連載小説
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第一章 求職活動
 目の前で小柄な使い魔(ファミリア)が咽び泣いている。いや、彼女にはもう主がいないのだから使われない魔と呼ぶべきだろうか。それとも使えない魔か。役立たず魔と言うべきかもしれない。

「なんですかガストンさん! ルーは使い魔です。つ・か・い・ま! 使われない魔じゃありません。後の方なんてただの悪口じゃないですか!」
「でも屋敷を追い出されて無職なんだろう」
「無職とはなんと実も蓋もないお言葉!」

 どうやら考えが声に出していたらしい。机に突っ伏していたルーが一転して顔を持ち上げて抗議してきた。彼女なりに怒りをあらわにしているのだろう。だが、主人と似た幼い顔立ちではどうにも覇気がない。普段ならこのままさらに畳み込むところなのだが、笑い事じゃない彼女の境遇を思い出し、俺は言葉を取り下げた。
 
「すまんすまん、悪かったよ。しかし結婚してめでたいと祝った矢先にこれとは。トリスさんも随分と薄情なんだな」
「そうですよ。いくら新婚ほやほやとはいえ長年使えてきたルーにあんまりな仕打ちです」

 そこまで言ったところで主人から暇を言い渡されたところを思い出したのだろう、ルーは怒りを露わにして机を叩いた。そして顔を歪めて涙を溜める。

「あんまりです。ルーはトリス様のご結婚を心から喜んでいましたのに、トリス様とお兄様の生活はさぞ賑やかだろうと楽しみにしていましたのに、なのに"お兄様との愛の巣にお邪魔虫はいらぬ"とは、あんまりなお言葉です」

 そう言うとルーはぽろぽろと涙を流して、また机の上に突っ伏した。
 ルーの主人であり、大悪魔のバフォメットであるトリスさんに結婚の話が出たのはついこの間の事だった。街の顔役である彼女の披露宴は盛大なもので、商店街の片隅で薬屋を営む俺ですら招待されるほどだった。苦笑いを浮かべた青年の横で満面の笑みを浮かべるトリスさんは幸せそのものだったが、その裏で彼女を長年支えてきた使い魔に不幸が襲った。二人きりの新婚生活を過ごしたくなったトリスさんは、この忠義深い使い魔をお邪魔虫と言って屋敷から追い出したのだ。かくしてこの使い魔は使えん魔に種族替えし、しがない薬屋で茶をせびって身の不幸を嘆く今に至る。

「使い魔です! ルーは使えます! 有能です!」
「悪かった、悪かった。だが自分で自分の事を有能と言うのはどうかと思うぞ」
「そんなことありません。お屋敷勤めは立派に果たしてきましたmお掃除は欠かしたこともありませんでしたし、お料理はトリス様だけでなくお兄様からも美味しいと評判でした。でも――」

 顔を赤くして抗議していた使い魔が急に口をつぐんだ。俺もこの魔物の街に流れ着いて久しい。魔物であるルーの恥ずかし気な顔を見れば何を言い出すのか大方想像がついた。

「流石にトリス様とでは夜のお勤めはできませんでした。でもルーだって魔物ですから立派に果たすことができますよ」
「そうかそうか。それはよかったな」
「信じてませんねガストンさん。なんなら試してみますか。トリス様がお兄様を射止めた妙技はルーだって知ってるんですから」
「そういうことは身長をもっと伸ばしてから言うもんだな」
「ルーが成長しないことを知ってそのお言葉。酷いですガストンさん」

 照れて、怒って、悲しんで、ころころと表情を変えるルーの姿はあどけない少女そのものである。それもその筈、彼女たちは大悪魔バフォメットが自らの姿を模した作り物の悪魔だ。主が纏う無垢な身体を穢す背徳の魅力は、彼女たちもまた同様に身に纏っている。幼子同然のその身体は決して成長することはない。小柄な体に平坦な胸の彼女たちはその気がある人間からすればとても魅力的なのだろう。だが、生憎なことにその趣味を俺は持っていなかった。立てば俺の臍の高さしか届かない身長に抱きしめ甲斐は見当たらないし、真っ平な胸で何が楽しめるのか見当もつかなかった。
 伸びることのない身体の悲哀が込められた彼女の瞳からは今にも涙が零れ落ちそうだ。これまでさんの使いとしてやってきた彼女に軽口を叩いた頃と同じ非難の瞳。そこに屋敷から追い出された絶望の色はなかった。

「落ち着いたか」

 少々前後関係を無視したせいか、ルーは俺の言葉を聞いてキョトンとする。程なく合点がいったのか、目を伏せて頷いだ。

「はい。大分落ち着きました。ルーを元気づけてくださってたんですね。全然そんな気しなかったですけども」
「なに、いつも通りを心掛けただけさ」

 そう言って俺はお茶を煽った。気を改めて本題に入る。

「さて、これからどうする?」
「これから……」
「そうだ、屋敷を追い出されたんだろう? 泊まる当てとかないのか?」

 魔物とはいえルーは少女なのだ。野宿する訳にもいくまい。飯の事だって考えなければならない。ここで茶をせびっている時間はないのだ。もっとも、ここで彼女の種族が気にかかった。彼女は使い魔(ファミリア)、大悪魔バフォメットによって作られた存在だ。主たるバフォメットのトリスさん以外に身寄りはない。それでも今までトリスさんの要件を伝えるために走り回っていたから、街でも彼女の顔は知られている。その中には彼女を助けてくれる人もきっといるのではなかろうか。
 そんな願望も込めて俺はルーに尋ねた。だが、ルーはその質問に顔を俯けた。

「ルーは、ルーはトリス様の使い魔ですから、トリス様のところ以外はどこも……」
「ほら、仕立て屋のマルグリットさんとか」
「生地の仕入れをお願いしているだけです。素敵な人ですけども注文するときに少ししかお話したことないです」
「八百屋の女将のエリーズさんはどうだ」
「あの人ラミアですよ。トリスさんと同じことを言うにきまってます」

 勧める所をルーは全て切り捨てる。確かにマルグリットさんは品のある老淑女だが謎めいた部分が多い。彼女が休日何をしているのかを町でも知っている人はいない。八百屋のエリーズさんも今更思えば既婚のラミアである。サバサバした姉御肌な部分があるとはいえ、家庭に別の魔物を入れることは許さないだろう。詰まる話が当てはない。予想していたとはいえ、俺も頭を抱えた。このままだとルーは野宿が確定してしまう。食うもの着るもの住むところ全てに事欠く生活だ。トリスさんは長年傍らで支えてくれた使い魔がこうなることを予期なかったのだろうか。俺の記憶ではトリスさんはルーに似た幼い見た目とは裏腹に、容易にのぞく事の出来ぬ底深さを持った魔物だった。普段の老獪さをもってすればこの程度の事は容易く推察できただろう。新婚生活の幸せというのはこの明晰さを失わせるほど思考を濁らせるのだろうか。あるいはこうなることを理解していて、それでも伴侶と二人きりを選んだのだろうか。それならばそれで大層な外道である。いずれにせよトリスさんには憤りしか感じなかった。
 ともあれ今は怒りを募らせるところではない。ルーの宿の事について考えるほうが優先だった。気を落ち着けるべくもう一度茶を煽ると、俺は天を仰いだ。視界に移るくたびれた木目の天井。ふとその先にある二階の居住空間を思い出した。部屋は二部屋。男の一人暮らしに荷物はそう多くない。普段使っているのは居間と寝室を兼用した一部屋だけだ。もう一部屋は倉庫という名目で半ば放置している。ふと脳裏に嫌な考えがよぎった。あまりにも考えたくない内容のそれに俺は頭を振って打ち消しながら視線を地上に戻した。
 改めて正面に座るルーを見据えると彼女は依然じっと目を伏せていた。両手で抱えたカップには波すら立っていない。深く考え込んでいるのか。固唾をのんで見守っていると突然彼女はきつく目を閉じた。何かの決断か、と思いきや違った。堅く閉じた瞼の端から、彼女は涙を流したのだ。
 
「すみません。ルーはもうどうしたらいいのかわからなくて……」

 あとに続く言葉は嗚咽に遮られる。もう堪えられなかったのだろう。ルーはくしゃくしゃに顔を歪めて泣き始めた。恥も外聞もなくなく彼女の姿はあまりにも不憫だった。そしてそれは俺の意思を覆す決定的な一撃でもあった。俺は心の中で彼女の主トリスさんを外道と罵った。だが、全てを知って、ここまで大泣きされて、それでもルーを見捨てたのならば、俺だって同類だ。
 
「落ち着け落ち着け。ひとまずうちはどうだ?」

 俺の言葉にルーはしゃくり上げるのを止めた。未だに涙を流した目で俺を見つめてくる。

「二階に空き部屋がある。倉庫代わりにしてたから片付けなきゃならんが、それでもいいなら泊まっていけ」

 もう一度俺が言うとルーは涙を止めた。代わりとばかりに顔をずいと近づけてくる。

「ホントですかガストンさん!?」
「ああ、こんなところで野垂れ死なれたら夢見が悪い」

 くしゃくしゃだった顔がみるみる緩んでいく。

「ありがとうございます。ガストンさん」

 未だ眼尻に涙を残しながらも、感謝の言葉を述べるルーは満面の笑みに戻っていた。こういう時だけ見た目相応に可愛らしい。その趣味がない俺ですら、思わず惹かれそうになる笑顔だった。だが、騙されてはいけない。これもまた魔物の力の一つなのだ。

「ただ、家事をやってもらうからな。飯代くらいは働いてもらうぞ」
「はい、掃除、洗濯、お料理、それから夜のお世話までなんでもお任せください」
「最後のはいらん」
18/03/24 20:46更新 / ハチ丸
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