読切小説
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ありがとうの代わりに
 学校へ行きたくなくなったのは、いつの頃からだろうか。
 決して友達との関係に悩んでいた訳でも、勉強についていけなくなった訳でもない。ましてや、いじめを受けたなどという事は一度たりともなかった。
 切っ掛けとして思い当たるのは、一つの噂。
 私の両親は、いつの頃からかその関係が険悪になり、そう遠からず離婚する。そして私は、入江綾(いりえ あや)ではなくなる。それが、どういう訳か学校で広まったのだ。
 口さがなく根も葉もない事を言う人もいたけれど、殆どの人は気を遣ってくれた。先生たちもクラスメイトも部活の仲間も。
 しかし、話だけはよく聞くものの、実際に自分の周囲にそうある事でもないためか、やはり詳しく訊きたがる人も少なくない。そうして、そういう人たちが話を聞いてきたときは、普段は気を遣ってくれている他の人たちも、やはり聞き耳を立てているのだ。
 無理もないとは思う。仕方ないというのも分かっていた。
 けれど、やはり、そういうのは苦痛だった。だから私は、いつしか学校へ行かなくなり、知っている人に会うのも怖くなって外出もしなくなった。



 ――ピンポーン。
 限りなく無音に近い両親不在の自宅アパートに、不意にチャイムの音が鳴り響いた。
 その瞬間、自室のベッドに死体のように転がっていた私の、獣毛の生えた大きな耳がビクッと立ち、身体が強張る。
 それだけで、もう、本来であれば心安らぐはずの家という場所で、自分がどれほどの緊張を強いられているのかが分かった。
 リビングに家族三人が揃った事なんて、もう何ヶ月もない。けれど、その方が遥かにマシなのだ。揃ってしまったときの、切れる限界まで糸が張りつめたような無言の空気は、誇張抜きで地獄である。
 まあ今では、暗黙の了解で三人が――特に両親が同じ部屋にいる事はなくなっているのだけれど。
 そうなりそうになると、必ずどちらかが席を立つのだ。そして、いつしか私も、そうするようになっていた。
 あ……応対に出なきゃ。
 チラリと時計に目を向けると、時間は既に午後の四時半。おそらくクラスメイトが、学校で配られたプリントなんかを持ってきたのだろう。
「……やだな…………」
 いつもなら母が代わりに出てくれるのだけれど、今日は私一人だ。
 大人が相手なら、クラスメイトは用件だけ済ませて帰ってくれる。だけど私が出たら――しかも親が不在だと分かれば、また根掘り葉掘り訊かれるかも知れない。
 被害妄想だろうというのは分かっていたけれど、それでも怖いものは怖い。引きこもる生活がその思いをより強固にしているのだとは思うが、だからといって外へ出られるのなら苦労はなかった。
 私は、ノロノロと自室を出る。尻尾は元気なく垂れ下がっていた。撮影が行われていないときの、倉庫に仕舞われたセットのようなリビングやキッチンの風景を横目に、玄関のドアを開けた。
「――っ!?」
 そうして現れた人物に、少しだけ驚いて息を呑む。
 いつも届け物をしてくれるのは、近くではないものの私の家が通り道にある女子生徒だ。けれど今日、そこにいたのは――
「祐……くん」
「……元気そうだね」
 少し意外そうに言ったのは、高瀬祐(たかせ ゆう)くん。私が小五で引っ越してきて以来の付き合いの、近所に住む男子生徒だった。
 といっても、それほど親しくしていた訳ではない。小学生の頃の地区児童会の会長と副会長というだけで、中学に上がってからはプライベートな会話は数えるほどしかしていなかった。
「ああ、えっと……」
 そういえば、学校には風邪をこじらせていると言ってあったのだ。嘘をつき通す必要もないし、そもそも、その嘘が信じられているとも思っていなかったが、何故か気まずい。
「まあ、治ったならよかった」
 祐くんは殆ど気にしていないようだった。それから右手に持っていた、折り畳まれた数枚の紙を差し出してくる。
「これ、今日配られたプリント」
「……ありがと」
 もう意味ないんだけどな、と思いながら受け取った。
 それが顔に出ていたのか、祐くんは怪訝そうに首を傾げる。
「どうかした?」
「あ……ううん。何でもない」
 そう、と彼は呟く。納得はしていないようだったが、それ以上は訊いて来なかった。
「じゃあ、お大事に」
「あっ――」
 気がついたときには、私は踵を返す彼の袖を掴んでいた。縋るように、というのは比喩にはならないだろう。
「何?」
 振り返る彼の顔に不快さはなく、その事に私は酷く安心した。尻尾が揺れている。
「あ、いや……あの……」
 正直、反射的な行動だったせいで、自分でも何故そんな事をしたのか分からなかった。
 軽くパニックになりながら口をついたのは、
「お、お茶……飲んでかない?」
 祐くんは驚いたように目を見開いていた。私は自己嫌悪で死にたくなる。
「……ごめん。変なこと言って」
 真っ赤になって俯く私の上で、ふっ、と噴き出すような音がした。
「退屈してんの?」
 笑いを堪えるように祐くんが言う。明確な意図があった訳ではないけれど、何となく渡りに舟だと思った。
「う、うん。そうなの。折角だし、ちょっと話相手になってもらえないかな?」
 妙な話の流れになっていた。私は半分、自棄っぱちで言う。
「感染せば治ると思ってるんだ?」
「そ、そんなんじゃないよ」
 冗談めかす祐くんに、私は少しだけ拗ねたフリをして見せた。
 嘘のつけない尻尾が、少し恨めしかった。



 この家のリビングには、もう、あまり良い印象がなかった。
 そんなところでお茶を飲む気にはならず、私は祐くんを自室へと通す。
「紅茶でいいかな?」
「綾さんが飲みたい物でいいよ」
「分かった。適当に座っててね」
 そう言ってキッチンへ向かう。
 余談だけれど、このあたりの小中学校では、女子の名前を呼ぶときには名前に『さん』づけするのが主流だった。越してきた当時は戸惑ったのを憶えている。
 寒々しいキッチンでお湯を沸かし、ティーバッグを入れたカップに注ぐ。蒸らしている間に棚を漁って、数種類のチョコがセットになっている物を発掘した。
 カップと菓子皿を乗せたお盆を持って部屋へ戻ると、祐くんは私の方を一瞥する。それから、
「あんまり物ないね」
「え……?」
「いや、何となく……部屋がさ」
「……あんまりジロジロ見ないでよ」
 何やら少女漫画みたいな遣り取りに気恥ずかしくなりながら、私はベッドにお盆を置いて、その隣に腰を下ろした。
「どうぞ」
「ありがとう」
 勉強机の椅子に座っていた彼は、湯気の上がるカップを受け取ると慌ててそれを机に置く。
「あは。熱かった?」
「……ちょっとね」
「ごめん。代わりにチョコどうぞ」
「じゃあ、遠慮なく」
 何故かお互い、ちょっとだけワザとらしい口調になっていた。
 殆ど同時に小さく噴き出し、祐くんはチョコを一つ口に入れ、私は澄まし顔でカップを口にして、
「熱っ」
 軽く舌を火傷する。
 くふっ、と祐くんが噴き出し、人の不幸を笑うのはよくないよ、と私は拗ねた。笑いながら。
 ようやく紅茶が冷め、祐くんがそれを口にする。
 もしかしたら猫舌だったのかも知れないと思ったが、私も火傷したのだから、単に熱すぎただけなのだろう。
「どう、かな……?」
「ん、美味しいよ。チョコが甘いから、渋めなのがちょうどいい」
 よかった、と安堵するフリをしながら、内心では少し気まずい思いをしていた。渋めに淹れた憶えはないのだ。完全に失敗である。
 話相手になって、と言ったはずなのに、話す事など何もなかった。外にも出ず、リビングにいる事も――つまりテレビを見る事もない私には、話題などない。
 けれど祐くんは促す事も急かす事もなく、黙ってお茶を飲んでいる。オレンジのジャムが入ったチョコが、お気に入りらしい。
 室内には沈黙しかないのに、不思議と私は気まずさを感じていなかった。妙に落ち着いている。
 だからだろうか。またもや私は、考えるより先に行動に出てしまっていた。
「あのさ……学校、どうなってる?」
「……どう、って?」
「その……私の事とか」
 祐くんは少し考えるように黙り、
「心配してる奴も、結構いる」
「……そう」
 どういう心配なんだろう、と猜疑心が顔を覗かせた。
「祐くんは、噂とか聞いてる……よね」
 窺うように上目遣いになると、いつの間にか彼は真剣な表情を向けてきていた。
「まあ……それなりに」
「そっか……」
 変に誤魔化したりしないでくれたのが、少しだけ嬉しかった。
「……うん。やっぱり、離婚するんだって……うちの両親」
「そう……」
「そしたら多分、母親についてく事になる……」
「……そっか」
 再び顔を上げると、目が合った。笑っている訳ではないのに、穏やかに凪いだ表情。
 初めて会ったときから、そうだった。地区児童会の会長として、副会長の彼と行事について打ち合わせているときも、同じような表情でちゃんと話を聞いてくれた。理解しようとしてくれた。
 越して来たばかりで、まだ喋る友達もそれほどいなかった頃に、彼のその態度がとても嬉しかったのを憶えている。
「転校するんだ……神奈川だって。遠いよね」
 笑い話のように私は言う。事実、笑っていた。けれど――そのとき不意に、祐くんの表情が痛ましげなものに変わった。
「……辛いね」
「……え」
 私は半笑いで固まる。心臓に氷片を打ちこまれたようだった。
 自然と耳が後ろへ伏せられる。怖い。顔でも声でも態度でも雰囲気でもなく、私自身ですら目を逸らしているものを引き摺り出されそうな気がして、怖かった。
「悲しいんでしょ……?」
 ビクッと心が怯える。背筋に冷や汗を感じた。
「両親を繋ぎとめる事も出来なかった自分が……」
 祐くんが核心を口にした。その瞬間、私は全身の力が抜けていくような感覚に襲われる。
 怖かった。痛かった。辛かった。悲しかった。そして――
 嬉しかった。
 分かってくれた。分かってくれる人がいた。
 自分自身ですらよく分からなくて、分からないから怖くて、誰にも言えず、目を逸らすために胸の内へ閉じこめていた想いを。
 ポタッ――手の甲に何かが落ちる。
 ポタポタッ――それは続いた。
「ぅ……、……っ…………!」
 口から嗚咽が零れた。俯いて唇を噛み締める。
 祐くんの言う通りだった。私は悲しかったんだ。
 親が離婚してしまう事もそうだが、かつて確かにあった親子三人の温かい風景だとか、それが失われてしまう事だとか、どうしようもない現実の前に無力でしかない自分だとかが。
 子はかすがい、だなんて大嘘だ……!!
 私は何も出来なかったし、何もさせてもらえなかった。両親の興味は私がどちらについていくかだけで、それを切っ掛けに、また言い争いが始まるのだ。
「……ごめん。無神経だった」
 必死で声を殺して泣く私に、祐くんは申し訳なさそうに呟く。
 私は、ただ首を振った。別に彼は悪くない。くすぶっていた正体不明の感情に名前をつけてくれたのだから、むしろ感謝したいくらいだった。
「ご、め……ちょっと……待っ、て。す、ぐっ……泣きやむ――から……!」
 呼吸困難になりかけながら、それでも無理やり笑おうとすると、
 ポン――と頭に手を置かれる。そのまま、ゆっくりと優しく撫でられた。
 祐くんは無言だったけれど、無理しなくていい、と言われた気がした。
「っ――」
 ただでさえ限界だったのに、その上、そんな事をされてしまったら耐えられる訳がない。
 私は目の前に立つ彼の身体に腕を回し、思いきり顔を押しつける。
「ぅ――ぁああああああ……!!」
 そうして、今まで溜めこんできたものを全て吐き出すように泣き叫んだ。



 どれほどの時間、泣いていたのだろう――と過去形で語るのは正しくない。
 いつしか隣へ移動していた祐くんに頭を撫でられながら、私は相変わらず彼の胸に顔をうずめていた。さんざん泣いたのだからそろそろ落ち着いてもいいはずなのに、涙は涸れる事を知らない。
 泣きすぎて叫びすぎて、訳が分からなくなっていた。とつぜん泣きついてしまった申し訳なさと、あられもない姿を見せてしまった恥ずかしさと、それでも腕の中にいると感じる心地よさで頭が真っ白になっている。
 身体に回された腕が弛み、頭の後ろを撫でられた。それに合わせて、私は顔を上げる。
 驚くほどの至近距離で祐くんと目が合った。労るような慈しむような、吸いこまれそうな瞳だ。
 何を思ったか――或いは何も思わなかったからか、私はそのまま顔を近づけていった。少しずつ目を閉じ、唇が重なった瞬間に完全に瞑る。相手がどんな顔をしているか、見る勇気はなかった。
 祐くんは驚いたように身体を硬くしたが、やがて力は抜けていった。
 私はその唇を吸い、弾力と滑らかさに浸るように愛撫する。おそるおそる舌を伸ばすと、その先端が彼の唇に当たった。
「ん……!?」
 驚いたような呻きを洩らす相手の唇を割り、そのまま中へと忍びこませる。にゅるっという感触に私も少し驚いたが、すぐに触れた舌の温かさに溺れた。
「ん、んっ……ふ――ぅ……」
 相手の舌を誘い出すように吸い、自分の舌を絡める。ときおり唇同士の間に出来た隙間から、ちゅっ――くちゅ、という水気を帯びた淫靡な音が洩れた。ザラザラした上に唾液が絡んだ、舌同士が擦れる感触が気持ちいい。
 呼吸が苦しくなって口を離す。唇同士は唾液で繋がったまま呼吸を整え、そのまま彼の首筋に顔をうずめた。
「――っ」
 チロ、と舌先でくすぐると、堪えるような小さな呻きが上がる。ちょっと可愛いと思ってしまい、嗜虐心が刺激される。が――
「っあ……!?」
 お返しとばかりに髪を掻き分けられ、耳を甘く噛まれた。そのまま舌が首筋を下降し、服の上から胸に手を置かれる。
 やっぱり男の子だなぁ、と何となく思った。私も人の事は言えないけれど。
 生物の本能は凄い、と状況も忘れて感心してしまった。誰に教わる訳でもないのに、何故か何となく、やり方は分かるのだ。
 再び唇を合わせる。祐くんは先程よりも積極的に舌を絡めてきた。こんな事をしている上に、絡み合う舌の先程の火傷がジリジリ痛むのすら気持ちいい私は、おかしいのかも知れない。
 トサッと、どちらからともなくベッドに横たわった。私が下。
 祐くんが押し倒したのか、私が引き倒したのかは分からなかった。
「んぅ……?」
 唇を合わせたまま、私の身体が小さく震えた。胸元のボタンが外され、はだけられていく。
「ふぁ……」
 口が解放されたかと思うと、露になった胸に少しひんやりした手が這わされた。そのまま優しく撫でられ、やがてゆっくりと揉みしだかれる。
「んん……っ」
 正直、あまり気持ちよくはなかった。それより、くすぐったさと、誰にも見せた事のない胸を見られている恥ずかしさを堪える方が大変だった。顔が熱く、真っ赤になっているであろう事は想像に難くない。
 口元を手で隠したまま視線を向けると、祐くんが怜悧な笑みを浮かべていた。羞恥心が増し、少しだけ屈辱を感じる。どうも彼はSっ気が強めらしい。
 その顔が下がっていき、胸元にうずめられた。その瞬間、
「――ぅあ!?」
 ビリッと電気が走ったような感じがした。ぬるりとした感触――胸の先端を舌先で舐められたのだ。そのまま口に含まれ、弄ばれる。
「ぁん――ぅ……ぁ」
 強めに吸われたかと思うと、ゆっくりと乳首の周りを回るように舌先で愛撫された。先端に触れられる度に、ビリビリと電気が走る。
「あっ――、や……」
 スルリ、と彼の左手がスカートへ伸びた。それを押さえようとした手が包みこむように握られる。
「ん……」
 唇に軽くキスされているうちにスカートが捲り上げられ、スルリと下着が下ろされた。そこを隠そうとするより早く、彼の手が優しく撫で上げる。
「ひっ、ん――っ!?」
 秘裂を中指の腹でなぞられただけで、ビクンと腰が浮きそうになった。自分の意思とは関係なく反応する身体が、少しだけ怖い。
 そんな私の反応に、祐くんは優しく微笑んだ。スッと、そこに触れていた手が離れていく。
「やめないで……!」
 咄嗟に私は、彼の頭を抱き寄せた。溺れているときに間近に投げられた浮輪に掴まるように、きつく抱きしめた。
「今だけ……ごめん、今だけ……」
 ボロボロと、一時的に収まっていた涙が再び溢れ始める。それが、触れ合った部分を伝って彼の頬に流れた。
 祐くんは、また優しく頭を撫でてくれた。少しだけ身体を離すと私の方を向き、
「分かった……」
 唇を頬に触れさせると、そこを流れる涙を吸う。本当にいいのか、なんて野暮な事は訊かなかった。
 カチャリ、と金属音。ベルトを外しているのだと気づき、緊張と羞恥で私は目を逸らす。
 頭を撫でていた手が頬へと移り、視線を向けると安心させるように祐くんが笑っていた。そのまま唇が重ねられる。もしかしたら、彼はキス魔なのかも知れない。
 私も嫌いではなかったので、そのまま溶け合うように舌を絡ませ、唾液を飲みこむ。
「んぁ――!」
 その状態で再び秘裂をなぞられ、濡れ具合を確認するように、クチュクチュと掻き回された。腰が跳ね、思わず喘ぎ声が洩れる。
「……いくよ?」
 耳元で囁かれるのと共に、下腹部に当たっていた硬いモノがそこへ宛がわれた。硬くて熱い。
 小さな不安を押し殺しながら、私は頷く。痛みに備えてギュッと目を瞑った。
 グッ、と力が籠もる。圧迫感と共に、秘唇が押し広げられるのが分かった。私から溢れ出したものが潤滑材になって粘膜同士が触れ合う感触だけで、言葉に出来ないような、痺れにも似た快感がそこを中心に広がっていく。
「大丈夫……だから」
 私は少しだけ目を開けた。
「来て……」
 祐くんは労るように何処か遠慮がちな態度だったが、その言葉で覚悟を決めたらしい。コクンと頷いた次の瞬間、
「んんっ――あぁ……!」
 一気に彼が私の中に入ってきた。ブチブチといった感じの鈍い感触。
 ジリジリとした痛みとも熱ともいえないものが、下腹部に居座っている。けれど、それは想像していたよりは痛くなかった。それよりも自分の中にある彼の存在に、えもいわれぬ満足感と充実感と幸福感があった。
「……大丈夫?」
 それでも緊張から解放された私が肩で息をしていると、祐くんは心配そうに覗きこんできた。
「ん……思ったより平気。でも、暫くこのままでいてほしいかな」
 繋がった状態で変に冷静なのが、酷く気恥ずかしい。私は目を逸らして、
「あと……あんまり見ないでほしい」
「ふうん……可愛いのに」
 何気なく呟かれた言葉で、ただでさえ赤い顔が更に赤くなるのが分かった。視線を戻すと、彼は先程と同じ、Sっ気を滲ませた笑みを浮かべている。
「……いじわる!」
 拗ねたように睨むと、
「ごめん」
 大して反省もしていなさそうな顔で、祐くんは私に覆いかぶさってきた。そのまま抱きしめられる。
 彼はいつの間にか上も脱いでおり、結合部だけではなく、お腹から胸から全部素肌で触れ合っていた。伝わってくる温もりが心地よく、痛みも引いていくようだった。
 けれど――
 実は、もう、その痛みも殆ど収まっていたのだが。
 だから――
「――おしおきっ!」
 相手が反応するより早く、ゴロンと転がって上下を入れ替える。
 驚いた顔で私を抱きしめる彼に、至近距離で笑いかけた。唇に小さくキス。それから身体を離して相手の胸に手を置き、腰を浮かせる。
「ん……あっ――!」
 膣壁と彼の突起が擦れる感触だけで、その場に崩れ落ちてしまいそうになった。けれど、それを必死で堪える。さっきからずっと彼に慰められてばかりだったのだから、少しくらいはお返しをしたかった。
 快感に顔を歪ませながら、腰を上下する。ぐちゅっ……じゅぷっ、という粘るような卑猥な水音が羞恥を高め、身体が熱くなってきた。
「ん……ふ、っ――!」
 小さな呻きに目を向けると、私の下で祐くんも快感に耐えるような顔をしていた。
 よかった、と思う。一方通行で、されるだけなのは嫌だった。私が欲しかったのは、同情でも憐憫でもなかったはずなのだから。
 お互いに慣れてきて、祐くんは下から突き上げ、私は彼のモノをきつく締めつける。
「あっ――ん、は……ぁ……!」
 そのまま互いに動き続けていると、少しずつ何か波のような感覚が押し寄せるように近づいてくるのが分かった。けれど私は疲れ始めていて、その波が一定以上に近づいてくる事はない。
 それが分かったのか、祐くんはゆっくりと上体を起こした。突き上げながら私を抱き寄せ、唇を合わせて舌を愛撫してきた。
 波が近づく。
 そうして一度動きを止めると、ゴロンと先程とは逆に転がる。
「無理しなくていいよ」
 再び腰を動かしながら私に覆いかぶさり、深く舌を絡めてきた。
「んっ、んんっ――ふ、ぅあ……!」
 グチュグチュ、ちゅく――ちゅる、と下からも上からも粘性を帯びた水音が聞こえる。耳からというより頭の中で響いているようだった。それが完全に思考を奪い去り、私はくねらせるように腰を浮かせていた。
 祐くんの動きが速くなる。それにつれて、私の口から洩れる喘ぎ声も、断続的な悲鳴のようになってきていた。咄嗟に枕に手を伸ばし、同時に彼の腰に脚を巻きつけた。
「ちょっ、中は――!」
「大っ――丈、夫……んっ、わた――しっ、魔物っ……ふぁ、だから――!」
 少しだけ笑って、けれど限界を感じた私は慌てて枕を口に押し当てた。
「ふ――ぅあっ、ぁあああああんっ!!」
 ビクビクッと仰け反るように身体が震え、絶叫が枕に吸いこまれていった。同時に祐くんも一番深いところで動きを止め、何度か身体を震わせながら荒い息をついていた。吐き出された液体が、私のお腹の奥に当たっていた。



 片づけをしている間は、ふだん家にいるときとは別種の地獄を味わった。
 妙に気まずくて、言葉を発するのも躊躇われて、何より相手が何を思っているのかが怖かった。何せ冷静になってみれば、私のした事は逆レイプみたいなものなのだ。
 途中から合意っぽくなっていた気もするが、それは祐くんの優しさだと私は思う。全部わかった上で、それでも相手のために流されてあげる優しさというものもあるんじゃないだろうか。
 それが良いか悪いかは別として、少なくとも私が救われたのは事実だった。
 まともに相手の顔を見る事も出来ないまま、玄関まで彼を送る。靴を履き、ドアを開け、
「えっと、じゃあ……ごちそうさま」
「えっ!?」
「あっ、いや――紅茶! と、チョコ」
「あ、ああ……そっかそっか」
 無意識にその話題は避けてしまうくせに、下手に余韻だけ残っているせいで、二人して変に思考がテンパっていた。お互いに目を逸らし、
「……じゃ」
 と言って祐くんが背中を向けた。
 ゆっくりとドアが閉まる。その隙間がなくなる直前、一度だけ振り向いた彼と目が合った。
 その瞬間、私は反射的に飛び出していた。サンダルをつっかけ、押し退けるようにドアを開ける。バン、と思いのほか大きな音がして、数歩先で驚いたように祐くんは振り返っていた。
「あ……、あのっ」
「……何?」
「えと、その……ごめん!」
 勢いよく私は頭を下げる。
「あんな事して……ごめん。嫌だったよね……」
 ふぅ、と祐くんは、少しだけ苛立ったように息を吐いた。
「……嫌だったら、してない」
「え……?」
 顔を上げると、彼は照れ隠しのようにそっぽを向いていた。私がよほど物問いたげな顔をしていたのか、気圧されたように後退る。
「……何でもない!」
 いたたまれなくなったのか、ぶっきらぼうに言って踵を返した。
「またね」
「あ……うん」
 階段前で軽く手を上げた彼に、私も手を振り返す。その姿が見えなくなっても、そういう人形であるかのように手を振り続けていた。
 ごめんね……また≠ヘ、ないんだ……。
 一ヶ月以上も出られなかった外に自分がいる事には、家に入るときに気づいた。



 正式な離婚を前に、両親は別居する事になっていた。
 私は母について神奈川へ。
 受験もあるのだから、いっそ完全に環境を変えてしまった方がいいかもしれない――それが母の言い分だった。
 確かに、この町にいる限り私は学校へは行かないかもしれない。けれど、引っ越した先で順応できなければ同じ事ではないだろうか。半端な時期の転校は訳あり、という事くらい誰でも想像がつくだろう。そうなれば、また根掘り葉掘り訊かれる日々が待っているかも知れないのだから。
 けれど――
 今なら、そうはならないかも知れないと考える事が出来る気がした。


 かつては自分の足で歩いていたはずの見慣れた道に、懐かしさを感じていた。
 制限速度を少し超えた車の中から、私はそれを眺めている。
 開け放たれた後部座席の窓から入ってくる風が、髪をなびかせた。その毛先にくすぐられ、堪らず耳を伏せる。
 ぼんやりと流れる風景を眺めている視界の端に、不意に彼の家を捉えた。つい先日の事が思い出される。
 正直に言うと、何であんな事をしたのか、未だによく分かっていなかった。私だって、初めては好きな人と、と思うくらいには乙女なのだ。
 なら、私は彼を好きだったんだろうか。
 これも、よく分からなかった。嫌っていない事だけは確かなのだが。
 おそらく、それを確かめる機会は、もうないだろう。
 私の想いは答えが出ないまま、この町に置き去りにされ、風景と共に遠ざかっていく。
 それでも、彼の事だけは一生忘れないと思った。
 私の悲しみに気づいてくれた人。
 窓枠へ頬杖をついて、消えていく彼の家に視線だけを向け、声には出さずに口の中だけで呟いた。
 ばいばい……。
 ありがとう、なんて言ったら泣いてしまいそうだったから、何でもない、いくらでもある別れの一つに過ぎないんだと、私は必死で自分を偽った。
11/08/07 15:49更新 / azure

■作者メッセージ
 久々にエッチい話……にならなかったorz 本作の微エロは微(妙に)エロ(くない)の略です、多分。
 ひねくれ者な上に厨二病なもので、すぐにシリアスぶりたがる癖があるのです。治したいとは思ってるんですけどね……困ったもんだ(他人事か)。
 ……ていうか魔物娘である必要性が皆無だ、この話。
 エロありきで、先にストーリーだけ思いついてしまったせいです。
 一応、群で暮らす→一人では生きられない→孤独に耐えきれず男を引き摺りこむ(失礼)という無理やりな連想をして、いちばん単純にそれに合致したワーウルフになったのですが。
 ワーウルフ好きな方、すみません。

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