読切小説
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ハズレ箱
 そこは遺跡というには新しい、廃墟跡のような場所だった。
 年代的には百年ほど前のもので、用途としては、今でいう図書館のようなものだったらしい。
 とはいえ風化でボロボロになったそれに学術的な価値が見出される事はなく、王都から比較的近いという立地があっても、骨組みすらまともに残っていないのでは観光の足しにもならない。当然、当時を知るための新たな文献が見つかるという事もなかった。
 そんな廃墟に実は地下があるという噂が囁かれ始めたのは、つい最近の事だ。
 以前、国王の指示で王立大学の教授たちが調査したにも関わらず、地下が発見されなかったのも意外といえば意外だが、学問に熱心な王も、流石に何もない事をこれでもかと主張している廃墟を執拗に調べさせるのは不憫に思ったのかも知れない。

      ※

 そんな訳で、鍵穴である。
 意外にもしっかりと石で壁面を固められた地下には、人の痕跡が少なくなかった。といっても立ち入りを制限されている訳でもなければ、侵入を阻むような仕掛けが施されている訳でもないのだから、何もおかしな事ではない。
 地下の存在が囁かれ始めたのが最近の事とはいえ、耳聡く冒険心に溢れた者ならば既にこの場所を訪れている事だろう。そして何かが見つかったという話は、まだ聞かない。
 彼がここを訪れたのも、それが理由の一つだった。
 壁面に残された新しめの松明に火を灯すと、五メートルほどの奥行きを持つ室内に光と仄かな熱が広がった。
 地下という割にジメジメした湿気がないのは、この辺りの気候によるものだろう。涼しくはあるが肌寒さは感じず、すごしやすい。
 予想通りだった。地下という場所柄もあって光は入って来ず、本の保管には最適である。
 図書館の地下に部屋があるのなら、それは書庫であろう。それが彼の予想だった。
 遺跡に立ち入る者の目的は、大体の場合、未だ発見されていない財宝である事が多い。そして財宝とは、つまるところ金品だ。埃を被った古めかしい紙束が置かれていたとして、それに興味を示す者は少ないだろう。
 それが宝の在り処を示す地図のようなものである可能性もあるにはあるが、ほんらい宝を隠すべき遺跡の奥に地図を隠し、本命の宝を別の遺跡に隠すような回りくどい酔狂者は、いたとしても少数派のはずだ。
 それでも彼は、溜息をつきながら親指でこめかみの辺りを掻いた。
 絶対に何か珍しい文献が見つかる、と過度な期待をしていた訳ではない。ないが、それでも、ここまで来たのが無駄足だったと分かれば溜息の一つもつきたくなる。
 くどいようだが、ここへは既に何人もの人間が足を運び、そして何かが見つかったという話は聞かない。本当に何もなかったにせよ、何かを見つけた誰かが黙って独り占めしたにせよ、ガランとした室内はそれを裏付けている。
 では、いま自分の目の前にある無闇に立派な宝箱は一体何なのか。やや大きめで凝った意匠の錠前に開いた、奥へと誘うような黒々とした空洞を眺めながら、彼は思う。
「差し当たっては……」
 階段を降りてくる際に、松明だけでは照らしきれない場所に危険がないかを確認するために使っていた細い棒で、軽く肩を叩きながら呟いた。そして――
「ちぇすとー!!」
「ひぎゃー!?」
 鍵穴へ勢いよく棒を突きこんだ瞬間、悲鳴と共に宝箱の蓋が開かれ何かが飛び出した。
「痛い痛い痛いー! 鳩尾に入ったー!!」
「……やっぱりミミックか」
 嘆息と共に、彼は転げ回るそれと宝箱を交互に見遣る。
 ガランとした室内にポツリと置かれている事が違和感以外の何ものも生み出さないその存在は、何やら酷い侮辱を受けたようでもあった。
 というか、誰かが引っかかると少しでも思っていたのだろうか。怖いもの見たさで、彼は問うてみたい欲求に駆られた。
 とりあえず、苦痛を訴える事と咳きこむ事と転げ回る事で忙しいミミックの労力を一つでも減らしてやろうと、彼は足を差し出して彼女の身体を受け止めてやった。
「えほっ……女の子を足蹴にするなんて」
「別に蹴ってはないだろう」
 それに、と彼は視線で右手を示し、
「棒だと痛いかと思って」
「痛かったよ! 凄い痛かった!!」
 悪びれる事のない物言いに、ミミックの少女が勢いよく立ち上がった。それに合わせて、頭の右側で一つにまとめられたスミレ色の髪が跳ねる。
「ていうか、いきなり何すんの!? ついでに、ちぇすとーって何っ?」
「ちぇすと、はジパングの南部に伝わる剣術の掛け声。あと、ミミックに対する対処としては妥当だったと思うけど?」
「出会い頭に女の子の鳩尾に全力で突きを見舞う事の何が妥当かー!! しかも、お昼寝中に!」
「寝てたのか……」
 テーブルでもあれば引っくり返しそうな剣幕で怒るミミックに動じる事もなく、彼は半眼で呟いた。
「魔物らしさの欠片もないな」
「何その態度!? ごめんなさいの一言もない訳?」
「分かった分かった、飴やるから機嫌直せ」
「わーい――って、今どき子供だって飴ひとつで機嫌なんて直らないよ!」
 放って寄越された、緩やかに放物線を描いて飛ぶ飴をペシーンと打ち落とす。
「分かった、もう一つやるから――」
「個数の問題じゃない!」
「じゃあ、オレンジ味――」
「味の好みでもない!!」
 合計三つの飴が転がる室内で、ゼーハーと息を荒らげる少女を前に、彼は困ったように溜息をついた。
「ワガママな奴……」
「悪いのボクー!?」
 頭を抱えて喚く少女を鬱陶しげに見遣りながら、彼は宝箱の蓋を開ける。当然のように中身は空だった。
「……何その露骨にハズレを引いたみたいな顔」
「別に……」
 予想していた事ではあった。ただ、落胆して見せる事で自分の気持ちに折り合いをつけようとしただけである。
「ていうかキミ、こんなとこで何してんの? 冒険者さん?」
「いや、本屋」
「は?」
「本屋。図書館だった場所の地下なら、珍しい文献が眠ってるかも知れないと思って」
「ふうん……って言いながら、何してんの!? 何そのピッキングツール!? 何でボクの宝箱の鍵穴に突っこんでんの!? 何で施錠しようとしてるの!?」
「え、暇潰し」
 ついでに言うなら、無駄足を踏んだ腹いせでもある。
「やめてー! 開かなくなっちゃうからー!!」
「ミミックって、どんな箱の中にも転移できるんだろ?」
「違うのー! お気に入りなのー! 蓋が開くところも素敵なのー!!」
「分かんないなぁ、その拘り」
 ガチン、と虚しく錠が落ちる。同時に少女も崩れ落ちた。
「うう……酷いよう……」
 項垂れる彼女の様子に良心の呵責を覚えたか、彼は反射的に荷物の中に手を突っこむ。が、既に飴は効果がない事を思い出して途方に暮れた。結局、何気なく手が触れた直方体の弁当箱を取り出し――
「そんな箱じゃヤダー!!」
「まだ何も言ってない!!」
 下からペシーンと弾かれた箱を視線で追いながら、彼は慌てて踵を返す。描かれる放物線の落下点へ走りこみ両手で受け止めると、背後から拗ねたような声が聞こえてきた。
「ふーん……ボクの宝箱は鍵かけちゃったくせに、そんなショッボい箱は大事なんだ……」
「馬鹿、だってこれ中身食べ物なんだぞ!」
「ボクだって食べられるよ!!」
 対抗するように叫んでから、うふん、とシナを作る少女を華麗にスルーして、彼は蓋を開ける。
「無事か……」
「……ボクが無事じゃないよ。渾身のボケをスルーされて大火傷だよ」
「アロエ塗っとけ」
「わあ、お婆ちゃんの知恵袋! で、それ何?」
 立ち直りの早い少女に若干呆れながら、彼は箱の中身を彼女に示して見せる。
「おおっ、サンドイッチ。美味しそうだねー、いただきまーす!」
「だから、まだ何も言ってない――」
「胡椒の効いたハムが絶品ですな!」
「聞けよ!」
 遠慮なくサンドイッチを頬張る少女に眉根を寄せつつも、先程の罪悪感もあるためか、彼も取り上げる事までは出来なかった。

      ※

「……で? ボクの箱が開かないって、どういう事?」
「いや、思った以上に複雑な構造になってるらしくて……」
 苦戦する彼を眺めながら、ミミックの少女は誇らしげに笑う。
「まあボクのお気に入りなんだから、そんじょそこらの鍵とはレベルが違ぅ――ふぎゅ!?」
「じゃあ構造くらい把握しとけ!」
 左右の頬をつねられ涙目になる少女を間近で睨みつけながら、彼はこめかみをヒクつかせた。
 そもそも鍵が開かなくなったのは、彼のせいではない。宝箱が恋しくなった少女が無理やりこじ開けようと、辺りに転がっていた石で殴りつけたりした結果、どうも内部で僅かに歪みが生じたらしいのだ。
 レベルが違うという言葉通り複雑な構造をしていたところに歪みまで加わっては、今の彼にはお手上げだった。
「……駄目だ。手持ちのツールだけじゃ、これ以上は無理」
「え〜……」
「家に戻れば他の道具もあるから、どうにか出来るかも知れないけど……」
「う〜……」
 瞳を潤ませて懇願するように見つめてくる少女を嫌そうに見遣りながら、彼は渋々といった感じで諦めたように溜息をついた。
「……分かった。開けてやるから、この箱、家まで転移させてくれ」
「出来ないよ?」
「は?」
「箱の中に転移する事は出来るけど、箱を転移させる事は出来ないよ?」
「じゃあ、どうやって、これ、ここまで運んで来たんだよ!?」
「こうやって」
 さも何でもない事のように、ミミックの少女は大きな宝箱を両手で抱え上げた。
「怪力か!」
 戦いたように彼は後退る。
「どうでもいいけど、それ、入口とか階段とか通れるのか?」
「大丈夫だよ、斜めとかにすれば」
「……何処の引っ越し業者だ」
 もう気にするだけ無駄なのだろう、と彼はようやく理解した。
「ああ、そういえばキミの名前って何ていうの?」
「自己紹介が最後かー……」
「まあまあ、そんな愛の話もあるって」
「愛の話じゃないけどな」
「ちなみに、ボクはダリア」
「聞けよ。……ユーリスだ」

      ※

 個人経営の本屋は、路地裏の少し分かりづらい場所にある。店舗は小さいが、それなりの繁盛をしていた。
 訪れる客は常連が多く、大概は本好きな者ばかりだ。希少本や専門書も置かれているため、大学の教授が資料を探しに来る事すらある。
「ありがとうございました」
「おう。ダリアちゃんにも、よろしくな」
 店内に残っていた最後の客を見送り、ユーリスは小さく息を吐いた。
 ダリアの存在は、すっかりこの店の看板娘として定着していた。若干、男性客が増えたような気もする。
 意外だったのは、彼女の博識さだった。あらゆる箱に転移するミミックの行動範囲の広さを思えば、知識の幅の広さも頷けはするのだが。
 客の中には、彼女と知識の交換をするために訪れる者も少なくなかった。もっとも当人は、近所のお爺ちゃんの茶飲み相手を務めている程度にしか思っていないようだが。
「ただいまー」
「お帰り」
 そんなダリアは、こうして時々出かけていく事がある。行き先は大学だ。
 ユーリスは未だに半信半疑だが、彼女の知識は教授や講師陣の間で重宝されているらしい。
 初めは講義の依頼が来ていたのだが、彼女は博識ではあっても人に教えるのは得意ではないらしく、時間いっぱい、ただ喋るだけになってしまうのだそうだ。
 本筋を忘れて脇道へ逸れまくる講義は生徒たちには楽しくて好評だとの事だが、流石にそれでは学術、教育機関としての面目が保てないのだろう。現在は教授や講師たちと話をして、それを基に彼らが講義用の資料を作っているらしい。
 それでも結構な報酬が支払われるあたり、王立大学は太っ腹と言わざるを得ない。
 また、ダリアの存在は別の意味でも生徒たちに好評だった。しかし彼女自身は、それを好ましく思ってはいないようで、
「不機嫌そうだけど、何かあったか?」
「……また子供扱いされた」
 むぅ、とダリアは頬を膨らませる。
 小柄な彼女は生徒たちから妹のように可愛がられてしまうのだそうだ。
「飴あげるって言われた……」
「貰ってんじゃん」
 ダリアの頬を内側から押し上げる丸みを指差しながら、指摘する。
「ムカついたから二っつ貰ってきた。あげる」
「……ありがとう」
 個数の問題なのか、と内心でツッコみながら、ユーリスは笑いを堪えた。
「まったく、もう……ボクは大人の女だっての」
 荒々しく溜息をつきながら、ダリアは腰を下ろす。
「みんなより色んなこと知ってるし、教授にタメ口だって利けるし、恋人だっているのに……」
「ふうん……」
「いや、そこ流さないでよ」
「……オレンジ味」
「無視すんなー!」
 ユーリスは気にせず貰った飴を口に放りこみ、再び頬を膨らませるダリアを億劫げに見遣ると、嘆息混じりに微苦笑を浮かべて彼女へ歩み寄った。伸ばした手を相手の頬から顎へと滑らせ、軽く上向かせる。
「えっ、えっ? や……やだ、そんな急に……」
 腰をかがめ、ゆっくりと顔を近づけてくるユーリスに、驚きと期待に頬を染めながらダリアは目を瞑った。胸を高鳴らせ、薄く開いた唇を迎えるように少しだけ尖らせる。そして――
「ふぎゅ!?」
 親指とそれ以外の指で、左右から頬を挟まれた。艶やかな唇がタコのように突き出す。
「……本の上に座るなって、なんど言えば理解するんだ?」
 ユーリスは努めて憤りを抑えたような低い声で至近距離からダリアを睨み、ポイッとそれを横へ捨てた。それから、彼女の尻に敷かれていた本を大事そうに取り上げ、大鷲の羽根を二つ束ねたもので優しく表面を撫でる。
 それは知り合いの出版社から、探してくれと頼まれていた希少本だった。既に絶版になった古い本で、ようやく見つけた一冊は傷みが激しく、表紙はボロボロでページの剥落も酷かった。
「ようやく全ページが揃ってる事を確認し終えたとこなのに……」
「……そんな大事な本なら、その辺に置いとかなきゃいいじゃん」
「本屋なんだから、何処に本が置かれてたっておかしくないだろう。それに何処に置かれてようが、本は座るものじゃない」
「へーい……」
 もう一睨みしてやると、ダリアは気まずそうに目を逸らした。

      ※

 外は既に夕焼けも終わり、暗くなり始めていた。
 もう客も来ないだろうと判断したユーリスは、埃を払った本を書架へと戻し、奥のカウンターに座るダリアへ声をかける。
「そろそろ店を閉めるから手伝ってくれ」
「うーい」
 若干眠そうな声で返事をしたダリアは、のそのそと立ち上がって駆け寄ってきた。
「それが終わったら、店内の掃除と売り上げの確認と在庫の整理な」
「相変わらず人使い荒いなー……」
「いつもの事だろう」
「まあね」
 悪びれもせず労う様子も見せず、ユーリスは言う。が、
「今日中に終わったら、明日は休みだし久々に何処かへ出かけよう」
「いいのっ!?」
「終わったら、な」
「うん! 頑張るよ!」
 表情を輝かせながら、ダリアは奥へ入っていく彼の後を追う。
「憶えててくれたんだね」
「……何がだ?」
 知らないフリをするユーリスの態度に、くふふ、と忍び笑いを洩らしながらダリアは彼の腕を取った。
「何でもないよー」
 明日で自分がここへ来てから一年になる。それを思いながら、彼女は絡める腕に力を入れる。
「どこ行こっか?」
「遠出はしないぞ」
「いいよー。お散歩してー、お買い物してー、ごはん食べてー……」
「……近場でも引き摺り回されれば、結局、遠出と変わらないけどな」
 やめておけばよかったかも知れない、とユーリスは早くも胸中で後悔した。せめて明日になってから言えばよかった、と。
「そして夜には、きっと……うふふふふふふふふ」
「…………」
「わー!! 嘘です冗談です、ごめんなさい調子乗りました! だからボクの宝箱に鍵かけないで! 釘打たないでー!!」
 そんな第三者には意味の分からない悲鳴が洩れ聞こえてくるのも、既にこの辺りでは定着しつつあるのだった。
12/02/21 18:35更新 / azure

■作者メッセージ
 そういえばコメディって書いた事ないなぁ、という思いつきと勢いだけで書いてしまいました。反省は気が向いたときに、憶えていたらします。……しないって事じゃん。
 ちゃんとコメディになってるかどうかが、ひたすら心配。ていうか、難しい。個人的にはエロより大変だったかも……いや、エロも大変なんですが。
 どっちもセンスが重要。精進精進。

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