誓い
獅音がこの地を旅立ってから数週間が経過した。
未だ大和の長『雷渦』と女郎蜘蛛『百合』の間に進展はない。
しかし、二人は信頼の置ける者同士となっていた。
それは急激にヤマトの人口が増加してきた事もある。
元々、普通の村より大和は奥にあって独特の文化を持っていた。
だが"ある事件"をきっかけに外界の文化も取り入れるようになった。
取り入れるといっても少しだけで、伝統的な物事はきちんと守っている。
そして、その時から少しずつだが確実に大和は外界に知れ渡っていた。
「ライカさまぁ〜」
ここは大和でも一際大きい雷渦宅。
その和室で書物を読んでいた彼の耳におっとりした声が届く。
彼は書物の間に目印を挟むと声の主に振り向く。
「何だい?ユリ」
そこには若紫の着物を肩から故意に崩した美しい女性が居た。
だが下半身をよく見ると短い脚が二本、長い脚が六本の計八本の脚がある。
しかし彼女の整った顔立ちや立ち振る舞いなど、その異様な姿を霧散させる。
彼女は人間ではない、女郎蜘蛛と言う東方の島国のみ生息する人外の女性だ。
「お茶をお持ちしました」
「おぉ…ありがとう」
「どういたしまして♪」
ユリは手慣れた手つきで私の机に湯呑に入ったお茶を置く。
その一つ一つ彼女の動作が妙に艶めかしい。
「(いかんいかん…彼女と私は幸せになれないのだから…な)」
そう私とユリは異なる種族同士であり、寿命が全く違う。
人である私は寿命が短く、人外のユリは長寿だ。
仮に私達が結ばれたとしても私が先に逝き、ユリだけが残ってしまう。
そんな悲しい思いをさせるわけには…って私は何を言ってるのだろう…。
ライカ様は湯呑のお茶を黙って口に運んでいる。
そのライカ様の一つ一つの動作が今の私にとって堪らなく愛おしい。
彼は命の恩人であり、今は私の想い人…。
当時の私はライカ様の事を殆ど意識しなかった。
それどころか完全に拒絶していた。
それはそうでしょう?私は人々から忌み嫌われる魔物という存在…。
最初、この地を訪れた時は酷い状況に驚いた。
この地は私の故郷と全く異なり、反魔物派が最も多い。
私はこの村の存在を知り、蘭から擬人の方法を習った。
その為、定期船が停泊する港の人間達に気付かれる事なく情報を得る事が出来た。
あ…蘭って言うのは私の親友で稲荷なの。
蘭は神様に近い存在とも言われてて『九尾の狐』とも言われてる。
また、この地方には同じ種族で性格とか全く違う『妖狐』っていう魔物も居るみたいね。
彼女達も蘭と同じく魔力や霊力が最も高く、最大で九つの尾が生えるみたい。
「ねぇ…ライカ様」
「どうしたんだい?」
「今日が何の日か覚えてる?」
私はユリの問いかけにお茶を口に含みながら考える。
今日か…私の誕生日でもなければ、私が村長になった日でもない…。
勿論、ご先祖様が村を創成した日でもない、その日は必ず覚えてる。
今日…今日…。私は記憶の糸を何度も何度も手繰り寄せて考え込む。
何か特別な日だっただろうか?いや、特別な日とは限らないか…。
「もう…忘れてる」
記憶を辿っている私の耳に呆れたユリの声が届く。
うーむ…私も歳だろうか?いやいや、まだ私は三十代後半…まだ現役だ。
しかし私には何も思い出せない…いや、記憶喪失とかじゃなくてだ!
どこかに頭をぶつけたじゃなくて…こ、こら!鈍器のような物を構えるな!
え…ショック療法?だから記憶喪失じゃないんだって!
「ラ、ライカ様…?凄い汗が流れてます、大丈夫ですか?」
「あ、ああ…問題ない…それより」
「はい、今日が何の日か…ですね」
私はお茶を机に置くとユリのおっとりした声に耳を傾けた。
「今日は私とライカ様が初めて出会った日です」
記憶の糸が一本につながった。
「そうか…今日は私ではなく、ユリにとって特別な日だったんだ」
「い、いえ…別に特別な日と言うわけじゃ…」
ユリは着物の袖から細く綺麗な指を出して、人差し指を何度も合わせる。
羞恥と期待…様々な感情の入り混じったユリの行動にくらっ、と私は来た。
「ただ…その…覚えててくれたら嬉しかった…かなぁって」
「(こ、これが人外の女性から発せられる魅力というものか…)」
私は頭を振るとなるべく冷静に話しかけた。
彼女は確かに魅力的だ、だが先に私があの世へ旅立ってしまう。
そう思うユリに揺さぶられた私の心はしっかりと固定された。
「ユリと出会った事を忘れてたのは謝る、すまない」
「い、いえ…わたしが勝手に期待しただけですから気になさらず」
「そうか…今日はユリと私が出会った日か」
それは私がシオンと剣術の稽古をしてた時だ。
赤毛の青年が再び旅立って一週間ほど経過した。
彼から情報を得て、カレンが行方不明になった状況が分かってきた。
しかし、それだけでは不鮮明であり、引き続き酒場で情報を得る様になった。
だが、シオンの姉の情報もそうだが何より、ヤマトを訪れる人や人外の女性を多く見かけるようになった。
ヤマトはジパングと類似している為、分け隔てなく彼女達と共に暮らす。
この地には親魔物と反魔物があり、ヤマトの様に親魔物派は珍しいようだ。
「ライカ様!」
「どうした?」
「む、村の入り口に女性が全身傷だらけで倒れてます!」
「わかった、すぐに向かおう。シオン、素振りを続けてて」
「はい」
私はどうなったのだろう…稲荷直伝の擬人をしてたはずだけど。
けど何か白い十字架の衣服を纏った人たちに見破られて…。
「気が付いたようだね」
私が瞳を開くとそこには整った顔立ちの男性が居た。
美男子…とまではいかないけど優しい顔の男性が微笑んでいる。
「この女性は女郎蜘蛛っていうのかな?綺麗な方だね」
「なんだ?シオン、カレンよりもか?」
「姉さんも綺麗だけど、この女性も綺麗だよ」
私が身を起こすと優しい顔の男性の隣に少年が居た。
少年はシオンって言うのね…私はシオンと呼ばれた黒髪の少年に。
「私は綺麗じゃないわ…」
「そんな事ないよ、お姉さんは充分綺麗だよ」
「初対面の方に綺麗綺麗とか言うな」
「えー、ライカさんだってそう思ってるくせにー」
「こ、こらっ!!」
「むぐむぐ…」
ライカって男性がシオンと言う少年の口を塞いだ。
あぁ…そんなに塞いじゃ息が出来ない…。
ほら少年が苦しがってる。
「シオン、素振りを一万回!」
「むーむー!!」
「あの…口を塞いでは話せませんよ?」
「え?ああ…」
「ぷはぁ…ぜぇぜぇ」
「一万回な?」
少年は何も抗議せず、寧ろ喜んで立てかけてある木材の刀を手に取った。
その黒い瞳は強い意志に満ち溢れ、首から楽器の様な物が掛けられていた。
「初対面の方に見苦しいところを見せてしまい申し訳ない」
「いえ…」
「貴女は私達の村の前で全身傷だらけで倒れていたのです」
だったら何で私を助けるの?もしかして身体が目当て?
そういえば追われている間も人間達に邪な目で見られてた。
私が傷を負ってるのをいい事に…気持ち悪い。
「私をどうする気?」
「どうするとは?」
「それを私に聞くわけ?」
「ふむ…そう言う事ですか。安心してください」
「安心…出来るわけないじゃない!」
私は初対面の男に罵声を放った。
「私の身体が目当てなのでしょう?だったら好きにすればいい…私は一切抵抗しない、この地の人間は卑怯よ…私達を慰み者にして飽きたら捨てる…」
「どうやらここまで来る間、大変だったのですね」
私は泣く、強気な言葉で言っても身体が震えている。
実際、私は"まだ"被害に遭ってないけど風の噂で聞いた。
その度に耳を塞ぎたかった。
「ふむ…ではこうしましょう」
「ひっく…ひっくっ…」
「私が貴女の傷が癒えるまで全力でお守り致します、これでも剣術の心得はあります」
「信用できない」
「何故?」
「優しくして…気を許した所を襲うのでしょう?何度も危ない目にあったか…」
「ではもう一つ誓いをたてましょう…私が貴女を裏切ったら…」
私は懐から短刀を泣く彼女に手渡す。
「これで私を…躊躇せず刺殺してください。勿論、本物です」
私は屈み込むと彼女の手をとり、持たせて自分の腕を斬った。
「…っ!?」
斬り付けた先から赤い血が流れ、床に広がる。
「ど、どうして…そこまで…」
「貴女に信じて頂く為です」
「私は魔物よ!人に害を与える…醜い化け物よ」
「本当にそう思うなら自ら『化け物』だといいません」
私はその曇りなき眼に完全に蹴落とされた。
これが彼のライカ様の『誓い』なのだと。
「あれから五年が経過したんだな」
「あの時は本当に驚いたわ…」
「ヤマトにユリの様な女性が多く居た事かい?」
「それもあるけど…貴方の誓いが一番ね」
あの時は本当に驚いた…だってそうでしょう?
私に信じてもらう為だけに、自ら腕を斬るなんて普通は考えられない。
だって私とライカ様は一度も会った事のない全くの初対面なのに…。
それにライカ様は私達の事を『魔物』として扱わない。
『人外の女性』と表して私達をあくまで『女性』として扱ってくれる。
こんな人は私の故郷でも見た事がないかもしれない。
そう言えば成長したシオンが少年の頃、私に言ってたっけ。
―「この女性は女郎蜘蛛って言うのかな?」―
確かに『女郎蜘蛛』は私も否定しない。
それ以前に『女性』として扱ってくれる事が私にとって嬉しかった。
不思議な村ね…故郷にいるみたい。
もしかするとこっちの方が居心地が良いかも、なんてね。
「ライカ様!」
「どうした?」
「村の入り口に白い十字架の衣服を着た人達が数名いるのですけど…」
「…っ!?」
私はユリの顔が引きつった事を敏感に察知した。
恐らく…いや、確実にユリが倒れていた事に関係ある。
村の知名度が上がれば、この地に存在すると言われる"光の教団"に知られる。
"光の教団"は主神を信仰団体であり、この地の一部を除く地域に存在する。
彼等はユリ達、人外の女性を悪だと決めつけている。
「わかった…すぐに向かおう。この村に住む彼女達も危険だ」
私は、この村に先祖代々から伝わる宝刀『村雨』を腰に携える。
この刀は片側に刃があり、目標物を断ち切る為の武器だ。
出来るならこれを使わず、話し合いで解決したいと思ってる。
「君は急いで家の中で待機だ、いいね?」
「はい」
「それじゃ、ユリ…行ってくるから何かあるまでは家から絶対に出るなよ」
ライカ様は私にそう言い残すと村の入り口に向かった。
「心配ですか?」
「…」
「大丈夫です、ライカ様はこの村で一番の使い手です」
少女が震える私を元気づけてくれる。
私ったらダメね…年端もいかない少女に心配されてる。
「それじゃ、わたしも戻ります。女郎蜘蛛のお姉さん」
「気を…つけてね?」
少女はぽかんとするが、すぐ無邪気に微笑む。
「ありがとう、お姉さんも気をつけてね」
そのまま少女は私に手を振りながら駆け出した。
私は言われた通り、扉を閉めて鍵をかけるとライカ様の帰りを待つ。
私は今、白い十字架の衣服を着た彼等と交戦している。
最初は話し合ってどうにか身を引いてもらおうと思ってた。
しかし、甘かった…彼等には、やはり話し合いというものが全く通じない。
「魔物に誘惑された堕落者め!」
「我らが貴様の魂を救済してやる!」
「光栄に思え!」
数は数十名前後だが多勢に無勢…。
村から何とか引き離したが本当に全てを引きつけたのか不安だ。
もしかすると何名か村に向かったかもしれない…危険だ。
「くっ…ちょこまかと!」
「大人しく救済されろ!」
今の私は回避に専念している。
数が完全に分からない以上、様子を見なければならない。
「くっ…奴を取り囲むんだ!」
だが今の言葉をはっきりと聞き、これに転じて反撃しようと思う。
私を中心に統率者からの言葉で彼等は私をぐるりと取り囲んだ。
数は二十名か…ふむ、これが派遣された全員か?多いな…。
「もう一度だけ聞きます…ここから退く気は?」
「ない!貴様を救済した後、魔物共をせん滅して村を制圧する」
「武力行使ですか…」
「当然だ、奴らは人に害を与える『悪』我らの…敵だ!」
「はぁ…私も不本意ですが少しだけ痛い目を見てもらいます」
「ふははっ!貴様一人で我ら全員を相手するつもりか?やめておけ」
統率者と私は対峙する。
「それより貴様こそ考え直す気はあるか?」
「ないですね…彼女達は何も悪くない」
「ふっ…なら仕方ない」
私は腰から村雨を抜き、正眼に構える。
同じく統率者は右腕を挙げた。
「救いようのないあの者に…慈悲を」
刹那、剣士数名が私に向かって容赦なく洗礼された剣を振りおろす。
私は彼らの剣撃を少ない動作で回避し、刀の峰で打つ。
しかし、後方で魔力の収束を確認した私は即対応し、距離を置いた。
その時、私の前方で巨大な爆発音がした。
「ほぅ『フレイムアロー』をあの状況で回避するとは流石だ」
見れば地面に大きくもなければ小さくもない穴が開いていた。
また剣士に視線を移せば後方の魔術師から魔法陣が付加されていた。
その防御陣のおかげか剣士には傷一つない。
「(前衛が十五名、後衛が五名か…)」
「どうした?貴様の実力はそんなものだったか?『疾風のライカ』」
「…」
『疾風のライカ』それは私の二つ名だった…。
凄まじい風の如く相手に攻勢をかけ、反撃の隙を与えない。
ここだけの話…実を言えば私は数年前"光の教団"に所属していた。
だが"光の教団"のやり方に疑問を感じて抜け出した。
「違ったな…今は堕落した剣士か」
「…」
「貴様の腕は私も買っていたのだがな…運命は残酷だ」
その時に私は教団から追われ、重傷を負った。
もうダメかと思ったその時、黒髪の美しい女性に助けられた。
彼女は、その武で私を追撃してきた"光の教団"を退かせた。
「お遊びもここまでだ、お前たちは先に村へ向かって制圧して来い」
「っ…!?」
「団長殿は?」
「我はこいつを消してから向かう」
「はっ!光の教団に栄光あれ!」
村に向かう?ユリ…それに"彼女"との約束が…!
「ぐぁっ」
「何事だ!?」
「村には行かせない!『疾風怒濤』発動」
『疾風怒濤』これは私の持つ闘争心を上昇させる。
それと同時に激しいうねりを逆巻いて打寄せる大波の如く相手を飲み込む。
これは私が教団時代から兼ねてより研究を重ねてきた。
だが完成させる事が出来なかった。
けど、彼女に出会い、私に足りないものは何かを教えてくれた。
「行かせるわけには…ヤマトは必ず守る!」
「(何だ…この気迫、それに、この風は…!?)」
「貴方達は私の元同志…けど今は違う」
「奴を止めろ!」
「私もこれが初めてだ…加減は…出来ない!」
時刻は既に太陽が沈み、夜の闇が覆う。
私は何故がそわそわしてる。
ライカ様に何かあったのではないかと。
それとも彼の身体を求めてる?そう思うと顔が火照る…。
その時、玄関の扉が叩かれ、私は擬人してから扉を開けた。
「やぁ、ただいま」
「おかえりなさい」
ライカ様は傷だらけで帰って来た。
でも私は無事に戻ってきた事が何より嬉しい。
私は急いでライカ様を手当てする。
「あの時と逆ね」
「そうだな…けど、あの時のユリはもっと酷かったが」
二人の間に無言の時間が流れる。
「ねぇ…」
「ん?」
「ライカ様は…私の事をどう思ってる?」
「え…?」
私はユリの直球に戸惑った。
ユリの事は嫌いじゃないが何て言うのか…。
「私は五年前の、あの時からライカ様の事が好き」
その時、唇に柔らかい感触がした。
見ればユリが私と唇を重ねていた。
久しぶりの感覚…ってそうじゃない!
「ゆ…ユリ?」
「"ライカ"は私の事をどう思ってる?教えて…」
再びユリと唇が重なる。今度は長く情熱的な口づけ。
私は押しのける事が出来なかった。
ユリの瞳から発せられる魔性の様な輝きが私をそうさせない。
「ねぇ…答えて…」
「ユリの事は嫌いじゃない…けど君と寿命が違う」
完全な拒絶…だが、それにユリは堪えた様子もない。
「寿命がライカと違っても私は貴方を愛してる」
「無理だ…先に私が死んでしまう。ユリに悲しい思いをさせたくない」
「だったらその分、貴方の愛を私に沢山…溢れるほど下さい」
再び唇を重ね、ユリが今度は舌を絡めてきた。
強弱をつけて私の舌を揉み、挟み、絡め合わせる。
私とユリの口の中に二人分の唾液が混ざり合う。
「ずっと我慢してきた…」
今度は優しく舌を絡めるのに対して激しく絡めてきた。
口元からユリと私の唾液が流れ、顎を伝って衣服に染み込む。
「来る日も来る日も…私はライカの事を考えない日はなかった」
「…」
「ライカ…私を愛して…」
「私は…明日…急死するかもしれない…それでもいいのか?」
「うん…私はライカが好き…例え明日、命が尽きようとも貴方を愛した時間は私の中で永遠に刻まれていく…人の一生は短いけれど限られた時の流れの中を大切にしていきたい…」
「ありがとう…私もユリ…生きてる限り君を愛し続けよう」
「嬉しい…愛してる、ライカ」
「私も愛してる、ユリ」
私達はそのまま長い夜を過ごした。
未だ大和の長『雷渦』と女郎蜘蛛『百合』の間に進展はない。
しかし、二人は信頼の置ける者同士となっていた。
それは急激にヤマトの人口が増加してきた事もある。
元々、普通の村より大和は奥にあって独特の文化を持っていた。
だが"ある事件"をきっかけに外界の文化も取り入れるようになった。
取り入れるといっても少しだけで、伝統的な物事はきちんと守っている。
そして、その時から少しずつだが確実に大和は外界に知れ渡っていた。
「ライカさまぁ〜」
ここは大和でも一際大きい雷渦宅。
その和室で書物を読んでいた彼の耳におっとりした声が届く。
彼は書物の間に目印を挟むと声の主に振り向く。
「何だい?ユリ」
そこには若紫の着物を肩から故意に崩した美しい女性が居た。
だが下半身をよく見ると短い脚が二本、長い脚が六本の計八本の脚がある。
しかし彼女の整った顔立ちや立ち振る舞いなど、その異様な姿を霧散させる。
彼女は人間ではない、女郎蜘蛛と言う東方の島国のみ生息する人外の女性だ。
「お茶をお持ちしました」
「おぉ…ありがとう」
「どういたしまして♪」
ユリは手慣れた手つきで私の机に湯呑に入ったお茶を置く。
その一つ一つ彼女の動作が妙に艶めかしい。
「(いかんいかん…彼女と私は幸せになれないのだから…な)」
そう私とユリは異なる種族同士であり、寿命が全く違う。
人である私は寿命が短く、人外のユリは長寿だ。
仮に私達が結ばれたとしても私が先に逝き、ユリだけが残ってしまう。
そんな悲しい思いをさせるわけには…って私は何を言ってるのだろう…。
ライカ様は湯呑のお茶を黙って口に運んでいる。
そのライカ様の一つ一つの動作が今の私にとって堪らなく愛おしい。
彼は命の恩人であり、今は私の想い人…。
当時の私はライカ様の事を殆ど意識しなかった。
それどころか完全に拒絶していた。
それはそうでしょう?私は人々から忌み嫌われる魔物という存在…。
最初、この地を訪れた時は酷い状況に驚いた。
この地は私の故郷と全く異なり、反魔物派が最も多い。
私はこの村の存在を知り、蘭から擬人の方法を習った。
その為、定期船が停泊する港の人間達に気付かれる事なく情報を得る事が出来た。
あ…蘭って言うのは私の親友で稲荷なの。
蘭は神様に近い存在とも言われてて『九尾の狐』とも言われてる。
また、この地方には同じ種族で性格とか全く違う『妖狐』っていう魔物も居るみたいね。
彼女達も蘭と同じく魔力や霊力が最も高く、最大で九つの尾が生えるみたい。
「ねぇ…ライカ様」
「どうしたんだい?」
「今日が何の日か覚えてる?」
私はユリの問いかけにお茶を口に含みながら考える。
今日か…私の誕生日でもなければ、私が村長になった日でもない…。
勿論、ご先祖様が村を創成した日でもない、その日は必ず覚えてる。
今日…今日…。私は記憶の糸を何度も何度も手繰り寄せて考え込む。
何か特別な日だっただろうか?いや、特別な日とは限らないか…。
「もう…忘れてる」
記憶を辿っている私の耳に呆れたユリの声が届く。
うーむ…私も歳だろうか?いやいや、まだ私は三十代後半…まだ現役だ。
しかし私には何も思い出せない…いや、記憶喪失とかじゃなくてだ!
どこかに頭をぶつけたじゃなくて…こ、こら!鈍器のような物を構えるな!
え…ショック療法?だから記憶喪失じゃないんだって!
「ラ、ライカ様…?凄い汗が流れてます、大丈夫ですか?」
「あ、ああ…問題ない…それより」
「はい、今日が何の日か…ですね」
私はお茶を机に置くとユリのおっとりした声に耳を傾けた。
「今日は私とライカ様が初めて出会った日です」
記憶の糸が一本につながった。
「そうか…今日は私ではなく、ユリにとって特別な日だったんだ」
「い、いえ…別に特別な日と言うわけじゃ…」
ユリは着物の袖から細く綺麗な指を出して、人差し指を何度も合わせる。
羞恥と期待…様々な感情の入り混じったユリの行動にくらっ、と私は来た。
「ただ…その…覚えててくれたら嬉しかった…かなぁって」
「(こ、これが人外の女性から発せられる魅力というものか…)」
私は頭を振るとなるべく冷静に話しかけた。
彼女は確かに魅力的だ、だが先に私があの世へ旅立ってしまう。
そう思うユリに揺さぶられた私の心はしっかりと固定された。
「ユリと出会った事を忘れてたのは謝る、すまない」
「い、いえ…わたしが勝手に期待しただけですから気になさらず」
「そうか…今日はユリと私が出会った日か」
それは私がシオンと剣術の稽古をしてた時だ。
赤毛の青年が再び旅立って一週間ほど経過した。
彼から情報を得て、カレンが行方不明になった状況が分かってきた。
しかし、それだけでは不鮮明であり、引き続き酒場で情報を得る様になった。
だが、シオンの姉の情報もそうだが何より、ヤマトを訪れる人や人外の女性を多く見かけるようになった。
ヤマトはジパングと類似している為、分け隔てなく彼女達と共に暮らす。
この地には親魔物と反魔物があり、ヤマトの様に親魔物派は珍しいようだ。
「ライカ様!」
「どうした?」
「む、村の入り口に女性が全身傷だらけで倒れてます!」
「わかった、すぐに向かおう。シオン、素振りを続けてて」
「はい」
私はどうなったのだろう…稲荷直伝の擬人をしてたはずだけど。
けど何か白い十字架の衣服を纏った人たちに見破られて…。
「気が付いたようだね」
私が瞳を開くとそこには整った顔立ちの男性が居た。
美男子…とまではいかないけど優しい顔の男性が微笑んでいる。
「この女性は女郎蜘蛛っていうのかな?綺麗な方だね」
「なんだ?シオン、カレンよりもか?」
「姉さんも綺麗だけど、この女性も綺麗だよ」
私が身を起こすと優しい顔の男性の隣に少年が居た。
少年はシオンって言うのね…私はシオンと呼ばれた黒髪の少年に。
「私は綺麗じゃないわ…」
「そんな事ないよ、お姉さんは充分綺麗だよ」
「初対面の方に綺麗綺麗とか言うな」
「えー、ライカさんだってそう思ってるくせにー」
「こ、こらっ!!」
「むぐむぐ…」
ライカって男性がシオンと言う少年の口を塞いだ。
あぁ…そんなに塞いじゃ息が出来ない…。
ほら少年が苦しがってる。
「シオン、素振りを一万回!」
「むーむー!!」
「あの…口を塞いでは話せませんよ?」
「え?ああ…」
「ぷはぁ…ぜぇぜぇ」
「一万回な?」
少年は何も抗議せず、寧ろ喜んで立てかけてある木材の刀を手に取った。
その黒い瞳は強い意志に満ち溢れ、首から楽器の様な物が掛けられていた。
「初対面の方に見苦しいところを見せてしまい申し訳ない」
「いえ…」
「貴女は私達の村の前で全身傷だらけで倒れていたのです」
だったら何で私を助けるの?もしかして身体が目当て?
そういえば追われている間も人間達に邪な目で見られてた。
私が傷を負ってるのをいい事に…気持ち悪い。
「私をどうする気?」
「どうするとは?」
「それを私に聞くわけ?」
「ふむ…そう言う事ですか。安心してください」
「安心…出来るわけないじゃない!」
私は初対面の男に罵声を放った。
「私の身体が目当てなのでしょう?だったら好きにすればいい…私は一切抵抗しない、この地の人間は卑怯よ…私達を慰み者にして飽きたら捨てる…」
「どうやらここまで来る間、大変だったのですね」
私は泣く、強気な言葉で言っても身体が震えている。
実際、私は"まだ"被害に遭ってないけど風の噂で聞いた。
その度に耳を塞ぎたかった。
「ふむ…ではこうしましょう」
「ひっく…ひっくっ…」
「私が貴女の傷が癒えるまで全力でお守り致します、これでも剣術の心得はあります」
「信用できない」
「何故?」
「優しくして…気を許した所を襲うのでしょう?何度も危ない目にあったか…」
「ではもう一つ誓いをたてましょう…私が貴女を裏切ったら…」
私は懐から短刀を泣く彼女に手渡す。
「これで私を…躊躇せず刺殺してください。勿論、本物です」
私は屈み込むと彼女の手をとり、持たせて自分の腕を斬った。
「…っ!?」
斬り付けた先から赤い血が流れ、床に広がる。
「ど、どうして…そこまで…」
「貴女に信じて頂く為です」
「私は魔物よ!人に害を与える…醜い化け物よ」
「本当にそう思うなら自ら『化け物』だといいません」
私はその曇りなき眼に完全に蹴落とされた。
これが彼のライカ様の『誓い』なのだと。
「あれから五年が経過したんだな」
「あの時は本当に驚いたわ…」
「ヤマトにユリの様な女性が多く居た事かい?」
「それもあるけど…貴方の誓いが一番ね」
あの時は本当に驚いた…だってそうでしょう?
私に信じてもらう為だけに、自ら腕を斬るなんて普通は考えられない。
だって私とライカ様は一度も会った事のない全くの初対面なのに…。
それにライカ様は私達の事を『魔物』として扱わない。
『人外の女性』と表して私達をあくまで『女性』として扱ってくれる。
こんな人は私の故郷でも見た事がないかもしれない。
そう言えば成長したシオンが少年の頃、私に言ってたっけ。
―「この女性は女郎蜘蛛って言うのかな?」―
確かに『女郎蜘蛛』は私も否定しない。
それ以前に『女性』として扱ってくれる事が私にとって嬉しかった。
不思議な村ね…故郷にいるみたい。
もしかするとこっちの方が居心地が良いかも、なんてね。
「ライカ様!」
「どうした?」
「村の入り口に白い十字架の衣服を着た人達が数名いるのですけど…」
「…っ!?」
私はユリの顔が引きつった事を敏感に察知した。
恐らく…いや、確実にユリが倒れていた事に関係ある。
村の知名度が上がれば、この地に存在すると言われる"光の教団"に知られる。
"光の教団"は主神を信仰団体であり、この地の一部を除く地域に存在する。
彼等はユリ達、人外の女性を悪だと決めつけている。
「わかった…すぐに向かおう。この村に住む彼女達も危険だ」
私は、この村に先祖代々から伝わる宝刀『村雨』を腰に携える。
この刀は片側に刃があり、目標物を断ち切る為の武器だ。
出来るならこれを使わず、話し合いで解決したいと思ってる。
「君は急いで家の中で待機だ、いいね?」
「はい」
「それじゃ、ユリ…行ってくるから何かあるまでは家から絶対に出るなよ」
ライカ様は私にそう言い残すと村の入り口に向かった。
「心配ですか?」
「…」
「大丈夫です、ライカ様はこの村で一番の使い手です」
少女が震える私を元気づけてくれる。
私ったらダメね…年端もいかない少女に心配されてる。
「それじゃ、わたしも戻ります。女郎蜘蛛のお姉さん」
「気を…つけてね?」
少女はぽかんとするが、すぐ無邪気に微笑む。
「ありがとう、お姉さんも気をつけてね」
そのまま少女は私に手を振りながら駆け出した。
私は言われた通り、扉を閉めて鍵をかけるとライカ様の帰りを待つ。
私は今、白い十字架の衣服を着た彼等と交戦している。
最初は話し合ってどうにか身を引いてもらおうと思ってた。
しかし、甘かった…彼等には、やはり話し合いというものが全く通じない。
「魔物に誘惑された堕落者め!」
「我らが貴様の魂を救済してやる!」
「光栄に思え!」
数は数十名前後だが多勢に無勢…。
村から何とか引き離したが本当に全てを引きつけたのか不安だ。
もしかすると何名か村に向かったかもしれない…危険だ。
「くっ…ちょこまかと!」
「大人しく救済されろ!」
今の私は回避に専念している。
数が完全に分からない以上、様子を見なければならない。
「くっ…奴を取り囲むんだ!」
だが今の言葉をはっきりと聞き、これに転じて反撃しようと思う。
私を中心に統率者からの言葉で彼等は私をぐるりと取り囲んだ。
数は二十名か…ふむ、これが派遣された全員か?多いな…。
「もう一度だけ聞きます…ここから退く気は?」
「ない!貴様を救済した後、魔物共をせん滅して村を制圧する」
「武力行使ですか…」
「当然だ、奴らは人に害を与える『悪』我らの…敵だ!」
「はぁ…私も不本意ですが少しだけ痛い目を見てもらいます」
「ふははっ!貴様一人で我ら全員を相手するつもりか?やめておけ」
統率者と私は対峙する。
「それより貴様こそ考え直す気はあるか?」
「ないですね…彼女達は何も悪くない」
「ふっ…なら仕方ない」
私は腰から村雨を抜き、正眼に構える。
同じく統率者は右腕を挙げた。
「救いようのないあの者に…慈悲を」
刹那、剣士数名が私に向かって容赦なく洗礼された剣を振りおろす。
私は彼らの剣撃を少ない動作で回避し、刀の峰で打つ。
しかし、後方で魔力の収束を確認した私は即対応し、距離を置いた。
その時、私の前方で巨大な爆発音がした。
「ほぅ『フレイムアロー』をあの状況で回避するとは流石だ」
見れば地面に大きくもなければ小さくもない穴が開いていた。
また剣士に視線を移せば後方の魔術師から魔法陣が付加されていた。
その防御陣のおかげか剣士には傷一つない。
「(前衛が十五名、後衛が五名か…)」
「どうした?貴様の実力はそんなものだったか?『疾風のライカ』」
「…」
『疾風のライカ』それは私の二つ名だった…。
凄まじい風の如く相手に攻勢をかけ、反撃の隙を与えない。
ここだけの話…実を言えば私は数年前"光の教団"に所属していた。
だが"光の教団"のやり方に疑問を感じて抜け出した。
「違ったな…今は堕落した剣士か」
「…」
「貴様の腕は私も買っていたのだがな…運命は残酷だ」
その時に私は教団から追われ、重傷を負った。
もうダメかと思ったその時、黒髪の美しい女性に助けられた。
彼女は、その武で私を追撃してきた"光の教団"を退かせた。
「お遊びもここまでだ、お前たちは先に村へ向かって制圧して来い」
「っ…!?」
「団長殿は?」
「我はこいつを消してから向かう」
「はっ!光の教団に栄光あれ!」
村に向かう?ユリ…それに"彼女"との約束が…!
「ぐぁっ」
「何事だ!?」
「村には行かせない!『疾風怒濤』発動」
『疾風怒濤』これは私の持つ闘争心を上昇させる。
それと同時に激しいうねりを逆巻いて打寄せる大波の如く相手を飲み込む。
これは私が教団時代から兼ねてより研究を重ねてきた。
だが完成させる事が出来なかった。
けど、彼女に出会い、私に足りないものは何かを教えてくれた。
「行かせるわけには…ヤマトは必ず守る!」
「(何だ…この気迫、それに、この風は…!?)」
「貴方達は私の元同志…けど今は違う」
「奴を止めろ!」
「私もこれが初めてだ…加減は…出来ない!」
時刻は既に太陽が沈み、夜の闇が覆う。
私は何故がそわそわしてる。
ライカ様に何かあったのではないかと。
それとも彼の身体を求めてる?そう思うと顔が火照る…。
その時、玄関の扉が叩かれ、私は擬人してから扉を開けた。
「やぁ、ただいま」
「おかえりなさい」
ライカ様は傷だらけで帰って来た。
でも私は無事に戻ってきた事が何より嬉しい。
私は急いでライカ様を手当てする。
「あの時と逆ね」
「そうだな…けど、あの時のユリはもっと酷かったが」
二人の間に無言の時間が流れる。
「ねぇ…」
「ん?」
「ライカ様は…私の事をどう思ってる?」
「え…?」
私はユリの直球に戸惑った。
ユリの事は嫌いじゃないが何て言うのか…。
「私は五年前の、あの時からライカ様の事が好き」
その時、唇に柔らかい感触がした。
見ればユリが私と唇を重ねていた。
久しぶりの感覚…ってそうじゃない!
「ゆ…ユリ?」
「"ライカ"は私の事をどう思ってる?教えて…」
再びユリと唇が重なる。今度は長く情熱的な口づけ。
私は押しのける事が出来なかった。
ユリの瞳から発せられる魔性の様な輝きが私をそうさせない。
「ねぇ…答えて…」
「ユリの事は嫌いじゃない…けど君と寿命が違う」
完全な拒絶…だが、それにユリは堪えた様子もない。
「寿命がライカと違っても私は貴方を愛してる」
「無理だ…先に私が死んでしまう。ユリに悲しい思いをさせたくない」
「だったらその分、貴方の愛を私に沢山…溢れるほど下さい」
再び唇を重ね、ユリが今度は舌を絡めてきた。
強弱をつけて私の舌を揉み、挟み、絡め合わせる。
私とユリの口の中に二人分の唾液が混ざり合う。
「ずっと我慢してきた…」
今度は優しく舌を絡めるのに対して激しく絡めてきた。
口元からユリと私の唾液が流れ、顎を伝って衣服に染み込む。
「来る日も来る日も…私はライカの事を考えない日はなかった」
「…」
「ライカ…私を愛して…」
「私は…明日…急死するかもしれない…それでもいいのか?」
「うん…私はライカが好き…例え明日、命が尽きようとも貴方を愛した時間は私の中で永遠に刻まれていく…人の一生は短いけれど限られた時の流れの中を大切にしていきたい…」
「ありがとう…私もユリ…生きてる限り君を愛し続けよう」
「嬉しい…愛してる、ライカ」
「私も愛してる、ユリ」
私達はそのまま長い夜を過ごした。
10/03/14 02:07更新 / 蒼穹の翼