前編
「…………はぁ…………」
テラスで霧に覆われている空を眺めている内に、無意識にも溜め息を吐いてしまった。
故郷を飛び出し、彷徨った末に見つけた、この廃墟と化した館に住み着いて早1年は経った。いくら手を施しても消えそうにない汚れが目立ったり、歩く度に床が軋む音が響いたりと、住居としては至らないところが多々あるものの、1年も住み着いてしまえば非常に安らぐ場所となった。
今のところ、此処から10分程度飛んだ所に小さな国がある為、食料や日用品にも困らない、不自由の無い暮らしを送る事ができている。ただ、この不自由の無い暮らしには、孤独を感じていた。この孤独が、私を喪失感に苛まれる事を幇助していく。
「……はぁ……」
これで何度目だろうか、又しても溜め息を付いてしまった。
……このままではノイローゼになりかねない。気晴らしに、空中散歩でもするか。
私は、魔力で背中に巨大な黒い翼を生えさせ、夜空へと飛び出た…………。
************
「……おい、大丈夫か、コリック?」
「ハ、ハ、ハイ!だ、大丈夫です!」
暗い森の中を歩いている最中、キッド船長の呼びかけに対し、僕は自分なりに威勢の良い返事を返した。
でも、情けない事に、声が震えているのが自分でも分かる。ついでに、体中も震えている。
「おいおい……震えっぱなしじゃないか?怖いのは分かるが、怖がり過ぎるのも考えものだぞ。お前は今日、記念すべき初上陸を果たしたんだ。せっかくの冒険なんだから、楽しんで行こうぜ」
「だ、だ、大丈夫です!怖くないです!これは、武者震いです!全く持って、問題無いです!」
「武者震いねぇ…………」
キッド船長に余計な心配をかけないように虚勢を張って見せたが、そんな僕に対し、船長は怪訝な顔をした。
やっぱりキッド船長には全てお見通しのようだ。初めての上陸で良いところを見せようと思ったのに、我ながら情けない……。
すると、僕の隣から同行しているシャローナさんがサキュバスのしっぽを振りながら励ます様に話しかけてきた。
「そんなに怖がらなくても大丈夫よ。私と船長さんが一緒にいるんだから、気楽に行きましょ」
魅力的なウインクをするシャローナさんが頼もしく見えた。
確かに、キッド船長は強くて頼もしい。シャローナさんは船医だから、もしも怪我をした時は助けてくれる。海賊でありながら、半人前の僕にとって、これ程心強い人たちが一緒にいてくれるだけでもありがたい。
なんだか、気が楽になってきた。
「お!いい顔を見せてきたな。そうそう、その感じでもっと冒険を楽しもうぜ!」
船長は大きな手で僕の小さい背中を叩いてきた。
憧れのキッド船長に勇気付けられた!
そう思うと、僕の心は完全に躍った。そして、足取りが軽くなり、怖いと言う感じが全て吹き飛んだ。
よーし!頑張ってキッド船長に褒めて貰うぞ!
「あら、そろそろ抜けられそうね」
僕が心の中で気合を入れていると、周りに立っていた木々が少なくなってきた。シャローナさんが言った通り、もうすぐ森から出られそうだ。
何があるんだろう?ワクワクするなぁ!
この先に待っている冒険に期待を膨らませながら、僕たちは森を抜けた。
すると…………。
「……うわぁ!」
「なっ!」
「嘘……!」
僕は、期待とは大きくかけ離れた光景に思わず悲鳴を上げてしまった。キッド船長とシャローナさんも、この光景に目を見開いている。それもその筈、僕たちが目にしたのは…………。
「……これって…………お墓…………?」
僕たちの前には、古く錆びついたお墓が立っていた。それも、一つだけじゃない。数え切れない程の墓が、丁寧に列を作って並んでいる。あまりにもおぞましい光景に、僕の足は竦んでしまった。
「……不気味だな…………この島に何が起きたんだ?」
「なんだろう……とても禍々しい気を感じるわ……」
キッド船長とシャローナさんも、驚きながら言った。
「……今日は散々ね……まさか、初めての上陸でこんな怖いものを見る羽目になるなんて……」
シャローナさんが苦笑いを浮かべて話しかけてきた。
僕も、まさかこんな光景を見てしまうなんて思ってもいなかった。僕はもう少し、まともな光景を想像してたのに……。
……って、あれ!?
「キ、キッド船長!?」
僕が肩を落としていると、キッド船長は墓に向かって歩き出した。
無数の墓を前にして、キッド船長は怖くないの!?
「ほら、もたもたしてると置いてくぞ!何時までも怖がってちゃ、進めないぞ!」
キッド船長は片手を振って僕たちに来る様に促した。
やっぱり、キッド船長は頼もしいなぁ……僕なんか、怖くて足が震えてるのに……。
「……しょうがない人ね」
シャローナさんは、半ば呆れながらもキッド船長の後を追った。
「わわっ!待ってください!」
ここに置いてけぼりにされるのは嫌だ!
僕は慌てて二人の下へ追い付き、共に墓の前で立ち止まった。
……でも……やっぱり怖い……何か出てきそうだ…………。
「にしても、墓のあり様から見ると、どれもだいぶ前に立てられた様だな」
キッド船長が墓を見渡しながら呟いた。
確かに、どの墓も錆びついてて、刻まれている文字も汚れによって読めない。長い間、誰にも手を出されずに立っていたようだ。
「ん?」
突然、キッド船長が辺りを見渡しながら言った。
「おい、何か音が聞こえなかったか?」
……え?音?
僕は周りを見てみたが、墓以外の物は何も見えなかった。
「もう、船長さん!脅かさないでよ!」
「嘘じゃねぇよ!本当に聞こえたんだ!」
キッド船長はシャローナさんの抗議を否定した。
キッド船長がこんな下らない悪ふざけをするとは思えない。
と言う事は……。
「…………あぁ〜…………」
「「!!?」」
突然、呻き声が聞こえた。僕たちは声が聞こえる方向へ向き直った。
その先には…………!
「……オトコ…………」
「……オトコ……オトコ……」
墓の中から、次々と人間の手が飛び出て来た。やがて手が支える様に地面に着くと……。
「オトコォ……欲しい……欲しい……オトコォ!」
「うわぁぁぁぁぁ!!」
思わず悲鳴を上げてしまった。
墓の中から、次々と女の人が這い上がってきた!肌は青く、目は虚ろで、身体の至る所に包帯が巻かれている。
この人たちは人間じゃない!この信じられない光景を見た瞬間、僕は確信した。
「船長さん!この子たちは……!」
「ああ、間違いない!こいつらは墓に眠っていたゾンビだ!」
キッド船長の言葉に、僕はハッと思いだした。
確か、人間の死体に魔力が宿る事によって動き出す魔物で、必要以上に人間の男の精に執着するらしい。
と言う事は、このゾンビたちは僕とキッド船長を……!
まてよ……キッド船長は既にシー・ビショップであるサフィアさんと夫婦になっている。魔物には、既に別の魔物の夫になっている男には襲わない暗黙の了解がある。
と言う事は……まさか……まさか!
「オトコォ……こっち……来てぇ!」
「オトコォ、オトコォ……オトコォ!」
「うわあ!」
嫌な予感は的中してしまった。ゾンビたちはキッド船長には全く興味を示さず、僕に向かって手を伸ばしながら歩いてきた。
「くそっ!こいつらの狙いは、やっぱりコリックか!」
ゾンビたちの狙いは僕だと言う事が、キッド船長も既に気付いていた様だ。
ゾンビたちは、遅い動作で僕たちとの距離を詰めてくる。
「二人とも、ここは一旦船に戻るぞ!」
キッド船長の言葉を合図に、僕たちは来た道を引き返す様に後ろへ逃げ出した。
しかし!
「オトコォ……!」
「…………オトコ……来い……!」
僕たちの前に、地面から別のゾンビが徐に這い上がってきた。慌てて僕たちは足を止めて、ゾンビとの衝突を免れた。しかし、これで完全に逃げ場を失ってしまった。僕たちの周りには、無数のゾンビたちが取り囲んでいる。
「オトコ……精……欲しい……」
「来い……オトコォ……来い……!」
ゾンビたちは、徐々に僕たちを追い詰めてくる。
どうしよう……このままじゃ……!
「二人とも、目を閉じて!」
突然、シャローナさんが右手を天に向かって高々と上げた。すると、シャローナさんの手の平から眩い光が放たれた。
「あぁぁあ!!」
「光……イヤ……!!」
ゾンビたちは、両手で目を抑えてもがき苦しんだ。
そうか!ゾンビたちは地面に潜っていたから、急に光を差されて怯んだのか!
「よくやってくれた!よし、逃げるぞ!」
僕たちはゾンビたちの間を掻い潜り、森の中へ逃げ込んだ。その後も、僕たちは船に向かって一目散に逃げ続けた。何も考えずに、ひたすらに……!
「うっ!」
突然、僕の頭に強い痛みが走った。あまりの痛さに、僕は足を止めてその場で蹲ってしまった。その瞬間、意識が徐々に遠のく感覚に包まれた。
これは……何……?僕は……一体……どうしたんだ……?
「おい、コリック!どうした!?」
蹲ってる僕に気付いたキッド船長は、慌てて僕に駆け寄ろうとしたが……。
「!?」
突然、僕の身体は空に向かって高く浮かんだ。
いや、まるで腕か何かに掴まれて浮いてる感じがした。その最中にも、僕の意識は消えていく…………。
キッド船長……シャローナさん……二人だけでも……逃げて……!
「コリックー!!!」
意識が完全に消える直前に、キッド船長の叫び声が頭に響いた………………。
************
……何故……私はこんな事を……?
客室にて、私は椅子に座ってベッドに横たわる少年を看取りながら自分自身に問いかけた。
空中を散歩している最中、悲鳴声を聞いた私は、咄嗟に声が聞こえた場所まで飛んだ。そこで見たのは、なんとも奇妙な光景だった。二人の人間の男と一人のサキュバスが、無数のゾンビたちに詰め寄られていた。一人の男は、背が高く、腰に長剣とショットガンを携えた青年。サキュバスは、青い長髪に白衣らしき衣服を来た風貌をしていた。
そして、今私の前で横たわっている少年も、ゾンビに襲われていた被害者の一人だった。背は私より低く、幼い顔立ちをしている。だが、私は何故この少年を連れ去ったか、自分でも分からなかった。
ただ……理由は分からないが、空からこの少年を見ている内に、助けたいと言う気持ちが湧き上がってきた。
自分の住みかへ連れて行きたいと思い、暴れないように軽く脳天に衝撃を与え、気絶させてから此処へ連れてきてしまった。この時、自分の中で、今まで感じた事の無い感情が出てきた様な気がした。私とは違って下等な人間である筈なのに、この少年を見ていると、心がときめく気がする。
私は何を考えているんだ?この気持ちは、一体何だと言うのだ?
全く……どうかしている…………。
「……う…………うぅ……」
考え事をしていると、少年から呻き声が聞こえた。
「ううん…………ん……あ、あれ……?」
どうやら、目が覚めた様だな。
少年は徐に瞼を開け、ゆっくりと上半身を起こした。
「気が付いた様だな」
「わわっ!」
急に声をかけられた少年は、身体をビクッと跳ねらせて私を見てきた。
なんだ……幼い見た目通り、小心者だな。
「あ、あの、ここは?と言うか、あなたは?」
少年は戸惑いながら私に訊いてきた。
なんだ……こうして見ると、中々可愛い容姿だな……じゃなくて!
「名前を尋ねるなら、自分から名乗るのが礼儀だろう?」
冷静さを取り戻した私は、威厳を放ちながら言い返した。
くっ!何故だ!?この少年を見ていると調子が狂う!
「は、はい、僕はコリックと言います」
コリックと名乗った少年はペコリと頭を下げた。
それなりに礼儀は弁えているようだ。
「それで……あなたは?」
コリックから名乗る事を催促された私は咳払いをしてから答えた。
「……リシャス」
……名乗るのに、何故ここまで恥ずかしく思うのだ?バカバカしい……。
「えっと……それで、リシャスさん、ここは一体……?」
コリックは私の顔を窺いながら訊ねてきた。
……全く、少しは察したらどうだ?
「ここは島の中心部に位置する私の館だ」
「島の中心部……あ!そうだ!」
突然、コリックは何かを思い出した様子で声を上げた。不覚にも、私は後方へ仰け反ってしまった。
「あの、キッド船長は!?シャローナさんはどこへ!?」
……キッド?シャローナ?ああ、あの二人の事か。
「二人の行方は分からん。私が助けたのは、貴様だけだからな」
私の言葉に、コリックは一瞬目を丸くした。
「あの……助けたって……もしかして、あなたが……あのゾンビから?」
「……ああ……」
恐らく、私が手を上げた事にも気付いただろう。あの時、意識を失わせる事ができるのは私しかいない。流石に、手荒な真似をされた上に、否応無しに此処まで連れてかれたら、怒りも頂点に達するだろう。
私は、飛びかかるであろうコリックの言葉に備えた……が、
「ありがとうございます!助けてくれて、本当にありがとうございます!」
「なっ……!」
コリックから出た信じられない言葉に、私は思わず驚いてしまった。
「何故礼を言うんだ!?私は貴様に手を上げた上に、無理矢理ここまで連れ去ったんだぞ!?」
身を乗り出して食ってかかる私に対し、コリックは笑顔のまま答えた。
「でも、あなたは見ず知らずの僕を助けてくれたんです。おまけに看病までしてくれて嬉しいです!」
どうなっているんだ、この少年は!?短絡的にも程がある!
……いや、おかしいのは私の方だな。コリックに礼を言われて、嬉しく思っている自分がいる……。
本当に、私はどうなったと言うのだ……。
「それで……助けて貰っておいて、こんな事を言って申し訳ないのですが、西の海岸までの道のりを教えてくれませんか?そこに、キッド船長の船が停泊しているのですが……」
コリックの言葉を聞いた途端、私の中に、コリックを帰らせたくないと言う想いが募ってきた。そして、不覚にもこのような偽りの戯言を述べてしまった。
「教えてやっても構わんが、今は外に出ない方が良い。あのゾンビたちが、貴様を探して徘徊しているからな」
「……そうですか……」
コリックはガックリと肩を落としてしまった。その様子を見た途端、私の心が酷い痛みに苛まれてしまった。
本当は、ゾンビたちは再び地中へと眠って行った。だが、私が嘘を付いてしまったせいで、コリックを傷付けてしまった……。
罪悪感に駆られた私は、性にも合わずに、この様な事を口走ってしまった。
「まぁ、その……暫くここにいれば、貴様の連れが訪ねて来るだろう。それまでに、お茶でもしないか?」
「え!?良いんですか!?」
私の言葉に、コリックは元気を取り戻したかの様に明るい笑顔を見せた。その笑顔を見た瞬間、私の心は、次第に温かくなってきた。
私は、何故このような人間の少年を気に掛けているんだ?
まさか、これが…………そうなのか?
「ところで、貴様は何故この島に来た?」
互いにテーブルを挟むように座り、アールグレイの紅茶を啜り、私は向かい側に座るコリックに訊いた。
周辺の国から、この島は危険地帯と警戒されており、私が住み着いてからも、今まで人間が訪れる事は無かった。それなのに、何故コリックがこの島に来たのか気がかりでならなかった。
「はい、僕はキッド船長と、その仲間たちと共に旅をしているのです。海を渡っている内にこの島を見つけた僕たちは、この島を探索する事になったのです」
コリックは紅茶を啜ってから答えた。
キッドと言うのは、先ほど共にいた青年の事か。あれ程若いのにも関わらず、船長と言う重要な役割を担うとは、それだけの実力があるようだ。
「貴様の船長はどんな人物なんだ?」
「キッド船長は凄い人なんです!強くて、カッコよくて、仲間想いで、僕の憧れの人なんです!僕も何時か、キッド船長みたいに頼れる海賊に……」
コリックは目を輝かせながら無我夢中で語り出した。
……ん?
「…………海賊だと?」
私が呟くと、コリックは慌てて両手で口を塞いだ。
もう遅い。確かに『海賊』と言う言葉を聞いた。
「貴様は……海賊なのか?」
「…………はい」
「貴様の船長もか?」
「…………はい」
「今、この島に海賊が上陸しているのか?」
「…………はい」
私が問う度に、コリックは縮こまりつつも頷いて肯定した。
「……上陸するのは構わんが、こんな島には金になる様な宝など一つも無いからな」
「え?」
私の言葉に、コリックはポカンとした表情を浮かべた。
「追い出されるとでも思ったか?貴様らが来たところで、奪われて困る物など一つも無い。探索したいのであれば、好きにすればいい。尤も、私に刃向かうと言うのであれば、容赦なく殲滅してやるがな」
私が言った通り、この島には宝なんて物は存在しない。それに、下等な人間どもが上陸してきたところで、私にとって困る様な事など起きない。
「……あはは……リシャスさんには敵わないですね……」
コリックはこめかみを撫で、苦笑いを浮かべながら言った。
その可愛らしい仕草を見ている内に、私の心は…………って、何故だ!?私は何故ときめく!?
「えっと……僕の方からも、幾つか質問してもいいですか?」
私が自分自身の心に戸惑っていると、コリックの方から話を切り出した。
「この館には、リシャスさん以外の方は住んでいないのですか?」
「……ああ、この島に来てから1年間、独りで暮らしている」
私以外に、この館に住んでいる者など一人もいない。以前は誰かが住んでいたのだろうが、私が初めて館に入った時には誰もいなかった。恐らく、この館の元主は亡くなったか、どこか別の島へ移り住んだのであろう。
「1年間も……たった独りで……?」
コリックは不思議そうな目で私をまじまじと見つめた。
「……そんな目で見るな!哀れんでいるのか?ならば余計な御世話だ!」
コリックの瞳に耐えられなくなった私は、不覚にも声を荒げてしまった。哀れんでいない事など分かっている。だが、今の私をそんな目で見るなんて我慢ならない。
自ら全てを捨てた、孤独な私を…………。
「ご、ごめんなさい!哀れんでいるなんて、そんな…………ただ、寂しくないのですか?」
コリックは必死になって私を宥めた。
…………寂しい……か……。
「……寂しくないと言ったら……嘘になる……だが…………仕方の無い事だ……自ら選んだ道なのだからな」
そう答えた瞬間、あの頃の記憶が脳裏を過った。
『下等な生き物』だった私が、『本物の貴族』に生まれ変わるまでの、拭い切れない忌々しい記憶が…………。
「……あの……」
突然、コリックが勇気を振り絞った様子を見せながら、話しかけてきた。
「もし……嫌でなければ……聞かせてくれませんか?」
「……何をだ?」
「…………リシャスさんの……過去を…………」
「…………」
『貴様に語ってやる過去など無い!』
普段の私なら、こう言って拒否しただろう。だが、不思議な事に、コリックの頼みに対しては拒否する気にはなれない。いや、むしろ聞いて欲しい。そんな想いが芽生えていた。
「……その前に、一つ確認しておこうか」
過去を語る前に、一つ確認しておきたい事があった。これは過去を語る上で踏まえておきたい点でもある。もし、コリックが気付いてないのであれば教えてやればいいだけの事だ。
「貴様は……私が何者か気付いているか?」
「え?何者かって……?」
コリックはキョトンとした表情を見せた。それに対し、私は答えやすくなる様に補足する。
「貴様から見て……私は人間に見えるか?それとも、魔物に見えるか?」
「……えっと……失礼ですけど……魔物ですよね?」
ほう、そこまでは分かっているようだ。だが、本題はここからだ。
「そうだ、では、私は魔物で言うと……どんな名前の魔物か分かるか?」
「……えっと……分かりません」
コリックは正直に頭を下げて謝った。
……まぁ、良いだろう。素直に謝った故に、察しの悪いところは咎めないでおくか。
「……私は……ヴァンパイアだ」
「……えぇ!?そうなんですか!?」
コリックは驚きの声を上げた。だが、驚いたと言っても、怖がったり、怯えた様子は見せなかった。
「……これを見ろ」
私は大きく口を開いて、ヴァンパイア特有の牙を見せつけた。それに対し、コリックは興味津津と私の牙を眺めた。
……コリックは、私が怖くないのか?鋭い牙を見せているのに、怯えないのか?
「……話に戻るぞ」
私は一旦口を閉じて、コホンと咳払いをしてから話を切り出した。それに対し、コリックは慌てて姿勢を正して私の話に耳を傾けた。
「……私はかつて、とある国の貴族として産まれ、厳しい教育の下、国に相応しい貴族とされるべく育てられた。その時の私は、より優秀な貴族になるために、多くのしきたりに縛られ、特別な事情でも無い限り外出を禁じられ、友人は両親が用意した者でしか接する事ができなかった。更に、婚約者まで用意されたが、そこに私の意見が通される余地は無かった」
私は、あの頃の記憶を辿りながら話した。
「そんな日々を送る度に、私は自問自答に駆られた。『このままで良いのか?私の人生は、全て人に決められた通りのままで良いのか?』と……。そんなある日、私の前に一人の魔物が……ヴァンパイアが現れた」
ふと、私の脳裏にあのヴァンパイアの姿が浮かんだ。
あの人は、元気にしているだろうか……?
一瞬そう思ったが、私はすぐに話を続けた。
「当時、私が住んでいた国は反魔物国家だった為、初めて魔物を見た時は恐怖に駆られた。『魔物に殺される!』と、しかし、その時ヴァンパイアは想定外の事を言い出した。『あなたを自由にしてあげる』と……」
すると、コリックは何かに気付いたのか、息を呑んで私を見た。
……気付いた様だな……だが、話はまだ終わってない。
「ヴァンパイアは、私の首筋に噛みつき、血を吸って私を生まれ変わらせた。私を……自分と同じ……ヴァンパイアに……」
そう、私は人間だった。だが、あの日を機に私はヴァンパイアとして生まれ変わった。人間と言う、固い殻を破る事ができた……。
「ヴァンパイアに変化した時、私は気付いた。『私は生まれ変わった。欲望の塊で出来ている下等な人間から、誇り高きヴァンパイアに変わる事ができた』と……そして、私は全てを捨てる決心をした。親元を飛びだし、宛ても無いまま海を渡った。その後は……見ての通りだ」
コリックは呆然としていたが、すぐに笑顔になって言いだした。
「あの……話してくれてありがとうございます」
……ありがとう……だと……?
「リシャスさんが自分の過去を話してくれて嬉しいです。何と言うか……リシャスさんとの距離が縮まった気がして……僕の思い込みかもしれませんけど…………」
距離が縮まった……。
そう思った瞬間、私の心が温かくなるのを感じた。それと同時に、私の中に欲求が湧きあがってきた。コリックの血を吸いたいと…………。
「……何故だ……」
私は欲求を必死に抑えて声を振り絞った。
「何故……そこまで私と親しくなろうと…………うっ!」
欲求を抑えるのに力み過ぎたせいで、私は椅子から転げ落ちてしまった。
私は、今まで人間の血など吸った事が無かった。ヴァンパイアは人間の血液を好物としているが、ほんの少し残っている人間としての理性が、血を吸う事を拒絶していた。だが、コリックを見ている内に、その理性も限界が来た様だ。今は、コリックの血が吸いたくて堪らない……!
「リ、リシャスさん!大丈夫ですか!?」
「来るな!」
慌てて椅子から降りて駆け寄ろうとしたコリックを、私は跪きながら大声を上げて拒否した。
「速く館から出て行け!さもなくば、貴様の血を吸ってやる!」
これ以上近付かれては、欲望を抑えきれずにコリックを襲ってしまう。ここまで親しく接してくれるコリックに怖い思いをさせたくなかった。口調こそ乱暴な物だが、コリックを逃がしたいが故の手段だ。
頼む……逃げろ……逃げてくれ!
だが、コリックは想定外の行動に出た。
「……リシャスさん……僕の血で良ければ……吸ってください!」
「!?」
コリックは私に抱きついてきた。牙が届く距離まで首筋が近付いてる。
「貴様、何をしている!?逃げろと言ってるだろ!」
「嫌です!逃げません!」
「何故だ!何故逃げない!?私は、貴様の血を欲しているのだぞ!」
「僕の血が欲しいのなら、喜んで差し上げます!」
必死に欲求を抑えつつ声を荒げる私に対し、コリックは腕の力を強めてきた。
どうして……どうして言う事を聞いてくれないんだ!
「どうして……どうして……!」
「こんなに苦しんでいるのに、見捨てるなんてできません!それに、僕は逃げたくない!リシャスさんに、寂しい想いをさせたくない!」
「!!」
コリックの言葉を聞いた瞬間、全身の力が抜けていく感覚に包まれた。
「僕……分かってました……!リシャスさんは、今までずっと寂しかったんだって!1年間もこんな大きな館に、それも独りで生きていたら、誰だって寂しくなりますよ!」
コリックは、更に抱きしめる力を強めて言い続けた。
「僕なんか、何の役にも立たないかもしれないけど、それでもリシャスさんに寂しい想いをさせたくないんです!僕の血を吸って気が満たされるのなら、我慢しないで吸ってください!」
……コリックは……本気で私を助けようとしてくれている……!私を……孤独から救おうとしてくれている……!だが……!
「何故……そこまでして……!」
私の問いかけに対するコリックの答えは、信じがたいものだった。
「……好きだから……」
「……え?」
「出会っていきなり……こんな事を言うのも変かもしれないけど…………リシャスさんの事が……好きになったから……」
「………………!!」
「とても綺麗で……見ず知らずの僕を助けてくれる優しいリシャスさんが……好きだから…………」
……コリックが……私の事を……!?
……嬉しい……嬉しい!
その時、私はやっと自分自身の気持ちに気付いた。
私も……会った時から…………コリックの事が……!
もう……我慢できない!
「コリック……許せ!」
私は、欲求に支配されるがままに、コリックの首筋に噛み付いた。
すると、私は今まで感じた事の無い感覚に包まれた。口の中に血が注がれる時、脳がとろける程の快感が全身に走る。
この快感を、ずっと感じていたい……!
「……はぁ……」
名残惜しく思いながらも、私は自ら牙を放した。口の中に、今まで味わった事のない極上の味が広がっている。私は、口に堪った血を飲み干した。
「……落ち着きましたか?」
首筋から少量の血を垂らしたまま、コリックは優しく微笑んだ。その笑顔を見た瞬間、私の目から涙が溢れ出てきた。
これは、悲しみからでも、怒りからでも、悔しさからでもない。嬉しさから出た涙だ。
初めて……人から愛された……初めて……愛する人に助けられた……!
そう思った瞬間、今度は私からコリックを抱きしめた。
「……怖い想いをさせて……すまなかった…………!」
涙ながらに謝る私の頭を、コリックは優しく撫でた。
「怖くなかったですよ……その……気持ちよかったです……」
コリックは照れ臭そうに言った。そして私は、コリックの瞳を見つめて言った。
「コリックに出会った時に……私の心はときめいた……そして今……コリックが助けてくれた時……やっと私は気付いた……これが…………恋なのだな……」
私はもう…………この愛おしさを抑える事ができなかった。
「コリック……好きだ!愛してる!」
私はコリックの唇に貪り付いた。そのまま舌を入れてコリックの口内を舐めまわした。初めてのキスは、蕩ける程甘く感じた。
「むぅ!?ん、んん……あぁ……」
唇を離した時、コリックの顔は真っ赤に染まっていた。
その恥ずかしがってる顔を見た途端、愛おしさが増幅し、私はコリックを抱きしめた。
「頼む…………ずっと傍にいてくれ……!独りは嫌だ……!この孤独には……もう……耐えられない……!」
「……リシャスさん……」
コリックと一緒にいたい……!離れたくない……!
そう思うと、両目から溢れ出る涙が止まらなくなる。コリックは、そんな私の背中を擦ってくれた。私より小さい手で、優しく、何度でも…………。
私は……コリックと一緒にいたい!だが、コリックは海賊として旅をしている身分。何時か必ずこの島を出て行ってしまう。
嫌だ……嫌だ……!それだけは…………嫌だ!
「コリックー!!無事か!?いたら返事をしてくれ!!」
突然、エントランスホールから男の声が聞こえた。
この声、聞き覚えがある!先ほどまでコリックと一緒にいた青年の声だ!
まさか…………!
「キッド船長だ!迎えに来てくれたんだね!」
コリックの歓喜の声により、私の予感が的中した事を確信した。
キッド……コリックが所属してる海賊団の船長……!コリックを連れ戻しに来たのか!
「キッド船tむぐぅ!?」
声を上げて答えようとするコリックの口を、私は手で塞いだ。
「ん、んむぅ!?」
コリックは口を塞がれたまま抗議している。
本当に申し訳ないが、私は、こうするしかない。この孤独を埋める為には、こうするしか……!
「コリック……お前はもうすぐ私と一緒にいられるんだ……それまで……少しの間、眠ってくれ…………許してくれ!」
私は、腰に携えているレイピアの柄の部分をコリックの脳天に叩き落とした。
「うっ!」
コリックは気を失い、私の方へ倒れ込んだ。私は、コリックが床に倒れない様に身体を支えた。それと同時に、愛する人を傷付けてしまった心の痛みが私を襲った。
コリックは何も悪くない、それは分かっている。だが、私たちが一緒にいる為には、こうするしかなかった。目の前で、人を殺す姿を見せたくなかったから……!
私はコリックを抱きかかえ、起こさない様に優しくベッドに寝かせた。
私は、もう孤独ではない……コリックと言う、かけがえの無い大切な人と出会う事ができた。私は、コリックと共に生きていく、そう決めた。
だが、このままではコリックは連れて行かれてしまう……!
あのキッドとか言う人間の男が率いる海賊の仲間として、この島から出て行ってしまう……それだけは嫌だ、絶対に!
…………そうだ…………あいつらは敵だ!
私とコリックを離れ離れにさせようとする憎き敵だ!
コリックは渡さない!私の愛する人だけは絶対に渡さない!
あいつらは……私が殺す……この手で……殺してやる!!
決意を固めた私は、敵がいるエントランスホールに向かった。
そして私は、最初のターゲットになる敵の名前を呟いた。
「まずは手始めに……貴様から死ね……!海賊団船長、キッド!!」
テラスで霧に覆われている空を眺めている内に、無意識にも溜め息を吐いてしまった。
故郷を飛び出し、彷徨った末に見つけた、この廃墟と化した館に住み着いて早1年は経った。いくら手を施しても消えそうにない汚れが目立ったり、歩く度に床が軋む音が響いたりと、住居としては至らないところが多々あるものの、1年も住み着いてしまえば非常に安らぐ場所となった。
今のところ、此処から10分程度飛んだ所に小さな国がある為、食料や日用品にも困らない、不自由の無い暮らしを送る事ができている。ただ、この不自由の無い暮らしには、孤独を感じていた。この孤独が、私を喪失感に苛まれる事を幇助していく。
「……はぁ……」
これで何度目だろうか、又しても溜め息を付いてしまった。
……このままではノイローゼになりかねない。気晴らしに、空中散歩でもするか。
私は、魔力で背中に巨大な黒い翼を生えさせ、夜空へと飛び出た…………。
************
「……おい、大丈夫か、コリック?」
「ハ、ハ、ハイ!だ、大丈夫です!」
暗い森の中を歩いている最中、キッド船長の呼びかけに対し、僕は自分なりに威勢の良い返事を返した。
でも、情けない事に、声が震えているのが自分でも分かる。ついでに、体中も震えている。
「おいおい……震えっぱなしじゃないか?怖いのは分かるが、怖がり過ぎるのも考えものだぞ。お前は今日、記念すべき初上陸を果たしたんだ。せっかくの冒険なんだから、楽しんで行こうぜ」
「だ、だ、大丈夫です!怖くないです!これは、武者震いです!全く持って、問題無いです!」
「武者震いねぇ…………」
キッド船長に余計な心配をかけないように虚勢を張って見せたが、そんな僕に対し、船長は怪訝な顔をした。
やっぱりキッド船長には全てお見通しのようだ。初めての上陸で良いところを見せようと思ったのに、我ながら情けない……。
すると、僕の隣から同行しているシャローナさんがサキュバスのしっぽを振りながら励ます様に話しかけてきた。
「そんなに怖がらなくても大丈夫よ。私と船長さんが一緒にいるんだから、気楽に行きましょ」
魅力的なウインクをするシャローナさんが頼もしく見えた。
確かに、キッド船長は強くて頼もしい。シャローナさんは船医だから、もしも怪我をした時は助けてくれる。海賊でありながら、半人前の僕にとって、これ程心強い人たちが一緒にいてくれるだけでもありがたい。
なんだか、気が楽になってきた。
「お!いい顔を見せてきたな。そうそう、その感じでもっと冒険を楽しもうぜ!」
船長は大きな手で僕の小さい背中を叩いてきた。
憧れのキッド船長に勇気付けられた!
そう思うと、僕の心は完全に躍った。そして、足取りが軽くなり、怖いと言う感じが全て吹き飛んだ。
よーし!頑張ってキッド船長に褒めて貰うぞ!
「あら、そろそろ抜けられそうね」
僕が心の中で気合を入れていると、周りに立っていた木々が少なくなってきた。シャローナさんが言った通り、もうすぐ森から出られそうだ。
何があるんだろう?ワクワクするなぁ!
この先に待っている冒険に期待を膨らませながら、僕たちは森を抜けた。
すると…………。
「……うわぁ!」
「なっ!」
「嘘……!」
僕は、期待とは大きくかけ離れた光景に思わず悲鳴を上げてしまった。キッド船長とシャローナさんも、この光景に目を見開いている。それもその筈、僕たちが目にしたのは…………。
「……これって…………お墓…………?」
僕たちの前には、古く錆びついたお墓が立っていた。それも、一つだけじゃない。数え切れない程の墓が、丁寧に列を作って並んでいる。あまりにもおぞましい光景に、僕の足は竦んでしまった。
「……不気味だな…………この島に何が起きたんだ?」
「なんだろう……とても禍々しい気を感じるわ……」
キッド船長とシャローナさんも、驚きながら言った。
「……今日は散々ね……まさか、初めての上陸でこんな怖いものを見る羽目になるなんて……」
シャローナさんが苦笑いを浮かべて話しかけてきた。
僕も、まさかこんな光景を見てしまうなんて思ってもいなかった。僕はもう少し、まともな光景を想像してたのに……。
……って、あれ!?
「キ、キッド船長!?」
僕が肩を落としていると、キッド船長は墓に向かって歩き出した。
無数の墓を前にして、キッド船長は怖くないの!?
「ほら、もたもたしてると置いてくぞ!何時までも怖がってちゃ、進めないぞ!」
キッド船長は片手を振って僕たちに来る様に促した。
やっぱり、キッド船長は頼もしいなぁ……僕なんか、怖くて足が震えてるのに……。
「……しょうがない人ね」
シャローナさんは、半ば呆れながらもキッド船長の後を追った。
「わわっ!待ってください!」
ここに置いてけぼりにされるのは嫌だ!
僕は慌てて二人の下へ追い付き、共に墓の前で立ち止まった。
……でも……やっぱり怖い……何か出てきそうだ…………。
「にしても、墓のあり様から見ると、どれもだいぶ前に立てられた様だな」
キッド船長が墓を見渡しながら呟いた。
確かに、どの墓も錆びついてて、刻まれている文字も汚れによって読めない。長い間、誰にも手を出されずに立っていたようだ。
「ん?」
突然、キッド船長が辺りを見渡しながら言った。
「おい、何か音が聞こえなかったか?」
……え?音?
僕は周りを見てみたが、墓以外の物は何も見えなかった。
「もう、船長さん!脅かさないでよ!」
「嘘じゃねぇよ!本当に聞こえたんだ!」
キッド船長はシャローナさんの抗議を否定した。
キッド船長がこんな下らない悪ふざけをするとは思えない。
と言う事は……。
「…………あぁ〜…………」
「「!!?」」
突然、呻き声が聞こえた。僕たちは声が聞こえる方向へ向き直った。
その先には…………!
「……オトコ…………」
「……オトコ……オトコ……」
墓の中から、次々と人間の手が飛び出て来た。やがて手が支える様に地面に着くと……。
「オトコォ……欲しい……欲しい……オトコォ!」
「うわぁぁぁぁぁ!!」
思わず悲鳴を上げてしまった。
墓の中から、次々と女の人が這い上がってきた!肌は青く、目は虚ろで、身体の至る所に包帯が巻かれている。
この人たちは人間じゃない!この信じられない光景を見た瞬間、僕は確信した。
「船長さん!この子たちは……!」
「ああ、間違いない!こいつらは墓に眠っていたゾンビだ!」
キッド船長の言葉に、僕はハッと思いだした。
確か、人間の死体に魔力が宿る事によって動き出す魔物で、必要以上に人間の男の精に執着するらしい。
と言う事は、このゾンビたちは僕とキッド船長を……!
まてよ……キッド船長は既にシー・ビショップであるサフィアさんと夫婦になっている。魔物には、既に別の魔物の夫になっている男には襲わない暗黙の了解がある。
と言う事は……まさか……まさか!
「オトコォ……こっち……来てぇ!」
「オトコォ、オトコォ……オトコォ!」
「うわあ!」
嫌な予感は的中してしまった。ゾンビたちはキッド船長には全く興味を示さず、僕に向かって手を伸ばしながら歩いてきた。
「くそっ!こいつらの狙いは、やっぱりコリックか!」
ゾンビたちの狙いは僕だと言う事が、キッド船長も既に気付いていた様だ。
ゾンビたちは、遅い動作で僕たちとの距離を詰めてくる。
「二人とも、ここは一旦船に戻るぞ!」
キッド船長の言葉を合図に、僕たちは来た道を引き返す様に後ろへ逃げ出した。
しかし!
「オトコォ……!」
「…………オトコ……来い……!」
僕たちの前に、地面から別のゾンビが徐に這い上がってきた。慌てて僕たちは足を止めて、ゾンビとの衝突を免れた。しかし、これで完全に逃げ場を失ってしまった。僕たちの周りには、無数のゾンビたちが取り囲んでいる。
「オトコ……精……欲しい……」
「来い……オトコォ……来い……!」
ゾンビたちは、徐々に僕たちを追い詰めてくる。
どうしよう……このままじゃ……!
「二人とも、目を閉じて!」
突然、シャローナさんが右手を天に向かって高々と上げた。すると、シャローナさんの手の平から眩い光が放たれた。
「あぁぁあ!!」
「光……イヤ……!!」
ゾンビたちは、両手で目を抑えてもがき苦しんだ。
そうか!ゾンビたちは地面に潜っていたから、急に光を差されて怯んだのか!
「よくやってくれた!よし、逃げるぞ!」
僕たちはゾンビたちの間を掻い潜り、森の中へ逃げ込んだ。その後も、僕たちは船に向かって一目散に逃げ続けた。何も考えずに、ひたすらに……!
「うっ!」
突然、僕の頭に強い痛みが走った。あまりの痛さに、僕は足を止めてその場で蹲ってしまった。その瞬間、意識が徐々に遠のく感覚に包まれた。
これは……何……?僕は……一体……どうしたんだ……?
「おい、コリック!どうした!?」
蹲ってる僕に気付いたキッド船長は、慌てて僕に駆け寄ろうとしたが……。
「!?」
突然、僕の身体は空に向かって高く浮かんだ。
いや、まるで腕か何かに掴まれて浮いてる感じがした。その最中にも、僕の意識は消えていく…………。
キッド船長……シャローナさん……二人だけでも……逃げて……!
「コリックー!!!」
意識が完全に消える直前に、キッド船長の叫び声が頭に響いた………………。
************
……何故……私はこんな事を……?
客室にて、私は椅子に座ってベッドに横たわる少年を看取りながら自分自身に問いかけた。
空中を散歩している最中、悲鳴声を聞いた私は、咄嗟に声が聞こえた場所まで飛んだ。そこで見たのは、なんとも奇妙な光景だった。二人の人間の男と一人のサキュバスが、無数のゾンビたちに詰め寄られていた。一人の男は、背が高く、腰に長剣とショットガンを携えた青年。サキュバスは、青い長髪に白衣らしき衣服を来た風貌をしていた。
そして、今私の前で横たわっている少年も、ゾンビに襲われていた被害者の一人だった。背は私より低く、幼い顔立ちをしている。だが、私は何故この少年を連れ去ったか、自分でも分からなかった。
ただ……理由は分からないが、空からこの少年を見ている内に、助けたいと言う気持ちが湧き上がってきた。
自分の住みかへ連れて行きたいと思い、暴れないように軽く脳天に衝撃を与え、気絶させてから此処へ連れてきてしまった。この時、自分の中で、今まで感じた事の無い感情が出てきた様な気がした。私とは違って下等な人間である筈なのに、この少年を見ていると、心がときめく気がする。
私は何を考えているんだ?この気持ちは、一体何だと言うのだ?
全く……どうかしている…………。
「……う…………うぅ……」
考え事をしていると、少年から呻き声が聞こえた。
「ううん…………ん……あ、あれ……?」
どうやら、目が覚めた様だな。
少年は徐に瞼を開け、ゆっくりと上半身を起こした。
「気が付いた様だな」
「わわっ!」
急に声をかけられた少年は、身体をビクッと跳ねらせて私を見てきた。
なんだ……幼い見た目通り、小心者だな。
「あ、あの、ここは?と言うか、あなたは?」
少年は戸惑いながら私に訊いてきた。
なんだ……こうして見ると、中々可愛い容姿だな……じゃなくて!
「名前を尋ねるなら、自分から名乗るのが礼儀だろう?」
冷静さを取り戻した私は、威厳を放ちながら言い返した。
くっ!何故だ!?この少年を見ていると調子が狂う!
「は、はい、僕はコリックと言います」
コリックと名乗った少年はペコリと頭を下げた。
それなりに礼儀は弁えているようだ。
「それで……あなたは?」
コリックから名乗る事を催促された私は咳払いをしてから答えた。
「……リシャス」
……名乗るのに、何故ここまで恥ずかしく思うのだ?バカバカしい……。
「えっと……それで、リシャスさん、ここは一体……?」
コリックは私の顔を窺いながら訊ねてきた。
……全く、少しは察したらどうだ?
「ここは島の中心部に位置する私の館だ」
「島の中心部……あ!そうだ!」
突然、コリックは何かを思い出した様子で声を上げた。不覚にも、私は後方へ仰け反ってしまった。
「あの、キッド船長は!?シャローナさんはどこへ!?」
……キッド?シャローナ?ああ、あの二人の事か。
「二人の行方は分からん。私が助けたのは、貴様だけだからな」
私の言葉に、コリックは一瞬目を丸くした。
「あの……助けたって……もしかして、あなたが……あのゾンビから?」
「……ああ……」
恐らく、私が手を上げた事にも気付いただろう。あの時、意識を失わせる事ができるのは私しかいない。流石に、手荒な真似をされた上に、否応無しに此処まで連れてかれたら、怒りも頂点に達するだろう。
私は、飛びかかるであろうコリックの言葉に備えた……が、
「ありがとうございます!助けてくれて、本当にありがとうございます!」
「なっ……!」
コリックから出た信じられない言葉に、私は思わず驚いてしまった。
「何故礼を言うんだ!?私は貴様に手を上げた上に、無理矢理ここまで連れ去ったんだぞ!?」
身を乗り出して食ってかかる私に対し、コリックは笑顔のまま答えた。
「でも、あなたは見ず知らずの僕を助けてくれたんです。おまけに看病までしてくれて嬉しいです!」
どうなっているんだ、この少年は!?短絡的にも程がある!
……いや、おかしいのは私の方だな。コリックに礼を言われて、嬉しく思っている自分がいる……。
本当に、私はどうなったと言うのだ……。
「それで……助けて貰っておいて、こんな事を言って申し訳ないのですが、西の海岸までの道のりを教えてくれませんか?そこに、キッド船長の船が停泊しているのですが……」
コリックの言葉を聞いた途端、私の中に、コリックを帰らせたくないと言う想いが募ってきた。そして、不覚にもこのような偽りの戯言を述べてしまった。
「教えてやっても構わんが、今は外に出ない方が良い。あのゾンビたちが、貴様を探して徘徊しているからな」
「……そうですか……」
コリックはガックリと肩を落としてしまった。その様子を見た途端、私の心が酷い痛みに苛まれてしまった。
本当は、ゾンビたちは再び地中へと眠って行った。だが、私が嘘を付いてしまったせいで、コリックを傷付けてしまった……。
罪悪感に駆られた私は、性にも合わずに、この様な事を口走ってしまった。
「まぁ、その……暫くここにいれば、貴様の連れが訪ねて来るだろう。それまでに、お茶でもしないか?」
「え!?良いんですか!?」
私の言葉に、コリックは元気を取り戻したかの様に明るい笑顔を見せた。その笑顔を見た瞬間、私の心は、次第に温かくなってきた。
私は、何故このような人間の少年を気に掛けているんだ?
まさか、これが…………そうなのか?
「ところで、貴様は何故この島に来た?」
互いにテーブルを挟むように座り、アールグレイの紅茶を啜り、私は向かい側に座るコリックに訊いた。
周辺の国から、この島は危険地帯と警戒されており、私が住み着いてからも、今まで人間が訪れる事は無かった。それなのに、何故コリックがこの島に来たのか気がかりでならなかった。
「はい、僕はキッド船長と、その仲間たちと共に旅をしているのです。海を渡っている内にこの島を見つけた僕たちは、この島を探索する事になったのです」
コリックは紅茶を啜ってから答えた。
キッドと言うのは、先ほど共にいた青年の事か。あれ程若いのにも関わらず、船長と言う重要な役割を担うとは、それだけの実力があるようだ。
「貴様の船長はどんな人物なんだ?」
「キッド船長は凄い人なんです!強くて、カッコよくて、仲間想いで、僕の憧れの人なんです!僕も何時か、キッド船長みたいに頼れる海賊に……」
コリックは目を輝かせながら無我夢中で語り出した。
……ん?
「…………海賊だと?」
私が呟くと、コリックは慌てて両手で口を塞いだ。
もう遅い。確かに『海賊』と言う言葉を聞いた。
「貴様は……海賊なのか?」
「…………はい」
「貴様の船長もか?」
「…………はい」
「今、この島に海賊が上陸しているのか?」
「…………はい」
私が問う度に、コリックは縮こまりつつも頷いて肯定した。
「……上陸するのは構わんが、こんな島には金になる様な宝など一つも無いからな」
「え?」
私の言葉に、コリックはポカンとした表情を浮かべた。
「追い出されるとでも思ったか?貴様らが来たところで、奪われて困る物など一つも無い。探索したいのであれば、好きにすればいい。尤も、私に刃向かうと言うのであれば、容赦なく殲滅してやるがな」
私が言った通り、この島には宝なんて物は存在しない。それに、下等な人間どもが上陸してきたところで、私にとって困る様な事など起きない。
「……あはは……リシャスさんには敵わないですね……」
コリックはこめかみを撫で、苦笑いを浮かべながら言った。
その可愛らしい仕草を見ている内に、私の心は…………って、何故だ!?私は何故ときめく!?
「えっと……僕の方からも、幾つか質問してもいいですか?」
私が自分自身の心に戸惑っていると、コリックの方から話を切り出した。
「この館には、リシャスさん以外の方は住んでいないのですか?」
「……ああ、この島に来てから1年間、独りで暮らしている」
私以外に、この館に住んでいる者など一人もいない。以前は誰かが住んでいたのだろうが、私が初めて館に入った時には誰もいなかった。恐らく、この館の元主は亡くなったか、どこか別の島へ移り住んだのであろう。
「1年間も……たった独りで……?」
コリックは不思議そうな目で私をまじまじと見つめた。
「……そんな目で見るな!哀れんでいるのか?ならば余計な御世話だ!」
コリックの瞳に耐えられなくなった私は、不覚にも声を荒げてしまった。哀れんでいない事など分かっている。だが、今の私をそんな目で見るなんて我慢ならない。
自ら全てを捨てた、孤独な私を…………。
「ご、ごめんなさい!哀れんでいるなんて、そんな…………ただ、寂しくないのですか?」
コリックは必死になって私を宥めた。
…………寂しい……か……。
「……寂しくないと言ったら……嘘になる……だが…………仕方の無い事だ……自ら選んだ道なのだからな」
そう答えた瞬間、あの頃の記憶が脳裏を過った。
『下等な生き物』だった私が、『本物の貴族』に生まれ変わるまでの、拭い切れない忌々しい記憶が…………。
「……あの……」
突然、コリックが勇気を振り絞った様子を見せながら、話しかけてきた。
「もし……嫌でなければ……聞かせてくれませんか?」
「……何をだ?」
「…………リシャスさんの……過去を…………」
「…………」
『貴様に語ってやる過去など無い!』
普段の私なら、こう言って拒否しただろう。だが、不思議な事に、コリックの頼みに対しては拒否する気にはなれない。いや、むしろ聞いて欲しい。そんな想いが芽生えていた。
「……その前に、一つ確認しておこうか」
過去を語る前に、一つ確認しておきたい事があった。これは過去を語る上で踏まえておきたい点でもある。もし、コリックが気付いてないのであれば教えてやればいいだけの事だ。
「貴様は……私が何者か気付いているか?」
「え?何者かって……?」
コリックはキョトンとした表情を見せた。それに対し、私は答えやすくなる様に補足する。
「貴様から見て……私は人間に見えるか?それとも、魔物に見えるか?」
「……えっと……失礼ですけど……魔物ですよね?」
ほう、そこまでは分かっているようだ。だが、本題はここからだ。
「そうだ、では、私は魔物で言うと……どんな名前の魔物か分かるか?」
「……えっと……分かりません」
コリックは正直に頭を下げて謝った。
……まぁ、良いだろう。素直に謝った故に、察しの悪いところは咎めないでおくか。
「……私は……ヴァンパイアだ」
「……えぇ!?そうなんですか!?」
コリックは驚きの声を上げた。だが、驚いたと言っても、怖がったり、怯えた様子は見せなかった。
「……これを見ろ」
私は大きく口を開いて、ヴァンパイア特有の牙を見せつけた。それに対し、コリックは興味津津と私の牙を眺めた。
……コリックは、私が怖くないのか?鋭い牙を見せているのに、怯えないのか?
「……話に戻るぞ」
私は一旦口を閉じて、コホンと咳払いをしてから話を切り出した。それに対し、コリックは慌てて姿勢を正して私の話に耳を傾けた。
「……私はかつて、とある国の貴族として産まれ、厳しい教育の下、国に相応しい貴族とされるべく育てられた。その時の私は、より優秀な貴族になるために、多くのしきたりに縛られ、特別な事情でも無い限り外出を禁じられ、友人は両親が用意した者でしか接する事ができなかった。更に、婚約者まで用意されたが、そこに私の意見が通される余地は無かった」
私は、あの頃の記憶を辿りながら話した。
「そんな日々を送る度に、私は自問自答に駆られた。『このままで良いのか?私の人生は、全て人に決められた通りのままで良いのか?』と……。そんなある日、私の前に一人の魔物が……ヴァンパイアが現れた」
ふと、私の脳裏にあのヴァンパイアの姿が浮かんだ。
あの人は、元気にしているだろうか……?
一瞬そう思ったが、私はすぐに話を続けた。
「当時、私が住んでいた国は反魔物国家だった為、初めて魔物を見た時は恐怖に駆られた。『魔物に殺される!』と、しかし、その時ヴァンパイアは想定外の事を言い出した。『あなたを自由にしてあげる』と……」
すると、コリックは何かに気付いたのか、息を呑んで私を見た。
……気付いた様だな……だが、話はまだ終わってない。
「ヴァンパイアは、私の首筋に噛みつき、血を吸って私を生まれ変わらせた。私を……自分と同じ……ヴァンパイアに……」
そう、私は人間だった。だが、あの日を機に私はヴァンパイアとして生まれ変わった。人間と言う、固い殻を破る事ができた……。
「ヴァンパイアに変化した時、私は気付いた。『私は生まれ変わった。欲望の塊で出来ている下等な人間から、誇り高きヴァンパイアに変わる事ができた』と……そして、私は全てを捨てる決心をした。親元を飛びだし、宛ても無いまま海を渡った。その後は……見ての通りだ」
コリックは呆然としていたが、すぐに笑顔になって言いだした。
「あの……話してくれてありがとうございます」
……ありがとう……だと……?
「リシャスさんが自分の過去を話してくれて嬉しいです。何と言うか……リシャスさんとの距離が縮まった気がして……僕の思い込みかもしれませんけど…………」
距離が縮まった……。
そう思った瞬間、私の心が温かくなるのを感じた。それと同時に、私の中に欲求が湧きあがってきた。コリックの血を吸いたいと…………。
「……何故だ……」
私は欲求を必死に抑えて声を振り絞った。
「何故……そこまで私と親しくなろうと…………うっ!」
欲求を抑えるのに力み過ぎたせいで、私は椅子から転げ落ちてしまった。
私は、今まで人間の血など吸った事が無かった。ヴァンパイアは人間の血液を好物としているが、ほんの少し残っている人間としての理性が、血を吸う事を拒絶していた。だが、コリックを見ている内に、その理性も限界が来た様だ。今は、コリックの血が吸いたくて堪らない……!
「リ、リシャスさん!大丈夫ですか!?」
「来るな!」
慌てて椅子から降りて駆け寄ろうとしたコリックを、私は跪きながら大声を上げて拒否した。
「速く館から出て行け!さもなくば、貴様の血を吸ってやる!」
これ以上近付かれては、欲望を抑えきれずにコリックを襲ってしまう。ここまで親しく接してくれるコリックに怖い思いをさせたくなかった。口調こそ乱暴な物だが、コリックを逃がしたいが故の手段だ。
頼む……逃げろ……逃げてくれ!
だが、コリックは想定外の行動に出た。
「……リシャスさん……僕の血で良ければ……吸ってください!」
「!?」
コリックは私に抱きついてきた。牙が届く距離まで首筋が近付いてる。
「貴様、何をしている!?逃げろと言ってるだろ!」
「嫌です!逃げません!」
「何故だ!何故逃げない!?私は、貴様の血を欲しているのだぞ!」
「僕の血が欲しいのなら、喜んで差し上げます!」
必死に欲求を抑えつつ声を荒げる私に対し、コリックは腕の力を強めてきた。
どうして……どうして言う事を聞いてくれないんだ!
「どうして……どうして……!」
「こんなに苦しんでいるのに、見捨てるなんてできません!それに、僕は逃げたくない!リシャスさんに、寂しい想いをさせたくない!」
「!!」
コリックの言葉を聞いた瞬間、全身の力が抜けていく感覚に包まれた。
「僕……分かってました……!リシャスさんは、今までずっと寂しかったんだって!1年間もこんな大きな館に、それも独りで生きていたら、誰だって寂しくなりますよ!」
コリックは、更に抱きしめる力を強めて言い続けた。
「僕なんか、何の役にも立たないかもしれないけど、それでもリシャスさんに寂しい想いをさせたくないんです!僕の血を吸って気が満たされるのなら、我慢しないで吸ってください!」
……コリックは……本気で私を助けようとしてくれている……!私を……孤独から救おうとしてくれている……!だが……!
「何故……そこまでして……!」
私の問いかけに対するコリックの答えは、信じがたいものだった。
「……好きだから……」
「……え?」
「出会っていきなり……こんな事を言うのも変かもしれないけど…………リシャスさんの事が……好きになったから……」
「………………!!」
「とても綺麗で……見ず知らずの僕を助けてくれる優しいリシャスさんが……好きだから…………」
……コリックが……私の事を……!?
……嬉しい……嬉しい!
その時、私はやっと自分自身の気持ちに気付いた。
私も……会った時から…………コリックの事が……!
もう……我慢できない!
「コリック……許せ!」
私は、欲求に支配されるがままに、コリックの首筋に噛み付いた。
すると、私は今まで感じた事の無い感覚に包まれた。口の中に血が注がれる時、脳がとろける程の快感が全身に走る。
この快感を、ずっと感じていたい……!
「……はぁ……」
名残惜しく思いながらも、私は自ら牙を放した。口の中に、今まで味わった事のない極上の味が広がっている。私は、口に堪った血を飲み干した。
「……落ち着きましたか?」
首筋から少量の血を垂らしたまま、コリックは優しく微笑んだ。その笑顔を見た瞬間、私の目から涙が溢れ出てきた。
これは、悲しみからでも、怒りからでも、悔しさからでもない。嬉しさから出た涙だ。
初めて……人から愛された……初めて……愛する人に助けられた……!
そう思った瞬間、今度は私からコリックを抱きしめた。
「……怖い想いをさせて……すまなかった…………!」
涙ながらに謝る私の頭を、コリックは優しく撫でた。
「怖くなかったですよ……その……気持ちよかったです……」
コリックは照れ臭そうに言った。そして私は、コリックの瞳を見つめて言った。
「コリックに出会った時に……私の心はときめいた……そして今……コリックが助けてくれた時……やっと私は気付いた……これが…………恋なのだな……」
私はもう…………この愛おしさを抑える事ができなかった。
「コリック……好きだ!愛してる!」
私はコリックの唇に貪り付いた。そのまま舌を入れてコリックの口内を舐めまわした。初めてのキスは、蕩ける程甘く感じた。
「むぅ!?ん、んん……あぁ……」
唇を離した時、コリックの顔は真っ赤に染まっていた。
その恥ずかしがってる顔を見た途端、愛おしさが増幅し、私はコリックを抱きしめた。
「頼む…………ずっと傍にいてくれ……!独りは嫌だ……!この孤独には……もう……耐えられない……!」
「……リシャスさん……」
コリックと一緒にいたい……!離れたくない……!
そう思うと、両目から溢れ出る涙が止まらなくなる。コリックは、そんな私の背中を擦ってくれた。私より小さい手で、優しく、何度でも…………。
私は……コリックと一緒にいたい!だが、コリックは海賊として旅をしている身分。何時か必ずこの島を出て行ってしまう。
嫌だ……嫌だ……!それだけは…………嫌だ!
「コリックー!!無事か!?いたら返事をしてくれ!!」
突然、エントランスホールから男の声が聞こえた。
この声、聞き覚えがある!先ほどまでコリックと一緒にいた青年の声だ!
まさか…………!
「キッド船長だ!迎えに来てくれたんだね!」
コリックの歓喜の声により、私の予感が的中した事を確信した。
キッド……コリックが所属してる海賊団の船長……!コリックを連れ戻しに来たのか!
「キッド船tむぐぅ!?」
声を上げて答えようとするコリックの口を、私は手で塞いだ。
「ん、んむぅ!?」
コリックは口を塞がれたまま抗議している。
本当に申し訳ないが、私は、こうするしかない。この孤独を埋める為には、こうするしか……!
「コリック……お前はもうすぐ私と一緒にいられるんだ……それまで……少しの間、眠ってくれ…………許してくれ!」
私は、腰に携えているレイピアの柄の部分をコリックの脳天に叩き落とした。
「うっ!」
コリックは気を失い、私の方へ倒れ込んだ。私は、コリックが床に倒れない様に身体を支えた。それと同時に、愛する人を傷付けてしまった心の痛みが私を襲った。
コリックは何も悪くない、それは分かっている。だが、私たちが一緒にいる為には、こうするしかなかった。目の前で、人を殺す姿を見せたくなかったから……!
私はコリックを抱きかかえ、起こさない様に優しくベッドに寝かせた。
私は、もう孤独ではない……コリックと言う、かけがえの無い大切な人と出会う事ができた。私は、コリックと共に生きていく、そう決めた。
だが、このままではコリックは連れて行かれてしまう……!
あのキッドとか言う人間の男が率いる海賊の仲間として、この島から出て行ってしまう……それだけは嫌だ、絶対に!
…………そうだ…………あいつらは敵だ!
私とコリックを離れ離れにさせようとする憎き敵だ!
コリックは渡さない!私の愛する人だけは絶対に渡さない!
あいつらは……私が殺す……この手で……殺してやる!!
決意を固めた私は、敵がいるエントランスホールに向かった。
そして私は、最初のターゲットになる敵の名前を呟いた。
「まずは手始めに……貴様から死ね……!海賊団船長、キッド!!」
11/09/30 00:15更新 / シャークドン
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