連載小説
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後編
 あれからどれ程の時が経ったんだろうか……。
 空には白がさし、止め処なく一方的に与えられる暴力に、俺の神経は磨り減り、最早何かをされているという感覚しか頭に届いて来なくなっていた所、突然、身体に掛かって来る圧がなくなった。
 右手の拘束もなくなっていたので、身体を横にし、力の入らぬ震える右手でゆっくりと上体を起こす。
 呼吸が苦しく、喉に何かが詰まっている感じがしたので、咳込み、吐き出すと、何とも表現の難しい酸っぱさと共に地面に黄色とも茶色とも取れる溶解した固形物が出て来た。
 間断なく与えられる激痛に、内臓が痙攣を起こし、胃の中の内奥物が逆流したが、それでも止む事なく与えられる暴力で、喉が引きつけを起こして、詰まってしまっていたのか……ヲイヲイ、俺、命がかなりヤバイ状態だったんじゃねぇかよ……。
 上体を回し、痺れる頭と定まらぬ視界で周囲を確認すると、背面に振り返った所で、ヤツが――白き死神が、相も変わらず、その出鱈目に整った怖気を覚える美顔に笑みを浮かべ、俺を見下ろしていたので、視線が合った。
 雪のように白く、絹のようにきめ細かな肌には、男の骨を砕き、《治癒魔術》での修復を休まず数時間単位で行っていたにも関わらず、汗一つかいていない。
 こっちは外套にまで滲み出る程の脂汗をかいているし、いつ終わるとも解らない一方的な破壊行動に体力だけでなく、精神も一緒に消耗しちまってるっつうのに、何なんだよ、コイツは、ホントに……。
 肩を軽く蹴り押され、何の抵抗も出来ずに、背中から倒れ込むと、ヤツは俺の身体を跨ぎ、顔を覗き込んで来た。
「――さぁ、アナタの答えを聞かせてください、ジェス」
 しかも、俺が気を取り戻して最初に掛ける声がそれかよ、クソが。
 ……いいぜ。
 テメェがその気なら、俺にだって意地がある。
 ワリィが、この生命、俺は元からテメェを殺す事に使ってやる予定だったからな。
 今更惜しくもなんともねぇぜ。
 もう力が入らず、倒れ込み、一呼吸置いて覚悟を決め、右腕を動かそうとした所で、地面から骨だけの手が出現して掴まれてしまった。
「なっ?!」
 させませんよ――っと白き死神が、悪さをしようとした子供を窘める様に、生暖かい笑みを向けて来た。
「妻であるわたしが、夫の考えが解らないと思っているのですか? 大方、心の臓を《贄》とした《犠牲魔術》の最大魔術を放とうとしたのでしょうが、甘いです」
「何を云っているのか、俺には全然解らねぇな。解らねぇから、この右手を自由にしてくれねぇか?」
 ダメです――っとヤツが右の手首を返すと、地面から幾つもの骨の手が現れ、俺の身体を固定しやがった。
「ふふっ……ふふふっ……動けますか? 動けませんよね? コレでは逃げれませんし、《犠牲魔術》の施行もままなりませんね? どうします? どう対抗しますか? ジェス」
「どうもしねぇよ。俺は俺がヤルべき事をするだけだ」
「そうです。アナタがするべき事は、わたしを――」

 殺す事だ――っとヤツの言葉を遮り、俺は事前に身体に仕込んでおいた《犠牲魔術》を発動させる。

 鳩尾を中心に肋骨が左右に《開き》、身体を展開させると、そのまま骨は延び、俺を跨いで見下ろしているヤツを左右から挟み込む。
 死ぬ程の激痛によって、脳が麻痺しちまったのか、痛みなんか、もう感じねぇ。
 完璧に虚を突いた一撃。
 ヤツも驚きに目を見開――んっ?! 笑って、いやがる……?
 だが、今更魔術を中止するなんて事は出来ねぇ。俺は身体に残っている全魔力を使用して、肋骨から生成した牙でヤツを左右から挟んで砕く。
 直撃すりゃ〜、前魔王時代のバフォメットやリッチの様な魔術に長けた上級の魔物すらも、その身に纏っている《結界》ごと圧し潰し、《贄》として消化できる魔術だ。
 喜べよ、死神。
 俺が《犠牲魔術》で人間を《贄》とする、最初で最後の一撃だ。
 この一撃で死神をくだ――。

「その程度で、わたしを圧し殺せるとお思いですか?」

 視界が揺れ、鼓膜が震える程の衝撃が走り、俺の両サイドからの一撃をその華奢な細腕で軽々と受け止められてしまった。
 更に魔力を流し込み、両サイドからの圧を強力にするが、骨で形成した牙は、ヤツが両側に伸ばした手以上に進む事ができず、俺は奥歯を噛み締め、眉間に皺が寄る。
 クソッ……こっちは全力で殺そうとしてるのに、随分と涼しい顔をしてくれるぜ。

「自分の全力が尽く無力化されて、悔しいですか? ――そもそも、わたしはアナタの妻なんですよ? 夫の全てを知っているのは当たり前。ならば、アナタの全力がどの程度で、アナタがどの様な魔術を使え、如何なる状況になると、どの対応をするのか――全て解っていなくては、可笑しいじゃないですか」

 知るかよ、んなもん。
 俺はテメェと婚姻を結んだ事も、何か特別な事をした事もねぇよ。
 胸部が開いちまっているから、喋る事が一切できねぇが、ヤツを睨み付ける事で抗議の意志をぶつける。
「……また、そういう目をするのですね……やはり、もっとわたしからの愛を実感して頂くしかないようです――」
 ね――っと言い切ると同時に、ヤツが両側に伸ばした手に力を込めると、均衡は破れ、俺の肋骨から生成した牙は呆気無く砕かれてしまった。
 そして、間髪入れずに俺を固定していた骨の手が一斉に動き出し、衣服を破かれてしまい、ヤツと同じく、裸にひん剥かれた。勿論、手足は固定されたままだから、局部を隠す事もできず、痛みと緊張で情けねぇ状態なのを晒すハメになっちまっている。
 ヤツは視線を下ろし、頭を垂らしちまっている俺の逸物を視界に収めた瞬間、頬を染め、口の端が歪な形に弧を描いた。
 声は出ないが、イヤな予感がした俺が、口を戦慄かせ、抵抗の意思を見せたが、それだけでヤツには通じた様で、今や発情期に入っちまった獣人種の魔物娘の様な鬼気迫るドス黒い深紅の瞳を向けて来た。
「大丈夫ですよ。アナタのモノが、最近、老化によって不能気味なのは、解っていますから」
 ヤツは中空に発生させた魔法陣に手を突っ込むと何かを探り、直ぐに見付けた様で、手を引き抜き、魔法陣が消失した。
 その手には、鮮やかな紫色に輝く液体が入った細長いガラス瓶が2つ握られていた。
 ――ヤバイ……アレはヤバイ。
 ナニであるのか全く解らねぇが、アレを見た瞬間に、俺の本能が煩い位の警笛を鳴らし続けている。
 首を振って抵抗の意思を見せると、ヤツは何が楽しいのか、口元に手を当てながら、小さく笑い、ビンの蓋であるコルクを抜いた。
「ふふふっ、一目見ただけで、何であるのか気付くなんて、流石わたしの夫です。……そうです。これは、《魔物の淫毒》です。もし、1本は《開き》になってしまっているアナタの《心の臓》に直接掛け、もう1本はわたしが服毒したら――」
 どうなってしまうでしょうね? ――っと結果が解り切っているにも関わらず、小首を傾げ、三日月の如く釣り上がった、相手に恐怖を与える歪な笑みを貼り付け、ヤツの手が傾き出した。
 厭だ! 止めてくれ! 頼む! 俺は、オマエなんかと――。

「――ったく、人様のモノに手を出すんじゃねぇよ、阿婆擦れ」

 突然、ヤツの姿が掻き消え、代わりに、獣人種特有の四肢が毛皮に覆われている《魔物娘》が現れ、俺に向けて何かの魔術を施行して来た。
 身体中が熱く、呼吸もできない苦しい状態となったが、それも直ぐになくなり、熱が退くと、徐々にだが、身体の感覚が戻って来た。
 胸部が閉じて、マトモな呼吸が行えているのを実感した俺は、骨の手による拘束もいつの間にか解除されていたので、上体を持ち上げ、手で自分の身体を触って感覚を確かめた。
 開きになり、並みの《治癒魔術》では、到底不可能なまでに破壊しちまった俺の身体を、たった数秒で修復しちまったのか……。
 絶体絶命の状況を救ってくれた存在に、感謝の言葉を述べようと顔を上げた所で、左手側の強固な鱗に覆われた掌をコチラに向けられ、拒否のジェスチャーを受けてしまった。
「あっ? えっ?」
「いや、アンタを拒否している訳じゃねぇ。タダ、こうして少しでも視界からアンタのモノを隠していないと、こんな状況であっても、襲っちまいそうでヤバイから、そうしてるだけだ」
「あ、あぁ、そうか……ワリィな、ちょっと待っててくれ」
 俺は周囲に視線を走らせ、破られはしたが、細切れでないため、下半身を隠す事に使える外套を腰に巻き、片手じゃ縛るのは難しいから、魔術で繊維を解き、複雑に絡ませた所で、布を再生させた。
「すまねぇな。コレで大丈夫だ」
 俺からの言葉を受け、側頭部辺りから顔を覗かせている丸い獣耳と、両肩の山羊とドラゴンの顔状の装具が特徴的な勝ち気な美女がコチラに顔を向けて来た。
 ほぉ……勝ち気な吊り目は、左右で色が違うオッドアイか……。
「久し振りだな、ジェス」
「ん? 助けてもらって難だが、俺はアンタの事は知らねぇぞ?」
「ヲイヲイ、ツレねぇ事云うなよ、ジェス。昔、オレ達の土手っ腹にキッツイ一撃を見舞ってくれたじゃねぇか」
 ホレ、この通り――っと指差された腹部には、鋭利なモノで割かれた様な10センチ弱の傷跡が残っており、肉付きの良い白き玉の肌に痛々しい跡があった。
「胸にもあるが、コッチはヤル時に見せてやっから、先ずはオレ達が誰であんのかから思い出してくれや」
 んん〜? ――っと不意打ちであろうが、白き死神を一撃で吹っ飛ばす程の実力を持った、こんな色んな魔物の特徴を持った《魔物娘》は知り合いにいない俺は首を傾げた。
 金髪丸耳オッドアイで、頭頂部辺りからは、山羊とドラゴンの様な捻れた角が生えていて、両肩にもそれらの顔の装飾が存在し、装飾通り、白き毛皮に覆われた右手と強固な紫色の鱗に覆われた左手。
 身体を覆うモノは最低限で、胸を強調する様な形をしている、最早水着と何ら変わらない服からは、今にも零れそうな位の2つの果実。
 んでもって、下半身も太腿辺りから下は、毛皮で覆われており、足は山羊の蹄状になっているし、腰の辺りからは、ドラゴンの翼が生えている。
 どれか1つだけなら解るが、色んなのが混ざり過ぎていて、全然解らんぞ……。
 こんなに合成されていたら……ん? 合成? ……あっ――。
 あまりにも非現実的な結論に達した俺であったが、それ以外に考えられないため、目の前で尊大に両腕を組み、胸を強調させる体制で立っている《魔物娘》に震える指を向けて、ゆっくりと口を開いた。
「ま、まさか……15年前に俺が致命傷を与えた《キマイラ》か……?」
 正解――っと勝ち気な目を緩め、口の端を持ち上げると、鋭い犬歯を覗かせた。
「いや〜、あれからよ〜、オメェから受けた傷を癒やしたオレは、オメェをぶっ殺すためにオメェの臭いが濃く残っている砦を襲撃したんだけどよ〜、とっくにいなくなっているわ、やり場のねぇ怒りをその辺に転がっている《勇者》にぶつけて巣に帰ったら、今度はさっき吹っ飛ばした白いアレに襲われて尻尾を失うわ、マジで災難の連続だった上に、魔王が変わって、こ〜んな姿にもなっちまうわで、ホント、オレのこの気持は何処にぶつければいいわけ? なぁ?」
 す、すみません……――っと一気に畳み掛けるように云われ、相手の気迫に負けちまった俺は、何故か謝罪の言葉を口にした。
「――アニタ、そこまでにしてあげな。彼が困ってしまっているよ」
 《キマイラ》を窘める声が聞こえ、そちらに顔を向けると、月夜の宵闇よりも更に暗い、黒外套に身を包んだ存在が、一切の音も気配もさせずに立っていた。
「やぁやぁ、何とか間に合ってホッとしているよ」
 声は中性的であるが、男の平均的な身長よりも高く、非常に整った顔に、白い肌と白髪、眼鏡の奥で碧く輝く双眸は、飄々とした態度ではあるが、黒外套の存在がタダモノでない事を物語っている。
 理解を超える事態の連続に固まってしまっていると、黒外套は何かに気付いた様に両手を叩き、俺の傍に歩いて来た。
「安心して良いよ。僕達は君の味方だ。ほら、現に君の心の叫びに応えて、アレを吹っ飛ばしてあげたでしょ?」
 ねっ? ――っと人懐っこいが故に、警戒心を高める笑みを向けられ、俺は苦笑するしかできなかった。
「先生、余計に警戒を高めてしまっていますぞ? 実力の差があり過ぎる存在から、突然無償の手を差し伸べられても、取るなんて事はできませんぞ?」
 ん? 何だ? キマイラが纏っている雰囲気が変わったぞ?
「あぁ、それもそうだね、エビータ。先ずは僕達が本当に彼に危害を加える気がない事を信用してもらわないとね。そのためには、あそこで君達の本気の一撃を受けても、絶命せずに身体を瞬時に修復して立ち上がっている化け物を何とかしてあげるのが一番だね」
「化け物、ですか……」
「ん? 何か?」
「この世の大抵の存在より、先生の方が余程《化け物》だと思いますがね、ワレは」
「はっはっはっ、僕なんて、《あの3匹》に比べたら、足元にも――」

「キ、キサマーーーーーーっ!」

「――黙れ」

 ………………何が、起きた……?

 キマイラからの不意打ちを受け、吹っ飛ばされた白き死神が、身体の修復を終え、悠長に喋っている目の前の2人に突っ込んで来たのまでは認識できた。

 ……そう、認識はできたんだが……そこで、何が起きたんだ?

 キマイラも黒外套も談笑している体制のまま、一歩も動いていない。

 なのに……なのに、何で――。

「――はひぇ……?」

 何で、2人に襲い掛かった筈なのに、何事もなく通過してしまった白き死神の左目に《木の槍が突き刺さり、後頭部に抜けている》んだ?

「あ、あ……ああぁぁあぁあぁぁあぁぁぁ……?」

 欠けた視界と、頭部の違和感に漸く気付いたのか、白き死神の手が何度か虚空を掴み、何度目かの腕の振りで、左目に刺さっている長さ1メートル、直径3センチ程の木の槍をやっと握った。

「あ、頭……頭があぁ、うち、内側、内側にめり、減り込んで、いいいいいるうウゥゥ……とろ、ろとろろろけるうぅぅ、頭、頭が、トロけるぅうぅぅぅ……」

 白き死神は、頭部に突き立っている槍を両手で握り、天を仰いだ。

「うああァァあぁァァあぁァああぁぁっ!」

 叫び声を上げ、左目に突き刺さっている槍を引き抜くと、それを投げ捨て、再びキマイラと黒外套に向かって飛び掛かるが、白き死神は、何事もなかったかの様に、これまた通り過ぎてしまい、今度は背中に何本もの木の槍を突き刺されてしまっていた。
 白き死神は、数メートル進んだ所で、その場で膝を折り、自分の身体から生えている槍に視線を落とした。
「ミギぃぃイイィィいいが左でええぇぇ……ひ、ひだ、左がァああぁあ右でぇえぇ………………バアでええェラあぁぁあぁ? ……だで……だでば!」
 身体の内側から無数の茨状の骨が飛び出し、槍を粉砕するだけでなく、周囲を滅茶苦茶に切り刻み、破壊しだした。
 射程範囲内に居た俺であったが、いち早く動いた《キマイラ》に抱きかかえられ、瞬時に射程範囲外迄移動されたが、もはや線としか認識できぬ程の速さで振るわれる、茨状の骨の暴風の中、黒外套の優男は涼しい顔で、その全てを最小限の動きのみで躱していた。
「あっはっはっ、脳と脊髄の一部が残っていれば幾らでも再生できる化け物でも、脳を破壊されれば、一時的にだけど、それなりにダメージは受けるもんなんだね」
 最早人語を介していない白き死神に対し、非常に冷静な言葉を返す黒外套。
 何だ? この異様な光景は? 《教団》の内外で恐れられている《カリオテ》のエリートである《裏切り者》が手も足も出ず、只々弄ばれているぞ?
「そら、ボディが空いているよ」
 黒外套が指差すと、死神の足元の地から、鋼の剣にも負けぬ鋭さを有した幾つもの木の枝が瞬速で飛び出し、白き身体を容赦無く貫いた。
 鮮血を吐き出し、一瞬だけ動きが止まる死神だが、身体を貫いた木の枝に触れた途端、それらは瞬く間に枯れ落ち、反対に貫かれた白き身体が修復された。
「ふぅ〜ん、マトモな思考がなくとも、《犠牲魔術》は扱える、っと……もう《魂》に迄染み込んでしまっている感じだね。だとすると、《木気》である僕とは、相性が最悪だ」 ……ん? 《木気》……? 火、水、風、土の《4属性》でなく、《五行》を繰るだと?
「……なぁ、《キマイラ》、確認したい事があるんだが、いいか?」
「むっ? ワレたちにはそれぞれ名前があるのだが……まぁ、今は良いだろう。して、何を確認したいんだ?」
「俺が手も足も出なかったあの白き死神を手玉に取って遊んでいる黒外套の男は、世間一般的な魔術師が扱う《4属性魔術》じゃなく、《五行》を繰るのか?」
「そうだ。我が造主は、現在の魔術師達が行使している魔術とは過程も結果も一線を画す《五行》の内、《木気》の体現者だ」
「――って、事はだ。俺が《教団》に《勇者》として居た時に、書物の中でしかその名前を見た事のない、伝説上の存在が今目の前に居るって訳だ」
 そうなるな――っと目を細め、《キマイラ》は頷いた。

「――《魔法使い》……」

 《教団》の様な強大な組織が、単体に対して《脅威》と判定する存在の1つ。
 文字通り、自らの命、存在全てを賭して魔術を探求し、遂にはアチラとコチラの《境界》の領域に迄達してしまったモノ。
 俺ら一般的な魔術師が扱う《魔術》は、《魔力》を元に超常なるモノや精霊の力を借り、火のない所に火を発生させ、水のない所に水を流す、火、水、風、土の4つのエレメントを根源とするモノだが、あの優男――《魔法使い》は違う。
 木火土金水の《理》そのものに働きかけて超常現象を発生させる。
 道理で何の媒介も必要とせずに自然物である樹木を自由に繰れる筈だ。
 《教団》が存在するよりも以前から生きていると謂われているが、それにしちゃ――。
「……数百年じゃきかねぇ位生きている筈なのに、随分と、若くねぇか?」
「ん〜? ……あぁ〜、アナタは知らないもんねぇ〜。わたし達の造主様が〜、どういう生き方をしているのか〜」
「あ、あぁ、全く知らねぇ……っていうか、オマエ、また何か雰囲気が変わったな」
「え〜、そりゃそうよ〜。わたし達は、1つの身体に複数の人格を持っているんだもの〜。表に出て来る人格によって、変わるのは当たり前よ〜」
「じ、人格を幾つも持ってんのか……よく解らねぇが、何だか大変そうだな」
 そんな事ないわよ〜――っと《キマイラ》はその豊満な胸を腕で強調し、蠱惑的な身体をくねらせ、誘っているのだろうが、状況が状況だけに苦笑いしちまう。
 凄まじい破砕音を響かせ、白き死神が地から突如生えた巨木によって身体中の骨を粉砕されながら上空へと吹っ飛ばされた。
 白き死神は急速に身体を修復させるが、蔓の様に靭やかに振り回された巨木により、今度は、並みの《勇者》程度では、タダの紅い染みとなってしまう位の勢いで、地面へと叩き付けられた。
「ふぅ〜ん……それなりにはヤルけど、やっぱ、所詮はそれなり、だね。僕等の相手じゃない。そろそろ――」
 地に叩き付けられ、大量に舞い上がった土埃を掻き分け、身体中を紅く染めながら、白き死神が、その白銀に煌めく長き髪をたなびかせ、猛烈な勢いで《魔法使い》へと突貫した。

「マーーーーーーデーーーーーーラーーーーーーーー!!!!!!」

 後方に振るった右腕は、瞬時に破壊と再生を繰り返し、刃や鉤爪状の刺が至る所に生えている、幾本もの白き触手の様なモノとなり、突貫の勢いをそのままに、ソレを大きく振るい、《魔法使い》を左右から挟み込んだ。
 身体の一部を《贄》とする事は、《犠牲魔術》に於いて、最上位に位置する魔術の1つ。
 白き死神程の使い手なら、相手が《魔法使い》であったとしても――。

「無駄だね」

 《魔法使い》と白き触手との間に地から現れ、軽く防ぐ。

 ――ミシッ……。

「ん? ……へぇ、ヤルね、君」

 ――ゾッ……。

 時が止まったかと勘違いしてしまう程の殺意。
 向けられていない俺の方迄もが、心臓を鷲掴みにされた様な錯覚を受け、すぐ隣にいる《キマイラ》すらも頬を冷たい汗が伝っていた。
 アレだけ近い上に、直接向けられている白き死神が今どんな状態か、想像は絶対にしたくないな。
 地から現れた鋭い樹木の根が数本、殺意によって動けなくなってしまっている白き死神の腹部を貫き、そのまま上空へと持ち上げると――。

 ……分断した。

 内奥物の一部を撒き散らしながら、上半身の方がこちらに落下してきた。
 俺が唖然として動けないでいる内に、傷口から泡の様なモノが一気に発生し、白煙を上げならが下半身が形成されていき、気が付いた頃には、冗談の様に綺麗に再生されていた。
 再生して直ぐは、未だ感覚が完全じゃないのか、白き死神は、肩で息をしながら、這うようにゆっくりと立ち上がった。
「はぁ……はぁ……くっ、《魔法使い》め……」
 白き死神が、意志の弱いヤツなら、向けられただけで心臓が止まってしまいそうな位、強烈な殺意を込めて睨み付けるが、《魔法使い》は相も変わらず、飄々とした態度でそれを受け流した。
「凄まじい再生能力だね。《ヴァンパイア》や《ワイト》の《長寿者》、《ドラゴン》の《古代種》に匹敵するモノだ。ホント、どれ程の命を喰らえば、そこまで出鱈目な再生能力を得られるんだろうね」
「……《魔法使い》がどの口でそれを云いますか……」
 僕達は人様の命を喰らったりはしないよ――っと《魔法使い》は珍しく、語気を強めて、ハッキリと返した。
「僕達が長寿なのは、己の命の扱いが一般的な《魔術師》や《魔物》よりも上手いからだけさ。その上、僕は《木氣》の体現者――《命》こそが、僕の意義そのものだよ。そこの彼も多少は《土氣》を扱えるようだけど、4属性の応用みたいなもんで、《理》に触れる事はできていないね」
 そこの彼との言葉で、漸く俺が近場にいる事に気付いたのか、白き死神が勢い良く頭を振って、俺の方に顔を向けて来た。
 俺と目が合うと、向けただけで相手を射殺せそうな視線から、殺意が薄まり、一瞬呆けたような表情となるが、俺を支える形で隣にいるキマイラを確認した途端、無理矢理立ち上がり、こちらに飛び掛かろうとしたが、再生したばかりで、未だ足が完全には機能していないのか、もつれて地面に倒れ込んだ。
 顔だけを持ち上げ、右腕を振るおうとした死神だが、地面から突如として出現した木の根により、絡め取られ、地に貼り付けられてしまった。
 しかし、それでも、俺の隣にキマイラがいるのがそんなに許せないのか、鈍い音がする程歯を噛み締め、貼り付けられている右腕をいとも容易く切断すると、再生しながら這って来るため、木の根は今度は腰と四肢に絡まり、それ以上動けなくさせた。
「――最早執念と呼べる域だね。流石《白蛇の魂》を宿しているだけあるよ」
 死神のあまりにも必死な形相に、視線を釘付けにされたまま、固まってしまっていると、《魔法使い》が思わぬ言葉を口にしながら、死神に近寄っていった。
 死神の方も、その言葉は意外であったらしく、面を上げて、《魔法使い》に視線を向けた。
「白蛇の魂を宿している? ……な、何をバカな事を云っているのですか? わたしは《教団》の《異端特務機関》の人間ですよ? それが、穢らわしき《魔物》の魂を宿している訳など――」

「彼女達の一人――蛇のアリーシャが最期に何を放ったか、忘れた訳じゃないよね?」

 《魔法使い》がキマイラを指差しながら放ったその言葉は、一般人なら、何十回と殺せる魔術を受けるよりも強烈だったらしく、死神は一度だけ目を見開くと、項垂れ、身体中から力が抜けるのが解った。
 それを見て、もう死神に歯向かう気力がないと悟ったのか、《魔法使い》は木の根の拘束を解いたが、白き少女は立ち上がる事もせず、只々力無く倒れ伏したままだ。
「……解って、いますよ……あの蛇が最期に放ったのは、己の身体全てを《贄》とした、《犠牲魔術》……それも、肉体は消失しても、直撃した対象に《魂》は残り続け、延々と蝕み続ける強烈な《呪い》です……」
 少女は、震える腕で身体を起こすと、俯いたまま、膝を抱え、その場に座り込んでしまった。
「本来なら、その程度の《呪い》、飲み込めるのですが、相手があの《木氣のマデラ》が造り出した合成獣であったのが、わたしの最大のミスです……」
 ……なぁ――っと一つの疑問が浮かんだ俺は、思わず声を掛けた。
「オマエ程が飲み込めねぇ《呪い》を扱えるなんて、オカシクねぇか? それだったら、幾ら不意打ちとはいえ、俺程度が今も残る様な致命傷を与えられるは在り得ねぇぞ?」
「ジェスが相手をした時は、覚醒めて間もない頃であったため、実力の数10分の1も出せていなかったのでしょう……。致命傷を受け、自分がどの様な存在か思い出したキマイラは、もはや上級の《勇者》すらも軽くあしらえる程で、わたしですら、尻尾の蛇を殺すのが限界で、隊が壊滅状態に追い込まれて撤退した程ですからね……」
 その蛇もこうしてわたしの中で生きていますがね――っと白き少女は自嘲気味に笑みを零した。
「わたしがジェスを愛していたのもこの蛇を生かしてしまう事になっていました……」
 オイオイ、愛なんて恥ずかしい事を云ってくれるじゃねぇか……まっ、今じゃ俺や《魔法使い》と命のやりとりをしていた人物と同一と思えない位、落ち込んでいる少女から云われても、嬉しくとも何ともねぇがな。
「蛇とわたしの思い……そして、《魔王》の交代による、《魔物》の変異……最悪でした……この15年、幾ら魂を喰らおうとも、決して満たされる事はなく、常に乾いた餓えが身体を支配し、何度気が狂うかと思った事か……」
 少女はその細い腕を持ち上げると、顔を手で覆った。
「でも、ジェスの事を思うと、この餓えが和らぎ、今直ぐにでも会いたい、手に入れたい衝動に駆られ、その時、蛇の魂がわたしの中で生きている事に気付いたんです……《贄》として消失させようとしたのですが、蛇もまた、ジェスの事を思っていたため、既に分離が不可能なまでに融合しており、わたしの一部となっていたんです……」
 小さい子供がイヤイヤするように、少女は首を左右に振った。
「それが更にわたしを悩ませました! ジェスを思う気持ちはわたしの気持ち! でも、蛇もまた同じくジェスを思ってるのです! わたしのこの気持ちは《魔物》に支配されただけの感情じゃない! なのに……なのに――」

「蛇がいるせいで、それを否定できない!」

 最早、《教団》の《異端特務機関》の仮面をかなぐり捨て、一人の少女となった死神は、覆っていた手を外し、面を上げ、涙に揺れる紅き瞳で、真っ直ぐに俺を見据えて来た。
「わたしの20年近くの気持ちを穢される! わたしはジェスだけを思って生きてきた! 《教団》を抜けた時、本当は何もかも全てを捨てて、駆け寄りたかった! でも、それをしたら、今度は《教団》がジェスを殺す……わたしよりも強力な《裏切り者》を派遣して確実に殺す……! それが解っているのに、手を伸ばす事も、駆け寄る事もできる訳ありませんよ……! 悔しくて……悔しくてしかたなくて、ジェスを壊して《教団》を抜ける事となった《魔物》が許せず、復讐したのに、生き永らえ、只々老い朽ちていくジェスを見守る事しかできなかった! そのうえ、殺したと思った蛇の魂は、わたしの中で生きて融合してしまい、必死に魔力が変異しないように抑えながら任務を遂行しているわたしの元に、そこの《キマイラ》は突然現れて、こう云ってきたのです――」

「アリーシャを返してもらいたいが、《ソレ》じゃ無理だ。仲良く生きてくれや。オレ達は、ジェスと仲良くヤるからよ」

 白き少女の言葉を途中で遮り、隣の《キマイラ》が続けた。
 その時を思い出したのか、遂に少女は立ち上がり、肩を怒らせながら《キマイラ》に詰め寄った。
「認められる訳ないじゃないですか! ジェスはわたしの夫です! わたしの方がジェスを愛しているんです! わたしの方がジェスを長く思い続けているんです! 突然現れたアナタなんかに、奪わせなんかしません!」
「オレ達もこの15年、ずっとジェスを思って――」
「黙れ! 黙れ! 黙れ! 黙れ! 黙れ! 黙れ! 黙れ! ジェスはもう、わたしのです! ジェスはわたしの夫で、わたしはジェスの妻です! アナタなんか、に――」
 キマイラの首元に手を伸ばそうとした白き少女だが、突然、言葉を詰まらせると、膝から地に崩れ、伸ばしかけた手も力無く垂れた。
 自分の身体に何が起きているのか解らないのか、少女は目を見開き、周囲を見回した。 俺も、いったいどうしたのか呆けてしまっていると、《魔法使い》だけは何が起きているのか解っているらしく、顎に手を当て、涼し気な笑みを浮かべていた。
「漸く効果が現れて来たようだね」
「な、何をした……《魔法使い》……!」
 僕は何も――っと両の掌を上に向け、肩を竦めた。
「強いて云うのなら、お手伝いをした位さ」
 お手伝い? ――っと少女は顔だけ《魔法使い》に振り向かせた。
「そっ、お手伝い。君はアリーシャの魂を抑え付けるために、常に《犠牲魔術》を施行する必要がある。だから、貯蔵している膨大な命を消費させ続けたのさ」
「で、でも、あの程度の消費では、そんな事には……」
「僕は《木氣》の体現者だよ? ならば、消費させると同時に、《発生》させる事もお手の物さ」
 そこで何かに気付いたのか、壊れたブリキ人形の様に、ゆっくりと顔を前に戻すと、少女は俯いた。
「……わたしの中の蛇に直接命を与え続けたのですね……」
 その通り――っと《魔法使い》は手を叩いた。
「そう、ですか……」
 そして、少女の口が何かを呟き、右手が小さな胸の間に移動して、法陣が発生する。
 あの独特な形状の法陣は《犠牲魔術》の――

「止めろ、バカ!」

 俺は咄嗟に叫びながら少女に飛び掛かるが、一足遅く、既に《犠牲魔術》は施行されてしまっていたようで、小さな身体全体が光に包まれだし、脱力して倒れそうになったので、俺は片手片足のため、倒れながらも、慌てて抱きとめた。
「お、おいっ、何て事をすんだよ!」
「ジェスは、やっぱり暖かいですね……」
「んな事云ってる場合か! 何でこんなバカな事をした!」
「この身体、この気持ち、この感情は、わたしのモノです……《魔物》にくれてやるモノなんか、一つだってありません……」
「15年以上、共にあったんだ。今更《魔物》になった所で、何も変わらんだろう……。何も自分を《贄》として消失させるのは――」
「では、ジェスは人間であるわたしを受け入れてくれますか? 《教団》の《異端特務機関》であるアリサ=リードを赦せますか? 《魔物》になっても本質が変わらない場合のわたしを受け止めますか?」
 それは……――っと思わず言葉に詰まってしまった。
 俺の応えから全てを悟った少女は、眉根を寄せた困った表情となった。
「それが答えです。《キマイラ》と《魔法使い》がいる今、力でジェスをわたしだけのものにするのは不可能です。だからといって、《魔物》になり、時間を掛けた所でも、ジェスがわたしを受け入れてくれる筈もありません……ならば、わたしは――」

「なぁ、ジェス。オレ達なら、受け入れてくれんだよな?」

 少女との会話に《キマイラ》が突然、割り込んできたため、何も考えがいい考えが思い浮かばず、若干イラツイていた俺は、顔を向けず、ぶっきらぼうに応えた。
「あぁ、アンタ達の様な美人だったら、それなりの時間をかけりゃ、そうなる可能性もあるだろうよ!」
「成る程な……んじゃよ〜、もう一人位増えても、オレ達はオレ達だし、変わらず受け入れるよな?」
「あーあー、受け入れてやるよ! オマエの中に何人もの人格がいようが、変わらず受け入れてやるよ! だから、少し――」
 黙っていてくれ――っと云おうとした俺を遮る様に、《キマイラ》は手を伸ばし、アリサの頭部を掴むと、そのまま軽々と持ち上げた。

「んじゃ、これからオマエはオレ達の中で生きろ、アリッサ」

 俺が抗議の言葉を発するよりも早く、キマイラは何かの魔術を無詠唱で発動させると、彼女の身体は眩い光に包まれ、少女の身体の光すらも飲み込み、辺り一面を満たした。
 俺は余りの光量に目を瞑り、瞼越しでも解る程の光が徐々に弱まり、目を開けても大丈夫な位の光量になった所で、ゆっくりと瞼を開いた。
 案の定、そこには、白き死神であった少女の姿はなく、自分の両手を見詰めている《キマイラ》だけであった。
 キマイラが最後に発した言葉が引っ掛かるが、何もできなかった自分に苛立ち、義足も杖もなく、立ち上がる事のできない俺は、地面を叩き、声を上げた。
「アイツはもう反抗する気力はなかった! 時間はなかったが、未だ方法はあった筈だ! なのに、何で殺した?!」
 そこで漸く俺の存在に気付いたのか、《キマイラ》は両手から俺の方に顔を向けて来た。
 その表情は、勝ち気で乱暴な言葉使いの娘ではなく、凛々しく自信に満ちた尊大な娘でもなく、抜けているようであるが、強かに相手を狙う妖艶な娘でもない。
 その表情は――

「……ジェス、わたし、何で生きて――えっ? ジェス?」

 あの元死神の白き少女のそれであった。
「――これから君は、この《木氣のマデラ》が創造した《キマイラ》の一人、蛇のアリッサとして生きるんだ。まっ、僕が直接創造したのではなく、先々代だけど、同じ《木氣のマデラ》には変わらないから、そこは些細な問題さ」
「しかし、わたしは――」
「《教団》の《異端特務機関》、《裏切り者》のアリサ=リードは、《木氣のマデラ》によって再起不能にまで破壊され、その亡骸、技術は《キマイラ》へと組み込まれる事となった。それは即ち、《教団》の秘術を僕達《魔法使い》が手に入れ、タダでさえ強大な《木氣のマデラ》の《キマイラ》に、《禁術》を扱え、膨大な命を貯蔵した化け物が誕生した事になる」
 さて――っと《魔法使い》は、《キマイラ》に近寄り、人差し指を立てた。
「そんな厄介な存在だが、《教団》本部からも離れているこの村に手を出さない限り、決して襲って来ないけど、もし討ち滅ぼすのなら、上級の《勇者》を十数名単位で犠牲にしなければならない場合、どうするのが一番賢い選択だと思う?」
 その場合は――っと《キマイラ》は小さく口を開いた。
「この村に地政学的、資源的価値が無い限り、監視との名目で放置します」
 そうだろうね――っと応え、《魔法使い》は踵を返し、《キマイラ》から離れた。
「君の中のアリーシャは、僕でも分離不可能なまでに融合している。故に、アリーシャも確実に影響はしているだろうけど、そこまで弱ってしまっていては、微弱なモノであり、ジェス君を思う気持ちや感情は、紛れも無く、君のモノさ。《魔物》になってもそこまで揺れないのは、誇っていい」
 一度だけ振り返ると、《魔法使い》は、同性である俺ですら引き込まれるような、透き通った笑みを浮かべた。
「あぁ、それと、ジェス君、君への《ソレ》は僕からの《贈り物》だ。《ドラゴン》や《人魚》の血肉でも代用が効くけど、《理》を繰るのがどういう事か、実感してもらおうと思っての行為さ」
 さようなら、我が娘達と伴侶よ――っとの言葉を残し、《魔法使い》が黒外套を翻すと瞬きをしている間に、その姿を消してしまった。
 朝焼けが眩しい、村が一望できる小高い丘の上で、2人残される形となってしまった。
 さて、どうしたものかね……あの優男の《魔法使い》、何だか訳の解らん内に勝手にまとめて、勝手に去っていったが、一番肝心なモンを解決してねぇじゃねぇかよ。しかも、何とも解らねぇ言葉を残していくしよ。
「え〜と〜……アリッサ、でいいんだよな?」
「そのよう、ですね……」
 このまま2人して黙っていても、何にもなんねぇから、取り敢えず今の人格であろう元死神で白き少女であったアリッサに声を掛けた。
「この後――」

「ジェーーーーーース!」

 生まれてから、ほぼ同じ時を共に過ごし、もう聞く事はないであろう声が突然響き渡り、俺は跳ねるように、声のする方へ顔を向けた。
 案の定、そこには、最近白髪が混じってきた赤毛をした悪友が、兵役当時から使い続け、馴染んでいるロングソードを手に、その背後には、見知った顔――っというか、村で戦えるモンが総出で駆けて来ていた。
 村のモンの戦えるモンがほぼ総出なんて、異様な事態であるため、隣で立ち竦んでいる《キマイラ》に手を貸してもらい、立ち上がった。
 俺達の数メートル手前で止まると、流石今も鍛えているだけあり、息一つ乱さずに、悪友が口を開いた。
「ジェス、遅れてすまん! 村で戦えるヤツらと武器を集めていたら、時間が掛かっちまった!  な〜に、ちゃんとコイツらには、全部説明してある! もうオマエ一人に、全部背負わせるなんて事は、絶対にさせない! 俺達は全員思いは同じだ! さぁ、ヤツはどこだ?!」
 思いもよらぬ事態に、俺達が呆然としていると、一気に喋った悪友が何かに気付き、目を見開いた。
「――って、いうか、ジェス、オマエ……俺らよりも若くなってねぇか? もしかして、その隣の《魔物娘》と協力してヤツを撃退した後、やっていたのか?」
 悪友が眩暈のするような、あまりにもバカな事を云ってきたので、俺はこめかみを押さえつつ、溜息を零した。
「はぁ〜……何云ってやがんだ、ユーリー……。俺の老いの加速は命が削れちまったからだ。《インキュバス》になった程度で、どうこうなるような――」
 そこまで言葉を続けた所で、俺は漸く《魔法使い》が姿を消す前に云っていた言葉を理解し、慌てて自分の身体に視線を落とし、顔に手を這わせた。

 ――若返ってやがる……。

 深く刻まれた皺も、肉と骨が痩せてしまって余っていた皮もなく、そういや、最近は霞が掛かって来ていた視界も鮮明になっていやがる……。
「マジかよ……」
 俺は余りの事態に感嘆の言葉しかでなくなっちまった。
 《木氣のマデラ》――人の命すらも発生させるっていうのかよ……これが《理》を繰るって事か……化け物ってレベルじゃねぇぞ、ホントによ……。
 俺が自分の身体に起きた事態に驚き、何も云えないでいると、隣で支えてくれている《キマイラ》が村のヤツらの方に顔を向けた。
「集まって来てくれた所、ワリィな。《教団》の厄介モンは、ジェスとオレが協力して、何とかしたぜ。先頭に立ってるアンタは、ジェスの《得意な魔術》が何だか知ってんだろう? なら、それを直撃したヤツの末路は、どうなるか、解ってるよな?」
 その言葉を聞いた途端、ユーリーは渋い顔をし、構えていた剣の先が下がり、地へと向いた。
「ジェス、オマエ……」
 どう答えたものか一瞬悩んじまったが、隣で支えてくれている《キマイラ》に脇腹を突かれ、無言の圧力を受けちまったため、それに乗る事にした。
「すまねぇな……流石に相手が相手だったんだ……俺だってこの魔術を人間相手にぶつけたかぁなかったが、それしか手がなかったんでな……」
 そうか……――っとユーリーは自分の事の様に落ち込むと、俺に近寄り、肩に手を乗せて来た。それを見た村のヤツらもアレ程にまで高まっていた士気も下がり、皆武器をおろしていた。
 くそっ……全部が嘘って訳じゃねぇが、友人や気心の知れたヤツらを騙すってのは、気分が悪過ぎるぜ。
「……そういやよ、その《魔物娘》は何て種族なんだ? この辺りじゃ見ねぇ娘じゃねぇか」
「あ〜、コイツは――」
「オレ達は、昔、ジェスに土手っ腹に穴を開けられ、心臓を貫かれ掛けた《キマイラ》って《魔物》だぜ」
 って、事はだ――っとユーリーは俯き、指を立てた。
「ジェスが右足と左腕と左目を失う原因となった《魔物》って事か?」
「そうそう、その《魔物》が《魔物娘》になったのがオレ達」
「そっかそっか」
 はっはっはっ――っと乾いた笑いを上げたと思った刹那。
 俺でも反応が遅れてしまう位完璧な虚を突き、ユーリーはおろしていたロングソードを跳ね上げ、俺の身体を自分の方に引き寄せると同時に、《キマイラ》に一切の手加減なく振り下ろした。
 だが、金属が弾かれる音を響かせ、ロングソードはその中程から見事に砕け、折れた剣先が遠方の地面へと突き刺さった。
 ユーリーは面を上げると、もはや脅しにすら使えない折れたロングソードを《キマイラ》に向け、悪友の久し振りに見せる本気の怒りの表情に、俺は驚き、固まってしまった。
「テメェ、よく、ジェスや俺達の前に姿を見せれたな! 本当の原因は《教団》のヤツにあるにしろ、テメェのせいで、この15年、ジェスがどんな目に遭って来たか、わか――」
 解っているさ――っと激昂する悪友すら、停止させる程、冷たく、重い響きを持った言葉に、俺を含めた、その場に居る全員が《キマイラ》へと視線を向けた。
「……解って、いる……ジェスが、ワレらと戦った事で、更に多くを失い、理不尽な目に遭い続けていたのは、先生から全て聞いているからな……」
 だから……だからこそ――っと《キマイラ》は、その強い意志の宿ったオッドアイの瞳で、怒りに震えるユーリーを真っ直ぐに見詰めた。
「ワレら全員がジェスを支える。失ってしまったモノは、もう取り戻せぬが、これからの全ての時を共に生き、空いてしまった以上の幸せをジェスと築いていく」
「………………誓えるか……?」
 俺を支えながら、悪友が奥歯を噛み締め、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「もう、これ以上、コイツが失うのを見てるだけなのは、悲しいんだ……悔しんだよ……だから……だから、もう、これ以上、コイツから何も失わせないと、誓えるか?」
 声量こそ、普段話しているよりも小さい位だが、悪友の心からの叫びに、俺は言葉にならない感謝を覚え、それを向けられている《キマイラ》は――

「……誓おう、ワレらが造主である、《木氣のマデラ》の名の下に」

「……そうか……」
 そして、悪友は俺を《キマイラ》の方に投げ渡すと、踵を返し、折れて使い物にならなくなったロングソードを鞘に収めつつ、村のヤツらの方へと進んだ。
「直ぐには認めらんねぇし、気持ちも整理がつかねぇ」
 だがな――っと肩越しに振り返り、悪友が口を開く。
「アンタが本気だってのは伝わった。後は本人同士の問題だ。俺らは先に村に帰っているから、落ち着いたら戻って来い」
 それだけ俺らに云うと、悪友は村のヤツらに合図を送り、村へと戻っていった。
 一部の《魔物娘》は、親指を人差し指と中指の間に差し込む、不穏なサインを眩しいまでの笑顔で送って来たが、俺は苦笑しかできなかった。
 悪友と村のヤツらが全員帰って静かになった所で、すっかり明けた空に視線を向け、心に残っていた感情を吐き出すべく、呟いた。
「これで、良かったのか……?」
 これで良かったのよ〜――っと《キマイラ》が俺を後ろから抱き締めながら応えた。
 背中に妙に柔らかいナニかを押し当てられているが、気にしない事にする。
「ジェスの事愛しているのは〜、紛れも無い事実なんだも〜ん」
「そ、そうか……今迄云われた事のねぇ言葉だから、何だか恥ずかしいもんだな」
「うふふ〜、これからは〜、いつでも云ってあげるわ〜。あと〜――」

 突然、足に違和感を覚え、視線を降ろすと、白い大蛇が俺の左足を口に咥えていた。

 右足を失った時と似たような光景に、思わず身体を跳ねさせ、《キマイラ》から離れようとしたが、義足がないため、そのままバランスを崩し、背中から倒れこんでしまい、その上に《キマイラ》が乗っかってくる形となってしまった。
 拙い、非常に拙い……何が拙いって、俺を跨ぐ形で上に乗っかっているこの体勢は、腰が密着する上に、俺からは身体を自由に動かせないし、今、ボロ布しか巻いていない。
 俺の事を愛してるって云っている《魔物娘》がこんな状態になって、マトモな思考でいられる訳がねぇ。
 俺は恐る恐る《キマイラ》の顔を下から覗き込むと、案の定、顔は熱病に掛かった様に上気しているし、密着している腰の方も何だか、妙に熱い。
「な、なぁ、《キマイラ》……」
「アリッサです……今のわたしは、アリッサなんです! もう、我慢できません! ジェス、今直ぐ契を結びましょう!」
 腰に撒いているボロ布にアリッサが手を掛けて引き剥がそうとして来たので、俺は慌てて右手でボロ布を握り、ギリギリで最後の砦を護った。
「ちょ、ちょっと待て、アリッサ! 流石に初めてが外ってのは、どうかと思うぞ?!」
「そんなの関係ありません! 今のわたしは《魔物娘》なんです! 愛する人と一つになるのに、場所も時間も関係ありません!」
 うっわぁ〜、完璧に《魔物娘》の思考に染まっちまってるじゃねぇかよ……。
「まぁまぁ、ジェス。アリッサがオレらの身体に慣れるためにも、ココは一つ、胸を貸すってのも夫の勤めだと思うぜ?」
 勝ち気な表情となり、犬歯を剥き出して笑みを浮かべてきた。
「おい、こら! 何勝手に俺を夫にしてやがんだよ!」
「造主からも認められているのだ。抵抗は無駄だぞ?」
 妙に尊大な態度で、どこか鋭い印象を与える表情となり、逃げれない事実を告げられた。
「そこ、いきなり人格を変えない。俺は未だオマエ達全員の名前を把握してねぇんだよ」
「なら〜、これから身体を重ねながら〜、たっぷりねっとり、覚えればいいのよ〜」
 腰をくねらせ、的確に俺の分身に刺激を与えてくる、惚けている様な妖艶な表情となり、俺の首筋に下を這わせて来た。
「何でもかんでもそっちにもってくんじゃねぇよ、発情ヤロウ!」
「ジェス、本当に、も、もう――」
 何とか均衡を保っていたボロ布が一気に引き千切られ、《キマイラ》も申し訳程度に局部を隠している衣装を脱ぎ捨て、お互いに生まれたままの姿になり、そして――
「手加減、できません!」
 俺は、30年以上守り続けていたモノを失った。



 カーテンの隙間から差し込む朝日に目を覚まし、ベッドから上体を起こした俺は、傍に置いてある、新調した義足を装着し、窓へと近寄った。
 カーテンを一気に明け、朝日を一身に受けた俺は、未だなれぬ目を手のひさしで光を和らげ、頭を覚醒させる。
「……う、うぅ〜ん……?」
 俺が寝ていたベッドの方から、今じゃ聞き慣れた女――《キマイラ》の声が響く。
「よう、起きたか? アニタ」
「おうっ、バッチリな」
 《教団》の白き死神と大立ち回りしてから早数ヶ月。
 最近じゃ口調や態度から、ほぼ間違いなく人格を呼び分けれるようになった。
 まぁ、間違える度に毎回二桁単位で搾り取られちゃ、嫌でも覚えるってもんだ……。
「ワレにも挨拶はないのか?」
「悪い悪い、エビータもおはよう」
「わたしは〜?」
「解ってるって、マルビナ」
「……その……」
「あぁ、おはよう、アリッサ」
 彼女の中に存在する全ての人格に挨拶をし、漸く俺の朝は始まる。
 なんだろうか、この感覚?
 ココ数十年、忘れて久しい、この感覚は……。
「? ……どうしたのですか? 笑っていて、何か楽しい事でも思い出したんですか? ジェス」
「あれ? 俺、笑っていたのか?」
 えぇ――っとアリッサに頷かれ、俺は、やっと、この感覚が何であるのか、《思い出した》。
 そうか、この感覚は――。

「幸せだな、みんな……」
15/02/10 04:38更新 / 黒猫
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■作者メッセージ
お久し振りです。
黒猫です。

何とか一ヶ月更新を護る事ができました……
けど、やはり、アッチ方面は
さっぱりになってしまっています……。

今回のキャラ達の物語は、一旦これにて終了です。

どうにも私が書きますと、主人公やヒロインが、
ロクでもない目に遭い、
そのままバッドエンド直行なのですが、
若干無理矢理ですが、軌道修正し、
何とかハッピーエンドにしてみました。

如何でしょうか?

次は……どうしましょうかね……。
素晴らしい素材が多く、
悩んでしまいますね。


では、ココまで読んで頂き、
ありがとうございます。
また、お会いできるのを楽しみしています。

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