連載小説
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お買いもの
 町へ出かけるのは、どれくらいぶりだろうか。
 普段は森の奥で悠々自適な暮らしをしているアタシも、時々は町へ出かける事がある。生活に必要なものを買いに行くのだ。
 別に、森で手に入るものだけで暮らしていく事も出来るには出来るのだが、それでも一度便利さを覚えてしまうと元の暮らしに戻るのは難しかった。料理で大活躍する塩だって、ここから海まで取りに行く訳にもいかないのだ。香草や香辛料は、どうにかなるのだが。
 いちおう親魔物国とはいえ、それでも町というのは人間の領域だ。腰と胸に申し訳程度に布を巻いたような普段着で出かけて行っては、衆目を集めること必至だった。
 なのでアタシは、暫く仕舞いっぱなしになっていた服を引っ張り出す。黒い革のパンツと白のシャツ。
 着飾る事に興味はなかったし、動きにくい格好も嫌いなアタシには、これが限界だった。
 ベルトを通して締め、羽織ったシャツはボタンを二つほど開ける。袖を肘まで折り返しながら、
「準備できたか?」
 背中合わせで着替えていたリーズに呼びかけた。
「……うん」
 出会ったときと同じ半袖半ズボンに着替えた彼は、相変わらず背中を向けたまま頷いた。
 どうも、こいつは最近色気づいてでもいるのか、こういうときは妙にアタシの方を見ないようにしている。それとも人間というのは、みんなそうなのだろうか。
「ほら、行くぞ?」
 固まっている彼の頭を軽くポンと叩き、アタシは先に立って歩き出した。



 最寄りの町へは、徒歩で一刻ほど。今日に限ってはリーズを連れていたため、もう少しかかった。
 一年を通して温暖な地方である上に、その中でも最も暑い今の時期は、地形的に涼しくなりやすいこの町は普段では考えられないほど賑わっていた。
 その殆どは避暑に訪れた貴族や金持ち連中であり、その事にアタシはちょっとした打算を働かせていた。それなりに裕福な家で育ったらしいリーズを知っている者がいるかも知れないと思ったのだ。そして、そいつに体よく彼を押しつけてしまおう、と。
 これまでも町には来た事があったが、基本的に服屋に用はなかった。いま着ている服は、そもそも人からもらった物だ。つまりアタシは、服屋の場所を知らないのだった。
「…………」
 立ち止まっているアタシを、シャツの裾を掴んだリーズが見上げている。その迷子のような表情がまるで鏡を見ているように思え、アタシは小さく舌打ちをした。
 幸いだったのは、この町が避暑地であった事だろうか。周囲を見回すと、割と近いところに町の案内板が見つかる。
 それで服屋の位置を確認し、アタシはリーズを引き摺るように歩きだした。
「……ねえ」
「あん?」
 暫く歩いていると、不意にシャツの裾が引っ張られる。
「お金……あるの?」
「ガキが妙な気ぃまわしてんじゃねーよ」
 とはいえ、普段の生活を思えば当然の疑問だろう。
「安心しろ」
 使う機会が少ないとはいえ、使う以上はそれなりに稼いでいた。
 人間が踏み入るには危険な森の奥深くにも、アタシたちのような魔物なら入る事も出来、そこで獲れる動物の毛皮や希少な薬草類は結構な値段で売れるのだ。


 辿り着いた服屋は、二十代前半と思しき女性が一人で経営していた。
 アタシ達たちが店に入ると、彼女は人好きのする微笑で迎える。営業用だと分かっていても、不快さはなかった。
「いらっしゃいませ〜。本日は、どのような物をお求めですか?」
「このガキに合いそうなのを、いくつか見繕ってくれ。上下と、あと下着も」
 背中に隠れようとするリーズを無理やり前へ押し出しながら言うと、店主の女が微笑ましげにクスリと笑った。
「お姉さまが選んで差し上げた方が喜ぶんじゃないですか?」
「はあ?」
 意表を衝かれたせいか、アタシは間抜けな声を出してしまった。どうやら彼女の目には、アタシたちは姉弟に見えているらしい。
 とはいえ消去法で見れば、それが妥当だろう。オーガが――というか魔物が人間の少年を連れているのを見て、それを親子と思う者は少ないはずだ。
「アタシには、そういうセンスがなくてね」
「でも、その服はよく似合ってらっしゃいますよ?」
 どーも、とアタシは投げやりに応える。客をおだててたくさん買わせるのは、商売の初歩だろう。しかし、
「長身で引き締まった身体つきをしてらっしゃいますから、パンツルックが映えるんですよね。スラッとしてスタイルもよくて、自立した大人の女って感じです」
 店主の女性は、なおも続けた。若干目が輝いているのが、少し怖い。
「あー……それはいいから、こいつを頼む」
 僅かに身を引き、何故か女性の話に頷いているリーズの頭に手を置く。
 分かるのか、お前。
 失礼しました、と照れ笑いを浮かべ、女性は奥へと入って行った。
「ここで待ってるから、行って来い」
 わざわざついて回るのも面倒だったので、アタシは女性の後へとリーズの背中を押し遣った。


「ありがとうございました。また、お越しください」
 店主の女性の、そんな声に見送られて服屋を出る。
 出来れば二度と来たくないというのが本音だった。暇だったというのもあるが、別の服が必要になる前にリーズの引き取り先を見つけたい。
 買った服は、上下ともに五着ずつ。下着も同じく。
 裸でいても風邪をひかないような気候なのだから、仮に足らなくなっても適当にタオルでも巻きつけておけばいいと思った。
「さって、帰るか」
 片手をポケットに、もう片方は服の入った紙袋を肩に担ぐようにして歩き出す。リーズは相変わらずシャツの裾を掴んでいた。
 通りには時折、身なりのいい者が歩いていた。
 アタシは誰かがリーズに目を留めないかと、殊更ゆっくりと歩を進める。必ずしも彼を知っている人間である必要はなく、彼を引き取りたいという奇特な人間でも構わなかった。
「あの……」
 そうして歩いていると、再びシャツの裾が引かれる。
「……ありがとう」
「あ?」
「服……あと、ゆっくり歩いてくれて」
「…………」
 結構勇気を出したらしい真っ直ぐな視線を向けられ、アタシの中に少しだけ罪悪感が生まれた。
「……単に必要に迫られてやってるだけだ。下らねーこと言ってんな」
 フイッと背を向けて歩き出そうとするが、今度は先程より強く裾が引かれる。
「何だよ?」
 少しイラつきながら振り返るが、リーズは先程とは違い、愕然としたように立ち尽くしていた。
「……ない」
 ポツリと呟く。
「何が」
「指輪……」
 そういえば彼は時々、家の隅っこや木の陰などで、細い鎖を通した指輪を眺めている事があった。以前、彼を川で洗ったときには持っていなかったが、あのときは何処かに仕舞ってあったのだろう。
 アタシは女性物であるそれを、リーズの祖母か母親の形見だろうと思っていた。仮に母親の物だとすると、襲われて彼を逃がす際に渡している余裕があったとも思えないので、彼の母はそれ以前に死んでいた事になるが。
「どっかで落としたのか?」
「……服屋」リーズは勢いよく振り返る。「取ってくる」
 駆け去っていく背中を見送りながら、
「ここで待ってるからなー」
 アタシは傍らのベンチに腰を下ろした。


 そうして結構な時間が経過したが、リーズは戻って来なかった。
 出発が昼食後だったとはいえ流石にアタシも小腹がすいて、屋台で買ったクレープを食べ終えたところだった。包み紙を丸めてゴミ箱へ放る。
「ったく、何やってんだ」
 荒々しく溜息をついて、アタシは服屋へ戻った。
 しかし、再会した店主の女性は、リーズは既に店を出たという。一応、指輪は試着室の中で見つかったらしい。
 ここへ戻って来るまでに出会わなかったのだから、おそらく彼は別の方向へ行ってしまったのだろう。
「方向音痴か、あいつは」
 店の前の道を、今度は反対に進む。その先は、確か小さな湖のある公園になっているはずだった。
 暑い時間帯なためか、公園にあまり人出はない。だが進むにつれ、ちょっとした人だかりがあるのに気づいた。
「どうした?」
 近づいて、後ろの方にいた男性に訊くと、
「子供が溺れたらしい。今、誰かが縄を取りに行ってる」
「ふーん……」
 そうして湖の方へ視線を向け、アタシは頭を抱えたくなった。
「何してんだ、あいつは!」
 男性に紙袋を押しつけて、アタシは湖に跳びこむ。水面でもがいているのは、間違いなくリーズだった。

 幸い彼は、殆ど水を飲んでいなかった。
 単に服を着たまま泳ぐのに慣れていなかっただけらしい。
 仰向けになった彼の襟首を引いて岸へ向かっていると、彼の手にピンクのリボンがついた白い帽子が握られているのに気づいた。
「大丈夫か!?」
「ああ」
 岸へ辿り着くと、縄を取りに行っていたらしい別の男性がタオルを差し出してくれる。
 アタシは先にリーズを拭いてやり、それから自分の髪を拭いた。と――
「あ、あの……」何処からか小さな声がかけられた。「大丈夫?」
 リーズはそちらへ向き直り、無言で頷く。それから、手に持っていた帽子を差し出した。
「……ありがとう」
 声の主である彼と同い年くらいの少女は、控えめに笑って、小さく手を振りながら去っていった。おそらく避暑に訪れていた、何処ぞの御令嬢だろう。
「はーん……迷子になった先で人助け、ねえ。それで自分が溺れてりゃ世話ねーな」
「……ごめんなさい」
 少女を見送るリーズへ茶化すように言うと、真に受けたらしい彼は神妙な面持ちで頭を下げた。
「別にいいさ。無事だったんだしな」
 ふん、と軽く鼻を鳴らし、アタシは彼の頭に手を置いた。


 陽は傾き、あたりには夕焼けの気配が漂っていた。
 服が乾くのを待っている間に、すっかり時間は遅くなっている。
「今から帰って飯の用意するの面倒だし、何処かで食ってくか」
 右手に服の入った紙袋。左手にリーズの小さな手。のんびり通りを物色しながら、アタシは隣へと問いかけた。
「何か食いたいモンあるか?」
「……ケーキ」
「ケーキは飯じゃねえ」
 子供らしくはあるが男っぽくはない答えに辟易しながら、食堂を探して視線を巡らせる。その先にケーキ屋を見つけてしまったのは、いったい何の呪いだろうか。
「……まあ、アタシも一人でクレープ食ったしな」
 リーズに聞こえないくらいの小声で自分を納得させ、アタシは渋々そちらへ歩いていくのだった。
11/07/09 19:44更新 / azure
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■作者メッセージ
   △月△日 天気:馬鹿の一つ憶え 気分:ちっと寒ぃ(主に懐)

 散財ってのがどういうものなのか、実感した一日だった。
 世の母親って生き物は偉いな。こんな生活を十年以上続けるとか、考えただけでおかしくなりそうだ。
 溜まったイライラの発散に森で一番でかい木に頭突きかまそうとしたら、そこに住むドリアードに涙目で、やめてくれ、と懇願された。
 んじゃ、このイライラは、どうすりゃいいんだよ。

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