死しても消えない、その想い
わたしは炎の中、目覚めた。
「(ここは…?)」
赤々と燃え盛る炎に城内が包まれている。
当たりを見渡すと一人の侍が畳に伏せていた。
「(大殿様…!)」
わたしは大殿の如月冬治様の傍へ寄る。
既に息はないけど大殿様の顔はどこか満足した死に顔だった。
大切な何かを無事に託せたような、そんな顔をしている。
「大殿様…あの世へ旅立っても、お幸せに暮らしてください」
もう聞こえないと思うけど、わたしは大殿様に伝えた。
大殿様を仰向けにしたまま脇差を胸に置いた。
「ごゆっくりお休みください…大殿様」
わたしは黙とうをささげた。
再び現状を確認する為、燃え広がる城内を見た。
「(どうして、わたしは生きているの?確か胸を貫かれて、それで…)」
そこである事に気づいた。
炎の中だというのに熱くない。
「(なんで…?)」
訳が分からない。
胸を貫かれて血は大量に流れたはず。
それなのにどうしてわたしは生きているのだろう。
わたしは壁に立てかけてある鏡へ向かった。
「…っ!?」
そこで、わたしは驚いた。
今の自分の身に起きた、その姿に。
炎の明かりでよくわからないけど全身に生気が宿っていない。
それどころか貫かれた胸の傷が徐々に塞ぎ始めている。
「(これは一体、どういう状況なの?)」
付近を再度見渡すと、そこに不審な刀があった。
先程まで、そこになかったはずの刀である。
「何故こんなものがここに?いえ…それよりも」
見ればその辺りだけ何故か火の手が回っていない。
「(違う…火の手が回っているのではなく、火が避けている…?)」
あそこにいれば城が焼け落ちるまで安全という事になる。
わたしは何かに導かれるように刀の傍へ来た。
そして、その刀を手に取る。
すると溢れんばかりの妖気がわたしを包み込んだ。
その日、わたしはアンデッドとして二度目の生を受けた。
城が焼け落ちた次の日。
わたしの身体は異様な倦怠感に襲われた。
「(この怠さは何なの…?)」
生前から鍛練は欠かさず行なっていた為、こんな事は初めてだった。
わたしは休息の為、幼き頃に冬夜と一緒に見つけた隠れ家に身を置く。
「ここの風景は全く変わってないわね」
誰に話すでもなく独り言のようにつぶやいた。
生前の記憶から蘇った幼き日の思い出。
冬夜とは幼馴染のような関係で三つ下の弟みたいな存在でもある。
「あの頃は楽しかったわ…わたしも冬夜も立場が関係なく自由だった」
目を瞑れば当時の思い出が今でも鮮明に映し出される。
「いつから、わたしと冬夜の関係は幼馴染から主従になったのだろう」
わたしは再び目を瞑り、自分自身を見つめなおすことにした。
もしかしたら、その中で倦怠感の正体が分かるかもしれない。
そう思い、わたしは生前の記憶を頼りに過去の断片を紡ぎ始めた。
わたしは令月椿姫。
如月家の先祖から代々仕える武家の娘である。
娘と思うなかれ、令月家は男女関係なく剣の才能に恵まれていた。
わたしもその内の一人であった。
そして冬夜と出会ったのも父・令月史春のお蔭だった。
「今日はどうした?史春、あの時の話か?」
わたしの父と冬治様は度々、顔を合わせては城下町に降りていた。
そのまま共に警備を行い、時には酌を飲み交わす仲でもあった。
そして夜通し飲んでは父上は母上に、冬治様は奥方様に怒られていた。
「ああ、娘を紹介しようと連れてきた、ほら椿姫」
わたしは父上に促され、如月冬治様に挨拶をした。
「初めまして如月冬治様、父・令月史春の娘…令月椿姫でございます」
「初めまして令月椿姫殿、君の父上から聞いていると思うけど私が如月家現当主の如月冬治だ、以後お見知り置きを」
「よ、宜しくお願い致します」
わたしは頭を下げた。
「ふむ、史春…昔のお前より、ずっとしっかりとした娘だな」
「それを言うなよ…」
「ははっ、まぁお蔭で私もすぐに打ち解けられたからな」
父上と冬治様が話していると奥の方から一人の女性が現れた。
その隣には如月家次期当主、如月冬夜様の姿があった。
これがわたしが生涯仕えることになる彼との出会いだった。
「冬治様、史春様がお見えになったのなら教えてくれてもいいのに」
「すまない…初音」
「史春様、ようこそ」
「これは奥方様」
父上は冬治様の奥方様、初音様がお見えになると膝をついた。
わたしもそれに倣って膝をついて首を垂れた。
「あら、その娘さんが冬治様の仰っていた冬夜の付き人兼護衛の方?」
「左様です、奥方様…ほら」
わたしは父上に促され、今度は如月初音様に挨拶をする。
「初めまして冬治様の奥方様、父・令月史春の娘…令月椿姫でございます」
「初めまして令月椿姫殿、わたしは初音と申します…お見知り置きを」
その後、父上と冬治様は城下町の見回りに向かった。
「それでは貴女に冬夜の付き人をお願い致します」
「喜んでお仕えいたします、奥方様」
「今後は常に冬夜の傍に仕えて日々を送ってくださいね」
「承知いたしました」
この日を境にわたしは如月冬夜様に仕える事になった。
付き人兼護衛という立場上、冬夜様の剣のお相手もさせていただいた。
冬夜様の剣術は粗削りだけどゆくゆくは凄腕の剣士になる。
以前、冬夜様から決して手は抜かないでくれと何度も言われた。
だからわたしは手を抜かなかった。
それは冬治様も初音様も同じ思いだった。
その中で空いた時間、わたしは剣士としての力を日に日に高めた。
令月家が剣の才能に恵まれているとは言え、わたしはそれに甘えなかった。
日々鍛練を怠らず、研鑽を積み上げて腕を磨き続けた。
そんな毎日が続いたある日、如月冬治様に呼ばれた。
緊急招集という事で、わたしは冬夜様を連れて当主部屋に向かった。
「冬治様、令月椿姫・如月冬夜様、到着致しました」
「ああ、二人とも入ってくれ」
「失礼いたします」
わたしが障子戸を開けると冬治様と初音様の姿があった。
するとその近くには父・令月史春と母・秋巴の姿もあった。
「母上!」
「久しぶりね、椿姫」
「母上もお変わりなく」
「史春様から貴女の事は聞いていたけど立派になったわね」
「いえ、わたしはまだまだです」
わたしが両親と話していると冬夜様が入室した。
その足でわたしの母・秋巴の前に座ると挨拶をした。
「初めまして如月家次期当主の如月冬夜でございます」
「これはご丁寧に…私は令月秋巴、令月椿姫の母です」
「椿姫から聞き及んでおります、宜しくお願い致します」
そう言い残すと冬治様の左隣に座った。
「椿姫、貴女にも関係ある事です」
「承知いたしました、母上」
わたしも続いて部屋に入ると父上の左隣に座る。
「皆、集まったな?それでは話を始める」
内容は令月家に隣国中から登用の殺到や書状が届く事だった。
如月家は“特殊な家系”という事でジパング各国の大名に知れ渡っている。
令月家は武家という事で隣国に知れ渡っているが知名度は少ない。
あくまでも“如月家に代々仕える家系”とだけ認識されている。
故に登用や書状が届く事はまずなかった。
そんな令月家に隣国の大名から勧誘が来るようになった。
「以前から他に仕える気はないと各国の伝令に伝えたのだがな」
「ここ最近になって、それが特に顕著になりまして」
「それだけ令月家が知れ渡っているということだろう?」
「嬉しい事なのでは?」
「確かにそうだが…」
父上も母上も頭を悩ませていた。
「深く考えても仕方ないだろう?」
「そうですよ、史春殿も秋巴様も他に仕える気はないのでしょう?」
「まぁ、そうなのだがな」
「はい、令月家は如月家に生涯仕えると決めています」
「ならそれでいいのではないでしょうか」
「ですが…」
「もし心配事があるなら如月家から数名派遣しよう、どうだ?」
「そうだな、冬治…頼めるか?」
「お安い御用だ」
暫くして登用や書状の話は終わった。
その後は昔話に花を咲かせる為、宴が四人で始まった。
わたしと冬夜様は話についていけないと判断して当主部屋をあとにした。
そのまま庭園にわたしは冬夜様と出た。
時刻は夕刻で朝と晩に肌寒さは残っているが日中は温かい季節。
「椿姫…」
「はい」
わたしは片膝をついた。
「これから君はどうなるのだろう」
「仰る意味が分かりません」
「そう…だよな、すまない」
わたしは冬夜様の瞳を見た。
澄み渡った夜空のような黒い瞳。
しかし、その瞳は酷く不安に駆られていた。
わたしは冬夜様の不安を取り除く為、口を開いた。
「ご心配には及びません、冬夜様」
「えっ?」
「わたし…令月椿姫は生涯、如月冬夜様だけに仕えます…もし婚儀の誘いや他の方に仕えるくらいなら、わたしは望んで死を選び、この命を絶ちます」
これだけで完全に不安を取り除けるとは思ってない。
だけど冬夜様に一番伝えたい言葉がある。
「わたしの主はただ一人」
真っすぐ冬夜様を見つめた。
「如月冬夜様、ただお一人だけです」
これだけは伝えたかった。
「今後はどんな時でも寄り添い、離れず貴方を護ります…そして時間の許す限り、共にありましょう…我が唯一無二の主、如月冬夜様」
「ありがとう、椿姫」
「いえ」
既に日は沈み、夜空に月が浮かんだ。
冬夜様は日課となる剣術の稽古を終えると夕食後、湯あみをして床に就いた。
白い肌襦袢に着替え、わたしは冬夜様に伝えた事を思い出していた。
今にして思えば顔から火が出るほど恥ずかしい言葉だった。
だけど、あの話があったから今のわたしがある。
そして自分の心と向き合うきっかけにもなった。
それは幼馴染…ひいては主従関係を超えた“禁断の愛”である。
彼を知りたい、彼と過ごしたい、彼と一緒にいたい…ただそれだけ。
家臣である自分がそう思ってはいけないと頭では理解していた。
だけど自分の気持ちが抑えられなかった。
月日が流れ、わたしが十五歳を迎えたある日の事だった。
令月家当主から呼び出しがかかった。
わたしは冬治様にその事を伝えた。
すると冬治様は快く承諾してくれた。
「史春ではなく令月家当主という事は重大な内容だ、すぐに発った方がいい」
「申し訳ございません」
「構わない、これは令月家の問題だからな、我らが口を挟む事ではない」
わたしは一礼すると当主部屋の扉を閉める。
その際、冬治様の複雑な顔をわたしは見逃さなかった。
数年も仕えていると分からないでいいようなことも分かってしまう。
わたしは令月家に向かった。
令月家に戻ると隣国の諸大名たちのご子息が大勢いた。
それぞれが皆、婚儀の衣装姿だった。
状況が飲みこめずにいた、わたしに老侍女が声をかけてきた。
彼女には幼い頃、世話になった。
「椿姫様、お久しぶりでございます」
「貴女も変わりないようで安心しました、それで…これはどういう状況?」
「令月家の椿姫様に婚儀の申し込みです」
「それは分かるけど、なんで…?」
「椿姫様も御年十五歳、そろそろ身を固めたほうがよろしいかということで令月家当主、令月史春様のもとに諸大名様から婚儀の書状が届いた次第です」
「わたしは…!」
「さぁ、こちらへ」
老侍女は手を引くと幼い頃、わたしが暮らしていた部屋に連れて行った。
そこには既に二人の老侍女が控えており、壁には婚儀の着物が飾ってある。
わたしは半ば強引に座らされると侍道着を素早く脱がされた。
「このサラシは必要ありません」
「あっ、それは…!」
手慣れた手つきで老侍女は胸のサラシをはぐ。
するとサラシによって締め付けられていた胸が露わになる。
以前はこれほど大きくなかったから直に侍道着を着ていた。
だけどいつからか分からないけど徐々に自分の胸が膨らんできた。
その時に剣を振るのに邪魔だと思った、わたしはサラシを巻いた。
「椿姫様は立派なものをお持ちなのですから」
二人の老侍女が壁に飾ってある着物を持つとわたしに被せた。
そのまま老侍女は、わたしの顔におしろいを付け、紅を口に塗り、帯を結ぶ。
束ねてあった長い黒髪は解かれて櫛で綺麗に梳かれた。
あっという間の出来事だった。
僅か数十分で大国の姫君のような服装になった。
「お綺麗でございます、椿姫様」
「(どうして、わたしが…)」
「諸大名様のご子息様がお待ちでございます」
思いも虚しく老侍女に手を引かれ、わたしは婚儀の間へ赴いた。
それからというもの隣国の諸大名のご子息は我先にと婚儀をしてきた。
領土はこれくらいあるとか、石高はこれくらいあるとか。
けどそれらは全て彼等が親から引き継ぐだけである。
「お断りします」
「何故ですか!?」
「お帰り下さい」
「どうしてですか!?」
だからわたしは“婚儀の誘い”を断り続けた。
親が切磋琢磨して得た領土や石高をさも自分の手柄のように言うから。
「これで何人目だ?」
「二十名弱…断っています」
「なぁ、頼むよ」
「何度、頭を下げられようとも嫌なものは嫌です」
「けどな、椿姫…」
「いくら敬愛する父上の頼みとは言え、好いてもいない殿方に嫁ぎたくありません!」
わたしは真っ向から拒絶した。
「こればっかりは父上の頼みでも聞けませぬ!」
わたしは素早く懐から小太刀を取り出し、自分の首に刃を当てた。
「な、なにをするつもりだ!?」
「もし嫁がなければならないというなら、わたしは死を選びます」
「ば、バカな真似はやめろ!」
「わたしは本気です!」
首筋に当たる小太刀の冷たい感覚。
恐怖がないと言えば嘘になる。
だけど他に仕える、ましてや嫁ぐ位なら自ら命を絶つ。
わたしの剣は生涯、如月冬夜様だけに振るわれる忠義の刃である。
たとえ敬愛する父上でも決して譲れない。
「分かった、お前の気持ちは痛いほど分かった…けどな?」
「左様ですか…」
「分かってくれたか?」
「理解いたしました…では、さようなら…父上」
わたしはこれ以上の話し合いは無理と判断した。
「(冬夜様…わたしは、これまでです)」
今までの年月が走馬灯のように巡り始める。
「(貴方様への忠義…果たせそうにありません)」
最後に涙を流した。
「(冬夜様、貴方は貴方自身の為に生き続けてください…わたしはいつでも冬夜様を見守っています…たとえ、貴方の傍にわたしの姿がなくてもずっと冬夜様の道しるべとなり、冬夜様を照らし続けます)」
そのまま首筋に当てた刃を押し付けた。
しかし、痛みはなかった。
見れば母上が、わたしの刃を握っていた。
「母上…」
「もう…バカな娘ね」
そのまま母上は小太刀を庭園に投げた。
すかさずそれを母上の侍女が回収する。
呆けているわたしをしり目に母上は父上のもとへ向かった。
そして…。
―パァンッ―
乾いた音がこだまする。
見れば母上が父上の頬に平手打ちをした。
状況が分からない父上にもう一度、今度は逆の頬を叩いた。
「娘の気持ちが分からなかったの!史春!!」
「…」
「あの子は本気だったのよ!本気で自らの命を絶とうとしたのよ!!」
「…」
「何年間、椿姫の父親をしてたのよ!」
「…」
「椿姫の涙に何を見たの!」
暫くして父上が口を開いた。
「すまない…椿姫」
父上は涙に頬を濡らし、何度もわたしに謝った。
その後、父上と母上は残った諸大名のご子息に理由を付けて返した。
わたしは婚儀の衣装から再び、侍道着に着替え、胸にサラシを巻いた。
勿論、長い黒髪は後ろでしっかりと束ね、腰には刀を帯びた。
「じゃあ、しっかりね?椿姫」
「ありがとうございます、母上」
「今日の事を冬夜殿に伝えるか伝えないかは椿姫が決めなさい…貴女は既に成人よ、自分の事は自分で決めなさい、いいですね?」
「心得ております」
出立の準備を整えた、わたしに如月家と令月家の護衛の方が現れた。
わたしは、その方達と共に冬夜様のもとへ向かった。
如月家に到着したわたしは今日の出来事を冬夜様に話した。
「婚儀の誘い!?」
「はい、ですが全て断りました」
「けど、それだと令月家が狙われるのでは?」
「問題ありません、わたしの一族はそこら辺の者に引けを取りません」
「だけど…」
「ご安心ください、令月家には如月家のご家老やご家来の方が大勢います…何より我が敬愛する父上がそう簡単に負けるはずありません…それに」
「それに?」
「父上もそうですが、わたしの兄上も姉上も非常に腕が立ちます」
「椿姫がそう言うなら大丈夫かな?」
「はい、ですのでこれまで通りわたしは冬夜様…貴方にお仕えいたします」
「分かった、よろしく頼むよ」
「お任せください、この命に代えてもお守りいたします」
わたしは本当の意味で冬夜様の付き人兼護衛になった。
そして五年後の丁度、昨晩の出来事だった。
何の前触れもなくあの悪夢が如月家を襲った。
結局、倦怠感の正体は分からなかった。
けど冬夜に対する想いを再認識できた。
「冬夜…貴方に逢いたいよ」
季節は秋。
夏の暑さが和らぎ、過ごしやすい時期である。
しかし、朝晩は肌寒い。
「これからどうすればいいの?」
突然、北風が吹いた。
「うぅっ…肌寒い」
すると刀から溢れんばかりの温かな妖気がわたしを包み込む。
不思議に思い、わたしは刀を見る。
最初は不審な刀と思ったけど便利な代物かもしれない。
「ここにいても仕方ない…か」
わたしは立ち上がる。
「まずは冬夜に関する情報を集めるのが先決ね」
いつの間にか倦怠感が消えていた。
またこの身体になった事で睡眠と言う概念が消えた事に気付く。
けど生前の事もあり、睡眠時はこの場所と決めた。
その他は眠らない体質を有効活用する事にした。
そして一年の月日が経過した。
如月城。
わたしは生前の記憶を頼りに如月城を歩く。
新しく建設された如月城は一年前より一回り小さい。
だけど城内の見取り図が同じ為、迷うことなく歩けた。
他にも一年で、この身体に関することが分かってきた。
生前の記憶や想いは強く残り、剣の腕も鍛練を欠かさなければ衰えない。
また感覚機能や五感は生前より研ぎ澄まされ、少し敏感になっている。
その為、一年前は慣れるのに大変だったけど今では身体の一部である。
お蔭で暗い城内も夜目が効く為、重宝している。
「(もうすぐ冬夜に逢える)」
庭園に辿り着いた。
そこに一人の青年がいた。
「(冬夜…っ!?)」
わたしは声をかけようとした。
だけど声が出ない。
「(なん…で?そこに、すぐそこに冬夜がいるのに!!)」
すると右手が、わたしの意に反して動く。
そのまま鞘から刀が抜かれた。
「(やめて…っ!)」
抵抗も虚しく、その凶刃が冬夜に振るわれた。
「(どうして、わたしの身体なのに言う事を聞いてくれないの?)」
まるで刀に意思が宿ったように動く。
「(こんな事…わたし…望んでないのに!)」
暫くして意思が届いたのか刀は鞘に収まった。
見れば冬夜が頭を押さえていた。
声が出ない為、わたしは無言で冬夜を見つめた。
すると声が聞こえ、わたしは視線を移す。
そこには忍び装束に身を包んだくノ一の姿。
「(…っ!?)」
一瞬で理解した。
既に彼の傍に居場所はなかった。
そのままわたしは音もなく立ち去った。
残ったのは心に空いた虚無感だけだった。
満月の晩。
わたしは何かに導かれるように夜道を歩く。
既に生き延びた意味がなくなってしまった。
生涯仕えると決めた主君の傍には別の存在。
これからどうすればいいのか分からない。
新たに別の主君を見つけ、その男性の忠実な僕となるか?
否、そんなことできるわけがない。
わたしは令月椿姫…代々如月家に仕える令月家の娘。
瞬間、わたしの身体は溢れんばかりの妖気に包まれた。
その力は今までの比ではないほど大きな妖気だった。
「(彼に…冬夜に仕えるのは、このわたし…令月椿姫の役目よ)」
わたしは冬夜の気配を頼りに歩き出す。
暫くして如月道場の近くに辿り着いた。
すると向こうから黒髪の青年が一人現れた。
その姿は見間違えるはずもない。
澄み切った夜空のような黒い瞳。
腰に下げた二振りの刀。
「(冬夜…)」
わたしの気配に気づいたのか冬夜は立ち止まった。
腰の刀に手をかけ、いつでも抜刀できる態勢を取った。
「(ふふっ、いい構えね)」
自然と笑いがこみ上げてきた。
わたしは歩を進め、月明かりに姿を現した。
すると冬夜の顔に戸惑いや恐れなど様々な感情が入り混じっていた。
「(それはそうよね…あの夜、わたしは炎の中で胸を貫かれたのだから…そして冬夜も、それを見ていた…故にわたしは存在しない)」
わたしは優しい口調で話しかけた。
「冬夜…」
「やめろ…っ!!」
「一年ぶりですね」
「やめてくれ!椿姫…君は、あの炎の中で亡くなった!」
「わたしは生きております」
身に纏う妖気が冬夜を優しく包み込む。
しかし、その時…。
一週間前に聞いたくノ一の声がした。
「冬夜様!」
その声は、わたしと冬夜の間に舞い降りる。
暫く冬夜と話をした後、くノ一はわたしを睨み付けてきた。
「冬夜様を惑わす亡霊よ…退きなさい!」
その正体にわたしは気づいていたが敢えて訊ねた。
「誰…?貴女」
「わたしは冬夜様に仕える忍び…名を鈴音!」
鈴音と名乗るくノ一は苦無と小太刀を構えた。
わたしは微笑むと腰に下げた鞘から刀を抜く。
抜刀した刃から妖気が溢れ、妖しい剣光を放つ。
「忍び相手に戦うと?」
安い挑発ね。
「ええ、彼に…“冬夜”に仕えるのは、わたしの役目だからよ」
「ならば…鈴音、参ります!!」
わたしとくノ一は当時に動いた。
忍び相手の戦い方も令月家から教わった。
彼女達は体術を駆使して素早く身軽な動きをする。
だけど、わたしには見えている。
「この程度で冬夜に仕えているのかしら?」
「無駄口を…」
「叩かせたくなければ、もう少し善処しなさい」
「っ!?」
苦無と小太刀を握るくノ一の手に力が入る。
だけど寸前のところで冬夜が叫び、冷静さを取り戻した。
次にわたしは“彼”に優しく“語りかけて”いた。
「あの晩の事…もう忘れたの?」
冬夜の顔が驚愕と苦痛にゆがむ。
―何を言っているの?―
「あの日…熱く燃えた夜の事を貴方は忘れてしまったの?」
―やめて…っ!!―
「あの時は嬉しかった…やっと貴方と心が通じ合えたから」
―これ以上、冬夜を…っ!―
「けど、もう大丈夫…今度こそ、わたしが貴方を護るから」
―やめ…っ!―
次の瞬間、わたしの意識は暗闇に飲みこまれた。
僅かに残った意識の中、わたしは黙っていた。
この感覚に覚えがある。
一週間前、如月城でも同じ感覚に襲われた。
自分が自分でなくなってしまうような…そんな感じ。
けど今回は違う。
わたしの身体は完全に“妖刀”に乗っ取られた。
もう自分の意志で動かすことができない。
このままどうなってしまうのかも分からない。
―助けて…冬夜―
すると暗闇の先に一筋の光が見えた。
その光は徐々に強くなり、わたしの目の前で止まる。
そこから声が聞こえた。
―椿姫、必ず助けるから待っていてくれ!!―
わたしは残った意識を総動員して動きを封じた。
これで劇的に変わるわけはではないけど座して待つよりいい。
しかし次の瞬間、わたしと妖刀の意識が完全に分離された。
そのままわたしの身体は誰かに支えられた。
目を覚ますとそこに懐かしい顔があった。
精悍な顔立ち、澄み渡る夜空のような黒い瞳と黒い髪。
「冬…夜?」
「椿姫」
「本当に…冬夜なの?」
「そうだよ」
「冬夜…冬夜、逢いたかった」
わたしは冬夜の侍道着にしがみついた。
冬夜もわたしを力強く抱きしめてくれた。
そして、わたしは一番伝えたいことを尋ねた。
「こんな姿になってしまったけど愛してくれる?」
「関係ない、どんな姿でも私にとって椿姫は大切な人だ」
わたしたちはそのまま口づけを交わした。
一年という歳月の溝を埋め合わせるように何度も交わす。
その時、ためらいがちな声が聞こえ、わたしと冬夜は我に返る。
考えてみれば、ここは道のど真ん中だった。
既に皆は寝ている思われるけど夜だから響く。
加えて夜の営みの真っ最中の夫婦もいる。
わたしたちは互いの手を絡ませ合い如月城へ向かった。
そのまま如月城の寝所でわたしたちは夜通し布団の上で愛し合った。
「(ここは…?)」
赤々と燃え盛る炎に城内が包まれている。
当たりを見渡すと一人の侍が畳に伏せていた。
「(大殿様…!)」
わたしは大殿の如月冬治様の傍へ寄る。
既に息はないけど大殿様の顔はどこか満足した死に顔だった。
大切な何かを無事に託せたような、そんな顔をしている。
「大殿様…あの世へ旅立っても、お幸せに暮らしてください」
もう聞こえないと思うけど、わたしは大殿様に伝えた。
大殿様を仰向けにしたまま脇差を胸に置いた。
「ごゆっくりお休みください…大殿様」
わたしは黙とうをささげた。
再び現状を確認する為、燃え広がる城内を見た。
「(どうして、わたしは生きているの?確か胸を貫かれて、それで…)」
そこである事に気づいた。
炎の中だというのに熱くない。
「(なんで…?)」
訳が分からない。
胸を貫かれて血は大量に流れたはず。
それなのにどうしてわたしは生きているのだろう。
わたしは壁に立てかけてある鏡へ向かった。
「…っ!?」
そこで、わたしは驚いた。
今の自分の身に起きた、その姿に。
炎の明かりでよくわからないけど全身に生気が宿っていない。
それどころか貫かれた胸の傷が徐々に塞ぎ始めている。
「(これは一体、どういう状況なの?)」
付近を再度見渡すと、そこに不審な刀があった。
先程まで、そこになかったはずの刀である。
「何故こんなものがここに?いえ…それよりも」
見ればその辺りだけ何故か火の手が回っていない。
「(違う…火の手が回っているのではなく、火が避けている…?)」
あそこにいれば城が焼け落ちるまで安全という事になる。
わたしは何かに導かれるように刀の傍へ来た。
そして、その刀を手に取る。
すると溢れんばかりの妖気がわたしを包み込んだ。
その日、わたしはアンデッドとして二度目の生を受けた。
城が焼け落ちた次の日。
わたしの身体は異様な倦怠感に襲われた。
「(この怠さは何なの…?)」
生前から鍛練は欠かさず行なっていた為、こんな事は初めてだった。
わたしは休息の為、幼き頃に冬夜と一緒に見つけた隠れ家に身を置く。
「ここの風景は全く変わってないわね」
誰に話すでもなく独り言のようにつぶやいた。
生前の記憶から蘇った幼き日の思い出。
冬夜とは幼馴染のような関係で三つ下の弟みたいな存在でもある。
「あの頃は楽しかったわ…わたしも冬夜も立場が関係なく自由だった」
目を瞑れば当時の思い出が今でも鮮明に映し出される。
「いつから、わたしと冬夜の関係は幼馴染から主従になったのだろう」
わたしは再び目を瞑り、自分自身を見つめなおすことにした。
もしかしたら、その中で倦怠感の正体が分かるかもしれない。
そう思い、わたしは生前の記憶を頼りに過去の断片を紡ぎ始めた。
わたしは令月椿姫。
如月家の先祖から代々仕える武家の娘である。
娘と思うなかれ、令月家は男女関係なく剣の才能に恵まれていた。
わたしもその内の一人であった。
そして冬夜と出会ったのも父・令月史春のお蔭だった。
「今日はどうした?史春、あの時の話か?」
わたしの父と冬治様は度々、顔を合わせては城下町に降りていた。
そのまま共に警備を行い、時には酌を飲み交わす仲でもあった。
そして夜通し飲んでは父上は母上に、冬治様は奥方様に怒られていた。
「ああ、娘を紹介しようと連れてきた、ほら椿姫」
わたしは父上に促され、如月冬治様に挨拶をした。
「初めまして如月冬治様、父・令月史春の娘…令月椿姫でございます」
「初めまして令月椿姫殿、君の父上から聞いていると思うけど私が如月家現当主の如月冬治だ、以後お見知り置きを」
「よ、宜しくお願い致します」
わたしは頭を下げた。
「ふむ、史春…昔のお前より、ずっとしっかりとした娘だな」
「それを言うなよ…」
「ははっ、まぁお蔭で私もすぐに打ち解けられたからな」
父上と冬治様が話していると奥の方から一人の女性が現れた。
その隣には如月家次期当主、如月冬夜様の姿があった。
これがわたしが生涯仕えることになる彼との出会いだった。
「冬治様、史春様がお見えになったのなら教えてくれてもいいのに」
「すまない…初音」
「史春様、ようこそ」
「これは奥方様」
父上は冬治様の奥方様、初音様がお見えになると膝をついた。
わたしもそれに倣って膝をついて首を垂れた。
「あら、その娘さんが冬治様の仰っていた冬夜の付き人兼護衛の方?」
「左様です、奥方様…ほら」
わたしは父上に促され、今度は如月初音様に挨拶をする。
「初めまして冬治様の奥方様、父・令月史春の娘…令月椿姫でございます」
「初めまして令月椿姫殿、わたしは初音と申します…お見知り置きを」
その後、父上と冬治様は城下町の見回りに向かった。
「それでは貴女に冬夜の付き人をお願い致します」
「喜んでお仕えいたします、奥方様」
「今後は常に冬夜の傍に仕えて日々を送ってくださいね」
「承知いたしました」
この日を境にわたしは如月冬夜様に仕える事になった。
付き人兼護衛という立場上、冬夜様の剣のお相手もさせていただいた。
冬夜様の剣術は粗削りだけどゆくゆくは凄腕の剣士になる。
以前、冬夜様から決して手は抜かないでくれと何度も言われた。
だからわたしは手を抜かなかった。
それは冬治様も初音様も同じ思いだった。
その中で空いた時間、わたしは剣士としての力を日に日に高めた。
令月家が剣の才能に恵まれているとは言え、わたしはそれに甘えなかった。
日々鍛練を怠らず、研鑽を積み上げて腕を磨き続けた。
そんな毎日が続いたある日、如月冬治様に呼ばれた。
緊急招集という事で、わたしは冬夜様を連れて当主部屋に向かった。
「冬治様、令月椿姫・如月冬夜様、到着致しました」
「ああ、二人とも入ってくれ」
「失礼いたします」
わたしが障子戸を開けると冬治様と初音様の姿があった。
するとその近くには父・令月史春と母・秋巴の姿もあった。
「母上!」
「久しぶりね、椿姫」
「母上もお変わりなく」
「史春様から貴女の事は聞いていたけど立派になったわね」
「いえ、わたしはまだまだです」
わたしが両親と話していると冬夜様が入室した。
その足でわたしの母・秋巴の前に座ると挨拶をした。
「初めまして如月家次期当主の如月冬夜でございます」
「これはご丁寧に…私は令月秋巴、令月椿姫の母です」
「椿姫から聞き及んでおります、宜しくお願い致します」
そう言い残すと冬治様の左隣に座った。
「椿姫、貴女にも関係ある事です」
「承知いたしました、母上」
わたしも続いて部屋に入ると父上の左隣に座る。
「皆、集まったな?それでは話を始める」
内容は令月家に隣国中から登用の殺到や書状が届く事だった。
如月家は“特殊な家系”という事でジパング各国の大名に知れ渡っている。
令月家は武家という事で隣国に知れ渡っているが知名度は少ない。
あくまでも“如月家に代々仕える家系”とだけ認識されている。
故に登用や書状が届く事はまずなかった。
そんな令月家に隣国の大名から勧誘が来るようになった。
「以前から他に仕える気はないと各国の伝令に伝えたのだがな」
「ここ最近になって、それが特に顕著になりまして」
「それだけ令月家が知れ渡っているということだろう?」
「嬉しい事なのでは?」
「確かにそうだが…」
父上も母上も頭を悩ませていた。
「深く考えても仕方ないだろう?」
「そうですよ、史春殿も秋巴様も他に仕える気はないのでしょう?」
「まぁ、そうなのだがな」
「はい、令月家は如月家に生涯仕えると決めています」
「ならそれでいいのではないでしょうか」
「ですが…」
「もし心配事があるなら如月家から数名派遣しよう、どうだ?」
「そうだな、冬治…頼めるか?」
「お安い御用だ」
暫くして登用や書状の話は終わった。
その後は昔話に花を咲かせる為、宴が四人で始まった。
わたしと冬夜様は話についていけないと判断して当主部屋をあとにした。
そのまま庭園にわたしは冬夜様と出た。
時刻は夕刻で朝と晩に肌寒さは残っているが日中は温かい季節。
「椿姫…」
「はい」
わたしは片膝をついた。
「これから君はどうなるのだろう」
「仰る意味が分かりません」
「そう…だよな、すまない」
わたしは冬夜様の瞳を見た。
澄み渡った夜空のような黒い瞳。
しかし、その瞳は酷く不安に駆られていた。
わたしは冬夜様の不安を取り除く為、口を開いた。
「ご心配には及びません、冬夜様」
「えっ?」
「わたし…令月椿姫は生涯、如月冬夜様だけに仕えます…もし婚儀の誘いや他の方に仕えるくらいなら、わたしは望んで死を選び、この命を絶ちます」
これだけで完全に不安を取り除けるとは思ってない。
だけど冬夜様に一番伝えたい言葉がある。
「わたしの主はただ一人」
真っすぐ冬夜様を見つめた。
「如月冬夜様、ただお一人だけです」
これだけは伝えたかった。
「今後はどんな時でも寄り添い、離れず貴方を護ります…そして時間の許す限り、共にありましょう…我が唯一無二の主、如月冬夜様」
「ありがとう、椿姫」
「いえ」
既に日は沈み、夜空に月が浮かんだ。
冬夜様は日課となる剣術の稽古を終えると夕食後、湯あみをして床に就いた。
白い肌襦袢に着替え、わたしは冬夜様に伝えた事を思い出していた。
今にして思えば顔から火が出るほど恥ずかしい言葉だった。
だけど、あの話があったから今のわたしがある。
そして自分の心と向き合うきっかけにもなった。
それは幼馴染…ひいては主従関係を超えた“禁断の愛”である。
彼を知りたい、彼と過ごしたい、彼と一緒にいたい…ただそれだけ。
家臣である自分がそう思ってはいけないと頭では理解していた。
だけど自分の気持ちが抑えられなかった。
月日が流れ、わたしが十五歳を迎えたある日の事だった。
令月家当主から呼び出しがかかった。
わたしは冬治様にその事を伝えた。
すると冬治様は快く承諾してくれた。
「史春ではなく令月家当主という事は重大な内容だ、すぐに発った方がいい」
「申し訳ございません」
「構わない、これは令月家の問題だからな、我らが口を挟む事ではない」
わたしは一礼すると当主部屋の扉を閉める。
その際、冬治様の複雑な顔をわたしは見逃さなかった。
数年も仕えていると分からないでいいようなことも分かってしまう。
わたしは令月家に向かった。
令月家に戻ると隣国の諸大名たちのご子息が大勢いた。
それぞれが皆、婚儀の衣装姿だった。
状況が飲みこめずにいた、わたしに老侍女が声をかけてきた。
彼女には幼い頃、世話になった。
「椿姫様、お久しぶりでございます」
「貴女も変わりないようで安心しました、それで…これはどういう状況?」
「令月家の椿姫様に婚儀の申し込みです」
「それは分かるけど、なんで…?」
「椿姫様も御年十五歳、そろそろ身を固めたほうがよろしいかということで令月家当主、令月史春様のもとに諸大名様から婚儀の書状が届いた次第です」
「わたしは…!」
「さぁ、こちらへ」
老侍女は手を引くと幼い頃、わたしが暮らしていた部屋に連れて行った。
そこには既に二人の老侍女が控えており、壁には婚儀の着物が飾ってある。
わたしは半ば強引に座らされると侍道着を素早く脱がされた。
「このサラシは必要ありません」
「あっ、それは…!」
手慣れた手つきで老侍女は胸のサラシをはぐ。
するとサラシによって締め付けられていた胸が露わになる。
以前はこれほど大きくなかったから直に侍道着を着ていた。
だけどいつからか分からないけど徐々に自分の胸が膨らんできた。
その時に剣を振るのに邪魔だと思った、わたしはサラシを巻いた。
「椿姫様は立派なものをお持ちなのですから」
二人の老侍女が壁に飾ってある着物を持つとわたしに被せた。
そのまま老侍女は、わたしの顔におしろいを付け、紅を口に塗り、帯を結ぶ。
束ねてあった長い黒髪は解かれて櫛で綺麗に梳かれた。
あっという間の出来事だった。
僅か数十分で大国の姫君のような服装になった。
「お綺麗でございます、椿姫様」
「(どうして、わたしが…)」
「諸大名様のご子息様がお待ちでございます」
思いも虚しく老侍女に手を引かれ、わたしは婚儀の間へ赴いた。
それからというもの隣国の諸大名のご子息は我先にと婚儀をしてきた。
領土はこれくらいあるとか、石高はこれくらいあるとか。
けどそれらは全て彼等が親から引き継ぐだけである。
「お断りします」
「何故ですか!?」
「お帰り下さい」
「どうしてですか!?」
だからわたしは“婚儀の誘い”を断り続けた。
親が切磋琢磨して得た領土や石高をさも自分の手柄のように言うから。
「これで何人目だ?」
「二十名弱…断っています」
「なぁ、頼むよ」
「何度、頭を下げられようとも嫌なものは嫌です」
「けどな、椿姫…」
「いくら敬愛する父上の頼みとは言え、好いてもいない殿方に嫁ぎたくありません!」
わたしは真っ向から拒絶した。
「こればっかりは父上の頼みでも聞けませぬ!」
わたしは素早く懐から小太刀を取り出し、自分の首に刃を当てた。
「な、なにをするつもりだ!?」
「もし嫁がなければならないというなら、わたしは死を選びます」
「ば、バカな真似はやめろ!」
「わたしは本気です!」
首筋に当たる小太刀の冷たい感覚。
恐怖がないと言えば嘘になる。
だけど他に仕える、ましてや嫁ぐ位なら自ら命を絶つ。
わたしの剣は生涯、如月冬夜様だけに振るわれる忠義の刃である。
たとえ敬愛する父上でも決して譲れない。
「分かった、お前の気持ちは痛いほど分かった…けどな?」
「左様ですか…」
「分かってくれたか?」
「理解いたしました…では、さようなら…父上」
わたしはこれ以上の話し合いは無理と判断した。
「(冬夜様…わたしは、これまでです)」
今までの年月が走馬灯のように巡り始める。
「(貴方様への忠義…果たせそうにありません)」
最後に涙を流した。
「(冬夜様、貴方は貴方自身の為に生き続けてください…わたしはいつでも冬夜様を見守っています…たとえ、貴方の傍にわたしの姿がなくてもずっと冬夜様の道しるべとなり、冬夜様を照らし続けます)」
そのまま首筋に当てた刃を押し付けた。
しかし、痛みはなかった。
見れば母上が、わたしの刃を握っていた。
「母上…」
「もう…バカな娘ね」
そのまま母上は小太刀を庭園に投げた。
すかさずそれを母上の侍女が回収する。
呆けているわたしをしり目に母上は父上のもとへ向かった。
そして…。
―パァンッ―
乾いた音がこだまする。
見れば母上が父上の頬に平手打ちをした。
状況が分からない父上にもう一度、今度は逆の頬を叩いた。
「娘の気持ちが分からなかったの!史春!!」
「…」
「あの子は本気だったのよ!本気で自らの命を絶とうとしたのよ!!」
「…」
「何年間、椿姫の父親をしてたのよ!」
「…」
「椿姫の涙に何を見たの!」
暫くして父上が口を開いた。
「すまない…椿姫」
父上は涙に頬を濡らし、何度もわたしに謝った。
その後、父上と母上は残った諸大名のご子息に理由を付けて返した。
わたしは婚儀の衣装から再び、侍道着に着替え、胸にサラシを巻いた。
勿論、長い黒髪は後ろでしっかりと束ね、腰には刀を帯びた。
「じゃあ、しっかりね?椿姫」
「ありがとうございます、母上」
「今日の事を冬夜殿に伝えるか伝えないかは椿姫が決めなさい…貴女は既に成人よ、自分の事は自分で決めなさい、いいですね?」
「心得ております」
出立の準備を整えた、わたしに如月家と令月家の護衛の方が現れた。
わたしは、その方達と共に冬夜様のもとへ向かった。
如月家に到着したわたしは今日の出来事を冬夜様に話した。
「婚儀の誘い!?」
「はい、ですが全て断りました」
「けど、それだと令月家が狙われるのでは?」
「問題ありません、わたしの一族はそこら辺の者に引けを取りません」
「だけど…」
「ご安心ください、令月家には如月家のご家老やご家来の方が大勢います…何より我が敬愛する父上がそう簡単に負けるはずありません…それに」
「それに?」
「父上もそうですが、わたしの兄上も姉上も非常に腕が立ちます」
「椿姫がそう言うなら大丈夫かな?」
「はい、ですのでこれまで通りわたしは冬夜様…貴方にお仕えいたします」
「分かった、よろしく頼むよ」
「お任せください、この命に代えてもお守りいたします」
わたしは本当の意味で冬夜様の付き人兼護衛になった。
そして五年後の丁度、昨晩の出来事だった。
何の前触れもなくあの悪夢が如月家を襲った。
結局、倦怠感の正体は分からなかった。
けど冬夜に対する想いを再認識できた。
「冬夜…貴方に逢いたいよ」
季節は秋。
夏の暑さが和らぎ、過ごしやすい時期である。
しかし、朝晩は肌寒い。
「これからどうすればいいの?」
突然、北風が吹いた。
「うぅっ…肌寒い」
すると刀から溢れんばかりの温かな妖気がわたしを包み込む。
不思議に思い、わたしは刀を見る。
最初は不審な刀と思ったけど便利な代物かもしれない。
「ここにいても仕方ない…か」
わたしは立ち上がる。
「まずは冬夜に関する情報を集めるのが先決ね」
いつの間にか倦怠感が消えていた。
またこの身体になった事で睡眠と言う概念が消えた事に気付く。
けど生前の事もあり、睡眠時はこの場所と決めた。
その他は眠らない体質を有効活用する事にした。
そして一年の月日が経過した。
如月城。
わたしは生前の記憶を頼りに如月城を歩く。
新しく建設された如月城は一年前より一回り小さい。
だけど城内の見取り図が同じ為、迷うことなく歩けた。
他にも一年で、この身体に関することが分かってきた。
生前の記憶や想いは強く残り、剣の腕も鍛練を欠かさなければ衰えない。
また感覚機能や五感は生前より研ぎ澄まされ、少し敏感になっている。
その為、一年前は慣れるのに大変だったけど今では身体の一部である。
お蔭で暗い城内も夜目が効く為、重宝している。
「(もうすぐ冬夜に逢える)」
庭園に辿り着いた。
そこに一人の青年がいた。
「(冬夜…っ!?)」
わたしは声をかけようとした。
だけど声が出ない。
「(なん…で?そこに、すぐそこに冬夜がいるのに!!)」
すると右手が、わたしの意に反して動く。
そのまま鞘から刀が抜かれた。
「(やめて…っ!)」
抵抗も虚しく、その凶刃が冬夜に振るわれた。
「(どうして、わたしの身体なのに言う事を聞いてくれないの?)」
まるで刀に意思が宿ったように動く。
「(こんな事…わたし…望んでないのに!)」
暫くして意思が届いたのか刀は鞘に収まった。
見れば冬夜が頭を押さえていた。
声が出ない為、わたしは無言で冬夜を見つめた。
すると声が聞こえ、わたしは視線を移す。
そこには忍び装束に身を包んだくノ一の姿。
「(…っ!?)」
一瞬で理解した。
既に彼の傍に居場所はなかった。
そのままわたしは音もなく立ち去った。
残ったのは心に空いた虚無感だけだった。
満月の晩。
わたしは何かに導かれるように夜道を歩く。
既に生き延びた意味がなくなってしまった。
生涯仕えると決めた主君の傍には別の存在。
これからどうすればいいのか分からない。
新たに別の主君を見つけ、その男性の忠実な僕となるか?
否、そんなことできるわけがない。
わたしは令月椿姫…代々如月家に仕える令月家の娘。
瞬間、わたしの身体は溢れんばかりの妖気に包まれた。
その力は今までの比ではないほど大きな妖気だった。
「(彼に…冬夜に仕えるのは、このわたし…令月椿姫の役目よ)」
わたしは冬夜の気配を頼りに歩き出す。
暫くして如月道場の近くに辿り着いた。
すると向こうから黒髪の青年が一人現れた。
その姿は見間違えるはずもない。
澄み切った夜空のような黒い瞳。
腰に下げた二振りの刀。
「(冬夜…)」
わたしの気配に気づいたのか冬夜は立ち止まった。
腰の刀に手をかけ、いつでも抜刀できる態勢を取った。
「(ふふっ、いい構えね)」
自然と笑いがこみ上げてきた。
わたしは歩を進め、月明かりに姿を現した。
すると冬夜の顔に戸惑いや恐れなど様々な感情が入り混じっていた。
「(それはそうよね…あの夜、わたしは炎の中で胸を貫かれたのだから…そして冬夜も、それを見ていた…故にわたしは存在しない)」
わたしは優しい口調で話しかけた。
「冬夜…」
「やめろ…っ!!」
「一年ぶりですね」
「やめてくれ!椿姫…君は、あの炎の中で亡くなった!」
「わたしは生きております」
身に纏う妖気が冬夜を優しく包み込む。
しかし、その時…。
一週間前に聞いたくノ一の声がした。
「冬夜様!」
その声は、わたしと冬夜の間に舞い降りる。
暫く冬夜と話をした後、くノ一はわたしを睨み付けてきた。
「冬夜様を惑わす亡霊よ…退きなさい!」
その正体にわたしは気づいていたが敢えて訊ねた。
「誰…?貴女」
「わたしは冬夜様に仕える忍び…名を鈴音!」
鈴音と名乗るくノ一は苦無と小太刀を構えた。
わたしは微笑むと腰に下げた鞘から刀を抜く。
抜刀した刃から妖気が溢れ、妖しい剣光を放つ。
「忍び相手に戦うと?」
安い挑発ね。
「ええ、彼に…“冬夜”に仕えるのは、わたしの役目だからよ」
「ならば…鈴音、参ります!!」
わたしとくノ一は当時に動いた。
忍び相手の戦い方も令月家から教わった。
彼女達は体術を駆使して素早く身軽な動きをする。
だけど、わたしには見えている。
「この程度で冬夜に仕えているのかしら?」
「無駄口を…」
「叩かせたくなければ、もう少し善処しなさい」
「っ!?」
苦無と小太刀を握るくノ一の手に力が入る。
だけど寸前のところで冬夜が叫び、冷静さを取り戻した。
次にわたしは“彼”に優しく“語りかけて”いた。
「あの晩の事…もう忘れたの?」
冬夜の顔が驚愕と苦痛にゆがむ。
―何を言っているの?―
「あの日…熱く燃えた夜の事を貴方は忘れてしまったの?」
―やめて…っ!!―
「あの時は嬉しかった…やっと貴方と心が通じ合えたから」
―これ以上、冬夜を…っ!―
「けど、もう大丈夫…今度こそ、わたしが貴方を護るから」
―やめ…っ!―
次の瞬間、わたしの意識は暗闇に飲みこまれた。
僅かに残った意識の中、わたしは黙っていた。
この感覚に覚えがある。
一週間前、如月城でも同じ感覚に襲われた。
自分が自分でなくなってしまうような…そんな感じ。
けど今回は違う。
わたしの身体は完全に“妖刀”に乗っ取られた。
もう自分の意志で動かすことができない。
このままどうなってしまうのかも分からない。
―助けて…冬夜―
すると暗闇の先に一筋の光が見えた。
その光は徐々に強くなり、わたしの目の前で止まる。
そこから声が聞こえた。
―椿姫、必ず助けるから待っていてくれ!!―
わたしは残った意識を総動員して動きを封じた。
これで劇的に変わるわけはではないけど座して待つよりいい。
しかし次の瞬間、わたしと妖刀の意識が完全に分離された。
そのままわたしの身体は誰かに支えられた。
目を覚ますとそこに懐かしい顔があった。
精悍な顔立ち、澄み渡る夜空のような黒い瞳と黒い髪。
「冬…夜?」
「椿姫」
「本当に…冬夜なの?」
「そうだよ」
「冬夜…冬夜、逢いたかった」
わたしは冬夜の侍道着にしがみついた。
冬夜もわたしを力強く抱きしめてくれた。
そして、わたしは一番伝えたいことを尋ねた。
「こんな姿になってしまったけど愛してくれる?」
「関係ない、どんな姿でも私にとって椿姫は大切な人だ」
わたしたちはそのまま口づけを交わした。
一年という歳月の溝を埋め合わせるように何度も交わす。
その時、ためらいがちな声が聞こえ、わたしと冬夜は我に返る。
考えてみれば、ここは道のど真ん中だった。
既に皆は寝ている思われるけど夜だから響く。
加えて夜の営みの真っ最中の夫婦もいる。
わたしたちは互いの手を絡ませ合い如月城へ向かった。
そのまま如月城の寝所でわたしたちは夜通し布団の上で愛し合った。
17/05/21 15:14更新 / 蒼穹の翼