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決勝

「ホントーに済まなかった」
 闘技場の一室   本当は大会関係者の休憩室であったのだが、其処に足を折り畳んで座る二つの影があった。その前には天衝黒髪の東洋人と、大事そうにマイクを握り締めたエキドナの姿があった。
 東洋人は目に角を立て、体中からピンク色の粘液を垂れ落としながら、申し訳なさそうに足を畳むエルフ   チェルニーに静かに凄む。
「……で? どぉ落とし前をつけるんや? ん?」
「ひぅぅ!? エ、エルロイ〜……ッ」
 エルフは情けない声を上げて隣に視線を向ける。隣で同じく足を畳んで謝意を示すエルロイは黙って頭を下げた。
「悪かった」
「何が?」
「……ローパーをぶつけた件に関して」
 すると其れを聞いた東洋人、ヴァーチャーは業とらしく溜息を吐く。
「そんなことはどうでもいい」
「……え?」
 自分達の負い目と相手の怒りの焦点が合っていないことに戸惑いを見せたエルロイ達の前で、ヴァーチャーはくわっと凄みを増してこう言い放つ。
   童貞扱いされたのが気に食わんっっ」
「……あはは」
 そんなヴァーチャーの横では大会で審判兼実況を勤めているルゼが苦笑する。エルロイは、責めるとまではいかないが、文句を込めた目でチェルニーを睨む。彼女は顔を真っ赤にして肩を震わせていた。
 改めてヴァーチャーがばんばんと机を叩いて、ぶいぶいと喚くには。
「第一なぁ、俺が悪役やったとしよう。んでもって、お前等を嵌める目的が、なんでエルフとキャッキャウフフする事になんねんっっ。お前等、馬鹿じゃないのか!? 何処の大人がそんな目的の為にこんな回りくどい手を使うんやっ」
 エルロイ達はヴァーチャーを疑った。そしてその目的を見立てたのが、今ヴァーチャーが言った事全てで間違いなかった。
 二人は顔を赤くする。改めて考えれば、有り得ないほど稚拙な妄想である。その対象、というか被害にあったヴァーチャーは自分が恥を掻いたと言わんばかりに怒っていた。チェルニーは顔を伏せたまま言葉を漏らす。
「うぅ……だって、貴様がエルロイの本名を知っていたから……つい、目的はさておいて疑ってかかるしかないと思って……」
「目的をさておくなっ、コノヤロー。大体、このお話のお前の第一声を思い出してみろ」
「そ、そんな昔の話、憶えておらんわっ」
 ※最初の話の冒頭で、チェルニーは思いっきりエルロイの名前を呼んでいました。
 開き直りとも取れる言動に呆れ果てた表情のまま、ルゼに目配せをするヴァーチャー。途端、ルゼは口を挟む形でこう説明を切り出す。
「ヴァーチャーさんは外部から招かれた顧問でして、マイテミシア大武闘会を無事に運営する為の武力或いは戦略的なサポートをしていただいている方なのです」
「そうでないと何食わぬ顔で解説席に座ってられるかっ。これでお前等を私的に利用することは出来ない立場やって事くらい判るやろう?」
 ヴァーチャーが最後にそう付け足すと、チェルニーが首を傾げる。
「何故だ?」
 恥も考えず、素直に疑問を投げ掛けて来たのに驚きつつも、ヴァーチャーは険もなく丁寧に教えて掛る。
「自分達で招いた顧問が不始末を起こすのは何処の組織だって面白くないやろう。しかもそいつに不始末を起こされたら、組織って奴は責任の在り処を誰かに求めないと気が済まない。……そういう、メンドイ事にそもそもならないように、俺の行動の一切は監視されていて当然やろう。俺だって、面倒な事になって契約金がパァになるのは面白くない。怪しい行動も慎まざるを得なかったんや」
「はぁ。成程な(……しかし慎んでいたか?)」
 チェルニーが納得しながらも、何処か引っ掛かることがあるような顔をしたが、エルロイはそれを上回り、話を端から信じていないかのように怪訝な顔をした。
「じゃあ、なんで俺等のセコンドに立ったりしたんだよ。それこそ大会自体をややこしくしてるじゃねぇか」
「お前も考えの浅い奴やなぁ。態々、信用のない外部の者をデリケートな運営に招いた意味も考えてみろ。   それだけ切羽詰まってたって事やろう?」
 直ぐにそう呆れ気味に切り返されるが、エルロイはむすっとした表情をヴァーチャーに返すだけだった。
 ヴァーチャーは額から垂れ落ちるローパーの粘液が目に入るのを嫌がりながら語る。(猶ローパーの粘液には催淫作用があるが此処ではヴァーチャーが無効化している。)
「……今大会においてやけど、少々厄介事があったんや」
「厄介事?」
「ああ。『大会を中止しなければ、会場を爆破する。尚、我々が本気である証拠に、開会式の時に会場の一部を爆破する』」
 文面をそのまま読んだかのように放たれた、不穏な一節。その後に続いてヴァーチャーとルゼが、予めリハーサルをこなしていたかのように交互にこう語り始める。
「そんな書簡が送られて来てな。最初は運営委員の誰もが悪戯やと思っていたそうやが、そうでもないらしくてな」
「念の為、私達、大会運営委員は開会式前日、その直前まで爆破物を探していました。なのにそのようなものは全く見付からず、結果開会式典中に小規模ですが爆破が起きました」
「エルロイ達は居なかったから知らなかったやろうけどな。魔力探知、及び魔力による爆破物探知はかなり徹底していた。爆破時も。とすると、相手はかなり有利なカードを握っている事になる。探知出来ない爆破物によって、会場を何時でも爆破出来る状況なんて、な」
「と、同時に相手が本気だということに気付いた運営は急遽その道のプロフェッショナルに来てもらおうという事になりました。それがヴァーチャーさんです」
 ルゼの紹介にヴァーチャーが親指を立てる。エルロイは訝しい表情で耳を立てる。
「……その道って?」
「男には人に語れぬ秘密があってこそ、と謂う事だけー」
 人差し指を唇に立てて見せるヴァーチャーに、エルロイがまだ疑るような目で睨む。チェルニーは今までうんうんと話に頷いていたが、暫く考えが宙に浮いた様子の後、正座のまま喚く。
「ん? ていうか、その話と私達とは何にも関係ないではないかっ」
「いいえっ。バルフォッフ選手達が大会に出場するように仕向けたのはヴァーチャーさんなんですからっ」
 ヴァーチャーが一瞬ルゼの言葉に眉を動かす。
 チェルニーはぽかんとしてしまうが、対してエルロイは矢張りかと溜息を吐いた。
「……どうしてかは後で訊くとして、どうやって俺等を手玉にとったんだよ? 名軍士殿」
「名軍士じゃなくても簡単や。君等が泊まる宿屋を事前に調べておいて、其処に大会の告知を載せた新聞を置くだけ」
「それだけ?」
「それだけ。現に君等はエサに食いついたやろ?」
 ニシシ、と悪戯が成功した子供のように笑うヴァーチャーだが、何処か自信は喪失しているように見える。エルロイは一瞬考える素振りを見せたが、直ぐに気不味そうに唸る。
「あー。まぁ、どうして俺等がその話に乗ると判ったかは、大体想像出来るぜ」
「そりゃ、察しのいい事で」
「ん? なんでだ?」
 ……エルロイを大会に出場するように強く推した人物がピンときていない様子だったが、その場の全員がスルーした。

 控室の高級そうな絨毯に粘液が染み込むのを嫌がって地団太を踏むヴァーチャー。
「しかし、名前といえば」
 不意に思い出したように言う。
「慌てたでー……お前、偽名やったんか」
 苦笑を向けられたエルロイはばつ悪そうに返す。
「ああ……まぁ、今はもうエルロイで通しているケドな」
「余計ややこしいわ。会場に来た君等をずっと監視していたんやけど、チェルニーがお前のことエルロイって呼ぶから、てっきり俺が名前を覚え間違えていたのかと思っていた。……此処だけの話、名前憶えるの苦手でな」
(……そういえば俺に声掛けてきたとき、名前を言うのにちょっと手間取っていたっけ。ゼルに対しては名前聞いたかどうかも憶えてなかったし……)
 エルロイがそう振り返りながら、ヴァーチャーの言葉に矛盾がない事を確かめる。少し冷静さを取り戻してきた自分に気付き、深い呼吸を取った。どうやら自分はこの厄介な男を少しだけ戸惑わせることが出来たらしい。自分を誇らしく思うと、余裕も湧き出してきたのだった。
 ヴァーチャーはエルロイの警戒が薄まったことをくどく確かめるように頷く。そして饒舌に思えるほどにこう話し始める。
「おま……君等に来てもらったのは、言い方を良くすれば、何も気取られないままに協力してもらおうと思ったからや」
「悪く言えば、利用、だろ?」
 エルロイが唾を吐く真似をしてみせると、ヴァーチャーが苦しい笑みを見せる。
「悪いな。でも知らないで貰った方が助かったのは事実なんや。少なくとも、決勝までは」
「……一々思わせぶりなのも面倒だ。さっさと説明しろ!」
 眉を顰めるチェルニーがそう急かすと、「悪かった」とばかりにヴァーチャーは笑った。つくづく緊張感のない男だ、とエルロイは正座を止めて胡坐を掻く。
「判ったよ。此処から一気に説明しよう。   結局、予選は行ってしまっている以上、折角参加しようとしている選手に大会中止を言い渡すのは申し訳ない。ていうか、参加者の殆んどが魔物なので大会を中止にした後の事を考えた方が怖い。……(性的な意味で)食べ物の恨みは怖いからなぁ。やから運営は大会を開催する方向に決めた訳や。爆破に関しては心配ない、最初の爆破の規模が小さかったのを見て犯人の目的は大会の中止ではなく、大会の優勝賞金やと俺が進言したのもあるな。とすれば、犯人はなんらかの形で大会に参加して、優勝を狙う筈や」
「ふむふむ」
「しかし爆破物が見付からないとすると、犯人は内部にいるかもしれない。やから大会に参加しているかもしれない犯人を見付けるには、改めて外部の人間が大会に参加して貰った方が良かったのさ。……因みにこんな緩い大会、大した手を使わなくても確実に優勝までくるやろうから、優勝まで来た奴が犯人って事になる訳よ」
 ヴァーチャーはそう言ってへらへらと笑って見せた。チェルニーは真剣な振りを顔で示す。
「と言う事は、エルロイは犯人ではないから今日の決勝戦の相手が犯人という訳だなっ」
「そ♪ だからエルロイには決勝まで行ってくれなきゃ困っていた訳」
「ん……でも大会運営に関わる貴様が、二回戦までだが、エルロイのセコンドに立っていたが大丈夫なのか?」
 チェルニーの目が輝いているのを、エルロイは横目で確認する。チェルニーは若干頭が弱いが、正義感に溢れていることには違いないのだ。悪だと言われれば、猪みたいに喧嘩を売るのは目に見えている。
 ヴァーチャーは片方で指を振りながら、もう片手で垂れ下がる粘液を取り去る。
「大会の運営に関わると参加は無理やが、セコンドくらいは大丈夫や。大会運営の内情を知るのと、大会で特定の参加者を優勝させられるかは関係ないやろ?」
「まぁ、よくよく考えてみればそうだが……(この国は決まりが緩いのか厳しいのかよく判らんな)」
 チェルニーが先ほどの試合で必死に訴え出た要求が受け入れられなかった事をぼんやりと思い出しながらそう思う。其処でエルロイは光明が見えたかのように張り切って口を開く。
   兎に角これで俺等は不戦勝って訳だな?」
「うん?」
「だって、相手は脅してきた犯罪者だぜ? 後はそっちでとっ捕まえて、はいお終い、じゃねぇか」
 エルロイは話を聞き終えたとばかりに立ち上がり、腰布に付いた誇りを払う。チェルニーも其れを見てせっせと立ち上がってスカートを叩くが、ヴァーチャーは額の粘液を指で再び取り浚いながら、本題は今からと言わんばかりの口調で言い放つ。
「……言い忘れていたケド、優勝までしてくれなきゃ困るんや」
「はぁ? なんで?」
 緩んでいたエルロイ達の緊張が一気に張り詰める。ヴァーチャーとルゼは互いに一瞥し合う。其処には一瞬「此方が聞きたい」という気拙さが漂った。
「実は間の悪いことに、此処の国王が今大会から“運営は大会参加者に対し、如何なる理由、その者が大会進行を脅かす者であっても、権限を揮ってこれに対する試合の参加を一切阻むものではない”っていうルールを敷いたんや」
「……つまり相手が脅迫犯でも、試合が控えている限り手が出せないという訳です」
 大会運営委員の二人、ヴァーチャーとルゼが苦笑いしながら語る。エルロイは顔を真っ青にしてうつむく。
「ってことは……俺、もう一回やらなきゃいけないの?」
「そうやな」
「そうですね」
「………」
 二人が口を揃える。チェルニーは頬を染める。脳裏に準決勝までにエルロイが受けた度重なる仕打ちが過ぎった以上、必死に大会運営の二人にこう訴えかけた。
「なっ……何故だっ! そ、そんなの、貴様等が、こう……上手く誤魔化してやればだなぁ」
「ルールを無視してとっ捕まえるくらいの根性、見せろって?」
「そう!」
 ヴァーチャーとルゼは互いの顔を見合わせる。
「……別に保身に回っている訳じゃないんやけど……」
「ええ……」
「? な、何か出来ない事情があるというのか?」
「まぁ……契約金がパァになるのは勘弁、みたいな」
「私だって後数百年はこの大会を楽しみたいですし、クビは勘弁です」
   がっつり保身に回ってるではないかっ」
 チェルニーが一喝すると、ヴァーチャー達も難しい交渉に出向くような神妙な表情を示す。
「無暗に行動起こしたら、慰謝料も払わないといけない立場なんや。雇われている以上、雇い主の一番望む形で仕事をしなきゃいけないのよ、俺は」
「私の場合は……普段は遺跡に住んでいるんですが、生活していくにはこういう仕事もしなきゃいけなくて。仕事を失う覚悟は致しかねます」
「……まぁ、確かに人それぞれ事情はあるかもだけどよぉ。俺等の事も考えてくれよな」
 理解を示すエルロイがそんな風に言うのに、二人はキョトンしてみせる。二人からはどうやら自分の事は二の次にしか考えられていないことを察したエルロイは引き攣った笑顔を見せる。
「相手はどんな手を使ってでも勝ち抜いてきたんだろ? だったら、決勝の相手の俺に対しては一番酷い手を使ってくるんじゃねぇのか」
 だがヴァーチャーはそれをあっさりとこう否定する。
「ああ、そうかもしれんけど、それはないな」
「どうして?」
「お前の試合運びを見ていて、大掛かりな策が必要とは思わないだろうから」
「………」
 エルロイに、それを否定する要素は思い浮かばなかった。



――――――――――



 ヴァーチャー達との話を終え、ホテルに帰ったエルロイはウォーターベッドに飛び込む。ひんやりとしながら形を望むままに変えるそれに、潤いに似た癒しを感じていた。
「ひゃぁ〜。生き返るぜぇ」
「エルロイ、風呂はどうする?」
 チェルニーが手を後ろに結んで言う。エルロイは海面から顔を出す亀のように頭を持ち上げる。
「いや、向こう(闘技場)で入ったからいいぜ」
「そうか。なら私が入るからな」
「お〜う」
 億劫な返事をするエルロイに対し、チェルニーは少し緊張した面持ちでバスルームに入っていった。
 エルロイは首の辺りに手を当てて、不意に今日の対戦相手のローパーの事を思い出す。
(……そういえばヴァーチャーは、あの子は誰かに無理矢理ローパーにさせられたって言っていたな)
 ごろん、と仰向けになって、まだ違和感の残る首を摩りながら心配に思う。
(あの子、あれからどうなるんだろうな。ヴァーチャーは「ローパーとして生きる他ないし、彼女自身もそれを享受する他許されない」って言ってたけど)
 あの子をローパーにした奴は、一体どんな気持ちだったんだろう。   エルロイはぼんやりと考えたまま、まどろんでいた。

 するとバスルームの扉が開く音が響く。この前見たチェルニーの風呂上りの姿を一瞬で思い出し、エルロイは一気に目が覚めた気がした。体を持ち上げる。
 バスローブに身を包み、ほんのりと赤みを帯びた肌。立ち上る湯気。まるで発作を起こし、サキュバスとして目覚める寸前の様な淫靡さ。
 だがそんなエルロイの予想に反し、出てきたチェルニーは   全裸だった。
「ぶっっ」
 思わず吹き出し、ベッドに身を沈めるエルロイ。そんな彼の反応にチェルニーは納得いかない表情を示した。
「なんだ、その反応は。せ、折角サービスしてやっているのに……だなっ」
「違うんだなぁ。男は、単純な全裸にはロマンを感じない生き物なんだなぁ」
 と、言っているエルロイだったが、その白い顔には赤が滲んでいた。心臓も張り切って動き出している。それがなんだか気恥ずかしくも思ってきた。
「む……そ、そうなのか。よく判らんな……」
「で、でも……そのっ!」
 意を決して、ばさっとベッドから起き上がるエルロイ。眼前には、全身の火照った肌を曝け出す女神の姿があった。胸は薄いが、それでも腰のラインは洗練されていて……大会で対峙したどの魔物よりも、エルロイの劣情に訴えかけるものがあった。
「ほ、本当に綺麗、だ……どの女よりも、その」
「……ま、前っ、洞窟でもそんな事を言って……そもそも、私が喜ぶとでも思うのかっ!ふ、ふん!あ、生憎だがっ、貴様に言われてもちっとも嬉しくなんかないんだからなっっ!」
 そう突っ撥ねながらも、その肌の紅潮は明らかに増していた。エルロイは何時ものことだが彼女に態度にしょげてみせる。
「そっか。う、嬉しくないか」
「………」
 エルロイが顔を落すと、チェルニーが不意にベッドによじ登って来る……
「え? お、おい」
「……嘘だ」
「何?」
「嘘なのだ。実は……凄く嬉しかった――この前だって」
 そう告白しながら、エルロイの腕の中に頭を突っ込むチェルニー。エルロイはそれを受け入れながらも、少し戸惑う。
「なっ、なんでお前はっ……そうやって、嘘ばっか言うかなぁ……っ!?」
「な……き、貴様こそこれぐらいの事、嘘だと気付けっ。……こんなに一緒に居るのに……何故そんな事も判らないのだ……っ」
 チェルニーはエルロイの腕に抱かれながら、拳を打ち付けて反抗の意思を見せる。だがその力はとても弱い。
「……実の所、私にも判らない。けど、胸の辺りがきゅーって締め付けられると……自分でも知らない内に言葉が出てしまっているのだ。特に、貴様と居ると……だから、貴様の所為なんだぞ……貴様の   
「………」
 エルロイは入念に深呼吸をしてみせてから、彼女を抱き寄せる。
「何時かの……洞窟での続きが   したい」
 予想外にも、チェルニーからの誘いだった。エルロイは思わず顔を背ける。興奮のあまり、鼻の穴が膨らんではいまいかと心配になったのだ。
「どうしたのだ? ……いやなのか?」
 涙目になってそう尋ねるチェルニーに、エルロイは半笑い(興奮の為テンパッている)で答える。
「い、いや、そうじゃねぇ。只、俺の冴え渡る経験則ではこういう場面に限って邪魔者がだなぁ」
 エルロイがそう口に出すと、チェルニーも本当に不安げな顔を見せる。念の為に入口に鍵が閉まっている事を確認し、窓も確認した。暫く其処等中の壁に耳を当てて気配も探った。入念な下準備が可能な行動力に、自分でも驚きながらエルロイは宣言する。
「大丈夫だ! いけるぞ、チェルニー!」
 何がだよ、と心の中で自分に突っ込むエルロイ。だが……
   あ、あの」
 途端にチェルニーが言い辛そうに口を開く。
「あの……や、やっぱり、明日にしないか……?」
「そうだな! 明日に……   え?」
 上機嫌な振る舞いが一転、お預けを食らった犬の様な顔になるエルロイ。チェルニーはシーツに包まって、恥ずかしそうに裸体を隠していた。
「そのっ。ヴァ、ヴァーチャーに聞いたのだっ。エルロイが、私の為に優勝しようとしているって。だっ、だから……そろそろ貰ってもらおうと思ったのだが……」
 最後の言葉の後、顔を真っ赤にしてシーツに隠れる。その瞬間エルロイは思わず頭を押さえる。
    妙な事しやがって……ありがとうよ、この野郎。
 心の中でニヤ付きながらエルロイはヴァーチャーを罵倒した。
 しかしシーツから顔の半分を出したチェルニーは、打って変わって柳眉を下げる。
「その……済まない。てっきり貴様が棄権しなかったのは、金に目が眩んだからだと思っていた。許して欲しい」
「いいって。確かに、優勝賞金も目的ではあったからな」
「その……で、だ! エ、エッチ……な事は……あ、明日にとっておこうかと思って、な。明日はエルロイが頑張るのだし、私も明日“頑張る”からな……っ」
 シーツで隠されながらも、その下では足が閉じられて太股が擦り合わされているのが伺える。何時もは刺すような視線を送ってくる癖に、今では内気な少女のようにちらちらとエルロイの反応を窺う姿。何時もの強気且つ自信過剰な女とは違う。本当の意味で無垢な姿を目の前に曝される。
 エルロイは思った。『俺、明日二つ以上の意味で超頑張る』
   うっしゃぁぁーっっ!!やぁってやるぜぇぇっ」
 漲ってくるリビドー的な力とかなんかそんなぼんやりさせたい感じの衝動に打ち震え、闘志を肉眼で観測出来るまでに燃やすエルロイに、続けてチェルニーが謙虚にこう言う。
「そ、その……我慢出来ないのだったら、今からでも――」
「いいや、明日にしようっ! 明日優勝して、それからお前をゆっくりとですね」
「そ、そっか……ふふ」
 そうして夜は更け……決勝戦は早朝から始まる   



――――――――――



「いよいよこの日がやってまいりました」
 実況の声が静かに響き渡る。会場には不気味な静けさが漂っていた。
「マイテミシア大武闘会、決勝戦。此処で男性の方が勝ち進んでこられたのは、久し振りとのことです」
 ……静かに銅鑼が打ち鳴らされ始める。
「そして今、此処マイテミシア闘技場にて歴史の一ページが刻まれようとしています。皆さんはその目撃者となるべくして、此処にいらっしゃるのです!」

 オオォォォッ

 観客席から、嘗てない熱気と歓声が上がる。今までの試合とは桁外れの人数が、桁外れの期待を寄せる決勝に、選手入場口に控えるエルロイは溜息を吐いた。
「確か今日の相手はあのダークエルフだったな」
 先日の試合でヴァーチャーの名前を出さなかったにしろ、エルロイ達が彼を疑う切っ掛けを語った人物。刺激的なボンテージを着飾った、褐色のエルフ。チェルニーは眉を顰める。
 一晩経てば、チェルニーはすっかり元に戻っていた。
「そうだな。そもそも、昨日粘液塗れのヴァーチャーに説教食らわされたのはあの女の所為なのだ! 今日は存分にタコにしてもいいぞっ、エルロイ」
「……確かに、今日ばかりはちゃんとやらないとダメだな。攻撃を躊躇してられない」
 エルロイはそっと鉄扇を抜く。一枚一枚の羽根を指でなぞり、歪みがないかを確認する。手の中で開閉を繰り返した後、先を掌に包んだ。
 チェルニーに勝利を捧げる為に手段は選ばない。昨日の場面では兎も角、今は本当に決勝という大切な場面。相手も手段は選ばないだろう。此処で躊躇を見せる訳にはいかない、という事を試合前に心掛ける。
 するとそんなとき、昨日とは違うスーツを着込んだヴァーチャーが姿を現した。
「決勝を目前にしてバルフォッフ選手、今の心境は?」
 そう問いかけ、ちくわを口元に突き出す。
「……お前、いいのかよ」
「何が?」
「決勝相手は脅してきた犯人なんだろ? こっちで俺等とつるんでると厄介なことにならねぇか?」
 ちくわが目の前でぶらぶらと左右に撓る。眉をぴくぴくと動かしてちくわの挙動に苛立ちを示すエルロイに対し、ヴァーチャーはからかう顔そのままで答える。
「ああ。どうせ向こうは気付いているやろうし、一緒やろ?」
「……ああ、そうか」
 昨日、あのダークエルフはエルロイに対して妙なアプローチを仕掛けてきた。あれは一種の警告だったのだろう。
 ヴァーチャーは突き出していたちくわを口に放り込むと、エルロイに手を差し伸べる。
「俺は解説席に居るが、もう準決勝みたいにお前を突き放すことはしない。今回は堂々と同盟を結ぼうやないか」
「あぁはいはい。どうめーね」
「む、連れないな。まぁいいけど」
 適当に握手を交わすエルロイに、ヴァーチャーは眉を下げて寂しさをアピールしながら彼から離れる。徐に会場に顔を出して、観客の勢いに目を丸くしていた。
「おぉ……人が一杯やー」

「………」
 その背後でチェルニーがエルロイにこう囁きかける。
「なぁ……エルロイは気にならないか?」
「あんだよ、改まって」
「いや、昨日のヴァーチャー達の話、何かおかしいと思わなかったりしないか?」
 彼女の表情。空色の透き通った瞳には一片の曇りはない。
 冗談ではないと思いながらも、エルロイはこう返す。
「んー、特におかしな点はなかったと思うぜ。矛盾もねぇ気がするけど……まぁ、気付いてねぇだけかも知れねぇが」
「いや……何か、こう……何かおかしい気がするのだ。……なんだろう? 言葉では言い表せられんのだが……むぅ」
 手で何かを造形しながらも、最後はそう唸り、黙ってしまう。エルロイは後頭部に痒みを感じながらチェルニーにこう言う。
「別に疑ってかかるのはいいけどよぉ。今んとこ、俺等の側から見られるもんなんて限られてんだ。利用されてんのは癪だが、ヴァーチャーの話に乗って損はねぇと思うぜ? まぁ、今んとこだけど」
「……そうだな。済まない、今から試合だというのに、変なことを言って」
 エルロイは不意に素直に謝られてどきっとしてしまう。なんだかこの大会の間にチェルニーが素直になってきた気がするのは気の所為だろうか? そう疑ったのだった。



 実況のルゼはこの時だけ舞台の上にあがり、マイクを片手に熱く声を張り上げる。
「ではいよいよ決勝戦を取り行いたいと存じます! まずは……」
 素手を選手入場口に向けると、魂を込めるかのように叫び、マイクを振り上げる。

「決勝に上り詰めるまでに幾多の戦士達のプライドを根底からへし折り、今や彼女の家畜同然に成り下がらせた……   ダークエルフのヘザー!!」
 オオォォォッ
 歓声の嵐。その中を悠然と歩きながら、褐色のエルフは入場口から姿を現す。映えるルージュは常に余裕の笑みを絶やさない。その手には、実況のルゼが言うように数多の男達を屈伏させた皮の鞭が黒く光っていた。

「続いてぇっ。なんと、決勝まで勝ち進んで来られた男性はかなり久しいということですっ。その久々に決勝まで勝ち進んで来られた猛者! 決して自力ではなく、準決勝以外殆んど運とかノリとかそんな曖昧な実力で勝ち進み、彼女の前で醜態を曝け出すことも厭わなかった! そんな所をみると、猛者というより寧ろへたれ! そう、彼はへたれの極みなのですっ。皆さん、この勇敢なへたれを盛大な拍手でお迎えください……   エルロイ=バルフォッフ!!」
(紹介に悪意があるっ!?)
 失笑の嵐。その中を気拙そうに歩みを進めるエルロイ。ルゼに対し言いたい事は山積みだが、今は試合に集中しなければならない。

 懐に扇を備え、舞台に立つエルロイ。対峙するダークエルフ、ヘザーは手の甲を返し、口元に据えるとこう言い放つ。
「あらあら……来ちゃったの、坊や」
「はん。別にテメェ等に恨みはねぇが、俺の邪魔するんなら悪巧みもろとも潰してやんぜ」
「ふふん、何のことかしらー?」
 惚ける気は更々ない、といった感じに言って見せるヘザー。ルゼの目も鋭く光る。
「……では、マイテミシア大武闘会決勝戦……   開始っ」
 ドーン。盛大に銅鑼が鳴らされた。



    スパァンッ
 自在に撓る黒い蛇がその身を打ち鳴らす。エルロイは扇で決してそれを受け止めたりはしない。持前の身のこなしでそれを交わす。
 試合開始が告げられてから黙々と舞台の上では様子見が続いていた。不用意に言葉も交わさずに戦闘は始まったのだったが、時偶に一触即発と言った具合で今までは続いていた。
『……凄いですね』
 実況解説席に場所を変えたルゼが思わず漏らす。ヴァーチャーは嬉しそうにこう返す。
『へぇ、ルゼさんにも分かりますか』
『はい。住んでいる遺跡にも良く鞭使いが来ますから。……鞭は迂闊に受け止めれば巻き取られて動きを封じられますからね。まともに防御出来ることも少ない。交すのが一番なのは判るんですが、手練さんの鞭は交せなくてついつい目覚めそうになるまで喰らっちゃうんですよね』
『目覚めるかどうかはさておいて、あの鞭は中距離用ですね。近距離タイプのバルフォッフ選手にとって回避能力はあって然るべきですが、何分鉄扇という特殊な武器を使っている以上、リーチの差でヘザー選手の方が有利かと思われます。間合いに詰められれば、鞭のリーチから外れるんですが、あの手の鞭使いは近距離でもいけるように逆手にしてナイフを持っているでしょう?』
 ヴァーチャーの解説に、ルゼはヘザーの鞭を持たない手を見る。粗末だが、其処にはナイフと呼べるものが逆手に握られていた。
『おお、確かにありますね』
『あれは牽制用です。実際は接近戦に持ち込まれると体術と鞭を組み合わせて首を絞めたり、相手を拘束したりするんです。ほら、鞭を掴まれて成す術もなくダイレクトアタックされて沈むなんて悲惨じゃないですか。その時にナイフを扱えればかなり話は違うくなるでしょう? 短剣は高速近接戦闘の主役ですからね。拘束した後首を掻き切ったりするのにも逆手でナイフを握っておくことは便利なんですよ』
『ですが殺しは反則負けである以上、相手を拘束することは今大会において非常にネックです。鞭は実用的な意味でも性的な意味でも一番今大会に向いている武器ではないでしょうか』
『向いているといえば……バルフォッフ選手の服の形状はダンサー特有で、ひらひらの布が多い。これって、接近戦で不意な死角が出来やすいんですよ』
『ほえーそうなんですか』
『ですがバルフォッフ選手、迂闊に接近戦には持ち込めないのを判っている様子。素人と思っていましたが、中々いい勘をもっています。ですが、バルフォッフ選手だって近距離は得意分野の筈です。死角の出来やすいダンサーの服を最大限に利用すれば、十分接近戦で勝利することは可能ですね、今の所は』
『成程ー。なんだか私、この大会で長く審判を務めさせていただいているんですが、今、始めてまともに仕事している気がします。これは気の所為でしょうか?』
『気の所為だとしたら今までのはなんだ、て話ですけどねー』

 舞台の上では様子見も終えた二人が熾烈な争いを繰り広げる。その中に、呑気な実況と解説の声が響き渡る。
 一旦膠着状態に入ると、ヘザーが柳眉を逆立ててこう言い放つ。
「……あの解説、ほんっと此方に都合の悪いことばかり言うわね。(こっちのタネまでばらすなんて、えこひいきが過ぎるわよ)」
 エルロイはヴァーチャーのアドバイスを受け、扇を広げて舞台の上を舞い狂う。元々は踊りを優雅に見せる為の流し布であったが、それが戦闘の役に立つことをこのとき初めて知ったのだ。
 そして、戦闘の場で踊りを見せるエルロイの動きを、ヘザーは捉え辛く思っていた。
「………」
 パシィンッ、と鞭が地面を打った。確かに相手を狙ったつもりだったのだが、いつの間にか場所を移動していたようだ。
 もう一度、緩急の付いた動きの先を予測して打ってみる。
 だがエルロイは悉く予想に反した動きを見せてそれを交わすのだ。まるで宙を舞う綿埃の様に、近付くものから遠ざかる。そして不意に見せる表情で、ヘザーを嘲笑うのだ。
 そのエルロイが見せつける余裕に、彼女は憤怒するどころか舌を巻いた。
「面白いわ……私の鞭から逃げるなんて、家畜の癖に生意気じゃない」
 ヘザーは鞭を一旦静まらせ、両手を向かい合わせる。呼吸を落ち着かせると、静かに宙に模様を描く。指先で描かれた図形は空中に光となって留まるのだった。
(魔法! ヴァーチャー!)
 エルロイは魔法に対して全く無知だ。無意識にヴァーチャーに視線を配すると、ヴァーチャーは解説席から立ち上がって目を剥いていた。
『ルーン使いですか……。あれはティールですね』
 上矢印に似る模様をそう語るヴァーチャー。
『ヴァーチャーさん、私ルーンに疎くて……どういったものなのでしょうか』
 嘘である。遺跡在住で長い年月を経てあらゆる冒険者達を討ち返してきたエキドナだ。ルーンについての知識に疎い筈がなかった。
 だがその辺はヴァーチャーも判っていて、明らかにその言葉は舞台の上のエルロイに向けられる。
『ルーンとはゴーレム技術にも広く使われている文字としてはご存じの筈ですが、その文字単体で意味をなす言語としては稀にみられるものです。その昔、自分の体を世界樹で貫き、自分を生贄として自分に捧げたなんとかっていう神が編み出したといわれる文字です。それに因んで“自分の内面”を引き出す力がある』
『詰まり、ルーン使いは大体ステータス上昇のドーピング能力な訳ですねー』
『基本はそうですね。ですが実際は応用の仕方でどんな効果も期待できます。最近のルーンは進んでますからねー』
 少し茶番染みているが、エルロイにはこの上なく親切な講義である。ヴァーチャーは一瞬苦い顔をしながらも続ける。
『(何かこのやり取り馬鹿馬鹿しくなってきた……)因みにティールは武器の加護とか、戦い、勇気なんかの加護があります。戦闘中のドーピングではよく使われているルーンかと思います。武器に刻めば耐久力も上がるし、冒険者には身近ですね。あ、因みに発音や読み方は学派、学者によっても異なる事がありますので、会場の皆様方に誤解を招いたのであれば申し訳ありません』
『成程。ヘザー選手はパワーアップしたようですが、此処でバルフォッフ選手はどうでるのか』

 解説のやり取りを耳にしたエルロイは一先ず心を落ち着かせる。あれが攻撃魔法でないのなら、直ぐに間合いを詰めて攻撃しておけばよかったと惜しく思う。宙に浮いたルーンを静かに胸の中に取り込んだヘザーは、途端にヴァーチャーを睨み付けた。
「……ちょっと、解説者さん。私に恨みでもあるのかしら?」
『はい?』
「私の術を無遠慮に暴かないで頂戴。すっごく気が悪いわ」
 ヴァーチャーはにやっと笑う。ヘザーは無駄と悟り、すぐさまエルロイに構える。
「……まぁ、貴方達がグルなのは知ってるから、言っても無駄だとは思うけど」
 ヘザーの体が僅かに輝く。ルーンを体の中に取り込み、能力が強化されたらしいことが伺える。
 そして鞭を振り上げる。エルロイは身構えた……   
『! 馬鹿、下がれ!』
「えっ」
 ヴァーチャーの怒号。エルロイは反射的に下がる。目の前に何かが通る。すっと頬を風が切った。
 紙一重。いや、エルロイの白き頬に真っ赤な線が引かれていた。ヘザーの鞭は、何時の間にかエルロイに降り下げられていたのだ。
「あら、残念」
 そう言ってみせる。エルロイはひたりと頬に手を当て、べっとりと絡みつく真紅を確認し、戦慄する。
(! えげつねぇ……風圧で切れやがった)
 だがそう頭で考えたエルロイを否定するかのようにヴァーチャーは言う。
『一説には撓る鞭の先端は音速を超えているとも言われます。そのエネルギーのまま空気を切れば、負圧が生じてもおかしくはないでしょうが、実際はそんな事はない。今のは掠ったのに気付かないほど早かったんですよ』
『え? ですが、いくら身体能力があがろうが、鞭ですから、力の具合は関係ないのでは?』
『違いますね。あれは武器にも加護を付けているんですよ。強化された所為で冗談じゃなく音速いってますね。まともに食らえば魔力レジストのない人間は真っ二つかも知れません』

 ヘザーは溜息を吐くと、目にも止まらぬ速さで鞭を叩き付ける。地面がパァン、と弾けた。
 エルロイの目に一瞬怯えが浮かんだが、自分の後ろではチェルニーが居る。両手を祈るように重ね合わせている。見なくても判る。だから怯えている風には見せまいと、必死でヘザーを睨み付けるのだ。
「良い目をしてるわね。ゾクゾクしてきちゃうわ……その目が直ぐに、私に対する服従の色を帯びて……そう思うと、今から楽しみ」
「言ってろ」
 そう呟くと、エルロイの瞼が急に落ち込む。ヘザーが注視していると、エルロイは扇を手首で返しながらステップを踏む。そして体をうねらせながら、ヘザーの周りを踊り始めた。
 ヘザーはその尖った耳を触る。エルロイの舞をみて、不思議な音楽が聞こえた気がしたのだ。まるでエルフの故郷を思い起こさせる、幻想的な曲が。きっとそれは頭の中の奥深い所に仕舞われた本能なのだろうか。それを引っ張り出された気分   悪くなかった。
「……!」
 スパァンッ。
 エルロイの足元の地面が抉れる。
 だがその脅しに屈することなくエルロイは踊り続ける。その指先、爪先、全てに神経を張りつめさせ、いちいちを美しい曲線に見せようと動き回る。そしてヘザーに徐々に近付いていくのだ。
 ヘザーは必死に音速の鞭を揮うが、エルロイはそれをいとも容易く掻い潜る。余裕を見せつけるその動きにヘザーが逆上して動きが単調になれば、エルロイがヘザーに詰め寄る切欠となる。
   くっ」
 鉄がぶつかる音が響く。火花が散った。エルロイの鉄扇が折り畳まれ、ヘザーを捉える。ヘザーがナイフでそれを防いだのだ。
 何度も何度もエルロイは鉄扇を振り回し、ヘザーを攻め立てる。ヘザーは攻められると弱いらしく、ナイフで防ぎながらもじりじりと後退していくのだった。魔物でも女性の力では、矢張り男の力には敵わない。
「エルロイ! その調子だー」
 チェルニーの黄色い声援に、エルロイはにたりと笑う。ヘザーはそれを見て眉を下げた。

「……貴方は彼女の為に優勝したいの?」
 苛烈な攻撃を防ぎながら問うヘザー。
「ああ」
 頷きながらも、責め手を緩めないエルロイ。ヘザーはふっと視線を落とした。
「そう   
 するとヘザーは   エルロイの鳩尾に膝蹴りを入れた。
 柔らかいエルロイの体に膝蓋骨の隆起が抉り込まれる。突然の反撃に身構えていなかったらしいエルロイは「ぐふっ」と声を漏らし、腹を押えてよろよろとヘザーから距離を取る。
「! エルロイ、下がるなっ」
 チェルニーの声があっても、怯み状態から回復する事は容易くない。ヘザーは鞭を振り上げる。
 だが、ヘザーはエルロイの隙を突く事はなく、静かに語り始める。
「私もね、優勝したいの。でも優勝出来た先が貴方達みたいにある訳じゃない。どんな手を使ってでも優勝しなきゃいけないのだけれど、それには私は檻の中にいなきゃダメなの」
「はぁ? 何言ってやがる……けほっ」
 エルロイが怯みから回復し、そう言い放つ。ヘザーは鞭を降ろす。
「貴方、あのローパーの娘と戦った時、倒せたのに躊躇したわね」
「……何の事か判らねぇな」
 エルロイは余裕振りながら返す。ヘザーは満足げに笑んだ。
「あれは何? 偽善なの? それとも欺瞞? 女の子に優しくしたつもりになって、得意になっているの?」
「何を言っているのか判らねぇ」
「ローパーに成り果てた人間の女の子を憐れんだから? 何れにせよ、そんなの有り難くもなんともないわよ。当人にとっては」
 エルロイは眉間をヒクつかせる。目の前の女は面白くない冗談を自分で言った事に驚いている様子で、只彼を見詰めていた。
 エルロイは昨晩ぼんやりと考えていたローパーの話を思い出し、再びまどろみに身を委ねてみる。自分に問いかける。
 返ってきた言葉を、そのまま口に出す。
   勝手に可哀相だなんて思ってやることの方がどうかしてるぜ。確かに成りたくもないのにローパーにされちまったのは可哀相だけど、どういう生き方するかは当人次第だろ? この先がない訳じゃねぇ」
 真っ白な瞳でヘザーを見通す。
「アンタさ、若しかして自分が可哀相とか思ってるんじゃないだろうな?」
 ヘザーの表情が曇る。途端に手の甲を口元に引きよせ、視線を斜め横に向ける。
「……どうしてそう思ったのかしら?」
「俺の経験則。クズはクズを作りたがる」
「………」
「自分をクズだと思ってる奴は他人をクズ呼ばわりして自分を落ち着かせる。自分を可哀相だと思う奴も、同じ。多分誰もが持っている汚い部分だ。……俺も適当な生き方をしている身でこんなこと言えた義理じゃねぇけど……生きていくのに、必要なものなんて意外とちっぽけなもんなんだぜ? ローパーだろうがなんだろうが、生きてさえいれば、きっといい事あると俺は思う。なんせ、俺も惰性で生きてきて幸運の女神を捕まえた男だしなっ」
「〜〜〜っ」
 チェルニーが湯気を立ち昇らせて何か言いたげに唸るが、エルロイは今が楽しくてしょうがないという風に笑う。ヘザーはその態度が気に入らない。鼻で笑う。
「ふん。ずっと惚気てなさいな」
 そう呟いて、鞭を再度振り上げて地面を打つ。
   決めたわ、エルロイ君。君を私の永遠のペットにしてあげる。誰よりも哀れでみすぼらしいペットに、ね」
「遠慮するぜ」
「そんな連れない事、言わないで……?」
 風を切る音。エルロイは咄嗟にしゃがむ。頭上を風が通り過ぎた。
 だが続いてヘザーは腕をぐるりと回す。黒い蛇が円を描くと、その尾を打ち付けてくる。エルロイは横に転がって交すが、それは彼を追ってホップするように地面を抉っていく。さながらその鞭の動きはコミカルでいて捉え辛いものであった。
『あれは俺でも捉え辛いですねー』
 ヴァーチャーがその攻撃に舌を巻く。エルロイは飛びのいて、相手のリーチから逃れた。
「どうしたの!? もうばてたのかしら!?」
「………」
 エルロイが手を振る。ヘザーの目の前に石飛礫が舞う。それは、ヘザーが散々地面を抉った際に生まれたものだった。
   !?」
 鞭を掻い潜って顔に飛来する石を、咄嗟に交すヘザー。
 だが次の瞬間にはエルロイの鉄扇が日の光に照らされて迫るのだった。

    甲高い音。ヘザーは殆んど無意識下でエルロイの一撃を止めた。
『おお、上手い。鞭は、剣とかの固い武器と違って攻撃を撃ち落とせませんからね。飛び道具はナイフで払うなら避けた方がいい。この時の一瞬、嫌でも攻撃の手が緩まる訳です』
『流石、此処まで純粋な戦闘で勝ち上がった事の無かったバルフォッフ選手。卑怯な手はお手の物です!』
(だから、実況に悪意がっ!?)
 エルロイが鉄扇で攻め立てる。ヘザーは蹴りで反撃するが、エルロイのまるで踊りながらの攻撃に空振りが目立つ。
 一方、エルロイの攻撃を三発ほど肩にもらったヘザーは鞭の中間をナイフの手で持つと、両手間に張らせた鞭をエルロイの攻撃に合わせて彼の腕に巻き付けた。エルロイがそれに気付いたと同時にその体が宙に浮く。視界がグルンと回って、背中を地面に打ち付けた。
 片方の腕を取られて、ヘザーに背負い投げを食らったのだ。
「い……っ」
 エルロイが呻く。昨日もこんな風に地面を背中で感じた。そんなデジャブを見ながら意識を戻すと、目の前にはヘザーの褐色の足……その肉感質な曲線美の先に、白い隆起が見えた。
   う」
 今はそんなものをまじまじと鑑賞している場合ではない。ヘザーが足を上げる。エルロイの視界を隠し、彼女のピンヒールの裏   つまり、尖った踵が彼の目に入る。
「いっ!?」
 一気に地面に突き刺さる踵。エルロイは寸での所で腰を捻る。あのまま彼女の秘所に見とれていれば、間違いなく目玉に踵を突き刺されるところだった。
 危機一髪。汗が服の裏に滲む。慌てて距離を取ったエルロイは、自分が決定打を欠いている事を薄々感じ取っていた。
「はぁ……くそっ」
「うふふ……女の子に足蹴にされるのは、嫌いじゃないって聞いていたけど?」
「そ、そんな踵で踏まれたら死ぬだろうがっ」
   バルフォッフ選手は善戦しています』
 ヴァーチャーがぼそりと言う。
『ですが、所詮素人。相手とは場数が違う。幾らなんでも、回避力と咄嗟の機転をポテンシャル全開で出しても、差がありすぎます』
「なっ」
 響いた解説に、チェルニーが耳を震わせる。
「何を言っているのだっ。それはエルロイが負けると言う事か!」
「チェルニー。気に入らねぇが、事実だ」
 エルロイがヴァーチャーを遠い目で見詰めて語る。
「……この前のチンピラ共を伸したのも、殆んどが彼奴の力だった。今の相手は、あの時のチンピラとは訳が違うんだ。戦闘経験どころか、喧嘩だってこの前の一回しかやったことのない俺が勝てる見込みは、多分ねぇよ」
「しかし……エ、エルロイは……その……踊りが上手いではないかっ」
   関係ねぇって、自分でも判ってるだろ?」
 自嘲気味に言う。初日、舞踏会と武闘会を間違えていた事に気付いた時、チェルニーは「示すものは違うが、貴様なら出来る」と彼を励ましたのだ。勿論、関係ない事は判っていた。
 だがチェルニーは気付く。あの時掛けた言葉は、エルロイを安心させたかったのではない。エルロイに不安要素がない事を自分に言い聞かせたかったのだ。エルロイは強い。負ける訳ないと、心の中で想いたかった。
「……そんな事、ない! エルロイは強い!」
 そうヤケクソ気味に叫ぶチェルニー。だがエルロイは鼻で笑う。
「ああ。負けるつもりはねぇ」
「……   

 だがチェルニーにとって残酷な事に、彼女の目の前にはエルロイの言葉ではなく、ヴァーチャーの言葉の方が現実に迫っていたのだった。
「ぐわっ」
 エルロイの体に鞭が打たれる。此処で初めてヘザーの攻撃が決まったが、エルロイ側の攻撃とは一線を画す威力であった。胸に打たれた箇所は服の上から判るほど腫れ上がり、血が滲んでいた。
 痺れる様な痛み。エルロイは痛みに慣れていない。手で押さえ、苦悶の表情を浮かべる。
「くぅ……イテェ」
「へぇ。素人の癖に、咄嗟に攻撃を受け流すぐらいの器用さはあるのね」
「へっ……まともに食らえば真っ二つって、誰かさんから聞いたんでね」
「そう。じゃあ、今の間に貴方にルーンを刻み込んだって事は聞いてるのかしら?」
 にたりと笑んで、エルロイの傷口を指さすヘザー。エルロイはそれを聞いて、全身から血の気が引くのを感じた。ヴァーチャーが苦い顔をする。
(! 成程……あれほどのルーン使いなら、攻撃と同時に相手にルーンを刻むのもお手のもんか。これは計算外だった)
「ヴァ、ヴァーチャー……?」
 チェルニーがそのヴァーチャーの表情を見てしまう。その途端に募るのが、恐怖。恐怖。

「なんだ、これ……?」
 エルロイの傷口のある辺りから、光で形取られたルーンが浮かぶ。直線的な形である。
『ヴァーチャーさん。あのルーンは?』
『……イス、ですかね』
 ヴァーチャーははっきりしないまま答える。するとヘザーが勝ち誇った表情をヴァーチャーに傾けるのだ。
「教えてあげるわ、解説者さん。あのルーンは魔力的には立身って意味があるのだけど……文字にはいちいち、成り立ちや文字単体の意味があるのよ」
『イスの意味? ……氷』
 そうヴァーチャーが呟くと、ヘザーが正解と言わんばかりに微笑む。その瞬間、エルロイの体がそのルーンの部分から氷に覆われ始めたのだ。
 ピキピキと氷が侵食する音を聞きながら、エルロイは必死に振り払おうとする。だがあっという間に氷はエルロイの首から下の自由を奪ったのだった。
「ぐあっ!? くそっ……」
 エルロイはヘザーを睨み付ける。対して余裕を見せる彼女は、首から上だけを氷の中から出すエルロイに近付いて行く……
「エルロイ!?」
 チェルニーが叫ぶ。エルロイは必死にもがいているが、動いているのは首から上だけ。ヘザーはそんなエルロイの頬をそっと撫で、囁きかける。
「どういう生き方をするかは当人次第。確かにそうね。でもね、好きに生きられない人もいるのよ? 貴方みたいな自由なる旅人と違ってね。……あら、今はもう捕らわれの身だったわね」
 エルロイは首を振ってその手を払うと、こう言い返す。
「はん、自由だって? 元々俺等だって大して自由じゃねぇさ。金もない、寝る場所もない。危険だってあるんだ。だから与えられた自由の中で好き勝手に生きるだけ」
「じゃあ、籠の鳥を哀れに思わない?」
「思わないね」
 即答する。ヘザーは柳眉を顰めた。
「どうして?」
「誰かに飼われれば、俺等と違って食い物には困らねぇし、金だって持つ必要がねぇだろ。夜は安心して眠れる」
 それを聞くと、ヘザーは聞くに堪えない世迷話だと言わんばかりに顔を顰める。
「救いようのない馬鹿ね。籠の鳥は、籠から出たいと願っても出れないじゃない」
「そんときゃ飼い主の手を噛めよ。   
 ヘザーは一歩下がった。彼女自身、今の問い掛けには正しい返答などない筈だったのだ。だがそれを目の前の男はあっさりと答えてしまい、動揺を見せる。
「か、噛んだらどうなるのか判らないの?」
「噛んで、檻から逃げればいい。その代り毎日の安心と安全を失う。その覚悟が出来るか否かだろうが、問題は」
「………」
 暫く考え込む仕草をして、ヘザーは嘆きを呟いた。
「ホントに、ペットっていうのは可哀相ね」
 そしてナイフを握り直す。観客が静まり返る……
「だから……   貴方が羨ましいわ」
「そうかい」
 刃が煌めき、褐色の肌から掲げられる   その瞬間。



「止めろぉっ!」
   おふっ」
 悲痛な叫びと共に繰り出された飛び蹴りが、ヘザーの横っ面に炸裂する。かなり勢いが付いていたようで、ヘザーはそのまま場外に吹っ飛ばされ、体に土を付けたのだった。



「「………え?」」



 会場、実況、解説、出場者……この場の殆んどの人間魔物が、一人のエルフの行動に、呆気に取られる。彼女は息を荒げ、それでも堂々と舞台に上がり込んでいた。

 やがてエルロイは我に返ると、何を考えて舞台に立っているのか判らないこの女に喚き立てる。
「……はっ!? テ、テメェ……!? な、ななな……なんで舞台に上がってきてんだよッッ」
 するとチェルニーの方もカチンと来たようで、半べそをかきながら逆上する。
「ぐすッ……な、なんだッ、その言い方は! 折角助けてやったと言うのにッ」
「いやいやいや!? テメェが上がってきたら、反則負けだろうがよ!?」
 セコンドが舞台に上がったら反則負けになる。はっきりと明言されてはいないが、考えたらあって当然のルール。エルロイは責め立てるようにそう言い放った。
 暫しの沈黙。
   あぁッ!!?」
「何が「あぁッ」だっ。一体どういうつもりなんだよっ、テメェ!」
「わ、わわ……忘れてたのだ……ッ!!」
「馬鹿   ッ」
 エルロイの怒号が、マイクを通さずとも会場を揺らす。観客も唖然としている中、ヘザーが舞台に這いあがってくる。それを指差して、チェルニーは泣きそうな顔で叫ぶ。
「だ、だって! あの女がエルロイの首にナイフを……っ」
「貴方、殺しは反則負けってルール、知らないの? 後、別にナイフを首に宛てた覚えはないわよ」
 豚を見る様な冷たい目でチェルニーを睨み付けるダークエルフが、其処に居た。
「あうう……じゃ、じゃあ、何をしようとしていたのだ!?」
 往生際の悪いチェルニーの問い掛けに、ヘザーは怒りを込めた笑顔でこう答える。
「ナイフでエルロイ君の股間の氷を剥いで、調教しようかと」
「うわーんっ! この大会、こんなのばっかりだーっ」
『……チェルニーさん、判り切った事をこの場で改めて叫びました』
 淡々とした表情のまま、ルゼが言う。エルロイが必死にルゼに尋ねる。
「え? これ俺の負け? 俺の負けっ!?」
『そりゃま、当然……ねぇ?』
 ルゼが当たり前だと言わんばかりに言い放つ。エルロイとチェルニーがとても微妙な気分になりながら項垂れるその耳に、改めてルゼの声が響く。
『では……バルフォッフ選手のセコンドが舞台に上がり込み公平さを欠いた為、この勝負、バルフォッフ選手は反則負けとし……』



   待った!』



 ルゼが勝敗を告げるのを遮り、会場に声が響く。   ヴァーチャーだ。
 ルゼが状況を理解出来ないと言う風に、隣の解説者に視線を向ける。ヴァーチャーは自信に満ち溢れた表情で、どん、と解説席に分厚い本を開く。それはこの大会のルールブックだった。
 ヴァーチャーは脇目も振らず、膨大なページ数を誇るらしいその書物を捲っていき……やがて、あるページでその目が光った。
『……ルゼさん。ちょいちょい……』
 内緒話でも始めるかのような小さい声がマイクに拾われる。そっとルールブックのある項目を指し示す。ルゼが顔を寄せてそれを見ると、一気に表情が変わった。
 そして一つ咳払いしてから、気を取り直してマイクに声を入れる。
『ゴホンッ。失礼しました……この勝負……』
 観客席が知れた結果を改めて聞く気はないという意思を露骨に示し、ざわつき始める。エルロイ達も顔を真っ青にしてピクリとも動かない。だが、次に言い放たれたのは……!
   エルロイ=バルフォッフ選手の勝利!!』



 会場にマイクの甲高い音が残る。一気に会場は水を打ったように静まり返って……
「「   えぇぇぇっ!!?」」
 ……観客達と舞台に立つ三人の声が重なり、空の雲を一気に散らせた。

「なんでっ。どういう事???」
「反則だろ、どうみてもっ」
 観客席から疑問の声が上がる。勝利を告げられたエルロイ達でさえも、耳を疑っている状況だ。その中でも、ヘザーは冷静に実況解説の声を聞こうとする。
『……おっほん。それは私の口から説明しよう』
 偉そうに立ち上がり、マイクにそう声を入れるヴァーチャー。妙に自信のある態度。エルロイ達は「誰の真似?」と思いながらおし黙る。
 ヴァーチャーはルールブックに視線を送りながら語り始める。
『今大会において、“セコンドが舞台に上がれば反則負け”は皆々様方の承知の通りであると思われます。しかしながらこれは、ルールブックに則って言えば、セコンドが試合中に舞台の上に“立つと”反則負けなのであります。(だからチェルニーが舞台に身を乗り出そうが反則負けにはならなかった)』
「なんだ、どう言う事だ!?」
『お静かに……一方、“場外負け”というのも、皆々様方にとって殆んど当り前のルールでありますが、これも詳しく言えば試合中に“全身が舞台の外に出たら”負けなのであります』
 会場がどよめく。ヴァーチャーの言っている意味が判らないでいるらしいチェルニーが、あたふたと会場を見回し、不安げな表情を見せる。
「え、あの。エ、エルロイ……どう言う事なのだ? 彼奴は……」
「………」
「? エルロイ?」
 返答のないエルロイにチェルニーが再度呼び掛けるが、反応がない。どうやら予想外の事態に頭が付いて行けず、思考停止しているようだ。
「つまり、私の負けの方が早く決まったのよ」
 エルロイの代わりにヘザーがチェルニーの問いに答える。チェルニーはそれを聞くが訳が判らず、ヴァーチャーに向く。

『此処で“舞台の外”とは、舞台で囲まれた場所から無限上空よりも外である、と考えられます。よって、“飛び”蹴りを喰らわせたチェルニー様が“舞台に着地する前”にヘザー選手は全身が場外に出てしまっておりましたので、チェルニー様は勝負が決した後に舞台に立ったと判断出来ます。よってこの判定が下されました。どうかご理解の程を宜しくお願い致します』
 其れを聞いた観客は混乱に陥りながらも、好き勝手に喚き始める   

「勝った……のか?」
 目を丸くするチェルニーが、疑うように口になぞる。エルロイは未だ氷漬けのまま放心状態である。
 ヘザーが呼吸を震わせ、自分を落ち着けようと息を吐く。
「やられたわ。ルールの穴を見事に衝かれたわ」
 まだ気持ちの整理が落ち着いていないチェルニーが、なけなしの元気でこう言い放つ。
「と、当然だっ。わ、私はエルロイに幸運を齎す存在なのだからなっ」
(……さっき思いっきり焦っていたじゃないの)
 其処でヘザーはチラリと解説者席の方を見る。……何時の間にか、ヴァーチャーは忽然と姿を消していたのだった。



――――――――――



(ちっ。あのダークエルフ……しくじりやがって)
 会場の廊下を颯爽と歩くのは、この大会の運営委員の席に列していた一人の男であった。
(そもそも、なんなんだっ。あのヴァーチャーとかいう巫山戯た名前の傭兵崩れは! あの男め……有名な縦横家かなんだかしらんが、俺の計画を邪魔しやがって)
「宰相、此方です」
 フルフェイスの鎧に身を包んだ取り巻きが手を差し伸べる。男はそれに頷き、通路を角に曲がった。……その向こうは闘技場の外に繋がっているのだった。
 男は必死に笑みを作る。
(ふふ、見てろよ……今から闘技場はドカンだ。あのダークエルフもろとも、俺が関与した証拠はなくなる……   !)
 試合が終われば、この男が使役していたダークエルフは運営に取り押さえられる。男はあのダークエルフが自分に義理立てするとは露とも思っていない。実際それは事実だ。
 だから此処で闘技場を爆破し、ダークエルフもろとも消し去れば、幾らでもこの男は自身の悪行を彼女になすりつける事が出来るのだった。
 今は爆破の為に自身の安全を確保している所。ツカツカと慌ただしい足取りで闘技場の外に出ると、肩から荷が下りた気分がしながらも、服の中にじっとりとした汗が絡みつくのだった。自分でも判っているが、直視したくはないのだ。これは、企みが失敗した悪あがきであると言う事には。
 その気分を払拭したい一念で笑い声をあげる。
「ふふ……ははは! さぁ、これで全部なくなったことになる! 爆破しろっ」
 男の合図。傍に使えていたらしいフードをかぶった魔術師は頷く。

   甘いな」
 その手が魔力を帯び始める前に声が響く。男は眉を顰めた。聞いたことのある声。今の所一番顔を合わせたくない野郎の声だった。
「すぐに全部なくなったことになる……果たしてホントにそうかな? くふふ」
 薄ら笑いを浮かべたヴァーチャーが彼等の前に姿を現す。その両腰の双剣は抜かれていない。男を含め、取り巻きが一気に殺気立つ。
「貴様……何故此処に!?」
「此方の台詞ですよ、閣下。もう大会もフィナーレだ。見ては行かれないのですか?」
「減らず口を! 構わん、切り殺せ!」
 男の声に取り巻き   フルアーマーの戦士達が剣や斧を持つ。ヴァーチャーは縮瞳し、口の端を持ち上げた。
「切り殺す? 切り殺すってどういう事か判って口にしているか? くくっ」
「でやぁっ」
 笑みを漏らすヴァーチャーに大斧を叩き付ける戦士。激しく血が地面に散らばる。

 だが次に悲鳴を上げるのは耳障りで太い声。大斧を取り落とし、男はよろよろと膝を折る。その向こうに見えたものは、ヴァーチャーの鋭い刃であった。
「無知な餓鬼共。よく見ておけ。これが切り殺すということ。相手に膝を付かせ、地面を拝ませ、そして……」
    刃がまるで、鳥の様に宙を舞う。音もなく剣閃が通る。
「首を落とす」
 呆気ない。そうも言いたげに表情を歓喜に染めるヴァーチャー。刃を持つ腕を大きく開き、酔ったように天を仰ぐ。
「はぁぁ……どうも、悪い癖だ。物事の道理も判らん餓鬼にいつもイラついてしまう。これじゃあ弱い者虐めじゃあないか」
 転げ落ちた肉の塊を足で蹴りあげる。男の足元に落ちる。ぎょっとして下がる。まるで汚らわしい物を見る目で鉄に覆われたそれを見下ろし、背後で魔術師に怒鳴る。
「! 何をしているっ。早く爆破しろっ」
 しかし、魔術師は困惑の顔を見せる。男はそれが指し示す意味を把握しかねた。
 其処でヴァーチャーがゆらりと体を揺らした。
「これは一見勧善懲悪の構図に見えるが、勘違いするなよ? 俺がお前を此処で待ち伏せする意味なんて本当はない……これがどう言う事か、理解出来るか?」
「何を言っているか判らんな。さっさと爆破しろと言っているだろう!」
 男がそう叫んだ瞬間、何かに気が付く素振りを見せる。ヴァーチャーはにたりと笑む。
「そう。爆弾はもうとっくに見付けて処理してるんだわ。見付けさえすれば、黙らせるのは簡単やった。もっと周到な爆弾の作り方を教えてやろうか?」
「宰相っ、此処はお逃げ下さいっ」
 男の周りに戦士が囲む。   その横には逃げ道があった。
 だが男の足はしがらみに捕らわれ続けていた。爆破出来ない以上、このまま逃げたってどうせ自分の悪事はばれる。そして自分は裁判を免れない。此処に居て何が出来るという事ではない。逃げた先に待つ未来に絶望し、足が動かないのだ。
 ヴァーチャーは首を倒す。
「……もう一度言おうか? 俺が此処に待ち伏せる意味、ホントはないんだ。どうせ何処に逃げようが、お前は捕まる。ではどうしてヴァーチャーは此処に居るんでしょーか?」
 確かに、爆弾は解除されている以上、ヴァーチャーが態々この場で彼等を拘束する意味はない。此処で逃がしてしまっても、どうせ何処かで捕まるだろうし、本当は彼には興味のないことの筈なのだ。
「くっ」
 ヴァーチャーの醸し出す異様な雰囲気に戦士達が怖気づく。そして……ヴァーチャーはこう言った。
「勧善懲悪の話だったら、俺は此処でお前等を少々痛めつけてやってから屯所に突き出す訳だ。だが、現実は残酷……そんな上手い話はない」
 鋭い刃が血で濡れて光る。
「あんな温い戦いじゃ満足出来ない。   殺し合いのショーなんだ。誰か死んでくれないと、なぁ?」
 その言葉で一気に殺気が押し広がる。戦士達がそれに感応したのか、武器を振り上げ、ヴァーチャーに襲いかかった。
 閃きの後、戦士達は一様に地面に倒れ込む。ヴァーチャーは剣に付いた血を振り払う。
「微温い」
 残るのは男と魔術師だったが、魔術師は戦士達を一刀の下に散ったのを見て駆け出す。ヴァーチャーはそれを目で追う……以前に、腕を振った。
   ぐあっ」
 魔術師がそう呻いて、地面に倒れ伏す。首の後ろにはナイフが突き刺さっていた。
「逃げられる訳ないだろう? お前等が喧嘩を売った相手、良く見ろよ。くふふっ」
 ヴァーチャーの目が男に向く。男は最早生きた心地がしなかった。
「な、何故だっ。何故こんな事を……!」
 向けられた刃に、男は腰を抜かせる。
「どうせお前はよそ者だろうっ。何故こんな余計な事を。だ、誰に頼まれたっ」
 それに対してヴァーチャーは、酷く頭の悪い人間を相手にしているような煩わしそうな顔をした。
「誰にも頼まれちゃいない。これは、飽くまでナンセンス(無意義)な殺戮」
「じゃあ、何故!?」
 何故かと問われると困る、と言ったような表情をして見せるヴァーチャーだったが、直ぐにこう返して見せた。
「俺は、さ。無意味に命を蹂躙するなんて事は、なんて罪深い事なのだろうと思うんだわ。特に……想い合う二人を引き裂くなんて、万死に値する罪だと思う」
 まるで何時か食べた御馳走を思い浮かべる様な表情をして語る。
「その中でも……そうだな。折角自分で間を取り持ったカップルとか。折角積み上げたトランプタワーを指一つで崩す瞬間のあの切なさに似ているよ。まぁ、積み木崩しって奴かな。あれは実に楽しいよ。病み付きになる」
「な、何を……!」
「フフフ……実は今、狙ってる獲物が居てね。果実は十分に熟れさせてから頂いた方がいいとは判っているんだけど。我慢、出来なくて。ついつい、こうやって自分を慰めているって訳よ。   ……弱い者虐め、で」
「な……なっ」
 男は悟った。目の前に居る男は人間ではない。いうなれば、旧時代の魔物、それに例えられる凶悪性   殺人鬼、なのだ。
「さて、お喋りも終わりにしよう。そろそろ脳髄ぶちまけてオネンネして下さいね、閣下」
「ひぃっ」
 男が身じろぐ。鬼の剣が振り上げられる。
    その時



「止めておけ、ヴァーチャー」
 若い男の声。振り下ろされようとした剣が止まった。
 ヴァーチャーの背後には青いマントの男が立っていた。亜麻色の髪が風に揺れる。ヴァーチャーは旧友に向ける笑顔を作り、その男に振り返る。
「ゲーテ」
 そう名を呼ばれた学者風の男は懐から一枚の封筒を取り出す。真っ白で一片の汚れのない封筒だ。
「これで機嫌を直せ」
 それをヴァーチャーに放り投げる。ヴァーチャーはそれを受け取ると、興味深そうに裏表を返して見るのだった。
「なんや、これ?」
「そろそろ終わらせたい。お互い、追い駆けっこなんてしていられる歳じゃないだろう」
 決心したような顔でゲーテがそう語ると、ヴァーチャーは安堵したような安らかな表情を見せる。
「そうか? 何時までも童心忘れるべからず、やと思うケドな」
「なら大人としての節度を保て。   中にも書いているが……」
「判っている」
 口で、と言うよりも目でそう語り合うと、ゲーテはあっさりと立ち去る。その場に残されたのはヴァーチャーと男。男はゲーテの登場に望みを見出したのだったが、そのゲーテは彼を助けることなく立ち去ってしまった。一気に絶望の底に突き落とされる。
「そ、そんなっ」
 ヴァーチャーは男を見る。男はその視線に息を止めた。
 だが次の瞬間ヴァーチャーが口にしたのは、男にとって予想外の言葉だった。
「何か機嫌がいいから、見逃してやる。行けよ」
「! え……っ」
「行けっつってんだろー。気が変わっても知らんぞ」
 一転、先ほどの殺人鬼の表情が、今は朗らかになっている。男は突拍子もなく身の危険が去ったというような奇妙な感覚に陥りながら立ち上がり、全力で走り去って行った。
 その場に一人、ぽつんと残されたヴァーチャーは剣を仕舞い込み、終始ニヤニヤしているのだった。
「そうか、そうか。やっと決心が付いたか、ゲーテ。そろそろ俺の話は終わる訳や」
 そう譫言の様に呟きながら、まだ未開封の封筒を掲げる。音を立てて火に包まれた。
「さて、俺の命運はどうなることやら」








    余話に続く

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【メモ-人物】
“ルゼ”

マイテミシア大武闘会で長年審判を務めてきたエキドナ。舞台の上で繰り広げられる数々の熱い戦いをその目で見続けてきたが、中身を開ければいつも舞台の上で息を荒げている視姦趣味者。綺麗な言い方をするとヤるより見る方が好き。
これからもずっとこの大会の審判をしながら眼福に預かり続けたいと思っている。

秘かに全試合のVTRを記録しており、今大会でもっともエキサイティングだった試合をMVPとして勝手に決めるのが楽しみになっている。
何百年もラブラブなままの旦那がいるが、多忙の為ご無沙汰らしい。

最近マイクの形がエロイという事に気付いた。

09/12/25 23:59 Vutur

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