拾いもの
青々とした葉を茂らせた木々の並ぶ、森の中を歩いていた。
といっても、アタシは決して散歩が趣味という訳じゃあない。ただ、意味もなくねぐらでゴロゴロしてるのも不毛だと思っただけだ。
向かう先は、森の中を通る街道。
街からは離れた場所ではあるが、この森を越えた先には風光明媚で涼しい気候の田舎町がある。そこは避暑地として、貴族連中や金持ちどもに人気があった。
つまり、そういう連中が通る道という訳だ。特に今の時期は。
別段期待している訳でもなかったが、それでも誰かしら見かけたら襲ってやるのもいい。まあ、気が向けばの話だ。
自分で言うのもなんだが、アタシはオーガらしくないと思う。知り合いみたいに、男と見るや捻じ伏せて搾ってやろうなんて欲求もない。そういうのに興味がない訳でも、しない訳でもないが、アタシは縛られるのは嫌いなのだ。
アタシはアタシらしく、アタシの思う通りに生きていきたい。それをアタシの許容量を超えて邪魔しようとするものには、それなりの対応をする。
そして、その邪魔をするもの≠ノは、オーガであるという事実も含まれていた。
喧騒が聞こえたのは、街道が見えてきたあたりだった。
男たちの粗野な怒号に、無数の足音。金属音は武器だろうか。
アタシは歩調を緩める事もなく、無造作に前進を続けた。大きな木を避けて街道を覗こうとすると、その根本に四つん這いになって荒く息をしている子供の姿があった。おそらく男だろう。
「おい――」
声をかけようとしたが、それより先に視界の端を鈍い輝きが掠めた。正面の茂みの中だ。
チッ、と舌打ちをして、アタシは飛び出す。少年の背中の前に手を伸ばし、飛来した矢を掴み取った。
「あっぶねえな、おい。ガキを後ろから射殺そうとするなんて、穏やかじゃねえ」
ギリギリで掴み取った矢を手の中で折りながら、茂みの奥を睨みつける。そこには数人の男がおり、弓を構えた男が信じられないものを見たように目を見開いていた。
まあ飛んでる矢を空中で掴み取るなんて、人間じゃよっぽど鍛えてないと無理だろうから、驚くのも無理はない。
男は目が合うと、ひっ、と喉を引きつらせた。
「ひっ――人喰い鬼だー!!」
それが合図になったかのように、男たちは我先にと踵を返し逃げ去っていった。
「……喰わねえっての」
アタシは腰に手を当てて嘆息する。人肉なんて不味いに決まってるし、仮に美味くても喰いたいとは思わなかった。
「やれやれ……」空いた手で頭を掻きながら少年を一瞥する。「無事か?」
しかし少年はいつの間にか俯せにくずおれており、返事はない。どうも気絶しているらしかった。
アタシは舌打ちして、その傍らにしゃがみこむ。
少年の服装は、半袖に半ズボン。それなりに良い生地で作られており、育ちの良さそうな顔立ちも相まって裕福な家の子供のようだった。たかが盗賊相手に護衛もなく一人で逃げていた事を考えると、貴族という事はなさそうだが。
彼の手足には無数の傷があったが、擦り傷にせよ切り傷にせよ、どれも大したものではなかった。おそらく逃げている間に、転んだり引っかけたりしたのだろう。
「どうすっかね……」フワフワした金色の髪を眺めながら呟く。
面倒事はごめんだったが、かといって軽傷とはいえ怪我人を放置していくのは気が引ける。しかも少年の年齢は、おそらく一桁――自分の身を守る事すら出来はしないだろう。
「くっそ」
自分でも何に対するものか分からない苛立ちを吐き出しながら、アタシは少年の身体を抱き上げた。
そこは森の奥にある洞窟だった。
山の斜面に空いた穴を、人為的に真っ直ぐ立てるくらいに拡張したものだ。奥行きは、だいたい五メートルほど。
そのいちばん奥に広げられた敷布の上に、少年は横たえられていた。身体の上には、使いこまれたボロボロの毛布がかけられている。
あたりが夕焼け色に染まり始めた頃、ようやく少年は身じろぎした。薄目を開けて毛布から手を出すと、そこには白い包帯が巻かれている。他の怪我も同様に手当てがされていた。
陽が沈みかけているため、洞窟内はかなり暗い。周囲を見回してみても、少年の視界は殆ど利かないはずだ。
彼が不安そうな表情を浮かべるのを見て、ようやく入口のところにいたアタシは観念した。荒く溜息を一つついて、自分のねぐらである洞窟に踏みこむ。
「目が覚めたか」
声をかけた瞬間、少年の身体がビクッと大きく震えた。弾かれたように振り返った彼の表情は、不安と恐怖に歪んでいる。
逆光になっているため、彼の位置からアタシの顔は見えていないだろう。だが、輪郭は見えているはずだ。頭部に生える二本の角も。
息を呑んだまま、少年は言葉も発せずにいた。
言われそうな事は想像がついたので、アタシは先回りして言ってやる。
「喰わねえから安心しろ」
そのまま進み、少年とは反対側の壁際に腰を下ろした。
拾ってきた枯れ木と枯れ草で火を起こす。川で獲ってきた魚は、既に木の枝に刺してあった。
棚から塩の入った小瓶を取り、それをつまんで振りかけながらアタシは訊く。
「お前、名前は何ていうんだ?」
「…………」
少年は警戒しているのか、無言のままだった。その割に逃げないのが意外だが、もしかしたら腰を抜かしているのかも知れない。
「知りたきゃ手前ぇから名乗れってか? ガキのくせに、そういうとこはいっちょ前だな」
実際に相手がそう思っているかは分からなかったが、そのあたりはどうでもよかった。
「アタシはアシュレイだ」苦笑しながら名乗る。
問い返すように眺めていると、少年は根負けしたように目を逸らした。アタシが魚を火の周りに突き立てていくのを暫く眺めてから、
「……リーズ」小声で名乗った。
洞窟内には火の爆ぜる音。洞窟の外からは、遠くカエルの声。
「ほれ」
無言のままのリーズに、アタシは焼けた魚を差し出してやる。けれど彼は、それを一瞥しただけで再び目を伏せてしまった。
「別に毒なんか入ってねーぞ?」
証拠を見せるために別の魚を取り、かぶりついて見せる。それでもリーズは膝を抱えたまま動かない。
チッと舌打ちして、アタシは皿代わりに使っている幅の広い葉っぱに魚を乗せた。人間の子供なら、三匹もあれば充分だろう。
残りを全てたいらげ、アタシはリーズが使っていたのとは別の敷布の上に横になった。
「腹が減ったら勝手に食え。冷めてて不味ぃとか言うなよ?」
あとは勝手にしろとばかりに、そのまま背を向けた。
それから暫くは、背中にリーズの窺うような視線を感じた。
甘やかされて育つボンボンらしくもなく、意外と彼は強情だった。が――
くぅ、と。
なまじあたりが静かなだけに、その音は洞窟内に響いた。
正直な腹の虫にアタシが失笑を堪えていると、ごそりとリーズが動く。無造作に伸ばした灰色の髪の間から窺い見ると、彼の手は葉っぱの上の魚に伸びていた。
塩を振って焼いただけ――しかも串に刺さったままの魚など食べた事はないだろうが、それでも咀嚼音が殆ど聞こえないあたり育ちの良さを感じる。
大事に育てられてきたのだろうと思われた。
「なあ。お前ん家って何処だ?」
正直、全力で面倒くさくはあるが、それでも家にくらい帰してやろうと思う。気の迷いとはいえ、拾った責任もある訳だし。
とつぜん話しかけたからか、リーズは酷く噎せて咳きこんでいた。
「……悪ぃ」とりあえず謝って起き上がる。「親とか心配してんだろ」
しかし、そう言った途端、リーズの表情が曇った。無言で首を振る。
「あん?」
アタシは立てた膝に肘を乗せ、頬杖をつくようにして眉を寄せた。まさか捨てられたという事はないだろう。
と、そこで彼を見つけたときの事を思い出した。彼は一人で追われていたのだ。
「まさか……あいつらに?」
「…………」
今にも泣き出しそうな顔で、リーズは頷いた。
「そっか……」
悪い事を訊いてしまった、とアタシは内心で反省する。
おそらく彼の親は、身を呈して彼を逃がしたのだろう。
「親戚とかは……?」
リーズは再び首を振った。
「マジか……」
つまり彼には、もう頼れる人間はいないという事か。
「……とんでもねえもん拾っちまったな」
小声で一人ごちると、リーズが窺い見るように視線を向けてきた。縋るような視線だ。
「何だよ」
それを鬱陶しく感じながら問うと、彼は慌てたように目を伏せる。
アタシは、もう何度目になるか分からない舌打ちをした。リーズが身体を震わせる。それがまた鬱陶しい。
「分かったよ、くそっ。お前の身の振り方は後で考えてやるから、今日のところはそれ食ってサッサと寝ろ!」
有無を言わせぬ口調で言い放ち、アタシは自棄気味に毛布をかぶった。
といっても、アタシは決して散歩が趣味という訳じゃあない。ただ、意味もなくねぐらでゴロゴロしてるのも不毛だと思っただけだ。
向かう先は、森の中を通る街道。
街からは離れた場所ではあるが、この森を越えた先には風光明媚で涼しい気候の田舎町がある。そこは避暑地として、貴族連中や金持ちどもに人気があった。
つまり、そういう連中が通る道という訳だ。特に今の時期は。
別段期待している訳でもなかったが、それでも誰かしら見かけたら襲ってやるのもいい。まあ、気が向けばの話だ。
自分で言うのもなんだが、アタシはオーガらしくないと思う。知り合いみたいに、男と見るや捻じ伏せて搾ってやろうなんて欲求もない。そういうのに興味がない訳でも、しない訳でもないが、アタシは縛られるのは嫌いなのだ。
アタシはアタシらしく、アタシの思う通りに生きていきたい。それをアタシの許容量を超えて邪魔しようとするものには、それなりの対応をする。
そして、その邪魔をするもの≠ノは、オーガであるという事実も含まれていた。
喧騒が聞こえたのは、街道が見えてきたあたりだった。
男たちの粗野な怒号に、無数の足音。金属音は武器だろうか。
アタシは歩調を緩める事もなく、無造作に前進を続けた。大きな木を避けて街道を覗こうとすると、その根本に四つん這いになって荒く息をしている子供の姿があった。おそらく男だろう。
「おい――」
声をかけようとしたが、それより先に視界の端を鈍い輝きが掠めた。正面の茂みの中だ。
チッ、と舌打ちをして、アタシは飛び出す。少年の背中の前に手を伸ばし、飛来した矢を掴み取った。
「あっぶねえな、おい。ガキを後ろから射殺そうとするなんて、穏やかじゃねえ」
ギリギリで掴み取った矢を手の中で折りながら、茂みの奥を睨みつける。そこには数人の男がおり、弓を構えた男が信じられないものを見たように目を見開いていた。
まあ飛んでる矢を空中で掴み取るなんて、人間じゃよっぽど鍛えてないと無理だろうから、驚くのも無理はない。
男は目が合うと、ひっ、と喉を引きつらせた。
「ひっ――人喰い鬼だー!!」
それが合図になったかのように、男たちは我先にと踵を返し逃げ去っていった。
「……喰わねえっての」
アタシは腰に手を当てて嘆息する。人肉なんて不味いに決まってるし、仮に美味くても喰いたいとは思わなかった。
「やれやれ……」空いた手で頭を掻きながら少年を一瞥する。「無事か?」
しかし少年はいつの間にか俯せにくずおれており、返事はない。どうも気絶しているらしかった。
アタシは舌打ちして、その傍らにしゃがみこむ。
少年の服装は、半袖に半ズボン。それなりに良い生地で作られており、育ちの良さそうな顔立ちも相まって裕福な家の子供のようだった。たかが盗賊相手に護衛もなく一人で逃げていた事を考えると、貴族という事はなさそうだが。
彼の手足には無数の傷があったが、擦り傷にせよ切り傷にせよ、どれも大したものではなかった。おそらく逃げている間に、転んだり引っかけたりしたのだろう。
「どうすっかね……」フワフワした金色の髪を眺めながら呟く。
面倒事はごめんだったが、かといって軽傷とはいえ怪我人を放置していくのは気が引ける。しかも少年の年齢は、おそらく一桁――自分の身を守る事すら出来はしないだろう。
「くっそ」
自分でも何に対するものか分からない苛立ちを吐き出しながら、アタシは少年の身体を抱き上げた。
そこは森の奥にある洞窟だった。
山の斜面に空いた穴を、人為的に真っ直ぐ立てるくらいに拡張したものだ。奥行きは、だいたい五メートルほど。
そのいちばん奥に広げられた敷布の上に、少年は横たえられていた。身体の上には、使いこまれたボロボロの毛布がかけられている。
あたりが夕焼け色に染まり始めた頃、ようやく少年は身じろぎした。薄目を開けて毛布から手を出すと、そこには白い包帯が巻かれている。他の怪我も同様に手当てがされていた。
陽が沈みかけているため、洞窟内はかなり暗い。周囲を見回してみても、少年の視界は殆ど利かないはずだ。
彼が不安そうな表情を浮かべるのを見て、ようやく入口のところにいたアタシは観念した。荒く溜息を一つついて、自分のねぐらである洞窟に踏みこむ。
「目が覚めたか」
声をかけた瞬間、少年の身体がビクッと大きく震えた。弾かれたように振り返った彼の表情は、不安と恐怖に歪んでいる。
逆光になっているため、彼の位置からアタシの顔は見えていないだろう。だが、輪郭は見えているはずだ。頭部に生える二本の角も。
息を呑んだまま、少年は言葉も発せずにいた。
言われそうな事は想像がついたので、アタシは先回りして言ってやる。
「喰わねえから安心しろ」
そのまま進み、少年とは反対側の壁際に腰を下ろした。
拾ってきた枯れ木と枯れ草で火を起こす。川で獲ってきた魚は、既に木の枝に刺してあった。
棚から塩の入った小瓶を取り、それをつまんで振りかけながらアタシは訊く。
「お前、名前は何ていうんだ?」
「…………」
少年は警戒しているのか、無言のままだった。その割に逃げないのが意外だが、もしかしたら腰を抜かしているのかも知れない。
「知りたきゃ手前ぇから名乗れってか? ガキのくせに、そういうとこはいっちょ前だな」
実際に相手がそう思っているかは分からなかったが、そのあたりはどうでもよかった。
「アタシはアシュレイだ」苦笑しながら名乗る。
問い返すように眺めていると、少年は根負けしたように目を逸らした。アタシが魚を火の周りに突き立てていくのを暫く眺めてから、
「……リーズ」小声で名乗った。
洞窟内には火の爆ぜる音。洞窟の外からは、遠くカエルの声。
「ほれ」
無言のままのリーズに、アタシは焼けた魚を差し出してやる。けれど彼は、それを一瞥しただけで再び目を伏せてしまった。
「別に毒なんか入ってねーぞ?」
証拠を見せるために別の魚を取り、かぶりついて見せる。それでもリーズは膝を抱えたまま動かない。
チッと舌打ちして、アタシは皿代わりに使っている幅の広い葉っぱに魚を乗せた。人間の子供なら、三匹もあれば充分だろう。
残りを全てたいらげ、アタシはリーズが使っていたのとは別の敷布の上に横になった。
「腹が減ったら勝手に食え。冷めてて不味ぃとか言うなよ?」
あとは勝手にしろとばかりに、そのまま背を向けた。
それから暫くは、背中にリーズの窺うような視線を感じた。
甘やかされて育つボンボンらしくもなく、意外と彼は強情だった。が――
くぅ、と。
なまじあたりが静かなだけに、その音は洞窟内に響いた。
正直な腹の虫にアタシが失笑を堪えていると、ごそりとリーズが動く。無造作に伸ばした灰色の髪の間から窺い見ると、彼の手は葉っぱの上の魚に伸びていた。
塩を振って焼いただけ――しかも串に刺さったままの魚など食べた事はないだろうが、それでも咀嚼音が殆ど聞こえないあたり育ちの良さを感じる。
大事に育てられてきたのだろうと思われた。
「なあ。お前ん家って何処だ?」
正直、全力で面倒くさくはあるが、それでも家にくらい帰してやろうと思う。気の迷いとはいえ、拾った責任もある訳だし。
とつぜん話しかけたからか、リーズは酷く噎せて咳きこんでいた。
「……悪ぃ」とりあえず謝って起き上がる。「親とか心配してんだろ」
しかし、そう言った途端、リーズの表情が曇った。無言で首を振る。
「あん?」
アタシは立てた膝に肘を乗せ、頬杖をつくようにして眉を寄せた。まさか捨てられたという事はないだろう。
と、そこで彼を見つけたときの事を思い出した。彼は一人で追われていたのだ。
「まさか……あいつらに?」
「…………」
今にも泣き出しそうな顔で、リーズは頷いた。
「そっか……」
悪い事を訊いてしまった、とアタシは内心で反省する。
おそらく彼の親は、身を呈して彼を逃がしたのだろう。
「親戚とかは……?」
リーズは再び首を振った。
「マジか……」
つまり彼には、もう頼れる人間はいないという事か。
「……とんでもねえもん拾っちまったな」
小声で一人ごちると、リーズが窺い見るように視線を向けてきた。縋るような視線だ。
「何だよ」
それを鬱陶しく感じながら問うと、彼は慌てたように目を伏せる。
アタシは、もう何度目になるか分からない舌打ちをした。リーズが身体を震わせる。それがまた鬱陶しい。
「分かったよ、くそっ。お前の身の振り方は後で考えてやるから、今日のところはそれ食ってサッサと寝ろ!」
有無を言わせぬ口調で言い放ち、アタシは自棄気味に毛布をかぶった。
11/08/21 17:34更新 / azure
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