連載小説
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中編
 俺の悪友であるユーリーが営む、穏やかな時間が流れるBARのカウンターに腰掛け、グラスを傾けていると、両開きの扉を叩き壊さん勢いで長身で健康的な小麦色に肌が焼けている悪ガキが入店して来た。
「……ラルフ、いつも云っているが、店の扉は――」
「そ、それどころじゃねぇんだよ、ユーリーさん!」
 悪ガキは肩で息をしながら、カウンター向こうに居る最近は赤毛に白髪が混じってきているユーリーに駆け寄った。
 他の客が何事かと視線を向けるが、向けられている本人は全く気付いていないようで、出されたグラスの水を一気に飲み干すと、今度は深呼吸をするように促されたので、悪ガキはユーリーの指示に従って、ゆっくりと息を吸い、吐き出した。
「……どうだ? 少しは落ち着いたか?」
「あ、あぁ……すまねぇ、ユーリーさん……」
「もうそろそろ20になるっていうのに、オマエにはいつも迷惑を掛けられているからな。……んで、そんなに慌てて、何があったってんだ?」
「そ、そうなんだよ、ユーリーさん! 明日、村に《教団》の神父がやってくるみたいなんだよ!」
 《教団》の……――っとユーリーが小さく呟き、数十年共に生きてきた俺だからこそ解る位僅かな反応をするが、悪ガキには伝わっていないようで、言葉を続ける。
「村は親魔物派。唯一ある教会も、今じゃローパーやダークプリーストのシスターがいるんだぜ? こんな所に《教団》の神父なんかが来たら……」
「まぁ、面倒な事になるのは、想像に難くない。かと云って、村にいる独身の魔物娘の伴侶にして、連絡が途絶えたりした場合、本部の首都から使節団が来る可能性があるな」
「それは余り感心しねぇな。下手したら、《教団の神父を堕落させた罪》として、《掃除屋》がやってくる可能性もあるぜ」
「んだよジイさん……聞いていたんなら、何か案をくれよ。《元勇者》なんだろう? 《教団》に詳しいんだから、何かないんか?」
 ねぇよ――っと《教団》を知っているからこその短い言葉を俺は返す。
 マジ使えねぇな、ジイさん――っと嘆息して悪ガキが零した。
「クソッ……こういう時、ジェス兄ちゃんだったら、絶対にそんな事は云わねぇ……何で、アンタの様なジイさんが村に来たんだよ……」
 ラルフ……――っと止めようとしたユーリーを無視し、悪ガキは顔を上げると、俺を睨み付け、言葉を重ねて来た。
「ユーリーさんも、いつまでもこんなジイさんを甘やかす必要はないんだ! 昔世話になったからって云っていたけど、もう十分返した筈だ! 《元勇者》だか何だか知らねぇけど、今のアンタは村にとっても、ユーリーさんにとってもお荷物なんだよ!」
「……そうだな……今の俺は、お荷物だな……」
「お、おい、ジ――」
 俺は掌をユーリーに向け、名前を呼ぶのを制した。
 ユーリーが何度か口を開けようとするが、俺の目を見て諦めたのか、静かに俯き、口を閉じたのを確認して、俺はラルフを正面から見詰めた。
 全く……真っ直ぐで綺麗な目をしてやがるぜ……。
 自分の言葉に自信がなけりゃ絶対に出来ない目だ。
 BARの中を軽く見回すと、どうやらラルフと同じ意見であるのが多いらしく、養成所で受けていたのと同じ視線を向けられていた。
 ――要するに侮蔑の視線だ。
 もっともな感情だな。
 村に帰って来てからの16年以上、俺は一度も表立った動きをしていねぇから、何もしてねぇって思われても仕方のねぇこった。
 まっ、訊かれても答える気はねぇがな。
「な、なんだよ……何か云いたい事があるなら――」
「そうだな……オマエの云う通り、俺はこの村にも、ユーリーにもお荷物だ」
 俺は苦笑し、椅子からゆっくりと降りて立ち上がる。
 長い間着ていたから、色が褪せ、所々に穴も空いちまっているくすんだ灰色の外套の中に手を突っ込み、中から掌程の大きさのズタ袋を取り出して、カウンターの上に置いた。
「ユーリー、世話になったな。コレは今迄のツケだ。待ってくれていた分、色もつけてある」
 カウンターの上を滑らせ、ズタ袋を受け取ったユーリーは中を確認すると、目を見開き、首を横に振った。
「っ?! こ、こんなにもらえねぇよ、ジェイス爺さん! ってか、俺はこんなのが欲しくて、アンタにこの店の酒を呑ませていた訳じぇねぇ!」
「いいんだよ、ユーリー。ラルフの云っている事は間違っちゃいねぇし、この店に居る連中も皆同じ思いだ。だったら、タダでさえ村に面倒な事が起きそうな今、お荷物である俺が、出て行くのは、真っ当な考えってもんだ」
「そ、そんな……な、なぁ、ラルフ。ジェイス爺さんに云ったのは、勢い余っただけだよな? な?!」
 ユーリーが縋るようにラルフに言葉を掛けるが、悪ガキは顔を背け、小さく口を開いた。
「……俺は、何も間違った事を云っていない……それは、ジイさんだって認めた事だ……」
 ラルフの意思が硬いため、何かに耐える様に眉根を寄せると、ユーリーは今度は店にいる連中に声をかけ出した。
「な、なぁ……みんなは違うよな? ラルフが云っている事に納得なんかしていないよな?!」
 ユーリーの言葉に、店にいる連中もラルフと同じく、顔を背け、何も応えなかった。
 その態度が全てを雄弁に語っており、ユーリーは肩を落とすと、俺の方に顔を向けてきた。
 いつかはこうなると覚悟を決めていた俺と違い、ユーリーには相当堪えた様で、悲痛な面持ちになり、こちらにゆっくりと歩いてきた。
 俺はユーリーの肩に手を乗せ、悪友にしか聞こえない位小さな声で、感謝の言葉を伝えた。
「15年……長いようで短かった……。本当はもっと早くにこうするつもりだったんだが、オマエらが余りにも優しくて居心地良過ぎたから、こんなになるまでいちまったよ。今迄、俺を護ってくれて、ありがとう」
 俺は、悪友からの言葉を待たずに、最近調子が悪くなってきた義足の付け根を庇いながら、BARを後にした。
 参っちゃうね……直接云われた俺じゃなく、オマエが泣きそうな顔になってどうすんだよ、ユーリー……。


 村に戻って来た時から、いつかは出て行く事を考え、生活必需品といわれる家具のみで構成された、生活感を一切感じない部屋の中。人工精霊を封入した洋灯の明かりを頼りに、背嚢の中に必要最低限の荷物だけを入れて荷造りをしていると、玄関扉がノックされた。
 こんな夜更けに、BARでの一件があった俺を尋ねるなんて、一人しかいないため、荷造りの手を止めず、声を返した。
「開いているぜ、ユーリー」
 暫くすると、ゆっくりと扉が開いて、家に誰かが入って来たのを感じられた。
「……なぁ、ジェス……何で、村を出て行くんだ? コレまでだって、あんなのは何度もあった。もっと酷い事を云われた時だってあったし、暴力を振るわれた事だってあったじゃかないか……なのに、何で今回は出て行くんだ?」
 やっぱり、そう来るよな……。
 俺はユーリーと視線を合わせずに、荷造りを続けたまま応えた。
「村に《教団》の神父がやって来るって話があったからだ」
「そんなの数年に一度やってくる、よくある話じゃないか」
「そう、《タダの神父》がやって来んなら、俺だってラルフの言葉を一蹴して、いつものように憎まれ口を叩かれていたが、今回村に近付いて来ているのは違う。《教団》の中でも、最低最悪なヤツがやって来ている」
 最低最悪なヤツ? ――っとユーリーは未だ理解していない様で、言葉を繰り返しただけだった。
「俺やオマエたちに《死ね》と云って来たヤツだよ」
 端的に答えると、ユーリーが息を呑んだのが解った。
「……俺だって、張っていた《結界》を引き千切られ、見張りをさせていた《使い魔》の気配が消失した時は、自分の感覚を疑った位だったからな」
「じょ、冗談、だよな……? タダの勘違い、だよな……?」
 そうだったら、どんだけ良かったか……――っと俺は溜息を零した。
「俺程度の《結界》、それなりに力があるヤツなら、《解除》するのは簡単だが、《引き千切る》なんてのは、正気の沙汰じゃねぇ。中に何が在るのか解らないのに、箱を叩き壊すのと同じだ。どんなぶり返しを受けるか解ったもんじゃねぇのにそれをするのは、自分の実力に絶対な自信を持っている証拠だ」
 そ、それなら、《勇者》が来ているかもしれないじゃないか――っと必死に俺から《死神》でない応えを求めるユーリーだが、残念だが、ソレは絶対に在り得ない。
「ユーリー、俺の《使い魔》ってのはな、《禁術》である《犠牲魔術》を応用して作ったモンだ。普通の《魔術師》程度には、《使い魔》じゃなく、《タダの鳥》にしか視えねぇが、同じ《犠牲魔術》を使えるヤツには、本当の姿が視える様に偽装してたんだ」
 どんな風に、視えるんだ……? ――っとユーリーが続きを促したんで、俺は荷物をちょうど入れ終えたため、顔を上げた。
「骨だけの鳥」
 あぁ……――っと言葉を零し、ユーリーは俯き、片手で顔を覆った。
「《禁術》となっている《犠牲魔術》を個人で習得するようなヤツが、骨だけの鳥を破壊するなんて事は先ず考えらんねぇ。だとすると、《犠牲魔術》が使えて、そういったアンデッド系の《使い魔》を破壊してしまう程許せない存在なんか、1つしかねぇ」
「……《教団》の《掃除屋》――異端特務機関《カリオテ》の《白き死神》か……」
 そうだ――っと俺は首肯する。
「俺もアイツが《犠牲魔術》を使えるのは噂程度にしか聞いていなかったんだが、今回ので確定した。最悪なんてレベルじゃねぇ。《教団》が《禁術》指定した魔術を敢えて使ってやがるんだ。狂気としか考えらんねぇよ」
「な、なら、それを伝えて、村の実力のある《魔物娘》に追い払うのを手伝ってもらうのはどうだ?」
 ダメだ――っと俺は首を横に振る。
「この村で俺以上に強いヤツは、数人しかいねぇ。それでも、俺より強い程度だ。正面から対峙した俺だから解るが、アレと俺とは、比べるのもバカらしくなる位の差がある。あれから15年……俺だって多少は練度が上がっているが、アレはそれ以上になっている筈だ。しかも、《魔物娘》は人を傷付ける事すら出来ないのに対し、相手は全力で殺しに掛かって来る」
 この差は絶望的だ――っと俺が断言すると、立ってすらいられなくなったのか、椅子を引いて、ユーリーは腰を下ろした。
「……ジェス……俺たちに何か出来る事はないか?」
 そうだな……――っと俺は顎鬚を撫でて、答えは既に出ているが、敢えて考える仕草をする。
「俺が村を護れるのは、今回で最後だ。俺がいなくなりゃ、親魔物派のこの村に、《教団》が強力な戦力を送って来る理由も目的もなくなる。それなら、今後はユーリーたち戦争経験者や一般的な《魔物娘》だけでも十分過ぎる戦力だ」
 後は頼んだぜ――っと続け、俺はズタ袋の背嚢を背負い、ユーリーに近付き、肩に手を乗せた。
 バカヤロウ……――っと俯き、俺を見ずにユーリーが呟いたのを背に、俺は長年住んでいた家を後にした。

 ――あぁ、ユーリー、俺はバカヤロウだ。

 俺が弱いばかりに、オマエらや村の連中を危険に晒し続けちまった。

 あの時……親父たちが前魔王時代の《魔物》に襲われた時に、俺も死んどけば良かったんだ。

 弱いくせに無駄に生き延びちまったせいで、オマエらや村の連中に迷惑ばかりをかけちまった。

 ユーリーやあの悪ガキは、俺の事を《勇者》だなんて云ってくれるが、俺はそんな高尚なヤツじゃない。

 死ぬのが怖くて、《護る》なんて大義名分で、人が触れちゃいけないモノに手を伸ばし、今じゃ満足に歩く事すら出来なくなっちまってる、タダの大バカヤロウさ。

 ――だが、それも今回でお終いだ。

 な〜に、絶対的な差があったとしても、俺にだって切り札はある。

 まっ、俺は寂しがり屋だからな。

 一人であの世に行くなんて事は絶対にしねぇぜ。

 必ずアイツを連れて行く。


 目的地である、村を一望できる小高い丘に到着し、最近更にいう事を利かなくなった身体を休ませるべく、程良い大きさと高さの切り株に腰掛け、背嚢を降ろした。
 スキットルを取り出し、中に入れてあるウィスキーを一気にあおって、高いアルコールで気分を無理矢理高揚させる。
 ふぅ〜……――っと酒気を帯びた空気をゆっくりと吐き出し、空を見上げる。
 あの時と同じ、月だけが妙に輝いている漆黒の空。

 そして、あの時と同じ、チェニックを目深く被った白き死神――異端特務機関《カリオテ》が俺から数メートル離れた木々の影から姿を現した。
 前に長く垂れているチェニックと胸の紅き逆さ十字の刺繍には、金糸が使われているため、助祭クラス以上――村に戻ってから調べたが、どうやら、あの特徴的な刺繍に金糸を使われているチェニックを着用できるのは、《カリオテ》内で一定以上の実績を修めたモノにのみ与えられる、《裏切り者(イーシュ・カリヨート)》の徽章を受けた証のようだ。
 異端の中のエリート……そりゃ俺なんかが逆立ちしたって敵う相手じゃない筈だ。
 俺は苦笑し、スキットルを背嚢にしまうと、ゆっくりと腰を上げた。
「……よう、久し振りだな」
「えぇ、お久し振りですね、勇者ジェス」
「止せやい。俺は10年以上前に《教団》を抜けてんだ。《主神》の《祝福》も消えちまっている今、俺はタダの呑んだくれのジジイだ」
「謙遜をしますね。あの村近辺の路が交差する箇所を監視している使い魔。《教団》に組みするモノが決して村に近付けぬよう、何重にも巧妙に張り巡らされた広域結界。タダの勇者崩れが行える所業ではありません。ヘタをしたら、上級勇者すらも凌げる実力です。タダ、そのせいで――」
 白き死神が音も立てずに木々の間を抜けて、月明かりの下に移動した。
 タダでさえ白いのに、月からの光が更にその白さを際立たせ、思わず目の前の存在が、《教団》の内外で恐れられる《カリオテ》である事を忘れてしまう。
「歳を取るのが早まっていますね。自分の《魔力》以上の《魔術》を行使するために、《犠牲魔術》を利用するのは良いのですが、ちゃんと《自分の命以外》を供物にしなくてはいけませんよ」
「ワリィが俺はテメェの勝手で人様の命を消耗する気はないんでね」
「《犠牲魔術(ソレ)》を扱える稀有な使い手であるのに、敢えて活かしきらぬなんて、主神が嘆きますよ?」
「オイオイ、主神ってのは、この世の全てに対して、普く平等に愛と平和を説く存在じゃなかったのか?」
 俺からの言葉を受けると、何が楽しいのか、引き攣りにも居た、喉の奥でクックック――っと相手に不快感を与える笑いを零した。
「《魔物》と《異教徒》、《無神論者》は《悪》です。《悪》に囁く《愛》や《平和》なぞ、在る訳ないじゃないですか」
 白き死神が放つ《教団》の装飾のない言葉を聞き、心の片隅で引っ掛かっていた最後の一線が切れた俺は、思わず頬が緩んでしまった。
 良かった……コイツらはどこまでいっても――。
「――クズ、だな……」
「はい?」
「気にするな。コレで後顧の憂い無く、テメェを殺せるってもんだ」
「ほぉ……わたしを殺しますか……」
「あぁ、俺の寿命はもう残りすくねぇが、テメェはこの村だけでなく、世界にとって危険な存在だ。んなもん、残して逝く訳にはいかねぇんでな。最期くれぇは、人のために死ぬさ」
「そうですか……でも、アナタはわたしを殺せませんし、死なせもしません。わたしの《犠牲魔術》で生かします。但し――」
 白き死神の唇が弧を描き、瞬きを一つした瞬間、ヤツは音もなく俺の眼前に移動しており、義手の左腕を掴んできた。
「抵抗の意思は全て削がせて頂きます」

 ――殺気!

 掴まれた左腕を外すため、腰を回して腕を引くが、ビクともせず、義手の付け根である二の腕から鈍い音が聞こえてきたたため、慌てて腕を引くのは止め、押し込むように腕を伸ばし、ヤツの腹部へと手を当てる。
「あぁ……やっと、アナタから触れてくれましたね」
「は、はぁ?!」
 あまりにも場違いな言葉に面食らっちまって、思わずマヌケな返答をしちまう。
「わたしはアナタが養成所に来た時から、ずっと視ていたんですよ? ずっと……」
「そ、そうかい。そりゃ驚いた。驚きついでに、このまま俺からの一撃を喰らって吹っ飛んでくれねぇかな?」
「ふふっ、それはできかねますね」
 白き死神に触れている左手から何度も《魔術》を施行しようとするが、術式が組み上がり、《魔力》も十分であるにも関わらず、最後の発条の所で、身に纏っている《結界》によって無効化されてしまい、どんなに覚悟を決めた所で、埋めようのない俺とコイツとの実力差に奥歯を噛み締める。
「この時をどんなに待ち望んでいたか……本部のモノを納得させるのには、本当に苦労しました」
 俺が必死になって抵抗にしているにも関わらず、世間話をするかの如く、訊いてもいないのに勝手に語り出しやがった。
 だが、逆を云えば、語り切るまでは、コイツは俺の命を本気で奪いには来ないってことだ。
 俺は正々堂々ってのをテメェらにするつもりはねぇ。悪いが、その緩み、利用させてもらうぜ。
 俺は腕を引くための抵抗をしているように見せるべく、押し当てさせられている左腕に右手を添えて、気付かれぬよう《犠牲魔術》の詠唱を開始する。
「《教団》を抜けた《元勇者》が《禁術》を習得しており、《禁術》が拡散する可能性が高い……いくらわたしがその危険性を説いても、アナタの現状を知っている本部は納得せず、教徒を増やすための使節団を向かわせるばかり……」
「本部のヤツらは、自分たちの富と権力のみしか頭にないかと思ったが、案外とマトモな思考も持っていたんだな」
 黙っているだけだと、怪しまれてしまう危険性があるため、詠唱が遅くなってしまうが、なるべく返しながら続ける。
「いえ、アナタの云う通り、自らの欲にしか興味のないモノなぞ、《教団》に必要ありません。わたしの上層部に話を通し、粛清させました」
 は?? ――っと一瞬何を云ったのか理解できず、呆けてしまった。
 粛清? 本部の人間を?? ……《カリオテ》なんぞに組みして、《裏切り者》の徽章を受けている時点でマトモじゃねぇとは思っていたが、ココまでとは思わなかったぜ……。
 ――否、一番のマトモじゃねぇのは、コイツの言葉を受けて、本部のヤツらを粛清した上層部の存在だな……。
 《教団》の異常性に改めて怖気を覚えた俺は、目の前の白き死神の言葉に一切応えることはせず、一気に詠唱を完成させることに集中した。
「おかげで、事が運び易くて助かりました。わたしたち《カリオテ》を監視するための同行者たちも居ましたが――」
 白き死神は上体を傾かせ、俺の顔を下から覗き込んで来た。
 口元しか見えないが、怖気を振るう程整った唇が歪み、言葉を紡ぐ。
「全員、喰べてしまいました」
 カチン――っと白き死神は歯を合わせ、ゆっくりと余っている左手を伸ばして来たので、俺は相手の正体不明さに恐怖を覚え、詠唱を終えた《魔術》を施工する。
 義手である左手の手首が上部にズレると同時に、前腕内部に隠し持っていた動物の骨を《贄》として、瞬時に伸びた槍状の骨で白き死神の腹部を貫き、背面へと抜ける。
 直径十センチを超える槍の一撃を受け、白き死神の身体が揺らぐが、噛み合わせた白き歯の間から紅い一筋が零れているにも関わらず、唇は弧を描いたまま変わらない。
 動物の骨では直ぐに施行限界が訪れてしまい、骨の槍が風化してその姿を消すと、抑えを失った血液が一気に噴出するが、数秒と経たずに止まってしまった。
「全然効きませんね。この程度ではわたしの命を削り切る事はできませんよ?」
「オマエ……いったい、どれ程の命を喰ってきやがった……?!」
「さぁ? 《教団》の教義に反する全てを殺し、奪い、喰べてきましたので、もう、解りません。アナタはコレまでの食事の回数を覚えていますか? ソレと同じです。わたしには、満足な食事を何一つとして与えられませんでしたが、《教団》に逆らうモノは後を絶ちませんでしたからね」
「狂ってやがる……」
「そうでなければ《カリオテ》は務まりません。それと――」
 掴んでいた俺の左手の義手を引っ張られてしまい、体を崩されて伸び切った左腕を一呼吸で放った左の掌波で砕かれてしまった。
「悪さをする、この左腕は要りませんね」
「あぁ、要らねぇな。《ソレ》はテメェにくれてやる」
 はい? ――っとヤツの反応が遅れた一瞬を突き、俺は義手の中に仕込んでいたもう一つの《トッテオキ》を起動させる。
 莫大な《魔力》の発生に白き死神の口元がゆっくりと開くが、もう遅い。
 俺は事前に仕込んでおいた短距離移動用の《空間転送》を発動させ、瞬時に義手から約20メートル離れる。
「あばよ、化け物」
 取り残された俺の義手が内側からの圧に負けて弾け飛び、光の球が直径30メートルまで急激に膨れ上がると、今度は一気に拳大にまでしぼみ、ゆっくりと消失した。
 高濃度に圧縮した《魔力》と《犠牲魔術》を応用した、直径30メートルの球状の範囲のみを消失させる、空間破砕魔術の亜種だ。
 圧縮された《魔力》を糧に一気に膨張した空間破砕魔術は、設定した大きさにまで膨張すると、今度は、その範囲内に存在する全てのモノを《贄》として、爆縮されて消失する。範囲内に存在するモノが強大であれば強大である程、《贄》としての価値が高くなり、爆縮する力は大きくなっていき、己の力によって己が滅びる最悪の魔術。
 空気の圧も振動である音も感じなければ、熱もなく、只々光の球が膨張、縮小を繰り返しただけにしか見えない静かなる《死》。
 考案して使用した俺が云うのも難だが、《犠牲魔術》は本当に最低で、《禁術》扱いになっているのも頷けるってもんだ。
 球場に抉られ、範囲内に存在した全てが《犠牲》となった惨状へと歩みを進めて、白き死神の最期を確認してやる。
 まっ、《贄》となっちまったからには、後には何にも残らず、そこには、只々抉られた地面があるだけだった。地面に手を付き、《魔力探知》を走らせるが、白き死神程の出鱈目な《魔力》も、《贄》となり、抉られた地面からも、《何にも感じられない》。
「………………」
 念のため、周囲を《透視》で見回すが、野生の動物位しか確認できない。
「……終わった、か……?」
 あまりにも順調に事が進み過ぎたため疑心暗鬼になるが、何度調査をしても白き死神が死んだとの結論を導く事実しか確認できなかったため、俺はゆっくりと立ち上がり、深呼吸して気持ちを切り替えた。
「ふぅ〜……何とか殺しき――」

 ――腹部に軽い衝撃。

 熱い何かが喉を逆流して来たから、堪らず吐き出す。

 月明かりの頼りない光ですら解る程真っ赤な液体が中空を舞う。

 視線を降ろすと、右脇腹近くを俺の《犠牲魔術》で発動した骨の槍よりも、数段禍々しい形状の白き槍が貫いていた。

「コ、コイツぁ……」
 白き槍を視線で辿っていくと、球状に抉られた地面の中から伸びていた。
「な、なん――」
 それ以上言葉が続かなかった。
 腹部を貫いていた白き槍が引き抜かれたからだが、茨の様な刺や鈎針の様な突起が存在するため、必要以上に傷口を広げられてしまい、その激痛に気を失いかけ、白き槍が引き抜かれ切って支えを失った俺は、片膝を着いてしまった。
 痛みで腹部が上手く動かず、呼吸が浅くなっちまい、視界が揺らぐ。
 震える手で腰蓑から《魔界植物》の種を取り出し、《犠牲魔術》の《贄》とする。
 種が白き粉となって風化すると、俺の中に膨大な《魔力》が発生したので、体内で循環加速をさせ、十分に高まった所で、右手に集中させて《治癒》の《魔術》を発動し、脇腹へと手を当てる。
 激痛が徐々に熱へと変わり、熱が引く頃には、傷は跡すら残らず完治した。
 息を吐き出して調子を確認しながら、静かに立ち上がり、顔を上げた俺は、言葉を失う事となった。
 月光に照らされ、地に舞い降りた天使の如き白き裸体を一切隠さず、白銀の長き髪を夜風になびかせ、白一色の中に、唯一凶暴に輝く真紅の瞳に捉えられ、俺は指先一つすら動かす事ができなくなってしまった……。
 《魔物娘》? ……い、いや、それなら、《魔力》の質で解る。
 なら、今目の前にいる存在は――。
「《カリオテ》の、《裏切り者》……?」
「えぇ、わたしこそが、《教団》の《異端審問機関=カリオテ》、《裏切り者》の徽章を賜りし《白き死神》――アリサ=リードです。本来なら顔を見せる事はおろか、名前すらも明かさぬのが《カリオテ》の掟ですが、今回は特別です」
 ニコリ――っともし《主神》がこの場にいたのなら、《思わず作り込み過ぎた》と云ってしまう位、見事な造形をした顔に笑みを浮かべたが、それを向けられている俺からしたら、恐れしか浮かばない。
「アナタの一撃で、わたしの身体の3分の1は消失しました。コレ程に消耗したのは久し振りです。けれども、《犠牲魔術》の新たな境地を見る事ができ、わたしは今、歓喜に震えています」
「そ、そんなに失ったのに、何で生きてやがるんだよ……」
「ふふっ……これも《犠牲魔術》の応用の1つです。脳と脊髄の一部が残っていれば、わたしはいくらでも再生できるのです」
 正真正銘の化け物だな……。
 頬を厭に冷たい汗が伝う。
「アナタのあの一撃には正直驚きました。極小規模に抑える事で、空間破砕の威力を何十、何百倍にも引き上げ、更に膨張後の爆縮を範囲内の存在を《贄》として行うため、内部に存在するモノは己の力によって消失するという二段構え。わたしも身体の3分の1を代償にする事で、逃げ切れた位なので、上級の勇者であったとしても、一撃で殺し切れる威力です。まっ、それでも――」
 白き死神が手を伸ばしたと認識した瞬間、右足の義足が粉砕され、バランスを崩された俺は、その場に倒れ込んでしまった。
「一度見て、体験すれば、流用する事は可能です」
「流石エリート様だ。一度見ただけで――」
「アリサです。わたしの名はアリサ=リードです。次、名前を呼ばなかった場合、残っている左足をいきますよ?」
 顔は笑みを浮かべているが、深紅の目は笑っていねぇ……コイツ、本気だ……。
 俺は右の掌を向け、降参のポーズを取る。
「解った解った。俺も今残っている手や足を失いたくねぇ。アリサ? だっけか?」
 白き死神が頬を軽く染め、頷く。
 止めてくれ。
 アンタの様な作りが良い美人がそんな顔をすると、男ってのは殺すべき相手でも心が揺らいじまうってもんだが、俺は言葉にするのが難しい悪寒に襲われる。
「えぇ、そうです。アナタのアリサです。さぁ、何を訊きたいのですか?」
 アナタのって……否、今はいい……。
 今直ぐ俺を殺せるのにしないってのは、それだけ反撃の機会を得られるって訳だ。
 この時間、有意義に使わせてもらうぜ。
「俺が養成所に着いた時から目をつけていたって云っていたが、あの養成所には、俺なんか足元にも及ばねぇ化け物連中がいたんだぜ? 何でそっちじゃなかったんだ?」
 あぁ……――っと白き死神はツマラナイ話題を振られた少女宜しく、鼻白んだ。
「初めから満たされている存在に興味はありません。この世に生を受けた瞬間から、親に《教団》が運営する教会に捨てられ、満たされず、欲しても得られず、延々と手を伸ばし続けて来たのです。無論、《教団》の養成所で暮らしている時も、穏やかでは決してなく、わたしはこの見た目により、多くの迫害を受けて来ました。死を覚悟した時だってあります。おかげで、《カリオテ》への適性を見出され、表向きは《戦死》として配置変換が行われた際には、歓喜しました。コレで《奪い、満たす側に回れる》――そう、確信したからです」
 もしかしたら、俺を油断させるために自分の置かれた境遇を偽って語っている可能性も否定できなくはないが、何故か流す事ができず、正面から目を合わせ聞き入ってしまった。
「わたしのこれまで生きてきた時を振り返りますと、成る程、《犠牲魔術》を扱えるのも頷けます。《犠牲魔術(コレ)》こそ、わたしが求めていたモノです。自分以外の全てを奪い、己の糧とする、最低最悪の魔術。アナタもそうなんでしょう? 《勇者》ジェス」
 チゲぇよ……――っと否定の言葉を返すが、ヤツは歪んだ笑みを浮かべた。
「ふふっ、何を云いますか。アナタは幼い頃に《魔物》によって両親を失ったではないですか。その復讐のために《勇者》となり、自分のために兵士となった友を護るべく、《犠牲魔術》を習得したのではないのですか?」
「結果として、俺もア……リサと同じ《犠牲魔術》を習得したが、過程と目的がチゲェよ。俺が弱くてバカだったから、こんなモンに手を伸ばしちまっただけだ。それによって、身体の一部を失う事になっちまったが、誰のせいでもない、俺の責任だ。俺は――」

 アリサとは違う――っとハッキリとした拒絶を持って、余裕の笑みを浮かべている白き死神に言葉を叩き付ける。

 瞬間、顔は笑みを浮かべたままだが、纏っている空気が変わった。
 俺は《コイツ》を何度も向けられたし、《コレ》があるからこそ、相手を確実に殺せる。

 ――《殺意》だ。

 だが、俺のとは比べ物にならない位、濃度が濃く、身体中に纏わり付き、呼吸すらも否定させる。

 心臓が早鐘の様に煩く鼓動する。

 奥歯が噛み合わず、何度もぶつかる。

 目を逸らしたいのに、魅入られた様に、瞬きすら忘れて見続けてしまう。

 片手片足だが、少しでも距離を稼ぐべく、這いずりながらも後退するが、白き死神は歩みの速度を一切緩めず、接近して来る。
 後一歩で俺との距離がゼロになるにも関わらずヤツはその端正な顔に笑みを浮かべたまま、右足を持ち上げ、真下に俺の左足が在るにも関わらず、一切の躊躇を見せず――。

 ――踏み下ろした。

「がっ……!」
 骨が拉げる音と共に膝から先が曲がってはいけない方向に曲がってしまい、無慈悲な暴力による激痛に視界に閃光が走り、呻き声が漏れた。
「……ジェス、わたしとアナタは同じです。偽りを口にして、わたしを悲しませないでください」
「な、何を云ってやがああぁぁぁっ!」
 踏み下ろして俺の膝下を砕いた足を捻られ、叫び声をあげる事しかできなくなってしまった。
「ジェス、アナタは賢いです。何を言葉にすべきか、解っている筈です。なのに、何故、心にもない事を云おうとしてわたしを困らせるのですか?」
「だ、だから、何の事だかあぁあぁぁっ?!」
 更に足を捻られ、砕けた骨が周囲の肉へと刺さり、吐き気を催す、脳に直接届くような激痛に俺は仰け反った。
「ふぅ……伴侶となる方に、本当はこの様なことはしたくないのですが、偽りを口にし続けるのでしたら、仕方の無い事です」
「さ、さっきから、何を云ってやがる……」
 吐き気と痛みに震えながら疑問を投げると、ヤツはゆっくりと足を持ち上げ、同時に自分の身体に起きた事態に我が目を疑った。
 白き死神によって無茶苦茶にされた左足が熱を持ち始め、光りに包まれると、むず痒くなるような感覚と共に、神経が繋がるのが解った。
 《治癒魔術》か……俺は施行していないとすると、行ったのは……。
「……何で、俺を治癒したん――」

 ――ヤツは貼り付けた笑みを浮かべたまま、持ち上げていた足を、治癒したばかりの俺の左足に勢い良く踏み下ろして来た。

「だああぁぁああぁぁぁっ!」
 そして、足を持ち上げると、再び、俺の左足に《治癒魔術》を施し、修復した所で、もう一度踏み降ろして破壊して来た。
 咄嗟に右手を振るい、攻勢魔術を叩き込もうとしたが、動かない。何事かと思い、そちらに顔を向けると、掌の内部から何かが勢い良く飛び出し、身体を支えるために地に付けていた右手を地面に縫い付けられてしまっていた。
 だが、それは外から貫かれた形ではなく、内部から飛び出している。
 俺の身体の内側にヤツの骨片が入っていなければこんな芸当はできないが――。
「っ?! ……俺の腹を貫いた時に、骨片を残していきやがったな……」
「御名答です」
 さぁ――っとヤツは子供が心の底から何かを楽しむ様な無邪気な笑みを向けて来た。
「時間はたっぷりとあります。安心してください。夫が道を間違えてしまった場合、それを正すのは妻の役目ですからね」
15/01/12 17:13更新 / 黒猫
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■作者メッセージ
お久し振りです。
黒猫です。

前後編にする予定でしたが、
予定をオーバーしてしまい、
前中後の3編になってしまいました……。

約一ヶ月で1編……が、頑張ります……。

ここまで読んで頂き、
ありがとうございます。

次回もまた、
よろしくお願いします。

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