ドクター・シャローナ 〜出会いと別れ、そして愛〜
ここは、新魔物国の中心部に位置する繁華街。街中は、様々な魔物や人間で賑わってて活気に溢れていた。
「さて、速く帰らないと……」
私ことシャローナは、街で必要な医療品を買い揃え、着てる白衣が風に靡きながらも、仲間たちの船が停泊している海辺へ足を進めた。
サキュバスである私は、こう見えて世界を旅して回る医者……と言っても、ただの冒険者ではない。キッド・リスカードって言う名前の青年、通称キャプテン・キッド率いる海賊団の船医として旅をしている。
海賊と言えば、世間から見れば略奪を繰り返す無法者のイメージが定着してるけど、船長さんは違う。無闇に人を傷付ける事を嫌い、一般市民や商船には絶対に手を出さない。更に、優しくて仲間想い。そんな船長さんの人柄から彼が率いる海賊団のクルー全員が彼を慕っている。
海賊の船医は決して楽じゃないけど、それでも大きな不満は無い。世界中を旅する生活はそれなりに充実している。
「……ん?」
ふと、視線がとある方向へ移った。そこには、白馬の下半身を持つ女……ユニコーンが両手にリンゴの入った袋を持って歩いていた。ただ、あのユニコーンはどこか変わった様子だった。お腹の辺りが……異常なまでに膨らんでいた。
あの人……もしかして……お腹に子供が……
「きゃあっ!?」
「!!」
突然、ユニコーンが足を躓いた。
「……ああ、やっちゃった……」
幸い、ユニコーンは転ばずに済んだものの、前のめりになった拍子に袋から大量のリンゴが路面に転がった。体勢を立て直したユニコーンは慌ててリンゴを拾い始める。
……よし!私も手伝おう!
「大丈夫?」
私はユニコーンの下へ駆け寄り、転がったリンゴを拾うのを手伝った。
「あ、すみません…………」
私に気付いたユニコーンは拾ったリンゴを袋に戻しながら頭を下げた。私も拾ったリンゴをユニコーンが抱えてる袋に戻す。やがて、路面に転がったリンゴを一つ残らず袋に戻し終えた。
「……はい、これで全部ね?」
私の問いかけを合図にユニコーンは転がったリンゴを全部袋に戻したのを確認して、私に深々と頭を下げた。
「本当にありがとうございます。助かりました……」
「いいっていいって!でも、お腹に大事な子供がいるんだったら、あんまり無茶しちゃダメよ?」
お節介ながらも、私はユニコーンに注意した。
余計な老婆心かもしれないけど、妊娠中に重たい荷物を持つのは母体に響く。目の前に無茶をしている人を見ると、つい口が出てしまう。これも医者の性分かもしれないけど……。
「ごめんなさい……今日は夫が帰ってくる日だから、彼の大好物のアップルパイを作ってあげようと思って……」
ユニコーンは少し照れながら答えた。
ああ、成程。それでこんなに大量のリンゴを……いや、それにしても……。
「アップルパイ一つ作るのに、こんなにリンゴが必要なのかしら……?」
咄嗟に頭に浮かんだ疑問を言うと、ユニコーンは顔を真っ赤に染めニヤニヤしながら言った。
「やっぱり買い過ぎだと思いますぅ?でもでもぉ、私の夫は貿易船の乗組員で、仕事の為に長い間出かけるんです♥ 家の為に頑張ってくれてる旦那様を想うと、せめて彼の好きな物だけでも食べさせてあげたいと思ってつい……」
……あらら……完全にお惚気状態ね……。
「……あっ!ご、ごめんなさい!私ったら……」
正気に戻ったユニコーンは慌てて私に謝った。
デレデレしたり、謝ったり、忙しない子ね……ま、結構可愛いけど。
「では、ご迷惑をおかけしました。それでは、失礼します……」
「あ、待って!」
私はその場を立ち去ろうとするユニコーンを呼び止めた。呼び止められたユニコーンはキョトンとした表情を浮かべながら私を見つめた。
目の前で重たい荷物を持ってる妊婦を見過ごしたら、医者として心許ない。だから……
「一緒に運んであげる♪」
「え?え?」
戸惑ってるユニコーンに形振り構わず、私はユニコーンのリンゴの袋を一つ持った。それに対し、ユニコーンは申し訳無さそうな表情を浮かべながら言った。
「そんな……これ以上ご迷惑をかける訳には……!」
「言ったでしょ?妊娠してるんだから無茶したらダメだって」
「でも……!」
「いいのいいの♪あ、でも……どうしても嫌だったら止めるけど……?」
「い、いえいえ!嫌だなんて……」
ユニコーンは慌てて弁解し、少しの間考える素振りを見せ、やがてほんのりと温かい笑みを浮かべながら答えた。
「では……お願いします」
「ウフフ……それじゃ、家までの案内お願いね♪」
「はい!」
ユニコーンは明るく返事をして歩き出そうとしたが、突然止まって私に向き直って問いかけてきた。
「そういえば、自己紹介がまだでしたね。私、ユリアと申します」
そう言って、ユニコーン……じゃなくて、ユリアちゃんは私に軽く頭を下げた。
「私はシャローナ。宜しくね♪」
ユリアちゃんの丁寧なお辞儀に対して、私はウィンクで返した。すると、ユリアちゃんはニッコリと優しい笑みを浮かべながら言った。
「シャローナさん、行きましょうか」
こうしてユリアちゃんに案内される形で、彼女の家へ向かった…………
「なんか、ごめんね……お茶まで頂いちゃって……」
「いえ、どうかお気になさらずに。これもささやかなお礼ですから」
ユリアちゃんが住んでる一軒家にて、荷物を運び終えた私はお茶をご馳走になる事になった。
家にお邪魔する気なんて最初から無かったけど、折角の御好意を無駄にする訳にもいかない。不本意ながらも、ここはお言葉に甘えよう。
ダイニングの四角いテーブルを互いに挟む様に座り、紅茶と茶菓子を堪能しながら雑談を交えた。
「ところで、シャローナさんはどんなご職業に就いてるのですか?」
「え、私?私はね…………医者よ。こう見えて、世界中を旅して回る医者でもあり、冒険者でもあるの」
ユリアの質問に対し『海賊の船医』と答えそうになったが、言葉を呑み込んで別の答えを出した。
ここで素直に海賊だなんて答えたら怖がらせてしまう。ユリアちゃんには申し訳ないけど、私が海賊なのは黙っておこう。
「世界を旅するお医者さんですか?珍しいですね」
ユリアちゃんは微笑ましい笑みを浮かべた。
どうやら疑ってないみたいね。安心した半面、騙した事によるちょっとした罪悪感が募って来た。
こんな可愛いくて良い子を誤魔化すなんて悪い気がするけど、驚かす方がもっと悪い。
「ところで、お腹の子の調子はどう?見た感じ、結構大きくなってるみたいだけど……?」
このまま私の話題で盛り上がったら、答えるのに行き詰ってしまう。そう判断した私はさりげなく話題を変えてみた。すると、ユリアちゃんは顔を綻ばせながら答えた。
「はい!今日までずっと好調です!この調子なら無事に産まれてきてくれるハズです!」
ユリアちゃんは嬉しそうに大きく膨らんだお腹を優しく撫でた。
産まれてきてくれる……か……やっぱり愛する人との子供が産まれるのは何よりも喜ばしい事ね。なんだか私まで幸せな気分になってきた。
それにしても……本当に幸せそうね…………。
「いいなぁ…………」
「え?」
脳裏に浮かんだ気持ちがボソッと独り言として口から出てきた。小さな声で呟いたつもりだったけど、ユリアちゃんにはハッキリと聞こえてたらしく、キョトンとしながら私を見つめた。
「あ〜……えっとね……私、まだ夫がいないからさ、なんかこう……温かい家庭が羨ましくて……」
……って、私、何言ってんの…………。
気恥ずかしさを覚えながらも言葉を繋ぐように答える私を見て、ユリアちゃんは温かい笑みを浮かべながら言った。
「シャローナさんも素敵な殿方と結ばれますよ。シャローナさんみたいに、美人で明るくて、胸も大きい魅力的な方なら尚更です」
「あら、ホント?お世辞でも嬉しいわ♪」
「お世辞じゃないですよ。私なんかより、ずっと綺麗です」
「何言ってるの?ユリアちゃんこそ可愛いくて優しくて、素敵な子よ♪」
「まぁ♥そんなぁ〜♥」
ユリアちゃんは真っ赤に染まった頬に両手を添えて照れ始めた。
なんだか、話をしているうちに場の空気が和んできた。
その原因は……ユリアちゃんね。この子と一緒にいると、なんだか私まで幸せな気分になってくる。もうすぐ夫との愛の結晶が産まれて来る喜びが伝わってくる感じがした。
この子の旦那さんは幸せ者ね……こんなに可愛いお嫁さんがいて、更に子供まで産まれるんだから…………。
「確か今日は旦那さんが帰ってくるんだったよね?家に戻ってきたら、やっぱり旦那さんと……」
「あぁ〜ん♥もぉ〜♥何考えてるんですかぁ!シャローナさんのエッチ♥」
「あら?私まだ何も言ってないわよ?もしかして、今やらしい事でも考えてた?」
「やぁん♪意地悪ぅ〜♪」
あらら……完全にお惚気モードに入っちゃってる。なんかもう、体をくねらせてるし…………。
「私の夫……エディさんって言うんですけど、エディさんも子供が産まれてくるのすっごく楽しみにしてるんですよ♪私が始めて妊娠したのを知った時のエディさんったら、そりゃもう喜んでくれて……ああ!もう!会いたい!今すぐ会いたい!エディさんと赤ちゃんに会いた〜い♪」
「………………」
この子って……周りが見えなくなる時があるのね…………。
私はただ、自分の世界に入り込んでる幸せ者を見続ける事しかできなかった……。
……ん?そういえば、今何時かしら……?
私は、ふと壁にかけられてる時計へ視線を移した。
……あ!もうこんな時間か。そろそろ船に戻らないと……。
「ユリアちゃん。私、そろそろ御暇しないと……」
「あら?もう少しゆっくりしていっても良いのに……」
私の言葉を聞いたユリアちゃんは姿勢を正しくして少し寂しそうな表情を浮かべた。
うぅ……そんな顔されたら……もう少しだけ残りたくなっちゃうじゃない……でも、船長さんに迷惑をかける真似はできないし…………。
「ごめんね、そろそろ宿に戻らなきゃいけないの」
……なんて、嘘の口実を述べながら椅子から立ち上がり、玄関前まで移動した。ユリアちゃんもゆっくりと立ち上がり私の後を付いてくるように玄関まで歩いた。
「今日は色々とありがとうございました。このご恩は一生忘れません」
「そんな大げさよ……こちらこそ、紅茶とお菓子をありがとう。美味しかったわ」
お茶を差し出してくれたお礼を述べながら玄関の扉を開け、外に出てからユリアちゃんに向き直って祝辞を述べた。
「お幸せに♥」
「……はい!」
ユリアちゃんに笑顔で見送られながら、私は扉を閉めてその場を後にした。
「……ん?」
ふと、街の様子が変に感じた。なんというか……さっきより騒々しい。
街の人たちが必死の形相で港に向かっているらしいけど……何かあったのかしら?
気がかりになりつつも、私は船長さんたちが待ってる船に向かって足を進めた………………。
〜〜〜数分後〜〜〜
船に戻った時にはすっかり夕焼けになっていた。茜色に輝く太陽が徐々に西へと沈んでいく。
「ただいま〜」
人気のない浜辺にて、私は船の外側にかけられている階段を利用して船の甲板へ上った。
「おう、シャローナか。思った以上に遅かったな」
そう言いながら出迎えたのは、この海賊船の船長、キッド船長だった。出迎えるといっても、船長さんは甲板の柵に寄りかかりながら新聞を読んでいた。
「ええ、ちょっと寄り道しててね」
事情を隅々まで話すのが面倒になり、私は適当に茶を濁した。
「まさか、また変な薬の材料でも買ったんじゃないだろうな?」
「違うわよ!色々と見て回っただけよ!」
疑いの眼差しを向けてくる船長さんに対し、私は必死に弁解した。
ここだけの話、私は色んな薬を作るのが趣味でこれまで数多くの薬を作ってきた。以前はモフモフした獣人型にしか効かない媚薬を作った事があり、それ以来様々な薬作りに挑戦している最中でもある。ただ、船長さんを始めとした多くの仲間たちは薬の実験体になるのを拒否しているけど…………。
「シャローナ、新聞読むか?読むんだったら少し待っててくれ。もう少しで読み終わるから」
新聞?もしかして、こんな時間に朝刊でも読んでるのかしら?
「悪いけど、朝刊ならもう読み終わったわ」
「いや、これは朝刊じゃなくて号外の記事だ」
「え?号外?」
号外って……何か重大な出来事が起きた時に発行される記事よね?
「何かあったの?」
「ああ、何でも、貿易船が海賊に襲われたらしいぜ」
「ふ〜ん……」
海賊か……おっかないわね……って、私も海賊だった。
分かってはいるけど、船長さんみたいに良い海賊ばかりじゃないって事ね……。
「なんでも、その襲われた貿易船がこの島のものだったらしくてな。今日帰還する予定なのに、何時まで経っても戻って来ないのを不振に思った政府が捜索に出たんだが、そこで見たのは業火に包まれた貿易船だったらしい」
業火に包まれた?まさか、それって海賊たちの仕業?だとしたら残虐極まりないわね…………。
…………ん?ちょっと待って…………
「船長さん、その貿易船って、何処のもの?」
「え?いや、だから、この島のものだって言ったじゃねぇか」
怪訝な顔をしながらも、船長さんは新聞の記事を指で突いて答えた。
「この島の…………」
ふと、脳裏にある言葉が過る…………。
『私の夫は貿易船の乗組員で、仕事の為に長い間出かけるんです』
これはユリアちゃんが私と出会った時に言ってた。ユリアちゃんの夫は貿易船の乗組員。
まさか……まさか!
「ねぇ!その船の人たちはどうなったの!?」
自分でも驚く位の勢いで船長さんに捲し立てた。
「ど、どうしたんだよ、急に!?」
「教えて!船の人たちはどうなったの!?」
勢いに押され、目を見開いて戸惑う船長さんに構わず、私は船長さんの腕を掴んで問い詰め続ける。
私には今、とてつもなく悪い予感が浮かんでいる。でも、できればその予感が外れて欲しい!外れてなくても…………出来る事なら全力で否定したい!
「……被害が大きくなる前に船員は海へ飛び込んで逃げたから、幸い負傷者は少なくて済んだらしい。ただ、一人を除いて…………」
船長さんはおぼろげに答えた。
「一人を除いてって、どう言う事!?」
「ちょ、落ち着けよ!俺だってまだそこまで読んでないんだ!詳しい事は記事を読まないと……」
「じゃあ見せて!」
「あ!おい!」
半ば強引に船長さんから新聞を奪い取り、目を皿のようにして記事の文字一つ一つを黙読した。その時、自分自身の心臓が早鐘を打ってるのが伝わって来た。
落ち着いて……落ち着くのよ、私……!確か、ユリアちゃんの旦那さんの名前は、エディ。
新聞の下半分の記事を見て、私は確信した…………。
『乗組員のエディ・レパンナさんが死亡。他の乗組員によると、エディさんだけが船に残ったとのこと。遺体そのものは発見されてないものの、海賊によって貿易船が炎上されたことからエディさんは炎に焼かれて死亡したと見られる』
「…………嘘…………そんな……!」
頭が真っ白になった…………ユリアちゃんの夫が……エディさんが……亡くなった……!
今日帰ってくるハズだったのに……愛する妻と子供が待っているのに…………!
否定したかった……でも、新聞の記事に乗ってる『死亡』と言う言葉が無情にも現実を説き伏せる。
「お、おい、シャローナ?どうしたんだ?シャローナ?」
船長さんが私の肩を叩いて何度も呼びかけるが、ハッキリと耳に入らなかった。
ユリアちゃんは……今どうしてるの?もうこの事実を知ったの?気がかりでならない……ユリアちゃん!
「船長さん!ちょっと行って来る!」
荒々しく新聞を投げ捨て、私は背中の翼を羽ばたかせて空へ飛び立った。
「おい!ちょっと待て!行くって何処にだよ!?おい!シャローナ!!」
背後から船長さんの声が聞こえたが、今の私には構っている余裕が無かった。私は翼に力を入れ、無我夢中に飛び出た。ユリアちゃんの家に向かって…………。
我を忘れて飛び続け、やがてユリアちゃんの家に着いた。
力を入れ過ぎたせいで翼が痛む。でも、今は私の事なんてどうでもいい。私よりユリアちゃんが……!
上空から着地しようとする………が、
「ん?」
ユリアちゃんの家の扉が開けられ、二人の人間の男が出てきた。とても辛そうな表情を浮かべながら……。
「はぁ……慰める事も儘らなかったな…………」
「ああ、なんだか俺まで泣きたくなってきた…………」
そう呟きながら、二人の男は重苦しくその場を去った。
今の人たちは……もしかして、エディさんの同僚?って事は…………!
あの男たちの様子から見て事情を察した私は徐にユリアちゃんの家の玄関前に着地した。
……どうしたら良いんだろう……。
慌てて此処まで来たものの、浅はかな事にこれからどうすれば良いのかまで考えていなかった。ユリアちゃんは今、愛する夫が亡くなった事を知らされて心底落ち着いてない状態だと考えられる。下手に刺激したら精神を崩壊させてしまう可能性も高い。
さて、どうすれば…………
パリィン!
「!?」
突然、何かが割れる音が聞こえた。それは間違いなく、ユリアちゃんの家から発せられた音だった。
今のは……一体何が!?
「ユリアちゃん!聞こえる!?私よ!シャローナよ!いるなら返事して!」
居ても立っても居られなくなり、私は声を上げながらバンバンと家の扉を叩いた。しかし、返答は聞こえない。まるで何も聞いてないかのように。
どうしたの……家の中で、何が起きてるの!?
一か八か……私は扉の取っ手を思いっきり引っ張った。
「ユリアちゃん!」
扉に鍵は掛かっていなかった。勢いよく開かれた扉の奥にはユリアちゃんがいた。しかし……足元には粉々に砕けた食器が散らばっていた。
さっきの音の正体はアレか。恐らく、手を滑らせて落としたのね。
「ユリアちゃん!大丈夫!?怪我は無い!?」
状況を把握した私は慌てて背後からユリアちゃんに声を掛けた。すると、ユリアちゃんは徐に私の方へ振り向いた。
「あ……シャローナさん…………?」
私に気付いたユリアちゃんの目は、悲しみに満ち溢れていた。さっきまでの幸せそうな笑顔は面影すら消え去り、瞳の奥の光は生気を失っていた。
「…………シャローナさん…………」
ユリアちゃんはブルブルと身体を震わせていた。いや、震えているのは身体だけじゃない。私の名を呼ぶ声までもが…………
「……たった今……エディさんの仕事仲間が家に来たんです……」
「…………」
ふと、テーブルに置かれてる新聞が視界に入った。
あれは……号外の記事……やっぱり、さっきの男たちはエディさんの同僚だったのね……それじゃあ、ユリアちゃんはもう全部…………。
「それで……あの人たちは……私に伝えてきたのです……何時、何が起きたのかを…………」
「…………」
身体を震わせながらも、そう語るユリアちゃんの目には涙が溜まっていた。
私には分かる…………辛くても必死に伝えようと苦しんでいるのが…………。
「エディさんが乗ってる船が…………海賊に襲われて……」
「……もういい」
「エディさんは……仲間たちを逃がす為に自ら囮に……」
「もういい」
「船に残って……最期まで……」
「もういいの!」
……気付けば……抱きしめていた…………悲しみに包まれているユリアちゃんを……優しく……。
「もう言わなくていい!私、全部知ってるから!言う必要は無いの!自分から言うだけ……辛いでしょう……?」
「……う……うぅ……シャローナ…………さん……」
ユリアちゃんは私に抱きしめられたまま身体を震わせていた。泣くのを必死に堪えて…………。
「……泣いてもいい……今だけは……私の肩を貸してあげる……だから……思いっきり泣いて……」
「う……うわぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!」
踏ん張りが利かなくなったのか、ユリアちゃんは泣き始めた。大きく声を上げ、私の肩に顔を埋め、涙を流して。
それに対し、私はユリアちゃんの背中を優しく撫でる事しかできなかった…………。
〜〜〜数時間後〜〜〜
「……と、言う訳で……」
「そうか…………成程な」
外がすっかり暗くなった頃、場所は変わって、ここは海賊船の中の医療室。私はユリアちゃんの家を訪れた後、海賊船に戻って船長さんに事の経緯をなるべく詳しく説明した。今、この医療室にいるのは、船長さんとそのお嫁さんでありシー・ビショップでもあるサフィアちゃん、そして私を含んだ三人だけ。みんな輪になるように椅子に座っている状態だ。
本当なら、もう少しだけユリアちゃんの傍にいたかったけど、あれだけ気落ちしている状態で下手に慰めたらそれこそ余計に心の傷を抉ってしまう恐れがある。それならば、いっその事一人にしてあげた方が良いと判断し、私は船に戻る事にした。
「お前があの号外の記事見た時の様子から何かあるとは思っていたが……」
「ごめんなさい……あの時は冷静になれなくて……」
私が船に戻って来た時の船長さんの第一声が『何処で何をしていた?』だった。まぁ、それは無理も無い。帰って来た直後に慌ただしく飛んで行けば誰だって戸惑う。私自身、あの時はもう少し冷静になれば良かったと反省している。
「でも……本当に残酷ですね…………何の前触れも無く……別れの言葉も告げられずに……二度と会えなくなるなんて……」
キッドの隣に座っているサフィアちゃんが顔を歪ませながら弱弱しい声で言った。
「私……そのユリアさんって言う方の気持ち、良く分かります。最愛の人が亡くなっても悲しまない人なんて存在しません。それが……突然の別れなら尚更です。私も、もしキッドが死んでしまったら、私………私……」
そう話すサフィアちゃんはどこか悲しげな目で船長さんを見つめていた。
やっぱりサフィアちゃんも恐いのね……大好きな夫が突然目の前から消え去り、二度と会えなくなるのが……。
すると、サフィアちゃんの視線に気づいた船長さんは、そっとサフィアちゃんの肩を優しく抱き寄せた。
「俺は死なねぇよ、お前を残して逝ったりしない。絶対にな…………」
やっぱり……魔物には人間が必要よね……。
船長さんとサフィアちゃんの様子を見て、私は一つ重大な問題があることに気付いた。
夫がいる魔物はその夫の精を糧として生きるようになり、夫以外の男の精は絶対拒否するようになる。
ユリアちゃんも、旦那さんの精を摂取して生きていたハズ。でも、ユリアちゃんの旦那さんはもうこの世にはいない。そうなると、ユリアちゃんはこれから夫の精無しの生活を強いられる事になる。
これは魔物にとって相当辛い状況……しかもユリアちゃんはユニコーン、童貞の男にのみ身体を許す程選り好みが激しい種族なら尚更だ。夫であるエディさん以外の男と交わるなんて絶対にありえない。尤も、ユリアちゃんなら夫の精以外にも他の食料で栄養を摂取する事は可能だけど、それでも夫の精は何にも代えられない最高のご馳走。それを一生味わえないなんて身体的にも精神的にも辛い状況になる。
それに、ユリアちゃんは子供を授かっている。子供が産まれた時には女手一つで育てなけらばならない。普通の家庭とは違って苦労の絶えない生活が待っている。ただでさえ心の支えである夫がいないのに…………。
「なんとかしてあげたいな…………」
不意にも、こんな独り言を呟いてしまった。
「……そうだ、シャローナにはまだ言ってなかったな」
ふと、船長さんが何か思い出した様子を見せて言った。
「明日の朝……この島を出る事になった」
「……え!?」
予想外の発言に、思わず拍子抜けな声を上げてしまった。
明日の朝って……そんな急に……!?
「ちょ、ちょっと待って!明日出航って早過ぎない!?だって、私たちは今日この島に来たばかりなのよ!?」
私は思わず椅子から立ち上がり、船長さんに抗議した。
普段なら島に着いてから2〜3日、長くて5日は滞在し、十分に英気を養ってから出航するのが私たちのやり方のハズ。それなのに、まだ2日も経ってないのに出航だなんて……!
「シャローナ、一先ず座って落ち着け」
船長さんに宥められて落ち着きを取り戻した私は椅子に座りなおした。その様子を見た船長さんは成り行きを説明した。
「今回の事件が原因で、この島の住民たちはより一層海賊に対する警戒心が強まってな、明日には近海周辺のパトロールを強化するらしいんだ。あの非常な事件が起きた直後にそいつらに見つけられた時の事を想像してみろ。最悪の場合、貿易船を襲った犯人だと疑われるかもしれないだろ?」
「あ、そうか…………」
船長さんの説明で納得した。確かに、海賊の事件で騒がれているこの状況下で長い間ここに滞在して見つかるのも時間の問題。騒ぎが起きるのは必然ね。それに、もし私が海賊であるのがユリアちゃんにバレたら、それこそ彼女を裏切る結果になってしまう。ユリアちゃんの為にも、私たちの為にも、ここは早めに出航するのが最善の方法かもしれないわ。
「でも……明日か……」
ふと、脳裏にユリアちゃんの顔が浮かんだ。あの子は今日から生きていけるのか、子供を育てる事ができるのか、それが不安でならなかった。
一々他人の事を気に留めてたら切りが無い。そんな事は分かっている。でも、あれだけ親しくなっておいて知らん振りなんて、そんな冷淡な真似はできない…………。
「……シャローナ、一つだけ言っておく」
私の心情を察したのか、船長さんが真剣な面持ちで話を切り出した。
「別れってのはな、人間や魔物に限らず、この世の全ての生き物が必ず経験するんだ。医者であるお前なら分かるだろ?」
「…………」
私は黙って船長さんの話を静かに聞いた。
「人が出会って、人が別れ、そこから二度と会えなくなるのは必然的な節理みたいなもんだ。それだけは避けられない。だがな、その別れを乗り越えてこそ、生き物は強くなれるんだ。悲しみを忘れろとは言わない。心に留めたままでも良い。だが、何時までも暗い気持ちのままなんて、自分の為にも、その別れた人の為にもならないだろ?」
「出会いがあれば別れもある……か……」
「そう言う事だ」
私の言葉に対し、船長さんは大きく頷き話し続けた。
「そのユリアって人は、永遠の別れの悲しみを自分自身で乗り越えなければならない。お前にできる事と言ったら祈るしかないんだ」
「……祈る?」
船長さんの言ってる意味が理解できず、思わず首を傾げた。すると船長さんは話し続けた。
「ユリアって人が、これから強く生きるのを祈るんだよ。この島を出た後も、産まれて来る子供と一緒に幸せに暮らすのを願って……」
……そうよね……私にできる事なんて限られてる。どんなに心配しても、結局は幸せになるのを願うしかないのね…………。
「……まぁ、なんだ、その…………他に出来る事があるんだったら、話は別だがな……」
「え?」
ばつが悪そうに頭を掻きながら、船長さんは話した。
「出航の予定は変えられないが、それまでに帰ってこれるんだったら別れの挨拶くらい言ってきてもいいぞ」
「え!?」
船長さんの予想外の許可が下りて拍子抜けな声を上げてしまった。
「お前とその人が出会って、それからお前がこの島を出る……これも一種の別れだ。お前だって、さよならも言わずにこの島を出たくないだろ?」
そう話す船長さんはどこか温かい目で私を見ていた。まるで思い悩んでいる我が子を優しく見守るかのように…………。
「ユリアって人も、その方が気持ちを救われるだろうしな。まぁ、無理強いはしないが…………」
……船長さん、貴方も意地悪な人ね。私がどう答えるか知ってる癖に……!
「勿論、行くわ!」
船長さんの許可を貰った私は、早速ユリアちゃんの家に向かって飛び立った。もう深夜近くになった為か、活気に溢れていた街もすっかり静けさを漂わせ、人気が全くと言って良い程感じなかった。
こんな夜遅くに行くのもどうかと思うが、善は急げと言う事もあり、早めに別れの挨拶を告げる事に決めた。
もうそろそろ見えてくるハズなんだけど……ん?
「……あら?」
ようやくユリアちゃんの家まで来たが、私は家を見た瞬間に違和感を感じた。外はすっかり暗くなってるのに、家の中は全然明るくない。
「もしかして……留守?」
不審に思いながらも、私は家の玄関前に着地した。そして家の扉を軽くノックして家の中に向かって呼びかけた。
「ごめんくださーい!ユリアちゃん、いる?私よ、シャローナよ」
しかし、家の中からは返事どころか物音すら聞こえない。
やっぱり、留守なのかしら?でも、こんな時間に一体何処へ?
「もしかして……シャローナさん?」
突然後ろから誰かに呼びかけられ、恐る恐る背後を振り向いて見た。
「あ……!」
そこにはユリアちゃんがいた。どこか買い物に行ってたのか、片手に食料の入った袋を持っている。
「えっと、ごめんね、こんな時間に突然来ちゃって……」
どう話を切り出せば良いのか分からず、私は苦笑いを浮かべながら言った。
「いえ、気にしないでください。むしろ、来てくれて嬉しいです!」
それに対し、ユリアちゃんはいつもの様に温かい笑みを浮かべながら答えた。
そう言ってくれるのは嬉しいけど、その笑顔の裏にはどこか悲しみが入り混じっているように感じる。やっぱり、まだ心の傷は癒えてないのね…………。
「実はね、私、明日の朝にはこの島を出ようと思っているの。それで、ユリアちゃんにお別れの挨拶がしたくて…………」
「え…………」
「その……ユリアちゃんにはちゃんとしたお別れを言いたくて……」
「……そう……やっぱり行ってしまうのですね」
私の話を聞いた途端、ユリアちゃんは寂しそうな表情を浮かべた。
「あ、そうだ!こんな所で立ち話してたら風邪を引きますし、どうぞ上がってください」
「ううん、お気遣いなく。今回はお邪魔するつもりは無いし、私は……」
「たった今、美味しいお菓子を買ってきましたし、ご一緒にどうぞ」
「あの、ユリアちゃん……」
「それと、私、シャローナさんがどんな旅をしてきたのか興味がありまして、よかったらお話して欲しいので……」
「ユリアちゃん、落ち着いて」
ユリアちゃんは気丈に振舞ってるけど、私には心は悲しみに染められたままだとハッキリ見えた。正直、私は悲しみを必死に押さえながらも平然とした状態を演ぜられるのは見てられなかった。
「ユリアちゃん……悲しいなら悲しいって言ってもいいのよ。そんな空回りな演技なんかしても、虚しくなるだけじゃない」
「な、何を言ってるんですか?私、演技なんてしてませんよ」
ユリアちゃんは否定したけど、完全に動揺しているのが目に見えてる。
「そりゃあ、本音を言えば……エディさんが亡くなって、その……悲しいですけど……」
「…………」
「でも……何時まで経ってもウジウジしたままじゃ仕方ないので……出来る限り忘れようと思ってます」
「……!?」
…………忘れる!?
「エディさんと一緒にいた時は本当に良い思い出でした……でも、思い出す度に泣きそうになるので、いい加減にけじめをつけようかと……」
「…………の…………」
「これから産まれて来る子供にも悪いですし、だから……」
「…………この…………」
「…………?」
パシィィィィィィィン!!!
「こぉんの馬鹿野郎!!」
……気づいたら、引っ叩いていた。ユリアちゃんの頬を力強く。ついでに大声も上げていた。そして叩かれた当の本人は突然の出来事に目を見開きながらも私を見つめた。
「強がるのもいい加減にしなさいよ!自分の夫を忘れる!?よくそんな嘘が言えたものね!本当は忘れたくないくせに!例え心にもない事でも、そんな事絶対に言っちゃダメ!今度言ったら許さないわ!」
私は怒りに任せて、自分の考えを吐き出した。
「エディって人は、あなたの大好きな夫でしょ!?この世を去ったのなら尚更忘れちゃダメ!一生記憶に留めても良いじゃない!」
「…………う……う……」
ユリアちゃんの瞳に涙が溜まって来た。それでも、私は話を止めなかった。
「けじめをつけるのは結構な事よ……でも、大切な人を綺麗さっぱり忘れるなんてダメよ。その人のお陰で、今のあなたがいるの……明るくて優しいユリアちゃんが此処にいるの!」
「う、ひぐっ……うぅ……ぐっ……」
ユリアちゃんは涙で濡れた顔を両手で覆い、全身の力が抜けたかのようにその場に座り込み泣き崩れた。
「ひっぐ……グスッ……ごめんなさい…………エディさん……シャローナさん……ごめんなさい……うぅ……」
泣きじゃくりながらも声を振り絞るユリアちゃん。それに対し、私はユリアちゃんの視線に合わせるように膝を落とし、ユリアちゃんの肩に手を置いて言った。
「忘れないで。あなたの夫は傍にいる。この世を去っても、天国であなたと、これから産まれてくる子供を見守ってくれるわ。だって、こんなに可愛いお嫁さんと可愛い子供を放っておけるわけないから……」
「……ありがとう……ありがとう!」
暫くの間泣き続けたユリアちゃんは、涙を拭ってとびっきりの笑顔を見せた。
やっと見れた。演技じゃない本当の笑顔を。これで、私も心置きなく島を…………。
「……うっ……うぅっ!?」
「……ユリアちゃん?」
突然、ユリアちゃんが呻き声を上げた。
どうしたの?一体何が……?
「う……い、痛、痛い……痛い!」
「ユリアちゃん、どうしたの!?どこが痛いの!?」
痛みで顔を歪めるユリアちゃんを見て只事じゃないと察した私は、自分自身に冷静になるように呼びかけながらもユリアちゃんの顔を窺った。
「シャローナさん……始まった!」
「始まった?」
そう伝えるユリアちゃんはお腹を押さえていた。
そう、赤ちゃんが眠っている膨らんだお腹を…………って、始まったって、まさか!
「もしかして、陣痛!?」
「は、はい……うぁっ!産まれる!産まれちゃうっ!」
私の白衣の袖を握って痛みに堪えるユリアちゃんを見て状況を把握した。
ついに産まれるのね!タイミングが良いんだか悪いんだか……!
「シ、シャローナさん……此処から西にまっすぐ歩けば……うぐっ!病院が見えます……どうか……わたしを……そこまで、ううっ!」
ユリアちゃんは痛みで顔を歪めながらも病院の方向を指差した。
必死に方向を教えてくれるのはありがたい。でも!
「その必要は無いわ!あなたの家に上がらせて!」
「え!?え!?」
私はユリアちゃんの腕を私の肩に回して立ち上がらせ、玄関の前まで移動させた。
「ユリアちゃん、家の鍵は持ってる!?」
「あ、あの……」
「私が代わりに開けるから、鍵の場所教えて!」
「シャローナさん……それよりも……病院へ……」
「忘れちゃったの?私だって医者よ!こう見えてお産なんて数え切れないくらい立ち会ってるの!」
私自身も医者だ。人間や魔物に限らず、何度も助産を経験している。どれくらい距離があるのかは知らないけど、無理に歩かせるより家で出産させた方が身体の負担を軽減できる。
「大丈夫!あなたの赤ちゃんは、この私が……ドクター・シャローナが責任を持って産ませてあげる!ユリアちゃんとエディさんの愛の結晶を誕生させて見せる!だからお願い!私を信じて!」
私はユリアちゃんの瞳を見つめながら力強く言った。
この言葉に迷いは無い。私はこの子の幸せを、心から願っているのだから!
「……お願いします……」
ユリアちゃんは片方の空いた手を服の裏地に回して鍵を取りだした。
「私とエディさんの子供を……導いてください……!」
ユリアちゃんは鍵を私に差しだした。これは、私に全てを委ねる合図……!
「任せなさい!」
私はユリアちゃんから鍵を受け取り、扉の鍵穴に差しこんで扉を開けた。
絶対に産ませる!絶対に!
〜〜〜翌日〜〜〜
外がすっかり明るくなった朝方の頃…………。
「く〜……く〜……」
「気持ち良さそうに寝ちゃって……」
「ウフフ、寝顔も可愛い♪」
「あら、すっかり親馬鹿ね」
「だってぇ、本当に可愛いんですもん」
ユリアちゃんの家の寝室にて、私は丸い小さな椅子に座り、ユリアちゃんと一緒に産まれたばかりの赤ちゃんの寝顔を眺めていた。ケンタウロス専用の大きめのベッドで、ユリアちゃんと一緒に横たわっている赤ちゃんを見て、次第に心が癒される感覚に包まれた。
やっぱり、赤ちゃんって可愛いなぁ……見ているだけで癒される。
あれから数時間の苦戦の末、ユリアちゃんの子供は無事に産まれた。その時のユリアちゃんはこれ程までに無い位喜んでいた。夫との愛の結晶を抱いた時の嬉し涙は今でもハッキリと憶えている。
「でも、ホントに良かった……無事に産まれて」
「はい、シャローナさんは私の大恩人です!このご恩は一生わすれません!」
「もぉ、またそんな……言う事が大げさなのよ」
「そんな事ありません。シャローナさんには助けて貰ってばかり……なんとお礼をしたら良いのか……」
ユリアちゃんは、こっちが申し訳なく思う位に何度も私に頭を下げた。
「シャローナさん、私、頑張ります」
突然、ユリアちゃんが改まった顔をして私に言った。
「私、この子を育てます!天国で見守ってくれてるエディさんの為にも、何度も私を助けてくれたシャローナさんの為にも、そして……産まれてきてくれたこの子が立派な魔物になる為にも、私、頑張ります!」
そう話すユリアちゃんの瞳には強い意志が満ち溢れていた。
……そうね……もう大丈夫よね……心配ないよね!
根拠こそ無いものの、私はそう確信した。
「ユリアちゃんなら出来るわ!私、信じてるから!」
私はユリアちゃんの手を優しく握った。
「はい!私、頑張ります!もうエディさんはいないけど、それでも私、独りで子供を育てて……」
「そいつぁ無理だな」
「ええ!無理!無理だけど……って、え?」
突然、何者かの声が後ろから聞こえた。私は徐に後ろを振り向いて見た。
「全く、遅刻が過ぎるぞ、シャローナ」
「せ、船長さん!?」
そこには、寝室のドアの前で仁王立ちしている船長さんがいた。しかも船長さんは、大きな布製の袋を肩に担いでいた。
何で?どうしてここに?それに、その袋は?
「ちょ、船長さん!なんで……」
「なんでお前がいる場所が分かったかって?まぁ、それは一旦置いといて……」
船長さんはユリアちゃんの下へ歩み寄った。突然の得体の知れない訪問者が来た為か、ユリアちゃんは不安そうな表情を浮かべながらも船長さんを見据えた。
「アンタがユリアかい?突然図々しく家に上がり込んで済まない。俺の名はキッド、キッド・リスカードだ。よろしくな」
「は、はぁ……どうも……」
船長さんは親指で自分を差しながら自己紹介を済ませ、ユリアちゃんは怖ず怖ずと頭を下げて応えた。
「アンタの事情は全部こいつに聞かせて貰った。とても辛い目に遭ったんだな……」
「……はい……でも、私頑張ります。愛する夫の為にも……私の力でこの子を……」
「そうか……だが、この際ハッキリ言わせて貰おう。アンタは、自分の力で子供を育てる事はできない」
「え?」
私は自分の耳を疑った。
子供を育てられない?何を言ってるの!?
「ちょっと!なんてこと言うのよ!」
私は思わず椅子から立ち上がって船長さんに抗議した。今の状況を把握できないのか、ユリアちゃんはどうすれば良いのかオドオドとするばかり。しかし、船長さんは形振り構わず話し続けた。
「アンタは独りで子供を育てる気でいるんだろうが……そんな事は絶対に出来ない。何故か分かるか?」
そう言うと、船長さんはゆっくりと視線を寝室のドアへと移した。私とユリアちゃんもつられて視線をドアへ移す………………。
「僕も一緒に育てるよ。家族だからね」
そこには、顔立ちの整った茶髪の若い男がいた。
この人は誰?それに、家族って…………?
「…………エディさん……?」
ユリアちゃんは口元に手を当てて、大きく目を見開きつつも男を見つめた。
……え?ちょっと待って?エディって確か……ユリアちゃんの夫の名前……え!?
てことは……まさか!?
「ホントに……エディさん!?嘘じゃないよね!?夢じゃないよね!?」
ユリアちゃんは目に涙を溜めて激しく動揺した。そしてエディと呼ばれた男はユリアちゃんの下まで歩み寄り、温かい笑みを浮かべながら言った。
「ユリア……ただいま」
「…………エディさん!!」
歯止めが利かなくなったのか、ユリアちゃんは大粒の涙を流しながらエディさんに抱きついた。エディさんも、ユリアちゃんを抱き返して想いに応える。
「エディさん……良かった……生きてたのね……ホントに……本当に良かった!」
「ユリア……心配かけてごめんね……」
抱きついたまま泣きじゃくるユリアちゃんの頭を、エディさんは優しく撫でた。
この人がユリアちゃんの夫……?
「私……エディさんが死んだって聞かされた時……本当に辛かった……とても悲しかった……」
「ユリア……」
「でも……良かった……エディさんが生きてて……良かった……ホントに良かったよぉ!」
感極まったのか、ユリアちゃんは抱きしめる力を強める。
……ヤバい……なんだか……私まで泣きそう…………。
「おぎゃー!!」
突然、ユリアちゃんの赤ちゃんが泣きだした。
「あ!起こしちゃった?ごめんね」
ユリアちゃんは慌てて赤ちゃんの頭を優しく撫でた。
「もしかして……僕たちの子供かい?」
「はい、正真正銘、私とエディさんの子です」
エディさんは赤ちゃんを見た瞬間、顔を綻ばせた。しかし、エディさんの表情はすぐに曇ってしまった。
どうしたの?折角自分の子供が産まれたのに……?
「ごめんね……僕はこんな大事な瞬間に立ち会える事ができなかった。子供が産まれる時でも傍に居たかったのに、僕は……」
「いいえ、どうか謝らないでください。エディさんは……この子のお父さんは、ちゃんと此処にいるじゃないですか。エディさんが生きているだけでも、私とこの子も嬉しいですから……」
頭を下げて謝るエディさんに対し、ユリアちゃんは気にする素振りも見せずに満面の笑みを浮かべた。
良かった……とにかく、ホントに良かった…………でも……。
「でも、ユリアちゃんの夫って、確か…………」
「始めっから死んでなかったんだ」
私の疑問に答えるかのように船長さんが話し始めた。
「シャローナが夜中に出かけた直後の事だ。船の見張り番がこの島に向かって来る海賊船をいち早く発見してな。海賊が島に上陸する前に俺たちが自ら船を出して迎撃する事になったんだ」
私が居ない間にそんな事が?でも、船長さんが此処にいるって事は、その海賊たちには勝ったのね。まぁ、船長さんが容易く負けるなんて思ってないけど。
「ところがその海賊ときたらとんだ素人でよ、手こずる事無く全員海に沈めてやったぜ。でな、俺が敵船に潜入して、船の内部に潜り込んだ時に牢屋の部屋を見つけたんだ。早速部屋に入ったら、牢屋に閉じ込められてる人の姿が見えて……」
「その人がエディさんで、その後船長さんはエディさんを助けたって事?」
「察しが良いな」
船長さんはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
でも、未だに疑問は残っている。
「なんでエディさんは海賊船の牢屋に閉じ込められていたのですか?新聞には貿易船に残ったって聞いたけど……」
私の代わりにユリアちゃんが質問した。その質問に答えたのはエディさんだった。
「僕は仲間たちを逃がす為に囮になったけど、結局海賊たちに捕まったんだ。その時は殺されると思って死を覚悟したんだけど、海賊たちは僕を殺さなかった。奴らは僕を人質に取ってこの島を荒す気だったんだ」
「え?それじゃあ……」
エディさんの説明を聞いてやっと全てを理解できた。
「エディさんを襲った海賊と、この島を襲おうとした海賊は同一人物?」
「正解!最終的には、俺たちにコテンパンにされたけどな」
私の言葉に対し、船長さんは満足気に指をパチンと鳴らした。
成程……船だけじゃ飽き足らず島丸ごと荒そうとしたのね。ホント、呆れて言葉も出ない。海に沈んでいい気味だわ。
エディさんは視線を船長さんに移して話した。
「そこへ現れたのがこのキッドさんだった。キッドさん率いる海賊が襲撃してきたと聞いた時は絶望的だと思ったけど、この人は普通の海賊とは違った。この人は僕を殺すどころか、牢屋を開けて助けてくれたんだ」
「え?海賊?」
ちょっ!エディさん!
エディさんの話を聞いた途端、ユリアちゃんは目を丸くした。
あちゃ〜……これはもう、感付かれたかも……。
「……えっと、キッドさん……でしたっけ?あなた、海賊なのですか?」
「ああ、そうだ」
ユリアちゃんの問いかけに対し、船長さんは動じることなく正直に答えた。すると、ユリアちゃんは視線を私へと移した。
「……ん?待てよ……ユリアちゃん、確かキッドさんの事を『船長さん』って呼んでたような……てことは……」
…………これはもう、白状するしかないわね…………。
「……ごめんなさい、今まで黙ってて……気付いてるかもしれないけど、私、海賊なの」
私は深々と頭を下げた。
「海賊って世間から見ればならず者のイメージが強いから、正直に言う事ができなかった。ユリアちゃんを不安にさせたくなかったから黙ってたけど……本当に、ごめんなさい!」
「そんな!シャローナさん、どうか頭を上げてください!シャローナさんは何も悪い事はしてないですよ!」
ユリアちゃんに促され、私は徐に頭を上げた。ユリアちゃんは満面の笑みを浮かべて、少々照れくさそうに言った。
「シャローナさんが海賊でも……私、あなたの事嫌ったり憎んだりなんかしません。だって、あなたは私の恩人であり、その…………友達ですから」
……友達?私が?私を……友達と呼んでくれるの?
「嫌……ですか?」
ユリアちゃんは不安そうな表情を浮かべたが、私は迷わず答えた。
「嫌なわけないじゃない!むしろ嬉しいわ!こんなに可愛い友達ができて!」
……なんだか、心がスッキリしたように感じた。やっぱり、自分の事を知って貰うって大切よね。
「シャローナ、和やかな空気になったところで悪いんだが、早いとこ島を出るぞ。もうそろそろ警備の船が出る時間だ」
船長さんが話しかけてきた。
あ、そうか……みんな待ってるだろうし、もう行かなきゃ……。
「おっと、こいつを忘れちゃいけねぇな」
船長さんは肩に担いでいた袋をエディさんの側にドサッと無作法に置いた。
そう言えば、ずっとそんな袋を担いでたわね。でも、気のせいかしら?袋からジャラジャラって音が聞こえるような……。
「あ、あの、これは一体…………」
「こいつはちょっとした置き土産だ。遠慮なく受け取ってくれ」
船長さんは袋の口を広げて中身を見せた。
「えぇっ!?」
「なっ!」
「!?」
中身を見た瞬間、ユリアちゃんとエディさんは驚愕し、私も驚きで言葉が出なかった。
「アンタが閉じ込められてた海賊船に積んであった金貨だ。これで美味い物食ったり、子供の教育費に充てたり、有効に使ってくれよ」
そう、袋の中には大量の金貨が入ってた。船長さんは余裕と言いたげな笑みを浮かべながら金貨の袋を軽く叩いた。
ビックリした……素人の海賊にしては、よくこんな大金持ってたわね。
「ちょ、ちょっと待ってください!僕たちにはこんな大金を受け取る権利はありませんよ!ただでさえ命が危ういところを助けてくれたのに、その上お金まで貰うなんて、どう恩返しをしたら良いのか……!」
エディさんは慌てて両手を翳して金貨の受け取りの拒否を示した。
そりゃそうか。いきなり目の前にこんな大金を差しだされたら誰だって恐縮してしまう。
「そうか……だが、この金は受け取って貰うぜ。アンタらの為にも、俺の為にもな」
「え?」
船長さんの発言にエディさんは首を傾げた。
「俺はアンタらには幸せになって欲しいと心から思っている。だから受け取って欲しいんだ。この金を貰って大切に使って、幸せになる。それがアンタらにできる恩返しだ」
「……キッドさん……」
船長さんの優しくて暖かい笑みを見た瞬間、エディさんの表情は明るくなった。
……全く、船長さんったら、カッコつけちゃって。それにしても、幸せになって欲しいか……これもサフィアちゃんの影響かもね。
「よし!行くか!」
船長さんは私に視線を移した。
そうね、名残惜しいけど……そろそろ出発しないとね!
「うん!」
勢いよく返事をした後、私は視線をユリアちゃんに移した。
昨日から色々と大変だったけど、私にとって本当に良い経験だった。この子と過ごした時間は絶対に忘れない。
「シャローナさん……また会えますよね?」
ユリアちゃんは少し寂しそうな表情を浮かべながら訊いてきた。
お別れだけど、そんな顔しないで……だって……だって……。
「会えるに決まってるでしょ!だって、また会いに行くんだから!」
私はとびっきりの笑顔をみせながらグッと親指を立てた。
「はい!紅茶とお菓子を用意して待ってます!」
ユリアちゃんはとびっきりの笑顔で返した。この笑顔を見た瞬間、私の決意は更に固まった。
何時かまた絶対に会いに行こう!時間はたっぷりあるんだから!
「ユリアちゃん、エディさん、そして可愛い赤ちゃん!また会おうね!それと、お幸せに!」
私は笑顔で手を振りながら寝室を出ようとした。
「どうかお元気で!あと……ありがとうございました!」
ユリアちゃんの言葉を背に、私と船長さんはその場を後にした………………。
〜〜〜数時間後〜〜〜
ここはだだっ広い大海原。あれから船に戻った後、私たちは早急に出航する事になったが、幸い、島の警備の船に見つかる事なく無事に出航して事無きを得た。島が見えなくなった後も、私は船の後方の甲板から島の方向を眺めていた。
「なんだ?まだ名残惜しいのか?」
後ろから船長さんが歩み寄り、柵に背を預ける姿勢になって私の隣に並んで来た。
「そんなんじゃないわ。ただ、今度は何時来れるかなって……」
私は視線を島の方向へ向けたまま言葉を返した。
「しかしお前、今回は大活躍だったな。よく頑張ったよ」
船長さんは満足げに何度も頷いた。
おお、久しぶりに船長さんから褒められた!
「それなら船長さんだって、ユリアちゃんの夫を助けてくれたじゃない。大したものよ」
「あれは俺だけで成した結果じゃない。俺と仲間たちが奮闘したお陰であいつを助ける事ができたんだ」
船長さんはハエでも追い払う様に手を振ってあしらった。
船長さんって、あんまり自慢したがらないのよね……まぁ、良い事だと思うけど。
「……ねぇ、船長さん」
私は姿勢を正して船長さんに向き直って話した。
「あの島に居た時なんだけど、船長さん、別れは避ける事ができない……みたいな事言ったよね?」
「ああ、そういや言ったな」
船長さんは視線を宙に浮かせながらおぼろげに答えた。
「出会いがあれば別れもあって、その別れは絶対に避けられない。それは認めざるを得ないわ。でもね、別れた後だけじゃなくって、出会ってから別れるまでの時も大事だと思うの」
「…………」
船長さんは真顔で私の話を聞いてくれた。
「船長さんはさ、サフィアちゃんと結婚して幸せだと思う?」
「ああ、幸せだな」
私の質問に対し、船長さんは即答した。それだけサフィアちゃんを愛していると言う事だろう。
「それと同じよ。誰だって、好きな人とか、大切な人と一緒にいる時って幸せだと思うものよ。でも、それが何時まで続くかなんて分からない。もしかしたら明日……いや、今日突然別れるかもしれない。だから、お別れまでの時間を大切にする。こういう考えって、アリだと思わない?」
これは島での経験を得た上での私の考え。出会ってからの一時は、何にも代えがたい宝物。今なら胸を張って言えるわ。
「……ああ、アリだな」
「でしょ?」
「ただな……」
船長さんは不敵な笑みを浮かべながら言った。
「まずは早く結婚したらどうだ?独身より夫がいる方が説得力上がるぞ!アッハハハハハ!」
「ちょっ!何よそれ!独身は関係ないでしょーが!」
もう!人が恥ずかしいのを我慢して言ったのに!なんで台無しにするような事言うかな、この人は!
そりゃ、まぁ、結婚願望は……あるにはあるけど…………。
「ああ、悪ぃ悪ぃ、お前ってさ、変な薬ばっかり作ってるイメージがあってさ、そんな良い事言ってる姿を見てたらギャップを感じて……」
「あのね、私は本物の医者なの!怪我も病気も治せるの!助産もできるの!どこぞの解剖大好き的なマッドドクター見たいに言うの止めてくれない!?」
「でも、薬を作るのは楽しいんだろ?」
「うっ…………」
図星だった。言い返すにも言葉が見つからない……。
「だって、面白いんだもん!妊娠してなくても母乳が出る薬とか、バストサイズが一気に二段階上がる薬とか、妖精にしか効かない媚薬とか!」
「やっぱりマッドドクターじゃねぇか」
うぅ……違うもん、そんなに狂気染みてないもん…………。
「さて、長話が過ぎちまったし、そろそろ行くか……」
船長さんは徐にその場を立ち去ろうとした。
「ああ、そうだ」
船長さんは急に何か思い出した様子を見せて、私の方へ振り向いた。
「俺とサフィアの子供が産まれる時は……宜しく頼むぜ、ドクター・シャローナ」
船長さんはニッと笑いながら言った。
そう……そこまで信頼されてたら……私としても、気合が入るわね!
「……お任せ下さい、キャプテン・キッド!」
私は片手でVサインを示した。船長さんはフッと鼻で笑いながらその場を去って行った。
「出会いと別れ……か……」
私は何気なく、快晴の青い空を見上げた………………
「さて、速く帰らないと……」
私ことシャローナは、街で必要な医療品を買い揃え、着てる白衣が風に靡きながらも、仲間たちの船が停泊している海辺へ足を進めた。
サキュバスである私は、こう見えて世界を旅して回る医者……と言っても、ただの冒険者ではない。キッド・リスカードって言う名前の青年、通称キャプテン・キッド率いる海賊団の船医として旅をしている。
海賊と言えば、世間から見れば略奪を繰り返す無法者のイメージが定着してるけど、船長さんは違う。無闇に人を傷付ける事を嫌い、一般市民や商船には絶対に手を出さない。更に、優しくて仲間想い。そんな船長さんの人柄から彼が率いる海賊団のクルー全員が彼を慕っている。
海賊の船医は決して楽じゃないけど、それでも大きな不満は無い。世界中を旅する生活はそれなりに充実している。
「……ん?」
ふと、視線がとある方向へ移った。そこには、白馬の下半身を持つ女……ユニコーンが両手にリンゴの入った袋を持って歩いていた。ただ、あのユニコーンはどこか変わった様子だった。お腹の辺りが……異常なまでに膨らんでいた。
あの人……もしかして……お腹に子供が……
「きゃあっ!?」
「!!」
突然、ユニコーンが足を躓いた。
「……ああ、やっちゃった……」
幸い、ユニコーンは転ばずに済んだものの、前のめりになった拍子に袋から大量のリンゴが路面に転がった。体勢を立て直したユニコーンは慌ててリンゴを拾い始める。
……よし!私も手伝おう!
「大丈夫?」
私はユニコーンの下へ駆け寄り、転がったリンゴを拾うのを手伝った。
「あ、すみません…………」
私に気付いたユニコーンは拾ったリンゴを袋に戻しながら頭を下げた。私も拾ったリンゴをユニコーンが抱えてる袋に戻す。やがて、路面に転がったリンゴを一つ残らず袋に戻し終えた。
「……はい、これで全部ね?」
私の問いかけを合図にユニコーンは転がったリンゴを全部袋に戻したのを確認して、私に深々と頭を下げた。
「本当にありがとうございます。助かりました……」
「いいっていいって!でも、お腹に大事な子供がいるんだったら、あんまり無茶しちゃダメよ?」
お節介ながらも、私はユニコーンに注意した。
余計な老婆心かもしれないけど、妊娠中に重たい荷物を持つのは母体に響く。目の前に無茶をしている人を見ると、つい口が出てしまう。これも医者の性分かもしれないけど……。
「ごめんなさい……今日は夫が帰ってくる日だから、彼の大好物のアップルパイを作ってあげようと思って……」
ユニコーンは少し照れながら答えた。
ああ、成程。それでこんなに大量のリンゴを……いや、それにしても……。
「アップルパイ一つ作るのに、こんなにリンゴが必要なのかしら……?」
咄嗟に頭に浮かんだ疑問を言うと、ユニコーンは顔を真っ赤に染めニヤニヤしながら言った。
「やっぱり買い過ぎだと思いますぅ?でもでもぉ、私の夫は貿易船の乗組員で、仕事の為に長い間出かけるんです♥ 家の為に頑張ってくれてる旦那様を想うと、せめて彼の好きな物だけでも食べさせてあげたいと思ってつい……」
……あらら……完全にお惚気状態ね……。
「……あっ!ご、ごめんなさい!私ったら……」
正気に戻ったユニコーンは慌てて私に謝った。
デレデレしたり、謝ったり、忙しない子ね……ま、結構可愛いけど。
「では、ご迷惑をおかけしました。それでは、失礼します……」
「あ、待って!」
私はその場を立ち去ろうとするユニコーンを呼び止めた。呼び止められたユニコーンはキョトンとした表情を浮かべながら私を見つめた。
目の前で重たい荷物を持ってる妊婦を見過ごしたら、医者として心許ない。だから……
「一緒に運んであげる♪」
「え?え?」
戸惑ってるユニコーンに形振り構わず、私はユニコーンのリンゴの袋を一つ持った。それに対し、ユニコーンは申し訳無さそうな表情を浮かべながら言った。
「そんな……これ以上ご迷惑をかける訳には……!」
「言ったでしょ?妊娠してるんだから無茶したらダメだって」
「でも……!」
「いいのいいの♪あ、でも……どうしても嫌だったら止めるけど……?」
「い、いえいえ!嫌だなんて……」
ユニコーンは慌てて弁解し、少しの間考える素振りを見せ、やがてほんのりと温かい笑みを浮かべながら答えた。
「では……お願いします」
「ウフフ……それじゃ、家までの案内お願いね♪」
「はい!」
ユニコーンは明るく返事をして歩き出そうとしたが、突然止まって私に向き直って問いかけてきた。
「そういえば、自己紹介がまだでしたね。私、ユリアと申します」
そう言って、ユニコーン……じゃなくて、ユリアちゃんは私に軽く頭を下げた。
「私はシャローナ。宜しくね♪」
ユリアちゃんの丁寧なお辞儀に対して、私はウィンクで返した。すると、ユリアちゃんはニッコリと優しい笑みを浮かべながら言った。
「シャローナさん、行きましょうか」
こうしてユリアちゃんに案内される形で、彼女の家へ向かった…………
「なんか、ごめんね……お茶まで頂いちゃって……」
「いえ、どうかお気になさらずに。これもささやかなお礼ですから」
ユリアちゃんが住んでる一軒家にて、荷物を運び終えた私はお茶をご馳走になる事になった。
家にお邪魔する気なんて最初から無かったけど、折角の御好意を無駄にする訳にもいかない。不本意ながらも、ここはお言葉に甘えよう。
ダイニングの四角いテーブルを互いに挟む様に座り、紅茶と茶菓子を堪能しながら雑談を交えた。
「ところで、シャローナさんはどんなご職業に就いてるのですか?」
「え、私?私はね…………医者よ。こう見えて、世界中を旅して回る医者でもあり、冒険者でもあるの」
ユリアの質問に対し『海賊の船医』と答えそうになったが、言葉を呑み込んで別の答えを出した。
ここで素直に海賊だなんて答えたら怖がらせてしまう。ユリアちゃんには申し訳ないけど、私が海賊なのは黙っておこう。
「世界を旅するお医者さんですか?珍しいですね」
ユリアちゃんは微笑ましい笑みを浮かべた。
どうやら疑ってないみたいね。安心した半面、騙した事によるちょっとした罪悪感が募って来た。
こんな可愛いくて良い子を誤魔化すなんて悪い気がするけど、驚かす方がもっと悪い。
「ところで、お腹の子の調子はどう?見た感じ、結構大きくなってるみたいだけど……?」
このまま私の話題で盛り上がったら、答えるのに行き詰ってしまう。そう判断した私はさりげなく話題を変えてみた。すると、ユリアちゃんは顔を綻ばせながら答えた。
「はい!今日までずっと好調です!この調子なら無事に産まれてきてくれるハズです!」
ユリアちゃんは嬉しそうに大きく膨らんだお腹を優しく撫でた。
産まれてきてくれる……か……やっぱり愛する人との子供が産まれるのは何よりも喜ばしい事ね。なんだか私まで幸せな気分になってきた。
それにしても……本当に幸せそうね…………。
「いいなぁ…………」
「え?」
脳裏に浮かんだ気持ちがボソッと独り言として口から出てきた。小さな声で呟いたつもりだったけど、ユリアちゃんにはハッキリと聞こえてたらしく、キョトンとしながら私を見つめた。
「あ〜……えっとね……私、まだ夫がいないからさ、なんかこう……温かい家庭が羨ましくて……」
……って、私、何言ってんの…………。
気恥ずかしさを覚えながらも言葉を繋ぐように答える私を見て、ユリアちゃんは温かい笑みを浮かべながら言った。
「シャローナさんも素敵な殿方と結ばれますよ。シャローナさんみたいに、美人で明るくて、胸も大きい魅力的な方なら尚更です」
「あら、ホント?お世辞でも嬉しいわ♪」
「お世辞じゃないですよ。私なんかより、ずっと綺麗です」
「何言ってるの?ユリアちゃんこそ可愛いくて優しくて、素敵な子よ♪」
「まぁ♥そんなぁ〜♥」
ユリアちゃんは真っ赤に染まった頬に両手を添えて照れ始めた。
なんだか、話をしているうちに場の空気が和んできた。
その原因は……ユリアちゃんね。この子と一緒にいると、なんだか私まで幸せな気分になってくる。もうすぐ夫との愛の結晶が産まれて来る喜びが伝わってくる感じがした。
この子の旦那さんは幸せ者ね……こんなに可愛いお嫁さんがいて、更に子供まで産まれるんだから…………。
「確か今日は旦那さんが帰ってくるんだったよね?家に戻ってきたら、やっぱり旦那さんと……」
「あぁ〜ん♥もぉ〜♥何考えてるんですかぁ!シャローナさんのエッチ♥」
「あら?私まだ何も言ってないわよ?もしかして、今やらしい事でも考えてた?」
「やぁん♪意地悪ぅ〜♪」
あらら……完全にお惚気モードに入っちゃってる。なんかもう、体をくねらせてるし…………。
「私の夫……エディさんって言うんですけど、エディさんも子供が産まれてくるのすっごく楽しみにしてるんですよ♪私が始めて妊娠したのを知った時のエディさんったら、そりゃもう喜んでくれて……ああ!もう!会いたい!今すぐ会いたい!エディさんと赤ちゃんに会いた〜い♪」
「………………」
この子って……周りが見えなくなる時があるのね…………。
私はただ、自分の世界に入り込んでる幸せ者を見続ける事しかできなかった……。
……ん?そういえば、今何時かしら……?
私は、ふと壁にかけられてる時計へ視線を移した。
……あ!もうこんな時間か。そろそろ船に戻らないと……。
「ユリアちゃん。私、そろそろ御暇しないと……」
「あら?もう少しゆっくりしていっても良いのに……」
私の言葉を聞いたユリアちゃんは姿勢を正しくして少し寂しそうな表情を浮かべた。
うぅ……そんな顔されたら……もう少しだけ残りたくなっちゃうじゃない……でも、船長さんに迷惑をかける真似はできないし…………。
「ごめんね、そろそろ宿に戻らなきゃいけないの」
……なんて、嘘の口実を述べながら椅子から立ち上がり、玄関前まで移動した。ユリアちゃんもゆっくりと立ち上がり私の後を付いてくるように玄関まで歩いた。
「今日は色々とありがとうございました。このご恩は一生忘れません」
「そんな大げさよ……こちらこそ、紅茶とお菓子をありがとう。美味しかったわ」
お茶を差し出してくれたお礼を述べながら玄関の扉を開け、外に出てからユリアちゃんに向き直って祝辞を述べた。
「お幸せに♥」
「……はい!」
ユリアちゃんに笑顔で見送られながら、私は扉を閉めてその場を後にした。
「……ん?」
ふと、街の様子が変に感じた。なんというか……さっきより騒々しい。
街の人たちが必死の形相で港に向かっているらしいけど……何かあったのかしら?
気がかりになりつつも、私は船長さんたちが待ってる船に向かって足を進めた………………。
〜〜〜数分後〜〜〜
船に戻った時にはすっかり夕焼けになっていた。茜色に輝く太陽が徐々に西へと沈んでいく。
「ただいま〜」
人気のない浜辺にて、私は船の外側にかけられている階段を利用して船の甲板へ上った。
「おう、シャローナか。思った以上に遅かったな」
そう言いながら出迎えたのは、この海賊船の船長、キッド船長だった。出迎えるといっても、船長さんは甲板の柵に寄りかかりながら新聞を読んでいた。
「ええ、ちょっと寄り道しててね」
事情を隅々まで話すのが面倒になり、私は適当に茶を濁した。
「まさか、また変な薬の材料でも買ったんじゃないだろうな?」
「違うわよ!色々と見て回っただけよ!」
疑いの眼差しを向けてくる船長さんに対し、私は必死に弁解した。
ここだけの話、私は色んな薬を作るのが趣味でこれまで数多くの薬を作ってきた。以前はモフモフした獣人型にしか効かない媚薬を作った事があり、それ以来様々な薬作りに挑戦している最中でもある。ただ、船長さんを始めとした多くの仲間たちは薬の実験体になるのを拒否しているけど…………。
「シャローナ、新聞読むか?読むんだったら少し待っててくれ。もう少しで読み終わるから」
新聞?もしかして、こんな時間に朝刊でも読んでるのかしら?
「悪いけど、朝刊ならもう読み終わったわ」
「いや、これは朝刊じゃなくて号外の記事だ」
「え?号外?」
号外って……何か重大な出来事が起きた時に発行される記事よね?
「何かあったの?」
「ああ、何でも、貿易船が海賊に襲われたらしいぜ」
「ふ〜ん……」
海賊か……おっかないわね……って、私も海賊だった。
分かってはいるけど、船長さんみたいに良い海賊ばかりじゃないって事ね……。
「なんでも、その襲われた貿易船がこの島のものだったらしくてな。今日帰還する予定なのに、何時まで経っても戻って来ないのを不振に思った政府が捜索に出たんだが、そこで見たのは業火に包まれた貿易船だったらしい」
業火に包まれた?まさか、それって海賊たちの仕業?だとしたら残虐極まりないわね…………。
…………ん?ちょっと待って…………
「船長さん、その貿易船って、何処のもの?」
「え?いや、だから、この島のものだって言ったじゃねぇか」
怪訝な顔をしながらも、船長さんは新聞の記事を指で突いて答えた。
「この島の…………」
ふと、脳裏にある言葉が過る…………。
『私の夫は貿易船の乗組員で、仕事の為に長い間出かけるんです』
これはユリアちゃんが私と出会った時に言ってた。ユリアちゃんの夫は貿易船の乗組員。
まさか……まさか!
「ねぇ!その船の人たちはどうなったの!?」
自分でも驚く位の勢いで船長さんに捲し立てた。
「ど、どうしたんだよ、急に!?」
「教えて!船の人たちはどうなったの!?」
勢いに押され、目を見開いて戸惑う船長さんに構わず、私は船長さんの腕を掴んで問い詰め続ける。
私には今、とてつもなく悪い予感が浮かんでいる。でも、できればその予感が外れて欲しい!外れてなくても…………出来る事なら全力で否定したい!
「……被害が大きくなる前に船員は海へ飛び込んで逃げたから、幸い負傷者は少なくて済んだらしい。ただ、一人を除いて…………」
船長さんはおぼろげに答えた。
「一人を除いてって、どう言う事!?」
「ちょ、落ち着けよ!俺だってまだそこまで読んでないんだ!詳しい事は記事を読まないと……」
「じゃあ見せて!」
「あ!おい!」
半ば強引に船長さんから新聞を奪い取り、目を皿のようにして記事の文字一つ一つを黙読した。その時、自分自身の心臓が早鐘を打ってるのが伝わって来た。
落ち着いて……落ち着くのよ、私……!確か、ユリアちゃんの旦那さんの名前は、エディ。
新聞の下半分の記事を見て、私は確信した…………。
『乗組員のエディ・レパンナさんが死亡。他の乗組員によると、エディさんだけが船に残ったとのこと。遺体そのものは発見されてないものの、海賊によって貿易船が炎上されたことからエディさんは炎に焼かれて死亡したと見られる』
「…………嘘…………そんな……!」
頭が真っ白になった…………ユリアちゃんの夫が……エディさんが……亡くなった……!
今日帰ってくるハズだったのに……愛する妻と子供が待っているのに…………!
否定したかった……でも、新聞の記事に乗ってる『死亡』と言う言葉が無情にも現実を説き伏せる。
「お、おい、シャローナ?どうしたんだ?シャローナ?」
船長さんが私の肩を叩いて何度も呼びかけるが、ハッキリと耳に入らなかった。
ユリアちゃんは……今どうしてるの?もうこの事実を知ったの?気がかりでならない……ユリアちゃん!
「船長さん!ちょっと行って来る!」
荒々しく新聞を投げ捨て、私は背中の翼を羽ばたかせて空へ飛び立った。
「おい!ちょっと待て!行くって何処にだよ!?おい!シャローナ!!」
背後から船長さんの声が聞こえたが、今の私には構っている余裕が無かった。私は翼に力を入れ、無我夢中に飛び出た。ユリアちゃんの家に向かって…………。
我を忘れて飛び続け、やがてユリアちゃんの家に着いた。
力を入れ過ぎたせいで翼が痛む。でも、今は私の事なんてどうでもいい。私よりユリアちゃんが……!
上空から着地しようとする………が、
「ん?」
ユリアちゃんの家の扉が開けられ、二人の人間の男が出てきた。とても辛そうな表情を浮かべながら……。
「はぁ……慰める事も儘らなかったな…………」
「ああ、なんだか俺まで泣きたくなってきた…………」
そう呟きながら、二人の男は重苦しくその場を去った。
今の人たちは……もしかして、エディさんの同僚?って事は…………!
あの男たちの様子から見て事情を察した私は徐にユリアちゃんの家の玄関前に着地した。
……どうしたら良いんだろう……。
慌てて此処まで来たものの、浅はかな事にこれからどうすれば良いのかまで考えていなかった。ユリアちゃんは今、愛する夫が亡くなった事を知らされて心底落ち着いてない状態だと考えられる。下手に刺激したら精神を崩壊させてしまう可能性も高い。
さて、どうすれば…………
パリィン!
「!?」
突然、何かが割れる音が聞こえた。それは間違いなく、ユリアちゃんの家から発せられた音だった。
今のは……一体何が!?
「ユリアちゃん!聞こえる!?私よ!シャローナよ!いるなら返事して!」
居ても立っても居られなくなり、私は声を上げながらバンバンと家の扉を叩いた。しかし、返答は聞こえない。まるで何も聞いてないかのように。
どうしたの……家の中で、何が起きてるの!?
一か八か……私は扉の取っ手を思いっきり引っ張った。
「ユリアちゃん!」
扉に鍵は掛かっていなかった。勢いよく開かれた扉の奥にはユリアちゃんがいた。しかし……足元には粉々に砕けた食器が散らばっていた。
さっきの音の正体はアレか。恐らく、手を滑らせて落としたのね。
「ユリアちゃん!大丈夫!?怪我は無い!?」
状況を把握した私は慌てて背後からユリアちゃんに声を掛けた。すると、ユリアちゃんは徐に私の方へ振り向いた。
「あ……シャローナさん…………?」
私に気付いたユリアちゃんの目は、悲しみに満ち溢れていた。さっきまでの幸せそうな笑顔は面影すら消え去り、瞳の奥の光は生気を失っていた。
「…………シャローナさん…………」
ユリアちゃんはブルブルと身体を震わせていた。いや、震えているのは身体だけじゃない。私の名を呼ぶ声までもが…………
「……たった今……エディさんの仕事仲間が家に来たんです……」
「…………」
ふと、テーブルに置かれてる新聞が視界に入った。
あれは……号外の記事……やっぱり、さっきの男たちはエディさんの同僚だったのね……それじゃあ、ユリアちゃんはもう全部…………。
「それで……あの人たちは……私に伝えてきたのです……何時、何が起きたのかを…………」
「…………」
身体を震わせながらも、そう語るユリアちゃんの目には涙が溜まっていた。
私には分かる…………辛くても必死に伝えようと苦しんでいるのが…………。
「エディさんが乗ってる船が…………海賊に襲われて……」
「……もういい」
「エディさんは……仲間たちを逃がす為に自ら囮に……」
「もういい」
「船に残って……最期まで……」
「もういいの!」
……気付けば……抱きしめていた…………悲しみに包まれているユリアちゃんを……優しく……。
「もう言わなくていい!私、全部知ってるから!言う必要は無いの!自分から言うだけ……辛いでしょう……?」
「……う……うぅ……シャローナ…………さん……」
ユリアちゃんは私に抱きしめられたまま身体を震わせていた。泣くのを必死に堪えて…………。
「……泣いてもいい……今だけは……私の肩を貸してあげる……だから……思いっきり泣いて……」
「う……うわぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!」
踏ん張りが利かなくなったのか、ユリアちゃんは泣き始めた。大きく声を上げ、私の肩に顔を埋め、涙を流して。
それに対し、私はユリアちゃんの背中を優しく撫でる事しかできなかった…………。
〜〜〜数時間後〜〜〜
「……と、言う訳で……」
「そうか…………成程な」
外がすっかり暗くなった頃、場所は変わって、ここは海賊船の中の医療室。私はユリアちゃんの家を訪れた後、海賊船に戻って船長さんに事の経緯をなるべく詳しく説明した。今、この医療室にいるのは、船長さんとそのお嫁さんでありシー・ビショップでもあるサフィアちゃん、そして私を含んだ三人だけ。みんな輪になるように椅子に座っている状態だ。
本当なら、もう少しだけユリアちゃんの傍にいたかったけど、あれだけ気落ちしている状態で下手に慰めたらそれこそ余計に心の傷を抉ってしまう恐れがある。それならば、いっその事一人にしてあげた方が良いと判断し、私は船に戻る事にした。
「お前があの号外の記事見た時の様子から何かあるとは思っていたが……」
「ごめんなさい……あの時は冷静になれなくて……」
私が船に戻って来た時の船長さんの第一声が『何処で何をしていた?』だった。まぁ、それは無理も無い。帰って来た直後に慌ただしく飛んで行けば誰だって戸惑う。私自身、あの時はもう少し冷静になれば良かったと反省している。
「でも……本当に残酷ですね…………何の前触れも無く……別れの言葉も告げられずに……二度と会えなくなるなんて……」
キッドの隣に座っているサフィアちゃんが顔を歪ませながら弱弱しい声で言った。
「私……そのユリアさんって言う方の気持ち、良く分かります。最愛の人が亡くなっても悲しまない人なんて存在しません。それが……突然の別れなら尚更です。私も、もしキッドが死んでしまったら、私………私……」
そう話すサフィアちゃんはどこか悲しげな目で船長さんを見つめていた。
やっぱりサフィアちゃんも恐いのね……大好きな夫が突然目の前から消え去り、二度と会えなくなるのが……。
すると、サフィアちゃんの視線に気づいた船長さんは、そっとサフィアちゃんの肩を優しく抱き寄せた。
「俺は死なねぇよ、お前を残して逝ったりしない。絶対にな…………」
やっぱり……魔物には人間が必要よね……。
船長さんとサフィアちゃんの様子を見て、私は一つ重大な問題があることに気付いた。
夫がいる魔物はその夫の精を糧として生きるようになり、夫以外の男の精は絶対拒否するようになる。
ユリアちゃんも、旦那さんの精を摂取して生きていたハズ。でも、ユリアちゃんの旦那さんはもうこの世にはいない。そうなると、ユリアちゃんはこれから夫の精無しの生活を強いられる事になる。
これは魔物にとって相当辛い状況……しかもユリアちゃんはユニコーン、童貞の男にのみ身体を許す程選り好みが激しい種族なら尚更だ。夫であるエディさん以外の男と交わるなんて絶対にありえない。尤も、ユリアちゃんなら夫の精以外にも他の食料で栄養を摂取する事は可能だけど、それでも夫の精は何にも代えられない最高のご馳走。それを一生味わえないなんて身体的にも精神的にも辛い状況になる。
それに、ユリアちゃんは子供を授かっている。子供が産まれた時には女手一つで育てなけらばならない。普通の家庭とは違って苦労の絶えない生活が待っている。ただでさえ心の支えである夫がいないのに…………。
「なんとかしてあげたいな…………」
不意にも、こんな独り言を呟いてしまった。
「……そうだ、シャローナにはまだ言ってなかったな」
ふと、船長さんが何か思い出した様子を見せて言った。
「明日の朝……この島を出る事になった」
「……え!?」
予想外の発言に、思わず拍子抜けな声を上げてしまった。
明日の朝って……そんな急に……!?
「ちょ、ちょっと待って!明日出航って早過ぎない!?だって、私たちは今日この島に来たばかりなのよ!?」
私は思わず椅子から立ち上がり、船長さんに抗議した。
普段なら島に着いてから2〜3日、長くて5日は滞在し、十分に英気を養ってから出航するのが私たちのやり方のハズ。それなのに、まだ2日も経ってないのに出航だなんて……!
「シャローナ、一先ず座って落ち着け」
船長さんに宥められて落ち着きを取り戻した私は椅子に座りなおした。その様子を見た船長さんは成り行きを説明した。
「今回の事件が原因で、この島の住民たちはより一層海賊に対する警戒心が強まってな、明日には近海周辺のパトロールを強化するらしいんだ。あの非常な事件が起きた直後にそいつらに見つけられた時の事を想像してみろ。最悪の場合、貿易船を襲った犯人だと疑われるかもしれないだろ?」
「あ、そうか…………」
船長さんの説明で納得した。確かに、海賊の事件で騒がれているこの状況下で長い間ここに滞在して見つかるのも時間の問題。騒ぎが起きるのは必然ね。それに、もし私が海賊であるのがユリアちゃんにバレたら、それこそ彼女を裏切る結果になってしまう。ユリアちゃんの為にも、私たちの為にも、ここは早めに出航するのが最善の方法かもしれないわ。
「でも……明日か……」
ふと、脳裏にユリアちゃんの顔が浮かんだ。あの子は今日から生きていけるのか、子供を育てる事ができるのか、それが不安でならなかった。
一々他人の事を気に留めてたら切りが無い。そんな事は分かっている。でも、あれだけ親しくなっておいて知らん振りなんて、そんな冷淡な真似はできない…………。
「……シャローナ、一つだけ言っておく」
私の心情を察したのか、船長さんが真剣な面持ちで話を切り出した。
「別れってのはな、人間や魔物に限らず、この世の全ての生き物が必ず経験するんだ。医者であるお前なら分かるだろ?」
「…………」
私は黙って船長さんの話を静かに聞いた。
「人が出会って、人が別れ、そこから二度と会えなくなるのは必然的な節理みたいなもんだ。それだけは避けられない。だがな、その別れを乗り越えてこそ、生き物は強くなれるんだ。悲しみを忘れろとは言わない。心に留めたままでも良い。だが、何時までも暗い気持ちのままなんて、自分の為にも、その別れた人の為にもならないだろ?」
「出会いがあれば別れもある……か……」
「そう言う事だ」
私の言葉に対し、船長さんは大きく頷き話し続けた。
「そのユリアって人は、永遠の別れの悲しみを自分自身で乗り越えなければならない。お前にできる事と言ったら祈るしかないんだ」
「……祈る?」
船長さんの言ってる意味が理解できず、思わず首を傾げた。すると船長さんは話し続けた。
「ユリアって人が、これから強く生きるのを祈るんだよ。この島を出た後も、産まれて来る子供と一緒に幸せに暮らすのを願って……」
……そうよね……私にできる事なんて限られてる。どんなに心配しても、結局は幸せになるのを願うしかないのね…………。
「……まぁ、なんだ、その…………他に出来る事があるんだったら、話は別だがな……」
「え?」
ばつが悪そうに頭を掻きながら、船長さんは話した。
「出航の予定は変えられないが、それまでに帰ってこれるんだったら別れの挨拶くらい言ってきてもいいぞ」
「え!?」
船長さんの予想外の許可が下りて拍子抜けな声を上げてしまった。
「お前とその人が出会って、それからお前がこの島を出る……これも一種の別れだ。お前だって、さよならも言わずにこの島を出たくないだろ?」
そう話す船長さんはどこか温かい目で私を見ていた。まるで思い悩んでいる我が子を優しく見守るかのように…………。
「ユリアって人も、その方が気持ちを救われるだろうしな。まぁ、無理強いはしないが…………」
……船長さん、貴方も意地悪な人ね。私がどう答えるか知ってる癖に……!
「勿論、行くわ!」
船長さんの許可を貰った私は、早速ユリアちゃんの家に向かって飛び立った。もう深夜近くになった為か、活気に溢れていた街もすっかり静けさを漂わせ、人気が全くと言って良い程感じなかった。
こんな夜遅くに行くのもどうかと思うが、善は急げと言う事もあり、早めに別れの挨拶を告げる事に決めた。
もうそろそろ見えてくるハズなんだけど……ん?
「……あら?」
ようやくユリアちゃんの家まで来たが、私は家を見た瞬間に違和感を感じた。外はすっかり暗くなってるのに、家の中は全然明るくない。
「もしかして……留守?」
不審に思いながらも、私は家の玄関前に着地した。そして家の扉を軽くノックして家の中に向かって呼びかけた。
「ごめんくださーい!ユリアちゃん、いる?私よ、シャローナよ」
しかし、家の中からは返事どころか物音すら聞こえない。
やっぱり、留守なのかしら?でも、こんな時間に一体何処へ?
「もしかして……シャローナさん?」
突然後ろから誰かに呼びかけられ、恐る恐る背後を振り向いて見た。
「あ……!」
そこにはユリアちゃんがいた。どこか買い物に行ってたのか、片手に食料の入った袋を持っている。
「えっと、ごめんね、こんな時間に突然来ちゃって……」
どう話を切り出せば良いのか分からず、私は苦笑いを浮かべながら言った。
「いえ、気にしないでください。むしろ、来てくれて嬉しいです!」
それに対し、ユリアちゃんはいつもの様に温かい笑みを浮かべながら答えた。
そう言ってくれるのは嬉しいけど、その笑顔の裏にはどこか悲しみが入り混じっているように感じる。やっぱり、まだ心の傷は癒えてないのね…………。
「実はね、私、明日の朝にはこの島を出ようと思っているの。それで、ユリアちゃんにお別れの挨拶がしたくて…………」
「え…………」
「その……ユリアちゃんにはちゃんとしたお別れを言いたくて……」
「……そう……やっぱり行ってしまうのですね」
私の話を聞いた途端、ユリアちゃんは寂しそうな表情を浮かべた。
「あ、そうだ!こんな所で立ち話してたら風邪を引きますし、どうぞ上がってください」
「ううん、お気遣いなく。今回はお邪魔するつもりは無いし、私は……」
「たった今、美味しいお菓子を買ってきましたし、ご一緒にどうぞ」
「あの、ユリアちゃん……」
「それと、私、シャローナさんがどんな旅をしてきたのか興味がありまして、よかったらお話して欲しいので……」
「ユリアちゃん、落ち着いて」
ユリアちゃんは気丈に振舞ってるけど、私には心は悲しみに染められたままだとハッキリ見えた。正直、私は悲しみを必死に押さえながらも平然とした状態を演ぜられるのは見てられなかった。
「ユリアちゃん……悲しいなら悲しいって言ってもいいのよ。そんな空回りな演技なんかしても、虚しくなるだけじゃない」
「な、何を言ってるんですか?私、演技なんてしてませんよ」
ユリアちゃんは否定したけど、完全に動揺しているのが目に見えてる。
「そりゃあ、本音を言えば……エディさんが亡くなって、その……悲しいですけど……」
「…………」
「でも……何時まで経ってもウジウジしたままじゃ仕方ないので……出来る限り忘れようと思ってます」
「……!?」
…………忘れる!?
「エディさんと一緒にいた時は本当に良い思い出でした……でも、思い出す度に泣きそうになるので、いい加減にけじめをつけようかと……」
「…………の…………」
「これから産まれて来る子供にも悪いですし、だから……」
「…………この…………」
「…………?」
パシィィィィィィィン!!!
「こぉんの馬鹿野郎!!」
……気づいたら、引っ叩いていた。ユリアちゃんの頬を力強く。ついでに大声も上げていた。そして叩かれた当の本人は突然の出来事に目を見開きながらも私を見つめた。
「強がるのもいい加減にしなさいよ!自分の夫を忘れる!?よくそんな嘘が言えたものね!本当は忘れたくないくせに!例え心にもない事でも、そんな事絶対に言っちゃダメ!今度言ったら許さないわ!」
私は怒りに任せて、自分の考えを吐き出した。
「エディって人は、あなたの大好きな夫でしょ!?この世を去ったのなら尚更忘れちゃダメ!一生記憶に留めても良いじゃない!」
「…………う……う……」
ユリアちゃんの瞳に涙が溜まって来た。それでも、私は話を止めなかった。
「けじめをつけるのは結構な事よ……でも、大切な人を綺麗さっぱり忘れるなんてダメよ。その人のお陰で、今のあなたがいるの……明るくて優しいユリアちゃんが此処にいるの!」
「う、ひぐっ……うぅ……ぐっ……」
ユリアちゃんは涙で濡れた顔を両手で覆い、全身の力が抜けたかのようにその場に座り込み泣き崩れた。
「ひっぐ……グスッ……ごめんなさい…………エディさん……シャローナさん……ごめんなさい……うぅ……」
泣きじゃくりながらも声を振り絞るユリアちゃん。それに対し、私はユリアちゃんの視線に合わせるように膝を落とし、ユリアちゃんの肩に手を置いて言った。
「忘れないで。あなたの夫は傍にいる。この世を去っても、天国であなたと、これから産まれてくる子供を見守ってくれるわ。だって、こんなに可愛いお嫁さんと可愛い子供を放っておけるわけないから……」
「……ありがとう……ありがとう!」
暫くの間泣き続けたユリアちゃんは、涙を拭ってとびっきりの笑顔を見せた。
やっと見れた。演技じゃない本当の笑顔を。これで、私も心置きなく島を…………。
「……うっ……うぅっ!?」
「……ユリアちゃん?」
突然、ユリアちゃんが呻き声を上げた。
どうしたの?一体何が……?
「う……い、痛、痛い……痛い!」
「ユリアちゃん、どうしたの!?どこが痛いの!?」
痛みで顔を歪めるユリアちゃんを見て只事じゃないと察した私は、自分自身に冷静になるように呼びかけながらもユリアちゃんの顔を窺った。
「シャローナさん……始まった!」
「始まった?」
そう伝えるユリアちゃんはお腹を押さえていた。
そう、赤ちゃんが眠っている膨らんだお腹を…………って、始まったって、まさか!
「もしかして、陣痛!?」
「は、はい……うぁっ!産まれる!産まれちゃうっ!」
私の白衣の袖を握って痛みに堪えるユリアちゃんを見て状況を把握した。
ついに産まれるのね!タイミングが良いんだか悪いんだか……!
「シ、シャローナさん……此処から西にまっすぐ歩けば……うぐっ!病院が見えます……どうか……わたしを……そこまで、ううっ!」
ユリアちゃんは痛みで顔を歪めながらも病院の方向を指差した。
必死に方向を教えてくれるのはありがたい。でも!
「その必要は無いわ!あなたの家に上がらせて!」
「え!?え!?」
私はユリアちゃんの腕を私の肩に回して立ち上がらせ、玄関の前まで移動させた。
「ユリアちゃん、家の鍵は持ってる!?」
「あ、あの……」
「私が代わりに開けるから、鍵の場所教えて!」
「シャローナさん……それよりも……病院へ……」
「忘れちゃったの?私だって医者よ!こう見えてお産なんて数え切れないくらい立ち会ってるの!」
私自身も医者だ。人間や魔物に限らず、何度も助産を経験している。どれくらい距離があるのかは知らないけど、無理に歩かせるより家で出産させた方が身体の負担を軽減できる。
「大丈夫!あなたの赤ちゃんは、この私が……ドクター・シャローナが責任を持って産ませてあげる!ユリアちゃんとエディさんの愛の結晶を誕生させて見せる!だからお願い!私を信じて!」
私はユリアちゃんの瞳を見つめながら力強く言った。
この言葉に迷いは無い。私はこの子の幸せを、心から願っているのだから!
「……お願いします……」
ユリアちゃんは片方の空いた手を服の裏地に回して鍵を取りだした。
「私とエディさんの子供を……導いてください……!」
ユリアちゃんは鍵を私に差しだした。これは、私に全てを委ねる合図……!
「任せなさい!」
私はユリアちゃんから鍵を受け取り、扉の鍵穴に差しこんで扉を開けた。
絶対に産ませる!絶対に!
〜〜〜翌日〜〜〜
外がすっかり明るくなった朝方の頃…………。
「く〜……く〜……」
「気持ち良さそうに寝ちゃって……」
「ウフフ、寝顔も可愛い♪」
「あら、すっかり親馬鹿ね」
「だってぇ、本当に可愛いんですもん」
ユリアちゃんの家の寝室にて、私は丸い小さな椅子に座り、ユリアちゃんと一緒に産まれたばかりの赤ちゃんの寝顔を眺めていた。ケンタウロス専用の大きめのベッドで、ユリアちゃんと一緒に横たわっている赤ちゃんを見て、次第に心が癒される感覚に包まれた。
やっぱり、赤ちゃんって可愛いなぁ……見ているだけで癒される。
あれから数時間の苦戦の末、ユリアちゃんの子供は無事に産まれた。その時のユリアちゃんはこれ程までに無い位喜んでいた。夫との愛の結晶を抱いた時の嬉し涙は今でもハッキリと憶えている。
「でも、ホントに良かった……無事に産まれて」
「はい、シャローナさんは私の大恩人です!このご恩は一生わすれません!」
「もぉ、またそんな……言う事が大げさなのよ」
「そんな事ありません。シャローナさんには助けて貰ってばかり……なんとお礼をしたら良いのか……」
ユリアちゃんは、こっちが申し訳なく思う位に何度も私に頭を下げた。
「シャローナさん、私、頑張ります」
突然、ユリアちゃんが改まった顔をして私に言った。
「私、この子を育てます!天国で見守ってくれてるエディさんの為にも、何度も私を助けてくれたシャローナさんの為にも、そして……産まれてきてくれたこの子が立派な魔物になる為にも、私、頑張ります!」
そう話すユリアちゃんの瞳には強い意志が満ち溢れていた。
……そうね……もう大丈夫よね……心配ないよね!
根拠こそ無いものの、私はそう確信した。
「ユリアちゃんなら出来るわ!私、信じてるから!」
私はユリアちゃんの手を優しく握った。
「はい!私、頑張ります!もうエディさんはいないけど、それでも私、独りで子供を育てて……」
「そいつぁ無理だな」
「ええ!無理!無理だけど……って、え?」
突然、何者かの声が後ろから聞こえた。私は徐に後ろを振り向いて見た。
「全く、遅刻が過ぎるぞ、シャローナ」
「せ、船長さん!?」
そこには、寝室のドアの前で仁王立ちしている船長さんがいた。しかも船長さんは、大きな布製の袋を肩に担いでいた。
何で?どうしてここに?それに、その袋は?
「ちょ、船長さん!なんで……」
「なんでお前がいる場所が分かったかって?まぁ、それは一旦置いといて……」
船長さんはユリアちゃんの下へ歩み寄った。突然の得体の知れない訪問者が来た為か、ユリアちゃんは不安そうな表情を浮かべながらも船長さんを見据えた。
「アンタがユリアかい?突然図々しく家に上がり込んで済まない。俺の名はキッド、キッド・リスカードだ。よろしくな」
「は、はぁ……どうも……」
船長さんは親指で自分を差しながら自己紹介を済ませ、ユリアちゃんは怖ず怖ずと頭を下げて応えた。
「アンタの事情は全部こいつに聞かせて貰った。とても辛い目に遭ったんだな……」
「……はい……でも、私頑張ります。愛する夫の為にも……私の力でこの子を……」
「そうか……だが、この際ハッキリ言わせて貰おう。アンタは、自分の力で子供を育てる事はできない」
「え?」
私は自分の耳を疑った。
子供を育てられない?何を言ってるの!?
「ちょっと!なんてこと言うのよ!」
私は思わず椅子から立ち上がって船長さんに抗議した。今の状況を把握できないのか、ユリアちゃんはどうすれば良いのかオドオドとするばかり。しかし、船長さんは形振り構わず話し続けた。
「アンタは独りで子供を育てる気でいるんだろうが……そんな事は絶対に出来ない。何故か分かるか?」
そう言うと、船長さんはゆっくりと視線を寝室のドアへと移した。私とユリアちゃんもつられて視線をドアへ移す………………。
「僕も一緒に育てるよ。家族だからね」
そこには、顔立ちの整った茶髪の若い男がいた。
この人は誰?それに、家族って…………?
「…………エディさん……?」
ユリアちゃんは口元に手を当てて、大きく目を見開きつつも男を見つめた。
……え?ちょっと待って?エディって確か……ユリアちゃんの夫の名前……え!?
てことは……まさか!?
「ホントに……エディさん!?嘘じゃないよね!?夢じゃないよね!?」
ユリアちゃんは目に涙を溜めて激しく動揺した。そしてエディと呼ばれた男はユリアちゃんの下まで歩み寄り、温かい笑みを浮かべながら言った。
「ユリア……ただいま」
「…………エディさん!!」
歯止めが利かなくなったのか、ユリアちゃんは大粒の涙を流しながらエディさんに抱きついた。エディさんも、ユリアちゃんを抱き返して想いに応える。
「エディさん……良かった……生きてたのね……ホントに……本当に良かった!」
「ユリア……心配かけてごめんね……」
抱きついたまま泣きじゃくるユリアちゃんの頭を、エディさんは優しく撫でた。
この人がユリアちゃんの夫……?
「私……エディさんが死んだって聞かされた時……本当に辛かった……とても悲しかった……」
「ユリア……」
「でも……良かった……エディさんが生きてて……良かった……ホントに良かったよぉ!」
感極まったのか、ユリアちゃんは抱きしめる力を強める。
……ヤバい……なんだか……私まで泣きそう…………。
「おぎゃー!!」
突然、ユリアちゃんの赤ちゃんが泣きだした。
「あ!起こしちゃった?ごめんね」
ユリアちゃんは慌てて赤ちゃんの頭を優しく撫でた。
「もしかして……僕たちの子供かい?」
「はい、正真正銘、私とエディさんの子です」
エディさんは赤ちゃんを見た瞬間、顔を綻ばせた。しかし、エディさんの表情はすぐに曇ってしまった。
どうしたの?折角自分の子供が産まれたのに……?
「ごめんね……僕はこんな大事な瞬間に立ち会える事ができなかった。子供が産まれる時でも傍に居たかったのに、僕は……」
「いいえ、どうか謝らないでください。エディさんは……この子のお父さんは、ちゃんと此処にいるじゃないですか。エディさんが生きているだけでも、私とこの子も嬉しいですから……」
頭を下げて謝るエディさんに対し、ユリアちゃんは気にする素振りも見せずに満面の笑みを浮かべた。
良かった……とにかく、ホントに良かった…………でも……。
「でも、ユリアちゃんの夫って、確か…………」
「始めっから死んでなかったんだ」
私の疑問に答えるかのように船長さんが話し始めた。
「シャローナが夜中に出かけた直後の事だ。船の見張り番がこの島に向かって来る海賊船をいち早く発見してな。海賊が島に上陸する前に俺たちが自ら船を出して迎撃する事になったんだ」
私が居ない間にそんな事が?でも、船長さんが此処にいるって事は、その海賊たちには勝ったのね。まぁ、船長さんが容易く負けるなんて思ってないけど。
「ところがその海賊ときたらとんだ素人でよ、手こずる事無く全員海に沈めてやったぜ。でな、俺が敵船に潜入して、船の内部に潜り込んだ時に牢屋の部屋を見つけたんだ。早速部屋に入ったら、牢屋に閉じ込められてる人の姿が見えて……」
「その人がエディさんで、その後船長さんはエディさんを助けたって事?」
「察しが良いな」
船長さんはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
でも、未だに疑問は残っている。
「なんでエディさんは海賊船の牢屋に閉じ込められていたのですか?新聞には貿易船に残ったって聞いたけど……」
私の代わりにユリアちゃんが質問した。その質問に答えたのはエディさんだった。
「僕は仲間たちを逃がす為に囮になったけど、結局海賊たちに捕まったんだ。その時は殺されると思って死を覚悟したんだけど、海賊たちは僕を殺さなかった。奴らは僕を人質に取ってこの島を荒す気だったんだ」
「え?それじゃあ……」
エディさんの説明を聞いてやっと全てを理解できた。
「エディさんを襲った海賊と、この島を襲おうとした海賊は同一人物?」
「正解!最終的には、俺たちにコテンパンにされたけどな」
私の言葉に対し、船長さんは満足気に指をパチンと鳴らした。
成程……船だけじゃ飽き足らず島丸ごと荒そうとしたのね。ホント、呆れて言葉も出ない。海に沈んでいい気味だわ。
エディさんは視線を船長さんに移して話した。
「そこへ現れたのがこのキッドさんだった。キッドさん率いる海賊が襲撃してきたと聞いた時は絶望的だと思ったけど、この人は普通の海賊とは違った。この人は僕を殺すどころか、牢屋を開けて助けてくれたんだ」
「え?海賊?」
ちょっ!エディさん!
エディさんの話を聞いた途端、ユリアちゃんは目を丸くした。
あちゃ〜……これはもう、感付かれたかも……。
「……えっと、キッドさん……でしたっけ?あなた、海賊なのですか?」
「ああ、そうだ」
ユリアちゃんの問いかけに対し、船長さんは動じることなく正直に答えた。すると、ユリアちゃんは視線を私へと移した。
「……ん?待てよ……ユリアちゃん、確かキッドさんの事を『船長さん』って呼んでたような……てことは……」
…………これはもう、白状するしかないわね…………。
「……ごめんなさい、今まで黙ってて……気付いてるかもしれないけど、私、海賊なの」
私は深々と頭を下げた。
「海賊って世間から見ればならず者のイメージが強いから、正直に言う事ができなかった。ユリアちゃんを不安にさせたくなかったから黙ってたけど……本当に、ごめんなさい!」
「そんな!シャローナさん、どうか頭を上げてください!シャローナさんは何も悪い事はしてないですよ!」
ユリアちゃんに促され、私は徐に頭を上げた。ユリアちゃんは満面の笑みを浮かべて、少々照れくさそうに言った。
「シャローナさんが海賊でも……私、あなたの事嫌ったり憎んだりなんかしません。だって、あなたは私の恩人であり、その…………友達ですから」
……友達?私が?私を……友達と呼んでくれるの?
「嫌……ですか?」
ユリアちゃんは不安そうな表情を浮かべたが、私は迷わず答えた。
「嫌なわけないじゃない!むしろ嬉しいわ!こんなに可愛い友達ができて!」
……なんだか、心がスッキリしたように感じた。やっぱり、自分の事を知って貰うって大切よね。
「シャローナ、和やかな空気になったところで悪いんだが、早いとこ島を出るぞ。もうそろそろ警備の船が出る時間だ」
船長さんが話しかけてきた。
あ、そうか……みんな待ってるだろうし、もう行かなきゃ……。
「おっと、こいつを忘れちゃいけねぇな」
船長さんは肩に担いでいた袋をエディさんの側にドサッと無作法に置いた。
そう言えば、ずっとそんな袋を担いでたわね。でも、気のせいかしら?袋からジャラジャラって音が聞こえるような……。
「あ、あの、これは一体…………」
「こいつはちょっとした置き土産だ。遠慮なく受け取ってくれ」
船長さんは袋の口を広げて中身を見せた。
「えぇっ!?」
「なっ!」
「!?」
中身を見た瞬間、ユリアちゃんとエディさんは驚愕し、私も驚きで言葉が出なかった。
「アンタが閉じ込められてた海賊船に積んであった金貨だ。これで美味い物食ったり、子供の教育費に充てたり、有効に使ってくれよ」
そう、袋の中には大量の金貨が入ってた。船長さんは余裕と言いたげな笑みを浮かべながら金貨の袋を軽く叩いた。
ビックリした……素人の海賊にしては、よくこんな大金持ってたわね。
「ちょ、ちょっと待ってください!僕たちにはこんな大金を受け取る権利はありませんよ!ただでさえ命が危ういところを助けてくれたのに、その上お金まで貰うなんて、どう恩返しをしたら良いのか……!」
エディさんは慌てて両手を翳して金貨の受け取りの拒否を示した。
そりゃそうか。いきなり目の前にこんな大金を差しだされたら誰だって恐縮してしまう。
「そうか……だが、この金は受け取って貰うぜ。アンタらの為にも、俺の為にもな」
「え?」
船長さんの発言にエディさんは首を傾げた。
「俺はアンタらには幸せになって欲しいと心から思っている。だから受け取って欲しいんだ。この金を貰って大切に使って、幸せになる。それがアンタらにできる恩返しだ」
「……キッドさん……」
船長さんの優しくて暖かい笑みを見た瞬間、エディさんの表情は明るくなった。
……全く、船長さんったら、カッコつけちゃって。それにしても、幸せになって欲しいか……これもサフィアちゃんの影響かもね。
「よし!行くか!」
船長さんは私に視線を移した。
そうね、名残惜しいけど……そろそろ出発しないとね!
「うん!」
勢いよく返事をした後、私は視線をユリアちゃんに移した。
昨日から色々と大変だったけど、私にとって本当に良い経験だった。この子と過ごした時間は絶対に忘れない。
「シャローナさん……また会えますよね?」
ユリアちゃんは少し寂しそうな表情を浮かべながら訊いてきた。
お別れだけど、そんな顔しないで……だって……だって……。
「会えるに決まってるでしょ!だって、また会いに行くんだから!」
私はとびっきりの笑顔をみせながらグッと親指を立てた。
「はい!紅茶とお菓子を用意して待ってます!」
ユリアちゃんはとびっきりの笑顔で返した。この笑顔を見た瞬間、私の決意は更に固まった。
何時かまた絶対に会いに行こう!時間はたっぷりあるんだから!
「ユリアちゃん、エディさん、そして可愛い赤ちゃん!また会おうね!それと、お幸せに!」
私は笑顔で手を振りながら寝室を出ようとした。
「どうかお元気で!あと……ありがとうございました!」
ユリアちゃんの言葉を背に、私と船長さんはその場を後にした………………。
〜〜〜数時間後〜〜〜
ここはだだっ広い大海原。あれから船に戻った後、私たちは早急に出航する事になったが、幸い、島の警備の船に見つかる事なく無事に出航して事無きを得た。島が見えなくなった後も、私は船の後方の甲板から島の方向を眺めていた。
「なんだ?まだ名残惜しいのか?」
後ろから船長さんが歩み寄り、柵に背を預ける姿勢になって私の隣に並んで来た。
「そんなんじゃないわ。ただ、今度は何時来れるかなって……」
私は視線を島の方向へ向けたまま言葉を返した。
「しかしお前、今回は大活躍だったな。よく頑張ったよ」
船長さんは満足げに何度も頷いた。
おお、久しぶりに船長さんから褒められた!
「それなら船長さんだって、ユリアちゃんの夫を助けてくれたじゃない。大したものよ」
「あれは俺だけで成した結果じゃない。俺と仲間たちが奮闘したお陰であいつを助ける事ができたんだ」
船長さんはハエでも追い払う様に手を振ってあしらった。
船長さんって、あんまり自慢したがらないのよね……まぁ、良い事だと思うけど。
「……ねぇ、船長さん」
私は姿勢を正して船長さんに向き直って話した。
「あの島に居た時なんだけど、船長さん、別れは避ける事ができない……みたいな事言ったよね?」
「ああ、そういや言ったな」
船長さんは視線を宙に浮かせながらおぼろげに答えた。
「出会いがあれば別れもあって、その別れは絶対に避けられない。それは認めざるを得ないわ。でもね、別れた後だけじゃなくって、出会ってから別れるまでの時も大事だと思うの」
「…………」
船長さんは真顔で私の話を聞いてくれた。
「船長さんはさ、サフィアちゃんと結婚して幸せだと思う?」
「ああ、幸せだな」
私の質問に対し、船長さんは即答した。それだけサフィアちゃんを愛していると言う事だろう。
「それと同じよ。誰だって、好きな人とか、大切な人と一緒にいる時って幸せだと思うものよ。でも、それが何時まで続くかなんて分からない。もしかしたら明日……いや、今日突然別れるかもしれない。だから、お別れまでの時間を大切にする。こういう考えって、アリだと思わない?」
これは島での経験を得た上での私の考え。出会ってからの一時は、何にも代えがたい宝物。今なら胸を張って言えるわ。
「……ああ、アリだな」
「でしょ?」
「ただな……」
船長さんは不敵な笑みを浮かべながら言った。
「まずは早く結婚したらどうだ?独身より夫がいる方が説得力上がるぞ!アッハハハハハ!」
「ちょっ!何よそれ!独身は関係ないでしょーが!」
もう!人が恥ずかしいのを我慢して言ったのに!なんで台無しにするような事言うかな、この人は!
そりゃ、まぁ、結婚願望は……あるにはあるけど…………。
「ああ、悪ぃ悪ぃ、お前ってさ、変な薬ばっかり作ってるイメージがあってさ、そんな良い事言ってる姿を見てたらギャップを感じて……」
「あのね、私は本物の医者なの!怪我も病気も治せるの!助産もできるの!どこぞの解剖大好き的なマッドドクター見たいに言うの止めてくれない!?」
「でも、薬を作るのは楽しいんだろ?」
「うっ…………」
図星だった。言い返すにも言葉が見つからない……。
「だって、面白いんだもん!妊娠してなくても母乳が出る薬とか、バストサイズが一気に二段階上がる薬とか、妖精にしか効かない媚薬とか!」
「やっぱりマッドドクターじゃねぇか」
うぅ……違うもん、そんなに狂気染みてないもん…………。
「さて、長話が過ぎちまったし、そろそろ行くか……」
船長さんは徐にその場を立ち去ろうとした。
「ああ、そうだ」
船長さんは急に何か思い出した様子を見せて、私の方へ振り向いた。
「俺とサフィアの子供が産まれる時は……宜しく頼むぜ、ドクター・シャローナ」
船長さんはニッと笑いながら言った。
そう……そこまで信頼されてたら……私としても、気合が入るわね!
「……お任せ下さい、キャプテン・キッド!」
私は片手でVサインを示した。船長さんはフッと鼻で笑いながらその場を去って行った。
「出会いと別れ……か……」
私は何気なく、快晴の青い空を見上げた………………
12/03/13 11:27更新 / シャークドン