ツンデレ蛇を御す方法
その学校には、妙な行事がある。二年生に進級すると、登山部員でもないのに、全員が問答無用で往復三日の山登りを強制されるのだ。
学校の周辺には田畑が広がり、ほど近い所に二千メートル級の山々が連なっている。そんな立地と、心身ともに健全な生徒の育成を掲げる学校側の方針により、この行事は伝統となっていた。
健全な魂は健全な肉体に宿る、といえば聞こえはいい。健全な肉体作りのために時間を割けば、相対的に他の事――邪な事をしている余裕はなくなるのだから、そういう意味では間違いではないのだろう。
しかし伝統に目の曇った学校側は、この言葉の表面だけを盲目的に信じてでもいるらしく、一ヶ月前から体育の授業をただひたすら走るだけの体力作りに変更し、生徒たちの不興を買っていた。行事に積極的な年配の教師たちなど、兎跳びが奨励されていたり、運動の途中で水を飲んではいけないなどと言われていた時代から生き残る古代生物扱いである。
不満を爆発させた生徒たちにより地味に退学率の上がる時期でもあり、行事が終わるまでの短期間の不登校に陥る者もいた。
(……で、まあ――そんな思いまでしておきながら、はぐれている訳だ)
枝ぶりのいい木の根本に座りこんで、ショウは頬を伝う雨水を手の甲で拭った。山の天気は変わりやすいとは聞いていたが、ここまでとは思わなかった。
もともと今回の登山は天候に若干の不安を残していた。しかし思考まで筋肉と化した学校側は、予定を強行したのだ。
彼らが単に楽観的だっただけなのか、人は気合で天気を変えられると本気で信じる狂人だったのかはショウには分からない。どちらでもいい、というのが正確か。
とはいえ、そのシワ寄せが自分に来るのは理不尽だと思った。金銭がらみの大人の事情があるらしいという噂は生徒たちの間でも囁かれていたが、そんなものは知った事ではない。
空を見上げれば、僅かではあるが雨は弱まったようだった。他の生徒たちとはぐれたときのような、辺り一面を煙らせて一メートル先すら判然としないほどの勢いはなくなっている。
ただ、代わりと言ってはなんだが、風が出てきていた。横から雨滴に打ち据えられ、雨宿りの意味は殆どなくなっている。
(場所、変えないと……)
出来れば洞窟のようなものがあればありがたかったが、風を遮る事が出来るなら、岩陰のようなものでも文句はなかった。とにかく、体温が下がる事は避けたい。夏の雨だからと侮ってはいけないと、事前学習で言われていた。
ショウは腰を上げ、水やら簡単な食糧やら着替えやらが入ったリュックを持ち上げる。まだ初日なためか中身も多く、背負うと肩紐が食いこんだ。
風は強く、吹く方向が一定ではなかった。右から左から煽られながら、転ばないように足を踏ん張り、木の幹に手をついて進む。
しかし水を吸った山は、それまでとは全く違っていた。土は弛んで足元を不安定にさせ、苔むした木の幹は思わぬ瞬間に滑る。
パキ、と小枝を踏む音と共に足裏から伝わってきた妙に柔らかい感触≠ノ、脳内で警鐘が鳴らされる――が、遅い。
(しまっ――)
そう思う間もなく地面が滑り、ショウは為す術もなく斜面を滑落していった。
※
何かを得るには代償が必要とされる――いつ何処で聞いたのかは憶えていなかったが、そんな言葉を何となく思い出していた。
どれほど滑落したのかは分からないが、俯せるショウの眼前には、ぽっかりと洞窟が口を開けている。岩肌を覗かせるそれは、ただの穴とは違って間違っても崩れそうにない。
「…………」
ショウは上げていた顔を伏せて溜息をついた。助かったとは思うのだが、その代償が無数の打撲と擦り傷――加えて泥まみれになるというのは割に合っているのかどうか。
転がっていても仕方がないと思い、のろのろと立ち上がる。滑落中に肩紐が切れたらしい、やや離れた所に転がっているリュックを拾って、洞窟へと足を踏み入れた。
洞窟の内壁は土がこびりついたりしているものの、外から見た通りの丈夫そうな岩肌だった。奥行きは、かなり深い。
再び雨が強まってきているのに気づき、ショウは三メートルほど進んで腰を下ろした。ここまでは、雨も吹きこんでは来ない。
直後、閃光と共に雷鳴が轟く。
「……一晩中、降りそうだな」
轟音の影響か、その独り言は少し聞き取りづらかった。
ショウはリュックから水筒を一つ取り出す。まともな手当など望むべくもないが、せめて傷口の泥くらいは洗い流しておきたい。飲み水が減るのは痛いが、丸二日以上、降り続きでもしない限りは大丈夫だろう。
一通り汚れを落とし、取り出したタオルで水気を拭う。リュックの中まで水が入っていないのが幸いだった。硬いビスケットを始めとした乾燥食料も、少しずつ食べれば数日は持つだろう。
「ふぅ……」
背中にゴツゴツした岩肌を感じながら、ショウは天井を見上げる。コウモリは、いそうにない。
外は、どんどん暗くなってきていた。それにつれて、轟音の後に閃く稲光が目立つようになっている。
目をやられないように、視線を洞窟の奥へ向ける。僅かに遅れて、また閃光。
(……?)
その瞬間、虚空に何かが光ったような気がした。二つ並んだ光。
何かあるのかと目を凝らし、身を乗り出したところで、
「――!?」
不可解な感覚に襲われ、ショウの意識は沈んでいった。
「誰、だ……?」
それがちゃんと言葉になっていたかは、確信が持てなかった。
※
何処かに寝かされている。意識が戻って初めに思ったのは、それだった。
それなりに柔らかくはあったが、ベッドなどとは違う。頭を動かす度に耳に届くワシャワシャした音は、何となく干し草のようなものを想像させた。
「……ようやく、お目覚めね」
突然の声と同時に何者かの気配を近くに感じ、ショウは目を見開いた。
「――誰だ!?」
跳ねるように上半身を起こす。
声からすると女性――というか少女のようだが、何にせよ彼女は嘆息したようだった。
「人んちに勝手に入ってきといて、誰だ、はないんじゃない? しかも、二回も」
(人んち……?)
訝しむようにショウは眉根を寄せ、少女はほくそ笑んだのか、ふふっ、と声を洩らした。
「まあ、いいわ。あたしにとっては渡りに舟だし、勝手に入ってきた報いは受けてもらうわよ」
「……報い?」
その高慢で高飛車な物言いに、思わずショウは訊き返す。
「ええ、そう。報い。何をされるかは、あたしの姿を見れば分かるわよね?」
「…………」
優越感を滲ませる少女に、ショウは沈黙して目を伏せた。言葉に迷うような間を空け、意を決したように口を開く。
「……ごめん。そもそも、真っ暗で何も見えないんだけど」
「…………」
白けた空気が場を支配した。
少女は小さく舌打ちをすると、パチン、と指を鳴らす。それを合図に、壁にかけられているいくつもの松明に同時に火が灯った。
(魔法……)
こんな洞窟を家だと言うあたり普通の人ではないと思ってはいたが、そもそも人ではなかったらしい。
「これで分かるわよね?」
そう言って睥睨するように目を細めて見せたのは、異形の少女だった。
まず目を引くのは、その下半身だろう。蛇のような――というか、まさしく蛇だった。腰に巻いた薄い布から下は、びっしりと鱗が生えている。
「ラミア……?」
「メドゥーサよ」
思わず洩れた言葉に、少女は僅かに険悪な声音で答えた。切れ長の目には不機嫌そうな色が滲んでいる。
その言葉の通り、彼女の頭は長い髪が途中から無数の蛇に変わっていた。それぞれが勝手に動いているように見えるが、何となく視線だけは全て自分に集まっているとショウには感じられる。
「で、ええと……結局、君が俺をここに運んでくれたって事でいいの?」
「他に誰かいるように見えるんなら、あんた相当、目ぇ悪いのね」
遠慮がちに訊くと、少女は馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「ああ、じゃあ君の肩の辺りに薄く見える人の顔みたいなのは、俺の見間違い――」
「いやああああああ!!」
流石は蛇身と言うべきか、ショウが言い終わらないうちに少女は音もなく壁際まで後退する。もっとも、ただでさえ金切り声な悲鳴が洞窟内に反響して全力で聴覚を潰しにきたため、厳密には無音ではなかったが。
「あー……何か、ごめん」
隅っこで蹲り涙目になっている少女の姿に、流石に申し訳なくなってショウは謝った。
「な……何よ。嘘なの……!? やめてよね! あたし、そういうの苦手なんだから!!」
真っ赤な顔で目尻を吊り上げ、少女は些か子供っぽい仕種で涙を拭う。
「ていうか、あんた態度デカすぎるのよ! これから何されるか分かってんの!?」
「ん、まあ……一応」
個人的な交流こそないが、学校にも魔物はいる。彼女たちの生態については聞き及んでいたし、授業でも学んでいた。
「何よ……妙に冷静ね。怖いとか嫌だとか、ないの?」
「うん……別に」
それが下半身が蛇である事を指すのだとしても、自然豊かな田舎では、その手の魔物など珍しくもない。以前、遠目からだが彼女と同じように下半身が蛇な魔物が山に入っていくのを見た事もある。
「それに……自分で言うのもなんだけど、モテない身としては可愛い子に求められるのは嬉しくもあるし」
「なっ――!?」
サラリと零したショウの言葉に、少女は絶句した。尖った耳の先まで真っ赤になり、パクパクと虚しく口を開閉する。
「なっ――ばっ、馬鹿じゃないの!? 可愛いとか、そんな……そんなこと言ったって逃がしたりしないんだから!!」
「うん。君が俺でいいって言うなら、いいよ。タイプだし」
照れくささを滲ませながらも薄く笑むショウに、少女は悔しそうに赤い顔でプルプル震えていた。
「な……生意気。人間のくせに……」
少女は再び音もなく近づいてくると、そのままの勢いでショウの胸を突いて、彼を仰向けに転がす。ガサッと干し草が鳴った。どうやら、ここは彼女の寝床らしい。
「絶対、泣かす。ヒイヒイ言わせてやるから、覚悟しなさい!」
「……いや、既に泣きそうなんだけど。何、この蛇たち。何で俺に寄って来るの?」
ワサワサと腕やら首筋やらに這い寄って来る無数の蛇に、流石のショウも表情が引きつる。あくまで魔物であり少女である彼女に対しては感じなかった恐怖も、蛇そのものとなれば話は別だった。噛まれて死んだ者の話はいくらでもあり、そういう刷りこみもあるのだろう。
少女はハッとしたように、その蛇だか髪だかを背中へ払った。
「うっ、煩いわね。何でもないわよ!」
「……また近寄ってくるけど」
のしかかろうとしていた少女は暫し動きを止め、苦虫を噛み潰したような表情で上体を起こした。何処からか取り出した紐で、髪――というか蛇を一括りにする。
「これでいいわ」
「……噛み切ろうとしてるみたいだけど?」
「それまでに終わらせればいいのよ!」
ガバッと少女はショウを押し倒した。ふっくらと瑞々しい、形の良い唇の端を吊り上げる。
「さあて、どうしてやろうかしら? さんざん生意気なこと言ってくれたんだし、徹底的に犯し抜いてやるんだから」
情欲に濁る目を嗜虐的に細め、至近距離で彼女は囁いた。火照る体温と吐息が、冷えた身体に心地いい。
サワ、と少女の手が股間を撫でると、ショウの表情がピクンと反応した。
「気持ちいいの? 情けないわね、ちょっと撫でられたくらいで硬くして」
「ああ、いや……何ていうか、いきなり本題に入るのって余裕ない感じしない?」
嬲るように言う少女にショウが遠慮がちにな声を上げると、彼女はムッとしたように動きを止める。
「う、煩いわね。分かってるわよ、そんな事」
何故かどもりながら、少女は僅かに身を引いた。
「それに、まだ自己紹介とかしてないし……。ええと、俺はショウっていうんだけど」
「……スセリ、よ」
つられて名乗りながら、少女――スセリはハッとなる。
「ていうか、あんたの名前なんて、どうでもいいのよ! ええと、まずは――」
独り言のように続く悩むような彼女の言葉に、
「……キスとか?」
とショウは提案してみた。
スセリの顔が、爆発的に赤くなった。
「ばっ、馬鹿じゃないの!? な……何であたしが、あんたとキスしなきゃならないのよ! あんたは、あくまであたしに搾られるだけなんだから、自惚れんじゃないわよ!」
プイッとそっぽを向くスセリに、ショウはカリカリと頬を掻く。
「……ええと、ごめん。無理、言ったみたいで」
ピク、とスセリの耳が動いた。
「別に、無理……とかじゃ……」
「いや……確かに、ちょっと調子乗ってたかも。ごめん……」
申し訳なさそうなショウを横目に見て、スセリはきつく歯を食いしばる。
「――煩いわね、無理じゃないって言ってんでしょ! いちいち謝らないで!」
彼女は自棄くそ気味にショウの胸ぐらを掴み、上体を起こさせた。
「いいわよ――してやるわよ、キスくらい。目ぇ閉じなさい!」
「え……と、うん」
驚いて瞬きを繰り返すショウが頷いて目を瞑ると、暗闇の向こうで小さく深呼吸のような音が聞こえた。
「い……いくわよ?」
何故かスセリは、わざわざ断りを入れてきた。ゆっくりと顔を近づけてきているのが気配で分かる。
ふわり、と唇が触れた――と思う間もなく離れていく。掠めたと表現した方が正確かもしれない。感触らしい感触すらなかった。
数秒待ってから目を開けると、何故か至近距離で真っ赤な顔のスセリに睨まれていた。
訳が分からずショウが見返していると、根負けしたかのように彼女が目を逸らす。
「何よ……どうせ、短いだとか下手だとか思ってるんでしょ」
「いや……」
それ以前の問題だったような気がした。短いのはともかく。
スセリは脈絡なく、悔しげに、くっ、と呻く。
「ていうか、あんた生意気なのよ! 人間のくせに、あたしからさせようだなんて身の程を知りなさい! いい? あんたは、あたしに捕まったの。あたしに犯されるの。あたしが上位で、あんたは奉仕者。人に色々言う暇があるんなら、まず自分がして見せなさいよ! どれほどのもんか、見極めてやるわ!」
両手で胸ぐらを掴んで逆ギレ気味に畳みかけるスセリに、ショウは降参するように、或いは押し留めようとするように両手を上げていた。
※
「ええと、じゃあ……」
遠慮がちに言いながら、ショウはスセリの頬に手を伸ばす。指先が触れた瞬間、彼女の身体がビクッと震えた。
「き、気安く触らないでよ……」
「流石に指一本触れずにってのは、無理」
ただでさえ上体を引き気味のスセリに、ショウは苦笑。
「分かったわよ……」
見つめ返すと、彼女は渋々といった感じで目を閉じた。
「……さっさとしなさい」
「うん……」
頬から首の後ろへと手を回して引き寄せようとするが、そこでショウは動きを止める。
ギュッと目を瞑って小さく震えていたスセリが、やがて訝しげに、おそるおそる片目を開けた。
「……何よ」
「いや……蛇たちが一致団結して、一括りになったまま俺の腕に巻きつこうとしてるんだけど」
「無視しなさい! あたしの機嫌を損ねたりしない限り、噛まれたりはしないわ」
「…………」
既に何度か機嫌を損ねている気がするショウの背筋に寒いものが走る。
「ほら、早く」
急かされて、ショウはスセリを抱き寄せた。細かく睫毛を震わせる彼女の様子に密かに微笑ましさを覚えながら、唇を重ねる。
「んっ……」
鼻にかかった小さな甘い声と共に、吐息が頬をくすぐった。柔らかな唇は、しっとりと吸いついてくる。
力を入れて身体を硬くするスセリを、ショウはその緊張をほぐすように頭から背中まで優しく撫で下ろした。啄むように短いキスを繰り返しているうちに、彼女の身体から力が抜けていく。
「……っは……ぁ……」
呼吸が浅くなってでもいたのか、苦しげにスセリの唇が弛んだ瞬間、ショウは彼女の上唇の真ん中の尖ったところを舌先でチロッと舐めた。
「――っ!? なっ、何よ。舌入れるなんて聞いてな……んぅ……!」
驚いたように身体を離そうとする彼女を逃がさないように抱きしめ、唇を押しつけて舌を差し入れる。
「んっ……んんっ……!」
どうすればいいか分からないというように、奥に引っこんで固まっているスセリの舌を優しく撫でた。促し、誘い出すように舌先でくすぐっていると、押し退けようとショウの胸に当てられていた彼女の腕から力が抜けていく。
やがて、ゆっくりと、おそるおそる相手の方からも舌を絡めてきた。ちゅ……くちゅる……ぷちゅ――静かな薄暗い洞窟内に、互いの舌で唾液を混ぜ合わせる淫靡な音が響く。そのまま、熱く蕩け合うような感触に溺れた。
「ん……ふ、ぅ……は……ぁ」
スセリの息が続かなくなるほど長く口づけてから、ショウはゆっくりと顔を離した。彼女はトロンとした表情で頬を染め、唇の間に小さく覗く舌先からは僅かに粘性を帯びた透明な糸が伸びている。
プツ、とそれが切れる感触を自分の唇に感じながら、ショウは自信なさげに口を開いた。
「ええと……どうかな。俺も実際にした事はないから下手だったかも知れないけど……気持ちよくなかったら、ごめん」
赤い顔でぼんやりとしながら、指先で唇をなぞっていたスセリは、ハッとなって顔を背ける。
「まっ……まあまあ、ね」
「まあまあ、か……残念」
「いや、その……悪くはなかったわよ」
「……良かった」
安心したようにショウが微笑むと、それを横目に見ていた彼女の顔は更に赤くなった。
「と――とにかくキスも済んだんだから、さっさとやる事やるわよ!」
両手でショウを突き倒して、スセリはその上にのしかかる。
先程のように股間を撫でさすられると、んっ、とショウは声を洩らした。快感を堪えるように目を細める。
「ふふっ……」
上気した顔で満足げな笑みを浮かべながら、スセリが首筋へ舌を這わせてきた。
「ぁ……」
ぬるりとした感触に舐め上げられて、ショウは思わず小さく声を洩らす。いつの間にか、自然に舐められている側を晒すように首を傾けていた。
代わりに、目の前には白くて張りのある胸が揺れている。自然とそこへ手が伸び、服とも言えない薄布の上から、持ち上げるように優しく撫でた。と、
「――ぅひい!?」
妙な悲鳴と共にスセリが慌てて身体を起こした。両手で抱きしめるように胸を隠している。
「なっ……なに勝手に触ってんのよ、スケベ! 変態!!」
「いや……何か、されるだけってのも申し訳なくて」
思わぬ反応の大きさに、ショウは胸に触れたときのまま固まる。
「あんたは余計なこと考えてないで、あたしにされるがままでいればいいのよ! それでヒイヒイよがってなさい!」
一向に赤みの引かない顔のまま指を突きつけてくるスセリに、ショウは悔いるように眉尻を下げた。
「ごめん。気持ち悪かった……?」
「そんな訳っ――」
反射的に叫びかけたところで、慌ててスセリは口を押さえる。
「そんな事も……ない、けど……」
「……嫌じゃなかった?」
「……別に」
それでもよほど驚いたのか、彼女の目尻には涙が溜まっていた。
謝るようにショウはスセリの手を優しく掴む。ゆっくり引っ張ると、意外と素直に彼女はしなだれかかってきた。
「何か、あんた……女の扱いに慣れてる感じがするわ」
「そんな訳ないよ。モテた事ないし、これでも心臓バクバクだし」
掴んだ相手の手を、ショウは自分の胸に宛がう。
「あんたが知らないだけで、あんたのこと好きな女がいるかも知れないじゃない」
「んー……でも俺が知らないんだから、いないも同然だよね」
それに、と彼は呟き、
「俺は、スセリの方がいい」
えっ、と彼女が呆然となっている間に、その頭を反対の手で引き寄せて再び唇を重ねた。今度は舌は入れないまま、唇の感触だけを味わう。
完全に頭が真っ白になったのか、スセリは目を見開いて固まっていた。唇を離すと、彼女は怒ったような、照れくさいような、ニヤケそうなのを堪えているような、複雑な表情でショウを睨んできていた。
「二度も三度も……人の唇を何だと思ってるのよ」
「気持ち良いもの……?」
素直に答えると、くっ、と呻いてスセリは顔を伏せる。
「……変態」
「いいじゃん。さっきから俺、どんどんスセリのこと好きになってるし」
その頭を撫で、
「続き、しよう?」
囁くように言うと、彼女は小さく頷いた。
※
やわやわと胸をさすると、スセリは耳まで赤くして耐えるようにギュッと目を閉じた。
互いに身体は起こしている。至近距離で向かい合った状態だ。
ショウは下から薄布の隙間に手を入れ、直に胸に触れる。
「柔らかい……」
手を動かせばスベスベと滑らかなのに、ゆっくりと握る力を強めていくと、しっとりとした弾力の中に指が何処までも沈みこむようだった。
「……楽しそうな顔して」
いつの間にか目を開けたスセリが、相変わらずな顔色のまま恨みがましげに言う。
「されるばっかじゃ悪いって言ったのは、あんたなんだからね……!」
いつの間にか彼女の手は、ショウのズボンを脱がしにかかっていた。ほどなく彼のモノを取り出すと、手の中に握って優しく扱き始める。
「もうこんなに硬くして……あんた、まさか早漏だったりしないわよね」
「分かんないけど、しょうがないよ。好きな子と、こんな事してるんだし」
「すっ――好きとか、そんな簡単に言うんじゃないわよ!」
「ごめん……」
扱く力が強まるのを感じながら、ショウは乳房を片方持ち上げて先端を舌先で転がした。
「ひんっ――!? ちょっ、ちょっと舐め――やぁ……っ」
ピクン、ピクンと身体を震わせながら、スセリは身を引こうとする。
「嫌だった……?」
「ぅ……嫌……じゃ、ない」
俯いて手の止まる彼女に、よかった、とショウは微笑んだ。
「うぅ……」
スセリは屈辱的な表情で呻いて、涙目のままキッと顔を上げる。
「あ……あたしだって、やられっぱなしのままじゃないんだから!」
そう言って腰布の結び目がほどかれると、その下からは人間のものとは違う形であろう女性器が現れた。見た事のないショウには、具体的な差異は分からないが。
彼女は、そのまま勢いよく彼を押し倒す。
「後悔するといいわ」
「しないよ……」
穏やかに見上げるショウの言葉に、その頬は更に赤くなった。
スセリの女性器周りは、既に夥しい量の愛液を溢れさせていた。それが屹立したショウの亀頭に滴り落ちる。後を追うように彼女は腰を沈ませ、
「んっ……!」
いやらしく濡れた粘膜同士が触れ合った瞬間に小さく声を洩らすと、
「ん――ぁはあ……!!」
快楽に犯された吐息混じりの嬌声と共に、一気にショウのモノを銜えこんできた。
「くっ……ぅ!」
ショウの方も目を閉じ、快感に耐えるように小さく声を洩らす。
スセリの膣内は、温かくて柔らかかった。にも関わらず、彼のモノを切ないほど必死に締めつけてくる。そのまま本当に一つにでもなろうとしているように、少しでも腰を引くと膣壁のヒダヒダがそれを逃すまいと絡みついてくるようだった。
「んっ……んっ……ふぁ、っは……ああっ」
ショウの身体を抱きしめながら、規則的に甘い声を洩らすスセリが腰を上下させる。それに合わせてショウも下から突き上げると、彼女の声は獣じみてすら聞こえるほど大きくなった。
けれど、その獣には決して、醜悪で血に飢えたような獰猛さはない。もっと優美で神々しく、けれど意地っ張りで照れ屋で、誰より純情な獣だ。
ショウが愛すべき獣に唇を合わせると、今度は彼女の方から舌を差し入れてきた。舌を絡ませ、二人分の混ざり合った唾液を飲みこんだり唇同士の間から零したりしながら、突き上げるペースを一気に速める。
唇を離したスセリの喘ぎ声も、呼応するように速まった。ショウの胸に手を置いて、背を逸らすようにして弾力のある胸を上下に揺らしていた彼女は、やがて、ひときわ大きな声を上げるとビクビクッと体を震わせる。
同時に、ショウも絶頂に達した。くたっと身体の上に倒れこんでくるスセリの腰を両手で掴み、精液が吐き出される感触に浸りながら数回モノを出し入れして、残さず欲望を彼女の中へ流しこむ。
「っん……ぁ、はあ……」
重なり、繋がりあったまま、荒くなった息を整える。やがてスセリが、顔を背けたまま小さな声で呟いた。
「……ど……どう、だった……?」
強気で自信ありげだった彼女とは思えないような不安そうな声に、ショウは必至で笑いを堪える。安心させるように、その身体を抱き、
「良かったよ……凄く。気持ちよかった」
ピクッと身体を強張らせたスセリは軽く鼻を鳴らし、
「ま……まあ、当然よ。このあたしにかかれば、あんたみたいなのなんて、本当なら瞬殺なんだから」
「……手加減してくれたんだ。でも、それじゃあスセリは満足できなかったんじゃない?」
「そんな事っ――は、どうでもいいのよ! あたしは初めから、あんたを搾るだけのつもりだったんだから!! な……なに自惚れてんのよ」
「ああ、そっか……」
ショウが納得すると、スセリは人知れず唇を噛んだ。ナンデソコデナットクスンノヨ、と声には出さずに呟く。
「……そういえば、あんたって、この後どうすんの?」
「どうしよう……。実は、ここに来る前にずいぶん滑落したから、ここが何処か分からないんだよね――」
途方に暮れたようなショウの語尾を攫うように、
「なっ――なら帰り道が分かるまで、ここにいてもいいわよ?」
しょうがないから、と、わざとらしいほど強調してスセリは言った。
「でも、迷惑でしょ」
「そんな事な――くはないけど、我慢してあげるわよ!」
何故か彼女が頬を膨らませるような感触を肩だか首筋だかに感じながら、ショウは小さく息を吐く。
「じゃあ申し訳ないけど、帰り方が分かるまで、お世話になるね」
「ええ、そうね。帰り方が分かるまで、ね……」
「あと……」
「……何よ?」
「蛇が邪魔」
「…………」
力を合わせて戒めを解くという偉業を達成した蛇たちは、勝者の特権とでもいうようにショウの身体中に擦り寄り、絡みついていた。
※
天気のいい、ある日の午後だった。
洞窟前の開けた場所では、はためく洗濯物の風下でショウが火を焚き、燻製肉を作っている。
風上の陽当たりのいい場所で日向ぼっこをしていたスセリは、チラチラと彼の方を窺いながら人知れず何度も深呼吸を繰り返していた。やがて何度目かも分からない吐息と共に身を起こした彼女は、そちらに背を向けて、さも独り言ですといった風情で口を開く。
「あんた……いつまでいるのよ」
「え……?」
風下にいるためか、その声はショウの耳まで届いた。顔を上げて振り返った彼は、申し訳なさそうに微笑む。
「ごめん、迷惑かけて」
「迷惑じゃ……ないけど。でも、待ってる人とかいるんじゃないの? 家族とか」
その言葉に僅かに間を開けたショウは、小さく悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「……家族」
そう言ってスセリを指差すと、肩越しに窺い見ていた彼女の肩がギョッとしたように跳ねる。
「なっ――何であたしが、あんたの家族なのよ!? そうじゃなくて、本当の家族の事よ!」
「いないよ。俺の世話を押しつけられた伯父夫婦は、俺がいなくなってスッキリしてると思う」
「そ……そう、なんだ。あっけらかんとしてるけど、けっこう複雑な人生送ってんのね」
「だからって訳じゃないけど、出来れば俺は、ここにいたい。スセリと家族になりたい」
身体ごと向き直ったショウは、微笑を浮かべながらも真剣な眼差しを彼女へ向けた。
「スセリは、どう? 俺は、ここにいない方が……いい?」
「う……!」
スセリはたじろぐように言葉に詰まり、弾かれたように背を向ける。う〜、と俯いて唸っているが、耳の先端まで真っ赤になっていた。
そのまま、かなり長い間沈黙してから、
「……いても……いい」
蚊の鳴くような声で精一杯の答えを返す。
あまりに動きがない事で心配になったショウは、スセリへ歩み寄る途中でその言葉を聞いた。いちど立ち止まった彼は、じんわりと滲み出すような嬉しそうな笑顔を浮かべる。
「ありがとう……」
歩みを再開したショウはスセリの背後に立ち、
「じゃあ、これからもよろしく」
腰を曲げて、彼女の赤らむ耳に、そっと唇を触れさせた。
「ひっ――!?」
スセリはその耳を押さえて、驚いたように顔を上げた。
「いっ、いきなり何すんのよ馬鹿! スケベ!!」
あんた調子乗りすぎなのよっ、と身体を起こす彼女に快活に笑い返しながら、ショウは逃げるように走り出す。
「待ちなさい!!」
そう言ってスセリは立ち上がり、彼を追おうとするが――
それより早く、ビタンッ、と小さな子供のようにショウが転倒した。
してやったりという風情で、んっふっふ、とほくそ笑むスセリの視線の先――彼の足首には、甘えるように無数の蛇たちが絡みついていた。
学校の周辺には田畑が広がり、ほど近い所に二千メートル級の山々が連なっている。そんな立地と、心身ともに健全な生徒の育成を掲げる学校側の方針により、この行事は伝統となっていた。
健全な魂は健全な肉体に宿る、といえば聞こえはいい。健全な肉体作りのために時間を割けば、相対的に他の事――邪な事をしている余裕はなくなるのだから、そういう意味では間違いではないのだろう。
しかし伝統に目の曇った学校側は、この言葉の表面だけを盲目的に信じてでもいるらしく、一ヶ月前から体育の授業をただひたすら走るだけの体力作りに変更し、生徒たちの不興を買っていた。行事に積極的な年配の教師たちなど、兎跳びが奨励されていたり、運動の途中で水を飲んではいけないなどと言われていた時代から生き残る古代生物扱いである。
不満を爆発させた生徒たちにより地味に退学率の上がる時期でもあり、行事が終わるまでの短期間の不登校に陥る者もいた。
(……で、まあ――そんな思いまでしておきながら、はぐれている訳だ)
枝ぶりのいい木の根本に座りこんで、ショウは頬を伝う雨水を手の甲で拭った。山の天気は変わりやすいとは聞いていたが、ここまでとは思わなかった。
もともと今回の登山は天候に若干の不安を残していた。しかし思考まで筋肉と化した学校側は、予定を強行したのだ。
彼らが単に楽観的だっただけなのか、人は気合で天気を変えられると本気で信じる狂人だったのかはショウには分からない。どちらでもいい、というのが正確か。
とはいえ、そのシワ寄せが自分に来るのは理不尽だと思った。金銭がらみの大人の事情があるらしいという噂は生徒たちの間でも囁かれていたが、そんなものは知った事ではない。
空を見上げれば、僅かではあるが雨は弱まったようだった。他の生徒たちとはぐれたときのような、辺り一面を煙らせて一メートル先すら判然としないほどの勢いはなくなっている。
ただ、代わりと言ってはなんだが、風が出てきていた。横から雨滴に打ち据えられ、雨宿りの意味は殆どなくなっている。
(場所、変えないと……)
出来れば洞窟のようなものがあればありがたかったが、風を遮る事が出来るなら、岩陰のようなものでも文句はなかった。とにかく、体温が下がる事は避けたい。夏の雨だからと侮ってはいけないと、事前学習で言われていた。
ショウは腰を上げ、水やら簡単な食糧やら着替えやらが入ったリュックを持ち上げる。まだ初日なためか中身も多く、背負うと肩紐が食いこんだ。
風は強く、吹く方向が一定ではなかった。右から左から煽られながら、転ばないように足を踏ん張り、木の幹に手をついて進む。
しかし水を吸った山は、それまでとは全く違っていた。土は弛んで足元を不安定にさせ、苔むした木の幹は思わぬ瞬間に滑る。
パキ、と小枝を踏む音と共に足裏から伝わってきた妙に柔らかい感触≠ノ、脳内で警鐘が鳴らされる――が、遅い。
(しまっ――)
そう思う間もなく地面が滑り、ショウは為す術もなく斜面を滑落していった。
※
何かを得るには代償が必要とされる――いつ何処で聞いたのかは憶えていなかったが、そんな言葉を何となく思い出していた。
どれほど滑落したのかは分からないが、俯せるショウの眼前には、ぽっかりと洞窟が口を開けている。岩肌を覗かせるそれは、ただの穴とは違って間違っても崩れそうにない。
「…………」
ショウは上げていた顔を伏せて溜息をついた。助かったとは思うのだが、その代償が無数の打撲と擦り傷――加えて泥まみれになるというのは割に合っているのかどうか。
転がっていても仕方がないと思い、のろのろと立ち上がる。滑落中に肩紐が切れたらしい、やや離れた所に転がっているリュックを拾って、洞窟へと足を踏み入れた。
洞窟の内壁は土がこびりついたりしているものの、外から見た通りの丈夫そうな岩肌だった。奥行きは、かなり深い。
再び雨が強まってきているのに気づき、ショウは三メートルほど進んで腰を下ろした。ここまでは、雨も吹きこんでは来ない。
直後、閃光と共に雷鳴が轟く。
「……一晩中、降りそうだな」
轟音の影響か、その独り言は少し聞き取りづらかった。
ショウはリュックから水筒を一つ取り出す。まともな手当など望むべくもないが、せめて傷口の泥くらいは洗い流しておきたい。飲み水が減るのは痛いが、丸二日以上、降り続きでもしない限りは大丈夫だろう。
一通り汚れを落とし、取り出したタオルで水気を拭う。リュックの中まで水が入っていないのが幸いだった。硬いビスケットを始めとした乾燥食料も、少しずつ食べれば数日は持つだろう。
「ふぅ……」
背中にゴツゴツした岩肌を感じながら、ショウは天井を見上げる。コウモリは、いそうにない。
外は、どんどん暗くなってきていた。それにつれて、轟音の後に閃く稲光が目立つようになっている。
目をやられないように、視線を洞窟の奥へ向ける。僅かに遅れて、また閃光。
(……?)
その瞬間、虚空に何かが光ったような気がした。二つ並んだ光。
何かあるのかと目を凝らし、身を乗り出したところで、
「――!?」
不可解な感覚に襲われ、ショウの意識は沈んでいった。
「誰、だ……?」
それがちゃんと言葉になっていたかは、確信が持てなかった。
※
何処かに寝かされている。意識が戻って初めに思ったのは、それだった。
それなりに柔らかくはあったが、ベッドなどとは違う。頭を動かす度に耳に届くワシャワシャした音は、何となく干し草のようなものを想像させた。
「……ようやく、お目覚めね」
突然の声と同時に何者かの気配を近くに感じ、ショウは目を見開いた。
「――誰だ!?」
跳ねるように上半身を起こす。
声からすると女性――というか少女のようだが、何にせよ彼女は嘆息したようだった。
「人んちに勝手に入ってきといて、誰だ、はないんじゃない? しかも、二回も」
(人んち……?)
訝しむようにショウは眉根を寄せ、少女はほくそ笑んだのか、ふふっ、と声を洩らした。
「まあ、いいわ。あたしにとっては渡りに舟だし、勝手に入ってきた報いは受けてもらうわよ」
「……報い?」
その高慢で高飛車な物言いに、思わずショウは訊き返す。
「ええ、そう。報い。何をされるかは、あたしの姿を見れば分かるわよね?」
「…………」
優越感を滲ませる少女に、ショウは沈黙して目を伏せた。言葉に迷うような間を空け、意を決したように口を開く。
「……ごめん。そもそも、真っ暗で何も見えないんだけど」
「…………」
白けた空気が場を支配した。
少女は小さく舌打ちをすると、パチン、と指を鳴らす。それを合図に、壁にかけられているいくつもの松明に同時に火が灯った。
(魔法……)
こんな洞窟を家だと言うあたり普通の人ではないと思ってはいたが、そもそも人ではなかったらしい。
「これで分かるわよね?」
そう言って睥睨するように目を細めて見せたのは、異形の少女だった。
まず目を引くのは、その下半身だろう。蛇のような――というか、まさしく蛇だった。腰に巻いた薄い布から下は、びっしりと鱗が生えている。
「ラミア……?」
「メドゥーサよ」
思わず洩れた言葉に、少女は僅かに険悪な声音で答えた。切れ長の目には不機嫌そうな色が滲んでいる。
その言葉の通り、彼女の頭は長い髪が途中から無数の蛇に変わっていた。それぞれが勝手に動いているように見えるが、何となく視線だけは全て自分に集まっているとショウには感じられる。
「で、ええと……結局、君が俺をここに運んでくれたって事でいいの?」
「他に誰かいるように見えるんなら、あんた相当、目ぇ悪いのね」
遠慮がちに訊くと、少女は馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「ああ、じゃあ君の肩の辺りに薄く見える人の顔みたいなのは、俺の見間違い――」
「いやああああああ!!」
流石は蛇身と言うべきか、ショウが言い終わらないうちに少女は音もなく壁際まで後退する。もっとも、ただでさえ金切り声な悲鳴が洞窟内に反響して全力で聴覚を潰しにきたため、厳密には無音ではなかったが。
「あー……何か、ごめん」
隅っこで蹲り涙目になっている少女の姿に、流石に申し訳なくなってショウは謝った。
「な……何よ。嘘なの……!? やめてよね! あたし、そういうの苦手なんだから!!」
真っ赤な顔で目尻を吊り上げ、少女は些か子供っぽい仕種で涙を拭う。
「ていうか、あんた態度デカすぎるのよ! これから何されるか分かってんの!?」
「ん、まあ……一応」
個人的な交流こそないが、学校にも魔物はいる。彼女たちの生態については聞き及んでいたし、授業でも学んでいた。
「何よ……妙に冷静ね。怖いとか嫌だとか、ないの?」
「うん……別に」
それが下半身が蛇である事を指すのだとしても、自然豊かな田舎では、その手の魔物など珍しくもない。以前、遠目からだが彼女と同じように下半身が蛇な魔物が山に入っていくのを見た事もある。
「それに……自分で言うのもなんだけど、モテない身としては可愛い子に求められるのは嬉しくもあるし」
「なっ――!?」
サラリと零したショウの言葉に、少女は絶句した。尖った耳の先まで真っ赤になり、パクパクと虚しく口を開閉する。
「なっ――ばっ、馬鹿じゃないの!? 可愛いとか、そんな……そんなこと言ったって逃がしたりしないんだから!!」
「うん。君が俺でいいって言うなら、いいよ。タイプだし」
照れくささを滲ませながらも薄く笑むショウに、少女は悔しそうに赤い顔でプルプル震えていた。
「な……生意気。人間のくせに……」
少女は再び音もなく近づいてくると、そのままの勢いでショウの胸を突いて、彼を仰向けに転がす。ガサッと干し草が鳴った。どうやら、ここは彼女の寝床らしい。
「絶対、泣かす。ヒイヒイ言わせてやるから、覚悟しなさい!」
「……いや、既に泣きそうなんだけど。何、この蛇たち。何で俺に寄って来るの?」
ワサワサと腕やら首筋やらに這い寄って来る無数の蛇に、流石のショウも表情が引きつる。あくまで魔物であり少女である彼女に対しては感じなかった恐怖も、蛇そのものとなれば話は別だった。噛まれて死んだ者の話はいくらでもあり、そういう刷りこみもあるのだろう。
少女はハッとしたように、その蛇だか髪だかを背中へ払った。
「うっ、煩いわね。何でもないわよ!」
「……また近寄ってくるけど」
のしかかろうとしていた少女は暫し動きを止め、苦虫を噛み潰したような表情で上体を起こした。何処からか取り出した紐で、髪――というか蛇を一括りにする。
「これでいいわ」
「……噛み切ろうとしてるみたいだけど?」
「それまでに終わらせればいいのよ!」
ガバッと少女はショウを押し倒した。ふっくらと瑞々しい、形の良い唇の端を吊り上げる。
「さあて、どうしてやろうかしら? さんざん生意気なこと言ってくれたんだし、徹底的に犯し抜いてやるんだから」
情欲に濁る目を嗜虐的に細め、至近距離で彼女は囁いた。火照る体温と吐息が、冷えた身体に心地いい。
サワ、と少女の手が股間を撫でると、ショウの表情がピクンと反応した。
「気持ちいいの? 情けないわね、ちょっと撫でられたくらいで硬くして」
「ああ、いや……何ていうか、いきなり本題に入るのって余裕ない感じしない?」
嬲るように言う少女にショウが遠慮がちにな声を上げると、彼女はムッとしたように動きを止める。
「う、煩いわね。分かってるわよ、そんな事」
何故かどもりながら、少女は僅かに身を引いた。
「それに、まだ自己紹介とかしてないし……。ええと、俺はショウっていうんだけど」
「……スセリ、よ」
つられて名乗りながら、少女――スセリはハッとなる。
「ていうか、あんたの名前なんて、どうでもいいのよ! ええと、まずは――」
独り言のように続く悩むような彼女の言葉に、
「……キスとか?」
とショウは提案してみた。
スセリの顔が、爆発的に赤くなった。
「ばっ、馬鹿じゃないの!? な……何であたしが、あんたとキスしなきゃならないのよ! あんたは、あくまであたしに搾られるだけなんだから、自惚れんじゃないわよ!」
プイッとそっぽを向くスセリに、ショウはカリカリと頬を掻く。
「……ええと、ごめん。無理、言ったみたいで」
ピク、とスセリの耳が動いた。
「別に、無理……とかじゃ……」
「いや……確かに、ちょっと調子乗ってたかも。ごめん……」
申し訳なさそうなショウを横目に見て、スセリはきつく歯を食いしばる。
「――煩いわね、無理じゃないって言ってんでしょ! いちいち謝らないで!」
彼女は自棄くそ気味にショウの胸ぐらを掴み、上体を起こさせた。
「いいわよ――してやるわよ、キスくらい。目ぇ閉じなさい!」
「え……と、うん」
驚いて瞬きを繰り返すショウが頷いて目を瞑ると、暗闇の向こうで小さく深呼吸のような音が聞こえた。
「い……いくわよ?」
何故かスセリは、わざわざ断りを入れてきた。ゆっくりと顔を近づけてきているのが気配で分かる。
ふわり、と唇が触れた――と思う間もなく離れていく。掠めたと表現した方が正確かもしれない。感触らしい感触すらなかった。
数秒待ってから目を開けると、何故か至近距離で真っ赤な顔のスセリに睨まれていた。
訳が分からずショウが見返していると、根負けしたかのように彼女が目を逸らす。
「何よ……どうせ、短いだとか下手だとか思ってるんでしょ」
「いや……」
それ以前の問題だったような気がした。短いのはともかく。
スセリは脈絡なく、悔しげに、くっ、と呻く。
「ていうか、あんた生意気なのよ! 人間のくせに、あたしからさせようだなんて身の程を知りなさい! いい? あんたは、あたしに捕まったの。あたしに犯されるの。あたしが上位で、あんたは奉仕者。人に色々言う暇があるんなら、まず自分がして見せなさいよ! どれほどのもんか、見極めてやるわ!」
両手で胸ぐらを掴んで逆ギレ気味に畳みかけるスセリに、ショウは降参するように、或いは押し留めようとするように両手を上げていた。
※
「ええと、じゃあ……」
遠慮がちに言いながら、ショウはスセリの頬に手を伸ばす。指先が触れた瞬間、彼女の身体がビクッと震えた。
「き、気安く触らないでよ……」
「流石に指一本触れずにってのは、無理」
ただでさえ上体を引き気味のスセリに、ショウは苦笑。
「分かったわよ……」
見つめ返すと、彼女は渋々といった感じで目を閉じた。
「……さっさとしなさい」
「うん……」
頬から首の後ろへと手を回して引き寄せようとするが、そこでショウは動きを止める。
ギュッと目を瞑って小さく震えていたスセリが、やがて訝しげに、おそるおそる片目を開けた。
「……何よ」
「いや……蛇たちが一致団結して、一括りになったまま俺の腕に巻きつこうとしてるんだけど」
「無視しなさい! あたしの機嫌を損ねたりしない限り、噛まれたりはしないわ」
「…………」
既に何度か機嫌を損ねている気がするショウの背筋に寒いものが走る。
「ほら、早く」
急かされて、ショウはスセリを抱き寄せた。細かく睫毛を震わせる彼女の様子に密かに微笑ましさを覚えながら、唇を重ねる。
「んっ……」
鼻にかかった小さな甘い声と共に、吐息が頬をくすぐった。柔らかな唇は、しっとりと吸いついてくる。
力を入れて身体を硬くするスセリを、ショウはその緊張をほぐすように頭から背中まで優しく撫で下ろした。啄むように短いキスを繰り返しているうちに、彼女の身体から力が抜けていく。
「……っは……ぁ……」
呼吸が浅くなってでもいたのか、苦しげにスセリの唇が弛んだ瞬間、ショウは彼女の上唇の真ん中の尖ったところを舌先でチロッと舐めた。
「――っ!? なっ、何よ。舌入れるなんて聞いてな……んぅ……!」
驚いたように身体を離そうとする彼女を逃がさないように抱きしめ、唇を押しつけて舌を差し入れる。
「んっ……んんっ……!」
どうすればいいか分からないというように、奥に引っこんで固まっているスセリの舌を優しく撫でた。促し、誘い出すように舌先でくすぐっていると、押し退けようとショウの胸に当てられていた彼女の腕から力が抜けていく。
やがて、ゆっくりと、おそるおそる相手の方からも舌を絡めてきた。ちゅ……くちゅる……ぷちゅ――静かな薄暗い洞窟内に、互いの舌で唾液を混ぜ合わせる淫靡な音が響く。そのまま、熱く蕩け合うような感触に溺れた。
「ん……ふ、ぅ……は……ぁ」
スセリの息が続かなくなるほど長く口づけてから、ショウはゆっくりと顔を離した。彼女はトロンとした表情で頬を染め、唇の間に小さく覗く舌先からは僅かに粘性を帯びた透明な糸が伸びている。
プツ、とそれが切れる感触を自分の唇に感じながら、ショウは自信なさげに口を開いた。
「ええと……どうかな。俺も実際にした事はないから下手だったかも知れないけど……気持ちよくなかったら、ごめん」
赤い顔でぼんやりとしながら、指先で唇をなぞっていたスセリは、ハッとなって顔を背ける。
「まっ……まあまあ、ね」
「まあまあ、か……残念」
「いや、その……悪くはなかったわよ」
「……良かった」
安心したようにショウが微笑むと、それを横目に見ていた彼女の顔は更に赤くなった。
「と――とにかくキスも済んだんだから、さっさとやる事やるわよ!」
両手でショウを突き倒して、スセリはその上にのしかかる。
先程のように股間を撫でさすられると、んっ、とショウは声を洩らした。快感を堪えるように目を細める。
「ふふっ……」
上気した顔で満足げな笑みを浮かべながら、スセリが首筋へ舌を這わせてきた。
「ぁ……」
ぬるりとした感触に舐め上げられて、ショウは思わず小さく声を洩らす。いつの間にか、自然に舐められている側を晒すように首を傾けていた。
代わりに、目の前には白くて張りのある胸が揺れている。自然とそこへ手が伸び、服とも言えない薄布の上から、持ち上げるように優しく撫でた。と、
「――ぅひい!?」
妙な悲鳴と共にスセリが慌てて身体を起こした。両手で抱きしめるように胸を隠している。
「なっ……なに勝手に触ってんのよ、スケベ! 変態!!」
「いや……何か、されるだけってのも申し訳なくて」
思わぬ反応の大きさに、ショウは胸に触れたときのまま固まる。
「あんたは余計なこと考えてないで、あたしにされるがままでいればいいのよ! それでヒイヒイよがってなさい!」
一向に赤みの引かない顔のまま指を突きつけてくるスセリに、ショウは悔いるように眉尻を下げた。
「ごめん。気持ち悪かった……?」
「そんな訳っ――」
反射的に叫びかけたところで、慌ててスセリは口を押さえる。
「そんな事も……ない、けど……」
「……嫌じゃなかった?」
「……別に」
それでもよほど驚いたのか、彼女の目尻には涙が溜まっていた。
謝るようにショウはスセリの手を優しく掴む。ゆっくり引っ張ると、意外と素直に彼女はしなだれかかってきた。
「何か、あんた……女の扱いに慣れてる感じがするわ」
「そんな訳ないよ。モテた事ないし、これでも心臓バクバクだし」
掴んだ相手の手を、ショウは自分の胸に宛がう。
「あんたが知らないだけで、あんたのこと好きな女がいるかも知れないじゃない」
「んー……でも俺が知らないんだから、いないも同然だよね」
それに、と彼は呟き、
「俺は、スセリの方がいい」
えっ、と彼女が呆然となっている間に、その頭を反対の手で引き寄せて再び唇を重ねた。今度は舌は入れないまま、唇の感触だけを味わう。
完全に頭が真っ白になったのか、スセリは目を見開いて固まっていた。唇を離すと、彼女は怒ったような、照れくさいような、ニヤケそうなのを堪えているような、複雑な表情でショウを睨んできていた。
「二度も三度も……人の唇を何だと思ってるのよ」
「気持ち良いもの……?」
素直に答えると、くっ、と呻いてスセリは顔を伏せる。
「……変態」
「いいじゃん。さっきから俺、どんどんスセリのこと好きになってるし」
その頭を撫で、
「続き、しよう?」
囁くように言うと、彼女は小さく頷いた。
※
やわやわと胸をさすると、スセリは耳まで赤くして耐えるようにギュッと目を閉じた。
互いに身体は起こしている。至近距離で向かい合った状態だ。
ショウは下から薄布の隙間に手を入れ、直に胸に触れる。
「柔らかい……」
手を動かせばスベスベと滑らかなのに、ゆっくりと握る力を強めていくと、しっとりとした弾力の中に指が何処までも沈みこむようだった。
「……楽しそうな顔して」
いつの間にか目を開けたスセリが、相変わらずな顔色のまま恨みがましげに言う。
「されるばっかじゃ悪いって言ったのは、あんたなんだからね……!」
いつの間にか彼女の手は、ショウのズボンを脱がしにかかっていた。ほどなく彼のモノを取り出すと、手の中に握って優しく扱き始める。
「もうこんなに硬くして……あんた、まさか早漏だったりしないわよね」
「分かんないけど、しょうがないよ。好きな子と、こんな事してるんだし」
「すっ――好きとか、そんな簡単に言うんじゃないわよ!」
「ごめん……」
扱く力が強まるのを感じながら、ショウは乳房を片方持ち上げて先端を舌先で転がした。
「ひんっ――!? ちょっ、ちょっと舐め――やぁ……っ」
ピクン、ピクンと身体を震わせながら、スセリは身を引こうとする。
「嫌だった……?」
「ぅ……嫌……じゃ、ない」
俯いて手の止まる彼女に、よかった、とショウは微笑んだ。
「うぅ……」
スセリは屈辱的な表情で呻いて、涙目のままキッと顔を上げる。
「あ……あたしだって、やられっぱなしのままじゃないんだから!」
そう言って腰布の結び目がほどかれると、その下からは人間のものとは違う形であろう女性器が現れた。見た事のないショウには、具体的な差異は分からないが。
彼女は、そのまま勢いよく彼を押し倒す。
「後悔するといいわ」
「しないよ……」
穏やかに見上げるショウの言葉に、その頬は更に赤くなった。
スセリの女性器周りは、既に夥しい量の愛液を溢れさせていた。それが屹立したショウの亀頭に滴り落ちる。後を追うように彼女は腰を沈ませ、
「んっ……!」
いやらしく濡れた粘膜同士が触れ合った瞬間に小さく声を洩らすと、
「ん――ぁはあ……!!」
快楽に犯された吐息混じりの嬌声と共に、一気にショウのモノを銜えこんできた。
「くっ……ぅ!」
ショウの方も目を閉じ、快感に耐えるように小さく声を洩らす。
スセリの膣内は、温かくて柔らかかった。にも関わらず、彼のモノを切ないほど必死に締めつけてくる。そのまま本当に一つにでもなろうとしているように、少しでも腰を引くと膣壁のヒダヒダがそれを逃すまいと絡みついてくるようだった。
「んっ……んっ……ふぁ、っは……ああっ」
ショウの身体を抱きしめながら、規則的に甘い声を洩らすスセリが腰を上下させる。それに合わせてショウも下から突き上げると、彼女の声は獣じみてすら聞こえるほど大きくなった。
けれど、その獣には決して、醜悪で血に飢えたような獰猛さはない。もっと優美で神々しく、けれど意地っ張りで照れ屋で、誰より純情な獣だ。
ショウが愛すべき獣に唇を合わせると、今度は彼女の方から舌を差し入れてきた。舌を絡ませ、二人分の混ざり合った唾液を飲みこんだり唇同士の間から零したりしながら、突き上げるペースを一気に速める。
唇を離したスセリの喘ぎ声も、呼応するように速まった。ショウの胸に手を置いて、背を逸らすようにして弾力のある胸を上下に揺らしていた彼女は、やがて、ひときわ大きな声を上げるとビクビクッと体を震わせる。
同時に、ショウも絶頂に達した。くたっと身体の上に倒れこんでくるスセリの腰を両手で掴み、精液が吐き出される感触に浸りながら数回モノを出し入れして、残さず欲望を彼女の中へ流しこむ。
「っん……ぁ、はあ……」
重なり、繋がりあったまま、荒くなった息を整える。やがてスセリが、顔を背けたまま小さな声で呟いた。
「……ど……どう、だった……?」
強気で自信ありげだった彼女とは思えないような不安そうな声に、ショウは必至で笑いを堪える。安心させるように、その身体を抱き、
「良かったよ……凄く。気持ちよかった」
ピクッと身体を強張らせたスセリは軽く鼻を鳴らし、
「ま……まあ、当然よ。このあたしにかかれば、あんたみたいなのなんて、本当なら瞬殺なんだから」
「……手加減してくれたんだ。でも、それじゃあスセリは満足できなかったんじゃない?」
「そんな事っ――は、どうでもいいのよ! あたしは初めから、あんたを搾るだけのつもりだったんだから!! な……なに自惚れてんのよ」
「ああ、そっか……」
ショウが納得すると、スセリは人知れず唇を噛んだ。ナンデソコデナットクスンノヨ、と声には出さずに呟く。
「……そういえば、あんたって、この後どうすんの?」
「どうしよう……。実は、ここに来る前にずいぶん滑落したから、ここが何処か分からないんだよね――」
途方に暮れたようなショウの語尾を攫うように、
「なっ――なら帰り道が分かるまで、ここにいてもいいわよ?」
しょうがないから、と、わざとらしいほど強調してスセリは言った。
「でも、迷惑でしょ」
「そんな事な――くはないけど、我慢してあげるわよ!」
何故か彼女が頬を膨らませるような感触を肩だか首筋だかに感じながら、ショウは小さく息を吐く。
「じゃあ申し訳ないけど、帰り方が分かるまで、お世話になるね」
「ええ、そうね。帰り方が分かるまで、ね……」
「あと……」
「……何よ?」
「蛇が邪魔」
「…………」
力を合わせて戒めを解くという偉業を達成した蛇たちは、勝者の特権とでもいうようにショウの身体中に擦り寄り、絡みついていた。
※
天気のいい、ある日の午後だった。
洞窟前の開けた場所では、はためく洗濯物の風下でショウが火を焚き、燻製肉を作っている。
風上の陽当たりのいい場所で日向ぼっこをしていたスセリは、チラチラと彼の方を窺いながら人知れず何度も深呼吸を繰り返していた。やがて何度目かも分からない吐息と共に身を起こした彼女は、そちらに背を向けて、さも独り言ですといった風情で口を開く。
「あんた……いつまでいるのよ」
「え……?」
風下にいるためか、その声はショウの耳まで届いた。顔を上げて振り返った彼は、申し訳なさそうに微笑む。
「ごめん、迷惑かけて」
「迷惑じゃ……ないけど。でも、待ってる人とかいるんじゃないの? 家族とか」
その言葉に僅かに間を開けたショウは、小さく悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「……家族」
そう言ってスセリを指差すと、肩越しに窺い見ていた彼女の肩がギョッとしたように跳ねる。
「なっ――何であたしが、あんたの家族なのよ!? そうじゃなくて、本当の家族の事よ!」
「いないよ。俺の世話を押しつけられた伯父夫婦は、俺がいなくなってスッキリしてると思う」
「そ……そう、なんだ。あっけらかんとしてるけど、けっこう複雑な人生送ってんのね」
「だからって訳じゃないけど、出来れば俺は、ここにいたい。スセリと家族になりたい」
身体ごと向き直ったショウは、微笑を浮かべながらも真剣な眼差しを彼女へ向けた。
「スセリは、どう? 俺は、ここにいない方が……いい?」
「う……!」
スセリはたじろぐように言葉に詰まり、弾かれたように背を向ける。う〜、と俯いて唸っているが、耳の先端まで真っ赤になっていた。
そのまま、かなり長い間沈黙してから、
「……いても……いい」
蚊の鳴くような声で精一杯の答えを返す。
あまりに動きがない事で心配になったショウは、スセリへ歩み寄る途中でその言葉を聞いた。いちど立ち止まった彼は、じんわりと滲み出すような嬉しそうな笑顔を浮かべる。
「ありがとう……」
歩みを再開したショウはスセリの背後に立ち、
「じゃあ、これからもよろしく」
腰を曲げて、彼女の赤らむ耳に、そっと唇を触れさせた。
「ひっ――!?」
スセリはその耳を押さえて、驚いたように顔を上げた。
「いっ、いきなり何すんのよ馬鹿! スケベ!!」
あんた調子乗りすぎなのよっ、と身体を起こす彼女に快活に笑い返しながら、ショウは逃げるように走り出す。
「待ちなさい!!」
そう言ってスセリは立ち上がり、彼を追おうとするが――
それより早く、ビタンッ、と小さな子供のようにショウが転倒した。
してやったりという風情で、んっふっふ、とほくそ笑むスセリの視線の先――彼の足首には、甘えるように無数の蛇たちが絡みついていた。
11/12/27 20:05更新 / azure