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12話

【涙を知らず】



 頬に鉄粒が突き刺さる。間近でダガーが交差する度、目に痛い火花が散る。
 高速に、迅速に、捉えるべく程に間隙ない、連攻に連防。押されているのは俺の方。蓄積ダメージはヴァーチャーの方が遥かに大きい筈なのに、動きのキレは未だ俺を凌駕する。
 相手の刹那の腕の動き、足運びから3手先を読まなければ掠り傷では済まない高速近接戦闘は星降る夜の体裁を見せる。火花が散り、それが夜に冷やされて光を失う前に、また火花が散った。
 甲高い剣戟音にも耳が慣れた頃、不意に互いの様子を見始める。このまま斬り合っても、互いに致命傷は与えられない。隙を見出し、体力を回復させる為の垣間の安息。
 片手にダガー。片手に外套。ダガーは外套に隠し、相手に手の内を見せられない様にする。それは、密偵である、お互い共通して教え込まれたダガー戦の基本だった。
「当たらないってのがこんなにイラッとする事やったとはな」
 基本に反し、獲物をブラブラと曝したまま、肩を竦めるヴァーチャー。
「互いに与えられた時間は平等。その中でお前は迷いすら断ち切れなかった癖に、今此処で俺を追い詰めて見せているというのは数奇なものよな。まるで俺が負ける様に神が仕組んだかのように、偶然が起こり続ける」
「……偶然など、この世には無い。全ては必然、決められた事が当然の様に起こるのみ」
「そうか。ならその必然を捻じ曲げてみせる甲斐性という奴を発揮すべきなのかな?」
 その台詞は、実に奇妙だった。奴の言う必然の意味は、奴自身の敗北。奴自身、敗北を予想しているという事。今の戦況を見るに、奴は勝利を確信してもおかしくないというのに。
「なんだ、負ける気がするのか」
「まさか。俺の後ろも付いて来られなかった、臆病なお前なんかに」
 不意に胸の中に古傷が開いた気がした。矢張り、奴の心には俺の付けた傷がまだ残っているのだ。
「……俺が負けるとしたら、五〇〇年前に置いてきた、偽善的な自分で居た時だけ。やからあの時、運命に負けたんや」
「偽善、か」
「ああ、考えるのもおぞましい偽善」
 僅かに俺のマントがはためいた。それを見たヴァーチャーが一気に踏み込んでくる。マントの上からだと言うのに、俺のダガーが僅かに低い位置に移動したのが判ったのだ。
 刹那、散る。何とか受け止めた。反撃は出来なかった。順手のダガーは力が籠っている。後ろに飛ばされる。眼前に、外套に隠された奴の蹴りが飛んできた。
 脳が揺さぶられる。痛みが右頬から浸潤していく。身体が咄嗟に宙で体勢を立て直し、地面に足を着ける。口の中に血の味が広がる。奴の蹴りは鉄板でも砕きそうだ。
「俺は人を見る目がないのかなぁ」
 ぽつりと呟く。
「信じれば裏切られ、協力すれば利用され、何もしなければ邪魔者扱い。俺は誰にも優しくされなかった。その癖、周りは俺に優しくしろと言ってくる」
 憂鬱の溜息。
「俺は此処に立つ前に、色んな国で色んな人間と出会って来た。やけど、何奴も此奴も、信じても、ある日突然人が変わったように裏切ってくれたっけ。いい思い出や」
 つい先ほど戻ったばかりの記憶を、確かめる様に呟く。
「その連中を殺して、満足だったか」
 ヴァーチャーはギロリと上目遣いで睨む。上目遣いというのは本来保護欲を掻き立てるものだが、この場合は当然違った。
「……さっきから、お前、俺が満足かどうかを窺ってばっかりやな。なんやかピロートークしている気分になってきたやんけ」
「貴様こそ、さっきから独り言が多いぞ。寂しいのか」
 ヴァーチャーは笑った。下手な冗談を聞いたかのように。
「ははっ。軽口が上手くなったな、ゲーテ」
「お陰様でな」
   満足やよ」
 痛烈な一撃。まるで親の仇の様な怨念の籠った一撃。殺意が駄々漏れた一撃。
 躱すのは容易かった。だが外套に隠された奴のダガーが外套を貫いて、俺を執拗に追い駆けてきた。ダガーの腹で二撃目、その突きを防ぐ。
「大満足やっ。人が死ぬ様をまじまじと見られた! また、悲しみの底に沈み込めた! 俺は鬼なんやっ、地獄こそ俺の故郷なんやっ、六つ巷を見る事が出来れば、俺は酷く落ち着けた!」
 叫び声を挙げながら、連続突きを繰り出すヴァーチャー。俺は躱しつつ、数回反撃するが、それは全て防がれた。
「満足じゃない訳がないやろ、ゲーテ! 俺は元々そういう人間や! 生まれた時から化け物やった! 悲しみだけが、俺を慰めてくれた……ッ。悲しみだけが、俺の愛やったッ」
    奴の目に、光るものが見えた。
「……やはり貴様は変わった。今まで何があったかは知らんが、貴様は昔とは決定的に違う」
「なら教えてくれ、ゲーテッ。俺は昔、どんな奴やった!? 意味も無くヘラヘラしていたか? それとも偽善者みたいな面やったか???」
「少なくとも今みたいに不幸や理不尽を、無理矢理、愛などと嘯く事はしなかった」
 ヴァーチャーの眉が下がる。許しを乞うた様な刹那。
「貴様は……脆かった。人間に理想を抱いていた貴様は、その理想と違えた現実に耐えられなかった。だから、裏切りや依存、人間の汚さによって容易く傷付いた」
「何を、今更」
「ああ、今更遅いのかもしれん。俺は貴様に嫉妬している以上に崇拝に近い憧れを抱いていた。……だからとは言わん。申し訳なかった。気付いてやるのが、こんなにも遅れてしまって……」
 許しを請うのは此方だ。貴様は誰よりも強い。容易くは傷付かない。そう思って、俺は甘えてきた。本当ならば、この哀れな男の方にこそ、甘える対象が必要だった。逃避の場が必要だった。
 それは母親の様な。子供に不幸や理不尽があれば、何処からか現れ、守ってくれる。慰めてくれる。そんな存在が、取り分けヴァーチャーには必要だった。


   心」
「……ん?」
「心さえ、なければ……フレデリカにさえ、逢わなければ……こんな、辛い気持ちにはならなかった。一人なんて怖いと思わなかった筈なのに……」
「ヴァーチャー」
「お前等を殺せば、心なんて捨てられる……外道畜生を極めれば……」
 譫言の様にそう呟く。
 俺は首を振った。
「そんな事で楽にはならんぞ、ヴァーチャー」
   ッ」
 弱さを見せた。
 殺意の中に、助けに縋る心を曝け出した。
 そんな奴の腹に深く刃を突き刺す事なんて、造作も無かった。
「か、はッ……?」
「……」
 引き抜く。血の線が宙を踊る。だが、ヴァーチャーは倒れない。足元をふらつかせただけで、まだしっかりと両足で立っていた。


「僕、は……幸せになりたかった……だけ、なのに……本の中の主人公みたいに、幸せに……皆と、“笑顔”でいたかっただけなのに……」
「そうだな」
「皆が……皆が虐めるんだ。僕は何もわるいことしてない……何も、わるくない」
「……ああ、貴様は何も悪くない」


 何が悪かったかといえば、奴を取り巻く環境だ。奴を追い詰め、誰も助けようとはしなかった、奴自身の世界。
 不親切で傲慢な、神の悪戯。
 ヴァーチャーの目が白く濁って行く。
「僕は……俺は、悪くないのにッッ
    バサッ
 目の前が暗くなる。奴に外套を投げ付けられたのだ。取り払う。もう目の前に、奴の凶刃が煌めいていた。


 貴様は、生まれる時代を誤った。



―――――



    雌雄は決した。
 奴の眉間に俺のダガーが突き刺さっていた。
 派手な演出もない。時間が経ってから、血がつーっと流れていく。
 ヴァーチャーは、不意に眠気に襲われた様に目を細めながら、ゆっくりと呟く。

「……なんで、こうなっちゃったんやろう……」


 うまく、いかない、もんや   


 ヴァーチャーは後ろのめりになって倒れる。頭部をゴトリと地面に打ち付ける。もうその瞳には光は宿らない。
 味方を拘束していた檻が砕け散る。術者が死ねば、術が解ける仕様だったのだろう。
 いち早く、ソニアが俺に駆け寄って来てくれた。
「マスター」
「……ソニア、貴様、傷はいいのか」
 見ると、ソニアの腹には穴がしっかり開いていた。
 しかし彼女は傷口を撫でつつ、平然と答える。
「ソニアは腹部に穴が開いたぐらいでは機能停止しません。……それより、マスター」
「ん?」
   ご苦労様でした」
 ソニアの労いの言葉。恐らく、超金属を探し当てるよりも稀なその言葉は、遥かにそれ以上の意味を持つ。
「……ああ」
 自分でも判る、気の抜けた返事。俺の目の前には、倒れたヴァーチャーに追い縋るドリスと、その傍に立ちつくすフレデリカの姿があった。
「ご主人さまぁっ。ご主人さま、おきてくださいぃ……!」
「……ヴァ、チャー……さ、ま」
「せっかく……せっかくお会いできたのに、こんなの、あんまりですっ……!」
「……」
 彼女達にとって、こんな男でも矢張り愛する対象だったのであろう。
 彼女達の存在に早く気付いていれば、ヴァーチャーは外道に落ちずに済んだのかもしれない。寸での所で、道を違わなかったかもしれない。


 ……死んでしまった今となれば、それも適わないが、な。


「……マスター」
 ふと、ソニアがシルクを取り出し、俺に差し出して来た。
 俺は何の事か判らず、受け取りかねていると、不意に頬を引っ張り落ちていく雫を見付けた。
「……ふふ」
 泣いている。この、俺が。
「マスター」
 どうしてだろう。感情が込み上げてくる。やっと……五〇〇年の因果が断ち切れたというのに。
 目の前に、ヴァーチャーと過ごした五〇〇年前の光景がフラッシュバックされてくる。
 懐かしい。
 痛い程、気が狂いそうな程に。
 思わず目を手で押さえる。みっともない。そう思えば思う程、涙が溢れて来る。後悔も。
 彼奴は誰よりも優しい奴だった。なのに、俺が、俺達がもっとしっかりしていれば、こんな事にならなかった。こんな悲劇は生まれなかった。
 ヴァーチャー。どうして最後にあんな顔をした。どうして、腹のガードを甘くした。どうして、眉間に打ち込まれる様な隙をみせたのだ。
 いや、そうしてくれなければ、俺は勝てなかった。勝ちたくなかった訳じゃない、けれど、奴の死体に掴み掛ってでも責め立てたい。そんな風に、切に願った。
「う……くぅ……ッ」
「……マスター」
 俺の頭を抱き寄せる、ソニア。
「よく、頑張りました。マスターにしては上出来です」
「うぐぅっ。ひぐ……っ」
 嗚咽が漏れ続ける。人目も憚らずこうしていたい。
 ソニア。大切な友の、初めての贈り物に包まれていたかった。



―――――



 だが、周囲の空気が一変したのに気付く。協力者が騒ぎ始めた。
「……なんだ」
 俺はソニアから離れる。目から最後の滴が出掛かったが、腕で拭う。
 目を疑った。ヴァーチャーの傷口から黒いスライムが染み出し……まさか、傷を癒している!?
「まさか……そんな!?」
   その、まさか」
 奴の声。まるで死者の声を聞いた様な感覚。
 ヴァーチャーは蘇った。追い縋るドリスをゆっくりと引き剥がし、上体を持ち上げては俺を見据える。
「ゲホッ……残念、やったなぁ……? 俺は……俺の中のコアを壊さない限り、永遠に死ねないんよ……」
 咳込む。声の調子から言って、苦しそうだ。
「言ったやろう……俺は化け物、や。そう簡単に……死ぬか」
 ゆっくりと立ち上がる。
「いい覚悟、やった……見事な一撃や。躱せなかったよ」
「貴様……」
 色々と問い詰めてやりたいとは思っていたが、それは蘇らない事前提での話。俺はソニアと、協力者達と共に武器を取った。
「しぶとい野郎だな。もう一遍地獄に送ってやるぜっ」
「エルロイ、油断するな」
「今度は俺の剣で葬ってやる。覚悟しろ!」
「主殿、かっこいいでありまするっ」
 口々に喋る彼等に対し、ヴァーチャーは不敵に微笑む。
「何、君等に送ってもらわなくても、俺はじきに、地獄に落ちる」
「? どういう事だ」
 俺が問う。奴が何かを企んでいるという事がありありと窺い知れたからだ。
「忘れたか? 此処に先に来ていたのは俺や……時間通りに来た君等と違って、俺は約束の時間より早く来るタイプでね。くふふ……この場所に色々仕込む余裕はたっぷりとあった訳や」
 奴はズボンのポケットに手を入れる。
 取り出したのは……何かの起動装置だった。
「例えば   爆弾、とか」
   !!」
 起動装置   起爆装置。
 奴はこの建物ごと俺達を生き埋めにするつもりだ。
 無論、魔力切れで結界も張れない自分諸共。
「ペトロシカ!」
 コカトリスを呼ぶ。彼女の視線の魔力で、ヴァーチャーの動きを止め、その隙に起爆装置を奪う。瞬時に作戦が思い巡った。
 だが、その時すでにヴァーチャーに先手を打たれていた。
「二度もその手を食うと思ったか   ?」
「ひゃうっ!?」
 ペトロシカのゴーグルが下がる。ヴァーチャーが作ったあのゴーグルには、視線の魔力を掻き消す効果がある。その上で、フレデリカがコカトリスの少女を羽交い締めにしているのだ。


さて……このヴァーチャーの最後の足掻き、括目して見るがいい!!


 起爆装置に指が掛けられた   





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【メモ-人物】
“フレデリカ”-1

ヴァーチャーとゲーテが所属していた邪神/魔王教で祭り上げられた聖女。純真無垢な幼少時代に、暗殺者から身を呈して守ってもらった事から一途に想い続けるヴァーチャー専用ヒロイン。
だが変貌したヴァーチャーを楽にしようと刃を向けた事でその短い生涯を閉じた。

ゾンビにされてからは生前のように人間的な感情や正常な言語能力は抜け落ちているが、たとえどんな扱いを受けても、まだヴァーチャーの傍に居続けるのは彼の魔力に縛られているからだけではないだろう。

黙々とヴァーチャーに従う彼女の本当の想いは何処に隠されているのだろうか……

10/05/13 21:54 Vutur

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