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13話

【そして夜が明ける】



「フレデリカッ。フレデリカ……!」
 ヴァーチャー様の声。
「目ぇ覚ませっ。死ぬな! 死なないでくれ……お願いだから! フレデリカッ」
 私の、名前。ヴァーチャー様が私の名前を呼んでくれている。

    私、死んじゃったんだ。

 私は、私の抜け殻を抱いて噎び泣くヴァーチャー様を見詰める。外から自分の体を見ると、自分が死んだんだって自覚が薄い。自分の感覚を確かめてみると、刺し貫かれたお腹を見て痛みを思い出すくらい。何もない。
 なんだかおかしな気分だった。
 本当に死んだんだって事が信じられない。目の前でこうして泣いている彼を抱き締められそうな気さえする。けれど、出来ない。腕が彼の体を擦り抜ける。
 ヴァーチャー様は少しも気付かないまま、私の体を揺さぶり続ける。
「そんな……」
 諦めた様に項垂れて、顔を手で押さえるヴァーチャー様。
 そんなに自分を責めないでください。その言葉を伝えようとしたけれど、やっぱり彼の耳には届かない。

 ……どうしてこんな事になってしまったんだろう。

 私は……貴方様の事が好きだった。

 誰でもない、貴方以外に心を許した事なんてない。

「俺が悪いんだ……! 何もかも、俺の所為だッッ」
 そんな事ない。貴方は自分に出来る精一杯の事をしてきた。誰よりも一生懸命、幸せになろうと努力した。
「フレデリカ……」
 ヴァーチャー様は、私の身体を強く抱き締めると、そっと唇を寄せる。
 あ……もしかして。
   
 思わず目を背けた。もう死んでいる筈なのに、胸の鼓動が強く鳴り響く気がする。唇にほんのり、温かい感触が広がった気がする。顔が熱くなる。
「俺も好きだった」
 胸が一杯になる。
「きっと、初めて会う前から、君の事が好きだったんだと思う。なのに、こんな結末なんて……納得出来ない」
 死んでから返事されるなんて、なんだかやっぱりおかしい。けれど死んだ事を後悔する気持ちなんて一欠けらもない。


 他の誰でもない。貴方に殺されて良かった……。



―――――



 辺りが轟々と鳴り響いている。魔力の流れが、著しく変化している。きっと、とても大きな出来事が世界に起こったのだと気付いた。
 けれど、今は……か弱いこの方の傍に居たい。この方を、これから守っていけるのは私しかいない。

    よし。

 死んでしまった身だけれど、この方を守り続けていたい。その気持ちに偽りなんてない。死んだ魂が何処へ行くのかを確かめて見たくはあったし、成仏っていうのもしてみたくはあったけれど、私の自由は、彼が立派なお嫁さんと一緒に幸せになるのを見届けてから始めよう。
 ……本当は、私が彼のお嫁さんに成りたいのだけど、そんな我儘今更通用する筈が   

   フレデリカ様』

 ふと、誰かが私を呼んだ。
 ヴァーチャー様を見る。彼は項垂れて、何も呟いた気配はない。
 いや、今の声ははっきり私を呼んだ。
『フレデリカ様』
 また聞こえた。
 女の子の声。
 私は耳を澄ませ、答えた。
「誰?」
 何処からともなく私の目の前に一糸纏わぬ可愛らしい少女が現れる。彼女の体は青白く光を纏っている。私の本能的な部分が、彼女が人間ではない事を見抜いていた。
 きっとこの子もお化けか何かなのだろう。私は予想せぬ仲間を見付けて、心なしか安心した。
 彼女は暫くの間逡巡した様子を見せた後、ぎこちない笑顔を浮かべる。
『……私、ドリスといいます』
 彼女はそう名乗った。
 ドリス。年の近い子の名前なんて、ヴァーチャー様以外に憶える機会なんてなかったから、とても新鮮な気持ちになる。
「ドリス、さん。可愛らしいお名前ですね」
『……だって、ご主人さまに付けていただきましたから……』
 顔を傾け、手を後ろにもじもじと照れる彼女。不意に、辛そうに瞳を落とす。
「……どうしたんですか?」
 何故か彼女を他人とは思えない自分が居た。私は彼女に問い掛ける。
 彼女は緊張した面持ちで語る。
『……私、ご主人さまに作ってもらったガーゴイルなんです』
「がー、ごいる?」
 ガーゴイル、というものが何なのかはなんとなく知っていたけれど、私が想像したのはもっとおどろおどろしい物。こんな可愛らしい女の子がそうだと言われても、ピンと来なかった。
『あの、いえ、元々できそこないのガーゴイルだったんですけど……あ、いえ! 別にご主人さまの腕がどうとかって訳じゃなくって、なんというか、その、まだ時代が早くて、ご主人さまの傍にいられなかった、ってことですけど……』
 彼方此方に視線を飛ばしながらそう語った彼女。
 さっきからご主人さまと口にする彼女。
「え、と。ご主人様……?」
『あ、ご主人様というのは、私を作ってくれた人の事で……その、えと、名前……名前なんだっけ……?』
 彼女がうーんと悩み始める。
   あ、そだ、ヴァーチャー……様、です!』
 ヴァーチャー様。
 ……そうか。この子はヴァーチャー様が作った子なのか。
 私がそう得心した所で、彼女、ドリスは続ける。
『ご主人さまにはよくしていただきました……何もしてさしあげられない私の体を毎日磨いてくださって……よく、一日のできごとをお話してくれました』
 彼女は手を前に合わせ、指を組んだり離したりする。表情には愛しさが滲み出ていた。
『それで、フレデリカさまのことも、よくきかせてもらっていて……』
 ヴァーチャー様が私の事を、彼女に聞かせていた   。それだけで身に余る光栄。顔が熱くなる。
『……それで』
 言い淀む彼女。そのまま視線を落とす。
「何か悩み事、ですか?」
『い、いえっ!』
 慌てて否定される。こうしてやり取りしただけでも、不思議と彼女を放っておけない気持ちが増していく。
「なんだったら、私に話して下さい。私、死んじゃったばかりですからあんまり力になれないかもしれないですけれど、話だけなら聞いてあげられます。えと、話すだけでも気持ちも楽になりますし……ね?」
 ドリスはキョトンとすると、なんだかおかしそうに笑った。
『……ううん。悩みなんて、ありません。あるのはお願いだけです』
「え?」
 だから、私死んじゃったからお願いなんて   。そう返そうと口を開く寸前、ドリスの後ろから真っ赤な、炎の様な模様が広がる。まるでこの世のものとは思えない……いや、実際もう私が居るのはこの世ではないのかもしれない。そんな、奇怪でいて、美しい光がドリスの後光として現れた。
   さっき、魔王さまが“代替わり”を終えられました』
 ドリスは突然そんな事を言う。
『前までの魔王さまの魔力じゃ、私にガーゴイルとして生命をあたえるには適さなかったんですけど、今度の魔王さまの魔力なら、私、ガーゴイルとして生まれることができるんです』
「そうなん、ですか」
 良く判らない、と言うのが本音。でも、続いた彼女の言葉に私の心は揺れ動いた。
『でも、私、生まれません!』
「……え?」
『私の代わりに、フレデリカさまがヴァーチャーさまのお傍にいてあげてほしいんです』
「え、ど、どういう事ですか?」
『私がガーゴイルとして生まれるはずだった体を、フレデリカさまに差し上げたいんです!』
 私に、自分の体を差し出す。そんな夢物語の様な申し出を聞いて、私は怖気づいた。
「で、でも。私、ガーゴイルじゃありませんし……」
『私もまだガーゴイルじゃありません。まだ、未熟な魂の状態です……だから、私より先に私の体にフレデリカさまが入れば、フレデリカさまはガーゴイルとして生まれ変われるんです』
 生まれ変わる。信じられない話。
 生まれ変わればまたヴァーチャー様の傍に居られる。けれど、それには生まれる筈だった彼女を犠牲にしなければいけない。
「……お気持ちは有り難いのですけれど……私は、結構です」
『そんな!? この機会を逃せば、フレデリカさまは二度とご主人さまの傍には……』
 私は首を振る。彼女は、ヴァーチャー様が作った命。言わば、ヴァーチャー様の娘。それを差し置いて、私だけが良い思いをするなんて、違う。
「私が死んだのは、他ならぬ私自身の所為。私なんかの為に貴女を犠牲には出来ません」
『犠牲じゃありませんっ。私は、私の罪をつぐないたいんです』
 罪。まだ生まれてもいない彼女に、何の罪があるのだろう。
 彼女は悲痛な、叫び声をあげるかのような表情で語る。
『私はご主人さまに愛していただいたのに、それに答えられなかった……だから、こんな結果になってしまった。……私が、ご主人さまに答えられれば、こんな事にならなかったんです。ご主人さまを悲しませることなんて、寂しがらせることなんて、なかった!』

 ああ、この子も、私と同じ。
 ヴァーチャー様に答えられなかった、不甲斐無い自分を責めている。
 愛している対象に、愛を伝えられなかった罪。

「なら猶更、貴女はガーゴイルとして顕現しなければなりません」
『……え?』
「貴女が生まれなければ、ヴァーチャー様に貴女の気持ちは届かない。それでは、何の意味もありません。今からでも遅くない、貴女は生まれて、きちんとあの方に愛を伝えるんです」
 私はそう告げる。しかし、ドリスは納得してくれなかった。
『ダメなんですっ。フレデリカさまじゃなきゃ……フレデリカさまじゃなきゃ!』
 彼女は私の腕を引っ張り、赤い光の中に引き込もうとする。まるで聞き分けのない子供の様な行動だけど、その力は並みの男性に勝るとも劣らない。腕が痛い程締め付けられる。
「痛……! ちょ、ちょっと待って下さいっ。どうして私じゃないと駄目なんですか? 元々貴女の身体なのに……!」
 問い掛けに返答も無く、私は赤い光の中に半ば強引に放り込まれる。
 自分の存在が何処かに吸い取られていく様な感覚。きっと、遠くにある彼女の体に魂が送られているのだろう。
『……私はまだ生まれたことなんてないけれど、フレデリカさまは生まれている。ご主人さまは私のことなんて知らないけれど、フレデリカさまのことならきっと判るからっ』
 きっとこの子はヴァーチャー様の事を愛するのと同じように、ヴァーチャー様が大切にしている物も愛している。きっと、彼女の目に、私はヴァーチャー様の大切な人として映ったのだろう。それで、一生懸命に私の事を考えてくれていたのだ。
 私の目の前の景色で、彼女は噎び泣いていた。
 楽しみだった筈なのに。自分を大切にしてくれた人に会えるこの時を。
 生まれるこの瞬間を。
 それを他人に譲る気持ち。それは、私達には想像出来ない程辛い事だった筈。
 もう、二度と間違えるべきじゃない。ヴァーチャー様だけじゃなく、彼女の気持ちを踏み躙る事なんてしたくない。私は、ちょっと強引な彼女の気持ちに答えようと、決意した。
 そんな時、妙な感覚を憶える。
 今まで感じていた“吸い取られる”様な感覚の、方向が変わったのだ。膨大な違和感。急に不安になる。彼女の言葉を疑う訳じゃない。けれど、何かおかしい。
 まるで、魂が別々の入れ物に入れられてしまったような   
『そ、そんなっ……ダメ、今はダメ! そんなことしたらダメなのっ。   ご主人さま!!』
 彼女が何かを叫んでいる。
 薄れていく意識。眠くなるんじゃない、痺れていく視界。
 自分が二つに分かれていく様な感覚が段々鮮明になっていく。


 心に、ぽっかり穴が開いた。
 大切なものをごっそり、何処かに置き忘れてしまった様な気分が心に焼き付いた時、私の視界は一変した   



―――――



   フレデリカ様、起きられましたか」
 あの方の声。瞼を持ち上げると、其処には安堵した彼の顔があった。
「ヴァ、チャー……しゃま」
 彼の顔に手を添える。彼は首を傾げた。
「……? どうしました、フレデリカ様」
「ヴァ、チャァ様……好きぃ……」
 気持ちが溢れるままに口にした。すると彼は血相を変えて、私の手を握り返す。頭を撫で、額をくっつける。
 あったかくて……気持ちいい……。
「……魂が全部入ってない……!? そんな、まさかっ、なんで……ッ!!」
 彼が何事か慌てる。目を剥きだし、頭を抱えて、ブツブツと何かを責めている。
「なんで!? 術式は間違ってなかった筈なのにっ。何処で、何処で間違えた……? 今までちゃんと出来ていた筈なのに! なんで、どうして!? ……残りの魂は何処へ!?」
 私は彼の頭を撫でる。
「だいじょ、ぶ……守る、から……私が、守って……あげ、る、から」
 守る。これからは私が、貴方の傍にいる。だから、心配しないで……ヴァーチャー様。
「なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで……???」
「だいじょ、ぶ……大丈、ぶ……だから……」

 私だけは、貴方を裏切りませんから……。





――――――――――





 ドスッ。
 刃が肉の隙間に滑り込む音。
 俺達は見た。今将に起爆装置を作動させようとしていたヴァーチャーの胸に、ドリスが短刀を突き立てた所を。
「あ……く、あ……?」
「……」
「ド、ドリ……ス……?」
    奴が起爆装置を落とす。地面に落ちる前に、それをアルダーが俊足で回収する。
 ドリスは   短刀を固く握り、ヴァーチャーをキッと睨み付けると、先ほどとは打って変わってはっきりとした口調で言う。
「……ヴァーチャー様。私は、フレデリカです」
「フレデリ、カ……?」
 どういう事だろう。フレデリカなら、今ペトロシカを羽交い締めにしている。
「ヴァーチャー様はご存じの筈です。あの体には、私の魂が半分しか入っていない事を」
「……!」
「残りの魂は、このドリスちゃんに預けていたのです。今はちょっとだけ、体を貸してもらっています」
 口調、言葉遣い、立ち居振る舞い。その全てが、彼女の言葉に信憑性を持たせる。ヴァーチャーも目を見張りつつ、彼女の言葉に頷いて見せる。
「……ヴァーチャー様。もう、止めましょう……?」
 彼女は涙を含ませて、そう懇願した。
「心なんて、誰にでも宿り得るもの。捨てようだなんて、悲しい事言わないでください……私は貴方様の心が、大好きなんですから」
「好き……?」
「ええ。大好きです」
 ドリス、いや、フレデリカはそう言ってほほ笑んだ。月並みな表現だが、それは女神のように優しく、一片の曇りもない。
 彼女はヴァーチャーを抱き締めて、耳元で囁く。
「だから、もういいんです。もう、貴方は楽になって良い。幸せになって良い」
「もう……いいのか」
 ヴァーチャーは、声を震わせた。
「はい。いいんです」
「そっか。もう……良かったのか」
 ギョロついていたヴァーチャーの目に、懐かしい光が戻る。膝から崩れ落ちる。フレデリカはそれを支えながら、そっとヴァーチャーを地面に座らせる。
「……納得出来なかった。精一杯やってきたのに、何一つ報われてこなかった。他人の所為にしたくなくて、全部自分の所為だって抱え込んでいたら、何時の間にか……限界、だった。それで、何時の間にか何が何やら判らなくて……只、がむしゃらに世界を怨んで、他人を呪って、心を憎んで……」
 血が伝う、短刀。教団の装飾に煌びやか。それを手でなぞり、ヴァーチャーは笑った。
「あの時この短刀が俺を貫けていたら……どれだけ運命が変わっただろうな」
「……ヴァ、チャァ、さま」
 ゾンビ   フレデリカの片割れがヴァーチャーの元に駆け寄る。
「フレデリカ……君等には、辛い役目を負わせて来たな……ごめん」
 ヴァーチャーは謝罪の言葉を述べながら、ドリスの額に右手を、フレデリカの体に左手を添える。
    淡い光。ヴァーチャーは満足そうに笑うと、血の塊を吐く。
「! ヴァーチャー様っ」
 その時、フレデリカの声を挙げたのはゾンビの方。
「ご主人さま!」
 そして、ドリスの体からはフレデリカの面影は消え、すっかりドリスに戻っている。どうやらガーゴイルに宿っていたフレデリカの魂を彼女自身のあるべき体に、魔力の代わりに生命力を用いて、入れ直した様だ。
 ヴァーチャーは血の汚れすらも気にせず縋り付く彼女達に、穏やかに笑い掛けた。
「うん。そういえば……今日やったな、ドリス」
「? 何がですか?」
「お前の誕生日やよ。おめでとう、ドリス」
   ! お、憶えていてくれたんですか、ご主人さま……ッ」
 ドリスの顔が喜色に彩られる。今日は五〇〇年前に彼女が生まれた日、彼女の体が出来あがった日だ、とドリス自身が語っていたのを思い出す。
「それに   ただいま、フレデリカ」
「……おかえりなさい、ヴァーチャー様……ッ!」
 フレデリカが目に涙を湛えて微笑む。外から見れば、それはとても和やかな光景だった。


「うぅっ! 良かったでありますぅぅ。良かったでありまするなぁ、主殿ぅっ」
 外野でリザードマンの少女が溢れ出る涙をハンカチで拭う。傍の剣士は呆れ顔である。
「……良かったは良かったが、まだ終わってないぞ、エリス」
「ふぇ?」
「まだ、奴はやる気かもしれん」
 スヴェンはヴァーチャーから目を逸らさなかった。いや、正確にはヴァーチャーの傷口をだ。あそこからまた黒いスライムが滲み出て、復活するとも限らない。
 神妙な眼差しのスヴェンとエリスに対し、エルロイがある疑問を問い掛ける。
「……所で、なんでアンタ等、二人羽織のままなんだ」
「……訊くな」
 聖剣は二人で握っていなければ抜けず、鞘に納めなければ二人とも手を離せない。現在、彼等の剣の鞘は何処かに吹き飛んで紛失しているのだった。


 そんなスヴェン達の警戒を嘲笑うヴァーチャー。
「やる気なんてないさ。勝負は着いた。足掻く気もない」
 剣やナイフを其処等辺に投げ捨てる。
 武装解除。降伏の顕れ。魔力も枯渇し、生命力と引き換えに魂の移転を行った今、奴に戦う力なんて残っていないのは事実だろう。事実上、無力化に成功したと言っても相違ない。
「……貴様は、どっちがいい」
「何が」
「生きるか、死ぬか」
 ヴァーチャーは暫く悩んだようだったが、やがてケラケラと笑い始めた。
「そりゃあ、死ぬやろう。心臓を一突きされたんやから、死ぬ運命さ。“人”は思いの外、脆いから……」
 その一言の意味を把握し兼ねた内は、また軽口を叩いて、と恨み節が湧いた。しかし、不意にその意味が判った瞬間、胸が強く脈打った。
「! まさかッ」
「俺のコア、心臓にあったんや」
 血の気がさっと引いた。
「コアを破壊された、俺の辿る運命は変えられないよ、ゲーテ。右心房だから、少し時間が掛るけど……もう治癒も間に遭わないやろうな。   こうすれば!!」
 ずるっと短刀を抜き攫うヴァーチャー。乱暴な引き抜きに傷口は開ききる。出血は激しく、奴の周りに血の池を広がり始めた。
 咄嗟に叫ぶ。
「馬鹿がッ。そんな事をしたら……!!」
 本当に、死んでしまうではないか   ッ!!


「そんな、ヴァーチャー様!」
 フレデリカが息も出来そうにない程取り乱す。彼女とて、まさか自分の一撃で彼の命運が断たれるとは本気で思っていなかったのだろう。
「大丈夫。フレデリカは、俺を救ってくれようとした。俺を楽にしてくれた……それだけ」
「駄目、そんなの駄目ですっ。死んじゃ……死んじゃ嫌です!!」
「ご主人さまぁ、ご主人さまぁっ」
 奴の顔にどんどん血の気がなくなっていく。
 奴を迎えに来る死の足音が、もう間近にまで聞こえてきた。
「……もう俺なんかの為に泣かなくてもいいんやよ、二人共」
 奴は穏やかに語る。
「俺が生きていただけで、何人も死んだ。何人も不幸になった。其処に善悪なんて観念はなかった。もし此処で生き延びた所で、俺はまた誰かを不幸にするよ。……判り切っている。俺はどうせ、誰かの為の善には成れない事を。きっとまた、同じ事を繰り返す」
「そんな事ない! 今は、私達がいるじゃないですか!」
 フレデリカの必死の説得。ヴァーチャーは力無く笑った。
「その言葉……その優しさに、もう少し早く、出会いたかったもんやな……」
 命が燃え尽きていく。ヴァーチャーの、最愛の友の命が。
 俺は何度、此奴を殺せば気が済むのだろう。首を掻き切り、眉間を貫き。そんな事をしても、奴は救えなかった。

 ……救う。
 フレデリカがしたように、奴を救うにはどうすればいい。
 どうすれば。

「……ソニア!!」
 ヴァーチャーを救いたい。救わなければならない。その一心で、ソニアを呼び付けた。
   やれるか?」
「当然です」
 俺からの一通りの指示を聞いて、ソニアはすぐに動く。俺は魔力が尽きている為、彼女の傍で補助をするしかない。
 それと、だ。
「コカトリス! ヴァーチャーの動きを止めろ!」
「え、今!?」
「さっさとしろ! もたつくなっ」
 コカトリスは慌ててヴァーチャーに視線を合わせる。ヴァーチャーはピキンと固まった。石化の影響は出血の勢いを弱めた。
「ソニア、行くぞ!」
「はい」
 俺はソニアに手を重ね、ヴァーチャーに向ける。
 だが、ヴァーチャーの周りにはまだ、あの二人が居た。
「フレデリカ、ドリス、離れろっ」
 彼女達は首を振り、逆に俺達を糾弾するかのように睨み付けた。
「ゲーテ様……もう、十分じゃないですか……もうこの方を傷付けないでくださいっ」
「そうです! ご主人さまはもう戦えないのに……!」
 あの二人は何か誤解をしているらしい。難儀な事だ。
「貴様等はヴァーチャーに生きていて欲しいと思わないのか!」
「思っていますっ。思っているに決まっているじゃないですか!」
「そうだッ、だから退くのだ! 手遅れになる前に!」
 彼女達が俺の言葉を信じたか判らないが、兎も角二人はヴァーチャーから離れた。彼女達だって、心の底からヴァーチャーの生を望んでいるのだ。彼女達の言う通り、判り切っている。
「お父様の心拍が急激に減少しています。急ぎましょう、マスター」
「ああ!」
 俺とソニアは声を合わせて詠唱を始める。
 そんな時コカトリスの魔力で石化している筈のヴァーチャーが、呆れたような溜息を吐いた。
「はぁ……お前等は……ホントに、甘いな。殺すなら兎も角、生かすなんて……馬鹿げている。そんな事より、早く殺して、楽にしてくれ……そろそろ、体が……寒く、なって来たんや……」
「ヴァーチャー様……」
 俺達が詠唱に集中している間、フレデリカが言う。
「一つだけ、宜しいですか」
「……なんや」
「この世界は、誰かを不幸にする為に存在しているんじゃないんです。きっと、誰もが幸せになる為にこの世界がある……」
    と謂う事だけ。
 口元に細い指を立てて、語る。ヴァーチャーの真似だ。
「だからですね。ヴァーチャー様は幸せになる為にこの世界に生まれてきたんです。だから……」
 涙が落ちる。フレデリカの表情が、崩れ落ちそうな程に想いを叫んだ。
「お願いですから、私達と一緒に生きて下さい……ヴァーチャー様……。こんな腐った女と、石の彼女ですけれど、二人揃って私達を……幸せにして下さい……っ」
 ……ヴァーチャーは沈黙して、目を閉じる。
 それは、俺とソニアの術を受け入れるという意思表示なのか。
 それとももう天に召されたのか。
 いずれにせよ、俺達は長かった詠唱の最後のフレーズを叫ぶ。

    彼の者、塩の柱となれり。

 間に合ってくれ。
 ヴァーチャーの血で濡れた地面に紋章が浮かび上がる。紫の光が立ち上る。その光の中で、ヴァーチャーは地面に近い部分からどんどんと石になって行く。
   成程。封印、か」
 永い夢から覚めたかのように、ヴァーチャーはうっすらと目を開けて小さく呟いた。
 封印術による石化は、並みの石化とは違う。金の針での治癒は不可能。それこそ強力な術者でなければ解く事は適わないだろう。
 そして、封印の間は少なくとも死ぬ事はない。この中でヴァーチャーは力を溜めて、何時の日か内側から封印をぶち破るだろう。
 その時まで   
「頭を冷やせという事か?」
「……まぁ、そういう事だ」
「何時まで?」
「さぁな」
 ヴァーチャーは笑った。
「何奴も此奴も……甘過ぎるよ……」
 石化がヴァーチャーの傷口を塞ぐ。封印術は、時を止めるような行為だ。死の足音は止まった。
「その中で自分自身に決着を付けて来い、ヴァーチャー。時間はたっぷりある」
「言われなくてもそうするわ」
 最後まで軽口を叩く。逆に安心した。
「……行くぞ、皆の者。もう此処に用はない」
 外套を翻す。協力者達に撤収の合図を送り、此処から退出させていく。
「最期を見届けなくてよろしいのですか」
「……構わん」
 ソニアにそう返し、ヴァーチャーから離れる。最期を見届けるに相応しいのは、俺達じゃない。それに俺自身、憧れの対象が石になってしまう光景など、見たくはなかった。
「そうや、ゲーテ」
「うん?」
 俺の気持ちも知らずに呼ぶヴァーチャー。俺は振り向かないが、耳から聞こえるパキパキといった音からして、石化は過不足なく進行している最中だろう。


   俺はこの世界が好きだった、ゲーテ」
 唐突に訛りを捨てて語る。
「人間も、魔物も、精霊も……フレデリカも、ドリスも、お前も、教団も、俺を捨てた両親の事だって、俺は愛していた。……本当は、な? ゲーテ。報われなくても一生懸命愛していれば良いだけの話だったんだ。だけど、俺は……俺を愛してやれなかった」
「そうか」
「だから、願わくば、人間も魔物も争う事のない世界に成って欲しい。平和で、皆が笑って暮らせる、そんな世界になって欲しい。そうすれば、俺みたいな子供も生まれない……そうだろ? ゲーテ」
「……教会は魔物の駆逐を止めんだろうし、魔物は制限も無く人を狩り続ける。また其処に人間魔物双方の思惑が絡み付き、血は流れ続ける……現時点では望み薄だな」
「手厳しいな……でも、ゲーテならそんな世の中を作るのなんて簡単だろ?」
 覇気のない台詞。俺は眼鏡の位置を戻す。
「……何故俺がそんな事をせねばならん。この五〇〇年、人間の味方も、魔物の味方もしてこなかった、そんな俺が何故今更世界の味方をせねばならん」
「マスター」
 ソニアが呆れ顔で俺を諭す。だがこれだけは言わせてもらう。
「そんなに平和が欲しいなら、貴様が勝手に作れ。   ヴァーチャー」
 ……ヴァーチャーの才覚は、きっと誰もが夢で終わらせていた夢を、現実にする。俺は確信していた。
 そもそも、奴は俺を買いかぶり過ぎなのだ。
 そんな大それた事、俺には無理だよ……ヴァーチャー。


「……自分でやれ……ね。相変わらず、お前は厳しい事を言う」
「悪かったな。そういう性分なんだ」
「……ドS?」
「それは性癖だろうがっ」
 最期に奴がどんな表情をしていたのか気にはなったが、結局振り向かずに集会所の出口に向かう。
「あ、そうや」
 間抜けた声で呼び止められる。俺は苛立ち、思わず振り返って奴に文句を言ってやる。
   ッ! 貴様、何度呼び止めれば気が済むのだッ」
 視界に飛び込んできた、奴の姿   。もう石化が首にまで達している。そんなヴァーチャーは、此処一番で最高に穏やかな笑顔を俺に見せていた。
「……ゲーテ。俺は今もこの世界が大好きやよ。皆と出会わせてくれた、この世界が。だから、もう少しだけ……頑張ってみようと思う」
 そんな顔をされたら、誰だって怒鳴る気が失せる。
「そうか」
 奴の最期の言葉を聞き届けた後、俺は集会場の扉を潜り抜ける。


 じゃあな、ヴァーチャー。

 我が最大の好敵手であり、我が最愛の友よ。

 貴様にまた、新しい時代がやってくるその日まで

 再会の時を、我が最大の楽しみにしていよう   



―――――



   フレデリカ、居るか」

   はい、此処に」

   ドリスも?」

   はい! 居ますっ、ドリスも居ますよ。ご主人さまっ!」

   ああ……お願いなんやけど、二人とも、俺の手を握っていてくれないかな……」

   はい。安心してください、ヴァーチャー様」

   ご主人さまが目覚めるまで、ずぅっと、私達が守っていますからっ!」

   ふふ、頼もしいな……」

   あ、あの」

   ん?」

   く、口付けをさせて頂いても、宜しいでしょうか……?」

   えぇっ!?」

   えと、あの……! ちゃ、ちゃんと起きられますようにって、おまじないに……っ」

   じゃ、じゃあドリスも!」

   ああ、好きにするといい」

   わーい! じゃあ早速……」

   ちょ、ちょっと待って下さいっ。なんでドリスちゃんが先なんですかっ」

   え。えぇっ!? いいじゃないですかぁっ。私の体乗っ取ったお返しですっ」

   それとこれとは話が別ですっっ」

   あはは……」



 二人とも、ありがとう……。

 もう、十分やよ……。

 ……。



―――――



「あ、ほら……ヴァーチャー様……」

「夜が明けますよ、ご主人さま」

「……」

「ほら、ご主人さま、見て下さいっ。きれいな朝焼け……」

「ドリスちゃん」

「へ? ……あっ」



「……おやすみなさい、ヴァーチャー様」
「……おやすみなさい、ご主人さまっ」



―――――





 知らない間に、黎明が訪れていた。

 狂悖(きょうぼつ)の夜は明ける。

 やっと、やっと永い、悪夢が終わった。

 夢から覚める。

 悪い夢から今、覚める   





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【メモ-人物】
“ドリス”-2

ヴァーチャー専用ヒロインその2。
嘗てフレデリカに自分の体を差し出し、彼女の魂をそのままガーゴイルに転生させようとしたのだが、間の悪い事に、その最中ヴァーチャーがフレデリカを蘇生させようとしてしまった事で、結果的にヴァーチャーのネクロマンシーを失敗させてしまった。
フレデリカの魂を半分にしてしまった彼女は自身がガーゴイルとして顕現し、残りの半分を返す為にも必死でヴァーチャーを探していた。

魂を返した今、フレデリカと共にヴァーチャーを守り続け、何時か目覚めるその時を待ち続けている……

10/04/09 16:24 Vutur

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