主に仕える喜びを与えたというのに、何に不満がある?
人通りの多い大通りの中、1人の男とすれ違い、そして‥不意に訪れた吸血衝動。
今はまだ駄目だ。ここは人通りが多すぎる。衝動を理性で強引に捩じ伏せて、今するべき事は‥所用を放り、あの男の血を吸うことだ。決めるとすぐに踵を返し、そして……
足音を立てず、けして悟られないように慎重に追い‥男が家に入ったのを確認した。だが‥この家が男の家とは限らないと考えて、私は近くに隠れて暫く待った。
物陰から見張り続ける事数刻。出てくる気配は無い。ならばここが家なのか?いや‥判断材料が少なすぎる。その上で答えを出だすにはまだ早計だろう。ここまで来て、見失ったとすれば‥それは馬鹿げた話だ。
その間にも陽は傾き続け、青かった空は次第にオレンジへと変わり、いつしか漆黒に染まっている。
私を妨げる陽の存在は既にない。それと同時に全身に力が漲ってくる。手を見つめ、確認するように手に力を入れて、ゆっくりと握った。
男が出てきた素振りはない。今なら鍵を掛けて籠城しようが、何をしようが、無関係に破る事ができる。
即決で行動を起こし‥案の定鍵を掛けていた。だが、構うことなく力の限りドアを引けば、何かが壊れる音と共にあっさりと外れ、その場に放り捨てた。続けて見たのは男の顔。この男の顔に間違いはない。だが‥私を見て明らかに不快感を示しているのはなぜだ?
まあいい。目当てはあくまでも血。一気に駆け寄り、その無防備に晒されている首元に犬歯を一思いに突き立てた。
嫌な雑味が一切なく、香りのよい甘い味が喉を潤していく‥。やはり直感に従った事は間違いではない。
しかし‥私の背中に手を回して、抱き寄せてくるとは‥。恋人気取りか?まあ、血が吸える対価と思うからこそ耐えられるが、こうも気安く触れてほしくないものだな。
それとは別に‥下腹部に硬いものが押し付けられている気がするのだが‥これは一体なんだ?
今ここでこの血を吸い尽くすのは惜しい。さて‥どうしたものか……。この男。私から離れる素振りを一向に見せない。ならば‥屋敷に連れ帰ったとしても文句はあるまい。朝は雑用係りとして使い、夜にその血で喉を潤す。全くもって無駄がない使い方だ。それに生活の保証は私がするのだから、男にとっても悪い条件ではないだろう。
少々手荒な手段で気を失わせ、男を引き剥がして、連れ帰り、空いている部屋のベッドの上に放り込むと、私は自室に入った。
椅子に座り、目を閉じて、満ち足りた充足感を反芻している内に、意識が遠退いていくのを感じていた‥。
ここは‥。ああ。そうか‥私の部屋か。周りを見渡しその判断を下した直後、ゆっくりとドアが開かれ、あの男が入ってきた。そして……
私も男も惹かれ、求め合うように抱き合い、長く、激しい口付け。そして‥男は私を優しくベッドに寝かし、私の顔を‥視線を1回合わせた後に衣服のボタンをゆっくりと外していく‥。
再びの口付け。背中に手を回されて、露出した下着が外されていく‥。胸が外気に‥肌寒さを覚える刹那、男の温かい手が優しく包み込み、胸を丁寧に揉みほぐしていく‥。
口を塞がれていながらも、熱く甘い吐息が漏れてしまいそうだ。
そして、男の手は‥胸の間を通り、臍に触れ、更に下へ潜み……指が優しく触れる度に、衝撃が熱が身体中を駆け巡り、そして‥身体が、心が蕩けていく……
今すぐ口を離して、大量の空気を胸に吸い込み、声に出して表したい。だが‥男の腕が私の首に回されて、離れる事が出来ない。私は男のなすがままにされて………
ここで私は目を覚ました。窓から射す光が朝だと教え、心臓が今まで感じたことがないほどに早く鼓動を打っている。
「夢か……」
独り言を呟き、ひんやりと寒気を感じた身体に目を移し‥思わず息を飲んだ。
今の私は夢と同じように胸をはだけさせて、右手は胸を包み、左手は下へ‥下腹部に潜ませている事に硬直し、そして……自らがしていたとされる事を考え、
「私が人間と交わろうとするなど‥馬鹿馬鹿しい」
導きだした答えを‥自身を強く否定するために声として表し、それから‥湿り気を帯びていた指を拭い去り、衣服を乱れを直して、朝食のために部屋を出たが、食堂よりも先に向かったのは、不思議と男を放り込んだ部屋。だが‥男の姿はそこになく、行き先について思考を巡らせた。
実際。私も見知らぬ所で目を覚ませば、まずは情報収集のために、探索を始めるだろう。
いや……自宅に帰ろうと既に屋敷を出ている可能性もある。陽の下で力が入らない身体で不安を払拭するように、屋敷の中を力の限り走り回った。
疲れ果て、壁を背にして床に座り込み、大量の空気を吸おうとするも、胸が苦しい。他の使用人に声を掛けて、探させるか?いや、男の事は誰も知らない。容姿や特長を説明しているよりも、やはり私が直に探し見つけるべきだ。
気力を奮い、立ち上がったまでは良いが‥走ることは叶わず、ゆっくりと歩くのがやっとだ‥。
そして……屋敷を彷徨き、男をなんとか見つける事が出来た。
「お‥お前…。こんな…所で……何をして‥いる‥」
疲れきり、絶え絶えの息に合わせるように出た言葉。不思議と男の顔を見た途端。力が抜けるような感覚に襲われたような気がする。
「何と言われましても…その……。まず、ここがどこか知るために、部屋を出ました。それから‥様々な所を歩いている内に、迷ってしまいました」
迷っていた。ただそれだけか。ならば……
「お前が…。私の‥屋敷で……迷うなら、ならば…今日から‥私の……いや‥。私の‥部屋での……雑用を命じる‥」
疲れで定まらない指先を向けて、言い切った後、男に向かって、身体を預けるように傾き……胸板に顔を埋め‥。これでは本当に恋人ではないか‥。自身を否定するよりも‥男の温もりを感じながら、胸の内から来る想いに安堵し、疲れを‥呼吸を整えていった。
男に身体を預けたまま、部屋までの案内を伝え…。部屋に入ると私はベッドの上に優しく寝かされた。夢であったことが現実になるのか?胸にあったのは拒みではなく、不思議と期待している気持ち。私は全てを受け入れようと目を閉じて、そして‥
「雑用係の事よりも、まず‥昨日の夜のこと。それに今、僕がここに居る理由を教えて下さい」
疲労していた私はその問いに答えることなく、疲れを癒すためにそのまま深い眠りに落ちていった‥。
目を覚まし、最初に見たのは男の顔。そして、今朝の夢を瞬時に思い出し…急激に身体が熱を帯びていくように感じられた。
「お、おい。お前。私が寝ている間に何もしなかっただろうな?」
「何をするんですか?」
着衣に乱れはない。それに平然と答える辺りで、本当に何もしていないのだろう。だが……
「いや、なんでもない」
そして、男から眠る前と同じ質問をされ、私も答え、男は私の提案に了承したまでは良いが‥だが、なぜそうも不服そうな顔なのだ?寧ろ不満はないはずだが?
心に生じた疑問。だが‥突如として空腹感に襲われて‥思い起こせば朝から何も食べていない。
「これから食事を摂ろうと思うが、一緒にどうだ?」
「はい。頂きます」
誘っているような気もするが‥これは違う。質の良い食事で、よりよい栄養を与え、そして‥栄養は血に生まれ変わる。そのためだ。男は私の後をついて歩き、食堂への道程を案内していった。
食事が運ばれてくるまでの時間を使い、明日からの雑務内容を伝えた後は時間を持て余して雑談。
程なくして、料理が運ばれ、食べ終わった頃には夕暮れへと変わっていた。
そして‥部屋に戻り、改めて男を見て‥今日は昨日の手前。血を吸うのを止めよう。毎日吸って、体調不良を起こされても困る。そうだな……3日おき位で妥当だろう。等と考えている内に
「なんです?」
不思議そうな顔で見た後、おどおどした様子で私を見ている。
「言いたい事があるなら、言ったらどうだ?」
「あ‥はい。その……。浴場はどちらでしょうか?」
「欲情だと!?馬鹿な!!私は欲情などしていない!!この私がなぜ、使用人のお前などに……」
「いや‥その……。浴室と言えばいいでしょうか…」
「なんだ浴室の事か‥それなら最初からそう言え」
口で道を伝えるの簡単だ。だが‥迷うのは目に見えている。全く‥手の掛かる使用人だ。
「浴室まで案内する。付いてこい」
しかし‥浴場を欲情と間違えるなど、おおよそ私らしくない。
「この先が浴室だ」
「ありがとうございます」
入ることなく、私の顔を見ている。
「なんだ?」
「その‥お前よりも先に私を洗えと言うと思っていましたので…」
「何を馬鹿な事を‥。私は子供ではないのだから、自分の身体くらい自分で洗える!!」
吐き捨てるように言い放つと男は何も言わずに、ドアの先へと入り、私は壁に背を預けて立ち………。私がヴァンパイアでなければ身体を洗う事を要求しただろう。だが‥ヴァンパイアだからこそ、あの男を屋敷に入れたのも事実。実際の所。男は使用人である以上……家具だ。そうだ家具。ならば裸体を晒す事に抵抗はないはずだ‥。家具に恥じらいを見せる事こそ馬鹿馬鹿しい。
だが‥身体が妙に熱を持ち、そして‥手は汗ばみ、胸は激しい鼓動を繰り返している。私はどうなってしまったのだ?
戸惑い、そして…意を決してノブに手を掛けて………枯れ枝を折るような音が聞こえ、見れば‥ノブを壊し、手に握っていた。
ノブは他の使用人に修理をさせ、事なきを得て‥今は自室にいる。今日は特に何もしていない。だが‥とにかく疲れた‥。早く休もうと思い、ベッドの縁に座り…改めて思えば、この部屋のベッドは1つ‥。空き部屋から運び出せば済む事だが‥それよりも早く休みたい。
「私は休もうと思う。今日は特別に許可するが‥お前は私のベッドで休め」
答えを聞かず、ベッドに入り目を閉じた。
目が覚め、最初に飛び込んで来たのは、男の横顔。その近さに驚き、一瞬で目が覚め、そして、更に驚いたのが‥手と足を使い、男を抱き枕のようにしていた事。私は慌てて手足を離し、縁に座り、男の寝顔を見るたびに、高鳴っていく胸。様々なことを考え…覚悟を決めて、男に覆い被さり口付けをした。
どれだけの時間が流れただろう。男の鼻息が頬や耳に当たり、くすぐったさを覚える。私が目を開けたときには、男は既に目を開けていた。私は慌てて起き上がり、ベッドから出て男に向き直り
「こ、これは‥今日から使用人なる、お前への前払いの礼だ!!」
指をさして、強く言いきると男は何も言わずに立ち上がり‥私に近付き……突然の口付け‥。
唇はすぐに離された。だが‥それまでの、この一瞬の時間が永遠とも感じられる程、長く長く感じられた。
「使用人にしてくれたお札です」
再び見た近すぎる男の顔。見た途端に身体中の熱が顔に集中したように熱く感じられる。
「わた‥わた……私の顔をみるな!!」
怒鳴り付けて、部屋から逃げるように、慌てて出てしまった。
息を切らせて、ドアを背にして、心臓が破裂するような勢いで動いている。私は落ち着きを取り戻そうとは考えずに目を閉じ、胸に手を当てて、口付けをされた瞬間を思い出し、そして‥無意識に指で唇をなぞり‥その時、胸がトクンとなった気がした‥。
時間も経ち、心が落ち着きを取り戻した所で部屋に入り、困惑していた男の顔を見て
「すまない。先は気が動転してしていた。今はこの通り普通だ。お前は今日から勤めを果たしてくれ」
そして‥男と生活を共にして一月を過ぎた頃。
血を吸う度に、交わる夢を見ては、次の日の朝にその欲求を理性で捩じ伏せてきた。だが‥それも限界だ。捩じ伏せる度に、欲求がより強くなってくように感じていく。それに、この男は度重なる吸血を受け、既に人間ではなく、私達の側に立っている。そう人間ではない。ならば、交わったとしても何も恥じる事はない。それに‥それにだが‥屋敷の跡取りとして、子も宿すべきだ。だが、その前に……
高鳴る想いを胸に秘めたままその日の夜。
「お前は私の事を、どのように思っている?」
「どのように‥ですか…?」
「そうだ。屋敷で私の雑用係として一月が過ぎている。ならば何も感情を抱いていないという事もなかろう?」
男はそこで口を閉じ、私はその回答を心待ちにしていた。
「そうですね‥。普段、無表情に指示するだけの方ですから正直、一緒に居て楽しい事の方が少ないです。ですが‥時折、見せる笑顔がその‥。見ることが出来ますと、嬉しいので…それを励みにしています」
意外な言葉だった。私は確かに笑顔を見せる事はしない。だが‥私が笑っていた?この男の前で‥?男は私の問いを予想したのか言葉を続けた。
「初めて笑顔を見れたのは、食事に誘われた時です。その時にきっと僕は……」
そこで口を閉ざし、顔を真っ赤にしている。
「出来れば、その‥もっと笑顔を見せて下さると嬉しいのですが……」
「励みなのだろ?ならば‥」
違う。本当はこう返すべきではないのは分かっている。
「これから一月分の礼を渡す。よく悦しめ」
短く告げて、牙を首筋に突き立てた。
何度吸っても、飽きることがない、見事な味わい。普段よりも少ない量で牙を離し、男をベッドに寝かせ、息は荒く、目は既に蕩け……下半身の膨らみを解放していった。
衣類も何も邪魔をされないそれは、そびえ立つ塔にも感じられる。これが私の中に入るのか?疑問に感じていた僅かな時間に男の手が伸びて、私の衣類を脱がしていく‥。正直、自ら脱ぐのは恥ずかしいと思っていたから、助かっていた。
そして‥手を伸ばし、私を抱き寄せて既に露出した下腹部に唇を伸ばしている。
「よせ、そこは‥きた……」
言い切るよりも前に、唇が軽く触れ‥すぐに離され、男は頭を軽く横に振り‥
「いえ‥綺麗です」
短く一言、告げて‥手を伸ばされて、気がつけば‥私は胸を晒して、ベッドに寝かされていた。
男は何もしないで私を見て、私もぼやけた視界で男を見ている。そして…
「出過ぎ事をしてしまいました‥」
言葉と同時に指が私の目尻を拭う。
「私の笑わない顔に、仮面と陰で言うものはいるが‥私に笑顔の事。それに‥綺麗と言ったのはお前が初めてだ。だから嬉しくてなってな。この涙はその証だ。お前が気に病む事ではない」
身体を起こし、はだけた衣類を脱ぎ去り、男の身体を抱き寄せて、胸板に頬を当てて、温もりを感じた後、頭を上げて、軽い口付けを交わして肩口に牙を突き立てた。
堅さを更に得た男のものが、痛いくらいに押し付けられて、私は男をベッドに寝かせ、そして…手を添えて、位置を確認しながら、一気に腰を降ろした。
覚悟をしていたとはいえ、襲ってきたのは痛み。反射的に目が霞む。男は心配そうに私を見つめ、指が再び涙を拭う。
「私は‥お前よりも頑丈に出来ているヴァンパイアだ。だから、これくらいなら…」
男は首を横に振り、手を差し出した。
「僕の血を吸って、痛みを和らげて下さい」
この男を選んで良かった。心の底からそう思える。血を吸い、痛みよりも快楽が心の中を占めていく‥。
手を離し‥故意か偶然か指先が胸の鋭く尖った尖端に触れ、反射的に甘く短く甲高く、一瞬自分の声とは思えないような声を初めて出し、そして‥胎内のものがより近くに感じられ、同時に腰が無意識に動くと、男の顔からは快楽の色が出ている。
私は嬉しくもなり、楽しかった。動く度に、男の顔が快楽に染まっていく事が。いつしか私も悦びの声を上げて、更に快楽を貪ろうとより強く、激しく腰を動かし、打ち付けていった。そして‥程なくして、胎内に熱いものが注がれていくのを感じていった‥。
私は身体を曲げ、ベッドの上に手を付き、荒い呼吸を整え、男もまた獣のように荒い呼吸を繰り返しながら、私を抱き寄せて、温もりや鼓動、呼吸によって上下する胸。全てを間近で感じられる。
この1回では互いに満足することなく、2回3回と回を重ねる毎に激しくなり、私は気を失っていたのか、眠っていたのか分からない。ただ‥陽の光が今を朝だと教えている。
そして‥いつもと同じように男の寝顔を見て、目を覚ますつもりだった。だが‥別の意味で目が覚めた。
頭からは角を出し、背中からは羽。尻尾を生やし、そして‥下腹部に目をやると…そこには夜にあったものはなく、私と同じになっていた。
ショックのあまり頭の中が真っ白になり、そして…ビンタで叩き起こしてしまった‥。
男‥ではなくなってしまったが、自身の姿を見るなり、ショックを受けている。
「お前は‥いつか男を求めて、その羽で私の元を去ってしまうのか?だが‥お前は私のものだ。私の雑用係だ。だから精がほしいなら、主である私が工面はする。だから、だから……私の元を離れないでくれ!!」
けして離さないように強く抱きしめ、悲鳴のような声を上げていた。
「離れません」
声と共に私の背中に手を回し、言葉は続き‥
「姿形は変わってしまいましたが、僕は雑用係です。それに‥好きな貴女と離れ離れになるのは嫌です」
「ありがとう‥」
嬉しさ共に小さく、短く告げた言葉には塩の味が感じられる。
そして‥恥ずかしいまでに顔を見つめられ、想いを伝え合うように軽く唇を重ねられ、私も同じように口付けで返した。
時は流れ、あの一夜が実を結び、娘も生まれ、今は雑用係から養育係に異動させ、様子を見に行くと忙しくも、楽しい送っているようだ。
そして‥ある日の夜。
私、愛娘、アルプの3人で同じベッドに寝ている中‥
「あの‥。お母様。私のお父様はどちらにいるのでしょう?」
私は言葉を濁すと同時に、養育係が何も告げていない事を知った。だが‥アルプの顔を見れば、近い内に告げるだろうと確信に近いものを感じられる。
今はまだ駄目だ。ここは人通りが多すぎる。衝動を理性で強引に捩じ伏せて、今するべき事は‥所用を放り、あの男の血を吸うことだ。決めるとすぐに踵を返し、そして……
足音を立てず、けして悟られないように慎重に追い‥男が家に入ったのを確認した。だが‥この家が男の家とは限らないと考えて、私は近くに隠れて暫く待った。
物陰から見張り続ける事数刻。出てくる気配は無い。ならばここが家なのか?いや‥判断材料が少なすぎる。その上で答えを出だすにはまだ早計だろう。ここまで来て、見失ったとすれば‥それは馬鹿げた話だ。
その間にも陽は傾き続け、青かった空は次第にオレンジへと変わり、いつしか漆黒に染まっている。
私を妨げる陽の存在は既にない。それと同時に全身に力が漲ってくる。手を見つめ、確認するように手に力を入れて、ゆっくりと握った。
男が出てきた素振りはない。今なら鍵を掛けて籠城しようが、何をしようが、無関係に破る事ができる。
即決で行動を起こし‥案の定鍵を掛けていた。だが、構うことなく力の限りドアを引けば、何かが壊れる音と共にあっさりと外れ、その場に放り捨てた。続けて見たのは男の顔。この男の顔に間違いはない。だが‥私を見て明らかに不快感を示しているのはなぜだ?
まあいい。目当てはあくまでも血。一気に駆け寄り、その無防備に晒されている首元に犬歯を一思いに突き立てた。
嫌な雑味が一切なく、香りのよい甘い味が喉を潤していく‥。やはり直感に従った事は間違いではない。
しかし‥私の背中に手を回して、抱き寄せてくるとは‥。恋人気取りか?まあ、血が吸える対価と思うからこそ耐えられるが、こうも気安く触れてほしくないものだな。
それとは別に‥下腹部に硬いものが押し付けられている気がするのだが‥これは一体なんだ?
今ここでこの血を吸い尽くすのは惜しい。さて‥どうしたものか……。この男。私から離れる素振りを一向に見せない。ならば‥屋敷に連れ帰ったとしても文句はあるまい。朝は雑用係りとして使い、夜にその血で喉を潤す。全くもって無駄がない使い方だ。それに生活の保証は私がするのだから、男にとっても悪い条件ではないだろう。
少々手荒な手段で気を失わせ、男を引き剥がして、連れ帰り、空いている部屋のベッドの上に放り込むと、私は自室に入った。
椅子に座り、目を閉じて、満ち足りた充足感を反芻している内に、意識が遠退いていくのを感じていた‥。
ここは‥。ああ。そうか‥私の部屋か。周りを見渡しその判断を下した直後、ゆっくりとドアが開かれ、あの男が入ってきた。そして……
私も男も惹かれ、求め合うように抱き合い、長く、激しい口付け。そして‥男は私を優しくベッドに寝かし、私の顔を‥視線を1回合わせた後に衣服のボタンをゆっくりと外していく‥。
再びの口付け。背中に手を回されて、露出した下着が外されていく‥。胸が外気に‥肌寒さを覚える刹那、男の温かい手が優しく包み込み、胸を丁寧に揉みほぐしていく‥。
口を塞がれていながらも、熱く甘い吐息が漏れてしまいそうだ。
そして、男の手は‥胸の間を通り、臍に触れ、更に下へ潜み……指が優しく触れる度に、衝撃が熱が身体中を駆け巡り、そして‥身体が、心が蕩けていく……
今すぐ口を離して、大量の空気を胸に吸い込み、声に出して表したい。だが‥男の腕が私の首に回されて、離れる事が出来ない。私は男のなすがままにされて………
ここで私は目を覚ました。窓から射す光が朝だと教え、心臓が今まで感じたことがないほどに早く鼓動を打っている。
「夢か……」
独り言を呟き、ひんやりと寒気を感じた身体に目を移し‥思わず息を飲んだ。
今の私は夢と同じように胸をはだけさせて、右手は胸を包み、左手は下へ‥下腹部に潜ませている事に硬直し、そして……自らがしていたとされる事を考え、
「私が人間と交わろうとするなど‥馬鹿馬鹿しい」
導きだした答えを‥自身を強く否定するために声として表し、それから‥湿り気を帯びていた指を拭い去り、衣服を乱れを直して、朝食のために部屋を出たが、食堂よりも先に向かったのは、不思議と男を放り込んだ部屋。だが‥男の姿はそこになく、行き先について思考を巡らせた。
実際。私も見知らぬ所で目を覚ませば、まずは情報収集のために、探索を始めるだろう。
いや……自宅に帰ろうと既に屋敷を出ている可能性もある。陽の下で力が入らない身体で不安を払拭するように、屋敷の中を力の限り走り回った。
疲れ果て、壁を背にして床に座り込み、大量の空気を吸おうとするも、胸が苦しい。他の使用人に声を掛けて、探させるか?いや、男の事は誰も知らない。容姿や特長を説明しているよりも、やはり私が直に探し見つけるべきだ。
気力を奮い、立ち上がったまでは良いが‥走ることは叶わず、ゆっくりと歩くのがやっとだ‥。
そして……屋敷を彷徨き、男をなんとか見つける事が出来た。
「お‥お前…。こんな…所で……何をして‥いる‥」
疲れきり、絶え絶えの息に合わせるように出た言葉。不思議と男の顔を見た途端。力が抜けるような感覚に襲われたような気がする。
「何と言われましても…その……。まず、ここがどこか知るために、部屋を出ました。それから‥様々な所を歩いている内に、迷ってしまいました」
迷っていた。ただそれだけか。ならば……
「お前が…。私の‥屋敷で……迷うなら、ならば…今日から‥私の……いや‥。私の‥部屋での……雑用を命じる‥」
疲れで定まらない指先を向けて、言い切った後、男に向かって、身体を預けるように傾き……胸板に顔を埋め‥。これでは本当に恋人ではないか‥。自身を否定するよりも‥男の温もりを感じながら、胸の内から来る想いに安堵し、疲れを‥呼吸を整えていった。
男に身体を預けたまま、部屋までの案内を伝え…。部屋に入ると私はベッドの上に優しく寝かされた。夢であったことが現実になるのか?胸にあったのは拒みではなく、不思議と期待している気持ち。私は全てを受け入れようと目を閉じて、そして‥
「雑用係の事よりも、まず‥昨日の夜のこと。それに今、僕がここに居る理由を教えて下さい」
疲労していた私はその問いに答えることなく、疲れを癒すためにそのまま深い眠りに落ちていった‥。
目を覚まし、最初に見たのは男の顔。そして、今朝の夢を瞬時に思い出し…急激に身体が熱を帯びていくように感じられた。
「お、おい。お前。私が寝ている間に何もしなかっただろうな?」
「何をするんですか?」
着衣に乱れはない。それに平然と答える辺りで、本当に何もしていないのだろう。だが……
「いや、なんでもない」
そして、男から眠る前と同じ質問をされ、私も答え、男は私の提案に了承したまでは良いが‥だが、なぜそうも不服そうな顔なのだ?寧ろ不満はないはずだが?
心に生じた疑問。だが‥突如として空腹感に襲われて‥思い起こせば朝から何も食べていない。
「これから食事を摂ろうと思うが、一緒にどうだ?」
「はい。頂きます」
誘っているような気もするが‥これは違う。質の良い食事で、よりよい栄養を与え、そして‥栄養は血に生まれ変わる。そのためだ。男は私の後をついて歩き、食堂への道程を案内していった。
食事が運ばれてくるまでの時間を使い、明日からの雑務内容を伝えた後は時間を持て余して雑談。
程なくして、料理が運ばれ、食べ終わった頃には夕暮れへと変わっていた。
そして‥部屋に戻り、改めて男を見て‥今日は昨日の手前。血を吸うのを止めよう。毎日吸って、体調不良を起こされても困る。そうだな……3日おき位で妥当だろう。等と考えている内に
「なんです?」
不思議そうな顔で見た後、おどおどした様子で私を見ている。
「言いたい事があるなら、言ったらどうだ?」
「あ‥はい。その……。浴場はどちらでしょうか?」
「欲情だと!?馬鹿な!!私は欲情などしていない!!この私がなぜ、使用人のお前などに……」
「いや‥その……。浴室と言えばいいでしょうか…」
「なんだ浴室の事か‥それなら最初からそう言え」
口で道を伝えるの簡単だ。だが‥迷うのは目に見えている。全く‥手の掛かる使用人だ。
「浴室まで案内する。付いてこい」
しかし‥浴場を欲情と間違えるなど、おおよそ私らしくない。
「この先が浴室だ」
「ありがとうございます」
入ることなく、私の顔を見ている。
「なんだ?」
「その‥お前よりも先に私を洗えと言うと思っていましたので…」
「何を馬鹿な事を‥。私は子供ではないのだから、自分の身体くらい自分で洗える!!」
吐き捨てるように言い放つと男は何も言わずに、ドアの先へと入り、私は壁に背を預けて立ち………。私がヴァンパイアでなければ身体を洗う事を要求しただろう。だが‥ヴァンパイアだからこそ、あの男を屋敷に入れたのも事実。実際の所。男は使用人である以上……家具だ。そうだ家具。ならば裸体を晒す事に抵抗はないはずだ‥。家具に恥じらいを見せる事こそ馬鹿馬鹿しい。
だが‥身体が妙に熱を持ち、そして‥手は汗ばみ、胸は激しい鼓動を繰り返している。私はどうなってしまったのだ?
戸惑い、そして…意を決してノブに手を掛けて………枯れ枝を折るような音が聞こえ、見れば‥ノブを壊し、手に握っていた。
ノブは他の使用人に修理をさせ、事なきを得て‥今は自室にいる。今日は特に何もしていない。だが‥とにかく疲れた‥。早く休もうと思い、ベッドの縁に座り…改めて思えば、この部屋のベッドは1つ‥。空き部屋から運び出せば済む事だが‥それよりも早く休みたい。
「私は休もうと思う。今日は特別に許可するが‥お前は私のベッドで休め」
答えを聞かず、ベッドに入り目を閉じた。
目が覚め、最初に飛び込んで来たのは、男の横顔。その近さに驚き、一瞬で目が覚め、そして、更に驚いたのが‥手と足を使い、男を抱き枕のようにしていた事。私は慌てて手足を離し、縁に座り、男の寝顔を見るたびに、高鳴っていく胸。様々なことを考え…覚悟を決めて、男に覆い被さり口付けをした。
どれだけの時間が流れただろう。男の鼻息が頬や耳に当たり、くすぐったさを覚える。私が目を開けたときには、男は既に目を開けていた。私は慌てて起き上がり、ベッドから出て男に向き直り
「こ、これは‥今日から使用人なる、お前への前払いの礼だ!!」
指をさして、強く言いきると男は何も言わずに立ち上がり‥私に近付き……突然の口付け‥。
唇はすぐに離された。だが‥それまでの、この一瞬の時間が永遠とも感じられる程、長く長く感じられた。
「使用人にしてくれたお札です」
再び見た近すぎる男の顔。見た途端に身体中の熱が顔に集中したように熱く感じられる。
「わた‥わた……私の顔をみるな!!」
怒鳴り付けて、部屋から逃げるように、慌てて出てしまった。
息を切らせて、ドアを背にして、心臓が破裂するような勢いで動いている。私は落ち着きを取り戻そうとは考えずに目を閉じ、胸に手を当てて、口付けをされた瞬間を思い出し、そして‥無意識に指で唇をなぞり‥その時、胸がトクンとなった気がした‥。
時間も経ち、心が落ち着きを取り戻した所で部屋に入り、困惑していた男の顔を見て
「すまない。先は気が動転してしていた。今はこの通り普通だ。お前は今日から勤めを果たしてくれ」
そして‥男と生活を共にして一月を過ぎた頃。
血を吸う度に、交わる夢を見ては、次の日の朝にその欲求を理性で捩じ伏せてきた。だが‥それも限界だ。捩じ伏せる度に、欲求がより強くなってくように感じていく。それに、この男は度重なる吸血を受け、既に人間ではなく、私達の側に立っている。そう人間ではない。ならば、交わったとしても何も恥じる事はない。それに‥それにだが‥屋敷の跡取りとして、子も宿すべきだ。だが、その前に……
高鳴る想いを胸に秘めたままその日の夜。
「お前は私の事を、どのように思っている?」
「どのように‥ですか…?」
「そうだ。屋敷で私の雑用係として一月が過ぎている。ならば何も感情を抱いていないという事もなかろう?」
男はそこで口を閉じ、私はその回答を心待ちにしていた。
「そうですね‥。普段、無表情に指示するだけの方ですから正直、一緒に居て楽しい事の方が少ないです。ですが‥時折、見せる笑顔がその‥。見ることが出来ますと、嬉しいので…それを励みにしています」
意外な言葉だった。私は確かに笑顔を見せる事はしない。だが‥私が笑っていた?この男の前で‥?男は私の問いを予想したのか言葉を続けた。
「初めて笑顔を見れたのは、食事に誘われた時です。その時にきっと僕は……」
そこで口を閉ざし、顔を真っ赤にしている。
「出来れば、その‥もっと笑顔を見せて下さると嬉しいのですが……」
「励みなのだろ?ならば‥」
違う。本当はこう返すべきではないのは分かっている。
「これから一月分の礼を渡す。よく悦しめ」
短く告げて、牙を首筋に突き立てた。
何度吸っても、飽きることがない、見事な味わい。普段よりも少ない量で牙を離し、男をベッドに寝かせ、息は荒く、目は既に蕩け……下半身の膨らみを解放していった。
衣類も何も邪魔をされないそれは、そびえ立つ塔にも感じられる。これが私の中に入るのか?疑問に感じていた僅かな時間に男の手が伸びて、私の衣類を脱がしていく‥。正直、自ら脱ぐのは恥ずかしいと思っていたから、助かっていた。
そして‥手を伸ばし、私を抱き寄せて既に露出した下腹部に唇を伸ばしている。
「よせ、そこは‥きた……」
言い切るよりも前に、唇が軽く触れ‥すぐに離され、男は頭を軽く横に振り‥
「いえ‥綺麗です」
短く一言、告げて‥手を伸ばされて、気がつけば‥私は胸を晒して、ベッドに寝かされていた。
男は何もしないで私を見て、私もぼやけた視界で男を見ている。そして…
「出過ぎ事をしてしまいました‥」
言葉と同時に指が私の目尻を拭う。
「私の笑わない顔に、仮面と陰で言うものはいるが‥私に笑顔の事。それに‥綺麗と言ったのはお前が初めてだ。だから嬉しくてなってな。この涙はその証だ。お前が気に病む事ではない」
身体を起こし、はだけた衣類を脱ぎ去り、男の身体を抱き寄せて、胸板に頬を当てて、温もりを感じた後、頭を上げて、軽い口付けを交わして肩口に牙を突き立てた。
堅さを更に得た男のものが、痛いくらいに押し付けられて、私は男をベッドに寝かせ、そして…手を添えて、位置を確認しながら、一気に腰を降ろした。
覚悟をしていたとはいえ、襲ってきたのは痛み。反射的に目が霞む。男は心配そうに私を見つめ、指が再び涙を拭う。
「私は‥お前よりも頑丈に出来ているヴァンパイアだ。だから、これくらいなら…」
男は首を横に振り、手を差し出した。
「僕の血を吸って、痛みを和らげて下さい」
この男を選んで良かった。心の底からそう思える。血を吸い、痛みよりも快楽が心の中を占めていく‥。
手を離し‥故意か偶然か指先が胸の鋭く尖った尖端に触れ、反射的に甘く短く甲高く、一瞬自分の声とは思えないような声を初めて出し、そして‥胎内のものがより近くに感じられ、同時に腰が無意識に動くと、男の顔からは快楽の色が出ている。
私は嬉しくもなり、楽しかった。動く度に、男の顔が快楽に染まっていく事が。いつしか私も悦びの声を上げて、更に快楽を貪ろうとより強く、激しく腰を動かし、打ち付けていった。そして‥程なくして、胎内に熱いものが注がれていくのを感じていった‥。
私は身体を曲げ、ベッドの上に手を付き、荒い呼吸を整え、男もまた獣のように荒い呼吸を繰り返しながら、私を抱き寄せて、温もりや鼓動、呼吸によって上下する胸。全てを間近で感じられる。
この1回では互いに満足することなく、2回3回と回を重ねる毎に激しくなり、私は気を失っていたのか、眠っていたのか分からない。ただ‥陽の光が今を朝だと教えている。
そして‥いつもと同じように男の寝顔を見て、目を覚ますつもりだった。だが‥別の意味で目が覚めた。
頭からは角を出し、背中からは羽。尻尾を生やし、そして‥下腹部に目をやると…そこには夜にあったものはなく、私と同じになっていた。
ショックのあまり頭の中が真っ白になり、そして…ビンタで叩き起こしてしまった‥。
男‥ではなくなってしまったが、自身の姿を見るなり、ショックを受けている。
「お前は‥いつか男を求めて、その羽で私の元を去ってしまうのか?だが‥お前は私のものだ。私の雑用係だ。だから精がほしいなら、主である私が工面はする。だから、だから……私の元を離れないでくれ!!」
けして離さないように強く抱きしめ、悲鳴のような声を上げていた。
「離れません」
声と共に私の背中に手を回し、言葉は続き‥
「姿形は変わってしまいましたが、僕は雑用係です。それに‥好きな貴女と離れ離れになるのは嫌です」
「ありがとう‥」
嬉しさ共に小さく、短く告げた言葉には塩の味が感じられる。
そして‥恥ずかしいまでに顔を見つめられ、想いを伝え合うように軽く唇を重ねられ、私も同じように口付けで返した。
時は流れ、あの一夜が実を結び、娘も生まれ、今は雑用係から養育係に異動させ、様子を見に行くと忙しくも、楽しい送っているようだ。
そして‥ある日の夜。
私、愛娘、アルプの3人で同じベッドに寝ている中‥
「あの‥。お母様。私のお父様はどちらにいるのでしょう?」
私は言葉を濁すと同時に、養育係が何も告げていない事を知った。だが‥アルプの顔を見れば、近い内に告げるだろうと確信に近いものを感じられる。
12/10/03 12:07更新 / ジョワイユーズ