連載小説
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神への誓いと黒い死神。(中編)
「んん…」

 体中を包む、倦怠感と熱っぽさ。
 頭はふらつき、記憶が辻褄をなくしている。
 眠りについた記憶はないのに、いつの間にか体はベッドの上に移動していた。

「――ぅ」

 体を起こそうとして、失敗する。
 尋常ではない目眩がアレクを襲い、起き上がることすら出来なかった。
 朦朧としている視界は一向に直らず、目に映る風景はぼやけたまま。

「あ――アレク、駄目。起き上がっちゃ、駄目」 

 がちゃん、と大きな音が鳴り響く。
 アレクは再度体を起こそうとしたが、その前に何かがアレクの体を優しくベッドに押し戻した。
 柔らかい感触の何かが、顔に浮かんだ汗を拭う。
 その冷たい感触に、少しだけ頭がすっきりした。視界が徐々に鮮明になっていく。

「…メ、ディ?」
「すごい、熱だから。絶対、安静」

 ぼやけた眼に、不安げな表情でこちらを見下ろすメディの姿が映る。
 柔らかい感触の正体は、メディの右手。火照った顔に、冷たい軟体の感触はとても気持ちが良い。
 そこでやっと、アレクは現状を把握する。
 
「…そっか。さっき…ヤンが帰った後、契約書の続きを考えようとして…」
「アレク、最近、働きすぎ。ゆっくり休まないと、駄目」

 今にも泣きそうな顔で、メディが言う。
 そんな顔をさせてしまうほど、心配させてしまったらしい。
 アレクはふと、メディが左手に持っていたものに目がいった。

「メディ、それは…?」
「え。あ、こ、これは…その」
 
 ささ、とメディは左手のそれを背中に隠そうとする。
 しかし、メディの体は半分透けている。
 紅く半透明の体の向こうに、それはぼんやりと見えていた。
 歪な形をした――林檎? よく見ると、ところどころ何かで削られたように傷ついている。
 そんな傷だらけの林檎の一角には、ナイフが縦向きに深々と刺さっていた。

「ご、ごめん、なさい。果物、切ってあげとうと、思ったんだけど…」

 今に限った話ではないが、メディはナイフのような道具を使うのが苦手だった。
 柔らかい身体が邪魔するのか、ナイフをしっかりと掴むことができない。
 傷だらけの林檎は、そんなメディが四苦八苦した結果らしい。
 視線を巡らせると、アレクの身体の上にはありったけの衣類が乗せられていた。
 これはおそらく、毛布の代わり。…少し、重い。

「何か、してほしいこと…ない?」
「う、ん…そうだね…少し寒いから、火を――」

 そこまで言って、しまった、と思う。メディは、火を炊くことができない。
 以前乞われてメディに火の起こし方を教えようとしたが、半液体状の身体が邪魔して火種を作り出すことができなかった。
 役に立てない歯痒さからか、みるみるうちにメディの表情が暗く沈んでいく。
 二人の間に、気不味い雰囲気が生まれる。

「…私、役立たず、だね」
「い、いや…そういうわけじゃ…」

 何か助けになりたいというメディの気持ちは、痛いほどわかる。
 しかし熱に浮かされた頭が、アレクの思考を邪魔をする。
 全身を包む気怠さと闘いながら、アレクはどうにかして代案を思い浮かぼうとして、

「…あ」

 一つの願望が、脳裏に浮かぶ。
 思いついたというよりも、思い浮かんだという方が正しい。

「! 他に…何か、ある?」

 メディが、嬉々として訪ねてくる。
 アレクは、一瞬迷ってしまった。
 行為としては、とても簡単なこと。しかも、メディにしか頼めないこと。
 しかし、この『してほしいこと』は…その。非常に、恥ずかしいものだった。

「ぁー…その、ぅー…」
「?」
 
 首を傾げるメディ。さらりと揺れた髪に、どきりとしてしまう。
 やはり、口に出すのは少々憚られる。だが他に妙案も浮かばない。

「――ないで…欲しい…――けど…」
「んー?」

 ぼそり、とアレクは呟く。我ながら、ひどくか細い声で。
 声が小さすぎて聞き取れなかったらしく、メディはアレクの口に耳を寄せた。

「手、繋いで、欲しい、んだけど…」

 羞恥心を押し殺しながら、アレクはもう一度呟いた。
 メディはぱちぱちと眼を瞬かせ、再度さらりと髪を揺らしながら首を傾げる。

「…それだけ?」
「う、うん…駄目、かな」
「駄目じゃ、ないけど」

 メディは持っていた林檎を机の上に置き、空いた左手をアレクの上にのしかかる衣類の中に滑り込ませた。
 柔らかい、そして少しだけ湿った感触が、アレクの左手のひらを包み込む。
 照れ臭さを感じながらも、アレクはそれを軽く握り込む。少しだけ、倦怠感から解放された気がした。

「これだけで、良いの?」
「うん…その、ありがと。ちょっとの間、このままでも良い?」
「んー、わかった」

 いまいちよく分からないという顔をしながら、メディは頷いた。
 メディの右手が優しくアレクの頭を撫で、左手がまた少しだけ強く握りこまれる。
 その心地良さに、アレクは思わず頬を緩ませる。

「メディ」
「ん?」
「別に火を起こせなくても、気にしなくてもいいよ。人には向き不向きがあるから。
 メディにはメディしか出来ないことがあるし…実際に、これは…その、メディにしか、頼めなかった、から」
「…ん、わかった。ありがと、アレク」

 メディににこりと笑いかけられ、アレクはさらに顔を赤くしてしまった。
 上がった顔の温度に合わせ、額に当てられているメディの右手の温度が少しだけ下がった、気がした。
 訪れる、沈黙。徐々に、身体の温度が上がっているのを感じる。

「…昔、一度だけ、同じようなことがあったんだ」

 沈黙と気恥ずかしさに耐え切れず、アレクはポツリと呟いてしまった。

「こんな風に、熱を出しちゃって、汗と咳が止まらなくて。
 食欲がなくて、何を差し出されても、喉が通らなくて。
 身体を壊したのは初めてだったから、その時はこのまま死んでしまうのかと、思ったんだ」

 返事は期待していない、ただの独白。
 普段なら、こんな話をしようとは思わない。
 病に冒されたとき、人は心細くなってしまうものらしい。
 病に蝕まれた身体が休息を欲しているのか、言葉を紡いて体力を消費する毎に徐々に視界が狭まってくる。
 しかし、続きを促すようにメディがこちらを見つめていた。
 だから、アレクはさらに言葉を続けた。

「ずっと身体の節々が痛くて、苦しかったけど…夜が一番、怖かった。
 一人で眼を覚ましたとき、とても心細くて。
 もう一度目をつむったら、戻ってこれないような、気がして。
 でも、あの頃はまだ…――だった、から。
 あの人が手を握ってくれて、とても、安心できて――」
 
 思考を睡魔に乱され、要領を得ない言葉を言っているのが、自分でもわかる。
 
「―――…――…」

 最後に、手を握ってくれたメディのために何かを言おうとした。
 しかし、それを口にできたのかは、わからなかった。
 忘れていたと思っていた昔の記憶を思い出しながら、アレクは意識を手放した。



「………」

 最後に何かを言おうとしていたようだったが、それが言葉になることはなかった。 
 目の前には、安らかな表情で眠りに付くアレクの顔。
 苦しそうな表情を浮かべていた先ほどと比べれば、まだ安心できる状態。
 しかし、メディの心境は、少しだけ複雑だった。

 ――でも、あの頃はまだ…――だった、から。
 あの人が手を握ってくれて、とても、安心できて――
 
 そう言っていたアレクの脳裏には、当時の記憶が再生されていた。
 熱にうなされているアレクが、誰かに介抱されている様子。
 メディはそれを、アレクの額に触れていた右手から、少しだけ読み取ってしまった。
 病に苦しむ、幼い頃のアレク。その手を握る、一人の女性。
 
「…むぅー」

 子供の頃のアレクに、その女は優しく笑いかける。
 記憶がさだかではないのか、女性の顔は白くぼやけている。
 女性は、アレクに切り分けられた果実を差し出す。アレクは喜んでそれを受け取り、頬張る。
 暖炉に火を灯すその女性に向けて、アレクは言う。ありがとう、かあさま――

「…うぅー」

 不謹慎だとは思ったが、メディはどうにも釈然としない思いを感じた。
 手を握っていると、落ち着く。そうアレクが感じてくれているのは、嬉しい。
 しかし、そうしている時に他の女のことを思い出されるのは、面白くない。
 例え、それがアレクの母親であっても。
 
「…はぁ」
 
 ちらり、とメディは背後を見やる。そこにあるのは、ナイフが突き立てられ、かつボロボロになっている林檎。
 林檎を切ることも出来ず、火を起こすこともできない。その歯痒さに、メディは深く嘆息する。
 私も、アレクを、助けてあげたい。そして――ありがとう、と言って貰いたい。
 
「う、ん…」
「――あ」
 
 突然、アレクが唸り始めた。
 握られていたメディの左手が、アレクによって強く握りこまれる。
 
「ど、どうしたの、アレク?」
「――…、い」

 アレクの口元が、ぼそぼそと動いている。
 小さくて、聞き取れない。アレクの意識が朦朧としているせいか、右手から思考を読み取ることもできない。
 どうにかして聞き取ろうと、メディは再度アレクの顔に耳を近づけた。その瞬間、
 
「――寒、い」
「え」

 アレクがそう言うや否や、アレクの身体の上に載っていた衣類の山がベッドから崩れ落ちる。
 衣類中にうもれていたアレクの右手が姿を現し、メディの首に巻きついた。
 ぐらり、とメディの身体が傾く。

「え、え」

 突然の事に眼を白黒させているうちに、メディは衣類の山の代わりにアレクの身体にのしかかるような姿勢になった。
 アレクの右手に抱き寄せられて、アレクの口元とメディの首辺りが接触する。

「いっ――!」

 びりり、と甘い痺れがメディの身体を突き抜ける。
 アレクの舌が、メディの首に一瞬だけ触れたのが、その原因。
 ぼん、と元から朱色のメディの顔がさらに色を増し、体温が急上昇する。

「わ、わっ、アレク、ちょっと…」
「んん…」

 メディは慌ててアレクを引き剥がそうとした。
 しかし何を思ったのか、アレクは右腕の力を強めてきた。
 アレクの左手が、メディの左手を握ったままメディの腰辺りに回される。
 首に、アレクの唇が更に押し付けられる。
 柔らかい感触に、メディの核がどくんと鼓動を高める。

「ッ〜…! あ、あれ、く…?」

 何が何だか、わからなくなってきた。
 一先ず落ち着こうと、アレクの体温を意識しないように努めながら、深呼吸をしようとした。
 ――その時、
 
「あたた、かい…」

 視界には無いアレクの口から、そんな言葉がこぼれ落ちた。

「…あ」

 そういう、こと。
 メディは納得し、そして自分に何が出来るのかを理解する。
 アレクに抱きしめられている上半身はそのままに、メディは下半身をベッドの上に移動させる。
 中途半端に残っていた衣類を全てどかし、アレクの全身を自らの軟体で包み込む。
 こうすれば、火を起こさずとも、アレクの体を温めることができる。
 最初から、こうすれば良かった。

「これで、良い? 寒く、ない?」
「んん…っ」
 
 当然というべきか返事はなかったが、聞こえてきた呻き声は苦しそうではなかった。
 アレクの右腕の力が、少しだけ緩む。
 ゆっくりと顔を上げると、安らかな表情で眠り続けるアレクの顔があった。
 ほっとして、メディは小さく息を吐き出す。そして、アレクの顔にまた浮かんできた汗を拭おうとした――その時、

「あり、がと…メディ」
「――え?」

 小さい、しかしはっきりとした声で、アレクは呟いた。
 もちろん、未だにアレクは眠ったまま。おそらくは、無意識に口から零れた寝言。
 気づけば、既に熱を帯びていた身体が、さらに熱を生み出していた。
 
「んんっ…」
「あ。ご、ごめん。暑かった?」

 メディは慌てて体温調節を行い、体の温度を下げようとする。
 しかし、顔はどうしても火照ったままだった。
 アレクの助けになることができた。そして、名前を呼んでくれた。
 たったそれだけのことだったが、メディはこの上ない喜びを感じていた。
 気持ちを抑えきれず、アレクを包む軟体がわさわさとうごめく。
 幸せすぎて、妙な気持ちになってきて――アレクを、『食べたく』なってきて、しまった。
 
「っあ、ダメダメ。それは、駄目」

 ぎりぎりで正気に戻り、メディはふるふると首を横に振って邪念を追い出す。
 こんな状態のアレクを『食べて』しまったら、病が悪化するのは確実。
 しかし、スイッチが入ってしまった心を押し留めるのが難しいのも、どうしようもない事実で。

「き、キスだけなら、良い…よね?」

 結局、欲望に負けてしまった。
 左手はアレクの手を握ったまま、右腕をアレクの首に巻きつける。
 そしてメディはアレクの唇に、自らのそれを優しく押し付ける。

「んむ…っ」

 ぴくり、とアレクが少しだけ身じろぐ。痺れるような快感が、メディの全身を走り抜ける。
 やっぱり、美味しい。
 先程からちょっとずつ貰っていたアレクの汗も『ごはん』の一つだが、こちらの方が断然良い。
 少しだけのつもりだったが、久しぶりのごちそうだったので、しばらくアレクの唇を吸い続けてしまった。
 吸うだけでは我慢できず、メディは舌を少しだけアレクの口の中に挿入する。

「――ん?」

 その時、何か違和感を感じた。
 いつも通りのアレクの味に、少しだけ違うモノが混じっている。
 アレクの中に、何かが、いる。
  
「………あ」

 はっとして、メディはアレクから離れる。
 どうして、今まで気づかなかったのだろうか。
 アレクの中に、アレクを『食べて』いるモノが――アレクを苦しめているモノが、いる。 
 
「…お前、誰だ」

 ふつふつと、メディの心に怒りが込み上がってくる。
 アレクを苦しめているのは、おそらく返事をすることもできないほど小さい何か。
 それは分かっていたが、メディは文句を言わなければ、気が済まなかった。

「アレクは、私の、もの」

 ざわざわと、メディの身体が強くアレクを抱きしめる。
 アレクの肌には、いつの間にか濃い紫色の斑点が幾つも浮かび上がっていた。
 荒い息を吐き出す、アレクの口元。その向こうにいる『何か』を、メディは睨みつける。

 ――メディにはメディしか出来ないことがあるし…

 メディは、アレクの言葉を思い出す。
 私にしか出来ないこと。
 レッドスライムであり、スライムであり――魔物である私が、できること。
 アレクの左手を握り締めながら、メディはゆっくりと、もう一度アレクの顔に顔を近づけていく。 

「アレクは、誰にも渡さない。たった一人の、私の、大切な――」

 ずきり、と頭が痛む。
 何かを、思い出しそうな、気がした。
 しかしメディはそれに構わず、貪るようにアレクの唇に吸い付いた。



 奇妙な、夢を見た。
 一言で言えば、何かに食べられているような夢。
 何も見えない。ただ、柔らかい何かに身体を咀嚼されているような感触を感じる。
 歯のない口で食まれたら、こんな感じなのかもしれない。

 全身を絡め取られ、徐々に溶かされていくような――そんな、心地。
 しかし、なぜか恐怖は感じなかった。
 なぜかはわからないが、自分を包んでいるモノは悪いモノではなく、
 自分を食べているわけではないと、そう感じた。 

 ――お前は、私の物だ。

 どこからか、声が聞こえてきた。
 誰かに似ている、しかし一度も聞いたことのない声。
 
 ――お前は、誰にも渡さない。たった一人の、私の、大切なヒト。

 口に、何かを押し付けられる。そして、何かが流れこんでくる。
 どくん、と鼓動が聞こえた。
 自分の鼓動と、誰かの鼓動。それが、混ざり、重なって、共鳴している。

 身体の中に、二つの存在を感じる。
 黒い何かと、紅い何か。
 カタチを持たないそれらが、身体を奪い合うように、体の中を駆け巡っているのを、感じる。

 ――生きろ。お前だけでも生き残ったならば、悔いはない。私の生にも、意味があったんだと、安心できる。

 消え入りそうになる感覚を繋ぎ止めるように、体を包む感触が強くなる。
 明らかに人ではない感触なのに、それはまるで誰かに抱き締められているようだった。

「…め、でぃ?」
  
 脳裏に、名前のような言葉が思い浮かぶ。体を包む感触が、ぴくりと反応する。
 顔を優しく撫でられる。その慈しむような感触に、アレクは身を委ねた。
 また何かが身体に流れこんでくる。アレクはそれを、躊躇することなく受け入れる。
 身体の中で、紅い輝きが光を増した――気が、した。

 そこで、夢は途切れる。
 意識は闇に沈むのではなく、光に包まれるようにして浮かび上がる――

「ううん…」

 瞼を開けると、見慣れた小屋の風景が広がっていた。
 曙光に満たされた、穏やかな朝。呻き声が聞こえ、アレクは視線をそちらへ向ける。
 その先にあったのは、左手でアレクの手を握ったまま、アレクに抱き付くようにして眠っている――メディの姿。
 額に手をやると、熱は殆どひいていた。気だるかった身体も、だいぶ楽になっている。
 昨夜、何かがあったような、何か夢をみたような気がする。

「………」

 記憶が曖昧で、思い出せない。
 しかし、一つだけ分かることがあった。言う必要がある、言葉がある。

「…ありがとう、メディ」

 アレクは小さく呟きながら、右手でメディの頭を撫でる。
 その感触が気持ちよかったのか、メディは眠ったまま嬉しそうに笑い、そして顔をアレクの胸に押し付けてきた。



 
 ――優しく敬虔な王様は、自国の民のために、泣く泣く娘を魔王に引き渡そうとしました。

 そんな王様の前に、一人の青年が現れました。

 彼は、お金も、功績も、家名もない、ただの村人でした。

 青年は言いました。
「私が魔王を打ち倒してみせましょう」

 王様は言いました。
「お金も、功績も、家名もないお前が、どうやって魔王を倒すというのだ」

 その時、王様の元に一人の賢者が現れました。彼は、世に名の知れた魔法使いでした。

 賢者は言いました。
「この者こそ、聖騎士。姫君を救い、魔王を打ち倒すことができるのは、優しい心を持っている彼だけです」

 王様は訝しがりました。この一介の村人が本当に娘を救えるのかと。

 しかしそうこうしているうちに、魔王の手下によって王様の娘が攫われてしまいました。

 もはや、一刻の猶予もありません。賢者様がそう言うならと、王様はその青年に騎士の称号を与えました。
 
 騎士の称号を得た青年は、賢者から授かった聖剣を持って魔王の居城に乗り込み、たった一人で魔王の軍勢に立ち向かいました。

 賢者に鍛えられた聖剣と、野良仕事で鍛えられた青年の力は凄まじく、魔王の軍勢は彼一人によって壊滅しました。 
 
 そしてついに、騎士は魔王の玉座に辿り着きました。

 騎士は言いました。
「姫様を返せ」

 魔王は言いました。
「私に勝てたら、返してやろう」

 騎士と魔王は戦いました。魔王は強大でした。しかし、聖剣の加護が騎士を勝利に導きました。

 想像を絶する戦いの果てに、魔王は膝を付きました。

 魔王は言いました。
「止めをさせ」

 騎士は言いました。
「その必要はない。お前に勝てたら、姫様を返してくれるのだろう」

 魔王は言いました。
「私は、此処へやって来た騎士達を大勢殺してきたのだぞ。私が憎くはないのか」

 騎士は言いました。
「お前は、誰も殺していない。もしそうなら、この城はもっと血に塗れているはずだ」
 
 魔王は言いました。
「お前は、私の部下を殺してきたのだろう。今さら何を言っている」

 騎士は言いました。
「私は、誰も殺していない。私の前に立ち塞がった魔物も、誰一人として」

 騎士は、見抜いていたのです。行方知れずになった騎士達は、魔物との共存を選んでいたのだと。

 それゆえに騎士は、その強さと優しい心によって、魔王の軍勢を全て殺さずに壊滅させていたのです。

 魔王は言いました。
「わかった、姫君を返そう。ただし、条件がある」

 魔王は、騎士を姫君の部屋に案内しました。

 姫君の姿を見て、騎士は驚きます。姫君は荒い息を吐き出し、今にも死んでしまいそうでした。

 魔王は言いました。
「私は、姫の事を愛おしく思っていた。病弱な姫を救うために、ずっとその方法を探していた」

 魔王は突然、騎士の聖剣を握りました。そして、自らの首に剣を向けさせます。

 魔王は言いました。
「私の命を対価にすれば、姫は助かる。私の部下に手を出さないと約束してくれるなら、私はこの命を差し出そう」

 騎士は言いました。
「本当に、それでいいのか。二度と、お前は姫と会えなくなってしまうのだぞ」 

 魔王は言いました。
「かまわない。私は、ずっと姫を任せられる者を探していた。お前にならば、愛しき姫を任せられる」

 騎士は頷き、そして剣を構えました。

 最後に、魔王は安らかに眠る姫に向けて呟きます。
「生きろ。お前だけでも生き残ったならば、悔いはない。私の生にも、意味があったんだと、安心できる」

 騎士は魔王を打ち倒し、攫われていた姫君を救出することができました。

 魔王を倒した功績で青年は聖騎士の称号を得て、代々王様に仕えることになりました。

 騎士は魔王の意思を継いで、姫君を一生守り続けました。
 
 こうして、王様の国に平和が訪れたのでした。めでたしめでたし。


「なんか、都合が良すぎねぇ? まあ、お子様向けの話なら仕方ねぇけどよ」
「…っ!」

 突然背後から声をかけられ、アレクはぎょっとして振り向く。
 椅子に座っていたアレクの一歩後ろ辺りに、相も変わらず目付きの悪いヤンが腕を組んで立っていた。

「…ヤン。前にも言ったけど、こっそり入ってくるのやめてくれない? 病み上がりであまり心身に負担を掛けたくないんだけど」
「一応ノックはしたぞ。返事がなかったからそのまま入ってきただけだ」
「だから、返事がなかったら入ってきちゃいけないと思うんだけど…」
「ああ、ぶっちゃけ入ってこなきゃ良かったと思ってる。
 つーか、何。イチャつき度に加えてハーレム度アップしてねぇ? 軽くマジで腹立ってきた」
 
 苛立だしげな様子で、ヤンは言った。
 別に、イチャついているつもりはない――と、言いたいところだが、
 確かにこの状況では、全く否定できない。
 
「ねーアレク。ちょっと、聞きたいこと、あるんだけど」
「ん、何――って、ちょっとルイ。あまり首絞めないで、苦しい…」
「にゃー」 

 ルイがニヤニヤと笑みを浮かべながら、じゃれついてくる。
 そんな彼女の現在位置は、アレクの背後。
 椅子に座ったアレクの上にメディが座り、アレクがメディの顔の前で本を広げ、
 さらにそんなアレクにルイが後ろから抱きついているという状態。
 正直、病み上がりにこの姿勢は少し辛い。体調的にも、精神的にも。

「おいアレク。人が遥々村からこんな山奥まで歩いて来たってのに、水の一つも出ねぇの?」
「少し前まで熱を出してた人に酒をつがせるってのは、どうかと思うんだけど…」
「ち、しゃーねぇな。勝手に注ぐことにしますかねぇ」

 勝手知ったる他人の家と言わんばかりに、ヤンはジョッキを持ち出して果実酒を注ぐ。
 さすがにこの頻度で酒を奢っていると、そろそろ収入に響いてくるかもしれない。

「で、何。お前、体壊してたんだって? 昨日此処に来たら、そこの猫に追い返されたんだが」
「あ、そうだったの? どうりで誰も来ないと思った。ルイが僕に気を使って人払いしてくれてた、ってことかな」
「にゃん♪」
 
 ルイが誇らしげに体を押し付けてくる。
 身体が直らないうちに会ってしまえば、ヤンに病を移してしまうことにもなりかねない。
 確かに昨日はまだ人に会えるほど体調が戻ってなかった。
 ルイの判断は正しかったのだろう。

「それで、今日はどんな用事?」
「マルクからの伝言。つーか、お前の生存確認。
 昨日村に来る予定だったのに来なかったから、どうしたのか確認してきてくれって頼まれた」
「あー…そういうこと。マルクさんに悪いことしたな…」

 そういえば、昨日までに契約書の草稿を仕上げて、契約の打ち合わせをする予定だった。
 色々あってまだ完成していないので、できれば執筆の続きを行いたいところなのだが。

「駄目。アレクはまだ、絶対安静」
「にゃー、ん」

 がっしりと、メディとルイに拘束される。
 前後を柔らかい感触に挟まれ、アレクの心臓がどきりと跳ねる。

「まあその、こういうわけだから…ごめん。マルクさんに、しばらく行けないって伝えてくれる?」
「よーしわかった。『仲裁人殿は猫や奥さんの尻に敷かれてるから行けないらしい』って、そう伝えとく」
「ちょ、ちょっとヤン。それは止めて。メディの事は、まだ秘密にしてるんだから――」
「私、奥さん? アレクの、奥さん?」
「あぁ、やっぱりそこに反応するのな…
 おい。キラキラした目で『もう一回言って』みたいな顔すんな。鬱陶しい」
「にゃー」

 やれやれ、と言わんばかりに、ルイが鳴き声を上げる。
 ヤンに逃げられ、メディは不満そうな顔を浮かべる。
 しかしそこで、ふと何かを思い出したように顔を上げ、アレクへと振り向く。

「…そういえば、アレク。このお話だけど、前に見たのと、似てるけど、違うよね」
「え、どうしてわかったの?」
「前の本、予習してた、から。この本のカタチも、似てるけど、ちょっと違う」

 先程まで読んでいた本を指しながら、メディは言う。
 メディの言ったとおり、この本は同じ装丁の本だが、中身は微妙に異なる。
 以前にメディに読み聞かせた本は、マルクから譲り受けた、
 この国で一般的に広まっているモノ。
 それに対してこの本は、新魔物派の国から持ち込まれたらしい、別の蔵書。
 修道院から持ち出した荷物の中にこの本があるのを思い出し、こっそりすり替えたのだった。

「前の本は、メディが読むにはあまり面白い内容じゃなかったからね。
 こっちの方がいいかと思って」
「そういえば今の話、お前の国じゃちょいヤバくね? 
 見つかったら捕まって、燃やされるレベル」
「うん、まあ…そうかもね」
 
 当時は良く修道院長に連れられて書庫に入り浸り、読書に没頭していた。
 この本はその時に読んだものだが、こんな本がどうしてあの修道院に置いてあったのかは甚だ疑問だった。
 もしかしたら焚書の一部で、それと知らず持ち出してしまったのかもしれない。
 
「それで、メディ。文字の勉強になった?」
「んー、お話は、前のより、しっくり来る。それと、次はもっと難しいのでも、大丈夫」

 しっくりくる、とはどういう意味だろうか。
 メディはそれ以上言葉を続けることはなかったので、結局その意図はわからなかった。

「生意気言うじゃねーか。本当に大丈夫か?」
「メディがそう言うなら、多分そうだよ。昨日も、こっそり僕の本を持ち出してたし」

 ぎくり、とメディが体を強ばらせる。
 見つからないようにしていたと、思っていたらしい。

「…駄目、だった?」
「別に良いよ、減るものじゃないし。…そういえば、ルイも一緒に読んでたよね」
「にゃ?」
「おいおい、猫のくせに本なんて読めるのか? 俺でも読めねーのに」

 間際にあるルイの顔がぴくりと反応する。
 ヤンの言葉に、かちんと来たらしい。

「猫、少しは、文字読める。いつの間にか、そうなってた」
「嘘つけ。じゃあ、これなんて読むかわかるのか?」
「…にゃおう」
「ヤン、ルイは言葉しゃべれないでしょ。こうした方が、わかるんじゃないかな」
 
 そう言いながら、アレクは本をパラパラと捲る。
 全員が本を覗き込む中、アレクは二つの単語を指差す。

「これとこれ、どちらかが林檎って意味。ヤンは、わかる?」
「あ? あー…たぶん、こっちじゃね?」
「正解。なんだ、ヤンも少しは読めるんだ」
「馬鹿にすんな。それくらいはわかるっての」

 そういう割には、冷や汗が目立つ。今のは、偶然かもしれない。
 
「じゃあ、これとこれとこれのうち、騎士って言葉はどれ?」
「ああ? …ちょっと待て、どれとどれだって?」
 
 どうやら、最初の二つの文字を見失ったらしい。
 ヤンがうろうろと視線を彷徨わせる中、メディとルイが同時に反応した。

「これ」
「にゃ」
「正解。すごいね、本当にわかるんだ」

 完全に、二人の指の動きは同時だった。
 にゃん♪、とルイが胸を張る。
 その拍子に胸を押し付けられ、アレクは思わず赤面しそうになる。
 がたり、と物音が聞こえた。視線を向けると、両手と両膝を地面につけて俯く、ヤンの姿。

「なん…だと…この俺が、猫に負けた…」
「にゃーん♪」
「大丈夫、ヤン。まだ、頑張れば、追いつける」
「そして、スライムに慰められた…アレク、俺はもうダメだ…」
「そう言いながら、果実酒をくすねようとするのは止めて欲しいかな」
「ち、本当にお前勘が良くなったな」

 アレクから見て死角になっていたヤンの右手が、いつの間にか果実酒を握っている。
 油断も隙もありはしない。舌打ちしながら立ち上がるヤンを傍目に、アレクは嘆息した。
 非常に騒がしい、しかし心地良い日常。それが戻ってきたことに、アレクは神に感謝する。
 身体を壊したのは数日だったが、それでもかなり心細いものがあった。ルイやメディのおかげで、乗り越えられたようなもの。
 …嗚呼、そうか。神に感謝するのも大切だが、その前に感謝を告げる相手がいた。

「メディ、ルイ」
「ん?」
「にゃ?」
「色々と、ありがと。おかげで、助かったよ」

 にこりと笑いながら、アレクは心を込めて言う。
 メディとルイは、何を今更といった表情で、しかし恥ずかしげに顔を逸らす。
 ふと視線を巡らせると、視界の端に書きかけの契約書が見えた。
 自らの言葉を揺るぎない鉄則に昇華させる、神への誓い。

「日常、か」

 こういうことを神に誓うのは、ちょっとどうかと思ったけど。
 こんな奇妙で自由な日常がずっと続いて欲しい。
 その為には、どんな事でも成し遂げて見せる。
 アレクはそう、心の中で誓いを立てた。
11/06/26 22:19更新 / SMan
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■作者メッセージ
ふと気づくと、Voteがとんでもないことに。
嬉しいやら申し訳ないやら恐縮しきりのSManでございます。
こんな偏狭な似非作家に投票していただき、本当にありがとうございます。
頂いた閲覧、投票数は、謹んで執筆力へと変換させていただきます。

そして本日も、全く自重のない超文。
未だちょっと不抜けている部分があり、問題点などあるかもしれませんが、どうかご容赦を。あからさまなものがあれば、指摘して頂ければ幸いです。
次回は練習がてらギシアン回の予定。
それでは。

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