夜は淡々と更けていた。
　あたりには虫の声もあるのだろうが、洞窟内には荒い息遣いだけが響いている。リーズが熱に浮かされているのだ。
　幸いにも、旅の医者は優秀だった。
　運良く残っていた魔物狩りの吹き矢を調べると、すぐにそれが広く流通している珍しくもない毒だと看破した。そして薬箱から、その解毒剤を取り出して見せたのだ。
　この程度は常備している、と常識のように言っていたが、勿論それは医者としての常識なのだろう。普通の家や、ましてや森に住む魔物の家に解毒剤などがある訳もない。
　そう言うと彼女は舌打ちして、山野でも手に入る解毒草の種類と特徴――そして解毒剤の作り方などを紙に書き出し、投げつけてきた。
　親切ではあるが態度が悪い。まあ、アタシも他人の事は言えないが。


　一通りの処置が終わると、医者である魔女と助手であるユニコーンに付き添われて、アタシは洞窟へ戻ってきた。ユニコーンは助手歴が長いからか、背中に乗せた患者に振動を伝えないような器用な歩き方が出来るらしい。
　治療の対価は一晩の宿。といっても屋根さえあればいいとの事だったので、アタシにとっては易いものだった。ただの洞窟である事も伝えたが、構わないと言われた。
　解毒といっても、薬を飲ませてハイ終わり、という訳にはいかないらしい。身体が毒素を排出しようとする反動で熱が出るのだそうだ。
　アタシは横になっているリーズの傍らに腰を下ろし、川で汲んできた冷たい水で濡らした手拭いで汗を拭いてやったり、額を冷やしてやったりしていた。幼い顔を苦痛に歪ませてうなされている彼を見ていると、こちらまで得体の知れない痛みに襲われるような錯覚を覚える。
　縋るように伸ばされる手を握ってやると少しだけ表情が和らいで見えるのは、痛々しい状況を直視していたくないというアタシの弱さが、そうであってほしいと願望するが故だろうか。
「あまり無理をなさらないでください、アシュレイさん」
　よほど鬼気迫って見えたのか、とうとうアタシまで心配されてしまった。
「大丈夫だ……無茶はしねえよ」
　それで自分まで倒れてしまっては、リーズが責任を感じるだろう。そんな必要などないのに、だ。
　責任感が強いのは結構だが、背負う必要のないものにまで手を伸ばすのは、英雄を気取って浸っていたいだけの馬鹿だとアタシは思う。
「放っておけ」
　少し離れたところで寝袋にくるまっている魔女が言った。
「苦しんでいる患者を前に、どれほど些細でも出来る事があるという状況は、それだけで家族にとっては救いになるものだ」
「よく分かってんじゃねーか」
　内心で感謝しながら茶化してやると、彼女は、ふん、と鼻を鳴らして苦笑した。
「舐めるな。私はこれでも、お前の年齢よりも長く医者をやっているんだぞ？」
「そりゃ失礼」
　肩を竦めて、アタシは再びリーズの汗を拭ってやった。


　そうして結局、一晩中起きていた。
　空が白み始める頃にはリーズの寝息も穏やかになり、顔の赤みも引いてきた。
「もう大丈夫だ」
　彼を診察しながら欠伸を噛み殺し、魔女が言う。どうやら彼女も、何だかんだ言って起きていたらしい。
「良かったですね」
　川へ水を汲み直しに行っていたユニコーンが、微笑を浮かべて我が事のように喜んでくれた。それが自分でも、意外な程に嬉しい。
　多分この二人が対価として一夜の宿を求めたのは、夜通しリーズについているためだったのだろう。
「ありがとな……」
　不器用ながらも万感の思いを籠めて礼を言うが、魔女には鼻で笑われた。
「無用だ。私は私の倫理に基づいて、私がすべきと自らに定めた事をしたまでだ。対価も既に得ている――これ以上は要らん」
　そうして彼女は、さっさと背を向ける。これが照れからツンケンした態度を取っているなら可愛げもあるが、どうも彼女は本心からそう思っているらしかった。
　なんて面倒くさい女だ。
　アタシの内心を察したのか、ユニコーンは困ったような愛想笑いを浮かべている。
「小僧の方も、もう心配は要らん。そのまま寝かせておいて、目が覚めたときには回復しているだろう。体力が落ちているから、何か消化のいいものでも作ってやれ」
　そうして魔女は、念のためと言って解毒剤の小袋を投げて寄越すと、ユニコーンの背に乗って去って行ってしまった。


　正直、食事をする気分ではなかった。
　一人でする食事を味気ないと感じてしまう自分を、もう否定するつもりもない。それでもリーズが目覚めたときに、やつれた顔などを見せる訳にもいかなかった。
　アタシは干し肉を口に運びながら、ようやく安らかになったリーズの寝顔を感慨深い思いで眺めていた。
　思えば、そう長くもない時間の中で、彼もアタシも随分と変わった。
　おどおどビクビクしていたリーズは、いつしか森中を駆け回るようになり、暴漢から女の子を庇う程になった。アタシは、そんな彼との生活を自然に受け入れ、楽しんですらいる。自分の自由が目減りする事への反感も、殆どなくなっていた。
「やれやれ……」
　薬湯を作る際に沸かした湯の残り――今は冷めて生温くなってしまったそれを、一気に飲み干す。息を吐いて、入口のところで中を窺っている小さな影に視線を向けた。
「入って来いよ」
　苦笑しながら呼びかけると、影はビクッと震える。小娘だ。隠れていたつもりらしい。
　手招きしてやると、彼女はおそるおそる近づいてきた。
「……リーズは？」
「夕べ、ちょっと熱出してたけど、もう大丈夫だとさ」
「寝てる……？」
「ああ。このまま寝かせて、目が覚めたときには治ってるってよ」
　良かった、と彼女は心底安心したように、胸を撫で下ろした。
「お前の方の怪我は大した事なかったのか？」
　小娘の二の腕には白い包帯が巻かれている。これも、あの魔女の手当てだ。
「うん……」
「そっか」
　幸いにも、彼女を掠めた矢には毒は塗られていなかったようだ。
　そんなアタシの安心を他所に、突然、小娘は頭を下げた。
「ごめんなさい！」
「……あ？」
「リーズの怪我……わたしのせいなの」
　聞けば、あそこへリーズを連れていったのが、そもそも彼女であるらしい。
「何だ？　押し倒そうとでも思ったのか？」
　何気なく聞いた瞬間、音が聞こえそうな勢いで彼女の顔が赤くなる。次いで、入口のあたりから飛んで来た何かがアタシの顔面を直撃した。
「お前は！　子供に何を訊いてるんだ!?　馬鹿なのか!!」
「……ガキに自分の責任を分からせるために一人で詫び入れに行かせておきながら、こっそり後ついてくるお前も相当な馬鹿だと思うけどな」
　肩を怒らせている親馬鹿ワーウルフに、アタシは嘆息して見せる。投げつけられた物に視線を落とすと、どうやらパンの詰まった袋らしい。
「あと、仮にも詫びの品を投げんな」
　どいつもこいつも、とアタシはそれを横へ置く。
「怪我に関しちゃ、お互い様だろ？　程度の差なんか気にすんな。単に運が悪かっただけだ……お前が毒を受ける可能性だって、同じくらいはあったはずだしな」
　涙ぐんで俯いている小娘の頭を、ガシガシと少し荒っぽく撫でてやる。
「そんな顔すんな。申し訳なく思うくらいなら、これからも今まで通り、こいつと遊んでやれ。多分、その方が喜ぶ」
　相手の目を見てアタシが言うと、彼女も力強く頷いて見せた。
「……お前も変わったな」
　そんなアタシを見ていた親馬鹿が、しみじみと言う。
「いい意味で角が取れた感じだ」
「お前にゃ言われたくないけどな」
　昔は本気で殴り合った相手に、アタシはニッと不敵な笑みを浮かべて見せた。



　ワーウルフの親子が帰って、ようやくあたりは静かになった。
　結局一睡もしなかったアタシは、流石にそろそろ限界を迎えようとしていた。
　大きく欠伸をして、リーズの隣に寝転がる。
　最近は、もう、こうして寝るのが当たり前になっていた。いつものように胸のあたりを、軽くポンポンと叩いてやる。
「ん……」
　小さく声を洩らし、リーズが身じろいだ。ゆっくりと目を開け暫くぼんやりした後、ぎこちなく首を捻ってアタシの方を向く。
「よ……おはよう。目ぇ覚めたか？」
「ん……ぅん……」
　はっきりしない返事に、アタシは苦笑を洩らす。
「まだ、ぼーっとしてんな……どうする？　飯にするか？」
　既にスープの用意は出来ていた。見舞いにもらったパンも、浸して食べれば胃への負担も少ないだろう。
「……まだ、いい」
「もう少し寝るか？」
　リーズは小さく頷いた。そのまま沈黙したかと思えば、
「あのね……あ、アシュレイ」
「ん？」
　返事をしながら、ふと思う。彼がアタシの名前を呼んだのは初めてかも知れない。
「初めはね……アシュレイの事、ちょっと怖かった」
　まあ、そうだろう。親魔物国であっても、全ての魔物が友好的だと思われている訳ではないのだし。
「でもね……」僅かに逡巡してから言う。「今は大好き……」
「…………」
　正直、どう答えればいいのか悩んだ。その間にリーズは、いつものようにキュッとくっついてくる。恥ずかしいのか、顔は隠していた。それを見て、アタシはフッと気が楽になる。
「……まあ、アタシも結構お前を気に入ってるよ」
　だから、と続け――
「好きなだけ、ここにいろ」
　そう言うと、リーズが小さく息を吐いた。笑ったらしい。
「ずっといる」
「ずっとかよ……」
　アタシも笑って、汗で少し湿った彼の髪を優しく撫でてやった。

■作者メッセージ
　　　○月○日　天気：起きたら確かめる　気分：死ぬほど眠い

　何か思い出すと色々こっ恥ずかしいこと言った気がするけど、まあいいや。
　多分、アタシは負けたんだ。何にかは分からねーけど、もう諦める。
　リーズと生きていく。
　しっかし、腹減ったなぁ……。

　……あと、名前呼ばれるのって意外と悪くねえ