とある彫師のお店に龍がやって来ました。
とある繁華街の片隅に、そのお店はありました。
店名は「龍彫」。
そこはいわゆる、刺青、特に和彫りを専門に取り扱ったお店でした。
周りの高いビルに埋もれるようにあるそのお店は、
あまり人目には触れることはなく、
知る人ぞ知るお店という感じでした。
俺がこの世界に入ったのは高校を卒業してからだった。
元々絵が得意で、浮世絵や日本画が大好きだった。
また、よく実家近くの銭湯へ行くと、
背中に龍、鯉、虎、鬼など、
和柄なものを入れている人達を見て、
俺も自分の絵を人の体に入れたいと、
少しおかしな好奇心が芽生えてしまったのだった。
自分の絵が、入れられた人の生涯に渡って、体に残る。
この何とも言えない感覚に俺は憧れた。
「いやぁ評判はホントだったね!ありがとうねお兄さん♪」
「いえ、喜んでもらえて何よりです。でも、ホントに入れてよかったんですか?」
閉店間際、今日の最後であろうお客さんを見送る。
相手は魔物娘のジョロウグモ。
今は彼女の着ている着物に隠されているが、
彼女の肩に巨大な蜘蛛がその糸によって男を捕らえている絵柄を入れた。
「いいのいいの!この絵柄を大好きなアイツに見せてさ!『この蜘蛛が濃いうちは、あなたを離してあげない!』って言ってやるんだ♪」
「ははは。それはそれは。でも、彫りものも時が経てば薄くなってきますので、気を付けてくださいね?」
「大丈夫大丈夫。定期的にまた色を入れに来るから♪」
「それは嬉しいですね。とりあえず、入れたばかりで痒みや痛みが出てくるかもしれませんが、あまり触れないようにしてください。」
「了解。それじゃあまたね♪」
「ありがとうございました。」
上機嫌に帰っていく彼女を見送り、店に戻る。
「蜘蛛の絵柄は初めてだったけど、喜んでもらえてよかった。」
テーブルに置かれた、彼女の肩に入れた絵柄の下書きを手に取る。
彼女が最初に来てどんな絵柄を入れたいのかなど相談し、
初めての絵柄だったため、何度も書き直して、やっとできあがった。
「今回はいい勉強になったな。」
と、下書きを棚の中に並ぶファイルの中へ入れる。
この中には、今まで自分が書いてきた下書きが入れられている。
中には下書きだけで、実際には入れていないものもあるが、
全て自分への教訓として残している。
その時、1枚の下書きがファイルの中から落ちてきた。
「ん?これは・・・ははっ、下手くそだな・・・」
それは、この店を構えてから初めて描いた龍の柄だった。
あまりの下手くそさに、誰にも見せず、誰にも入れず、
自分の中だけで留めたものだった。
「店の名前が名前だからなぁ。練習はしてるんだが、いまいち・・・ね。」
と、誰に言うでもなく呟きながら、その下書きをテーブルに置く。
「さてと、そろそろ店じまいだな。」
と、さっきのジョロウグモに入れるために使った道具を片付けて行く。
色を落とし、アルコールで念入りに消毒していく。
「ごめんください。」
その時、店のドアが開く音とともに、
何とも落ち着きのある女性の声が聞こえてきた。
「はーい。すみません、もう店じまいなんですよ・・・」
申し訳ないと言いつつ、入口へと向かうと、
そこには、カラスの濡羽色のような長い髪に、
そこから生える二対の鹿のような角、
焔のように真っ赤に染まる瞳、
緑色の艶やかな鱗の生えた蛇体、
鋭くも今にも壊れそうな鋭敏な爪、
そして、首には琥珀色の宝玉を下げた龍がいた。
「あ、そ、そうなんですか?」
「はい、申し訳ない。」
「でも、閉店時間まではまだあるのでは?」
「そうなんですが、彫るためにもいろいろカウンセリングや絵柄の打ち合わせもありますし、これから道具も整理しなければいけませんので、また後日でも構いませんか?」
「そうですか。あら?」
その時、彼女の目にテーブルに置かれた龍の下書きがとまった。
「あ、そ、それは・・・は、恥ずかしながら練習で描いたやつなんです。」
「・・・・・・」
「『龍彫』と名乗っていながら、まだ一度も龍の柄は彫ったことがないんですよ・・・あ、あの?」
「えっ?あ、ごめんなさい!つい、見とれてしまって。」
「見とれて・・・そ、そんな、見とれるほどのものじゃないですよ!」
あまりの恥ずかしさに顔が真っ赤になる。
「あの、まだ龍の柄は彫ったことがないのですか?」
「はい、練習はしているのですが、いまいち納得がいかなくて。刺青というのは、彫られた人の生涯に渡って残るものですので、生半可なものは彫れませんから・・・」
かっこいいことを言ってしまったが、事実だ。
さっきのジョロウグモのお客にだって、
初めての蜘蛛を彫るために何度も下書きを行い、
やっとの思いで彫り終えたのだが、
納得はしていない。
ただ、もう彼女の方から「十分だ」と言われ、
しぶじぶ彫りつつも、少しでも良いものをという気持ちで彫ったのだ。
「ふふっ、こだわりがあるんですね。素敵だと思います。」
目の前の彼女、龍は優しくそう言った。
「龍には何か思い入れが?」
「いえ、ただ純粋に龍が好きなんです。」
龍から感じられる畏敬の念、生命力などなど、
うまく言葉で言い表せないが、ただただ好きなのだ。
「そうなんですね。では、せめて今日、この短い時間で私のお願いを聞いてはくれませんか?」
「何でしょうか?」
「この龍を完成させてほしいのです。そして、できあがった暁には、その龍を私にだけ、彫ってはくれませんか?私でよければ、絵を書くための参考にもなれますし。」
そう彼女は言ってきた。
正直、龍を見るのは初めてで、
またとないチャンスになるのではないかと思えた。
「わかりました。」
「ありがとうございます♪」
「と、とりあえず、道具の整理だけササッと終わらせてきますね。」
「ごゆるりと。別に急いではいませんので」
「さてと、では、描かせていただきます。」
「参考になるのであれば触っても構いません。あ、逆鱗だけはやめてくださいね?」
「ははっ、やっぱりあるんですね。」
作業場の椅子に座る彼女。
彼女の髪、角、瞳、鱗、爪、宝玉の全てを細かく見て、
触って絵を描いていく。
何ものにも染めきれないほどの黒い髪の感触、
角の表面の凹凸や質感、
燃え上がるような荒々しさを感じる瞳、
一枚一枚綺麗に揃った滑らかで硬質な鱗、
透き通るように鋭敏な爪、
そして、まるで吸い込まれそうなほどに輝く宝玉。
彼女の一つ一つの特徴を五感をフル活用し、
一匹の龍を描いていく。
どれほどの時間が経ってしまっただろうか。
気がつけば、すでに閉店時間はとっくに過ぎてしまっていた。
しかし、絵は完成した。
今までの絵柄の中でも、自分でも納得の行く龍が描くことができた。
「素敵♪」
「ありがとうございます。」
「これを約束通り、私に入れてくださいね。」
「わかりました。」
「それでは今日はこれで。」
そう言って、彼女はお店を出ていった。
あれから何日間か過ぎて、彼女がお店にやって来た。
「約束、覚えていますか?」
「もちろんです。でも、ホントにいいんですか?」
「ええ。」
「一生残るものですので、後悔はないですね?」
「貴方が私のために描いてくれて、そして、初めてのその絵柄を私に入れてくださる。何を後悔することがあるのですか?」
「そうですか。では、彫らせていただきます。」
作業場のベッドの上にうつ伏せに寝る彼女。
着物に包まれていた肌をあらわにしている。
その白く美しい、汚しがたい肌を見て、
俺の手は止まってしまった。
「どうされました?」
「いえ、怖いんです。こんな気持ちは初めてです。」
「何も怖くありませんよ。いつも通り、貴方のこだわりを見せてください。生涯背負わせていただきます。」
その言葉に諭され、俺は作業に取りかかった。
彼女の肌に針が入れられる。
その度に彼女の体が小刻みに震え、声が漏れる。
作業が終わった。
今まで彫ってきた中で、一番の集中と魂を込めた。
彼女の背中には荒々しく生命力の溢れる、
『応龍』が描かれた。
「終わりました。お疲れ様でした。」
「ありがとうございました。」
と、彼女はすぐに着物を羽織ってしまった。
「あの、見なくてもよかったんですか?」
「貴方の彫りを体で感じてたんです。きっと、素晴らしい龍が彫られているに違いありません。それに、彫ってすぐではあまり美しくないでしょう?」
「は、はぁ・・・」
「これはまた今度。貴方にだけ見せます。だからそのために、私のお願いを聞いてもらえますか?」
「わかりました。ただ、俺も貴女にお願いがあります。それは・・・」
店名は「龍彫」。
そこはいわゆる、刺青、特に和彫りを専門に取り扱ったお店でした。
周りの高いビルに埋もれるようにあるそのお店は、
あまり人目には触れることはなく、
知る人ぞ知るお店という感じでした。
俺がこの世界に入ったのは高校を卒業してからだった。
元々絵が得意で、浮世絵や日本画が大好きだった。
また、よく実家近くの銭湯へ行くと、
背中に龍、鯉、虎、鬼など、
和柄なものを入れている人達を見て、
俺も自分の絵を人の体に入れたいと、
少しおかしな好奇心が芽生えてしまったのだった。
自分の絵が、入れられた人の生涯に渡って、体に残る。
この何とも言えない感覚に俺は憧れた。
「いやぁ評判はホントだったね!ありがとうねお兄さん♪」
「いえ、喜んでもらえて何よりです。でも、ホントに入れてよかったんですか?」
閉店間際、今日の最後であろうお客さんを見送る。
相手は魔物娘のジョロウグモ。
今は彼女の着ている着物に隠されているが、
彼女の肩に巨大な蜘蛛がその糸によって男を捕らえている絵柄を入れた。
「いいのいいの!この絵柄を大好きなアイツに見せてさ!『この蜘蛛が濃いうちは、あなたを離してあげない!』って言ってやるんだ♪」
「ははは。それはそれは。でも、彫りものも時が経てば薄くなってきますので、気を付けてくださいね?」
「大丈夫大丈夫。定期的にまた色を入れに来るから♪」
「それは嬉しいですね。とりあえず、入れたばかりで痒みや痛みが出てくるかもしれませんが、あまり触れないようにしてください。」
「了解。それじゃあまたね♪」
「ありがとうございました。」
上機嫌に帰っていく彼女を見送り、店に戻る。
「蜘蛛の絵柄は初めてだったけど、喜んでもらえてよかった。」
テーブルに置かれた、彼女の肩に入れた絵柄の下書きを手に取る。
彼女が最初に来てどんな絵柄を入れたいのかなど相談し、
初めての絵柄だったため、何度も書き直して、やっとできあがった。
「今回はいい勉強になったな。」
と、下書きを棚の中に並ぶファイルの中へ入れる。
この中には、今まで自分が書いてきた下書きが入れられている。
中には下書きだけで、実際には入れていないものもあるが、
全て自分への教訓として残している。
その時、1枚の下書きがファイルの中から落ちてきた。
「ん?これは・・・ははっ、下手くそだな・・・」
それは、この店を構えてから初めて描いた龍の柄だった。
あまりの下手くそさに、誰にも見せず、誰にも入れず、
自分の中だけで留めたものだった。
「店の名前が名前だからなぁ。練習はしてるんだが、いまいち・・・ね。」
と、誰に言うでもなく呟きながら、その下書きをテーブルに置く。
「さてと、そろそろ店じまいだな。」
と、さっきのジョロウグモに入れるために使った道具を片付けて行く。
色を落とし、アルコールで念入りに消毒していく。
「ごめんください。」
その時、店のドアが開く音とともに、
何とも落ち着きのある女性の声が聞こえてきた。
「はーい。すみません、もう店じまいなんですよ・・・」
申し訳ないと言いつつ、入口へと向かうと、
そこには、カラスの濡羽色のような長い髪に、
そこから生える二対の鹿のような角、
焔のように真っ赤に染まる瞳、
緑色の艶やかな鱗の生えた蛇体、
鋭くも今にも壊れそうな鋭敏な爪、
そして、首には琥珀色の宝玉を下げた龍がいた。
「あ、そ、そうなんですか?」
「はい、申し訳ない。」
「でも、閉店時間まではまだあるのでは?」
「そうなんですが、彫るためにもいろいろカウンセリングや絵柄の打ち合わせもありますし、これから道具も整理しなければいけませんので、また後日でも構いませんか?」
「そうですか。あら?」
その時、彼女の目にテーブルに置かれた龍の下書きがとまった。
「あ、そ、それは・・・は、恥ずかしながら練習で描いたやつなんです。」
「・・・・・・」
「『龍彫』と名乗っていながら、まだ一度も龍の柄は彫ったことがないんですよ・・・あ、あの?」
「えっ?あ、ごめんなさい!つい、見とれてしまって。」
「見とれて・・・そ、そんな、見とれるほどのものじゃないですよ!」
あまりの恥ずかしさに顔が真っ赤になる。
「あの、まだ龍の柄は彫ったことがないのですか?」
「はい、練習はしているのですが、いまいち納得がいかなくて。刺青というのは、彫られた人の生涯に渡って残るものですので、生半可なものは彫れませんから・・・」
かっこいいことを言ってしまったが、事実だ。
さっきのジョロウグモのお客にだって、
初めての蜘蛛を彫るために何度も下書きを行い、
やっとの思いで彫り終えたのだが、
納得はしていない。
ただ、もう彼女の方から「十分だ」と言われ、
しぶじぶ彫りつつも、少しでも良いものをという気持ちで彫ったのだ。
「ふふっ、こだわりがあるんですね。素敵だと思います。」
目の前の彼女、龍は優しくそう言った。
「龍には何か思い入れが?」
「いえ、ただ純粋に龍が好きなんです。」
龍から感じられる畏敬の念、生命力などなど、
うまく言葉で言い表せないが、ただただ好きなのだ。
「そうなんですね。では、せめて今日、この短い時間で私のお願いを聞いてはくれませんか?」
「何でしょうか?」
「この龍を完成させてほしいのです。そして、できあがった暁には、その龍を私にだけ、彫ってはくれませんか?私でよければ、絵を書くための参考にもなれますし。」
そう彼女は言ってきた。
正直、龍を見るのは初めてで、
またとないチャンスになるのではないかと思えた。
「わかりました。」
「ありがとうございます♪」
「と、とりあえず、道具の整理だけササッと終わらせてきますね。」
「ごゆるりと。別に急いではいませんので」
「さてと、では、描かせていただきます。」
「参考になるのであれば触っても構いません。あ、逆鱗だけはやめてくださいね?」
「ははっ、やっぱりあるんですね。」
作業場の椅子に座る彼女。
彼女の髪、角、瞳、鱗、爪、宝玉の全てを細かく見て、
触って絵を描いていく。
何ものにも染めきれないほどの黒い髪の感触、
角の表面の凹凸や質感、
燃え上がるような荒々しさを感じる瞳、
一枚一枚綺麗に揃った滑らかで硬質な鱗、
透き通るように鋭敏な爪、
そして、まるで吸い込まれそうなほどに輝く宝玉。
彼女の一つ一つの特徴を五感をフル活用し、
一匹の龍を描いていく。
どれほどの時間が経ってしまっただろうか。
気がつけば、すでに閉店時間はとっくに過ぎてしまっていた。
しかし、絵は完成した。
今までの絵柄の中でも、自分でも納得の行く龍が描くことができた。
「素敵♪」
「ありがとうございます。」
「これを約束通り、私に入れてくださいね。」
「わかりました。」
「それでは今日はこれで。」
そう言って、彼女はお店を出ていった。
あれから何日間か過ぎて、彼女がお店にやって来た。
「約束、覚えていますか?」
「もちろんです。でも、ホントにいいんですか?」
「ええ。」
「一生残るものですので、後悔はないですね?」
「貴方が私のために描いてくれて、そして、初めてのその絵柄を私に入れてくださる。何を後悔することがあるのですか?」
「そうですか。では、彫らせていただきます。」
作業場のベッドの上にうつ伏せに寝る彼女。
着物に包まれていた肌をあらわにしている。
その白く美しい、汚しがたい肌を見て、
俺の手は止まってしまった。
「どうされました?」
「いえ、怖いんです。こんな気持ちは初めてです。」
「何も怖くありませんよ。いつも通り、貴方のこだわりを見せてください。生涯背負わせていただきます。」
その言葉に諭され、俺は作業に取りかかった。
彼女の肌に針が入れられる。
その度に彼女の体が小刻みに震え、声が漏れる。
作業が終わった。
今まで彫ってきた中で、一番の集中と魂を込めた。
彼女の背中には荒々しく生命力の溢れる、
『応龍』が描かれた。
「終わりました。お疲れ様でした。」
「ありがとうございました。」
と、彼女はすぐに着物を羽織ってしまった。
「あの、見なくてもよかったんですか?」
「貴方の彫りを体で感じてたんです。きっと、素晴らしい龍が彫られているに違いありません。それに、彫ってすぐではあまり美しくないでしょう?」
「は、はぁ・・・」
「これはまた今度。貴方にだけ見せます。だからそのために、私のお願いを聞いてもらえますか?」
「わかりました。ただ、俺も貴女にお願いがあります。それは・・・」
16/07/21 01:17更新 / アキワザさん