来客〜師弟、姉弟〜
国王・天染尊(アマソメノミコト)こと天宗院子暁(テンシュウイン シギョウ)の別宅で迎えた二日目。ベッドの上には、仲良くシーツにくるまれて寝息を立てている男女二人がいて、女の腰からは黄金色の尾が四本生えていた。
ノックして幟狼が声を掛ける。
「龍瞳、入るぞ?」
そう言って幟狼はドアを開けて部屋の中に入り、その二人の恰好を認識する。
「………二人とも、起きろ」
「…ん?なんだ…幟狼か…」
「なんだとは何だ、なんだとは」
「ああ、悪ィ…何時だ?」
「午前9時っ。朝飯もう食えるぞ」
「…そうか」
龍瞳は眠い目を擦りながらベッドから抜け出した。横では相変わらず寝息を立てる魅月尾が、気持ち良さそうに眠っている。龍瞳は立ち上がると左肩に手をやり、首を左右に曲げてゴキゴキと鳴らした。曲げるたびに解かれたままの長い黒髪がなびいた。
「…幟狼は何時起きだ?」
「7時起きだ」
「早いな…」
「まぁな。つか、お前はまず服を着ろ」
龍瞳は下着1枚で寝ていたため、色白な体や男性の毎朝の生理現象が一目瞭然だ。彼はまずズボンに足を通し始めた。
「あ、そうだ…魅月尾起こすから部屋から出てくれ」
「なんで?」
「魅月尾の服はあそこだ」
龍瞳はズボンを履き終って、着物を手に持ったまま指差した。
「あ、そうね…」
幟狼はそう言って退出した。龍瞳はまだ寝息を立てて気持ちよさそうに眠っている魅月尾に近づき、被っているシーツを取り去った。白い肌、ふくよかな胸、きれいな色の乳頭、金色の少ない恥毛に筋が一本。一糸纏わぬとはこういう事だ。
「…魅月尾、起きなよ」
反応なし。
「魅月尾っ、朝だぞ?」
揺すってみたが起きる気配なし。ふと見れば狐耳がヒクヒクと動いているので、龍瞳はその耳をつまんでクニクニとこねた。
「ひゃんっ!」
魅月尾はビクッとして目を開け、耳の違和感を取り払うように撫でた。
「おはよう、魅月尾」
「…もっと普通に起こしてよぉ…」
「魅月尾が起きないからだろ?」
「だって…龍瞳様があんなに激しくするから…」
「へぇ〜、強請(ねだ)ったのはどこの誰だっけ?」
龍瞳は魅月尾の耳に顔を近づけ、舌を耳の中に入れた。
「ひゃあっ!
中…は、だめぇ…んっ………、はぁ、はぁ…」
魅月尾は目をトロンとさせて息を荒くし、龍瞳は口を離して意地悪く笑った。
「…さて、ご飯できてるってさ。着替えて食べにいこ」
「…はい…」
二人が服を着て出てくると、丁度使用人の男性が通りがかった。
「あ、おはようございます」
「おはようございます。昨晩は良くお眠りになれましたか?」
「はい」
「それはようございました。もし何かご所望があれば私どもに仰ってください」
「そうさせてもらいます。それから幟狼はどこに?」
「幟狼様はお先に食堂に参られております」
「じゃあ僕たちも」
「ええ」
二人は食堂へ向かい廊下を進みだしだ。
「今日の朝食はおいしい魚ですよ〜」
「おいしくいただきま〜す」
後ろから使用人が陽気に言うと、龍瞳がそう言って返した。
食堂に入ってみれば、椅子に一人幟狼が座って先に食事を進めていた。テーブルの上には焼き魚とお吸い物と白米が湯気を上げて、食べてくれと言わんばかりに自らを魅せていた。
「よう、魅月尾」
「おはよう、幟狼」
「夜は楽しめたか?」
「はい、っじゃなくて…あ…えっと…」
魅月尾は顔を真っ赤にして言い訳をしようとしていたが、楽しんでいないわけではないので否定しきることもできずアタフタした。男二人は「ヒヒヒ…」と笑い、龍瞳は席に着いた。
「………二人とも意地悪です…」
魅月尾はムスッとして龍瞳の前に座った。しかし、隣の席が空いていて用意された膳の数に人数が釣り合わない。
「あれ、乎弥ちゃんは?」
「あ〜、まだ寝てるのか…
あんた、悪ぃけど乎弥起こしてきてくれないか?」
幟狼はそばにいた使用人の女性に頼んだ。
「はい、かしこまりました」
「乎弥は俺の部屋で寝てるはずだから」
「はい」
しれっと言ったが、龍瞳と魅月尾にとっては驚愕の事実というやつだ。
「ごほっ…けほっ…、幟狼…昨日は乎弥と一緒に寝たのか…?」
「え?あ、あ〜、昨日は…というかいつもだなぁ。乎弥は小さい頃から俺にくっついて寝てて、まぁ年頃ンなれば離れるだろうと思ってたんだが。まぁ別に乎弥が好んでそうしてるなら別に意に介さないし、俺的には何の不都合もないしな」
「…そういうモンか…」
「まぁ、それでも良いとは思いますけど、私は。どちらかというなら越えちゃっても良いんじゃないかしら?」
「………」
何を?とは訊かない龍瞳の優しさ。最近、魅月尾は無意識になのか大胆な発言をするようになってきた。三尾になってしばらく経つが、本能の部分が顔を見せ始めたのか。
幟狼がどんな顔をしているのかと思って右を向けば、「…そうなのか…?」と呟いたのを目撃した。すこしポカンとなった龍瞳だったが、自分がウブすぎるのかとも思い始めた。
「遅くなってすみません」
そんなことを考えていると乎弥がやってきた。少し慌てた様子で、赤毛が跳ねている。
「おはよう、乎弥ちゃん」
「おはようございます、魅月尾さん」
「幟狼の隣は寝心地良いか?」
龍瞳はさっきの幟狼のようにそう言った。
「はい、っじゃなくて…あ…えっと…」
乎弥は顔を真っ赤にして恥ずかしがった。龍瞳と幟狼はさっきの魅月尾と同じ反応をする乎弥が余計に面白くて「ククク…」と肩を震わせた。
「も、もうボスッ!」
「龍瞳様っ!」
女性陣二人は男子二人を叱咤したが、今の二人にはそれが可愛さ以外の何ものでもなかった。
11時過ぎ、木刀同士の衝突音が中庭に響く。
「よっ、てぁっ」
「おっと、せぁっ」
龍瞳と幟狼は木刀を持って手合わせしていた。ここでは特にすることが無く、暇つぶしがてら鍛錬しているのだ。
「ふぅ…龍瞳、さすがだな」
「幟狼もなかなかだ」
「サンキュ。俺は好んで使うのが両剣ってだけで、はっきり言って剣も槍も斧も使える」
「だろうな。天性の才ってやつだ」
「だと自分でも思っときたいけどな。そういえば、龍瞳は師がいるんだったな?」
「ん、ああ」
「どんな人だったんだ?」
二人は話しながら庭のテーブルに近づき、椅子に座ってテーブルの上の水を飲んだ。
「………。師匠(せんせい)は俺が出会った頃にはもう四十を超えてるって話しだった。僕は身内から紹介してもらったけど、その人が『彼はもう四十も半ばだが』って言ってたんで、どんなおっさんかと思ったけど…まぁ、会ってみて驚いたさ。
なんせ、見た目はまさか四十過ぎとは思えなかった。見た目的には三十も手前、下手すりゃまだ二十代の見た目だ。んでそっから五、六年一緒にいたが、ほとんど変わらなかったね。それに体の動きもとても実年齢に伴ってない。はっきり言って魅月尾と出会う前の俺よりも上だったかもしれねぇな…」
「…はっ…どこの化けモンだよ…?」
幟狼は鼻で笑ったが、龍瞳が大袈裟に語るとは考えにくいとも思っていた。そんな二人の元に朝会った使用人の男がやってきた。
「お二人とも、今よろしいですか?」
「ええ。なにか?」
「お客人が来られます」
「客人?俺たちにか?」
「はい。子暁様もご同行されているようですので、客間の方までお越しいただけますか?」
「わかりました。えっと…」
「あ、私はフシノと申します」
「道具を戻してきますから、それから行きます」
「はい」
客間に行くと、すでに魅月尾と乎弥が椅子に座っていた。客間は広めの部屋で、白い壁に大理石のテーブルと高級なソファーが置かれていて窓から日の光が差し込む。
「練習どうだった?」
「まあ、いい感じだったよ」
そう言いながら二人は腰をかけた。しばらく待っていると、馬車の音が邸宅の前に止まった。足音がして客間の戸が開き、国王の子暁が姿を見せた。
「こんにちは、みなさん」
彼は仙斎茶色のズボンと、軽い装飾の施されたえんじ色の丈長の上衣を召していた。
「子暁様」
「どうです?不便はありませんか?」
「はい」
「それはよかったです」
「それで、お客って言うのは?」
幟狼が訊ねると子暁は戸の方を向いた。
「入ってください」
「は〜い」
「ん?」
龍瞳はその声に聞き覚えがあった。
(まさか客って…)
龍瞳の予想は当たる事になる。姿を見せたのは女性、黒髪、目元が龍瞳と似ているキリッとした人物。つまりは、
「姉さんっ!?」
「お久〜、龍ちゃん。魅月尾ちゃんも」
「お久しぶりです」
「尾っぽ増えたね?」
「…はい…御陰様で…」
「………」
龍瞳と魅月尾は顔を赤らめた。そこを指摘したなら彼女、翠蓮(すいれん)は当然その背景をわかった上で言っているに違いなかった。
「そっちのお二人は初めてね?翠蓮よ、よろしく」
「どうも、幟狼です。こっちは乎弥」
「乎弥です。よろしく」
「ふふ、かわいい子ね。それに…狼たちのボスもいるみたいだし?
龍ちゃんも恵まれたね〜」
翠蓮はニカッと笑った。幟狼と乎弥は彼女の言葉に驚いていた。
「あ、あの『狼たちのボス』ってどういう意味ですか?」
乎弥が訊ねた。
「どうって、だって彼はワーウルフの群れ、というかワーウルフも含めたコミュニティのリーダーでしょ?」
「俺のこと、誰かから聞いたんですか?」
「いえ、だってあなたからワーウルフの魔力を感じるもの。『色』が色々あるから一人じゃない、まぁワーウルフ自体単体の方が珍しいし。
それに『色』ごとの量が微量だから、それなりの関係にしか無いくて、大半は常に傍にいる程度ね。それに見たところ乎弥ちゃんもそのコミュニティの一員。ここにワーウルフがいないって事は彼女たちに言うことを聞かせることができる存在。つまり、『ワーウルフと人間の混同コミュニティのリーダー』が妥当なの」
「翠蓮さんは魔力を感じ取れるんですか?」
「ええ。まぁね」
龍瞳はその会話を聞いた後、「で」と言葉を切りだした。
「姉さんが何でこんなところに?」
「なによ、軟禁になったって聞いたからわざわざ来てあげたんじゃないの」
「いや、だとしても子暁…国王と一緒に来るなんて。第一誰から聞いたんだよ?」
「だれって、彼よ」
と、子暁をみた。子暁は椅子に腰掛けて頷いた。
「子暁様から?」
「ええ。だって…」
「子暁様と私が旧知の関係だからだ」
翠蓮の言葉を遮るように、その人がそう言った。
「えっ…?」
翠蓮の後ろにいつの間にか立っていた男が口を開いた。翠蓮がゆっくりと横に動くと、龍瞳は思わず立ち上がって叫んだ。
「師匠(せんせい)っ!」
「久しぶりだな、龍」
彼はセンターから分けた黒髪ロングヘアで、ウェーブが掛かっている。切れ長の目で印象的にはクールだが、性格はとても穏やか且つ楽天的で飄々としていた。
「今度は大変だったな」
「ほんとよねぇ、師匠」
龍瞳は彼に向かって会釈した。
「ご心配おかけしました」
「さて、そちらのお三方は初めてだったな?
初めまして、私は麒騨(キダン)。かつて彼を弟子にしていた者だ。とは言っても、今じゃ龍の方が強いだろうがな。
さっき君らの名前は聞いたから知ってる。今回は龍が世話になったそうだな、礼を言う」
麒騨は軽く頭を下げた。
麒騨は頬笑むと、
「さて、龍。今日来たのはお前が心配だったのもあるが…どれほどになったか気になってなぁ」
と言った。それを聞いて龍瞳は頬笑んだ。
「お手合わせ願えますか?」
二人が子暁を見ると、彼は笑って頷いた。そして二人は中庭に出たのだった。
しばらくすると木刀の当たる音が聞こえてきて、中庭を覗けばまるで曲技のような戦いが行われていた。それを見ていた幟狼もいつの間にか中庭に出ているので、試合って見たくなったのだろう。
「はあぁっ!」
龍瞳はそれまでの流れから体を回転させ木刀で薙いだ。麒騨は後ろに跳び退いてかわすと、素早い切り返しで龍瞳に迫った。競り合いはものの1秒足らずで別れ、互いに間合いを取り見合った。
まさに息を呑む緊張感と二人の雰囲気からは、これがとても『手合わせ』とは思えなかった。そして、どちらが先に動いたのかも判らない刹那、いや、もしくは本当に同時だったかもしれない。
二人はあっという間に距離を詰め、上段で、下段で連続して木刀の刀身を打ち合わせた後、麒騨が袈裟斬りを仕掛けるが、右上からの一度目、左上からの二度目を龍瞳は避け、龍瞳は麒騨の上半身を狙って薙ぎ、彼がそれを屈んで避けると足を払われないように龍瞳は跳んで、その下を案の定麒騨の木刀が通過した。
麒騨の右下からの袈裟斬りが迫り、龍瞳は右に木刀を垂直にして一度受け、間髪入れずに木刀を横に寝かすしつつ身を屈めた。そして麒騨の木刀を受け流すとそのまま刺突へと転じた。
「つぁっ―」
「くっ―」
彼はそれを紙一重で避けると、木刀を龍瞳の顔目掛けて振り切ろうとした。いや、振り切ったのだ。しかし龍瞳は踏み出した足を即座に戻し瞬間的に距離を取り、そのまま地を蹴って後方宙返りをして躱わし、体勢を立て直した。二人があっという間に距離を詰めてからここまでで十秒強だ。
龍瞳はそのまま後ろに二回、三回跳び下がり、麒騨は間合いを詰めるべくそれを追った。龍瞳は麒騨に背を向けて少しそのまま走ったかと思うと、そのまま庭の木を跳ねるように駆け上がり、幹を蹴って麒騨の上に飛び出した。体を半分ひねり正面を向くと、体を縮こめて足を上に向けた。瞬間、魔力の壁をそこに作った。
「てあぁーっ!」
天歩をつかって向きを変え、麒騨に木刀を振り下ろした。彼もそれを正面から受け止めて見せたが、遂に膝を着いた。
「…まったく、我が教え子ながらおっそろしいねぇ〜」
「師匠こそ、まだまだお強い…」
その瞬間その場にあった圧力(プレッシャー)が消え失せ、二人は木刀を離して納刀の仕草をした。手合わせが終了したということだ。
「…ふぅ…ふぅ…いかんな…もう昔ほど体力は無い…」
そういうと麒騨は歩いていって椅子に座った。
「人生も折り返しを過ぎれば、こんなものか…」
「ちょっとちょっと…」
幟狼が彼に近づいた。
「まさかもう六十過ぎてるって言うんですか?」
「はっは…まぁな。私も今年で六十二だ」
幟狼は引きつった笑いを零した。
「龍瞳はいつの間にあんな術を覚えたんだ?驚いたよ…」
「魅月尾に教えてもらったんです。魔力の扱いに関しては、やはり彼女の方が詳しいですから」
「そうか、いい伴侶を見つけたじゃないか。
まぁ少し休憩だ。話もしたいし、それに私も少し疲れたのでね」
幟狼と龍瞳は椅子に座って、三人は話を始めた。
「そうか、じゃあその借りを返した形なのか、今回は…」
「ええ、そうなります」
「いや、にしてもまさかこんなところで『十六夜の銀狼』の首領と顔見知りになれるとは。それにこんなに若い者だとは夢にも思わなかったよ。
幟狼君も龍瞳と同じほどの年齢だろう?」
「今年で二十三になります」
「なら龍の一つ上になるのか?」
「ええ」
それぞれの出会いや、身の上話に花を咲かせていると使用人のフシノがやってきた。
「麒騨様、龍瞳様、幟狼様。昼食の用意が調いました」
「そうか、ありがとう。どれ、昼食が済んだら幟狼君とも手合わせしてみたいが」
「どうかご教授の方お願いします」
「では、行こうか」
「じゃあ翠蓮さんは魔術師なんですか?」
昼食を終えて女性陣三人は魅月尾の部屋に集まっていた。
「ええ。でも魔力がちょっと少なくって『アリアの首飾り』を使ってたのよ」
「アリアの首飾り?」
乎弥は訊いた。
「ええ。これよ」
翠蓮は赤い宝石が付いているネックレスを取り出した。魅月尾はそれに見覚えがあった。
「あら、それは…」
「魅月尾ちゃんと初めてあったとき、龍ちゃんが取り戻したネックレスよ」
「それは?」
「魔力を増幅させるの。便利よ?今でもたまに使ってるわ。まぁ、今は師匠が魔力の引き出し方を教えてくれたからそれほど苦労はないわ。まぁ私の場合、出力が少なかっただけだからね」
「あの方は魔力学にも精通されておられるのですか?」
「ええ、そうね。師匠は武術、魔力学、医学、天文学、地学、科学…色々手を出してるみたいよ」
魅月尾の質問に翠蓮は自分の知っている情報を並べた。魅月尾や乎弥はもちろん、翠蓮すら、麒騨のことを人間離れしていると思っていた。確かに人間長い人生経験の中で様々な知識、技術を身につけるものだが、さすがにここまで来ると限度がある。
「しかもそれをちゃんと引き出すべき時に引き出せるというのがあの人の凄いところですね」
乎弥がほとほと感心と尊敬の表情で言った。
「ほんと。でも、魔術を実際に行使することはあまり無いし、『魔術に関することはあくまで知識の域だ』って師匠自身仰っていたわ」
「ところで、魅月尾ちゃんは龍ちゃんとはどうなのよんっ?」
「ふぇっ?!な、なんでいきなり…」
「ほら、気になるじゃない。姉として」
「というより、一人の女としてですよね?」
魅月尾は少し赤らんだ顔で切り返した。
「あはは、バレた?」
翠蓮はそう言うと、グイッと魅月尾に擦り寄った。そして不適な笑みを浮かべる。
「…でぇ、どうなのぉ?」
「あ、えと…龍瞳様はとても優しくしてくれて…いつも気にかけてくれます。…今度も、私が油断っていうか…捕まってしまったせいなのに、龍瞳様は…」
そこまで言うと魅月尾は悲しそうな顔をして俯いた。翠蓮はそんな彼女を見てから、フフ…と笑った。
「龍ちゃん、もし打つ手が無かったら…子暁さまを本当に殺してたかもしれないわね…」
「えっ…?」
「最悪の場合はってこと。まぁ龍ちゃんって案外あきらめの悪い性格だからね…」
不安げな表情を見せた魅月尾を見て、そう付け加える。
「龍ちゃん…言葉遣い変わってなかった?」
「あ…はい。龍瞳さんの一人称が『俺』ってなってたかも…」
乎弥が答えた。あのとき魅月尾も確かに聞いていたが、記憶は朦朧としていた。
「…やっぱり怒ってたわね…それでも六割方くらいよ。たぶんあなたにあれ以上の事があったら、そのときの比じゃないわよ」
「…私の目には、龍瞳様の表情がとても安心しているように見えました。けど…」
「けど?」
「それと一緒に、とても怖かったです…なんて言うのか、そう黒く…」
「私も、それは感じました…」
乎弥も魅月尾と同じモノを感じ取っていた。いや、二人だけではない。あの場にいたほぼ全員がそれをうっすらとも感じたはずだった。
「龍ちゃんね…昔本気に近いくらいの怒りを見せたことがあるのよ…」
二人は翠蓮の顔をパッとみた。
「幼なじみ、女の子なんだけど…彼女と私で山の方に山菜を採りに行って、山賊にさらわれたの。洞窟に連れ込まれて、もうダメかな…って思ったら洞窟の入り口に龍ちゃんが現れたのよ。でも…」
翠蓮は言葉を詰まらせた。
「でも?」
「一瞬、誰か解らなかったわ。確かに顔や体つき…見た目は弟だったけど、中身が全然違ったのよ…」
「…どういう…ふうに?」
「なんて言うか…怒りでいっぱいだったと思う。それに無表情で、山賊が斬りかかっても構いもしないで私たちの方に向かってきたのよ。当然傷を負って血も出たわ…でもやってきて、縄を解いて私たちを庇いながら洞窟の外まで出たの。
…気が付いて振り返ったら、龍ちゃんが山賊に突っ込んでくところだったわ」
「で…どうなったんですか?」
固唾を呑んで乎弥が続きを訊ねた。
「当然龍ちゃんはボロボロよ………だけど…山賊側は三分の一くらいの人数が瀕死だったけどね…」
「えっ…」
「瀕死…?」
二人は思わず言葉を失った。
「そう。まぁそれからなんやかんやあって、誰一人死ななかったけど…十一才の子供がすることじゃないわよね…」
「…それで、龍瞳さんは?」
「全治一ヶ月、傷跡は残らなかったわ」
「龍瞳様は、よほど心配だったんですね…」
「ええ。でも龍ちゃんは龍ちゃんなんだって思ったのよ」
「どういう事ですか?」
「いっつもそんな風かなとは思ってたけど、あそこまで目の当たりにしちゃうとね…」
翠蓮は苦笑しながら俯き、ため息を吐いた。
「それは龍瞳さんが山賊を倒したからですか?」
「いいえ、つまり…前に行くのも、後ろにいるのも龍ちゃんだけってことよ…いい加減、それに気づかないとダメなのにね…そのせいでどうなるか…」
「あの、それってどういう…」
「あ〜、湿っぽくなっちゃったっ!」
魅月尾はその意味を訊こうとしたが、翠蓮が話を切り替えようとしたためにとうとうその意味をここで知ることはなかった。
「要は二人はラブラブって事で良いのね?昨日も一緒に寝たんでしょ?」
「えっ?!…うっ…は、はぃ…」
魅月尾は真っ赤にした顔を両手で覆ってそう言った。
「もうっ…何で解ったんですかっ?!」
「だって、私たちがここに入ったときシーツにシワ一つ無かったし、隣の部屋にあなたの魔力が漂ってるもの」
翠蓮は当然のように答えた。そして、その視線の先が乎弥に切り替わる。
「っ…」
乎弥は一瞬ビクついたように体を跳ねさせた。
「乎弥ちゃん、好きな人いる?」
「あっ…えっと…わ、私は…」
翠蓮は乎弥が目を反らした事で、『いる』と確信した。そして、カマ掛けをしてみることにした。
「ま、いいや。それにしてもあの幟狼って人、いいなぁ。タイプだし誘って見よっかなぁ〜」
「えっ…!」
「あっ、もしかして乎弥ちゃんの好きな人って…」
「あっ…ちっ、違いますっ!」
「あれ…そう言えば小さい頃から、今でも一緒に寝てるんだっけ?」
魅月尾も悪ノリしたらしい。
「へぇ〜、実は…だから…何でしょ?」
あえて何がどうとは言わない、責め。
「何がですかっ?!」
「応援するわよ、乎弥ちゃん」
「だから何なんですかっ?!」
乎弥は顔を真っ赤に染めて照れまくった。その後、乎弥がその日しばらく幟狼をまともにみられなかったのは言うまでもない。
沈みゆく日の光で辺りが赤く染まり、東の空は暗くなり始めている。この孤島と岸をつなぐ橋の前に馬車が停まり、そこに彼らは集まっていた。
「夕飯ぐらい食べていけばよろしいのに…」
子暁が名残惜しそうに言う。
「お気持ちはうれしいのですが、何せやることもありますので…」
「それに、龍ちゃんや…みんなの顔も見られて良かったしね」
麒騨と翠蓮はにっこりと笑って龍瞳たちを見た。
「師匠、今日はありがとうございました」
「俺にも手解きをしてもらってありがとうございます」
「いやいや、私も龍の力を知れて良い機会だったし、幟狼君のような子がいると分かって楽しかったよ。幟狼君もまだまだ伸びる要素は十分だから、時間があれば訪ねてくればいい」
「はい、是非」
「じゃあね、二人とも。魅月尾ちゃん、龍ちゃんのこと頼んだわよ。あとしっかり手綱は握っていた方がいいわね」
「はい」
魅月尾と翠蓮はにっこりと笑った。
「姉さん、余計なこと言わない…」
龍瞳は少し苦笑いして言った。翠蓮は乎弥に手招きして、乎弥に耳打ちした。
「早くやることやんないと他の女性(ひと)に取られちゃうわよ?」
「っ〜〜!」
乎弥は顔を真っ赤にして慌てて離れた。
「あっははは」
翠蓮は笑いながら馬車の昇降段に足を掛けた。
「ま、応援してるからね」
翠蓮が乗り込むと麒騨も乗り込んだ。
「では、またその内お訪ねします。今度はお城の方に」
「はい、ではお二人とも…お気をつけて」
「はい」
「じゃあね、龍ちゃん………無理しちゃダメよ」
「ああ」
馬車はゆっくり走り出すと、橋を渡って林道に消えていった。
「あ、乎弥」
幟狼が乎弥を呼び止めた。
「な、何ですか、ボス」
「さっき龍瞳の姉ちゃんに何言われたんだ?」
「っ〜! な、何でもありませんっ」
「いや、顔赤くなってたし。つか何で目を合わせないんだよ?」
「合わせてない訳じゃありませんっ」
「いや、思いっきり反らせてんじゃん?」
幟狼は乎弥の顔をのぞき込んだ。
「っ〜〜!」
乎弥は顔を真っ赤にした。
「は、あ、あの…あ、お、お風呂入ってきますっ」
乎弥は小走りで部屋の方に駆けていった。幟狼は首を傾げて、近くにいた魅月尾に声を掛けた。
「魅月尾、乎弥のやつ今日の昼過ぎくらいから目を合わせてくれねぇんだけど、どうしたんだ?さっきは顔真っ赤だったし…」
「んっふふふ…まぁ嫌われたからって訳じゃないから安心して。でも何があったかは…女の秘密よ」
「………?」
幟狼は魅月尾の後ろ姿を見て、また首を傾げるのだった。
ノックして幟狼が声を掛ける。
「龍瞳、入るぞ?」
そう言って幟狼はドアを開けて部屋の中に入り、その二人の恰好を認識する。
「………二人とも、起きろ」
「…ん?なんだ…幟狼か…」
「なんだとは何だ、なんだとは」
「ああ、悪ィ…何時だ?」
「午前9時っ。朝飯もう食えるぞ」
「…そうか」
龍瞳は眠い目を擦りながらベッドから抜け出した。横では相変わらず寝息を立てる魅月尾が、気持ち良さそうに眠っている。龍瞳は立ち上がると左肩に手をやり、首を左右に曲げてゴキゴキと鳴らした。曲げるたびに解かれたままの長い黒髪がなびいた。
「…幟狼は何時起きだ?」
「7時起きだ」
「早いな…」
「まぁな。つか、お前はまず服を着ろ」
龍瞳は下着1枚で寝ていたため、色白な体や男性の毎朝の生理現象が一目瞭然だ。彼はまずズボンに足を通し始めた。
「あ、そうだ…魅月尾起こすから部屋から出てくれ」
「なんで?」
「魅月尾の服はあそこだ」
龍瞳はズボンを履き終って、着物を手に持ったまま指差した。
「あ、そうね…」
幟狼はそう言って退出した。龍瞳はまだ寝息を立てて気持ちよさそうに眠っている魅月尾に近づき、被っているシーツを取り去った。白い肌、ふくよかな胸、きれいな色の乳頭、金色の少ない恥毛に筋が一本。一糸纏わぬとはこういう事だ。
「…魅月尾、起きなよ」
反応なし。
「魅月尾っ、朝だぞ?」
揺すってみたが起きる気配なし。ふと見れば狐耳がヒクヒクと動いているので、龍瞳はその耳をつまんでクニクニとこねた。
「ひゃんっ!」
魅月尾はビクッとして目を開け、耳の違和感を取り払うように撫でた。
「おはよう、魅月尾」
「…もっと普通に起こしてよぉ…」
「魅月尾が起きないからだろ?」
「だって…龍瞳様があんなに激しくするから…」
「へぇ〜、強請(ねだ)ったのはどこの誰だっけ?」
龍瞳は魅月尾の耳に顔を近づけ、舌を耳の中に入れた。
「ひゃあっ!
中…は、だめぇ…んっ………、はぁ、はぁ…」
魅月尾は目をトロンとさせて息を荒くし、龍瞳は口を離して意地悪く笑った。
「…さて、ご飯できてるってさ。着替えて食べにいこ」
「…はい…」
二人が服を着て出てくると、丁度使用人の男性が通りがかった。
「あ、おはようございます」
「おはようございます。昨晩は良くお眠りになれましたか?」
「はい」
「それはようございました。もし何かご所望があれば私どもに仰ってください」
「そうさせてもらいます。それから幟狼はどこに?」
「幟狼様はお先に食堂に参られております」
「じゃあ僕たちも」
「ええ」
二人は食堂へ向かい廊下を進みだしだ。
「今日の朝食はおいしい魚ですよ〜」
「おいしくいただきま〜す」
後ろから使用人が陽気に言うと、龍瞳がそう言って返した。
食堂に入ってみれば、椅子に一人幟狼が座って先に食事を進めていた。テーブルの上には焼き魚とお吸い物と白米が湯気を上げて、食べてくれと言わんばかりに自らを魅せていた。
「よう、魅月尾」
「おはよう、幟狼」
「夜は楽しめたか?」
「はい、っじゃなくて…あ…えっと…」
魅月尾は顔を真っ赤にして言い訳をしようとしていたが、楽しんでいないわけではないので否定しきることもできずアタフタした。男二人は「ヒヒヒ…」と笑い、龍瞳は席に着いた。
「………二人とも意地悪です…」
魅月尾はムスッとして龍瞳の前に座った。しかし、隣の席が空いていて用意された膳の数に人数が釣り合わない。
「あれ、乎弥ちゃんは?」
「あ〜、まだ寝てるのか…
あんた、悪ぃけど乎弥起こしてきてくれないか?」
幟狼はそばにいた使用人の女性に頼んだ。
「はい、かしこまりました」
「乎弥は俺の部屋で寝てるはずだから」
「はい」
しれっと言ったが、龍瞳と魅月尾にとっては驚愕の事実というやつだ。
「ごほっ…けほっ…、幟狼…昨日は乎弥と一緒に寝たのか…?」
「え?あ、あ〜、昨日は…というかいつもだなぁ。乎弥は小さい頃から俺にくっついて寝てて、まぁ年頃ンなれば離れるだろうと思ってたんだが。まぁ別に乎弥が好んでそうしてるなら別に意に介さないし、俺的には何の不都合もないしな」
「…そういうモンか…」
「まぁ、それでも良いとは思いますけど、私は。どちらかというなら越えちゃっても良いんじゃないかしら?」
「………」
何を?とは訊かない龍瞳の優しさ。最近、魅月尾は無意識になのか大胆な発言をするようになってきた。三尾になってしばらく経つが、本能の部分が顔を見せ始めたのか。
幟狼がどんな顔をしているのかと思って右を向けば、「…そうなのか…?」と呟いたのを目撃した。すこしポカンとなった龍瞳だったが、自分がウブすぎるのかとも思い始めた。
「遅くなってすみません」
そんなことを考えていると乎弥がやってきた。少し慌てた様子で、赤毛が跳ねている。
「おはよう、乎弥ちゃん」
「おはようございます、魅月尾さん」
「幟狼の隣は寝心地良いか?」
龍瞳はさっきの幟狼のようにそう言った。
「はい、っじゃなくて…あ…えっと…」
乎弥は顔を真っ赤にして恥ずかしがった。龍瞳と幟狼はさっきの魅月尾と同じ反応をする乎弥が余計に面白くて「ククク…」と肩を震わせた。
「も、もうボスッ!」
「龍瞳様っ!」
女性陣二人は男子二人を叱咤したが、今の二人にはそれが可愛さ以外の何ものでもなかった。
11時過ぎ、木刀同士の衝突音が中庭に響く。
「よっ、てぁっ」
「おっと、せぁっ」
龍瞳と幟狼は木刀を持って手合わせしていた。ここでは特にすることが無く、暇つぶしがてら鍛錬しているのだ。
「ふぅ…龍瞳、さすがだな」
「幟狼もなかなかだ」
「サンキュ。俺は好んで使うのが両剣ってだけで、はっきり言って剣も槍も斧も使える」
「だろうな。天性の才ってやつだ」
「だと自分でも思っときたいけどな。そういえば、龍瞳は師がいるんだったな?」
「ん、ああ」
「どんな人だったんだ?」
二人は話しながら庭のテーブルに近づき、椅子に座ってテーブルの上の水を飲んだ。
「………。師匠(せんせい)は俺が出会った頃にはもう四十を超えてるって話しだった。僕は身内から紹介してもらったけど、その人が『彼はもう四十も半ばだが』って言ってたんで、どんなおっさんかと思ったけど…まぁ、会ってみて驚いたさ。
なんせ、見た目はまさか四十過ぎとは思えなかった。見た目的には三十も手前、下手すりゃまだ二十代の見た目だ。んでそっから五、六年一緒にいたが、ほとんど変わらなかったね。それに体の動きもとても実年齢に伴ってない。はっきり言って魅月尾と出会う前の俺よりも上だったかもしれねぇな…」
「…はっ…どこの化けモンだよ…?」
幟狼は鼻で笑ったが、龍瞳が大袈裟に語るとは考えにくいとも思っていた。そんな二人の元に朝会った使用人の男がやってきた。
「お二人とも、今よろしいですか?」
「ええ。なにか?」
「お客人が来られます」
「客人?俺たちにか?」
「はい。子暁様もご同行されているようですので、客間の方までお越しいただけますか?」
「わかりました。えっと…」
「あ、私はフシノと申します」
「道具を戻してきますから、それから行きます」
「はい」
客間に行くと、すでに魅月尾と乎弥が椅子に座っていた。客間は広めの部屋で、白い壁に大理石のテーブルと高級なソファーが置かれていて窓から日の光が差し込む。
「練習どうだった?」
「まあ、いい感じだったよ」
そう言いながら二人は腰をかけた。しばらく待っていると、馬車の音が邸宅の前に止まった。足音がして客間の戸が開き、国王の子暁が姿を見せた。
「こんにちは、みなさん」
彼は仙斎茶色のズボンと、軽い装飾の施されたえんじ色の丈長の上衣を召していた。
「子暁様」
「どうです?不便はありませんか?」
「はい」
「それはよかったです」
「それで、お客って言うのは?」
幟狼が訊ねると子暁は戸の方を向いた。
「入ってください」
「は〜い」
「ん?」
龍瞳はその声に聞き覚えがあった。
(まさか客って…)
龍瞳の予想は当たる事になる。姿を見せたのは女性、黒髪、目元が龍瞳と似ているキリッとした人物。つまりは、
「姉さんっ!?」
「お久〜、龍ちゃん。魅月尾ちゃんも」
「お久しぶりです」
「尾っぽ増えたね?」
「…はい…御陰様で…」
「………」
龍瞳と魅月尾は顔を赤らめた。そこを指摘したなら彼女、翠蓮(すいれん)は当然その背景をわかった上で言っているに違いなかった。
「そっちのお二人は初めてね?翠蓮よ、よろしく」
「どうも、幟狼です。こっちは乎弥」
「乎弥です。よろしく」
「ふふ、かわいい子ね。それに…狼たちのボスもいるみたいだし?
龍ちゃんも恵まれたね〜」
翠蓮はニカッと笑った。幟狼と乎弥は彼女の言葉に驚いていた。
「あ、あの『狼たちのボス』ってどういう意味ですか?」
乎弥が訊ねた。
「どうって、だって彼はワーウルフの群れ、というかワーウルフも含めたコミュニティのリーダーでしょ?」
「俺のこと、誰かから聞いたんですか?」
「いえ、だってあなたからワーウルフの魔力を感じるもの。『色』が色々あるから一人じゃない、まぁワーウルフ自体単体の方が珍しいし。
それに『色』ごとの量が微量だから、それなりの関係にしか無いくて、大半は常に傍にいる程度ね。それに見たところ乎弥ちゃんもそのコミュニティの一員。ここにワーウルフがいないって事は彼女たちに言うことを聞かせることができる存在。つまり、『ワーウルフと人間の混同コミュニティのリーダー』が妥当なの」
「翠蓮さんは魔力を感じ取れるんですか?」
「ええ。まぁね」
龍瞳はその会話を聞いた後、「で」と言葉を切りだした。
「姉さんが何でこんなところに?」
「なによ、軟禁になったって聞いたからわざわざ来てあげたんじゃないの」
「いや、だとしても子暁…国王と一緒に来るなんて。第一誰から聞いたんだよ?」
「だれって、彼よ」
と、子暁をみた。子暁は椅子に腰掛けて頷いた。
「子暁様から?」
「ええ。だって…」
「子暁様と私が旧知の関係だからだ」
翠蓮の言葉を遮るように、その人がそう言った。
「えっ…?」
翠蓮の後ろにいつの間にか立っていた男が口を開いた。翠蓮がゆっくりと横に動くと、龍瞳は思わず立ち上がって叫んだ。
「師匠(せんせい)っ!」
「久しぶりだな、龍」
彼はセンターから分けた黒髪ロングヘアで、ウェーブが掛かっている。切れ長の目で印象的にはクールだが、性格はとても穏やか且つ楽天的で飄々としていた。
「今度は大変だったな」
「ほんとよねぇ、師匠」
龍瞳は彼に向かって会釈した。
「ご心配おかけしました」
「さて、そちらのお三方は初めてだったな?
初めまして、私は麒騨(キダン)。かつて彼を弟子にしていた者だ。とは言っても、今じゃ龍の方が強いだろうがな。
さっき君らの名前は聞いたから知ってる。今回は龍が世話になったそうだな、礼を言う」
麒騨は軽く頭を下げた。
麒騨は頬笑むと、
「さて、龍。今日来たのはお前が心配だったのもあるが…どれほどになったか気になってなぁ」
と言った。それを聞いて龍瞳は頬笑んだ。
「お手合わせ願えますか?」
二人が子暁を見ると、彼は笑って頷いた。そして二人は中庭に出たのだった。
しばらくすると木刀の当たる音が聞こえてきて、中庭を覗けばまるで曲技のような戦いが行われていた。それを見ていた幟狼もいつの間にか中庭に出ているので、試合って見たくなったのだろう。
「はあぁっ!」
龍瞳はそれまでの流れから体を回転させ木刀で薙いだ。麒騨は後ろに跳び退いてかわすと、素早い切り返しで龍瞳に迫った。競り合いはものの1秒足らずで別れ、互いに間合いを取り見合った。
まさに息を呑む緊張感と二人の雰囲気からは、これがとても『手合わせ』とは思えなかった。そして、どちらが先に動いたのかも判らない刹那、いや、もしくは本当に同時だったかもしれない。
二人はあっという間に距離を詰め、上段で、下段で連続して木刀の刀身を打ち合わせた後、麒騨が袈裟斬りを仕掛けるが、右上からの一度目、左上からの二度目を龍瞳は避け、龍瞳は麒騨の上半身を狙って薙ぎ、彼がそれを屈んで避けると足を払われないように龍瞳は跳んで、その下を案の定麒騨の木刀が通過した。
麒騨の右下からの袈裟斬りが迫り、龍瞳は右に木刀を垂直にして一度受け、間髪入れずに木刀を横に寝かすしつつ身を屈めた。そして麒騨の木刀を受け流すとそのまま刺突へと転じた。
「つぁっ―」
「くっ―」
彼はそれを紙一重で避けると、木刀を龍瞳の顔目掛けて振り切ろうとした。いや、振り切ったのだ。しかし龍瞳は踏み出した足を即座に戻し瞬間的に距離を取り、そのまま地を蹴って後方宙返りをして躱わし、体勢を立て直した。二人があっという間に距離を詰めてからここまでで十秒強だ。
龍瞳はそのまま後ろに二回、三回跳び下がり、麒騨は間合いを詰めるべくそれを追った。龍瞳は麒騨に背を向けて少しそのまま走ったかと思うと、そのまま庭の木を跳ねるように駆け上がり、幹を蹴って麒騨の上に飛び出した。体を半分ひねり正面を向くと、体を縮こめて足を上に向けた。瞬間、魔力の壁をそこに作った。
「てあぁーっ!」
天歩をつかって向きを変え、麒騨に木刀を振り下ろした。彼もそれを正面から受け止めて見せたが、遂に膝を着いた。
「…まったく、我が教え子ながらおっそろしいねぇ〜」
「師匠こそ、まだまだお強い…」
その瞬間その場にあった圧力(プレッシャー)が消え失せ、二人は木刀を離して納刀の仕草をした。手合わせが終了したということだ。
「…ふぅ…ふぅ…いかんな…もう昔ほど体力は無い…」
そういうと麒騨は歩いていって椅子に座った。
「人生も折り返しを過ぎれば、こんなものか…」
「ちょっとちょっと…」
幟狼が彼に近づいた。
「まさかもう六十過ぎてるって言うんですか?」
「はっは…まぁな。私も今年で六十二だ」
幟狼は引きつった笑いを零した。
「龍瞳はいつの間にあんな術を覚えたんだ?驚いたよ…」
「魅月尾に教えてもらったんです。魔力の扱いに関しては、やはり彼女の方が詳しいですから」
「そうか、いい伴侶を見つけたじゃないか。
まぁ少し休憩だ。話もしたいし、それに私も少し疲れたのでね」
幟狼と龍瞳は椅子に座って、三人は話を始めた。
「そうか、じゃあその借りを返した形なのか、今回は…」
「ええ、そうなります」
「いや、にしてもまさかこんなところで『十六夜の銀狼』の首領と顔見知りになれるとは。それにこんなに若い者だとは夢にも思わなかったよ。
幟狼君も龍瞳と同じほどの年齢だろう?」
「今年で二十三になります」
「なら龍の一つ上になるのか?」
「ええ」
それぞれの出会いや、身の上話に花を咲かせていると使用人のフシノがやってきた。
「麒騨様、龍瞳様、幟狼様。昼食の用意が調いました」
「そうか、ありがとう。どれ、昼食が済んだら幟狼君とも手合わせしてみたいが」
「どうかご教授の方お願いします」
「では、行こうか」
「じゃあ翠蓮さんは魔術師なんですか?」
昼食を終えて女性陣三人は魅月尾の部屋に集まっていた。
「ええ。でも魔力がちょっと少なくって『アリアの首飾り』を使ってたのよ」
「アリアの首飾り?」
乎弥は訊いた。
「ええ。これよ」
翠蓮は赤い宝石が付いているネックレスを取り出した。魅月尾はそれに見覚えがあった。
「あら、それは…」
「魅月尾ちゃんと初めてあったとき、龍ちゃんが取り戻したネックレスよ」
「それは?」
「魔力を増幅させるの。便利よ?今でもたまに使ってるわ。まぁ、今は師匠が魔力の引き出し方を教えてくれたからそれほど苦労はないわ。まぁ私の場合、出力が少なかっただけだからね」
「あの方は魔力学にも精通されておられるのですか?」
「ええ、そうね。師匠は武術、魔力学、医学、天文学、地学、科学…色々手を出してるみたいよ」
魅月尾の質問に翠蓮は自分の知っている情報を並べた。魅月尾や乎弥はもちろん、翠蓮すら、麒騨のことを人間離れしていると思っていた。確かに人間長い人生経験の中で様々な知識、技術を身につけるものだが、さすがにここまで来ると限度がある。
「しかもそれをちゃんと引き出すべき時に引き出せるというのがあの人の凄いところですね」
乎弥がほとほと感心と尊敬の表情で言った。
「ほんと。でも、魔術を実際に行使することはあまり無いし、『魔術に関することはあくまで知識の域だ』って師匠自身仰っていたわ」
「ところで、魅月尾ちゃんは龍ちゃんとはどうなのよんっ?」
「ふぇっ?!な、なんでいきなり…」
「ほら、気になるじゃない。姉として」
「というより、一人の女としてですよね?」
魅月尾は少し赤らんだ顔で切り返した。
「あはは、バレた?」
翠蓮はそう言うと、グイッと魅月尾に擦り寄った。そして不適な笑みを浮かべる。
「…でぇ、どうなのぉ?」
「あ、えと…龍瞳様はとても優しくしてくれて…いつも気にかけてくれます。…今度も、私が油断っていうか…捕まってしまったせいなのに、龍瞳様は…」
そこまで言うと魅月尾は悲しそうな顔をして俯いた。翠蓮はそんな彼女を見てから、フフ…と笑った。
「龍ちゃん、もし打つ手が無かったら…子暁さまを本当に殺してたかもしれないわね…」
「えっ…?」
「最悪の場合はってこと。まぁ龍ちゃんって案外あきらめの悪い性格だからね…」
不安げな表情を見せた魅月尾を見て、そう付け加える。
「龍ちゃん…言葉遣い変わってなかった?」
「あ…はい。龍瞳さんの一人称が『俺』ってなってたかも…」
乎弥が答えた。あのとき魅月尾も確かに聞いていたが、記憶は朦朧としていた。
「…やっぱり怒ってたわね…それでも六割方くらいよ。たぶんあなたにあれ以上の事があったら、そのときの比じゃないわよ」
「…私の目には、龍瞳様の表情がとても安心しているように見えました。けど…」
「けど?」
「それと一緒に、とても怖かったです…なんて言うのか、そう黒く…」
「私も、それは感じました…」
乎弥も魅月尾と同じモノを感じ取っていた。いや、二人だけではない。あの場にいたほぼ全員がそれをうっすらとも感じたはずだった。
「龍ちゃんね…昔本気に近いくらいの怒りを見せたことがあるのよ…」
二人は翠蓮の顔をパッとみた。
「幼なじみ、女の子なんだけど…彼女と私で山の方に山菜を採りに行って、山賊にさらわれたの。洞窟に連れ込まれて、もうダメかな…って思ったら洞窟の入り口に龍ちゃんが現れたのよ。でも…」
翠蓮は言葉を詰まらせた。
「でも?」
「一瞬、誰か解らなかったわ。確かに顔や体つき…見た目は弟だったけど、中身が全然違ったのよ…」
「…どういう…ふうに?」
「なんて言うか…怒りでいっぱいだったと思う。それに無表情で、山賊が斬りかかっても構いもしないで私たちの方に向かってきたのよ。当然傷を負って血も出たわ…でもやってきて、縄を解いて私たちを庇いながら洞窟の外まで出たの。
…気が付いて振り返ったら、龍ちゃんが山賊に突っ込んでくところだったわ」
「で…どうなったんですか?」
固唾を呑んで乎弥が続きを訊ねた。
「当然龍ちゃんはボロボロよ………だけど…山賊側は三分の一くらいの人数が瀕死だったけどね…」
「えっ…」
「瀕死…?」
二人は思わず言葉を失った。
「そう。まぁそれからなんやかんやあって、誰一人死ななかったけど…十一才の子供がすることじゃないわよね…」
「…それで、龍瞳さんは?」
「全治一ヶ月、傷跡は残らなかったわ」
「龍瞳様は、よほど心配だったんですね…」
「ええ。でも龍ちゃんは龍ちゃんなんだって思ったのよ」
「どういう事ですか?」
「いっつもそんな風かなとは思ってたけど、あそこまで目の当たりにしちゃうとね…」
翠蓮は苦笑しながら俯き、ため息を吐いた。
「それは龍瞳さんが山賊を倒したからですか?」
「いいえ、つまり…前に行くのも、後ろにいるのも龍ちゃんだけってことよ…いい加減、それに気づかないとダメなのにね…そのせいでどうなるか…」
「あの、それってどういう…」
「あ〜、湿っぽくなっちゃったっ!」
魅月尾はその意味を訊こうとしたが、翠蓮が話を切り替えようとしたためにとうとうその意味をここで知ることはなかった。
「要は二人はラブラブって事で良いのね?昨日も一緒に寝たんでしょ?」
「えっ?!…うっ…は、はぃ…」
魅月尾は真っ赤にした顔を両手で覆ってそう言った。
「もうっ…何で解ったんですかっ?!」
「だって、私たちがここに入ったときシーツにシワ一つ無かったし、隣の部屋にあなたの魔力が漂ってるもの」
翠蓮は当然のように答えた。そして、その視線の先が乎弥に切り替わる。
「っ…」
乎弥は一瞬ビクついたように体を跳ねさせた。
「乎弥ちゃん、好きな人いる?」
「あっ…えっと…わ、私は…」
翠蓮は乎弥が目を反らした事で、『いる』と確信した。そして、カマ掛けをしてみることにした。
「ま、いいや。それにしてもあの幟狼って人、いいなぁ。タイプだし誘って見よっかなぁ〜」
「えっ…!」
「あっ、もしかして乎弥ちゃんの好きな人って…」
「あっ…ちっ、違いますっ!」
「あれ…そう言えば小さい頃から、今でも一緒に寝てるんだっけ?」
魅月尾も悪ノリしたらしい。
「へぇ〜、実は…だから…何でしょ?」
あえて何がどうとは言わない、責め。
「何がですかっ?!」
「応援するわよ、乎弥ちゃん」
「だから何なんですかっ?!」
乎弥は顔を真っ赤に染めて照れまくった。その後、乎弥がその日しばらく幟狼をまともにみられなかったのは言うまでもない。
沈みゆく日の光で辺りが赤く染まり、東の空は暗くなり始めている。この孤島と岸をつなぐ橋の前に馬車が停まり、そこに彼らは集まっていた。
「夕飯ぐらい食べていけばよろしいのに…」
子暁が名残惜しそうに言う。
「お気持ちはうれしいのですが、何せやることもありますので…」
「それに、龍ちゃんや…みんなの顔も見られて良かったしね」
麒騨と翠蓮はにっこりと笑って龍瞳たちを見た。
「師匠、今日はありがとうございました」
「俺にも手解きをしてもらってありがとうございます」
「いやいや、私も龍の力を知れて良い機会だったし、幟狼君のような子がいると分かって楽しかったよ。幟狼君もまだまだ伸びる要素は十分だから、時間があれば訪ねてくればいい」
「はい、是非」
「じゃあね、二人とも。魅月尾ちゃん、龍ちゃんのこと頼んだわよ。あとしっかり手綱は握っていた方がいいわね」
「はい」
魅月尾と翠蓮はにっこりと笑った。
「姉さん、余計なこと言わない…」
龍瞳は少し苦笑いして言った。翠蓮は乎弥に手招きして、乎弥に耳打ちした。
「早くやることやんないと他の女性(ひと)に取られちゃうわよ?」
「っ〜〜!」
乎弥は顔を真っ赤にして慌てて離れた。
「あっははは」
翠蓮は笑いながら馬車の昇降段に足を掛けた。
「ま、応援してるからね」
翠蓮が乗り込むと麒騨も乗り込んだ。
「では、またその内お訪ねします。今度はお城の方に」
「はい、ではお二人とも…お気をつけて」
「はい」
「じゃあね、龍ちゃん………無理しちゃダメよ」
「ああ」
馬車はゆっくり走り出すと、橋を渡って林道に消えていった。
「あ、乎弥」
幟狼が乎弥を呼び止めた。
「な、何ですか、ボス」
「さっき龍瞳の姉ちゃんに何言われたんだ?」
「っ〜! な、何でもありませんっ」
「いや、顔赤くなってたし。つか何で目を合わせないんだよ?」
「合わせてない訳じゃありませんっ」
「いや、思いっきり反らせてんじゃん?」
幟狼は乎弥の顔をのぞき込んだ。
「っ〜〜!」
乎弥は顔を真っ赤にした。
「は、あ、あの…あ、お、お風呂入ってきますっ」
乎弥は小走りで部屋の方に駆けていった。幟狼は首を傾げて、近くにいた魅月尾に声を掛けた。
「魅月尾、乎弥のやつ今日の昼過ぎくらいから目を合わせてくれねぇんだけど、どうしたんだ?さっきは顔真っ赤だったし…」
「んっふふふ…まぁ嫌われたからって訳じゃないから安心して。でも何があったかは…女の秘密よ」
「………?」
幟狼は魅月尾の後ろ姿を見て、また首を傾げるのだった。
10/12/13 17:55更新 / アバロンU世
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