連載小説
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前編
私の名前はオウガ=レイズ。かつて光の教団に所属していた医者だ。
しかし、光の教団のやり方に疑問を抱いた私は教団を抜けた。
現在は親魔物派の小さな村で医師として、ひっそりと暮らしている。
ある日、ストックの切れた薬草を探す為、森を訪れた。

「今日は山岳まで行ってみるとしよう」

森を抜けた私は山岳に到着した。ここでは希少な薬草等が偶に見つかる。
すると辺りを探索する私の瞳に薬草でもなければ山岳地帯に住まう動物ではない何かが映った。よく目を凝らすと、それは人影で誰かが倒れていた。

「(誰だろうか?)」

私は急いで、そこへ向かった。

「っ!?」

倒れている人影の傍に来た私は自分の目を疑った。
人影は人であって人ではなかった。
紺色の腰まで長い髪に容姿の美しい長身の女性…ここまでなら、さほど驚く必要もないだろう。問題なのは、その姿である。見れば女性の背中には大空を飛翔する時に必要な大きな二つの翼、尾てい骨辺りからは尻尾が生え、人間で言う耳の部分は大きなエラの様になっており、頭には二本の角がある。

「こ、これは…ドラゴン?」

倒れていたのは『地上の王者』と誉れ高いドラゴン。
四肢は世代交代する前のドラゴンと同じ腕と脚だが胸部と腰部を覆う緑の鱗は衣服の様な形状をしている。私は、もう少し美女を近くで見ようと近付いた。

「なっ!?」

今度は別の意味で驚いた。見ればドラゴンの腹部に大きな氷の槍が突き刺さっており、完全に翼の付け根の辺りから貫通している。更に露出した女性の素肌は完全に凍傷している。このまま放っておくと確実に細胞が壊死してしまう。

「(まず凍傷した素肌を早急に加温……その後は……)」

私は、その場で取れる最善の応急手当てを施した。
今やドラゴンの容体は風前の灯状態にあった。

山岳で倒れていたドラゴンを見つけてから一週間が経過した。
あの後、転移魔法でドラゴンを医務室に転移させた私は急いで治療した。
幸い腹部に突き刺さって貫通していた氷の槍は脊髄を損傷してなかった。
凍傷していた肌も早急に加温した為、最悪の事態は免れた。
だが未だドラゴンの美女は目を覚まさない。

「(見つけた時から既に重傷だったから目を覚ますのも遅いか…)」

私はベッドの上で静かに眠るドラゴンに視線を移す。
こうして見れば“彼女達”も普通の人間の女性と何も変わらない。
ただ“魔物”と言うだけで“彼女達”は光の教団に忌み嫌われている。
そんな光の教団のやり方に耐えられなかった私は教団を抜けた。

「(早く良くなればいいけど…)」

私は部屋を後にした。




―「(はぁっ、はぁっ)」―

私はビスチェとロングスカートを組み合わせたドレスを身に纏う容姿の整った光の教団の女魔導師に追い詰められている。その背後には銀の十字架の刺繍が施された白い団服を着用した団員が数人。

―「シヴァ様、この者をどうしますか?」―
―「私が倒そう」―

その中の一人、背中まで長い銀髪の女性。その隣に控える女騎士が女性に尋ねるとアイスブルーの瞳をした女魔導師は私を見据える。その眼差しは氷のように冷たい。

―「了解いたしました」―
―「憐れね…『地上の王者』も、その姿では」―

彼女は、そう言うと杖を横にかざして詠唱を始める。
それを阻止する為、私は凍傷していない左腕を振る。
しかし、隣りに控える女騎士に阻まれ、不発に終わる。

―「くぅ」―
―「シヴァ様の邪魔はさせない」―

女騎士はシヴァと呼ばれた女魔導師の盾となった。
彼女は詠唱準備が完了するまで、その場に留まる。

―「ありがとう、アイカ…詠唱が終わったわ、下がりなさい」―
―「はい、シヴァ様」―

アイカと呼ばれた女騎士は素早く後ろに飛び退く。

―「凍てつく氷の槍よ、敵を貫きなさい…『アイスランサー』」―

瞬く間に大気中の水分が凝縮され、巨大な氷の槍が現れた。
女魔導師は、それを躊躇なく私に向かって放つ。

―「(こんな直線上の魔法を受けるわけ…っ!?)」―

しかし、身体が全く動かなかった。

―「(何故…まさか!?)」―
―「今頃、気付いたのか?最高位の魔物とは思えないわね」―

その言葉を理解するのに時間は掛からなかった。
確かに私はドラゴン…だけど“あの頃”とは身体の構造が全く違う。
冷気魔法が苦手なのは変わりないけど“あの頃”の私は身体の殆どが硬い鱗に覆われていた為、“凍結”や“凍傷”などと言った付加効果をあまり受け付けなかった。でも“この姿”になってから肌の露出が自然と増えた。けど、だからと言ってドラゴンである私の素肌は易々と凍傷しない。

―「私を、ただの氷遣いと思わない事だ…私の祖国は大陸でも数少ない極寒の地…常に吹雪が吹き荒れる氷の世界、常に雪が降る氷の大地…そこで幼き頃より、修練を積み重ねてきた私達がドラゴンの肌を凍傷・凍結できないわけないでしょう?」―

迫り来る巨大な氷の槍。
そこで私の意識は覚醒した。

「(ここは…?)」

目を覚ますと、そこはベッドの上だった。
二階の為か開け放たれた窓から清々しい風が吹き抜ける。
反対側に視線を移せば木の椅子に座って二十代後半の青年が寝ている。

「(この者に助けられたのか?)」

私は自分の不甲斐なさに腹が立った。

「(最高位である私が情けない)」

視線に気づいたのか男が瞳を開ける。

「気が付いた?」
「お前が私を助けたのか?」
「そうですよ」
「私をどうするつもりだ?」
「どうもしませんよ」
「嘘を突くな、お前は光の教団だろう?私の嗅覚は誤魔化されん、私を手当てした後、教団に送り届ける手はずになっているのだろう?」




目を覚ましたドラゴンの美女は目を覚ますや否や私に敵意を向ける。
確かに私は光の教団だったけど今は彼等と何のかかわりもない。

「こんな回りくどい事をしなくても、お前が私を倒せばよかっただろう?それとも私を辱めた後、始末するつもりか?それなら早くしろ…私は抵抗もしなければ抗いもしない」

完全に美女は自暴自棄だ…当然と言えば当然の反応かもしれない。
私が以前、所属していた光の教団は彼女達を非常に嫌っている。彼等は“全ての魔物は悪である”と言う古来より、崇拝して来た神の定義の下、彼女達を敵視している。理由として魔物は人間(特に男性)を快楽に溺れさせて堕落させる存在だと定義づけているからである。しかし、それだけではなく人間と魔物の両親から産まれた子供は必ず魔物として、この世に生を受ける為、それによって人間の人口が減少してしまう事も危機感の一つだからである。

「善意で私は君を助けたんだよ、確かに教団だったけど今は違う」
「どうだろうな…人間には裏と表の顔の二つがある、それは私達“魔物”も同じだ…お前の、その素顔の裏は一体、どんな顔をしているのだろうな」

この女性は完全に私を信用してない。
いや、そもそも人間自体を信用してない。
暗い闇の中で孤独と何年間も隣り合わせで育った少女のようだ。

「君は、ずっと一人だったんだね」
「それは憐れみか?」
「違うよ」

私は自分でも分からないけど彼女の為に泣いた。
憐れみでも何でもない…ただ彼女が、とても寂しい顔をしてたからだ。
敵意を向けるのも表現が下手なだけだ。
そんな彼女を私は、どうして愛しいと思うのだろう…彼女も同じ境遇だから同情しているのだろうか?
私と彼女は似ている…祖国を失った私は光の教団の教皇に救われ、教団の一員になった。しかし、私は、その恩に報いる反対の行動を起こして教団を抜けた。

「お前が涙を流しても私は動じない…偽りの可能性が高いからな」
「いいよ、それで」




青年は涙を拭って立ち上がる。

「覚悟は出来ている…煮るなり、焼くなり、辱めるなり好きにしろ」

私は瞳を瞑る。
徐々に近付く青年の気配。
しかし、青年の気配は途中で止まる。
ベッドの上からでも局部を覆う腰部でもなく私の顔。
瞳を開けば青年が私の頭を抱きしめていた。

「なんのつもりだ?」
「深い意味はないよ」
「やるなら早くしろ」
「そんな事…絶対にしない」
「なら私が、お前を始末してもいいんだな?」

私は馬乗りになり、仰向けに倒れ込む青年の首筋に鋭い爪をかざした。

「君になら殺されてもいいよ」

青年に跨った私が逆に驚いた。

「怖くないのか?」
「怖いよ」
「ならどうして抵抗しない!お前なら今の私を軽くいなせるはずだ」
「それで君の気が済むなら喜んで受け入れるさ」

無言の時が流れる。
傍から見れば二人は仲睦まじい光景だろう。
しかし、実際は全く違う。

「止めた」

私が青年から離れると青年もベッドから降りる。

「お前の名前は?」
「オウガ…オウガ=レイズ」
「私はオルディア」
「オルディア…また様子を見に来るよ」

オウガと名乗った青年は部屋を後にした。

「(オウガ…爪を立てても視線を逸らす事無くジッと私の瞳を見ていたな)」

その時のオウガの顔を思い出す。
トクンッと胸の鼓動が高鳴った。
しかし、そのほとぼりは直ぐに冷める。

「(気の迷いだ…私は誇り高きドラゴン、オルディアだ)」

そのまま私は瞳を閉じた。




私がオルディアを保護して二週間が経過した。
未だ彼女の心は固く閉ざされたままでいる。
料理を作っても一方的に返される始末。

「はぁ…どうしたものか」

私は机の上でため息を吐く。
この二週間、彼女は一切の食べ物を口にしていない。
彼女達の殆どは私たち人間の男性が多く持つ『精』を糧とし、これを体内に摂取する事で彼女達は『魔物の魔力』に変換して生命活動を維持している。しかし、精以外の食料を主食とする者も多く、通常の食事で栄養補給ができないわけではない。基本的に味覚は彼女達も私達と非常に似ている為、一部を除いて人間が食べる食材ならば調理済み等を含めて彼女達も食する。彼女達は私達が何を食べるのかを本能的に理解している為、料理を作る者も少なくない。実際、そう言った夫婦や恋人達を、この村でたくさん見ている。

「(いくらドラゴンとはいえ、体力が衰えている…もし、教団の手の者に見つかった場合、どう対処するつもりなのだろうか?)」

こんな事、教団に在団していた頃は全く考えなかった。
というより、そもそも考える必要性が全く無かった。
彼女達は人間の天敵と教えられてきたからだ。
ふと窓の外に目を向ける。
そこでは異国の装束を身に纏う魔物娘の少女が泣いていた。

「どうしたのだろう」

私は仕事を切り上げると少女の許へ行く。




私は、あれから奴の作った料理を一切も口にしていない。
当然だ、奴の作った料理の中に何が入っているかわからない。
毒殺される位なら誇り高く戦場で散る…それが私の死に様だ。
ふと私が外を見ると奴…オウガがいた。
何をやってるのか暫らく観察していると魔物娘の少女に近付いた。

「(白昼堂々…何を企んでいる)」

ここからでは会話の内容が分からない為、私はベッドから降りる。

「(お前の化けの皮を剥いでやろう)」

二階の窓から飛び降りた私は奴の本性を暴く為、奴に接近する。




「どうしたんだい?」
「ひっくっ……ひっくっ……」

私は少女の頭に手を添え、同じ目線になるように、しゃがみこむ。

「おかあさんとおとうさんがいないの…」
「はぐれちゃったのかな?」
「うん……」
「じゃあ、一緒に捜そうか?ほら泣かないで」

涙で顔を濡らす少女の涙を拭い、そっと少女の小さな手を取る。
教団に居た頃の私なら絶対にしなかった…だけど今は違う。
その時、大気が震えた。

「オウガ」

大気が震えた原因の正体はオルディアだった。
未だ病人とは言え、そのプレッシャーは凄まじい。
完治したら、どれほどのものになるのだろう。

「オルディア…体調は大丈夫?ここ一週間、何も食べてないから心配だったんだよ、傷は完治した?もう歩けるの?」




オウガは何も臆することなく、私に近付く。
彼は私の顔を覗き込みながら簡単な診察を行なう。
この光景に私自信が面くらった。
あれだけオウガに敵意を向けていた私の体調を心配するのか?
その時、トクンッと再び胸が高鳴った。
不愉快な奴だ、私はお前が思っているほど弱くない。
私は自分が侮辱された事に怒りを感じ、その高鳴りを“不愉快”と取った。

「私の事はどうでもいい…その娘をどうするつもりだ?」
「迷子の様だから親を捜すよ」
「その後、どうするつもりだ?」
「どうもしないよ、親を見つけて返す…それだけさ」

裏表の全くない頬笑みを私に向ける奴に腹が立った。
それが一体、どう言う感情なのか分からない…恐らく怒りだ。

「本当にそれだけなのか?」
「そうだよ、なら君も付いてくる?“監視役”として」
「いいだろう、お前の本性…この私が暴いてやる」




私はオルディアと一緒に少女の両親を見つける為、村中を捜しまわった。
暫らく聞き込みをしていたら少女の両親を見たと言う情報を得た。
私は少女を引き連れ、そこへ向かった。

「おかあさん!おとうさん!」

少女は一目散に母親と父親の許へ向かう。
少女の母親は瞳に涙をためて少女を抱きしめる。
どうやら少女の両親も娘を捜していたようだ。

「娘を見つけていただきましてありがとうございます」
「気にしないでください」

少女と母親は再会を喜び合う様に抱き合っている。
その為、父親が母親と娘に代わって会話をする。

「そちらの女性は貴方の奥さんですか?」
「違いますよ、以前、倒れていた所を私が保護したのです」
「そうでしたか」

落ち着きを取り戻した母親は今度、父親に娘を任せる。

「ありがとうございます…何とお礼を言っていいのか…」
「そんな感謝される様な事はしてませんよ、困っていたから助けたのです」
「いいえ、それでは私や夫の気が済みません」

何か考えた後、母親は一枚の地図を手渡す。

「ここに私と夫と娘が居ますので是非、訪れてください」

それは私もよく知る大国である。

「その時、夫と一緒におもてなし致します…ね?あなた」
「そうだな…何なら娘をもらってくれないか?そちらの女性は奥さんではないようだし」
「い、いえ!そんな!?」

冗談だろう…けど父親に抱っこされる少女は頬を朱に染めている。
今度は逆に私が恥ずかしくなった。

「あ…!仕事が残っているので、これで失礼します!さようなら!」

私は急ぎ、この場から離脱した。

「面白い青年だったな」
「名前を聞くのを忘れたわね」
「縁があれば、また逢えるさ…美代」
「そうね、蒼輝」




私は、ずっと奴の行動を観察していた。
奴は魔物の少女の親を捜す為だけに一生懸命だった。
この村に住まう魔物娘や人間達も奴と明るく接していた。
皆が皆、笑顔で奴との会話を楽しんでいた。
そんな中で一人、私は不愉快だった…奴が光の教団の団員だった事も皆が知っているのに、それに触れる事なく皆が笑っていた。だが最も不愉快だったのは奴を見る魔物娘達の眼差しだ。表情を豊かにして会話する魔物娘に私は腹が立っていた。

「お前!どうやって彼女達をたぶらかした!」
「えぇっ!?」




事務室に入ってオルディアの第一声が、これだった。
病人とは思えないほど透き通った綺麗な声。

「たぶらかしてなんていないよ」
「嘘を突くな!」

一喝するオルディアの声は怒気を含んでおり、全身を叩き付けるようなプレッシャーは凄まじく、ビリビリッと私の身体を震え上がらせる。
私は素早く医務室に防音の付加魔法を使用した為、彼女の声が外部に漏れる心配はない。

「お前は医者だろう?おかしな薬を使って彼女達や人間どもを自分の掌中に収めて何を企んでいるつもりだ!」

反論の余地を与えないオルディア。
つり上がった目元、その瞳に宿る黄色の鋭い眼光が私を見据える。
しかし、私はそこで、ある単語に気付いた。

「おかしな薬って?」
「そ、それは……その……何と言うか……」

先程の威勢はどこへ行ったのやら…オルディアは顔を赤くして口ごもる。
そんなオルディアの初々しい姿に私は、ついに耐えられなくなる。

「ぷっ…」
「えっ!?」
「くくっ…あはははっ!!」
「お、お前!何を笑っている!」
「だって…くくっ…おかしな薬って私が君に返したら口ごもるから…なんか、いかがわしいものを想像してたのかなと思って」
「っ!?」

ボッと顔に火が付いた様にオルディアは更に頬を紅潮させる。
どうやら図星の様だ。
その姿は愛らしくも可愛らしい年相応の少女の様にも見える。
ここ一週間、クールな彼女の姿を見てきたから新鮮だ。

「大丈夫だよ、君が考える非道な事もないし、“そう言う事”もない」
「本当なのか?」
「信じるも信じないも君次第だ、私は“ただ”の医者だよ」

私はテーブルの上に用意してあるトレーを手に取るとオルディアに渡す。

「食べたほうがいい」
「…」
「君の言う“おかしな薬”や睡眠薬・毒薬等といったものは入ってないよ」

おかしな薬にピクリッと反応を示し、オルディアは顔を少し赤くする。
しかし、オルディアは料理に手を付けない。
私はスプーンを手に取り、スープを飲む。

「大丈夫だよ、即効性もないし、遅効性もないよ」




私は目の前に出された料理に目をやる。
先程、オウガが言った言葉を頭の中で繰り返す。

―「信じるも信じないも君次第」―

私はスプーンを手に取ると野菜スープを口に運ぶ。
温かい野菜スープは私の喉を通過して胃に到達する。




「美味しい」

私は一言だけ呟く。
すると今まで溜めこんでいたものが音を立てて崩れ始めた。
その後、頬に生温い何かが伝わる。
その事を理解するのに時間は掛からなかった。

「(これは涙…?私は泣いているのか?)」




野菜スープを飲んだオルディアの瞳に光るものが見えた。
私は、それを見ないで静かに机へと戻り、背を向ける。
それは彼女の最高位としてのプライドを護る為だ。

「そこにテーブルが用意してあるから、そこで食べて」

それだけを言い残して机に向かう。




正直、オウガが何も言わず机に戻ったのは嬉しかった。
最高位の魔物である私が人間の…それも男の前で、このような醜態を晒すのは極めて惨めだ。いや、オウガだけじゃない…他の魔物娘の前でも無様だ。私は誇り高きドラゴンなのだから…。だから、はっきり言ってオウガが机に向かったのは嬉しくもあった。もしかしたらオウガは、この私の無様な姿を見て敢えて黙っているのかもしれない…恐らく背を向けながら笑っているだろう。

「(不覚)」

私は何度も頬に伝わる生温かい感触を消す事を試みるが無意味だった。
ハラハラと散りゆく珠の様な“涙”は留まらず流れ落ちる。




椅子に座った私は身体を震わせ、声を殺しながら“涙”を流すオルディアの姿に胸の鼓動が高鳴るのを感じた。今すぐにでも彼女を抱きしめたい…その衝動に駆られながらも、その気持ちを抑えた。今、ここで抱き締めたらオルディアのプライドを傷つけてしまうからだ。もし、これが夫婦や恋人の関係なら迷わず実行していたかもしれない。だけど私とオルディアは、そう言った関係では無い。あくまでも“医者”と“患者”である。私は背中に感じるオルディアを黙って受け入れるしかなかった。




「確かに『シヴァ様』と女騎士は言ったのですか?」
「言ってたな」
「その女魔導師は恐らく光の教団の十三使徒の一人『氷結の魔導師』の異名を持つ『シヴァ=サクティス』だと思う」
「そうか…」

オルディアの素肌を凍傷させる程の実力を持った氷遣いは私の考えが正しければ光の教団十三使徒の一人、シヴァ=サクティスだ。彼女ほどの実力があればドラゴンの素肌くらい簡単に凍傷させる事ができる。教団に所属してた頃に何度か彼女の補佐として同行した事はあるが、その冷徹さは教団の中でも恐ろしく“彼女達”を見る彼女の瞳は深い悲しみと憎しみに満ちていた。

「私は不覚にも敗北した…だから必ず倒す」

“あの出来事の後”オルディアは少しずつだけど話す様になった。
料理も食べるようになり体力も徐々に戻ってきている。
これなら、あと数日後には完治するだろう。

「でも、まずは養生が大事だ」
「ああ…分かっている」
「はい、昼食」

しかし、オルディアは料理を食べない。
ここ何日間、オルディアの様子が少しおかしい。
料理を用意してもすぐに食べず、何かを訴える様に私を見つめる。
そして、暫らく見つめた後、おぼつかない手つきで料理を口に運ぶ。
最初の頃と全く異なるオルディアにギャップに私は戸惑いを隠せない。

「どうしたの?」
「いや、なに…」
「患者は医者に遠慮しない」

私の病院は個室になっており、患者と一対一でコミュニケーションが取れる仕様になっている。元々、この建物は二階建ての住宅として機能していた。
しかし、家主が世を去り、この住宅は取り壊される予定だった。
私はそれを買い取り、内部を改築し、一階を住居、二階を病院にした。

「私は現在、不覚にも患者だ」
「うん、そうだね」
「未だ自由の利かない手つきで料理を食べている」
「うん?」

オルディアは何を訴えかけているのだろうか。考えを巡らせた私は一つの事実にたどり着いた。しかし、“その行為”は彼女の自尊心を傷つけてしまう事になるのではないかと心配になる。私もバカではない…“その行為”は“医者”が“患者”に対して行なう自然な行為だ。私も様々な患者を診て来て“その行為”を必然的にやってきた。

「いいのか?」
「と、当然だろう?私は患者だぞ…」
「なら…お言葉に甘えて、精一杯ご奉仕させて頂きます」

自然と丁寧語になってしまう。
私はベッドの近くに用意した椅子に座る。
そして、野菜スープが入った食器を手に取ると木で作られたスプーンでスープをすくう。
ふぅふぅ、と少し冷ました後、オルディアの口に野菜スープを流し込む。
コクコクッと静かな音を立ててオルディアは野菜スープを飲む。

そして一言。

「美味しい」

今度は笑顔でオルディアは微笑みかけた。




それから数日後、体力も完全に回復したオルディアは退院した。
しかし、行くあてもないオルディアは、この村に残った。
理由は色々とある様だが一番は私の監視の様だ。
私はまだオルディアに疑われているらしい。
なら本人が納得いくまで、とことん付き合うとしよう。
別にオルディアが居ても仕事に支障をきたす事はない。
普段通りにしていれば問題ないからである。
12/09/25 22:50更新 / 蒼穹の翼
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