。
息が荒くなる。
ここで怒ったら全て台無しだ。
怒るな、怒るな。私、耐えろ。
ぐっ、と目を瞑り、息を深く吐いた。
私は自分の思いをお金に換算された事、その他のもろもろを胸の中に納める。
そして冷たく光る銀の腕輪を外して彼に返した。
「これは貴方のお母様の形見でしょう?」
私は受け取ろうとしない彼にそう言う。
すると、彼は目を見開いてこちらを見つめ、初めて私と目が合った。
そうして硬直した瞬間に私は腕輪を彼の腕に通す。
彼はそれを気にも留めず緑の瞳をこちらに向けた。
「何故それを知っている」
「さあ、貴方の胸に手を当てて考えたらどうですか」
あからさまに私を疑うような口調の彼にさらっと答える。私は石頭です。一度拗ねたら簡単には戻らない自信はあります。
「では、私は今日ここに泊まらせてもらいます。どのみち夜も遅いので。
貴方はか弱い女性を夜の森に追い出すような方ではないでしょう?
いや、しばらく居候させていただきます。私は魔物ですから断っても無駄ですよ」
半ば脅すように語気を強めて言った。口に出して少し吹っ切れたせいか表情はもう固くはないはず。
しかし、結局私も魔物でした。最終的に強引に我を通して……メイド失格ですかね。
そう思っていると彼は笑った。
「面白いやつだな。居候ならば賃金は出ないぞ」
この言葉でまた薄暗い考えは吹き飛んだ。
「それで構いません。お金には困ってませんので」
私は懐から一枚のカードを取り出した。
このカードは空間操作系の魔法を応用し、貨幣をほぼ無制限に仕舞えるいわゆる超軽量財布。
それを彼に見せた。
確か私の持ち合わせはかなりあったはず。
これでお金が目当てではないと分かってくれたでしょうか。
「くくっ馬鹿じゃないのか。これだけあれば使用人なんてしなくてもいいじゃないか。いいぞ。居候を許可しよう」
それはそれは。
許可ありがとうございます。
ふつつか者ですが――ッ
「よろしくお願いします!」
ガッ!
私は彼に強烈なお辞儀を見舞った。
私は石頭だ。
彼を一撃で気絶させるなんて容易い。
しゅうぅぅぅぅ、と頭から白煙を上げながら姿勢を元に戻す……って。
「……あ、やっちゃいました」
気絶させてどうすんの。私はぴしゃりと自分の額を叩いた。
はい、あの頭突き、FATAL KO!と字幕が出そうな一撃でした。てーれってー。
……えっと、確か意識を戻すには。
私はバチバチっと右腕に雷を纏わせたが、危なそうなのでやめた。
あ〜……『スパーク』じゃ心停止しますかね。
もう一度てーれってーする気ですか私は。
苦笑いをして辺りを見渡す。
お水お水、タオルを水で濡らして頭に置いてやりましょう。
私は今まで持っていた大箒を壁に立て掛けた。
そして台所か洗面所を探した。
運が良く、すぐに台所は見つかった。
彼は料理をしようと思っていたのか、すぐ近くにあったのだ。
そして嬉々として近くにあったタオルを水で濡らす……直前に大切な事を忘れていたと気付く。
『今、彼は床で倒れている。
床は少し冷たい。
↓
風邪引く。』
「みゃあぁあああぁぁぁあ!!しまったのですぅぅぅぅっ!!」
私は奇声をあげながら彼の所に戻る。
とりあえず、どうする?
抱きついて暖める?
…イエティじゃあるまいし。
と、とにかく考える暇があったら行動を起こすっ。
私は意を決して彼を抱き上げた。逆お姫様だっこ。この場合は王子様だっことでも言うのでしょうか。
…どっちでもいいや。
このまま彼を寝室まで運んで休んでもらおう。
でも、
「寝室ってどこですかぁぁぁっ!」
無駄にこの屋敷は広かった。
「何分の一の確率ですかぁっ!」
ばたん。
がたん。
ばすん。
長い廊下に無数の扉。
きっと慣れればいいのだろうけど、残念ながら私は初見だ。
「どこで〜〜すっ!?べぇ〜っどるぅ〜〜〜〜むっ!」
……。
落ち着け私。
両腕が空いていないのでドアノブを足で蹴り飛ばすように開けようとしていた私は固まる。
現在、自分のしている事を自覚して一瞬パニックから覚めて止まったのだ。
今、ドアノブに鱗で覆われた一見靴のような足をかけたまま静止している。
焦り過ぎだ私。
私が他のキキーモラと比べると明らかにぼろが出まくっているのは知っているが、流石に足でドアを蹴り開けるのはアレだ。
メイド失格どころか品格ある居候としてもアウト。
というか居候って言っている時点でもう品格ないかも。
………
そう自分の言動を顧みてみると、顔から火が出た気がした。
なんとなく作った単位で示すと火力700tg(唐辛子)くらい。
頭から湯気が出るかと思うほど沸騰した羞恥心が心の底から上がってくる。
今すぐ身を地面に投げて跪き、額を地に擦り付ける事によって燃え盛る羞恥を消化したい強迫観念に駆り立てられた。
しかし、今は彼をベッドに寝かせるのが先。
私は今にも暴走しそうな自分に言い聞かせドアを……どう開けよう。
……ええい!
ぼしゅん。
やけくそになった私は風魔法で強引にノブを回し、扉を開けた。解錠魔法を使うという機転は混乱している私の頭ではついに思いつかないまま強引に部屋に突入する。
ああ、私の魔法適正が雷・風で良かった。
しかし、喜んだのもつかの間、そこは使われていなさそうな部屋だった。
つまり、ベッドも何もないハズレ。
本当にどこなんですかっ!寝室!
キキーモラとしては主人を適当な所で休ませたくない。是が非でも寝室を探し当てたい。
どうすれば簡単に見つかるでしょうか。
……。
私はあまりにどたばたしているから抱き抱えている彼に負担がかかる、と思いさらに慌てる。早くしないと、と。
しかし、残念ながら慌てれば慌てるほど彼に負担がかかることまで考えが回らない。
私はパニックに陥りやすい。以前どこかの親魔領でお前はキキーモラとアヌビスのハーフかと言われたことがあったり。
確かに両方ともウルフ属の魔物ですが……
ウルフ属……!
そうか、私、鼻が多少利くのを忘れていました。寝室なら彼の匂いがしっかり着いてそうなので分かる……かも!
というわけで臭いをか………げるわけないでしょおっ!
うわぁぁぁん!
私は耳まで顔を赤くしながら次のドアを蹴飛ばして開ける。
危なげな音をたててドアが壁にぶつかった。
そして、がむしゃらになってその部屋にあったベッドに彼を投げた。
投げた。
……。
投げたぁぁぁぁぁぁっ!
やってしまいました!どうしましょう!
わたわたと足踏みをするような行動として無意識に自分の混乱がアウトプットされる。
もう目がぐるぐる回って何が何だか分からない状態。
ああっ自分が仕えると決めた人を投げ飛ばすなんてキキーモラとして失格ですっ!
ああああ、どうしましょうっ!?
でもっでもっベッドがあったということは寝室で間違いないわけでっ!
それでもやっぱり――
「ばたばたしないでくれるか、埃が、けほっ」
「どうしましょう!?」
……。
暫しの沈黙。
私は恐る恐る彼をスローインした先を見た。起きている。いつから気がついていたのかわからないけれど。
ふと彼と私の目が合う。気まずい。
「あ〜。いつから起きてました?」
「扉を蹴飛ばして開けてるところからだな」
「――――!」
ガンガンガンガン!
「待て!落ち着け!壁に頭を打ち付けるな」
私が羞恥のあまり壁に手をついて頭突きをしている姿をみて焦った声がかかる。
それを聞いて八回目を壁にぶつけた体勢のまま私はストップした。
痛くて涙が出る。
そのまま転がるようにくるりと回って再び彼と向き合った。
彼は私が振り向いた瞬間吹き出したのでかなり今情けない顔をしているんだろうなと思う。
「お前凄い顔してるぞ」
「分かってますよ、もう」
笑いをこらえながら彼が私を指差す。
私は頬を膨らませながら答えた。
私があまりに間抜けな所を見せすぎたせいだろうか。私に対する警戒や不信といった視線が無くなった気がする。
「変わっているな」
「よく言われます」
私が会話が途切れるような返しをしてまたしばらく見つめ合うだけの時間が過ぎた。
話し続けるということが非常に大変だ、とつくづく感じる。
主人を楽しませる話術もキキーモラとしてマスターしておくべきでした。
そう話す事を模索しながら頭の片隅で考えていると彼が動いた。
「本当に居候をする気ならこの隣の部屋は急な来客用にとっておいてあるからな、すぐに寝室として使えるはずだ」
と壁を叩きながら言う。
おそらく叩いた側の部屋が私の部屋になるんでしょうか。
うすぼんやりと彼と壁の間を見つめていると名前を言っていないことに気がつく。
「あ、申し遅れました、私はキキーモラのヘスティー・オルタシア・カツァロキーナといいます。ヘスでもヘスティでも好きなように呼んでください」
焦らず噛まずに言えた!
……それだけでよし、と一瞬だけでも満足してしまう自分が情けない。
「……」
「どうしました?」
私は何かを思い出したいと言わんばかりに眉間に皺を寄せている彼に聞く。
彼ははっと我に帰るとこちらを向いた。
「いや、あんた、じゃなくて…ヘスティのラストネームが俺と同じなんだよ。うちの親族に魔物なんていないよな、と確認していた。ああ、俺の名前はリュオ・コルネール・カツァロキーナだ。普通にリュオとでも呼んでくれ」
「わかりましたリュオさん」
「『さん』は付けなくていいぞ」
彼がリュオさんと言われた瞬間にそう言った。ですが、私としては、キキーモラの本能的には『さん』をつけたいかなぁと。
ちょっと呼び方を好きにさせてもらえるまでふざけてみますか。
悪戯を思い付いた子どもってこんな感覚なんでしょうね。
少しにやけながら私は彼が疲れて諦めるまで頭を空っぽにすることに決めた。
すぅ〜…はあ〜…ふっ!
ぱすん。
(論理的思考が)無の境地に達した所謂『ぱぁ』な状態の脳が極めて適当に言葉を紡ぐ。
「じゃあ、リュオちゃん」
「却下」
「リュー君」
「なんか……却下」
「リュオちゃんさん」
「だめだ」
「リュー君ちゃんさん」
「おい」
「ジョインジョインリュオゥ……」
「なんかだんだん変になってるぞ」
「あ、じゃあジョインジョインリュオゥ……でいいんですか?ちょっと世紀末な感じですけど」
「それはちょっと…」
「リュオ君〜リュ―君〜リュ〜ちゃん……リュオちゃん……かちゃんかちゃんかちゃんか」
「あ〜もういい、もういいから。さん付けでもなんでもしていいから普通にリュオって呼んでくれ」
「ちゃんかちゃんかちゃんか……おおっ!じゃあリュオさんってお呼びしますね」
にへら、と笑いながら私は頭の中の思考回路を元に戻した。
……私もかなり消耗しましたが、勝ちました。勝利です!
「お前を見てるとキキーモラとは思えないんだが」
「仕方ないですよ私の育ての親は『人間』ですから。どうせキキーモラとして抜けてますよ〜だ」
私は頬を膨らませて言った。
「そういえば、ヘスティ、どこから入った?」
ふと気付いたようにして彼が聞く。
もちろん隠すことなどないので素直に私は答えた。
「二階の窓から入りました。あんな物飴細工です――あだだだ頬をつねらないでくだしゃい!嘘です!嘘です!窓壊したんじゃなくて鍵が開いてたんです」
私が袈裟斬りに何かを振る真似をした瞬間彼の手が飛んできて頬をつねられた。
「あたたた、もう。やめてくださいよ」
「で、二階の窓にはどうやってたどり着いた?はしごでも無いと入れない高さだぞ」
「あ〜、箒です。箒があれば普通に飛べますよ?」
風魔法得意ですから。
と、にこりとしながら私は言う。彼はそれを聞いて掃除の後の戸締まりをしっかりしないとな、と呟いた。
「ところでリュオさん、眠たいので寝ていいですか?あの〜オリキュレールって知ってます?あの親魔街から歩いて来たので疲れてしまってもう限界なんですお休み――……」
ばたり。
「はあ!?」
俺の目の前でメイド姿の獣人が倒れる。
嵐のように現れて好き勝手言って居候になって俺の部屋で寝るだと。
使用人だったら減給モノだ。こいつ、ヘスティはメイドには向いてないだろうな。
くっくっ、と俺は笑った。
なんでだろうな、こいつから懐かしい感じがする。メイドの格好をしてるから嫌悪感しか感じないかと思ったがそうでもなかった。本当にしばらく居候させようか。
「へくちっ」
はあ、分かった。あまりにもメイドらしくなくてアレルギーが出ないんだな。
残念だがお姫様だっこはしてやらん。
俺はヘスティを肩に担いだ。
風邪を引かれたら困る。近くの村に医者はいるにはいるが、トマト好きの変人だ。あまり関わりたくない。
後、治療費時々血で払わされるし。
俺は隣の来客用の部屋のベッドにヘスティを寝かせるべく自室を出て隣の部屋に入る。
彼女は非常に軽く助かった。確かキキーモラは鳥のような部分を持っているから体の一部がハーピー種のように軽いのだろうか。
「う――…リュオさぁん……」
ベッドに寝かされたヘスティが呟く。
どんな夢を見ているのか。まあ、魔物の事だ、あれな夢だろう。
しかし、俺の名前が出てくるのか……。
これはロックオンされてるのか?
「もう、リュオさんったらそんなことしたら火だるまですよ〜」
はい!?
「ぁああ!だからだめだって――」
ああ、そうだな、だめだ。
俺は彼女の寝言が怖くなって自室に逃げた。
しかし、時折その能天気で恐ろしい夢の世界の実況が聞こえてくる。
俺は寝られそうになく、魔力灯に明かりを点した。柔らかく暖かい光が少しずつ部屋に満ちていく。いつもこのふんわりとした明かりは心を落ち着かせてくれるから好きだ。
少し高かったがそれだけの価値はある。
俺はベッドから机に移動した。
今日すでに書いた日記に付け加えをするためだ。
書き終わる頃に隣のキキーモラ風メイドモドキが熟睡することを切に願う。
『追記:変な奴が居候をする事になった。ヘスティーと名乗るあいつは面白く馬鹿っぽいので変な真似をしないと心の底から思える。そのせいか心配はあまりない。……訂正。気を付けておかないとあいつのせいで家が吹き飛びかねない。
しかし、賑やかになると思われる。俺が両親の隠し財産のこの館に住むようになる前の生活が思いださ――』
うっ。
俺は急に吐き気を催して口を手で押さえた。調子に乗って思い出しすぎた。
今日の夕食は――貰い物のトマトを飽きるほど使ったな。吐けば楽になるが、トマトの青臭さ、独特な匂いと胃液の嫌な臭いのスペシャルブレンドは嗅ぎたくない。
ああ、今日は寝れないな。
そんな予感を感じつつ俺は整腸薬の瓶を手に取りざらりと中身を出した。
あいつを居候させなかった方がこういうことを思い出さなくて良かったのかもな。
俺は苦笑いをした。
まあ、やってしまったものは仕方ない。これを期に克服するか?
俺は内心できるはずがないと思いながら伸びをした。
13/12/12 23:20更新 / 夜想剣
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