第五話:武闘大会【本戦】
雲一つ無い夜空に瞬く星々と違い、暖かさと幽玄さを併せ持つ満月を映す水面を前に、僕は1人の男と対峙していた。
見覚えのある僕と同じ烏の濡れ羽根色をした長髪を頭頂辺りで髷を結い、これまた見覚えのある僕と違い中性的な美しき顔立ちの男が女物の緋色の襦袢を肩から提げ、口に咥えているキセルを片手に持ち、紫煙を吹き出す。
この何処か愁いを帯びた気怠そうな態度と武士にあるまじき緩慢な動き。
見間違える筈がない。
今目の前にしている男は、僕の実兄――新城 宗像 高嶺(シンジョウ ムナカタ タカミネ)だ。
「兄上、何故父の意志をお継ぎにならないのだ?」
幾度となく投げ掛けた質問。
「一磨、それはもう何度も答えている。俺よりもオマエの方が相応しいからだ」
繰り返される答え。
「それは答えに成り得ません。悔しい事ではありますが、武術の腕、人々からの信頼、陰陽道の理、どれをとっても僕よりも兄上の方が優れています。僕は精々主と父上の酌量を頂き、近衛武士団に所属させていただいているだけです」
「充分じゃないか。近衛武士兵団は我等が主の最も御側に居られる場所だ。例え所属した場合、その姓を奪われ、主の力の象徴、一降りの刃となる事を強要されようとも、武士である身としては最上の名誉であり、喜びじゃないか」
「そ、それは……その通りですが……」
「それに比べたら、【家】なんぞ、何の価値もない」
「っ!! 兄上! 口に出して良い言葉とそうでない言葉はあります!!」
若干の嘲笑を込めて頬を歪ませる兄上。
「俺は只………………否、こんな事、オマエに云っても仕様も無いな……まっ、今オマエに伝える事があるとするなら、【もう直ぐこの国は大きな変革に直面する】、だけだ」
今度は自嘲気味に頬を歪ませると、踵を返してもう用はないと云わんばかりに歩みを進めた。
「ま、待って下さい、兄上! それは以前から聞いていますが、一体何の事を云っているのですか?! 兄上!!」
「――兄上っ!!!」
しかし、伸ばした手は虚空を掴み、反転する視界。
僕の目に飛び込んできたのは、白を基調とした飾り気のない壁と寝具、それと布団だ。
ゆっくりと首を動かして自分の置かれた状況を確認する。
「あっ、漸く目を覚ましましたか〜、良かったぁ」
独特の間延びした言葉がした方へ顔を向けた。
「はい、何とか……って、オグルさん、どうしたんですか、その傷は?!」
僕の視界に入ってきたオグルさんは、最初見た時と、その豊満な身体の居たる所に歴戦の古傷が幾つもあるのは変わっていなかったが、新たに多くの傷を負っており、包帯を幾重にも巻いている所があり、中にはその巻いた包帯に血が滲んでいる所がある程であった。
「あぁ〜、これ〜? あれだけキミに偉そうな事云ったのに、2回目に当たった相手に負けちゃったんだよぉ〜」
あははぁ〜、恥ずかしい〜――っと相変わらず緊張感の欠片も感じられない声音で呟き、鼻の頭を掻いた。
信じられない。
それが僕が初めに感じた素直な感想だ。
実際にオグルさんの戦いを見た事がないため、断言は出来ないが、開口一番僕の実力を見抜き、担いでいた獲物からして、少なくとも僕が所属していた近衛武士団でも副次官席はある筈だ。
しかも、あの照れ隠しをしている所からして、多分――
「痛み分け、ではありませんね……」
バレちゃったか――っと今度は頬を掻いた。
「もうね、一方的だったわよ〜。抵抗らしい抵抗も出来ないまま、負けちゃった〜」
「そう、ですか……」
僕はオグルさんと話しをするべく上半身を上げたが、どう言葉を返せば良いのか解らず、目を伏せてしまった。
只、何時迄もこうしていてはいられないし、何よりもオグルさんをここまで追い詰められる者となると、あの会場ではアイツ位しかいない筈なので、頭を振り、確認のために口を開いた。
「この時、どの様な言葉を掛ければ良いのか、未熟者である僕では想像できませんが、1つだけ確認を良いでしょうか?」
どうぞ〜――っとオグルさんは質問を促した。
「オグルさんをそこまで追い詰めた人間――もしかして、場違いなシルクハットを被り、黒い外套を纏っていませんでしたか?」
「あれ〜? カズマさん、気を失っていた筈なのに、見ていたんですか?? その通りですよ〜、黒のシルクハットに燕尾服、マントを羽織った紳士ですよ〜。【魔物】でも女性は女性らしく、何度もわたしに降参する様に促していたんですけど、わたしも意地がありますから〜――」
「そうなってしまった、っと」
はい〜――っとオグルさんは小首を傾げて答えた。
成る程、あの黒外套の男は己の欲を満たすためにオグルさんを痛めたのではなく、結果としてこの様な怪我をさせてしまった、っという事か。
でも、それだと、僕の能力を見抜き、【危険だ】っと判断するのは、あの事を知らなければ……真逆――っ?!
この大陸に来た【本当の目的】への足掛かりと思われる結論に辿り着いた僕は、身体に掛かっている布団を剥ぐと同時にベッドの縁に片手を置き、飛び上がる様にして降り立った。
「僕が起きる迄、この身を護って頂き、ありがとうございます」
幾ら武闘に関する催しでも、あれだけの大立ち回りをして目立った僕が、最も無防備な【気を失っている状態】であったのにも関わらず、これといった事を何もされていないなんて、彼女達を少しでも知っていれば有り得ない事なので、1つの確信を持って謝辞を述べると、オグルさんは、いえいえ〜――っと柔和な顔を更に緩めた。
「只、僕はその男に確かめなきゃいけない事ができましたので、申し訳在りませんが、これにて失礼させていただきます」
医務室に備え付けの簡単な木製の椅子に腰掛けているオグルさんに矢継ぎ早に言葉を掛け、ベッドの横に立て掛けられていた我が愛刀を腰に差し、扉の取っ手を握ろうとしたが、空を切ってしまった。
ここって自動扉だったっけ??
……いやいや、そんな事有る訳ない。
誰かが一足早く扉に手を掛け、開けたのだ。
ゆっくりと開く扉を注視していると、徐々に広がるその隙間から紫を基調とし、目玉や牙といった有機的なデザインの鎧を身に纏った女性が現れた。
僕の事をその視界に収めると、鎧の目玉迄もがこちらを向いたので、一瞬たじろいでしまった。
あ、あの鎧って本当に生きていたんだ……流石基本は【魔界】にしか存在せず、こちらの世界では希にしか確認できない程の上位存在だ。
鮮やかな空色の長い髪、深い紫の身頃のみの外套の裾はその内包している【氣】の大きさを表しているのか青い炎となっていた。これだけ近くにいても熱さを感じないので、本物の炎ではなく魔術的な何かなのだろう。
視線が合う以外、お互いに何も行動をしないでいると、目の前の女性――【デュラハン】はゆっくりと歩いて来て隣に立ち、僕の身体を一瞥した。
「もう動いても大丈夫なのか?」
「御陰様で」
ふむ――っと【デュラハン】は顎に手を当て、瞼を閉じた。
時計の針の音しかしない静寂が再び訪れ、ゆったりと針がもう一週しようかとした所で、小さく頷き、瞼を開けた。
「キミはわたしがどの様な立場に居る者か解るか?」
質問の意図が良く解らないが、取り敢えず答える事にする。
「僕は見ての通り、【ジパング】の出身のため、大陸の事物に関しては疎いですが、開会式の際にブリュンヒルデ国王殿の傍に座していた所から、この国に於いてかなり上位の位置に居る方なのは解ります」
「その通り、わたしはブリュンヒルデ国軍・武力騎士団の団長を務めているクスィー・フリューゲルだ」
国軍の武力騎士団団長となると、僕が所属している近衛武士団で云う所の主席武士団長と同等か、国の規模的にそれ以上の役職か。どちらにせよ、国宰でも何でもない、今は只の一選手でしかない僕に直接会いに来る位の存在でない方が何故ここに?
真意を定めかね、いつでも何かしらの行動に移せるよう身構えると、クスィーさんは小さく溜め息を零し、両の掌を上に向けた。
「そんなに身構えないでくれ。貴殿に何かをするためにここに来た訳ではない。もしそのつもりならば、我が国に貯蔵しているあらゆる魔導具と魔術騎士団の全てを用いて、対応している所だ」
「買い被り過ぎですよ。僕には――」
「いや、それでも未だ不十分だとワシは思うぞ」
クスィーさんの隣の空間が水の波紋の様に揺らめき、幼子の如き声色ではあるが、そこに含まれる意志は老練の者を感じさせる声の主がその姿を現した。
見た目こそ、童女を思わせる姿であるが、特徴的な山羊の様な足の蹄と頭部の角に獣の様な両手。
そして、その見た目に反した【空間転移】を日々の移動手段として扱える程の魔法に関する技量。
【バフォメット】――こちらも隣に居る【デュラハン】同様、【魔界】以外では滅多にその姿を確認出来ない程の上位存在。しかも、こちらの女性も先の開会式の際に国王殿の隣に居たのだから、クスィーさんと同等の位に居る存在であると、容易に想像がつく。
「国中にある魔導具とワシの直属部隊は疎か、地形を利用した大規模魔法陣を組んで漸く挑んでも良いかと思える位じゃな。だって、オヌシ、あれ程の【魔力】を扱って尚――」
そこで【バフォメット】は軽く髪を掻き上げ、その幼き外見には似付かわしくない妖艶な笑みを浮かべた。
「未だ【禁珠眼(その目)】を解放し切っていないじゃないか」
……成る程、流石魔術に長けている【バフォメット】だけある。
僕のこの【禁珠眼】に関して、それなりに知識を持っているみたいだね。
「あぁ、安心しろ。ワシもクスィーもオヌシに危害を加えるつもりは本当に無い。オヌシの【禁珠眼(その目)】は……【外法】によって手に入れたモノであろう?」
一つの確信を持って言葉を投げ掛けられた僕は、苦笑する事しか出来なかった。
「参りましたね。そこまで解ってしまいましたか」
「あれだけの無茶をすれば、魔術に精通する者なら誰でも気付くぞ」
そこまで云うと、【バフォメット】は突然目を伏せ何かに耐えるような表情となった。
「人の子の――それも20もいかぬ身で、【人間】として重要な要素の殆どを捨てて迄力を求める………………先代の【魔王】の時代から生きているワシじゃが、一体どれ程の苦難を味わったのか、心中を察すると、のう……」
それ以上の言葉は続かず、クスィーさんに目を向けると、同じ様に目を伏せているが、小さく肩が動いていた。
父上から聞いてはいたが、やはり、何時の時代も、【人間】との共存を望む【魔物】は、優し過ぎる。
そして、【人間】は………………。
「……【ジパング】の【ムサシの国争乱】は御存知ですか?」
「むっ? 勿論だ。【ジパング】の中でも大国であった【ムサシの国】が一週間という非常に短い期間で無くなった一大事変だからな。一部の者以外、民も兵も皆殺されてしまう、凄惨な争乱であったな……」
「争乱当時、僕は国主である御前様の側近として、刀を振るっておりました」
「「「っ?!!」」」
目の前の【デュラハン】と【バフォメット】だけでなく、それまで耳を傾けているだけであったオルグさん迄もが、跳ねる様に面を上げた。
「最初にして最後の【負け戦】です。人としての尊厳も国も民も何もかもを失いました」
「成る程、のう……だからこその【禁珠眼(その目)】か……」
「えぇ、それに貴女の云う通り、僕の身体に仕込まれたモノは【禁珠眼(これ)】だけではありません。我が主とその側近が何百年、何千年と掛けて編み出した、ありとあらゆる呪物と術式が組み込まれています」
「只、一つの目的のためだけに……じゃな?」
はい――っと揺るぎない意志を持って応える。
「但し、この身が人から遠いモノとなってしまっていても、【侍】としてのこの【魂】がある限り、僕は我が主の一振りの刃であり、【人間】でもあります」
例え魂魄を砕かれ様とも決して譲れぬ思いを射抜く視線と共に発すると、それまで俯いているか情の籠もった目を向けて来るだけであった彼女達の頬に笑みが浮かんだ。
「ふふっ……ふふふっ……あはっ………………あはははははっ! クスィー、オヌシの云った通りじゃ! この少年は違うのう!」
【バフォメット】は、クスィーさんの背中を叩きながら一頻り笑うと、国の采配を決める一員に相応しい強気視線をこちらに向けて来た。
「ワシはこれまで多くの【禁】を破った者を見てきた。そのどれも、皆死んだような魚の目をしておってのう、酷いもんじゃった。だが、オヌシは違う! オヌシは【禁】を破り、人としての生を捨てて尚、【人間】であると、誇りを持っていると云った!」
気に入った!――っと手を差し出されたので、頷き、それに応える。
「ワシはブリュンヒルデ国軍・魔術騎士団団長のルーン・ガラティンじゃ!」
「もう御存知ではあると思いますが、新城 兵頭 一磨です」
互いにもう一度力強く握り、離した。
「オヌシが【ジパング】の出身であるから、まさかと思ったクスィーに相談を受けた時は半信半疑であったが、案外と勘というのは侮れないモノじゃな」
一人で合点しているルーンさんは、小さく何度か頷くと、これを見てくれ――っと空中に大きな円を描くように指を動かした。
すると、円の縁から中心へと空間が揺らめき、何かが映し出された。
【空間投影】――何かしらの媒体へと記憶させた過去や現在の映像を文字通り空間へと映し出す高等魔術。本来なら何重にも入り組んだ魔法陣を作成してやっと行える程なのに、無詠唱無円陣で行うなんて、伊達に団長の座にはいないって事か。
ルーンさんの技量に感心しつつも、映し出された映像に集中した僕は、暫く眺めて居た所で言葉を失った。
「――ワシも何度か実物を見た事があるし、利用者とも対峙した事があるから解るが、凄まじいじゃろう? しかも、この様な公然の場で白昼堂々とはのう……アヤツ等、手段も何も選ばなくなってきておる」
そこには、腕がもぎ取れ、足が砕けても尚立ち向かい、再生仕切れていない中途半端な腕と足であるが、純粋な暴力のみで周りに存在する一切を圧倒している一人の男が映し出されていた。
傷口やその動きから只の人間に見えるが、只の人間に可能な所行じゃない。
余りにも非常識な光景であるが、これと全く同じ光景を僕は見た事がある。
決して忘れる事のない、あの争乱の中で。
「……【奇跡の残り香(マーベル・リンガー)】……」
「その態度からして、名前を知っているだけではないな?」
「えぇ、僕はこれと同じ光景を【争乱】の時に見ましたし、相手をしました」
クスィーさんからの確認とも取れる質問に視線を動かさず答える。
「【奇跡の残り香】――反魔物派の一派が作成した超高等術式合成薬。表向きは【神の奇跡の現れ】とされていて、投与されると体組織が再生され、命に関わる重傷すらも瞬時に癒す【奇跡の薬】とされていますが、その実は全く違います。本来の目的は、行き過ぎた【超人思想】の成れの果てであり、反魔物領の市場に出回っている物は何百倍にも希釈されていて、もし原液を投与した場合、体組織を【再構築】すると共に、常人では壊れてしまう程の快楽を与えてあらゆる痛覚を遮断するモノです。それだけでも充分脅威であるのに、体組織の【再構築】に伴い、知覚の鋭敏化、筋力と回復力の爆発的な向上を引き起こし、前述した【常人では壊れてしまう程の快楽】による理性の崩壊のため、盲執とも取れる徹底した【教義】を忠実に執行するだけの傀儡となってしまう狂気の産物ですよ」
「ほぉ、詳しいな。わたし達ですらそこまで知るのにかなりの時間を要したのにな」
「争乱が治まった後、余りにも異様な相手であったため、遺体の一部を持ち帰り、陰陽宮に分析してもらうと共に、暗部も動かして情報を収拾しましたからね。只、まぁ、内容が内容だっただけに、これを知ってるのは、【ジパング】でも極々一部だけですよ」
それよりも――っと僕は面を上げて視線をオグルさんへと向けた。
「僕もですが、一選手でしかない彼女にこんな内容が知られてしまって良いんですか?」
「ん? ……あぁ、そうか、すまんな、知らせるのが遅くなってしまって。オグルはわたしの直属の部下だ」
だから構わんのだよ――っとさも当然っと云った態度で返され、全く想像していなかった答えに一瞬返答に窮してしまった。
「オグルさんって、この国の軍人だったんですか?」
「あぁ、そうだ。これだけ大きな大会だから、幾ら厳重に警備をしていても、邪な考えの奴が必ず紛れ込むから、オグルにはそいつらの取り締まりや事前の排除を任せている。表だってならば、わたしやルーンが動けるが、万が一選手になってしまった場合は、そうもいかんから、コイツを紛らせていたのだが――」
「想定外の剛の者が現れてしまい、予定が狂ってしまった、っと云う訳ですね?」
そうなんじゃ――っと溜め息を零し、ルーンさんが先を続けた。
「オグルはクスィーに次ぐ実力者じゃから、まさかこうなるとは思わなくてのう……更に運の悪い事に、問題のコヤツじゃが、ブロックがオグルとは反対で決勝戦迄ぶつかる事のない奴じゃったのじゃ」
……あっ、何となくだけど、この人達が何で僕の前に居るのか解って来たぞ。
目頭に指を添えて、突然襲ってきた頭痛を抑える。
只、もしこの人達が僕の想像した通りの事を相談して来たとしても、それ以前に僕自身も気になる内容が一つあるので、先ずはそれを解消する。
「僕はどれ位気を失っていましたか?」
「3日程じゃ」
「だとすると、僕は不戦敗になってしまっていますか……」
ワザとらしく肩を落とすが、いや――っとルーンさんが手を左右に振る。
「あれだけの大立ち回りをしたのと、コヤツが異様なせいで、コヤツ迄の全選手が棄権したから、むしろ、不戦勝じゃ」
「……最悪だ……」
今度は本気で肩を落とし、溜め息も零した。
「………………対価は?」
「優勝したのなら、賞金は勿論、コヤツをココで食い止めるのなら――」
「ワシらが知っている【尾咬の蛇(ウロボロス)】の情報を渡そうぞ」
【尾咬の蛇】――僕は口の端が持ち上げるのを抑えられなかった。
「それの保証は?」
クスィーさんとルーンさん、オグルさんの3人は、右手で握り拳を作ると、それを心臓の辺り当てた。
「「「ブリュンヒルデ国軍騎士団の名に掛けて」」」
この人達は僕と同じく、故国の民であり、戦士である事に誇りを持っている。
故に、この言葉以上の証はない。
充分だ。
ならば、今後は僕が応える番だ。
「交渉は成立です」
腰に差している刀を左手で引き抜き、横に寝かせた形で前方へと押し出す。
「ムサシの国、近衛武士団次席 新城 兵頭 一磨、承けたまわりて候」
そして、再び腰に刀を差し、クスィーさんとルーンさんの間を抜けて、医務室を後にした。
国の重鎮が2人も来ていたので、もしやと思ったが、大方の予想通り、通路を進んでいると、受付嬢と同じ格好をした大会の係の女性が現れ、僕を闘技場へと案内してくれた。
闘技場に足を踏み出すと、相変わらずの地を揺るがす歓声が辺りを包むが、今の僕には何も届かない。
僕の相手となる男に目を向ける。
青と白の縞模様の上下が繋がっている服の袖や裾は度重なる強攻で破けて既に形はなく、至る所付着している血は自分と相手の双方のモノだろう。
身長も体格も平均的な【ジパング】の男よりも少しだけあるようにしか見えず、年齢だって僕より若干上程度の筈なのに、薬による想像を絶する快楽の影響なのか、髪の毛は白く脱色されていて、その顔もだらしなく緩み切っているが、一目で憔悴しているのが解る程だ。
「……酷いモノだな……」
あの状態になってしまっては、もう救う方法はない。
一度【奇跡の残り香】によって【再構築】された体細胞は、定期的に薬を投与しなければ急激な変化の反動による激痛に耐え切れず、神経が壊れてしまう上に、体細胞自身も自然崩壊してしまう。
故に一度原液を投与されてしまった相手に出来る事は二つのみ。
痛みを感じさせぬ程の速さで相手を絶命させるか、【密封】を行い、眠りながら体細胞を自然崩壊させるだけだ。
どちらにせよ、死を与える事でしか救う方法はないが、大会の規定上、行えるのは後者の【密封】のみとなる。
【密封】か……【密封】ねぇ……そうなると、あれだけの立ち回りをした相手だから、【今の状態】じゃ難しいから、【禁珠眼】を使おうにも、流石にこれ以上は危険だし、何よりも【禁珠眼】は、術を使う際の補助機能の役割は出来ないから、そうなると――
「第3回戦目、始め!」
いつの間にか発せられた戦いの合図により、男が一気に飛び掛かってくる。
「これしかないよな……」
僕は左手を頭に添え、一気に下に引き下ろす。
続けて、引き下ろした左腕の袖の下に右手を入れ、中に有るモノを刀を引き抜く要領で振るう。
丁度飛び上がり、左右のどちらにも避ける事が出来なかった男は、僕からの一撃をその腹部に直撃させ、後方へと大きく吹っ飛んだが、地面に身体が触れると飛び跳ねる様にして体勢を立て直した。
多分、周りの観客と男には、僕の姿は白い狐のお面を被り、蝶を象った鍔と短刀程しかない刃を氣が覆い、野太刀程の長さの刃が形成されている特殊な刀を持った状態で映っているだろう。
【金色狐の白面】と【幻影刀・揚羽】――型代となった者と同等の力を与えると云われている白面と争乱の際に死地へと赴く兄と共にあるため、自らの命を依り代に作製された妖刀。
故に【幻影刀・揚羽】は使用すると1つの問題が発生する。
それが――
「お久し振りでございます、一磨様」
この幽霊――いや、大陸風に云うと【ゴースト】か。
実体を持っていないが故に液体の身体を持っている【スライム】の様に全体的に色素が薄く、向こう側が透けて見える。
只、その見た目は【ジパング】の伝統衣装である【着物】で包まれており、眉の辺りで切り揃えた長髪を左右に揺らしながら、袖を口元に当てて小さな笑みを浮かべていた。
「わたしを持ち出したというのは、【密封】が必要になった……っという事ですね」
「理解が早くて助かる。アレがその対象だ」
瞬間、【ゴースト】――揚羽の目が鋭くなり、僕ですら周囲の温度が何度か下がった感覚を受けた。
「……アレは【密封】する迄もないとわたしは思いますが?」
「否、僕もそうしたいのは山々だけど、今回はちょっと事情があって、殺しては駄目なんだ」
「ふ〜ん……一磨様がそう仰るのならば従いますが、余り気が乗りません」
「すまない……只、コイツを【密封】すれば、アイツ等の情報が手に入るよ」
「っ?!……解りました。では、いつもの様にお願いします」
「了解」
僕と揚羽が話しをしている内に近付いていた男が再び飛び掛かってきたが、避けると同時に両足の大腿部を一閃して切断する。
両足を失った事によってバランスを崩し、顔から闘技場へ激突して鈍い音が響いたが、全く動じる事なく両手で器用に僕へと振り返って来た。
太い血管を切断された事で大腿部から大量の血液を噴出していたが、暫くするとそれも止み、撒き散らされた血液が生き物の如く胎動し、筋の様になると、一瞬にして切り落とされた両足を引き戻し、切断面同士が接触すると綺麗にくっついてしまった。
そして、元に戻った両足で立ち上がる男。
流石の観客もこれには気分を害する者も現れたか、歓声が消えてしまい、席を立つ者も現れだした。
拙いな……薬を投与した相手の場合、機動力と攻撃手段を奪うため両の手足を切断する所なのだが、このまま続けると大会の趣旨である【娯楽】から大きく離れてしまい、僕が退場させられてしまう危険性がある。
「……以前よりも再生する早さが増していますね……」
「うん、本当なら、続けざまの一撃で腕を狙う所だったけど、その時間すらなかったからね。只、これ以上の攻撃は余り宜しくない」
「………………その様ですね。そうなりますと、手が限られますが、どうしますか?」
「やるしかないよ」
「一磨様は相変わらずですね」
でも――っと揚羽は余る袖を左右に揺らし、口元に当てた。
「そういう所、一磨様らしくて、わたしは好きですよ」
「あははぁ〜、ありがとう」
互い一瞬だけ目を合わせ、左右に飛ぶ。
どちらに来るのかと思ったが、案の定男は僕の方に向かって来た。
只、やっぱりと云うか、その動きの全てが非常に大振りで――
「素人だな、コイツ」
【幻影刀】を振るい、氣の刃を飛ばして両の足を貫き、その衝撃で一瞬動きを鈍らせた所へ、返す刀で更に氣の刃を飛ばし、今度は両の腕を貫く。
「【四肢捕縛陣】」
四肢に刺さっている氣の刃が生き物の様に蠢き自身を伸長させて、両手足に巻き付くと、もう一端を地面へと穿ち、身動きを取れなくした。
更に念を込める事により、鞭状になった氣の引き寄せを強くし、無理矢理男を地面に大の字に寝かせる。
流石と云うべきか、【ミノタウロス】ですら、一瞬にしてその動きを止められる【四肢捕縛陣】が追加詠唱をしなければ、外されてしまう所だった。
だが、それでも尚男は抵抗を止めずに暴れるため、幾ら再構築されているとはいえ、脆弱な人間の身体が鈍い悲鳴を上げだした。
「揚羽!」
「解っております」
男の後ろから気配を消して近付いていた揚羽が、滑る様に男の真上に移動し、擦れ違う瞬間、男の胸部へと札を貼り付けた。
「印!」
僕の隣迄避難してきた揚羽が両手を合わせ、札に念を送り込むと、札を中心に電撃が走り、あれだけ抵抗していた男が静かになった。
「……殺しては――」
「いませんよ。只、心臓の真上に貼り付けたから、脈が止まっているかもしれませんが、直ぐに――」
ピクッ――っと男の指が動いた。
「息を吹き返しましたよ」
「あ〜、うん、確かにそうなんだけど……否、まぁ、良いか……」
色々と問題が内包されており、どの言葉を投げ掛ければ良いのか悩んでしまったので、揚羽の事を咎めるのは後にし、再度暴れられては元も子もないので、【幻影刀】を闘技場へと突き立てた。
「臨める兵、闘う者、皆陣をはり列をつくりて、前に在り」
九字の印を結びながらの真言を発条に、【幻影刀】の刃が地面へと伸び、土と触れた途端、大地の氣と混ざり合い、僕等が立っている闘技場の氣の主従権を手に入れると同時に、【白面】から僕の頭の中に直接魔術の構築式が流れ込み、その余りにも膨大な量に一瞬だけ意識を失い掛けるが、踏み止まり薬でもう幾ばくもない男へと放つ禁呪の構築を行う。
式の構築の完了と共に僕等が立っている闘技場の中の空気が変わる。
空間そのものの支配権を僕が得た事の証だ。
闘技場に貼り付けにされている男も只ならぬ空気を感じたか、抜け出すために両腕に力を込めるが、それはさせない。
上空に飛び上がった揚羽が隠器術にて隠してあった錫杖を5本取り出し、それらを男の両手足と頭の延長線上へと穿つ。
途端、男は自分の身体に訪れた異変に目玉だけを動かして確認する。
「地脈を断たせてもらいました。合成薬にて再構築された身体は、内包する氣だけでは間に合わないので、外部からの供給を必要としますから、指先一つすら動かす事が叶わない筈です……っと云っても、何の事だか解らないと思いますがね」
こんな事をせずとも、今この闘技場は一種の結界となっているため、その気になれば因果律も有る程度操る事が出来るから、わざわざ二重で結界を組む必要はなかったのだが、世界の法則や理に手を出すと、後でどんな反動を受けるか解らないので、成る可く簡単且つ強力なのを使わせてもらった。
「さて、これで終わりです」
僕は袖の中から握り拳よりも二回り程小さな水晶玉を取りだし、それを男へと放り投げる。
水晶玉が男の腹部に触れた途端、目映い光りを放った。
「揚羽、一足目、始め」
「畏まりました」
僕の言葉を合図に、男の頭の辺りの錫杖に居た揚羽が地に足を着け、トンッ――っと足踏みをした。
「青き水の龍」
続けて長い袖を優雅に回し、舞踊の如き、見ている者の身も心も奪う動きをしながら、右腕辺りの錫杖へ移動して、再びトンッ――っと足踏みをする。
「紅き不死の鳥」
その後は先と同じように、クルリクルリと回りながら右足の錫杖に移動して――トンッ。
「金色の権威の龍」
クルリクルリ、トンッ――左足の錫杖。
「白き疾風の獣」
クルリクルリ、トンッ――左手の錫杖。
「黒き吉凶の亀」
クルリクルリ、トンッ――頭の錫杖へ戻って来た揚羽そこで動きを止め、僕と視線が交差する。
僕は両手を叩く。
「禁!」
発条の言葉をもって、構築した式を展開させると、水晶玉の光りが更に強くなり、周りの空間も歪ませる。
しかし、その空間の歪みも錫杖の内部で留まり、そこより外へは広がらない。
尚一層光りが強くなり、最早目も開けていられない程の激しさを持って光りながら、歪んだ空間が水晶へと収束し、光りが徐々に弱まると、それに合わせて空間の歪みも収まり、全てが落ち着く頃には、男が貼り付けられていた所に、僕が投げた水晶玉だけが転がっていた。
もう一度両の手を叩く。
「了!」
広域展開した式とこれまで有していた支配権を解除すると、何かが肩から降りた感覚と共に、【白面】が外れて胸元へと落ちて行き、その姿を消した。
「お疲れ様、揚羽」
僕からの労いの言葉に小さく頭を垂れて応える揚羽。
闘技場に突き立てていた【幻影刀】を引き抜き、軽く振るって纏っている氣を霧散させると、いつの間にか隣に移動して来ていた揚羽が、その姿を周りの景色と同化させつつあった。
はい――っと手渡しされた水晶を受け取る。
「本当は一磨様の御側に常に居たいのですが、余り無理が出来ない身である故、申し訳御座いません」
「それは気にしないで。むしろ、謝るべきは不便を誣いてしまっている僕の方なんだからさ。必ず方法を見付ける。それまでは、すまないけど、今一度、休んでいてちょうだい」
お待ちしております――微笑みその姿が完全に周りの景色と同化した所で、【幻影刀】を袖の中へとしまい、握っていた水晶玉を頭上へと掲げた。
「………………勝者、選手枠A、一磨選手!!」
暫しの沈黙の後、聞き覚えのある声で宣言された途端、思い出したかの様に地を揺るがす大歓声が巻き起こった。
僕はそれらに軽く手を振って応え、闘技場を後にすると、控え室に続く通路にルーンさんが居たので、軽く会釈をして通り過ぎようとしたが、いきなり腕捕まれた。
「こっちじゃ」
そして、何の変哲も無い壁へ手を当てると、その手を中心に空間が歪み、ルーンさんが中へと入って行ってしまったので、腕を捕まれている僕も自然とその中へと入り込んだ。
只、僕を空間転移陣に連れ込む瞬間、ルーンさんが背筋がむず痒くなる笑みを浮かべていたのは、この際、見なかった事にしたい……。
見覚えのある僕と同じ烏の濡れ羽根色をした長髪を頭頂辺りで髷を結い、これまた見覚えのある僕と違い中性的な美しき顔立ちの男が女物の緋色の襦袢を肩から提げ、口に咥えているキセルを片手に持ち、紫煙を吹き出す。
この何処か愁いを帯びた気怠そうな態度と武士にあるまじき緩慢な動き。
見間違える筈がない。
今目の前にしている男は、僕の実兄――新城 宗像 高嶺(シンジョウ ムナカタ タカミネ)だ。
「兄上、何故父の意志をお継ぎにならないのだ?」
幾度となく投げ掛けた質問。
「一磨、それはもう何度も答えている。俺よりもオマエの方が相応しいからだ」
繰り返される答え。
「それは答えに成り得ません。悔しい事ではありますが、武術の腕、人々からの信頼、陰陽道の理、どれをとっても僕よりも兄上の方が優れています。僕は精々主と父上の酌量を頂き、近衛武士団に所属させていただいているだけです」
「充分じゃないか。近衛武士兵団は我等が主の最も御側に居られる場所だ。例え所属した場合、その姓を奪われ、主の力の象徴、一降りの刃となる事を強要されようとも、武士である身としては最上の名誉であり、喜びじゃないか」
「そ、それは……その通りですが……」
「それに比べたら、【家】なんぞ、何の価値もない」
「っ!! 兄上! 口に出して良い言葉とそうでない言葉はあります!!」
若干の嘲笑を込めて頬を歪ませる兄上。
「俺は只………………否、こんな事、オマエに云っても仕様も無いな……まっ、今オマエに伝える事があるとするなら、【もう直ぐこの国は大きな変革に直面する】、だけだ」
今度は自嘲気味に頬を歪ませると、踵を返してもう用はないと云わんばかりに歩みを進めた。
「ま、待って下さい、兄上! それは以前から聞いていますが、一体何の事を云っているのですか?! 兄上!!」
「――兄上っ!!!」
しかし、伸ばした手は虚空を掴み、反転する視界。
僕の目に飛び込んできたのは、白を基調とした飾り気のない壁と寝具、それと布団だ。
ゆっくりと首を動かして自分の置かれた状況を確認する。
「あっ、漸く目を覚ましましたか〜、良かったぁ」
独特の間延びした言葉がした方へ顔を向けた。
「はい、何とか……って、オグルさん、どうしたんですか、その傷は?!」
僕の視界に入ってきたオグルさんは、最初見た時と、その豊満な身体の居たる所に歴戦の古傷が幾つもあるのは変わっていなかったが、新たに多くの傷を負っており、包帯を幾重にも巻いている所があり、中にはその巻いた包帯に血が滲んでいる所がある程であった。
「あぁ〜、これ〜? あれだけキミに偉そうな事云ったのに、2回目に当たった相手に負けちゃったんだよぉ〜」
あははぁ〜、恥ずかしい〜――っと相変わらず緊張感の欠片も感じられない声音で呟き、鼻の頭を掻いた。
信じられない。
それが僕が初めに感じた素直な感想だ。
実際にオグルさんの戦いを見た事がないため、断言は出来ないが、開口一番僕の実力を見抜き、担いでいた獲物からして、少なくとも僕が所属していた近衛武士団でも副次官席はある筈だ。
しかも、あの照れ隠しをしている所からして、多分――
「痛み分け、ではありませんね……」
バレちゃったか――っと今度は頬を掻いた。
「もうね、一方的だったわよ〜。抵抗らしい抵抗も出来ないまま、負けちゃった〜」
「そう、ですか……」
僕はオグルさんと話しをするべく上半身を上げたが、どう言葉を返せば良いのか解らず、目を伏せてしまった。
只、何時迄もこうしていてはいられないし、何よりもオグルさんをここまで追い詰められる者となると、あの会場ではアイツ位しかいない筈なので、頭を振り、確認のために口を開いた。
「この時、どの様な言葉を掛ければ良いのか、未熟者である僕では想像できませんが、1つだけ確認を良いでしょうか?」
どうぞ〜――っとオグルさんは質問を促した。
「オグルさんをそこまで追い詰めた人間――もしかして、場違いなシルクハットを被り、黒い外套を纏っていませんでしたか?」
「あれ〜? カズマさん、気を失っていた筈なのに、見ていたんですか?? その通りですよ〜、黒のシルクハットに燕尾服、マントを羽織った紳士ですよ〜。【魔物】でも女性は女性らしく、何度もわたしに降参する様に促していたんですけど、わたしも意地がありますから〜――」
「そうなってしまった、っと」
はい〜――っとオグルさんは小首を傾げて答えた。
成る程、あの黒外套の男は己の欲を満たすためにオグルさんを痛めたのではなく、結果としてこの様な怪我をさせてしまった、っという事か。
でも、それだと、僕の能力を見抜き、【危険だ】っと判断するのは、あの事を知らなければ……真逆――っ?!
この大陸に来た【本当の目的】への足掛かりと思われる結論に辿り着いた僕は、身体に掛かっている布団を剥ぐと同時にベッドの縁に片手を置き、飛び上がる様にして降り立った。
「僕が起きる迄、この身を護って頂き、ありがとうございます」
幾ら武闘に関する催しでも、あれだけの大立ち回りをして目立った僕が、最も無防備な【気を失っている状態】であったのにも関わらず、これといった事を何もされていないなんて、彼女達を少しでも知っていれば有り得ない事なので、1つの確信を持って謝辞を述べると、オグルさんは、いえいえ〜――っと柔和な顔を更に緩めた。
「只、僕はその男に確かめなきゃいけない事ができましたので、申し訳在りませんが、これにて失礼させていただきます」
医務室に備え付けの簡単な木製の椅子に腰掛けているオグルさんに矢継ぎ早に言葉を掛け、ベッドの横に立て掛けられていた我が愛刀を腰に差し、扉の取っ手を握ろうとしたが、空を切ってしまった。
ここって自動扉だったっけ??
……いやいや、そんな事有る訳ない。
誰かが一足早く扉に手を掛け、開けたのだ。
ゆっくりと開く扉を注視していると、徐々に広がるその隙間から紫を基調とし、目玉や牙といった有機的なデザインの鎧を身に纏った女性が現れた。
僕の事をその視界に収めると、鎧の目玉迄もがこちらを向いたので、一瞬たじろいでしまった。
あ、あの鎧って本当に生きていたんだ……流石基本は【魔界】にしか存在せず、こちらの世界では希にしか確認できない程の上位存在だ。
鮮やかな空色の長い髪、深い紫の身頃のみの外套の裾はその内包している【氣】の大きさを表しているのか青い炎となっていた。これだけ近くにいても熱さを感じないので、本物の炎ではなく魔術的な何かなのだろう。
視線が合う以外、お互いに何も行動をしないでいると、目の前の女性――【デュラハン】はゆっくりと歩いて来て隣に立ち、僕の身体を一瞥した。
「もう動いても大丈夫なのか?」
「御陰様で」
ふむ――っと【デュラハン】は顎に手を当て、瞼を閉じた。
時計の針の音しかしない静寂が再び訪れ、ゆったりと針がもう一週しようかとした所で、小さく頷き、瞼を開けた。
「キミはわたしがどの様な立場に居る者か解るか?」
質問の意図が良く解らないが、取り敢えず答える事にする。
「僕は見ての通り、【ジパング】の出身のため、大陸の事物に関しては疎いですが、開会式の際にブリュンヒルデ国王殿の傍に座していた所から、この国に於いてかなり上位の位置に居る方なのは解ります」
「その通り、わたしはブリュンヒルデ国軍・武力騎士団の団長を務めているクスィー・フリューゲルだ」
国軍の武力騎士団団長となると、僕が所属している近衛武士団で云う所の主席武士団長と同等か、国の規模的にそれ以上の役職か。どちらにせよ、国宰でも何でもない、今は只の一選手でしかない僕に直接会いに来る位の存在でない方が何故ここに?
真意を定めかね、いつでも何かしらの行動に移せるよう身構えると、クスィーさんは小さく溜め息を零し、両の掌を上に向けた。
「そんなに身構えないでくれ。貴殿に何かをするためにここに来た訳ではない。もしそのつもりならば、我が国に貯蔵しているあらゆる魔導具と魔術騎士団の全てを用いて、対応している所だ」
「買い被り過ぎですよ。僕には――」
「いや、それでも未だ不十分だとワシは思うぞ」
クスィーさんの隣の空間が水の波紋の様に揺らめき、幼子の如き声色ではあるが、そこに含まれる意志は老練の者を感じさせる声の主がその姿を現した。
見た目こそ、童女を思わせる姿であるが、特徴的な山羊の様な足の蹄と頭部の角に獣の様な両手。
そして、その見た目に反した【空間転移】を日々の移動手段として扱える程の魔法に関する技量。
【バフォメット】――こちらも隣に居る【デュラハン】同様、【魔界】以外では滅多にその姿を確認出来ない程の上位存在。しかも、こちらの女性も先の開会式の際に国王殿の隣に居たのだから、クスィーさんと同等の位に居る存在であると、容易に想像がつく。
「国中にある魔導具とワシの直属部隊は疎か、地形を利用した大規模魔法陣を組んで漸く挑んでも良いかと思える位じゃな。だって、オヌシ、あれ程の【魔力】を扱って尚――」
そこで【バフォメット】は軽く髪を掻き上げ、その幼き外見には似付かわしくない妖艶な笑みを浮かべた。
「未だ【禁珠眼(その目)】を解放し切っていないじゃないか」
……成る程、流石魔術に長けている【バフォメット】だけある。
僕のこの【禁珠眼】に関して、それなりに知識を持っているみたいだね。
「あぁ、安心しろ。ワシもクスィーもオヌシに危害を加えるつもりは本当に無い。オヌシの【禁珠眼(その目)】は……【外法】によって手に入れたモノであろう?」
一つの確信を持って言葉を投げ掛けられた僕は、苦笑する事しか出来なかった。
「参りましたね。そこまで解ってしまいましたか」
「あれだけの無茶をすれば、魔術に精通する者なら誰でも気付くぞ」
そこまで云うと、【バフォメット】は突然目を伏せ何かに耐えるような表情となった。
「人の子の――それも20もいかぬ身で、【人間】として重要な要素の殆どを捨てて迄力を求める………………先代の【魔王】の時代から生きているワシじゃが、一体どれ程の苦難を味わったのか、心中を察すると、のう……」
それ以上の言葉は続かず、クスィーさんに目を向けると、同じ様に目を伏せているが、小さく肩が動いていた。
父上から聞いてはいたが、やはり、何時の時代も、【人間】との共存を望む【魔物】は、優し過ぎる。
そして、【人間】は………………。
「……【ジパング】の【ムサシの国争乱】は御存知ですか?」
「むっ? 勿論だ。【ジパング】の中でも大国であった【ムサシの国】が一週間という非常に短い期間で無くなった一大事変だからな。一部の者以外、民も兵も皆殺されてしまう、凄惨な争乱であったな……」
「争乱当時、僕は国主である御前様の側近として、刀を振るっておりました」
「「「っ?!!」」」
目の前の【デュラハン】と【バフォメット】だけでなく、それまで耳を傾けているだけであったオルグさん迄もが、跳ねる様に面を上げた。
「最初にして最後の【負け戦】です。人としての尊厳も国も民も何もかもを失いました」
「成る程、のう……だからこその【禁珠眼(その目)】か……」
「えぇ、それに貴女の云う通り、僕の身体に仕込まれたモノは【禁珠眼(これ)】だけではありません。我が主とその側近が何百年、何千年と掛けて編み出した、ありとあらゆる呪物と術式が組み込まれています」
「只、一つの目的のためだけに……じゃな?」
はい――っと揺るぎない意志を持って応える。
「但し、この身が人から遠いモノとなってしまっていても、【侍】としてのこの【魂】がある限り、僕は我が主の一振りの刃であり、【人間】でもあります」
例え魂魄を砕かれ様とも決して譲れぬ思いを射抜く視線と共に発すると、それまで俯いているか情の籠もった目を向けて来るだけであった彼女達の頬に笑みが浮かんだ。
「ふふっ……ふふふっ……あはっ………………あはははははっ! クスィー、オヌシの云った通りじゃ! この少年は違うのう!」
【バフォメット】は、クスィーさんの背中を叩きながら一頻り笑うと、国の采配を決める一員に相応しい強気視線をこちらに向けて来た。
「ワシはこれまで多くの【禁】を破った者を見てきた。そのどれも、皆死んだような魚の目をしておってのう、酷いもんじゃった。だが、オヌシは違う! オヌシは【禁】を破り、人としての生を捨てて尚、【人間】であると、誇りを持っていると云った!」
気に入った!――っと手を差し出されたので、頷き、それに応える。
「ワシはブリュンヒルデ国軍・魔術騎士団団長のルーン・ガラティンじゃ!」
「もう御存知ではあると思いますが、新城 兵頭 一磨です」
互いにもう一度力強く握り、離した。
「オヌシが【ジパング】の出身であるから、まさかと思ったクスィーに相談を受けた時は半信半疑であったが、案外と勘というのは侮れないモノじゃな」
一人で合点しているルーンさんは、小さく何度か頷くと、これを見てくれ――っと空中に大きな円を描くように指を動かした。
すると、円の縁から中心へと空間が揺らめき、何かが映し出された。
【空間投影】――何かしらの媒体へと記憶させた過去や現在の映像を文字通り空間へと映し出す高等魔術。本来なら何重にも入り組んだ魔法陣を作成してやっと行える程なのに、無詠唱無円陣で行うなんて、伊達に団長の座にはいないって事か。
ルーンさんの技量に感心しつつも、映し出された映像に集中した僕は、暫く眺めて居た所で言葉を失った。
「――ワシも何度か実物を見た事があるし、利用者とも対峙した事があるから解るが、凄まじいじゃろう? しかも、この様な公然の場で白昼堂々とはのう……アヤツ等、手段も何も選ばなくなってきておる」
そこには、腕がもぎ取れ、足が砕けても尚立ち向かい、再生仕切れていない中途半端な腕と足であるが、純粋な暴力のみで周りに存在する一切を圧倒している一人の男が映し出されていた。
傷口やその動きから只の人間に見えるが、只の人間に可能な所行じゃない。
余りにも非常識な光景であるが、これと全く同じ光景を僕は見た事がある。
決して忘れる事のない、あの争乱の中で。
「……【奇跡の残り香(マーベル・リンガー)】……」
「その態度からして、名前を知っているだけではないな?」
「えぇ、僕はこれと同じ光景を【争乱】の時に見ましたし、相手をしました」
クスィーさんからの確認とも取れる質問に視線を動かさず答える。
「【奇跡の残り香】――反魔物派の一派が作成した超高等術式合成薬。表向きは【神の奇跡の現れ】とされていて、投与されると体組織が再生され、命に関わる重傷すらも瞬時に癒す【奇跡の薬】とされていますが、その実は全く違います。本来の目的は、行き過ぎた【超人思想】の成れの果てであり、反魔物領の市場に出回っている物は何百倍にも希釈されていて、もし原液を投与した場合、体組織を【再構築】すると共に、常人では壊れてしまう程の快楽を与えてあらゆる痛覚を遮断するモノです。それだけでも充分脅威であるのに、体組織の【再構築】に伴い、知覚の鋭敏化、筋力と回復力の爆発的な向上を引き起こし、前述した【常人では壊れてしまう程の快楽】による理性の崩壊のため、盲執とも取れる徹底した【教義】を忠実に執行するだけの傀儡となってしまう狂気の産物ですよ」
「ほぉ、詳しいな。わたし達ですらそこまで知るのにかなりの時間を要したのにな」
「争乱が治まった後、余りにも異様な相手であったため、遺体の一部を持ち帰り、陰陽宮に分析してもらうと共に、暗部も動かして情報を収拾しましたからね。只、まぁ、内容が内容だっただけに、これを知ってるのは、【ジパング】でも極々一部だけですよ」
それよりも――っと僕は面を上げて視線をオグルさんへと向けた。
「僕もですが、一選手でしかない彼女にこんな内容が知られてしまって良いんですか?」
「ん? ……あぁ、そうか、すまんな、知らせるのが遅くなってしまって。オグルはわたしの直属の部下だ」
だから構わんのだよ――っとさも当然っと云った態度で返され、全く想像していなかった答えに一瞬返答に窮してしまった。
「オグルさんって、この国の軍人だったんですか?」
「あぁ、そうだ。これだけ大きな大会だから、幾ら厳重に警備をしていても、邪な考えの奴が必ず紛れ込むから、オグルにはそいつらの取り締まりや事前の排除を任せている。表だってならば、わたしやルーンが動けるが、万が一選手になってしまった場合は、そうもいかんから、コイツを紛らせていたのだが――」
「想定外の剛の者が現れてしまい、予定が狂ってしまった、っと云う訳ですね?」
そうなんじゃ――っと溜め息を零し、ルーンさんが先を続けた。
「オグルはクスィーに次ぐ実力者じゃから、まさかこうなるとは思わなくてのう……更に運の悪い事に、問題のコヤツじゃが、ブロックがオグルとは反対で決勝戦迄ぶつかる事のない奴じゃったのじゃ」
……あっ、何となくだけど、この人達が何で僕の前に居るのか解って来たぞ。
目頭に指を添えて、突然襲ってきた頭痛を抑える。
只、もしこの人達が僕の想像した通りの事を相談して来たとしても、それ以前に僕自身も気になる内容が一つあるので、先ずはそれを解消する。
「僕はどれ位気を失っていましたか?」
「3日程じゃ」
「だとすると、僕は不戦敗になってしまっていますか……」
ワザとらしく肩を落とすが、いや――っとルーンさんが手を左右に振る。
「あれだけの大立ち回りをしたのと、コヤツが異様なせいで、コヤツ迄の全選手が棄権したから、むしろ、不戦勝じゃ」
「……最悪だ……」
今度は本気で肩を落とし、溜め息も零した。
「………………対価は?」
「優勝したのなら、賞金は勿論、コヤツをココで食い止めるのなら――」
「ワシらが知っている【尾咬の蛇(ウロボロス)】の情報を渡そうぞ」
【尾咬の蛇】――僕は口の端が持ち上げるのを抑えられなかった。
「それの保証は?」
クスィーさんとルーンさん、オグルさんの3人は、右手で握り拳を作ると、それを心臓の辺り当てた。
「「「ブリュンヒルデ国軍騎士団の名に掛けて」」」
この人達は僕と同じく、故国の民であり、戦士である事に誇りを持っている。
故に、この言葉以上の証はない。
充分だ。
ならば、今後は僕が応える番だ。
「交渉は成立です」
腰に差している刀を左手で引き抜き、横に寝かせた形で前方へと押し出す。
「ムサシの国、近衛武士団次席 新城 兵頭 一磨、承けたまわりて候」
そして、再び腰に刀を差し、クスィーさんとルーンさんの間を抜けて、医務室を後にした。
国の重鎮が2人も来ていたので、もしやと思ったが、大方の予想通り、通路を進んでいると、受付嬢と同じ格好をした大会の係の女性が現れ、僕を闘技場へと案内してくれた。
闘技場に足を踏み出すと、相変わらずの地を揺るがす歓声が辺りを包むが、今の僕には何も届かない。
僕の相手となる男に目を向ける。
青と白の縞模様の上下が繋がっている服の袖や裾は度重なる強攻で破けて既に形はなく、至る所付着している血は自分と相手の双方のモノだろう。
身長も体格も平均的な【ジパング】の男よりも少しだけあるようにしか見えず、年齢だって僕より若干上程度の筈なのに、薬による想像を絶する快楽の影響なのか、髪の毛は白く脱色されていて、その顔もだらしなく緩み切っているが、一目で憔悴しているのが解る程だ。
「……酷いモノだな……」
あの状態になってしまっては、もう救う方法はない。
一度【奇跡の残り香】によって【再構築】された体細胞は、定期的に薬を投与しなければ急激な変化の反動による激痛に耐え切れず、神経が壊れてしまう上に、体細胞自身も自然崩壊してしまう。
故に一度原液を投与されてしまった相手に出来る事は二つのみ。
痛みを感じさせぬ程の速さで相手を絶命させるか、【密封】を行い、眠りながら体細胞を自然崩壊させるだけだ。
どちらにせよ、死を与える事でしか救う方法はないが、大会の規定上、行えるのは後者の【密封】のみとなる。
【密封】か……【密封】ねぇ……そうなると、あれだけの立ち回りをした相手だから、【今の状態】じゃ難しいから、【禁珠眼】を使おうにも、流石にこれ以上は危険だし、何よりも【禁珠眼】は、術を使う際の補助機能の役割は出来ないから、そうなると――
「第3回戦目、始め!」
いつの間にか発せられた戦いの合図により、男が一気に飛び掛かってくる。
「これしかないよな……」
僕は左手を頭に添え、一気に下に引き下ろす。
続けて、引き下ろした左腕の袖の下に右手を入れ、中に有るモノを刀を引き抜く要領で振るう。
丁度飛び上がり、左右のどちらにも避ける事が出来なかった男は、僕からの一撃をその腹部に直撃させ、後方へと大きく吹っ飛んだが、地面に身体が触れると飛び跳ねる様にして体勢を立て直した。
多分、周りの観客と男には、僕の姿は白い狐のお面を被り、蝶を象った鍔と短刀程しかない刃を氣が覆い、野太刀程の長さの刃が形成されている特殊な刀を持った状態で映っているだろう。
【金色狐の白面】と【幻影刀・揚羽】――型代となった者と同等の力を与えると云われている白面と争乱の際に死地へと赴く兄と共にあるため、自らの命を依り代に作製された妖刀。
故に【幻影刀・揚羽】は使用すると1つの問題が発生する。
それが――
「お久し振りでございます、一磨様」
この幽霊――いや、大陸風に云うと【ゴースト】か。
実体を持っていないが故に液体の身体を持っている【スライム】の様に全体的に色素が薄く、向こう側が透けて見える。
只、その見た目は【ジパング】の伝統衣装である【着物】で包まれており、眉の辺りで切り揃えた長髪を左右に揺らしながら、袖を口元に当てて小さな笑みを浮かべていた。
「わたしを持ち出したというのは、【密封】が必要になった……っという事ですね」
「理解が早くて助かる。アレがその対象だ」
瞬間、【ゴースト】――揚羽の目が鋭くなり、僕ですら周囲の温度が何度か下がった感覚を受けた。
「……アレは【密封】する迄もないとわたしは思いますが?」
「否、僕もそうしたいのは山々だけど、今回はちょっと事情があって、殺しては駄目なんだ」
「ふ〜ん……一磨様がそう仰るのならば従いますが、余り気が乗りません」
「すまない……只、コイツを【密封】すれば、アイツ等の情報が手に入るよ」
「っ?!……解りました。では、いつもの様にお願いします」
「了解」
僕と揚羽が話しをしている内に近付いていた男が再び飛び掛かってきたが、避けると同時に両足の大腿部を一閃して切断する。
両足を失った事によってバランスを崩し、顔から闘技場へ激突して鈍い音が響いたが、全く動じる事なく両手で器用に僕へと振り返って来た。
太い血管を切断された事で大腿部から大量の血液を噴出していたが、暫くするとそれも止み、撒き散らされた血液が生き物の如く胎動し、筋の様になると、一瞬にして切り落とされた両足を引き戻し、切断面同士が接触すると綺麗にくっついてしまった。
そして、元に戻った両足で立ち上がる男。
流石の観客もこれには気分を害する者も現れたか、歓声が消えてしまい、席を立つ者も現れだした。
拙いな……薬を投与した相手の場合、機動力と攻撃手段を奪うため両の手足を切断する所なのだが、このまま続けると大会の趣旨である【娯楽】から大きく離れてしまい、僕が退場させられてしまう危険性がある。
「……以前よりも再生する早さが増していますね……」
「うん、本当なら、続けざまの一撃で腕を狙う所だったけど、その時間すらなかったからね。只、これ以上の攻撃は余り宜しくない」
「………………その様ですね。そうなりますと、手が限られますが、どうしますか?」
「やるしかないよ」
「一磨様は相変わらずですね」
でも――っと揚羽は余る袖を左右に揺らし、口元に当てた。
「そういう所、一磨様らしくて、わたしは好きですよ」
「あははぁ〜、ありがとう」
互い一瞬だけ目を合わせ、左右に飛ぶ。
どちらに来るのかと思ったが、案の定男は僕の方に向かって来た。
只、やっぱりと云うか、その動きの全てが非常に大振りで――
「素人だな、コイツ」
【幻影刀】を振るい、氣の刃を飛ばして両の足を貫き、その衝撃で一瞬動きを鈍らせた所へ、返す刀で更に氣の刃を飛ばし、今度は両の腕を貫く。
「【四肢捕縛陣】」
四肢に刺さっている氣の刃が生き物の様に蠢き自身を伸長させて、両手足に巻き付くと、もう一端を地面へと穿ち、身動きを取れなくした。
更に念を込める事により、鞭状になった氣の引き寄せを強くし、無理矢理男を地面に大の字に寝かせる。
流石と云うべきか、【ミノタウロス】ですら、一瞬にしてその動きを止められる【四肢捕縛陣】が追加詠唱をしなければ、外されてしまう所だった。
だが、それでも尚男は抵抗を止めずに暴れるため、幾ら再構築されているとはいえ、脆弱な人間の身体が鈍い悲鳴を上げだした。
「揚羽!」
「解っております」
男の後ろから気配を消して近付いていた揚羽が、滑る様に男の真上に移動し、擦れ違う瞬間、男の胸部へと札を貼り付けた。
「印!」
僕の隣迄避難してきた揚羽が両手を合わせ、札に念を送り込むと、札を中心に電撃が走り、あれだけ抵抗していた男が静かになった。
「……殺しては――」
「いませんよ。只、心臓の真上に貼り付けたから、脈が止まっているかもしれませんが、直ぐに――」
ピクッ――っと男の指が動いた。
「息を吹き返しましたよ」
「あ〜、うん、確かにそうなんだけど……否、まぁ、良いか……」
色々と問題が内包されており、どの言葉を投げ掛ければ良いのか悩んでしまったので、揚羽の事を咎めるのは後にし、再度暴れられては元も子もないので、【幻影刀】を闘技場へと突き立てた。
「臨める兵、闘う者、皆陣をはり列をつくりて、前に在り」
九字の印を結びながらの真言を発条に、【幻影刀】の刃が地面へと伸び、土と触れた途端、大地の氣と混ざり合い、僕等が立っている闘技場の氣の主従権を手に入れると同時に、【白面】から僕の頭の中に直接魔術の構築式が流れ込み、その余りにも膨大な量に一瞬だけ意識を失い掛けるが、踏み止まり薬でもう幾ばくもない男へと放つ禁呪の構築を行う。
式の構築の完了と共に僕等が立っている闘技場の中の空気が変わる。
空間そのものの支配権を僕が得た事の証だ。
闘技場に貼り付けにされている男も只ならぬ空気を感じたか、抜け出すために両腕に力を込めるが、それはさせない。
上空に飛び上がった揚羽が隠器術にて隠してあった錫杖を5本取り出し、それらを男の両手足と頭の延長線上へと穿つ。
途端、男は自分の身体に訪れた異変に目玉だけを動かして確認する。
「地脈を断たせてもらいました。合成薬にて再構築された身体は、内包する氣だけでは間に合わないので、外部からの供給を必要としますから、指先一つすら動かす事が叶わない筈です……っと云っても、何の事だか解らないと思いますがね」
こんな事をせずとも、今この闘技場は一種の結界となっているため、その気になれば因果律も有る程度操る事が出来るから、わざわざ二重で結界を組む必要はなかったのだが、世界の法則や理に手を出すと、後でどんな反動を受けるか解らないので、成る可く簡単且つ強力なのを使わせてもらった。
「さて、これで終わりです」
僕は袖の中から握り拳よりも二回り程小さな水晶玉を取りだし、それを男へと放り投げる。
水晶玉が男の腹部に触れた途端、目映い光りを放った。
「揚羽、一足目、始め」
「畏まりました」
僕の言葉を合図に、男の頭の辺りの錫杖に居た揚羽が地に足を着け、トンッ――っと足踏みをした。
「青き水の龍」
続けて長い袖を優雅に回し、舞踊の如き、見ている者の身も心も奪う動きをしながら、右腕辺りの錫杖へ移動して、再びトンッ――っと足踏みをする。
「紅き不死の鳥」
その後は先と同じように、クルリクルリと回りながら右足の錫杖に移動して――トンッ。
「金色の権威の龍」
クルリクルリ、トンッ――左足の錫杖。
「白き疾風の獣」
クルリクルリ、トンッ――左手の錫杖。
「黒き吉凶の亀」
クルリクルリ、トンッ――頭の錫杖へ戻って来た揚羽そこで動きを止め、僕と視線が交差する。
僕は両手を叩く。
「禁!」
発条の言葉をもって、構築した式を展開させると、水晶玉の光りが更に強くなり、周りの空間も歪ませる。
しかし、その空間の歪みも錫杖の内部で留まり、そこより外へは広がらない。
尚一層光りが強くなり、最早目も開けていられない程の激しさを持って光りながら、歪んだ空間が水晶へと収束し、光りが徐々に弱まると、それに合わせて空間の歪みも収まり、全てが落ち着く頃には、男が貼り付けられていた所に、僕が投げた水晶玉だけが転がっていた。
もう一度両の手を叩く。
「了!」
広域展開した式とこれまで有していた支配権を解除すると、何かが肩から降りた感覚と共に、【白面】が外れて胸元へと落ちて行き、その姿を消した。
「お疲れ様、揚羽」
僕からの労いの言葉に小さく頭を垂れて応える揚羽。
闘技場に突き立てていた【幻影刀】を引き抜き、軽く振るって纏っている氣を霧散させると、いつの間にか隣に移動して来ていた揚羽が、その姿を周りの景色と同化させつつあった。
はい――っと手渡しされた水晶を受け取る。
「本当は一磨様の御側に常に居たいのですが、余り無理が出来ない身である故、申し訳御座いません」
「それは気にしないで。むしろ、謝るべきは不便を誣いてしまっている僕の方なんだからさ。必ず方法を見付ける。それまでは、すまないけど、今一度、休んでいてちょうだい」
お待ちしております――微笑みその姿が完全に周りの景色と同化した所で、【幻影刀】を袖の中へとしまい、握っていた水晶玉を頭上へと掲げた。
「………………勝者、選手枠A、一磨選手!!」
暫しの沈黙の後、聞き覚えのある声で宣言された途端、思い出したかの様に地を揺るがす大歓声が巻き起こった。
僕はそれらに軽く手を振って応え、闘技場を後にすると、控え室に続く通路にルーンさんが居たので、軽く会釈をして通り過ぎようとしたが、いきなり腕捕まれた。
「こっちじゃ」
そして、何の変哲も無い壁へ手を当てると、その手を中心に空間が歪み、ルーンさんが中へと入って行ってしまったので、腕を捕まれている僕も自然とその中へと入り込んだ。
只、僕を空間転移陣に連れ込む瞬間、ルーンさんが背筋がむず痒くなる笑みを浮かべていたのは、この際、見なかった事にしたい……。
13/11/17 14:04更新 / 黒猫
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