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プロローグ

 それは少し前の事である。スヴェンは、その当時、南洋正教会に属する騎士の一人であった。彼は教会の大いなる教えに感銘を受け、そして只、神という存在に奉仕するために剣をとり、その腕を磨いていた。

 それは少し前までの事である。彼は元々勤勉な青年で、そして才があったのだろう。その剣の腕は比類なき成長を遂げ、やがて南洋正教会における名誉騎士の名を戴かんとする所まで成長した。
 その時の彼は、自身の名誉の前に、教会の正義を信じきっていたのかもしれない。そう、それは少し前までの   
 
 ある日、教会内で誰が一番の手練かを競う、競技会のようなものがあった。無論、彼は周りの温かな推薦により、出場者名簿に名を連ねたのだった。
 そして、彼は見事に教会内での“最強”を証明し得たのだ。
 だが、彼は気付いてはいなかった。彼がそれを勝ち取るまでに倒した相手に、教会内に利権を利かせる者が複数居た事に。
 思えば、あの時から彼の周りには暗雲が立ち込めていた。彼自身は高い所に立っている気で居たかもしれないが、落ちる所まで落ちて見上げてみれば、彼の周りにはハイエナのように狡猾な悪意が目を光らせていたのだった。
 


 そして、あの日こそが、彼にとっての落日と成り得たのだ……



 
『その手に告げる事無かれ』





 その日は久々の遠征任務だった。都から離れ、山中をうろつくのは辛いが、俺にとってこれは試練のようなものだった。やりこなせば、必ず自分の身に良いこととなって帰ってくる。
 というのも、この間剣の腕を競う競技会で優勝したこともあって、周りは俺のことを褒め称えてくれている。平民出の俺だが、今では貴族様から話し掛けて下さることも多くなった。そして遂に、名誉騎士の名も頂けたのだ。
 それもこれも、自ら率先して遠方に出立する事が実を結んだからに違いない。

 俺は今まで名誉が欲しいと思ったことはなく、只俺は教会に勤めることで、我々の生活を守ってくださる我々の神に御奉仕したいと思っているだけだ。同僚達は俺の本気を察して笑うけれど、大切な事だと俺は信じている。
 そしていつの間にか、俺はかなり敬虔な信奉者の部類と見られるようになった。


   グリューネヴァルト」
 列を成す騎士の中に居た俺を呼んだのは、今回の遠征の指揮を担当する貴族様だった。俺はどうやら、この前の功績で名前を覚えてもらっているらしい。
「! はいっ」
 俺が返事をすると、その貴族様は馬の上から俺を見下げてこう言った。
「今回の遠征は、この私が指揮官として勤めるが、貴様には副官として勤めてもらう旨が総会から届いている」
……え!?」
「なんだ、不満なのか?」
「い、いえ! 誠に光栄であります!」
 俺は突然下された役目を前に驚いて、思わず敬礼してそう返すと、貴族様は目を細める。……ほくそ笑んだように見えなくも無い。
「そうか。では、向こうに着いたら隊を分ける。貴様には、少数だが斥候を勤めてきてもらいたい」
「はいっ!」
 俺はそうお達しを受けて、嬉しくなってしまう。何故なら、此れこそが神へのご奉仕と成り得るのだから。


 ・・・・・・・・・・・・・・・     
 ・・・・・・・・・     
 ・・・・・・     


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    身体が急浮上する感覚とともに、頭痛が走る。思わず頭を押さえる際、身体が鉛のように重たく感じられた。
「ん……くそっ、頭が……
 ……俺は、一体どうしてしまったのだろう。斥候を勤めている最中、急に視界が回転して……   気付けば、俺が手を付いている地面には鮮烈な赤が滲んでいたのだった。
……っ!?」
 慌てて周囲を見渡す。   あれ。此処は、何処だ。なにやら、妙に赤が目に付く。くそ、目が霞む。
 ぼんやりと、建物のようなモノが向こうに見える。此処は人の住処なのだろうか。だとしたら、倒れている俺を見てどうして介抱しようとしなかったのだろうか。
 ……何か、おかしい。この鼻に突く匂い。肌にねっとりと絡み付く嫌な気配。何処か得体のしれない視線のようなものすら感じてくる。
 倉皇している内に目の霞が晴れて行って……   
 


   っ!!?」
 俺は、目を疑った。霞が晴れた先には   血の海に沈んだ集落があったのだ。
 咄嗟に目を背けたが、鮮烈な風景は頭に焼きつき、執拗にプレイバックされる。
 一目見てわかった。これは虐殺の跡だ。
 息を整え、もう一度見遣る。何度見ても、其処には夥しい数の死体が積もっていた。彼方此方に足の踏み場もない程に、まるで森で木の枝が落ちているかのように転がっている。
 突然こんな状況に放り出されて、戸惑わない者などいるだろうか。身じろいだ俺の手に、ふと何か当たるものがあった。
 驚いて、思わず見てしまう。   其処には、まだ幼い少女が亡骸と成っていた。
「ひ、酷い   っ」
 異教徒共との抗争に慣れた俺は死体など見飽きている。時には奴らの非道な行いに涙を飲んだ事もあった。その時さえこんな気分にはならなかった。俺はこの場に満ちる悪意そのものに、激しく吐き気を催したのだった。
 このとき、俺はまだ自分の状況が判っていなかったのだろう。俺はこの惨状に目を疑い、憤りを憶え、悪意に嫌悪した・・・・・・。それだけで、自分が何故此処にいるのか、考える事はしなかったのだ。

 やがて、気付く事があった。体が自棄に軽いのだ。
 目線を自分に向けてみると、着ていた筈の鎧がない。だが、まるで見付けてくれと言わんばかりに俺の横には血に塗れた剣が横たわっていた。剣を引き寄せる。手に赤い感触が滲む。
 これは……俺の剣だ。騎士になり、初任給で買ったもの。此奴と一緒に教団内で神へと御奉仕賜っていたのだ。
 愛着のある剣だからなくなってなくてよかったと思ったが、滴り落ちる血の滴が俺の服を赤く染めた瞬間に、そんなことよりも考えるべき事がある事に気付く。
    なんで俺の剣が血塗れなんだ?
 俺は剣を鞘から抜き出す。刃にはしっかりと血糊が付いていて、もう使い物にはならないと知った。と、同時に体中から血の気が引く。
    まさか、此処にある死体は……
 そう思ったが、すぐにそれはないと考え直す。意識の無い状態で、こんな事出来る訳が無い。そう自分に言い聞かせる。じゃあ、なんで俺の剣が血塗れなのか、説明がつかない事には必死に目を瞑った。
 だがそうしながらも、やがて行き着く答えがあった。あの貴族様が浮かべた表情。今考えれば、あれは間違いなく、ほくそ笑んだのだ、と。
「! ま、まさか……っ、ハメられ……た?」
 俄かには信じがたい推測。何故鎧がなくなっているのか。何故俺の剣に血が付いているのか。そして、この惨劇の中、一人だけ立っているのは   何故、俺なのか。
 


 ガサガサッ 
   !」
 自身の置かれた状況に仮説を立てて一人で戦慄している俺の、背後の茂みがそう音を立てる。俺は咄嗟に剣を片手に体勢を立て直し、振り向く。其処には俺と同じ教会騎士の鎧を着けた者が居た。
「良かった・・・・・・!」
 一人じゃないと思うと、思わず声に出る。俺は混乱しながら彼らに声を掛けようとした。
 だが……
   
 ガサガサッ
 奴等は何も言わずに茂みから足を出す。考え過ぎだろうか、その足取りは、まるで俺が逃げ出す前に捕まえようとするほど早い。只、その無言とフードに隠れた表情に込められた奇妙な威圧が、一気に俺を恐怖のどん底へと突き落とす。
 じっとしていてはダメな気がした。
「な、なんで……っ」
 俺は後退りしながら、彼等と距離をとる。ささやかな拒絶だった。これで相手が立ち止まれば、なんて思ったのは相当追い詰められている証拠。
 だがその途端、何かに踵を引っ掛けられ、体勢を崩してしまう。 
「えわっ!?」
 尻餅を付く。情けない気分を味わう暇もなく目に付いたのは、俺の踵を引っ掛けた張本人。横たわる少女。その尻に生える歪なもの。それは鱗に覆われた尻尾だった。
 今更、此処が魔物達の集落だったと判っても仕方ない。兎に角、この場所から逃げなければならないと、俺の神経が急き立てる。額から汗が噴出すのを感じながらも、体は寒いという妙な感覚。

    それが危険信号の特徴だ。

 俺は立ち上がり、後ろに駆ける。惨劇の集落を駆け抜け、奴等から遠ざかろうとする。だが、俺は失念していた。奴等の鎧の胸には、“高位司祭”のマークが打たれていた事に。

「<狼の腸にてその身を縛し、蛇の毒にて裁かれよ>」
 背後からそんな詠唱が聞こえた。俺は此れを知っている。南欧教典第三十〇項、魔人が狼に捕まって、蛇の毒を口移しされる節だ。南欧教典を起因に魔法を使うのなら、確かに奴等は南洋正教会の司祭らしい。
 だが俺が気にするべきは、その魔法の効力で   
   シャアァァァッ」
 背後から威勢の良い蛇の叫びが追い掛けて来る。俺は必死に頭の中で南欧教典第三十〇項を開く。
 ……そう、昏倒だ。あの蛇の幻に触れると、意識を失うのだ。だが普通に考えて、物理法則完全無視で飛んでくる幻の蛇から生身の人間が走って逃げられる訳がない。
   てやっ!」
 ガシャァンッ
 機転を利かせ、窓をぶち破ってリザードマン達の家屋に飛び込む。だが蛇はすんなりと割れた窓から入ってきてしまい……
「っ!?」
 ブシュッ
 体勢を立て直すのに遅れた俺は、蛇の姿に咄嗟に腕を盾にする。蛇が俺の腕に牙を付きたてる。痛みはない。役目を終えた蛇が消え去るのを見届けると、改めて幻なのだと認識する。
 しかし、そう思った途端に頭が痺れ、終いには視界がグルンと一回転し……すっぽりと闇の中に落ち込んでいくのだった。



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 思い出話にしては、ちっとも面白くない。馬鹿な男が、馬鹿みたいに填められて捕まった。それが、俺だという事。
 あれからの展開は、泣きたくなるほど早かった。俺はいつの間にかリザードマン達の集落を襲った大量虐殺犯に仕立て上げられ、裁判を吹っ飛ばして牢獄入り。この調子で直ぐに首から上と体がオサラバかと思っていたが、教皇様の恩赦により、それは一カ月ほど先延ばしにされた。
 
 後から思い出したが、あの集落の存在を俺は知っていた。
 この国の事情は複雑だった。王様が魔物嫌いで人間至上主義者なのだが、それに反してこの国の指針は親魔物派である。その背景には周囲の国々が親魔物派を主張しているという、この国の状況にある。
 例え魔物は排他すべきだと考えていても、まだ力を伸ばす余地のあるこの国が、そんなつまらない意地で周りの国と敵対するのは得策ではない。だから、現時点では親魔物派として表面上は振舞っているのだ。だがそんな中でのささやかな抵抗が、南洋正教会を国内に招致する事だった。
 そして、その南洋正教会が何故あの集落を襲わなければならなかったのか。そして、何故俺がその下手人に仕立て上げられなければならなかったのかは、ある日の珍しい面会人が教えてくれる事になる。


―――――――――――――――


 自らの境遇に愕然とし続ける日々が続いた、ある時だ。早くから両親兄弟を亡くしていた俺に誰かが訪ねて来たらしい。救いのようなものを見出した俺は神に感謝の意を捧げながら、相手が誰なのか訊くまでも無く面会を快諾した。

 が、面会室に入った瞬間、期待は脆くも崩れ去った。
   っ! お前……
 薄暗い部屋に置かれた机。その傍に平然と座るその気障ったらしい男の顔を見て、心底怒りが込み上げてくる。奴は俺の反応を楽しむように笑むのだった。
「まぁまぁ。落ち着きたまえ」
 今となっては何と白々しい態度なのだろうか。間違っても、此奴をもう貴族様とは考えられない。
    制裁。そんな言葉が頭を過った瞬間だった。

 ジャキ   ンッ
 俺の燃え上がる激情は首筋に走る冷たい感覚に掻き消された。俺の両脇には嘗ての同僚達。そして奴の背後には司祭クラスを示す刻印を所持する魔術師がメイスを片手に持っている。
 俺に妙な動きがあれば、処刑の期日が格段に早くなるのは目にも明らかだった。
「だから、落ち着きたまえよ。……言いたい事はあるだろうがね」
 そう言うこの男の表情は、人の不幸を蜜の味だと思っているのが見え透いていた。そのあからさまに俺を挑発する仕草や態度に怒りが込み上げてきたのは確かだが、逆にもうどうでもいいというか、呆れてしまう。
 俺は椅子を引く。座る際、木で出来た足が床にことんと音を立てた。
「それで……落ち着けば、どうしてくれるんだ」
 ささやかな復讐   両腕を縛る一本の鎖を持ち上げてみせ、その間から睨み付ける。俺は覚えていた。競技会にてこの男は、大衆の目の前で俺の睨みに充てられて、剣を交わす前に落とすという恥を掻いたことを。
 案の定奴は苦い顔をして、目線をそらす。そして上機嫌だったのが一変、途端にぼやくように語るのだった。
……まぁ、大人しく話を聞くというのなら、利口な判断だ」
「それはどうも」
 のらりくらりと嫌味をかわす。こういう類には今まで腐るほど出会ってきたし、対応の仕方も心得ているつもりだ。何故こんな奴らが神に仕えているのか疑問だったのだが、皮肉にもそれは直ぐに判る事となる。

……今回の件については、私も上の判断には逆らえないのでな」
「どういうことですか」
「どういうことといえば、簡単だよ」
 億劫に答えながら奴は背後に据える魔術師から一枚の書類を手に取った。
「君は此処にサインすればいい   
 眼前に吊り下げられる一枚の紙。書かれているに目を通す以前に、騙された人間がこのような勧めを安直に受け入れる訳がない。
 疑う様子を変えない俺に、奴は心底面倒そうに顔を顰めた。
「君は字が読めない訳ではないだろう。疑っていないで、まずは内容を確認するべきではないかな?」
……
 俺は促されるまま、文字に目を沿わせる。

『本件において、自身の罪を深く悔い改めるとともに、教皇殿、および周辺諸侯に恩赦を賜る事を求めます』

 その一句の下に、署名欄が空けられている。俺は嫌気が差して、食い下がる。
「どういうことですかっ。俺は、やっていないのに……っ。何故、自分から認める必要があるのですっ」
「やっていないからこそ、だ」
 平然とそう語られるのに、俺は驚きを隠せなかった。そんな俺に奴は事の成り行きを慇懃無礼に話すのだった。
「我々も心苦しいのですよ、グリューネヴァルト名誉騎士殿。しかしながら申し上げるにですね、我々南洋正教会におきましては貴方様の働きは大いに評価しておりますが、ね」
「何を……何の事を、言っているのですか?」
「教会はこの国の陛下のお力添えで此処まで発展してきた。……その陛下のお力添えが今後、受けられないとすれば、上は貴様を斬る事も厭わんということだ」
 確かに教会は国王の一声で招致されたし、いまでも潤沢過ぎる物資及び人的援助は欠かされてはいない。そして教会はその麻薬のような援助に、すっかり依存してしまっていたのも事実。それを突然止められるとなれば、慌てるだろう。
 話を終えると、さも俺の驕りを煽るようにほくそ笑む。それにしても、此奴はマトモに話をする気がないようだ。
 だが、どういう企みに巻き込まれたのかは、お蔭で予想が付いたのだった。

「成程」
「ほう。判ったような口を利くな」
 何も考えずに頷いたとでも思ったのか、そう返してきた此奴は挙げ足を取ったかのように得意げだった。いちいち反応していられないので、俺は纏めた考えを口に出す。 
「大方、魔物嫌いの陛下が、魔物の集落が国内にあるのを知って怒り出したのでしょう。そして、自分のお抱えする反魔物派組織である教会に、集落を襲うように脅しを掛けた、といった所でしょうか」
……
 奴は顔を蒼くして、押し黙る。どうやら当たったようだ。
「ですが、教会は魔物嫌いの陛下に隠れて、魔物を仲介した貴重な美術品や骨董品を集めていた。   密輸という奴ですね。此処で教会が堂々と魔物を駆逐するのは、色々と都合が悪い。味を占め続けるためにも、どうにかしなければならない・・・・・・
 繋げてそう語ると、奴は驚いた。
「っ! 何故、その事を知っている」
「俺も司祭様からその手の仕事を頼まれた事がありましてね。丁重にお断りしましたが」
その時は悪いことだとは気付いていなかったが、嫌な予感がしたのだ。俺はどちらかといえば、目の前の気障野郎を論破するというよりも、自分を納得させるように語り続ける。
「其処で、少数精鋭で気付かれないようにコソコソ始末しようと思い立ったが、よりによって相手は凄腕揃いのリザードマンの集落。到底、教会の実力じゃあそんな器用な事は出来なかった。それに、教会は傭兵を信用していない。だから   大軍で襲った後、俺一人を下手人に仕立て上げ、証拠を有耶無耶にした」
 そう。教会は、数に物を言わせて彼女達を虐殺したのだ。自らの利権の為に。只、その為だけに。
 脳裏にこびりつく、あの時の光景が目に浮かぶ。俺の傍に転がっていた少女一人にだって、いい大人が数人で   
 


 俺は魔物の事を排他するべき邪悪だと考えている。教会が魔物狩りをするとき、俺は必ず其処に志願した。当然、この手で魔物を斬り殺した事もある。
 だが・・・・・・少なくとも、俺は彼女達が人を襲って喰らうものだと思っていたし、今でもそうだと思っている。
 何故なら、教会の聖典にそう書かれているから。
 聖典は神の言葉。神の言葉は、真実だ。
 だが、魔物でも殺生は殺生。我々の神への奉仕を目的にする殺生は許されるが、今回ばかりはそうではない。例え魔物でも、まだ幼い子供によってたかり、必要以上に甚振った事実は、教団騎士としてではない。人として恥ずべきだと思う。神の御前でなんたる蛮行を犯したものかと思う。
    いいや、そもそも我々の神とは、一体なんだったのだろうか・・・・・・

 疑念に苦しむ俺に向かって、奴は告げる。
「ふん、矢張り貴様は捨て置けんな。一騎士として、教会の事を知り過ぎている。私としては早急に貴様の首を刎ねるのが教会の利益になると思ったのだが・・・・・・
「刎ねればいいでしょう」
 これも運命だ。俺は神の元に旅立つとしよう。今こうやって審判にかけられ、その御前に侍る価値のある魂かどうかを試されている。
 ならばこの命、惜しくはない。穢れた地上世界から、俺は神直属の騎士となるのだ。



    ・・・・・・そう、思わせてもくれないのか。
「残念ながら、それは出来んのだ」
 白々しく眉を下げて言う。
「言っただろう? 私も上の判断には逆らえん、と。元々貴様の剣の腕は皆が知る所にある。だからこそ、あのトカゲ共を始末できるのだという信憑性が引き立つのだが。   惜しい、のだとさ」
 魂を激しく揺さぶる衝撃があった。嫌な気配を感じ取り、心中に神に真意を尋ねる。その間も奴の口から穢れた言葉が飛び散る。
「貴様ほど、馬鹿みたいに神を信じ、教会の正義を信じている騎士は居ない。それに、腕も立つとくれば、上が惜しむ気持ちは判らないでもない。自分でも、そう思っているだろう?」
 そう問い掛けられるが、俺はかれこれ教会に正義を見出した事は無い。只、信じ続けてきた神の尖兵としての勤めを果たしてきただけだ。
 だが今の俺には判らなくなっていた。自分が信じるものが。自分が守るものが。自分そのものが。・・・・・・そして、奴はそんな俺にこんな言葉を投げ掛けたのだった。
「グリューネヴァルト。貴様は忠義と信仰に篤い騎士として、教会の意向に添う為、これからも働いてもらうことになる。その為にも、先ずはこの声明にサインしろ」
 ひらりと、紙が俺の目の前に出される。其れを見て、俺は声を震わせる。
   先ずは、生き残れ・・・・・・ということか」
「その通りだ。判っているなら、早く書け」
・・・・・・忠義と、信仰・・・・・・か」
 ふふふ、と笑えてきてしまう。   なんて、屈辱なんだ。
 


いっそ殺してくれたほうがマシだ。
今の内なのに。
まだ神の存在を信じていられる、今の内に殺して・・・・・・
 そして、神の御前に侍らせてくれれば・・・・・・まだ、救われたのに。
 


「ふふふ・・・・・・くく・・・・・・っ」
 目の前で顔を顰める奴。俺はこの両手でも、溢れ出る涙を抑えることが出来なかった。
「そうかっ。忠義と信仰かっ。それがあれば、俺みたいな馬鹿を教会の意向に添わせられるっていうのか? 巫山戯るなっ! 何が、教会の意向だっ!! 俺は、お前等が利権を貪る為の・・・・・・   道具じゃないんだよっ!!」
 ガタンッ
 思わず椅子を蹴り飛ばして立ち上がり、大体そんな感じの事を喚いた。周囲の同僚達が俺を槍の柄で取り押さえ、地面に屈服させる。
    ドタァンッ
「くあっ」
 冷たい床に押さえつけられた俺は溢れる怒りをどうにも出来ずに暴れ続けた。暴れ続け、奴を見上げる。奴は冷笑し、何やら喚き散らす俺を見下して、最後にこう言い残した。
「残念だ。まぁ、まだ処刑の日取りまで一ヶ月はある。精々、自分の身の振り方を考えるんだな」
 要するに、「屈しろ」と言う事だった。俺はすっかり頭に血が上り、憶えている限りで以下のような事を喚き散らした。
・・・・・・なんでだよぉっ。教会は、弱い人たちを守る為のもんじゃなかったのかっ。神様を信じる人たちを守る為のもんじゃなかったのかっ。神に・・・・・・神に奉仕する為のものじゃ、なかったのかぁっ!」
 俺は退室する奴の後姿を睨みつけながら、俺を力尽くで抑え込む同僚騎士達にそう問いかけた。
 だが奴等は俺をこう嘲笑するのだ。
「はっ。まだ神だなんだのと……。いい加減、目を覚ませ」
「本気で神がいると思ってるのか。いいから言う通りにしろ」

 愕然とした。教会に俗物があふれる理由。そもそも、教会は俺が思い描いていたイメージとは異なっていたのだ。教会は、神を本気で信じる者を・・・・・・エサとするもの。
 気付かないでいたつもりだった。神の為と言いながら、教会は自己の利益しか追求しない、その体質というべきものは。それでも、俺は、神様は居ると今まで信じてやってきた。きっと俺だけじゃない、力無き民さえも俺と同じく信仰に身を捧げて来た筈なのだ。
 この悪逆を、何故神は放っておくのか。自らの名を騙るのみならず、信頼を踏み躙られてまで、教会の連中が許される道理なんてない筈だろう   っ!
 俺は自分の神の姿を思い浮かべてみる。

 その姿は、出てくる筈がなかった。
 




 その日の晩、俺は衛兵を誑し込み、暗い檻から逃げ出した・・・・・・   

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【メモ-人物】
“スヴェン=グリューネヴァルト”-1

庶民階級出身の22歳。信仰の篤かった家に生まれ、自身も敬虔な教徒となり教会騎士に志願する。だがやがて、教会が信仰を食い物にしているという事実に気付き、逃亡。行方をくらませた。

剣術の才覚に恵まれており、南洋正教会において本来多くの功績を挙げた者に贈られる筈の名誉騎士の称号を、特別に与えられていた。

献身的で善良な性格。正義感は強いが、精神的に強い人間ではなく、何かに追い縋っていなければ実力を発揮できないタイプ。
だが、教会に屈さずに今まで縋りついてきた信仰を簡単に捨てた所をみると、ハートが強いのか弱いのかはっきりしない、若干ブレた人物。



09/12/25 23:54 Vutur

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