連載小説
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『頼む、旦那。あの子を助けてやってくれ』
 部屋を出てから階段を下り、宿の外に至るまで、主人はずっと喋り続けていた。
『退屈してたのか、あの子は夕方、俺の仕事を手伝ってくれたんだ』
 夕食の際、テーブルに着いた青年とシファの許へ、リリエは何故か店の奥からやって来た。それはつまり、そういう事だったらしい。
『よく気がつく子で、頭も良くてな……。教えた事を、すぐ覚えるんだ。教えるこっちも楽しくてなぁ……気がついたら、ずいぶん早く仕事が終わってた』
 確かに、荒んだ生活をしていた割にはリリエは利発だった。スラムの孤児の中には捨てられた新聞などを拾って読んでいる子もいるので、彼女もその類なのかも知れないが。
 おそらく、先月死んだという一緒に暮らしていた誰かが、食べ物に関してはどうにかしていたのだろう。だから彼女には、その余裕があったと考える事も出来る。
『俺のガキも、今頃はあの子くらいになってんのかと思ったら、何かもう他人とは思えなくてなぁ……』
 それはまた随分と単純な脳みそだ、と青年は思った。とりあえず、主人の個人的な事情には興味がない。
『まだ駄賃も渡してねえのに、死なれてたまるかってんだ。労働には正当な対価を、ってのが俺の信条なんでな』
 それもまあ、割とどうでもいい事だった。そして彼の中では、二人は既に殺される事に決定しているらしい。
 辿り着いた屋敷を見上げながら、青年はぐるりと周囲をまわってみた。塀は高く、明かりは消えている。正門、裏口ともに施錠されていたが、裏口は全く使われていないのか、鍵以外に太い鎖が巻きつけられていた。
 暫く眺めていた彼は、ふむ、と呟き、正門を開けるために近づいて行った。


 室内は薄暗い。窓から射しこむ青白い月明かりの色合いこそ神秘的で好ましいが、その窓に鉄格子などという無粋な物が嵌まっているせいで、それも台なしだった。
 扉は厚く、施錠されているせいでビクともしない。殴ったり蹴ったり体当たりしたりと一通り試したのだが、全て弾き返された。
「この――っ」
 赤くなった拳をさすっていたシファは、再び踏みこむと、その踏みこんだ足を軸に反転。まわし蹴り、と思いきや、鞭のようにしなった尻尾を叩きつけた。筋肉の塊であり表面を鱗で保護された尻尾は、リザードマンにとって、単純な打撃力だけならば最も強力な攻撃である。が、
「ぅ……つあぁぁ……」
 ドガアッ、という凄まじい音に反し、ドアはヒビすら入っていない。窓の鉄格子といい、どうやらここは、もともと監禁用の部屋だったと考えるのが妥当だろう。つまり当然、ドアも特別製。
「ぅぅぅ……」
 よほど痛かったのか、涙目で尻尾をさするシファに、慌ててリリエが駆け寄って来た。
「だ、大丈夫? お姉ちゃん」
 少しでも痛みが和らげば、と、彼女もシファの腰に手を伸ばす。
「ゃん――」
「わぁっ、ビックリした……ええと、ごめんね。痛かった?」
 急に妙な声を出したシファに、リリエは慌てて手を離した。責任を感じているらしい彼女を宥めるように、無理して笑みを浮かべて見せる。
「だ、大丈夫だ! ただ、その……尻尾のつけ根は何というか……くすぐったいんだ! そう、くすぐったい! だから、気持ちはありがたいが、あんまり触らないでくれ」
 部屋が暗くてよかった、と切実に思う。赤くなった顔は、たぶん見られていない筈だ。
 と、ドアのすぐ傍に座りこんでいたせいか些細な物音に気づいたシファは、慌ててリリエの口を塞ぎ、静かに、と耳元で囁く。そのまま静かに内開きのドアの死角に移動。自分だけ立ち上がり、身構えた。
 カチャリ、と鍵がまわり、ゆっくりとドアが開く。室内に入って来た何者かは、しかし誰もいない事を訝しんだのか、更に一歩踏みこんで来た。開いたドアの陰にいたシファにとっては、背後を取った形である。
(もらった!!)
 硬く握った右拳を突き出した瞬間、何者かがシファに気づいた。僅かに身体を反らして拳を躱すと、左手で手首を、右手で胸ぐらを掴み、身を沈める。身体の下に入られたと気づいた時には、足を払われ、腰を撥ね上げられていた。ぐるり、と視界がまわる。
(一本背負い!?)
 ジパングの武術の技を思い出し、慌てて受け身を取った。下が毛足の長い絨毯だった事も幸いし、ダメージは殆どなかった。
「……少し進歩したか」
 聞き憶えのある声だった。
「サンドリヨン!?」
「お兄さん!」
 二人の少女が同時に声を上げ、慌てて口を押さえた。それを目にした青年は、思い出したように告げる。
「ああ、別に声量を気にする必要はない。俺の侵入は、もう気づかれているからな」
 かなり重要な事を、ずいぶんとあっさり言ってのけた。それから、シファの前に何かを投げ出す。取り上げられていた、彼女の鎧と剣だった。
「余計な手間をかけさせたんだから、手伝え」
「あ、ああ……」
 慌てて身支度を整える。剣を抜こうとするシファを、しかし青年は制した。
「屋敷内で襲われる事はない。俺の侵入が露見している以上、戦力を一カ所に集めて待ち構えている筈だ」
 屋敷は高い塀に囲まれ、出入りは正門からしか出来ない。ならば屋敷内の通路で少人数ずつ戦闘をしかけて各個撃破されるより、絶対に通らざるをえない広い場所で物量戦をしかける方が合理的だろう。
「だが、そうなると……大丈夫なのか? こちらは戦えるのは二人だけなんだぞ? もし人質を取られたら――」
「成程。それで、あっさり捕まった、と」
 先を行く青年の言葉に、シファは言葉に詰まる。
「わ、私だって人質さえ取られなければ、あんな奴ら――」
 言い訳がましい事を口にした瞬間、肩越しに振り向いた青年が異様に鋭い視線を突き刺して来た。あまりの眼光に、思わず怯む。
 人質の有無に関わらず、侵入を許した時点で油断。そういう意味だろうか、とシファは考える。が、そうではない事を、すぐに理解させられた。
「……ごめんなさい、お姉ちゃん」
 手を繋ぐ左隣から、涙ぐんだような声が上って来る。
「あたしが捕まらなかったら、お姉ちゃんまでこんな目に遭わなくて済んだのに」
 青年が言いたかったのは、こういう事だったのだ。人質を取られた事を理由にするという事は、全ての責任を、この小さな少女一人に押しつける事になる。負けた理由など、どうでもいいのだ。少なくとも今は。
 傷つく必要のない人間を傷つける、その不用意な行為にこそ、青年の視線は突き立てられたのだろう。
「すまない、リリエ。悪いのは私だ。お前を助けた以上、私は、お前の安全に気を払わなければならなかったのに……怖い思いをさせてしまった」
 沈痛な面持ちで頭を下げるシファに、リリエは勢いよく頭を振った。
「悪いのは、あいつらだよ。だからもう、そんな悲しい顔しないで」
「……お前より、その子供の方がよほど賢いな」
 我関せずとばかりに歩いていた青年が、余計な事を言う。思わずシファは彼を睨むが、おかげで落ちこんだ気分が少しマシになった。


 玄関ドアを開けたのは青年だった。音もなく開いたが、自然体な振舞いを見るに、敵を警戒してというよりは、単にお行儀がいいだけかもしれない。
 そのせいという訳でもないだろうが、予想通り正門前に集まっていた私兵達は、彼らの登場に気づいていないようだった。代わりに、正門前でヒステリックな声を上げる男の方に視線が集まっている。
「おおおおお!? も、門が。私の屋敷の門がぁぁぁ!!」
 見れば施錠されている筈の門は、これ以上ない程に開放されていた。
「……というか、お前。何という侵入方法を……」
 貴族の痴態を眺めていたシファが、若干不憫そうな声音で言う。門には鍵がかけられていた。しっかりとした立派な錠前だ。だが、門自体は開放されているのだ。
 門の両脇にある、門そのものを留めるネジを全て外されて。
「あれだけの物が倒れたのに、何も聞こえなかったぞ?」
「多分、お姉ちゃんが部屋のドアを破ろうとしてる時だったんだよ」
 成程、とシファが納得していると、ようやく脱走に気づいたらしい数人が声を上げた。
「貴様ら、いつの間に!」
 ずいぶん前から、などと答えるのは、流石に人の道に反する気がした。リザードマンのシファですら。
 一斉に剣やダガーを抜く私兵達に、貴族の青年――ノスリアが叫ぶ。
「我が屋敷の正門を破壊した痴れ者を叩っ斬れ!!」
 目的が変わっている。思わず振り返ってしまってから、私兵達は気を取り直すように斬りかかって来た。だが、その一瞬の隙を逃すほど青年は甘くない。ただでさえ人数で劣っているのだ。どんな手段でも、使えるものは使うべきだ。
「人質を取られれば負けるというのなら、お前はそいつを護れ!」
 シファに言い残し、青年は地を蹴る。私兵達が気づいた時には、既に二人が斬り倒されていた。
 青年の言葉に何も言い返せないシファは、そんな自分を歯がゆく思いながらもリリエの手を引き、なるべく戦闘の中心から外れた所へと移動するよう心がけた。それでも彼女達に気づく者はおり、女だからという理由だけで、こちらの方が楽そうだと斬りかかって来る。リザードマンが剣技を磨き続ける種族である事を忘れているのだろうか。或いは、若いから大した事はないと侮っているのか。
「どちらにせよ、死んで悔いるがいい」
 血生臭いものを至近距離でリリエに見せてしまう事に心を痛めながらも、襲い来る私兵達の命は無慈悲に刈り取った。
 そして、リリエもまた戦っていた。自分が弱点になっている事は理解していたので、ならばせめて負担を減らそうと、私兵達とはシファを挟んで対角線上に位置するように移動し続けているのだ。剣の間合いには入らないように。けれど離れ過ぎて、まわりこんだ者に捕まらないように。
 そんな事実に内心で驚きつつ、シファは剣を振るう。かち合ったのがあの青年だったせいで自信を喪失していたが、本来の彼女の腕は決して悪いものではない。右から左から突き出される剣を、あるものは弾き、あるものは打ち落とす。そしてガラ空きになった場所へ、的確に攻撃を加えて行く。集団戦の経験だって、それなりにあるのだ。
 だが、そんな彼女をすら凌駕する戦いぶりを見せているのが、他ならぬあの青年だった。周りの私兵達が数にものをいわせて斬りかかるのに、それらが全て当たらない。全員が同時に別種の攻撃を放っても、まるですり抜けるようにして青年は間合いの内側に入りこむ。そして何より、彼は無理をしない。必ずしも一刀のもとに斬り伏せようとはしないのだ。小さな傷でも積み重ねれば疲労を誘う。トドメはそれからでも遅くない。
 それでも物量差は、そう簡単に埋まるものではなかった。一騎当千の騎士が、本当に千の軍勢に拮抗できる訳ではないように。
 辺りは躯と血臭で溢れている。額から流れ落ちる汗を拭いもせず、荒い呼吸を繰り返しながらシファは、不用意に踏みこんで来た男の肩口に剣を叩きつけた。くいこんだ刃は心臓まで達し、男が頽れる。少し離れた場所では青年が、相手の頸動脈に当てた刃を勢いよく引き、赤い噴水を作り出していた。
 しかし、両者とも疲れが見えるのは事実だった。そこに勝機を見出したのか、ノスリアが下劣な笑みを浮かべる。
「よく頑張ったといったところだが、ここまでだな。ノスリア家にケンカを売って、ただで済むと思うなよ!」
 彼の周りには、まだまだ戦力が残っていた。その彼らが、弱りきった獲物を弄ぶ肉食獣のように、にじり寄って来る。
「……どうする、サンドリヨン。流石に、ちょっと疲れて来たぞ」
 整わない呼吸のせいで喋りずらそうに、シファが訊いて来る。
「策はあるんだがな……」
「なら、その策とやらで早くどうにかしてくれ」
 二人の位置取りは、いつの間にか背中合わせの状態になっていた。勿論、間にリリエを挟んで。
「どうにかしたいのは山々だが、欠点があってな」
「何だ」
「俺の意志だけでは、どうにもならない」
「役立たずめ」
 憎まれ口を叩きながら、シファは手の汗を拭う。剣を握り直す彼女達に、無傷の第二波が迫っていた。
「これで終わりだ、チンピラ共め」
 勝ち誇った笑みでノスリアが言う。
「殺せ!」
 私兵達が武器を構えた。呼吸を整え終えた青年は、迎え討つように顔を上げる。
 その瞳は、まだ死んでいない。
10/11/04 18:43更新 / azure
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■作者メッセージ
 シファはジパングかぶれ。ただし、正確な知識はない。
 スシ、テンプーラ、サムラ〜イ、ゲイシャ、な外人レベル、かな?

 てか、戦闘描写メンドくさくなってないか、私……。

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