二夜目:ラミア 前編
太陽が空の最も高い位置に昇ったお昼過ぎ。街一番の人気男娼館『銀雪館』のある繁華街は、城下町を訪れた冒険者や商人達の往来で賑わっていた。
これから太陽が沈むにつれて、徐々に街が本当の姿を見せていくのだろう。そんな時間帯にも関わらず客は絶えずやってくる銀雪館の前では、その店の一番人気の男娼、マルクが仕事場を離れ、数名の人気のある男娼達と共に粗末な竹箒を手に店の前の清掃に精を出しているのだった。
というのも、こうした初めて城下町を訪れる人々の往来が多い時間帯だからこそ、多大な宣伝効果が望めるというものである。稼ぎ時である夜の時間帯に備え、マルク達は真っ白な薄いシャツ一枚に股下数センチの極めて裾の短いズボンという、飢えた魔物の御姉様方には極めて扇情的であろう服装で店の宣伝を行っているところであった。
実際、道行く魔物達の中にはマルク達の姿を見付けると恍惚とした表情を浮かべてその場に立ち止まり、まるで吸い込まれるように店の中へと入っていく。
そろそろ集客も一段落したところでマルク達が一区切り付けようと思い始めたその時、店の扉を開けてアークが顔を覗かせた。
「おーい、そろそろ休憩にするぞ。部屋に飲み物運んでやるから中に入れ〜」
「あっ、はーいっ!」
「やっと休憩かよ……仕事前に疲れちまった」
皆口々にそう洩らしながら、続々と店の中へ入っていく。しかし、マルクはまだ集めたゴミの片付けが終わっていないのか、まだ箒を扱っていた。
「マルク先輩、休憩らしいッスよ。喉も渇きましたし、早く戻りましょうよ」
そう言ってマルクの肩を叩いたのは、身長二メートルはあろうかという髭面をした筋骨隆々の巨漢である。彼は元傭兵のドルカスという男であり、不運にも膝に矢を受けて戦場に出ることが出来なくなり、行く宛もなく酒浸りで腐っていたところをクラウディアが声を掛けたのだとか。
今となっては、その大きな体格と野生的な見た目が一部の襲われたい願望のある魔物から人気を集め、店でも常に高い売り上げをキープ。店の人気トップであるマルクを先輩と慕う、気の良い男であった。
「あっ、すみません。僕はこれを片付けて戻りますから、先に戻っていて下さい」
「そんな、マルク先輩にそんなことはさせられないッス!あとは自分がやっておきますから!」
「いや、いいってば。これくらい自分でも出来るしね。さぁ、行った行った」
「う……ウス……なるべく、早く来てくださいね!」
少しばかり箒の奪い合いをした後、それに勝利したマルクは無理矢理ドルカスの背中を押し出した。名残惜しげに何度も振り返ってくるパツンパツンのシャツと筋肉のせいでズボンが入りきらなかったのか半ケツの巨漢を見送って、マルクは再び手元の箒に視線を戻し、作業を再開した。
「こんにちは、マルク君」
ふと、名前を呼ばれてマルクは手元から顔を上げた。
すると、そこにやって来たのは片手にバスケットを提げた半人半蛇の魔物、ラミアの女性であった。
月光を思わせる光沢を放つ金髪を腰の辺りまで伸ばし、白雪のような肌に真っ赤なローブがよく映える。腰には明るい黄色の絹の布を巻き、魔法具と思われるネックレスやブレスレットが、情熱的な赤の鱗に包まれた長い蛇の胴体をくねらせる度にジャラジャラと音を立てていた。
そして何より、豊満なバストを無理矢理抑え込むような真っ赤なビキニに思わず視線が奪われる。ラミアというのは腰を動かして移動するせいか、腰はきゅっと締まっており、豊かな胸をさらに強調させていた。
「お疲れ様、今日も元気そうで良かったわぁ。大変なお仕事なんだから、あまり無理しちゃダメよ?」
やはり爬虫類系の猟奇的な魅力というか、その瞳に見つめられるだけでもマルクの背筋にゾクゾクとした感覚が駆け抜ける。
爪先に真っ赤なマニキュアを塗った細くしなやかな指で髪を絡めるように頭を撫でられ、マルクも心地良さげに瞳を細めた。
「あはは……ありがとうございます。ミラさんは、これからお仕事ですか?」
「いいえ、今日はお休みなの。研究室にこもってばかりだと身体がこっちゃうから、たまには悠々とお散歩しようと思って」
ミラ、と呼ばれた彼女は、頬を綻ばせながら嬉しそうに笑った。
彼女は魔王御抱えの顧問魔術師であり、日夜多くの同僚と共に新たな性魔法や各種魔法薬の研究に勤しんでいる。彼女達によって作られた魔法薬は街の店頭にも並び、その質の高さから他の街から買い付けにやってくるほどであった。
マルク達男娼も、様々な趣味嗜好を持ったお客からの要望に応えるため、それら薬の厄介になることが多かった。
「ミラさんの薬、いつも使わせてもらってます。効果も高いのに身体の負担が少ないので、お客さんも喜んでましたよ。特に……あの、アレが生える薬とか、僕のお客様は……」
「ふふっ……ありがと。マルク君より小さい子もいるんだもの。まだまだ改善の余地はあると思うのよね。研究中の薬が完成したら、このお店に一番に卸してあげる」
「ありがとうございます、ミラさん。きっとクラウディアさんも喜んでーーー」
と、言い掛けたその時、マルクとミラの間の地面に黒い円。それは徐々にその直径を増していきーーー
「うわぁッ!?」
「きゃ……っ」
粉塵を巻き上げ、二人の間に降り立ったのはーーーローレットであった。
「マルク、今は休憩時間のはずだろう。いつまでも柔肌を日に晒すんじゃない」
クラウディアに頼まれたのであろう買い物カゴを片手に、マルクへ聖母のような顔を向けるローレット。続けてミラへと向き直ったーーー先ほどとは打って代わって、敵意を剥き出しに威嚇するかのような表情で。
「そして、貴様……営業妨害はやめてもらおう。金も払わずマルクと会話など千年万年早い!私など、こうして客からスタッフに身を落としても賃金どころか逆に金を払ってーーー」
「お、お帰りなさい、ローレットさん。お買い物済んだんですね」
目に見えて機嫌が悪くなっていくミラとローレットの間に慌てて割って入るマルク。こんなところで喧嘩でもされては、往来の人々の迷惑になってしまう。
「ああ、半日掛かったぞ。あの女、急に西大陸の西端の街のすいーつが食いたいなどとぬかしおって……」
「今、中で皆さん休憩してると思いますから、早く言ってあげて下さい。僕もすぐ戻りますから」
「む……ぬぅ……わかった、先に戻っている」
半ば無理矢理マルクから背を押され、ローレットは店の中に戻っていく。とりあえず危機的状況から離脱し、マルクは深く溜め息をついた。
「はぁ……すみません、ミラさん。ローレットさんも悪い人じゃないんですけど、たまに暴走してしまうことがあって……」
「…今の、湖の古城に住んでるローレットさんよね?どうしてこの店にいるのかしら?」
ジッと店の扉を見つめながら、ミラはマルクに尋ねる。どことなく、声が震えているような気がする。
「さ、最近になって、用心棒としてお店で働くようになったんですよ。たまに、困ったお客様もいらっしゃいますから」
「ふぅん……なるほど、ね……」
なにやら納得したように、ミラは二、三度顔を頷かせると再びマルクへと向き直った。
「マルクちゃん……今日の予約、取れるかしら?出来ればオールがいいんだけど」
「え、あ……ご、ごめんなさい。今日は全部埋まってて……次に予約が取れるのはだいぶ先になるかと……」
「あらあら、それは残念。でも、一応今日の夜にキャンセル待ちで予約を入れておいてちょうだい。それなら大丈夫よね?」
「は、はぁ……それでしたら大丈夫ですけど……」
「じゃあ、それでお願いね。今夜、楽しみにしてるわね……んっ」
マルクの頬に口付けを一つ。ミラは踵を返して進み始めた。
蛇に睨まれた蛙よろしく、マルクはミラから言われるがままに言葉を紡ぎ出してしまっていた。いつもの彼女とは違うピリピリとした雰囲気に、戸惑ってしまったからかもしれない。
呆然と彼女の背中を見つめるマルクだったが、そこへミラがくるりと振り返った。
「そうそう。今夜の予約って……もしかして、お城で働いてるラジィさん?」
「えっ!?なんで、それを……?」
マルクの心臓が痛いくらいに跳ねた。ラジィとは、魔王城の兵士として働くリザードマンである。なかなか好みの相手が見つからないらしく、よく店にも顔を出している常連の一人であった。
しかし、基本的に誰がどの客を取るのかは店主のクラウディアと相手をする男娼にしか知り得ぬこと。よもや心を読まれてしまったのかと不安気な表情を浮かべるマルクに、ミラは安心させるように満面の笑みを見せた。
「だって彼女、お城のいろんな人に自慢してたもの。わからない方がおかしいわ。じゃあね、マルク君」
ヒラヒラと手を振って、ミラは今度こそ行ってしまった。あとに残された、一抹の不安を抱えるマルク一人。
「…ミラさん、ちょっと様子が変だったなぁ……」
そう呟きながら、考えすぎだと自分に言い聞かせてマルクも店に戻っていった。
その後、ラジィが体調不良で今夜の予約をキャンセルする旨の報せを送ってきたのは、魔王城の昼食時間から直後のことであったーーー
これから太陽が沈むにつれて、徐々に街が本当の姿を見せていくのだろう。そんな時間帯にも関わらず客は絶えずやってくる銀雪館の前では、その店の一番人気の男娼、マルクが仕事場を離れ、数名の人気のある男娼達と共に粗末な竹箒を手に店の前の清掃に精を出しているのだった。
というのも、こうした初めて城下町を訪れる人々の往来が多い時間帯だからこそ、多大な宣伝効果が望めるというものである。稼ぎ時である夜の時間帯に備え、マルク達は真っ白な薄いシャツ一枚に股下数センチの極めて裾の短いズボンという、飢えた魔物の御姉様方には極めて扇情的であろう服装で店の宣伝を行っているところであった。
実際、道行く魔物達の中にはマルク達の姿を見付けると恍惚とした表情を浮かべてその場に立ち止まり、まるで吸い込まれるように店の中へと入っていく。
そろそろ集客も一段落したところでマルク達が一区切り付けようと思い始めたその時、店の扉を開けてアークが顔を覗かせた。
「おーい、そろそろ休憩にするぞ。部屋に飲み物運んでやるから中に入れ〜」
「あっ、はーいっ!」
「やっと休憩かよ……仕事前に疲れちまった」
皆口々にそう洩らしながら、続々と店の中へ入っていく。しかし、マルクはまだ集めたゴミの片付けが終わっていないのか、まだ箒を扱っていた。
「マルク先輩、休憩らしいッスよ。喉も渇きましたし、早く戻りましょうよ」
そう言ってマルクの肩を叩いたのは、身長二メートルはあろうかという髭面をした筋骨隆々の巨漢である。彼は元傭兵のドルカスという男であり、不運にも膝に矢を受けて戦場に出ることが出来なくなり、行く宛もなく酒浸りで腐っていたところをクラウディアが声を掛けたのだとか。
今となっては、その大きな体格と野生的な見た目が一部の襲われたい願望のある魔物から人気を集め、店でも常に高い売り上げをキープ。店の人気トップであるマルクを先輩と慕う、気の良い男であった。
「あっ、すみません。僕はこれを片付けて戻りますから、先に戻っていて下さい」
「そんな、マルク先輩にそんなことはさせられないッス!あとは自分がやっておきますから!」
「いや、いいってば。これくらい自分でも出来るしね。さぁ、行った行った」
「う……ウス……なるべく、早く来てくださいね!」
少しばかり箒の奪い合いをした後、それに勝利したマルクは無理矢理ドルカスの背中を押し出した。名残惜しげに何度も振り返ってくるパツンパツンのシャツと筋肉のせいでズボンが入りきらなかったのか半ケツの巨漢を見送って、マルクは再び手元の箒に視線を戻し、作業を再開した。
「こんにちは、マルク君」
ふと、名前を呼ばれてマルクは手元から顔を上げた。
すると、そこにやって来たのは片手にバスケットを提げた半人半蛇の魔物、ラミアの女性であった。
月光を思わせる光沢を放つ金髪を腰の辺りまで伸ばし、白雪のような肌に真っ赤なローブがよく映える。腰には明るい黄色の絹の布を巻き、魔法具と思われるネックレスやブレスレットが、情熱的な赤の鱗に包まれた長い蛇の胴体をくねらせる度にジャラジャラと音を立てていた。
そして何より、豊満なバストを無理矢理抑え込むような真っ赤なビキニに思わず視線が奪われる。ラミアというのは腰を動かして移動するせいか、腰はきゅっと締まっており、豊かな胸をさらに強調させていた。
「お疲れ様、今日も元気そうで良かったわぁ。大変なお仕事なんだから、あまり無理しちゃダメよ?」
やはり爬虫類系の猟奇的な魅力というか、その瞳に見つめられるだけでもマルクの背筋にゾクゾクとした感覚が駆け抜ける。
爪先に真っ赤なマニキュアを塗った細くしなやかな指で髪を絡めるように頭を撫でられ、マルクも心地良さげに瞳を細めた。
「あはは……ありがとうございます。ミラさんは、これからお仕事ですか?」
「いいえ、今日はお休みなの。研究室にこもってばかりだと身体がこっちゃうから、たまには悠々とお散歩しようと思って」
ミラ、と呼ばれた彼女は、頬を綻ばせながら嬉しそうに笑った。
彼女は魔王御抱えの顧問魔術師であり、日夜多くの同僚と共に新たな性魔法や各種魔法薬の研究に勤しんでいる。彼女達によって作られた魔法薬は街の店頭にも並び、その質の高さから他の街から買い付けにやってくるほどであった。
マルク達男娼も、様々な趣味嗜好を持ったお客からの要望に応えるため、それら薬の厄介になることが多かった。
「ミラさんの薬、いつも使わせてもらってます。効果も高いのに身体の負担が少ないので、お客さんも喜んでましたよ。特に……あの、アレが生える薬とか、僕のお客様は……」
「ふふっ……ありがと。マルク君より小さい子もいるんだもの。まだまだ改善の余地はあると思うのよね。研究中の薬が完成したら、このお店に一番に卸してあげる」
「ありがとうございます、ミラさん。きっとクラウディアさんも喜んでーーー」
と、言い掛けたその時、マルクとミラの間の地面に黒い円。それは徐々にその直径を増していきーーー
「うわぁッ!?」
「きゃ……っ」
粉塵を巻き上げ、二人の間に降り立ったのはーーーローレットであった。
「マルク、今は休憩時間のはずだろう。いつまでも柔肌を日に晒すんじゃない」
クラウディアに頼まれたのであろう買い物カゴを片手に、マルクへ聖母のような顔を向けるローレット。続けてミラへと向き直ったーーー先ほどとは打って代わって、敵意を剥き出しに威嚇するかのような表情で。
「そして、貴様……営業妨害はやめてもらおう。金も払わずマルクと会話など千年万年早い!私など、こうして客からスタッフに身を落としても賃金どころか逆に金を払ってーーー」
「お、お帰りなさい、ローレットさん。お買い物済んだんですね」
目に見えて機嫌が悪くなっていくミラとローレットの間に慌てて割って入るマルク。こんなところで喧嘩でもされては、往来の人々の迷惑になってしまう。
「ああ、半日掛かったぞ。あの女、急に西大陸の西端の街のすいーつが食いたいなどとぬかしおって……」
「今、中で皆さん休憩してると思いますから、早く言ってあげて下さい。僕もすぐ戻りますから」
「む……ぬぅ……わかった、先に戻っている」
半ば無理矢理マルクから背を押され、ローレットは店の中に戻っていく。とりあえず危機的状況から離脱し、マルクは深く溜め息をついた。
「はぁ……すみません、ミラさん。ローレットさんも悪い人じゃないんですけど、たまに暴走してしまうことがあって……」
「…今の、湖の古城に住んでるローレットさんよね?どうしてこの店にいるのかしら?」
ジッと店の扉を見つめながら、ミラはマルクに尋ねる。どことなく、声が震えているような気がする。
「さ、最近になって、用心棒としてお店で働くようになったんですよ。たまに、困ったお客様もいらっしゃいますから」
「ふぅん……なるほど、ね……」
なにやら納得したように、ミラは二、三度顔を頷かせると再びマルクへと向き直った。
「マルクちゃん……今日の予約、取れるかしら?出来ればオールがいいんだけど」
「え、あ……ご、ごめんなさい。今日は全部埋まってて……次に予約が取れるのはだいぶ先になるかと……」
「あらあら、それは残念。でも、一応今日の夜にキャンセル待ちで予約を入れておいてちょうだい。それなら大丈夫よね?」
「は、はぁ……それでしたら大丈夫ですけど……」
「じゃあ、それでお願いね。今夜、楽しみにしてるわね……んっ」
マルクの頬に口付けを一つ。ミラは踵を返して進み始めた。
蛇に睨まれた蛙よろしく、マルクはミラから言われるがままに言葉を紡ぎ出してしまっていた。いつもの彼女とは違うピリピリとした雰囲気に、戸惑ってしまったからかもしれない。
呆然と彼女の背中を見つめるマルクだったが、そこへミラがくるりと振り返った。
「そうそう。今夜の予約って……もしかして、お城で働いてるラジィさん?」
「えっ!?なんで、それを……?」
マルクの心臓が痛いくらいに跳ねた。ラジィとは、魔王城の兵士として働くリザードマンである。なかなか好みの相手が見つからないらしく、よく店にも顔を出している常連の一人であった。
しかし、基本的に誰がどの客を取るのかは店主のクラウディアと相手をする男娼にしか知り得ぬこと。よもや心を読まれてしまったのかと不安気な表情を浮かべるマルクに、ミラは安心させるように満面の笑みを見せた。
「だって彼女、お城のいろんな人に自慢してたもの。わからない方がおかしいわ。じゃあね、マルク君」
ヒラヒラと手を振って、ミラは今度こそ行ってしまった。あとに残された、一抹の不安を抱えるマルク一人。
「…ミラさん、ちょっと様子が変だったなぁ……」
そう呟きながら、考えすぎだと自分に言い聞かせてマルクも店に戻っていった。
その後、ラジィが体調不良で今夜の予約をキャンセルする旨の報せを送ってきたのは、魔王城の昼食時間から直後のことであったーーー
17/11/09 09:06更新 / Phantom
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