第八話:武闘大会【決勝戦前夜】
キッドを医療班に任せ、試合場を後にした僕は、石造りの通路を進んだ。
何度目かの角を曲がり、視線を動かして、人気がない事を確認した僕は、壁に手をつき、崩れる様に片膝を着いてしまった。
「か、一磨様!!」
例え人の目がなかろうと決して地に膝を付けない僕が片膝を着くという異常な事態に、揚羽が励起してもいないのに声を上げながら姿を表し肩を抱いてきた。
「一磨様!!」
応えようにも上手く声が出せなかったので、片手を上げて意識がある事を伝える。
「……一磨様、もうこのような興じに関わるのはお止めになり、不本意ではありますが、あの行商の――」
揚羽――未だ言葉を発するには苦しいが、名を呼び、そこから先を遮る。
「僕は【禁呪眼(この目)】を下賜された時より、覚悟は出来ている。それよりも揚羽、君の方こそ、僕が励起をしてもいないのに姿を現したら、その分魂を削る事になる……早く戻るんだ……」
「出来ません。わたしもこの身を【アゲハ】に投じた時より覚悟は出来ております。医務室までわたしが――」
「私がその役を変わろう」
突然の声に振り返りながら柄に手を掛けたが、柄頭に何かを当てられ、抜刀出来ない状態にされてしまった。一瞬の交差でこれ程の卓越した技を繰れるのは、この大会でも限られるため、ある程度の予想をしつつ顔を上げ、相手を確認した。
「久方振りだな、少年」
「随分と友好的な言葉ですが、それならばこの杖をどかしてくれますか?」
「なに、君との会話をする場合には、これ位の用心は必要だからな。下手したら、振り向きざまに斬り付けられかねん」
「人をどこぞの戦闘狂と同じに捉えて欲しくないですね。これでも僕は斬るべき相手は選びます」
「それで私は斬るべき相手と判断された――っという訳かね?」
口の端を上げてそれに応える。。
「適わんな……さて、いつまでもこうしてはおれん。少年は医務室に連れて行くので、君は早く眠った方が良いぞ。……これ以上魂を消耗した場合、それを補うのは何であるか――解るだろう?」
「そ、それは……っ!! わ、解っております……解っておりますが、貴男に――」
このままでは話が進まず、悪戯に時間を費やしてしまうため、アイゼンに視線を向けたまま、揚羽の肩を軽く叩いた。
跳ねる様に反応した揚羽であったが、これ以上は本当に危険である事に気付き、眉間に皺を寄せ、下唇を噛み、向けられただけで周りの気温が数度下がる程強烈な殺意の篭った視線をアイゼンに向け、徐々にその姿が薄くなり、完璧に消えた所で、僕は肺に溜まった空気を一気に吐き出した。
「毎度思うのだが……君は側に置く相手や忠義を誓う相手を選んだ方が良いぞ……」
溜息混じりの忠告と共に差し出された手には触れず、本来なら良くない事ではあるが、刀を杖代わりにして、未だ力が入らない重い足腰を無理矢理立たせる。
「ご忠告痛み入りますが、これが僕の選んだ路であるが故、ご心配無用です」
ふぅ――っと息をゆっくりと吐き出しながら、壁に手を付いて背筋を伸ばし、アイゼンへと顔を向ける。
「さて、それでは、僕はキッドを任せている医療室に向かいますので、これにて失礼しま――」
「彼なら私が診ておいた。見事な切り口であったおかげで、治療が非常に楽であったよ」
「……この短時間でですか?」
正しくは治癒結界を施してきただがな――っと口の端を軽く上げて答えた。
重要な神経や血管を避けてたとはいえ、かなりの深さまで切り裂いたので、治癒結界程の高等治癒魔術が必要であるのは確かだし、あれを行うにはそれなりの時間を要する筈なのに、僕がここで息を整えている間に施行するとは、流石といった所か……。
完全に励起させた状態の揚羽ですら治癒結界を数分で展開して安定化させるのは至難の業であるのに、それを当たり前のように行う相手の技量に改めて嘆息していると、アイゼンはわざとらしく軽く咳払いをした。
「私は医術の心得があるのだが……それ以前に【金氣のアイゼン】だ。金属が微量でも含まれるものならば、その全てを我が意の下に繰る事など、造作も無い」
「なるほど、人体に含まれる金属ですら、その範疇――っといった所ですか」
相克相生は魔術の初歩であるからな――顎鬚を撫でながら答えるアイゼン。
「ただ、幾ら治癒結界を施したといっても、あれだけの怪我だ。医務室に足を運んだ所で、未だ意識はないし、何よりも――」
この男にしては珍しく、歯切れが悪く云うべきかどうか眉根を寄せて若干悩む仕草をしたが、小さく頷くと続けた。
「彼の連れ合いが激昂していてね、治療班が近付けない程であったのだよ。少なくとも連れ合いを抑えられる彼が目を覚ますまでは、君は医務室に近寄らないのが懸命だ」
「成る程……未だ死にたくないので、その言葉には素直に従わせてもらいます」
互いに視線を交わして軽く笑い合い、世間話をする程の仲でもないので、歩き出そうとした所で、つい今しがた思い出し、何気なく声を掛ける感覚で放たれた言葉に、僕の足は止まってしまう。
「あぁ、そうだ。これは【魔法使い】として君に掛ける言葉だが――狐から【直接力を引き出す】のは、程々にしたまえ」
「………………バレていましたか……」
振り返らず、背中越しに答える。
「無論だ。彼の一撃が君の身体を粉砕し、消し炭と変える、瞬きよりも短いほんの一瞬、その破壊の力を軽く押し退け、この国を地殻から消し飛ばせる程の馬鹿げた魔力の流れを【視た】からな。唯でさえ【禁呪眼】で繋がっているのに、そこから更に引き出すとなると、そう遠くない内に【人間の身】では耐え切れずに魂が持って行かれるぞ?」
痛い所を指摘され、痒くもないが、頭を軽く掻いて気を紛らわす。
「彼の一撃には、結界ですら貫けるように対魔術用の呪いが施されていたので、肉体だけでなく、魂までをも砕かれそうになったから、力を【引き出させた】のでしょう……」
引き出させたの【でしょう】?――多分、自分の予想に反した答えが返って来たからだろう。動揺の色を含んだ声が聞こえて来た。
さて、どう説明したものか……ここで適当に答えたとしても、勘の良いこの男の事だ、直ぐに事実に気付くし、要らぬ詮索をされるのも癪だしな……。
……僕はため息を一つついて気持ちを切り替えつつ、覚悟を決め、口を開く。
「僕のこの身体は文字通り、【借り物】なのです。だからこそ、この身体が消失の危機に瀕すると、強制的に御前様から【氣】が送り込まれるのですよ」
「ふむ、【借り物】で【強制】か………………んっ?! いや、だが、それだと、あの狐と【ヴァンパイア】が動き出した理由になるが……だが、それは――!!」
あぁ、流石だ、この男は……たったあれだけの情報で、そこに行き着くとは。
口角が醜く歪むのを抑えられない。
丹田に落とし込んだ【氣】を内蔵の動きだけで円環させ、高めた所で右手で印を切り、僕の奥底に眠らせている、力の源の一部を励起させる。
瞬間、風が全くない石造りの通路に、僕を中心に突風が発生し、その余りの強さに壁に幾つもの切れ込みを入れる。
アイゼンは薄い膜状に【結界】を張ってその突風を防いでいるが、黒い外套の一部は突風に巻き込まれたのか、千々になってしまっている。
突風は僕の身体にまとわりつき、徐々にその勢いを収束させていくが、代わりに僕の臀部の尾骨の辺りをむず痒さと共に、熱いような言葉に形容し難い感覚を伴って何かが【生えた】。
風が治まり、僕の姿を確認できるようになったのだろう、背後でアイゼンが息を飲む音が聞こえた。
「ははっ、流石の【魔法使い】でも、この姿には驚きを隠せないようですね」
今の僕はルーンさん達を相手にした時と同様に白き神主の様相ではあるが、一点だけ大きく違う所がある。それがこの――。
「そ、その尻尾は、あの狐……のなのか?」
金色に輝き、中程が膨れたように太い、獣の尻尾だ。
アイゼンからの問に、そうですよ――っと答えながらゆっくりと振り返ると、普段ならば余裕すら見せているアイゼンが身構えたのが解った。
それもその筈だ。
引き出している僕は当人なので解らないが、僕が力を開放した際に纏う、この指向性を持たないが、底が見えないず、存在そのものを圧し潰してくるような圧倒的な【氣】は、唯そこにいるだけでも意識を削れられてしまい、達人ですら数分と耐えられないらしいからね。
「正確には、御前様の力を通常の【妖狐】と同じく【尻尾】という形にして顕現しているだけですがね」
尻尾を動かし、自分の身体を抱くように纏わせる。
【氣】によって形を作っているが、その感触は本物の狐のと全く変わらない。
「それにこれは封印の上から無理矢理引き出した上に、人間の身である僕に合わせてかなり力を抑えているため、一尾だけであるけど――それでも、人間の一個軍集団位なら数分の内に灰塵と化せるだけの力を秘めてはいます」
申し訳ありませんが――そして、僕は面を上げて、率直な意見をアイゼンへと投げる。
「幾ら【魔法使い】とはいえ、所詮は【人間】です。人間では御前様の力を引き出している僕を打ち負かすことは不可能です」
僕からの言葉にアイゼンは瞼を閉じて顔を伏せた。
だが、その表情は自らの力不足を悔やむのではなく、何処か憂いを帯びている。
「……化物を打ち滅ぼせるのは人間だ……ならば、人間の身のまま化物になった者を討ち滅ぼせるのは?」
同じ人間です――何の迷いもなく答える。
「そうだ、【同じ人間】だ」
アイゼンは口の端と伏せた顔を上げて、ゆっくりと瞼を開ける。
「故に手法こそ違えど、魔導の探求の果てに、君と同じく、人間の身のまま彼岸と此岸の境界線上に立つ我々【魔法使い】でなければ、君の様な存在を打ち負かす事は出来ない」
ぶつかりあう視線と視線、意思と意思。
「「………………」」
「――成る程……この続きは決勝戦でしましょう」
再び背を向け、力の引き出しを止める。
瞬間、柔らかな風とともに衣装が透けるように姿を消し、代わりにいつもの僕の見慣れた白衣と袴になった。
無論、尻尾もその姿を消している。
「私のを見て行かないのかね?」
「以前、僕に投げた言葉をそっくりそのまま返しますよ」
「……ふむ、全くもってその通りだな」
苦笑した声が聞こえたが、僕はそれには答えず、通路を進んだ。
城の敷地内に存在し、これまた石造りの選手専用宿泊施設の僕にあてがわれている部屋へと戻った所で、上掛けを脱いで椅子と呼ばれる木製の腰掛けに掛け、寝具へと腰を下ろした。
一息ついた所で、袖の下から【アゲハ】を取り出し、鞘に収めたまま励起させる。
直ぐに僕の隣に気配が現れ、左肩にひやりとした冷たさと柔らかさをもった重みが掛かる。
「一磨様、申し訳ございませんでした……」
「良い……それよりも揚羽、君の魂の方が心配だ。視せてもらえるかい?」
揚羽が小さく頷いたので、僕は対面するように身体を動かし、前身頃を若干広く空けて、そこから覗く双丘の間へと手を伸ばす。
冷たいが、女性特有の滑らかな感触に触れた所で、【氣】を沈め、ゆっくりと眼帯を外し、【禁呪眼】を解放する。
普段の開放とは違い、足元から迫り上がる流水の如く穏やかな【氣】の発生を感じたので、それらを丹田へと流し込み、僕の身体へと馴染ませて【禁呪眼】へと移動させる。
右目を瞑り、左目の【禁呪眼】を通して揚羽を【視る】事で、【氣】を読み取り、僕に流れる【氣】を揚羽へと同調させ、触れている手をゆっくりと押し込む。
「……んっ……」
若干の抵抗を受け、艶のある声を漏らした揚羽であるが、直ぐに僕の右手は揚羽身体に入り込み、冷たさの中で唯一の暖かさをもった【ソレ】へと指先が触れたので、僕は手の進行を止める。
物理的、精神的に揚羽と同調した僕には、【ソレ】からの情報が直接流れ込んで来るため、軽い眩暈の様な感覚に襲われたが、気を保ち送られてくる情報の全てを読み解く。
(………………若干、削られてしまっているね……)
(申し訳ございません……)
(いや、あれは僕の甘さのせいだ。揚羽の責じゃない。それに、この大陸に付くまでに何度か無理をお願いもしたからね)
揚羽の状態を確認出来た僕は、右手を揚羽の身体から引き抜き、同調を解除した。
【ゴースト】である揚羽が魂を消耗したままいる事は、例え励起していない状態でも要らぬ負担を掛けてしまうし、時期的にも丁度良い。
揚羽――名を呼びながら、【ゴースト】になっても変わらず艶やかな長髪を撫でると、それまでの凛とした表情が一転し、熱を帯び何処か惚けている女の顔へと変貌した。
一磨様――まるで壊れ物にでも触れるかの様に僕の名を呼ぶ揚羽は、既に崩れてしまっている身頃を肩を何度か動かす事で開き切り、豊満な双丘を顕にした。
口づけを交わしながら腕を頭に回し、寝具へと倒れ込む。
「一磨様、お慕い申し上げております……」
「ありがとう、揚羽」
再び口づけを交わし、帯留めを外して焦らすように帯を緩めるが、揚羽は辛抱出来ないらしく、一瞬だけ実態を解除し、中身がなくなった衣装が寝具に広がった所で、再び実態を形成した。
「さぁ、一磨様、揚羽にお情けを下さいまし」
「女性にここまでさせて何もしないのは恥となってしまうけど、何というか……揚羽はあの刀になってから、随分と変わったよね……」
それは心外です――殊更オドケタ表情で言葉を紡ぐ揚羽。
「揚羽は稚児の頃より一磨様をお慕い申しておりましたよ」
「いや、それは以前にも聞いから知っているけど……って、そこじゃなくて、御前様お抱え道術室に配されていたけど、縁側で日がな一日お茶を啜り、清楚という言葉を形にしたような揚羽が今じゃこうしているなんて、あの頃じゃとてもじゃないけど想像なんて出来なかったよ」
「一磨様、それはわたくしがその様に演じていたからですよ」
演じていた?――今一つ合点が行かない僕が頭の上に疑問符を浮かべていると、何が可笑しいのか、口元に手を当てながら小さく揚羽が笑った。
「そうですよ〜。わたくしからしてみましたら、あの頃の一磨様は真面目の言葉が衣を着て歩いている様なものでしたから、兄上にお頼みしまして、一磨様の好みの女性像を知り、それを演じていたのです」
兄上――その言葉に僕の胸が痛む。
僕の表情から何を考えているのか、長年の勘から理解したのだろう、揚羽が僕の頬に触れ撫でてきた。
「一磨様はあの様な非常時の中、兄上の最後の刻まで共に居り、この様な身に堕ちてしまい、兄上と共にあの場に打ち棄てられてしまうだけであったわたくしをその【呪い】ごと引き継いで下さいました。一磨様には、感謝こそありますが、恨みなど、これっぽっちもございません」
どこまでも優しく語り掛けて来る揚羽の言葉に、この旅を決意した際に見せられた彼女の覚悟を思い出す。
「父を失い、母を亡くし、帰るべき家も、護るべき民も、拠るべき国も無くなり、唯一の其の身すらも間借りモノであったとしましても、わたくし、揚羽だけは、一磨様をお慕い申し上げ、全てをお赦し致します」
――そうだったな……。
ここで僕がいつまでも足踏みをしている訳にはいかない。
例えこの世の全てが敵であろうとも、たった1人だけ、全てを受け止めてくれる存在がいるのなら、充分過ぎるじゃないか。
これは良い機会なのだろう。
生きて再び【ジパング】の地を踏めるとは思っていないが、それまでの間、決して永くない刻の全てを掛けて、彼女に応えよう。
心の中に泥のように溜まり、蟠っていた感情の塊が、1つの決意によって溶けた僕は、これまでの自嘲とは違う笑みを揚羽へと向けた。
「か、一磨様……」
「揚羽、決して永くはない、この旅の間だけでも良い。僕にその全てを掛けて従えてくれ」
はい、はい――っと涙を零しながら何度も頷く揚羽と唇を合わせ、白衣を脱いだ僕は【氣】を同調させたまま、身体と心の双方を交合わせる。
武闘大会に登録した選手に充てがわれる宿泊施設の屋上にて、夜風にマントの裾を翻し、月明かりのみが爛々と輝く漆黒の夜空の遥か彼方の1点へと視線を向けていたが、最悪の事態が避けられたため、緊張によって肺に溜まっていた空気を吐き出し、気持ちを切り替えてから背後に居る存在へと声を掛けた。
「この様な事に付き合わせてしまって、すまんな……」
気にするな――っとヒールをカツンっと鳴らし、宵闇を纏った、美しいという言葉すら陳腐な響きへと変えてしまう程の美麗な女性――【ヴァンパイア】が私の隣に立った。
「アヤツが関わるのならば、ワシらも関わらぬ訳にはいかぬからの」
「………………そうだったな……あのモノは君達との契約を破棄しただけでなく、彼の者が――」
風が、吹いた……?
――否、これは違う……これは気温が下がったのではなく、私の【周囲の環境】が変わったのだ。
魔術の探求の果てに境界線上の存在となってしまった私ですら薄ら寒く感じてしまう程の威圧感を出せるモノなぞ、数得られる程しかおらず、先程迄私がその動向を監視していたモノでなければ、自ずと答えが出て来る。
「……【ヴァンパイア】、落ち着くのだ。君等3人の実力は今は拮抗していない。残念だが、君と【狐】は余りにも消耗し過ぎており、あのモノが頭1つ出ているのが現状だ」
「解っておる……解っておるがっ……!!」
余りの怒りに普段は制御し切れている余剰魔力が暴走を始めており、紫色の蒸気の様な物となり、【ヴァンパイア】の足元から立ち上る。
拙いな……理解は出来ているが感情が付いて来ていない状態だ。
この様な場合、冷静に事実を述べた所で、全く意味をなさず、相手の感情に訴え掛けるのが一番なのだが、私にとって滅ぼすべき相手であったモノの感情なぞ、逆撫でなら幾らでも出来るが、訴え掛けるとなると――あぁ、1つだけあったな、しかも、最も効くものがな。
「【ヴァンパイア】、君の身にもしもの事があった場合、彼の者が永遠に蘇らない事になるだが、それでも良いのかね?」
案の定、肩が動く程の反応を見せ、徐々に紫色の靄が消えていく。
「………………非常に口惜しいが、お主の言葉が最もじゃ……アヤツの処分は、この者を蘇らせてから、じっくりと決めさせてもらうとしよう」
そして、【ヴァンパイア】は昔の私であったら気分を害して卒倒し兼ねない程の柔らかさを持った笑みを浮かべて下腹部を撫でた。
「随分と……変わるものだな……」
「ワシも驚いている所じゃ。愛する者の魂がココにあると思うだけで、これ程迄満たされるとは思わなんだ」
身を裂くような寒さを持つ夜風から身体を護るようにマントの身頃を閉めて、結界を常時展開しているのだから、暑さも寒さも関係ないのに、腹部を護る行動を取った。
「幾星霜もの時を修練に費やし、心身操作術の極みに達してはおるのじゃが、どうもこの感覚だけは慣れん。こんな夜風なぞ、只の風にしか過ぎぬのに、腹部に当たると考えただけで、鋭き穂先を携えた槍衾が迫ってくる感覚になってしまうのじゃからの」
人間を脆く不完全で下等な生き物としてしか認識せず、道端に生えている名も無き草花程度の扱いであった【ヴァンパイア】が、今では人間の命を己の身体に宿し、慈しむか……。
「――【魔物】は、最早、人間にとって、脅威ではなくなったのだな……」
私の独白とも取れる言葉をしっかりとその耳に捉えていたらしく、腹部に手を当て、視線を落としていた【ヴァンパイア】――ローズが面を下に向けたまま口を開いた。
「あの小娘が【魔王】になり、世界の一部が書き換えられた瞬間から、【魔物】は人間の敵ではなく、【愛すべき隣人】に変わったのじゃから、ある意味以外では、お主の云う通り、脅威ではなくなったのじゃろうの」
まっ、ワシや御前とアイツを除いてじゃがな――っと付け加えてローズは軽く笑ったが、私がそれに応えず、真剣な眼差しを向けていると、先程までのオドケタ態度を正し、表情を引き締めた。
「ワシらがこの世に生を受けて幾千年――人間と【魔物】は対立している姿しか記憶にない。時には人間側の勇者と呼ばれる存在が【魔王】を討ち滅ぼした事もあれば、【魔物】側が人間を根絶やしにした事もあった。互いに憎み、争い、滅ぼす事が運命であるようにのう。故にあの小娘が正しいかどうか、ワシには解らん。それは、御前も同じじゃ。でものう――」
ローズは下に向けていた顔を上げ、確かな思いを込めた真っ直ぐな瞳を向けてきた。
「ワシはな、双方に無益な血が流れぬ今のこの世情を悪くないと思っておる」
ローズの本心からの言葉を聞いた私は、頷き言葉を紡ぐ。
「1世紀以上を魔導の探求に費やし、人間の身のまま、彼岸と此岸の境界に立つ私だが、君から見れば、未だ幼子と同じだ。けれども、そんな私も、君と同じ事を思う。現在の人間と【魔物】は数十年前の骨を砕き、肉を喰む、壮絶を極めるモノではなく、隣人を愛するが如く、互いが互いを想い、家族としての営みをするモノもいる位だからな」
「そうじゃ、今の世情は一部の【魔物】と人間を除いては、非常に住み心地の良いものとなておる。極一部を除いてはな……」
そして、私とローズは静かに背後へと振り返る。
そこには、月夜に映える白きチェニックにフードを目深に被った男が立っていた。
数歩、私達の方へ近寄るが、革製のブーツは一切の音を立てず、静かなる狂気を纏った男は、私が一足では届かない絶妙な位置で足を止めた。
「胸部に施されている紅き逆さ十字の刺繍――表向きは【主神】の教えを広め、【魔物】の誘惑から人々を救済する【教会】だが、敢えて【主神】の教えに背く汚れ仕事を生業とする異端特務機関【カリオテ】の者か……」
「しかも、刺繍に金糸が使われている所から察するに、あの者は【裏切り者(イーシュ・カリヨート)】の徽章を受けた者みたいじゃぞ」
「異端の中のエリートか。だが――」
「「敵ではない」」
声を合わせて放った言葉を合図に【裏切り者】の後ろに控えていた【カリオテ】の者達が一斉に姿を現した。
【裏切り者】と同じく、白きチェニックに白きフードを被り、革製のブーツとアームガードを着用しているが、胸の紅き逆さ十字だけは金糸の飾りが施されていない。
基本の装備は一緒と見えるが、よく見ると細部に僅かに違いがあり、身体に巻くように付けている革製のベルトには、投げナイフが幾つも嵌めこまれている。
私は相手に見えぬよう、外套の中で法陣を展開し、肉厚の両刃の剣を呼び出す。
外套を翻すと同時に一気に剣を引き抜き、【裏切り者】へと剣先を向ける。
「今の私は非常に気分が良い。あのまま姿を表さなければ、見逃したものを、惜しい事をしたな、【裏切り者】」
私の言葉には応えず、【裏切り者】が両腕を振るうと、袖口から何かが勢い良く飛び出し、両手に武器を握った。
「ジャマダハルか……暗殺者らしい武器だな。それならば、私も【魔法使い】らしい事をするとしよう」
空いている方の左手を前に突き出し、指を鳴らす。
それを発条として、一瞬で展開された魔方陣が【カリオテ】の者達を取り囲む。
これ程の量の魔方陣を無詠唱で一瞬にして展開する相手に今迄会った事がなかった様で、【カリオテ】の者達の間にドヨメキが走る。
驚くのも無理はない。
無詠唱にて数百からの魔方陣を一瞬にして展開出来る者なぞ、上位の【魔物】を除いた場合、指で数得られる程しか存在しないのだからな。
円形の幾何学文様が中空で淡く光りながら、ゆっくりと回転している。
魔方陣だけでは、一体どの様な魔術であるのか判断しかねている【カリオテ】達は、指先1つすら動かさず、ジッと私を凝視してくる。
賢明な判断だ――が、甘いな。
どの様な魔術か解らないからこそ、魔方陣に囲まれてはいけない。
更にこの魔方陣から放たれる殺気に気付かない時点で、この者達の力量が解るというものだ。
あの【ジパング】出身の少年――一磨は初見にしてこの魔方陣からの殺気に気付き、咄嗟の判断の元、的確な動きをしたが、やはり、この者達は所詮は暗殺者か……。
「のう、お主達。少々質問があるのじゃが、良いかの?」
口を閉ざしていたローズが一歩前に歩みを進め、言葉を発する。
勿論、相手からの反応はないが、構わず続ける。
「闇に紛れ、必殺の一撃を見舞うのがお主達の戦法であるのに、唯一のアドバンテージである【暗殺】を放棄してしまっては、限りなく零に近かった勝率が、完璧なる零になってしまっておるぞ? 良いのか?」
さも当然の様に、相手の敗北を言葉にしたローズ。
だが、この者に掛かれば、例え完調でない現在でも、私ですら数分と保たずに地に膝を着く事になるのだから、この程度の者達では、当然の言葉だ。
「ほれ、どうした、お主達? この通り、ワシは丸腰じゃぞ? 今ならばお主達の刃が届くやもしれぬ所に居るのに、何を躊躇っておるのじゃ?」
身を包んでいた黒外套を翻しながら、両の手を広げ、武器を一切身に付けていない事を強調しながら相手を煽るローズであるが、それに何の意味があるというのやら……。
武術の境地に至り、天の理、地の利、人の和すらをも己のモノとしてしまったローズにとって、その身こそが最大の武器であり、【真に古きから存在しているが、真の死を知らぬ者】――【真祖】のしかも【長寿者】ともなれば、最早如何なる者が束になろうとも、敵わぬというものだ。
相手の力量を読めぬ程度の者達であるが、流石にローズの事は知っているのか、一向に動く気配が感じられない。
このままでは……埒が明かぬな……。
肩を軽く竦め、手に持っている剣を一回転させ、剣先を地へと突き立て、それを発条とする。
中空に存在する幾百もの魔方陣から一斉に剣が射出され、【カリオテ】の者共を次々と串刺しにし、絶命させる。
一部の者は反応したが、それでも無傷であるものは極少数であり、致命傷は避けたものの戦力には成り得ぬ状態が殆どだ。
数度の魔方陣からの剣の射出で、【カリオテ】の者達はほぼ壊滅し、射出された剣は、暫しその姿を保つが、直ぐに光の粒子に変換されて形を無くす。
「――さて、未だ抗うかね? 諸君」
彼等【カリオテ】のリーダー格である【裏切り者】に言葉を投げ掛ける。
フードを目深に被っているため、表情は解らぬが、まとっている空気から彼が怒りに震えているのは感じ取れる。
だからこそ、言葉を投げ掛けた、っというのもあるのだがね。
剣を射出したため、魔方陣は消失したが、発条一つで瞬時に幾つも発生させられるのを見せ付ける事により、相手に通常よりも多くの緊張感を与えながら、動作の1つ1つに間断無い判断を強要する事で、精神と肉体の両方を加速度的に消耗させる。
このまま魔方陣を呼び出し続け、消耗戦に持ち込むのも1つではあるが、暗殺などという人間の尊厳を無視した行いを生業とする彼等は、徹底的に排除させてもらう。
「ローズ、ここは私に任せてもらえるかな?」
「正義感の塊であるお主の事だから、そういうとは思っておったぞ。構わぬ、徹底的に潰してしまえ、じゃ」
「感謝する」
シルクハットのツバを持ち、軽く下げて感謝の意を伝える。
視線を【裏切り者】へと向け、一歩踏み出す。
私が足を踏み出した事を発条として、私の背面に幾つかの魔方陣が姿を現し、剣を射出する。
【裏切り者】はジャマダハルを振るい、高速で飛来する剣を打ち払うが、それ程まで熟練していない【カリオテ】の者は剣が直撃し、一瞬だけ身体が跳ね、ゆっくりと崩れ落ちる。
一歩踏み出す。
【カリオテ】の者の四肢が宙を舞う。
一歩踏み出す。
【裏切り者】が弾いた刃が煌きとなる。
一歩踏み出す。
頭部に剣を生やしゆっくりと倒れる【カリオテ】の者。
一歩踏み出す――。
剣を打ち払い、避ける事に集中していた【裏切り者】だが、ここに来て、漸く私が何処に居るのか気付いたらしく、ジャマダハルを構えたまま固まる。
「惜しかったな、【裏切り者】……数で圧倒出来る相手なら良かったのだが、私はこの通り【魔法使い】であり、1人で動く事が主のため、対多数との戦闘に長けているのだよ」
私からの死刑宣告とも取れる言葉を受けた【裏切り者】だが、真一文字に結んでいた口元が小さく歪むと、両手に握っているジャマダハルを投擲してきた。
軽く腕を振るい、魔力障壁によって打ち払う。
「何処に行こうと云うのかな?」
ジャマダハルを打ち払う一瞬の内に私から数メートル程離れた【裏切り者】であるが、私が声を掛けると、これ以上は逃げ切れぬと覚悟をしたのか、その場で停止した。
「肝心の仲間は全てこの通り、永遠の眠りへと誘わせてもらった。残念だったな、【裏切り者】」
「………………否、これで誰にもバレずに魔術を行使出来る。助かったよ、アイゼン=グスタフ」
一切の感情の篭らぬ、中性的な声で答えた【裏切り者】は、足元に転がる仲間であったモノの口内へ手を捻り込み、何かを掴むと、一気に引き抜いた。
何かを無理矢理引き剥がす際に聞こえる、常人ならば耳を塞ぎたくなる不愉快な粘着質な音を響かせながら、筋と体液が纏わり付く脊髄が姿を現す。
脊髄から滴り落ちる体液が地を濡らす中、【裏切り者】が言葉を紡ぎ、詠唱を終えた瞬間、握っていた脊髄が内部からの圧に負け、骨片を撒き散らしながらはじけ飛び、赤黒く蠢く肉に似た何かが胎動しつつ、剣の様な形を形成する。
【裏切り者】が手にした肉の剣を軽く振るうと、空を切る見事な音と共に、赤黒き液体を飛び散らせる。
「ほぉ……人間にしては、随分と危険な術を使うものじゃのう……」
「ローズ……そんなに悠長に構えていて良いのか? アレは――」
「解っておる……アレは、【禁呪】の中の1つ――【犠牲魔術(サクリファイス・マジック)】じゃな……あんな外法が未だ残っておったとはのう……」
思わず、語気が強くなってしまった……。
【犠牲魔術】――文字通り、この世に存在するありとあらゆるモノを捧げ、超常なるモノの力を引き出す魔術。
しかも、捧げるモノが希少であればある程その威力を増し、最も強力なのが【命】を捧げる事であるため、一時は【犠牲魔術】のための奴隷商が存在した程だ。
けれども、やはり【命】を消耗品として扱うのは人道に反するとなり、別段【命】を捧げなくとも、道端の草木や石でも問題がなかったのだが、【危険】と判断した【教会】が【犠牲魔術】を使用するモノに【異教徒】の烙印を押し、弾劾裁判をしたのに、その【教会】が【犠牲魔術】を使うモノを囲っているとはな……。
「流石異端特務機関【カリオテ】と云うべきかな? 自分達が排除した魔術を使うとはな」
「逆だ……我々【教会】が敬虔な信者達の尊い犠牲を基に編み出した【奇跡】を貴様ら【魔法使い】共が横から奪い、勝手に広めたから、民を護るためには、排除するしかなかったんだ」
「凄いのう……是程の歴史の改竄、久し振りに聞いたぞ……」
「私もだ……空いた口が塞がらないとは、此の事を云うのだな……」
「戯言を!」
【教会】の教えこそが絶対である【裏切り者】は怒りを顕に突貫して来た。
踏み込み良し、速度良し、だが――
「大振り過ぎるな。それでは打ち払ってくれと云っている様なモノだ」
肉で形成された剣の突きを打ち払うべき肉厚な両手剣を構えた瞬間、ローズの声が響いた。
「下がれ、アイゼン!」
アレ程のモノが叫ぶのは珍しいと思い、後ろに飛び退いた刹那、【裏切り者】が手にしてる剣の様なモノの刃の部分であろう箇所が、真ん中から上下に分かれると、牙の様なモノが生え揃ったアギトとなり、飛び退き遅れた私の両手剣がアギトに挟まれ、口内へと消失した。
ローズの隣へと着地して一息つく。
私の両手剣を咀嚼し、軽くアギトを開くと、低い空気が抜ける音を吐き出す肉の剣。
手元に残った柄と鍔先から数p先しかない元両手剣を一瞥し、投げ捨て、首を軽く鳴らす。
「……脊髄を贄として発動する魔術である【顎餓剣】ではあるが……【犠牲魔術】を齧った程度のヒヨっ子が扱うモノとは威力も性能も段違いだな……」
「擬似生命を創り出す機能を利用して、【顎餓剣】に素材となった人間の【飢えのみ】を封入したのじゃな。【教会】が【禁呪】とし、排除してから延々と研究し続けたのじゃろう……一体どれ程の人間が犠牲になった事か……」
「貴様等【魔物】やそこの【異端者】共に殺された人間の方が遥かに多いのに、よくその様な事を云えるな」
「それを云うのならば、【教会】によって【異端】の烙印を押され、弾圧され、【魔女裁判】等という、荒唐無稽な狂気により殺された無辜の民はどうなるのかな?」
「【異端者】は人間ではない。【魔物】と同じだ」
「人間でないので、殺しても何の問題も無い……っと云いたいのかのう?」
「貴様等【魔物】は虫螻に情けを掛けるのか?」
「………………何百、何千モノ時を重ね様とも御主達は変わらぬのだな……」
ローズは憂いを帯びた瞳で遥か彼方を見詰めた。
その瞳の先に何を視ているのか、本人でない私には解らぬが、百余年の時を生きる私すら霞む程の永きに渡り、この世界を視て来たからこそ、視えるモノがあるのだろう。
アイゼン――名を呼ばれ、振り向くと、ローズはマントを翻し、自然体となっていた。
「アイツだけはワシが相手をする」
「良いのか? それなりの使い手ではあるのだろう?」
「ふっ……足も生えぬオタマジャクシが、蛇を前にして何が出来ると云うのかな?」
違いない――っと私は応え、一歩退いた。
「……我等が【教会】の【大敵(アーク・エネミー)】が1人。【ヴァンパイア】――ローズ=ノブレスをこの手で屠れるとは、運が良い」
「運が良い、か……面白い事を云うのう、小童」
ローズは一切の構えをせず、悠然と【裏切り者】へと歩みを進める。
一歩、又一歩とローズが近寄る度に、【裏切り者】は【顎餓剣】を構えたまま、摺り足で距離をとる。
――やはり、技量の差は明らかだな。
如何に【裏切り者】が手練れであったとしても、ローズには遠く及ばない。
この世界に於いて、心身操作術でローズの右に出るモノはなく、最早【魔法】の域であるその魔技に敵うモノが居るとするのならば、存在するだけで大陸ごと【魔界】へと変異させてしまう遥か東国の【狐】か、単純な力ならばローズや【狐】すらも凌駕する世界喰らいの【ドラゴン】位だ。
ローズが何気無く踏み出した様にしか見えぬ一歩。
しかし、その一歩で、ローズの身体は【裏切り者】の左真横に移動しており、一拍遅れて【裏切り者】が反応するが、左手に手を添えられただけで、全ての動きを止めさせた。
否、止めざるを得なかったが正しいのだろう。
剣を操る軸となる左手を抑えられては、何も出来ぬ。
ローズの体軸が動いた様に見えた瞬間、【裏切り者】の身体が地面から十数センチ程も跳ね上がり、口から紅き液体を吐き出す。
堪らず、【裏切り者】は抑えられている左手を使わず、右手一本で【顎餓剣】を振るうが、身体の自由が半分以上抑えられている状態では、満足に扱う事も出来ず、ローズが身体を軽く捻るだけで尽くを躱されしまう。
【顎餓剣】の真ん中から上下に分かれ、鋼鉄すらも易易と噛み砕く、鋭き牙が生え揃ったアギトがその凶悪な口を広げ、ローズに襲い掛かる。
だが、ローズは空いている右手で【顎餓剣】の刃であろう部分を下から掴み、持ち上げるだけで無力化し、掴まれている【顎餓剣】が何かに苦しむ様に暴れると、徐々にその動きが沈静化していき、白煙を上げながら、その姿を消してしまった。
突然の出来事に私も【裏切り者】も呆気に取られていると、ローズは抑えている左手を掴んで自分の方に引き寄せて、【裏切り者】の瞳を真っ向から見詰める。
只見詰められるだけで強烈な催淫効果のある【ヴァンパイア】の瞳を息が掛かる程の距離で向けられては、如何に【教会】の教義にどっぷりと使っているモノでも、強烈に揺さぶられてしまう様で、【裏切り者】は指先1つすら動かせなくなった。
「随分と命を弄んでくれたようじゃが……残念じゃのう。鬼籍に入りて、ワシに抗う術は無い。自らが歯牙にも掛けなかった【命】の重さを思い知るが良い」
カツン――ヒールで地を蹴るのを発条に、一瞬にして屋上一帯を飲み込む程の巨大な魔法陣が形成された。魔法陣は紫色に淡く光ながらゆっくりと回転しており、一度だけ眩く光ると、徐々にその姿を消していった。
【始原の魔法使い】と呼ばれる私でも、大規模な準備なしには不可能な程の膨大な【魔力】の発生を確認は出来たが、何かしらの破壊エネルギーに変換される事はなく、身構えていた私も【裏切り者】も拍子抜けであった。
――だが、変化は突然起きた。
私の転送陣からの剣の投擲によって絶命した筈の【カリオテ】の者達の死体が中で何かが暴れている様に蠢きながら、ゆっくりと立ち上がりだしたのだ。
首や四肢を斬り落とした筈なのだが、それらは全て白煙を上げなら再生され、生前の姿に戻っていたが、何処か違和感を感じ注視すると、彼等は皆、女性になっていた。
中には女性も居ただろうが、男性の割合の方が多かった筈なのに、立ち上がった者達は皆、女性的な膨らみをしており、目深く被っていたフードから除く顔は、精気が感じられぬ程青白かった。
成る程、此処に転がっていた【カリオテ】の死体全てを【ゾンビ】や【グール】等の【アンデット】として黄泉帰らせたか。
【教会】の洗脳に等しい【教義】に染まった者達を【魔物】として黄泉帰らせるとは、何とも残酷な事をするものだ。
ローズの皮肉めいた行為に思わず苦笑してしまう。
【裏切り者】は嘗ての仲間であった者達が仇敵として黄泉帰るという、悪夢とも思える異様な空間においてすら、何の感慨も浮かばぬ様で、頭を動かして周囲を確認するだけだ。
「……ふんっ、道具としてすら役に立たず、魔に堕ちてこちらの手を煩わせるとは、本当に使えぬ者達だな……」
「ふむ……オヌシが【禁呪】の中でも特に忌避されている【犠牲魔術】を使えるのか、解る様な気がするのぅ」
「黙れ! 【大敵】!!」
常人ならば鼓動を止められてう程の殺意を込めた視線も、ローズには全く効果が無く、虚しいものである。
「運が良いと云ったり、【大敵】と云ったり、忙しいのぅ、オヌシ。まぁ、直ぐにこの世の柵全てを忘れられる程の快楽に浸れられるのじゃ、安心せい」
「ふ、巫山戯るな!」
「巫山戯てなどおらぬ。ワシは至って真面目じゃ。今では【魔王】と呼ばれているあの小娘に合わせた人間の攻落法に則っているだけじゃ」
「くっ、離せ!」
「出来るものならの」
ローズに掴まれている左手を力尽くで引き離そうとするが、ビクともせず、徐々に包囲網を縮めてくる【アンデット】達に流石の【裏切り者】も焦りが浮かぶ。
何処か下卑た笑みを浮かべ、【裏切り者】の動きを事前に潰すローズだが、【裏切り者】が掴まれている左手に右手を添えて何かを詠唱した瞬間、表情の一切を消して飛び退いた。
ローズが飛び退くとほぼ同時に、【裏切り者】の左腕が内部から一気に膨れると、紅き液体を撒き散らしながら鞭の様にしなる何かが勢い良く飛び出し、周囲の【アンデッド】達を貫く。私の所にも高速で何かが飛来してきたため、腕を振るいながら袖口の中に形成させた法陣から剣を転送し、斬り払い、地面に落ちたナニかを確認する。
「……茨? ……否、しかし、見た目的には人骨に近いな……」
「そりゃそうじゃ。自らの手の骨を代償に発動する魔術じゃからのぅ。前腕から先を犠牲にする代わりに広範囲の相手を拘束、惨殺する【蛇腹茨骨】じゃ」
私の隣に立ち、自らに襲い掛かる【蛇腹茨骨】を羽虫を払うかの如く、軽く打ち払いながら説明をしてくる。
「詳しいな……オマエもこの手の魔術を研究していたのか?」
まさか――っとローズは肩を竦める。
「心外じゃな。ワシはこの手の魔術は好かぬ」
だろうな――っと正直な感想を返す。
襲い来る茨状の骨を打ち払っていると、発動限界に達したのか、徐々に動きが大人しくなり、茨は【裏切り者】の左腕に収束していった。
【裏切り者】は、二の腕から先が無くなった左腕の傷口辺りを圧迫して、出血を抑えつつ、一歩二歩と後退する。
周囲に存在した【アンデッド】の機動力を削いだため、突然襲われる事はないが、これ以上の抵抗を続けるのが不可能なのは容易に解る。
手にしていた剣をマントの中に形成した転移用の魔法陣の中に戻し、刃を収める。
視界の端でローズを確認すると、そちらも同じ考えなのか、構えを解き、【裏切り者】を涼し気な表情で眺めている。
「……さて、これ以上の抵抗は不可能と見受けるが……どうするかね?」
「ふぅ〜、ふぅ〜………………ちっ……」
呼吸を整えつつ、周囲を確認し、圧倒的に不利である事を理解したのか、【裏切り者】は舌打ちをして、ゆっくりと後退り、屋上の端へと移動する。
「何百、何千年掛かろうとも我等は必ず貴様等に追い付く。不死者である【ヴァンパイア】、境界線上の【魔法使い】――【死】をも超越した貴様を【死】なせる御業を御するその日迄、我等は滅びぬ」
その言葉を最後に背面から倒れ込む様に屋上から身を投げ出す【裏切り者】。
【魔術】の発動を感知したため、もうこの場から完璧に姿を消した事を理解し、肺に溜まった空気をゆっくり吐き出して気を入れ替える。
「ふぅ………………【教会】め、手段を選ばなくなって来ているな」
元からであろう――っとローズに返されてしまい、苦笑してしまう。
「じゃが、【犠牲魔術】を持ち出したとなると、連中、なかなか本気であるのう」
「不死者のオマエでも、アレには恐怖を感じるのか?」
ある意味ではの――っとローズは眉根を寄せ、溜息を零す。
「アヤツラは【ヴァンパイア】の本質を何も理解しておらぬ。【命】を【通貨】として扱えるワシらにとって、原理は似ておるが、【理】に反し、程度が遥かに低い【犠牲魔術】では、如何に致命傷を与えられたとしても、【殺しきる】事は不可能じゃ」
「成る程……【顎餓剣】を触れただけで無力化したのはそういう事か」
「相当消費されておったが、【徴収】させてもらい、足りない所はワシの【魔力】で補いつつ、本人に返しただけじゃ」
「それで【魔物】にされたんじゃかなわいがな」
「【魂】が消失してしまうよりかは遥かに良いじゃろう?」
全くだ――っと軽口を返した所で、周囲に転がり、呻き声をあげている【魔物】達の存在に気付き、どうしたものかと顎に手を当てる。
「ローズ、この者達はどうする?」
「ワシの馴染みが収めておる【不死者の国】に送らせてもらう。アヤツの所なら、数十人所か、数百人増えた所で、誤差の範囲じゃ」
「オマエの馴染みか……想像したくない存在だな……」
「安心せい。歳だけならばワシらより長く存在しておるが、【魔王】の小娘の計を最も楽しんでおるモノの1人じゃ。今では自らの片腕を吹き飛ばした元【勇者】を攻落させ、夫として招き入れ、常夜の世界にて毎夜催される夜会に明け暮れておる、タダの【ワイト】に過ぎぬ」
「サラリと流そうとしたが、オマエ達よりも長く存在しているのに、我等【魔法使い】にすら気付かれないとは、どれ程常識から外れた存在なのか解っているのか?」
無論じゃ――っと【ヴァンパイア】はマントを翻し、自らの身体を覆い隠すようにする。
「じゃが、アヤツはワシ等の世界とは別次元に【暗黒魔界】を創り上げ、居を構えておる。【魔王】の小娘の計に賛同はするが、手を貸すつもりは無いとの意思表示じゃな」
「次元すらもその範疇に収めるとは……オマエの周りには、気紛れで世界を揺るがしかねないモノが多くて困る……」
「何度か【神族】との戦争があったそうじゃが、今では皆【不死者の国】の民であろうそうじゃ」
「それは何と云うべきか……難儀なものだな」
全くじゃ――っとローズはシニカルに笑みを浮かべ、徐々にその姿を闇と同化させる。
「そろそろ行くのか?」
「【世界喰らい】が動き出した以上、ワシらが動かぬ訳にはいかぬからの。アヤツは人間には荷が勝ち過ぎる存在じゃ」
「すまんな……我等【魔法使い】も境界線上の存在であるが故、積極的に介在する事が出来ぬのだ……」
気にするでない――っと私が【始原の魔法使い】と呼ばれ出した頃には、想像が出来ぬ程の柔らかな笑みを浮かべ、ローズの姿は闇へと消え、周囲に倒れていた【アンデッド】達もその姿を忽然と消していた。
相変わらずの技量の高さに苦笑しか漏れず、明日の彼との勝負を思い、屋上を後にする。
何度目かの角を曲がり、視線を動かして、人気がない事を確認した僕は、壁に手をつき、崩れる様に片膝を着いてしまった。
「か、一磨様!!」
例え人の目がなかろうと決して地に膝を付けない僕が片膝を着くという異常な事態に、揚羽が励起してもいないのに声を上げながら姿を表し肩を抱いてきた。
「一磨様!!」
応えようにも上手く声が出せなかったので、片手を上げて意識がある事を伝える。
「……一磨様、もうこのような興じに関わるのはお止めになり、不本意ではありますが、あの行商の――」
揚羽――未だ言葉を発するには苦しいが、名を呼び、そこから先を遮る。
「僕は【禁呪眼(この目)】を下賜された時より、覚悟は出来ている。それよりも揚羽、君の方こそ、僕が励起をしてもいないのに姿を現したら、その分魂を削る事になる……早く戻るんだ……」
「出来ません。わたしもこの身を【アゲハ】に投じた時より覚悟は出来ております。医務室までわたしが――」
「私がその役を変わろう」
突然の声に振り返りながら柄に手を掛けたが、柄頭に何かを当てられ、抜刀出来ない状態にされてしまった。一瞬の交差でこれ程の卓越した技を繰れるのは、この大会でも限られるため、ある程度の予想をしつつ顔を上げ、相手を確認した。
「久方振りだな、少年」
「随分と友好的な言葉ですが、それならばこの杖をどかしてくれますか?」
「なに、君との会話をする場合には、これ位の用心は必要だからな。下手したら、振り向きざまに斬り付けられかねん」
「人をどこぞの戦闘狂と同じに捉えて欲しくないですね。これでも僕は斬るべき相手は選びます」
「それで私は斬るべき相手と判断された――っという訳かね?」
口の端を上げてそれに応える。。
「適わんな……さて、いつまでもこうしてはおれん。少年は医務室に連れて行くので、君は早く眠った方が良いぞ。……これ以上魂を消耗した場合、それを補うのは何であるか――解るだろう?」
「そ、それは……っ!! わ、解っております……解っておりますが、貴男に――」
このままでは話が進まず、悪戯に時間を費やしてしまうため、アイゼンに視線を向けたまま、揚羽の肩を軽く叩いた。
跳ねる様に反応した揚羽であったが、これ以上は本当に危険である事に気付き、眉間に皺を寄せ、下唇を噛み、向けられただけで周りの気温が数度下がる程強烈な殺意の篭った視線をアイゼンに向け、徐々にその姿が薄くなり、完璧に消えた所で、僕は肺に溜まった空気を一気に吐き出した。
「毎度思うのだが……君は側に置く相手や忠義を誓う相手を選んだ方が良いぞ……」
溜息混じりの忠告と共に差し出された手には触れず、本来なら良くない事ではあるが、刀を杖代わりにして、未だ力が入らない重い足腰を無理矢理立たせる。
「ご忠告痛み入りますが、これが僕の選んだ路であるが故、ご心配無用です」
ふぅ――っと息をゆっくりと吐き出しながら、壁に手を付いて背筋を伸ばし、アイゼンへと顔を向ける。
「さて、それでは、僕はキッドを任せている医療室に向かいますので、これにて失礼しま――」
「彼なら私が診ておいた。見事な切り口であったおかげで、治療が非常に楽であったよ」
「……この短時間でですか?」
正しくは治癒結界を施してきただがな――っと口の端を軽く上げて答えた。
重要な神経や血管を避けてたとはいえ、かなりの深さまで切り裂いたので、治癒結界程の高等治癒魔術が必要であるのは確かだし、あれを行うにはそれなりの時間を要する筈なのに、僕がここで息を整えている間に施行するとは、流石といった所か……。
完全に励起させた状態の揚羽ですら治癒結界を数分で展開して安定化させるのは至難の業であるのに、それを当たり前のように行う相手の技量に改めて嘆息していると、アイゼンはわざとらしく軽く咳払いをした。
「私は医術の心得があるのだが……それ以前に【金氣のアイゼン】だ。金属が微量でも含まれるものならば、その全てを我が意の下に繰る事など、造作も無い」
「なるほど、人体に含まれる金属ですら、その範疇――っといった所ですか」
相克相生は魔術の初歩であるからな――顎鬚を撫でながら答えるアイゼン。
「ただ、幾ら治癒結界を施したといっても、あれだけの怪我だ。医務室に足を運んだ所で、未だ意識はないし、何よりも――」
この男にしては珍しく、歯切れが悪く云うべきかどうか眉根を寄せて若干悩む仕草をしたが、小さく頷くと続けた。
「彼の連れ合いが激昂していてね、治療班が近付けない程であったのだよ。少なくとも連れ合いを抑えられる彼が目を覚ますまでは、君は医務室に近寄らないのが懸命だ」
「成る程……未だ死にたくないので、その言葉には素直に従わせてもらいます」
互いに視線を交わして軽く笑い合い、世間話をする程の仲でもないので、歩き出そうとした所で、つい今しがた思い出し、何気なく声を掛ける感覚で放たれた言葉に、僕の足は止まってしまう。
「あぁ、そうだ。これは【魔法使い】として君に掛ける言葉だが――狐から【直接力を引き出す】のは、程々にしたまえ」
「………………バレていましたか……」
振り返らず、背中越しに答える。
「無論だ。彼の一撃が君の身体を粉砕し、消し炭と変える、瞬きよりも短いほんの一瞬、その破壊の力を軽く押し退け、この国を地殻から消し飛ばせる程の馬鹿げた魔力の流れを【視た】からな。唯でさえ【禁呪眼】で繋がっているのに、そこから更に引き出すとなると、そう遠くない内に【人間の身】では耐え切れずに魂が持って行かれるぞ?」
痛い所を指摘され、痒くもないが、頭を軽く掻いて気を紛らわす。
「彼の一撃には、結界ですら貫けるように対魔術用の呪いが施されていたので、肉体だけでなく、魂までをも砕かれそうになったから、力を【引き出させた】のでしょう……」
引き出させたの【でしょう】?――多分、自分の予想に反した答えが返って来たからだろう。動揺の色を含んだ声が聞こえて来た。
さて、どう説明したものか……ここで適当に答えたとしても、勘の良いこの男の事だ、直ぐに事実に気付くし、要らぬ詮索をされるのも癪だしな……。
……僕はため息を一つついて気持ちを切り替えつつ、覚悟を決め、口を開く。
「僕のこの身体は文字通り、【借り物】なのです。だからこそ、この身体が消失の危機に瀕すると、強制的に御前様から【氣】が送り込まれるのですよ」
「ふむ、【借り物】で【強制】か………………んっ?! いや、だが、それだと、あの狐と【ヴァンパイア】が動き出した理由になるが……だが、それは――!!」
あぁ、流石だ、この男は……たったあれだけの情報で、そこに行き着くとは。
口角が醜く歪むのを抑えられない。
丹田に落とし込んだ【氣】を内蔵の動きだけで円環させ、高めた所で右手で印を切り、僕の奥底に眠らせている、力の源の一部を励起させる。
瞬間、風が全くない石造りの通路に、僕を中心に突風が発生し、その余りの強さに壁に幾つもの切れ込みを入れる。
アイゼンは薄い膜状に【結界】を張ってその突風を防いでいるが、黒い外套の一部は突風に巻き込まれたのか、千々になってしまっている。
突風は僕の身体にまとわりつき、徐々にその勢いを収束させていくが、代わりに僕の臀部の尾骨の辺りをむず痒さと共に、熱いような言葉に形容し難い感覚を伴って何かが【生えた】。
風が治まり、僕の姿を確認できるようになったのだろう、背後でアイゼンが息を飲む音が聞こえた。
「ははっ、流石の【魔法使い】でも、この姿には驚きを隠せないようですね」
今の僕はルーンさん達を相手にした時と同様に白き神主の様相ではあるが、一点だけ大きく違う所がある。それがこの――。
「そ、その尻尾は、あの狐……のなのか?」
金色に輝き、中程が膨れたように太い、獣の尻尾だ。
アイゼンからの問に、そうですよ――っと答えながらゆっくりと振り返ると、普段ならば余裕すら見せているアイゼンが身構えたのが解った。
それもその筈だ。
引き出している僕は当人なので解らないが、僕が力を開放した際に纏う、この指向性を持たないが、底が見えないず、存在そのものを圧し潰してくるような圧倒的な【氣】は、唯そこにいるだけでも意識を削れられてしまい、達人ですら数分と耐えられないらしいからね。
「正確には、御前様の力を通常の【妖狐】と同じく【尻尾】という形にして顕現しているだけですがね」
尻尾を動かし、自分の身体を抱くように纏わせる。
【氣】によって形を作っているが、その感触は本物の狐のと全く変わらない。
「それにこれは封印の上から無理矢理引き出した上に、人間の身である僕に合わせてかなり力を抑えているため、一尾だけであるけど――それでも、人間の一個軍集団位なら数分の内に灰塵と化せるだけの力を秘めてはいます」
申し訳ありませんが――そして、僕は面を上げて、率直な意見をアイゼンへと投げる。
「幾ら【魔法使い】とはいえ、所詮は【人間】です。人間では御前様の力を引き出している僕を打ち負かすことは不可能です」
僕からの言葉にアイゼンは瞼を閉じて顔を伏せた。
だが、その表情は自らの力不足を悔やむのではなく、何処か憂いを帯びている。
「……化物を打ち滅ぼせるのは人間だ……ならば、人間の身のまま化物になった者を討ち滅ぼせるのは?」
同じ人間です――何の迷いもなく答える。
「そうだ、【同じ人間】だ」
アイゼンは口の端と伏せた顔を上げて、ゆっくりと瞼を開ける。
「故に手法こそ違えど、魔導の探求の果てに、君と同じく、人間の身のまま彼岸と此岸の境界線上に立つ我々【魔法使い】でなければ、君の様な存在を打ち負かす事は出来ない」
ぶつかりあう視線と視線、意思と意思。
「「………………」」
「――成る程……この続きは決勝戦でしましょう」
再び背を向け、力の引き出しを止める。
瞬間、柔らかな風とともに衣装が透けるように姿を消し、代わりにいつもの僕の見慣れた白衣と袴になった。
無論、尻尾もその姿を消している。
「私のを見て行かないのかね?」
「以前、僕に投げた言葉をそっくりそのまま返しますよ」
「……ふむ、全くもってその通りだな」
苦笑した声が聞こえたが、僕はそれには答えず、通路を進んだ。
城の敷地内に存在し、これまた石造りの選手専用宿泊施設の僕にあてがわれている部屋へと戻った所で、上掛けを脱いで椅子と呼ばれる木製の腰掛けに掛け、寝具へと腰を下ろした。
一息ついた所で、袖の下から【アゲハ】を取り出し、鞘に収めたまま励起させる。
直ぐに僕の隣に気配が現れ、左肩にひやりとした冷たさと柔らかさをもった重みが掛かる。
「一磨様、申し訳ございませんでした……」
「良い……それよりも揚羽、君の魂の方が心配だ。視せてもらえるかい?」
揚羽が小さく頷いたので、僕は対面するように身体を動かし、前身頃を若干広く空けて、そこから覗く双丘の間へと手を伸ばす。
冷たいが、女性特有の滑らかな感触に触れた所で、【氣】を沈め、ゆっくりと眼帯を外し、【禁呪眼】を解放する。
普段の開放とは違い、足元から迫り上がる流水の如く穏やかな【氣】の発生を感じたので、それらを丹田へと流し込み、僕の身体へと馴染ませて【禁呪眼】へと移動させる。
右目を瞑り、左目の【禁呪眼】を通して揚羽を【視る】事で、【氣】を読み取り、僕に流れる【氣】を揚羽へと同調させ、触れている手をゆっくりと押し込む。
「……んっ……」
若干の抵抗を受け、艶のある声を漏らした揚羽であるが、直ぐに僕の右手は揚羽身体に入り込み、冷たさの中で唯一の暖かさをもった【ソレ】へと指先が触れたので、僕は手の進行を止める。
物理的、精神的に揚羽と同調した僕には、【ソレ】からの情報が直接流れ込んで来るため、軽い眩暈の様な感覚に襲われたが、気を保ち送られてくる情報の全てを読み解く。
(………………若干、削られてしまっているね……)
(申し訳ございません……)
(いや、あれは僕の甘さのせいだ。揚羽の責じゃない。それに、この大陸に付くまでに何度か無理をお願いもしたからね)
揚羽の状態を確認出来た僕は、右手を揚羽の身体から引き抜き、同調を解除した。
【ゴースト】である揚羽が魂を消耗したままいる事は、例え励起していない状態でも要らぬ負担を掛けてしまうし、時期的にも丁度良い。
揚羽――名を呼びながら、【ゴースト】になっても変わらず艶やかな長髪を撫でると、それまでの凛とした表情が一転し、熱を帯び何処か惚けている女の顔へと変貌した。
一磨様――まるで壊れ物にでも触れるかの様に僕の名を呼ぶ揚羽は、既に崩れてしまっている身頃を肩を何度か動かす事で開き切り、豊満な双丘を顕にした。
口づけを交わしながら腕を頭に回し、寝具へと倒れ込む。
「一磨様、お慕い申し上げております……」
「ありがとう、揚羽」
再び口づけを交わし、帯留めを外して焦らすように帯を緩めるが、揚羽は辛抱出来ないらしく、一瞬だけ実態を解除し、中身がなくなった衣装が寝具に広がった所で、再び実態を形成した。
「さぁ、一磨様、揚羽にお情けを下さいまし」
「女性にここまでさせて何もしないのは恥となってしまうけど、何というか……揚羽はあの刀になってから、随分と変わったよね……」
それは心外です――殊更オドケタ表情で言葉を紡ぐ揚羽。
「揚羽は稚児の頃より一磨様をお慕い申しておりましたよ」
「いや、それは以前にも聞いから知っているけど……って、そこじゃなくて、御前様お抱え道術室に配されていたけど、縁側で日がな一日お茶を啜り、清楚という言葉を形にしたような揚羽が今じゃこうしているなんて、あの頃じゃとてもじゃないけど想像なんて出来なかったよ」
「一磨様、それはわたくしがその様に演じていたからですよ」
演じていた?――今一つ合点が行かない僕が頭の上に疑問符を浮かべていると、何が可笑しいのか、口元に手を当てながら小さく揚羽が笑った。
「そうですよ〜。わたくしからしてみましたら、あの頃の一磨様は真面目の言葉が衣を着て歩いている様なものでしたから、兄上にお頼みしまして、一磨様の好みの女性像を知り、それを演じていたのです」
兄上――その言葉に僕の胸が痛む。
僕の表情から何を考えているのか、長年の勘から理解したのだろう、揚羽が僕の頬に触れ撫でてきた。
「一磨様はあの様な非常時の中、兄上の最後の刻まで共に居り、この様な身に堕ちてしまい、兄上と共にあの場に打ち棄てられてしまうだけであったわたくしをその【呪い】ごと引き継いで下さいました。一磨様には、感謝こそありますが、恨みなど、これっぽっちもございません」
どこまでも優しく語り掛けて来る揚羽の言葉に、この旅を決意した際に見せられた彼女の覚悟を思い出す。
「父を失い、母を亡くし、帰るべき家も、護るべき民も、拠るべき国も無くなり、唯一の其の身すらも間借りモノであったとしましても、わたくし、揚羽だけは、一磨様をお慕い申し上げ、全てをお赦し致します」
――そうだったな……。
ここで僕がいつまでも足踏みをしている訳にはいかない。
例えこの世の全てが敵であろうとも、たった1人だけ、全てを受け止めてくれる存在がいるのなら、充分過ぎるじゃないか。
これは良い機会なのだろう。
生きて再び【ジパング】の地を踏めるとは思っていないが、それまでの間、決して永くない刻の全てを掛けて、彼女に応えよう。
心の中に泥のように溜まり、蟠っていた感情の塊が、1つの決意によって溶けた僕は、これまでの自嘲とは違う笑みを揚羽へと向けた。
「か、一磨様……」
「揚羽、決して永くはない、この旅の間だけでも良い。僕にその全てを掛けて従えてくれ」
はい、はい――っと涙を零しながら何度も頷く揚羽と唇を合わせ、白衣を脱いだ僕は【氣】を同調させたまま、身体と心の双方を交合わせる。
武闘大会に登録した選手に充てがわれる宿泊施設の屋上にて、夜風にマントの裾を翻し、月明かりのみが爛々と輝く漆黒の夜空の遥か彼方の1点へと視線を向けていたが、最悪の事態が避けられたため、緊張によって肺に溜まっていた空気を吐き出し、気持ちを切り替えてから背後に居る存在へと声を掛けた。
「この様な事に付き合わせてしまって、すまんな……」
気にするな――っとヒールをカツンっと鳴らし、宵闇を纏った、美しいという言葉すら陳腐な響きへと変えてしまう程の美麗な女性――【ヴァンパイア】が私の隣に立った。
「アヤツが関わるのならば、ワシらも関わらぬ訳にはいかぬからの」
「………………そうだったな……あのモノは君達との契約を破棄しただけでなく、彼の者が――」
風が、吹いた……?
――否、これは違う……これは気温が下がったのではなく、私の【周囲の環境】が変わったのだ。
魔術の探求の果てに境界線上の存在となってしまった私ですら薄ら寒く感じてしまう程の威圧感を出せるモノなぞ、数得られる程しかおらず、先程迄私がその動向を監視していたモノでなければ、自ずと答えが出て来る。
「……【ヴァンパイア】、落ち着くのだ。君等3人の実力は今は拮抗していない。残念だが、君と【狐】は余りにも消耗し過ぎており、あのモノが頭1つ出ているのが現状だ」
「解っておる……解っておるがっ……!!」
余りの怒りに普段は制御し切れている余剰魔力が暴走を始めており、紫色の蒸気の様な物となり、【ヴァンパイア】の足元から立ち上る。
拙いな……理解は出来ているが感情が付いて来ていない状態だ。
この様な場合、冷静に事実を述べた所で、全く意味をなさず、相手の感情に訴え掛けるのが一番なのだが、私にとって滅ぼすべき相手であったモノの感情なぞ、逆撫でなら幾らでも出来るが、訴え掛けるとなると――あぁ、1つだけあったな、しかも、最も効くものがな。
「【ヴァンパイア】、君の身にもしもの事があった場合、彼の者が永遠に蘇らない事になるだが、それでも良いのかね?」
案の定、肩が動く程の反応を見せ、徐々に紫色の靄が消えていく。
「………………非常に口惜しいが、お主の言葉が最もじゃ……アヤツの処分は、この者を蘇らせてから、じっくりと決めさせてもらうとしよう」
そして、【ヴァンパイア】は昔の私であったら気分を害して卒倒し兼ねない程の柔らかさを持った笑みを浮かべて下腹部を撫でた。
「随分と……変わるものだな……」
「ワシも驚いている所じゃ。愛する者の魂がココにあると思うだけで、これ程迄満たされるとは思わなんだ」
身を裂くような寒さを持つ夜風から身体を護るようにマントの身頃を閉めて、結界を常時展開しているのだから、暑さも寒さも関係ないのに、腹部を護る行動を取った。
「幾星霜もの時を修練に費やし、心身操作術の極みに達してはおるのじゃが、どうもこの感覚だけは慣れん。こんな夜風なぞ、只の風にしか過ぎぬのに、腹部に当たると考えただけで、鋭き穂先を携えた槍衾が迫ってくる感覚になってしまうのじゃからの」
人間を脆く不完全で下等な生き物としてしか認識せず、道端に生えている名も無き草花程度の扱いであった【ヴァンパイア】が、今では人間の命を己の身体に宿し、慈しむか……。
「――【魔物】は、最早、人間にとって、脅威ではなくなったのだな……」
私の独白とも取れる言葉をしっかりとその耳に捉えていたらしく、腹部に手を当て、視線を落としていた【ヴァンパイア】――ローズが面を下に向けたまま口を開いた。
「あの小娘が【魔王】になり、世界の一部が書き換えられた瞬間から、【魔物】は人間の敵ではなく、【愛すべき隣人】に変わったのじゃから、ある意味以外では、お主の云う通り、脅威ではなくなったのじゃろうの」
まっ、ワシや御前とアイツを除いてじゃがな――っと付け加えてローズは軽く笑ったが、私がそれに応えず、真剣な眼差しを向けていると、先程までのオドケタ態度を正し、表情を引き締めた。
「ワシらがこの世に生を受けて幾千年――人間と【魔物】は対立している姿しか記憶にない。時には人間側の勇者と呼ばれる存在が【魔王】を討ち滅ぼした事もあれば、【魔物】側が人間を根絶やしにした事もあった。互いに憎み、争い、滅ぼす事が運命であるようにのう。故にあの小娘が正しいかどうか、ワシには解らん。それは、御前も同じじゃ。でものう――」
ローズは下に向けていた顔を上げ、確かな思いを込めた真っ直ぐな瞳を向けてきた。
「ワシはな、双方に無益な血が流れぬ今のこの世情を悪くないと思っておる」
ローズの本心からの言葉を聞いた私は、頷き言葉を紡ぐ。
「1世紀以上を魔導の探求に費やし、人間の身のまま、彼岸と此岸の境界に立つ私だが、君から見れば、未だ幼子と同じだ。けれども、そんな私も、君と同じ事を思う。現在の人間と【魔物】は数十年前の骨を砕き、肉を喰む、壮絶を極めるモノではなく、隣人を愛するが如く、互いが互いを想い、家族としての営みをするモノもいる位だからな」
「そうじゃ、今の世情は一部の【魔物】と人間を除いては、非常に住み心地の良いものとなておる。極一部を除いてはな……」
そして、私とローズは静かに背後へと振り返る。
そこには、月夜に映える白きチェニックにフードを目深に被った男が立っていた。
数歩、私達の方へ近寄るが、革製のブーツは一切の音を立てず、静かなる狂気を纏った男は、私が一足では届かない絶妙な位置で足を止めた。
「胸部に施されている紅き逆さ十字の刺繍――表向きは【主神】の教えを広め、【魔物】の誘惑から人々を救済する【教会】だが、敢えて【主神】の教えに背く汚れ仕事を生業とする異端特務機関【カリオテ】の者か……」
「しかも、刺繍に金糸が使われている所から察するに、あの者は【裏切り者(イーシュ・カリヨート)】の徽章を受けた者みたいじゃぞ」
「異端の中のエリートか。だが――」
「「敵ではない」」
声を合わせて放った言葉を合図に【裏切り者】の後ろに控えていた【カリオテ】の者達が一斉に姿を現した。
【裏切り者】と同じく、白きチェニックに白きフードを被り、革製のブーツとアームガードを着用しているが、胸の紅き逆さ十字だけは金糸の飾りが施されていない。
基本の装備は一緒と見えるが、よく見ると細部に僅かに違いがあり、身体に巻くように付けている革製のベルトには、投げナイフが幾つも嵌めこまれている。
私は相手に見えぬよう、外套の中で法陣を展開し、肉厚の両刃の剣を呼び出す。
外套を翻すと同時に一気に剣を引き抜き、【裏切り者】へと剣先を向ける。
「今の私は非常に気分が良い。あのまま姿を表さなければ、見逃したものを、惜しい事をしたな、【裏切り者】」
私の言葉には応えず、【裏切り者】が両腕を振るうと、袖口から何かが勢い良く飛び出し、両手に武器を握った。
「ジャマダハルか……暗殺者らしい武器だな。それならば、私も【魔法使い】らしい事をするとしよう」
空いている方の左手を前に突き出し、指を鳴らす。
それを発条として、一瞬で展開された魔方陣が【カリオテ】の者達を取り囲む。
これ程の量の魔方陣を無詠唱で一瞬にして展開する相手に今迄会った事がなかった様で、【カリオテ】の者達の間にドヨメキが走る。
驚くのも無理はない。
無詠唱にて数百からの魔方陣を一瞬にして展開出来る者なぞ、上位の【魔物】を除いた場合、指で数得られる程しか存在しないのだからな。
円形の幾何学文様が中空で淡く光りながら、ゆっくりと回転している。
魔方陣だけでは、一体どの様な魔術であるのか判断しかねている【カリオテ】達は、指先1つすら動かさず、ジッと私を凝視してくる。
賢明な判断だ――が、甘いな。
どの様な魔術か解らないからこそ、魔方陣に囲まれてはいけない。
更にこの魔方陣から放たれる殺気に気付かない時点で、この者達の力量が解るというものだ。
あの【ジパング】出身の少年――一磨は初見にしてこの魔方陣からの殺気に気付き、咄嗟の判断の元、的確な動きをしたが、やはり、この者達は所詮は暗殺者か……。
「のう、お主達。少々質問があるのじゃが、良いかの?」
口を閉ざしていたローズが一歩前に歩みを進め、言葉を発する。
勿論、相手からの反応はないが、構わず続ける。
「闇に紛れ、必殺の一撃を見舞うのがお主達の戦法であるのに、唯一のアドバンテージである【暗殺】を放棄してしまっては、限りなく零に近かった勝率が、完璧なる零になってしまっておるぞ? 良いのか?」
さも当然の様に、相手の敗北を言葉にしたローズ。
だが、この者に掛かれば、例え完調でない現在でも、私ですら数分と保たずに地に膝を着く事になるのだから、この程度の者達では、当然の言葉だ。
「ほれ、どうした、お主達? この通り、ワシは丸腰じゃぞ? 今ならばお主達の刃が届くやもしれぬ所に居るのに、何を躊躇っておるのじゃ?」
身を包んでいた黒外套を翻しながら、両の手を広げ、武器を一切身に付けていない事を強調しながら相手を煽るローズであるが、それに何の意味があるというのやら……。
武術の境地に至り、天の理、地の利、人の和すらをも己のモノとしてしまったローズにとって、その身こそが最大の武器であり、【真に古きから存在しているが、真の死を知らぬ者】――【真祖】のしかも【長寿者】ともなれば、最早如何なる者が束になろうとも、敵わぬというものだ。
相手の力量を読めぬ程度の者達であるが、流石にローズの事は知っているのか、一向に動く気配が感じられない。
このままでは……埒が明かぬな……。
肩を軽く竦め、手に持っている剣を一回転させ、剣先を地へと突き立て、それを発条とする。
中空に存在する幾百もの魔方陣から一斉に剣が射出され、【カリオテ】の者共を次々と串刺しにし、絶命させる。
一部の者は反応したが、それでも無傷であるものは極少数であり、致命傷は避けたものの戦力には成り得ぬ状態が殆どだ。
数度の魔方陣からの剣の射出で、【カリオテ】の者達はほぼ壊滅し、射出された剣は、暫しその姿を保つが、直ぐに光の粒子に変換されて形を無くす。
「――さて、未だ抗うかね? 諸君」
彼等【カリオテ】のリーダー格である【裏切り者】に言葉を投げ掛ける。
フードを目深に被っているため、表情は解らぬが、まとっている空気から彼が怒りに震えているのは感じ取れる。
だからこそ、言葉を投げ掛けた、っというのもあるのだがね。
剣を射出したため、魔方陣は消失したが、発条一つで瞬時に幾つも発生させられるのを見せ付ける事により、相手に通常よりも多くの緊張感を与えながら、動作の1つ1つに間断無い判断を強要する事で、精神と肉体の両方を加速度的に消耗させる。
このまま魔方陣を呼び出し続け、消耗戦に持ち込むのも1つではあるが、暗殺などという人間の尊厳を無視した行いを生業とする彼等は、徹底的に排除させてもらう。
「ローズ、ここは私に任せてもらえるかな?」
「正義感の塊であるお主の事だから、そういうとは思っておったぞ。構わぬ、徹底的に潰してしまえ、じゃ」
「感謝する」
シルクハットのツバを持ち、軽く下げて感謝の意を伝える。
視線を【裏切り者】へと向け、一歩踏み出す。
私が足を踏み出した事を発条として、私の背面に幾つかの魔方陣が姿を現し、剣を射出する。
【裏切り者】はジャマダハルを振るい、高速で飛来する剣を打ち払うが、それ程まで熟練していない【カリオテ】の者は剣が直撃し、一瞬だけ身体が跳ね、ゆっくりと崩れ落ちる。
一歩踏み出す。
【カリオテ】の者の四肢が宙を舞う。
一歩踏み出す。
【裏切り者】が弾いた刃が煌きとなる。
一歩踏み出す。
頭部に剣を生やしゆっくりと倒れる【カリオテ】の者。
一歩踏み出す――。
剣を打ち払い、避ける事に集中していた【裏切り者】だが、ここに来て、漸く私が何処に居るのか気付いたらしく、ジャマダハルを構えたまま固まる。
「惜しかったな、【裏切り者】……数で圧倒出来る相手なら良かったのだが、私はこの通り【魔法使い】であり、1人で動く事が主のため、対多数との戦闘に長けているのだよ」
私からの死刑宣告とも取れる言葉を受けた【裏切り者】だが、真一文字に結んでいた口元が小さく歪むと、両手に握っているジャマダハルを投擲してきた。
軽く腕を振るい、魔力障壁によって打ち払う。
「何処に行こうと云うのかな?」
ジャマダハルを打ち払う一瞬の内に私から数メートル程離れた【裏切り者】であるが、私が声を掛けると、これ以上は逃げ切れぬと覚悟をしたのか、その場で停止した。
「肝心の仲間は全てこの通り、永遠の眠りへと誘わせてもらった。残念だったな、【裏切り者】」
「………………否、これで誰にもバレずに魔術を行使出来る。助かったよ、アイゼン=グスタフ」
一切の感情の篭らぬ、中性的な声で答えた【裏切り者】は、足元に転がる仲間であったモノの口内へ手を捻り込み、何かを掴むと、一気に引き抜いた。
何かを無理矢理引き剥がす際に聞こえる、常人ならば耳を塞ぎたくなる不愉快な粘着質な音を響かせながら、筋と体液が纏わり付く脊髄が姿を現す。
脊髄から滴り落ちる体液が地を濡らす中、【裏切り者】が言葉を紡ぎ、詠唱を終えた瞬間、握っていた脊髄が内部からの圧に負け、骨片を撒き散らしながらはじけ飛び、赤黒く蠢く肉に似た何かが胎動しつつ、剣の様な形を形成する。
【裏切り者】が手にした肉の剣を軽く振るうと、空を切る見事な音と共に、赤黒き液体を飛び散らせる。
「ほぉ……人間にしては、随分と危険な術を使うものじゃのう……」
「ローズ……そんなに悠長に構えていて良いのか? アレは――」
「解っておる……アレは、【禁呪】の中の1つ――【犠牲魔術(サクリファイス・マジック)】じゃな……あんな外法が未だ残っておったとはのう……」
思わず、語気が強くなってしまった……。
【犠牲魔術】――文字通り、この世に存在するありとあらゆるモノを捧げ、超常なるモノの力を引き出す魔術。
しかも、捧げるモノが希少であればある程その威力を増し、最も強力なのが【命】を捧げる事であるため、一時は【犠牲魔術】のための奴隷商が存在した程だ。
けれども、やはり【命】を消耗品として扱うのは人道に反するとなり、別段【命】を捧げなくとも、道端の草木や石でも問題がなかったのだが、【危険】と判断した【教会】が【犠牲魔術】を使用するモノに【異教徒】の烙印を押し、弾劾裁判をしたのに、その【教会】が【犠牲魔術】を使うモノを囲っているとはな……。
「流石異端特務機関【カリオテ】と云うべきかな? 自分達が排除した魔術を使うとはな」
「逆だ……我々【教会】が敬虔な信者達の尊い犠牲を基に編み出した【奇跡】を貴様ら【魔法使い】共が横から奪い、勝手に広めたから、民を護るためには、排除するしかなかったんだ」
「凄いのう……是程の歴史の改竄、久し振りに聞いたぞ……」
「私もだ……空いた口が塞がらないとは、此の事を云うのだな……」
「戯言を!」
【教会】の教えこそが絶対である【裏切り者】は怒りを顕に突貫して来た。
踏み込み良し、速度良し、だが――
「大振り過ぎるな。それでは打ち払ってくれと云っている様なモノだ」
肉で形成された剣の突きを打ち払うべき肉厚な両手剣を構えた瞬間、ローズの声が響いた。
「下がれ、アイゼン!」
アレ程のモノが叫ぶのは珍しいと思い、後ろに飛び退いた刹那、【裏切り者】が手にしてる剣の様なモノの刃の部分であろう箇所が、真ん中から上下に分かれると、牙の様なモノが生え揃ったアギトとなり、飛び退き遅れた私の両手剣がアギトに挟まれ、口内へと消失した。
ローズの隣へと着地して一息つく。
私の両手剣を咀嚼し、軽くアギトを開くと、低い空気が抜ける音を吐き出す肉の剣。
手元に残った柄と鍔先から数p先しかない元両手剣を一瞥し、投げ捨て、首を軽く鳴らす。
「……脊髄を贄として発動する魔術である【顎餓剣】ではあるが……【犠牲魔術】を齧った程度のヒヨっ子が扱うモノとは威力も性能も段違いだな……」
「擬似生命を創り出す機能を利用して、【顎餓剣】に素材となった人間の【飢えのみ】を封入したのじゃな。【教会】が【禁呪】とし、排除してから延々と研究し続けたのじゃろう……一体どれ程の人間が犠牲になった事か……」
「貴様等【魔物】やそこの【異端者】共に殺された人間の方が遥かに多いのに、よくその様な事を云えるな」
「それを云うのならば、【教会】によって【異端】の烙印を押され、弾圧され、【魔女裁判】等という、荒唐無稽な狂気により殺された無辜の民はどうなるのかな?」
「【異端者】は人間ではない。【魔物】と同じだ」
「人間でないので、殺しても何の問題も無い……っと云いたいのかのう?」
「貴様等【魔物】は虫螻に情けを掛けるのか?」
「………………何百、何千モノ時を重ね様とも御主達は変わらぬのだな……」
ローズは憂いを帯びた瞳で遥か彼方を見詰めた。
その瞳の先に何を視ているのか、本人でない私には解らぬが、百余年の時を生きる私すら霞む程の永きに渡り、この世界を視て来たからこそ、視えるモノがあるのだろう。
アイゼン――名を呼ばれ、振り向くと、ローズはマントを翻し、自然体となっていた。
「アイツだけはワシが相手をする」
「良いのか? それなりの使い手ではあるのだろう?」
「ふっ……足も生えぬオタマジャクシが、蛇を前にして何が出来ると云うのかな?」
違いない――っと私は応え、一歩退いた。
「……我等が【教会】の【大敵(アーク・エネミー)】が1人。【ヴァンパイア】――ローズ=ノブレスをこの手で屠れるとは、運が良い」
「運が良い、か……面白い事を云うのう、小童」
ローズは一切の構えをせず、悠然と【裏切り者】へと歩みを進める。
一歩、又一歩とローズが近寄る度に、【裏切り者】は【顎餓剣】を構えたまま、摺り足で距離をとる。
――やはり、技量の差は明らかだな。
如何に【裏切り者】が手練れであったとしても、ローズには遠く及ばない。
この世界に於いて、心身操作術でローズの右に出るモノはなく、最早【魔法】の域であるその魔技に敵うモノが居るとするのならば、存在するだけで大陸ごと【魔界】へと変異させてしまう遥か東国の【狐】か、単純な力ならばローズや【狐】すらも凌駕する世界喰らいの【ドラゴン】位だ。
ローズが何気無く踏み出した様にしか見えぬ一歩。
しかし、その一歩で、ローズの身体は【裏切り者】の左真横に移動しており、一拍遅れて【裏切り者】が反応するが、左手に手を添えられただけで、全ての動きを止めさせた。
否、止めざるを得なかったが正しいのだろう。
剣を操る軸となる左手を抑えられては、何も出来ぬ。
ローズの体軸が動いた様に見えた瞬間、【裏切り者】の身体が地面から十数センチ程も跳ね上がり、口から紅き液体を吐き出す。
堪らず、【裏切り者】は抑えられている左手を使わず、右手一本で【顎餓剣】を振るうが、身体の自由が半分以上抑えられている状態では、満足に扱う事も出来ず、ローズが身体を軽く捻るだけで尽くを躱されしまう。
【顎餓剣】の真ん中から上下に分かれ、鋼鉄すらも易易と噛み砕く、鋭き牙が生え揃ったアギトがその凶悪な口を広げ、ローズに襲い掛かる。
だが、ローズは空いている右手で【顎餓剣】の刃であろう部分を下から掴み、持ち上げるだけで無力化し、掴まれている【顎餓剣】が何かに苦しむ様に暴れると、徐々にその動きが沈静化していき、白煙を上げながら、その姿を消してしまった。
突然の出来事に私も【裏切り者】も呆気に取られていると、ローズは抑えている左手を掴んで自分の方に引き寄せて、【裏切り者】の瞳を真っ向から見詰める。
只見詰められるだけで強烈な催淫効果のある【ヴァンパイア】の瞳を息が掛かる程の距離で向けられては、如何に【教会】の教義にどっぷりと使っているモノでも、強烈に揺さぶられてしまう様で、【裏切り者】は指先1つすら動かせなくなった。
「随分と命を弄んでくれたようじゃが……残念じゃのう。鬼籍に入りて、ワシに抗う術は無い。自らが歯牙にも掛けなかった【命】の重さを思い知るが良い」
カツン――ヒールで地を蹴るのを発条に、一瞬にして屋上一帯を飲み込む程の巨大な魔法陣が形成された。魔法陣は紫色に淡く光ながらゆっくりと回転しており、一度だけ眩く光ると、徐々にその姿を消していった。
【始原の魔法使い】と呼ばれる私でも、大規模な準備なしには不可能な程の膨大な【魔力】の発生を確認は出来たが、何かしらの破壊エネルギーに変換される事はなく、身構えていた私も【裏切り者】も拍子抜けであった。
――だが、変化は突然起きた。
私の転送陣からの剣の投擲によって絶命した筈の【カリオテ】の者達の死体が中で何かが暴れている様に蠢きながら、ゆっくりと立ち上がりだしたのだ。
首や四肢を斬り落とした筈なのだが、それらは全て白煙を上げなら再生され、生前の姿に戻っていたが、何処か違和感を感じ注視すると、彼等は皆、女性になっていた。
中には女性も居ただろうが、男性の割合の方が多かった筈なのに、立ち上がった者達は皆、女性的な膨らみをしており、目深く被っていたフードから除く顔は、精気が感じられぬ程青白かった。
成る程、此処に転がっていた【カリオテ】の死体全てを【ゾンビ】や【グール】等の【アンデット】として黄泉帰らせたか。
【教会】の洗脳に等しい【教義】に染まった者達を【魔物】として黄泉帰らせるとは、何とも残酷な事をするものだ。
ローズの皮肉めいた行為に思わず苦笑してしまう。
【裏切り者】は嘗ての仲間であった者達が仇敵として黄泉帰るという、悪夢とも思える異様な空間においてすら、何の感慨も浮かばぬ様で、頭を動かして周囲を確認するだけだ。
「……ふんっ、道具としてすら役に立たず、魔に堕ちてこちらの手を煩わせるとは、本当に使えぬ者達だな……」
「ふむ……オヌシが【禁呪】の中でも特に忌避されている【犠牲魔術】を使えるのか、解る様な気がするのぅ」
「黙れ! 【大敵】!!」
常人ならば鼓動を止められてう程の殺意を込めた視線も、ローズには全く効果が無く、虚しいものである。
「運が良いと云ったり、【大敵】と云ったり、忙しいのぅ、オヌシ。まぁ、直ぐにこの世の柵全てを忘れられる程の快楽に浸れられるのじゃ、安心せい」
「ふ、巫山戯るな!」
「巫山戯てなどおらぬ。ワシは至って真面目じゃ。今では【魔王】と呼ばれているあの小娘に合わせた人間の攻落法に則っているだけじゃ」
「くっ、離せ!」
「出来るものならの」
ローズに掴まれている左手を力尽くで引き離そうとするが、ビクともせず、徐々に包囲網を縮めてくる【アンデット】達に流石の【裏切り者】も焦りが浮かぶ。
何処か下卑た笑みを浮かべ、【裏切り者】の動きを事前に潰すローズだが、【裏切り者】が掴まれている左手に右手を添えて何かを詠唱した瞬間、表情の一切を消して飛び退いた。
ローズが飛び退くとほぼ同時に、【裏切り者】の左腕が内部から一気に膨れると、紅き液体を撒き散らしながら鞭の様にしなる何かが勢い良く飛び出し、周囲の【アンデッド】達を貫く。私の所にも高速で何かが飛来してきたため、腕を振るいながら袖口の中に形成させた法陣から剣を転送し、斬り払い、地面に落ちたナニかを確認する。
「……茨? ……否、しかし、見た目的には人骨に近いな……」
「そりゃそうじゃ。自らの手の骨を代償に発動する魔術じゃからのぅ。前腕から先を犠牲にする代わりに広範囲の相手を拘束、惨殺する【蛇腹茨骨】じゃ」
私の隣に立ち、自らに襲い掛かる【蛇腹茨骨】を羽虫を払うかの如く、軽く打ち払いながら説明をしてくる。
「詳しいな……オマエもこの手の魔術を研究していたのか?」
まさか――っとローズは肩を竦める。
「心外じゃな。ワシはこの手の魔術は好かぬ」
だろうな――っと正直な感想を返す。
襲い来る茨状の骨を打ち払っていると、発動限界に達したのか、徐々に動きが大人しくなり、茨は【裏切り者】の左腕に収束していった。
【裏切り者】は、二の腕から先が無くなった左腕の傷口辺りを圧迫して、出血を抑えつつ、一歩二歩と後退する。
周囲に存在した【アンデッド】の機動力を削いだため、突然襲われる事はないが、これ以上の抵抗を続けるのが不可能なのは容易に解る。
手にしていた剣をマントの中に形成した転移用の魔法陣の中に戻し、刃を収める。
視界の端でローズを確認すると、そちらも同じ考えなのか、構えを解き、【裏切り者】を涼し気な表情で眺めている。
「……さて、これ以上の抵抗は不可能と見受けるが……どうするかね?」
「ふぅ〜、ふぅ〜………………ちっ……」
呼吸を整えつつ、周囲を確認し、圧倒的に不利である事を理解したのか、【裏切り者】は舌打ちをして、ゆっくりと後退り、屋上の端へと移動する。
「何百、何千年掛かろうとも我等は必ず貴様等に追い付く。不死者である【ヴァンパイア】、境界線上の【魔法使い】――【死】をも超越した貴様を【死】なせる御業を御するその日迄、我等は滅びぬ」
その言葉を最後に背面から倒れ込む様に屋上から身を投げ出す【裏切り者】。
【魔術】の発動を感知したため、もうこの場から完璧に姿を消した事を理解し、肺に溜まった空気をゆっくり吐き出して気を入れ替える。
「ふぅ………………【教会】め、手段を選ばなくなって来ているな」
元からであろう――っとローズに返されてしまい、苦笑してしまう。
「じゃが、【犠牲魔術】を持ち出したとなると、連中、なかなか本気であるのう」
「不死者のオマエでも、アレには恐怖を感じるのか?」
ある意味ではの――っとローズは眉根を寄せ、溜息を零す。
「アヤツラは【ヴァンパイア】の本質を何も理解しておらぬ。【命】を【通貨】として扱えるワシらにとって、原理は似ておるが、【理】に反し、程度が遥かに低い【犠牲魔術】では、如何に致命傷を与えられたとしても、【殺しきる】事は不可能じゃ」
「成る程……【顎餓剣】を触れただけで無力化したのはそういう事か」
「相当消費されておったが、【徴収】させてもらい、足りない所はワシの【魔力】で補いつつ、本人に返しただけじゃ」
「それで【魔物】にされたんじゃかなわいがな」
「【魂】が消失してしまうよりかは遥かに良いじゃろう?」
全くだ――っと軽口を返した所で、周囲に転がり、呻き声をあげている【魔物】達の存在に気付き、どうしたものかと顎に手を当てる。
「ローズ、この者達はどうする?」
「ワシの馴染みが収めておる【不死者の国】に送らせてもらう。アヤツの所なら、数十人所か、数百人増えた所で、誤差の範囲じゃ」
「オマエの馴染みか……想像したくない存在だな……」
「安心せい。歳だけならばワシらより長く存在しておるが、【魔王】の小娘の計を最も楽しんでおるモノの1人じゃ。今では自らの片腕を吹き飛ばした元【勇者】を攻落させ、夫として招き入れ、常夜の世界にて毎夜催される夜会に明け暮れておる、タダの【ワイト】に過ぎぬ」
「サラリと流そうとしたが、オマエ達よりも長く存在しているのに、我等【魔法使い】にすら気付かれないとは、どれ程常識から外れた存在なのか解っているのか?」
無論じゃ――っと【ヴァンパイア】はマントを翻し、自らの身体を覆い隠すようにする。
「じゃが、アヤツはワシ等の世界とは別次元に【暗黒魔界】を創り上げ、居を構えておる。【魔王】の小娘の計に賛同はするが、手を貸すつもりは無いとの意思表示じゃな」
「次元すらもその範疇に収めるとは……オマエの周りには、気紛れで世界を揺るがしかねないモノが多くて困る……」
「何度か【神族】との戦争があったそうじゃが、今では皆【不死者の国】の民であろうそうじゃ」
「それは何と云うべきか……難儀なものだな」
全くじゃ――っとローズはシニカルに笑みを浮かべ、徐々にその姿を闇と同化させる。
「そろそろ行くのか?」
「【世界喰らい】が動き出した以上、ワシらが動かぬ訳にはいかぬからの。アヤツは人間には荷が勝ち過ぎる存在じゃ」
「すまんな……我等【魔法使い】も境界線上の存在であるが故、積極的に介在する事が出来ぬのだ……」
気にするでない――っと私が【始原の魔法使い】と呼ばれ出した頃には、想像が出来ぬ程の柔らかな笑みを浮かべ、ローズの姿は闇へと消え、周囲に倒れていた【アンデッド】達もその姿を忽然と消していた。
相変わらずの技量の高さに苦笑しか漏れず、明日の彼との勝負を思い、屋上を後にする。
13/11/16 07:28更新 / 黒猫
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