連載小説
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 太陽は南中を過ぎ、気温は一日のうちで最も高い時間帯だ。
 裾がボロボロになったマントのフードの下、青年の顔には汗の玉が浮き、時折、頬を流れ落ちていった。
 荒野を吹く風は乾き、砂が混じっている。それが口に入らないように歩ける程度には旅慣れたが、今日は風そのものが強い。マントの存在と、そんな物を纏う旅人を嘲笑うように、身体中のあちこちに砂が入りこんでいた。
 ひときわ強く吹いた風をやり過ごし、青年は足を止め空を見上げる。これだけ風が強いならマントなど脱いだ方が快適なのでは、と思うのは素人考えだ。陽射しは死神である。
 にも関わらず彼がフードを後ろへ撥ね上げたのは、別に自殺願望からの行動ではない。諦めたように溜息をつき、振り返った。
「そろそろ用件を言ったらどうだ」
 しばらく前から、ずっとついて来る気配があるのには気づいていた。だが、どれほど荒れ果てていても、ここは街道である。自分以外の旅人の姿があるのも、特段おかしな事ではない。そう言い聞かせていたのだが。
 視線の先、百メートルほど離れた所に人影があった。金色の髪にスケイルアーマーを身にまとった、小柄な剣士だ。が、その腰には剣以外にも目を引くものがある。
 尻尾だ。しかも鱗に包まれた。
「リザードマンか……」
 この炎天下をマントなどの陽射しを避ける物もなく歩いている段階で、うすうす予想はしていたが。
 距離と風向きから、声が聞こえていたとは思えない。だが、彼が立ち止まり振り返った事で、彼女の側も本題に入る気になったようだった。五メートル程を開けて、歩みを止める。
「私の名は、シファ=エリオ。先程からの起ち居振舞いを見ていて、貴殿を相当な腕前の剛の者と判断した。手合わせを願う」
「断る」
 なかなかに愛らしい顔立ちを厳しく引きしめ、青い瞳を真っ直ぐに向けて来る少女に対し、青年は微塵も考える様子を見せず即答した。
「なっ――!?」
 流石に、そういう反応は想定していなかったのか、シファと名乗った少女は言葉に詰まる。
「用は済んだな」
 勝手に結論を出し、青年は踵を返した。
「ま、待て! 逃げるのか」
「そうだな。そういう事にしておけ」
 それで事が済むのであれば、どう思われようが関心はなかった。
 まともに取り合う事もなく、彼は歩みを再開する。既に自分の存在など忘れたかのような背中に、シファは奥歯を噛みしめる事で何とか悔しさを堪えた。
「こちらは礼を尽くして手合わせを申しこんだというのに、その態度か……。剣を携えていれば剣士という訳ではないのだぞ。こんな屈辱は初めてだ……貴様のような男は、ここで斬る!!」
 俯いていた顔を上げ、カッと目を見開く。僅かに腰を落として地を蹴り、腰間から両手持ちの長剣を抜き放った。
「来世があるならば、礼儀という言葉を憶えておけ!!」
 突進の勢いも上乗せされた渾身の振り下ろし。刃は背を向ける青年の右肩に食いこみ、背骨をも両断する――筈だった。
 しかし実際には、刃はふんわりとマントに受け止められるように包まれただけだった。これ以上ない程に巧く、衝撃を吸収されてしまったのだ。その証拠にマントは全く斬れていない。そして、手応えは皆無。マントの中に青年はいない。
「くっ――」
 気づいた瞬間シファは剣を引き、自らの右後方にかざす。それと同時に、凄まじい衝撃が両手を襲った。金属同士のぶつかる甲高い音が耳に痛い。
 ジパングの暗殺者よろしくマントだけを残して身を沈めた青年は、そのまま右まわりに剣を抜き放つと同時に斬り上げて来たのだ。
 見れば彼の得物は片手用の長剣。だというのに、この斬撃の重さは驚嘆に値した。
 この場に踏み留まれば、衝撃すべてがダメージとして蓄積される。そう判断したシファは後方へ跳んでそれを回避しようとするが、それを読んでいたのか、青年は後退する彼女以上の鋭さで追撃して来た。
「ッ――」
 突きこまれる切っ先を、剣では間に合わず左手の籠手で逸らす。僅かに開いた青年の腹部へと、お返しとばかりに突きを放つが、元来が両手剣であるそれを片手で振るったところで、その速さ――否、遅さ――は、たかが知れている。容易く躱された。
「――くそっ!」
 それでも僅かな隙は出来た。シファは、それを最大限に利用して後退する。
 間合いを空けて対峙した青年は、驚くほど自然体だった。マントの下に着こんでいたのは鎧などではなく、革製のプロテクター。それも、身体の重要な部分だけしか覆っていない。
 動きの速さと関節の可動域を重視した、手数で押して来るタイプだ。シファは、そう判断した。だが、だからといって勝機が見えた訳でもない。同じタイプの相手と斬り結んだ事は幾度もあるが、彼はその中でも、最も速くて重い剣の持ち主だろう。
「どうした。気は済んだか?」
 剣を握る右手をダラリと下ろし、左手をポケットに入れた青年が、まるで、遊んでくれとねだる子供の相手でもさせられていたかのように問うた。ナメられている、とシファは思ったが、同時に、そうするだけの実力を相手が持っている事も認めていた。
 いまさら汗が流れて来た。冷や汗だ。
 身体が震える。武者震いだ。
 ようやく会えた。全身の細胞が歓喜の歌を歌っている。

 この男こそ、自分が探し求めていた真に強き者!!

 先程の非礼など、既に消し飛んでいた。そんなものは瑣末な問題だ。
「……気に入った」
 この男を倒す。リザードマンの本能と、何より、剣士としての生き方を選んだシファ自身の意思が、そう決めた。この男を倒せれば、自分は、今まで得て来た全てに勝る何かを手に入れられる。そんな確信があった。
「では改めて、いざ尋常に――」
 どうやら、まだ諦めないらしいどころか、これまで以上に目を輝かせ始めた少女に、青年は溜息をつく。
「勝負っ!!」
 爆発したかと思わせる程に強く地面を蹴りつけ、シファは正面から斬りこんだ。小細工はなしだ。
 初手の袈裟がけが躱される事は分かっていた。横へ動いただけの青年にシファは小さく笑みを浮かべ、直後、剣は途中で止まり薙ぎへと変化。ジパングの剣豪が生み出したとされる技――ツバメ返しだ。
 しかし青年は、それすらも読んでいたらしい。僅かに後退し、空間ごと裂きそうな薙ぎを空振らせる。
「まだっ!!」
 シファとて剣士を自称する以上、他人の技をそのまま模倣するなどというところに留まりはしない。振り切った薙ぎの慣性を利用して、剣を腰元へ引きつける。
「はっ!!」
 踏みこむと同時に突きを放った。タイミングは最高。完全に相手の身体のド真ん中を捉えた。
 青年は舌打ちでもしたそうな表情で剣を操り、鎬の上を滑らせる事で切っ先を逸らす。先程とは逆だった――が。
(かかった!)
 その瞬間シファは手首を返し、相手の剣を巻きこむように鍔元へ切っ先を差しこむ。青年も彼女の狙いに気づいたようだったが、既に遅い。シファが剣を撥ね上げると、金属同士が擦れ合う音と共に彼の剣はその手から離れ、クルクルと空高く舞い上がった。
「私の勝ちだな」
 流石の青年も、一撃の破壊力に重きを置いた両手剣で、そんな小手先の技を使うとまでは想像できなかったのだろう。シファ自身、何かの役に立てば、という程度の動機で覚えた技術だったが、本当に役に立ってみると感慨深いものがあった。
 相手に剣を突きつけ負けを認めさせようと、宙を舞う剣に一瞬向けていた視線を戻そうとした瞬間、不意に風が吹いたような気がした。周囲の風景が、何故か前方へと流れていく。
 何が起こったのかを理解したのは、受け身ひとつ取れず、背中から地面に叩きつけられてからだった。
「が――かはっ!」
 全ての空気を吐き出していた。身体は酸素を求めているのに、呼吸が出来ない。鳩尾付近に鈍い感覚。当て身と呼ぶには強烈すぎる衝撃を打ちこまれたのだ。いまさら痛覚が働き始める。
「何を――」
 上体を起こしたシファの顎を、素早く接近した青年は蹴り上げる。呻き声を洩らしながらも、必要以上に転がって距離を取ってから、シファは起き上がった。息を整えようとするが、それは叶わない。顔を上げれば、すぐそこに青年が距離を詰めて来ていた。だが、驚いたのはそこではない。
 これまでにも、剣での勝負に負け逆上した男は数多くいた。だから、こういう展開自体は慣れたものである。もっとも、それらの時にはキッチリ返り討ちにしていたのだが。
 しかし目の前の男からは、そういう連中に共通の、何処か正気を失ったような雰囲気を感じないのだ。瞳には理性が輝いている。
(これでは、まるで――)
 自分の方が勝手に勝ちを確信していただけのようだ、とシファは思った。そして事実、その通りなのだろう。
 苦し紛れに突き出した拳は容易く撥ね上げられ、ガラ空きの腹部に膝蹴りが入る。苦痛を堪えるように身体を折ると、今度は後頭部に肘が落ちた。
「ぁ……ぐ、ぅ」
 足から力が抜け崩れ落ちそうになるが、青年の手が髪を掴み、それを阻んだ。そのまま持ち上げられるが、霞んだ視界では相手の表情は窺えなかった。
 殆ど直立している時と変わらぬ高さまで持ち上げられ、手が離された。一瞬遅れて頬を殴り飛ばされる。
 ゴロゴロと転がったシファは起き上がる事もなく、そのままの状態で荒く息をしていた。いつの間にか、その手からは剣が失われている。
 フン、と。つまらなそうに鼻を鳴らした青年は、踵を返す。地面に転がっている自分の剣を拾い上げ、軽く振るって土を落とした。
「……な、ぜ」
 弱々しく震える声に、顔だけを振り向かせる。俯せになったシファが顔だけを上げていた。
「卑怯だとは、思わんのか……。剣士であり、ながら……この、ような……勝利……。貴様の矜持、は、誇れるのか、これを!」
 叫んだ瞬間、身体が痛んだのか、シファは激しく咳きこんだ。何がそんなに悲しいのか、目元には涙がにじんでいる。
「卑怯、か。思わないな、全く」
 身体も振り向かせ、剣を鞘に納めた。
「剣を携えていれば剣士という訳ではない、と言ったな。ならば憶えておけ。剣を携えているからといって剣士とは限らない=B俺が剣を持つのは、単にこれがいちばん性に合っていたからだ」
 踵を返した青年は、今度こそ振り返る事なく歩み去る。
「お前の敗因は、剣を持っているから剣士だと早合点し、戦闘に際し剣を抜いたから剣での攻撃しか来ないと根拠もなく断定した、その短慮だ」
 青年が去った後も、シファはしばらく転がっていた。伏せた顔からは、止めどなく涙がこぼれ落ちる。もはや何が悲しいのかも判らない。というか、悲しいのだろうか、自分は。
 聞けば人の声のようにも思える荒野の風は、しかし無慈悲に乾き、答えを返してはくれなかった。
10/11/01 19:04更新 / azure
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■作者メッセージ
 とりあえずデビュー。
 インパクトのある導入部を意識したんだけど、これ単に不快なだけだよな……読んでくれた人。
 青年を卑怯者っぽく描けたのは、個人的には及第点、かな?

 しかし、読みずれえ……。

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