堕ちるくらいなら……!
「……え、えっと……あの……」
「あ〜、やっぱり怖いか?まぁ気持ちは分かるが、安心しな。魔物は別にアンタを取って食ったりしないからよ」
「そう、大丈夫だ。ここにいる魔物たちはみんな良い人たちばかりだ。無闇に君を襲ったりしないさ」
「は、はい……」
所変わって、此処はカリバルナのダイニング。探索から戻ってきた俺たちを見兼ねて、サフィアやピュラ、オリヴィアを始めとした船員たちが集まってきていた。
ベリアルに乗っ取られたトルマレアを後にした俺たちは、辛くも難を逃れていた八百屋の娘を連れて船に戻ってきたのだった。
そしてこれから詳しい事情を色々と聞かせてもらうつもりだが、娘さんの方は魔物娘の船員たちに囲まれて怯えた様子を見せている。元はと言えばトルマレアが反魔物国家だから仕方ないが。
「はい、お待たせしました。ジパング産の緑茶ですよ」
「え、あ、ど、どうも……」
「あらあら、そんなに固くならなくてもいいのですよ。とりあえず、そのお茶を飲んでリラックスしてくださいね」
「ああ、楓が淹れるお茶は美味い。君も飲んでみるといいよ」
「は、はい」
ただ、自分の国の王女が傍らに居るお陰で安心感は抱いてるようだ。楓から差し出されたお茶も素直に受け取った。これなら色々と話を聞けそうだ。
「……ん?そう言えばヘルムは?さっきから見かけないんだが?」
「さっき国の様子を見て来ると言ってました」
「え?なんでまた急に……」
「分かりませんけど、すぐに戻ってくるとも言ってましたし、大丈夫だと思います」
「……まぁそうだな。こっちはこっちで勝手に始めるとするか」
ふと、この場にヘルムの姿が何処にも見当たらないことに気付いた。楓曰く、単独でトルマレアの様子を見に行ったとのこと。
国の状況ならさっきあいつにも話したはずだが……なんでまた?
とは言ってもヘルムの事だ。何か考えがあっての行動だろう。あいつの帰宅を待っていても時間がもったいないから、先にこっちで話を進めるとしよう。
「そう言えばアンタ、名前は?」
「あ、はい。リリカです」
「そうか……よし、早速聞きたいんだが……」
と言う訳で、まずは今のところ知ってることをおさらいしてみた。
「このトルマレア王国はベリアル率いる海賊団に乗っ取られている訳だが……それにしてもアンタはよく無事でいられたな」
「はい、私はお父さんの機転によって、お店の地下倉庫に隠れていたため難を逃れたのです。それで、外が静かになってきたところで倉庫から出たら、あんな事になってしまったのです。外が急に暗くなって、街の人たちは何故かみんな固まってしまって、私を匿ってくれたお父さんも何処かへ姿を消してしまいまして……」
「成る程な。それで、アンタはその後どうしたんだ?」
「あの時はどうすればいいのか分からず混乱してしまいましたけど……とりあえず、姿を消したお父さんを探しに行きました。その最中に国の兵士さんに遭遇したのですが、トルマレアの兵士は一人残らず敵に洗脳された事を思い出して、咄嗟に逃げてきたのです」
「で、俺たちと出会って、今に至るって事か」
「はい……」
ざっと話を纏めると……このトルマレアはベリアルたちに襲撃されてしまった。
国の兵士たちは敵に洗脳されてベリアル側に寝返り。徐々に兵力を増やしていったベリアルが有利になる。
そして挙句に国ごと乗っ取られてしまい、あの不気味な雰囲気に変貌してしまったと……こういう事になる。
「しかし……まさか国ごと手中に収めるとは。してやられたな。まさかここまで動き出していたとは……」
「おのれベリアル……私はもう怒りを抑えきれない!バルドを洗脳した上に、私の大切な国まで奪うなんて、もう許せない!奴だけは、私が必ずこの手で天誅を下してやる!」
シルクは胸中で煮えたぎる怒りをそのまま顔に表していた。
まぁ、シルクの気持ちは十分分かる。自分の故郷を滅茶苦茶にされたんだ。怒らない訳が無い。
「でも……何故ですかね……?」
ちょうど俺の隣に座っているサフィアがポツリと言った。口を出すつもりは無かったのについ言ってしまったのだろうか。しまった!という風に慌てて口を押さえる仕草を見せた。
「サフィア、何故ってどういうことだ?」
「はい、ふと思ったのですけど……」
俺に話を振られたサフィアは、恐縮気味に口を開いた。
「国を丸ごと乗っ取るなんて随分と大胆な事をすると思いましたけど、よくよく考えたら、大事な事が明確にされてないと思いまして……」
「大事な事?」
「はい。そもそも何故ベリアルたちは、国を乗っ取ったのか……一番の理由が分からないのです。何か大きなメリットでも得られない限り、こんな大掛かりな事をするとは思えないのですが……」
確かにベリアルがトルマレアを乗っ取った理由が分からない。サフィアが言った通り、メリットも得られないと分かっておきながらこんな事をしでかすとは思えない。
得にならない無駄な行動は絶対に取らない……ベリアルは昔からそういう奴だった。気まぐれで国ごと奪うなんてまず有り得ない。何かしらの理由があるからこそ、トルマレアを乗っ取ったのだろう。
だが、その肝心の部分が未だに分からない……ベリアルの目的は一体何なんだ?
「あ、あの……」
「ん?」
すると、リリカが徐に手を上げてきた。
「それについてなのですが……ちょっと思い当たる事がありまして……」
「どうした?何か知ってるのか?」
シルクに話を促されて、リリカは怖ず怖ずと口を開いた。
「その、ベリアルって人が襲撃を始めた際に、なんだか気になる言葉を発していたのですが……」
「気になる言葉?」
「確か……『この国の秘密は俺のものだ!』……って言ってたのを覚えています」
「……国の秘密?」
「はい、確かにそう言ってました」
……それは確かに気になるな。ある意味、重要な発言だったりする。
「なるほど。つまりベリアルは、この国が隠している『何か』を狙っているのですね」
「ああ、侵略まで犯した理由は分からないが、そう考えれば筋が合う」
サフィアの発言に続くように俺も一言言った。
国を丸ごと乗っ取る必要があったのかどうかは疑問だが、その『国の秘密』とやらを所望してるのはほぼ確実だろう。
だが、問題は……。
「なぁシルク、トルマレアが隠してる秘密ってなんだ?」
「……え?」
国の秘密とは一体何の事か……それが肝心だ。
シルクはトルマレアの王女だから何か知ってるだろう。そう考えた俺はシルクに話を振った。
「いや、そんな事訊かれても……私にはさっぱり分からない」
「いいかシルク、悪い事は言わない。トルマレアがこんな状態に陥った今、アンタが知ってる事は包み隠さず話した方が良いぞ。別にどんな事実を知らされようとも、俺たちはアンタの国を罵ったりしないさ」
「だから、私にも分からないんだ!そのトルマレアの秘密が一体何の事か、本当に知らないんだ!」
「え?そうなのか?」
てっきりシルクなら何か知ってると思ったが……違うようだ。
「こんな時に嘘を言ってどうする?まぁ、強いて言うなら……二週間前にお父様が夕食のおかずをつまみ食いした事とか、アイナお姉様が鍛錬中に花壇を割ってしまった事とか……」
「それ国じゃなくて人の秘密な」
「そんな事でベリアルが動くとは思えません」
「だよな……」
……そもそも言っちゃったから秘密じゃなくなったがな。てか何を下らん事やってんだよ国王……いや、今それどうでもいいか。
なんにしても、シルクは本当に何も知らないようだな。でもよく考えたら、国が隠している秘密なんて、王族でもそう簡単に知れるものじゃないか。
「heyhey!ちょっと口を挟んで悪いんだけどさ、今はその秘密が何かを考えるんじゃなくて、私たちはこれからどうすればいいのかを考えるべきじゃないか?」
「……ああ、そうだったな」
今オリヴィアが言った通り、分からない事を延々と考えても無駄な時間を費やすだけだ。
とにかく今は、これからどうするかを考えよう。
「トルマレアの秘密は後回しとして……今はトルマレアを取り返す方法を考えよう」
「で……どうしたものか……いっちょ喧嘩吹っ掛けるか?」
「おいおい、簡単に言うもんじゃないぞ。戦闘するにしても、今回は力の差が歴然だ」
オリヴィアはしれっと言い放ったが、今回ばかりはそう上手く事を運べるほど甘くない。
「トルマレアの兵士が全員洗脳によってベリアル側に下ったとしたら、トルマレアの兵力は全てベリアルが握っているって事になる。つまり戦うとなると、俺たち海賊団だけでこの国全体を相手にすると言う訳だ。更に言えば、百人以上の兵士に加えてベリアルとも戦わなければならない。これがどれほど無謀か分かるだろ?」
「そもそも我が国の兵士たちだって被害者なんだ!国を取り戻すためとは言え、兵士たちに刃を向けるなんて……」
「oh……言われてみれば……確かに……」
単に攻め込むだけで全部取り戻せるなら、迷わずに戦うだろう。だが、今回はスケールが違う。戦うとしたら、相手になるのは洗脳されたトルマレアの兵士たちとベリアルだ。万が一兵士たちを抑えたとしても、その後にベリアルと戦うほどの余裕があるかと訊かれると……返答に詰まってしまう。
「そもそも洗脳された兵士たちを正気に戻す方法だって分かってない。さっきの兵士だって、普通にぶん殴っても目を覚まさなかったぞ」
「外部からのショックでも正気に戻せないとなると……どうしたらいいものか……」
一番の問題は、敵の洗脳を解く方法が分かってない事だ。今や敵側についてる兵士たちも、洗脳さえ解ければ俺らの味方になってくれるだろうけど、肝心の方法が分かってない。洗脳なんて大抵外部からショックを与えれば解けると思ってたが……それは甘かった。
現に今……。
「ふぅ……」
「あ、シャローナ。どうだった?」
すると、シャローナがため息を吐きながらダイニングの扉を開けて入ってきた。
落胆の表情からして、結果は……。
「駄目……どう手を施しても洗脳が解けないのよ」
「じゃあ、あいつは今どうしてる?」
「暴れられたら面倒だから、しっかりと縄で縛っておいたわ。一応コリック君とリシャスちゃんにも見張りを頼んであるけど」
「そうか……こりゃ厄介だな……」
「くっ!何故正気に戻らないんだ……!」
そう……実はこの船に戻る際、洗脳さえ解ければ兵士から目ぼしい情報を聞きだせると判断した俺は、リリカに襲い掛かった兵士も連れて来たのだった。
洗脳を解く為にさっきまでシャローナが医療室で色々と手を尽くしていたところだが、どうやら上手くいってないようだ。
「軽い麻酔を打って一旦眠らせた後に起こしても意味無いし、電気ショックも試したけど効果無し。もう訳が分からないわ……」
「思ってた以上に苦戦してるようだな。かと言って放置する訳にもいかないし……」
「……思い切って解剖して、身体の中を直接覗いて見るか?」
「……本気か?」
「……いや、冗談だ。だからそんな怖い目で睨まないでくれ」
自分の部下が実験台扱いされるのが気に食わないのか、シルクから鋭い視線を向けられてしまった。まぁ、解剖は冗談にしても……洗脳を解く手段が本当に分からん。
「しかし弱ったな……洗脳を解く手段が分からないとなると、こっちも動けないな。がむしゃらに突っ込んだとしても勝ち目は無いし、もしかしたら俺らまで操られるかもしれない」
「ああ、それが一番最悪な展開だな。それこそまさにGame overってやつだ」
「兵士たちとは別に、固まってしまった国民たちの事も考えるべきだ。元に戻す手段も分かってないし、仮にベリアルたちに戦いを挑むにしても、必ず巻き込んでしまう。そればかりは避けなければ……」
「じゃあ先に固まった国民たちを助ける方法を考えるか?」
「そうしたいが、どうやって……」
「う〜ん…………」
参ったな……上陸早々、こんなデカい壁にぶつかるなんて想定外だ。
ベリアルを倒さなきゃいけない。だが、操られた兵士たちを正気に戻さなきゃならない。何よりも固まった国民たちも助けなきゃいけない。
問題が山積みになるばかりで、解決策が一つも出てこない。悩んでるだけで時間は過ぎ去っていくばかり。
さて、どうする……?
ガチャッ!
「ごめん!すっかり遅くなっちゃった!」
「あ、ヘルム!」
ダイニング中が沈黙に包まれかけたところで、ヘルムが慌てて部屋に入ってきた。
そう言えば国の様子を見に行ってたようだが……どうやらたった今戻ってきたらしい。
「お前こんな時に何やってたんだ?」
「ああ、実は失礼ながら、街中で固まってる住民たちを調べさせてもらったよ」
「え!?調べるって……」
「大丈夫。手荒な真似はしてないさ。住民たちが固まってる原因を解明したよ」
「なに!?本当か!?」
興奮のあまり思わず立ち上がってしまった。なんと、ヘルム曰く住民たちが固まってる原因が分かったとの事。
そうか……その為に街まで出向いたのか。
「それで、何か分かったのか!?」
「まぁ待ってよ。今すぐ話してあげたいところだけど……その前にやりたい事がある」
「ん?なんだよ急に?」
早速原因を訊いてみたら、あろう事か話を逸らされてしまった。
「実はね、僕の中に一つの仮説が立てられているんだ。今からその仮説が正しいかどうか確かめたいと思う」
「仮説?何の話だよ?」
「ああ、その仮説は……ベリアルたちが使う洗脳術と深く関わっているんだ」
「洗脳術と……」
ヘルムはその仮説とやらを今すぐ確かめたいようだ。しかも、その仮説は洗脳と関係があるらしい。
それは興味深い。ヘルムが立ててる仮説とやらは是非俺も知りたい。
「そうか。そう言う事なら仕方ない。で、どうすれば良いんだ?」
「簡単な事だよ。そう言えば、さっき言ってた兵士はまだこの船に乗ってるのかい?」
「ええ、洗脳を解く為に医療室で色々と試したけど、全然駄目なのよ。正気に戻る兆しさえ見られないの」
俺の変わりにシャローナが参ったように首を振りながら言った。
「その事なんだけど……もしかしたら、その洗脳を簡単に解けるかもしれないんだ」
そうか……そりゃそうだよな。簡単に解けるわけ……え?
「あらそう……って、え?今なんて?」
「だから、洗脳を解けるかもしれないって言ったんだ」
「……え!?うそ!?対策分かっちゃったの!?」
「まだ立証してないから、なんとも言えないけど……恐らく、高い確率で上手くいくと思う」
「本当か!?で、どうやって正気に戻すんだ!?」
マジかよ……さっきまでどうすれば良いのか全く分からなかったってのに、簡単に解けるのか!?
でも、どうやって?外部からのショックも効かなかったのに……。
「時にシャローナ、確か君、最近また新しい薬を作ったそうだね?」
「え?な、なによいきなり……」
「それ、どんな薬だっけ?」
「どんなって……男の人のおちんちんから能動的に精液を射精させるお薬よ」
おいおい、こんな時に何を聞いてるんだヘルムは。
シャローナの変な薬がどうしたと……。
「それ、洗脳されてる兵士に飲ませてみて」
「分かったわ……って、は?」
……え?なに?
飲ませろって……射精させる薬を?あの兵士に?
「え?飲ませるって……あれを?」
「……言っておくけど、僕は真面目に言ってるんだ」
ヘルムの真剣な表情からして、決して冗談を言ってる訳でもなさそうだ。
でもなんでまた突拍子も無い事を……まさか射精させれば正気に戻る訳でもあるまいし。
「ちょっと待ってくれ。なんでまたそんな薬を飲ませるんだ?まさかとは思うが、一回イかせれば元に戻るなんて事はないよな?」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………え?」
……おいおいおい、なんで無言なんだよ?なんで否定しないんだよ?
てかこれって……無言の肯定だよな?
「……ちょっと待て。まさか?」
「…………」
「……そのまさか?」
「…………」
「……マジなのか……?」
「言ったでしょ?僕は真面目だって」
「えぇ〜…………嘘だろ……」
ちょ……そのまさかかよ……そんな事で正気に戻るのかよ……。
一体どういう原理なんだよ……。
「とにかく、あの薬を飲ませてみるんだ。キッドたちはここで待ってて。シャローナ、兵士のところまで案内して」
「え、ええ……」
ヘルムはシャローナに案内される形で医療室へと向かって行った。
まさか……ホントに射精で正気に戻るなんてことはないよな?
いくらなんでもそれはちょっと…………。
〜数分後〜
「戻った〜!!」
「うそぉ!?」
戻ってきたシャローナの一言で思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
……なんて言えばいいんだ……その……ビックリし過ぎて何も言えねぇ。
まさか本当に射精しただけで……。
「マ、マジで!?ホントに!?」
「本当なのよ!私も驚いちゃった!一口飲ませて数分待って出させたら……その瞬間に元通り!まるで夢から覚めたみたいに覚醒しちゃったのよ」
ヘルムの読みは正しかったのか……なんか、さっきまで悩んでたのが馬鹿らしく思えてきた……。
「で、兵士は?」
「今こっちに連れて来てるわ」
「くっ!離せ!なんとしてでもベリアルを追い出さなければ!」
「気持ちは分かるけど落ち着いてよ。ほら、すぐに王女様に会わせるから」
すると、扉が開いてヘルムが兵士を抑えながら部屋に入ってきた。その後に続くように、兵士の見張り番をしていたリシャスとコリックも戻って来た。
「はっ!?も、もしや……シルク様!」
兵士はシルクを認識するなり、強引にヘルムの手から逃れてシルクの下へ駆け寄った。
「シルク様!ご無事でしたか!良かった……!」
「貴様……私が誰だか分かるのか!?」
「何を仰られますか!あなた様はトルマレア王国の第三王女、シルク・オキオード様ではないですか!トルマレアの兵士として、お守りするべき主のご尊顔を忘れたことは一度もありません!」
いや、さっきまで知らないとか言ってただろ……。
まぁ、それはさておき、この反応から見て本当に元に戻ったようだ。
「時にシルク様、つい先ほど、あのヘルムと言う男から話を聞きました。この海賊船に乗せてもらって此処まで来たと……」
「ああ、遠征の途中で思わぬハプニングに遭遇してしまったが、此処に居る海賊たちが助けてくれたのだ」
「は、はぁ……」
兵士は怪訝な表情で周囲に居る魔物娘の船員たちを見渡した。
この反応も無理は無い。こいつは反魔物国家の兵士だ。王女を助けたとは言え敵対するのが普通だろうよ。
「そんなに警戒するな、失礼だろ。大丈夫だ。此処にいる魔物たちは全員私たちの味方だ」
「さ、左様ですか……」
シルクに宥められて、兵士は困惑した面持ちを浮かべた。そう言われても、やはり魔物に対する敵対心を拭えないのだろう。
そんな事より……。
「しかしヘルム、よく洗脳の解き方が分かったな。性的にイかせて済むなんて、普通考え付かないだろうに」
今一番気になるのは、何故射精させただけで洗脳が解けたかだ。
外部からの衝撃でも解けなかったのに、一回出すもの出せばそれで終わり……意味が分からない。
「キッド、君は気付いてなかっただけだよ。事実、僕も君も洗脳が解かれた事例をこの目で見ていたんだ」
「え?どういうことだ?」
ヘルム曰く、俺たちは実際に洗脳の解き方を見ていたと……ますます分からない。俺、そんなの見た覚えが無いんだが……。
「数日前の、無人島のアジト奇襲戦は憶えてるよね?」
「ああ、あの古びた城での戦いだろ?」
「そう、そこでもう見ていたんだ。敵側の洗脳術に対抗する術をね。その日の事をよく思い出してみて。戦った相手とか、洗脳されてたアイーダとか」
「あ〜……ん〜……えっと……」
数日前……確か、ベリアルが所有していた第二のアジトを襲撃した日だ。あの時にベリアルと再開したり、洗脳されてたアイーダが魔物化したりしたんだっけな。
他にも、洗脳されてた海賊たちが居たけど、確かそいつらは未婚の海の魔物の手に……。
……ん?魔物?
「そう言えば……操られてた敵の海賊は……殆ど海の魔物の夫にされたんだよな?」
「そうだよ。で、夫になるってことは……分かるよね?」
「夫になるってことは…………」
…………あ!そうか!そういうことか!
「思い出した!操られてた海賊たちって、魔物の夫になった途端正気に戻ったよな!?で、夫になるって事は当然性行為も済ませる訳で……そうか!」
「気付いたようだね。そう、数日前に会った、ベリアル側に操られてた海賊たち。彼らは魔物に襲われて、交えた後に目を覚ました」
「そういやそうだったな……俺としたことが……なんでそういうところもキチンと見てなかったんだ……」
ヘルムの言うとおりだった。確かに俺も洗脳が解かれた事例をこの目で見ていた。
あの島を出航する前に会った海賊たち……魔物と交わった後には洗脳が解かれていた。俺はあの時、てっきり悪心が消えただけだと思っていたが……ただ心が変わっただけじゃなかったんだ。
「洗脳の事例は男だけじゃないよ。恐らく、女も同じ方法が通用すると思うんだ。アイーダが良い例えになる」
「ああ、あのショタコン女か。そう言えばあいつも、魔物に変わった瞬間に洗脳が解かれたと自分で言っていたな」
「彼女も絶頂に達した瞬間に目を覚ました。これだけ証拠が揃っていれば、もう疑う余地も無いよね?」
「ああ……しかし拍子抜けなもんだよ……」
正直、そんな方法で元に戻るなんて……どういう原理なんだと疑いたくなる。性行為で絶頂させるだけで解けるなんて、厄介なのかそうでもないのか分からん。まぁ何にせよ、これで敵の洗脳術に対抗する手段が分かった。
……つーか、まさかとは思うが、洗脳された兵士たちを一人ずつ射精させろってか?それはそれで骨が折れるぞ……。
「それと……話の腰を折って悪いけど、城下街で固まってる住民たちについて色々と調べてきたよ」
「お、そうか。それで、何か分かったか?」
話は街に居る住民たちの事で切り替わった。
そう言えば街に居る人たちの助け方がまだ分かってなかった。出来れば元に戻してやりたいが、良い方法が分かってない。どうすればいいものか……。
「僕もさっき見てきたんだけど……固まってる住民たちの殆どが女性や子供ばかりだったね」
「ああ、確かに……」
ヘルムに言われて頭の中で街の光景を思い出した。
そう言えば、動けなくなってる住民は女と子供ばかりで、大人の男の姿は殆ど見かけなかった。最初こそ異様な光景を目の当たりにして気にも留めなかったが、やがて何か妙な事だと気付いた。
全く持って当然な事だが、街には大人の男の住民も居る筈だ。それなのに、あの場には見かけなかった。どうなっているんだ……?
「あの……もしかしてですけど、男の住民たちも兵力に加えられた。もしくは、強制的に何かの労働力にされたとか……」
「ああ、なるほど。それなら筋が通ってるな」
自信無さそうに言ったサフィアに同意した。
確かに、その考えはあながち間違ってない。そもそも敵は洗脳術を扱えるんだ。兵力、もしくは労働力になる男を洗脳で従わせる……ベリアルならやりかねない。
「まぁ、男が居なかった理由はこの際置いといて……固まってしまった住民たちは、全員何かの魔力を身体に染み込まされてるみたいなんだ」
「魔力?魔物娘のか?」
「いや、それとは違うものだよ。調べたところ、人の意識や動きを停止させる厄介な効果を秘めてる魔力だったんだ。メドゥーサがよく使う石化術に似ているけど、魔力の質が明らかに別物だったよ」
「じゃあ、あれはやっぱり魔物娘の仕業じゃないと?」
「そうだね」
ヘルムが言うには、住民たちは何かの魔力の所為で固められているらしい。最初に俺が思った通りだったが、やっぱり魔物娘とは関係無かったようだ。
そりゃそうか。メドゥーサにしろ誰にしろ、魔物娘があんなひどい仕打ちに手を貸すとは思えない。恐らく、ベリアルに付き従ってる部下の仕業だろう。俺の睨みだと、洗脳術を扱えるエオノスって奴が一番怪しいがな。
「ただ、住民たちなら思ったより簡単に助ける事が出来るよ」
「ほ、本当か!?一体、どうやって!?」
助けれると聞いて、シルクが興奮気味に聞き返した。
「まぁ、単純な話だけど……身体に染み込んだ魔力を、別の魔力で上書きすれば良いんだ。固められた原因さえ掻き消されれば、すぐに住民たちも動けるようになる」
「魔力で……上書き?どういうことだ?」
シルクは聞き返したが、俺には何となくだが分かった。要するに、古い魔力を新しい魔力で消せば良いってことか。原因さえ消えれば元に戻ると……そういうことだろう。
だが、上書きってのはどういうことだろう?また別の魔力を流し込ませるのか?
「そうだね。もっと単純に言うと……」
ヘルムは少し考える仕草を見せた後、自信たっぷりに言い放った。
「魔物の魔力を注いで、魔物化すれば良いんだよ」
「えぇ!?」
魔物化……まさかここでそのワードが出てくるとは、これまた予想外だ。シルクもかなり驚いたようで、大きく目を見開いている。
「幸い、街の人たちを固めている魔力は、魔物娘の魔力と比べたら遥かに弱い。外部から魔物娘の魔力を注げば、動きを封じてる魔力が掻き消されて、自由に動けるようになるよ。ついでに魔物になっちゃうけどね」
教え子に説明する教師のような口ぶりでヘルムが説明した。
つまり、魔物娘の魔力を与えて魔物化させれば動けるようになるのか。
だが……。
「……なぁ、もしまた敵に魔力で固められたら、その次はどうすればいいんだ?」
「大丈夫。仮にまた動きを封じられようとも、魔物娘の魔力の方が圧倒的に強いから、固められる魔力が効かなくなるんだよ」
「そうなのか?てことは……魔物娘には一切効かないって事か」
「その通り。更に付け足せば、インキュバスにも効かないね。厳密に言えば魔物に分類されないけど、強力な魔物娘の魔力が身体に染み付いてるから、固められる魔力は通じないんだ」
なるほど……一度魔物になれば二度と固められる心配は無いのか。結論から言えば、固まる魔力は人間にしか効かないって事か。考えてみれば、それほど厄介でもなかったな。
しかし、洗脳の解き方にしろ、固められた住民たちの救出方法にしろ、案外単純なものばかりで拍子抜けだな。さっきまで苦悶してたのがアホらしく思えてきた。
「さて……みんな、ちょっと聞いて欲しい!僕に一つ考えがあるんだ!」
ふと脳裏に疑問が浮かんだ瞬間、ヘルムが船員たちに聞こえるよう大声で話を切り出した。
「たった今話した事を纏めるよ。まず、敵の洗脳術は、性行為で絶頂へと導けば必ず解けること。そして魔力で固められた住民たちは、魔物に変えれば動かせること。この二つの重要点だけはしっかりと頭に入れておいてね!」
「ああ、分かってる」
釘を刺されなくても分かっているつもりだ。ある意味、今話した点は重要な鍵と言える。対策が迷宮入りにされかけていた今、その二つだけは絶対に忘れてはならないんだ。
「そして、これらの点を踏まえた上で、僕に一つ作戦がある」
「作戦?」
「ああ、それもある意味、シルクにとって理想的な作戦だ」
「私にとって?どういうことだ?」
ヘルムの作戦……それはシルクにとって理想とのこと。
それってどういう意味なんだ?
「君は、国を取り戻すためなら、国民や兵士たちに剣を振る事が出来るかい?」
「いや、それは……いくらなんでも……」
「出来ない?」
「……そうだな……出来ない……」
「そうか。でも僕が考えた作戦なら、お望み通り誰も傷付かずに国を取り戻せるかもしれないんだ」
「なに!?本当か!?」
なるほど、理想ってそういう意味か。国民も兵士も、誰も傷付けずに国を取り戻す。確かにシルクにとっては理想の結末だろう。
「それで、その理想の作戦とやらは一体どんなものなんだ?」
「そうだね。結論から言えば、この国を丸ごと変える手はずになる」
「トルマレアを……変えるだと?」
「ああ、もっと単純に言えば……」
ヘルムは、落ち着き払った口調で静かに言った。
「トルマレア王国を……魔物の国に変えるんだ!」
「……えぇ!?」
トルマレアを……魔物国家に?
「ちょ……ちょっと待て!それはどういうことだ!?」
「言葉通りだよ。反魔物国家であるトルマレアを、魔物が気ままに暮らせる国に変えるんだ」
……そうか……そういうことか。
ひどく驚いた声を発したシルクを尻目に、俺は一人納得した。魔物化と性行為による絶頂……さっきまでの話を一通り聞けば察しが付く。
「なるほどな……分かったぜ。お前の考えてる事が」
「お、キッドにはお見通しのようだね」
「さっきの話を聞いてりゃ分かるよ。とりあえず、その作戦とやらについて詳しく話してくれ」
「分かった」
目を見開いてるシルクに諭すようにヘルムが口を開いた。
「まず最初に、固まってしまった住民たちに魔物娘の魔力を注いで魔物化させて、自由に動けるようにする」
「うんうん」
「次に、何かしらの方法で魔物になった住民たちを発情させる」
「それで?」
「男が欲しくて堪らなくなった魔物たちに、洗脳された兵士たちを襲わせる。そうすれば洗脳された兵士たちが次々と正気に戻る」
「ほう」
魔物化した住民たちに協力してもらって、敵側に寝返った兵士たちを取り返す。ここまでは俺も想定した通りだ。動けなくなった住民たちの殆どは女だから、かなり多くの魔物娘が出てくるだろう。そして洗脳された兵士たちが、魔物化した住民に襲われて……性交で射精して正気に戻る。
うん、行けそうだ。これなら無駄な体力を使わずに済むだろう。
「少しずつ敵の兵力をこちら側に吸収して、最終的に……」
「孤立したベリアルをひっ捕らえる!」
「正解!流石だねキッド!」
ヘルムが満足そうに俺に向かって親指を立てた。
なるほどな、作戦とやらがよく分かった。ヘルムが言った通り、ある意味シルクにとって理想的な作戦だ。それなら兵士も住民も傷付かずに国を取り戻せる。
あとは敵側にいる一番厄介なベリアルさえ何とかすれば……俺たちの勝ちだ!
「確かに……良い作戦かもしれません!それなら誰も傷付かないですし、上手く行けばベリアルを改心させられるかもしれませんね!」
「……え?改心?」
サフィアが言った『改心』と言う言葉に思わず首を傾げてしまった。
いや、改心って……俺は最初からそのつもりは全く無いんだが……。
「そのベリアルがどんな人なのかは知りませんけど……人間の男ですよね?でしたら、魔物娘と結ばれれば、カリバルナを支配しようとは思わなくなると思います」
「なんでそう言い切れる?」
「魔物娘の夫になった男の人は大抵、悪い心が消える傾向にあります。だからベリアルも例外じゃないと思うのです。上手く事が運べばベリアルも改心する可能性もあります」
「……そうか……その考えがあったか……」
確かに……サフィアが言った通り、魔物娘の夫になった男は、どんな悪人でも心が丸くなると伝えられている。事実、これまでに悪行を働き続けてきた犯罪者が魔物娘によって改心させられるのは珍しくないケースだ。
もしかしたら、トルマレアを取り戻すついでにベリアルもなんとかなるかもしれない……そう思えてきた。
俺としたことが……今までベリアルを力任せにぶっ飛ばす事しか考えてなかった。そもそも本人が二度と悪事を働けないようになれば、俺たちの目的は達成される。何もぶっ飛ばす必要なんて無かったんだ。
敵を倒す事だけが戦いじゃない……俺は危うく大切な事を見失うところだった。
全く……過去に同じ事を言われた経験があるってのに……。
「ありがとな、サフィア……」
「え?あ……は、はい!」
礼を言いながらサフィアの頭を撫でてやると、本人は戸惑いと嬉しさが混ざった笑みを浮かべた。
「ちょ、ちょっと待て!」
すると、さっきまで話を聞いてた兵士が捲くし立てるように割ってきた。
「さっきから黙って聞いていれば……まさかとは思うが、本当に我が国の住民たちを魔物に変えるつもりじゃないだろうな!?」
「……そうだと言ったら?」
真意を見定めるような目つきでヘルムが聞き返した。それを聞いた兵士は怒りで顔を赤くし、鋭い目つきでヘルムを睨みながら怒鳴り出した。
「ふざけるな!!何がシルク様にとって理想的な作戦だ!そんな勝手な真似は許さないぞ!我がトルマレア王国を魔物共の巣窟にさせて堪るものか!」
「少し落ち着きなよ、君だって何を優先するべきか分かるでしょ?」
「だが、魔物に変えるなんて……神に反する愚行だぞ!」
「仕方ないでしょ?街の人たちや君の同僚、そして国王様を助けるには、そうするしかないんだし」
冷静な態度のヘルムに対して、敵愾心を隠さずに食い下がる兵士。そりゃあ、自分が守ってる国の住民たちが魔物に変えられるなんて堪ったもんじゃないだろう。反魔物国家だったら尚更だ。
「いや、方法など他にあるだろ!」
「へぇ、例えば?」
「え!?」
「他の方法って何があるの?何か良い作戦でもあるの?」
「いや、それは……」
鋭い指摘を受けて言葉に詰まる兵士。返答に困って目を泳がせているのが一目瞭然だ。
「君たちは武力で負けちゃったんでしょ?現に今、国を乗っ取られちゃった訳だし」
「うぐっ……!」
「正々堂々と挑んでも負けるのが見えてるんだったら、武力以外の方法を使うしかないよね?で、君には武力以外の考えがあるの?」
「あ、そ、それはだな……」
「まさかとは思うけど、無鉄砲に突っ込んで勢い任せに戦って、その後は何も考えてませんでした〜♪なんて思ってないよね?」
「あうっ!……そ、そんな訳ないだろ!」
「じゃあ何?魔物化以外に何か良い方法があるの?あるんだったら是非とも聞かせてよ。ねぇ?どうなの?」
「あぁ、いや、それはだな……あ〜……う〜……」
「ほら、何も考えてないんでしょ?だったら魔物に変えるしかないじゃん」
どうやら口ではヘルムの方が圧倒的に有利のようだ。言葉巧みに兵士を畳み掛けている。
とは言っても、実際に住民たちを助ける方法は今のところそれしかない。もし俺が同じ質問をされたら、絶対に答えれる自信が無い。
「だ、駄目だ!それだけは駄目だ!シルク様!あなたからも何か言ってやってください!」
「…………」
とうとう兵士は助けを請うように、話をシルクに振ってしまった。だが、シルクの方は一言も発さずにただ俯いている。その様子からは何か迷いが生じているように見えた。
そうなるのも無理は無い……俺はそう思っていた。全てを取り戻す為とは言え、自分が生まれ育った故郷を変えるんだ。魔物の国になるのなら尚更の話。以前から今の魔物について知ってたとしても、やはり反魔物国家の人間だから、それなりに抵抗があるのかもしれない。複雑な心境にならない方がおかしい事だ。
「……そうするしか……ないのか……?」
「……そうだね。正直なところ、それが最善の方法だ」
何かを恐れるような声で問い質すシルク。ヘルムの返答を聞いた途端、再び何かを思いつめる姿を見せた。
「シルク様!何を迷われていられるのですか!あなた様もトルマレア王国の王女としての自覚を……」
「……悪いけど……」
喚き散らす兵士を見兼ねて、シャローナが徐に兵士に近付いた。そして……。
「いたっ!?」
「ちょっと眠ってて」
「き、貴様……なに……を……」
兵士が苦悶の表情を浮かべたと思うと、恨めしげな視線をシャローナに向けながらその場に崩れ落ちた。
「おい、何やったんだ?」
「麻酔よ。この人はちょっと寝てもらった方がいいと思ってね」
ウィンクしてるシャローナの右手には注射器が握られていた。倒れた兵士をよく見ると、まるで死んだかのように(死んでないけど)ぐっすり眠っている。
ちょいと横暴な真似だが、それも致し方ない。こいつはただ一方的に否定するだけで話にならない。大人しくしてもらった方が色々と助かる。
「……あ、あの……」
すると、さっきまで黙って話を聞いてたリリカが口を割ってきた。
なんだ……やっぱりこの娘も反対なのか。こりゃ説得には骨が折れそうだ……。
「……私は……その作戦に賛成です」
「え?」
……予想外の発言だった。てっきり反対だと思ったら、まさかの賛成とは。
「正直に言いますと……私にとってトルマレアは生まれ育った大切な故郷ですから、丸ごと変わってしまうのはとても怖いです。ましてや魔物の国に変わるなんて……怖くて、不安で、堪らない」
そうだろうな。その気持ちは分かる。
「でも……」
「……でも?」
「でも……このままベリアルに乗っ取られたままでいる方が、もっと怖いのです!」
さっきまでの不安いっぱいだった顔が嘘だったかのように、リリカは決意を露にした面持ちで堂々と言った。
「トルマレアがベリアルのものになったままでいるなんて、悔しいのです!私が出来ることなんて何も無いけど、それでもベリアルから故郷を取り戻したい!それに、あのままベリアルを放っておいたら、他の国もトルマレアと同じ目に遭ってしまうかもしれません!ベリアルの思惑通りになるのなら、トルマレアを救えるのなら……私は、魔物と共に生きる道を選びます!魔物の国に変わっても、私が愛するトルマレアである事は変わらないのですから!」
「……そうか……」
もはやリリカの言葉には迷いの一片も感じられなかった。
この娘はこの娘なりに国を想っているんだな。たとえどんな結果になろうとも、故郷を取り戻したい。そう思っているのか……よく決心してくれた。
「……トルマレアは変わらない……か……」
迷いを見せていたシルクが顔を上げて、リリカの目を見つめながら言った。
「なぁ……もしも私の国が魔物の国になったとしても……君はトルマレアの国民でいてくれるか?」
「はい!私はずっと、トルマレアの民です!絶対に国を見捨てたりしません!」
「……ありがとう」
迷いの無い返答を耳にして、シルクは感謝の意を込めた温かい笑顔を浮かべた。
「そうだな……魔物の国になろうとも、私の愛する国である事に変わりはない」
一つ一つの言葉に活気が戻ってくる。
「父上や姉上、国に仕えてくれてる側近たち、国民、そしてバルド……みんな私にとって掛け替えの無い宝物だ」
やがて表情から、決意が伝わってくる。
「全てを失うくらいなら……愛する故郷が奴の手に堕ちるくらいなら……!」
そして、勢い良く椅子から立ち上がり……!
「私は、神に歯向かう悪鬼となる!!」
天に向かって、高らかに宣言した。
天空の遥か彼方にいるであろう神に向かって言い放ってるその姿は、本当に勇ましく見えた。
「トルマレアを魔物の国に変える件、了解した!私からも頼む!トルマレアを……いや、全てを取り戻す為に、私にも協力させてくれ!その為の努力は惜しまない!必ずや役に立ってみせる!」
テーブルを両手で叩き、俺たちに懇願するように言ってきた。これからの大きな戦に臨む姿勢。その姿を見れば、今のシルクにはもう恐れなんて無い事が一目瞭然だった。
「その言葉を聞けて何よりだ。これで俺たちも遠慮無しに動けるってもんだ!なぁ、ヘルム」
「うん!そうと決まれば、早速準備しないとね!」
「と言う訳で、トルマレア魔物国家作戦決行!抜かりは無いぜ!」
「ただ、ちょっとだけ時間が欲しいんだ。確実に作戦を成功させる為の計画を練りたい。まずはとりあえず戦闘準備だけでも済ませておこう」
「ああ、それじゃ……」
俺は徐に立ち上がり、ダイニングに集まってる仲間たちに向かって号令を放った。
「野郎ども!後で改めて作戦内容を教える!戦闘準備を済ませてからここに戻って来い!」
「ウォォォォォォォォォォォォ!!」
活気の良い雄たけびと同時に、仲間たちが一斉に動き出した。
さぁ、これでやるべき事が分かってきた。
固まった国民、洗脳された兵士とバルドの救出。そしてベリアルの思惑の阻止!あわよくば改心!
果たすべき目的が決まった!
この大勝負、何がなんでも勝つぞ!!
「絶対負けない!待ってろよ、ベリアル!!」
〜(ドレーク視点)〜
「…………」
ゴールディ・ギガントレオ号の船長室にて、俺は大きめのベッドに横たわりながら、ぼんやりと天井を眺めていた。
戦いの前の体力温存……といったところか。俺らは今、とある国に向かって船を進めている。
その国の名はトルマレア。反魔物国家として有名な国だ。そこで激しい戦いを繰り広げる羽目になってしまった。
「ガリッ!シャリシャリ……」
右手に持ってるリンゴを齧りながら物思いに耽った。
あいつめ……勝手な真似しやがって。今度と言う今度は必ずとっちめてやらねぇとな。これ以上、好きにさせて堪るかってんだ。
「…………あれからもう……大分経ったんだな……」
俺の頭の中で……10年以上前の記憶が再生された。今思えば、奴との……ベリアルとの腐れ縁もあの日から繋がったのかもしれない。
あの日に失ったものはデカかった……あの日ほど泣いた日は無かった……。
「…………」
空いた手で懐から一つのアクセサリーを取り出した。
エメラルド色の宝石が付いてる、小さなイヤリング。俺が何時も肌身離さず身に着けている、大切な形見だ。
15年前までは、とある一人の女が何時も身に着けていた。世話焼きで、気丈で、誰よりも優しかった女だった。
そいつも……今となっては……。
「……アンジュ……」
思わず……かつて心から愛していた女の名を囁いてしまった……。
「ピィ!ピィ!タダイマー!」
鳥特有の甲高い鳴き声を上げながら、オウムのジャッキーが部屋の窓から入ってきた。
どうやら、頼んでおいた偵察を終えたようだ。ジャッキーは本当に優秀なオウムだ。奴らもまさか鳥に監視されていたとは思ってないだろう。
「おう、ジャッキー。わざわざご苦労さん」
「ピィ!ホービ!ごホービ!」
「分かってるっての……そらっ!」
俺は手にしてるリンゴを小さく千切って、餌をねだるジャッキーに向かって下から軽く投げた。
「ピィピィ!」
「ふっ、そうかそうか、美味いか」
上手い具合に嘴でキャッチし、満足そうにリンゴを食べるジャッキーを見ていたら少しだけ気分が安らいだ。戦の前の十分な励みだ。
……俺としたことが……ガラに合わないド阿呆なことを。
「……今はしんみりと過去を振り返ってる場合じゃねぇよな」
ベッドから上半身を起こし、取り出したイヤリングを懐に戻した。
そうだ……これから戦が控えてるってのに、こんな気持ちを抱えたままじゃ駄目だ。
気持ちを切り替えないとな。でないとあいつに小言を言われちまう。
「そうだ……あんなハナッタレ共、俺がぶっ飛ばしてやる!」
もう俺は決めたんだ。この身が朽ち果てようとも、あいつだけは守ると。そもそも、その為にトルマレアに向かっているんだ。あいつに手を出す阿保んだらは、誰であろうと容赦しない。
そうだ……誰であろうともなぁ!
コンコン!
「お館様!目的地が見えてきました!」
部屋のドアをノックする音と共に、外からガロの声が聞こえた。
目的地ってことは……トルマレアか!此処に来るまで色々とあったが、やっとたどり着いた。早速部下たちに指示を出しに行こう。
「よぅし……ジャッキー!来い!」
「ピィ!」
ベッドから立ち上がりジャッキーを肩に乗せた後、手にしてた齧りかけのリンゴを一気に貪り、残った芯をゴミ箱に投げ捨てた。
さて……行くか!
「おうガロ、トルマレアが見えてきたんだって?」
「はい。以前耳にした情報通り、薄暗くて不気味な雰囲気に変貌した模様です!」
「そうか……あいつらしいな」
ドアを開けて船長室から出ると、ガロからトルマレアの様子を聞かされた。
ここに来る前に立ち寄った島……つまり黒ひげと再会した無人島で聞いた通り、トルマレアはガラリと見た目が変わっちまったらしい。どう考えたってベリアルの仕業だ。あいつらしいと言えばそれまでだが。
「そうだ、俺らと同行してる連中にも伝えておいたか?」
「はっ、今しがた、船員たちが各海賊団の船長に状況を伝えに行きました」
そしてガロ曰く、同行中の海賊たちにも状況を説明しに行ったとのこと。
実は無人島からトルマレアへと出航する際、俺の海賊連合軍に加わってる海賊たちに救援を要請したのだ。その結果、ちょうど近辺に居た三つの海賊団が名乗り出てくれた。そして今、そいつらは俺らとの合流を果たし、それぞれの海賊船に乗って付いて来てくれている。みんな強くて頼もしい奴らばかりだから、此度の戦でも大いに活躍してくれるだろう。
「よし、俺らもそろそろ動き出すとするか!」
「御意!」
船員たちに指示を出すため、俺はガロと共に部下たちの下へ出向こうとした。
さぁ、忙しくなってきたぞ。まず戦闘員には前衛に出てもらうか。医療班は負傷者の手当ての為に船に残すとして……。
「ちょっと待って!!」
「……ん?」
突然、若い女の声が響いた。反射的にその方向へと振り向いてみたら、そこには…………。
「……ルミアス?」
金色の長い髪をポニーテールにした、藍色の瞳のエルフ……ルミアスだ。
貸してる部屋から出てきたようだが……なんか様子がおかしい。何がって……。
「……おい、どういうつもりだ、それは?そんな沢山の武器を背負って……」
ルミアスは今、沢山の武器を縄で一纏めにして背負っていた。
カトラス、ダガーナイフ、ハンドガン、ハンマー、クロスボウ……どれも見覚えのある武器ばかりだ。
いや、間違いない。あれ全部この船の武器庫に収納されている武器だ。勝手に漁ったな……だが何のためにこんな真似を……。
「これだけ揃えてないと勝てないと思ったの」
「は?勝てないって……何に?」
何やら真剣な面持ちを見せるルミアス。その眼は明らかにこの俺を見据えていた。
……おい待て。勝てないってまさか……。
「ドレークおじさん……」
ルミアスは覚悟を決めたような表情を浮かべながら、ビシッと俺に人差し指を向けて言い放った。
「今すぐ私と勝負よ!!」
「はぁ!?」
勝負って……俺に勝てる訳ないだろ。
てか、こんな時に何を言い出すんだ、こいつは……。
「あ〜、やっぱり怖いか?まぁ気持ちは分かるが、安心しな。魔物は別にアンタを取って食ったりしないからよ」
「そう、大丈夫だ。ここにいる魔物たちはみんな良い人たちばかりだ。無闇に君を襲ったりしないさ」
「は、はい……」
所変わって、此処はカリバルナのダイニング。探索から戻ってきた俺たちを見兼ねて、サフィアやピュラ、オリヴィアを始めとした船員たちが集まってきていた。
ベリアルに乗っ取られたトルマレアを後にした俺たちは、辛くも難を逃れていた八百屋の娘を連れて船に戻ってきたのだった。
そしてこれから詳しい事情を色々と聞かせてもらうつもりだが、娘さんの方は魔物娘の船員たちに囲まれて怯えた様子を見せている。元はと言えばトルマレアが反魔物国家だから仕方ないが。
「はい、お待たせしました。ジパング産の緑茶ですよ」
「え、あ、ど、どうも……」
「あらあら、そんなに固くならなくてもいいのですよ。とりあえず、そのお茶を飲んでリラックスしてくださいね」
「ああ、楓が淹れるお茶は美味い。君も飲んでみるといいよ」
「は、はい」
ただ、自分の国の王女が傍らに居るお陰で安心感は抱いてるようだ。楓から差し出されたお茶も素直に受け取った。これなら色々と話を聞けそうだ。
「……ん?そう言えばヘルムは?さっきから見かけないんだが?」
「さっき国の様子を見て来ると言ってました」
「え?なんでまた急に……」
「分かりませんけど、すぐに戻ってくるとも言ってましたし、大丈夫だと思います」
「……まぁそうだな。こっちはこっちで勝手に始めるとするか」
ふと、この場にヘルムの姿が何処にも見当たらないことに気付いた。楓曰く、単独でトルマレアの様子を見に行ったとのこと。
国の状況ならさっきあいつにも話したはずだが……なんでまた?
とは言ってもヘルムの事だ。何か考えがあっての行動だろう。あいつの帰宅を待っていても時間がもったいないから、先にこっちで話を進めるとしよう。
「そう言えばアンタ、名前は?」
「あ、はい。リリカです」
「そうか……よし、早速聞きたいんだが……」
と言う訳で、まずは今のところ知ってることをおさらいしてみた。
「このトルマレア王国はベリアル率いる海賊団に乗っ取られている訳だが……それにしてもアンタはよく無事でいられたな」
「はい、私はお父さんの機転によって、お店の地下倉庫に隠れていたため難を逃れたのです。それで、外が静かになってきたところで倉庫から出たら、あんな事になってしまったのです。外が急に暗くなって、街の人たちは何故かみんな固まってしまって、私を匿ってくれたお父さんも何処かへ姿を消してしまいまして……」
「成る程な。それで、アンタはその後どうしたんだ?」
「あの時はどうすればいいのか分からず混乱してしまいましたけど……とりあえず、姿を消したお父さんを探しに行きました。その最中に国の兵士さんに遭遇したのですが、トルマレアの兵士は一人残らず敵に洗脳された事を思い出して、咄嗟に逃げてきたのです」
「で、俺たちと出会って、今に至るって事か」
「はい……」
ざっと話を纏めると……このトルマレアはベリアルたちに襲撃されてしまった。
国の兵士たちは敵に洗脳されてベリアル側に寝返り。徐々に兵力を増やしていったベリアルが有利になる。
そして挙句に国ごと乗っ取られてしまい、あの不気味な雰囲気に変貌してしまったと……こういう事になる。
「しかし……まさか国ごと手中に収めるとは。してやられたな。まさかここまで動き出していたとは……」
「おのれベリアル……私はもう怒りを抑えきれない!バルドを洗脳した上に、私の大切な国まで奪うなんて、もう許せない!奴だけは、私が必ずこの手で天誅を下してやる!」
シルクは胸中で煮えたぎる怒りをそのまま顔に表していた。
まぁ、シルクの気持ちは十分分かる。自分の故郷を滅茶苦茶にされたんだ。怒らない訳が無い。
「でも……何故ですかね……?」
ちょうど俺の隣に座っているサフィアがポツリと言った。口を出すつもりは無かったのについ言ってしまったのだろうか。しまった!という風に慌てて口を押さえる仕草を見せた。
「サフィア、何故ってどういうことだ?」
「はい、ふと思ったのですけど……」
俺に話を振られたサフィアは、恐縮気味に口を開いた。
「国を丸ごと乗っ取るなんて随分と大胆な事をすると思いましたけど、よくよく考えたら、大事な事が明確にされてないと思いまして……」
「大事な事?」
「はい。そもそも何故ベリアルたちは、国を乗っ取ったのか……一番の理由が分からないのです。何か大きなメリットでも得られない限り、こんな大掛かりな事をするとは思えないのですが……」
確かにベリアルがトルマレアを乗っ取った理由が分からない。サフィアが言った通り、メリットも得られないと分かっておきながらこんな事をしでかすとは思えない。
得にならない無駄な行動は絶対に取らない……ベリアルは昔からそういう奴だった。気まぐれで国ごと奪うなんてまず有り得ない。何かしらの理由があるからこそ、トルマレアを乗っ取ったのだろう。
だが、その肝心の部分が未だに分からない……ベリアルの目的は一体何なんだ?
「あ、あの……」
「ん?」
すると、リリカが徐に手を上げてきた。
「それについてなのですが……ちょっと思い当たる事がありまして……」
「どうした?何か知ってるのか?」
シルクに話を促されて、リリカは怖ず怖ずと口を開いた。
「その、ベリアルって人が襲撃を始めた際に、なんだか気になる言葉を発していたのですが……」
「気になる言葉?」
「確か……『この国の秘密は俺のものだ!』……って言ってたのを覚えています」
「……国の秘密?」
「はい、確かにそう言ってました」
……それは確かに気になるな。ある意味、重要な発言だったりする。
「なるほど。つまりベリアルは、この国が隠している『何か』を狙っているのですね」
「ああ、侵略まで犯した理由は分からないが、そう考えれば筋が合う」
サフィアの発言に続くように俺も一言言った。
国を丸ごと乗っ取る必要があったのかどうかは疑問だが、その『国の秘密』とやらを所望してるのはほぼ確実だろう。
だが、問題は……。
「なぁシルク、トルマレアが隠してる秘密ってなんだ?」
「……え?」
国の秘密とは一体何の事か……それが肝心だ。
シルクはトルマレアの王女だから何か知ってるだろう。そう考えた俺はシルクに話を振った。
「いや、そんな事訊かれても……私にはさっぱり分からない」
「いいかシルク、悪い事は言わない。トルマレアがこんな状態に陥った今、アンタが知ってる事は包み隠さず話した方が良いぞ。別にどんな事実を知らされようとも、俺たちはアンタの国を罵ったりしないさ」
「だから、私にも分からないんだ!そのトルマレアの秘密が一体何の事か、本当に知らないんだ!」
「え?そうなのか?」
てっきりシルクなら何か知ってると思ったが……違うようだ。
「こんな時に嘘を言ってどうする?まぁ、強いて言うなら……二週間前にお父様が夕食のおかずをつまみ食いした事とか、アイナお姉様が鍛錬中に花壇を割ってしまった事とか……」
「それ国じゃなくて人の秘密な」
「そんな事でベリアルが動くとは思えません」
「だよな……」
……そもそも言っちゃったから秘密じゃなくなったがな。てか何を下らん事やってんだよ国王……いや、今それどうでもいいか。
なんにしても、シルクは本当に何も知らないようだな。でもよく考えたら、国が隠している秘密なんて、王族でもそう簡単に知れるものじゃないか。
「heyhey!ちょっと口を挟んで悪いんだけどさ、今はその秘密が何かを考えるんじゃなくて、私たちはこれからどうすればいいのかを考えるべきじゃないか?」
「……ああ、そうだったな」
今オリヴィアが言った通り、分からない事を延々と考えても無駄な時間を費やすだけだ。
とにかく今は、これからどうするかを考えよう。
「トルマレアの秘密は後回しとして……今はトルマレアを取り返す方法を考えよう」
「で……どうしたものか……いっちょ喧嘩吹っ掛けるか?」
「おいおい、簡単に言うもんじゃないぞ。戦闘するにしても、今回は力の差が歴然だ」
オリヴィアはしれっと言い放ったが、今回ばかりはそう上手く事を運べるほど甘くない。
「トルマレアの兵士が全員洗脳によってベリアル側に下ったとしたら、トルマレアの兵力は全てベリアルが握っているって事になる。つまり戦うとなると、俺たち海賊団だけでこの国全体を相手にすると言う訳だ。更に言えば、百人以上の兵士に加えてベリアルとも戦わなければならない。これがどれほど無謀か分かるだろ?」
「そもそも我が国の兵士たちだって被害者なんだ!国を取り戻すためとは言え、兵士たちに刃を向けるなんて……」
「oh……言われてみれば……確かに……」
単に攻め込むだけで全部取り戻せるなら、迷わずに戦うだろう。だが、今回はスケールが違う。戦うとしたら、相手になるのは洗脳されたトルマレアの兵士たちとベリアルだ。万が一兵士たちを抑えたとしても、その後にベリアルと戦うほどの余裕があるかと訊かれると……返答に詰まってしまう。
「そもそも洗脳された兵士たちを正気に戻す方法だって分かってない。さっきの兵士だって、普通にぶん殴っても目を覚まさなかったぞ」
「外部からのショックでも正気に戻せないとなると……どうしたらいいものか……」
一番の問題は、敵の洗脳を解く方法が分かってない事だ。今や敵側についてる兵士たちも、洗脳さえ解ければ俺らの味方になってくれるだろうけど、肝心の方法が分かってない。洗脳なんて大抵外部からショックを与えれば解けると思ってたが……それは甘かった。
現に今……。
「ふぅ……」
「あ、シャローナ。どうだった?」
すると、シャローナがため息を吐きながらダイニングの扉を開けて入ってきた。
落胆の表情からして、結果は……。
「駄目……どう手を施しても洗脳が解けないのよ」
「じゃあ、あいつは今どうしてる?」
「暴れられたら面倒だから、しっかりと縄で縛っておいたわ。一応コリック君とリシャスちゃんにも見張りを頼んであるけど」
「そうか……こりゃ厄介だな……」
「くっ!何故正気に戻らないんだ……!」
そう……実はこの船に戻る際、洗脳さえ解ければ兵士から目ぼしい情報を聞きだせると判断した俺は、リリカに襲い掛かった兵士も連れて来たのだった。
洗脳を解く為にさっきまでシャローナが医療室で色々と手を尽くしていたところだが、どうやら上手くいってないようだ。
「軽い麻酔を打って一旦眠らせた後に起こしても意味無いし、電気ショックも試したけど効果無し。もう訳が分からないわ……」
「思ってた以上に苦戦してるようだな。かと言って放置する訳にもいかないし……」
「……思い切って解剖して、身体の中を直接覗いて見るか?」
「……本気か?」
「……いや、冗談だ。だからそんな怖い目で睨まないでくれ」
自分の部下が実験台扱いされるのが気に食わないのか、シルクから鋭い視線を向けられてしまった。まぁ、解剖は冗談にしても……洗脳を解く手段が本当に分からん。
「しかし弱ったな……洗脳を解く手段が分からないとなると、こっちも動けないな。がむしゃらに突っ込んだとしても勝ち目は無いし、もしかしたら俺らまで操られるかもしれない」
「ああ、それが一番最悪な展開だな。それこそまさにGame overってやつだ」
「兵士たちとは別に、固まってしまった国民たちの事も考えるべきだ。元に戻す手段も分かってないし、仮にベリアルたちに戦いを挑むにしても、必ず巻き込んでしまう。そればかりは避けなければ……」
「じゃあ先に固まった国民たちを助ける方法を考えるか?」
「そうしたいが、どうやって……」
「う〜ん…………」
参ったな……上陸早々、こんなデカい壁にぶつかるなんて想定外だ。
ベリアルを倒さなきゃいけない。だが、操られた兵士たちを正気に戻さなきゃならない。何よりも固まった国民たちも助けなきゃいけない。
問題が山積みになるばかりで、解決策が一つも出てこない。悩んでるだけで時間は過ぎ去っていくばかり。
さて、どうする……?
ガチャッ!
「ごめん!すっかり遅くなっちゃった!」
「あ、ヘルム!」
ダイニング中が沈黙に包まれかけたところで、ヘルムが慌てて部屋に入ってきた。
そう言えば国の様子を見に行ってたようだが……どうやらたった今戻ってきたらしい。
「お前こんな時に何やってたんだ?」
「ああ、実は失礼ながら、街中で固まってる住民たちを調べさせてもらったよ」
「え!?調べるって……」
「大丈夫。手荒な真似はしてないさ。住民たちが固まってる原因を解明したよ」
「なに!?本当か!?」
興奮のあまり思わず立ち上がってしまった。なんと、ヘルム曰く住民たちが固まってる原因が分かったとの事。
そうか……その為に街まで出向いたのか。
「それで、何か分かったのか!?」
「まぁ待ってよ。今すぐ話してあげたいところだけど……その前にやりたい事がある」
「ん?なんだよ急に?」
早速原因を訊いてみたら、あろう事か話を逸らされてしまった。
「実はね、僕の中に一つの仮説が立てられているんだ。今からその仮説が正しいかどうか確かめたいと思う」
「仮説?何の話だよ?」
「ああ、その仮説は……ベリアルたちが使う洗脳術と深く関わっているんだ」
「洗脳術と……」
ヘルムはその仮説とやらを今すぐ確かめたいようだ。しかも、その仮説は洗脳と関係があるらしい。
それは興味深い。ヘルムが立ててる仮説とやらは是非俺も知りたい。
「そうか。そう言う事なら仕方ない。で、どうすれば良いんだ?」
「簡単な事だよ。そう言えば、さっき言ってた兵士はまだこの船に乗ってるのかい?」
「ええ、洗脳を解く為に医療室で色々と試したけど、全然駄目なのよ。正気に戻る兆しさえ見られないの」
俺の変わりにシャローナが参ったように首を振りながら言った。
「その事なんだけど……もしかしたら、その洗脳を簡単に解けるかもしれないんだ」
そうか……そりゃそうだよな。簡単に解けるわけ……え?
「あらそう……って、え?今なんて?」
「だから、洗脳を解けるかもしれないって言ったんだ」
「……え!?うそ!?対策分かっちゃったの!?」
「まだ立証してないから、なんとも言えないけど……恐らく、高い確率で上手くいくと思う」
「本当か!?で、どうやって正気に戻すんだ!?」
マジかよ……さっきまでどうすれば良いのか全く分からなかったってのに、簡単に解けるのか!?
でも、どうやって?外部からのショックも効かなかったのに……。
「時にシャローナ、確か君、最近また新しい薬を作ったそうだね?」
「え?な、なによいきなり……」
「それ、どんな薬だっけ?」
「どんなって……男の人のおちんちんから能動的に精液を射精させるお薬よ」
おいおい、こんな時に何を聞いてるんだヘルムは。
シャローナの変な薬がどうしたと……。
「それ、洗脳されてる兵士に飲ませてみて」
「分かったわ……って、は?」
……え?なに?
飲ませろって……射精させる薬を?あの兵士に?
「え?飲ませるって……あれを?」
「……言っておくけど、僕は真面目に言ってるんだ」
ヘルムの真剣な表情からして、決して冗談を言ってる訳でもなさそうだ。
でもなんでまた突拍子も無い事を……まさか射精させれば正気に戻る訳でもあるまいし。
「ちょっと待ってくれ。なんでまたそんな薬を飲ませるんだ?まさかとは思うが、一回イかせれば元に戻るなんて事はないよな?」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………え?」
……おいおいおい、なんで無言なんだよ?なんで否定しないんだよ?
てかこれって……無言の肯定だよな?
「……ちょっと待て。まさか?」
「…………」
「……そのまさか?」
「…………」
「……マジなのか……?」
「言ったでしょ?僕は真面目だって」
「えぇ〜…………嘘だろ……」
ちょ……そのまさかかよ……そんな事で正気に戻るのかよ……。
一体どういう原理なんだよ……。
「とにかく、あの薬を飲ませてみるんだ。キッドたちはここで待ってて。シャローナ、兵士のところまで案内して」
「え、ええ……」
ヘルムはシャローナに案内される形で医療室へと向かって行った。
まさか……ホントに射精で正気に戻るなんてことはないよな?
いくらなんでもそれはちょっと…………。
〜数分後〜
「戻った〜!!」
「うそぉ!?」
戻ってきたシャローナの一言で思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
……なんて言えばいいんだ……その……ビックリし過ぎて何も言えねぇ。
まさか本当に射精しただけで……。
「マ、マジで!?ホントに!?」
「本当なのよ!私も驚いちゃった!一口飲ませて数分待って出させたら……その瞬間に元通り!まるで夢から覚めたみたいに覚醒しちゃったのよ」
ヘルムの読みは正しかったのか……なんか、さっきまで悩んでたのが馬鹿らしく思えてきた……。
「で、兵士は?」
「今こっちに連れて来てるわ」
「くっ!離せ!なんとしてでもベリアルを追い出さなければ!」
「気持ちは分かるけど落ち着いてよ。ほら、すぐに王女様に会わせるから」
すると、扉が開いてヘルムが兵士を抑えながら部屋に入ってきた。その後に続くように、兵士の見張り番をしていたリシャスとコリックも戻って来た。
「はっ!?も、もしや……シルク様!」
兵士はシルクを認識するなり、強引にヘルムの手から逃れてシルクの下へ駆け寄った。
「シルク様!ご無事でしたか!良かった……!」
「貴様……私が誰だか分かるのか!?」
「何を仰られますか!あなた様はトルマレア王国の第三王女、シルク・オキオード様ではないですか!トルマレアの兵士として、お守りするべき主のご尊顔を忘れたことは一度もありません!」
いや、さっきまで知らないとか言ってただろ……。
まぁ、それはさておき、この反応から見て本当に元に戻ったようだ。
「時にシルク様、つい先ほど、あのヘルムと言う男から話を聞きました。この海賊船に乗せてもらって此処まで来たと……」
「ああ、遠征の途中で思わぬハプニングに遭遇してしまったが、此処に居る海賊たちが助けてくれたのだ」
「は、はぁ……」
兵士は怪訝な表情で周囲に居る魔物娘の船員たちを見渡した。
この反応も無理は無い。こいつは反魔物国家の兵士だ。王女を助けたとは言え敵対するのが普通だろうよ。
「そんなに警戒するな、失礼だろ。大丈夫だ。此処にいる魔物たちは全員私たちの味方だ」
「さ、左様ですか……」
シルクに宥められて、兵士は困惑した面持ちを浮かべた。そう言われても、やはり魔物に対する敵対心を拭えないのだろう。
そんな事より……。
「しかしヘルム、よく洗脳の解き方が分かったな。性的にイかせて済むなんて、普通考え付かないだろうに」
今一番気になるのは、何故射精させただけで洗脳が解けたかだ。
外部からの衝撃でも解けなかったのに、一回出すもの出せばそれで終わり……意味が分からない。
「キッド、君は気付いてなかっただけだよ。事実、僕も君も洗脳が解かれた事例をこの目で見ていたんだ」
「え?どういうことだ?」
ヘルム曰く、俺たちは実際に洗脳の解き方を見ていたと……ますます分からない。俺、そんなの見た覚えが無いんだが……。
「数日前の、無人島のアジト奇襲戦は憶えてるよね?」
「ああ、あの古びた城での戦いだろ?」
「そう、そこでもう見ていたんだ。敵側の洗脳術に対抗する術をね。その日の事をよく思い出してみて。戦った相手とか、洗脳されてたアイーダとか」
「あ〜……ん〜……えっと……」
数日前……確か、ベリアルが所有していた第二のアジトを襲撃した日だ。あの時にベリアルと再開したり、洗脳されてたアイーダが魔物化したりしたんだっけな。
他にも、洗脳されてた海賊たちが居たけど、確かそいつらは未婚の海の魔物の手に……。
……ん?魔物?
「そう言えば……操られてた敵の海賊は……殆ど海の魔物の夫にされたんだよな?」
「そうだよ。で、夫になるってことは……分かるよね?」
「夫になるってことは…………」
…………あ!そうか!そういうことか!
「思い出した!操られてた海賊たちって、魔物の夫になった途端正気に戻ったよな!?で、夫になるって事は当然性行為も済ませる訳で……そうか!」
「気付いたようだね。そう、数日前に会った、ベリアル側に操られてた海賊たち。彼らは魔物に襲われて、交えた後に目を覚ました」
「そういやそうだったな……俺としたことが……なんでそういうところもキチンと見てなかったんだ……」
ヘルムの言うとおりだった。確かに俺も洗脳が解かれた事例をこの目で見ていた。
あの島を出航する前に会った海賊たち……魔物と交わった後には洗脳が解かれていた。俺はあの時、てっきり悪心が消えただけだと思っていたが……ただ心が変わっただけじゃなかったんだ。
「洗脳の事例は男だけじゃないよ。恐らく、女も同じ方法が通用すると思うんだ。アイーダが良い例えになる」
「ああ、あのショタコン女か。そう言えばあいつも、魔物に変わった瞬間に洗脳が解かれたと自分で言っていたな」
「彼女も絶頂に達した瞬間に目を覚ました。これだけ証拠が揃っていれば、もう疑う余地も無いよね?」
「ああ……しかし拍子抜けなもんだよ……」
正直、そんな方法で元に戻るなんて……どういう原理なんだと疑いたくなる。性行為で絶頂させるだけで解けるなんて、厄介なのかそうでもないのか分からん。まぁ何にせよ、これで敵の洗脳術に対抗する手段が分かった。
……つーか、まさかとは思うが、洗脳された兵士たちを一人ずつ射精させろってか?それはそれで骨が折れるぞ……。
「それと……話の腰を折って悪いけど、城下街で固まってる住民たちについて色々と調べてきたよ」
「お、そうか。それで、何か分かったか?」
話は街に居る住民たちの事で切り替わった。
そう言えば街に居る人たちの助け方がまだ分かってなかった。出来れば元に戻してやりたいが、良い方法が分かってない。どうすればいいものか……。
「僕もさっき見てきたんだけど……固まってる住民たちの殆どが女性や子供ばかりだったね」
「ああ、確かに……」
ヘルムに言われて頭の中で街の光景を思い出した。
そう言えば、動けなくなってる住民は女と子供ばかりで、大人の男の姿は殆ど見かけなかった。最初こそ異様な光景を目の当たりにして気にも留めなかったが、やがて何か妙な事だと気付いた。
全く持って当然な事だが、街には大人の男の住民も居る筈だ。それなのに、あの場には見かけなかった。どうなっているんだ……?
「あの……もしかしてですけど、男の住民たちも兵力に加えられた。もしくは、強制的に何かの労働力にされたとか……」
「ああ、なるほど。それなら筋が通ってるな」
自信無さそうに言ったサフィアに同意した。
確かに、その考えはあながち間違ってない。そもそも敵は洗脳術を扱えるんだ。兵力、もしくは労働力になる男を洗脳で従わせる……ベリアルならやりかねない。
「まぁ、男が居なかった理由はこの際置いといて……固まってしまった住民たちは、全員何かの魔力を身体に染み込まされてるみたいなんだ」
「魔力?魔物娘のか?」
「いや、それとは違うものだよ。調べたところ、人の意識や動きを停止させる厄介な効果を秘めてる魔力だったんだ。メドゥーサがよく使う石化術に似ているけど、魔力の質が明らかに別物だったよ」
「じゃあ、あれはやっぱり魔物娘の仕業じゃないと?」
「そうだね」
ヘルムが言うには、住民たちは何かの魔力の所為で固められているらしい。最初に俺が思った通りだったが、やっぱり魔物娘とは関係無かったようだ。
そりゃそうか。メドゥーサにしろ誰にしろ、魔物娘があんなひどい仕打ちに手を貸すとは思えない。恐らく、ベリアルに付き従ってる部下の仕業だろう。俺の睨みだと、洗脳術を扱えるエオノスって奴が一番怪しいがな。
「ただ、住民たちなら思ったより簡単に助ける事が出来るよ」
「ほ、本当か!?一体、どうやって!?」
助けれると聞いて、シルクが興奮気味に聞き返した。
「まぁ、単純な話だけど……身体に染み込んだ魔力を、別の魔力で上書きすれば良いんだ。固められた原因さえ掻き消されれば、すぐに住民たちも動けるようになる」
「魔力で……上書き?どういうことだ?」
シルクは聞き返したが、俺には何となくだが分かった。要するに、古い魔力を新しい魔力で消せば良いってことか。原因さえ消えれば元に戻ると……そういうことだろう。
だが、上書きってのはどういうことだろう?また別の魔力を流し込ませるのか?
「そうだね。もっと単純に言うと……」
ヘルムは少し考える仕草を見せた後、自信たっぷりに言い放った。
「魔物の魔力を注いで、魔物化すれば良いんだよ」
「えぇ!?」
魔物化……まさかここでそのワードが出てくるとは、これまた予想外だ。シルクもかなり驚いたようで、大きく目を見開いている。
「幸い、街の人たちを固めている魔力は、魔物娘の魔力と比べたら遥かに弱い。外部から魔物娘の魔力を注げば、動きを封じてる魔力が掻き消されて、自由に動けるようになるよ。ついでに魔物になっちゃうけどね」
教え子に説明する教師のような口ぶりでヘルムが説明した。
つまり、魔物娘の魔力を与えて魔物化させれば動けるようになるのか。
だが……。
「……なぁ、もしまた敵に魔力で固められたら、その次はどうすればいいんだ?」
「大丈夫。仮にまた動きを封じられようとも、魔物娘の魔力の方が圧倒的に強いから、固められる魔力が効かなくなるんだよ」
「そうなのか?てことは……魔物娘には一切効かないって事か」
「その通り。更に付け足せば、インキュバスにも効かないね。厳密に言えば魔物に分類されないけど、強力な魔物娘の魔力が身体に染み付いてるから、固められる魔力は通じないんだ」
なるほど……一度魔物になれば二度と固められる心配は無いのか。結論から言えば、固まる魔力は人間にしか効かないって事か。考えてみれば、それほど厄介でもなかったな。
しかし、洗脳の解き方にしろ、固められた住民たちの救出方法にしろ、案外単純なものばかりで拍子抜けだな。さっきまで苦悶してたのがアホらしく思えてきた。
「さて……みんな、ちょっと聞いて欲しい!僕に一つ考えがあるんだ!」
ふと脳裏に疑問が浮かんだ瞬間、ヘルムが船員たちに聞こえるよう大声で話を切り出した。
「たった今話した事を纏めるよ。まず、敵の洗脳術は、性行為で絶頂へと導けば必ず解けること。そして魔力で固められた住民たちは、魔物に変えれば動かせること。この二つの重要点だけはしっかりと頭に入れておいてね!」
「ああ、分かってる」
釘を刺されなくても分かっているつもりだ。ある意味、今話した点は重要な鍵と言える。対策が迷宮入りにされかけていた今、その二つだけは絶対に忘れてはならないんだ。
「そして、これらの点を踏まえた上で、僕に一つ作戦がある」
「作戦?」
「ああ、それもある意味、シルクにとって理想的な作戦だ」
「私にとって?どういうことだ?」
ヘルムの作戦……それはシルクにとって理想とのこと。
それってどういう意味なんだ?
「君は、国を取り戻すためなら、国民や兵士たちに剣を振る事が出来るかい?」
「いや、それは……いくらなんでも……」
「出来ない?」
「……そうだな……出来ない……」
「そうか。でも僕が考えた作戦なら、お望み通り誰も傷付かずに国を取り戻せるかもしれないんだ」
「なに!?本当か!?」
なるほど、理想ってそういう意味か。国民も兵士も、誰も傷付けずに国を取り戻す。確かにシルクにとっては理想の結末だろう。
「それで、その理想の作戦とやらは一体どんなものなんだ?」
「そうだね。結論から言えば、この国を丸ごと変える手はずになる」
「トルマレアを……変えるだと?」
「ああ、もっと単純に言えば……」
ヘルムは、落ち着き払った口調で静かに言った。
「トルマレア王国を……魔物の国に変えるんだ!」
「……えぇ!?」
トルマレアを……魔物国家に?
「ちょ……ちょっと待て!それはどういうことだ!?」
「言葉通りだよ。反魔物国家であるトルマレアを、魔物が気ままに暮らせる国に変えるんだ」
……そうか……そういうことか。
ひどく驚いた声を発したシルクを尻目に、俺は一人納得した。魔物化と性行為による絶頂……さっきまでの話を一通り聞けば察しが付く。
「なるほどな……分かったぜ。お前の考えてる事が」
「お、キッドにはお見通しのようだね」
「さっきの話を聞いてりゃ分かるよ。とりあえず、その作戦とやらについて詳しく話してくれ」
「分かった」
目を見開いてるシルクに諭すようにヘルムが口を開いた。
「まず最初に、固まってしまった住民たちに魔物娘の魔力を注いで魔物化させて、自由に動けるようにする」
「うんうん」
「次に、何かしらの方法で魔物になった住民たちを発情させる」
「それで?」
「男が欲しくて堪らなくなった魔物たちに、洗脳された兵士たちを襲わせる。そうすれば洗脳された兵士たちが次々と正気に戻る」
「ほう」
魔物化した住民たちに協力してもらって、敵側に寝返った兵士たちを取り返す。ここまでは俺も想定した通りだ。動けなくなった住民たちの殆どは女だから、かなり多くの魔物娘が出てくるだろう。そして洗脳された兵士たちが、魔物化した住民に襲われて……性交で射精して正気に戻る。
うん、行けそうだ。これなら無駄な体力を使わずに済むだろう。
「少しずつ敵の兵力をこちら側に吸収して、最終的に……」
「孤立したベリアルをひっ捕らえる!」
「正解!流石だねキッド!」
ヘルムが満足そうに俺に向かって親指を立てた。
なるほどな、作戦とやらがよく分かった。ヘルムが言った通り、ある意味シルクにとって理想的な作戦だ。それなら兵士も住民も傷付かずに国を取り戻せる。
あとは敵側にいる一番厄介なベリアルさえ何とかすれば……俺たちの勝ちだ!
「確かに……良い作戦かもしれません!それなら誰も傷付かないですし、上手く行けばベリアルを改心させられるかもしれませんね!」
「……え?改心?」
サフィアが言った『改心』と言う言葉に思わず首を傾げてしまった。
いや、改心って……俺は最初からそのつもりは全く無いんだが……。
「そのベリアルがどんな人なのかは知りませんけど……人間の男ですよね?でしたら、魔物娘と結ばれれば、カリバルナを支配しようとは思わなくなると思います」
「なんでそう言い切れる?」
「魔物娘の夫になった男の人は大抵、悪い心が消える傾向にあります。だからベリアルも例外じゃないと思うのです。上手く事が運べばベリアルも改心する可能性もあります」
「……そうか……その考えがあったか……」
確かに……サフィアが言った通り、魔物娘の夫になった男は、どんな悪人でも心が丸くなると伝えられている。事実、これまでに悪行を働き続けてきた犯罪者が魔物娘によって改心させられるのは珍しくないケースだ。
もしかしたら、トルマレアを取り戻すついでにベリアルもなんとかなるかもしれない……そう思えてきた。
俺としたことが……今までベリアルを力任せにぶっ飛ばす事しか考えてなかった。そもそも本人が二度と悪事を働けないようになれば、俺たちの目的は達成される。何もぶっ飛ばす必要なんて無かったんだ。
敵を倒す事だけが戦いじゃない……俺は危うく大切な事を見失うところだった。
全く……過去に同じ事を言われた経験があるってのに……。
「ありがとな、サフィア……」
「え?あ……は、はい!」
礼を言いながらサフィアの頭を撫でてやると、本人は戸惑いと嬉しさが混ざった笑みを浮かべた。
「ちょ、ちょっと待て!」
すると、さっきまで話を聞いてた兵士が捲くし立てるように割ってきた。
「さっきから黙って聞いていれば……まさかとは思うが、本当に我が国の住民たちを魔物に変えるつもりじゃないだろうな!?」
「……そうだと言ったら?」
真意を見定めるような目つきでヘルムが聞き返した。それを聞いた兵士は怒りで顔を赤くし、鋭い目つきでヘルムを睨みながら怒鳴り出した。
「ふざけるな!!何がシルク様にとって理想的な作戦だ!そんな勝手な真似は許さないぞ!我がトルマレア王国を魔物共の巣窟にさせて堪るものか!」
「少し落ち着きなよ、君だって何を優先するべきか分かるでしょ?」
「だが、魔物に変えるなんて……神に反する愚行だぞ!」
「仕方ないでしょ?街の人たちや君の同僚、そして国王様を助けるには、そうするしかないんだし」
冷静な態度のヘルムに対して、敵愾心を隠さずに食い下がる兵士。そりゃあ、自分が守ってる国の住民たちが魔物に変えられるなんて堪ったもんじゃないだろう。反魔物国家だったら尚更だ。
「いや、方法など他にあるだろ!」
「へぇ、例えば?」
「え!?」
「他の方法って何があるの?何か良い作戦でもあるの?」
「いや、それは……」
鋭い指摘を受けて言葉に詰まる兵士。返答に困って目を泳がせているのが一目瞭然だ。
「君たちは武力で負けちゃったんでしょ?現に今、国を乗っ取られちゃった訳だし」
「うぐっ……!」
「正々堂々と挑んでも負けるのが見えてるんだったら、武力以外の方法を使うしかないよね?で、君には武力以外の考えがあるの?」
「あ、そ、それはだな……」
「まさかとは思うけど、無鉄砲に突っ込んで勢い任せに戦って、その後は何も考えてませんでした〜♪なんて思ってないよね?」
「あうっ!……そ、そんな訳ないだろ!」
「じゃあ何?魔物化以外に何か良い方法があるの?あるんだったら是非とも聞かせてよ。ねぇ?どうなの?」
「あぁ、いや、それはだな……あ〜……う〜……」
「ほら、何も考えてないんでしょ?だったら魔物に変えるしかないじゃん」
どうやら口ではヘルムの方が圧倒的に有利のようだ。言葉巧みに兵士を畳み掛けている。
とは言っても、実際に住民たちを助ける方法は今のところそれしかない。もし俺が同じ質問をされたら、絶対に答えれる自信が無い。
「だ、駄目だ!それだけは駄目だ!シルク様!あなたからも何か言ってやってください!」
「…………」
とうとう兵士は助けを請うように、話をシルクに振ってしまった。だが、シルクの方は一言も発さずにただ俯いている。その様子からは何か迷いが生じているように見えた。
そうなるのも無理は無い……俺はそう思っていた。全てを取り戻す為とは言え、自分が生まれ育った故郷を変えるんだ。魔物の国になるのなら尚更の話。以前から今の魔物について知ってたとしても、やはり反魔物国家の人間だから、それなりに抵抗があるのかもしれない。複雑な心境にならない方がおかしい事だ。
「……そうするしか……ないのか……?」
「……そうだね。正直なところ、それが最善の方法だ」
何かを恐れるような声で問い質すシルク。ヘルムの返答を聞いた途端、再び何かを思いつめる姿を見せた。
「シルク様!何を迷われていられるのですか!あなた様もトルマレア王国の王女としての自覚を……」
「……悪いけど……」
喚き散らす兵士を見兼ねて、シャローナが徐に兵士に近付いた。そして……。
「いたっ!?」
「ちょっと眠ってて」
「き、貴様……なに……を……」
兵士が苦悶の表情を浮かべたと思うと、恨めしげな視線をシャローナに向けながらその場に崩れ落ちた。
「おい、何やったんだ?」
「麻酔よ。この人はちょっと寝てもらった方がいいと思ってね」
ウィンクしてるシャローナの右手には注射器が握られていた。倒れた兵士をよく見ると、まるで死んだかのように(死んでないけど)ぐっすり眠っている。
ちょいと横暴な真似だが、それも致し方ない。こいつはただ一方的に否定するだけで話にならない。大人しくしてもらった方が色々と助かる。
「……あ、あの……」
すると、さっきまで黙って話を聞いてたリリカが口を割ってきた。
なんだ……やっぱりこの娘も反対なのか。こりゃ説得には骨が折れそうだ……。
「……私は……その作戦に賛成です」
「え?」
……予想外の発言だった。てっきり反対だと思ったら、まさかの賛成とは。
「正直に言いますと……私にとってトルマレアは生まれ育った大切な故郷ですから、丸ごと変わってしまうのはとても怖いです。ましてや魔物の国に変わるなんて……怖くて、不安で、堪らない」
そうだろうな。その気持ちは分かる。
「でも……」
「……でも?」
「でも……このままベリアルに乗っ取られたままでいる方が、もっと怖いのです!」
さっきまでの不安いっぱいだった顔が嘘だったかのように、リリカは決意を露にした面持ちで堂々と言った。
「トルマレアがベリアルのものになったままでいるなんて、悔しいのです!私が出来ることなんて何も無いけど、それでもベリアルから故郷を取り戻したい!それに、あのままベリアルを放っておいたら、他の国もトルマレアと同じ目に遭ってしまうかもしれません!ベリアルの思惑通りになるのなら、トルマレアを救えるのなら……私は、魔物と共に生きる道を選びます!魔物の国に変わっても、私が愛するトルマレアである事は変わらないのですから!」
「……そうか……」
もはやリリカの言葉には迷いの一片も感じられなかった。
この娘はこの娘なりに国を想っているんだな。たとえどんな結果になろうとも、故郷を取り戻したい。そう思っているのか……よく決心してくれた。
「……トルマレアは変わらない……か……」
迷いを見せていたシルクが顔を上げて、リリカの目を見つめながら言った。
「なぁ……もしも私の国が魔物の国になったとしても……君はトルマレアの国民でいてくれるか?」
「はい!私はずっと、トルマレアの民です!絶対に国を見捨てたりしません!」
「……ありがとう」
迷いの無い返答を耳にして、シルクは感謝の意を込めた温かい笑顔を浮かべた。
「そうだな……魔物の国になろうとも、私の愛する国である事に変わりはない」
一つ一つの言葉に活気が戻ってくる。
「父上や姉上、国に仕えてくれてる側近たち、国民、そしてバルド……みんな私にとって掛け替えの無い宝物だ」
やがて表情から、決意が伝わってくる。
「全てを失うくらいなら……愛する故郷が奴の手に堕ちるくらいなら……!」
そして、勢い良く椅子から立ち上がり……!
「私は、神に歯向かう悪鬼となる!!」
天に向かって、高らかに宣言した。
天空の遥か彼方にいるであろう神に向かって言い放ってるその姿は、本当に勇ましく見えた。
「トルマレアを魔物の国に変える件、了解した!私からも頼む!トルマレアを……いや、全てを取り戻す為に、私にも協力させてくれ!その為の努力は惜しまない!必ずや役に立ってみせる!」
テーブルを両手で叩き、俺たちに懇願するように言ってきた。これからの大きな戦に臨む姿勢。その姿を見れば、今のシルクにはもう恐れなんて無い事が一目瞭然だった。
「その言葉を聞けて何よりだ。これで俺たちも遠慮無しに動けるってもんだ!なぁ、ヘルム」
「うん!そうと決まれば、早速準備しないとね!」
「と言う訳で、トルマレア魔物国家作戦決行!抜かりは無いぜ!」
「ただ、ちょっとだけ時間が欲しいんだ。確実に作戦を成功させる為の計画を練りたい。まずはとりあえず戦闘準備だけでも済ませておこう」
「ああ、それじゃ……」
俺は徐に立ち上がり、ダイニングに集まってる仲間たちに向かって号令を放った。
「野郎ども!後で改めて作戦内容を教える!戦闘準備を済ませてからここに戻って来い!」
「ウォォォォォォォォォォォォ!!」
活気の良い雄たけびと同時に、仲間たちが一斉に動き出した。
さぁ、これでやるべき事が分かってきた。
固まった国民、洗脳された兵士とバルドの救出。そしてベリアルの思惑の阻止!あわよくば改心!
果たすべき目的が決まった!
この大勝負、何がなんでも勝つぞ!!
「絶対負けない!待ってろよ、ベリアル!!」
〜(ドレーク視点)〜
「…………」
ゴールディ・ギガントレオ号の船長室にて、俺は大きめのベッドに横たわりながら、ぼんやりと天井を眺めていた。
戦いの前の体力温存……といったところか。俺らは今、とある国に向かって船を進めている。
その国の名はトルマレア。反魔物国家として有名な国だ。そこで激しい戦いを繰り広げる羽目になってしまった。
「ガリッ!シャリシャリ……」
右手に持ってるリンゴを齧りながら物思いに耽った。
あいつめ……勝手な真似しやがって。今度と言う今度は必ずとっちめてやらねぇとな。これ以上、好きにさせて堪るかってんだ。
「…………あれからもう……大分経ったんだな……」
俺の頭の中で……10年以上前の記憶が再生された。今思えば、奴との……ベリアルとの腐れ縁もあの日から繋がったのかもしれない。
あの日に失ったものはデカかった……あの日ほど泣いた日は無かった……。
「…………」
空いた手で懐から一つのアクセサリーを取り出した。
エメラルド色の宝石が付いてる、小さなイヤリング。俺が何時も肌身離さず身に着けている、大切な形見だ。
15年前までは、とある一人の女が何時も身に着けていた。世話焼きで、気丈で、誰よりも優しかった女だった。
そいつも……今となっては……。
「……アンジュ……」
思わず……かつて心から愛していた女の名を囁いてしまった……。
「ピィ!ピィ!タダイマー!」
鳥特有の甲高い鳴き声を上げながら、オウムのジャッキーが部屋の窓から入ってきた。
どうやら、頼んでおいた偵察を終えたようだ。ジャッキーは本当に優秀なオウムだ。奴らもまさか鳥に監視されていたとは思ってないだろう。
「おう、ジャッキー。わざわざご苦労さん」
「ピィ!ホービ!ごホービ!」
「分かってるっての……そらっ!」
俺は手にしてるリンゴを小さく千切って、餌をねだるジャッキーに向かって下から軽く投げた。
「ピィピィ!」
「ふっ、そうかそうか、美味いか」
上手い具合に嘴でキャッチし、満足そうにリンゴを食べるジャッキーを見ていたら少しだけ気分が安らいだ。戦の前の十分な励みだ。
……俺としたことが……ガラに合わないド阿呆なことを。
「……今はしんみりと過去を振り返ってる場合じゃねぇよな」
ベッドから上半身を起こし、取り出したイヤリングを懐に戻した。
そうだ……これから戦が控えてるってのに、こんな気持ちを抱えたままじゃ駄目だ。
気持ちを切り替えないとな。でないとあいつに小言を言われちまう。
「そうだ……あんなハナッタレ共、俺がぶっ飛ばしてやる!」
もう俺は決めたんだ。この身が朽ち果てようとも、あいつだけは守ると。そもそも、その為にトルマレアに向かっているんだ。あいつに手を出す阿保んだらは、誰であろうと容赦しない。
そうだ……誰であろうともなぁ!
コンコン!
「お館様!目的地が見えてきました!」
部屋のドアをノックする音と共に、外からガロの声が聞こえた。
目的地ってことは……トルマレアか!此処に来るまで色々とあったが、やっとたどり着いた。早速部下たちに指示を出しに行こう。
「よぅし……ジャッキー!来い!」
「ピィ!」
ベッドから立ち上がりジャッキーを肩に乗せた後、手にしてた齧りかけのリンゴを一気に貪り、残った芯をゴミ箱に投げ捨てた。
さて……行くか!
「おうガロ、トルマレアが見えてきたんだって?」
「はい。以前耳にした情報通り、薄暗くて不気味な雰囲気に変貌した模様です!」
「そうか……あいつらしいな」
ドアを開けて船長室から出ると、ガロからトルマレアの様子を聞かされた。
ここに来る前に立ち寄った島……つまり黒ひげと再会した無人島で聞いた通り、トルマレアはガラリと見た目が変わっちまったらしい。どう考えたってベリアルの仕業だ。あいつらしいと言えばそれまでだが。
「そうだ、俺らと同行してる連中にも伝えておいたか?」
「はっ、今しがた、船員たちが各海賊団の船長に状況を伝えに行きました」
そしてガロ曰く、同行中の海賊たちにも状況を説明しに行ったとのこと。
実は無人島からトルマレアへと出航する際、俺の海賊連合軍に加わってる海賊たちに救援を要請したのだ。その結果、ちょうど近辺に居た三つの海賊団が名乗り出てくれた。そして今、そいつらは俺らとの合流を果たし、それぞれの海賊船に乗って付いて来てくれている。みんな強くて頼もしい奴らばかりだから、此度の戦でも大いに活躍してくれるだろう。
「よし、俺らもそろそろ動き出すとするか!」
「御意!」
船員たちに指示を出すため、俺はガロと共に部下たちの下へ出向こうとした。
さぁ、忙しくなってきたぞ。まず戦闘員には前衛に出てもらうか。医療班は負傷者の手当ての為に船に残すとして……。
「ちょっと待って!!」
「……ん?」
突然、若い女の声が響いた。反射的にその方向へと振り向いてみたら、そこには…………。
「……ルミアス?」
金色の長い髪をポニーテールにした、藍色の瞳のエルフ……ルミアスだ。
貸してる部屋から出てきたようだが……なんか様子がおかしい。何がって……。
「……おい、どういうつもりだ、それは?そんな沢山の武器を背負って……」
ルミアスは今、沢山の武器を縄で一纏めにして背負っていた。
カトラス、ダガーナイフ、ハンドガン、ハンマー、クロスボウ……どれも見覚えのある武器ばかりだ。
いや、間違いない。あれ全部この船の武器庫に収納されている武器だ。勝手に漁ったな……だが何のためにこんな真似を……。
「これだけ揃えてないと勝てないと思ったの」
「は?勝てないって……何に?」
何やら真剣な面持ちを見せるルミアス。その眼は明らかにこの俺を見据えていた。
……おい待て。勝てないってまさか……。
「ドレークおじさん……」
ルミアスは覚悟を決めたような表情を浮かべながら、ビシッと俺に人差し指を向けて言い放った。
「今すぐ私と勝負よ!!」
「はぁ!?」
勝負って……俺に勝てる訳ないだろ。
てか、こんな時に何を言い出すんだ、こいつは……。
13/11/11 22:53更新 / シャークドン
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