ハーピーちゃんは闇堕ちしたい
前略、ウチの嫁が補導されました。
「……体中に墨汁を塗りたくってる不審者がいるって通報があったの。
何事かと思ったら、この子が周りの静止も聞かずに頭から墨汁を浴びてた。
意味がわからない。妻の面倒はちゃんと見て、夫でしょ」
仕事を終えて帰ってきた夜、家に妻の姿が見えないと思ったら、
この町の警備兵を勤めるリザードマンが自分の妻であるハーピー、スイレンを連れて訪ねてきたのだ。
スイレンはすでにこっぴどく叱られた後なのか、うつむいて黙っており、普段の明るさが見る影も無い。
しかも羽には言ったとおり、所々に墨汁が付いている。
「……じゃあ、私帰るから」
そう言い残しリザードマンのユカリさんは帰り、この場には自分とスイレンだけが残された。
「えっと…、スイレン、なんでそんな事したの……?」
素直な疑問をぶつけると、スイレンは目尻に涙を浮かべて、力強く言い放った。
「私、悪い子になるの!」
……………
……………………
…………………………
……ハッ!?一瞬意識が飛んでいた。
スイレンは昔からいろんなものに影響を受けやすい子ではあるのだが、今度は一体何を見たのだろうか。
アカオニが棍棒で学校の窓ガラスを割って回る漫画とかアオオニが罪の無いゴブリンに多額の借金を負わせて破滅させる漫画とか見たのだろうか。
……鬼の皆さんはそろそろ人権…、魔物権団体とか設立すべきかもしれない。
「今のトレンドは『闇堕ち』なんだよ!キャンバスは白いままじゃダメなの!黒く汚してこそのキャンバスなの!」
「それ、どこで聞いたの」
「月刊『パンデモ』」
「肉屋が『今若者の間で肉が人気』って言ってるようなもんだろそれ」
ちなみに先月は
「今の時代は女の子より『男の娘』なんだって!私、サバトに行っておちんちんが生える薬もらってくるね!」
と言っていたし、先々月は
「『バブみ』ってのが流行なんだって!今日は私に甘えて良いよ!」
とか言っていた。
そうかー、今月は闇堕ちと来たかー。
「私はもう昨日までの私じゃないよ!言わばダークハーピーのスイレン!もしくはスイレン・オルタ!」
「ブラックハーピーじゃないんだな」
まぁあれは闇に堕ちてるわけじゃなくただ体毛が黒いだけだしな。
「……で、なんで墨汁浴びてたの」
「形から入ろうと思って……」
「ダークエンジェルやダークヴァルキリーの羽墨汁で黒くなってるわけじゃないからね」
「…はぁ、闇堕ちがしたいと」
翌朝、訪れたのは町外れに住むリッチの家。この町にダークエンジェルやダークメイジは居ないので
この手の相談ができそうなのは彼女しか居ない。
「おねがいしまーす!!」
「すみません、少しだけ付き合ってあげてください……」
「まぁ、我らの同胞が増えるならそれは喜ばしいことではあるのだが……」
そこで一呼吸置き、リッチのルビアさんはこちらに向き直る。
「そもそも君らは闇堕ちについて正しく理解しているのか?闇堕ちというのは本来純粋だった者、清廉だった者が何かの原因でその思想が歪み今までの自分では考えられない非道、外道の道に進んでしまうことを指す、闇落ちとは目的ではなく過程において起こりうる現象でしかなく『闇堕ち』したいという願望は正しいものではないのだ。例をあげるとするならそうだな。君らが夜の営みをするとして、まぁ普通布団を敷くだろう?ハーピーは空中セックスなどというものも嗜むそうだがそんな的外れな反論はいらん、一般論で考えてくれ、さて布団を敷くとして君達は布団を敷きたいと思って布団を敷くか?違うだろう。布団を敷いた先にある交わり、その官能が目的であるはずだ。それと同じことだ。私とてかつては村で野菜を育てる農家の娘だった。しかしいつからだったかこの魔道の道に魅せられ街へと飛び出し研究者としての人生を歩み始めた。知の誘惑というのは恐ろしいもので私の倫理観、良識というものはあっという間に溶解していき、いつからリッチになったのかも今はもう思い出せないほどだ。私の半生を客観的に評価すれば『闇に堕ちた』ということになるのだろう。しかし私は好んでこうなったわけではない。研究の為、叡智の獲得の為に自分に不必要なものを捨て去った結果こうなっただけのこと。『闇堕ちしたい』などと考えたことは一度も無い。スイレン、君の場合はどうだ?闇堕ちの先に何か目的はあるのか?邪悪な怪鳥として教団を滅ぼすのか?自分を夫に苛烈な陵辱を与えて服従させるのか?夫とさらなる快楽を追求する為に魔道の道へと進むのか?おそらくそのいずれにも君は当てはまらないだろう。今日のご飯が美味しくて、隣に夫が居て、明日も晴れなら幸せ。それがスイレンという女性だと私は理解している。もちろんそれが悪いということではないぞ。自分に嘘を付かない生き方をしているのならどんな生き方も尊いものだ。話が逸れたな。まず基本的に君は闇に堕ちるような魔物ではない。第一君には闇に堕ちる理由が無い。闇に堕ちる者はもっと世の中に絶望した表情か、己の悦楽以外を忘れた好色な表情をしているものだ。君のような幸せに満ち溢れた日々を送っている魔物に闇堕ちなどできない。仮に闇堕ちできるとしたらその幸せが崩れ去る時…、例えば夫との死別とかか?しかしそれは無いだろう。この街は平和そのものだ。後はそうだな…、夫の裏切りとかもあるか。しかしこれも心配ないだろう。君の夫は君にしか興味ないしな、後はそうだな、じゃあこれはどうだ、ある日君の夫が―――」
「あの、すいません。ウチの嫁が寝ました」
隣のソファを見ると、スイレンはすやすやと寝息を立てて熟睡していた。
「む、そうか、すまない。ついつい喋りすぎてしまったようだな。何せ私はおしゃべり大好きなのにリッチというだけでクールキャラ扱いされてあまり話しかけられることが無いものでな。確かにリッチという種族は冷静、冷淡、冷徹な鉄仮面が多いが何事にも例外というのは存在するものだ。無邪気で人懐っこいヴァンパイアが居たって良いし、乱暴な口調のアルラウネが居たって良い、それが生命というものだ。そもそも魔物に限らず種族を通して性格が統一されている生物など存在しないだろう。そもそも性格というのは後天的なものだからな。育った環境で決まる。もちろん同種ならある程度は同じ生活環境で過ごすから似た性格になるということはあるだろうがな。いやしかしだからといってスライムはこんな奴だ。ラミアはこんな奴だ。と決め付けるのは良くないぞ。もし人間が始めて見つけたリッチが私だったらどうするつもりだ。リッチはおしゃべりで放っておいたらいつまでもぺらぺらと喋り続ける魔物だと定義されてしまうぞ。他のリッチから苦情が殺到してしまう。ああそうだ苦情で思い出したのだがこの前街にある定食屋に行ったときなのだが―――」
「あの、すいません。ウチの嫁が起きます」
隣のソファを見ると、スイレンは不機嫌そうに寝起きの目蓋を擦っている。
結局ここではルビアさんの対話欲求を満たすだけで終わってしまった。
「やっぱり墨汁浴びないとダメなんだよ!」
「スイレンは墨汁を何かの魔道具だと思ってるの?」
「……髪の毛を紫色にしたいのですか?」
次に訪れたのはキャンサーが営む理容店。
スイレンはそこで髪染めをしたいと言い出した。
「悪い女の子って大体髪が紫色なんだよ!だから紫色にするの!」
酷い偏見だ。
「おねがいします!」
「……わかりました、ではこちらへどうぞ」
キャンサーに連れられてスイレンは店の奥へと消える。まぁこれで気が済むなら良いか……。
「えへへー、髪紫色にしたよ!ついでに羽も黒く染めてもらっちゃった!!」
鮮やかな桃色の髪は紫色に濁り、漆黒の翼を身に纏うその姿は確かに堕落神に仕える魔物の様にも見える。
「わーい、ダークハーピーのスイレンちゃんだー!」
満面の笑みで翼をばたばたとはためかすその姿はダークエンジェルとは似ても似つかないが。
「さぁ、これで闇堕ちならではのえっちができるよ!」
絵に描いたようなドヤ顔で高らかに宣言する。ここが天下の往来だと忘れたか。
「……闇堕ちならではのえっちって何?」
「……………」
「……………」
「……何だろう?」
そんなこったろうと思った。
「ダークエンジェルって普段どんなえっちしてるんだろう……」
「読んだ雑誌には何か書いてなかったの」
「普通のことしか書いて無かったよ…、フェラとか、子作りとか……」
じゃあ多分ダークエンジェルもそんな特殊なプレイしてるわけじゃないんじゃないかな……。
「あっそうだ!二つ隣の町にダークエルフが住んでるんだった!ちょっと話聞いてくるね!」
「え、ちょ…、スイレン!?」
静止も聞かずにスイレンは空を飛んでダークエルフが住む町へと行ってしまった。
「うわーん、あの人両刀だったよ!『そんなに知りたいのならベッドでたっぷり教えてあげる』って言われて危うく奴隷にされるところだった!!」
1時間後、ぼろぼろ泣きながら戻ってきた。
そんなこんなで、僕らは家に戻ってきた。
「……………」
スイレンはずいぶんと落ち込んでる様子だ。しかし、どうしてそんなに闇堕ちに拘るのだろうか…。
「スイレン、えっと…、その、自分と違うものに憧れるっていう気持ちはさ、分かるよ。僕だってスイレンみたいに自分の羽があって、自由に空を飛べたらどんなに楽しいだろうってよく思ってるし、そういう気持ちはあって当然だと思う。…でも、月並みな言葉だけどさ、スイレンはスイレンのままで良いと思うよ。」
しかし、スイレンの表情は晴れなかった。
「……アナタはそれでよくても、私はイヤだもん」
「……どうして?」
「だって私、あんまり頭良くないし、胸もちっちゃいし、手足がこんなだから、他の魔物がやってるようなえっちなプレイできないし、こんな私じゃ、すぐ飽きられちゃう……。アナタに、見捨てられちゃう……」
堰を切ったように泣き出し、スイレンは自分の心情を吐露する。
自分はもうスイレンしか見えてないのに、そんなことを気にするなんて――と、笑う気にはならなかった。
スイレンだって、故郷の集落に居れば、他の魔物との違いに悩む必要なんてなかったのだ。
だから、これはスイレンをこの街に連れてきた自分の責任。
「スイレンはさ、どうして僕と結婚してくれたの?」
「えっ…?いきなりそんなこと聞かれても、アナタが好きだから以外の理由なんて無いよ……」
「僕だって同じだよ。頭が良い人と結婚したかったわけじゃない。
胸が大きいお嫁さんが欲しかったわけじゃないし、スイレンと結婚する時に『手コキとかは期待できないなぁ』なんて全く考えたこと無い。他の魔物はもちろん、他のハーピーでも駄目だ。僕には、スイレン以外考えられない」
嘘偽りのない自分の本音は、スイレンにちゃんと届いてくれたらしい。
それまでは不安と悔しさで泣いてた顔に嬉し涙が一筋流れた。
「私も……!私もアナタ以外考えられない……!
バカで、ちんちくりんな私だけど、捨てないで…!ずっと一緒に居て……!」
「こっちこそ、無気力で貧弱なダメな男だけど、捨てないで、離さないで」
「うん、絶対に離さない……。朝も、夜もずっと……!」
その後、僕らは互いの温もりを確かめ合うように寄り添って同じ布団で眠った。
明日からは、またいつもの明るくて元気なスイレンが見れるだろう。
「……体中に墨汁を塗りたくってる不審者がいるって通報があったの。
何事かと思ったら、この子が周りの静止も聞かずに頭から墨汁を浴びてた。
意味がわからない。妻の面倒はちゃんと見て、夫でしょ」
仕事を終えて帰ってきた夜、家に妻の姿が見えないと思ったら、
この町の警備兵を勤めるリザードマンが自分の妻であるハーピー、スイレンを連れて訪ねてきたのだ。
スイレンはすでにこっぴどく叱られた後なのか、うつむいて黙っており、普段の明るさが見る影も無い。
しかも羽には言ったとおり、所々に墨汁が付いている。
「……じゃあ、私帰るから」
そう言い残しリザードマンのユカリさんは帰り、この場には自分とスイレンだけが残された。
「えっと…、スイレン、なんでそんな事したの……?」
素直な疑問をぶつけると、スイレンは目尻に涙を浮かべて、力強く言い放った。
「私、悪い子になるの!」
……………
……………………
…………………………
……ハッ!?一瞬意識が飛んでいた。
スイレンは昔からいろんなものに影響を受けやすい子ではあるのだが、今度は一体何を見たのだろうか。
アカオニが棍棒で学校の窓ガラスを割って回る漫画とかアオオニが罪の無いゴブリンに多額の借金を負わせて破滅させる漫画とか見たのだろうか。
……鬼の皆さんはそろそろ人権…、魔物権団体とか設立すべきかもしれない。
「今のトレンドは『闇堕ち』なんだよ!キャンバスは白いままじゃダメなの!黒く汚してこそのキャンバスなの!」
「それ、どこで聞いたの」
「月刊『パンデモ』」
「肉屋が『今若者の間で肉が人気』って言ってるようなもんだろそれ」
ちなみに先月は
「今の時代は女の子より『男の娘』なんだって!私、サバトに行っておちんちんが生える薬もらってくるね!」
と言っていたし、先々月は
「『バブみ』ってのが流行なんだって!今日は私に甘えて良いよ!」
とか言っていた。
そうかー、今月は闇堕ちと来たかー。
「私はもう昨日までの私じゃないよ!言わばダークハーピーのスイレン!もしくはスイレン・オルタ!」
「ブラックハーピーじゃないんだな」
まぁあれは闇に堕ちてるわけじゃなくただ体毛が黒いだけだしな。
「……で、なんで墨汁浴びてたの」
「形から入ろうと思って……」
「ダークエンジェルやダークヴァルキリーの羽墨汁で黒くなってるわけじゃないからね」
「…はぁ、闇堕ちがしたいと」
翌朝、訪れたのは町外れに住むリッチの家。この町にダークエンジェルやダークメイジは居ないので
この手の相談ができそうなのは彼女しか居ない。
「おねがいしまーす!!」
「すみません、少しだけ付き合ってあげてください……」
「まぁ、我らの同胞が増えるならそれは喜ばしいことではあるのだが……」
そこで一呼吸置き、リッチのルビアさんはこちらに向き直る。
「そもそも君らは闇堕ちについて正しく理解しているのか?闇堕ちというのは本来純粋だった者、清廉だった者が何かの原因でその思想が歪み今までの自分では考えられない非道、外道の道に進んでしまうことを指す、闇落ちとは目的ではなく過程において起こりうる現象でしかなく『闇堕ち』したいという願望は正しいものではないのだ。例をあげるとするならそうだな。君らが夜の営みをするとして、まぁ普通布団を敷くだろう?ハーピーは空中セックスなどというものも嗜むそうだがそんな的外れな反論はいらん、一般論で考えてくれ、さて布団を敷くとして君達は布団を敷きたいと思って布団を敷くか?違うだろう。布団を敷いた先にある交わり、その官能が目的であるはずだ。それと同じことだ。私とてかつては村で野菜を育てる農家の娘だった。しかしいつからだったかこの魔道の道に魅せられ街へと飛び出し研究者としての人生を歩み始めた。知の誘惑というのは恐ろしいもので私の倫理観、良識というものはあっという間に溶解していき、いつからリッチになったのかも今はもう思い出せないほどだ。私の半生を客観的に評価すれば『闇に堕ちた』ということになるのだろう。しかし私は好んでこうなったわけではない。研究の為、叡智の獲得の為に自分に不必要なものを捨て去った結果こうなっただけのこと。『闇堕ちしたい』などと考えたことは一度も無い。スイレン、君の場合はどうだ?闇堕ちの先に何か目的はあるのか?邪悪な怪鳥として教団を滅ぼすのか?自分を夫に苛烈な陵辱を与えて服従させるのか?夫とさらなる快楽を追求する為に魔道の道へと進むのか?おそらくそのいずれにも君は当てはまらないだろう。今日のご飯が美味しくて、隣に夫が居て、明日も晴れなら幸せ。それがスイレンという女性だと私は理解している。もちろんそれが悪いということではないぞ。自分に嘘を付かない生き方をしているのならどんな生き方も尊いものだ。話が逸れたな。まず基本的に君は闇に堕ちるような魔物ではない。第一君には闇に堕ちる理由が無い。闇に堕ちる者はもっと世の中に絶望した表情か、己の悦楽以外を忘れた好色な表情をしているものだ。君のような幸せに満ち溢れた日々を送っている魔物に闇堕ちなどできない。仮に闇堕ちできるとしたらその幸せが崩れ去る時…、例えば夫との死別とかか?しかしそれは無いだろう。この街は平和そのものだ。後はそうだな…、夫の裏切りとかもあるか。しかしこれも心配ないだろう。君の夫は君にしか興味ないしな、後はそうだな、じゃあこれはどうだ、ある日君の夫が―――」
「あの、すいません。ウチの嫁が寝ました」
隣のソファを見ると、スイレンはすやすやと寝息を立てて熟睡していた。
「む、そうか、すまない。ついつい喋りすぎてしまったようだな。何せ私はおしゃべり大好きなのにリッチというだけでクールキャラ扱いされてあまり話しかけられることが無いものでな。確かにリッチという種族は冷静、冷淡、冷徹な鉄仮面が多いが何事にも例外というのは存在するものだ。無邪気で人懐っこいヴァンパイアが居たって良いし、乱暴な口調のアルラウネが居たって良い、それが生命というものだ。そもそも魔物に限らず種族を通して性格が統一されている生物など存在しないだろう。そもそも性格というのは後天的なものだからな。育った環境で決まる。もちろん同種ならある程度は同じ生活環境で過ごすから似た性格になるということはあるだろうがな。いやしかしだからといってスライムはこんな奴だ。ラミアはこんな奴だ。と決め付けるのは良くないぞ。もし人間が始めて見つけたリッチが私だったらどうするつもりだ。リッチはおしゃべりで放っておいたらいつまでもぺらぺらと喋り続ける魔物だと定義されてしまうぞ。他のリッチから苦情が殺到してしまう。ああそうだ苦情で思い出したのだがこの前街にある定食屋に行ったときなのだが―――」
「あの、すいません。ウチの嫁が起きます」
隣のソファを見ると、スイレンは不機嫌そうに寝起きの目蓋を擦っている。
結局ここではルビアさんの対話欲求を満たすだけで終わってしまった。
「やっぱり墨汁浴びないとダメなんだよ!」
「スイレンは墨汁を何かの魔道具だと思ってるの?」
「……髪の毛を紫色にしたいのですか?」
次に訪れたのはキャンサーが営む理容店。
スイレンはそこで髪染めをしたいと言い出した。
「悪い女の子って大体髪が紫色なんだよ!だから紫色にするの!」
酷い偏見だ。
「おねがいします!」
「……わかりました、ではこちらへどうぞ」
キャンサーに連れられてスイレンは店の奥へと消える。まぁこれで気が済むなら良いか……。
「えへへー、髪紫色にしたよ!ついでに羽も黒く染めてもらっちゃった!!」
鮮やかな桃色の髪は紫色に濁り、漆黒の翼を身に纏うその姿は確かに堕落神に仕える魔物の様にも見える。
「わーい、ダークハーピーのスイレンちゃんだー!」
満面の笑みで翼をばたばたとはためかすその姿はダークエンジェルとは似ても似つかないが。
「さぁ、これで闇堕ちならではのえっちができるよ!」
絵に描いたようなドヤ顔で高らかに宣言する。ここが天下の往来だと忘れたか。
「……闇堕ちならではのえっちって何?」
「……………」
「……………」
「……何だろう?」
そんなこったろうと思った。
「ダークエンジェルって普段どんなえっちしてるんだろう……」
「読んだ雑誌には何か書いてなかったの」
「普通のことしか書いて無かったよ…、フェラとか、子作りとか……」
じゃあ多分ダークエンジェルもそんな特殊なプレイしてるわけじゃないんじゃないかな……。
「あっそうだ!二つ隣の町にダークエルフが住んでるんだった!ちょっと話聞いてくるね!」
「え、ちょ…、スイレン!?」
静止も聞かずにスイレンは空を飛んでダークエルフが住む町へと行ってしまった。
「うわーん、あの人両刀だったよ!『そんなに知りたいのならベッドでたっぷり教えてあげる』って言われて危うく奴隷にされるところだった!!」
1時間後、ぼろぼろ泣きながら戻ってきた。
そんなこんなで、僕らは家に戻ってきた。
「……………」
スイレンはずいぶんと落ち込んでる様子だ。しかし、どうしてそんなに闇堕ちに拘るのだろうか…。
「スイレン、えっと…、その、自分と違うものに憧れるっていう気持ちはさ、分かるよ。僕だってスイレンみたいに自分の羽があって、自由に空を飛べたらどんなに楽しいだろうってよく思ってるし、そういう気持ちはあって当然だと思う。…でも、月並みな言葉だけどさ、スイレンはスイレンのままで良いと思うよ。」
しかし、スイレンの表情は晴れなかった。
「……アナタはそれでよくても、私はイヤだもん」
「……どうして?」
「だって私、あんまり頭良くないし、胸もちっちゃいし、手足がこんなだから、他の魔物がやってるようなえっちなプレイできないし、こんな私じゃ、すぐ飽きられちゃう……。アナタに、見捨てられちゃう……」
堰を切ったように泣き出し、スイレンは自分の心情を吐露する。
自分はもうスイレンしか見えてないのに、そんなことを気にするなんて――と、笑う気にはならなかった。
スイレンだって、故郷の集落に居れば、他の魔物との違いに悩む必要なんてなかったのだ。
だから、これはスイレンをこの街に連れてきた自分の責任。
「スイレンはさ、どうして僕と結婚してくれたの?」
「えっ…?いきなりそんなこと聞かれても、アナタが好きだから以外の理由なんて無いよ……」
「僕だって同じだよ。頭が良い人と結婚したかったわけじゃない。
胸が大きいお嫁さんが欲しかったわけじゃないし、スイレンと結婚する時に『手コキとかは期待できないなぁ』なんて全く考えたこと無い。他の魔物はもちろん、他のハーピーでも駄目だ。僕には、スイレン以外考えられない」
嘘偽りのない自分の本音は、スイレンにちゃんと届いてくれたらしい。
それまでは不安と悔しさで泣いてた顔に嬉し涙が一筋流れた。
「私も……!私もアナタ以外考えられない……!
バカで、ちんちくりんな私だけど、捨てないで…!ずっと一緒に居て……!」
「こっちこそ、無気力で貧弱なダメな男だけど、捨てないで、離さないで」
「うん、絶対に離さない……。朝も、夜もずっと……!」
その後、僕らは互いの温もりを確かめ合うように寄り添って同じ布団で眠った。
明日からは、またいつもの明るくて元気なスイレンが見れるだろう。
17/06/07 10:22更新 / アルストロメリア