The Beginning Is the End Is the Beginning
私は逃げるように町を離れてレーヴィの元に帰った。震える手で毛糸を渡す私を見て、レーヴィが怪訝そうに眉を顰める。何かあったの?そう聞くが、私は何も答えなかった。答えられなかった。
何でも無いのよ。と無理に笑顔を作り、私は足早に社に帰った。
おめでたいことに、この時私はあの男が妻子と別れ、レーヴィと暮らしてくれるのでは無いかと期待していた。
あの男はあの後家族に別れを告げ、あの魔法の家に戻ってくるのだ。
そうして冬の澄んだ空の下で彼らは契りを結び、わたしがそれを祝福する。
次の年の初めに子供が産まれ、三人で幸せな家庭を築き上げる。
そんなことが起こるはずが無い。自分の子供に向ける、吐き気がするほど優しいあの男の眼差しが全てを物語っていた。
それでも私は、レーヴィに真実を告げる勇気が無かった。
怖かったのだ、あの男の事をレーヴィが知るのが、知っていながら告げなかった私を責められるのが。友達を失うのが恐くて、真実に蓋をして逃げ出したのだ。
あの日から一月が過ぎたある昼下がり、私はレーヴィと野原を散策していた。あの男とは私はあれ以来会うことは無かった。偶然だろうが私はその方が都合が良かった。もし鉢合わせてしまえば、まともに対応する自身は私にはなかった。
レーヴィは以前よりほんの少しだけお腹に膨らみが出て来たように感じる。悪阻も頻繁に起こるようになっていた。私はこっそりレーヴィと自分の周りに水の結界を創り、何かあれば何時でも彼女とお腹の子供を助ける用意をして散歩に付き合う。
雨上がりの濡れた草原の天には綺麗な虹がかかり、そこを何かが飛んでいる。初めは鳥かと思ったが、よく見ればそれは箒に乗った魔女の一団だった。
彼女たちは私達に気づいたのか旋回しながら降下してくる。口元には下品な笑みを浮かべている。うっとおしい女たちだ。こんなときに会いたくなかった。
「あらあら誰かと思えば」「魔法の才能が欠片も無い」「部屋に篭って寂しく薬作りすることしか能の無い」「ひとりぼっちのレーヴィじゃない。」「そちらの貴女はあの汚い社の陰気な主様」「根暗で他の白蛇からも相手にされない。」「独り者同士お似合いね。」
よくもまあ罵詈雑言のレパートリーが尽きないものだ。ころころと鈴の音のような声で絶えず上から浴びせてくる。こういったことは前々からあった。彼女たちのいうとおり、レーヴィに魔法の才能はからっきしだった。箒に乗るのがやっとなのだ。
その癖、魔女にとって必須とは言い難い魔法薬ばかりに没頭するレーヴィの姿が、彼女たちの気に障るのだろう。レーヴィの高飛車な言動がそれに拍車をかけている感は否めない。
それに加えてレーヴィの結婚・懐妊だ。あの連中がまだ掴めていない幸せをレーヴィがいとも簡単に手に入れたことで、その鬱屈したした感情に嫉妬という炎が加わった。
私は指を鳴らして結界を動かす。水柱が起き上がり膜のように広がって私達を包む。
これで耳障りな騒音は私達に届かない。水壁のむこうで口をパクパスとうごかす姿はまるで餌をねだる鯉のようだ。私は餌をくれてやろうと手を広げて水を操る。水膜の一部が勢いよく噴出して蝸牛の角のように突き出て彼女たちのうちの何人かに口に突っ込む。それを見て、けらけらとレーヴィが笑う。
何時もならこれに懲りて全員散り散りになるのだが、今回は違うようだった。彼女たちは空中で私達を取り囲むと、なんと魔法を行使しだした。
火球や雷撃が水膜にぶつかり、その部分に穴が空く。先程攻撃に水を消費したので、耐久が落ちているのだ。
攻撃の第二波が向かってくる。水膜を局地的に集中させてるが防ぎ切れそうに無い。
「きゃあ!?」
防ぎ切れずに侵入を許した魔弾の一発が、私の肩を掠めてレーヴィの足元に到達し大穴を穿つ。
「あらあら外れた。」「残念ね。」「母親になり損ねた」「哀れな女が見れると思ったのに。」
「こいつ等....、なんてことを!」
明らかに術者の私ではなく、レーヴィを狙っていた。レーヴィのお腹に子供がいることもわかっている筈なのに。いや、寧ろだからこそそこを狙ったのだろう。
「...こいつ等、赦さない..!
殺してやる.....!!!」
レーヴィがわなわなと震えながら懐から何かを取り出す。一升瓶ほどの大きさだった。何をする気か知らないが、私は慌ててそれを止める。
「待ちなさい!貴方は身重なんだから無茶は駄目よ!?
私が追い返す!!」
「.......!!」
それを聞いてレーヴィが歯を食いしばる。そして、私に手に持つ瓶を投げてよこす。
「......それを水の中に溶かし込んで。子供に手を出すことがどれだけ重い罪かあいつ等におしえてやって!!!」
「.....当然よ...。」
私は瓶の蓋を空け、それを水膜の中に投げ込む。ツンとした甘い香りが広がった。鼻腔に針を刺すような痛みが走る。
魔女の一匹が魔力を込めた拳を振りかぶり、箒で突っ込んでくる。薄くなった水壁を完全に破壊する魂胆なのだろう。
私はちらりと後ろを振り向き、レーヴィを見る。レーヴィは冷酷に突進する魔女を一瞥すると、ただ一言『ぶつけろ』とだけ告げる。
私は水壁の一部を一メートル四方分切り取ると、それをレーヴィと突進する魔女の直線上にねじ込む。
当然勢いを殺すことなく進む魔女は、甘い香りの水塊に頭から突っ込んだ。
肉が焼ける、嫌な匂いがした。
「うああああああああああああああああああ!!!!!」
転げ回る魔女。その叫び声は先程の鈴の音のような声ではなく、掠れた錆まみれの声だった。全身が爛れ、煙をあげる身体が草原に横たわる。朝露のついた草に溶解した皮膚が掠め取られ、骨が露出する。
浮遊する水塊の中に魔女の毛髪と皮膚の一部が残り漂っている。
レーヴィ以外、私を含めるその場にいた全員が凍りついた。私が何かしたわけでは無い。ただ水塊で特攻を防いだだけだ。
先程投げ入れた瓶に目をやると、零れた液体が、瓶口周辺の土を不毛の大地にしていた。
「大丈夫!?」「なんて酷い....」「悪魔」「化け物」「ろくでなし」「助けなきゃ!」「ダメ」「呪文が効かない。」「死なないで。」
焼かれた魔女に、他の魔女が次々に駆け寄り癒しの呪術を唱えるが、あまり効果が無いようだ。浮遊魔術で焼かれた魔女を空中で浮かすと、そのまま治療を受けさせるためか飛んで行ってしまった。
私とレーヴィは帰路を辿る。会話は無い。
子供を守るためなら、母親はどんなこともするのだなと私は思い知らされた。狂気的なまでの愛がそうさせるのだろう。しかし、この妻子はあの男に裏切られている。あの大きな愛がいつかレーヴィを壊してしまう気がした。
レーヴィを家に届けると、あの男が待っていた。あの男は妻子を抱き締めた腕でレーヴィを撫でる。男に魅了されるレーヴィの姿が、堪らなく美しかった。私は耐え切れなくなり、走ってその場を去った。後ろから声がした気がしたが、それを無視した。
それから私はあの家に寄り付かなくなった。食糧や必要物資はある程度ストックがあったので、大丈夫だろう。連絡も手紙によるものだけにした。
私は必要最低限の事だけを書いた。レーヴィの手紙にあの男の名前を見つけると、即座に破り捨てた。
しかし、その手紙が突然途絶えた。
レーヴィが命を絶ったのはそれから数日たったある夜だった。
連絡が途絶えたことが気になり、久々にレーヴィの家を訪れる。
家はしんと静まり返っていた。しかし、中からは人の気配が感じられた。
真鍮のドアノブを回すと、カギが掛かっていない玄関がすんなりわたしを迎え入れる。
部屋には甘酸っぱさと肉の焼けたような嫌な匂いが漂っていた。
匂いが強い二階に私は向かい、扉の前に立つ。
そこはレーヴィの寝室だった。
あまりの悪臭に私は口と鼻を抑え、嘔吐しそうになるのをなんとか堪える。
意を決して私は扉を開け、寝室に踏み込んだ。
「あ......あぁ...」
しかしそのとき、レーヴィはすでに人の形をしていなかった。
「あああああああああああああああああああああああぁ!!!!」
何かの酸性の薬品を浴びたのか、身体中が爛れてひどい姿をしていた。顔の半分が焼かれて白い部分を見せている。痛みに暴れたのか、溶けて身体から離れた細い腕が床の上に落ちていた。
レーヴィの声はがらがらとした錆びまみれの声。
「レーヴィ!?なんで!?なんでこんなことを!?」
レーヴィが穴の空いた喉で息をしていた。
「死なないで、お願い!死んじゃダメよ!!お母さんになるんでしょう!!?」
「....!...あ、ご....え...。あぁ ...ウゥ...アアァ!」
レーヴィが爛れた腕で体をかきむしり、皮膚がボロボロと剥がれ落ちる。
痛みで悲鳴をあげながら、何かを呟いている。
「ゴメん...ね...。産んであげられなくて..ごめんね....。ご...めんね...」
ごめんね。ごめんね。潰れた喉で彼女は私の腕の中で何度もそう囁いたあと、事切れた。
小綺麗に片付けられた部屋の真ん中で少女の死体が私を見つめる。
あの短く切った金髪は焼け爛れて散らばり、編み物を編んでいた指は溶けた皮膚から骨を覗かせている。膣からは血痕が点々と続いていたので、私はその血の道を目でおった。
そばのベッドが夥しい量の血で染まり、紅白に染まっていた。そのうえに小さな塊がある。
そうして腹に宿っていた新しい命が、母親とともに消えたのを私は悟る。
今なら分かる、何故あの男が鬼灯などを買ったのかを。
あの男が欲しかったのは鬼灯の花ではなく、根っこだったのだ。鬼灯の酸漿根と呼ばれる部分には子宮を収縮させる作用があり、古くから堕胎薬として使われてきた。
それをレーヴィに飲ませたのだろう。そんなことをすれば、レーヴィがどうなるのかもわかっていたのに。
我が子を奪われ、夫に奪われ、絶望したレーヴィは自らの命を絶ったのだ。
だがこれは自殺ではない。二人は殺されたのだ、あの男に。
私は震える手で彼女の残骸をすくうと、ゆっくり口に運んだ。焼けるような痛みと肉の味、溶けて小さくなった彼女の骨が私の口でがりりと音を立てて砕ける。
独りじゃない。
「私が殺す。貴方たちの仇はどんな手を使っても私がとる。」
私は今から名を捨てよう。孤独に怯えたひとりぼっちの白蛇はもう死んだ。
あの男に貴方たちが受けたものと同じ痛みを、絶望を、悲しみを味合わせよう。
新しい名は決まっている。
私はレーヴィアタン。
嫉妬を司る蛇。
私は復讐の悪魔になろう。
14/02/11 22:31更新 / 蔦河早瀬
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