第十話 小さな来客
「いらっしゃいませ〜!」
元気いっぱいの声が店内に通り抜ける。
「はい、2名様ですね?こちらのテーブルへどうぞ。」
少々たどたどしい手つきではあるが、丁寧に受け答えをしてお客さんをテーブルに案内するその姿は仕事に大分慣れてきたことを物語っていた。
「じゃあ、このコーヒーを頂こうかしら。」
「私は〜、この紅茶にするわぁ。ハニービーの蜂蜜も付けてくださぁい。」
狐耳が頭から生えた九本のしっぽを持つ凛とした女性と熊耳を付けたような外見を持つ眠たそうな女性がそれぞれメニューを指して注文を頼むと、ヒナは「かしこまりましたっ。」と言って走り書きした注文を片手にこちらまでふわふわと歩いて(?)きた。
「はい、注文だよっ、レン君。」
「よし、きた!任せとけ。」
にっこり笑顔で渡してきた注文票を受け取ると、やる気たっぷりにそう返す。
(ふふっ、頑張ってるレン君もちょっとかっこいいなぁ…。)
「紅茶の方はレン君に任せてみるから、やってみなさい?」
マスターが横で見守る中、抽出用のポットに適温の熱湯を入れ、温めてからお湯を捨てて指定の茶葉を適量入れてまた熱湯を入れる。一見面倒な方法だがこうすると美味しさが全然違うそうなのだ。十分に抽出した後、中身を茶漉しごしにティーカップに注ぎ、『ハニービー印の特選蜂蜜』とちょっとした洋菓子を添えて完成。
「うんうん、手際も大分良くなったわ、これなら大丈夫っ。」
「ありがとうございます。――じゃあヒナ、よろしくね。」
「うん、了解ですっ。」
ヒナはマスターの淹れたコーヒーと先ほどの紅茶をトレーに載せて小さい体をふわふわさせながら危なげなく運んで行く。
そう、今日は二人揃ってのバイトの日で、仕事に大分慣れてきたレンとヒナはそれぞれに着々とレベルアップした仕事を任せられるようになっていた。
「大分様になってきたじゃない?やっぱりあたしの目に狂いはなかったわ。」
下げ物を持ってきたリアさんがそう言ってふふっと微笑む。
「そうですか?ありがとうございます。でも、特殊なものはまだ全然覚えられなくて困ってます。」
何せ人間の飲み物ならばすぐにわかるのだが、『サマリア産ベルナリア・ティー』だとか『ブラヴィリア産トール・ドリンク セラ草付き』なんかが来ると正直どんなものか想像もつかない。この前は『フラト・ネーテル』とかいうもはや固形物か飲み物かもわからないものがきて、そうラベルに書いてあったビンをとって、よくわからない黄色でのっぺりとした中身を取り出そうとすると、実は焼いて抽出しなければ使えないと来たもんだ。
「まぁ、こっちに来ても向こうの物を恋しがる人は多いからね。こればっかりは覚えるしかないわ。頑張って!」
「はい…、努力します。」
リアさんにそう言われてしまっては頑張るしかない。彼女達だってこちら(?)にきても順応しているのだから自分だってこのくらいやれるはずだ。
( ? でもそういえば`こちら`と`向こう`ってどういう意味なんだろう…)
ふといつも彼らが言っているこの二つの言葉に疑問が生じ、聞いてみようとすると、
チリンチリーン
と、店にお客さんが来た事を意味する扉の呼び鈴が心地よく鳴り響き、レンの疑問は遮られた。
「はーい、いらっしゃいませっ!…あっ、こんにちは、大家さんっ。」
「こんにちは、ヒナさん。頑張ってるみたいね。」
いつも通り優しいお姉さんのような雰囲気を持つ彼女はこちらにも気付いたようで、にこっと会釈をすると服から出ている羽と見え隠れするしっぽをゆらゆらさせながらカウンターの席に案内されてそこに座った。
「あら、マリカ、いらっしゃい。いつもの特性ブレンドでいいわね?」
「葵さん、こんにちは。ええ、いつもので。今日は人と待ち合わせなの。――でも、彼女の事だからまた遅れて来るかもね。」
そう言うと、マリカさんは困ったように首を振っておどけて見せる。さらさらとした綺麗な長い髪が左右に揺れる。こうした店員とお客さんとの何気無い会話が許されるのもこの店の雰囲気あってこそなのだろう。
「すると…リコかしら?」
マスターが聞きなれない名前をぽっと口に出す。
「ええ、彼女、時間にルーズですから。一緒に出てくれば良かったかもしれませんね。」
「一緒って言うと、うちのアサガオ荘に住まれている人なんですか?」
まだ知らない住人という事もあり、興味が出てきて質問をしてみる。
「ええ、3階にすんでいるんだけど――」
チリチリーン
彼女がそう言いかけた時、呼び鈴がまた乾いた可愛らしい音を立てて、なんと今度は身長の小さな子どもが入ってきた。しかし顔には絵具がこびりつき、ベレー帽を被っていて、何よりも背中に蝶のような妖精のような翅が生えていることから魔物であることは間違いない。
「えっと、ごめんねマリカ。空を見ていたらついつい一つ描きたくなっちゃって。」
彼女は照れた様子で頭をかきながら子供っぽい無邪気な声でそう言うと、カウンターに座る。
「いいえ、私も今さっき来たばかりだから大丈夫よ?」
「そう?それなら良かった。今日は晴れててとっても良い天気ね。珠には外に出るのも良い事かも。」
マスターがマリカさんへ注文のコーヒーを出すと、
「うん、やっぱりマスターのコーヒーは一級の芸術品ね。あたしにも同じやつを頂戴。――あっ、あなたが噂の人?…ふーん、芸術とは程遠そうな顔しているわね。」
と、お嬢さんが初対面の人間にも関わらず不躾な物言いをしてくる。そんなに自分の顔は不細工な格好をしているだろうか。年齢もあまり高い訳ではなさそうなのにこの言い方には少々カチンときた。
「お嬢さんは本当にコーヒーでよろしいので?こちらに他のドリンクのメニューもございますが…?」
と、この小生意気な少女に至極丁寧に、しかしめいいっぱいの皮肉を込めて窺ってみる。
「なっ、子供扱いして〜!あたしはこう見えてもあなたなんかよりもずぅ〜っと年上よ?」
急にくっとこっちを睨んでくると、身を乗り出して「んぎぎっ」と歯を食いしばる。しかしこっちも先ほどの事を謝る気はない。訂正するまでにらみ返そうと思う。
「まぁまぁ、二人ともおちついて。リコさんはもの言いが少しストレート過ぎるふしがありまして。これは謝らなきゃダメですよ?ね、リコさん?」
「レン君もよ?お客様は皆がみんな外見通りとは限らないんだからそこの所も注意しないと。」
マスターとマリカさんの有無を言わせない言葉に思わず赤面して黙ってしまう。
「んでも――」
「で・も…?」
反論しようとした偽少女をマリカさんの氷の微笑が刺し止める。
「わ、わかったわ、ごめんなさいね、え〜っと――」
「藤堂蓮です。こちらもすみませんでした。」
「うん、わかればいいんだわ。私は301号室のヘリコニア。リャナンシーよ。皆からはリコって呼ばれてるわ。」
「僕は203号室です。よろしくお願いします。」
果たして謝っているのかよくわからない態度で自己紹介をされるが、他の二人の目もあるのでここは穏便に返す。
「さて、お話はこの辺でお終いよっ!レン君、注文が入っているから準備して。」
「はい、了解です。」
話に夢中になっているうちにまた注文が入っていたらしい。レンは急いでカウンターの奥へ戻ると、またしても未知なる食材との格闘をしにいった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
それからもPetuniaには沢山の人とそうでない人が来店し、夕方頃になると、早上がりだったレンはヒナやリア、マスターにさよならを言ってから店を出た。今回は前よりも商品の名前を覚える事ができたので自分としては大満足だ。そう思い、上機嫌で店の外に止めてある自転車の鍵を外していると思いがけない人物と出会った。
「遅かったじゃない。お陰で3枚は絵が描けちゃったわ。」
なんとそこには先ほどレンと言い争いをしてマリカと一緒に帰っていったはずのリコが不機嫌な顔をしながら立っていたではないか。別に待っていてくれなどとは一言も言っていないのに、何故こうも彼女は尊大な態度がとれるものなのか。
「別に待ってくれとは言ってませんよ?」
「あ、あたしは別にあんたを待っていた訳なんかじゃなくて…。えっと…まぁ、いいわ。あなたは、まだあたしのすごさが分かってないようだから丁度いい機会よ。今からあたしの部屋に来なさい!」
推測が当たったのか、しどろもどろになりながらも強引に部屋へと招待をしてくる。否、これを招待と言っていいのかは判断しかねる所だ。
「まぁ、この後は時間が空いていますから良いですけど…。何をするんですか?」
最近は慣れつつあるが、このアパートの住人は一癖も二癖もある人ばかりなので気軽に家に入って話してさようならという事にはまずならない。なのでレンは前もってその目的を聞き出すことにした。
「いいから!来てみればわかるって!ほら!」
リコはそう言うと、左右に分けたピンク色の髪を振りつつ手を強引に引っ張って部屋まで連れて行こうとする。これは傍目から見れば小さな子どもが大人の手を引っ張って歩くとても微笑ましい姿にみえるのだろうが、事実はそんなにほのぼのとはしていない。
「わかりましたからっ、そんなに急がないでくださいよ!」
「ダメっ!すぐにでもわかってもらわないとあたしの気が済まないの!早く早くっ!」
そんな調子でアサガオ荘の301号室まで仕方なくレンは引っ張られて行ったのだが、
「わぁ……、これは……」
着いた彼女の部屋のドアを開けて一歩踏み込むと、そこには壁一面に絵画が描かれていた。夕方の河川敷の風景、落ち着いた雰囲気の女性の姿絵、題材自体は極平凡なはずなのだが、そのどれも一つ一つが綺麗な宝石のように眩い魅力を放っており、部屋全体の大きさも相まってキラキラ輝いていた。あまりにも素晴らしいものを見ると言葉を失うとは聞いていたがこれが正にそうだと思う。
「どう?これであたしのすごさが少しは分かった?」
「はい、なんというか、言葉にできないくらいすごいです…。」
こればっかりは否定できない。素直にありのままの感想を彼女に伝える。
「そうでしょう?あっ、言っとくけど、魔法なんか一切使ってないからね。そんなんじゃ絵の素晴らしさは伝えられないもの。」
そう言ってうんうんと頷く彼女の表情からは絵に対する真剣な情熱が窺えた。本当に絵が好きなのだろう。今回のこれはきっと絵の素晴らしさを少しでも自分に認めさせたかったからなのだと思う。
「…さっきはすみませんでした、あんな態度をとってしまって。」
「え?あ、ああ、うん、いいのよ?あたしの方もちょっと言い方が悪かったしね。」
まさかそんな言葉が来るとは思っていなかったのか彼女はばつが悪そうにそう返す。
(なんだ、意外と話がわかるじゃない。)
「――そうだあなた、あたしの助手をしない?こんな作品を作るのに携われるなんてすごく光栄なことだと思うわよ?うん、そうね、これからあなたの事は`助手君`と呼ばせてもらうわ。決まりっ!」
「え?まだ俺返事してな――」
「そうと決まったら今から絵の色に使う材料集めをしに行くわよっ?自然物からじゃないと良い色がでないもんね。さぁ!」
「ちょ、ちょっとぉ〜。」
急に元気になったリコにまたしても腕を引っ張られて、レンはバイトで疲れた体のまま、さっきはあんなこと言うんじゃなかったと思いつつ屋外へとズルズル連れ出されて行くのであった。
元気いっぱいの声が店内に通り抜ける。
「はい、2名様ですね?こちらのテーブルへどうぞ。」
少々たどたどしい手つきではあるが、丁寧に受け答えをしてお客さんをテーブルに案内するその姿は仕事に大分慣れてきたことを物語っていた。
「じゃあ、このコーヒーを頂こうかしら。」
「私は〜、この紅茶にするわぁ。ハニービーの蜂蜜も付けてくださぁい。」
狐耳が頭から生えた九本のしっぽを持つ凛とした女性と熊耳を付けたような外見を持つ眠たそうな女性がそれぞれメニューを指して注文を頼むと、ヒナは「かしこまりましたっ。」と言って走り書きした注文を片手にこちらまでふわふわと歩いて(?)きた。
「はい、注文だよっ、レン君。」
「よし、きた!任せとけ。」
にっこり笑顔で渡してきた注文票を受け取ると、やる気たっぷりにそう返す。
(ふふっ、頑張ってるレン君もちょっとかっこいいなぁ…。)
「紅茶の方はレン君に任せてみるから、やってみなさい?」
マスターが横で見守る中、抽出用のポットに適温の熱湯を入れ、温めてからお湯を捨てて指定の茶葉を適量入れてまた熱湯を入れる。一見面倒な方法だがこうすると美味しさが全然違うそうなのだ。十分に抽出した後、中身を茶漉しごしにティーカップに注ぎ、『ハニービー印の特選蜂蜜』とちょっとした洋菓子を添えて完成。
「うんうん、手際も大分良くなったわ、これなら大丈夫っ。」
「ありがとうございます。――じゃあヒナ、よろしくね。」
「うん、了解ですっ。」
ヒナはマスターの淹れたコーヒーと先ほどの紅茶をトレーに載せて小さい体をふわふわさせながら危なげなく運んで行く。
そう、今日は二人揃ってのバイトの日で、仕事に大分慣れてきたレンとヒナはそれぞれに着々とレベルアップした仕事を任せられるようになっていた。
「大分様になってきたじゃない?やっぱりあたしの目に狂いはなかったわ。」
下げ物を持ってきたリアさんがそう言ってふふっと微笑む。
「そうですか?ありがとうございます。でも、特殊なものはまだ全然覚えられなくて困ってます。」
何せ人間の飲み物ならばすぐにわかるのだが、『サマリア産ベルナリア・ティー』だとか『ブラヴィリア産トール・ドリンク セラ草付き』なんかが来ると正直どんなものか想像もつかない。この前は『フラト・ネーテル』とかいうもはや固形物か飲み物かもわからないものがきて、そうラベルに書いてあったビンをとって、よくわからない黄色でのっぺりとした中身を取り出そうとすると、実は焼いて抽出しなければ使えないと来たもんだ。
「まぁ、こっちに来ても向こうの物を恋しがる人は多いからね。こればっかりは覚えるしかないわ。頑張って!」
「はい…、努力します。」
リアさんにそう言われてしまっては頑張るしかない。彼女達だってこちら(?)にきても順応しているのだから自分だってこのくらいやれるはずだ。
( ? でもそういえば`こちら`と`向こう`ってどういう意味なんだろう…)
ふといつも彼らが言っているこの二つの言葉に疑問が生じ、聞いてみようとすると、
チリンチリーン
と、店にお客さんが来た事を意味する扉の呼び鈴が心地よく鳴り響き、レンの疑問は遮られた。
「はーい、いらっしゃいませっ!…あっ、こんにちは、大家さんっ。」
「こんにちは、ヒナさん。頑張ってるみたいね。」
いつも通り優しいお姉さんのような雰囲気を持つ彼女はこちらにも気付いたようで、にこっと会釈をすると服から出ている羽と見え隠れするしっぽをゆらゆらさせながらカウンターの席に案内されてそこに座った。
「あら、マリカ、いらっしゃい。いつもの特性ブレンドでいいわね?」
「葵さん、こんにちは。ええ、いつもので。今日は人と待ち合わせなの。――でも、彼女の事だからまた遅れて来るかもね。」
そう言うと、マリカさんは困ったように首を振っておどけて見せる。さらさらとした綺麗な長い髪が左右に揺れる。こうした店員とお客さんとの何気無い会話が許されるのもこの店の雰囲気あってこそなのだろう。
「すると…リコかしら?」
マスターが聞きなれない名前をぽっと口に出す。
「ええ、彼女、時間にルーズですから。一緒に出てくれば良かったかもしれませんね。」
「一緒って言うと、うちのアサガオ荘に住まれている人なんですか?」
まだ知らない住人という事もあり、興味が出てきて質問をしてみる。
「ええ、3階にすんでいるんだけど――」
チリチリーン
彼女がそう言いかけた時、呼び鈴がまた乾いた可愛らしい音を立てて、なんと今度は身長の小さな子どもが入ってきた。しかし顔には絵具がこびりつき、ベレー帽を被っていて、何よりも背中に蝶のような妖精のような翅が生えていることから魔物であることは間違いない。
「えっと、ごめんねマリカ。空を見ていたらついつい一つ描きたくなっちゃって。」
彼女は照れた様子で頭をかきながら子供っぽい無邪気な声でそう言うと、カウンターに座る。
「いいえ、私も今さっき来たばかりだから大丈夫よ?」
「そう?それなら良かった。今日は晴れててとっても良い天気ね。珠には外に出るのも良い事かも。」
マスターがマリカさんへ注文のコーヒーを出すと、
「うん、やっぱりマスターのコーヒーは一級の芸術品ね。あたしにも同じやつを頂戴。――あっ、あなたが噂の人?…ふーん、芸術とは程遠そうな顔しているわね。」
と、お嬢さんが初対面の人間にも関わらず不躾な物言いをしてくる。そんなに自分の顔は不細工な格好をしているだろうか。年齢もあまり高い訳ではなさそうなのにこの言い方には少々カチンときた。
「お嬢さんは本当にコーヒーでよろしいので?こちらに他のドリンクのメニューもございますが…?」
と、この小生意気な少女に至極丁寧に、しかしめいいっぱいの皮肉を込めて窺ってみる。
「なっ、子供扱いして〜!あたしはこう見えてもあなたなんかよりもずぅ〜っと年上よ?」
急にくっとこっちを睨んでくると、身を乗り出して「んぎぎっ」と歯を食いしばる。しかしこっちも先ほどの事を謝る気はない。訂正するまでにらみ返そうと思う。
「まぁまぁ、二人ともおちついて。リコさんはもの言いが少しストレート過ぎるふしがありまして。これは謝らなきゃダメですよ?ね、リコさん?」
「レン君もよ?お客様は皆がみんな外見通りとは限らないんだからそこの所も注意しないと。」
マスターとマリカさんの有無を言わせない言葉に思わず赤面して黙ってしまう。
「んでも――」
「で・も…?」
反論しようとした偽少女をマリカさんの氷の微笑が刺し止める。
「わ、わかったわ、ごめんなさいね、え〜っと――」
「藤堂蓮です。こちらもすみませんでした。」
「うん、わかればいいんだわ。私は301号室のヘリコニア。リャナンシーよ。皆からはリコって呼ばれてるわ。」
「僕は203号室です。よろしくお願いします。」
果たして謝っているのかよくわからない態度で自己紹介をされるが、他の二人の目もあるのでここは穏便に返す。
「さて、お話はこの辺でお終いよっ!レン君、注文が入っているから準備して。」
「はい、了解です。」
話に夢中になっているうちにまた注文が入っていたらしい。レンは急いでカウンターの奥へ戻ると、またしても未知なる食材との格闘をしにいった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
それからもPetuniaには沢山の人とそうでない人が来店し、夕方頃になると、早上がりだったレンはヒナやリア、マスターにさよならを言ってから店を出た。今回は前よりも商品の名前を覚える事ができたので自分としては大満足だ。そう思い、上機嫌で店の外に止めてある自転車の鍵を外していると思いがけない人物と出会った。
「遅かったじゃない。お陰で3枚は絵が描けちゃったわ。」
なんとそこには先ほどレンと言い争いをしてマリカと一緒に帰っていったはずのリコが不機嫌な顔をしながら立っていたではないか。別に待っていてくれなどとは一言も言っていないのに、何故こうも彼女は尊大な態度がとれるものなのか。
「別に待ってくれとは言ってませんよ?」
「あ、あたしは別にあんたを待っていた訳なんかじゃなくて…。えっと…まぁ、いいわ。あなたは、まだあたしのすごさが分かってないようだから丁度いい機会よ。今からあたしの部屋に来なさい!」
推測が当たったのか、しどろもどろになりながらも強引に部屋へと招待をしてくる。否、これを招待と言っていいのかは判断しかねる所だ。
「まぁ、この後は時間が空いていますから良いですけど…。何をするんですか?」
最近は慣れつつあるが、このアパートの住人は一癖も二癖もある人ばかりなので気軽に家に入って話してさようならという事にはまずならない。なのでレンは前もってその目的を聞き出すことにした。
「いいから!来てみればわかるって!ほら!」
リコはそう言うと、左右に分けたピンク色の髪を振りつつ手を強引に引っ張って部屋まで連れて行こうとする。これは傍目から見れば小さな子どもが大人の手を引っ張って歩くとても微笑ましい姿にみえるのだろうが、事実はそんなにほのぼのとはしていない。
「わかりましたからっ、そんなに急がないでくださいよ!」
「ダメっ!すぐにでもわかってもらわないとあたしの気が済まないの!早く早くっ!」
そんな調子でアサガオ荘の301号室まで仕方なくレンは引っ張られて行ったのだが、
「わぁ……、これは……」
着いた彼女の部屋のドアを開けて一歩踏み込むと、そこには壁一面に絵画が描かれていた。夕方の河川敷の風景、落ち着いた雰囲気の女性の姿絵、題材自体は極平凡なはずなのだが、そのどれも一つ一つが綺麗な宝石のように眩い魅力を放っており、部屋全体の大きさも相まってキラキラ輝いていた。あまりにも素晴らしいものを見ると言葉を失うとは聞いていたがこれが正にそうだと思う。
「どう?これであたしのすごさが少しは分かった?」
「はい、なんというか、言葉にできないくらいすごいです…。」
こればっかりは否定できない。素直にありのままの感想を彼女に伝える。
「そうでしょう?あっ、言っとくけど、魔法なんか一切使ってないからね。そんなんじゃ絵の素晴らしさは伝えられないもの。」
そう言ってうんうんと頷く彼女の表情からは絵に対する真剣な情熱が窺えた。本当に絵が好きなのだろう。今回のこれはきっと絵の素晴らしさを少しでも自分に認めさせたかったからなのだと思う。
「…さっきはすみませんでした、あんな態度をとってしまって。」
「え?あ、ああ、うん、いいのよ?あたしの方もちょっと言い方が悪かったしね。」
まさかそんな言葉が来るとは思っていなかったのか彼女はばつが悪そうにそう返す。
(なんだ、意外と話がわかるじゃない。)
「――そうだあなた、あたしの助手をしない?こんな作品を作るのに携われるなんてすごく光栄なことだと思うわよ?うん、そうね、これからあなたの事は`助手君`と呼ばせてもらうわ。決まりっ!」
「え?まだ俺返事してな――」
「そうと決まったら今から絵の色に使う材料集めをしに行くわよっ?自然物からじゃないと良い色がでないもんね。さぁ!」
「ちょ、ちょっとぉ〜。」
急に元気になったリコにまたしても腕を引っ張られて、レンはバイトで疲れた体のまま、さっきはあんなこと言うんじゃなかったと思いつつ屋外へとズルズル連れ出されて行くのであった。
11/03/22 19:19更新 / アテネ
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