読切小説
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うみでおひるね
 その村の近くには、少しだけ大きな川が流れていました。
 子供の胸ほどの深さがありましたが、流れは緩やかです。
 川の両脇には草花が生い茂り、暖かな陽の光の中をミツバチやチョウチョが飛び回っていました。

 その川には、サハギンという生き物が棲んでいました。
 でも田舎の村なので、誰もその名前を知りません。大人達も知りませんでした。
 だから村の人達は、彼女達を川の人≠ニ呼んでいました。

 暑い日には村の大人に付き添われて、子供達が遊びに来ます。
 辺りを駆け回ったり、浅瀬に入って水をかけ合ったりしながら、笑い声が絶えません。
 深さはあっても流れのゆっくりした川なので、それほど危なくはありませんでした。
 でも時々は、溺れてしまう子もいます。
 そんな時さり気なく助けてくれる川の人を、村の人達は大切な友達として扱っていました。
 けれど、とても無口で恥ずかしがり屋さんな川の人は、お礼を言ってもすぐに川の中へ飛び込んでしまいます。
 だから村の人達は助けてもらった川岸に食べ物などを置いて、それをお礼の代わりにしました。
 次の日に見に行くと食べ物はなくなっていて、代わりにごちそうさま≠ニかおいしかった≠ニいうメッセージが並べた小石で書かれていました。
 可愛いお礼に村の人達は、いつも笑顔になって帰って行くのでした。


 そんな川に、ある日ひとりのサハギンさんがプカプカと浮いていました。
 ゆっくりと左右に動かす尻尾で流れに逆らい、眠そうな目で空を見上げています。
 サハギンさんは、そうやって水に浮きながら空を見たり、お昼寝をするのが好きでした。
 でも流れに逆らい続けなくてはいけないので、ぐっすり眠る事は出来ません。
 ときどき尻尾を動かすのを忘れて流されてしまい、下流の方に向いた頭を、水から顔を覗かせた大きな石にぶつけてしまったりもします。
 この日のサハギンさんも、そうでした。
 涙目になりながら頭を押さえていると、いつの間にか川岸の土手に、一人の青年が横になっています。

 きょうも、きた。

 心の中で、そう思いました。
 その青年の事を、サハギンさんは知っていました。
 お天気の日には、よく土手でお昼寝をしています。
 お日様に照らされた金色の髪がキラキラして、とても綺麗です。
 いつの間にかサハギンさんは見惚れて、川岸に両手で頬杖をついてそれを眺めていました。
 と、何処からか飛んで来たテントウ虫が、青年の鼻の頭にとまりました。
 ムズムズしたのか、青年はくしゃみをします。
 その様子が可笑しくて、サハギンさんはクスクスと笑いました。
 笑い声が聞こえたのか、くしゃみのせいか、青年は目を覚ましました。
 青年の顔が自分の方に向きそうになると、サハギンさんは慌てて水の中に隠れてしまいます。
 どうして隠れてしまうのかは、サハギンさんにも分かりませんでした。
 青年は不思議そうに辺りを見回しています。誰かに見られている気がしたのに、辺りには誰も居ません。

 気のせいかな?

 そう思いながら背伸びをし、立ち上がった青年は村へと帰って行きました。


 サハギンさんはお昼寝が好きでしたが、眠ってしまって流されて、石に頭をぶつけるのは痛いので嫌でした。
 流れない川があればいいのに、と思っていると、お友達が言いました。

 海って知ってる?

 そこには沢山の水があり、とても広くて、それが何処までも何処までも続いているそうです。
 サハギンさんはワクワクしました。
 そこでなら、きっと頭をぶつけないで、ゆっくりとお昼寝が出来る筈です。

 いってみたいなぁ……。

 サハギンさんは、まだ見ぬ海に想いを馳せます。
 沢山たくさん想像をして、海の夢を見られる事を願いながら眠りにつきました。


 ザアザアと川が啼いています。
 綺麗な水は茶色く濁り、ゆっくりな筈の流れは、とても速くなっていました。
 大雨が降ったのです。
 川から村へと水を引いている用水路の周りへ、村の人達が砂の入った袋を並べていました。
 あまりに沢山の水が流れ込むと、村の畑が駄目になってしまうのです。
 もう小さくない子供達も、お手伝いをしていました。
 危ないので、大人達のところまで砂の入った袋を運ぶのがお仕事です。
 そんな子供達と大人達の間に、一人の少年がいました。
 運ばれた砂の袋を大人達に渡すお仕事です。
 あまり危険ではなさそうですが、実は川岸に立つのは、大雨の時にはとても危険です。
 重い砂の袋を持っていたのも、運が悪かったのでしょう。
 たくさん雨を吸って柔らかくなった地面は、簡単に崩れてしまいました。

 あ……。

 そう思った時には、もう少年の身体は川に落ちてしまっていました。
 少年は泳ぎは得意でしたが、濡れた服が身体にくっついて上手く泳げません。
 勢いのある流れに揉みくちゃにされ、たくさん水を飲んでしまいました。
 冷たい水が、だんだん体温を奪って行きます。
 もう目を開けていられません。
 何か硬い物に頭をぶつけました。

 たすけ……だれ、か……。

 弱々しく伸ばされた手は、殆ど感覚がありませんでした。
 誰かがその手を握ってくれた気がしましたが、気のせいかもしれません。
 でも、その後、少年の身体は誰かに優しく抱きしめられました。
 だから、もう大丈夫。
 少年は、ゆっくりと気を失いました。

 サハギンさんは、ゆっくりと目を開けます。
 しばらくボーっとした後に、ぷう、と頬を膨らませました。

 うみのゆめじゃなかった。

 拗ねたように、コロンと寝返りを打ちました。


 今日も、いいお天気です。
 いつもの場所に、いつもより少し遅い時間に行くと、土手にはあの青年が先に来ていました。
 青年の寝顔は、いつも、ただ目を閉じているような寝顔なのですが、今日は薄く口を開けて、随分とぐっすり眠っています。
 疲れているのでしょうか。
 村でのお仕事が忙しかったのかも知れません。
 そんな寝顔が少しだけ子供っぽく見えるのが可愛くて、サハギンさんは小さく微笑みました。
 今日も、金色の髪はキラキラと綺麗です。
 青年がぐっすりと眠っているので、サハギンさんは少しだけ勇気を出してみました。
 川から上がり、ぺたぺたした足取りで近づいて行きます。
 青年の隣にペタンと座り、顔を覗きこんでみました。
 こんなに近くで青年を見るのは初めてです。サハギンさんは、何だかドキドキしてきました。
 すると気配を感じたのか、青年の瞼がピクピクと震えました。目を覚まそうとしているのです。
 サハギンさんは慌てました。
 こんなに近くで見ていたのがバレたら、怒られてしまうかも知れません。
 けれどサハギンさんが逃げ出すより早く、青年が目を開けてしまいました。

 あ……。

 サハギンさんは、ドキッとしました。見つかってしまったからではありません。
 青年の瞳は、とても綺麗な青い色をしていました。
 サハギンさんの好きな、空の色です。そして行ってみたい、海の色でした。

 きれい……。

 心の中で思うサハギンさんを、青年も驚いたように見ています。よっぽど驚いたのか、目がまんまるでした。
 その青はとても深く、透き通っていました。何処までも何処までも吸いこまれるような瞳です。
 サハギンさんは、それを、ずっと見ていたいと思いました。
 もっと、よく見たいと思いました。

 もっと、ちかくで……。

 ふにゅ、という柔らかい感触で、サハギンさんは我に返ります。
 何だか唇が、少しだけヒンヤリした柔らかいものに触れていました。
 すぐ目の前で、青年はパチパチと瞬きを繰り返しています。
 いつの間にか、二人の唇がくっついてしまっていました。

 あっ……。

 サハギンさんは慌てて顔を離し、青年に背中を向けました。
 自分がした事を思い出すと、顔が熱くて仕方がありません。
 怒られたらどうしよう、と思いながらも、いつの間にか指先で唇をなぞっていました。
 そんなサハギンさんを暫く眺めていた青年は、ふっ、と小さく噴き出しました。

 あっははははは!

 そのまま、お腹を抱えて笑い始めます。
 怒られなかった事には安心しましたが、サハギンさんは別の不安を抱きました。
 もしかして自分は、笑われてしまうほど変な外見をしているのだろうか。
 人間とサハギンの見た目が違うのは分かっていました。でも、それを笑われてしまうと、何だか泣きたくなってしまいます。
 でも、そんな不安は、すぐに吹き飛びました。
 青年は身体を起こすと、真っ直ぐにサハギンさんを見つめて来ます。
 とても優しく微笑う青年を見ていると何だか恥ずかしくなって来て、サハギンさんは俯いてしまいました。

 やっと会えたね。

 青年は言います。

 え……?

 サハギンさんは顔を上げました。

 僕がここで昼寝をしていたのは、もう一度きみに会いたかったからなんだ。

 けれどサハギンさんには、青年の言葉の意味が解りません。
 もう一度、という事は、何処かで会った事があるのでしょうか。

 僕の事を憶えてる?

 そう言って青年は、悪戯っぽい表情で前髪を掻き上げました。
 その額には、小さな傷跡が薄く残っています。
 サハギンさんは驚きました。そして自分の左手の甲を見ます。
 そこにもまた、小さな傷跡がありました。
 いつかの大雨の日に、溺れた少年を助けた時の傷でした。

 あのときの?

 サハギンさんは呆然と、青年の額の傷を見ています。
 あの日は、あの場所から沢山の血が出ていました。
 死んでしまうかも知れないと思うと怖くて、早く血が止まるように一生懸命、傷口を舐めてあげたのを思い出しました。

 この傷が消えてしまう前に、どうしても君に会って、お礼をしたかった。

 青年は本当に嬉しそうです。
 サハギンさんも、そこまで会いたがってくれていた事は、とても嬉しく思いました。

 でも、いい……おれいなんて……。

 そうです。サハギンさんは、別にそんなつもりで助けた訳ではないのです。
 お礼が欲しかった訳ではありません。
 それを言うなら、助けた少年がこうして元気に暮らしている事が、充分すぎる程のお礼なのです。

 でも……それじゃあ僕が納得できないんだ。

 青年は困ったような顔で言います。

 命を助けてもらったのに、何もお返しをしないなんて……。

 サハギンさんも困ってしまいました。
 青年は意外と頑固者のようです。

 僕に出来る事なら、何でもするよ。

 何でも、という言葉に、サハギンさんは少しだけグラつきました。
 本当の本当は、青年にしてほしい事は沢山ありました。
 一緒にお昼寝をしてみたいし、一緒にご飯を食べてみたい。
 もっと沢山お話をしてみたいし、もっと青年の事を知りたい。

 もういちど……きす、してみたい。

 口に出すのは恥ずかしいので、心の中だけで言いました。
 いつもいつも土手で寝ている青年を眺めているうちに、いつの間にかサハギンさんは青年の事が好きになってしまったのです。

 でも……。

 もし一つだけに絞るのなら。

 うみ……みてみたい。

 ポツリと呟いたサハギンさんの言葉に、青年は嬉しそうな顔をします。
 よっ、と勢いをつけて立ち上がりました。
 ビックリしたように見上げるサハギンさんに微笑みかけながら、青年は手を差し伸べます。

 じゃあ行こう……海へ!

 青年の言葉にサハギンさんは、信じられないような表情になりました。

 いいの?

 そう訊きながら見上げるサハギンさんの目に、少し驚いたような青年の顔が飛び込んできました。
 何だろうと思っていると、

 笑った顔、可愛い。

 ボッ、と音が聞こえそうな勢いで、サハギンさんが赤くなりました。
 自分が笑っていた事に、言われて初めて気づいたのです。
 拗ねたようにギュッと手を握ると、青年は勢いをつけてサハギンさんを引っ張り起こしてくれました。
 でも勢いがつきすぎて、サハギンさんは青年の腕の中へ倒れ込んでしまいます。
 慌てて身体を離そうとすると、青年はそのままサハギンさんを抱きしめました。

 ほんとはね……少し怖かったんだ。

 ビックリしながらも、サハギンさんは青年を見上げて続きを促します。

 僕の事を憶えてなかったら、どうしようって。

 そこでようやく、サハギンさんは青年が少し震えている事に気づきました。
 小さく笑って、安心させるように青年の身体に腕を回します。
 その感触に、青年は懐かしむような表情を見せました。
 あの日も、こうして抱きしめられたのを、何処かで憶えているのです。

 あのね……。

 抱きしめる腕に少しだけ力を籠めながら、青年はサハギンさんの耳元で、とっておきの秘密を打ち明けるように言います。

 僕は、ずっと君の事が好きだったんだよ。

 サハギンさんが固まりました。

 僕の恋人になって欲しいんだ。

 サハギンさんが真っ赤になりました。
 あまりにも恥ずかしいので、サハギンさんは青年の胸元に顔をうずめて隠してしまいます。
 けれど告白は嬉しかったので、そのまま頷きました。
 よかった、と青年は安心したような溜息をつきました。

 ねえ、顔を上げて。

 青年は言います。
 でも恥ずかしいのが収まっていないので、サハギンさんは顔を隠したまま首を振りました。

 上げないと出来ないよ。

 なにをだろう。そう思ってサハギンさんが顔を上げた瞬間、

 ん……!?

 キスされてしまいました。
 ビックリして身体を硬くするサハギンさんでしたが、少しずつ力が抜けていき青年に寄りかかってしまいます。
 本当のキスは互いの舌を絡めると友達が言っていたのを思い出しましたが、青年は唇を重ねるだけでした。
 けれどサハギンさんは、それも嫌ではありません。
 温かくて柔らかくて、優しく包まれているようで安心できました。
 本当のキスは、また今度でいいや、と思います。

 さ、行こうか。

 唇を離して、青年は言います。

 どこへ?

 手を繋ぎながら、サハギンさんは訊きました。

 僕の村。荷物をまとめて、海へ行く準備をしなきゃ。

 確かに、そうでした。幾ら何でも、このまま海へ出発する訳にも行きません。

 わたしも、いくの?

 サハギンさんは小首を傾げます。

 うん。僕の恋人を、みんなに紹介したいからね。

 その言葉にサハギンさんは、またまた真っ赤になります。
 もう、今日だけで何回まっかになったか分かりません。
 青年はクスクス笑いながら、サハギンさんの耳元に口を近づけます。

 僕は君の事すごく可愛いと思うけど、そうやって赤くなって照れてる顔が、いちばん可愛い。

 サハギンさんは更に赤くなって、拗ねたようにソッポを向いてしまいました。
 もしかしたら、この青年はいぢめっこ≠ネのかも知れません。
 サハギンさんも青年の事は大好きでしたが、いぢめっこ≠ネところはチョット嫌いなので、お仕置きをする事にします。
 ぷぅ、と膨らませた赤い顔を背けたまま、青年の腕をつねってやりました。

 ……ばか。
10/12/15 18:48更新 / azure

■作者メッセージ
 別の連載物を準備しつつ、癒しを求めて筆休め的にギンちゃんに手を出してみた。ギンちゃんゆーなw
 最初に見た時は、サハギンさんはチョッピリ怖かったです。無口だし、ジト目だし。ヤンデレ? ってな感じで。
 でも他の方々が書くギンちゃん(やめろってw)を見ていたら、何だか口下手なだけの素直で素朴な優しい子に見えて来たので、絵本ぽい雰囲気を目指して書いてみた。
 かぎカッコは使わねえ、とか訳の解らない制約を課したせいで、改行の嵐にw
 いつも通りの感じで書けば半分ぐらいの分量で済んだ気も……。

サハギンさん「どうでもいいけど……たいとるとあらすじが、さぎくさい……」

 黙るのです、ピュアなナマモノ! お前など青年にイヂられて真っ赤になっていればいいのです!

※あとがきの一部に読んだ方を不快にさせる部分がありましたので、削除・修正いたしました。

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