大切なもの
「行ってきまーす」
「おう。気ぃつけてな」
最近、そんな遣り取りが増えてきた気がする。
相変わらずリーズの押しつけ――いや、引き取り先は決まらないが、その間に彼の行動範囲は随分と広がっているようだった。
このまま、出かけた先で彼を引き取りたいという奇特な人間が現れたりしてくれないかと思いつつも、アタシの方も最近は彼の性格が分かってきていた。
元の育ちがいいからなのか、リーズは妙に礼儀正しくて、無駄に義理堅い。
仮に出先で誰かに会っても、彼は自分が孤児だとは言わないような気がしていた。ここが家で、アタシが家族だと思っているような節があるのだ。
その事をどう受け止めればいいのか、実はアタシもよく分からないでいた。
鬱陶しいとか迷惑だとかいうのは勿論あるし、それは初めから今に至るまで変わっていないはずなのだが、どうも最近は、そう言いきる事に違和感というか、しこりのようなものを感じていた。
「まさか、だよな……」
そう。アタシに限って、ありえないと思う。
アタシは何より自分が思う通りに生きる事を望んでいたし、それを妨げるような奴が大っ嫌いだった。そして現実にアタシの自由を侵害しているリーズの存在も、そこに当て嵌まるはずなのだ。
「う〜……」
自分でも訳が分からない状況に、頭を抱える。不貞寝でもしたいところだが、リーズが夜中に隣に潜りこんでくるようになって以降、やたら快眠続きなせいで、それも無理そうだった。
こういうときに相談に乗ってくれそうな相手には一人だけ心当たりがあったが、このところの彼女は、アタシと会うと機嫌が悪くなるのだ。
やはり、頭突きがよくなかったのだろうか。
太陽が一番高くなる時間帯になると、何処からともなくリーズは帰ってくる。
今日も、そうだった。
「ただいまー」
「お帰り――っつーか、いっつも飯の時間になるとキッチリ帰ってくるな、お前」
昼食にせよ夕食にせよそうなので、常々不思議に思っていたのだが――
「だって、ちゃんと帰って来ないと全部食べられちゃうもん」
生存本能だった。
「……人を大食らいみたいに」
確かに自分で調達した食材を無駄にはしたくないので、作った物は全部食べるようにはしているのだが。
「ん?」
そこで、ふと気づく。帰ってきたリーズは一人ではなく、その背後に連れがいるようだった。
短い髪に大きな三角の耳。スラリとした手足には獣毛が生え、腰の後ろにはフサフサした尻尾が揺れている。
ワーウルフだ。外見的には、リーズとそう変わらない感じだった。
「何だ、友達か?」
ワーウルフたちが棲んでいるのは、大雑把に言うとドリアードの木を挟んだほぼ真逆の方向だ。
「お前、そんなとこまで遊びに行ってんのか」
行動範囲が広がっているとは思っていたが、そこまでとは思わなかった。
感心するアタシに、リーズは自慢げに頷く。
「他にも、フェアリーたちに踊りを教わったり、アルラウネのお姉さんに花冠の作り方教わったりしたよ。ほら」
そう言って彼は、その成果である花冠を差し出して見せた。
「へえ……結構よく出来てんじゃねーか」
褒めてやると嬉しそうに笑い、
「あげる!」
「ああ? こんなもんアタシがもらって、どーすんだよ。似合いやしねえ――」
「そんな事ないよ!」
何故かリーズはムキになって、アタシの頭に無理やり花冠を乗せた。
「ほら、綺麗」
「……そりゃ、どーも」
正直、何かの嫌みかと思った。あるいは価値観の相違か。
人間の美的感覚はよく分からねえ、と内心でボヤき、アタシは焼いている肉に乾燥させて細かくした香草を振りかける。後ろのワーウルフが嫉妬じみた視線をこっちに向けているのは、つまり、そういう事なのだろうか。
何やら女たらし方面に育っているリーズの将来が、少しだけ心配になった。
ワーウルフの小娘も含めた三人での昼食が終わると、二人は再び何処かへ遊びに行った。
何でも、午後は他のワーウルフたちと、みんなで追いかけっこをするらしい。
人間であるリーズが不利なような気もするが、聞けば彼は逃げ方が上手いのだそうだ。巧みに障害物を利用して逃げるのでなかなか捕まらず、参加者は楽しんでいるとの事だった。
しかし、逆に彼が追いかける側になったときは、どうするのだろうか。流石にワーウルフを捕まえるのは無理だろう。人間らしく待ち伏せたり、罠を張ったりするのだろうか。罠にかかって、足に巻きついた縄で木の枝から吊り下げられている仔ワーウルフを想像すると、何ともいえない気分になるが。
そうして、やがて陽は傾き、あたりは夕焼けに染まっていた。
見慣れていない者には綺麗と感じられる景色だろうが、ほぼ毎日目にしているアタシは、赤い世界にも特段の感慨はなかった。むしろ明日も良く晴れるだろうという予感に、うんざりとすらする。
「そろそろ夕飯の準備でもすっかね……」
森で採ってきた果実を天日で乾燥させた物を一つ口に放りこみ、アタシは立ち上がった。
外へ出たところで、ふと足音が近づいてくるのに気づく。リーズが帰ってきたのかと視線を遣るが、現れたのは顔見知りのワーウルフだった。無論、昼間の小娘ではない。
「よう。珍しいとこで会うな」
アタシは軽く手を上げて挨拶するが、彼女は何やら余裕のない顔をしている。
「アシュレイ。うちの娘を見なかったか?」
「娘? お前のかどうかは知らねーが、ワーウルフの小娘ならリーズが昼飯のときに連れて来たぞ?」
余談だが、アタシが人間のガキを世話している事は、既に森中に知れ渡っている。
「午後は他の小娘どもと追いかけっこをするっつって、飯食ったら出てったけど」
「その子たちには、もう聞いたんだ。途中でかくれんぼとかいう遊びに変わってから、うちの娘とリーズが見つからないらしい」
ワーウルフの鼻から逃げきったのか、あいつは――などと感心している場合ではないのだろう。
「……何処かで押し倒されてでもいんじゃねーのか? 小っせえナリでやるな、お前の娘」
「ふざけている場合か!」
わーってるよ、と手を振りながらアタシは立ち上がる。
「お前はフェアリーどもに話を聞きに行け。午前中にリーズが遊んでもらってたらしい。アタシはアルラウネんとこ行ってみる」
何かリーズが興味を持つような話をしていたとしたら、途中で抜け出す可能性もあるだろう。
分かった、と頷いて彼女は駆け去っていった。
しかし残念ながら、アルラウネもリーズの行方には心当たりがないらしい。
「まったく……」
いったい彼は、何処をほっつき歩いているのか。
これが人間社会だったら、他所様の娘さんを遅くまで連れ歩いて、と、こっぴどく叱られる事だろう。
茂みを掻き分け、街道方面へと向かう。風による葉擦れとは違う音に足を止めると、横合いから小さな影が飛び出してきた。
「うおっと」
激突を避けるために身を躱しつつ、伸ばした腕で抱きとめる。
「あれ? お前……」
フサフサした感触に目を向けると、それは昼間リーズが連れてきた小娘だった。酷く息を切らし、顔色は蒼白だ。
「た……助けて」消え入りそうな声で彼女は言う。「リーズを助けて!」
そこでようやく、アタシは彼女の身体を支える手に血のヌメりがある事に気づく。
「何があった?」
落ち着かせるように背中を撫でてやりながら、殊更ゆっくりとした口調で訊く。すると彼女も息を整え、事情を話し始めた。
要約すると、かくれんぼの最中に彼女が魔物狩りの連中に見つかってしまい、リーズは彼女を逃がすために囮になったという事らしい。
魔物狩りというのは、反魔物国の賞金稼ぎのようなものである。狩られる事が分かっている彼らの国の魔物は巧妙に姿を隠しているため、容易に見つかる親魔物国側に侵入して魔物を狩り、それを持ち返って金に換えるのだ。
「んで、お前は大丈夫なのか?」
「……かすっただけだから」
そか、とアタシは頷く。彼女に大事があっては、囮になったリーズの立つ瀬がない。
「んじゃ、案内頼むわ」
小娘は頷いて、先に立って走り始めた。
街道は既に薄暗くなっており、手持ちのランプの明かりがいくつか見えた。
その周りには、数人の男たちの影。そこにまとわりつく小さな影が一つ。
「返せよ……!」
それは紛れもなくリーズの声だった。珍しく荒っぽい命令口調だ。
煩え、という怒鳴り声と共に、彼の身体は乱暴に蹴飛ばされる。小さな身体は地面を転がり、苦しげに咳きこんだ。
「……返、せ。母さんの指輪……!」
その言葉に、アタシは視線を男へ転じる。彼はせせら笑いながら、指先に引っかけた細い鎖をクルクルと回していた。
「リーズ!!」
もう立ち上がる事も出来ない彼の姿に、隣にいた小娘が飛び出す。
止める間もなかった――が、それ以前に止めるつもりもなかった。それより先に、アタシの頭の中で何かが切れるような音がしたからだ。
無言のまま下草を蹴散らすように進み、街道へ飛び出すと同時に不意討ちで相手の首に回し蹴りを叩きこむ。手加減するという考えは頭になかった。伝わってきた鈍い感触が、相手の首が折れた事を証明している。
彼が取り落とした指輪を空中で掴み取り、アタシは男たちへ向き直った。
「……手前ぇら、この森で好き勝手やって怪我で済むと思うなよ」
男たちは初めこそ怯んだ様子を見せたが、すぐに数の有利を思い出したかニヤけた顔を見せる。
「オーガか……けっこう大物だな」
「さっきのワーウルフのガキもいるな」
欲望丸出しの下卑た顔は吐き気を催す程だったが、今のアタシにとっては認識の外だった。森で好き勝手された事もそうだが、蹲っているリーズを見ていると、どういう訳か穏やかな気分ではいられない。
「ましてや、こいつに手ぇ出した以上……生きて帰れると思うな!」
その瞬間、アタシの周りに魔力が渦を巻く。それが右の拳へ集まって行くのを見て男たちが色めき立つが、
「遅ぇ!!」
鋭く左脚を踏み出すと同時に、腰だめに構えていた右拳を突き出した。狙いは男たちの足元。
放たれた魔力の塊は土砂を押し上げるように膨れ上がり、男たちを一人残らず吹き飛ばした。風で粉塵が流れた後には、もう動くものはない。
轟音を聞きつけたのか、アタシたちが来たのとは違う方向から足音が近づいてきた。茂みの中から現れたのは、夕方のワーウルフ――小娘の母親だ。
「アシュレイ!」
「……悪ぃな。お前の娘に怪我させちまったらしい」
一瞥すると、当の小娘は割と元気そうだった。二の腕に矢が掠めたような傷があるが、既に血は止まり、かさぶたになり始めている。が――
「リーズ! リーズ!!」
代わりに彼女は、青白い顔でリーズの身体を揺り動かしていた。
「……これはいかん」母親がしゃがみこんで、彼の顔を覗きこむ。「毒を受けている」
先程までは蹲っていた彼は、今はもう意識を失くしているようだった。
「吹き矢みたいなので……」
小娘の言葉を聞きながら、母親が腕に刺さっていた針を抜く。傷口に唇をあてがい、血と共に毒を吸い出した。
その間にアタシは腰布の裾を細く裂いて、傷の上――心臓に近い位置を縛る。しかし、
「どうする!? 町まで連れて行っている余裕はないぞ!」
確かに、ワーウルフの彼女が全力で走ったところで半刻はかかる。毒を受けたリーズを動かす事は避けたいので医者の方を連れてくる事になるが、、往復の時間を考えれば毒のまわる方が早いだろう。
ドリアードやアルラウネに訊けば解毒草の生えている場所くらいは教えてくれるだろうが、そもそも毒の種類が分からないのでは意味がなかった。
どうすればいい――自問しても答えは出ない。駄目もとで解毒草を飲ませるべきか。
そのとき――
「困っているようだな」
幼さを感じさせる甲高い声とともに、後方――やや離れた所から足音が聞こえてきた。
「私は医者だが……何なら相談に乗ってやろうか?」
振り向いた先――ユニコーンの背に乗っていた旅装の魔女が、つまらなそうに、ふん、と鼻を鳴らした。
「おう。気ぃつけてな」
最近、そんな遣り取りが増えてきた気がする。
相変わらずリーズの押しつけ――いや、引き取り先は決まらないが、その間に彼の行動範囲は随分と広がっているようだった。
このまま、出かけた先で彼を引き取りたいという奇特な人間が現れたりしてくれないかと思いつつも、アタシの方も最近は彼の性格が分かってきていた。
元の育ちがいいからなのか、リーズは妙に礼儀正しくて、無駄に義理堅い。
仮に出先で誰かに会っても、彼は自分が孤児だとは言わないような気がしていた。ここが家で、アタシが家族だと思っているような節があるのだ。
その事をどう受け止めればいいのか、実はアタシもよく分からないでいた。
鬱陶しいとか迷惑だとかいうのは勿論あるし、それは初めから今に至るまで変わっていないはずなのだが、どうも最近は、そう言いきる事に違和感というか、しこりのようなものを感じていた。
「まさか、だよな……」
そう。アタシに限って、ありえないと思う。
アタシは何より自分が思う通りに生きる事を望んでいたし、それを妨げるような奴が大っ嫌いだった。そして現実にアタシの自由を侵害しているリーズの存在も、そこに当て嵌まるはずなのだ。
「う〜……」
自分でも訳が分からない状況に、頭を抱える。不貞寝でもしたいところだが、リーズが夜中に隣に潜りこんでくるようになって以降、やたら快眠続きなせいで、それも無理そうだった。
こういうときに相談に乗ってくれそうな相手には一人だけ心当たりがあったが、このところの彼女は、アタシと会うと機嫌が悪くなるのだ。
やはり、頭突きがよくなかったのだろうか。
太陽が一番高くなる時間帯になると、何処からともなくリーズは帰ってくる。
今日も、そうだった。
「ただいまー」
「お帰り――っつーか、いっつも飯の時間になるとキッチリ帰ってくるな、お前」
昼食にせよ夕食にせよそうなので、常々不思議に思っていたのだが――
「だって、ちゃんと帰って来ないと全部食べられちゃうもん」
生存本能だった。
「……人を大食らいみたいに」
確かに自分で調達した食材を無駄にはしたくないので、作った物は全部食べるようにはしているのだが。
「ん?」
そこで、ふと気づく。帰ってきたリーズは一人ではなく、その背後に連れがいるようだった。
短い髪に大きな三角の耳。スラリとした手足には獣毛が生え、腰の後ろにはフサフサした尻尾が揺れている。
ワーウルフだ。外見的には、リーズとそう変わらない感じだった。
「何だ、友達か?」
ワーウルフたちが棲んでいるのは、大雑把に言うとドリアードの木を挟んだほぼ真逆の方向だ。
「お前、そんなとこまで遊びに行ってんのか」
行動範囲が広がっているとは思っていたが、そこまでとは思わなかった。
感心するアタシに、リーズは自慢げに頷く。
「他にも、フェアリーたちに踊りを教わったり、アルラウネのお姉さんに花冠の作り方教わったりしたよ。ほら」
そう言って彼は、その成果である花冠を差し出して見せた。
「へえ……結構よく出来てんじゃねーか」
褒めてやると嬉しそうに笑い、
「あげる!」
「ああ? こんなもんアタシがもらって、どーすんだよ。似合いやしねえ――」
「そんな事ないよ!」
何故かリーズはムキになって、アタシの頭に無理やり花冠を乗せた。
「ほら、綺麗」
「……そりゃ、どーも」
正直、何かの嫌みかと思った。あるいは価値観の相違か。
人間の美的感覚はよく分からねえ、と内心でボヤき、アタシは焼いている肉に乾燥させて細かくした香草を振りかける。後ろのワーウルフが嫉妬じみた視線をこっちに向けているのは、つまり、そういう事なのだろうか。
何やら女たらし方面に育っているリーズの将来が、少しだけ心配になった。
ワーウルフの小娘も含めた三人での昼食が終わると、二人は再び何処かへ遊びに行った。
何でも、午後は他のワーウルフたちと、みんなで追いかけっこをするらしい。
人間であるリーズが不利なような気もするが、聞けば彼は逃げ方が上手いのだそうだ。巧みに障害物を利用して逃げるのでなかなか捕まらず、参加者は楽しんでいるとの事だった。
しかし、逆に彼が追いかける側になったときは、どうするのだろうか。流石にワーウルフを捕まえるのは無理だろう。人間らしく待ち伏せたり、罠を張ったりするのだろうか。罠にかかって、足に巻きついた縄で木の枝から吊り下げられている仔ワーウルフを想像すると、何ともいえない気分になるが。
そうして、やがて陽は傾き、あたりは夕焼けに染まっていた。
見慣れていない者には綺麗と感じられる景色だろうが、ほぼ毎日目にしているアタシは、赤い世界にも特段の感慨はなかった。むしろ明日も良く晴れるだろうという予感に、うんざりとすらする。
「そろそろ夕飯の準備でもすっかね……」
森で採ってきた果実を天日で乾燥させた物を一つ口に放りこみ、アタシは立ち上がった。
外へ出たところで、ふと足音が近づいてくるのに気づく。リーズが帰ってきたのかと視線を遣るが、現れたのは顔見知りのワーウルフだった。無論、昼間の小娘ではない。
「よう。珍しいとこで会うな」
アタシは軽く手を上げて挨拶するが、彼女は何やら余裕のない顔をしている。
「アシュレイ。うちの娘を見なかったか?」
「娘? お前のかどうかは知らねーが、ワーウルフの小娘ならリーズが昼飯のときに連れて来たぞ?」
余談だが、アタシが人間のガキを世話している事は、既に森中に知れ渡っている。
「午後は他の小娘どもと追いかけっこをするっつって、飯食ったら出てったけど」
「その子たちには、もう聞いたんだ。途中でかくれんぼとかいう遊びに変わってから、うちの娘とリーズが見つからないらしい」
ワーウルフの鼻から逃げきったのか、あいつは――などと感心している場合ではないのだろう。
「……何処かで押し倒されてでもいんじゃねーのか? 小っせえナリでやるな、お前の娘」
「ふざけている場合か!」
わーってるよ、と手を振りながらアタシは立ち上がる。
「お前はフェアリーどもに話を聞きに行け。午前中にリーズが遊んでもらってたらしい。アタシはアルラウネんとこ行ってみる」
何かリーズが興味を持つような話をしていたとしたら、途中で抜け出す可能性もあるだろう。
分かった、と頷いて彼女は駆け去っていった。
しかし残念ながら、アルラウネもリーズの行方には心当たりがないらしい。
「まったく……」
いったい彼は、何処をほっつき歩いているのか。
これが人間社会だったら、他所様の娘さんを遅くまで連れ歩いて、と、こっぴどく叱られる事だろう。
茂みを掻き分け、街道方面へと向かう。風による葉擦れとは違う音に足を止めると、横合いから小さな影が飛び出してきた。
「うおっと」
激突を避けるために身を躱しつつ、伸ばした腕で抱きとめる。
「あれ? お前……」
フサフサした感触に目を向けると、それは昼間リーズが連れてきた小娘だった。酷く息を切らし、顔色は蒼白だ。
「た……助けて」消え入りそうな声で彼女は言う。「リーズを助けて!」
そこでようやく、アタシは彼女の身体を支える手に血のヌメりがある事に気づく。
「何があった?」
落ち着かせるように背中を撫でてやりながら、殊更ゆっくりとした口調で訊く。すると彼女も息を整え、事情を話し始めた。
要約すると、かくれんぼの最中に彼女が魔物狩りの連中に見つかってしまい、リーズは彼女を逃がすために囮になったという事らしい。
魔物狩りというのは、反魔物国の賞金稼ぎのようなものである。狩られる事が分かっている彼らの国の魔物は巧妙に姿を隠しているため、容易に見つかる親魔物国側に侵入して魔物を狩り、それを持ち返って金に換えるのだ。
「んで、お前は大丈夫なのか?」
「……かすっただけだから」
そか、とアタシは頷く。彼女に大事があっては、囮になったリーズの立つ瀬がない。
「んじゃ、案内頼むわ」
小娘は頷いて、先に立って走り始めた。
街道は既に薄暗くなっており、手持ちのランプの明かりがいくつか見えた。
その周りには、数人の男たちの影。そこにまとわりつく小さな影が一つ。
「返せよ……!」
それは紛れもなくリーズの声だった。珍しく荒っぽい命令口調だ。
煩え、という怒鳴り声と共に、彼の身体は乱暴に蹴飛ばされる。小さな身体は地面を転がり、苦しげに咳きこんだ。
「……返、せ。母さんの指輪……!」
その言葉に、アタシは視線を男へ転じる。彼はせせら笑いながら、指先に引っかけた細い鎖をクルクルと回していた。
「リーズ!!」
もう立ち上がる事も出来ない彼の姿に、隣にいた小娘が飛び出す。
止める間もなかった――が、それ以前に止めるつもりもなかった。それより先に、アタシの頭の中で何かが切れるような音がしたからだ。
無言のまま下草を蹴散らすように進み、街道へ飛び出すと同時に不意討ちで相手の首に回し蹴りを叩きこむ。手加減するという考えは頭になかった。伝わってきた鈍い感触が、相手の首が折れた事を証明している。
彼が取り落とした指輪を空中で掴み取り、アタシは男たちへ向き直った。
「……手前ぇら、この森で好き勝手やって怪我で済むと思うなよ」
男たちは初めこそ怯んだ様子を見せたが、すぐに数の有利を思い出したかニヤけた顔を見せる。
「オーガか……けっこう大物だな」
「さっきのワーウルフのガキもいるな」
欲望丸出しの下卑た顔は吐き気を催す程だったが、今のアタシにとっては認識の外だった。森で好き勝手された事もそうだが、蹲っているリーズを見ていると、どういう訳か穏やかな気分ではいられない。
「ましてや、こいつに手ぇ出した以上……生きて帰れると思うな!」
その瞬間、アタシの周りに魔力が渦を巻く。それが右の拳へ集まって行くのを見て男たちが色めき立つが、
「遅ぇ!!」
鋭く左脚を踏み出すと同時に、腰だめに構えていた右拳を突き出した。狙いは男たちの足元。
放たれた魔力の塊は土砂を押し上げるように膨れ上がり、男たちを一人残らず吹き飛ばした。風で粉塵が流れた後には、もう動くものはない。
轟音を聞きつけたのか、アタシたちが来たのとは違う方向から足音が近づいてきた。茂みの中から現れたのは、夕方のワーウルフ――小娘の母親だ。
「アシュレイ!」
「……悪ぃな。お前の娘に怪我させちまったらしい」
一瞥すると、当の小娘は割と元気そうだった。二の腕に矢が掠めたような傷があるが、既に血は止まり、かさぶたになり始めている。が――
「リーズ! リーズ!!」
代わりに彼女は、青白い顔でリーズの身体を揺り動かしていた。
「……これはいかん」母親がしゃがみこんで、彼の顔を覗きこむ。「毒を受けている」
先程までは蹲っていた彼は、今はもう意識を失くしているようだった。
「吹き矢みたいなので……」
小娘の言葉を聞きながら、母親が腕に刺さっていた針を抜く。傷口に唇をあてがい、血と共に毒を吸い出した。
その間にアタシは腰布の裾を細く裂いて、傷の上――心臓に近い位置を縛る。しかし、
「どうする!? 町まで連れて行っている余裕はないぞ!」
確かに、ワーウルフの彼女が全力で走ったところで半刻はかかる。毒を受けたリーズを動かす事は避けたいので医者の方を連れてくる事になるが、、往復の時間を考えれば毒のまわる方が早いだろう。
ドリアードやアルラウネに訊けば解毒草の生えている場所くらいは教えてくれるだろうが、そもそも毒の種類が分からないのでは意味がなかった。
どうすればいい――自問しても答えは出ない。駄目もとで解毒草を飲ませるべきか。
そのとき――
「困っているようだな」
幼さを感じさせる甲高い声とともに、後方――やや離れた所から足音が聞こえてきた。
「私は医者だが……何なら相談に乗ってやろうか?」
振り向いた先――ユニコーンの背に乗っていた旅装の魔女が、つまらなそうに、ふん、と鼻を鳴らした。
11/08/21 18:42更新 / azure
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