後篇
「…S3…ハダリーS3!」
創造主の声に彼女は記録の閲覧を中止した。
踏み台に上った少女が、彼女の前で小さな手をぱたぱたと振っている。
「どした?何か不都合でもあったのか?」
「いえ、何でもありません、創造主アリシヤ・エディスン」
創造主アリシヤは眉を顰めて頭を掻いた。
「なぁんか今日の個体達は反応が悪いなぁ…」
完璧主義者を自称する彼女としては気になるところだが、今原因を追及している時間は無い。チェックを待つ個体はまだ何体かいるのである。
機能を休眠状態にさせてから設定部分を確認しても、遅くは無いだろう。彼女はそう思った。
「続けるぞ。S3、町中で魔法は使ってないな?」
「はい」
「現場に証拠は残していないな?」
「はい」
「対象の記憶は消去したな?」
「はい」
彼女は創造主の質問に眉ひとつ動かさずに答えた。
ここはシュナイネ西方の石窟地帯、通称『魔法使いの家』。魔女アリシヤ・エディスンの根城である。
予定通りに回収されたハダリーS3は身体各所の摩耗具合のチェックを受けているところだった。
結果は全て正常。
彼女は体内の精液タンク回収の後で設定部分を複写され、他の個体と同じように休眠状態に入って廃棄を待つ身となる。
「どれどれ〜?……んー、やっぱイマイチかぁ」
アリシヤはハダリーS3の眼球を覗きこみ、光彩に示されたタンクの容量を見る。平均的な量ではあるものの、決して優秀とは言えない数値だった。
ぴょんと踏み台から飛び降り、ずり落ちた帽子を直してからアリシヤは机に向かった。
「創造主アリシヤ・エディスン」
「なんだー」
「貴女の最終的な目的とは、一体何なのですか?」
「お?聞きたいかー?」
彼女は記録用の羊皮紙に目を落としたまま、誇らしげに笑った。
「ホムンクルスだ」
「…ホムンクルス、ですか」
「ああ。あたしの研究の集大成、『アリシヤだけのアルティメットお兄ちゃんかっこはーとかっことじ』を作るのだ!」
このアリシヤという魔女、男嫌いであった。
男に対するトラウマがあるわけではない。ただ単に彼女の好みの問題である。
彼女の出会った男の多くはゴツくて、ガサツで、臭くて、とても「お兄ちゃん」と呼ぶに足らない者達だらけだった。かといってなよっとしたひ弱な輩も好みではない。
「そこでな…」
「いないのならば自分で創造しよう、というわけですか」
「その通り。さすがあたしが作ったゴーレム。察しがいい」
自慢げに無い胸を張るアリシヤに目もくれず、ハダリーS3は俯いた。
少なくとも、この計画の成功によってアリオンに危害が及ぶ事はなさそうである。残る問題は『彼女達』、ハダリーシリ−ズの処分であった。
シュナイネでのゴーレム製造には領主に届け出なければならない。加えて生産人数には制限があり、精の搾取だけを目的としたゴーレムの量産は人道的見地から完全に禁止されている。
彼女達がアリシヤによって製造されたことが発覚すれば厳罰は免れられない。アリシヤが彼女達を廃棄しないわけがない。
だが、無理は承知の上であった。
「創造主アリシヤ・エディスン」
「なんだー」
「お願いがあります」
アリシヤは驚いて顔をあげた。
彼女達が『お願い』をするなど、設定上はあり得ないことだった。
「我々の廃棄を中止しては頂けませんでしょうか」
「…無理だ」
「計画にかかわる設定のみ消去しては頂けませんか」
「無理。あたしの書いた文字が残ってるだけでも危ういんだよ。分かるヤツが見れば分かっちまう」
「…では」
ラティアはアリシヤから距離をとった。
「貴女を倒し、他の個体共々脱走させて頂きます」
「…へぇ〜。男に情でも芽生えたか?ま、どうでもいいけどさ」
口角を吊り上げたアリシヤが椅子を蹴り倒して立ち上がる。そして皺一つない桜色の手を天にかざすと、魔法陣の中から無骨なロッドが現れた。それを手の中でくるりと一回転させてから、ラティアにつきつける。
「身の程を知りなよ、S3。…いや、知らないなら教えてあげよう」
「御託は結構。彼の起床には間に合わせたいので、早急に突破させて頂きます。我々が彼らに教わった、愛の力で」
「あぁ〜いぃ〜?」
「それと、訂正させて頂きます。私の個体名はハダリーS3ではなく、ラティアです」
凛とした声で言い放つラティア。それを嘲笑するアリシヤだが、すぐにその表情が凍りついた。
ラティアを中心として凄まじい早さで魔力が集結し、見る間に巨大な術式が形成されてゆく。
体内のタンクの精だけでなく、今まで他のハダリーシリーズが集めた精すらも媒体として『それ』を構築してゆく。
「お…おい、それ」
「研究資料・番号46573…。先ほど個体名ハダリーD2が拝借しました。もう少し研究資料のセキュリティを厳重にしておくべきでしたね」
「バカな、おま…そ、それ未解析の旧代魔法(エンシェントマジック)なんだぞ!?」
旧代魔法とは、その名の通り古くに創られた魔術体系である。
その致死的な負担軽減のために術式構築には数十人もの魔術師を要し、詠唱完了には時に数日かかったと言われている。
今の魔術体系からすれば何故そんな術式文法を用いるのかよくわからない部分が多い。そのため当世での使用は解析と魔術体系の変換が必要で、そこで下手に推敲してしまうと一切効果を発揮しないという非常に扱いにくい代物である。おまけに威力の高さに反して成功率が低く、時に術式の暴走による自爆で自陣がとんでもない被害をこうむることもあったため、もはや使われなくなった『化石』の魔法だ。
だが、
「驚くほどの事ではありません。私、否、我々にかかれば」
廃棄を待つハダリーシリーズを強制起動させて並行処理を行い、乱雑かつ複雑な術式を最適・簡略化し、詠唱する。
「ちィっ!アリシヤ・エディスンの名において命ずる!個体名ハダリーS3、機能を停止しろ!!」
アリシヤは彼女の強制停止を計るが、彼女も詠唱も止まらない。当然である。
彼女はもう、ハダリーS3ではないのだから。
その間にラティアは自身を精霊の代替物とし、組み上げた術式を通して魔力を爆発的に増幅させる。
強制停止は不可能と見たアリシヤは彼女を破壊すべく攻撃魔法の高速詠唱を開始する。が、術式は展開したそばから魔力もろともラティアの術式に吸収され、それを受けたラティアの術式強度は雪だるま式に大きくなっていく。
古今の魔術体系を融合させた、新たな魔術体系の創造。
アリシヤの目の前で行われているのは、言うなれば全く新しい旧代魔法の構築だった。
詠唱完了。
「流石、貴女に創られた私」
ラティアが不気味に微笑んだ。
「難易度、低いです」
一瞬の静寂の後、地面が炸裂した。
それは丁度ヘクトルが『魔法使いの家』に灯りを認めた時であり、エレオノーレとアニカの死闘が彼の通信によって中断された時だった。
「……何ですかアレ」
「……すごいね。元素召喚法(エレメントサモン)かぁ」
石窟が爆砕し、巨大な地竜が現れ、天に昇って行く。
初めて見る光景にヘクトルはぽかんと口を開いて立ちつくし、耳飾りの向こうではエレオノーレが絶句し、アニカは他人事のように感心していた。
「私も久しぶりに見たよ。眼福眼福」
「アニカ…その元素召喚法とはすぐに説明が終わる代物ですか?」
さすがに現場のヘクトルは自分を取り戻すのが早かった。
「うーん、詳しい部分はやっぱり無理かなぁ。まあ手っ取り早く言うなら旧代魔法だよ。あれは精霊なしでできる召喚術ってとこかな」
「へー」
「貴様らっ!そんな悠長なことを言っている場合かっ!ヘクトル、退避しろっ!」
「その必要はないよ、お嬢様」
「だがッ…!」
「エレオノーレ」
悲鳴にも似たエレオノーレの声を、落ち着き払ったアニカが遮る。
「あれを使ったんなら並の術者は四日ぐらい腰を抜かして動けない筈だ。ヘクトル君、チャンスだよ」
「了解」
ヘクトルは姿勢を低く取り、一気に土竜の出現地に接近しようとした。が、嫌な予感がして思いとどまる。
見れば上空で土くれに戻った竜が此方に落ちてくるではないか。
ヘクトルが近場の岩陰に駆け込んで顔を覆うのと同時に轟音が響き、周囲に土煙がもうもうと立ち込めた。確実に、出現地点付近のもの(両方の意味での『もの』)は無事では済まないだろう。というか、
「いわゆる『全ては土の下オチ』じゃないですか、これは」
「かもねぇ…。どうする、お嬢様」
アニカの言葉にしばらく唇を噛んでいたエレオノーレは、自身の頬を両手で張ってから口を開いた。
「何が起こったにせよ、現状の確認が最優先だ。アニカ」
「ん?」
「その元素召喚法とやらに関する資料を持って来い。大至急」
「りょーかい」
「ヘクトルは偵察続行だ。気を抜くなよっ!」
「はっ!」
イヤリングに触れ、一端通信を終了させる。土煙がたっているのをこれ幸い、とヘクトルは早いペースで石窟だった場所に近づく。
と、ざらついた霧の向こうから誰かが近づいてくるのを感じた。
ヘクトルは素早くそこを離れ、また岩陰に隠れてやり過ごそうとした。
「お待ちください」
無機質、と言うよりも落ち着いた声が静寂を破った。
バレている。ヘクトルは素早く腰の剣鉈に手をかけた。同時に両足の拇指球に体重を乗せ、急速接近の体勢をとる。
殺すまではいかなくとも、しばらく眠っていてもらおう。そう考えた矢先だった。
「こちらに戦闘の意思はありません。貴殿相手に勝算を見込むほど愚かでもありません」
ヘクトルが戦闘態勢に入っているにもかかわらず、目の前の『それ』からは殺意が感じられなかった。おまけに『それ』は彼の事を知っているようである。
「私は量産型ゴーレム、ラティアと申します。…シュナイネ家の猟犬、ヘクトル・ヴィッセン殿とお見受けしますが」
その言葉とともに土煙が晴れ、月下に『それ』が姿を現す。
小麦色の肌をした女性。特徴的なパーツから察するに間違いなくゴーレムだ。
いかにも、とヘクトルは静かに答える。万一の為に剣鉈が抜けるよう、マントの中では両手が緊張したままである。
先程の地竜の落下に加えてこの土煙。にもかかわらず彼女の身体には塵一つ付いていない事が彼をより警戒させた。
「…結局、場所を特定できたのはシュナイネ領だけですか。やはり、恐るべきは中立国、ですか」
「という事は…やはり現場の黄土はわざと?」
「ええ」
先程の旧代魔法使用時のように、ハダリーシリーズは互いの処理能力や記録等を共有できる。
ラティア以前に実験として町に行ったハダリーシリーズは、多くが感情と自我を獲得していた。
愛する人のもとに戻りたい。
しかし彼女達は実験が終了すれば処分される宿命。
そこで彼女達はラティアのように本部へ帰還する直前に実験前のハダリーシリーズに接続し、証拠を残すようにさりげなく、少しずつ設定を書き変えていった。魔法を町中で使ったり、土を落としたり、記憶を消去しなかったりといった行為はこの為である。そしてそれをもとにこの場所を特定した守備隊ないし騎士団がやってきて彼女達を解放してくれるのを待つ、というのが当初の作戦であった。
少しずつとはいえ設定を書き換えたりすればすぐにバレてしまいそうなものだが、そこは創造主の完璧主義が幸いした。高度な設定に加えて魔術使用の権限を組み込まれた彼女達の設定情報量は、ちらりと見ただけでは創造主でさえ全てを把握することが困難なほど膨大なものだったのだ。
さて、そこまでは上手くいったものの、彼女達の予想を裏切って待てど暮らせど助けは来ない。その状況を打破したのがハダリーS3ことラティアである。
彼女は他のハダリーシリーズが検討段階で削除した作戦を実行に移すべきだと考えた。すなわち、創造主を打倒して脱出するということ。
当初は荒唐無稽な計画と思われた。何故ならばアリシヤはハダリーシリーズの創造主である。創りだした彼女達を制御する術が無いわけがないのだ。
そこにラティアは賭けた。彼女はアリオンと出会うことで自分の名前を創りだすことができた。いわばあの瞬間に彼女はハダリーシリーズから独立したのである。これによって管理者権限の発動を阻害できると彼女は考えた。その隙に精を媒体に何らかの大魔法を発動し、創造主から独立する。
この議案は即座に可決された。
チェック時に閲覧していたのはアリオンとの一夜の記録ではなく、斥候として研究資料を拝借していたハダリーシリーズの一体から受け取った旧代魔法に関する記述であった。
その結果が、先程の竜である。
「少し遅かった、と言いたいところですが、運ぶ手間は省けそうですね」
ラティアの手には土まみれの何かが握られていた。
「どうぞ」
「…それは?」
「貴方達の御目当ての人物、でしょうか。我々の創造主です」
「へ?」
ヘクトルの前に創造主を投げ捨てるラティア。
土まみれのアリシヤは目を回して気絶していた。
「それでは、私はこれで」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
慌ててヘクトルは彼女を引きとめる。
「貴方だけですか?量産型というからには…」
そう言いかけた所に、ラティアの背後からぱらぱらと他のハダリーシリーズが姿を見せる。
「まったく!S3ったらバカじゃないの?!あたし達まで吹っ飛んだらどうするつもりよ!」
「でも〜。わたし達にあんな魔法使えるなんて、びっくりだよね〜?」
「あの、あの…こ、ここから歩いて帰るんですか?わ、私が行った町まですっごく遠い…」
「モンクを言うねぇ。生きてるだけでめっけモンと思えよ」
「つーかマジでありえないんですけど!ぶっちゃけ転移魔法ナシだとこっから丸一日はかかるし!」
ゴーレムは無個性、というヘクトルの常識を打ち破る個性豊かなハダリーシリーズ。しかも口調に似合わない顔をした個体や、明らかに精神年齢と肉体年齢に開きのある個体がいたりする。
「む、貴殿」
「は、はい?」
髪の毛を後ろで束ねた、きつい目をした一体がヘクトルに声をかけた。
「…シュナイネ領主の猟犬か」
「ええ」
「…良い顔だ。いつか、手合わせを願いたいものだな」
不敵な笑みを浮かべる彼女に、ヘクトルはどう返せばいいのか分からない。もう手は完全に剣鉈から離れている。
「…あの通り、実験に使用された個体は全て健在。未使用の個体は先程の旧代魔法の構成に協力していただきました。今はもう、母なる大地に還っているでしょう」
「はぁ…」
「詳細はそこの創造主に。取調等がありましたら、我々は積極的に協力する所存です。では」
そうしてラティアは足早にその場を離れた。
残されたのは完全に拍子抜けしたヘクトル。彼は去って行くラティアや他のハダリーシリーズと、足元に転がる土くれ…もとい彼女達の創造主を交互に見た。
イヤリングに触れる。
「…セニョリータ?」
「どうした?何かあったか?今アニカが旧代魔法について」
「首謀者を確保しました」
「…………はぁっ?!ど、どういうことだっ!」
「あの、すいません。ありのままに起こった事を報告したいのですが、いかんせん僕自身が事を理解できていないので言葉にならなくて…」
思わぬ肩すかしをくったヘクトルは軽く痛む頭を押さえた。
「えっと、それで、首謀者を連れて帰還しますので、詳細な報告は帰ってから」
「…あ、ああ。その、なんだ。ヘクトル」
「…はい?あ、特に負傷とかはありませんので」
「いや、その…げ、元気出せ」
「はぁ」
「あれだ、帰ってきたら鬼ごっこでもして思い切り発散しろ」
「……え?」
いよいよ頭がおかしくなったかと聞き返すが、そこにまた別の声が割り込んできた。
「アナタ?終わりました?」
「ああ、マーサ…。ええ、多分」
「お夜食作りましたから、早く帰ってきてくださいね?ちなみに〜、デザートは、ア・タ・」
「ヘクトル君?」
「あ、アニカ。帰ったら旧代魔法についての」
「それよりも徹夜はさすがに辛かったろう?帰った来たら私の部屋に来ると良い。子守唄を歌」
「きっさまらぁああっ!あいつを癒すのは私の役め」
通信終了。ヴァンパイア三人そろえば姦しい。
ヘクトルは土塊、もといハダリーシリーズの創造主を担ぎあげ、重い足取りで帰路についた。
来る時に比べて何倍も時間がかかり、帰ったのは夜明け近くとか、そうでないとか。
………
どんな者にも朝は訪れる。例え腰痛と気だるさに苦しむ男であろうとも。そして大抵、こういう時に限ってすがすがしい朝なのである。
ベッドの中でアリオンは悶絶していた。初めての性行為は彼の腰にかなりのダメージを与えていた。
「お…おおおおおお…いてぇ…いてぇよおあぁあ痛えっ!!」
ゴロゴロと転げ回るうちにベッドから落ちてしまった。思い切り腰を打ち付けた痛みに悲鳴をあげると、間髪入れずに上下左右の部屋から怒声やら壁を殴る音やらが飛んできた。
いつも通りの事。だが、これが昨夜の夢のような出来事を呼び覚ましてしまう。
彼女はもう、いないのだ。
アリオンは自嘲した。
だから何だというのだ。たった一晩体を重ねただけだ。世界中の男がこんな調子なら、今頃売春宿は立ち行かなくなっている筈だろう。
ベッド近くのテーブルを支えに、立ち上がった。と、何かが置いてあることに気が付いた。
『アリオン
ドリンクはエールで2倍に薄めること。滋養強壮効果があります。
塗り薬は患部に湿布すること。半日で痛みが取れると思われます。
それから、もっと台所を充実させることを提案します。材料を集めるのにも一苦労でした。
昨夜は、本当にありがとうございました。 』
「…畜生…バカにしやがって」
ハダリーS3と書きかけた所に二重線が引かれ、その下にラティアと書かれていた。
まるで定規を使って書いたかのような文字。
必要事項だけを箇条書きにし、それを無理矢理文章に書き直したような文面。
だが、そこにはたしかに彼女の名残があった。
「帰るんなら、アッサリ帰れよ…」
そうすれば、一夜の夢と割り切れただろうに。
胸の奥から何かがこみ上げてくる。果たしてこれが一夜だけの命である彼女への憐れみなのか、それともそんな彼女を作り出した『クソッタレ』への怒りなのか、はたまた恋人を失った悲しみなのか、彼には分からなかった。
「……チクショウ」
唇を噛み、彼女の名残を握りつぶす。
「クソッタレが、チクショウ!!」
それでも治まらない彼は、咆哮とともにベッドを蹴り飛ばした。
ふるびたベッドがたてる大きな音。いつも通り上下左右からの怒声。
ただ少し違ったのは、背中にも声がかかったことである。
「アリオン。昨夜も言ったように、そのような行為は近隣住民の事を考えて慎むべきかと」
弾かれたように振り向くと、そこには小麦色の肌をした美女が真っ白なエプロンをつけて、涼しい顔で立っていた。
夢か、はたまた幻か。もう童貞ではない以上、少なくとも童貞をこじらせたわけではなさそうである。
「…ラ……ラティア…か…?」
「はい」
答えた。
あまりの衝撃に目を点にしたアリオンと、何故そんな当たり前の事を訊くのか理解できないラティア。
二人が首をかしげるのは全く同時だった。
「…うぇええええええええええええええええええ!?」
しばしの沈黙の後、アリオンの驚愕が部屋を震わせる。咄嗟にラティアが消音術式を発動したことにより、怒声が飛んでくることは無かった。だがそんな事も気にかからないアリオンは矢継ぎ早に言う。
「何だよお前!帰ったんじゃなかったのかよ!あの今生の別れ的な空気は何だったんだよ!メッチャしんみりしちゃったオレは何なんだよ!つーか何でエプロンなんか着けてんだよ!裸エプロンみたいだからもうしばらくその格好でいて下さいお願いします!」
驚きのあまり何か余計な言葉が混じったように思えるが気にしてはならない。ラティアも最後の部分は置いておくことにした。
「第一の質問に対する回答。確かに私は本部に帰還しました。
第二の質問に対する回答。昨夜あの時点において私が廃棄される予定であったのは事実です。
第三の質問に対する回答。知りません。
第四の質問に対する回答。貴方の朝食を作るためです」
「…あ……あ、そう…ですか……」
両者にある圧倒的な温度差に、アリオンも思わず閉口する。
はたして何と言ったものか、とアリオンは必死に思考を整理しようとする。だがその前にラティアが口を開いた。
「本部に帰還後、私は廃棄をされる事を拒否しました。創造主はそれを却下されたため、彼女をとっちめて貴方の家に帰って来たのです。案外難易度は低かったですよ。…精一杯噛み砕いてみましたが、貴方が訊きたかったのはこういう事では?」
「え…?あ、うん。そうだね」
すっかり混乱も治まったアリオンは、改めて目の前の彼女を見る。頭のてっぺんからつま先、そして声色まで何から何まで彼の知る彼女だった。
口調にはどこか違和感を感じるが。
加えて彼女の言葉、「帰ってきた」という事はつまり。
「…居座る気か」
はい、と答えた彼女は途端に不安そうな顔になった。
「あの、アリオン」
「な、なんだよ」
「迷惑…でしたか?」
あー、と気の抜けた声と共にアリオンは考える。気のきいた言葉でも言えれば、と思ったのだがいっこうに浮かばない。そわそわと落ちつかなげな彼女のために、彼は急いで言葉をひねり出した。
「おい」
「は、はい?」
「後で椅子、買いに行くぞ」
「……はい」
彼女はほんのり頬を染め、にっこりと笑った。
あとだな、とアリオンは気恥かしくなって頬を掻いた。
「…き」
「き?」
「昨日はぶっ飛ばしすぎたから…まずは、デートからでお願いします」
「はい」
つつつ…とラティアが彼に滑り寄り、抱きついた。
その柔らかさや香しさが、彼女が現実の存在であることを確かに教えてくれる。彼女に応えるように、アリオンも強く彼女を抱きしめた。
目を閉じて、彼女の温もりを感じる。
何かが目尻から溢れそうになったが、それも次の彼女の一言で引っ込んだ。
「そういえば、先ほど大家さまがいらっしゃいました」
「へ?いつ?」
「貴方がベッドから転げ落ちた少し後でしょうか。騒がしいのもいいかげんにしてくれだそうです。アリオン、今まで貴方はどんな生活態度だったのですか」
戦々恐々とするアリオン。恋人のように抱きついたまま、まるで母親のように彼を責めるラティアは、そこへさらに追い打ちをかける。
「あと貴方との関係を訊かれましたので一応『恋人だ』と答えたのですが、ここは独身寮だそうですね。久しぶりにキレちまったから後で来い、だそうです」
襲い来る真実にただただ顔を引きつらせるばかりのアリオン。これでトドメだ、とばかりに忘れていた腰痛が再発する。
「お……おおおおおおお……」
チクショウ。
床に崩れ落ちるアリオンは、泣き笑いの表情で言った。
「チクショウ……難易度……たけえなぁ……」
彼らの初めてのデートは、新しい住まい探しだったとか、そうでないとか。
創造主の声に彼女は記録の閲覧を中止した。
踏み台に上った少女が、彼女の前で小さな手をぱたぱたと振っている。
「どした?何か不都合でもあったのか?」
「いえ、何でもありません、創造主アリシヤ・エディスン」
創造主アリシヤは眉を顰めて頭を掻いた。
「なぁんか今日の個体達は反応が悪いなぁ…」
完璧主義者を自称する彼女としては気になるところだが、今原因を追及している時間は無い。チェックを待つ個体はまだ何体かいるのである。
機能を休眠状態にさせてから設定部分を確認しても、遅くは無いだろう。彼女はそう思った。
「続けるぞ。S3、町中で魔法は使ってないな?」
「はい」
「現場に証拠は残していないな?」
「はい」
「対象の記憶は消去したな?」
「はい」
彼女は創造主の質問に眉ひとつ動かさずに答えた。
ここはシュナイネ西方の石窟地帯、通称『魔法使いの家』。魔女アリシヤ・エディスンの根城である。
予定通りに回収されたハダリーS3は身体各所の摩耗具合のチェックを受けているところだった。
結果は全て正常。
彼女は体内の精液タンク回収の後で設定部分を複写され、他の個体と同じように休眠状態に入って廃棄を待つ身となる。
「どれどれ〜?……んー、やっぱイマイチかぁ」
アリシヤはハダリーS3の眼球を覗きこみ、光彩に示されたタンクの容量を見る。平均的な量ではあるものの、決して優秀とは言えない数値だった。
ぴょんと踏み台から飛び降り、ずり落ちた帽子を直してからアリシヤは机に向かった。
「創造主アリシヤ・エディスン」
「なんだー」
「貴女の最終的な目的とは、一体何なのですか?」
「お?聞きたいかー?」
彼女は記録用の羊皮紙に目を落としたまま、誇らしげに笑った。
「ホムンクルスだ」
「…ホムンクルス、ですか」
「ああ。あたしの研究の集大成、『アリシヤだけのアルティメットお兄ちゃんかっこはーとかっことじ』を作るのだ!」
このアリシヤという魔女、男嫌いであった。
男に対するトラウマがあるわけではない。ただ単に彼女の好みの問題である。
彼女の出会った男の多くはゴツくて、ガサツで、臭くて、とても「お兄ちゃん」と呼ぶに足らない者達だらけだった。かといってなよっとしたひ弱な輩も好みではない。
「そこでな…」
「いないのならば自分で創造しよう、というわけですか」
「その通り。さすがあたしが作ったゴーレム。察しがいい」
自慢げに無い胸を張るアリシヤに目もくれず、ハダリーS3は俯いた。
少なくとも、この計画の成功によってアリオンに危害が及ぶ事はなさそうである。残る問題は『彼女達』、ハダリーシリ−ズの処分であった。
シュナイネでのゴーレム製造には領主に届け出なければならない。加えて生産人数には制限があり、精の搾取だけを目的としたゴーレムの量産は人道的見地から完全に禁止されている。
彼女達がアリシヤによって製造されたことが発覚すれば厳罰は免れられない。アリシヤが彼女達を廃棄しないわけがない。
だが、無理は承知の上であった。
「創造主アリシヤ・エディスン」
「なんだー」
「お願いがあります」
アリシヤは驚いて顔をあげた。
彼女達が『お願い』をするなど、設定上はあり得ないことだった。
「我々の廃棄を中止しては頂けませんでしょうか」
「…無理だ」
「計画にかかわる設定のみ消去しては頂けませんか」
「無理。あたしの書いた文字が残ってるだけでも危ういんだよ。分かるヤツが見れば分かっちまう」
「…では」
ラティアはアリシヤから距離をとった。
「貴女を倒し、他の個体共々脱走させて頂きます」
「…へぇ〜。男に情でも芽生えたか?ま、どうでもいいけどさ」
口角を吊り上げたアリシヤが椅子を蹴り倒して立ち上がる。そして皺一つない桜色の手を天にかざすと、魔法陣の中から無骨なロッドが現れた。それを手の中でくるりと一回転させてから、ラティアにつきつける。
「身の程を知りなよ、S3。…いや、知らないなら教えてあげよう」
「御託は結構。彼の起床には間に合わせたいので、早急に突破させて頂きます。我々が彼らに教わった、愛の力で」
「あぁ〜いぃ〜?」
「それと、訂正させて頂きます。私の個体名はハダリーS3ではなく、ラティアです」
凛とした声で言い放つラティア。それを嘲笑するアリシヤだが、すぐにその表情が凍りついた。
ラティアを中心として凄まじい早さで魔力が集結し、見る間に巨大な術式が形成されてゆく。
体内のタンクの精だけでなく、今まで他のハダリーシリーズが集めた精すらも媒体として『それ』を構築してゆく。
「お…おい、それ」
「研究資料・番号46573…。先ほど個体名ハダリーD2が拝借しました。もう少し研究資料のセキュリティを厳重にしておくべきでしたね」
「バカな、おま…そ、それ未解析の旧代魔法(エンシェントマジック)なんだぞ!?」
旧代魔法とは、その名の通り古くに創られた魔術体系である。
その致死的な負担軽減のために術式構築には数十人もの魔術師を要し、詠唱完了には時に数日かかったと言われている。
今の魔術体系からすれば何故そんな術式文法を用いるのかよくわからない部分が多い。そのため当世での使用は解析と魔術体系の変換が必要で、そこで下手に推敲してしまうと一切効果を発揮しないという非常に扱いにくい代物である。おまけに威力の高さに反して成功率が低く、時に術式の暴走による自爆で自陣がとんでもない被害をこうむることもあったため、もはや使われなくなった『化石』の魔法だ。
だが、
「驚くほどの事ではありません。私、否、我々にかかれば」
廃棄を待つハダリーシリーズを強制起動させて並行処理を行い、乱雑かつ複雑な術式を最適・簡略化し、詠唱する。
「ちィっ!アリシヤ・エディスンの名において命ずる!個体名ハダリーS3、機能を停止しろ!!」
アリシヤは彼女の強制停止を計るが、彼女も詠唱も止まらない。当然である。
彼女はもう、ハダリーS3ではないのだから。
その間にラティアは自身を精霊の代替物とし、組み上げた術式を通して魔力を爆発的に増幅させる。
強制停止は不可能と見たアリシヤは彼女を破壊すべく攻撃魔法の高速詠唱を開始する。が、術式は展開したそばから魔力もろともラティアの術式に吸収され、それを受けたラティアの術式強度は雪だるま式に大きくなっていく。
古今の魔術体系を融合させた、新たな魔術体系の創造。
アリシヤの目の前で行われているのは、言うなれば全く新しい旧代魔法の構築だった。
詠唱完了。
「流石、貴女に創られた私」
ラティアが不気味に微笑んだ。
「難易度、低いです」
一瞬の静寂の後、地面が炸裂した。
それは丁度ヘクトルが『魔法使いの家』に灯りを認めた時であり、エレオノーレとアニカの死闘が彼の通信によって中断された時だった。
「……何ですかアレ」
「……すごいね。元素召喚法(エレメントサモン)かぁ」
石窟が爆砕し、巨大な地竜が現れ、天に昇って行く。
初めて見る光景にヘクトルはぽかんと口を開いて立ちつくし、耳飾りの向こうではエレオノーレが絶句し、アニカは他人事のように感心していた。
「私も久しぶりに見たよ。眼福眼福」
「アニカ…その元素召喚法とはすぐに説明が終わる代物ですか?」
さすがに現場のヘクトルは自分を取り戻すのが早かった。
「うーん、詳しい部分はやっぱり無理かなぁ。まあ手っ取り早く言うなら旧代魔法だよ。あれは精霊なしでできる召喚術ってとこかな」
「へー」
「貴様らっ!そんな悠長なことを言っている場合かっ!ヘクトル、退避しろっ!」
「その必要はないよ、お嬢様」
「だがッ…!」
「エレオノーレ」
悲鳴にも似たエレオノーレの声を、落ち着き払ったアニカが遮る。
「あれを使ったんなら並の術者は四日ぐらい腰を抜かして動けない筈だ。ヘクトル君、チャンスだよ」
「了解」
ヘクトルは姿勢を低く取り、一気に土竜の出現地に接近しようとした。が、嫌な予感がして思いとどまる。
見れば上空で土くれに戻った竜が此方に落ちてくるではないか。
ヘクトルが近場の岩陰に駆け込んで顔を覆うのと同時に轟音が響き、周囲に土煙がもうもうと立ち込めた。確実に、出現地点付近のもの(両方の意味での『もの』)は無事では済まないだろう。というか、
「いわゆる『全ては土の下オチ』じゃないですか、これは」
「かもねぇ…。どうする、お嬢様」
アニカの言葉にしばらく唇を噛んでいたエレオノーレは、自身の頬を両手で張ってから口を開いた。
「何が起こったにせよ、現状の確認が最優先だ。アニカ」
「ん?」
「その元素召喚法とやらに関する資料を持って来い。大至急」
「りょーかい」
「ヘクトルは偵察続行だ。気を抜くなよっ!」
「はっ!」
イヤリングに触れ、一端通信を終了させる。土煙がたっているのをこれ幸い、とヘクトルは早いペースで石窟だった場所に近づく。
と、ざらついた霧の向こうから誰かが近づいてくるのを感じた。
ヘクトルは素早くそこを離れ、また岩陰に隠れてやり過ごそうとした。
「お待ちください」
無機質、と言うよりも落ち着いた声が静寂を破った。
バレている。ヘクトルは素早く腰の剣鉈に手をかけた。同時に両足の拇指球に体重を乗せ、急速接近の体勢をとる。
殺すまではいかなくとも、しばらく眠っていてもらおう。そう考えた矢先だった。
「こちらに戦闘の意思はありません。貴殿相手に勝算を見込むほど愚かでもありません」
ヘクトルが戦闘態勢に入っているにもかかわらず、目の前の『それ』からは殺意が感じられなかった。おまけに『それ』は彼の事を知っているようである。
「私は量産型ゴーレム、ラティアと申します。…シュナイネ家の猟犬、ヘクトル・ヴィッセン殿とお見受けしますが」
その言葉とともに土煙が晴れ、月下に『それ』が姿を現す。
小麦色の肌をした女性。特徴的なパーツから察するに間違いなくゴーレムだ。
いかにも、とヘクトルは静かに答える。万一の為に剣鉈が抜けるよう、マントの中では両手が緊張したままである。
先程の地竜の落下に加えてこの土煙。にもかかわらず彼女の身体には塵一つ付いていない事が彼をより警戒させた。
「…結局、場所を特定できたのはシュナイネ領だけですか。やはり、恐るべきは中立国、ですか」
「という事は…やはり現場の黄土はわざと?」
「ええ」
先程の旧代魔法使用時のように、ハダリーシリーズは互いの処理能力や記録等を共有できる。
ラティア以前に実験として町に行ったハダリーシリーズは、多くが感情と自我を獲得していた。
愛する人のもとに戻りたい。
しかし彼女達は実験が終了すれば処分される宿命。
そこで彼女達はラティアのように本部へ帰還する直前に実験前のハダリーシリーズに接続し、証拠を残すようにさりげなく、少しずつ設定を書き変えていった。魔法を町中で使ったり、土を落としたり、記憶を消去しなかったりといった行為はこの為である。そしてそれをもとにこの場所を特定した守備隊ないし騎士団がやってきて彼女達を解放してくれるのを待つ、というのが当初の作戦であった。
少しずつとはいえ設定を書き換えたりすればすぐにバレてしまいそうなものだが、そこは創造主の完璧主義が幸いした。高度な設定に加えて魔術使用の権限を組み込まれた彼女達の設定情報量は、ちらりと見ただけでは創造主でさえ全てを把握することが困難なほど膨大なものだったのだ。
さて、そこまでは上手くいったものの、彼女達の予想を裏切って待てど暮らせど助けは来ない。その状況を打破したのがハダリーS3ことラティアである。
彼女は他のハダリーシリーズが検討段階で削除した作戦を実行に移すべきだと考えた。すなわち、創造主を打倒して脱出するということ。
当初は荒唐無稽な計画と思われた。何故ならばアリシヤはハダリーシリーズの創造主である。創りだした彼女達を制御する術が無いわけがないのだ。
そこにラティアは賭けた。彼女はアリオンと出会うことで自分の名前を創りだすことができた。いわばあの瞬間に彼女はハダリーシリーズから独立したのである。これによって管理者権限の発動を阻害できると彼女は考えた。その隙に精を媒体に何らかの大魔法を発動し、創造主から独立する。
この議案は即座に可決された。
チェック時に閲覧していたのはアリオンとの一夜の記録ではなく、斥候として研究資料を拝借していたハダリーシリーズの一体から受け取った旧代魔法に関する記述であった。
その結果が、先程の竜である。
「少し遅かった、と言いたいところですが、運ぶ手間は省けそうですね」
ラティアの手には土まみれの何かが握られていた。
「どうぞ」
「…それは?」
「貴方達の御目当ての人物、でしょうか。我々の創造主です」
「へ?」
ヘクトルの前に創造主を投げ捨てるラティア。
土まみれのアリシヤは目を回して気絶していた。
「それでは、私はこれで」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
慌ててヘクトルは彼女を引きとめる。
「貴方だけですか?量産型というからには…」
そう言いかけた所に、ラティアの背後からぱらぱらと他のハダリーシリーズが姿を見せる。
「まったく!S3ったらバカじゃないの?!あたし達まで吹っ飛んだらどうするつもりよ!」
「でも〜。わたし達にあんな魔法使えるなんて、びっくりだよね〜?」
「あの、あの…こ、ここから歩いて帰るんですか?わ、私が行った町まですっごく遠い…」
「モンクを言うねぇ。生きてるだけでめっけモンと思えよ」
「つーかマジでありえないんですけど!ぶっちゃけ転移魔法ナシだとこっから丸一日はかかるし!」
ゴーレムは無個性、というヘクトルの常識を打ち破る個性豊かなハダリーシリーズ。しかも口調に似合わない顔をした個体や、明らかに精神年齢と肉体年齢に開きのある個体がいたりする。
「む、貴殿」
「は、はい?」
髪の毛を後ろで束ねた、きつい目をした一体がヘクトルに声をかけた。
「…シュナイネ領主の猟犬か」
「ええ」
「…良い顔だ。いつか、手合わせを願いたいものだな」
不敵な笑みを浮かべる彼女に、ヘクトルはどう返せばいいのか分からない。もう手は完全に剣鉈から離れている。
「…あの通り、実験に使用された個体は全て健在。未使用の個体は先程の旧代魔法の構成に協力していただきました。今はもう、母なる大地に還っているでしょう」
「はぁ…」
「詳細はそこの創造主に。取調等がありましたら、我々は積極的に協力する所存です。では」
そうしてラティアは足早にその場を離れた。
残されたのは完全に拍子抜けしたヘクトル。彼は去って行くラティアや他のハダリーシリーズと、足元に転がる土くれ…もとい彼女達の創造主を交互に見た。
イヤリングに触れる。
「…セニョリータ?」
「どうした?何かあったか?今アニカが旧代魔法について」
「首謀者を確保しました」
「…………はぁっ?!ど、どういうことだっ!」
「あの、すいません。ありのままに起こった事を報告したいのですが、いかんせん僕自身が事を理解できていないので言葉にならなくて…」
思わぬ肩すかしをくったヘクトルは軽く痛む頭を押さえた。
「えっと、それで、首謀者を連れて帰還しますので、詳細な報告は帰ってから」
「…あ、ああ。その、なんだ。ヘクトル」
「…はい?あ、特に負傷とかはありませんので」
「いや、その…げ、元気出せ」
「はぁ」
「あれだ、帰ってきたら鬼ごっこでもして思い切り発散しろ」
「……え?」
いよいよ頭がおかしくなったかと聞き返すが、そこにまた別の声が割り込んできた。
「アナタ?終わりました?」
「ああ、マーサ…。ええ、多分」
「お夜食作りましたから、早く帰ってきてくださいね?ちなみに〜、デザートは、ア・タ・」
「ヘクトル君?」
「あ、アニカ。帰ったら旧代魔法についての」
「それよりも徹夜はさすがに辛かったろう?帰った来たら私の部屋に来ると良い。子守唄を歌」
「きっさまらぁああっ!あいつを癒すのは私の役め」
通信終了。ヴァンパイア三人そろえば姦しい。
ヘクトルは土塊、もといハダリーシリーズの創造主を担ぎあげ、重い足取りで帰路についた。
来る時に比べて何倍も時間がかかり、帰ったのは夜明け近くとか、そうでないとか。
………
どんな者にも朝は訪れる。例え腰痛と気だるさに苦しむ男であろうとも。そして大抵、こういう時に限ってすがすがしい朝なのである。
ベッドの中でアリオンは悶絶していた。初めての性行為は彼の腰にかなりのダメージを与えていた。
「お…おおおおおお…いてぇ…いてぇよおあぁあ痛えっ!!」
ゴロゴロと転げ回るうちにベッドから落ちてしまった。思い切り腰を打ち付けた痛みに悲鳴をあげると、間髪入れずに上下左右の部屋から怒声やら壁を殴る音やらが飛んできた。
いつも通りの事。だが、これが昨夜の夢のような出来事を呼び覚ましてしまう。
彼女はもう、いないのだ。
アリオンは自嘲した。
だから何だというのだ。たった一晩体を重ねただけだ。世界中の男がこんな調子なら、今頃売春宿は立ち行かなくなっている筈だろう。
ベッド近くのテーブルを支えに、立ち上がった。と、何かが置いてあることに気が付いた。
『アリオン
ドリンクはエールで2倍に薄めること。滋養強壮効果があります。
塗り薬は患部に湿布すること。半日で痛みが取れると思われます。
それから、もっと台所を充実させることを提案します。材料を集めるのにも一苦労でした。
昨夜は、本当にありがとうございました。 』
「…畜生…バカにしやがって」
ハダリーS3と書きかけた所に二重線が引かれ、その下にラティアと書かれていた。
まるで定規を使って書いたかのような文字。
必要事項だけを箇条書きにし、それを無理矢理文章に書き直したような文面。
だが、そこにはたしかに彼女の名残があった。
「帰るんなら、アッサリ帰れよ…」
そうすれば、一夜の夢と割り切れただろうに。
胸の奥から何かがこみ上げてくる。果たしてこれが一夜だけの命である彼女への憐れみなのか、それともそんな彼女を作り出した『クソッタレ』への怒りなのか、はたまた恋人を失った悲しみなのか、彼には分からなかった。
「……チクショウ」
唇を噛み、彼女の名残を握りつぶす。
「クソッタレが、チクショウ!!」
それでも治まらない彼は、咆哮とともにベッドを蹴り飛ばした。
ふるびたベッドがたてる大きな音。いつも通り上下左右からの怒声。
ただ少し違ったのは、背中にも声がかかったことである。
「アリオン。昨夜も言ったように、そのような行為は近隣住民の事を考えて慎むべきかと」
弾かれたように振り向くと、そこには小麦色の肌をした美女が真っ白なエプロンをつけて、涼しい顔で立っていた。
夢か、はたまた幻か。もう童貞ではない以上、少なくとも童貞をこじらせたわけではなさそうである。
「…ラ……ラティア…か…?」
「はい」
答えた。
あまりの衝撃に目を点にしたアリオンと、何故そんな当たり前の事を訊くのか理解できないラティア。
二人が首をかしげるのは全く同時だった。
「…うぇええええええええええええええええええ!?」
しばしの沈黙の後、アリオンの驚愕が部屋を震わせる。咄嗟にラティアが消音術式を発動したことにより、怒声が飛んでくることは無かった。だがそんな事も気にかからないアリオンは矢継ぎ早に言う。
「何だよお前!帰ったんじゃなかったのかよ!あの今生の別れ的な空気は何だったんだよ!メッチャしんみりしちゃったオレは何なんだよ!つーか何でエプロンなんか着けてんだよ!裸エプロンみたいだからもうしばらくその格好でいて下さいお願いします!」
驚きのあまり何か余計な言葉が混じったように思えるが気にしてはならない。ラティアも最後の部分は置いておくことにした。
「第一の質問に対する回答。確かに私は本部に帰還しました。
第二の質問に対する回答。昨夜あの時点において私が廃棄される予定であったのは事実です。
第三の質問に対する回答。知りません。
第四の質問に対する回答。貴方の朝食を作るためです」
「…あ……あ、そう…ですか……」
両者にある圧倒的な温度差に、アリオンも思わず閉口する。
はたして何と言ったものか、とアリオンは必死に思考を整理しようとする。だがその前にラティアが口を開いた。
「本部に帰還後、私は廃棄をされる事を拒否しました。創造主はそれを却下されたため、彼女をとっちめて貴方の家に帰って来たのです。案外難易度は低かったですよ。…精一杯噛み砕いてみましたが、貴方が訊きたかったのはこういう事では?」
「え…?あ、うん。そうだね」
すっかり混乱も治まったアリオンは、改めて目の前の彼女を見る。頭のてっぺんからつま先、そして声色まで何から何まで彼の知る彼女だった。
口調にはどこか違和感を感じるが。
加えて彼女の言葉、「帰ってきた」という事はつまり。
「…居座る気か」
はい、と答えた彼女は途端に不安そうな顔になった。
「あの、アリオン」
「な、なんだよ」
「迷惑…でしたか?」
あー、と気の抜けた声と共にアリオンは考える。気のきいた言葉でも言えれば、と思ったのだがいっこうに浮かばない。そわそわと落ちつかなげな彼女のために、彼は急いで言葉をひねり出した。
「おい」
「は、はい?」
「後で椅子、買いに行くぞ」
「……はい」
彼女はほんのり頬を染め、にっこりと笑った。
あとだな、とアリオンは気恥かしくなって頬を掻いた。
「…き」
「き?」
「昨日はぶっ飛ばしすぎたから…まずは、デートからでお願いします」
「はい」
つつつ…とラティアが彼に滑り寄り、抱きついた。
その柔らかさや香しさが、彼女が現実の存在であることを確かに教えてくれる。彼女に応えるように、アリオンも強く彼女を抱きしめた。
目を閉じて、彼女の温もりを感じる。
何かが目尻から溢れそうになったが、それも次の彼女の一言で引っ込んだ。
「そういえば、先ほど大家さまがいらっしゃいました」
「へ?いつ?」
「貴方がベッドから転げ落ちた少し後でしょうか。騒がしいのもいいかげんにしてくれだそうです。アリオン、今まで貴方はどんな生活態度だったのですか」
戦々恐々とするアリオン。恋人のように抱きついたまま、まるで母親のように彼を責めるラティアは、そこへさらに追い打ちをかける。
「あと貴方との関係を訊かれましたので一応『恋人だ』と答えたのですが、ここは独身寮だそうですね。久しぶりにキレちまったから後で来い、だそうです」
襲い来る真実にただただ顔を引きつらせるばかりのアリオン。これでトドメだ、とばかりに忘れていた腰痛が再発する。
「お……おおおおおおお……」
チクショウ。
床に崩れ落ちるアリオンは、泣き笑いの表情で言った。
「チクショウ……難易度……たけえなぁ……」
彼らの初めてのデートは、新しい住まい探しだったとか、そうでないとか。
10/09/15 01:17更新 / 八木
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