【魔人と聖女】



　俺達はすぐに動いた。
　ゼルは琴を打ち鳴らすのに専念し、その周りを協力者が固める。俺とソニアは、目線で合図し合った後、魔物の集団の中に突っ込む。
「！　ほぉ」
　悪戯に差し込む月明かりの中、ヴァーチャーが意外そうな顔をしたのがちらりと見える。
　俺は周囲を敵に取り囲まれた状況に身を置いて、集中した。
「『貪食者の腸よ、鉄となりて小さき者共を吊るし挙げよ！』」
　口から魔の霧を吐き出し、両手で一気に巻き上げると、それは強靭な魔法の縄となる。俺は人魚の肉を喰らってから、高い魔力を得られた。だがそれを上手く利用するには、それを口から吐き出して魔法を形作るしかなかったのだ。ギルドや賞金首共からは“魔吼”なんて異名が付いたのはその性質の所為。
　俺は魔法の縄の端を握り締め、宙で二、三回反動を付けた後、ベルゼブブの集団に向かって投げた。
　　　　間一髪だった。
　ベルゼブブは、飛び立ってしまえばもうその速さの前には捉えるのは至難の業。集団で、それも地上に居る間に動きを封じ込める必要があった。
　そして今、正に飛び立とうと羽を震わせている瞬間に捉える事が出来たのだ。
　縄はベルゼブブ達を囲み、その身体に絡み付いて動きを止める。事前に、縄には触れた相手に絡み付くよう念を込めておいたのだ。だが奴等は金魚のフンの様に固まっていながらも、宙に浮かぼうとする。咄嗟に手に力を込めるが、浮かび上がったベルゼブブ達は抵抗を続けて宙を暴れ回る。
　俺は思いっきり縄を引っ張る。ベルゼブブの塊は、一際存在感の大きいドラゴンにぶつかり、絡まって、ドラゴン諸共に倒れ込む。
「ソニアッ　　　！」
　俺が合図するまでも無い。その期を逃さず、ソニアは手に光の杭を発現し、奴等に絡まる縄の端を地面に繋ぎ止めた。俺もそれを見て、同じ方法で此方の端も地面に繋ぐ。抑え込まれたドラゴンとベルゼブブ達は、激しく抵抗するが、俺の術はそんな簡単には破れない。
　さて、残りの問題だが　　　俺は振り返る。其処にはエキドナに囲まれた剣士の姿があった。
「……ハッ」
　スヴェンは一笑いし、剣を振り翳す。エキドナ達の魔力に引けを取らぬ剣技で、上手く彼女達を釘付けにしていた。
「流石ですね」
　ソニアが舌を巻く。エキドナは魔力が高い為、魔力の縄が効かない恐れがあった。だからスヴェンはいち早く彼女達を挑発し、なるべくゼル達や俺の傍から遠くへ誘き出したのだ。
　エキドナを足止め出来る実力よりも、此方が何も言わずとも状況に応じて動いた判断力の方に感心したのだろう。

　〜♪……♪

　曲は流れ続けている。
　次第に周囲の魔物達の動きが緩慢になって来たと感じてきた、その時だ。
「　　　ンモァァッ」
　旧時代のミノタウロスさながらに角を振り上げ、駆け抜けていく、ケイフの姉。
　……その矛先は他でもない、ゼルだ。
「いぃっ！？」
　驚異的な身のこなしで迫り来る攻撃を悉く往なしてきたエルロイだが、ミノタウロスの突進をどうにか出来る力など、彼には無い。寧ろ直撃すれば　　　人の事は言えないが　　　その華奢な身体は木っ端微塵に吹き飛ばされるであろう。
　ゼルとの直線上に居る自分に猛烈な勢いで突撃して来るミノタウロスの姿を見た彼は、一頻り葛藤した後、リザードマンの剣撃を躱しつつその場から飛び退く。
　……彼の行動は誰にも責められないだろう。
「バカッ、エルロイ！！」
　チェルニーがゴブリンを蹴飛ばしつつ叫ぶ。咄嗟に彼は、彼女に「どうしろと」と目で反論する。
　だが此処で問題なのは、エルロイですら危機を感じ取って飛び退いたというのに、ゼルは演奏に集中し、目を閉じたまま微動だにしなかった事だ。
　このままでは直撃する……そう覚悟した時だ。
　　　　突如、ミノタウロスの突進が止まった。
　いや、止められたのだ。
　あの巨体から繰り出される、巨人ですら足元を掬われそうなあの勢いを、一体誰が。思わず目を見張っていると、興奮した様な鼻息の中に、訊き慣れた声が小さく震える。
「……ヤキ回ってんじゃねぇぞっ……姉貴……！！」
「ブフゥッ、フゥッ……！！」
　もう一方のミノタウロス、ケイフの声。姉の突進を、妹が止めて見せたのだ。
　この騒乱の中、目を閉じて全く動じなかったゼルが、此処で初めてニコリと笑った。
「お帰り、ケイフ」
「……おう！！」
　その一声と共に繰り出された投げ。　　　姉の体は宙を舞い、頭から地面に突き刺さった。
「はんっ。腹の足しにもならねぇテメェの“お琴”でも、偶には役に立つ事があるんだな！」
「ふふ、ありがとうございます、ケイフ」
「なッ……べ、別に誉めたんじゃねぇっ！　全く、テメェは……」
　どうやらあのミノタウロスはいち早く正気に戻った様だ。なんだかんだと言いながら、あの娘がゼルの音に一番耳を傾けているという証拠だろう。そう言う意味で、ゼルは礼を言ったのだ。
「と、兎も角だッ！　舐めた真似してくれた礼は、彼奴にたっぷりしねぇとなぁ？」
　拳をパキポキと鳴らすケイフ。その鋭い視線の先には、高みの見物と洒落込んだヴァーチャーの姿。
　ヴァーチャーは心底気に入らなそうにその視線に返す。
「……それは楽しみや。歓迎の為に、もっとパーティーを盛り上げようか」
　パチンッ、と指が鳴らされ、響く。周囲に青白い魔法陣が幾つも浮かび上がると、其処からまだ新しい魔物が湧いて出てくる。
　……が、ドラゴンやエキドナ等の大物の姿は出てくる気配はない。
　周りの魔物も自我を取り戻しつつあり、動きが鈍くなっている。
「皆の者っ、もう少しの辛抱だ！　耐え忍んでくれ！！」
　檄を飛ばす。
　更なる苦境を前に、俺達の中で結束が強まった気がした。





――――――――――





　あの方に、また遭えた。

　憧れ続けた、あの方に。

　　　　ずっと想い続けていた、あのひとに。

　私は抑えきれない気持ち胸に抱きながら、そっと自室のベッドに潜る。
　あのひとが、あんなに近かった。身体に残る、あのひとの手の感触を思い出して、顔が熱くなる。お爺様の私室で押し倒された時、喉元に食い込む刃ですら、あの人だと思えば嬉しくて仕方なかった。只々、あのひとの存在が近くて、息が掛る様な距離にいれた事を神に感謝した。
　それに、声。あんなにお喋りする人ではなかったから、ちょっと吃驚したけれど、きっと此処じゃない何処かで良い変化に出会えたんだと思う。

　　　　昔より素敵になっていた、わたしのえいゆうさま。

　子供の頃に買ってもらったウサギのヌイグルミを抱き締める。丁度、あのひとと出会った時に買ってもらったヌイグルミ。子供の頃の思い出を此処に詰め込んでいる。その記憶を取り出して、そっと噛み締める。

　　　　また、会えるなんて。


　けれど、高まった気持ちはすぐに冷たく沈んでいく。
　私は知っていた筈。あの方がずっと苦しんでいた事を。
　いつか私を助けてくれた事で、苦しんでいた事を。
　……もう私も十五の年。皆が隠そうとしても判ってしまう。おじいさま達が何をしているのか。それが、どれだけ邪悪で人を不幸にしているのか。
　……その不幸の矛先に、あの方が居る事も知っていた。
　だから　　　あのひとが教団から抜けたと風の便りに聞いて、嬉しかった。あのひとは聡明で勇気ある人だから、きっとそうするとも期待していた。

　なのに、どうして戻って来たのですか……？

　此処に来てしまえば、きっと貴方でもおじいさまの手に掛ってしまう。

　貴方は、優しい人だから。

　　　　きっと、絆を見捨てられない。


　私はベッドの中で自分を恥じた。気付くと、泣いていた。
　あの時、再会できた時、私は嬉しくて大事な事を言い忘れていた。

　お爺様が貴方を罠に嵌めようとしている事。
　お爺様が貴方を魔物にしてしまおうとしている事
　お爺様が貴方の親友を人質に取ろうとしている事。

　……勿論、あの方は全て知っていて此処に来たのかもしれない。
　けれど……けれど、きっと、何もしないでいたよりも、今の私の心は晴れ渡っていた筈だった。
　そして、何より言いそびれた事。

　あのひとに　　　謝る事くらい、出来た筈なのに。

　情けないよ……ずっと憧れてきた人に何もしてあげられなくて、只苦しんでいるのを見過ごして……他人の振りをして、今はこうしてベッドの中で眠りに就こうとしている。
「……」
　　　　私は決心した。
　私一人でお爺様を止められるかどうかは判らない。けれど、私の前でだけ優しかった、唯一の肉親を信じたい。
　ベッドから飛び降り、寝巻から着替えようとボタンを一つ外したけれど、そんな悠長な暇はきっとない。私はボタンを付け直す時間も惜しんで、只あの時からいつも護身用として持ち歩いている短刀を握る。
　……お爺様が持たせてくれた短刀をお爺様に向ける事になるかもしれない。けれど、きっとそれは今までお爺様を止められなかった、自分への罰なのだろう。
　そう覚悟して、私は部屋から飛び出した。


　けれど　　　何もかも、遅かった。
　集会所に繋がる廊下で私が目にしたのは、さっきとはまるで姿の違う、けれど面影こそあのひとである……
　魔物がいた。
「アハァァァッ……クフッ、クフフ……」
　口から銀色の煙を吐き出し、笑う、鈍尺な黒い影。その背中から、何かが放射線状に伸びている。
　その魔物は、顔を強く抑えて泣いていた。
「ギ……ギャァ……クフフ」
　魔物　　　彼が歩いてきたらしい道を見てみると、色んな様相を呈するグロテクスな赤色が広がっている。元の原形を留めぬ、美しい紅……
「　　　！」
　途端に身体の底から這い上がってくる吐き気。目に入ったその光景が頭で認識出来た時、強い拒絶が起きた。身体に力が入らず、尻餅を着く。今まで簡単にして来た筈の呼吸ですら儘ならない。
「はッ……あぁ……ッ」
　彼が近付いて来る。
　怖い。
　　　　怖い。


「……ゴメ、ン」
　恐ろしさに目を閉じた時、不意に、そんな言葉が聞こえた。
「怖ガらッ……せル……つもリじゃ……ナカッた」
　たどたどしく綴られた言葉。
「守りタ……クテ……ソレ、でッ……」
　見上げる。其処には、姿形は変われども、確かにあのひとが居た。いや、ずっと彼は彼だったのに、私は見掛けだけでそれを見失っていたんだ。
　私はそれに気付く。それだけで、恐怖は何処かに逃げ去って行った。
「あの時の事……？」
　頷く。いつか、彼が私を助けてくれようとした時の事だ。
「いいえ、私こそ……あんなに怖がってしまって、ごめんなさい。貴方様は……私の為に、命を賭けて戦ってくれたのに」
　　　　やっと謝れた。
　ずっと心の何処かで棘の様に刺さっていた言葉が、やっと口から出せた。
　彼は真っ黒に染まった目から、温かい涙を流しながら膝をつく。顔を抑えて、子供の様に泣きじゃくる彼。私は、そんな彼を抱き締める。彼の背に生えた異形が私を気に入らなそうに突き飛ばそうとするけれど、私は彼を離さない。
「……貴方様は」
　貴方様は、自由が似合う人。
「こんな事、望みませんよね……？」
　貴方様は、人間が好きだった。
「私の所為で、こんなお姿になってしまわれて……」
　私は……手に持つ短刀を鞘から抜く。
「ですから、今度は私が貴方様をお救い致します　　　ヴァーチャー様」
　私は神に祈る気持ちで、この手を愛する人の血で汚す事を決心した。
　そして、彼の背に回した刃を振り上げる　　　！


　ドスッ


「　　　え？」
　音がした。
　私はまだ彼に刃を突き立ててはいないのに。
　……刃を突き立てる、音がした。

　なんだか、お腹が痛い。

　生温い感触が広がって行く気がした。鮮烈な鉄の臭いが、鼻を突いた気がした。顔を下げると、私の寝巻が赤く染まって行くのが見えた。
　　　　私の中心を、異国の剣が貫いていた。
「フーッ……フーッ……ッ！！」
　猫が威嚇する様な音を出し、興奮を露わにするヴァーチャー様。剣の柄には、しっかりと彼の両手が添えられていた。
「ヴァー、チャー……さ、ま……？」
　そう名前を呼ぶと、彼は刃を持ち上げ、私の身体を傍の壁に叩き付けた。
「！　……あ、う」
　刃が一層、私に食い込む。
「……ヴァーチャー、さ、ま」
　彼の目は、獣染みた殺意に満ちていた。


　……これでよかったのかもしれない。
　私は、止められる立場でありながら、皆の彼に対する仕打ちを止めてこなかった。彼への扱いに気付いていても、彼はきっと強いからと、彼の強さに甘えて何もしてこなかった。
　彼は誰よりも強くて、誰よりも脆い人だった。誰より傷付きやすかった事に気付いてあげられなかった。
　だから、その報いがこの結末を生んだというのなら、それでよかったと思う。
　これで、彼自身が救われるのなら……


　でも、一つだけ伝えなきゃならない事が、まだ残っている。
　私は残された命の炎を精一杯燃やし、口を、喉を動かす。
「ヴァーチャー……さ、ま……」
　彼は息を荒く、俯いてまだ泣いていた。
「　　　お慕い、して……いました」
　自分の耳に届く程度の声で告白する。
「ずっと……初めて、出会ったとき、から……貴方様の事、を……」
　そう告げた瞬間、体の奥から何かが込み上げ、肺に流れ込む。
「！　ゲホッ、ゲホッ」
　咳き込む。刃が一層私に食い込む。けれど、私は構わず言い続ける。
「……です、けど……あなた、さまを……助けれ……あげられ……」
　舌が、上手く、回らなくなる。
　頭が、しびれて、いく。
　身体が、とても寒い。
「ごめ……なさ……、ヴァー、チャ……さ……」


　貴方が誰にも愛された事がないなんて事、決してない。

　私は、上手く伝える事が出来ただろうか……？


　……只、唯一心残りな事。

　一度でいいから、貴方様の笑顔を私に向けて欲しかった　　　。



―――――



　私は、薄れ行く意識の中で、僅かに目を開く。

　其処に彼の笑顔は無かったけれど、彼の姿は見る見る内に人間に戻って行く。

「　　　フレ……ッ！！　……カ様……ッ！」

　……嬉しい、彼が初めて……

　私の……名前を　　　。



―――――



「　　　聖女様？」
　目の前でぐったりと目を閉じる、美しくも儚い少女。嘗て見惚れた首は、今ではもう圧し折れてしまったかのように垂れ下がっている。
　返事はない。聖女様とは、他でもない彼女の事なのに。
　不思議とスッと消えた、あの不愉快が過ぎる腐蝕感。何があったっけと思いだす。
　うっすらと残った記憶に、嘘のように平然でいられたのは僅かの間だった。
「聖女様……聖女、様……ッ！」
　何度も頭の中を通り過ぎた。光の速さで、何度も何度も。
　　　　俺が、彼女を刺し貫いた事実が。
　認めろと言わんばかりに、執拗に何度もプレイバックされる。ふと自分の手元を見ると、俺の手は人間に……いや、そんなことよりも、俺の手は彼女の腹を貫く刃の柄を力強く握り締めていた。
　咄嗟に離す。彼女は力無く崩れ落ち、壁には血の引き擦り跡が残る。
　俺が人間の姿に戻っているなんて、そんな瑣末な事には構っていられない。彼女を助けなきゃ。昔そうするのが当然だと判断したように、此処でもそう思う。例え、俺が殺そうとしたにせよ、今からでも助かる可能性があるなら諦めて堪るものか。
　迅速な行動が彼女を助ける。冷静になった俺は、一先ず自分の問題を後回しにする事を決め、彼女の介抱に当たる。彼女を地面に寝かせ、剣を……貫く刃が邪魔だ。彼女に負担を与えぬよう、両手で握って圧し折る。業物は握り締めた俺の手に血の線を引いたが、痛みなどとうに忘れたように俺は彼女に治癒を施そうとする。
「彼の者の息吹を奪わさん……！」
　息を吹き返してくれ。
　　　　彼女から、息吹を奪わないでくれ……！
　治癒魔法の詠唱が、自分の心境を強くはっきりとさせた。助けたいという気持ちが嘘偽りも無い事を、この押し潰されそうな不安と期待が証明した。
　こう言う時、魔法は最高の効果を発揮する。だから魔法というのだ。
　だけど　　　何事にも限界がある。
　節度があるのだ。
　国家に法がある様に、人に信念がある様に。
　魔法には、魔法自身を縛るルールがある。
　何度も死体を見てきた。操って来た。だから、判っている。
　もう、助からない命。魂の臭いの無い、肉体。
「聖女様っ　　　！！」
　だけど、俺は彼女を呼び続けた。
「聖女様！！」

　貴方への恋は僕を人間にしてくれた　　　。

「　　　フレデリカ様！！」

　諦めた恋だった。俺には相応しくない愛だった。
　だから、只、遠くで見守って行きたかっただけなのに。
　だから、再会しても素っ気なく返したっていうのに。
　本当は、憶えていてもらって嬉しかったっていうのに。

「フレデリカ様っ、フレデリカ……ッ！」

　……なのに、なんで俺、殺した……？
　え、どうして、俺、殺したんだろう。
　好きだった筈なのに。
　護りたかった筈なのに。

「なんで……俺は、フレデリカを……」

　なんで……。

　只、彼女の幸せだけを望んでいた。
　純粋に、平和である事のみを　　　望んだ。
　俺は、何時の間にかそれを忘れていた。


　だから　　　付け込まれたんだ。


「　　　うおああぁぁぁッ！！」


　悲痛に急がされ、俺は彼女の亡骸から短刀を奪い、自分の喉元に刃を当てた。
　だが、その刃は一向に俺の喉笛を切り裂かない。力を目一杯、それこそ掻き切る程の力ですら動かない。只、血の滴が刃を伝って俺の指を濡らすだけ。
『　　　ごめんね』
　申し訳なさそうな、そんな声。
『貴方が一人ぼっちだと思っていたから』
　頭の中に響く、俺の中の同居人はそう言った。
「なんで……なんでフレデリカを殺した……？」
『ごめんね、ごめんね』
「約束……約束が、違うじゃないかぁ……っ」
『ごめんね、ごめんね』
　しきりにそう謝るだけの同居人。俺は、頸動脈に刃を当てようと首を持って行こうとするが、それすらも同居人の“手”が止める。
「なんで……なんで、俺を殺すのだけ止める！？　なんで死なせてくれないッッ！！」
　問いかける。同居人は返す言葉がなかったのか、それとも単に表現する語彙がなかったのか、只機械人形のように謝るだけ。
『ごめんね、ごめんね』
「なんでフレデリカを殺す時は止めなかったッ！！　なんで俺の身体を乗っ取ったッ！！　なんで……っ！！」
『ごめんね、ごめんね』
「　　　クソォッ！！」
　俺は短刀を地面に叩き付ける。固い音を響かせ、刃に皹が入る。その時の俺は、彼女の亡骸の前で崩れ落ちるしかなかった。
「くそっ……謝りたいのは此方なのに……」
　謝る相手はもうこの世に居ない……。
「フレデリカ……ごめん……、ごめん……なさい……ッ！！」
　魂無き身体に、今は只、泣き縋った　　　。