荒療治
一日一回は放課後に会って、恋人らしい何かをすること。それが焔子の友人が出した条件らしい。だから今日もこうして、二人きりで教室に居る。
焔子が黙ってスマホを弄っているその一つ前の席で、和樹は数学の問題集とにらめっこをしていた。もともと苦手な教科ということもあるが、いつにもまして頭が働かない。
恋人らしい何かってなんだろう?
徹夜明けの疲労もあってか、数学とは関係の無いもったりとした思考が脳みその中をゆるゆると流れていく。
確かに付き合っていなければ放課後の教室に二人きりでいるなんてことはしないだろう。だがこれでいいのか?二人っきりとはいえお互い目も合わさず前後に座って、僕は勉強を、彼女はスマホいじりを…お互い全く違うことをしている。時折解答に詰まって手が止まったままでいると後ろからやってきて解説してくれるけど、それだけだったら家庭教師みたいなものだ…まあもちろん、家庭教師は生徒の肩に胸を押し当てたりはしないが。
こんなによそよそしい関係で、その見張り役とやらは満足なのだろうか?もっとこう、恋人らしいことを──甘酸っぱい何かをしなくていいのか。
甘酸っぱい。
和樹の考え事が中断され、とくんと心臓が跳ねる。思い出したのは今朝のこと…あの屋上での出来事のその後。
一限目のチャイムにはっと我に返り立ち上がった和樹は、しかし教室へ向かうのを躊躇わざるを得なかった。愚息が学生服のスラックスにテントを張ったまま、一向に収まらないのだ。
場所は屋上。時は授業中。人気の無い静まりかえった屋上で、悪魔的で破滅的な発想が和樹の頭に浮かび上がる。
ここで抜いてしまえばいい。
右手の唾液は未だ乾かずぬるぬるのまま。何の気なしに右手を鼻先に持ってきて嗅ぐと、甘酸っぱい匂いがした。唾液特有のつんとする匂いが、蜂蜜の甘ったるい匂いにマスクされたかのような匂いだ。落ち着いてきていた心拍が、再びばくばくと暴れ出す。
この唾液まみれの掌と指で竿を扱いたら、どんなに気持ちいいだろうか。
そんな考えが浮かんだ時には既に和樹の左手はベルトを外していた。黒いスラックスがずれ落ち、トランクスが露わになる。柔らかい布地は熱い陰茎に押し上げられ、ぴんと張っている。トランクスも下ろすと赤く充血した亀頭が、次いで脈を打って震える竿が外気に触れた。一際大きく心臓が跳ねて、思わず息が荒くなる。学校で、しかも野外で陰茎を露出させているという事実に、倒錯した性的興奮を隠せない。
もう我慢できなかった。ぬるつく右手をそっと竿に這わす。びくりと肩が跳ね、力の抜けたため息が出た。今までしてきた中で一番気持ちの良い自慰だった。
まるで何かに追われているかのように、忙しなく右手を往復させる。ぬちゃぬちゃと派手な水音が出ていたが、気にする余裕はどこかに吹っ飛んでいた。
目を閉じると焔子のなまめかしい舌の動きが蘇ってくる。あれが指を扱いていたようにこの竿を扱いたら一体どうなってしまうのだろう。あの嗜虐的な目つきで見つめられながら、にゅるにゅるとうねる柔らかい舌で弄ばれ、あっという間に追い詰められて──。
不意に指先がじんと熱くなった。少し妄想しただけで暴発のように射精してしまったのだ。緑色のコンクリートに、精液がぼたぼたと垂れる。脚を伸ばし腰を突き出していたおかげで制服に精液がかかることはなかったが、そもそも余りの射精の気持ちよさにそんなことは気にならなかった。射精した後、ごうごうという自分の血流の音を聞きながらしばらく突っ立っていたように思う。
やはり、もう手遅れなのだろうか?棘の毒は完全に和樹の体を侵していて、マンティコアという魔物の虜に造り替えられてしまっているのだろうか。焔子に辱められる妄想でのみ、容易く射精してしまう惨めな体に。
焔子はわかっていたのだろう。昨日の「応急処置」で和樹がどうしようもなく興奮し、蕩けていたことに。それを知っていて、今朝再び…今度はさらに強く、同じ快楽を刻みつけてきたのだ。生傷を再び切りつけて、激烈な痛みを与えるように。
流石にもう、役得などとは思えない。焔子の淫らな幻影に体も心も支配されて満足に寝ることも許されない、そんな未来は。いつかは普通の恋だってしたいし、高校、大学を卒業したら働いて自分の金を持ちたい。そんなありふれた未来さえ棘の一かすりで黒く塗りつぶされてしまったなんて信じたくなかった。
掠っただけだし希望はある、そんな焔子の言葉に必死に縋っている自分がいる。彼女に支配されたくないがために彼女の言葉に縋っているなんて皮肉なことだ。和樹には苦笑いする元気も無かった。
(でも…思い出しちゃうんだよな)
手遅れであるにしろそうでないにしろ、あの扇情的な光景を、感触を忘れることは最早できそうになかった。唾液まみれの舌が日光を反射してぬらりと光る光景は。指に熱い吐息の掛かるくすぐったさと、温かく柔らかい筋肉のぬめぬめとした感触は、もう──。
「〜っ!!?」
突如、激痛が首筋に走り、体を駆け抜けた。考え事から一気に現実に引き戻される。西日の差す、がらんどうの教室。先刻と変わらない場所。だが今は目の前に。
「ぼーっとしてんじゃねえよ。全然進んでねえじゃねえか」
焔子が立っていた。後ろの席でスマホを弄っていた彼女が、今は和樹の目の前で不機嫌そうな顔をして佇んでいる。その彼女の背後で揺れる尻尾に、和樹は違和感を覚えた。何かバランスが悪いような…。
「……あ…」
棘が一本無い。尻尾に生えていた棘のうち一本がなくなって、棘が生えていた部分にはぽっかりと穴が開いていた。
嫌な予感がする。先ほどの痛みの震源地、右の鎖骨から首筋の辺りを恐る恐る探ると。
「あ、ああぁ……う、嘘だ…」
指に触れたのはつややかな手触りの何か。何かの動物の牙のような、細長い円錐形。
首をすくめて見下ろせば鎖骨の上方に──焔子の白い棘が刺さっていた。
「すげえだろ。うまく力を込めるとこの棘、飛ばすこともできるんだぜ」
得意げな焔子の声が遠くに聞こえる。内容は一切頭に入ってこない。
蜘蛛の糸のように細く頼りない、それでも確かにあった唯一の希望が、ぷつりと切れてしまった。絶望感が、墨汁を水の入ったコップに落としたときのように広がっていく。
「……っ」
きっともう手遅れだ、心のどこかでそう悟ってはいるもののどうしても認めたくなかった。まだ間に合うかもしれない。そんな一心で棘に右手を掛ける。今すぐ抜けば…もしかしたら。
棘を抜こうとした瞬間、ぎゅうと右手を握られた。臙脂色の毛並みはここ数日見飽きるほどに見た焔子のものだ。構わず棘を抜こうと力を込めるが、彼女の腕力に勝てるわけもない。右手はびくともしなかった。
それを見た瞬間、和樹の頭にかっと血がのぼった。なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだ。僕が何をしたっていうんだ。まるで知らない霊が降りてきたかのように勝手に口が動きはじめた。
「いい加減にしてくれよっ!なんっ、なんでこんなことするんだ!ぼ、僕は…もう、まともな人生送れないんだ、君の、君のせいで!」
自分の震えた声が教室に響く。こんな時にも格好の付く声が出ないことがどうしようもなく情けなかった。おまけに涙も出てきた。目頭が熱くなって、泣き顔など見られたくないのにスイッチが入ったかのように涙が止まらない。
「う、うう…は、離せよ…手でも、尻尾でも、な、殴ればいいだろ…や、やれよ…っ」
鼻声で焔子を挑発する。もう自棄だ。それでも真正面から目を合わせる勇気は無かった。惨めすぎて自分が嫌になってくる。
「ふぅん」
焔子の冷たい声が聞こえてくる。掴まれていた右手が引っ張られ、一緒に棘も抜けた。間髪入れず左手も押さえつけられる。「気をつけ」を教えられている子供のような格好だった。もう今朝のように手で顔を防ぐことはできない。
尻尾だ。あの棘だらけの尻尾で本当に殴られる。ああ、馬鹿だった。なにも殴れなんて言う必要なかったじゃないか。棘を刺された上に殴られるなんて、本当に馬鹿なことをした。先刻の威勢はどこかにいって、和樹の頭の中は後悔でいっぱいだ。
がちゃがちゃ。棘の音が聞こえてくる。和樹はぎゅっと目をつむった。肩をすくめ、体を縮こまらせて、来たるべき衝撃に備える。
来る、来る、次の瞬間には来る。いっそひと思いにやってくれ。
「……?」
いつまで経っても衝撃は来なかった。痛みも来ない。気づけばがちゃがちゃという棘の音も消えている。聞こえるのは窓の外からの、しゃんしゃんというクマゼミの声だけ。両腕は変わらず押さえつけられたままでびくともしない。
先ほどと違うのは、ふわりと漂ってくる煙草の匂いだ。
(……あ…)
煙草だけではなかった。無意識に心臓が跳ねる。つんとした酸っぱい匂いと、蜂蜜のような甘ったるい匂い。あの屋上での淫らな記憶が鮮明にフラッシュバックして──樹液の匂いに誘いこまれるカブトムシのように、少しずつ、瞼を開いてしまう。
「きひひ」
すぐ目の前だった。意地悪げに笑う焔子の顔の前で。あの臙脂色につやめく舌が、ぬらぬらと蠢いていた。
焔子が黙ってスマホを弄っているその一つ前の席で、和樹は数学の問題集とにらめっこをしていた。もともと苦手な教科ということもあるが、いつにもまして頭が働かない。
恋人らしい何かってなんだろう?
徹夜明けの疲労もあってか、数学とは関係の無いもったりとした思考が脳みその中をゆるゆると流れていく。
確かに付き合っていなければ放課後の教室に二人きりでいるなんてことはしないだろう。だがこれでいいのか?二人っきりとはいえお互い目も合わさず前後に座って、僕は勉強を、彼女はスマホいじりを…お互い全く違うことをしている。時折解答に詰まって手が止まったままでいると後ろからやってきて解説してくれるけど、それだけだったら家庭教師みたいなものだ…まあもちろん、家庭教師は生徒の肩に胸を押し当てたりはしないが。
こんなによそよそしい関係で、その見張り役とやらは満足なのだろうか?もっとこう、恋人らしいことを──甘酸っぱい何かをしなくていいのか。
甘酸っぱい。
和樹の考え事が中断され、とくんと心臓が跳ねる。思い出したのは今朝のこと…あの屋上での出来事のその後。
一限目のチャイムにはっと我に返り立ち上がった和樹は、しかし教室へ向かうのを躊躇わざるを得なかった。愚息が学生服のスラックスにテントを張ったまま、一向に収まらないのだ。
場所は屋上。時は授業中。人気の無い静まりかえった屋上で、悪魔的で破滅的な発想が和樹の頭に浮かび上がる。
ここで抜いてしまえばいい。
右手の唾液は未だ乾かずぬるぬるのまま。何の気なしに右手を鼻先に持ってきて嗅ぐと、甘酸っぱい匂いがした。唾液特有のつんとする匂いが、蜂蜜の甘ったるい匂いにマスクされたかのような匂いだ。落ち着いてきていた心拍が、再びばくばくと暴れ出す。
この唾液まみれの掌と指で竿を扱いたら、どんなに気持ちいいだろうか。
そんな考えが浮かんだ時には既に和樹の左手はベルトを外していた。黒いスラックスがずれ落ち、トランクスが露わになる。柔らかい布地は熱い陰茎に押し上げられ、ぴんと張っている。トランクスも下ろすと赤く充血した亀頭が、次いで脈を打って震える竿が外気に触れた。一際大きく心臓が跳ねて、思わず息が荒くなる。学校で、しかも野外で陰茎を露出させているという事実に、倒錯した性的興奮を隠せない。
もう我慢できなかった。ぬるつく右手をそっと竿に這わす。びくりと肩が跳ね、力の抜けたため息が出た。今までしてきた中で一番気持ちの良い自慰だった。
まるで何かに追われているかのように、忙しなく右手を往復させる。ぬちゃぬちゃと派手な水音が出ていたが、気にする余裕はどこかに吹っ飛んでいた。
目を閉じると焔子のなまめかしい舌の動きが蘇ってくる。あれが指を扱いていたようにこの竿を扱いたら一体どうなってしまうのだろう。あの嗜虐的な目つきで見つめられながら、にゅるにゅるとうねる柔らかい舌で弄ばれ、あっという間に追い詰められて──。
不意に指先がじんと熱くなった。少し妄想しただけで暴発のように射精してしまったのだ。緑色のコンクリートに、精液がぼたぼたと垂れる。脚を伸ばし腰を突き出していたおかげで制服に精液がかかることはなかったが、そもそも余りの射精の気持ちよさにそんなことは気にならなかった。射精した後、ごうごうという自分の血流の音を聞きながらしばらく突っ立っていたように思う。
やはり、もう手遅れなのだろうか?棘の毒は完全に和樹の体を侵していて、マンティコアという魔物の虜に造り替えられてしまっているのだろうか。焔子に辱められる妄想でのみ、容易く射精してしまう惨めな体に。
焔子はわかっていたのだろう。昨日の「応急処置」で和樹がどうしようもなく興奮し、蕩けていたことに。それを知っていて、今朝再び…今度はさらに強く、同じ快楽を刻みつけてきたのだ。生傷を再び切りつけて、激烈な痛みを与えるように。
流石にもう、役得などとは思えない。焔子の淫らな幻影に体も心も支配されて満足に寝ることも許されない、そんな未来は。いつかは普通の恋だってしたいし、高校、大学を卒業したら働いて自分の金を持ちたい。そんなありふれた未来さえ棘の一かすりで黒く塗りつぶされてしまったなんて信じたくなかった。
掠っただけだし希望はある、そんな焔子の言葉に必死に縋っている自分がいる。彼女に支配されたくないがために彼女の言葉に縋っているなんて皮肉なことだ。和樹には苦笑いする元気も無かった。
(でも…思い出しちゃうんだよな)
手遅れであるにしろそうでないにしろ、あの扇情的な光景を、感触を忘れることは最早できそうになかった。唾液まみれの舌が日光を反射してぬらりと光る光景は。指に熱い吐息の掛かるくすぐったさと、温かく柔らかい筋肉のぬめぬめとした感触は、もう──。
「〜っ!!?」
突如、激痛が首筋に走り、体を駆け抜けた。考え事から一気に現実に引き戻される。西日の差す、がらんどうの教室。先刻と変わらない場所。だが今は目の前に。
「ぼーっとしてんじゃねえよ。全然進んでねえじゃねえか」
焔子が立っていた。後ろの席でスマホを弄っていた彼女が、今は和樹の目の前で不機嫌そうな顔をして佇んでいる。その彼女の背後で揺れる尻尾に、和樹は違和感を覚えた。何かバランスが悪いような…。
「……あ…」
棘が一本無い。尻尾に生えていた棘のうち一本がなくなって、棘が生えていた部分にはぽっかりと穴が開いていた。
嫌な予感がする。先ほどの痛みの震源地、右の鎖骨から首筋の辺りを恐る恐る探ると。
「あ、ああぁ……う、嘘だ…」
指に触れたのはつややかな手触りの何か。何かの動物の牙のような、細長い円錐形。
首をすくめて見下ろせば鎖骨の上方に──焔子の白い棘が刺さっていた。
「すげえだろ。うまく力を込めるとこの棘、飛ばすこともできるんだぜ」
得意げな焔子の声が遠くに聞こえる。内容は一切頭に入ってこない。
蜘蛛の糸のように細く頼りない、それでも確かにあった唯一の希望が、ぷつりと切れてしまった。絶望感が、墨汁を水の入ったコップに落としたときのように広がっていく。
「……っ」
きっともう手遅れだ、心のどこかでそう悟ってはいるもののどうしても認めたくなかった。まだ間に合うかもしれない。そんな一心で棘に右手を掛ける。今すぐ抜けば…もしかしたら。
棘を抜こうとした瞬間、ぎゅうと右手を握られた。臙脂色の毛並みはここ数日見飽きるほどに見た焔子のものだ。構わず棘を抜こうと力を込めるが、彼女の腕力に勝てるわけもない。右手はびくともしなかった。
それを見た瞬間、和樹の頭にかっと血がのぼった。なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだ。僕が何をしたっていうんだ。まるで知らない霊が降りてきたかのように勝手に口が動きはじめた。
「いい加減にしてくれよっ!なんっ、なんでこんなことするんだ!ぼ、僕は…もう、まともな人生送れないんだ、君の、君のせいで!」
自分の震えた声が教室に響く。こんな時にも格好の付く声が出ないことがどうしようもなく情けなかった。おまけに涙も出てきた。目頭が熱くなって、泣き顔など見られたくないのにスイッチが入ったかのように涙が止まらない。
「う、うう…は、離せよ…手でも、尻尾でも、な、殴ればいいだろ…や、やれよ…っ」
鼻声で焔子を挑発する。もう自棄だ。それでも真正面から目を合わせる勇気は無かった。惨めすぎて自分が嫌になってくる。
「ふぅん」
焔子の冷たい声が聞こえてくる。掴まれていた右手が引っ張られ、一緒に棘も抜けた。間髪入れず左手も押さえつけられる。「気をつけ」を教えられている子供のような格好だった。もう今朝のように手で顔を防ぐことはできない。
尻尾だ。あの棘だらけの尻尾で本当に殴られる。ああ、馬鹿だった。なにも殴れなんて言う必要なかったじゃないか。棘を刺された上に殴られるなんて、本当に馬鹿なことをした。先刻の威勢はどこかにいって、和樹の頭の中は後悔でいっぱいだ。
がちゃがちゃ。棘の音が聞こえてくる。和樹はぎゅっと目をつむった。肩をすくめ、体を縮こまらせて、来たるべき衝撃に備える。
来る、来る、次の瞬間には来る。いっそひと思いにやってくれ。
「……?」
いつまで経っても衝撃は来なかった。痛みも来ない。気づけばがちゃがちゃという棘の音も消えている。聞こえるのは窓の外からの、しゃんしゃんというクマゼミの声だけ。両腕は変わらず押さえつけられたままでびくともしない。
先ほどと違うのは、ふわりと漂ってくる煙草の匂いだ。
(……あ…)
煙草だけではなかった。無意識に心臓が跳ねる。つんとした酸っぱい匂いと、蜂蜜のような甘ったるい匂い。あの屋上での淫らな記憶が鮮明にフラッシュバックして──樹液の匂いに誘いこまれるカブトムシのように、少しずつ、瞼を開いてしまう。
「きひひ」
すぐ目の前だった。意地悪げに笑う焔子の顔の前で。あの臙脂色につやめく舌が、ぬらぬらと蠢いていた。
20/08/29 20:20更新 / キルシュ
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