連載小説
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第十一話 初???
「ここは……一体…」

 一人の女が懐中電灯の明かりだけを頼りに暗い廃病院の廊下を歩いている。長い廊下は先が見えず、真黒に塗りつぶされたような先の方はまるで別の異世界へと繋がっているかのようだ。
 コツコツコツ。女の靴の音だけがじめじめした雰囲気を持つ一本道にこだまする。得体の知れない恐怖と不安感に手は知らずと汗ばみ、喉がカラカラになってくる。周りの部屋は当然明かりなんて付いていないが、今の女にはそこに誰かが居るような気がしてならなかった。

「…?」

 そのまま恐々と廊下を進んでいると、右手にあったドアに急に物音がしたような気がした。こんな時間に誰かが居るなんて考えられない。きっと古い病院だから動物でも忍び込んだのだろうと言い聞かせつつ、女はそれでも耐えがたい好奇心に負けてそのドアのノブに手をかける。

 ガチャリ…

「なんだ、何にもないじゃない。」

 開いた先の部屋には、病室なのだろうか、病人用のベットが何床かとボロボロになったカーテンがかかっていた。人の姿はおろか、動物の気配すら感じない。あるのは雲を薄く被った月が正面の窓に見えるくらいだった。女はその部屋の月明かりに少し安堵したのか小さく「ふぅ…」とため息をつく。大丈夫、と気持ちを落ち着かせ、部屋から出ようと後ろを振り返ると、

「「きゃあああああああ!!」」
「…びっくりした?レン君っ。」

 えへっと、笑いながらヒナが自室の隅の小さな棚の上にあるTVからうにょっと姿を現した。

「あ゛、ああ、ま、まったく、脅かすなよ。」

 自分でもびっくりするほど女々しい悲鳴をあげた事にちょっと赤面しつつ、レンはヒロインが幽霊に襲われそうになっている深夜映画をそのままに注意した。情けない事に心臓はまだ先ほどの驚きが引かないのかバクバクと脈うっている。近所迷惑にはなってないだろうか、と見えもしないのに思わず部屋を見渡してしまう。

「ふふっ、レン君って意外と怖がり?」

 と、寄ってきたヒナは弱点見つけたりっというかのような顔で嬉しそうにほくそ笑む。

「違うわいっ。今のはヒナが急に画面から出てきたからであって。普通に見てればこんなの全然大丈夫さっ。」

 日頃からホラー映画をちょくちょく見ている自分としてはこのくらいのB級ホラーでビビる事はない。さっきのはヒナのせいだ、という事にしておく。うん。とりあえずタバコでも吸おう。

「ふーん。」

 画面に映っている女と幽霊を交互にじ〜っと見ながら神妙な面持ちで彼女は言った。きっと自分と同じ(?)幽霊が出ているので何かをふと考えたのだろう。

「でも、昔も今もホラー映画は映像の技術以外あんまり変わんないんだね。」
「そりゃあ話を考えているのは結局人間だからね。題材になるものは進化しても根底にある恐怖ってのは皆同じってことじゃない?」

 と、持ち前の持論をしたり顔で語ってみる。まぁもっとも幽霊に恐怖について語るというのもおかしい話だが。

「なんか専門家さんみたいっ。すごいなぁ!」

 ヒナはくりくりとした目を輝かせてそう言う。大きくリアクションしたことでふわふわとした透き通った髪の毛が空中にふわりと浮かんだ。

「専門家は大げさだよ。でも結構前からホラーは良く見てるから詳しいっちゃ詳しいかな。」

 ヒナに褒められ得意になったレンは、座っていた座椅子に寄りかかるとんん〜っと大きく伸びをした。

「そんな詳しいレン君に…今度映画に連れて行って欲しいなぁ。」

 そう言って彼女はいつの間に持ってきたのか、新作の映画のチラシと割引券を目の前のちゃぶ台に乗せてきた。まるで子供が親におねだりをするかのように。

「んな、それが狙いだったのかっ。通りでいつもよりよく褒めるなと…。」
「えへへっ、バレちゃった?マスターが今度二人で行ってみたらって渡してくれたのっ。ほらっ、丁度ホラー映画だし、レン君も楽しめると思うんだけどなぁ。」

 と、チラシのタイトルの所を指して必死に説得をする。空中からうつ伏せ状態で手を下に伸ばして説明する彼女の胸は、服の胸元が大きく開いているせいかもう少しで見え…そうだ…!!

「あ、ああ、そうだなぁ、考えても良いかもなぁ。」

 映画がホラーだと言うのでちょっぴり内容が気になり、肯定の返事をする。ちなみに椅子からちょっとだけ背伸びなんかしたりはしていない。絶対にだ。

「じゃあ決まりっ!日付は二人ともバイトが休みの日が良いよね?」
「良いよ。じゃあ…明後日にしようかっ。」
「うんっ!」

 嬉しそうにふわんふわんと飛びまわるヒナの後ろでは空しく先ほどの女と幽霊との追いかけっこが映されていたのだった。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇


「わぁ〜、すごい賑やかな所っ!いつもここはこんな感じなの?」
「まぁ駅前だからな。――っと、着くまではあんま喋るなよ?」

 当日、授業が終わり夕方に近くなってきた頃、二人は自転車を使って近所の駅前にある映画館へと足を運んでいた。もちろんヒナは今日も水筒の中でだが。

「分かってるって!じゃあ行こうよ!」
「了解、時間無くなっちゃうしな。」

 彼女はホントにわかっているのか、元気いっぱいに返事をすると水筒ごと鞄の中で跳ねまわる。いつも彼女は元気だが、今日はそれ以上にはしゃいでいるように見える。そんなにも映画が見れる事が嬉しいものなのだろうか。
 映画が始まる時間が近付いてきたので、館内のチケット売場へと急ぐ。せっかく良い席を取る為に早めにきたのに取れなくては元も子もない。
 窓口に着いて受付の女性に席を聞くと、平日なのが幸いしてか意外にも席はほとんど空いているようだ。内心やったと喜びつつ、よく見えて且つ周りから怪しまれない真ん中端寄りの席のチケットを一枚取って館内へと入っていった。

「とりあえずここに座れば見つからないだろ。明かりが消えたら出してやるからそれまで辛抱してくれよ?」

 ポップコーンや飲み物と共に先ほど選んだ席へ座ると、声を潜めながら脇に置いた鞄へ向けてぼそぼそと言う。

「りょーかい!ふふっ、楽しみだなぁ。」

 そう言う彼女の声は楽しげに弾んでいて、蓋を開けたらそのまま飛び出してきそうなほどだ。

「あたしね、映画とっても好きなんだっ。見てるとまるで自分が色んな世界に入りこんでいるような気分になれてわくわくするのっ。」

 そう言って、だんだんと人が集まり始めた館内の様子にヒナは耳を澄ませる。まさかヒナも映画好きとは知らなかったのでレンは妙に親近感を覚えた。と同時に、

(そういえば…)

 レンはふと思った。彼女はどんなものが好きでどんなものが苦手で得意な事はなんなのか、言ったことのある場所や知ってる事…いつも一緒に過ごしているはずなのにそのほとんどの事をレンは知らなかった。思えばいつも質問をしてくるのは彼女の方で、数の多い質問攻めに少し辟易しながらも話をしていたが、彼女が自身の話をすることはあまりなかった。
 ブザーとアナウンスが鳴り始め、席に座る人のがやがやとした声が一回り小さくなる。辺りも暗くなり始めたので水筒の蓋を開けヒナを目立たないよう出してやると、待ってましたというように目をキラキラさせて手をぎゅっと握りながら席に座った(?)。一応上から肩口まで隠れる薄手のコートを羽織ってもらっているので近くに寄られなければ気付かれる事はないだろう。

「わくわくするっ。」小声でヒナはそう言った。
「だね。」

 返事を返しつつも思考は先ほどの疑問へ立ち帰る。何故今まで自分は彼女の事について聞いた事がなかったのか。何でも要領よく嬉々としてこなし、文句を聞いたことがないから意識しなかったのだろうか。幽霊になってからの記憶が曖昧だとは言っていたが、やはり生前の事を思い出すのは嫌だから話さないのだろうか。
 映画の大きなスクリーンに撮影禁止の警告や他に上映されている映画の宣伝が流れ、終わっていく。そろそろ本編が始まるようだ。

「いよいよだね!」
「おう、どれだけ怖いか見てやろうじゃないか。」
「ふふっ、その言葉最後まで持つかなっ?」
「もちろんっ。」

 映画のあらすじはウイルスにより人間達がゾンビになっていまい、その中で生き残った人々が何とかして安全な所へ脱出するというまぁありがちといえばありがちな作品だったが、音響とカメラワークが秀逸で幾度となくビクリとさせられた。

「……。」

 目をそらすことなく、ヒナは黙々とスクリーンを見つめている。固唾を飲んで見守るその姿はコートの丈が合っていないのもあってとても小さく見えた。
 始まりから多々登場するゾンビ達が主人公達に向かっていくが次々と倒されて行く。彼らが喋っている間にゾンビが攻撃しないのは何故なんだろうとか、都合良く咬まれないヒロインなどは無粋な事なので考えない。

 ヴァァアアアアア

 突然画面下から出てきたゾンビに無意識に体がビクンと反応する。

「きゃっ。」

 ヒナは小さく悲鳴をあげると、レンの服の袖の端を遠慮がちにきゅっと握りしめた。しかし依然目線は画面に向かったままなのが思わず笑いを誘う。

(フフッ、なんだ、結局ヒナも怖がるんじゃないか。)

 ただただいつも元気でちょっと悪戯好きの可愛い女の子という感じに見えていたヒナの横顔は、今のレンには何だか少しだけ違って見えていた。
 無理やりな爆弾オチによって映画は終了し、エンドロールが流れ始めると帰る人たちが出始め、館内がガヤつき始める。

「あ〜、面白かった!そろそろ行くか。」
「うんっ、楽しかったぁ。あっ、すぐに戻らないとねっ。」

 ヒナはそう言うと、急いで水筒内にしゅるしゅると戻る。何度見てもこの光景は慣れるものではないなぁと思いつつ、レンは荷物をしまって映画館を出た。

「レン君、びっくりしてたでしょ?ビクッてしてたもん。」

 空もすっかり日が落ちて、人通りの少ない道を選びながら自転車を漕いでいるとヒナがからかい気味に言った。

「あ、あれはしょうがないだろ?俺だってびっくりくらいするわ!そんなこと言ったらヒナもビビってたじゃないか。」
「えへへっ、まあね。あーあ、ホントはびっくりしないでレン君に自慢するつもりだったのに、ダメだったなぁ。」

 しかしそう言ったヒナの声はまったく残念そうではなく、寧ろとても楽しそうに聞こえた。

「それは残念だったなっ。――でも意外だったな、ヒナが映画好きだとは思わなかったよ。」
「そう?…私ね、生きていた時の記憶はとっても曖昧なんだけど、物事に触れたりする時、例えば映画を見た時とかにそういえば好きだったなぁって感じで思い出せるの。記憶喪失のようなものなのかなぁ?だから、実は自分でも驚きなんだけどねっ。」
「…なるほどな。それじゃあ、また何かふとしたはずみで思い出した時は、俺に教えてくれないか?」

 我ながら随分とストレートに言ったと思う。「ヒナの事をもっと聞いてみたい」というのが正直な所だが、これでは恥ずかし過ぎる。よって、先ほどのセリフは自分ができる精一杯の質問であった。

「いいよっ。」

 するとヒナは意外にもすんなりとOKをくれた。どんな理由を言おうかと考えあぐねていたレンは思わず面喰ってしまう。

「レン君には聞いてばっかりで私の事全然話した事無かったもんね。ホントは私の事も知って欲しかったんだけど…記憶が曖昧だと中々話せなくって。」

 ヒナは照れ隠しにちょっと笑うとこう続けた。

「だからレン君にその都度伝えれば大丈夫かなって思ったの。これなら覚えていられる気がするから。」
「…そっか。」

 耳と顔がとてつもなく熱い。別に褒められた訳でもないし、恥ずかしい事をした訳でもない。ただ、彼女にこんなにも頼られていた事がレンの心を揺さぶっていた。

「あっ。」ヒナが突然声を上げる。
「?どうしたの?」
「これって…もしかしてデートだったんじゃ……?」

 恐ろしい事実を突き付けられたかのように愕然とした声で彼女は言った。

「そ、そういえばそうだな。全然気付かなかった。」

 自分でも今頃気づいたのが嘘のようだ。ヒナとデートしたという事実が頭にしっかり伝わると、途端に顔が再度赤くなってくる。

「だったら写真でも取っておくんだったっ。失敗したなぁ…。」

 言うや否や声がしゅんと萎み聞こえなくなる。

「まあまあ、それは次回にでも取れたら取るという事で。」
「次回もあるの!?」

 ヒナは先ほどまでの沈み方が嘘のようにぱぁっと明るくなり、きたるべき`次回`への計画を今から練り始める。
 もうすぐ、自分達の住むアパートが見えて来る。時間的にも早いのでまだ明かりが付いている部屋は少ないだろう。今日は部屋に戻ったらもう少しだけ話そうとヒナに告げ、レンは自転車のペダルに再度力を込めたのだった。
11/03/25 08:25更新 / アテネ
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■作者メッセージ
おかげさまで11話目です。
文章の書き方を大分変えてみました。
確認はしましたが、もし可笑しな表現、食い違い等ございましたら遠慮なく伝えて下さると嬉しいです。
それでは読んで頂きありがとうございました。

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