連載小説
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囚われの夜顔 〜家紋の意味〜
 龍瞳は男と二人で宿の一室にいる。少し広い様に思える部屋には二人分の布団が敷かれている。
 その男以外にも、部屋の外と宿の外に計五人が龍童を見張っていた。彼は座卓の上に見取り図らしき物を広げて、頭を悩ませているようだった。
「…どこから侵入する?」

「つかんでいる情報では、ここの警備が手薄になっている。貴様なら容易く入れるだろう?」

「…そうだな…」
 龍瞳はこの話に乗り気ではなかった。当然だ、今しているのは『一国の王である少年を殺すために、城に忍び込む方法の模索』なのだから。魅月尾を人質に取られ、逆らえば彼女の『精神』を破壊されると脅されている。

 龍瞳は見張りの男から情報を得ながら、策を練っていった。
 やがて夜になって龍瞳は布団に潜り眠りに就いた。何があっても失敗出来ない『明日』のために…




「…うぅ…」

「おや、お目覚めか?」

「あなたっ…!」
 魅月尾は目を覚まし、『あの』幻を見せられる前にもしたようにその手首にかけられた手枷を引っ張った。当然外れるわけなど無い。
「何が目的?…まさか『体目当て』じゃないわよね?」

「ふっふふふ…君は人質だよ」

「…人質?」

「そう、龍の目を操るためのね…」
 策科(サクシナ)は口髭を撫でながら告げた。魅月尾は驚いたが、どこかでその返答を分かっていた。
「…龍瞳様に何をさせようっていうの?」

「なに、簡単さ。この火ノ国第十代国王である天染尊(アマソメノミコト)の暗殺だよ」

「何ですって…!?」
 鎖がガシャリと軋んだ。
「そんなことさせないわっ!」
 魅月尾は魔術で目の前の男を攻撃しようとした。しかし、魅月尾は異変を感じた。
(そんなっ…魔術が使えない…!?)
「無駄だよ…君は恐らく妖術を使おうとしただろう?だがね、残念なことにこの部屋には『抑鬼石』を置いている。
 これは貴重な物だが、一つでその石から半径20メートルの範囲内で魔力を大幅に抑制する」
 それを聞いて魅月尾はいつからか感じていた身体の脱力感に納得した。
「…おかしいわね、それならあの幻も見せられないはずでしょ?」

「呪印を施しているのでね、心配はいらんよ」

「あら、そう…」

「ただ、あの様な幻術だけでは面白くないのでね…こういうのはいかがかなっ?」

「きゃああぁぁっ―!」
 魅月尾は悲鳴を上げると目を見開き、背中を仰け反らせた。暫くするとがくりと鎖にぶら下がった。
「はっ― はっ― はっ― はぁっ―」
 目からは涙が零れ落ち、身体はがたがたと震えている。鎖さえなければその両手で震える肩を握りしめていることだろう。
「いかがだったかね…?『雷』を浴びた感想は」


 遠くで犬が遠吠えを上げ、声は闇夜に消えた。月明かりに照らされた城が西側へ影を作り、そこは一切の闇となった。
 人はとうの昔に寝静まり、起きているのは遊女や一部の男たち、夜回りの役人程度の者だ。
 城は高く厚い城壁に囲まれ、門も固く閉ざされていた。城壁の周りには警備の家臣たちが東西南北にそれぞれ20人ずつ配置され、一見侵入は不可能に思えた。

 だが龍瞳にとっては幸か不幸か、侵入が可能となる幾つかの状況が重なっていた。

 まず一つ。『東、西、北の一方が必ず月光で影になること』
 月が東から昇り、西へ沈みゆくのは当然の事、この世の理である。城が十階層あり、その一階層が既に他よりも10メートル高い基礎の上に成っている。
 また一階一階が天井が高く、またその上には大きな屋根があればその高さは裕に50メートルを超える。
 その巨大な城に月光は当然阻まれ、たとえ快晴の夜空であっても闇に包まれる。警備の者達は皆灯りを持っているが、その灯りさえ消えてしまえば視覚は意味を殆ど為さない。

 今、龍瞳は西側の影の中にいた。建物の影に身を潜めて、機を窺った。そして龍瞳は見計らって警備の者の一人の灯りに向かって『棒手裏剣』を投げた。
 棒手裏剣は正確に灯りの火を消した。見張りは突如闇に包まれたことでパニックに陥った。
 それを狙っていた龍瞳は一瞬で彼に近づき、口を押さえて呪札を張り気絶させた。龍瞳はすぐにまた別の建物の影に隠れ、見張りが歩いてくるのを待った。

 三十秒程度で見張りが倒れている男に気付き、近寄った。あまりにも気付かなければ石でも投げておびき寄せるつもりだったが、その必要もなくなった。
 龍瞳は同じように灯りを消し一瞬で近づき口を塞いで気を失わせ、今度は二人を物陰に隠した。


 『西側にある四階建ての建物』これが侵入を可能にする二つ目。

 そこは領事館で、西洋風の建物だ。城に面した側には窓がない。そこから城壁に縄を張られないようにする為だったが、それを逆手にとったのだ。
 龍瞳は城壁に向かって跳び上がり、壁面を蹴って向かいの領事館へ跳んだ。また領事館の壁面を蹴って城壁へ飛び移り、それを数回交互に繰り返した。

 下駄の音が『カッ―カッ―カッ―』と鳴るが、見張りに二人分の穴が開いているため、他の者の耳に届いた頃には、龍瞳は城壁の上へ飛び移った後だった。
 見張りは首を傾げて元の位置に戻り、龍瞳は侵入への一手を掛けたのだ。


 城壁の屋根の上に龍瞳は立っていた。そよ風が彼を撫で、髪の毛が靡いた。

 龍瞳は目の前の楼閣を睨んだ。それから今立っている塀の下を覗いた。真下には塀に沿って一周する堀があった。そして彼の目線の高さに城の一階層があり、灯の灯りがこぼれていた。
 龍瞳は一歩前に向かってぴょんと跳んだ。当然そのまま彼は直立のまま落下していった。

 しかし、水音が上がることはなかった。
 龍瞳は落下の途中で塀を蹴り、岸の方へと方向を変えた。だが堀の幅は広くそれだけでは届かないのは目に見えていた。

(天歩(てんぽ)ッ!)

 龍瞳は宙で足を蹴り出し、彼は傾斜の少しきつい岸へと着地した。
 天歩という技は『超人的な脚力で空気を蹴り………』等という無茶な技ではない。『魔力で薄い壁を空気中に作り、それを蹴って飛距離を伸ばす』というちゃんとした?技なのだ。
 だがこの技にも欠点があり、壁は半秒程度しか持たず、連続で作ることは困難というものだ。天歩を使うには足にあらかじめそれなりの魔力を集め準備することが必要になる。

 岸の傾斜は約40度といった所だった。それを下駄で駆け上がったのだから驚きの器用さだ。
 壁に張り付いて、窓から中を窺う。するとその窓のある部屋の目の前を警備兵が通り過ぎた。


 城の正面の入り口。見張りの一人が大あくびをした。
「ふああぁぁ…」

「しっかりしろよ、欠伸なんてしてる暇ないぞ」

「だけどよ、塀の外にも見張りはいるし、忍び込む奴なんているのかよ?」

「そういうな。万が一があるだろ、万が一が」

 その二人を上から見つめる目が二つ。それは音もなく接近し、一人を殴って気絶させた。
「うっ―」

「どうしっ―」
 振り返り掛けたもう一人も腹を殴って気絶させ、入り口をそっと開けた。

 情報通り、このタイミングでは一階の中心の大廊下は人が居ない。龍瞳は誰も来ない内に大廊下を走り抜け螺旋階段に辿り着いた。


 龍瞳は螺旋階段を駆け登り始めた。龍瞳は二階を通り過ぎ、三階まで上がってくると螺旋階段から三階の廊下に抜けた。
 そして壁に張り付き螺旋階段の方の様子を伺うと、四階の廊下から警備兵が螺旋階段へ出てきた。
(情報通りだ…もし螺旋階段に誰もいなければ四階と八階から警備兵が出てくる…そして螺旋階段を回廊を回りながら警備し、一周して廊下へ戻る…)

 龍瞳の思った通り、警備兵は螺旋階段の外側の回廊を一周してまたそれぞれの廊下へと戻っていった。
 すぐに階段に戻り、急いで階段を駆け上がった。


 そして月光が北へ影を作る頃、とうとう十階に辿り着いて見張りを全て無力化した龍瞳が、幼き王の眠る部屋へ通ずる扉の前に立っていた。
(とうとう来ちまった…もう戻れない…)

 扉のノブに手を掛けた。それほど大きくもなければ、厚くもない、ただ美しく装飾の施された普通の扉。だがとてつもなく重く感じた扉、それがゆっくりと開いた。

 扉の先の通路の左側、そこが『彼』の眠る私室だった。
 コツンッ― コツンッ― コツンッ― 

 私室の扉を開けると、少し広い部屋のベッドの上に彼は居た。上を向いて姿勢正しく寝ていた。
 長く茶色気を帯びた髪がシーツの上に乱れていた。ゆっくりと近づき、貴太夫を抜いて逆手に持って振り上げた。

 その時だ。
「…龍瞳さん…?」
 彼が眼を醒ました。




「うぅっ…なっ、おい、起きろっ!」
 気絶していた見張りが目を覚ました。そして周りにいた数人の見張りをたたき起こした。
「なにがっ…?」

「お、おい…扉が…」

「しまったっ!」

 見張り達は慌てて王の私室へ向かった。
「殿下っ!殿下ぁっ!」

「なっ…」

「あっ…!」

 そこにはシーツを真っ赤に染めて力無く横たわる幼き王の姿があった。そして窓が開き、そこには当然もう彼の姿はなかった。



 策科と落ち合う手筈の場所は、火ノ国の西の海岸だった。龍瞳は事の後、城から逃げ出して真っ直ぐそこに向かった。
 着いた時には正午を過ぎた頃だった。海岸には策科と数人の部下が待っていた。
「言われたとおり、王は殺した…魅月尾を返せッ」

「確かに殺したようだな…部下から報告を受けている。胸を一差し、それはせめて苦しまぬようにという情けか。
 だが、一人の女のために一国の王を殺すとは…くくく、愚かとしか言えんな?」

「黙れっ…魅月尾は無事なんだろうな…?」
 策科は背を向けて数歩歩いて止まった。
「付いてきたまえ」

 龍瞳は彼の後ろを付いていった。策科達は海岸の北側にある崖下の洞穴へ入った。
「…なんなんだここは…?」

「一種の…『拷問部屋』だよ」
 洞穴の中には壁に灯りとして灯の点いた蝋燭が付いていた。洞穴の奥に鉄製の扉があり、固く閉ざされていた。
 その扉が開かれた。中には下る階段があり、かなり下まで続いていた。
「君が先を行きたまえ」

「………」
 龍瞳は階段を下っていった。下駄の音がさっきよりも大きく木霊している。そして下に部屋があるのが分かり、その部屋の大半を見回せるまで下りた時に龍瞳は叫んだ。

「魅月尾ッ―!」
 龍瞳は叫んだ。そこには両腕を開いて天井付近から延びた鎖で繋がれ、床に膝を着いてぶら下がっている魅月尾がいた。着物は最後に会った時のまま、ここの湿気か、汗なのか、彼女の髪も着物もしっとりとして肌に張り付いていた。

「…龍瞳さま…?」

「魅月尾…!」

「…やれ」
 龍瞳が魅月尾に駆け寄った瞬間、魅月尾はいきなり絶叫し鎖を目一杯引っ張った。頭は上を向き、背は仰け反っていた。
「キャアァァァッ―!」

「どうしたッ!?魅月尾っ!魅月尾っ!」

(なんだ?…何が起こってるっ!?
 これは…幻術かっ―!)

 その通りだった。魅月尾は今、『本物の電撃』の苦痛を浴びているのだ。幻術なのだから外傷があるわけではないが、彼女の感じている痛みは本物であった。
 そしてその幻術による電撃が止んだらしく魅月尾ぐったりとまたぶら下がった。身体は痙攣していて、呼吸は荒い。そして、もともと少し湿っていた着物の臀部辺りが増して湿り、すぐに液体が零れ始める。それは言わずと知れた小水だった。
「はっ―はっ―はっ―はっ―」

「策科ぁっ!」
 龍瞳は振り返って怒りを露わにした。呼吸を乱し、危うく過呼吸になりかけている魅月尾を見て、冷静でいろと言う方が無理な話だった。


 いつもどこか飄々としている彼女のこんな姿を見たくはなかった。それが彼の本心だ。
 龍瞳は策科を睨み付け、大雅丸(太刀)の柄を掴んだ。
「やめたまえよ、彼女の心がどうなっても良いというなら別だがね…
 それに、君の身体能力はここでは彼女と出会う以前の値だ」

「何ッ?」

「抑鬼石をおいているのだよ、ここには。
 大抵の魔力を抑制する。君の身体能力は常に魔術が掛かっていたと言ってもいい。
 だが、君の彼女と会う以前の身体能力でこの5メートルの距離を一瞬で詰め、その太刀を一瞬で振るい我々を斬り断つことはできんだろう?」

「くそっ…!」
 龍瞳は刀から手を離した。
「君には国王暗殺の犯人として死んで貰う。そして、次の国王になるのは私だっ!
 あのガキの親父に私を信じ込ませ、あのガキに何かあった時は私が王になるようにという遺言も書かせた。
 私には昨日、馬鹿な重役どもと酒を飲んでいたという事実がある。貴様さえ消せば、真実を知る者はなくなるわけだ」

「この屑が…」

「黙れ、小僧。龍の目などと持て囃されてはいるが、所詮は青臭いガキだ。さぁ、死んで貰うぞ」
 策科は小銃を取り出し、銃口を龍瞳に向けた。

「そうはさせませんよっ!」

「誰だっ!?」


 策科達の後ろの階段から数人の男達が下りてきた。そして策科は目を疑った。
「な、何故だっ!?何故貴様がそこにいるっ、天染尊ッ!」

「残念ながら、龍瞳さんに味方する者がいたのですよ。
 その者達は私に事情を説明してくれました。そして、快く承諾したのです」

「味方だと?」

「おう…俺たちだ」
 そう言って後ろから現れたのは幟狼と乎弥だった。


 実は龍瞳が旅立つまえに幟狼に渡したメモ。あれはただの紙ではなく、『映し紙』と呼ばれる魔具だったのだ。
 映し紙は元々幟狼が受け取った物の倍の大きさだった。それを半分に分け、一方に文字を書くと、もう一方にも同じように文字が浮き出るという代物なのだ。材料が希少なため、かなり値が張り持っている者はとても少なかった。

 しかし、幟狼がそれに気付かなければ意味がない。かといって普通に伝えては『あの時見張っていた』策科の部下に気付かれてしまう。
 もともと信用しきっていたわけではない、見張りにも気付いていた。ただこの状況が予想外だったのだ。

 さて、幟狼にそのことを伝えた方法だが単純な暗号だ。

 『写真を渡
  して白い
  紙を貰う
  十枚に部
  分けして
  後はマン
  トのすそ
  に隠して
  確認する』

 これがあのメモに書かれていた文面だ。そして幟狼に言った言葉。
「渡すのはやっと字の読めるようになった子供だ。始まりから左の道を下って、右に曲がったらいい」

 重要なのは「やっと字を読めるようになった」そして「始まりから左の道を下って、右に曲がったらいい」

 まず「やっと字が読めるようになった」の部分は初めて読む字は大概平仮名だろう。つまり「平仮名にしろ」ということだ。
 つぎに「始まりから左の道を下って、右に曲がったらいい」だが、これはどう読めばいいのかを示している。
 「始まりから左の道を下って」すなわち「文の始めから左の行を下に向かって」ということだ。
 「右に曲がる」とはその通り「右に読め」だが「どこで」という指定がない
。そこで曲がらなければ行けないところ、つまり一番下の行で右に曲がるのだ。
 そうすると「うつしかみじゅうふんごとにかくにんする」
「映し紙、十分ごとに確認する」となるのだ。

 忍び込む前の晩、龍瞳は寝たふりをして懐の映し紙に自分の血をインク代わりに『ミヅキオ ヒトジチ。バショ フメイ。 ヒノクニ コクオウ アンサツ キョウヨウ。アスノヨル シロニハイル』と書いて連絡した。

 それと時同じくして、『十六夜の銀狼 アジト』
「ボスッ!例の紙に文字が」

「なに?『ミヅキオ ヒトジチ………』
 …こいつぁどうやら、まずいらしいな…」

「ボス、どうしたんですか?」

「ん、乎弥か。ちょっと龍の目のお手伝いにね…」

「わ、私も行きます」

「…よし、船の準備だ。とびっきり速いヤツをなっ」

 二人は龍瞳の忍び込む日の夕方、火ノ国に到着し多急ぎで城へ向かった。
 城に着いた頃には薄暗くなり始めていて、時間がなかった。だがここは名を挙げた義賊だけあって、侵入はお手の物だ。
 そして尊の私室の前の通路に窓から侵入すると、私室の戸を叩いた。
「何者ですかっ!?」
 天染尊は驚いて声を上げた。
「無礼なのは分かってるが、話を聞いて貰わなきゃあんたと女一人の命が危ないんでね…」

「私の命が…?どういう事です?」

「実は………」


 そして龍瞳が彼の部屋に侵入して来た。そして貴太夫を振り上げた途端、声を掛けたのだ。
「…龍瞳さん…?」

「国王さま…」

「…龍瞳さんだけですね?よかった…
 先程、狼の長から事情は聞いています」

「狼…幟狼ですか?」

「ええ、ちゃんと策は用意しましたよ。ただこんな形で会うのは残念ですが…」

「申し訳ありません…」

「いえ、魅月尾さんという方の事が心配ですし、それに私も貴方に殺されたくはないですから」

「それで、策というのは?」

「ここに私の『血』があります。それを私の服とベッドに撒いて、死んだように偽造します。
 私が死んだという嘘の情報を流し、敵を油断させます」

「分かりました。ですがその血は…?」

「ああ、さっき抜かれました…
 お陰で少しくらくらしてるところですよ(^_^;)」

「それはまた申し訳ない」

「いえ。
 …それで、首謀者は分かっているのですか?」

「…はい。首謀者は…策科です」

「策科っ!?
 まさか彼が…?」

「本当です」

「分かりました。そろそろ行ってください」

「はい」

「それから…
 どうか幸運の舞い下りんことを…」
 龍瞳は天染尊に一礼して城を脱した。



 さて、策科たちは国王率いる将軍含む兵士三名と幟狼と乎弥、龍瞳と対峙しているわけだが、これで諦めるようなタマではもちろん無い。
「ちっ、貴様が死んでいないのは失敗だったが…あの女の精神はまだ我が手中だ。
 道を開けろ、さもなくばこの場で奴の精神が砕け散ることになるぞ?」

「どうします、陛下」
 将軍が国王に指示を求めた。
「…道を開けましょう…」

「承知しました…」
 国王と兵士達、幟狼ら六人は策科達と見合ったまま階段の前から退いた。策科達は階段を上がり、策科は振り向いて手を拱いて見ているしかない彼らを見下ろした。そして…

「キャアァァッ―! アァッ―イヤァッ―!」

「魅月尾っ!」

「策科ッ、卑怯な―!」

「ククク…貴様らにはここで生き埋めになって死んで貰うッ!
 だがその女が廃人となってゆくのを見て、絶望の底で死んでゆけ!」
 扉が閉ざされ、魅月尾の悲鳴が木霊する。

「魅月尾っ、しっかりしろ魅月尾ッ!…くそっ!」

「龍瞳さん、幻術を対象一人にかける場合には紋章が必要になります。その紋章を消せれば幻術は効きません」

「だがどうやって消す!?」

「私が出来ます。ですがここでは魔力が封じられていて無理です」

「だったら早く外に―」
 その時扉に向かった兵士から悪い知らせが入った。
「陛下っ、ダメですッ!
 結界が掛かっていてとても開きませんッ!」

「そんなっ―」
 龍瞳が落胆の声を零した。
「…当然と言えば当然ですか…」
 国王は考察を言って俯いた。魔力を封じられた状況では結界を破る方法は皆無と言ってよかった。

「龍…瞳…さまッ―」

「魅月尾ッ」

「私はッ…大丈夫です…からッ―」
 魅月尾は痛みに耐えてそう伝えた。先程からも悲鳴を必死で堪えていた。
「魅月尾…」
 龍瞳は魅月尾の目を見て、真意を悟った。「私は大丈夫。何か脱出の方法雅無いか探して」
 覚悟を決めた目だった。
「乎弥…紋章がどこにあるか探してくれ。僕はここから出る方法を探す…」

「…はい」
 龍瞳は貴太夫で鎖を断ち、階段を上がっていった。
「魅月尾さん、ちょっとすみません…」
 乎弥は魅月尾の着物を少し脱がせて紋章を探した。首、胸、両腕、両足。だがそのどこにも紋章はなかった。そして後ろ側に回った時にそれは見つかった。
 黒い二重の四角と四辺の外側に三角が一つずつ。それが探していた紋章だった。
「あった…ありました、龍瞳さんッ!」

 一方の龍瞳は、全く手が思いついていなかった。扉の脇の岩壁も少し崩してみたが、壁の中にも結界が張られていた。
(くそっ…魅月尾の精神の限界もここが崩されるまでも時間がない…どうすればいい…)
「―ああぁぁっ…きゃあぁっ―!」
 魅月尾の悲鳴にはっとした。魅月尾がもう耐えきれなくなってきたらしい。そして強う衝撃と爆音が伝わってきて、揺れ始めた。本当に時間が無くなった。
「龍瞳、なんとかなんねぇのかっ!」
 幟狼が魅月尾を担いで階段を上がってきていた。

「はっ…はっ…はっ…」
 龍瞳は追いつめられていた。龍瞳を追いつめるのは洞穴が崩壊するまでの時間でも、魅月尾の精神が崩壊するまでの時間でもなく、それらに対して何の対抗もすることが出来ない「己自信のひ弱さ」が彼を今、高い高い崖の絶壁に追いつめていた。
「はっ― はっ― はっ―」
 龍瞳の荒い呼吸音がここが崩れようとする轟音の中に僅かに木霊した。
「あぁっ…うぐぁっ…ああぁぁっ―」

「魅月尾がもう持たねぇぞっ!」

(どうすれば良いんだ…どうすればっ―!何も出来ないでこのまま終わるのかっ…僕は…俺はっ―)

「はっ― はっ― はっ―!」

((見据えるのだ、道はある))

(っ!?)

 脳裏をよぎったのは、龍瞳の剣術の師の言葉だった。そう、それは彼が修行の一環として師と共に盗賊団を討伐に行った時だ。予想以上の敵の多さに、二人は圧され周りを囲まれた。
 だが焦る龍瞳に諭す様に、凛とした様子で彼は言った。
「見据えるのだ、道はある。それが例え獣道だとしても、荒れ果てた道だとしても、前に進むための道がある」

 龍瞳はこの言葉が思い出されたことに意味を見いだそうとした。そして彼が取った行動、それは言葉通りに結界の張られた扉を見据えることだった。
 大雅丸の柄を握り、腰を少し落として呼吸を整えた。
 見つめる扉は全く変化を起こす様に見えない。ただそこに閉ざされ、行く手を塞いでいるだけに思えた。しかし、機は突然に訪れるものだ。

(っ―!)

 扉が…扉の跳ね返す光が、歪んだ。
「ハアァッ―!」
 龍瞳はそれに賭けて大雅丸を抜き一閃した。もしそれがただの錯覚だったとしても、それに賭けるほか無かった。そして、その一閃が結界に弾かれることはなかった。

「乎弥っ、走れっ!」

「はいっ!」
 道が開くと同時に幟狼が叫んでいた。その後を龍瞳たちは続いた。天井からは小石が崩れて落ちてきていた。岩壁も揺れている。

 間一髪で、轟音を挙げて崩れる洞穴から七人は脱出した。乎弥は懐から一枚の紙を取りだし、それに向かって紋章払う様に手を振った。次の瞬間に紋章は魅月尾の背中から、乎弥の持つ紙へと移っていた。
 龍瞳は魅月尾に駆け寄ると仰向けにして腕に抱いた。だが彼女の腕はダランと垂れ下がっていた。
「魅月尾ッ、魅月尾ッ!」
 応答は無かった。涙と涎でくしゃくしゃになった顔はピクリとも動かず、目は半目に開き瞳からは光が消えていた。

「ぐはっ―!」
 龍瞳以外はその声に顔を向けた。その先にいるのは国王が連れてきた兵士たちと、それを迎え撃っている策科たちだった。約50の兵士たちが相手にする数はたったの6人、しかし、兵士たちの半数が倒れて策科たちの優勢は明らかだった。

「おい、どういうことじゃ、ありゃ…」

「ただの大臣職ではなかったということですね…」

「はい、策科は外交の腕前は確かでしたが、それに付け加えある程度の武術も嗜んでいたと聞いていました。ですが…」

「あれのどこがある程度だって…?刀持った兵士を素手でぶっ飛ばしてんじゃねぇか…」

「…以前私が見た彼の力は、実力の数分の一も無かったと言うことのようです」

「乎弥…こっちへ」
 龍瞳は魅月尾を無言で乎弥に託し、立ち上がった。乎弥は彼の顔を見ることは出来なかった。なぜなら風に舞った髪の毛が彼の顔を遮ったからだ。もちろん背後から見ていた幟狼や国王たちにはその顔は見えなかった。ただ、それでも分かったことがあった。
「何だ…大人しくつぶれていればいいものを…忌々しいガキ共めっ」

「…黙れ」
 彼は恐ろしく静かだった。彼の雰囲気に飲まれて、風の音も海の音も人の声も、一瞬だけ聞こえなくなったようだった。
 彼は大雅丸を抜くと同時にその刀身から、白い魔力の刃を飛ばした。だが、策科の20メートルも前で霧散した。
「『飛ぶ剣撃』…奇襲のつもりだったかね?
 悪いが調べは付いている。君が魔力を刃に変えて放てることも知っているのだよ。ここに抑鬼石を持っている限り、魔力による遠距離攻撃は無理だ。
 近付けばあの部屋の様に君の圧倒的身体能力は封印される。それで私に敵うかね?」

「…今のは貴様がどう出るか確かめたかっただけだ。それにどうやら貴様は刀を持ったものに対して心得があるらしい」
 そう言うと龍瞳は帯から七緒を外し、太刀と脇差しをその場に鞘ごと突き刺した。そして下駄ではこの砂上では不利だと思ったのか、下駄を脱いで一歩前に出た。
「ほう…素手でやるかね?
 いいだろう、格の違いを思い知らせてやる」

 龍瞳と策科は互いに走り、その間合いをぐんぐん縮めていった。策科は龍瞳よりも速く攻撃を仕掛け、龍瞳はそれを防ぐ形となった。
 策科は拳を払われるとすかさず蹴り上げ、かわされたと見るや一瞬で下ろし逆の足で回し蹴りを龍瞳に喰らわした。龍瞳は回し蹴りを右腕でガードしたが、背面を向いたままの策科の蹴りで後ろに退いた。
「…ふっ」
 策科は龍瞳に近付き蹴り上げる予備動作を見せた。龍瞳は蹴りに対して警戒し防御したが、予想に反して策科の拳による打撃がノーガードだった右胸に直撃し、続けざまの双掌打が彼を弾き飛ばした。
「龍瞳っ!」
 幟狼が堪らず声を掛けたが、龍瞳は無反応のまま立ち上がった。

(はっ…口程にもな―)
 そう思って拳を突き出した策科の腹部を龍瞳の左拳が襲った。
「ぐはっ―あがっ、ぐへっ、うごはっ―」
 龍瞳はその打撃を皮切りに顔を右拳で殴った後、その裏拳で反対側の頬を殴り、素早い回し蹴りを腹に入れて策科は少し飛んで転がった。

「はぁっ…はぁっ、ぺっ…」
 策科は血を吐き捨て、一緒に折れた歯も捨てた。血を腕で拭い、立ち上がった。
「このガキャぁぁっ!」
 策科は激怒して右、左と拳を繰り出し蹴り上げようとしたが、龍瞳は的確に拳を払うと次の蹴り上げようとする足の膝を蹴り上げれないように抑えた。
「貴様の動きは見切った」
 足を下ろした策科はまた打撃を出したが、龍瞳はそれを屈んで避けて腹部に連打を加えた。
「ぁ…ぁぁ…」
 そして龍瞳は掌を上に向け手首と手首を合わせ思い切り突き上げた。
「うゴッ―」

 策科が後ろによろけて何メートルか下がった時、龍瞳はある声に振り返った。
「…龍瞳…様…?」
 魅月尾の声が龍瞳の耳に届いた。とてもか細い声のはずだった、それでもその声は届いた。
「魅月尾…!」
 龍瞳はその声に驚きと喜びの表情で振り向いた。しかし、それが隙になった。
 振り向いた彼の後方で、策科がリボルバーを取り出していたのだ。それを龍瞳に向け、狙いを定めた。
 鳴り響く銃声、飛び散る血飛沫。しかし、龍瞳は凛とした様子で立ち、薄ら笑いすら浮かべていた。彼は銃弾を右腹部受けたが、それでも尚歩き続けた。
 彼の心はある二つの感情によって満たされ、痛みは和らげられていた。色で表すなら、薄桃色の喜び。

(魅月尾が…無事で良かった…本当に良かった…だから…)

 もう一つの感情は―

(…策科…これでお前に…)

 赤黒色の―

(生きて…俺の恨みを浴びてもらう必要は…なくなった―)

 憤怒。


 策科が引き金を引いた。
 龍瞳は鞘ごと突き刺した太刀だけを抜き振り返った。その顔は憤怒の無表情。そして振り返ると同時に大雅丸を振った。 銃弾は大雅丸の刀身によって軌道を変えられ、龍瞳の後ろの砂地に潜った。
「なぜだ…なぜ死なんっ!?」
 策科は誰も答えない質問をした。そして引き金を引いた。
 もし彼の質問にその答えを返すなら、それはこうだ。
 龍瞳は今、抑鬼石の効力範囲外に出ている。その間に魔力が復活し、彼の傷は止血されたのだ。また銃弾は運良くも、内臓を掠めこそしたが傷を与えはせず、怒りによって痛みが阻害されているのだ。

 同じ立ち位置でその銃弾も弾いた龍瞳は、貴太夫を抜くと策科に向かって投げた。貴太夫は回転しながら真っ直ぐ向かってゆく。
 策科は打ち落とそうと貴太夫を狙った。しかし貴太夫の刀身は銃弾を弾き、四発式のリボルバーは弾切れとなった。貴太夫も砂の上に突き刺さり、近付く龍瞳の姿を映していた。
 貴太夫は拾われると腰の後ろの鞘に納められた。そして走り出した龍瞳は策科に十分接近すると大雅丸を続けて右上から∞の字に振り、策科に浅い傷を付けた。右下に振り切ると刃を返し切り上げ頭上で数回回転させ、右上から袈裟斬りに振り下ろした。

 龍瞳はそれからまるで舞を踊る様に大雅丸を振り回した。卓越した刀捌き、美しくしなやかな動き、そして花びらの様に飛び散る血飛沫…彼が振ったほぼ全ての斬撃が策科をじわじわと斬り摘んだ。
「俺が師とともに修行し会得した剣術、そして身体能力は、魔力無しでも貴様を屠(ほふ)り有り余るものだ…
 ちんけな石なんかで俺の強さが減るとしたら、それは大きな間違いだ…」

「なにっ―」

「俺は出来るだけ殺生はしない主義だ…だが、貴様だけは許さねぇ―!」

「ま、待て―」

「俺の情けだ、散り際くらいは―」
 龍瞳は上から真っ直ぐ斬り下ろした。
「紅華を咲かせて散れっ!」

 策科に背を向けて戻ってくる龍瞳の後ろで、策科の体からは大量の血飛沫が舞っていた。その光景を見ている魅月尾や幟狼たちの目には、飛び散る血飛沫が華のように写っていた。
 そして、砂の上に倒れた策科の周りは血に染まり、それはまるで赤い赤い「千日紅」のようだった。


 龍瞳は大雅丸の鞘を砂から抜くと、大雅丸の血を切って鞘に納め、帯に七緒で結んだ。
「…龍瞳様…きゃっ!」
 龍瞳はいきなり魅月尾を抱き寄せた。
「よかった…本当に良かった…お前に何かあったら…僕は…」

「龍瞳様…信じてました…」

「ん、んんっ…!」
 幟狼が咳払いをした。
「あっ…」

「龍瞳さん、よかったですね…」

「陛下…この度は、申し訳ありませんでした」

「いえ、私も結果的に命を救われましたし、策科の陰謀も阻止できました。ありがとうございます」
 国王は会釈した。
「しかし龍瞳殿、こちらとしてもこのまま済ませるわけには参りません。元老院も含めた上層部で会議を行い、処分を決める必要があります。
 その結果が出るまでは火ノ国の我々の監視下で過ごして貰わなければなりませんが、よろしいですね?」
 将軍が鋭い目つきで龍瞳たちを見た。
「ええ、分かっています」

「龍瞳様、私も一緒に…」

「だけど…」

「…あなたの側にいさせて」

「………。
 そちらが良いのであれば…」

「我々は構いません」

「よかった」
 魅月尾は龍瞳の腕を抱きしめて頭を龍瞳の肩にくっつけた。
「俺たちも無論承知してる。さっさと行こう」
 幟狼は、いつの間にか策科の仲間を倒して戻ってくるとそう言った。

 龍瞳たちは議会の結論が出るまでの数日の間、この火ノ国に留まることになったのである。ただ、その間に色々な出来事が起こるのだが、この時はまだ知る由(よし)もなかった。


10/08/13 13:54更新 / アバロンU世
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■作者メッセージ
前の更新からかなり時間がたってしまいました。これは基本バトルメインですが、続きやまた別の小説でもピンク要素の物は書きます。

この章の後半で「家紋の意味」をそれとなく示唆していますがお分かりでしょうか?

二部構成のつもりでしたのでこの章のメインのストーリーはここまで。
次の章はこの後の話を書くつもりです。お楽しみに。

こういうのって好きな人は好きかなって思うんですが、どうでしょうか?

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